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梁思成が京都と奈良を空爆させないよう米軍に進言したことの真偽について考察する [都市デザイン]

軍事的重要性が少なかった奈良はともかく、京都が第二次世界大戦に空爆を免れた理由は諸説ある。中国では梁思成の進言による、という説が一般化しており、建築を勉強している中国人はほとんどそれを知っている。一方で日本人に、それがあまり知られていないのは、その明確な根拠がないことからのようだ。ただ、おそらく私の勝手な解釈だが、梁思成の中国での古都保全の功績などを考え見ると、それが敵国のものであっても、それは人類の資産であるから守るべきだとは思っていたと推察されるし、それがアメリカの判断に影響を及ぼしたかどうかは分からないが、進言する機会があったらしていたのではないか、と思われる。1947年に招聘されて国際連合本部ビルの設計に参加したことなどを考えると、アメリカ側も一目置くような人物であったことは間違いない。

歴史的史実の根拠が薄いということで、この話は日本人に知られていない。一方で、中国人の建築系の人々にとっては常識となっている。それを対日世論工作だと批判している日本人達もいるが、これだけ日本人に知られていなければ、対日世論工作としては失敗だな、と思うのと同時に、この日本人と中国人とのギャップの大きさは考えものだなと思う。私は、梁思成の思想そのものは建築物の保全という点で素晴らしいものがあると思っている。そして、梁思成はおそらく、当時のアメリカ人の誰よりも、京都の都市資産の価値を認識していた(原爆の京都投下を回避させたヘンリー・スティムソンよりも、客観的に価値を理解していたと思われる。スティムソンは個人的な思い入れが強かった)と思われる。そうであれば、その進言が米軍の判断の影響に及ぼしたかはともかくとして、そのような考えは有り難いことであった、と受け入れてもいいのではないかと思うのである。それを頑なに史実的根拠がない、と真っ向否定するのも大人げなさ過ぎるのではないか。

ヨーロッパに住んでいると、基本、切羽詰まった時に信頼できるのは韓国や中国といった隣国人だな、ということを強く感じさせられる。アメリカに住んでいた時もそうだ。ヨーロッパの方が東アジアの同胞より、より理解できると思うのは、個別レベルではあってもグループ・レベルで考えると幻想であると思う。それは価値観や文化の違いである。したがって、梁思成の思想を我々はもっと共有できる筈だし、それを対日世論工作などといった穿った見方で捉えるのは情けないと思う。

結果的に、裁判で有罪になったとしても、自分を弁護してくれた隣人がいたら有り難いと思うであろう。無罪になったとしたら、その弁護が実際の判決に影響を与えた証拠はなかった、と主張するより、とりあえず弁護してくれて有難う、と言うだろう。裁判で弁護することができず、仲間うちの会話で、あいつは無実だと思う、と言ってくれただけでも有り難いことではないだろうか。

中国人の言い分も「京都を空爆から守った」というよりかは、梁思成は「京都や奈良を空爆するなと意見した」みたいな言い方をしている。これは、少なくとも、そう思っていたのであろうし、言っていたかもしれない。もちろん、相手が聞く耳を持たない、という可能性は高かったが、言ってくれたことは感謝してもいいのではないだろうか。

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ドイツの田園都市ヘレラウを訪れる [都市デザイン]

