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旧東ドイツの人口が2000年頃に急に増えたので、その背景をチェックしてみた [グローバルな問題]

旧東ドイツの人口統計を調べていたら、突然2000年で増加していた。これは何が原因なのかキツネにつままれたような気分になったのだが、1950年から1995年までは西ベルリンは旧西ドイツであったのに、2000年からは西ベルリンが旧東ドイツに含まれるようになったからであったことが判明した。旧西ベルリンはおよそ200万人ちょっとなので、これが入ることで12%ぐらい人口が増えることになる。この急に西ベルリンが旧西ドイツに入ることで、旧東ドイツの人口減少のインパクトが統計的には誤魔化される。それを意識したかどうかは不明だが、ちょっと統計を分析するものにとっては不親切である。

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ジョン・オリバーの日本へのギャグは、日本という国が世界からどのように見られているのかがよく分かる。 [グローバルな問題]

 ちょっと前の話になってしまうが、アメリカのHBOで活躍するイギリス人コメディアンのジョン・オリバーが、日本が安保法を2015年9月に成立したことを受けて彼がホストをしているLast Week Tonightでコメントしているのを視た。
https://www.youtube.com/watch?v=s14qCFC5RwI
 ジョン・オリバーの指摘は結構、的確であり、イギリス人らしい皮肉に溢れたコメントは、笑いを誘う。とはいえ、この番組で報道されている日本の姿は、まさに事実ではあるのだが、ちょっと不気味である。AKB48がビキニ姿で踊っている姿をみて、私は北朝鮮の喜び組を彷彿してしまった。自分が日本人であるので、こういうのを書くのは大変気が引けるが、世界的な観点からすると、ちょっと異常というか理解不能なイメージを抱かれてしまうというのも致し方ないかなと思ってしまった。このような理解不能なイメージを、しっかりと世界の人に納得してもらうように努力をすることが、これから世界で活躍する日本人には課せられるであろう。
 随分前だが、私はアメリカで大学院に通っていたが、日本好きでロック好きの友人に自信を持って「森高千里」のビデオを家で見せたら、ドン引きさせられたことがある。AKB48はまったくフォローできない私でも森高千里は許容範囲である。それでも、日本好きで日本に住んだこともあるアメリカ人でさえ、それは許容範囲外であった。そういう変態(ジョン・オリバーは冒頭で、日本のことを「地球の変態おじさん」と紹介して、聴衆に受けている)性を有している、というか世界では変態的に思われているという前提で、変態でも危険ではない、変態でもいいところもある、といった日本人イメージを日本人一人一人が発信していき、理解をしてもらうしか方法はないのかもしれない、と思ったりもした。というか、ジョン・オリバーのこのユーチューブはしっかりと見るといいと思う。

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アイスランドで学んだアイスランドの現代事情 [グローバルな問題]

アイスランドでは現地の人とほとんど会話をする機会がなかった。ということで、最終日に知り合いのアイスランド人と話をしたことで、随分と新しい知識を得ることができた。というか、そもそもアイスランドのことはほとんど知らないので、聞くことはすべて新しいのだが、下記の点について簡単に記させてもらう。
1) アイスランドの観光客が増加したのは、2008年9月のアイスランド経済危機以降である。
2) アイスランドは移民が増えているが、特に多いのはポーランド系である。
3) イケアやコストコなど、国際的な物流業者が進出していて、地元の商店は大打撃を受けている
4) 最大のレイキャビクでさえ、人口は12万人しか過ぎないが、郊外へのスプロール開発が進んでいる
5) アイスランドの若い人は、どうもオスロに行く人が多いらしい。
6) 冬はそれほど寒くはないが、風は酷いらしい

1) アイスランドの海外からの観光客は増加の一途である。これは2008年9月のアシスランド経済危機で、アイスランド・クローナがユーロに対して暴落し、観光客にとってはお得感があったからというのがきっかけだが、さらに2010年のエイヤフィヤトラヨークトルの噴火がアイスランドの知名度を高めたからのようだ。それまでは、ヨーロッパの人もあまりアイスランドを知らなかったし、関心もなかったのだが、エイヤフィヤトラヨークトルの噴火によって多くのヨーロッパの航空便が休航したこともあって、大西洋に浮かぶ火の国が注目された。それとお得感で、アイスランドに行く人が増えたのであれば、まさに災い転じて福となす、である。人間万事塞翁が馬という言葉も浮かぶ。私は、このブログでも壇蜜を使用した宮城県の広報PRに苦情を言ったりしたが、確かに悪いイメージでもとりあえず知名度を向上させるというのは効果があるのかもしれない。もちろん、宮城県は税金を使ってそういうことをしているのに対して、アイスランドは一円も使っていないのではあるが。
2) アイスランドは経済が好調のこともあり、移民が増えているのだが、その中でもポーランド系の移民が多いそうである。なぜ、ポーランド人はアイスランドを目指すのか。まったく、その背景は分からないが、そういう現象が起きているそうだ。ちなみに、この話をしてくれた知人のアイスランド人は、ポーランド人はとても働き者で好ましい、との感想を述べていた。
3) レイキャビクの郊外では、コストコやイケアなどが立地している。人口12万、大都市圏でも人口22万程度の都市で、こんなものが立地して大丈夫なのかとの印象を受けたが、実際はあまり大丈夫ではないようで、どうも地元商店の30%ぐらいが閉店してしまったそうだ。アイスランドのような小国で、市場規模も小さいところで、このような大規模小売店(卸売店)の進出はまさに地域経済に壊滅的なダメージを与えてしまうのではないか。ちょっと気になるし、関心を覚えた。
4) 3)と関連することだが、レイキャビクでは郊外開発が進んでおり、まさに槌の音が響き渡っている印象だ。もちろん、ウォーターフロントの都心部も再開発中なので、都市全体で開発が進んでいるのだが、まだ人口規模が小さく、人口密度も低いのに郊外開発が進んでいるのは、若干、マクロでの都市計画的なビジョンが欠けているような印象を受ける。ただ、人口は少ないが週日の午前8時頃は、もう道路はラッシュで混んでいた。公共交通を導入し、ある程度、都市をコンパクト化することを検討する時期になっているのかもしれない。
5) 若い人が大都市を志向するというのは、全世界的にみられている現象である。日本人の若者は東京を目指すし、イギリスの若者もロンドンを目指す。フランスの若者はパリである。連邦制国家であると、この行き先は多様化して、アメリカの若者は必ずしもニューヨークを目指さないし、ドイツの若者はあまりベルリンを目指さない。とはいえ、大都市を目指すという傾向はある。さて、アイスランドには大都市がない。一番、大きい都市はレイキャビクであるがあまりにも小さい。若者には不満であろう。この若者の大都市志向に応えてくれる都市はどこなのか、という質問をすると、どうもオスロらしい。これは、カンボジア人やラオス人がバンコクを目指すというのに似ているのだろうか。アイスランド語とノルウェー語は非常に似ているらしいので、そういう点でも敷居が低いのであろう。ただ、そのままノルウェーなどの海外に居着くのではなく、結構、帰国するそうだ。
6) アイスランドは北緯66度であり、大変冬が寒い印象を受けるが、実際はそれほど寒くはないそうだ。同緯度のノルウェーなどよりはずっと温かいそうであるし、ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候に属すそうだ。本当かいな。今日(8月21日)の朝の気温は9度だったのだが。

 ということで4日間(実施的には4泊3日なので3日間)のアイスランド滞在であったが、いろいろと刺激が多かった。再訪できる機会があるか不明だが、訪れる前より遙かにちょっと気になる存在になったのは確かである。物価が高いのが問題ではあるが。

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(レイキャビクの街並みの写真。あまり本文とは関係がありませんが)
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日本の卵は世界で一番、美味しいのではという仮説がウェールズで覆される [グローバルな問題]

