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列車内でお行儀の悪いドイツ人は結構、多い [ドイツ便り]

三浦展さんのベストセラー『下流社会』では、下流現象として列車内での女子高校生などのお化粧、さらには食事などを指摘していた。興味深い指摘であるし、確かに公共空間と私有空間の見境がつかない人達の大小は、都市で生活するうえでのマナーを測る物差しであるかと思う。さて、しかし、そのような人達はドイツにもたくさんいる。都市間鉄道でなら分からなくもないが、地下鉄でもみられる。化粧もすれば、食事を地下鉄でも平気で食べていたりする。まあまあ、匂いも漂わせる。ホモセクシュアルのカップルが地下鉄で平気でキスをし始めたりもするし、ううむ、パブリックとプライベートの違いがあまり分からないというのは別に日本人だけじゃないな、と思わせる。というか、携帯のユーチューブをなぜかヘッドフォンもせずに音全開で聞いている人がいる。若い男の子かと思ったら、中年のおばさんであった。ヘッドフォンをしろよな、と思うし、もしヘッドフォンがなければ音を消せ、とも思う。特急列車では「静穏車輌」があるのだが、「静穏車輌」でも携帯電話で大きな声で話したり、友達同士ではしゃいでしゃべる人とかもいる。日本人が車内でお化粧、食事をするのは決して褒められたことではないが、まあ、どこの国も似たようにお行儀が悪いな、とは思ったりもする。

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ドイツの都市計画の謎 [都市デザイン]

ドイツの都市では一等地が緑地である場合が多い。ベルリンは都会のど真ん中に広大なティア・ガーテンという公園がある。その規模は210ヘクタール。ロンドンのハイドパークよりも大きい。これは皇居の230ヘクタールよりはちょっと小さいが、皇居と違ってアクセス・フリーというところが違う。ハンブルクも旧市街地の外側を走る環状道路の外側にグリーンベルトのようにヴァランラーゲンの緑地を設けている。ミュンヘンも都心部の東を流れるイーゼル川沿いに広大な回廊状の緑地を整備している。今、私がよく特急の乗換駅で使うシュパンダウ駅は、東京でいえば大宮駅のような高速鉄道の交通結節点である。この駅でハンブルク行き、ハノーファー行きとが分岐する。しかし、その駅前には公園が広がる。それも結構の規模である。
 なんでこういう都市計画ができるのか。というのは、このシュパンダウ駅前は一等地である。日本だったらまず土地開発をするであろう。この公園の土地は相当の確率でベルリン市かシュパンダウ区が所有していると思われるが、日本だったら役場が土地を所有しても、それを「有効」活用することを検討するであろう。さて、ここで何が「有効」なのか、ということがポイントであるのだが、それは投資対効果なのである。アメリカでも似たようなことが検討されると思われるが、アメリカの方が実は日本より結構、役所が力を持っているので、それほど乱暴な不動産開発はできない(ただし、アメリカは都市計画法が州法なので州によって異なる。例えばハワイ州とかは、相当、土地利用規制が厳しい)。
 このように駅前の一等地にドイツにて緑地が確保できるのは、これは都市計画がしっかりしているからだが、この計画をつくるうえであまり経済的な観点が配慮されていないことが分かった。そもそもドイツの都市計画家は経済の勉強をしてないらしい。都市経済学とかいう言葉がでると、ドイツの大学の都市計画系の先生とか都市デザインの先生とかは、いやあ、ドイツはこういうことを都市計画の分野で勉強しないから不味いんだ、みたいなことを言う。したがって、駅前の一等地にオフィスビルをつくれば雇用が増え、税収も増えるぞ、みたなことをどうも都市計画では考えてないようなのだ。いや、考えていたとしても定性的というか勘のようなものだと思う。と書きつつ、ベルリンでもポツダム広場の再開発では、ソニーやベンツなどの民間投資を随分と促して、驚くような開発を遂行したから、多少は考えていたのかもしれないけど、その後、ベルリン州は倒産に近いような状況になったからな。開発をする時も金計算はあまりしていないのかもしれない。
 そして経済性ではなく、もっとアメニティとかアイデンティティのようなことを優先に考えて計画を立てる。土地でいかに儲けるようなことを考えない、というかそういう発想がないようだ。そもそも住宅も7割近くが賃貸だし、土地転がしという考えがない。それの担い手である不動産会社も日本やアメリカ合衆国と違って恐ろしく政治力がない。その結果、短期的にみると土地から金を生み出さないので損をしたようなことになるが、長期的にみればその都市の利益に繋がる。都市のあるべき姿をしっかりと考えることができるのだ。ドイツはこの点は偉いな、と思っていたのだが、その人材を育てるドイツの大学の教員達はむしろ真逆のことを考えている。ドイツのよさを潰して、アメリカ的な都市経済学で都市をつくろうと考えているのである。なんか、がっかり。あと、都市経済学というのは基本、アメリカ人が発展させた体系であるので、アメリカの中小都市の分析には多少、役に立つが大都市圏の分析には役立たないし、また、人口減少や日本の東京や大阪のように複雑な系となっていて、アメリカ人と違う価値観を有する人達が住んでいる都市にはほとんど役に立たない。日本でもいろいろとフラストレーションが溜まるが、ドイツの専門家も結構、アホなのでフラストレーションが溜まる。しかも、コミュニケーションを英語でするので、どうも説得力に欠けるし(私は日本語で話してもそれほど説得力を有さない・・・見た目のせいもあると思う)、しかもドイツにビザで住まわせてもらっている身なので、そうそう強く主張するのにも抵抗があるし。ドイツ人は自分達のよさをしっかりと自覚しないと、不味いんじゃないかな。そうそう、都市計画の先生よりも都市社会学の先生の方がドイツではまだしっかりして理解しているような印象も受ける。しかし、実施、都市計画を担うのは、都市計画の学科を出た学生なんだよなあ。
 

