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ロック・バンド「カーズ」のリック・オケイセックのスーパー・モデルの奥さんの波瀾万丈の人生に胸が詰まる [ロック音楽]

1970年代後半から1980年代にかけて、時代を席巻した「ロックの殿堂入り」も果たした「カーズ」のリーダーであるリック・オケイセックの3番目の奥さんポーリーナ・ポリスコワ。チェコ生まれでスウェーデン育ち、15歳でパリでモデルの仕事を始め、19歳の時には中欧出身の女性としては初めて『スポーツ・イラストレーテッド』の水着特集のモデルとなる。22歳には映画『アンナ』でデビューも果たす。1988年には、エステ・ラウダーのモデルとして年間6億円(600万ドル)相当の契約を結ぶ。これは、当時のモデルとしては最高の契約額であった。このように彼女は、1980年代では最も有名なモデルの一人であった。
 1984年、彼女は「カーズ」のヒット曲「ドライブ」のMTVに出演したことがきっかけでリック・オケーセックと知り合う。彼女が19歳、オケーセックが40歳の時である。当時、オケーセックは二番目の奥さんと婚姻状態にあった。そして1989年にオケーセックと彼女は結婚し、二人の息子にも恵まれる。
 さて、しかし2017年にオケーセックと彼女は離婚する。ただ、これはポーリーナによれば、まったく自分に関心を示さないオケーセックに苛立ち、このままではお互いに不味いと考え、そんなに自分に関心がないのでれば離婚した方がいいのでは、と最後通牒を突きつけ状況の打開を図ろうとしたのだが、オケーセックはそのまま「そんなに僕が嫌なら離婚しよう」と返答したそうである。大きな精神的痛手を受けたポーリーナであるが、そのまま離婚手続きを進めた状況で同居をし、彼の世話もする。2019年9月にオケーセックは手術をするのであるが、その後、自宅で死亡する。死亡したオケーセックを発見したのもポーリーナである。そして、なんとオケーセックは手術前にポーリーナだけでなく、二人の間の子供にも一切、遺産を渡さないという内容に遺書を書き換えてしまったのである。この衝撃な事実は、オケーセックの弁護士によって発表され、世間に広く知られることになる。ポーリーナもオケーセックの裏切りに大きなダメージを受けるが、取材では「おそらく、弁護士に騙されただけであろう。そうでなければ35年も一緒にいた私があまりにも報われない」と述べている。オケーセックはもちろん、大きな財産も持っているが、ポーリーナも年間6億円の契約の仕事を8年ほど続け、その後も違う企業と大型モデル契約を結んでいる。しかし、ポーリーナはそれらのお金をオケーセックと一つの口座で管理をして、頓着しなかった。ポーリーナは、流石にこれは大失敗だったと取材でも後悔していたが、後の祭りである。
 さて、しかし、このような悲惨な目に遭って、一時期は自殺を真剣に考えたそうだが、現在のポーリーナの生き様は目を見張るほど素晴らしい。モデルという「美」を売り物にしてきた彼女だが、自然と年を取ることに極めて肯定的である。そして、非常に賢く、その人生観は心を打つし、学ぶところが多い。
 それに比して、リック・オケーセックの何たる駄目男ぶりであろうか。猜疑心が強く、愛されていることも理解できず、裏切ることでしか自分を正当化できない。あれだけの才能を持ち、あれだけの成功を得られたのに、まるでシェイクスピアに出てくる愚か者の如きである。本当に情けない。私も彼を背面教師として、残りの人生をしっかりとポーリーナのように過ごせるようにしていきたいと思う。

 この記事を書くうえで参考にした動画を以下、例示する。
https://www.youtube.com/watch?v=QPSipIITaVA
https://www.youtube.com/watch?v=2hQYVWs-CyI
https://www.youtube.com/watch?v=MXlKvewPpWA


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クラプトンの武道館コンサートに行く [ロック音楽]

4月26日(月)のクラプトンの武道館コンサートに行く。大学時代から行っているので、何回目か分からないが、5回目か6回目ぐらいかと思う。当初は、それほど行く気はなかったのだが、ジェフ・ベックの訃報を聞き、行ける時に行こうと思ってチケットを購入した。そんな感じだったので、北西のX列(最後尾)というほとんど最悪の席(A席)であった。舞台とほぼ同じ方向に座るので、スクリーンを裏側から見ることになり、左右が逆だったりするが、意外とステージの距離は近いので、そんなに悪くはない。
 さて、セトリではあるが、最初は知らないインストだけの曲。観客もポカンとしていたので、未発表曲か。次はJourney Manから「Pretending」。渋い選曲だ。そして、B.B.Kingとの共演やOne More Car, One More Riderなどに収録されていた「Key to the Highway」。そして「I am Your Hoochie Coochie Man」「I Shot the Sheriff」といった十八番の曲が続く。
ここでアコギに持ち替えて『Blues』に収録されていた「Kind Hearted Woman Blues, Derek and the Dominosのアルバムから 「Nobody Knows You When You’re Down」、J.J.ケールの「Call Me the Breeze」、次の曲もちょっと分からないのを演奏し、そしてクラプトンファン以外でも知っている「Tears in Heaven」、次の曲もちょっと知らなかった。
ここで再びエレキギターに持ち替えて「Badge」、「Wonderful Tonight」、「Crossroad」「Little Queen of Spades」、「Cocaine」というまさに王道のラインアップ。それまで、ちょっとクラプトンのコア・ファンでもなかなかついて行きにくいような選曲だったと思うが、最後はすっきり。さて、しかしアンコールはジョー・コッカーの「High Time We Went」。しかもキーボードがボーカルを取った。
アンコールは一曲で、結構、短い時間かなと思ったら21時近かった。全般的には、クラプトン本当に78歳?というぐらい、演奏もしゃべりもしっかりとしたコンサートであった。個人的には圧倒的に「Crossroad」と「Badge」が素晴らしいと思ったが、多くの客は「Tears in Heaven」と「Wonderful Tonight」に盛り上がっていた。なんか、違和感を覚えなくもないが、もう一度ぐらいクラプトンのライブを観たいと思わせるコンサートであった。

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ドゥービーブラザース@武道館(4月17日) [ロック音楽]

ドゥービーブラザースのライブを武道館で観る。それほど期待していなかったが、期待を上回る質の高いライブであった。アンコールはなかったが、50年のバンドの歴史から、ほぼ代表曲を網羅した選曲(個人的にはEchoes of Loveは聴きたかったが・・)で、多くの観客は大満足したのではないだろうか。
 一曲目はデビュー・アルバムのA面一曲目の「Nobody」。そしてトム・ジョンストンの「Take Me In Your Arms」、マイケル・マクドナルドの「Here to Love You」、パトリック・シモンズの「Dependin’ On You」、トムの「Rockin’ Down the Highway」、マイケルの「You Belong to Me」と来たので、次はパットの曲かなと思ったら、新曲の「Easy」。おお、と思ったら次はパットの「South City Midnight Lady」。この曲、好きなんだよなあ。John のハープ・ギターがなんとも言えず、いい感じである。次は、ウドーさんへの感謝の曲という紹介の後、「Clear as the Driven Snow」。Captain and Meからの選曲だが随分と渋い。次は、マイケルの「It Keeps You Runnin’」。オリジナルとは随分と違ったアレンジだ。マイケル、高音が出にくそうだ。そして、トムの「Another Park, Another Sunday」、「Eyes of Silver」と4枚目のアルバムからの曲が演奏される。次は「Better Days」「Don’t Ya Mess With Me」というニューアルバムからの二曲。結構、クオリティが高いので驚く。そして、マイケルの「Real Love」、前作品「World Gone Crazy」のタイトル曲、マイケルの「Minute by Minute」。そこからは「Without You」、「Jesus Is Just Alright」、途中「What a Fool Believes」を挟みはしたが、「Long Train Runnin’」、「China Grove」というドゥービーブラザースの黄金期のトム・ジョンストン節が炸裂する。中年以上がほとんどの武道館も大盛り上がりで、70歳台の親爺で、これだけ盛り上げられるというのも大したものだ。そして、アンコール。アンコールはパットの「Black Water」、マイケルの「Takin’ to the Street」、トムの「Listen to the Music」で幕を閉じた。
 あまり期待しなくて訪れたのが、50年の歴史がてんこ盛りの素晴らしいコンサートであった。

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椎名林檎@名古屋国際会議場(4月15日) [ロック音楽]

久しぶりに椎名林檎の名古屋国際会議場でのライブに参戦する。なぜ、名古屋かというと、東京も大阪も落選してチケットを取れなかったからである。名古屋国際会議場は二回目である。ちなみに前回も椎名林檎のライブであった。さて、しかし、土曜日ということで19時ではなくて18時スタート。これは、その日のうちに東京に戻りたい私にとっては大変、有り難い。ライブは18時きっかりでスタート。最初はめちゃアコースティックに「あの世の門の」から始まる。次は「我れは梔子」と、他のアーティストへの提供曲。そして、「どん底まで」「かりそめ乙女」と続き、「走れわナンバー」、「JL005便で」と『日出処』の収録曲を演奏する。次は「青春の続き」と、またまた他のアーティストへの提供曲。そして、『娯楽』から「酒と下戸」、さらに3枚目から「意識」。オールド・ファンからするとこの「意識」は嬉しい。続くは「神様、仏様」。今回の林檎嬢は曲が進むごとに服を剥いでいくような演出がされていたのだが、もうこの曲の時は、ほとんどビキニ状態となっていた。こんな大天才、大ミュージシャンなのに、こんなサービスまでして本当に凄いプロだ。まあ、一方で四十を過ぎたとは思えない見事なプロモーションを顕示したいという気持ちがもしかしたらあるのかもしれない。「TOKYO」と比較的新しい曲が続き、事変の「天国へようこそ」。ちょっと懐かしい。次は三毒史から「鶏と蛇と豚」。ここで、林檎嬢、一人、ピアノの前に座り、弾き語りで『無罪モラトリアム』から「同じ夜」。ピアノの演奏の凄さも然る事ながら、その楽曲のレベルの高さ、編曲の創造性に、あらかじめ100年に一度の天才であることを思い知らされる。続くは「人生は夢だらけ」、「仏だけ徒歩」。さらに、まっさらの新曲の「私は猫の目」。PVをバックに演奏するのだが、PVで演じるのがBambi。Bambiもいつのまにか大人になっている。ただ、新曲は特に感動はあまり覚えなかった。そして、これも新曲に近い「公然の秘密」。続いて『大発見』から「女の子は誰でも」。次は、ザ・バングルスの「Ethernal Flame」。これは1988年に発表されているので、椎名林檎が子供の頃に聞いていたのかもしれない。ただ、周りのファンはポカンとしているものが多かった。そして「いろはにほへと」、おじゃま丸のエンディング・テーマである「いとをかし」。ちょっと、緊張感が緩んだような気分になった後は、怒濤の「長く短い祭」「緑酒」「NIPPON」と一挙に畳みかける。少し、涙腺が緩む。年を取ったということかもしれない。ここらへんの曲は、林檎嬢の凜とした死生観が素晴らしく歌詞に表れていて、その素晴らしいメロディとともに心にグッとくるのである。ここでバンドはステージを去り、アンコール。林檎嬢は婦人警官のコスプレで現れ、「母国情緒」と「ありあまる富」を歌う。「ありあまる富」、改めて本当にいい曲で心を揺さぶる。
 名古屋国際会議場は、交通の便は悪くはないが、スピーカーは今ひとつであったと思う。私は12列という前の方だったので、それでもそれなりの音圧は感じられたが、後ろの方は相当、迫力が欠けていたのではないかと思ったりする。クラシック用のコンサート・ホールでのロック・ミュージック、というかスピーカー音楽の難しさをちょっと気づいた次第である。とはいえ、4年半ぶりの椎名林檎、相変わらずのクオリティの高さとエンタテインメント・サービスの素晴らしさに強い感銘を覚えた。あと、ドラマーとピアニストは驚くほど演奏力が高いと思われる。