 私は常々、日本の卵は世界で一番、美味しいのではないかと思っていた。アメリカの卵は比較の対象にならないほど美味しくないし、ドイツでもソーセージやハム、肉などは美味しいと感心したが、卵は日本の美味しさを上回るものには出会えたことがなかった。鶏肉に関しては、タイの北東地域のロースト・チキンが美味しくて驚いたことがあったが、卵に関しては美味しいと思ったことはない。今回の旅行ではパリの郊外ではビオ(有機)の卵を買ってホテルで茹でて食べたりしたが、とても日本の卵の比ではなかった。
 世界中で卵を生で食べる風習があるのは日本ぐらいだ。卵かけご飯に耐えるだけの美味しさの卵をつくるニーズがあるのも日本ぐらいなので、それが理由であろうと考えていた。
 さて、しかし、人生で最も美味しい卵と思ったのは実は日本ではない。それは16歳の時、ブレコン・ビーコン国立公園になぜか訪れて、ベッド・エンド・ブレックファストに宿泊した時の朝食に出た卵である。このときは、牛乳の美味しさにも驚いたが、卵は格別に美味しいと思った。ちなみに、ブレコン・ビーコン国立公園もウェールズにある。なぜ、そんなところに行ったのかというと、親戚がロンドンにいたのでそこを訪れ、当時から国立公園好きの私は、勝手に一泊旅行としゃれ込んだのだが、イギリスのどこ国立公園がいいかも分からなかったので、適当にロンドンから近いそこに訪れたのであった。1979年の話であるから、まだウェールズの議会などもできておらず、私はそこがイングランドかウェールズかどころか、そのような地域的違いがあることも分からずに訪れたのである。
 この時の卵の美味しさはずっと覚えていたのだが、その後、イギリスに訪れて食べる卵も大して美味しくなく、若さ故の錯覚であったのか、そのような美味しい卵は昔のイギリスの田舎でしか食べられないものかと思ったりもしたのだが、今回、ウェールズの知り合いの家で朝食に出された卵は、確実に日本の卵よりも美味しかった。
 あまりにも美味しいので、それを言うと、近くの家が飼っている鶏の卵であることが分かった。まあ、ちゃんとつくって新鮮なものを食べれば、世界中、どこでも美味しいということか。ただ、そのつくりかたには工夫というか、真摯さのようなものが必要なのであろう。私は、日本の卵は世界一という考えを強く抱いており、それは日本の偉大な点とも思っていたので、その先入観が打ち崩されたのはちょっと寂しいが、美味しい卵を食べられた嬉しさによって、そのような想いは打ち消された。

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フォックス・ニュースの東アジア人蔑視のニュースがあまりにも酷い [グローバルな問題]

トランプ大統領が中国批判を続けていることに便乗して、アメリカのニュース番組、フォックス・ニュースのオライリー・ファクターの一部でニューヨークのチャイナタウンのルポを報道した。これが、あまりにも人種差別的で酷い内容であることに、怒りを通り越して愕然とする。

http://video.foxnews.com/v/5154040766001/

ここでは英語がしゃべられない中国人に質問をして、返答がないことを馬鹿にしている。さらに、同じ東アジア人として許されないのは、中国人を「空手ができるのか」と尋ねて、その後、テコンドーの道場にいってリポーターが戯れていることである。ちなみに、この道場には韓国国旗が堂々と飾られている。韓国の国旗も分からないのだろうか。

さすがに、これは中華系アメリカ人も切れている。特に、それを痛罵しているのがコメディー・セントラルのロニー・チェンであるが、これは観ていて痛快な気分にさせられる。

https://www.youtube.com/watch?v=rX8jZTN0CdU

しかし、これだけフォックス・ニュースを罵倒しないと中国人でもない私でも耐えられないのであるから、中国人であったら許せないものであろう。そして、このような差別意識は中国人だけに向けられているものではない。日系人のパット・モリタがあたかも変な中国人として画面に紹介されているところがある、このくだらないフォックス・ニュースの番組を制作したものは中国人と日系アメリカ人の違いも分からないのである。つまり、これは中国人だけでなく、日本人を含めた東アジア人を侮辱したニュース番組であると捉えることが正しいと思う。フォックス・ニュースを観る右側のアメリカ人、つまりトランプを支持するようなアメリカ人が、ある意味、日本人を含めた東アジア人をどういう風に見ているのかが素直に分かる内容であり、その内容が極めて屈辱的であるということもこの番組は我々に知らしめている。そして、流石にそれぐらいはフォックス・ニュースの制作者は分かっているだろうから、これは中国人だけでなく日本人に対してもの挑戦状と受け取って理解することが必要であると思われる。
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エアフルトのプラッテンバウ団地でネオナチの活動場所を視察する [グローバルな問題]

 昨日のブログで、エアフルトのプラッテンバウ団地ヘレンベルグを訪れたことを書いたが、ここに実は、ネオナチの集会が行われている場所があるというので、そこに連れて行ってもらった。壁いっぱいにネオナチのグラフィティが描かれている。私にはそれがネオナチと関係があるということはすぐ分からないが、ドイツ人にはすぐ理解できるそうである。それにしても、色使いは黒、黄色、赤。ドイツの国旗と同じ色である。これが、やはりドイツ民族らしさを象徴する色なのであろうか。好奇心から、これらの写真を撮影していたら、ここに連れてきた人に「襲われるかもしれないので気をつけて下さい」と言われた。
 このネオナチの集会には、結構、小学生ぐらいからが参加し、ヒットラーの「わが闘争」を読んだりするそうだ。私は読んだことがないが、そういう右翼心を喚起するような内容なのかもしれない。ただ、我々を連れて行ってくれたコミュニティ・ビルダーの人によれば、そのような集会に参加している若者はヒットラーの思想というよりかは、政治的活動に関心を持っているものも多いそうで、リーチアウトすると意外とコミュニケーションはできるそうである。とはいえ、有色人種がリーチアウトするのは危険であろうが。
 エアフルトはどうも相当、右翼的な活動が盛んなようで、毎週2千人のウルトラ・ライトのイベントが大聖堂広場で開催されていたそうだ。この話を私はエアフルト大学のドイツ人の知り合いから、エアフルトを発った後に聞いた。もしかしたら滞在中は、我々が過敏に反応するかもしれないので教えなかったのかもしれない。
 トランプ大統領が当選してから、アメリカでも人種差別的な暴力事件が頻発しているが、そのような傾向はドイツ(旧東ドイツ)でも見られるようになっている。いろいろと難しい舵取りが求められる時代となっている。

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(ネオナチの集会場所でのグラフィティ)
 
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旧東ドイツの縮小都市に難民が多くいる理由 [グローバルな問題]

 旧東ドイツの縮小都市へ行くと、多くの難民と思しき人達がいる。ライプツィヒやエアフルトならまだ分かるが、プラウエン、ツヴィカウといった将来、どうなるの?と他人事ながら私でさえ心配するような都市や、なんとドイツの夕張と言われるヨーハンゲオルグシュタットでも見かけた。
 何でこんな「僻地」にいるのだろうか。と疑問に思ったのだが、それには理由があることが分かった。難民はドイツに受け入れられる際に、住む場所を選べずに、指定されていたのである。そりゃそうだろう。自ら、こんな雇用もなく、将来への展望も見えない都市には来ないであろう。最近では、難民達も住みたい場所に住めるように法律が改正される方向にあるようだが、難民達も大変だ。ツヴィカウに雇用があるとは思えないし、ドイツ人でさえ仕事を得るのに汲々としているのに、難民がそれらの仕事を取ったら反感を買うだけだ。これはつらいな。
 私はプラウエンで物乞いをしていた、若い中東系の男性をみて、そういうことをしているとドイツ人の中東系の人達へのイメージが下がるだけだから止めればいいのにと思ったりしたのだが、なかなか彼らにとっては、そうでもしないと生活できないほど厳しい現状もあるのかもしれない。
 一方で、これら難民(一部は移民かもしれない)を受け入れている縮小都市にとってはメリットが多い。それは、人口減少が緩和されるからである。人口減少を厭わなければ、難民を受け入れなくてもいいだろうが、人口減少を阻止するためには、これは相当の即効薬である。ただ、通常は都市に人口が集積するのは雇用があるからであるが、雇用という引力がなく、市場の力が働いていないのに人口を増やすということは、様々な弊害も生じるだろう。うまく、難民達が新しい経済をつくりだせるといいのだが、その環境づくりは自治体や国も支援するといいような気がする。難民を受け入れるのは、縮小都市問題を解決する必要条件かもしれないが、決して十分条件ではないと思われる。
 

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ブラジルの大学新入生の変な慣習 [グローバルな問題]

