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リスボンはマドリッドと結ぶ、高速鉄道をつくることに反対した。大阪はこのリスボンの判断を参考にすべきであろう。 [グローバルな問題]

 スペイン国鉄はマドリッドとリスボンを結ぶ高速鉄道の計画を策定したが、リスボンは断った。これは、マドリッドの方がリスボンより「クリティカル・マス」、絶対的な規模が大きいため、ストロー効果でリスボンの活力がマドリッドに吸収されてしまうことを恐れたからである。
 スペインとポルトガルを一体として捉えれば、これは経済的には損失であるが、ポルトガルだけを考えると、この鉄道はプラスよりマイナスの方が大きいのでリスボンの判断はまさに正しいと考えられる。
 これは、ほとんどの地方都市に言えることで、地方都市という枠組みだけで捉えると、大都市と道路や高速鉄道が結ばれると、ほとんどの場合、地方都市はプラスよりマイナスの方が大きい。
 現在、東京が一人勝ちしているのは、ほとんどのネットワークが東京起点になっているからである。大阪が衰退を始めたのは、梅田(大阪)ではなく、新大阪に新幹線の駅を設置し、さらに東海道新幹線と山陽新幹線を直通乗り入れさせ、新大阪駅を通過駅としたためである。なぜ、東京駅では東海道新幹線と東北新幹線(上越新幹線・信越新幹線)を直通運転させないのか。東京駅で乗り換えさせているのか。それは、圧倒的な東京駅のハブ性を維持させたいからであろう。大阪はネットワークのハブ性を、新大阪駅を設置したときから失ってしまった。そうであれば、少なくとも新大阪駅周辺を大阪の拠点として開発すべきであったのに、それをせずにただのホテル街にしてしまった。非常に中途半端な状況を50年間も放置してしまったのである。
 リニア新幹線の停車駅も新大阪になるそうだが、私は大阪のことを考えれば、圧倒的に梅田駅にするべきであろうと思うし、そうでなければ新大阪を大阪の拠点とするような都市構造の改変をするべきであると思うのだ。ただ、現状の大阪駅の広大なる空地というポテンシャルを考えると、既に再開発の計画はできてしまったのかもしれないが、リニア新幹線の駅をそこにもっていくよう国やJR東海と交渉すべきであろう。
 リスボンの判断は、鉄道のネットワーク化は、そのネットワーク内の都市の序列化を促すということを我々に再確認させるし、それを最小限にするためには、そのネットワーク内でのハブ性を高めることが極めて重要であると思われる。ドイツの諸都市は多少、鉄道の運行時間に犠牲があっても、そのようなハブ性を維持するためにターミナル駅を維持しているところが多い(ミュンヘン駅、フランクフルト駅等)。
 日本の諸都市も、ネットワーク化は国全体の経済性を高めることにはなるかもしれないが、地方都市の枠組みではむしろマイナスの方がプラスより多いことに関しては自覚的になるべきだと思われるのだ。



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中東の人たち(カタールとかサウジの人たち)は東アジア人を見下しているのではないか [グローバルな問題]

 コペンハーゲン駅で列車に乗ろうとすると、イスラム教の女性2人組が乳母車を列車に乗っけるのに手伝ってくれ、みたいなことを言う。言葉は分からなかったのだが意味は分かったので、手伝った。ここらへんはドイツとかだと普通の親切である。ただ、この乳母車が異常に重い。なんだ、この重さはと思ったら、子供が2人も乗っていた。ちょっとふざけるな、と思ったが、この女性2人はまったく御礼も何も言わない。世界にはいろいろな文化があるが、こういう時には「ありがとう」というのが万国共通であろう。もちろん、彼女たちの国にも「ありがとう」という言葉はあるはずだ。私は「ありがとうぐらい言えよな」と捨て台詞を吐いたが、それにしても、この状況で御礼を言わないのは不思議である。そこで、ふと思ったのだが、この人たちは、東アジア人(中国人、日本人、韓国人等)をお手伝いさん的な下流国民であると思っているのではないか、ということである。というのはヨーロッパの飛行場での荷物検査とかでも、中東の金持ちの人たちは平気で私を追い抜こうとする。私が文句を言うと、「何を偉そうに」、「何様だと思っているんだ」みたいなことを平気で言ってくる。この人たちは観察していると、ヨーロッパの人たちにはそういうことはしない。
 中東には多くの中国人が出稼ぎのように行って、サービス産業やお手伝いさんなどをしている。そういうことで、我々の東アジアの風貌の人たちを下に見下しているのではないだろうか。いや、私は大きく外しているかもしれない。ただ、日本人は国内では中国人や韓国人などを差別したり、いじめたりして得意になっているが、海外に行くとこういう理不尽な思いもさせられるのである。そういう中で、地球経済は回っている。自分が差別されたくないな、と思ったら人も差別するべきではないと思う。差別をする人は、それだけで品性下劣で人間としてもつまらないことだと思う。そういう下劣な人を社会としては許さない、ということで差別は法律とかでも規制されている国が多いのだ。ヘイト・スピーチを得意になってやっている人はそういうことも理解した方がいい。そのような下劣な考えを持つのは自由かもしれないが、それを発信したり表現したりしたら処罰されるということだ。それは表現の自由とかの問題ではなく、性器を人前でさらしたら罰されるのと似たような問題である。

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全日空での遅延処理のサービスは間違いなく世界一優れていると思う [グローバルな問題]

 全日空で羽田からパリへ向かう。パリからベネツィアへトランジットする予定だったのだが、定刻通りに出発した飛行機は日本海周辺で羽田空港に戻るという。どうも、整備不良があったようだ。羽田空港に着くと、3000円のミール・チケットをもらった。このミール・チケットは厄介である。というのも、羽田空港の出発フロアで3000円も使えるような店は無いに等しいからだ。いや、無ければ使わなければいいだけの話なのだが、せこい私は「うららか」といううどん屋に入って、1000円ぐらいの雄町米の里という純米吟醸の酒とつまみとうどんセットを注文して2990円使いましたよ。ちなみに、この雄町米の里というお酒は相当、美味しかった。さて、その後、ラウンジに戻り、10時40分に出発する飛行機は16時に出発した。ミール・チケットが配られた理由は、食事を解凍してしまったために、機内で食事が出るタイミングが遅くなるため、ということだったが、しっかりと食事も離陸して1時間ぐらいで出てきた。こんなことなら無理してミール・チケットを配らなくてもよかったのに、とラウンジを使える私は思ったりもする。まあ、しかし文句を言うモンスター消費者がいるからな。
 今回はエコノミーのチケットだが、勝手にビジネスにアップグレードしてくれたのでとても快適な旅であった。ぐっすりと寝られて、起きた時は自分がどこにいるか、一瞬分からなかったぐらいである。
 さて、しかし困るのはベネツィアへのトランジット便には絶対的に間に合わないことである。これに関しては、翌日の早朝便を確保してもらった。それは有り難いが、空港で一夜を過ごすのはこの年齢だと流石に疲れる。フライト・アテンダントに伝えるとパリの方で宿を確保してくれるとのこと。これは、有り難い。通常、実はこのような状況では航空会社は宿までサービスすることは義務ではない。したがって、海外だと猛烈に交渉することを強いられる。また、
ブリティッシュ航空とかは、後でホテルの領収書を送れ、といったので後日、送ったがまったく返金してくれないしね。まあ、そういうことも分かっているので安ホテルにこちらも泊まったりするのだが、それにしても本来的に泊まるために予約したホテルはほぼ全額、キャンセル代を請求されるので、こういう時は本当に不愉快になる。それに比して、全日空はホテルまでのバスも確保してくれている。しかも夕食と朝食とまで準備してくれるようだ。また、翌日の空港までもタクシーを準備してくれるようだ。至れり尽くせりのサービスだ。というか、ある意味でサービス過剰である。
 まあ、それはそれで消費者としては有り難いのだが、我々顧客が、その有り難さをしっかりと認識しないと、そのうちサービスは劣悪だけど料金は安い航空会社にやられてしまうことが心配だ。日本航空の二の舞になるかもしれない。

 そもそも、離陸した後、整備不良が見つかったということだが、すでに日本海を越えていたのだから、そのままパリまで飛んでしまうという選択肢もあった筈だ。経営的にはそちらの方がずっと賢明であったろう。今回、羽田に帰還したことの経済的損失を考えると、機長の判断はよっぽどのものがあったと思われる。乗務員も総とっかえしたそうだ。そういう風に考えると、よっぽどの整備不良があったということだが、それはそれで心配だ。まあ、サービスでフォローするのも重要かもしれないが、整備不良が全日空の問題点なのかもしれない。先週も旭川発羽田行きが整備不良で2時間以上遅れていた。とはいえ、整備不良を見逃さずに、安全優先という考え方をする全日空を顧客としては評価したいと思う。ただ、安全優先とか遅延に対するフォローのサービスの優れた質、などを顧客が有り難がらずに、目先の格安航空券に流れると、本当、市場からは駆逐されてしまうので、その点はしっかりと顧客として感謝しないと、と思わずにはいられない。