ドイツ鉄道乗り放題チケットが今日で最終日になったので、どこに行こうかと考え、ドレスデンの田園都市ヘレラウに行くことにしました。ヘレラウは以前、ドイツ人の友人に連れて行ってもらったのですが、ただ連れられていったのであまり問題意識もなく歩いていただけでした。そのくせ、大学で「田園都市」の講義をした後、世界中に影響を及ぼした事例としてヘレラウのスライドを使ったりしていましたけど。ヘレラウは世界遺産登録を目指して運動しているのですが、今年も落ちました。ヘレラウには博物館(といっても随分と小さいですが)があり、そこの受付の人に気になることを聞いたら、随分と丁寧にいろいろと教えてくれました。
 ヘレラウは当時の著名な建築家達が集まって家々を設計したのですが、その中でも4名が設計したものはドイツのデンクマール(記念碑)保全の対象になっているので、住んでいる人が改修する際には、ドレスデン市に問い合わせをしなくていけないようです。そして、新築の場合は特になく、ドレスデン市の他の地域と同じように通常のFプラン(土地利用計画)とBプラン(建築計画)には従わなくてはならないようです。実際、街中に出てみると、ヘレラウのデザイン・コンセプトと違うデザインの住宅が多くつくられていました。
 ヘレラウの街並みは、基本、ドイツのユーゲントシュティル運動の中核的メンバーであったリヒャルト・リーメルシュミットの意匠がその基調となっていますが、他の建築家も設計しているので単調にはならない。他の建築家も基本、リーメルシュミットと調和するようなコンセプトのデザインで設計していますが、いい意味で個性が出ているので、調和のある中での多様性のようなものが感じられます。また、通りごとにその担当が分かれていたようで、通りが個性を持つようになっています。
 ヘレラウはカール・シュミットという実業家が工場をつくる際に、ドレスデンの郊外のヘレラウという牧草地の北側を選び、その周辺に工場で働く人達のために住宅をつくることを考えたことで実現しました。ちょうど、イギリスでエベネザー・ハワードが田園都市という考えを発表し、実際、レッチワースという田園都市を1903年から建設し始めました。この田園都市というコンセプトはあっという間に世界中に影響を与え、日本でも関東の田園調布や関西の千里山などに似たようなコンセプトの住宅がつくられたりしますが、ドイツも例外ではなかったのです。シュミットは田園都市のコンセプトに感銘し、それを模倣した。当時のドイツでは社会改革運動が盛り上がっており、その考えも反映させることにしたのです。
 ヘレラウの中心は市場広場です。ただ、ここは駐車場として使われていて、シンボルとしての中心性は弱かったです。非常にもったいない。ただ、道路が直線ではなく地形に沿って緩やかに曲線していることや、庭が広く、また公共の緑も結構、つくられており、非常に住環境は優れているなと感じました。工場はもう操業していませんが、建物は綺麗に保存されており、レストランなどがテナントとして入っていました。私が訪れた時、ちょうど結婚式をあげていました。ある意味、こちらの工場の方が市場広場より、人々が愛着をもつ空間なのかもしれません。
 ヘレラウは田園都市の周辺をも含んだ近隣地区でおおよそ人口が6千人強です。レッチワースの人口が3万4千人ですので、規模では随分と小さいです。レッチワースはしっかりとした鉄道駅もあるし、商店街も相当、しっかりしているのに比べて、ヘレラウは必要最小限の商店・サービスしか提供されていないような印象を受けました。ただ、トラムが走っており、ドレスデンの都心部まで30分で行けます。田園都市のコンセプトの人口規模はハワードは、3万2千人ぐらいとしていたので、レッチワースはほぼそのコンセプト通りです。それに比して、ちょっとヘレラウは小さいですね。とはいえ、住宅の並びの美しさは本家を上回ると思いました。

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【リーメルシュミットが設計した住宅群】

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【工場は現在、テナントとしてレストランなどが入っている】

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【ヘレラウの象徴でもあるフェスティバル・ホール】
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ドイツの国土開発可能面積は年間30ヘクタール以下!という驚き [都市デザイン]

ドイツの国土開発は年間30ヘクタール以下と連邦政府によって規定されていることを知った。30ヘクタールといったら、東京ドーム 9個分ぐらいしかない。州政府での上限ではなく、国土全体での上限だそうだ。この30ヘクタールであるが、対象はグリーン・フィールドであり、工場跡地とか既に市街地となっているところは対象に入ってない。こんな規制があれば、郊外開発が進まないのも当たり前である。 

さて、ただ近年の住宅不足と住宅価格高騰は、流石にもっと開発させろ!という圧力を高めているが、多くの自治体はグリーン・フィールドに手をつけることには強い抵抗を覚えているそうだ。住民もグリーン・フィールドが減るのは大反対だ。それどころか、多くの人はこの30ヘクタールをゼロにしたいと考えているそうだ。例えば、大学生で都市計画とかを学んでいる人のほとんどは、これを増やすどころか、ゼロにしろ!と主張しているらしい。確かに住宅不足と賃貸高騰で大変な状況になっているベルリンでも、テンペルフォルト飛行場跡地に住宅をつくらず、そこを広大な公園とすることにした。テンペルフォルト飛行場はグリーン・フィールドではなくブラウン・フィールドとして計算されるので、ベルリン市にとってそこに住宅を整備しなかったことは、ちょっと違うのではないかと思わなくもないが、それだけオープン・スペースを大切にしているということの証左であろう。

このような規制があることが、ドイツではブラウン・フィールドの開発が盛んで、しかもそれを丁寧にしていることの背景にあることを知る。そして、なぜ郊外開発ができないのか。その土地供給のところで根本的に抑えていることを知る。こういうことをして、初めてコンパクト・シティが形成されるのであろう。日本のように市街化調整区域でも、例外規定をつかってどんどんと住宅開発できるような状況で、コンパクト・シティの旗をあげても無駄なのではないか。ドイツの30ヘクタールを上限とするグリーン・フィールドの開発規制は、なかなか厳しいなと個人的には思うが、そういう施策を支持する民意があって初めて郊外開発規制やコンパクト・シティが具体化できることを改めて知る。

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ブリストルの都市計画局長と話をして、イギリスの地方都市をめぐる問題が多少、理解できた [都市デザイン]