 クリチバの町中を歩いていると、顔にペインティングをし合っている若者達がいたので写真を撮影させてもらった。さて、撮影した跡、お金を請求してきたのでとんでもないなあ、と思ったがいい写真が撮れたので1レアルぐらいをあげた。さて、この若者達はペインティングが終わると、街中に出ていき、人に会うとお金を請うている。そして、人々も結構、喜んで渡してあげている。何なんだろう。
 この状況を後で地元の人に説明すると、それは大学の新入生が先輩から半強制的に街中でお金を請わせて、その収入で歓迎パーティー代に充てるのだ、という説明を受ける。納得!そして、撮影後に請求されたお金を拒まなくてよかったと安堵する。しかし、新入生に乞食の真似をさせるなんて、なかなかブラジル人の考えることも面白い。

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エスピリト・サントの軍警ストライキで殺人件数が4倍近くに上昇 [グローバルな問題]

日本の新聞はほとんど報道していないようだが、ブラジルのエスピリト・サント州で2月4日から軍警ストが行われ、10日間で殺人事件が143件も発生した。これは大変な事件だ!と思ったが、昨年同時期で38件も殺人事件が起きていたので、例年のこの期間の3.8倍ほど増えたということである。143件という数字に最初は衝撃を受けたが、そもそも例年でも38件。そういうことを考えると、この4倍というのが凄い増えたのかどうかが若干、分かりにくい。
 そもそも、ここらへんの殺人事件の数の多少といった感覚は日本人には分かりにくい。日本は全国内で毎年殺人事件は1000件程度である。エスピリト・サント州は人口が388万人なので、日本の殺人件数を当てはめると年間で32件程度となる。まあ、ざっと平均でも日本の40倍ぐらいの殺人件数が起きているということだろうか。40倍が150倍になったというのは驚くべきことではあるが、そもそも平常時の殺人件数が多すぎる。さて、それにしても警察が仕事をしていない隙に人を殺そうと思う人がいるというのは、根本的に相当、恐ろしい話である。ただ、その詳細をみると143件のおよそ半分にあたる67件は、州都ヴィトーリアの周辺にあるセーラ市、カリアシカ市、ヴィラ・ヴェーリャ市で発生したそうだ。この地域は貧しい地区である。
 日系人向けの新聞(ジャーナルニッケイ)によれば、警察は、殺人事件の原因を、①軍警不在を利用した麻薬密売者同士の拠点争いや代金取立て、②仲間を殺された警官が法の手続きを踏まずに起こした個人的な復讐や、市民の恐怖感をあおるための行為、③別の犯罪集団が起こした行為(軍警との関係の有無は不問)の三つに大まか分類しているそうだ。また、殺人事件の被害者の多くは17歳から22歳で、警察の人員が手薄な場所や、商店での略奪、強盗事件などの最中に殺された例が多かった。ギャングの抗争がらみかという気がしないでもない。
 2月13日には1000人の軍警が仕事に復帰したが、まだ10000人以上がストライキをしているそうだ。また、このストライキ中は3100人の連邦政府の陸軍と連邦政府警官が入ったので、まったくの無法地帯というような状況にはならなかったようである。まあ、それでも鬼の居ぬ間に洗濯ではないが、軍警の居ぬ間に人殺し、というような事件が起きてしまった訳である。
 まあ、そのようなメンタリティをもっている人が多いというのもショックであるが、その前に軍警がストライキをしてしまうというデタラメさも唖然とする。そもそも軍警のストはブラジルでも法律違反だそうだ。州政府は703名ほどを有罪にすると考えているそうで、有罪になると8年〜20年の禁固刑になるそうである。その背景には月収867米ドルという低賃金という状況があるそうである。このストライキを家族は積極的に支援し、また地元住民も最初は支持したそうである。しかし、この殺人の増加や泥棒の増加などから地元住民もそろそろ止めてくれ、と言い始めているそうだ(http://www.aljazeera.com/news/2017/02/espirito-santo-police-return-work-murder-wave-170213090102756.html)。
 エスピリト・サントというのは「聖なる精神」という意味である。まさに名前負けという気がする。

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おせち料理を食べない人達 [グローバルな問題]

 年末から正月にかけてスキー場のホテルに来ている。このホテルはバイキングなのだが、元旦の朝食はさすがにおせち料理とお雑煮が提供された。しかし、おせち料理だけでなく、白飯も提供されたり、パンなども提供されたりしていた。むしろ、通常のバイキングの朝食におせち料理と雑煮が追加されたような形であったかもしれない。流石に私の家族は、おせち料理しか取らなかった。それは、お正月の雰囲気を味わいたいということもあるが、日本人としておせち料理という貴重な食文化を継承させるうえでも、その程度の自覚を持たなくてはいけないと思っているからだ。などといいつつ、おせち料理をつくっていない、という点でまったくもって立派ではないことは自覚しているが、毎年、正月に旅行をするのは、家内とおせち料理を巡って夫婦げんかをすることを避けるためであったりするので、その点は許していただければと思う(おせち料理を準備すると、7割以上は私がつくってしまい、毎年の恒例のように夫婦げんかをしてしまうので)。
 まあ、つくるということを放棄しても、せめて消費することはしないといけない、ぐらいの自覚はあるが、周囲のお客さんの多くは正月から白飯を食べたり、パンを食べたりしていた。おせち料理が嫌いなのだろうか。それとも、普段、食べ慣れていないものを食べることに抵抗があるのだろうか。外国の方なのかと思ったりしたが、日本語をしゃべっているし、このホテルは、そもそもあまり外国人は来ない。なんとも不思議な光景である。確かにおせち料理をつくることを放棄した私が言うのは、図々しいところはあるが、日本人が日本人であることの一つとして、日本文化を次世代の人類に継承する役割を担うことがあると思う。つくらなくても消費する、そのような文化的な活動にせめて食べるということで貢献してもいいのではないかと思う。そういう考えもない人達は、本当に日本人なのであろうか。嫌味ではなく、ちょっと真剣に考えさせられている。
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藤原新也の景観についての文章を読み、ちょっと考える [グローバルな問題]

 藤原新也の『たとえ明日世界が滅びようとも』の中に景観について、非常に示唆的なことが書かれていたので、ここで備忘録も兼ねて、奇特な私のホームページの読者の方々とも共有したいと思う。
 それは藤原新也がまだ軍事国家の韓国を訪れた時の印象論なのだが、彼はこのように記している(pp.115-116)。
「(中略)私の旅の経験からするなら、この軍事国家と言われる国、あるいは独裁国家ほど旧来の文化が根強く残っている国家もない。
 このことはビルマにおいてもイランにおいてもキューバにおいても同様のことが言えた。
 そして皮肉なことに、その独裁国家、あるいは軍事国家が瓦解し、資本主義化され民主化されることによって旧来の民族文化や人々の営みや自然な風景は急激に破壊され、世界のどこに行っても金太郎飴のような同じような平準な世界に成り代わっていく。
 (中略)
 私は軍事政権や独裁政治を肯定する意味で言っているのではなく、こういった国家には資本主義的な拡張や成長の論理が優先しないだけに旧来の文化が居残るという側面があるという事実のことだ。
 したがって金正日の逝去に際して私が思うのは、彼の死によって行く行くこの国が西側の経済構造、あるいは民主主義というイデオロギーに取り込まれたとするなら、「風景は速やかに崩壊する」だろうということである。

 ヴァーナキュラーの景観は、地球上どこにいっても人々の心を打つ。そのヴァーナキュラー性はしかし、グローバル化が進展することで徐々に失われていく。日本の地方の景観を無個性で醜悪なものに変容させたのは、成長という企業の経済論理である。
 フィデロ・カステロが逝去した。私は8月末にハバナを訪れ、思ったほどヴァーナキュラーでは既になくなっていたことに多少、落胆したが、さらに少しでも残っていた風土的特徴も今後、失われていくのかもしれないなと、この文章を読んで思わせられた。

たとえ明日世界が滅びようとも

たとえ明日世界が滅びようとも

  • 作者: 藤原 新也
  • 出版社/メーカー: 東京書籍
  • 発売日: 2013/08/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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トランプが大統領になった日。それは、パックス・アメリカーナが終わった日でもある [グローバルな問題]