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ドイツの都市計画家達との議論で新しい知見を得られた [都市デザイン]

ドイツの都市計画の先生達との議論に参加する。そこで分かったのは、ドイツは都市計画学科のカリキュラムに都市経済学とかがないらしい。したがって、コスト感覚がしっかりとしていなくて、それをとても問題視していることが判明した。不動産経済とかをしっかりと分かる都市計画家がいないらしい。不動産投資をバックアップする学問がなかなか発達していないので、それがドイツの欠点であるとさえ言う。
 マサチューセッツ工科大学や明海大学とかにある不動産学部のようなものが、どうもドイツにないようなのだ。おそらく日本の不動産学会とか、アメリカのUrban Land Instituteみたいな組織もないのだろう。いや、私の邪推なので間違っていたら申し訳ないですが。
 さて、ただドイツは不動産業界が弱いのは確かである。ドイツにも不動産家は結構いて、宅地開発なども手がけていたようなのだが、世界大恐慌でほぼすべて倒産したそうだ。そのような経緯もあり、政治力のある不動産屋が出てこなかった。あと、ドイツの特性として土地利用規制などをしっかりとやることを好むという風土があったので、金儲けのために勝手をさせないという空気があったのと、郊外の多くは王家とかが所有していたので開発できなかった、ということもある。これらの王家の土地はそのまま市有地になったりしている。これが、ドイツはアメリカや日本と違って、だらしないスプロールが生じなかった二つの理由だと考えている。すなわち、土地利用規制がそもそも厳しいということと、そのような規制を無理矢理変えてでも郊外の宅地開発をして儲けようという不動産業者が不在だったということだ。
 私はドイツの都市計画に経済的な要素が入ってないことを、公共性とかを優先しているからだろう、と勝手に評価をしていたのだが、ドイツ人達はそれをマイナスと捉えていたというのが大変興味深かった。いや、経済優先でいったら、ドイツから公共交通、全部なくなってしまう。公共交通をむしろ生存権として位置づけ、民間事業ではなく公共事業として公共事業体が責任もってサービスを提供する。赤字は税金から補塡。潔くて素晴らしい、と関心していたのに、ドイツ人はその経済性の意識の無さ、そして、都市経済学のような経済的な視点が欠けていることを問題だと捉えていたとは。なんか、がっかり。
 ただ、私がそういう経済性を考えないところが、ドイツの都市計画の素晴らしいところじゃないのか、ローカル線を廃線にするような考えの政策が正しいとは思えない、そもそも私はドイツのそういう知恵を学びに来ているのだ、と主張したら、4人いた先生のうち1人はふむふむと聞いてくれた。この先生がいたのは結構、救いであった。この先生は都市デザイナーなのだが、なんとハンブルクのハーフェン・シティの設計に関わって、エルベ川が氾濫した時は、一階は浸水してもしょうがない、というアイデアを出した本人であった。感動した。ということで、ドイツ人があまり賢いわけではないな、ということを確認したがっかりした日ではあったが、とても貴重なネットワークもつくることができた。ドイツくんだりまで来た甲斐があったといえるような日であった。