ブリストルの都市計画局長と話をすることができた。ブリストルはイギリス西南部にある人口46万人の都市である。その都市計画的な弱みは3つ。一つは公共交通機関が劣悪であるということ。人口46万人でバスだけ、というのはなかなか厳しく、ドイツでもそんな都市はないんじゃないだろうか。地方都市でトラムが整備されていない都市といえば、ドイツの北西部に集中しているが、アーヘンでも25万人、ミュンスターでも31万人。46万人でトラムも地下鉄も整備されていないのは、確かにドイツと比較すると、え!という感じである。結果、自動車の利用分担率は相当、高いようだ。もちろん、ブリストル市でもそのニーズはよく理解していて、20年ぐらい前に中央政府がトラム整備の補助金を出した時には、応募した。しかし、その時はノッティンガムが選ばれて、ブリストルは落とされた。ということで、依然として、これは大きな課題となっている。特に中央駅と都心部が離れていて、歩くのが厳しいといった都市構造的な特徴が問題をより深刻化させている。
 もう一つの問題は市域が狭いので、開発需要に対して土地の供給量が少なすぎること。これは、グリーンベルトの影響も大きい。グリーンベルトは戦後、指定されたのだが、そもそも市域が狭いのに加えて、グリーンベルトで開発できる土地がさらに限られている。必然的に高層ビルという選択肢が出てくるのだが、なかなか高層ビルに対しては抵抗がある。とはいえ、現在、24階建ての住宅を含めたミックスド・ユースの建物に開発許可を出した。状況は変わっていくかもしれない。グリーンベルトの先にある隣接自治体が住宅を供給してくれればいいのだが、そういう気にはならない。人口が増えることに対しての抵抗が強いそうだ。こういう点は日本とちょっと違うかもしれない。
 三つ目の問題は住宅のところでも述べた周辺自治体との調整である。ブリストルは隣接した自治体が大規模ショッピング・センターを郊外部につくったので、これによってブリストルの中心市街地は相当、ダメージを受けている。市域内であれば、そのような郊外開発を規制することができるが、隣の自治体だとお手上げである。
 ということで、なかなか日本と似たような都市問題を抱えていることを知ったが、グリーンベルトはロンドンのものが有名だが、ブリストルだけでなく、隣の小さな自治体もグリーンベルトを設けていることを知った。一般的にグリーンベルトは設けるもののようだ。なんか、整備するためのインセンティブがあるのかな?確かにドイツのような厳しい土地利用規制がない中、郊外開発を抑制させるためにはグリーンベルトは効くであろう。これをイギリスが、コンパクト・シティを提唱する背景の一つにあるのかもしれない。そもそも、最初からコンパクト・シティである、という点で。日本のように無理矢理、コンパクト化を図ろうとする(から、結局、出来ない)のとはちょっと状況が違うことことも理解した。あと、郊外的な位置づけにある自治体が人口を増やしたくない、というのも日本とは違う。人口が増えた方がいろいろとメリットがあるんじゃないですか?と尋ねても、「そうなんだけどね」という返事であった。ここらへんは日本とちょっと違う状況にあるような気がする。あと、EUから脱退しても、人口は増えているみたいだ。この背景はちょっと時間があれば調べたいところである。

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ブリストル・パークウェイとブリストル・テンプルミードの関係性に新大阪駅と大阪駅の関係性をみる [都市デザイン]

マンチェスターからブリストルまで鉄道で行く。ブリストルは港湾都市なので、東西に行く鉄道にとってブリストルの中心市街地に行くのは面倒だ。したがって、ブリストル・パークウェイという駅が郊外につくられていて、カーディフやバースに行く人はここで乗り換えることになる。同じ港湾都市である新大阪駅のようなものだろう。
 さて、違うのは、この特急はブリストル・パークウェイという駅で止まらず、しっかりとブリストル・テンプルミードという中心市街地の駅、大阪でいえば大阪駅まで列車を走らせている。いや、雷鳥もそうしているでしょう、と言われるとそうかもしれないが、イギリスは日本と違って新幹線が走っていない。圧倒的に多くの利用者の利便性を考えれば、少なくとも新大阪駅止まりの新幹線は大阪駅まで走らせるべきであろう。というか、本当ならば難波駅まで走らせたいぐらいである。いや、いっそのこと、そこからりんくうタウンを経由して和歌山駅まで走らせたいぐらいだ。
 これは全然、突飛な考えではない。もし、大阪が首都であればまず問答無用に近く、大阪駅に新幹線の乗り入れは実施されるような計画である。というか、駅の目の前にあれだけの広大な土地があったら、普通、そのように考えるのではないだろうか。豊臣秀吉だったら、間違いなく、そういう計画をするだろう。大阪市は市の人口規模だけを考えれば、それほどは大きくはないかもしれないが、大都市圏だとヨーロッパで随一、アメリカとでもニューヨーク大都市圏と競うぐらいの大都市なのである。その都市の中央駅に新幹線が入ってこないというのは、あまりにもおかしい。いや、何か、裏の事情があるのだろうが、それを知らないとまったく理解不能だ。
 ということをブリストルに来て、さらに思った次第である。

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ドイツの都市計画の謎 [都市デザイン]