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宇宙団@新代田(レコ発ライブ) [ロック音楽]

3月29日、宇宙団が3枚目のCDを発売したので、レコ発のライブを観に新代田フィーバーへ。今回のライブは5人体制になってからの初めてのワンマン・ライブで、宇宙団ファンである私にとっては素晴らしいライブとなった。3枚目のCDからは9曲全曲、それに1枚目からは「恋は宇宙」、そしてひさしぶりの「オンタイムディスコ」、2枚目からは「文明鎮座」、「夏に寄せて」、「日本のヒーロー」、さらには、もう日本音楽史に残るのではと思わせる「エンドロール」、「ユートピア」を演奏した。90分ぐらいのライブなのでなかなか満足したのではと思われるかもしれないが、なんで2枚目の代表曲「ヘルプ」と「ラブリーチューンXX」を演奏しないんだ!これはドゥービーブラザースが「チャイナ・グローブ」と「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」を演奏しないのと同じようなもんじゃないか!と思わなくもないが、代わりに演奏した曲もいいので取りあえずよしとします。宇宙団は捨て曲、ないんで。新メンバーの今野君はカッティングが半端なく格好いい。そして、高のしまは、それまで宇宙団に欠けていたアイドル的な魅力を有している。まあ、これから先が期待できます。

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ジェフ・ベックについて、あれこれ考える [ロック音楽]

先日、ジェフ・ベックのことを持ち上げない記事を書いたが、自分の主張に自信がある訳ではない。ただ、自分がどうして、この世間と同調してジェフ・ベックこそ史上最高のロック・ギタリストと思えないのかは気になっている。自分がギターのセンスがないアホなのか、という疑いも常につきまとっている。

さて、ベックはいろいろと多くのミュージシャンと共演をしている。そこでは、私の好きなギタリストとも共演している。例えば、ビリー・ギボンズと彼の傑作「ラフ・ボーイ」をも共演しており、その動画もアップされている。

https://www.youtube.com/watch?v=SAcswymtQss

この動画をみると、私がなぜ、あまりベックを評価が出来ないかが比較的、よく分かる。ビリー・ギボンズは傑出したギタリストであると思っているが、その中でもこの「ラフ・ボーイ」のギターソロはその素晴らしさに比してあまり評価されていないと思う。ビリー・ギボンズはもちろん、アドリブではないので、奏でるメロディーは素晴らしい。ベックはアドリブなので、その点はなかなか難しいものがあるとは思うが、それでも彼のソロは、この曲の素晴らしさをあまり表現できていないと思えるのである。特にトリルを長く繰り返すところなどは、ちょっと苦し紛れのように私には聞こえてしまうのである。ここらへんは、ラリー・カールトンやスティーブ・ルカサーのようなメロディ・センスがベックにはあまりないからじゃないか、と疑わせるし、ビリー・ギボンズやサンタナのような情緒性も感じられないプレイをしていると思う。とはいえ、まあ圧倒的な存在感はあるのだが。

情緒性が感じられないなどと書いたが、El Becko, Where were you などの演奏の情緒性は凄まじいものがあるので、曲によっては感じられない、という表現がより適切であろう。まだ、いろいろと思考はしているし、「何を言ってるんだあ、たわけが」と怒られそうなことを書いているが、上記の「ラフ・ボーイ」の演奏に関しては、ちょっと私が言うことも100%無視するのは難しいことは理解してもらえるのではないだろうか。

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ジェフ・ベックの訃報に接し、いろいろと考えた [ロック音楽]

ジェフ・ベックが逝去された。最近まで元気でライブもしているような状況だったので、多くの人がショックを受けているようだ。そして、当然のことだが多くのギタリストが哀悼の意を表していて、史上最高のロック・ギタリストが亡くなったといった報道も多い。

さて、私も相当、下手くそでもあるがギターを弾く身ではあるのだが、このジェフ・ベックが「史上最高のロック・ギタリスト」というのにちょっとした違和感を覚えるのである。いや、違和感を覚えるという時点で、もうギタリストとして駄目なのではないか、と思う自分もあって、いろいろと彼に哀悼を評しているユーチューブなどを観たりして、ジェフ・ベックの偉大さを理解しようとしているのだが、それでもそんなにはピント来ない。日本人の知り合いとかも、「ジェフ・ベックはこの世を去っても、いつまでも私の血と肉となって生きている」とSNSに書いていたりすると、本当にそんなに好きなのか?とちょっと疑ってしまう自分もいる。いや、ジェフ・ベックは凄い!と言っていれば、まあポリティカリー・コレクトだし、自分もヤン・ハマーとの三部作を始め、結構、CDを持っているのだが、素直に「ジェフ・ベックはロック・ギタリスト史上最高だ!」とは言えない自分がいる。

個人的に好きなギタリストは?と聴かれたら、ジョー・ウォルシュ、ビリー・ギボンズ、エリック・クラプトン、デイベッド・ギルモアと答えるし、サンタナの方がギタリストとしてはベックより好きである。ニーノ・ベッテンコートやエディ・バンヘイレン、ジョー・パス、ラリー・カールトン、アラン・ホールズワースの方が素直に馬鹿テクなような気もするし、これらのギタリストの方により惹かれる。

どうしてそんなに好きでないかというと、ベックの演奏はあまりにもユニークでギターっぽくないからかとも思う。いや、ギターっぽくないという言い方は間違っている。オーソドックスなギターっぽくないというべきであろう。流石に、彼のボリューム奏法とかアーム奏法の凄さは私でもよく分かる。とてもエモーショナルな音を出すことができて、それは大きな感銘を覚える。Cause We’ve Ended as Loversの演奏は鳥肌が立つ。ただ、一方であのファズを通したような変わった音は、ギターが出せる最高の音ではないと思ったりもする。どちらかというと、そのユニークさゆえに、正統派ではないような気もするのである。

あと楽曲の能力は前述したギタリストに比べても大きく劣る。ブロー・バイ・ブローやワイヤード、ゼア・アンド・バックの名曲群はほとんど他人の作品である。その職人気質のところが彼の素晴らしいところかもしれないが、真の音楽家としてはどうなのよ、と思わなくもない。ロック史上最高のギタリストは、これも非常にユニークではあるが、ジミ・ヘンドリックスだろうと強く思うのである。

などと殺されそうなことを書いたが、これは、やはり私がギタリストとしての才能というか感性に欠けていることの証拠かもしれないな、とも思っている。だから、いろいろと他のギタリストの意見をユーチューブで観ているのだが。ただ、それらから分かったことは、「ベックの音というものを持っている。どんなギター、リグでも自分だけの音を出すことができる希有なギタリスト」(ブライアン・メイ)というのと、「ずっと進化しているギタリスト」(ジミー・ペイジ)ということである。ロック殿堂入りした演奏で、ベックとペイジが共演するのだが、確かにベックとペイジのギターの演奏力の差は顕著であった。確かにベックの名声はどちらかというとエスケープ以降、ベテランになってからかなと思う。この亡くなるまでずっと進化をしていた、というのは彼の真の凄みなのではないだろうか。私も、ちょっと持っているベックのCDを聴いて、もう少し精進してみよう。

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クリスティン・マクヴィーの訃報に接して [ロック音楽]

フリートウッド・マックのクリスティン・マクヴィーが11月30日に逝去した。享年79歳。フリートウッド・マックは恐ろしくタイトなリズム隊に、3人の個性的なソングライターがメロディアスでキャッチーなメロディを紡ぐ楽曲が魅力的なバンドである。3人のソングライターは皆、輝くような才能の持ち主である。私はどのソングライターが一番、好きかと問われるとスティービー・ニックスと答えざるを得ない。エンジェル、セーラ、シスター・オブ・ザ・ムーン、ジプシー、ランドスライドなどの佳曲は、私の長いロック愛聴歴の中でも特別な存在を放つ。さて、しかし、フリートウッド・マックで一番好きな曲は何か、と問われるとこれは予断を待たず「ユー・メイク・ラヴィング・ファン」を挙げる。思えば、私が最初に購入したフリートウッド・マックのレコードは『噂』であったが、この化け物のようなベストセラーは「ユー・メイク・ラヴィング・ファン」以外にも「ソングバード」、「ドント・ストップ」といったクリスティンの素晴らしい傑作が含まれており、それらの曲は他の2人のシンガーソングライターのものより、個人的にはインパクトが強かった。
「タスク・ツアー」で横浜講演に行ったことがある、神奈川県民ホールだ。そのとき、クリスティンの話に観客が受けたら「英語が分かる人もいるんだ」と嘲笑的に発言したこと、あと「日本人は魚を食べるが、魚の目が食べないでと訴えてるようで私は食べられない」と発言したことで、個人的にはちょっと傷ついたことを覚えている。なんか、日本人のことあまり好きじゃないんだな、との印象を受けたのだ。高校生だったので、センシティブであったのだろう。
 フリートウッド・マックは高校時代には嵌まり、その後も大学に入っても聞いていたが、なぜかその後、興味を失った。「ミラージュ」が1982年、「タンゴ・イン・ザ・ナイト」が1987年に発表されたので、ちょうど私が社会人になった1988年にはフリートウッド・マックからリンゼー・バッキンガムが脱退し、それからフリートウッド・マックはオリジナル・メンバーが出たり入ったりするような状況になってしまったからだ。したがって、もう時折思い出したように聴いたりはしていた。しかし、クリスティン・マクヴィーの訃報には大きなショックを受けた。2022年はペレ、オリビア・ニュートン・ジョン、エリザベス女王が亡くなられたが、私が個人的に一番の喪失感を覚えたのはクリスティン・マクヴィーであった。ご冥福をお祈りいたします。

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ジョニ・ミッチェルはやはり半分、北欧系の血が入っていた [ロック音楽]

フィンランドに来ていると、なんかジョニ・ミッチェルのような風貌の人が多い。ということでジョニ・ミッチェルは北欧系なのかを調べてみたら、母親はアイリッシュとスコティッシュ、父親はノルウェー系(ラップ人の血が入っているという説もあるそうだ)であることが分かった。なんか納得だ。彼女の音楽はケルト系に通じるところがあるような印象を受けるからだ。まあ、基本、ヴァイキングなのだろう。彼女の「地球」を感じさせるような、まるで地球の声を彼女というアンプで増幅させて発振させるような音楽は、彼女に流れている先祖からの血の賜物なのかもしれないな、とまあいい加減に思ったりもしている。彼女の20年ぶりのフル・ライブをユーチューブ映像で見ていることもあって。

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ヘルシンキでフィンランド製のエフェクターを購入する [ロック音楽]

フィンランドのラハティという都市に来ている。打ち合わせの相手がどうも熱が出たそうでキャンセルになったので自由時間が出来た。ということで、電車で一時間ちょっとのヘルシンキまで向かう。