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円安が止まらないと慌てふためくアホども [グローバルな問題]

円安が止まらない。どうも財務省も日本銀行も懸念を強めていて、何か大慌て状況である。さて、しかし、このように円安を誘導したのは政府や日本銀行ではなかったのか。そもそも、日本の経済を浮揚させるために円安政策を今まで推進しようとしたのではなかったのか。10年前の2014年に三井住友DSアセットマネジメントがアップしたウェブサイトでは次のように「円安は日本経済にプラス」であることが書かれている(https://www.smd-am.co.jp/market/daily/keyword/archives/japan/1241825_1982/)。

以下、引用。
「円安は、輸出企業には採算改善や輸出拡大、サービス産業には訪日外国人旅行者の増加による消費支出の拡大などの経済効果があります。輸入企業にはコスト増や価格競争力の低下などのマイナスの効果がありますが、日本経済全体としてはプラスの効果が上回るとみられています。」
以上。

これは、別に三井住友DSアセットマネジメントだけでなく、政府も社会もそのような考えであったかと思う。円安こそがアベノミクスの目標の一つだったのではないか。基本、安倍さんが旗を振って、一生懸命「円安にすればどうにかなる」と呪文のように唱えて、ずっと経済政策を推し進めてきて、その結果の円安である。なんか、一生懸命、好きな女性を口説いて、ようやく受け入れられたら慌てているようなアホさ加減を覚える。円安で困るなら、円安誘導策などをしなければよかったのである。自分達が招いたくせに、いざ具体化したら慌てるのはおかしすぎるだろう。というか、日本経済にプラスにならず、しかも株高につながらない、ということをしっかりとエコノミストは説明する責任があるのではないか。こういう時のために、経済学を勉強してきたのではないのか。

私は現在、ドイツに住んでいるので、この円安はもう普通の日本人より遥かに大きなダメージを受けている。とはいえ、国が目指した経済政策の成果であるから、ある意味仕方ないと思っているところもある(ただ、私は自民党に票を入れたことは人生で一度もありませんが)。それなのに円安が止まらなくて大変だ、日本も「新興国になった」とか慌てふためいているのは人を馬鹿にしすぎてないか。失敗をしたことが明々白々になったのだから、ここで計算ミスをしたとか、ここを誤解した、といった政策の判断のミスを解説してもらった方が有り難い。経済学なんて相当、いい加減なものなのであるから、そもそもそうそう思い通りに行くとは思えない(私は以前、某私立大学の経済学科に所属していたので、経済学の先生達のいい加減さは骨身に染みて理解している)。それはいい加減な仮説(見えざる手とか)の積み重ねだからだ。しかし、いい加減だから現実がその通りにならないのもしょうがないと思う。ただ、だからこそ、ここの仮説が間違えたとか、そのモデルを修正しようと考えることとかが求められるのではないだろうか。なんか、藪から蛇が出てきたように、慌てふためくのだけは本当に止めて欲しい。

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都市は不死身なのか [都市デザイン]