 米国民はトランプを大統領に選んだ。私はマイカル・ムアーの『Trumpland』を観て、改めてヒラリーこそがアメリカ最初の女性大統領にふさわしいことを確信し、また、トランプはFox NewsのMegyn Kellyとの会話などを通じて、まったくもって大統領にふさわしくないことを痛感していたので、今回の結果には、本当にショックを受けている。トランプのどこが大統領にふさわしくないのか。まず、まったくもって明らかな嘘つきであることだ。英語でBig Fat Liar という言葉があるが、トランプはまさにその言葉がふさわしい嘘つきである。彼がいかに嘘つきであるかは、数多くのYoutubeの画像で明らかにされている。
 二点目は、彼がまったく知識がないことだ。彼は選挙中、「Change America」と連呼していたが、どのような政策でアメリカを再び強くするのか、その点は全く述べることができていなかった。このようなスローガンを叫んでいる人が、そのまま多くの投票者の心を掴むとは驚くべきことだ。日本や韓国、サウジアラビアに米軍滞在費を負担させろと言っているが、既に日本は7割ほどを負担している。はっきり言って負担し過ぎである。米軍は日本にある米軍基地を自由勝手に使っているが、そんなに嫌なら出て行ってもらって結構である。沖縄の基地問題もそうしてもらえれば解決である。そういう基本的なことを分かっていない。
 三点目は彼の人格がよくない、ということだ。ムスリムやヒスパニックへの差別的発言、女性を見た目で判断するというセクシストの側面、ちょっとでも批難されると攻撃する偏狭さ。どれもが大統領の資質から遙かにかけ離れている。ヒラリーの方が数倍もまともである。
 とはいえ、そのトランプが勝ってしまった。悪い冗談もほどほどにして欲しい。このトランプが大統領になるというのは、トランプのような人間を大統領にするような知性と見識しかアメリカ人の少なくとも半分ぐらいは持っていないということだ。アメリカ人の半分以上が、このようなファシストのような扇動に煽られてしまったというところが、今回のトランプ勝利がなぜ、ここまで人々を落胆させているかの理由であろう。
 マイカル・ムアーが『Trumpland』で述べたように、トランプに投票をして「ざまあみろ」という爽快な気分は1日は持続できるであろう。もしかしたら1週間はいい気分でいられるかもしれない。うまくいけば1ヶ月ぐらい。ただ、それからは暗黒の4年間が待っている。
 トランプが大統領になった日。それは、パックス・アメリカーナが終わった日でもある。奇しくもこの日、11月9日はセプテンバーイレブンの月と日が逆になっただけである。11と9というのはアメリカの呪いの数字なのかもしれない。
 日本も戦後70年経って、ようやく独立を本気で考えなくてはいけなくなったということか。まあ、しかしアメリカがこれだけ信頼できないのであるなら、それも致し方ないであろう。我々、日本人にとってもとんでもない時代の幕開けだ。既成の価値観を超克して、頭を使っていかないと大変なことになるであろう。

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なぜか中国人を蔑視する大学生 [グローバルな問題]

 私の学生で、なぜか中国人を蔑視する女子学生がいる。なんか中国人は著作権を無視して、なんでもコピーをしたり、ちょっとずるいことをしたりする人というイメージがあるようだ。私は53年間過ごしてきて、そのうち海外でも8年間ほど過ごしたので、多くの中国人と知り合ったが、当たり前であるが中国人にもいい人と悪い人、正直な人と嘘つきな人がいる。そして、これはいい加減な推測だが、平均的にみると日本人より中国人の方が人がいい、というか信用できるという印象を持っている。どちらかというと、日本にいる中国人は、台湾や本土の中国人より信用できないといった傾向もあるような気がするが、もしそういう傾向があるなら、むしろ日本の社会環境が要因のような気もする。
 そもそも歴史的にみれば、日本人は漢字を始めとして、国家制度やお伽噺(たなばたとか)まで中国の真似をしてきたので、その日本人に「何でも真似しやがって」と言われる中国人はたまったもんじゃないな、と思ったりもする。
 この女子学生はとてもチャーミングで、性格もいい子なので、この歪んだ人種差別はとっても残念なのだ。どうにか、その考え方がおかしいということを教えてやりたいのだが、ストレートに言っても逆効果かもしれないので、ちょっと悩ましいところである。また、どうして、そういう歪んだ考えを持つに至ったのかも気になるところだ。

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キューバを訪れた [グローバルな問題]

キューバを訪れた。一番の理由はアメリカと国交が回復したことで、これは相当のスピードで変わってしまうだろうから、その前に見ておきたいというのがあったし、また、世界遺産のオールド・ハバナの建築などをどのように保全しているのか、色彩豊かな建築群のペンキの色とかにルールがあるかなどを調べたかったということもある。さらに、キューバは都市農業が随分と進んでいるので都市のサステイナビリティを考察するには多くの知見を提供してくれるだろうと期待したためである。
 さて、しかしアポを取ることに非常に難儀した。最初は、アメリカの知り合いでキューバ出身の先生がいたので、彼女にメイルを送った。彼女は親戚がキューバの都市デザイン業務のトップであり、すぐ連絡をする、と言ってくれたので大船に乗ったような気分でいた。しかし、彼女が連絡をしてくれたら、この親戚は重病に入院中であり、また、もう1人のその方面の専門家の知り合いは亡くなっていることが分かった。それでも、ちょっと彼女のコネに依存していたのだが、どうも亡命者の彼女に対して、キューバは全般的に冷たいことが判明した。彼女も随分と困惑しており、逆に悪いことをお願いしてしまったと悔やむようなことになってしまった。
 とはいえ、何もアポも取れずに行くのも不味い、ということで、どうにかハバナで留学生をしている人を探し出し、彼女を中心に捜してもらったり、キューバ大使館経由でもお願いしたりしたのだが、そこで判明したのは就労ビザを取得しないといけないということであった。その時は既にツーリスト・カードを申請していたのと、その時点から就労ビザを取得しても、私はキューバに行く前にブラジルやメキシコに行くので、これは日本を出国する日には到底間に合わなかった。
 それでツーリスト・カードでどうにか取材に応じてくれる組織を探そうとしたのだが、国家組織はすべてアウトで、NPOもパスポートのコピーなどを送ったりしたのだが、結局断られた。こういうところは、やはり社会主義の国家である。
 そのため、現地に行っていろいろと疑問は湧いたのだが、それらの答えは得られることは残念ながらできなかった。ということで非常に中途半端なキューバ訪問になったが、アメリカ人が多く来る前のハバナを体験できたことは価値があったと思われる。また、そのうち機会があったら、次回はしっかりと就労ピザを取得して行きたいものである。現地の人で知り合いができたのは、ちょっと今回の成果でもあろう。


タグ:キューバ
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ハバナの革命博物館の展示では、CIAはISISのようだ [グローバルな問題]

 ハバナに革命博物館がある。キューバがいかに革命を成功させたのか、そのプロセスが分かりやすく、しっかりと展示されている。ここでも二大スターはカストロとゲバラである。そして敵はアメリカだ。特にCIAの極悪非道ぶりがしっかりと説明されていて、展示をそのまま真実だとして捉えると、まるでイスラム国のようである。確かにゲバラなどを暗殺したのはCIA部隊であるから、キューバ側から解釈すると、CIAはとんでもない敵ということになる。最近でも、グラナダ侵攻とかアメリカは本当に自国の利益しか考えていない。このアメリカと同盟を結ばざるを得ない日本というのも随分と因果な国であると、革命博物館の展示をみて思ったりしたが、その是非はともかくとして、国(例えばキューバ)によってはこのように敵対的に思われているというアメリカという国と同盟を結んでいるという事実はしっかりと認識しておいた方がいいと考える。

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(アメリカの大統領などがぼろくそに説明されている)

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(革命博物館)
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キューバへの海外観光客が最も多い国はカナダ [グローバルな問題]

 ハバナのホテルの滞在客の多くは英語をしゃべっている。ホテルの従業員も流暢な英語をしゃべる。これは、やはりアメリカの観光客が多いからかと思っていたが、実は私がアメリカ人観光客だと思っていた人達はアメリカ人ではないことが分かった。キューバの海外観光客を国別で多い順に並べるとカナダ、イギリス、ドイツ、フランスとなるらしい。その後はスペイン、アルゼンチンだそうだ。人の話なので、まあ信憑性はそれほど高くはないが、少なくともアメリカ人観光客は相当、少ないようだ。
 しかし、9月1日からはアメリカからの航空便がどどっと入ってくる。なんと、いきなり20便だそうだ。アメリカ大使館も60年ぶりに設置される。我々も新しいアメリカ大使館の前を車で通った。そういう意味では、アメリカ人観光客に侵食される前のハバナを体験することができたのかもしれない。
 

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メキシコでは英語が通じなくなっている? [グローバルな問題]