と書いた後で、どうもエンジンの氷を溶かす機械が壊れたことが判明した。ぐるぐると燃料を浪費していたのは不時着した際に、燃料が炎上しないように空にしていたためだそうだ。ということで、相当、危ない事態であったことが判明。それじゃあ、戻りますね。事故ったら、その方が遙かに経営的には大損失を被るからだ。

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中国人観光客を嫌悪する日本人は、自分達も海外では同じように見られていることを自覚すべきだ [グローバルな問題]

 北海道の夏には結構、多くの中国人観光客が来ている。中国人といっても本土だけではなく、台湾の人たちも多く来てくれているそうだ。そんなに大したところでもないのに、多くが来てくれて本当、地域経済を助けてくれて有り難い限りだな、と別に観光業とはまったく関係ない私でも思ったりする。
 さて、そういうことを阿寒湖畔のお土産屋さんとお話をしたら、どうも皆がそう思っていないことが分かった。中国人の観光客は、ちょっと振る舞いが日本人と違うので嫌だと思っている人が多いそうなのだ。私は、それが地元の観光業の方ではなく、周りの日本人観光客だろう、とその時、勝手に思ったのだが、もしかしたら観光業の方でもそういう感想を抱いているのかもしれない。
 さて、しかし日本人観光客が中国人の振るまいを嫌悪しているのは、随分と了見が狭い話である。なぜなら、日本人の観光客も随分と海外ではご迷惑と顰蹙を買っているからである。特に、私は日本人と海外に行ってレストランに入ると、お願いだからパスタを注文しないで欲しい、と強く願う。というのは、ほとんどの日本人はパスタを啜るからである。私の若い女子学生でも、平気でそばのようにスパゲッティをずずずっと啜って食べるものがいる。テレビ番組でイケメンの俳優でも、そうやって食べていたりするので、これはもう格好悪いとも思われないのであろうが、ヨーロッパでは相当の顰蹙ものである。私もドイツ人の友人やチェコ人の友人からその点を指摘されたことがある。「あの食べ方はヨーロッパでは許されないほど下品」と指摘をされている。
 まあ、あの啜り食べに関しては、実はちょっと知恵のようなものもあって、熱い麺もの、例えばラーメンのような料理は、ああやって食べると舌を火傷させないし、せいろのそばのような料理はあのように食べると、汁が飛び散らないで食べることができる。したがって、それはそれで合理的であると思われる。ドイツのラーメン屋は、スープが熱くないのだが、これはドイツ人が啜って食べられないので、通常、我々日本人が食べるような熱いラーメンだと火傷をしてしまうからで、私はこの点はドイツ人側が愚かであるとは思っている。しかし、スパゲッティを啜って食べる理由はまったくなく、ただ単に下品なだけである。とても言い訳は考えられない。まあ、松本人志であれば考えられるかもしれないが。
 あと問題があるのはスープである。日本人のほとんどがスープを啜る。しかし、スープは啜って食べない。口にスプーンごと含む。これが出来ている日本人はほとんどいない。実は私も意識している。意識しないと啜りそうになってしまうからだ。これも、スパゲッティの啜りほどではないが顰蹙である。
 まあ、観光客だから、現地の作法を知らずに恥をかくこともあるかとも思う。旅の恥はかき捨て、という言葉があるくらいだからだ。したがって、そういう風に我々もある程度、許されて海外旅行をさせてもらっているのだが、こんな大して楽しくもないような日本の観光地に喜んで来てくれる中国人観光客には、ちょっとでもよい思い出を持ってもらうように、我々も少しは地方経済に貢献するような行動を起こしてもいいのではないだろうか。


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ドイツのホテルで100ユーロ出したら、舌打ちされた [グローバルな問題]

ドイツのホテルのフロントでインターネット代を支払うために8ユーロを請求された。手元に細かいお札がなかったのだが、8ユーロでクレジット・カードも何だろうと思い、100ユーロを出したら、あからさまに嫌な顔をされ、細かいのがないのかを聞いてくる。財布をみせてないと言ったら、舌打ちをされながらお釣りを出してきた。ドイツは金を払う時にもこのように不愉快な思いを多くする。レストランでは金を払うために平気で5分ぐらい待たされることがある。もう、担当ではないウェイトレスに20ユーロ(料金は10ユーロぐらい)を無理矢理渡して出て行こうとしたら、嫌、私じゃないから困る、という。といって担当のウェイターは見て見ぬ振りをしているのか、単に意地悪をしているのか分からないが、本当に来ない。これでチップまで払わせられたりするからな。アメリカほど高くなくても。なんでこんな国の方が経済的な競争力を持っているのかがまったく分からない。

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プラハのイタメシ屋でパスタにケチャップをかけるインド人にむかつく(心が狭くてすいません) [グローバルな問題]

 チェコのプラハに来ている。夕食を外食する機会が2日あった。1日目はプラハ出身の友人に連れて行ってもらった。中央駅のそばのNota Beneという店でウサギを食べたのだが、なかなか美味しくて感心した。2日目は一人だったのだが、チェコ版食べログをチェックして、オールドタウン・スクエアのそばのツェレトナー通り沿いのPasta Frescaというパスタ屋に入った。ほうれん草入りのタリアテッレ(フェットゥチーネ)とサラダを注文したのだが、ここも美味しくて、チェコのレストランのレベルの高さを思い知らされている。確実にドイツのレベルを越えていると思う。というか、イタリアでこの2店より今ひとつの店に何回も入ったことがある。ポーランドに行った時も食事のレベルが高いなと思ったのだが、もしかしたら、ここらへんのスラブの人たちの料理文化は相当、高いのかもしれない。
 さて、今日、このブログでは多少、毒ガスを吐きたいと思っている。このPasta Frescaでは隣のインド人の4人家族が座っていた。両親と長女、長男といった構成である。長女はとても聡明な感じで、どうも彼女が一番、英語ができるらしく、すべての注文をしていた。お母さんはずっとiphoneをいじっており、長男はずっとゲームをしていた。それは、どうでもいい。問題はパスタがきたときにケチャップを注文したことである。しっかりとしたトマト・ソースでつくられたパスタにケチャップを注文するのは、レストランに対してあまりにも失礼であろう。しかも、この店は、値段は高くはないかもしれないが、人気店である。長女は「ツアー・ガイドが勧めてくれたの」と嬉しそうにウェイトレスに言っていたが、ケチャップをパスタに入れるようなら、そもそもいい店に来たいなどと考えるべきではないだろう。
 もし娘が小さい時に、まともなイタリア料理屋でケチャップを注文しようとしたら絶対、許さないし、そもそもそういう子供は連れて行くことさえしないであろう。娘ではなく、例えば沢尻エリカのような絶世の美女と万が一、デートをする機会があって、彼女がケチャップを注文しようとしても、私は許さないであろう。
 ケチャップというのは、開拓時のアメリカにおいてトマト・ソースをつくるのが面倒臭すぎるアメリカ男性が考えたものである。トマト・ソースの代替品とはいえ、それは同じものとはいえない。いや、オムライスのようにトマト・ソースよりケチャップの方が合うような場合もなくはない。しかし、しっかりとしたイタメシ屋でトマト・ソースに勝るケチャップなどあり得ないし、それは他国の文化への冒涜でしかない。
 この家族を睨んだら、父親が睨み返してきた。まあ、なんで私が睨んだか。それが分かれば、ケチャップなど注文しないだろう、私が不快を覚えたことは伝わったのではないだろうか。

 私が注文した料理二品の写真をアップします。この写真からも、ケチャップかけないだろう、というのが分かってもらえるかと思います。

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ドイツのカフェに入って、そのサービスの悪さに懐かしさを覚える [グローバルな問題]

フランクフルト空港に着く。これから鉄路でライプチッヒ。しかし、二時間待ち。しょうがないから駅にあるカフェで待つことにした。テイクアウト以外ならテーブルに座ったら給仕するわよ、と言われたのだが1時間経ってもやってこない。サービスする気ゼロだな。流石、ドイツ。このサービスの悪さはちょっと懐かしいけどコーヒー飲みたい。給仕するわよ、と言った25歳くらいの女性は、あたかも私が存在していないかのように無視をしている。なんか、ドイツなんだし、ここで意固地になる必要もないのかな、とも思うが、日本のサービスに慣れている私としては、なんか癪になってきた。ということで、意地でもこちらからは声をかけないで、我慢比べ(というか、自分のコーヒーが飲みたい気持ちとの我慢比べなので、あちらは全然、我慢してない)をすることにした。とはいえ、よくよく考えたら、席代が無料という風にも解釈できる。しかもネットに無料に繋がっているので、仕事も捗る。得しているのか損をしているのか。ただ、流石に1時間15分経ったらコーヒーを飲みたい自分が意固地な自分に勝った。とはいえ、癪なので、近くにあったスターバックスに行って注文した。スタバならネットには無料で繋がるからな。さて、このスターバックスはドイツ人ではなくて東南アジア系の人であったが、全然、サービスがよかった。まあ、あまり人種差別的なことは書きたくはないが、本当、ドイツの人のサービスは悪いよね。こんなサービスが悪くて、一生懸命仕事をしなくても経済は好調だということが本当、不思議。というか、日本人は不毛なサービス競争をして、ただ疲弊してしまっているだけなのかもしれない。消費は快適だが・・・・。