ドイツの都市では一等地が緑地である場合が多い。ベルリンは都会のど真ん中に広大なティア・ガーテンという公園がある。その規模は210ヘクタール。ロンドンのハイドパークよりも大きい。これは皇居の230ヘクタールよりはちょっと小さいが、皇居と違ってアクセス・フリーというところが違う。ハンブルクも旧市街地の外側を走る環状道路の外側にグリーンベルトのようにヴァランラーゲンの緑地を設けている。ミュンヘンも都心部の東を流れるイーゼル川沿いに広大な回廊状の緑地を整備している。今、私がよく特急の乗換駅で使うシュパンダウ駅は、東京でいえば大宮駅のような高速鉄道の交通結節点である。この駅でハンブルク行き、ハノーファー行きとが分岐する。しかし、その駅前には公園が広がる。それも結構の規模である。
 なんでこういう都市計画ができるのか。というのは、このシュパンダウ駅前は一等地である。日本だったらまず土地開発をするであろう。この公園の土地は相当の確率でベルリン市かシュパンダウ区が所有していると思われるが、日本だったら役場が土地を所有しても、それを「有効」活用することを検討するであろう。さて、ここで何が「有効」なのか、ということがポイントであるのだが、それは投資対効果なのである。アメリカでも似たようなことが検討されると思われるが、アメリカの方が実は日本より結構、役所が力を持っているので、それほど乱暴な不動産開発はできない(ただし、アメリカは都市計画法が州法なので州によって異なる。例えばハワイ州とかは、相当、土地利用規制が厳しい)。
 このように駅前の一等地にドイツにて緑地が確保できるのは、これは都市計画がしっかりしているからだが、この計画をつくるうえであまり経済的な観点が配慮されていないことが分かった。そもそもドイツの都市計画家は経済の勉強をしてないらしい。都市経済学とかいう言葉がでると、ドイツの大学の都市計画系の先生とか都市デザインの先生とかは、いやあ、ドイツはこういうことを都市計画の分野で勉強しないから不味いんだ、みたいなことを言う。したがって、駅前の一等地にオフィスビルをつくれば雇用が増え、税収も増えるぞ、みたなことをどうも都市計画では考えてないようなのだ。いや、考えていたとしても定性的というか勘のようなものだと思う。と書きつつ、ベルリンでもポツダム広場の再開発では、ソニーやベンツなどの民間投資を随分と促して、驚くような開発を遂行したから、多少は考えていたのかもしれないけど、その後、ベルリン州は倒産に近いような状況になったからな。開発をする時も金計算はあまりしていないのかもしれない。
 そして経済性ではなく、もっとアメニティとかアイデンティティのようなことを優先に考えて計画を立てる。土地でいかに儲けるようなことを考えない、というかそういう発想がないようだ。そもそも住宅も7割近くが賃貸だし、土地転がしという考えがない。それの担い手である不動産会社も日本やアメリカ合衆国と違って恐ろしく政治力がない。その結果、短期的にみると土地から金を生み出さないので損をしたようなことになるが、長期的にみればその都市の利益に繋がる。都市のあるべき姿をしっかりと考えることができるのだ。ドイツはこの点は偉いな、と思っていたのだが、その人材を育てるドイツの大学の教員達はむしろ真逆のことを考えている。ドイツのよさを潰して、アメリカ的な都市経済学で都市をつくろうと考えているのである。なんか、がっかり。あと、都市経済学というのは基本、アメリカ人が発展させた体系であるので、アメリカの中小都市の分析には多少、役に立つが大都市圏の分析には役立たないし、また、人口減少や日本の東京や大阪のように複雑な系となっていて、アメリカ人と違う価値観を有する人達が住んでいる都市にはほとんど役に立たない。日本でもいろいろとフラストレーションが溜まるが、ドイツの専門家も結構、アホなのでフラストレーションが溜まる。しかも、コミュニケーションを英語でするので、どうも説得力に欠けるし(私は日本語で話してもそれほど説得力を有さない・・・見た目のせいもあると思う)、しかもドイツにビザで住まわせてもらっている身なので、そうそう強く主張するのにも抵抗があるし。ドイツ人は自分達のよさをしっかりと自覚しないと、不味いんじゃないかな。そうそう、都市計画の先生よりも都市社会学の先生の方がドイツではまだしっかりして理解しているような印象も受ける。しかし、実施、都市計画を担うのは、都市計画の学科を出た学生なんだよなあ。
 

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ドイツの都市計画家達との議論で新しい知見を得られた [都市デザイン]