 15年ぐらい前、集中的にラテンアメリカ諸国の仕事をしていたことがある。ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、チリ、ウルグアイなどを訪れた。ほとんどの国で英語が通じなかった。英語は世界の言語とかいっているのは全くおかしいと、その時、知った。特に酷かったのはアルゼンチンで、ブエノスアイレスの比較的まともなホテル(ベスト・ウェスティン)で、私はチェックアウトが遅れることで遅延料金を払わなくてはいけないのかと英語が通じる受付の若い女子に言うと、それはいい、と言われた。しかし、いざチェックアウトしようとすると受付の英語が分からないおじさんに替わっていて、私の話が通じない。そして口論になったら、なんと警察を呼んだりしたこともある。ブエノスアイレスはタクシーの運転手で私の英語が通じたことも皆無であった。そういうこともあって、私は帰国後、スペイン語を勉強し始めるが、全然、ものにならなかった。
 それはともかくとして、そういう経験をした中、メキシコ・シティを訪れて感動した。英語が通じるからだ。さすがアメリカの隣国だけあるな、と感心をしたのだ。ホテルではまったく問題ないし、レストランでも通じる。南米に比べると、いろいろと動きやすいと嬉しく覚えた。それから、12年ぶりぐらいに再訪すると、なんか通じない。レストランでも通じる人もいるが、通じない人の場合が多い。というか、私をみても英語ではなくスペイン語で話しかける人がほとんどである。タクシーなどは、今回は私のなんちゃってスペイン語で多少は通じるので問題はなかったが、このなんちゃってスペイン語がなければ、けっこう困ったかもしれないなと思ったりもする。
 メキシコでは国際免許証で運転できない。一日で売買できるドルも300ドルという極めて少額に限定されている(企業はさすがにあり得ないと思われるが)。まったくいい加減で適当な推測なのだが、アメリカ離れが進んでいるような気がする。
 メキシコは日本の国土の5倍もある大国である。中米では圧倒的な存在感である。そういう大国の誇りのようなものが、ちょっと感じられさえする英語離れ(英語を実際、あまり勉強しなくなったのかは不明だが)である。いや、たまたまなのかもしれないが、メキシコ・シティの公共交通の充実ぶり、公共空間のアップグレードなどを目の当たりにすると、なんかプライド的なものが育まれる背景も充実してきたのかもしれないと思ったりする。
 ブラジルと比べても、まともな国家運営が為されているような印象をちょっと受けたりもするのである。
 まあ、英語離れも印象論にしか過ぎないし、相当、いい加減な感想論ではあるが、覚え書きとして共有させてください。

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メキシコ人は計算が苦手? [グローバルな問題]

 メキシコのデル・バジオ空港のファストフード店のようなカフェでクロワッサンと珈琲を注文した。146ペソであったので、201ペソを渡した。そしたら、店員をしていた若い女性はパニックをしてしまった。お釣りは55ペソね、と言ったのだが新手の詐欺と思ったのか、まったく私を信用せずに、iPhoneを取り出して、一生懸命計算機で計算をしたのである。ようやく納得して55ペソを返してくれたのだが、私は50ペソ紙幣を期待したのに、すべてコインで戻ってきて、そもそも何のために1ペソ加えたのかもよく分からない気分になってしまった。この女性は結構、真面目そうで地味な感じであったので、学校でも何となくしっかりと勉強しているような風貌に見える。ということは、勝手な推測だが、学校でちゃんとここらへんの計算を教えていないような気がする。日本だったら、コンビニの店員も務まらないだろう。
 さて、しかし、これはメキシコがダメということなのだろうか。そのように計算ができなくても店員がやっていけるという、このゆるい環境にむしろ価値を見出してしまうような自分がいる。というか、日本は他国に比べて、あまりにも窮屈すぎるのではないだろうか。もうちょっとゆとりが必要であるな、というように解釈してしまっている自分がいる。いかん、ブラジルとメキシコに感化されつつあるのかもしれない。
 というか、ゆとり教育の問題は、社会にゆとりがないのに「ゆとり教育」をしてしまったことに気づいた。ゆとりがない社会で、教育だけをゆとりにしたら、教育機会を奪われた子供達が苦労するだけのことだ。

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東京新聞の社説(7月22日)でのトランプ氏の批判は的を外している [グローバルな問題]

 本日(7月22日)の東京新聞の社説は、トランプ氏を米大統領選候補に指名した共和党が深刻な亀裂をさらけだしていると指摘していた。そして、採択された政策綱領が、「不法移民対策でメキシコ国境での「壁」の建設を支持」したことは、「少数派排除の主張」であると述べている。そして、「共和党は二〇一二年の前回大統領選の主な敗因を、ヒスパニック(中南米)系など少数派の取り込みに後れを取ったと総括した」ことを指摘し、「共和党は前回選挙の教訓を忘れてしまったのだろうか」と締めることで、あたかもメキシコ国境の「壁」は、アメリカで選挙権のあるヒスパニック系の反発を得るかのような解説をしている。
 このようなヒスパニック系の理解は間違っている。というのは、アメリカ人の平均に比べても、アメリカで選挙権のあるヒスパニック系はメキシコ国境に壁をつくることに賛成しているからだ。壁がつくられることに反対なのは、アメリカに住んでいない、将来アメリカに移住しようかと思っているメキシコやニカラグアなどのヒスパニック系であって、移住してしまったヒスパニック系の人達は、むしろ、これらの人に来てもらいたくないと考えている。ちょっと考えればすぐ分かると思うのだが、このような人達は自分の祖国が嫌だから抜け出したのである。祖国に対して多少の感情は有しているかもしれないが、アメリカと祖国でアメリカを選んだ人達なのである。しかも、人によっては命がけで脱出したような場合もあるだろう。
 そして、アメリカで無事、生活できるようになっても、人種差別等でなかなかアメリカに同化することは難しい。その同化の努力をしている中で、同朋とアメリカ人に思われているような人達が、アメリカの顰蹙を買うのは迷惑以外の何物でもない。アメリカで生活しているヒスパニック系にとって、新たに移民してこようとするヒスパニック系の人々は自分達にとって邪魔者以外の何物でもない。もちろん、自分達の家族や親戚、友達などの移住は協力したいと思っているが、それ以外のマジョリティに対しては反対なのである。
 そういう深層が分からずに、トランプを批判しているだけでは、なぜあれほどトランプが支持されているかが分析できる訳がない。

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イギリスがEUを離脱した時には、ロンドン・コーリングを聞きたくなる [グローバルな問題]

イギリスがEUを24日に離脱した。東証の日経平均株価は1200円以上も下落した。ということで、随分と将来は混沌してきた。どうなるんだろうなあ、人類。こういう不安な時に何か聞きたいな、と思った時に浮かんだのがザ・クラッシュのロンドン・コーリング。シングルは1979年12月に同名のアルバムと同時に発表された凄まじいメッセージ性を有した名曲である。
 ロンドン・コーリングは、ロンドンから発信しています、というような意味である。
 テームズ川の氾濫への不安、氷河期への不安、メルトダウンの不安、小麦の不作への不安・・・という不安だらけだけど、俺はおそれない、と歌っている。
「俺達は斜面を滑り落ちまいとあがき、爪の先で引っ掛かっている。誰も俺達を助けてはくれない」。

まあ、ここまでの状況になると、またパンクが必要だな、イギリスは。そして、おそらく日本も。

https://www.youtube.com/watch?v=4vHvzybkqfo


London Calling

London Calling

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Sony
  • 発売日: 2000/01/27
  • メディア: CD


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難民をまるで危ないものを見るように思ってしまう日本人 [グローバルな問題]

「日本の家」には、知り合いの日本人を連れて行った。シリアの難民がいるので、あそこに難民も来ているよ、と教えてあげたら、まるで危ない人がいると言われたような反応をしたので、私もちょっと驚いてしまった。別に難民は危険な訳ではないし、シリア難民でドイツに来られて生活をしているのであれば、相当、裕福であるし知的レベルも高いはずである。まあ、この知り合いほどは賢くはないかもしれないが、平均的な日本人よりはしっかりしている筈だ。さて、ここで指摘したいのは、この知り合いを批判しようとしている訳では決してなく、ドイツやアメリカでもそうだが、世界的にはタブーであるような差別的意識を多くの日本人が平気で抱いていることに関しての杞憂だ。
 日本人の、特に団塊の世代とかに共通して見られる差別意識として、黒人は危ない人達であるというものがある。先日も、アメリカのある地域が貧困であることを指摘するのに、無邪気に黒人が多い、とかを外国人に述べていた日本人の学者がいたが、こういう指標を使うのは相当、気をつけないと行けない。少なくともカラード・ピープルとかマイノリティとか言って、ブラック・ピープルという言葉を避けるのがエチケットであると思われる。私とかは、あなただって非白人で変な英語をしゃべる人にしか見られていないのにな、と心の中でそういう発言を聞くと思ってしまう。
 支配層にある白人に媚びている気分もあるのかもしれないが、そういうのは、よほど親しくても有色人種としては言わない方がいい。移民とかも難民とかも、我々がドイツ人に対してとかく意見を言う筋合いはない。難民をほとんど受け入れない国が、積極的に受け入れる国に何を言うことができるのか。
 ちなみに、私がどうして、こういう考えを有しているか、というと外国で生活をすることを余儀なくされたからである。前述したような考えをもって、外国で生活することはほとんど不可能である。現地の人とある程度のネットワークと信頼を勝ち得ようとするのであれば。