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(あまりにも暇なのでフランクフルト空港駅の写真を撮影しました)
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なでしこの試合の動画ニュースがインターネットでは観られない!? [グローバルな問題]

 なでしこがオーストラリア戦に勝った。ということで、岩渕真奈のシュート・シーンを観たくなりインターネットで検索したが、全然、見当たらない。というか、試合の概要をネットで観ることがどうも出来ないようなのだ。女子サッカーを盛り上げる4年に1度の大チャンスに日本のメディア達は何をしているんだ。見損なった試合は260円のオンデマンドで観られるらしいが、そもそも260円をいちいち徴収しようとするNHKの銭ゲバ根性と、しかも、一日以上前のものしか観られないという対応の悪さに愕然とする。
 日本のスポーツ・メディアはまったくインターネットに対応していないのか。そのような疑問を持って、プロ野球の状況をチェックしたら、プロ野球はダイジェスト版が観られることが分かった。しかし、日頃、NBAの状況をチェックしている私からすると、随分とコンテンツが貧相だ。日本に住んでいても、メジャー・リーグの方がよほど多くの情報が得られる。まあ、私はプロ野球にはそれほど関心はないのだが、どうでもいいのだが、この日本のマスコミのスポーツに関するインターネット・コンテンツが貧弱な状況はどうにかならないか。
 と書いていて、ふと、海外のをチェックすればいいのか、ということに気づいてFOX Sportsをみたら、コンテンツは日本では観られないようにブロックされていた。何なんだ。ブロックするような対応をするなら、日本で観られるようにして欲しい。結局、FIFAのホームページでコンテンツは観ることができた。
 女子サッカーを盛り上げたり、減少する一方のプロ野球ファンを獲得したりするためには、NBAのように充実したコンテンツをどんどんと作成して、発信するべきだと思う。私は、NBAに関しては、全試合をインターネットで観られるための有料番組を購入しているが、そのコストに見合うだけのコンテンツを楽しめている。私はNBAに関心があるが、他のスポーツでもアメリカは充実したコンテンツを作成している。これが、スポーツ市場を大きく広めている要因であって、私も、このようなコンテンツ・サービスがなければここまでNBAをフォローしていないと思う。
 インターネットという画期的な、産業革命にも匹敵するようなシステムが普及しているにもかかわらず、日本だけが日本語という壁に守られて、NHKを始めとしたマスコミは既得権益の確保に執心している。その結果、日本のスポーツではなく、主にアメリカのプロスポーツに人々の関心がシフトし、日本のスポーツ市場は縮小していくのだ。というか、オリンピックをその是非はともかく、開催するのであるから、この点をしっかりとしないと、オリンピックでさえ、海外のメディアに日本の視聴者が奪われるような事態になってしまうのではないか。少なくとも、私はオリンピック情報をESPNとかをチェックするような気がする。まあ、日本で観ることをブロックするという姑息な手段でNHK等は対抗しそうだが。
 現によく考えれば、私は、ほとんど海外のメディアばかりを観ている。例えば、今回の女子ワールドカップの解説なども、日本のマスコミに比べてESPNやフォックス・スポーツは優れている。
 ただ、日本がもうちょっとしっかりとスポーツ・コンテンツを作成したら、私のような人間の関心もそっちに向かうと思うのだ。少なくとも、女子ワールドカップのコンテンツ(例えば、試合のダイジェスト版で構わない)がつくられたら、もっとなでしこへの興味も高まると思うのである。本当、しっかりして欲しい。というか、私がつくりたいぐらいの気持ちだ。

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羽田空港の国際ターミナルでのタクシー乗り場での日本人の態度の悪さは、とてもオリンピックをやれるような国民でないことを外国人に知らしめている [グローバルな問題]

羽田空港に朝の5時前に到着。タクシー乗り場で向かう。3組の外国人が私の前で待っている。タクシーにどうやって乗っていいか、ちょっと迷っていると、それを横目に日本人が平気で割り込んでタクシーに乗っていく。私は決して性格はよくない方だと思うが、さすがにそこまで恥知らずのことはできないので、前に並んでいた外国人に行き先を聞いて、東京方面のタクシーに連れて行き、この車に乗れ、と指示を出した。すると、私の脇を抜けて、後ろの日本人がタクシーに乗ろうとする。ふざけるなよな。流石に「並んでいるんですけど」と言ったら乗るのを止めたが、外国人で右も左も分からないのをいいことに、平気で列をすっ飛ばしてタクシーに乗るというのはあまりにも身勝手で下品ではないだろうか。オリンピックを開催したり、「おもてなし」の観光キャンペーンをする前に、国際人としての躾をもっとした方がいいのではないだろうか。しかし、この平気で列をスキップしている日本人達は、国際線に乗っているぐらいだから、それでも外国人の日本での立場とか、公共交通手段を使うのに困っていることぐらいは分かると思うのだが。私は、自分が外国の空港ターミナルでタクシーを待っている時、横入りを現地の人に平気でされたら、相当、その国のイメージが悪くなると思うのだ。場合によっては、いつか仕返しをしてやろうぐらいの気持ちになるかもしれない。自分がやられたら嫌なことは、他人にもしない。国際社会で生きていくうえでの基本中の基本の作法である。

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日本で働いていても、交渉になると英語を使う外国人は卑怯だと思う [グローバルな問題]

大学12年目で初めて、横浜校舎で講義。横浜校舎の教員ラウンジを使うのも始めて。さて、印刷をするのにコンピューターを使っていて、ちょっとトイレに行って戻ってきたら外国人の先生が使っている。隣のコンピューターが空いているのに!私が日本語で「すいませんが使っているんですけど」と言うと、英語で「I am extremely in rush」とか言ってきた。私は、こういう交渉事になると突然、英語を使うアメリカ人?の卑怯な対応にぶち切れて(だって日本の大学で教えていて日本語がしゃべれないことはあり得ないでしょう)、英語でまくしたてました。おそらく、彼女はこういう状況下だと英語をしゃべると日本人は卑屈になるという先入観があるんだろうな。勝手に利用中のコンピューターを使っているということよりも、英語をしゃべれば私が怯むだろうという、その姑息な考えに久し振りに怒りが爆発しました。

アメリカで問題があった時、交渉時に日本語しゃべる人はいないでしょう。楽天とか社用語を英語にしている企業とかがあるけど、語学は力ですからね。英語でコミュニケーションさせられるということは、バスケの選手なのに野球で勝負させられるような不利な状況に追い込まれるわけですよ。私は10年ぐらい海外で生活した代償として、英語で多少はしゃべられるけど、それでも語学でいろいろと不利な目に遭わせられているなと思うことが多いです。逆にいうと、このアメリカ人と覚しき先生は、交渉事で英語を使っていろいろと日本で得をしてきたと思うのです。だって、私は日本語でしゃべっているのに英語で返事をしたんですからね。本当に失礼な話だ。

しかし、流石に私の剣幕に驚いたのと、自分に明らかに非がある(隣のコンピューターが空いているのに、私が使っている方がちょっと速いというだけで、私の方を使おうとした)ということに後ろめたさがあったのか、謝罪をしましたが。しかし、私はコンピューターを使ったというのではなく、こういう交渉事に自分が有利な言語でしようとする、そういうふざけた態度に怒ったのですが、これは通じたかどうかは分からない。
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安倍政権の意に沿わないマスコミ潰しが進んでいるが、海外メディアはなかなか潰すのは難しい [グローバルな問題]

安倍政権に対して批判的なマスコミを、安倍政権は形振り構わず、潰しにかかっている。昨年11月にはテレビ朝日「報道ステーション」のプロデューサーに放送内容を批判する文書を出していた。17日(今日)に開く情報通信戦略調査会の会合にテレビ朝日とNHKの幹部を呼び出すそうである。「言論の自由」をここまで軽視する人を総理に担ぐ日本人。さすが、第二次世界大戦のような馬鹿な戦争を始めた国のDNAを引き継いでいるだけあるアホさ加減さだ。

それはともかくとして、国内のマスコミ批判はどうにか封じることができても、なかなかそうはいかないのが、海外メディアである。日本外国特派員脅威会の機関誌「Number1 Shinbun」にドイツ人の特派員が、安倍政権の歴史観を批判した記事に対しての日本政府の反応を記事にまとめた。この記事を発表してから、フランクフルト総領事がこのドイツ人記者が働く新聞社へ抗議文を手渡し、この特派員は「中国ビザを取るために中国に好ましい記事を書いていたのでは」という妄想的な憶測まで伝えたそうである。

またアメリカのワシントン・ポストによれば、日本の外務省は外国特派員らに対して、政府に批判的な識者については「信用できない」と触れ回っているそうである。外務省は「政権に批判的な識者」として中野晃一上智大学教授は「知り合いの特派員が外務省職員から『中野は信用できない』と聞いたそうだ」と述べている(東京新聞2015.4.14)。私は、別にそのように「信用できない」という自分の噂は聞いていないのだが、そもそも誰にも「信用されていない」ので問題はないのだろうが、それにしても、こういうことは滅茶苦茶マイナスなやり方である。このようなことをしていると、どんどん海外における日本政府の信用が損なわれていくであろう。