ドイツの都市計画の先生達との議論に参加する。そこで分かったのは、ドイツは都市計画学科のカリキュラムに都市経済学とかがないらしい。したがって、コスト感覚がしっかりとしていなくて、それをとても問題視していることが判明した。不動産経済とかをしっかりと分かる都市計画家がいないらしい。不動産投資をバックアップする学問がなかなか発達していないので、それがドイツの欠点であるとさえ言う。
 マサチューセッツ工科大学や明海大学とかにある不動産学部のようなものが、どうもドイツにないようなのだ。おそらく日本の不動産学会とか、アメリカのUrban Land Instituteみたいな組織もないのだろう。いや、私の邪推なので間違っていたら申し訳ないですが。
 さて、ただドイツは不動産業界が弱いのは確かである。ドイツにも不動産家は結構いて、宅地開発なども手がけていたようなのだが、世界大恐慌でほぼすべて倒産したそうだ。そのような経緯もあり、政治力のある不動産屋が出てこなかった。あと、ドイツの特性として土地利用規制などをしっかりとやることを好むという風土があったので、金儲けのために勝手をさせないという空気があったのと、郊外の多くは王家とかが所有していたので開発できなかった、ということもある。これらの王家の土地はそのまま市有地になったりしている。これが、ドイツはアメリカや日本と違って、だらしないスプロールが生じなかった二つの理由だと考えている。すなわち、土地利用規制がそもそも厳しいということと、そのような規制を無理矢理変えてでも郊外の宅地開発をして儲けようという不動産業者が不在だったということだ。
 私はドイツの都市計画に経済的な要素が入ってないことを、公共性とかを優先しているからだろう、と勝手に評価をしていたのだが、ドイツ人達はそれをマイナスと捉えていたというのが大変興味深かった。いや、経済優先でいったら、ドイツから公共交通、全部なくなってしまう。公共交通をむしろ生存権として位置づけ、民間事業ではなく公共事業として公共事業体が責任もってサービスを提供する。赤字は税金から補塡。潔くて素晴らしい、と関心していたのに、ドイツ人はその経済性の意識の無さ、そして、都市経済学のような経済的な視点が欠けていることを問題だと捉えていたとは。なんか、がっかり。
 ただ、私がそういう経済性を考えないところが、ドイツの都市計画の素晴らしいところじゃないのか、ローカル線を廃線にするような考えの政策が正しいとは思えない、そもそも私はドイツのそういう知恵を学びに来ているのだ、と主張したら、4人いた先生のうち1人はふむふむと聞いてくれた。この先生がいたのは結構、救いであった。この先生は都市デザイナーなのだが、なんとハンブルクのハーフェン・シティの設計に関わって、エルベ川が氾濫した時は、一階は浸水してもしょうがない、というアイデアを出した本人であった。感動した。ということで、ドイツ人があまり賢いわけではないな、ということを確認したがっかりした日ではあったが、とても貴重なネットワークもつくることができた。ドイツくんだりまで来た甲斐があったといえるような日であった。

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都市は不死身なのか [都市デザイン]

 都市を人体のアナロジーとして捉えると、いろいろと興味深い思考実験が行える。しかし、もちろん都市と人体とは異なるので、そのアナロジーにあまり説得力のない場合もある。例えば、都市と人体はともに、あるときこの世界に誕生するが、人体は死を迎えるが、都市は死なない。もしくは、例えば戦争などで徹底的に破壊されることで「死んだ」と捉えるような状況になったとしても、その後、蘇生することが可能だということだ。と書いて、ふと気づく。それは、この都市が本当に「蘇生」したのかということへの疑問だ。それは、同じ地理的場所につくられているが、違う「都市」なのではないか。つまり、都市としては「別人格」なのではないか、ということだ。江戸時代の「江戸」と令和時代の「東京」とを必ずしも同じ都市として捉えないような考えである。
 アメリカ人では子供に親と同じ名前をつける習わしがある。同姓同名にするということだ。当然、名前だと区別がつかないので、親はシニア、子供はジュニアと呼ぶことで区別をつけることになる。ただ、同じ名前だが実際は違う人間だ。都市も同様のことが言えるのではないか。そのように考えるのはロシアのカリーニングラードやポーランドのブロツワフを思い描いているからだ。カリーニングラードはロシアよりドイツの都市であろう。ブロツワフは100年前は間違いなくドイツの都市であったが、それより昔まで遡るとポーランドの都市であったりしたので難しいところがあるが、その都市アイデンティティが必ずしも一貫したものではない。このような都市は日本にはほとんどなく、それが都市の不死身さを考えるうえで、ちょっと安易になってしまっているのかもしれない。
 私はカリーニングラードはある意味、死んでしまったように考えている。ブロツワフはちょっと難しい。まだ考察が必要だ。

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コミュニケーション・メデイアとしての建築 ー 「Architecture as Signs and Systems」を読んで [都市デザイン]

デニス・スコット・ブラウンのエッセイを読む(Architecture as Signs and Systems)。ロバート・ヴェンチューリのパートナーの建築家である。看板としての建築、コミュニケーション手段としての建築の意義を主張してきて、実際、そのような建築をいくつか手がけている。日本だと日光の霧降リゾートなどの設計に携わっている。ヴェンチューリもスコット・ブラウンも書いていることは興味深いのであるのだが、実際、つくる建築はとても今ひとつであると感じる。

景観規制をするうえで対象となるのは広告看板である。それは、その視覚的情報が鬱陶しいからである。私は渋谷とか新宿とかで走っている広告トラックを非常に苦々しい思いで見ているものであるが、それも視覚的情報(さらに聴覚的にも騒音をまき散らしている)が非常に不快であるからだ。特に風俗系の広告だったりすると、本当、不愉快になる。都市空間はコミュニケーションを促すメディアであるというのは指摘通りだと思うが、コミュニケーションは双方向であるから建設的なのだ。単一方向に一方的に受動を余儀なくされる情報はコミュニケーションではない。それを受け入れる人もいるかもしれないが、受け入れない人もいる。特に、ヴェンチューリやスコット・ブラウンの作品では安易にビルの機能を言葉で書いていたりする場合もあるが、それをした時点で建築の負けだと思ったりするのである。