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ドイツ人の研究者達と打ち合わせをして圧倒される [グローバルな問題]

 ライプツィヒにてドイツ人の研究者達と共同研究の打ち合わせをする。ドイツ側は7人である。そこには、研究所の所長もいた。さて、テーマは既にできている論文の案に関して、最終提出する前にいろいろと意見を出し合うということであったのだが、皆、非常に積極的に発言をする。若手もどんどんと意見を述べる。結構、皆、しっかりと傾聴している。納得がいかなければ所長の意見に対しても反対であると述べる。反対された側も納得がいかなければ反論をする。しかし、お互いが意見を出し合って、最終的にそのコミュニティとしての方向性を導こうとする。大変、建設的でドイツの凄みを知った思いである。
 私の意見も結構、聞いてもらえた。ただ、皆、この会議のために相当、予習をしていたが、私を含めて日本人サイドは予習をほとんどしていなかったために、あまり議論に参加できなかった。この点も反省すべきところだ。あと、このレベルでの会議になると英語はほとんどネイティブでないと無理かもしれない。私のように海外で10年近く生活しているとどうにか対応できるが、そうでないと議論に参加するのは難しいかもしれない。それほど議論をするレベルでの言語というのはマスターするのが難しいと改めて思わされる。また、マスターをしたとしても、この議論をしっかりとやるための流儀や予習をしっかりとすることなども必要であり、これはぬるま湯の研究環境に置かれている日本人にとっては辛いことなのではないかと思う。
 日本とかだと、ちょっと反対意見をされると面子を潰されたと立腹する人が多い。そういう立腹する人が、結構、国際派を謳っていたりするから私としては不思議である。おそらく日本に向けての国際派ということなのであろう。真の国際派は、そういうことを超越していると思われる。ただ、話に中身が伴わないとダメである。しっかりとした意見は、自分に都合が悪くても受け入れる。そして、コミュニティとしての最終的な判断とする。多くの対立を戦争という愚かな手法で解決しようとしてきた長い歴史への後悔が、このような対話術をつくりあげたのかもしれない、と思わせるほど今日のドイツにおける会議は見事であった。学ぶところ大である。
 

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日本に駄目出しを連発したフランス人と会話をする [グローバルな問題]

成田空港に京成線で向かう途中、押上駅でどの列車に乗ってよいか分からず迷っていた外国人の男性に、何を探しているのかと尋ねると、成田空港に行く列車が分からない、というのでじゃあ一緒に行こうと成田空港駅まで連れて行った。このところ、極度の寝不足であるのだが、座れることもできなかったので、ちょっと道中、会話をしたが、けっこう面白い意見を述べていて興味深かった。寝不足でなければもっと会話が弾んだろうに、今、これを書いていると残念な気分になる。

このフランス人はジュネーブのそばのフランス側の出身で、旅行がどうも趣味らしい。東京を皮切りにソウル、広島、京都、大阪を訪れる計画のようだ。フランス人からすると、東京とソウル、京都が同じ観光ルート上にあるというのがまず興味深い。我々だって、フランス行ったら、ちょいとドーバー海峡を渡るのは自然だと思われるが、自国でそのようにちょっと韓国に行って、また日本に戻ってくるというのは結構、新鮮な気分になる。

このフランス人は、日本はテクノロジーが発達していて、進んでいるというのを聞いてきたが、全然、進んでいなく、フランスより遅れているということを主張していた。ふうむ。どこでそう思うのかと聞いたら、CD屋、DVD屋があることだと述べた。今時、フランスではダウンロードが当然であり、CDやDVDなんてスーパーマーケットにしかないと言う。あと、ゲームセンターに40代以上のオヤジがいてあり得ない、と言っていた。フランスだったら、20歳以上はゲームセンターには行かない。日本人は何が楽しいのか、と馬鹿にした口調で言っていた。私はちょっとこれには納得できなかったが、こういう風に書いていると、もしかしたら彼はパチンコ屋のことを言っていたのかもしれない。まあ、総じて日本に来てがっかりだ、という気分のようである。

ちょっと一理あるけど、誤解が多いかなと思わなくはないけど、こういうように他国の人が日本をどう思っているのか、その本音を聞けるのはなかなか楽しいことである。

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琴奨菊の優勝報道にみる島国根性こそが日本が国際的でない側面である [グローバルな問題]

 琴奨菊が優勝した。日本出身の力士が優勝したのは10年ぶりだそうだ。そこで、随分とマスコミは「日本出身の力士」を強調している。なぜ、日本人ではなくて「日本出身」なのかというと、旭天鵬が帰化して2005年に日本人になったあと、優勝したからだそうだ。しかし、「日本出身」という括りも随分とおかしい。例えば、私の長女は日本人の両親のもとに生まれて、そのほとんどを日本で過ごしているが、出身地はアメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド市である。日本国籍だけでなく、アメリカ国籍も有しているが、本人も周りも誰もがアメリカ人などと思っていないだろう。彼女がもしゴルフの大会に出て優勝したら、アメリカ人は「アメリカ出身」として彼女を持ち上げるようなことはしないだろう。
 さて、一方で女子テニスの全豪オープンで18歳の俊英、大坂なおみが大活躍をした。彼女の写真を新聞でみて驚いた。というのも、彼女は日本人離れをした顔をしていたからだ。そうしたら、彼女は母親こそ日本人であるが、父親はハイチ人であることが分かった。国籍は日本とアメリカらしく、母国語は英語で日本語もしゃべれるが英語ほどではないだろう。もちろん、オリンピックでははるかに出場しやすい日本で出る可能性もあるが、それをあたかも日本人が大活躍として紹介するのはおかしいであろう。というか、ちょっと違和感を覚えないか。
 そういえば、アメリカの女子バレーの代表選手のセッターであったヨーコ・ゼッターランドを私が初めて知ったのは、早稲田大学の堀江陽子としてであった。彼女は途中まで二重国籍であったが、結局アメリカ国籍を取得するが、このようなケースは、なんか巨人から中日にチームを移ったようにも思える。
 まあ、オリンピックとかは国ごとの括りでチームがつくられるので、国籍とかが重要な意味合いを持つのは分かるが、そもそも国籍をそんなに重視する必要があるのだろうか。
 このようなことを考えると、私が思い出すのはタイガーウッズがタイに行ったときのリアクションである。タイガーウッズのお母さんはタイ人であることもあって、タイではウッズを大歓迎したのだが、当のウッズは「僕はアメリカ人」といって、その歓迎ぶりに困惑を示していた。と少なくとも、アメリカのラジオの取材ではそう語っていた。私は当時、アメリカに住んでいたので、この発言を非常に興味深く聞いていたのでよく覚えているのである。
 同じことは、アメリカの大学院の同窓生で日本人とアメリカ人(正確にはアイルランド人)のハーフの子に、まああなたも日本人のようなものじゃない、と私が言ったら、すごく怒って「私は日本人なんかじゃないわよ(I am not Japanese)」と言い返されたので、そうか、こういうことはセンシティブなのだな、と思わされたりした。
 そういう文脈で捉えると、旭天鵬は立派な日本人であろう。日本出身とか断っているというのは、私のほとんど英語もできない長女がアメリカ出身として捉えられるのと同じくらい下らないことのような気もする。いや、相撲というのが日本の国技であるということが大きいのかもしれないが、サッカー発祥の地のイギリスなんて、ほとんどいつも他国の後塵を拝しているではないか。
 日本出身の力士が10年ぶりに優勝したのは、それだけ相撲が国際的になった証拠でもあり、日本出身の力士ということでマスコミが大きく取り上げること自体、この国がいかに国際的に遅れているか、ということを示唆している。英語がしゃべれないことが国際的ではなく、こういう島国根性にしがみついているところこそが日本が国際的でないことであると私は強く思う。