そもそも、安倍政権がしようとしていることは、民主主義の否定である。アメリカから与えられた民主主義ということもあり、フランス人やアメリカ人のように自国民が民主主義を奪い取っていないためか、日本人は第二次世界大戦であれだけ、他国もそうだが自分達の人権も蹂躙されたにも関わらず、未だその有り難さ、大切さが分かっていないように思われる。まあ、そうでもないと自民党に票を入れようとは思わないからな。それはともかく、民主主義を否定する国はアメリカやヨーロッパの諸国からは「人類の敵」として認識される。政府はともかくとして、人そしてマスコミにとってはそうだ。IS(イスラム国)だって、政府や企業は石油とか本来的には「民主主義の敵だからやっつけてやろう」という意図とは違う裏の意図があるかもしれないが、その政策を国民に支持させるためには「民主主義ではない国から、人々をとりもどす」という目標を掲げなくてはならないからだ。そういう意味で、日本の政府が他のマスコミにいちゃもんをつければつけるほど、日本が国際的に孤立していくであろう。それって、第二次世界大戦の前と同じ状況ではないか。しかし、前回はアメリカなどの経済的包囲網に「切れた」ということもあるが、現在は自爆の道を勝手に突き進んでいる印象を受ける。こんな政府が、グローバル人材の育成などと言っているのは悪い冗談だ。

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曽野綾子の産経新聞での差別発言は、欧米であれば社会的に100%抹殺される自爆発言だ [グローバルな問題]

右翼作家である曽野綾子の発言が物議を醸していることは知っていたが、その中身は知らなかった。ちょっと気になって調べたら、私の想像を越えた差別発言であることを知って驚愕した。

それは2月11日の産経新聞のコラムであった。
「もう20〜30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。」

さらに、「南アフリカでアパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃後、白人専用だったマンションに黒人家族が一族を呼び寄せたため、水が足りなくなり共同生活が破綻し、白人が逃げ出したという例を出し、「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」」と締めくくっている。

このような発言を欧米ですれば、まず社会的には100%抹殺される自爆発言である。私は、曽野綾子のような考えを一ミリも持っていないが、持っていたとしても絶対、公に言わない。完全な言い逃れのできない「人種差別者(Racist)」として社会的に抹殺されるからである。右翼発言は許容されるが、人種差別発言は許されない。そもそも、50年前ならいざしらず、現代において白人、アジア人、黒人と人類を分類できると考える遺物のような思考回路に愕然とする。例えば、私が関心を抱いているアメリカのプロ・バスケットボールの選手の多くは混血である。アメリカのプロ・ゴルフ選手のタイガー・ウッズは母親がタイ人、父親はアフリカ系アメリカ人であるが、彼はどちらに住んだらいいのだろうか。

そもそも、「白人専用だったマンションに黒人家族が一族を呼び寄せたため、水が足りなくなり共同生活が破綻し・・・」というのは、論理的でもない。黒人の方が白人より水を多く使うのであろうか。アメリカでもこのような事例は多く指摘されているが、多くは地上げをしたい不動産業者が、そこに以前から住んでいた白人を追い出して土地を安く取得するためというケースが多い(ここらへんは文献等に多く紹介されている)。また、上記の場合は、黒人より先にユダヤ人が入って、白人を郊外に追い出したというケースも多くみられた。あたかも、黒人を嫌って白人が逃げた、という書き方をしているが、別に当時の白人が嫌ったのは黒人だけでなく、同じ白人のユダヤ人やアジア人も含まれている。しかし、このような話も50年以上も前の話だ。確かに今でも人種差別的意識を持っている人がいないわけではない。そのような人が、自分と似た属性の人(この場合は、むしろ肌の色の違いよりかは収入であったりするが)と住みたがる傾向があるのは確かだ。金持ちが世田谷区の岡本とかに住みたがっても足立区の北綾瀬に住みたがらないようなものだ。これは、収入はまだ分かるが、肌の色は昔と違って、そのような人達を嫌った回避行動を取ろうとしても、取ることが難しいほど、現実社会は人種の混交が進んでいるからだ。

曽野綾子のこの発言は、そのような現実社会を的確に捉えていない一昔前の愚かなる考えを相変わらず引きずっていて、恥ずかしいが、それだけでなく、このように差別的な思考を本人が持っていることを露呈したことで、人間としても最低であることを我々に知らしめた。

私は高校時代、曽野綾子の「太郎物語」などを喜んで読んでいたりしたが、こんな人であったこと、そして、そんな恥ずかしい考えを平気で晒せる愚かで情がない人と知って、本当に悲しいし、腹立たしい気分にさせられた。

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日本の文房具が世界最高水準であることを日本人はあまり知っていないのではないか、ということを成田空港で考える [グローバルな問題]

 成田空港で文房具というかペンを買おうと、成田空港にある文房具店に入った。基本的に購入したかったものはサクラクレパスのPIGMAであった。結構、お洒落な文房具店だったので、これは置いてあるかなと期待していたら置いてなかった。というか、ここに置いてある文房具はドイツのステッドラーとかアメリカのBicとか、外来品ばかりであった。私は、この文房具屋の品揃えにとても驚いた。というのは、日本はいろいろと良質な商品を世に送り出しているが、文房具はその中でも傑出して優れているからだ。というか、間違いなくコスト・パフォーマンスを配慮に入れれば、世界一であろう。
 私は小学校四年生の時、アメリカの小学校に通ったのだが、多くのカルチャーショックの中でもCrayolaというクレヨンのあまりの品質の悪さには強烈なショックを覚えている。サクラ・クレヨンがとても懐かしかった。同じことは、消しゴムでもいえる。三菱鉛筆のMonoの消しゴムに比べれば、アメリカの消しゴムは糞である。同様のことはBicのボールペンでもいえる。というか、文房具に関しては1970年代時点でも日本はアメリカよりはるかに進んでいた。その後、大学院で再びアメリカで暮らすことになったが、私はランドスケープ・デザインというデザインの学科に所属していたので文房具は商売道具であった。この時点でも、日本の商品はダントツに優れていて、多くの学生の憧れでもあった。マーカーなどは、圧倒的にサクラクレパスのピグマが優れていたし、製図ペンも日本のものがコスパではダントツに優れていた。というか、ぺんてるのサインペンのように安くて優れたサインペンが世界中、どこにあるのか。現地の大手文房具店では、日本の文房具が宝物のようにディスプレイされて、日本よりずっと高い価格で販売されたりしていた。文房具店の大手であるイトー屋がサンフランシスコに支店を持っているのは、そこに需要があるからだろう。
 その後、ドイツで一年ほど暮らして、安いという理由でステッドラーの製品をよく使った。ステッドラーはアメリカの文房具に比べるとはるかに優れていて、私も嫌いでは決してないが、日本では買おうとは全然、思わない。ドイツで買ったのは、そちらの方が日本製品より単に安いという龍だけからだ。
 アジアの建築関係者やランドスケープ関係者が東京を訪れると、イトー屋などの文房具店に行きたがる。ブラジルのランドスケープ関係者も、どこに行きたいですか、と尋ねると文房具店と言った。それだけ、日本の文房具やブランドなのだ。
 もちろん、すべてが日本の方が優れているとは思わない、色鉛筆に関しては、スイスのカラン・ダッシュが私は個人的には一番好きである。
 さて、話を成田空港の文房具店に戻す。こんなにも世界中から憧れの品と思われている日本の文房具をなぜ、成田空港で販売しないのだ。文房具店がないならまだ分かるが、わざわざ成田空港でテナントを出して、しかもそこで海外の文房具を販売するとは何を考えているのだろうか。まず、成田空港に来る多くの海外の人々を顧客として捉えていないことは確かであろう。そして、今回はそのような理由ではないが、私はたまに日本の優れた文房具を海外への人のお土産に買うが、そのようなニーズにもまったく答えてない。また、成田空港にいる人は、ほとんどが海外に行くのだから、例えばステッドラーが好きな人はドイツで買うだろう。というか、銀座とか渋谷とかで営業しているなら分かるが、この成田空港で買うというのは一体どういうマーケティングをしようとしているのだろうか。摩訶不思議である。

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インフレは怖いということをブラジルで実感する [グローバルな問題]