見た目で何かが分かりにくい建築は問題かもしれないが、その判断をする余地をなくすようにするのは品がないと思う。金閣寺の屋根に「金閣寺」と書いたら品がないだろう。エッフェル塔に「Eiffel Tower」とネオンで書かないであろう。ラブホテルも「○○ラブホテル」と字で書いた時点で下品だろう。いや、もちろんヴェンチューリ達の建築作品もいちいち字を記さないものの方が多いが、何か浅薄なものを感じるのである。頭でっかち過ぎるのではないのだろうか。もっと感性とかで空間を捉えた方がいいのではないか、と思ったりした。建築にはコミュニケーション・メディアとしての機能より重要な役割があると思う。看板性ばかりを考えるから、いい空間をつくれていないのではないか、と思ったりもする。



Architecture as Signs and Systems: For a Mannerist Time (The William E. Massey Sr. Lectures in American Studies)

Architecture as Signs and Systems: For a Mannerist Time (The William E. Massey Sr. Lectures in American Studies)

  • 出版社/メーカー: Belknap Press: An Imprint of Harvard University Press
  • 発売日: 2004/12/17
  • メディア: ハードカバー



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ウッチで工場跡地の商業開発について考察した [都市デザイン]

ポーランドにウッチという都市がある。このウッチを以前、訪れて、ブログにアップしようと思っていたのだが忘れたので、今更ながらであるがアップさせてもらう。
ウッチは繊維工場で成長した都市であるが、その工場跡地を複合都市型レジャー施設に再開発したマニュファクチュラというプロジェクトがある。期待していったのだが、ちょっとがっかりした。建物を保全したところは評価したいが、その使い方は、あまりにも商業、商業していて、これだと都市の歴史はなかなか継承できない。まあ、しっかりと見てないので、あまり安直に判断するのは危険であるが、繊維工場があまりにも表層的に取り扱われている。もう少し、オーセンティシティのようなものを維持させることを意識したらよかったのにという印象を受ける。
対照的だったのは、ペトロカフスカ通りにあるオフ・ペトロカフスカという、やはり工場跡地をリニューアルしたところがあるのだが、ここの方がずっと好印象を受けた。それは、ぼろいところをぼろいままで放置したデザインをしているところであろう。綺麗に漂白させない。もちろん、このようなデザインでそこを訪れない人もいるだろうから、マニュファクチュラのアプローチが悪いという訳ではないし、普通のショッピング・センターよりはずっといいかなとは思うが、個人的にはオフ・ペトロカフスカのような開発をしてもらいたいと思う。
特にショッピング・センター的な開発はどうしても地元のお店ではなく、ナショナル・チェーン、インターナショナル・チェーンが入ってしまう。店舗でローカリティというか地域のアイデンティティを発現させるのが難しいので、その歴史というかオーセンティシティをもう少し、意識してもらえればよかったかなと思う。

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【マニュファクチュラ】

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【オフ・ペトロカフスカ】




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テンプリーンという町を訪れる [都市デザイン]