さて、最近、物欲が随分となくなった私であるが、ギターのエフェクターにはちょっと抑えが効かないところがある。フィンランドはマッド・プロフェッサーというエフェクターが有名なので、日本では手に入りにくいようなエフェクターがあれば購入しようと思って、中央駅のそばの楽器屋に向かう。この楽器屋、流石、東京の素晴らしい品揃えのお店に比べると今ひとつの品揃えではあったが、それなりに拘って仕入れているようだ。特にストライモンの商品が多く置かれているのは印象的であった。やはり、時代はストライモンなのだろうか。あと、日本が誇るヴェムラムのジャン・レイも置いていた。ボスはコンプレッサーだけが置いてあった。日本とも類似点も多いし、そうでないところもある。いろいろと興味深い。
店長は英語が通じたので、「観光客なのだが、せっかくフィンランドに来ているのでマッド・プロフェッサーの掘り出し物のエフェクターがあれば買いたいのだけど」と尋ねると、「マッド・プロフェッサーは来週に仕入れるので今はあんまり揃えていないんだよね」とのこと。「それじゃ、他のフィンランド製のエフェクターはどんなのがあるの?」と尋ねると、フィンランドのヘビー・メタル・バンド、チルドレン・オブ・ボトムのエンジニアをしていた人が開発したものがある、とのこと。これは、ブースターとオーバードライブのエフェクター二つが一つになったようなもので、意地悪そうなフクロネズミの顔が描かれている。値段を聞くと200ユーロをちょっと切る値段。これなら衝動買いもできるな、と思って、ちょっと試奏させて欲しい、と言って試奏させてもらう。なんと、アンプがマッド・プロフェッサーのものだ。「マッド・プロフェッサーはアンプもつくっているんだ」と言うと「ごく、最近、開発をしたんだ」とのこと。いや、このアンプは、実はものすごくいい音がして、これを買いたいぐらいに思ったが、流石にこれからドイツを移動するのに買うのは無理でしょう。あと、日本じゃあ、置くところがないからな。さて、肝心のエフェクターだが、ノイズが気になるが、なかなか骨太のいい音がする。ということで、日本じゃあ買えないかもしれないな、もしかしたら日本で売ると高く売れるかも、とも考え、衝動買いをしてしまった。パワー・ドランク・オッポサム(る 酔っ払って強くなったフクロネズミ)というなかなか微妙なネーミングである。ちなみに会社名なども書かれていない。「箱もちょうだい」と言ったら「箱はない」とのこと。私が驚いた顔をしたら、ちょっと入る箱を探してくる、と言って箱に入れてくれた。ただ、買った後で気づいたのだが、電圧や電流も分からない。説明書もない。ネットで検索したら、このお店のホームページでしか、このエフェクターを説明したものはない。しかも、ネット上ではスウェーデン製とのことで、これはチルドレン・オブ・ボトムのエンジニアというのも嘘だな。しまったなあ、と思わなくもないけど、まあ感電さえしなければいいか。

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下手なミュージシャンを見て考察する [ロック音楽]

昨日、知り合いのミュージシャンが京都のライブハウスに出演するというので観に行った。知り合いはトリで最後だったのだが、15分ほど早く着いたのでその前の演奏者の演奏も聴いた。この演奏者はどうも岐阜出身の56歳のギターの弾き語りだったのだが、そのあまりの下手さ、そしてパフォーマンスの稚拙さに、驚くと同時に殺意さえ覚えた。まず、ギターの弾き語りなのだが、リズムは取れてないし、非常に簡単なコードでさえ押さえ間違えをしている。どころか、自分の曲であるのにコードを間違えて弾いているので音が外れたりもしている。このレベルで、人前でお金を取って演奏できるのは高校生でも厳しいのではないか。いや、実際14歳に作曲したとかいう、もう14歳でも黒歴史になるような曲を56歳で歌っていた。この自己肯定感は凄いが、逆にいえばまったく進歩していないことである。駄目なのに、それを自己肯定して、そのまま生きてきて、あろうことか、その進歩していない自分を人にお金を払わせて曝け出すという、その厚顔無恥さに対して、私は殺意を覚えたのである。ちなみに、この彼は、音程は外れていたが、声質だけはよかった。
 私もミュージシャンの端くれである。中学から作曲とかしているが、中学や高校どころか大学でも前半期につくった曲は人前で披露することはない。これは、進化しているからである。最近、出したCDでも大学三年ぐらいの時につくった曲を入れていたりするが、アレンジとかは全然、変わっている。
 私も下手であるので、下手の人を批判する資格はそれほどない。ただ、下手であるのに、その下手さを肯定して、そのまま演奏活動を続ける者は、いつまで経っても下手であることを受け入れているということだ。14歳からギターを弾いていて、56歳であの稚拙さというのはどう理解したらいいのだろうか。そして、ライブハウスで演奏している、というのはどう理解したらいいのだろうか。いや、東京ではあのような稚拙な演奏を金を払ったライブハウスで聴くことはまずあり得ないだろう。それだけ、京都が田舎ということなのかもしれないが、それにしても驚くほどの酷さである。
 最近もセッションに出たら、ギターの音を外しても平気で弾いているギタリストがいた。これは、おそらく音の正確なピッチが分からない耳音痴なのかなとも思う。ボーカリストも音を外している、と指摘されるとふてくされる輩がいたりするが、これも耳音痴なのであろう。意外とそういうボーカリストは声質はよかったりする(いや、声質も悪ければ誰も聴いてくれないので、声質だけで褒められたりしてきたのであろう)。こういう身体に欠陥がある人は、人前でお金を取って演奏する資格はないと思う。というか、きつい言い方をすると基本、人に演奏を聴いてもらう資格はないと思う。音楽を演奏するには身体的欠陥があるからだ(いや、自分が勝手に弾くのは全然、いいと思います)。
 今回のこの体験で、自分に何が欠けているのかをしっかりと認識し、それを乗り越える努力をしないと、いつまで経っても、それこそ死ぬまでダサい自分から脱却できないのだな、ということを改めて知る。努力をすれば、勉強すれば、人は変わられる。ギターも上手くなるし、歌も上手くなる。ただ、自分が何が出来ていないのか、それを謙虚に捉えようとしないと駄目だ。ということを改めて知った。
 さて、あまりにも酷い前座だったので、知り合いの演奏もびくびくしながら聴いたのだが、知り合いの演奏はよかった。お金を払う価値があるパフォーマンスを見せてくれたので、それは救いであった。

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ボストン『ドント・ルック・バック』 [ロック音楽]

最近、ボストンを改めて聴いてみた。ボストンは私が中学〜高校時代、まさに日本を含む世界中を席巻したバンドである。1976年に出されたデビュー・アルバムは、デビュー・アルバムとしてはそれまでの最大の売り上げを誇り、世界中で2000万枚ほど売れた。『ドント・ルック・バック』はそんなバンドの二枚目のアルバムでデビュー・アルバムが発売された2年後の1978年に発表された。
 全部で8曲、Used to Bad Newsがデルプ, Partyがデルプとショルツの共作だが、あとはすべてショルツの作品である。ボストンの曲の特徴は、ハード・ロックの型にバッハにも通じるメロディの明解さである。ロックではあるのだが、ブルースというより、クラシックに近い曲調である。ショルツという名字はいかにもドイツ系であり、幼少の時からピアノを習い、また、パイプオルガンへの憧憬などから、ショルツはバッハの影響を相当受けているのではないかもしれない。そういう点からか、ボストンはプログレッシブ・ロックの範疇に入れられることもあるが、プログレッシブ・ロックのような複雑なコードやリズムとは無縁だ。あくまでも、ハード・ロックという単純なフレームワークに美しいメロディを乗っけた。これが、日本の若いインテリ層(矢沢とかを聴かないような層:私も含まれる)に受けたと思われるのである。まあ、ショルツは泣く子も黙るMITの学部、大学院を出ているからな。
 ただ、一枚目に比して、ショルツはこのアルバムの二枚目(CDでいうと5曲目以降)はそのできに納得していなかったそうだ。実際、別に悪くはないが、アレンジとかが簡単でちょっとひねりは感じられない。ボストンにしては前述したような、クラシック的な要素が少なく、エアロスミスから毒を抜いたような存在感の薄い曲が続く。とはいえ、聞き込むとそれなりに感謝できるようなクオリティではあるのだが。
 とはいえ、一曲目のDon’t Look Backと四曲目のA Man I’ll Never Beはロック史に残るような傑作ではあるだろう。この2曲のために、このアルバムは買っておくべきである、と個人的には考える。



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『ワイルドライフ』 ポール・マッカートニー・アンド・ウィングス [ロック音楽]

ポール・マッカートニーがビートルズを解散した後、リンダと元ムーディー・ブルースのデニー・レインと組んだウィングスのデビュー・アルバム。1971年に発表。天才ポール・マッカートニーがつくったとは思えない凡庸な楽曲が続く。アレンジ的な工夫もあまり感じられない。唯一、ビートルズのアルバムにも入るかもしれないレベルにある曲はTomorrowぐらいだろう。このアルバムだけを聴くと、もうポールは才能をビートルズで枯渇させたのではないか、とさえ思わせるのだが、その後、バンド・オン・ザ・ラン、スピード・オブ・ザ・サウンドといったロック史上に残る名作をつくるのであるから、人生よく分からない。とはいえ、最低限のクオリティは維持しているので、まあ金をドブに捨てたとは思わない。個人的にはDear FriendやSome People Never Know, I Am Your Singerなどは嫌いではない。ただ、ポール・マッカートニーという天才の輝きをこれらの曲は纏っていないということだけは確かである。ポール・マッカートニーを愛していない人でないと、魅力がないアルバムではあるだろう。





ワイルド・ライフ(紙ジャケット仕様)

ワイルド・ライフ(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト: ウイングス
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 1999/08/25
  • メディア: CD



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Get Back (第二話) [ロック音楽]

ジョージが「俺はもうビートルズ辞めるわ」と言って撮影スタジオ去るという衝撃的なシーンで終わった第一話。どうなるんだ、とハラハラしてみた第二話であるが、意外と簡単にジョージ復帰。今回はトゥイッケナム・スタジオから舞台を移し、アップル・スタジオ。スタジオが変わっただけで、映像の雰囲気もビートルズの表情も明るくなる。アップル・スタジオでは、アビー・ロードの収録曲はもちろんのこと、Don’t Let Me DownやShe came in through the bathroom windowなどの名曲が原型からどんどんと形をつくっていくプロセスが見えてきてとても興味深い。特にゲット・バックのバッキングは印象的だ。ジョン・レノンもジョージ・ハリソンも改めてギターが下手だな、というのは確認できるのだが、ギターのバッキングのアレンジ能力は驚くものがある。というか、ジョージのソロのアレンジも素晴らしい。ジョージ、ただものじゃあ全くないな。

あと印象的だったのは、ジョンのひょろひょろとした性格。第一話では、もう猛禽類のような鋭い眼光だったのに、第二話では、なんかヘラヘラ親父ギャグをかます植木等のようなキャラになっていた。カリスマ性がまったく感じられない。そして、ポールは相変わらず、どうにかビートルズとして生産的な仕事をしようと言っている時、第一話と違ってジョージも建設的な発言をしていた。ジョージ、結構、真面目なキャラである。ギターとかも上手くはないが研究熱心で好印象だ。ただ、ジョンはここでも心ここにあらず、という感じだ。とはいえ、On the road to Marrakesh (ジェラス・ガイの原曲)などをセッションしている姿とその楽曲の素晴らしさを確認し、おお、やはりただ者ではないということを思い知らされたりもする。

とはいえ、ポールに同情するわ。相変わらずオノ・ヨーコの存在は不気味であり、もう信じられないような奇声を発するジャム・セッションをしたりするが、第一話ほどは不気味さはない。ただ、アップル・スタジオでたむろしている女性ファンに「オノ・ヨーコをどう思う?」などを質問した映像を映したりして、これは撮影側がオノ・ヨーコに否定的なイメージを植え付けようと意図しているのではないか、と勘ぐらせる。それに比して、リンダはいい感じだ。まあ、リンダ、実際、いい人という噂だが、まさに映像からは「いい人」像しか伝わってこない。