 日本の経済政策はデフレ退治に一生懸命である。ただし、本当に一般市民が怖れるべきなのはインフレである。インフレは経済が成長するときに起きる。しかし、実質的な経済の成長を上回るインフレが起きた時、経済は崩壊の危機にさらされる。インフレは暴走するのだ。そして、まさにブラジルでそれが起きているのではないかと実感する。
 ブラジルは1997年頃から頻繁に訪れている。ほぼ毎年ぐらいのペースだ。1997年に訪れた時は物価の安さに喜んだ。この物価の安さは2006年ぐらいまでは続く。それが、特にここ数年で急激に増加している。
 インフレが起きる場合はどういう時か。通貨に比べてモノが少ない場合である。モノが少ない場合はどのような状況の時に生じるのか。それは、人口が増加するなどしてモノの需要が増えた時、というか需要と供給の関係性においてモノ不足が生じたときに起きる。一方で、勝手に通貨の供給を増やしても、通貨に対してモノが相対的に不足するのでインフレは起きる。しかし、その通貨で外貨を買ってしまえば、円の供給量は増えないのでインフレは起きない。とはいえ、円安にはなる。
 ブラジルではインフレが生じているので、レアル安が進んでいる。日本は輸出型経済なので円安のメリットを企業は受けることができるが、ブラジルはどうなのか。コーヒーなどは安くなると、国際競争力は強くなるが、ブラジルのコーヒーはほとんどアメリカ企業に牛耳られているので、別にブラジルの経済に恩恵をもたらすことはないであろう。また、ブラジルは資本主義とは言えないのほど公共事業体の規模が大きい。つまり、公務員が多いのだ。したがって、物価が上がっても、即、それが給料の上昇にはつながらない。小学校教員だけでなく、大学事務職員、大学教員、さらには警察官までストライキをする背景には、インフレに対応できていない給与体系への不満がある。
 このように考えると、インフレは怖い。というか、今、ブラジルで起きていることはスタグフレーションのような印象を受ける。ここらへんはあくまでも印象論ではある。ショッピング・センターには客が多くいるので、それなりに物価が高くても消費需要はあるのかなと思ったりもするが、知り合いのブラジル人は外食の回数は大幅に減ったという。
 日本は人口が縮小するという、そもそも国内マーケットが縮小している局面にある。これは、インフレが生じる人口増加とまさに逆のトレンドにある。そのような時に、政策的にインフレに向かうことは恐ろしく危険なのではないだろうか。しかも、インフレ対策として公共事業に手をつけているが、それらの資金は次世代から借りている。そうでなくても、我々国民に莫大な借金を背負わせておき、人口減少トレンドで、さらに借金を増やすことを疑問視しない人がいることが恐ろしい。世界的にも日本は特殊な状況にある。
 一般の人はデフレで損をすることはない。デフレで損をするのは、借金を持っている人や、輸出企業のオーナーぐらいだ。一般庶民はデフレで損をすることはほとんどない。経済が成長しないと大変だ、と指摘する人が多いが、株をもっていなければ経済が成長しなくても痛くもかゆくもない。本当に痛いのは、インフレで物価高になって、欲しいものが買えなくなるような事態が生じた時だ。そもそも、ユニクロやすき家、ドトール・コーヒーといったデフレ型リテイルがこれだけ跋扈していることが、デフレから脱却できない大きな理由だ。物欲はほとんど臨界点に達しており、もう値段を安くするしか需要を喚起できないほど市場は飽和している。これが経済が成長できない、すなわちインフレが進まない最大の理由であり、それは実はほぼユートピア的状況にあるのではないだろうか。日本は消費者天国なのだ。
 ブラジルは日本の消費環境に比べると、おそろしく未発達であり、まだまだ市場は未飽和である。経済が成長する余地は十二分にあるし、人口も増加している。日本と違って、ブラジルで消費者の立場にたつと、多くの不満を持つ。日本とは大違いだ。しかし、それでも現在の7〜8%のインフレは、実体経済を反映していない気がする。そして、それは、ブラジル国民の生活経済の破壊をもたらすのではないだろうか。デフレの日本では経済問題という言葉がまったくピンとこなかったが、ここブラジルでは怖いほど感じてしまう。インフレの国にいることの、将来がみえない恐怖は、アベノミクスにも近い将来においては通じるのではないかとも思ったりする。

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ブラジルの経済は相当、危ないかもしれない [グローバルな問題]

 ブラジルのクリチバに来ている。昨年の9月にも来たので、5ヶ月ぶり。しかし、この5ヶ月でもバスは2.80レアルから3.30レアルまで上昇。私が初めて来た時は、1レアルでお釣りがきていたと思う。つい最近でも1.50レアル前後だった。いつも行くショッピング・エスタシオンの量り売りのビュッフェ。6レアルぐらいのイメージを持っていて、最近は高いな、と思っていたけど今回は23レアル。もう既に日本より物価が高くなってしまっている。教員や公務員のストライキが頻繁に起きているけど、こんなインフレだと死活問題だ。物価上昇率は5%と予測されていたが既に7%を越えている。デフレは経済を停滞させるかもしれないけど、経済を本当に破滅させるのはインフレだな、ということが分かる。
 しかも世界的に原油安であるのに、ブラジルだけ石油の値段も上がった。これは、どうもブラジルは中東から石油を輸入していないためらしい。ブラジルの石油の産出が増えていないので、しょうがないかもしれないが、これだけ厳しい状況下での保護貿易の意味を考えさせられる。そして、エネルギーと水が不足している。特にエネルギー不足は深刻らしい。まあ、ブラジルの場合は、水力発電が主流なので水不足とエネルギー不足は連動しているのだが。
 ブラジルの経済、どうなるんだろう。私はブラジル銀行に口座を開設して、レアル貯金でもしようかと暢気に考えていたのだが、こちらで実態を知ると、なかなか投資をするような環境でもないなということに気づかされた。

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安倍首相の「日本はテロに屈することは決してない」発言に違和感を覚える [グローバルな問題]

 中東の過激派「イスラム国」を名乗る組織が後藤健二さんを殺害したとする画像をインターネット上に配信した。大変、惨たらしいことで、ご家族の悲しみを考えると、心が痛むし、慰めの言葉も見つからない。
 そして、それから一夜明けた2日午前、政府・与党は首相官邸で緊急の連絡会議を開いたそうだ。そこで、安倍晋三首相は「日本はテロに屈することは決してない。今後、政府・与党の総力をあげて日本人の安全を確保する」と表明するとした。
 この安倍首相の発言に私は、違和感を覚えた。まず、「日本は」と始まっているが、日本とは何なのだろうか。せめて「私」は、もしくは「日本国首相の私は」と言って欲しかった。喧嘩を売られても、のらりくらりと交わせばいいのだ。そもそも、今回の事件は、人質が取られているにもかかわらず、相手を刺激するような発言を現場意識もなく、発した安倍首相が引き金になっている。相手に突っ込ませる余地をなくす方が賢明なのに、わざわざ喧嘩を買うようなことを再び言って、何を得ようとしているのか。本当、自民党のぼんぼん二世政治家は、プライドばかり高くて困る。そんなプライド、犬も食わないだろうに、我々、国民は食べさせられている。元気が出ないわけだ。
 さらに「日本人の安全を確保する」と言っているが、テロ相手にそんなことが出来る訳がない。無駄に税金を使うだけだ。そもそも、日本人の安全を確保するなどとこの期に及んでいうのは、後藤さんと湯川さんをみすみす殺されてから言う言葉ではないだろう。私が、この被害者の家族であったら、その言葉を聞いたら憤怒するであろう。
 そもそも、このような事態を招いてしまったのはアメリカのグローバル戦略である。ブッシュ・ジュニア政権が、お父さんの敵とばかり、サダム・フセインを死刑にしてしまい、混乱をその地に招き、多くの無実の現地人を殺害したことが、イスラム国などという馬鹿げたグループを強力にしてしまったのだ。そのアメリカの言い分だけ聞いて、安易に尻馬に乗っかった安倍首相の責任は本当に重い。その結果、グローバル・チンピラを挑発し、このような状況に日本人をおいてしまったことを、真剣に反省してもらいたい。私としては、首相を辞任するぐらいの責任だと思っているのだが、そうは思わないのだろうなあ。しかし、この感性の無さが、テロリスト達が敵視する格好なターゲットとなっているような気がする。生まれてから50年以上経つが、日本人であることでこんなアンハッピーな気分にさせられたのは初めてである。悔しい気持ちでいっぱいだ。

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イスラム国の人質の件は、日本がいかに外交音痴であるかを露呈させている [グローバルな問題]

イスラム国の人質の件は、日本がいかに外交音痴であるかを露呈させた。そもそも、湯川さんが人質になったのが8月。それから何の救出活動をすることもなく、今年1月17日にイスラム国を大いに刺激するスピーチを安倍総理が日エジプト経済合同委員会にてする。日本語でも十分、刺激的であったが、さらに英語訳はより攻撃的な内容となっていた。人質を取っている側からすれば、そりゃあ怒るでしょう。少なくとも、怒る理由を与えてしまったことは残念である。人質がいなければ、そういうことを言っても、将来的には危害を被るかもしれないが、その因果関係はうやむやになるだろう。しかし、人質を取った後にこういうスピーチをぶったのは賢明ではない。というか、そもそも何でわざわざ決意表明のようなスピーチをする必要があったのだろうか。黙って支援だけしていればいいじゃないか。支援していることを公に表明するというのは、ある意味では、見殺しにすると宣言したようなものじゃあないか。まあ、そういうことも計算に入っていたのかもしれないが、どちらにしろ冷血か外交音痴のまぬけかのどちらかである。
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刺身のパーティーに赤ワインを差し入れで持ってくる愚 [グローバルな問題]