 都市を人体のアナロジーとして捉えると、いろいろと興味深い思考実験が行える。しかし、もちろん都市と人体とは異なるので、そのアナロジーにあまり説得力のない場合もある。例えば、都市と人体はともに、あるときこの世界に誕生するが、人体は死を迎えるが、都市は死なない。もしくは、例えば戦争などで徹底的に破壊されることで「死んだ」と捉えるような状況になったとしても、その後、蘇生することが可能だということだ。と書いて、ふと気づく。それは、この都市が本当に「蘇生」したのかということへの疑問だ。それは、同じ地理的場所につくられているが、違う「都市」なのではないか。つまり、都市としては「別人格」なのではないか、ということだ。江戸時代の「江戸」と令和時代の「東京」とを必ずしも同じ都市として捉えないような考えである。
 アメリカ人では子供に親と同じ名前をつける習わしがある。同姓同名にするということだ。当然、名前だと区別がつかないので、親はシニア、子供はジュニアと呼ぶことで区別をつけることになる。ただ、同じ名前だが実際は違う人間だ。都市も同様のことが言えるのではないか。そのように考えるのはロシアのカリーニングラードやポーランドのブロツワフを思い描いているからだ。カリーニングラードはロシアよりドイツの都市であろう。ブロツワフは100年前は間違いなくドイツの都市であったが、それより昔まで遡るとポーランドの都市であったりしたので難しいところがあるが、その都市アイデンティティが必ずしも一貫したものではない。このような都市は日本にはほとんどなく、それが都市の不死身さを考えるうえで、ちょっと安易になってしまっているのかもしれない。
 私はカリーニングラードはある意味、死んでしまったように考えている。ブロツワフはちょっと難しい。まだ考察が必要だ。

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ポートランドに来たがるNBAの選手はほとんどいない!? [地域興し]

NBAもレギュラー・シーズン終了まであと1週間ぐらい。プレイオフに進出するチームはまだまだ続くが、そうでないチームはもう来季を見据えて戦略を立てていかなくてはいけない時期だ。戦略増強は大きく3パターンある。ドラフトとトレード、そしてフリー・エージェントである。この中で即効力のあるのはフリー・エージェントであろう。金はかかるがトレードと違って、自分のチームの選手を放出しなくてもよい。さて、先日、ユーチューブでだが、スポーツ・ラジオ番組を聴いていると(見ていると)、フリー・エージェントで選手が行きたがるチームはほぼ限定されているという意見をホストが述べていた。そして、やはりロスアンジェルスが一番、人気だろう、とこの番組のホストは言っていた。これはレイカーズがそもそも強豪であるからだが、ロスアンジェルスの都市としての魅力が素晴らしいしな、と付け加えた。そして、一方でチームの強さはともかく、NBA選手が行きたくない都市はポートランド、オクラホマ・シティだ、とも言った。この発言にはちょっと驚いた。いや、私も西海岸の大都市で住むならサンフランシスコ、シアトル、サンディエゴ、ロスアンジェルス、ポートランドの順で、ポートランドは最下位である。だけど、オクラホマ・シティより下とはちょっと違うのじゃないか、と思ったからだ。ただ、私自身、オクラホマ・シティに行ったことがないので強く反論することはできない。

さて、このポートランドだが、実は日本人は結構、好きである。世田谷区の保坂区長とかもポートランド大好きで本とかにも紹介している。他にも好きな人が多くて、ポートランド本も結構、出ている。しかし、私はそんなに嫌いとは思わないが、前述したように他の都市に比べていいとは全然、思わない。実は政策的には大都市圏行政がしっかりとできているのは全米ではミネアポリス大都市圏とポートランド大都市圏しかなく、そういう点からは興味深いのだが、都市としての魅力は大してない。まあ、NBAのゴールデン・ステート・ウォリアーズでいえば、カリー、トンプソン、グリーン、最近台頭しているカミンガのレベルでなく、せいぜいウィギンスぐらいの立ち位置の都市である。というように全然、過大評価してない私であったが、まさかNBA選手が行きたくない都市の筆頭に挙げられると驚きであった。まあ、確かにトップの州立大学はユージーンにあるし、絵はがきにするようなランドマークもないし、四大スポーツもバスケしかないし、お土産になるようなものもないし(1993年に訪れた時、お土産屋に行ったらナメクジの缶詰がギャグで売っていた)、地味な都市といえば、本当、地味だよな。ということを改めてアメリカ視線で知った。

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