あと、第二話においてビートルズとオノ・ヨーコと同じぐらいに重要な登場人物は、ビリー・プレストンであろう。ビリー・プレストンは常時、ニコニコしていて、キーボードを弾いてと頼まれると、もう驚くような素晴らしいバッキングとソロを即効で披露する。ビリーとビートルズの演奏シーンは、この第二話の見せ場であることは間違いない。ただ、ジョンとジョージが「ビートルズに入れよう」という、もう信じられないくらい無責任な提案をすると、ポールが「いや、それは違うんじゃないか」と返答しているのをみると、もうビートルズを大切に思っているのは四人の中で本当、ポールだけなんだな、ということに気づかせてくれる。ジェネシスなんて、もうライブでは欠かせないチェスター・トンプソンやダリル・シュトルーマーを最後までメンバーとして入れなかったからな。ギターも辞めているのに・・・。ツェッペリンもそうだ。なんか、ブランディングとかの基本的な知識がなさ過ぎるのか、もうビートルズ、ジョンもジョージもどうでもよくなっているのか。頑張れ、ポールと思わず、心の中で叫んでいましたよ。

さて、ビートルズにライブをさせて一儲けするという企画は、アフリカ版も却下され、ロンドンの公園でのものも却下され、その代替としてアップル・スタジオの屋上でアリバイ的にすることになった。というところで第二話は終わる。第三話、楽しみである。


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Get Back (第一話) [ロック音楽]

ディズニー・プラスが動画配信をしている「Get Back(第一話)」を観た。これは、1969年1月に行われた「ゲット・バック・セッション」の様子を時系列で追ったドキュメンタリーである。ホワイト・アルバム発表後、ブライアン・エプスタインが亡くなったこともあり、ビートルズは迷走していた。そのような状況を打開するために、ポールはデビュー時のようにオーバーダビングなしのライブでアルバムをつくり、コンサートツアーを行うことを提案した。このアルバムが「ゲット・バック」である。
 ドキュメンタリーは三話からなるが、第一話はトゥイッケナム・スタジオでのセッションを辿ったものである。トゥイッケナム・スタジオはロンドンの西郊にあるフィルム・スタジオで1月という時期もあるのかもしれないが、何とも寒々しい感じのするスタジオ。そこに集まって、セッションをするビートルズの面々はてんでばらばらで、観ているものをハラハラとさせる。どうにか、いいものをつくろうと孤軍奮闘しているのがポールで、ジョージとジョンはもうアリバイ的にいやいやと仕事をしている感が透けて見える。こりゃ、普通は切れるわ!という状況でポールはそれでも頑張って、残りの白けたメンバーにやる気を喚起させようとしている。ポールは、どうにか曲をいい感じでアレンジしたいのだが、他のメンバーは本当、おざなりな対応をしている。いや、とはいえジョージの気持ちは分からないでもない。ジョージの「俺はクラプトンのようには弾けない」的な発言を聞くと、ジョージ、お前も二人の天才に挟まれていて辛かったんだな、と同情したくなる。ジョージの「ポールなあ、俺はおまえのような天分はないんだよ。文句を言うならお前がギターのバッキングも考えろよ」と言いたくなる気持ちは分かる。ポール、自分が見える(聞こえる)ことが他人も見える(聞こえる)と思ってるんだろうなあ。自分ができることをジョージができないのは、ジョージの努力が足りないぐらいに思ってるんじゃないかな。ポールのある意味での人の良さというか楽観的なところが、ジョージにはより辛い状況をもたらしている。天才も難しいけど、天才と一緒に仕事をする普通の人も大変だということが見て取れた。ジョージ、結構、いい奴である。
 それに比して、ジョンは怖い。あの目つきは、もう周辺の空気を緊張させる。遅刻はするわ、常にオノ・ヨーコはいるわ、ジョージがアイ・ミー・マインをみなに紹介している時には、勝手にワルツを踊るわ。ヨーコと二人で完全にカプセルの中に入って、コミュニケーションを遮断している。
とはいえ、そこは不世出のミュージシャンの集まりである。ポールが紡ぎ出すメロディー、リズムへのジョンの反応は天才的なものがある。ジョージも即座に素晴らしいギターのメロディーを加えていく。そして、何よりさっとつくるコーラス・メロディーは驚嘆さえ覚える。そして、ジョンやジョージの楽曲に対するポールの条件反射は、もう天才的ではなく天才そのものだ。ベース・ラインがもう天から降ってくるという感じであり、ここらへんはこのドキュメンタリーの見所の一つであろう。
 ビートルズに比して、プロデューサーのグリン・ジョンズを除くと、結構、みんないい加減で無責任な奴らが多いのは興味深い発見であった。宮崎駿をプロデュースする鈴木敏夫のような優れた人たちに囲まれてビートルズは仕事をしていたのかと思ったら、実際はビートルズという甘い蜜に群がったくそ野郎みたいな輩が多くて、これは驚きであった。エプスタインが亡くなった後、ビートルズを守ろうとか、ビートルズのために動いた人はいなかったのかな、と思わせられる。まあ、大金持ちであっても、まだビートルズ30歳にもなっていなかったのではないだろうか。この状況じゃビートルズも解散せざるを得ないだろうとビートルズに同情する。
 そして、この映画でビートルズの面々と同じぐらいに存在感を放つのがオノ・ヨーコである。驚くのは凄まじい存在感を放つ美貌の持ち主であることと、その黒ずくめの格好は、ビートルズのその後の将来(解散)を暗示させる不気味なるオーメンのように見えることである。ほとんど無口であるし、たまに奇声で「ジョン、ジョン」と連呼させるところなどは、何かが憑依しているようで、日本人の私でさえ不気味に覚えるのだから、西洋人はなおさらであろう。それは、常に無口でジョンに寄り添うその姿は、あたかもジョンの背後霊のようで、ビートルズにとりついた死神のようである。それに比べると、リンダ・イーストマンの凡庸な立ち振る舞いは観ているものを安心させる。いや、リンダもオノ・ヨーコのように実家は大金持ちなんだけど(リンダの実家はイーストマン・コダックのイーストマン)。
 あと、リンゴの存在感の薄さも印象的であった。寡黙で、今の饒舌なリンゴとはまったく違うキャラクターである。ジョンやジョージがポールと距離をとる中、ポールと一緒にいたり、ポールが紡ぐ天才的メロディーに反応するところなどが好ましい。しかし、ジョージよりさらにビートルズというバンドでの立ち位置は薄かったんだな、ということが理解できる。
 第一話はジョージがビートルズを脱退すると宣言したところで終わる。ポールが、ジョージが戻らなければクラプトンに連絡する、と発言したところなど興味深かった。ただ、このドキュメンタリーをみていると、ジョージが辞めた理由は、自分の曲への反応が今ひとつであったことやポールの要求が五月蠅かったというだけでなく、ゲット・バック・セッションのコンサートの企画の馬鹿馬鹿しさに辟易したことも大きかったのではないか、と思わせられる。その企画を提案した人たち(映画プロデューサーのDenis O’Dell等)に対して「Completely Insane(100% 気が狂っている)」といって却下したが、これはどうみてもジョージが正しい。なぜ、ライブをするのにアラビアまでファンを連れて行かなきゃいけないんだ。本当、ビートルズに群がったハエどものセンスの悪さを、無責任さに腹が立つ。まあ、この企画に対してはポールは肯定的であったが。
 ということで、この作品のためにディズニー・プラスに入ってしまった私であるが、なかなか見応えのあるいい作品であったかと思う。これから第二話を観るので、また、感想も変わるかもしれないが、変わる前に直後の感想をここに記させてもらう。

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小山田圭吾の壮絶ないじめ告白について無責任に考察する [ロック音楽]

小山田圭吾が1990年代にロッキンオンの取材で、中学と高校時代に陰惨で卑劣なイジメをしたことを自慢したことで、オリンピックの楽曲メンバーを辞退することになった。小山田は小学校、中学校、高校と和光学園というお坊ちゃま・お嬢ちゃまの私立学校に通う。ということで、このイジメは和光学園でやられたことだが、「うんこを食べさせたうえにバックドロップをした」「パンツを脱がせて女性生徒のいる廊下を歩かせた」というイジメを実際に行って、それを学校側に見つからないことはちょっと考えにくい。おそらく、ロッキンオンという雑誌への取材ということで、そうとう盛ったのではないかと考えられる。
 小山田の実家はお金持ちである。音楽一家でもあるし、才能は間違いなくある。ただ、つくる音楽はロックというよりか、お洒落系の軟派な音楽である。ロッキンオンを読むレッド・ツェッペリンとかメガデスとかが好きな層に、お前等、自分のことを軟弱なミュージシャンと思っているかもしれないが、俺のサディスティックな狂気を知ってビビるなよ、みたいな気持ちがあったのではないだろうか。いや、知らんけど。
 そういうことで、小山田はちょっとした冗談(趣味は悪いが)的に大袈裟に言ったことが、今回、大炎上して同情はしないがアホだなと思っている自分がいる。しかし、それじゃあ寛容な気持ちになれるかというと、まったくそういう気持ちにはなっていない。なぜなら、小山田本人よりも周りにろくでもない輩がたくさんいることが分かったからだ。例えば、いとこの音楽プロデューサーの田辺晋太郎は、この件で「はーい、正義を振りかざす皆さんの願いが叶いました、良かったですねー!」とツイートした。さらには、小山田の所属するバンド「METAVIVE」のメンバーであるゴンドウトモヒコ氏は「偉いよ小山田くん。受け止める。いい音出してこう!!!!! 寧ろ炎上なんか◯◯喰らえ」とツィートした。さらに、これは昔の話だが、前述したいじめ取材をしたロッキンオンの編集者はいじめ被害者と対談するという破廉恥な企画を具体化すべき、被害者の家まで行っている(もちろん、断られる)。
 ということで、小山田にしろロッキンオンにしろ、「イジメが悪いような偽善的な風潮が世にはびこっているが、身障者をみたらいじめたくなるのが人間の本性だろう!」みたいに、本音を曝け出すことを是とするような、「不良の正義」みたいなことを主張することが格好いいというか、ロック・バンド的に正しい、みたいに当時は思っていたのかもしれないな、と考察したりしている。
 ロックをする人は多くの場合、いじめられっ子である。ビートルズだってジョンは母さんや運命にいじめられたし、ポールも母親を失ったことでロックに走る。他にもマリリン・マンソンやフィオナ・アップル、アラニス・モリゼット、クリスティナ・アギレラとかが浮かぶ。まあ、中にはZZトップのビリー・ギボンスのような裕福な家の息子もいるが、大抵、その攻撃性は若い時のトラウマから生まれている。レディ・ガガも実家はめちゃくちゃ裕福だがいじめられっ子だったからな。
 そういう中、小山田は裕福な家、というのに加え、和光学園というまあ、甘やかされっこしかいかないような私立学校に小学校から高校まで行っていたので、ある意味屈折したコンプレックスのようなものを持っていたのかもしれない。相方もドイツ文学者の息子にして東大文学部卒のお坊ちゃまだったからな。そんな俺にも反社会的な要素があるんだ、ロックをするという「ロッキンオン的意義はあるんだ」ということが主張したくて、ちょっと容赦のないいじめっ子みたいな演出を過度にしようとしていたのではないか。そして、ロッキンオンとかいとことか、バンド・メンバーとかもそういうのを是にしていたところがあるかとも思う。そういう価値観を醸成させ、そしてそれに乗っかる、というような嫌らしさがプンプンとするのだ。そして、私は小山田本人というよりかは、そのような「突っ張った格好良さ」をミュージシャンにまで求める雰囲気に嫌悪感を覚えるのだ。それは「正義を振りかざしたい」からではない。音楽以外に変にラベリングをするという姿勢が嫌なのだ。まさに小山田を非難する人達を「正義を振りかざしたい」でラベリングする田辺晋太郎はその典型で不愉快だ。
 別にさ、飛び切りの才能を持っているんだから、素直に「音楽では才能あるんですけど、特に人間性とかは一般的です。いじめはやっぱいじめられた側のこと考えるとしんどいね」とか言ってればいいのに、90年代という時代がそうではないことまでミュージシャンに求めたのかもしれないな。そして、小山田はそれに応えようとして、ちょっとサービス精神旺盛で答えてしまったのかもしれないが、そういう虚構を支える周囲の奴らが「えぐいイジメをする奴こそ格好いい」といった歪んだ価値観を生む。この虚構を支える奴らこそが本当の邪悪で私を不愉快にさせている。小山田はその象徴にしか過ぎないと思う。
 