今日は、某NPOの新年会。このNPOには、築地市場とコネがある人がいて、毎年、この築地市場の新鮮でとびきり美味しい海鮮類が提供される。私も、この海鮮類を食べることだけを目的に、この新年会に参加している。さて、しかし、この新年会に赤ワインを持ってくる人がいる。このワイン自体は美味しかったのだが、お刺身にまったく合わない。イカを煮た料理とはちょっと合ったが、それも白ワインであればよかったと思わずにはいられない。私は申し訳ないが、少しだけ飲んで後は日本酒と焼酎にしていた。ちなみに、日本酒も醸造用アルコールが入った甘ったるいお酒で美味しくなく、素晴らしい海鮮類の美味さをさらに引き立てるようなものではなかった。とはいえ、赤ワインよりはずっといい。しかし、私は減点法で結局、いいちこのロックを飲むしかなかったのだが。日本には、おそろしく美味しい、というかおそらく世界で最も海鮮類に合う素晴らしい日本酒というアルコールがあるのに、本当、もったいないなと思う。赤ワインを差し入れで持ってきた人は、しきりに私に「赤ワインはお嫌いですか」というので、「いや日本酒が好きなんです」と言い訳をしていたのだが、この人は赤ワインと刺身を食べて、これは不味いなと思わなかったのだろうか。おそらく、ちょっと高級な赤ワインを持ってくれば皆、喜ぶと純真に思っているのであろう。しかし、この純真さは他人には有り難迷惑なだけである。この人は某大学の教授であったが、おそらく、あまり誰も彼にそのように指摘する人がいないのであろう。現に私もしなかったし。ただ、これがフランスだったら滑稽だ。フランス人がパーティーでジビエ料理を楽しんでいて、そこにあるフランス人が日本酒を差し入れで持ってきて皆に振る舞ったら、ジビエ料理は赤ワインが合うに決まっているだろう、と誰かが指摘すると思われるからだ。というか、そのようなシチュエーション自体が、コメディのように滑稽である。その滑稽さに、この赤ワインを持ってきた人は気づくべきだが、悲しいのは、その滑稽さを周辺の人々にも教えなくてはいけないことである。
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東京がオリンピック開催都市に選ばれた理由は「ドーピング・フリー」が大きかったようだ [グローバルな問題]

 もう1年以上も前の話であるが、2020年にオリンピックが開催される都市は東京に決まった。それから、新国立競技場のことやら、カヌースラローム競技場のことや、バスケ会場のことなどが問題となっている。そもそも、このような問題が生じた大きな原因は、東京という世界最大規模の都市で開催するオリンピックであるにもかかわらず、ヨーロッパ型の都市の特徴である「コンパクト・シティ」を意識した「コンパクト・オリンピック」などをコンセプトとして提唱してしまったからである。まあ、そんなコンセプトで通す方も、通す方だよな、と思ったので、ちょっと海外のメディアがなぜ、東京がオリンピックに選ばれたのかと報じているのか気になり、調べてみた。
 イギリスのテレグラフ誌は、興味深いことに、東京がオリンピック都市として選ばれたのは、「ドーピング・フリー」であることが効いたからであると報じていた。マドリッドは、オペレーション・プエルトと呼ばれるドーピング・スキャンダルで、この点については相当、マイナスのイメージが持たれていたのだが、さらにプレゼンテーションでイギリスのメダリストでIOC委員のアダム・ベンギリーがこの点を質問すると、マドリッドはしっかりとした回答ができなかったそうだ。これは、相当、評価を落とし、結果、二位投票でイスタンブールに負ける要因となったそうだ。その二位となったイスタンブールもドーピングでは前歴があり、そのような前歴がない東京が、漁夫の利を得た、といった報道内容であった。東京というよりかは、日本のスポーツマンがドーピングをしていなかっただけなのだが、まあ、東京に有利に働いたそうだ。
http://www.telegraph.co.uk/sport/othersports/10293941/Tokyo-wins-bid-to-host-2020-Olympic-Games.html
 ニューヨーク・タイムスは、マドリッドやイスタンブールに比べて東京は無難であったということで、特にいい点もないが、減点法で東京に落ち着いたというような報道であった。この記事でもドーピングで有利であったことが記されていた。
http://www.nytimes.com/2013/09/08/sports/olympics/tokyo-wins-bid-for-2020-olympics.html?pagewanted=all&_r=0
 このような状況を踏まえると、東京は「コンパクト・オリンピック」といった無理というか、東京に合わない、しかも東京のニーズにもないようなコンセプトを提示しなくても勝てたのだなということが分かって、本当に残念である。というか、これが理由であれば大阪でも勝てただろうなあ。

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縮小現象に関して、シンガポールのテレビの取材を受ける [グローバルな問題]

 シンガポールの国営テレビの取材を受ける。人口減少に関しての取材だ。日本の人口減少がどう影響を及ぼすかという内容であった。私はちょうど、岩波書店の雑誌『思想』に、これに関する原稿を書いていたので、ほいほい、と了承した。しかも、取材は英語でいいよ、と気軽に応じたのだが、AutonomyとかVulnerabilityといった普段、カタカナで書いているような単語が出てこなくて大変困った。しょうがないので、Self-governanceとかFragileといった言葉で置き換えていたが、なんか格好が悪く、気まずい思いをした。アホに見えるであろう。シンガポールでしか流れず、日本で流れないのがせめてもの救いだ。さて、しかし、ここで書きたいことは、そういうことではない。
 シンガポールの人達が、なんで日本の人口減少に興味を持つのかな、と最初はその意図がよく分からなかったのだが、撮影が終わった後、カメラマンが「日本人が絶滅種という解釈はどうですか」と尋ねたことで、ちょっと見えてきた。日本の人口減少が続いていたら、そのまま日本人が消滅してしまう、といった話に興味を抱いていたのであろう。流石に私にはそのような質問を正式にはしなかったのだが、日本人がいなくなる、というちょっとセンセーショナルな話題に持って行きたいというような意図を私はカメラマンのちょっとずるそうな笑みから読み取ったのである。
 人口減少に関しては、こういう本質を見ていない興味を喚起させる。豊島区が消滅するといった話もそうである。豊島区が消滅するのであれば、その前に、所沢市や清瀬市、東久留米市が消滅するだろう。なぜなら、豊島区から人がいなくなれば、代わりにそこに多くの人が住みたがって移動していくからである。豊島区の方が、所沢市や清瀬市、東久留米市より地価が高く、家賃が高いのは、それなりに意味があるのだ。豊島区の目白の周辺に誰も住まなくなったら、私は喜んでそこに住むね。東久留米市や和光市に住んでいたら、まず間違いなく引っ越してくるであろう。
 日本人が消滅するということも、同様にまずあり得ない。日本人の人口が減少し始めているのは、はっきりいって国土規模に対して、現状の豊かさを維持させていくには多すぎるからである。
 エコロジカル・フットプリントという概念がある。これは、「ある期間、ある集団が消費するすべての資源を生産し、その集団から発生する二酸化炭素を吸収するために必要な生態学的資本を測定したもの」である。1980年代以降、日本はその需要を満たすために、おもに海外の生物生産力に依存したため、エロジカル・フットプリントは増加傾向にある。現在、日本の食生活を支える生物生産力は海外に75%依存していて、これは食糧確保という観点からは、脆弱な状況にあると言える。また、世界中の人々が日本と同様の食生活をした場合、エコロジカル・フットプリントが示す地球の資源は、地球1.64個分になる。これは、地球1個ではまかなえないということで、決してサステイナブルではない。極めて単純で乱暴な計算をすれば、現状の日本人の食生活から生じるエコロジカル・フットプリントを地球規模に落とし込むためだけでも7800万人程度まで、規模としての人口を減少しなくてはならない。現在、人類が直面している深刻な課題はその人口爆発であり、それがもたらす持続可能ではない多大なる環境負荷であるということだ。
 したがって、エコロジカル・フットプリント的に考えれば、日本人は多すぎるのだ。これが7800万人ぐらいになれば、また増加し始めるであろう。増加しなくても、少なくとも減少のトレンドは留まるであろう。
 地球という有限の資源で生き延びていかなくてならない人類は、これまでのようにやみくもに成長することができない壁にぶつかっている。この人類史上の大きな岐路に、どのように対応していくのかで、人類が生き延びられるのか滅びるのかが決まるのではないかと思われる。現在、日本人が減少しているというのは、そういう意味で私は賢明なのではないかとさえ考えている。
 あと、日本人は絶滅種という設問に関して、何をもってして日本人なのかということが極めて曖昧である。日本という国に住んでいれば日本人なのか。それとも日本人の親を持っていれば日本人なのか。日本語をしゃべれば日本人なのか。そもそも、日本人という概念が相当、曖昧である。これが、ホピ・インディアンとかだと、ホピ文化を次代に継承させていくことが重要なことであると分かる。そのように考えると、日本文化と日本語を次代に継承させていくことが何よりも重要であり、その継承者は別に日本人でなくてもいいのではないかと思ったりする。ドナルド・キーンが、日本文化と日本語を次代に継承させるうえで果たした役割は、そこらへんの「日本人」とは比べものにならないほど大きい。
 まあ、いろいろと考えさせられることが多いシンガポールの国営テレビの取材であった。

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ドイツ鉄道のサービスの悪さは相変わらずだ [グローバルな問題]