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遠藤五輪相の馬鹿発言に、この国の暗澹たる未来が見えるよう [グローバルな問題]

読売新聞(12月15日)から。

遠藤五輪相は15日、閣議後の記者会見で、日本スポーツ振興センター(JSC)が14日に公表した新国立競技場の2案について、「(白紙撤回される)前の案よりも、大変素晴らしい出来栄え。世界に誇れるスタジアムができると確信している」と評価した。

引用終わり。

馬鹿じゃないの。明らかにザハ・ハディドの案の方が素場らしいでしょう。自分達の失敗を責任も取らず、このように合理化する姿勢が日本を駄目にしているのだ。こんな政治家に任せているようじゃあ、この国はお先真っ暗である。

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台湾の若者達がテキパキと効率よく働くのをみて、これじゃ日本は近いうちに衰退するな、と確信に近いものを抱く [グローバルな問題]

 台湾の桃園市で、桃園市のまちづくり大会のシンポジウムにて講演をした。そこで、つくづく感じたのは、台湾の主に大学生の若者達が非常に積極的にテキパキと働くことである。的確に状況を判断して、問題があるところをフォローし合って、プロジェクトを遂行させる姿は、非常に強いサッカー・チームの流れるプレーをみるようである。そして、日本やアメリカのように嫌々とやっているのを営業スマイルで隠しているのとは違い、前向きに仕事に取り組んでいるという印象を受ける。
 このように組織的に動けている人達に対して、日本はどうであろうか。私は大学の教員をしているが、学生達をみると、極めて利己的で組織的で動くのが本当に苦手であるな、と思う。うちのゼミ生は、飲み会にはまだ参加するが、他のゼミでは飲み会に参加することさえ忌避する学生さえいるそうだ。自分が何か積極的に価値をグループで創造することを嫌うどころか、消費することさえ、多少でも強制的な臭いを感じると嫌がる。私の学生でも、ゼミ活動で何かを購入する際に、1万円ぐらいの立て替えも嫌がり、私にお金を払わせる学生がいる。私はその時、ドイツにいたので、彼の銀行口座に振り込んだ。振り込み手数料で400円ぐらいが余計にかかったが、まあ、そのことを文句として伝えるのも疲れたので放って置いた。日本の若者も仕事をすることはできる。ただ、それはお金をもらう対価として、という意識を持っているからで、仕事をすること自体に何か喜びを見出すという人の割合は少ないと思う。結果、仕事を通じて新しい価値をすることはなくなる。言われたことだけしかやらなければ、新しい価値を生み出す余地さえ生じないからである。
 どうして、そのような違いが生じてしまったのであろうか。これは、こんな適当に思ったことを徒然と連ねているブログでいきなり、答えが見出せるようなものではないが、そもそも組織、社会、グループが貢献したいと思えないということもあるのかもしれない。そのような中で暮らしてきたので、もう最初から、そのような意識さえ持てなくなってしまっている。
 これは国としては、大変な損失であると思う。私と同様に、中国から招聘された大学の教員が「シンポジウムに関与している人々が、皆、素敵な笑顔で頑張っているので感銘を受けた」と挨拶をしたが、この台湾の人達のパワー、そしてそれを束ねられている組織のパワーは凄いものがあると思う。このパワーは国には集約されていないかもしれないが、しかし、国に人材は育っているという印象を受ける。個々の力もそうだが、コレクティブな力は凄い。この育った優れた人材に対して、日本の若者はどうなのであろうか。最近、世界に出ると、日本のガラパゴス化、駄目さ加減が気になるようになっている。せっかく、優秀な民族として頑張ってきた日本人であるが、それを受け入れる器がぼろぼろなので、それらの人材が全然、育たなくなっているのではないだろうか。ということを考えさせられた今回の台湾行きである。

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外国人向けの日本語教室を開催しているNPOの理事長の話を聞いて、多文化共生こそ日本の延命策ではないかと思う [グローバルな問題]

 豊岡市の外国人向けの日本語教室を開催しているNPOの理事長の話を聞く。 
 豊岡市の人口は85010人。外国人521人。外国人は中国人が多く、次いで韓国人、三番目はフィリピン人である。フィリピン人は配偶者として来る場合が多いようだ。それまではブラジル人が多かったが、リーマン・ショック以降は減り、代わりにベトナム人が増えている。とはいえ、全般的には2009年をピークに減少傾向にある。ベトナム人も配偶者として来る場合が多く、現在ではフィリピン人を抜いて3番目になっている。
 外国人は地域にとって極めて貴重な人材であるとこの理事長は話す。ただ、地域の事情を外国人に押しつけるのではなく、お互いが得ることが多いようなウィン・ウィンの状況をもたらすことが重要であるという。多文化共生とはそういうことだ、ということだが、多文化共生は、人口が縮小していく一方の地域にとっては、ある意味では、唯一と言えるような延命策なのではないだろうか。この理事長の話を聞いて、その思いを強くした。
 日本に来た時は外国人でも、時が経てば徐々に日本人になっていく。そもそも、日本人という定義はそれほど皆が思っているほどしっかりしていない。広く国家という観念を拡張させれば、単一民族国家という考えの偏狭さ、というか窮屈さが分かるであろう。日本という国自体を多文化、他民族化させることで、日本は生き延びることができるし、より発展もするであろう。アメリカやブラジルといった新世界の国々ほどではなくても、その発展のメカニズムを活かしてもいいかとは思う。人口が減少しているのであるから。

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中国人を馬鹿にするなら漢字を使うな [グローバルな問題]

ランチで寿司屋に入る。大衆的な寿司屋なので、昼のワイドショーを流している。私の隣に中高年のおじさんが座っていた。昼からお酒を飲んでいて、ちょっと羨ましい。おそらく地主さんなのであろう。昼のワイドショーでは、中国はこんな面白いことが流行っている、といったニュースを「中国人って変わっているようね」といったニュアンスで紹介していた。それは、変わっているよね、と思わせはするが、馬鹿にするような感じでは紹介してはいなかった。しかし、このおじさんは、しきりにテレビに向かって「なんだ、中国人のアホはどうしょうもないな」とか「こんな馬鹿は死んじまえ」と罵っている。しかし、中国人だから全員がアホということはない。そもそも、そんなに中国人がアホだと思って嫌っているのであるなら、中国人が発明した漢字を使うべきではないだろう。というか、紙も使うのは失礼なのじゃないか。火薬も使えない。三国志などを読んで楽しむ資格もないだろう。寿司は大丈夫かもしれないが、ラーメンやら炒飯やら餃子やシュウマイなどを食べる資格もないだろう。いい気分で言っているのかもしれないが、傍からはあんたこそアホだと思われていることに気づくべきである。

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安保法案が通ったことで、これで日本も米国の属国に相当近づいた [グローバルな問題]

安保法案(安全保障関連法案)が可決した。私はその強行採決のあまりの酷さ、醜悪さには強い嫌悪感を抱く(下記のウェブサイトを参照)し、この法案には反対である。

http://www.dailymotion.com/video/x375y4c

しかし、例えばSEALDsが主張するように「他国に行って他国を守るために戦争をする」ことを回避させるという観点からというよりか、この法案を通すことで、アメリカに対しての貴重な抵抗カードを失ってしまうという観点から、より反対というか強い危機意識を抱いている。

この法案を通しても、自分の都合で戦争はすることは容易ではない。ただ、アメリカ軍が戦略を展開した時に、日本はこの法案を通したことでより協力しやすくなる。いや、より協力することを拒否できなくなる。なぜ、動画のような醜悪な事態を晒してまで強行採決に急いだのか。それは、アメリカ議会で「夏までに」と安倍さんが大見得を切った手前だ。要するに、今回の法案はアメリカのために通したのであって、日本人のことを考えた訳では決してない。

私は、安倍さんほど「売国奴」であった首相は戦後、初めてではないかと思ったりもする。いや「売国奴」といったら安倍さんは怒るかもしれない。というのは、彼が「日本を取り戻す」といった時の主語は、安倍さんであって、まったくもって日本国民ではないからである。私が言う売国奴の国には、日本人が含まれている。アメリカから日本人の命を守っていた楯を使えなくした、という点から私は売国奴といっているが、安倍さんにとっては日本人の命なんて、自分の家族と仲間以外はまったく意味のないものなのであろう。

ただし、よくよく考えなくてはいけないのは、この法案は諸刃の剣であるということだ。というのは、一方で極めて売国奴的な、まさに日本をアメリカに売るような法案であると同時に、そのまったく逆な立場、すなわち極めて愛国的で右翼的な人達には、アメリカからむしろ独立するのに使えるような法案にも見えるからである。日本という国の独立性を極めて損なうことを促す法案であるにも関わらず、それとはまったく異なる独立性を高める法案としての期待も受けている。

ここがこの法案をどのように解釈すべきかが難しいところとなっている。気になるのは、アメリカのマスコミはこの法案に対しては好意的で、あまり批判していないことである。Associated Pressの記事は次のように紹介している。

Japan's military can now defend its allies even when the country isn't under attack - for the first time since the end of the World War II - and work more closely with the U.S. and other nations. Japan will also be able to participate more fully in international peacekeeping, compared to its previous, mostly humanitarian, missions.