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ソフィー 『カルト・サバイバー』 [ロック音楽]

ウィーン出身のミュージシャンのデビュー・アルバム。リズム・マシンとキーボードの積み重ね、ベースもシンセ・ベースといった打ち込み系の曲作りがされている。中にはA3やA7のようにギター、ベースの弦楽器で演奏されている曲もあるが、フェイザーとおぼしき空間系のエフェクトがかかりまくっていて、弦楽器ならではの主張はあまり感じられない。主張という点ではボーカルは一番、耳に残るが、それも他の楽器がつくりだす音に溶け込んでいて、不思議な音空間をつくりだしている。90年代のプロパガンダを彷彿させたりもするが、プロパガンダほどリズムが激しくなく、リズムはゆっくりなテンポである。全般的にとても心地やすいアルバムで、なかなか凄まじい才能が現れたなとの印象を受ける。ただ、アルバム全体を通じて曲調が似ているものが多く、ある意味で作風が既に固まっているのかもしれない。もう少し、バラエティがあるとよかった。


Cult Survivor [Analog]

Cult Survivor [Analog]

  • アーティスト: Sofie
  • 出版社/メーカー: Stones Throw
  • 発売日: 2020/06/26
  • メディア: LP Record



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女難のフィル・コリンズ [ロック音楽]

フィル・コリンズは女難の人である。フィル自身、テレビ番組の取材で「俺はバスタード(Bastard: くそ野郎)だ」と言っていたぐらいなので、フィルに問題がないことはないだろうけど、ちょっと同情する。一昨日のVanity Fairに、三番目の奥さんがフィルの4000万ドル(40億円相当)のマイアミの家に、勝手に結婚していた男性と住んでいたのだが、ようやく追放したという記事が載っている。どうも、家の買い手もみつかったそうである。
https://www.vanityfair.com/style/2021/01/phil-collins-ex-wife-orianne-cevey-evicted-40-million-mansion-sold-lawsuit
 なかなか酷い女性である。ということで、フィル・コリンズのこれまでの女性関係も気になったので調べてみた。
 フィルの最初の奥さんはアンドレア・ベルロレッリである。名字からするとイタリア系であろうか。フィルがまだミュージシャンになる前、ドラマ学校の学生をしていた時に知り合ったのが縁である。1975年に結婚している。1975年というとピーター・ガブリエルがジェネシスを脱退した年である。アンドレアは再婚であり、前夫との子であるジョーリー・コリンズを育て、また、長男のサイモン・コリンズはサウンド・オブ・コンタクトというカナダのバンドでボーカルとドラムを担当している。このサウンド・オブ・コンタクト、ポップ・プログレという感じでなかなかクオリティが高い。
 このアンドレアはその後、絵描きと浮気をし、フィルは精神的に落ち込む。そして、イン・ザ・エア・トゥナイトという佳曲をソロ・アルバムで発表する。ちなみに、このソロ・アルバム「Face Value」ではピアノの上にペンキが置かれている。フィルは偶然だ、と言っているが偶然の訳ないよな。フィルの落ち込みは酷く、ジェネシスも解散の危機に陥るが、フィルのセラピーという感じで、マイクとトニーが彼の家でいろいろジャムをして気を紛らわせているうちにつくられたのが、ジェネシスの後期の大傑作「Duke」である。
 そして、二番目の奥さんとなるのがジル・テーヴェルマンである。1980年に出会い、1984年に結婚し、1996年に離婚する。この奥さんとの娘がのちに女優となるリリー・コリンズだ。フィルの面影もあるが、奥さん似の美人である。
 この離婚はフィルの浮気が原因のようで、その浮気相手が三番目の奥さんとなるオリアンヌ・セヴィである。1994年からつき合い始め、1999年に結婚する。オリアンヌとはニコラスとマシューという二人の息子がいる。ニコラスはドラマーで2019年のフィルのソロ・コンサートではドラムを叩いた。フィルもお墨付きのまだ20歳にも満たないが、いいドラマーである。2006年には別居し、2008年には離婚するが、その後、またマイアミで2016年頃から同居し始める。ちなみに2006年から2016年までは、フィルはディナ・タイラーというジャーナリストと付き合っていた。ディナと別れた理由は前妻と復縁するためだったそうだが、その後、なんとオリアンヌ(46歳)は31歳の若手ミュージシャンとフィルに内緒で結婚し、マイアミの家に二人で住み始めたのである。
 彼らを追い出すのにフィルは結構、苦労したがようやくそれが出来たというのが、この2日ぐらいの報道である。
 いや、これは大変だ!フィル・コリンズ、なんか可愛そうである。しかし、こうやって錯綜した女性関係を時系列でみると、やっぱり最初の奥さんの浮気が相当、トラウマとして残ってしまったのかもしれない。浮気をされると、浮気を仕返す、というのはあり得ることかなとも思う。特にフィルの場合、浮気をされた後、ソロで売れたり、ジェネシスもオタク男子好みのプログレ・バンドからスタジアム・バンドへと浮上したりして、大スターになったから、もう超絶もてたであろうから。しかし、フィルと関係した女性の写真をみてもなんか感心しない。特にオリアンヌは個人的にはちょっとあり得ない。まあ、もてない自分がこんなことを言う資格はないのだが、それでも、ちょっとないかなとは思う。強いていえば、リリーの母親のジルはいい感じがするが、フィルは満たされなかったのであろうか。
 人間、その道で成功してもなかなか幸せにはなれないな、というのを考えさせられるフィル・コリンズの女性遍歴である。まあ、マイケル・ジャクソンやフレディ・マーキュリーのように早死にしないで、ここまで生きてこれただけでもファンとしては感謝しなくてはならない。フィル・コリンズももう69歳である。

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カンサス『The Absence of Presence』 [ロック音楽]

アメリカのプログレッシブ・ロック・バンド、カンサスの16枚目のアルバム。2020年6月に発売の予定がコロナ等で物流システムの遅延があり、7月に販売される。スティーブ・ウォルシュとケヴィン・リヴグレンというカンサス黄金時代を築いた二人とも不在のラインナップになってからの二枚目のアルバムである。三代目のボーカリストであるロニー・プラット、ギタリストのザック・リズビが新たにラインナップに入って前作に続く二枚目のアルバムでもある。そして、キーボーディストとして新たにメンバーに入ったトム・ブリスリンの最初のアルバムである。
 まず、単刀直入に感想を言うと、驚くほど優れたアルバムである。9曲のうち、ザック・リズビとブリスリンが作曲しているが、特にブリスリンの「Memories Down the Line」、「The Song the River Sang」はカンサスの遺伝子を継承しつつも、新鮮な魅力を放っている。そして、リズビは表題曲や「Circus of Illusion」、「Throwing Mountains」で、これも死に体であったカンサスに強烈なカンフル剤を打ったかのようなバンドの潜在力を大きく放出させるような楽曲を供している。
 オリジナル・メンバーでずっとカンサスを継続させてきたリッチ・ウィリアムスは70歳、実質的リーダーでもあるフィル・イーハートも70歳である。70歳でこれだけの、若い生命力のある音楽を紡ぎ出しているという事実は驚きである。前作でまさに不死鳥のように甦ったカンサスであるが、このアルバムではフロックではなく、もっと根元的に彼らの底力の凄みを思い知らされる。なんか高校時代にPoint of No Returnで彼らを知ったものとしては、こう目頭が熱くなってくる。


Absence of Presence -Ltd-

Absence of Presence -Ltd-

  • アーティスト: Kansas
  • 出版社/メーカー: Inside Out
  • 発売日: 2020/07/17
  • メディア: CD



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カンサスのボーカリスト、スティーブ・ウォルシュのステージ衣装についての違和感 [ロック音楽]

カンサスというアメリカのプログレッシブ・ロックバンドが存在する。スティーブ・ウォルシュは、1970年代に「伝承」、「暗黒への曳航」などの大ヒット・アルバムを出したカンサス黄金時代のボーカリストである。というか、一時期脱退するも、ほとんどデビュー時から2014年までカンサスのボーカリストを張っていた、ある意味、カンサスの顔のような存在である。
 カンサスの音楽性はすこぶる高く、バンドとしてのアンサンブルも際だっており、変拍子が多い曲の演奏を見事にこなしている。楽器演奏も複数できるメンバーもいて、バイオリンも入ったりしていて、それは他の追随を許さないようなレベルの高さであるかなと思ったりもする。
 さて、しかし、イギリスのプログレッシブ・ロックバンドに比べると、どうにもカリスマ性というか、オーセンティックさに欠けている。失礼ながら、なんか超一流という感じに思えなかったのである。寿司屋でいうと、銀座とか築地の高級店ではなく、池袋とか三軒茶屋とかにある美味しいけど、そんなに高いお金は払いたくないな、という感じの庶民的なお店のようなイメージである。
 これは高校時代にカンサスを同時代に聞いていた時に抱いていた印象だったのだが、久し振りに1970年代頃の映像を見て、その理由がよく分かった。それは、スティーブ・ウォルシュのファッション・センスがあまりにもださいからである。アディダスのスポーツ・シャツに半パンって、ジョッギングするあんちゃんのような格好でライブで歌っているのである。というか、駒沢公園で普通のおっさんが、この格好でジョギングしていても、ちょっとダサい感じがする。歌声は素晴らしい。いや、スティーブ・ウォルシュはボーカリストとしても傑出した才能を感じる。演奏も素晴らしい。そして、楽曲も素晴らしい。ただ、どんなに素晴らしい曲でも、歌声でも、演奏でも、このジョッギングするような格好で歌われると、有り難みが吹っ飛んでしまう。
 そういう意味では、イエスとかはよく分かっている。あの意味のないようなヒラヒラの服装は、なんかこう曲の有り難みを増すような気がする。
 まあ、スティーブ・ウォルシュと似たようなプログレ系のボーカリストを探すと、フィル・コリンズになるかな。フィル・コリンズもそういう意味では格好が悪いのだが、ガブリエルがいなくなったあとのメンバーは全員が地味なのでファッションとかあまり気にならない。一方で、カンサスはメンバーのファッション・センスがあまりにも統一されていない。例えばOn the Other Sideの動画でみても分かるように、リッチ・ウィリアムスとかは70年代とかはタキシードみたいなものを着ていたし、ケリー・リブグレンとかは黒い浴衣のようなステージ衣装だった。その中でジョッギング・スタイルのボーカリスト・・・いや、有り難みが減る。
 カンサスというのは日本でいえば「茨城」、「福井」みたいな感じで政治的にも保守的で、田舎というイメージである。まあ、そういう名前を堂々とバンド名にして、しかも、めちゃくちゃ上手い、というギャップが強烈なインパクトを聴く者に与えるところが個性といえば個性だが、しかし、見た目をダサくしなくても・・・。ううむ、やはりバンドは見た目が重要なのかなと思わせる。いや、ルックスというのではなく、ステージでのこうトータルな見栄えが重要なのだな、ということを久し振りにカンサスの昔のライブ動画をみて気づいた次第である。

https://www.youtube.com/watch?v=bfSVRJg8BUk

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『サム・オブ・ザ・パーツ(Sum of the Parts)』 [ロック音楽]