テンプリーンというブランデンブルク州の町を訪れた。住宅会社の人にも取材ができたので、このウェブに情報を共有させてもらう。
 テンプリーンはブランデンブルク州の北部に位置する。ベルリンから北に65キロメートルほど離れたところに位置する。17世紀の30年戦争で激しく町は破壊された。1816年からはプロシアの領土となった。テンプリーンは小さいながらも市壁を有しており、旧市街地に入るための3つの門塔がある。それ以外にも壁の外と結ぶ道路があるが、これらは壁を壊してつくられた。テンプリーンは近年、スパをつくり、観光が重要な産業になりつつある。年間の宿泊者は32万人とそれほど多くはないが、ベルリンからの人気の日帰り観光地となっている。それ以外の産業としては林業、金属加工業がある。
テンプリーンの人口は20世紀にはじわじわと増加して東西ドイツが統一された1990年には18884人になった。その後、人口は緩やかに減少し始め、2020年には15638人になっている。
テンプリーンは2007年にシュタットウンバウ・オスト・プログラムに指定された。それに合わせて「統合都市開発コンセプト2030」を策定し、そこでは5つのアクション・プログラムが記述されている。そのうちの一つ「都市開発・住宅・交通」に注目すると、そこでは歴史的旧市街地の重要性が強調されている。そこには「テンプリンは都心部を生活・仕事するうえでの活力のある中心として機能することに集中する」と書かれている。自治体としては社会流出を抑え、むしろ社会流入することを望んでいる。テンプリーンの縮小政策は、一部の減築とリヒエナー・通りの団地を積極的にリノベーションすることである。テンプリーンには市の住宅会社(WOBA)と住宅組合の住宅会社(WBG)がある。さらに、オープンスペースのリデザイン、空き家の減少、住宅団地をより田園風にロマンティックなデザインに変えるというものである。具体的には室内のレイアウトの変更、新たなバルコニーの設置などを行った。特にペンキに関しては、ペンキ屋が頑張ったこともあり、他の都市と差別化されるようなペンキで住宅が塗られている。シュタットウンバウ・オスト・プログラムが終了した2018年以降は、住宅会社が独自の判断で縮小対策を行っている。
 テンプリーンでは住宅団地の住宅の全倒壊の計画もされたが、結果せずに、基本、減築で対応した。これは、それほどは人口減少を体験しなかったということが要因としては大きい。というのも、テンプリーンは社会増が見られ、周辺の市町村から人が移住してきたり、またベルリンに通勤したりする人もいる。空き家率の具体的な数字は、取材先の住宅会社もしっかりとした情報を提供してくれなかったので把握できなかったのだが、3%以下だとのことである。一方で、6階建ての建物でエレベーターが設置されていないものが多かったので、そういう点から減築をした。5階以上の建物に住みたい人がいなかった、ということもある。エレベーターを設置しなかったのは、エレベーターを設置するとランニング・コストが高くなってしまうから、という経営的な判断である。また、テンプリーンは田舎(田園)なので、6階建てのように住戸密度の高い建物を人々は欲してない。低層の方が需要はあるのと、減築の方が全倒壊して、新たにつくるよりかは安くて済むということで、減築の判断をしたそうである。また、家賃を考慮して、室内のレイアウトは変更した。販売するうえでの重要なポイントはバルコニーである。大体、これらの住宅団地の平均的なサイズは50㎡である。
 リノベーションの費用は最近、高騰しており、不動産の価格も20年前から二倍ほど増加している。労働賃金も材料価格も非常に高くなってしまっている。ただ、ブランデンブルク式といわれる古くて部屋も狭いものは、価格は上がらず、以前、低い家賃で借り手を探しているような状況になる。ブランデンブルク式には、オーブンがあったのだが、再統一後は、オーブンを取り外してセントラル・ヒーティングにしたそうだ。タイルなしの風呂場もつくったそうである。とはいえ、リノベーションをした1993年後から30年経ったため、フラットごとに対応しなくてはならないような状況になっている。
住宅会社が住宅の減築をするうえで、市役所の計画との調整をしなくてはいけないか、という質問に対しては、住宅組合の住宅会社に関しては勝手にできるとのこと。したがって、都市計画との関係性とかは特にない。ただし、市の住宅会社には委員会があるので、委員会を通さないといけないそうである。市役所の部署で一番、厳しいのは歴史建築物の部署であり、住宅組合の住宅会社もこの部署には許可を受けなくてはいけないそうだ。また、市の住宅会社も住宅組合の住宅会社も減築するうえでは市議会では審議が必要なようである。
 テンプリーンはシュタットウンバウ・オスト・プログラムにも指定され、INSEK(マスタープラン)では一度は住宅団地の完全撤去の計画も為されたのだが、結果、そのような対応はせずに減築で対応することになった例外的な事例である。これは、 ベルリンから近いことと、田園集落のような雰囲気があること、歴史的旧市街地があり、自然も豊かで、社会基盤もしっかりしているということで、人口減少はしつつも、それなりに都市への住宅需要があったので、人々のニーズのない5階以上の住宅団地を部分撤去することで対応できた、ということは指摘できよう。また、最近のコロナもテンプリーンには追い風であったそうである。人口が5万人以下で、それなりに魅力のある都市は、最近、人気を有しているそうである。ただ、それなりの都市サービスが必要で、病院、専門医がいることや、高校があることは条件であるそうだ。

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シュテンダールという縮小都市の住宅会社のトップに取材する [都市デザイン]