 日本で住んでいると、ドイツの生活が懐かしく思えたりするが、こちらでドイツ鉄道に乗ったりしていると、そのサービスの劣悪さと、それに我慢することのストレスで神経が参る。ドイツ鉄道は、まず定刻通りに運行しない。これは、まあ計算内であるので、そもそも待ち合わせも都市間だと1時間ぐらいの遅延を念頭において、アポを入れるので遅れても対応可能だ。間違って、定刻通りに着いたらちょっとラッキーと思えばいいくらいである。しかし、腹立たしいのが、終点まで行かないで途中で止まってしまい、後続の列車に乗り換えさせられる時である。こういうのも慣れているといえば、慣れているのだが、今回は、たまたまカメラの電池を充電していたので、この変更にちょっと慌ててしまい、充電器を車内に忘れてしまったまま後続列車に乗ってしまった。こういうのは本当に悔しい。基本的には私のミスだが、そもそも、こういう急な乗り継ぎによる忘れ物の割合というのは、ある程度の確率で起きる。この急な乗り継ぎが頻繁にあると、当然、何回に一回はこういう忘れ物をしてしまう。これは、ドイツ鉄道が理解していない、隠れた劣悪サービスの一つだと思ったりするのである。
 どうしてこんなことが起きるのか。それは、経営を独占しているからであろう。東京電力なども同様である。ドイツ人が駄目、日本人が駄目というより、独占企業が陥るサービスに劣化であると思われるのである。

タグ:ドイツ鉄道
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コペンハーゲンの物価の高さに悲鳴を上げそう! [グローバルな問題]

コペンハーゲンに来ている。何しろ物価が高いので驚いている。まず、ホテルが高い。ユースホステルに泊まったのだが、一泊2万円以上もする。そして、レストランやカフェの値段が高い。スーパーで水を買おうと思っても、なかなか高い。平気で400円近い。これは、都心部だけかと思ったが、もっとも移民が多く住んでいるノーボロ地区でもカフェでカフェオレ小を注文したら500円ぐらいしたので、コペンハーゲン全体で高いのかもしれない。

それでは日本より安いものはあるのか。靴はそれほど高くはなかった。そして、果物は安かった。特に、ブルーベリーは大きなパックで360円ぐらいであった。あと地下鉄は結構、いい値段を取るが、都市間鉄道は、それほどは高くないとの印象を受けた。

まあ、ただの印象論かもしれないが、総じて高いが、生きていくうえで必要なものはそれほど高くないとの印象を受けた。ホテルや外食など観光客をある程度、顧客として捉えられるようなところでは値段が高く設定されている印象を受ける。

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コペンハーゲンのアンデルセンはまだ閉店していなかった [グローバルな問題]

コペンハーゲンにはアンデルセンが存在する。人魚姫の銅像ではなく、広島発祥のアンデルセンだ。中央駅の前、チボリ公園の隣にある。2009年に訪れた時に発見し、当時は閑古鳥が鳴いていて、これじゃあそう長くないんじゃないかと他人事ながら心配したりしたのだが、まだ営業していた。しかし、客は相変わらず少ない。本家のダーニッシュを注文する。日本では美味しいと思ったりするが、コペンハーゲンで食べると、デンマークのダーニッシュの濃厚な味とは違って、さっぱりし過ぎて、それほど美味しいとは思わないような気がする。とはいえ、恐れ多くも本家への逆輸入。ちょっと個人的にその後、どうなるのか興味深い。

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札幌市議の金子快之氏が「アイヌ民族なんて、いまはもういない」と書いたことに関して、ちょっと考える [グローバルな問題]

 ちょっと前のことになるが、札幌市議の金子快之(やすゆき)氏(東区選出)が短文投稿サイト「ツイッター」に「アイヌ民族なんて、いまはもういない」と書きこんだ。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/558587.html)。自民党もこの発言に関しては、処分せず、ほおかぶりをしている。当人は批判に対しては「本当のことを言うと議員を辞めなければならないのでしょうか?」と開き直っている。
 ちなみに現在、北海道だけで約2万人ぐらいのアイヌ民族がいると言われている。アイヌ民族は、明治期の近代的土地所有制度導入時に土地所有から疎外され、狩猟・漁業など生業の場も失い、理不尽に貧困に追いやられた。口承文化であったこともあり、固有の言語や伝統文化は急速に失われた。しかし、現在でもアイヌ民族の学生らが文化や歴史を学び、次代に継承しようと努めている。こういう姿勢を金子氏はどのように考えているのだろうか。日本人が趣味でしているぐらいに思っているのだろうか。
 そもそも、純粋な日本人というのは存在し得ない。民族的にも大きく分けても縄文人と弥生人と二つの系統が存在する。また、北海道だけでなく、東北地方や北陸地方においてもアイヌ民族の文化を我々はブランドさせている。札幌、ニセコ、猪苗代、黒部といった地名をとっても、我々は、アイヌ語を使っている。また、オットセイやホッキ貝、ラッコ、トナカイ、シシャモの語源はアイヌ語である。つまり、我々日本人も、その割合は少ないかもしれないがアイヌ化しているのである。ちなみにDNA的にもっともアイヌと近いのは琉球人で、その次が和人となる。
 金子氏が「アイヌ民族なんて、いまはもういない」と主張するのであれば、ある意味で「和人なんて、いまはもういない」という主張も正しいことになるであろう。
 そもそも、このグローバル社会において、民族という定義は思いの外、難しい。
 山内昌之は、「民族とは一定の文化的特徴を基準として他と区別される共同体をいう。土地、血縁関係、言語の共有(母語)や、宗教、伝承、社会組織などがその基準となるが、普遍的な客観的基準を設けても概念内容と一致しない場合が多いことから、むしろある民族概念への帰属意識という主観的基準が客観的基準であるとされることもある」と述べている。山内の解釈をあてはめれば、アイヌの人達が、アイヌ民族に帰属すると意識すれば、その時点で、アイヌ民族は存在するのである。
 というか、こういう人の痛みが分からない人間が政治家として活動しているということに、私は非常に危険なものを感じる。田母神氏の支持率の高さといい、本当に日本は大丈夫なのか、と思わずにはいられない。
 アメリカで政治家が「ホピ・インディアンはもういない」と発言したら、確実にアウトだよね。ドイツで政治家が「ソルブ人はもういない」と発言したら、確実にアウトでしょう。なんで日本だとセーフなんだろう。この民族問題に対しての感受性の鈍さは、グローバル・スタンダードからは大きく逸脱している。ここが日本の国際社会における大きな弱点なんだろうな。

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ルワンダ(キガリ)の経済事情 [グローバルな問題]

 キガリの物価は高いと思う。まず、我々が泊まっているホテルは、「ミル・コリン」というホテルで、これは「ホテル・ルワンダ」の舞台となった歴史あるホテルだが、一泊2万5千円だ。確かにいいホテルであるとは思うが、ちょっとこのクラスで2万5千円は、ヨーロッパはニューヨークじゃないんだから、高すぎるような印象を受ける。
 食事は、ホテルのレストランだともう日本よりも高いが、巷でもそれほど安くはない。例えば、カフェテリアのバイキング(ただし、おかわり禁止)でも3000ルワンダ・フラン(これは500円相当)だ。ハエが結構、飛んでいるあまり清潔でない食堂で、適当な定食みたいなものを注文したら1000ルワンダ・フランであったが、ここは安さがどうも売りだったので、これがまあキガリのCBDでは少なくとも最低ラインなのかなと思ったりもする。
 ちょっとしたレストランだと、もう平気で12000ルワンダ・フランとかいう値段がついている。
 あと高いのはタクシーだ。平気でちょっと行くのにも8000ルワンダ・フランとかふっかけてくる。半日付き合わせたら30000ルワンダ・フランであったが、乗った後にちょっと寄ってくれとか、もう少し待ってくれ、とかいうと、どんどんと足されたりする。現地の人が交渉しても、結構な値段を取られていたので、まあこれが相場なのかもしれない。
 タクシーに比して安いと思うのは、オートバイ・タクシーでこれだと500ルワンダ・フラン。80円程度だ。これなら、まあ使ってもいいかなと思ったりもする。
 さて、これだけ物価が高いのであれば、給料も高いだろうと思うが、どうもそうではないようだ。キガリの街中では、ショットガンを持つセキュリティがあちらこちらにいるのだが、そんなセキュリティの人といろいろと話をした。彼はピーターという名前で、4人家族で子供は6歳と2歳。しかし、月収は80ドルでとても貧乏だとぼやいていた。こんなショットガンまで持たされて、月収80ドルは、この都市の物価の高さから考えてもちょっと異常である。ただ、こちらにもう7年ぐらい住んでいる日本人に話を聞くと、職があるだけいいでしょう、とのこと。そうなのか。
 ただし、月収80ドルということは、とてもじゃないが、外食はもちろんのこと、タクシーに乗ることもまず考えられないということである。なんか、経済的には歪んだ構造があるのではないかとも思ったりもする。

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キガリ・シティ・タワーの前で、いろいろと話をしたピーターとの記念撮影。

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1000ルワンダ・フランで食べられる、勝手盛りランチ(中身の注文はできない)
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自らの尺度で、他国の人や文化を理解しようとすると、かえって理解を遠ざける [グローバルな問題]