2014年にBBCが放映したジェネシスのドキュメンタリー映像。デビューから解散、そして2007年の再結成ライブまでのバンドの歴史を描いている。アンソニー・フィリップスの取材もあり、チャーター・ハウスでの活動、そしてフィル、スティーブが加入した初期のストーリーはよく編修されていると思われる。また、5人のメンバーの座談会形式の取材があるのだが、「眩惑のブロードウェイ」当時のピーターは最低だった的な赤裸々な発言が出てきたり、ハケットが脱退時に閉所恐怖症的な不快感を覚えたことを述べると、その原因はバンクスだろうとピーターが本人に振るなど、本音発言に溢れていて、いやあ、空気読まない感が日本人とは違って逆に新鮮だなと感心させられたりした。
 基本、ジェネシス・ファンであれば見て損はない、というか見るべき作品であると強く思う。しかし、その編修は悪くはないが、レイ・ウィルソンが一切、無視されたり、また「セリング・イングランド・バイ・ザ・パウンド」や「静寂の嵐」の作品紹介がほぼない(正確にはYour Own Special Wayは流れたりしていた)など、ジェネシスを語るうえで極めて重要な作品の解説がないことなどは、違和感は覚える。
 とはいえ、2時間の作品でそこまで期待するのは無理があるかもしれない。ファンとしては、時間が長いのは気にならないので、そこらへんもカバーできればより有り難かったかなと思う。


ジェネシス・ヒストリー〜サム・オブ・ザ・パーツ【BLU-RAY/日本語字幕付】

ジェネシス・ヒストリー〜サム・オブ・ザ・パーツ【BLU-RAY/日本語字幕付】

  • 出版社/メーカー: ワードレコーズ
  • 発売日: 2014/11/12
  • メディア: Blu-ray




Sum of the Parts / [Blu-ray]

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  • アーティスト: Genesis
  • 出版社/メーカー: Eagle Vision
  • 発売日: 2014/11/17
  • メディア: Blu-ray



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スティービー・ニックス(フリートウッド・マック)の名曲ランドスライドの歌詞の意味 [ロック音楽]

フリートウッド・マック(ピーター・グリーンやクリス・ウェルチの時代を除き、1975年以降のスタジアム・バンドになってからの話)は、3人の傑出したソングライターがそれぞれの個性を反映した楽曲群で我々を楽しませてくれるが、その3人の中でも特に強烈なキャラを放っているのはスティービー・ニックスであろう。
 さて、スティービー・ニックスは多くのヒット曲を世に送り出しており、どれが彼女のベスト・ソングかと問われると、なかなか悩ましいところは多いが、世代を超えて歌い継がれる曲はランドスライドではないかと思う。
 この曲はメロディもそうだが歌詞がなかなか人の琴線に触れるところがある。私も特に意味を考えなくても「But time makes you bolder, even children get older, and I’m getting older too」のところは惹き付けられていて、歌詞を覚えている。

I took my love, I took it down
Climbed a mountain then I turned around
And I saw my reflection in the snow covered hills
Till the landslide brought me down

Oh, mirror in the sky
What is love?
Can the child within my heart rise above
Can I sail through the changing ocean tides
Can I handle the seasons of my life

Well, I’ve been afraid of changing
‘Cause I’ve built my life around you
But time makes you bolder
Even children get older
And I’m getting older too

Take my love, take it down
Climbed a mountain and you turn around
And if you see my reflection in the snow covered hills
Well the landslide will bring it down

さて、しかし琴線には触れるが、その意味は不明瞭である。いくつか、日本語でその解説をしているブログもみつけたが、母親の心境だろう、とかちょっとズレた解釈がされている。ということで、私もちょっと解釈を試みたい。
その前に、スティービー・ニックスがどのような状況でこの曲をつくったのか。これについては、スティービー・ニックス自身も取材等で回答している(https://www.youtube.com/watch?v=9QAldn59NWQ)。
 作曲したのは1974年でスティービー・ニックスが26歳の時である。高校時代からのボーイ・フレンドであるリンゼイ・バッキンガムと音楽家として生計を立てようと頑張っていて、昼はウェイトレスの仕事をして、夜に創作活動に勤しんでいたのだが、この時はもう疲れ切っていて大学に戻ることを考えていた。ちなみに、ニックスの父親は全米にネットワークを張りめぐらすグレイハウンドの副社長を務めたような人である(一部では社長という説もあるが、父親本人の葬儀の案内では副社長となっているので、そちらが正しいように思われる)。
1973年にポリドールで録音した「ニックス・バッキンガム」がちょうどカタログから外された連絡を受けたニックスは、上記の取材でも述べているように大学に戻るか(授業料を親は出すと言っていた)、バッキングガムとの(主に音楽的)関係を続けていくかで悩み、このまま二人で音楽をやって行くぞという決意の心境を歌っている(と雑誌の取材で述べている。http://performingsongwriter.com/stevie-nicks-landslide/)。ということで、ニックスの父親本人とかも、これは自分のことを歌っていると思っていたらしいが(実際、あるライブではニックスがこの曲を父親にと言っている時もある・・・ただ、ニックスはこの曲をライブで演奏する時には、○○に捧げます的な言い方をする)、やはり、これは袋小路に陥った自分が今後、どうするか思慮して、その決断を示した歌と解釈するのが妥当であろう。
ちょうど、この曲はニックスがバッキンガムとコロラドのスキー・リゾートに滞在した時に創っている(ちなみにリアノンもこの時につくっている)。バッキンガムはエブリー・ブラザースの仕事が入り、ニックスのトヨタの車でアスペンを発つ。ニックスは父親がグレイハウンドの重役であったために、グレイハウンドのフリーパスを持っており、それで帰ろうかと考えていたら、なんとグレイハウンドがストライキに入り、結局、アスペンに滞在し続けることになるのだが、そのお陰でランドスライドとリアノンが創られたと考えると、結果的にはニックス、そしてこの素晴らしい二曲を聴くことができる人類にとってもグレイハウンドのストライキは福音であったのではと思われる。
ニックスはロッキー山脈に積もった雪を見ていて、これらが雪崩のように我々の積み上げたものをすべて台無しにするのだろう、と思ったと述べている(クリスタル・ヴィジョンの解説)。
さて、そのような情報をもとに歌詞を解釈してみよう。この歌詞は4つのパートに分かれるが、最初(1番目)と最後(4番目)が対になっている。最初が過去形で最後は現在形である。最初がIで最後はYouであり、最初は自分の心境、そして最後はこの曲を聴く者全員を指しているとも考えられるが、アスペンから喧嘩をしたような状態で出て行ったLindsayの可能性もある。とはいえ、あえて曖昧にした言い回しをしているのは、それほど重要ではないからであろう。ニックスは、この曲をつくっていたときはほとんど自分以外のものに対して、諦観のような気持ちを抱いていたのではと思われる。
分かりにくいのは、一行目のI took my love, I took it downの下りである。LoveはLindsayか音楽か、それともPolydorのアルバムかということだろうが、Lindsayとのその時の関係を考えると(喧嘩をした直後)、Lindsayと捉えるのが妥当かとも思われる。
そして、Climbed a mountain then I turned around/And I saw my reflection in the snow covered hills/Till the landslide brought me downのところは、ロッキーの山に登り振り返ると、雪に自分のReflectionを見て、そしたら雪崩が自分を山から降ろした、というような内容の歌詞に続く。ここでReflectionは単なる自分の姿ではなく、深慮という意味と掛けている。将来のことをいろいろと考えていたら、雪崩で原点に戻らされた、というような気持ちを歌っているのだろう。
 次ぎの二節は、私がこれからの音楽業界でやっていく苦難を乗り越えられるのか、という自問的な歌詞になっている。

Oh, mirror in the sky
What is love?
Can the child within my heart rise above
Can I sail through the changing ocean tides
Can I handle the seasons of my life

そして三節は、それに対しての答えを導き出したような内容となっている。ここのyouは、父親としては自分だと思いたいという気持ちは分かるが、この歌がつくられた状況を考えるとLindsayであろう。Lindsayと袂を分かつという可能性を考慮していたことが、ここでは歌われている。

Well, I’ve been afraid of changing
‘Cause I’ve built my life around you
But time makes you bolder
Even children get older
And I’m getting older too

最後の4節は、私の愛を受け取って、そのまま捨てちゃいなさいよ、山に登って振り返れば私の面影が雪山に見えるから。しかし、その面影も雪崩が流してしまうけど。


Take my love, take it down
Climbed a mountain and you turn around
And if you see my reflection in the snow covered hills
Well the landslide will bring it down

ううむ。ニックスが決意の歌と言っている割には、私の努力も結局、スタート地点に戻らされ、私の強い思いを相方が気づいても、それも雪崩に流されちゃう、というこう諦めの歌、恨み節の歌であることが分かる。まあ、ニックスの取材での発言と辻褄を合わせるには、この怨恨がこもったような曲をつくったことで、マイナス的な思考をすべてこの曲に注ぎ込んで、新しい未来に突き進もう、という気持ちになったということかもしれない。そして、実際、その年のクリスマス・イブにミック・フリートウッドと出会い、リンゼイ・バッキンガムとともにフリートウッド・マックのメンバーとなる。
そのように考えると、この曲が人々の琴線を触れ続けるのは、その圧倒的なエモーションがこの曲に詰め込まれているからではないだろうか。ほとんど6つしかコードがなく、構成も2つぐらいしかないシンプルな曲なのに、この曲の存在感は凄まじいものがある理由がなんか分かったような気がする。
私は昔から、スティービー・ニックスは米国の中島みゆきだよな、といい加減に思ったりしていたのだが、なんか、彼女の代表曲を考察していたら、この仮説、まあまあ当たっているかもと思ったりしている。


Fleetwood Mac

Fleetwood Mac

  • アーティスト: Fleetwood Mac
  • 出版社/メーカー: Rhino
  • 発売日: 2018/01/19
  • メディア: CD


(ランドスライドは1975年に発売されたこのアルバムに含まれていた)

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ハローエンドロール『ホライゾン・ブルー』 [ロック音楽]

最初にこのバンドの名前を聞いた時、Hello Endrollかと思い、なんてお洒落なバンド名なんだと感心した。だって、いきなりEndrollにハローですよ。Goodbye Episodeみたいな、この言葉遊び的なセンスに溢れたネーミングにこれはただ者ではないと思った。そしたら、Hello and Rollという、まあストレートで捻りもないバンド名だった訳です。
ということで、最初にハードルを上げたこともあり、ちょっと残念感をもちながらこのデビュー・アルバムを聴く。まず、ボーカルの透明感はいい。聴いていて癒やされる。ついでにいうと、このボーカルのルックスも透明感に溢れている。そして、歌詞もいい。「キラキラ」の「後悔の夜を泳ぎ切って」などは、なかなかの才能を感じさせる。このリーダーである平山織愛のキャラクターがこのバンドの音楽として具象化しているのだろう。ただ、そのキャラが魅力的なので、聴いていても心地よい。まあ、いい意味でも悪い意味でも明治学院大学卒のバンドっぽい。つまり、芯が細そうでいてしなやかで、しかし、なんか洗練されている、という感じである。明治学院大学で15年間教えていた私としては、まあ身贔屓したくなるキャラである。
全部で7曲。ただ、まだ聴いている回数が少ないので、無責任なことを書くのは何だが、印象に残ったのはオープニングの「群青」と「キラキラ」かな。どこかIndigo Girlsを彷彿させる。


Horizon Blue

Horizon Blue

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ORIGAMI RECORDS
  • 発売日: 2019/07/10
  • メディア: CD



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ペダルボードの更新 [ロック音楽]

先日、フリー・ザ・トーンの優れものスイッチャーArc 53Mを購入したのと同時に、二つのストライモンのMIDIエフェクターを思い切って購入したので、ペダルボードをリノベーションした。この二つを新しく入れ、アナログ・ディレイのBrigadierとプロヴィデンスのシステム・チューナー(STV-1 JB)には退却してもらった。そして、ボリュームペダルが入るスペースがなくなったので、もう一つ、ペダルボードを購入し、ここにFreezeのペダルと一緒に入ってもらった。ここには退却したSTV-1を入れることも必要に応じて考えている。新しく購入を考えているペダル類はほとんど現時点ではないが、将来的にはWhammyのPedalとかOvaltoneのOverdriveは買ってもいいかなとも思っているので、それらを購入した場合はこちらに入ることになるであろう。