注目すべきところは「Work more closely with the U.S.」で、「アメリカとより協働して活動することができる」と基本的にアメリカにとってはプラスであると紹介していることである。より、パートナーとして一体化することを、この法案は「強制」する力を有しているのである。

アメリカというのは、相当やばい国である。特に資本主義が成熟化し、その行く末が混迷化している中、アメリカ自体が人を幸せにすることが困難になっている。そして、その困難を戦争によって、他国から富などを奪うことで、どうにか維持させようと目論んでいるろくでもない国だ。しかも、そのようなろくでもないことをしている癖に、アメリカ人でさえ幸せになれていない。そのような国とは、ある程度、距離を置いて付き合うことこそ正しいし、アメリカの軍事戦略に荷担できない、大変都合のいい言い訳としての憲法9条があったのである。それにも関わらず、その憲法9条を形骸化させるような、このほとんど憲法違反の安保法案を通すということは、安倍さんを始めとして、自民党議員の多くが、日本人のことをまったく守ろうとはしていない人達であることがよく分かる。まあ、西田昌司参議委員議員などは、「そもそも国民に主権があることがおかしい」と述べるくらいだから(http://togetter.com/li/419069)、随分と馬鹿正直に本音を述べている。

この法案を通すことで、日本をある程度、武力国家とさせることで、これまでのアメリカからの軍事的干渉に対しても抵抗できるような、大東亜帝国の再来を夢見ている人は、あまりにもアメリカをなめている(いや、こういうなめている人達が戦前の対米戦争を引き起こしたのでしょうが)としか言いようがない。

この国はあまりにも強大で、とても喧嘩をする相手ではないのだから、せめて喧嘩に一緒にいけない言い訳としての憲法は守るべきだったと思うのだが、まあ、この安保法案を通したことで、その言い訳はもう通用しなくなってしまっただろうな、と思うのである。

つまり、この安保法案に賛成していた右翼系の議員の思い通りには、事は進まないだろうと私は推測している。そのように事は進まないにも関わらず、つまり日本国としての独立性を確保したいがために通したにも関わらず、結果として、より独立性を失うことになると私は推察するのである。これは、何ともいえない皮肉である。

日本がより米国の属国に近づいた歴史的な分岐点になってしまうような日として、9月19日は記憶されるであろう。

残念だが、そのような経緯で成立した安保法案を今後、廃案にするのはアメリカの圧力のもとで、まず不可能である。アメリカはこれをきっかけに、どんどん日本を属国化する戦略を展開していくであろう。沖縄は日本の領土であると多くの人が思っているかもしれないが、今後、ほとんど政治的にはアメリカの領土になるだろう。

まあ、日本は本来的には太平洋戦争で、ほとんど国としては滅ぼされたも同然であった。しかし、何かアメリカは計算間違いをして、日本を平和国家として再生させるというシナリオを描いてくれた。この平和国家というのは、アメリカとしては相当、都合が悪いことになるのだが、対ソ連という構図もあったので、いい格好をしたかったんだろうね。この平和国家は、政府という暴力、そしてアメリカという暴君とから我々、国民を守ってくれることになった。それを、「国民が主権を持っていることがおかしい」という人達が、国民から奪った、というのが実態だろう。

どちらの立場にしろ、安保法案の可決が、我々国民にとってプラスになることは何一つない。しかし、「国民が主権を持っていることがおかしい」という政治家に票を入れる国民は、そのような報いを受けても然るべきであろう。ただ、悔しいのは、この安保法案に賛成している人達は同床異夢であることだ。戦争ができる国を目指したのはいいが、その戦争は、多くの右翼が夢見ていた自国の権益を拡充させることを目的とした戦争ではなく、アメリカのポチとしての戦争になることがほとんどであろう。まあ、アメリカにもいつか、牙を向けてやると思っているのかもしれないが、それは再び、この国を焦土と化す結果をもたらすだけではないだろうか。

前回の選挙で、自民党に政権を託した人々は、こういうことを本当に望んでいたのだろうか?

私は今回の法案を可決したことは、右翼の人達が思っているのとは異なり、日本が大きく失われた日になってしまったと思うのである。よりアメリカに近づいた日である。それは、大変、悲しいことである。

ちなみに私はアメリカで7年間暮らしているし、長女は意図的にアメリカ国籍を持てるようにした。ただ、そのような私でも、日本がアメリカ化することにはとても強い抵抗と悲しみを覚えてしまうのである。多くの日本人はアメリカという国の怖さをあまりにも過小評価しているのではないだろうか。
タグ:安保法案
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リスボンはマドリッドと結ぶ、高速鉄道をつくることに反対した。大阪はこのリスボンの判断を参考にすべきであろう。 [グローバルな問題]

 スペイン国鉄はマドリッドとリスボンを結ぶ高速鉄道の計画を策定したが、リスボンは断った。これは、マドリッドの方がリスボンより「クリティカル・マス」、絶対的な規模が大きいため、ストロー効果でリスボンの活力がマドリッドに吸収されてしまうことを恐れたからである。
 スペインとポルトガルを一体として捉えれば、これは経済的には損失であるが、ポルトガルだけを考えると、この鉄道はプラスよりマイナスの方が大きいのでリスボンの判断はまさに正しいと考えられる。
 これは、ほとんどの地方都市に言えることで、地方都市という枠組みだけで捉えると、大都市と道路や高速鉄道が結ばれると、ほとんどの場合、地方都市はプラスよりマイナスの方が大きい。
 現在、東京が一人勝ちしているのは、ほとんどのネットワークが東京起点になっているからである。大阪が衰退を始めたのは、梅田(大阪)ではなく、新大阪に新幹線の駅を設置し、さらに東海道新幹線と山陽新幹線を直通乗り入れさせ、新大阪駅を通過駅としたためである。なぜ、東京駅では東海道新幹線と東北新幹線(上越新幹線・信越新幹線)を直通運転させないのか。東京駅で乗り換えさせているのか。それは、圧倒的な東京駅のハブ性を維持させたいからであろう。大阪はネットワークのハブ性を、新大阪駅を設置したときから失ってしまった。そうであれば、少なくとも新大阪駅周辺を大阪の拠点として開発すべきであったのに、それをせずにただのホテル街にしてしまった。非常に中途半端な状況を50年間も放置してしまったのである。
 リニア新幹線の停車駅も新大阪になるそうだが、私は大阪のことを考えれば、圧倒的に梅田駅にするべきであろうと思うし、そうでなければ新大阪を大阪の拠点とするような都市構造の改変をするべきであると思うのだ。ただ、現状の大阪駅の広大なる空地というポテンシャルを考えると、既に再開発の計画はできてしまったのかもしれないが、リニア新幹線の駅をそこにもっていくよう国やJR東海と交渉すべきであろう。
 リスボンの判断は、鉄道のネットワーク化は、そのネットワーク内の都市の序列化を促すということを我々に再確認させるし、それを最小限にするためには、そのネットワーク内でのハブ性を高めることが極めて重要であると思われる。ドイツの諸都市は多少、鉄道の運行時間に犠牲があっても、そのようなハブ性を維持するためにターミナル駅を維持しているところが多い(ミュンヘン駅、フランクフルト駅等)。
 日本の諸都市も、ネットワーク化は国全体の経済性を高めることにはなるかもしれないが、地方都市の枠組みではむしろマイナスの方がプラスより多いことに関しては自覚的になるべきだと思われるのだ。



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