ちょっと前(5月26日)、東京新聞の筆洗に次のような文章が書かれていた。ブラジルがワールドカップの準備にもたついていることに関してのエッセイだ。

「それでも、ブラジルは懸命に準備を急いでいる。突貫工事による事故も起きている。五十年前の日本人がけなげに町を掃除し、公徳心を学んだようにおもてなしに取り組んでいるはずだ。「サンバと陽気さ」のお国柄の印象であたかも怠けているかのような言い方はすべきではない。」

いや、ブラジルにはそんな「おもてなし」の気持ちはないから。私はブラジルという国は大好きだ。12回以上は訪れているし、関連する本も2冊ほど出版させてもらった。しかし、彼らが日本人と同様に「おもてなし」の気持ちを持っているというのはあまりにも表層的で浅はかな分析であると思う。彼らは人の弱みにつけ込むことが非常に巧みだ。そして、そのような行動があまり卑劣とは思われずに、むしろ賢いと思われる。私は、日本人なので、そういうところはちょっとムムムと思うが、価値観の相違ということで受け入れるようにしている。そうでなければ、ブラジルではやっていけない。自らの尺度で、他国の人や文化を理解しようとすると、かえって理解を遠ざけることになる。彼らは「怠けている」から工事が完成しているのではなく、「怠ける」と多くの人が困るからこそ怠けているのである。それは、怠けることでより多くの給料を引きだすことに成功するからである。しっかりと計算しているのだ。そして、国家的なイベントを「おもてなし」という気持ちで皆が乗り越えようとするほど、政府を信用していないし、お人好しではない。日本人のように原発事故を隠蔽させようとする政府にここまで従順な国民という方が、グローバル・スタンダードでは異常だということを理解した方がいいと思う。

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高崎は国際化が進んでいる? [グローバルな問題]

高崎駅を訪れる。駅を降りると、アナウンスが日本語でない。中国語ではないのは分かるが、もしかして韓国語か。そこで注意して聞いてみるとポルトガル語であった。驚いた。と同時に、そうか太田市をはじめとして群馬県はブラジル人が多く住んでいるからな、と納得する。さて、東京に戻るためにまた高崎駅で待っていると、今度は韓国語をしゃべるカップル。なんか、東京はグローバル都市なので、日本のグローバル化は東京を中心に展開しているようなイメージを持っている人が多いが、実はこういう製造業が盛んな地方都市においてこそ国際化は進んでいるだな、ということにちょっと気づいたりした。

タグ:高崎 国際化
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人種差別発言をしたNBAオーナーが永久追放された事件が人種差別大国の日本人に示唆すること [グローバルな問題]

 NBAのチームであるロスアンジェルス・クリッパーズのオーナーであるダン・スターリングが人種差別発言によって、NBAから永久追放、そして250万ドル(約2.5億円)の罰金が課されることになった。この判断はNBAのコミッショナーであるアダム・シルバーによって為された。250万ドルは、このような罰金の連邦法が決められる最高額である。
 ダン・スターリングの人種差別発言は、ガールフレンドとのプライベートな会話が盗聴されたようなものなので、私はちょっと不公平な気もしないが、その内容が公開されてしまうと、流石にどうにもならない。
 ダン・スターリングの件に関して、私が興味を持つのは、彼がユダヤ系アメリカ人であることだ。両親ともユダヤ系だ。そのようなバックグランドを持つアメリカ人が差別的な考えを抱くというのは、ちょっと私にとっては驚きである。
 もう一つ、この事件が示唆するのは、アメリカという社会が本当に人種差別的発言、行動に対して厳しい姿勢を持つということである。これは、人種差別に寛容というか、何人かの政治家が人種差別者であるような国、日本にとっては注意をすべきことである。戦争をしてしまった背景には、私は日本に同情する余地はあるかもしれないが、その戦争で他国の人々を惨殺し、蹂躙したという歴史を肯定しようとする姿勢、考えは、犠牲となった国だけでなく、安全保障上の唯一のパートナーともいうべきアメリカも、まったく受け入れないということを十二分に自覚した方がいい。例えば、日本における従軍慰安婦を肯定するような意見、考えに関して、アメリカという社会が、少なくとも立前的には、絶対的に日本のした歴史的行為を受容することはあり得ないということだ。そもそも、私がこのような意見や考えを持つのは、何も私が自虐的な気持ちになりたがるということではなく、国際的に生き延びるためには、侵略した歴史を肯定するような考えを持つようなことがそもそも許されないことを学びとっているからである(私はアメリカで7年、ドイツで1年生活している)。
 反韓とか反中とか得意になって騒いでいる人達は、日本から出た時点で、まったく受け入れられない鼻つまみ者になることを覚悟した方がいい。そういうことを今回のダン・スターリングへのNBAの判断は示唆している。

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浦和サポーターの「JAPANESE ONLY」の横断幕事件を考える [グローバルな問題]

 8日に埼玉スタジアムで行われたJ1浦和―鳥栖戦で浦和サポーターが「JAPANESE ONLY」と差別的な内容の横断幕を入場ゲート上部に掲示した。21世紀に入って、こんな差別的な行動を取れる人がいたことに、ちょっと驚きを通り越した感銘さえ覚える。いまどき、南アフリカでも、こんな愚行を羞恥心なく堂々とやれる人はいないんじゃないかな。ブミプトラ政策というオフィシャルな人種差別をしているマレーシアでもさすがにないでしょう。だって、今のようなグローバル時代に、こういうのって人類的に相当、不味いというか痛いでしょう。人種が違うから嫌いって、なんか、この食べ物は紫色だから食べない、というのと似たような幼稚さを感じる。
 ヤンキースの田中を応援にヤンキース・スタジアムに行った日本人が「WHITE ONLY」とかの横断幕を目の前にさらされたら本当、嫌な気分になるだろうな。しかし、このような差別的な行動を取っている人達は、香川や内田の応援に行って、マンチェスターやシャルケのファンに同様の嫌がらせを受けても、ちゃんと彼らの主張を受け入れることができるのだろう。ドイツでネオナチに意味もなく殴られても、おそらく納得できるのだろう。日本で自分が同じことをやっているのだから。
 さて、しかし、こういう「JAPANESE ONLY」と主張する人は野球の試合でも、当然、王貞治が目の前にいてもしっかりと出て行けと主張するのだろうな。張本にも、金田や金本、ハーフではあるが、ダルビッシュにもしっかりと駄目出しをしてもらいたい。あと、野球選手ではないが、浦和の試合においては、和田アキ子が応援していたら堂々と出て行けと言ってもらいたい。南果歩、岩城滉一、松坂慶子、布袋寅泰、井川遙、矢沢永吉、安田成美、田中麗奈、あとハーフではあるが山口百恵や沢尻エリカ、滝川クリスタル、安室奈美恵、都はるみとかが、応援に来たらしっかりと出て行け、と主張してもらいたい。長州力や前田日明にも言ってもらいたい。蓮舫のような国会議員に対しても、しっかりと出て行けと主張してもらいたい。伊集院静のような文化人にも、言うべきであろう。
 そもそも、「日本人」というのの定義は、一般的に考えられるほど簡単ではない。法律的には、C.W.ニコルス氏は間違いなく日本人だし、日本人の心を理解しているという点では、ドナルド・キーンほどの人もいないだろう。
 でもこうやって書き上げてみると、日本という国は遣唐使の頃から、海外の人達によって豊かさや知恵がもたらされてきたのだなということに気づく。日本が豊かになれたのも海外の市場があったためである。私は、どちらかというと愛国的であると思うが、日本という国は、島国という海に囲まれた国であるからこその、対等なる海外との交流によって、その素晴らしさが築かれてきたことに改めて気づく。海外という存在がなければ、日本なんかつまらない国のままだ。「JAPANESE ONLY」などと、その恩人に対して感謝の気持ちを持つどころか、排除しようとするなど、天につばを吐くようなものであろう。悲しいね。

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アップルストアのいい加減な診断で散財させられたことを知る [グローバルな問題]

マックブック・プロの調子が悪かったので、アップルストアに診てもらいに行く。昨年の夏にイギリスへ出張した時から、起動時にプップという音をさせ、起動しないという症状に見舞われたからだ。夏頃は基盤をかえた方がいいと言われたので4万円ちょっと支払って、基盤を交換した。さて、これで大丈夫かと思っていたら、それから半年も経ってないのに同じ症状で動かなくなってしまった。何なんだろう、と診てもらうと、何とメモリーの半分がいかれていたのだった。基盤じゃないじゃん。これは、病人と考えると、本当は肝臓が悪いのに、盲腸ですね、取っちゃいましょう、とやられたのと同じようなことじゃないか。こちらが無知だから、ずいぶんといい加減なことをされているな。文句を言おうかとも思ったが、まあ動いたからいいや、という何か寛容というか、そういう気分になって帰ってきた。しかし、これが自分の身体だと大変だ。我々は、そういうきわめて不安定な信頼できない社会システムの中で生きているということを改めて思い知らされた。とういか、アップルがまたいい気になっている。いい気になっていると、再び地獄を見るぞ、と忠告したくなる。が、あの地獄を若者は知らないだろうなあ。私は本当に20年以上アップルユーザーだが、どんなにそれだけで冷たい仕打ちを受けてきたことか。アップルのような馬鹿会社に付き合ってきたから。
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