さて、ストライモンの2つのMIDIエフェクターはデジタル・ディレイのタイムラインとモジュレーション系のメビウスである。そして、セパレート・ループにはFuzz Factoryを繋ぎ、残りの4つのエフェクト・ループにはMad Professor のGreen Forest Compressor、そして同社のSweet Honey Over-Drive、Boss のHarmonizer であるHarmonist PS-6、そしてTC electricのReverb, Hall of Fame 2を繋いでいる。

ジェネシスのコピーバンドをしているので、ロータリーが必要だったり、ファズが必要だったりするので、その点はちょっと一般的ではないかもしれないが、総じて、なかなかこのペダルボードは満足した出来になっている。ポイントとしては、簀の子型のペダルボードであるペダルベイを使っているため、シールドや電源を簀の子の下に設置できているというところである。特にArc53mのループのジャッキのところにシールドが集中するのだが、そこから下部空間にシールドをそのまま入れるようにしたので、見た目もすっきりとしている。幾つかのシールドは、Free the Toneの自ら望ましい長さに切ってつくる、というものを使ったので、これが空間をより効率的に使うことを可能としている。正直、ボリュームペダルが入るスペースがあれば、これ一つでペダルボードも十分じゃないかとも思われるが、ある程度、バッファー的にもう一つボードがあることもいいかもしれないなと、自らを納得させている。

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Free the Tone のarc35mとストライモンのMIDIエフェクターの繋ぎ方 [ロック音楽]

さて、今回はこれまでのブログの内容と違って、相当、マニアックなものとする。多くの読者には関心がない内容かと思われるが、この点に関しては、ネット上にも情報がなく、私もその解決法に随分と苦労したので、日本中に似たような悩みを持っている人がいるかもしれないと考え、ここに私が理解した点を公開させてもらう。

問題の発端は、Free the Tone という会社のarc35mというスイッチャーを購入したことからはじまった。
http://www.freethetone.com/products/detail4/

いや、問題といってもこのスイッチャー、現時点では滅茶苦茶の優れものと私は捉えていて、その機能の秀逸さからいって、もう是非とも一台、保有しておきたいような代物であると考えている。ただ、購入した直後は、MIDIエフェクターの繋ぎ方が分からず、相当、ストレスを抱えた。というのも、今は分かるようになったが、購入当初は、何しろarc35mのマニュアルがちんぷんかんぷんなのだ。書いている本人は分かっているので書いているのだろうが、到底、分かっていない人を理解させるような書き方ではない。ちなみに、私はこれでも東京大学の工学部を出ているので、東大では落ちこぼれであっても、平均ぐらいはこのようなマニュアルの文章を理解できるとは思われる。まあ、これが分からないような輩が買うな、という上から目線なのかもしれないが、後述するように、それを販売している楽器店の人達もほとんど理解できていない。

とはいえ、分からないものは分からない。当初は、自分が無知なので理解出来ないのかと思っていたのだが、arc35mを絶賛しているブロガー・ギタリストも「プレセット」を使わず「ダイレクト」のみで使っているという、超ハイスペックなコンピューターを購入してエクセルしか使っていないような、訳の分からないことを書いているような自体なので、なかなか参考となるものがなかった。

いろいろと調べた中で、「ギターのレシピ」というホームページのブログが相当、役にたった。
http://guitar-recipe.com/effects/2519

とはいえ、まだ上手くセッティングできない。ということで、購入したお店にarc35mとそれと同時に購入したStrymonのTimelineというMIDIエフェクターを持って行った。まあ、これで一発解決だなと思っていたら、なんと、そこの店員の方はよく分かっていなかった。いや、アルバイトの店員ではなくて、しっかりとした40ぐらいの正社員の方で、以前、ファズ系のエフェクターを購入した時は、随分と丁寧に商品説明をしてくれた方である。彼は相当、格闘した後、基本的にMIDIチャンネルとarc35mとを連動するところまでは分かり、それを教えてくれた。私としてはMIDIのコントロール・チェンジ・ナンバーの送り方を知りたかったのだが、それは「普通は使わないですから、大丈夫」と言われて、私もそんなものかな、と考え、お礼を言って帰宅した。ちなみに、この楽器店、日本中にチェーン店を展開している超有名店である。

ちなみに、この連動させる過程であるが、arc35mでは4台までのMIDIエフェクターを別チャンネルでコントロールすることができるが、むしろ問題はMIDIエフェクター側にあり、Strymon では、「Global」というコマンドの中の「MIDICH」という項目でMIDI Channelを設定しなくてはならない。ちなみに「Global」というコマンドは、VALUEのボタンを長押しすると出てくる。つまり、arc35mだけを理解したとしても、MIDIエフェクター側のシステムをしっかりと理解しないと上手くいかないということだ。

このようにMIDIチャンネルがエフェクターとarc35mとで同じものに設定できれば、【DISP MODE】スイッチの「MIDI PC & CC#」で送信MIDIチャンネルを選択し、【INC+/DEC-】のスイッチを動かすと、エフェクターの方も連動して、好みのエフェクターのバンクの音を引き出すことができる。このバンクの音のことを、arc35mでは「MIDIプログラム」と呼んでいる。好みの音を【store】すると、そのプリセットに保存することができ、このプリセットを呼び出すと、このMIDIエフェクターのバンクの音を再現させることができる。

いやあ、これは凄い機能だな、ということで結構、満足はしたのだが、これだとMIDIエフェクターのスイッチを消すことができない。いや、足でMIDIエフェクターのスイッチを踏めばいいだけなんだけどね。でも、それはちょっと違うかな、と思うのと、いやあ、このMIDIエフェクターをスイッチャーでコントロールは素晴らしすぎるな、と思ったので、もう一台、買いたくなったのである。買いたくなったものは、同じStrymon のMobiusである。

さて、そこでギターのチューンアップのために、楽器屋に行かなくてはならないのと、前回、購入したお店は、あまり知識がなかったので、この店にて、arc35mに二代目のMIDIエフェクターを接続して、それをしっかりとコントロールすることを教えてくれれば、エフェクターを購入すると持ちかけた。すると、若手のアルバイト店員は、全員、そこで引いて、店長と思しき、40代くらいの方を連れてきてくれた。この方は、「こうこうすれば出来ますよ。簡単です」と言ったので、店に持ってきた自分のarc35mを出して、「取りあえず、設定して下さい」とお願いした。さて、これで問題解決かと思ったら、なんと悪戦苦闘をし始めたので驚いた。だって、天下の○○○さんですよ。マニュアルとにらめっこして、ああだ、こうだといじっている。さっき言った「簡単です」は何だったのだ。とはいえ、長い戦いの後、どうにか動かせるようにはなった。ちょっと納得いくような説明ではなかったが、とりあえずこの努力に免じて約束通り、メビウスを購入した。
 タイムラインはチャンネル1,メビウスはチェンネル2に設定。両方ともarc35mと連動できる。ただ、これだとオンになったまま、スイッチを消すことはできないので、MIDIコントロール・チェンジ・ナンバーを送って、スイッチを消すことができるようにした。ここで、難しいのは、MIDI機器側がコントロール・チェンジ・ナンバーを規定していることである。Strymon の機器(少なくともメビウスとタイムライン)は、スイッチオフ、すなわちBypassのコントロール・チェンジ・ナンバーが102である。
 ここらへんの情報は、下記のタイムラインのマニュアルに書いてあるが、いやはや分かりにくい。
http://allaccess.co.jp/strymon/timeline/TIMELINE_jp_manual_v170.pdf
 さて、コントロール・チェンジ・ナンバーをプリセットに保存することまでは分かり、実際、プリセットからMIDI機器のスイッチオフをすることができるようにはなった。ちなみに、そのようにするためには、エディット・モード(マニュアルp.10)において、MIDIの詳細設定をすることが必要である。そこで、「送信するMIDIコントロール・チェンジ・ナンバーを設定する」ということをしなくてはならない。ここでは、4つのCSWスイッチを設定(逆にいうと4つしか設定できない)することができ、私はスイッチ3にMIDIチャンネル1のバイパス、スイッチ4にMIDIチャンエル2のバイパスの信号を送るように設定した。ここらへんの状況を理解して、初めてマニュアルp.12の設定の仕方がわかった。
 ここまで来ても、まだ問題があった。というのは、一度オフにするとオンにすることが出来ないからだ。これは困ったが、フットスイッチをコントロール・チェンジ・ナンバーで送ることで対応することにした。ここらへんに関しては、Strymonのブログが役に立った。
https://www.strymon.net/using-midi-control-pedals-2/
 ちなみに、ストライモンの日本語で訳されたブログはほとんど何の役にたも立たないことばかり書いてあって、結構、ストレスが溜まる。
 さて、しかし、ここにも問題があった。というのは、タイムラインにしろメビウスにしろ、フットスイッチがAとBと二つあり、Aはコントロール・チェンジ・ナンバーが80で、Bは82である。すなわち、CSWが二つのMIDIを違うMIDIチャンネルで接続すると6つ必要とするのだが、arc53mには4つしかない。
 これは困ったのだが、実際、プリセットから呼び出す音はA側に設定する(A側だけでも、余裕で100バンクある)ということにして対応することにした。これでも、十分、私のニーズには対応できる(それまでほぼディレイは一曲中は、1パターンしか使わなかったことを考えると大躍進だ)。
 ということで、どうにかarc53mに5つのエフェクターと2つのMIDIエフェクターを接続することができた。arc53mには20のバンクごとに10のプリセット、すなわち200の音を保存することができる。通常のエフェクターを繋ぐだけなら、プリセットもほとんど必要ないだろうが、MIDI対応のエフェクターと繋ぐと、その強力なポテンシャルを引き出すことが可能となる。
 ただ、それを可能とするためには、結構、マニュアルをしっかりと読まないと分からないし、このマニュアルを理解するのが難しい。最初は、私の無知から来るが要因かと思ったが、日本でも超有名な二つの楽器店において、しっかりと私の質問に回答できなかったことからも、このスイッチャーの使い勝手が決して「簡単」ではないことが分かるかと思う。
 ブログでも「非常に使いやすい」などと書いているものがあるが、シフトボタンを使ったことがない(これは、ちょっと信じられない。さきほどのコンピューターの例でいえば、エクセルでコピー、ペーストを使っていないというレベルである)とも白状しており、そんな人が「非常に使いやすい」などと言う資格はないと思う。「非常に使いやすい」レベルでしか使ってないから、そりゃそうだろうなと突っ込みたい。
 まあ、エクセルの比喩で申し訳ないが、エクセルもSumifやCountifなどの関数を使い始めて、初めてそのポテンシャルを実感できるのと同様に、このarc53mもMIDIエフェクターの管理をして初めて、そのポテンシャルが生きてくると思う。と同時に、これがあることでMIDIエフェクターも生きてくる。
 随分と苦労したが、どうにか動かすように出来てよかった。「非常に使いやすい」とは全然、思わないが、理解をするとその潜在力は相当のものがあるなと思われる。ただ、このレベルに達しないとお金の無駄かなとも思う。

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リッキー・リー・ジョーンズ@NHK大阪ホール [ロック音楽]

リッキー・リー・ジョーンズが来日するというので、34年前の中野サンプラザ公演以来、観に行った。会場はNHK大阪ホール。編成はドラムとギターとリッキー・リー・ジョーンズだけという3人編成。ベースがない。また、ドラムは鉄琴も弾く。リッキー・リー・ジョーンズ、偉い太ったおばさんになっていて、昔のなんとも言えないアンニュイな雰囲気はまったくなくなっていた。64歳の堂々たるアメリカのおばさんという感じである。緊張の一曲目はWeasel and the White Boys Cool。この曲から入りますか。渋いな、流石。そして、Young Blood。ベースがないので、ちょっとノリが出にくい感じがしないでもないが、まあ楽しい気分になる。3曲目は、Chuck E's in Love。まあ、このお寿司で言えばウニのようなこの最高傑作をここに持ってきましたか。次いで、The Last Chance Texacoと一枚目からの曲を続けた後、3枚目からIt must be love。パリに住んでいた時に作った曲と紹介する。また、一枚目の曲に戻ってEasy Money。Lowell Georgeが発掘してくれたことの感謝を述べる。そして、「新しいアルバムからの曲です。私は寂しい人生を送っているので「Lonely People」という歌を披露します」と言って歌ったのは、なんとアメリカの「Lonely People」であった。まあ、嫌いな曲ではないが意外な選曲である。というか、リッキー・リー・ジョーンズは他人の歌はあまり似合わないと「My Funny Valentine」を出した時も思ったが、今日も改めてそう思わせられた。次は、アメリカの滅茶苦茶バカな大統領のことを歌いますと言って「Ugly Man」を歌う。とはいえ、今のトランプに比べればブッシュ・ジュニアはまだましだ。リッキーも、ナイスな大統領が次になったが、今は最悪だ、と述べていた。そして、ピアノに据わってCry Me a River を歌った後、パイレーツの一連の曲を弾く。ここで、リッキー・リー・ジョーンズ、ピアノを弾くようになったのはデビューアルバムが売れてからだ、と言う。そんな短期間で、こんなピアノだけで作曲した名曲揃いのパイレーツのアルバムを作ったのか、という事実に衝撃を受ける。前から、天才だとは思っていたけど、改めて本当の天才だったということを知る。We Belong Together, Living It Up, 一枚目のCoolsvilleを挟んで、Pirates, そして一枚目に戻ってOn Saturday Afternoon in 1963。いやはや、最近、リッキー・リー・ジョーンズの曲を全然、聴かなくなってしまっていたけど改めて、1枚目と2枚目は名曲揃いである。さて、またピアノからギターに戻って、The HorsesそしてLove is Gonna Bring Us Back Aliveと4枚目の2曲で終演。アンコールはなかった。
 改めて凄い音楽家だなと思わされたコンサートであったが、今回は、なんかいろいろとプライベートなことなども話して、ちょっとしたジャズバーのような感じのコンサートであった。まあ、これは前から2列目とステージにすこぶる近かったということもあったかもしれない。最初、ハイヒールを履いていたが、途中で、これは邪魔だ、と言って脱いだところとか、リッキーはこう構えないで等身大のところがいいのだな、ということを認識した。いやはや、いいコンサートであった。

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エリック・クラプトンを3年ぶりに武道館で観る [ロック音楽]

一週間前になってしまうが4月15日の武道館にクラプトンを観に行った。月曜日であるのだが満席。凄まじい熱気だ。クラプトン、こんなに人気があったかなあ、とちょっと不思議な気分になる。3年前のクラプトンの武道館コンサートより、こう人々の熱が高いような気がするのだ。いや、気のせいかもしれないが。コンサートはPretendingから始まり、3年前と同じように前半でKey to the Highway, I am Your Hoochie Coochie Man, I shot the Sheriff, Nobody Knows You When You’re Down and Out などを演奏する。違うのは、Make Love to You, Driftin’ Blues を演奏したことぐらいだ。しかし、後半は前回、演奏しなかったTears in Heaven, Layla (Unplugged Version)というクラプトンの代表曲を披露してくれたこと。さらには、Running on Faithも演奏してくれた。また、クリーム時代の超名曲であるBadgeさらにはCrossroads も演奏した。Crossroadsのギターソロは、昔のような神がかったプレイではなかったが、それでも心は揺さぶられた。そして、Wonderful Tonight, Little Queen of Spadesという3年前と同じ選曲で、アンコール前にCocaine、アンコール曲にHigh Time We Wentも同じであった。ということで、それほど目新しい訳ではなかったが、Badgeを久しぶりに生で聴くことができたのは素晴らしかった。聴力のダメージを受けているとの噂も耳にしたが、まったくそのようなそぶりも見せず、とても74歳とは思わせない表現力には感銘を覚える。貫禄溢れるコンサートで、非常に安心して聴くことができた。
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リンゴ・スターのコンサートに行く [ロック音楽]

リンゴ・スター&ザ・オールスターズのコンサートを観に東京ドームシティ・ホールにまで行く。さて、そんなに期待しないで行ったのだが、これが予想外によかった。私は、サポート・メンバーもろくに調べなかったのだが、蓋を開けてみたら、キーボードがサンタナ・ジャーニーズのグレッグ・ローリー、ギターはトトのスティーブ・ルカサーとメン・アット・ワークのコリン・ヘイ、そしてベースがアヴェレージ・ホワイト・バンドのヘイミッシュ・スチュワート、さらにサックスにウォーレン・ハム、ドラムスにグレッグ・ビソネットが入っている。ローリー、ルカサー、ヘイ、スチュワートはまさに、それらのバンドだけでも来日公演をできるだけの実績と人気を博している。ということで、リンゴ・スターのザ・オールスターズは、リンゴの名字に引っ掛けただけでなく、本当にオールスターズであったのである。そして、これら4人は、それぞれ平等に自分達のバンドでの看板曲を3曲ほど演奏していた。興味深いことにローリーはサンタナの曲はまったく演奏せずに、サンタナの曲を3曲ほど演奏した。これら4つのバンドの中では、私は圧倒的にアヴェレージ・ホワイト・バンドの演奏が楽しめた。「Pick Up the Pieces」、「Cut the Cake」、「Work to Do」の3曲を演奏したのだが、まさか今日、これらの曲の生演奏を聴けると思えなかったので嬉しい驚きであった。
 あと、トトの曲はロザンナ、アフリカといったジェフ・ポーカロの超テクドラム演奏の曲であったのが、果たしてリンゴがこれらを弾けるのか、余計なお世話的心配をしていたが、リンゴ・スター、ドラムが上手い。とても78歳のパフォーマンスとは思えない。
 そして、これら4人のネタ曲の16曲もよかったが、やはり、真打ちのリンゴ・スターの「イエロー・サブマリン」、「フォトグラフ」、「イット・ドント・カム・イージー」、「ウィス・ア・ヘルプ・フロム・マイ・フレンド」がハイライトであった。
 年齢を考えると次回がある可能性はそれほど高くはないが、また機会があれば観に行きたいと思わせる良質なコンサートであった。

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電気グルーブがCD回収・配信停止されるのであれば、同罪のミュージシャンにも同じ措置を採るべきであろう [ロック音楽]

電気グルーブのピエール瀧が薬物使用の疑いで3月12日に逮捕された。それを受けて、翌13日には電気グルーヴのCD回収・配信停止などが発表され、Apple Musicでは15日現在、電気グルーヴのアーティストページは確認できるが、瀧容疑者名義でない数曲を除き、再生できない状態となっている。
コカイン使用が悪いのは当たり前だが、それでCD回収・配信停止をするのであればレッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズ、ポール・マッカートニー、ローリング・ストーンズ、リトル・フィート、エリック・クラプトン、ホイットニー・ヒューストン、エイミー・ワインハウス、ウィルコ、クワイエット・ライオット、ザ・フー、ラット、ラモーンズ、ザ・バンド、ザ・グレイトフル・デッド、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、シン・リジィ、セックス・ピストルズ、フリー、ディープ・パープル、ユーライア・ヒープ、ジャニス・ジョプリン、フリートウッド・マック、ドゥービー・ブラザースなどもCD回収・配信停止にするべきだ。というか、ここに挙げたのは私が今、気づいたアーティストだけなので、実際は、もうほとんどのロック・バンド、ロック・ミュージシャンのものを販売・配信できなくなるだろう。
ピエール瀧がやったことは罪であり、罰されるべきことであるとは思うが、そうであれば同じ罪を犯したものは同じように罰するべきである。それこそが法治国家の基本である。

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BONNIE PINKのライブを初めて観る [ロック音楽]

BONNIE PINKが三年ぶりにライブをする。今後、いつライブをするかも不明だ。ということで、これはどうしても観なくてはならないと判断する。さて、会場は東京と大阪のビルボードである。当然、東京のライブ・チケットを購入しようと、オンライン予約の日をカレンダーにメモっておく。その日が来たので、さっそく購入しようとしたら売り切れていた。発売開始時間が10時で、私がネットにアクセスしたのが11時ぐらいだったので、あっという間の完売である。BONNIE PINKの凄まじい人気を知るのと同時に、大阪の公演をチェックしたら席がある。ううむ、大阪までわざわざ行くのは癪ではあるが、もう観れないかも、という焦りも手伝い、チケットを2枚購入する。
 さて、東京と大阪ではチケットの値段も違う。大阪の方が高いのである。というのは、大阪の公演日は12月24日であり、クリスマス・イブ・ディナーというものがもれなく、というか強制的についてくるのだ。こんないらんサービス、と思いつつ、まあ、それだから席が売れなかったということもあるだろう。
 加えて12月24日という公演日は最悪であった。というのは、そもそも一枚買えばいいところを、クリスマス・イブにビルボード、ディナー付きというのは、流石に中年男性一人で観るのは寂しいというか、浮きまくるであろうという判断があり、奥さんに付き合ってもらおうと考えて購入したのだが、なんと「そんなわざわざ大阪まで行くと疲れる」と言われて断られる。これはピンチだ。京都に住む知り合いの50代の独身男性を誘うが、断られる。そりゃ、何が悲しくてクリスマス・イブに中年男性と付き合ってBONNIE PINKを観なくてはならないんだ。よほどのファンでなければ断る気持ちはよく分かる。ということで、もうこれは愛人に捨てられた中年男性が一人寂しくクリスマス・コンサートを観るというような状況で鑑賞するしかないな、と思っていたらなんと高校二年生の次女が付き合ってくれるという。いやあ、それはそれで心配だが、まさに地獄の仏のような娘だ。ということでBONNIE PINK@大阪ビルボード@クリスマス・イブ。
 クリスマス・イブ・ディナーはシャンパンとプレートがついてくる。プレートはコロッケとキッシュと野菜スティックとローストビーフ。とりあえず、高額料金を取るためのアリバイのような料理だが、そんなことはどうでもいい。定時から5分ぐらい遅れてBONNIE PINKが出てきた。赤い髪でカラーコンタクトをしているイメージを持っている私は、初めてみるBONNIE PINKにちょっと驚いた。なんか京都で商売をやっている元気でちょっと綺麗な若女将といった風情だったからである。おしゃべりだが、それほど言うことは気が利いていなくてカリスマ性はまったくない。これが椎名林檎に先を越されたと言わしめた天才ミュージシャンか。
 さて、最初の曲はGimme a Beat。その次はクリスマス・イブということで、ポール・マッカートニーの「Wonderful Christmas Time」、ディーン・マーティンで有名な「Let it Snow」を歌った。そこで、またBONNIE PINKの曲に戻って「Try me Out」、「スキKiller」。そこで、またクリスマス・ソングに戻ってジャクソン・ファイブの「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」。その後は、「Is this Love?」、ファンクラブ限定のCDに収録された「Heartbeat」、「Lullaby」。ここで、大ヒット曲である「Perfect Sky」を演奏し、「Rope Dancer」、「Evil and Flowers」、「Chain」。ここで終わって、アンコールはBONNIE PINKのクリスマス・ソングでもある「Orange」。
 コンサートの途中で本人自身が、皆が期待するような曲は演奏しない、と言っていたが確かにちょっとレアな選曲であったのかもしれない。とはいえ、私は初BONNIE PINKということもあり相当、楽しめた。新横浜と大阪を往復する交通費を考えても十分、私の期待に応じてくれたコンサートである。とはいえ、できれば東京のビルボードで観たかった。

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