シュテンダールという都市がザクセン・アンハルト州の北東部にある。ベルリンとハノーファーを結ぶ鉄道路線の沿線にあり、何本に一本かは特急列車も停車する。ベルリンからは125キロメートルほど離れている。12世紀頃に都市はつくられ始め、13世紀にはこの地域の商業と貿易の中心となり、1300年には市壁をつくっている。1358年にはハンザ同盟に入るなど、豊かな歴史を有した都市である。
 この都市は東ドイツ時代に原子力発電所が計画され、そこで働く人のために二つのプラッテンバウテンの団地がつくられた。結局、原子力発電所はつくられないまま、東西ドイツの再統一を迎える訳であるが、それ以降、これらの団地は空き家が増えていったこともあり、そのうちの一つ、シュテンダール・スードはほぼ完全に倒壊する。一方のシュタットゼーも半分ぐらい戸数を減築・倒壊によって減らすのだが、シュテンダールの住宅会社(シュタットゼーの住宅の85%を所有)のトップに取材をすることができたので、ここに情報を共有させてもらう(備忘録も兼ねて)。
 シュタットゼーは1980年代まではイメージもよかった。しかし、東西ドイツが再統一された後はイメージが悪化し、誰もここに住んでいると言いたくなくなってしまった。ただし、動物園に隣接している南側のティア・ガーデンであれば住んでいると言ってもいい。そういうイメージが共有されるようになった。
前のトップは撤去する建物を選ぶ際に、空き家率の高さを判断基準とした。しかし、2008年から就任した現在のトップはロケーションを何よりも重視した。そうしたら、収益性は格段に向上した。そして、それは会社の判断ではなく、個人の考えに則った。市役所の都市計画的なビジョンも配慮しなかった。
 住宅会社を引き継いだ時、それは倒産の危機にあった。ある住宅会社が倒産すると、ドミノ倒しのように他の住宅会社も倒産する可能性があった。状況は非常に厳しく、緊急事態であった。銀行は外部の専門家に入ってもらって、状況を分析した。これは、銀行は住宅会社を信用しないから、第三者に財務分析などをしてもらいたかったからである。
 銀行は出資の条件として、個々のプロジェクトごとにROI(Return of Investment)がプラスになることを提示した。銀行の担当者とは年に一回、打ち合わせをすることにした。最初は緊張した打ち合わせだったが、最近では打ち解けてきている。
 現在のトップになってから、10年前の50万ユーロしかなかった会社の売上げが現在では700万ユーロにまで増えた。人口減少も収まってきており、ちょっと前までは2022年の人口は3万人を切るだろうと予測されていたが、現状は37000人を維持している。
 シュタットゼーはこんな状況であるが、ついでにほぼ完全に倒壊したシュテンダル・スードの話も聞いた。現在、この地区には市の住宅会社、住宅組合が所有する建物は一戸もない。すべて倒壊したからである。しかし、建物は数棟だけ残っている。これらの建物の所有者は誰なのか、と尋ねたら、トルコとアベルバイジャン、フランス、そしてベルリンの人が投資目的で出資しているそうだ。外国の投資家とは連絡が取れないらしい。ベルリンの人は連絡が取れているが、600万ユーロ支払ってもらったら撤退してもいいと言ってきている。これは、とても払える額ではない。税金はしっかりと払っているのだが、これは大した額ではないので、放っておいても大した損失にはならないのだ。住宅会社としては、シュテンダル・スードもそのうち再開発したいとは思っているそうだ。
また、シュテンダールは市の住宅会社と住宅組合による住宅会社があるが、この二つの会社では建物の倒壊の考えに相違点がみられる。市の住宅会社は市の政策のことを考えるし、住宅組合の会社は組合(住人)の利益を優先的に考える。具体的には市の住宅会社はロケーションを考え、組合の会社は住民のことを考える。
 状況的に一番、最悪のケースは空き家率が3割程度の建物だらけのような状況だ。空き家が集中していて空き家率が高いことは問題ではない。
 倒壊・減築に関しては、ダウンサイズはチャンスだと思わないと成功しない、と述べていた。これは興味深い指摘だ。縮小政策を実践するうえでも、前向きに攻撃的で取り組むことが重要ということか。躊躇があると失敗するのかもしれない。といいつつ、倒壊を止めたケースもある。シュタットゼーの西側は倒壊させるはずだったのに中止した。これは2010年から2012年は倒壊のためのお金を積極的に連邦政府のプログラムから取ろうとしていたが、人口減少のペースが弱くなってきたために、2013年に倒壊を止める判断をした。
 現在も倒壊・減築は行うことを考えるが、これはそうすることで周辺の地域の魅力を高める手段のために行う。地域の魅力を高め、人々に定住してもらうためにするのだ。
住宅会社としては、倒壊しても顧客は失いたくないので、そのまま、他の物件に引っ越してもらいたいと考えている。住民は街への帰属意識を有しているし、社会的関係性は維持したいと考えている。

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ミュンヘンの東にある二大都市再開発地区を視察する [都市デザイン]

ミュンヘンを探訪した。ミュンヘンで西部地区に展開する二大再開発地区を見学した。一つはテレジエンヘーエの西にある再開発で、もう一つはパケット・ポスト・アリアル地区にある再開発である。テレジエンヘーエの西にある再開発は、トレード・フェアが1998年までに開催されていた地区で、それが1998年に都市の東のリーム地区に移転した後にできた新たな土地にオフィス・商業・住居(1400戸数)のミックスド・ユースの都市空間をつくるものである。ドイツ交通博物館とその分館もこの地区に2003年、2006年に開業した。その規模は47ヘクタールだから巨大だ。しかし、ちょっと歩いただけだと空間のつくりは丁寧だなとは思ったが、その個性のようなものは感じられなかった。敢えて、個性をつくらないようにしているのかもしれないが。

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もう一つのパケット・ポスト・アリアル地区は、現在、まさに再開発が進展中で、目玉は巨大なホールのリノベーションとヘルツォーク&ド・ムーロンの二棟の高層ビルである。この高層ビルは110メートルの高さである。ミュンヘンの市街地はこれまで聖母教会の高さ(99メートル)を越える建物を建設してはいけない条例があったが、この条例は改変されたのであろうか。気になる。ちなみに、この条例があるので、99メートルを越える高さのBMWの本社ビルは市街地外に建てられている。まだ、ここは巨大なホールとそれを取り巻くような広大な駐車場という状況で、その将来像は想像もできないような状況ではあるが、中央駅の東の回廊は大きくその土地の性格が変わっていっている。

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エルベタワーの頓挫 [都市デザイン]

ハンブルクの都市再開発プロジェクトであり、ヨーロッパ最大の都市開発プロジェクトでもある「ハーフェン・シティ」の最後のプロジェクトはエルベタワーという標高233メートルの超高層ビルの建設であった。ドイツは超高層ビルどころか、高層ビルでさえ嫌うので、このプロジェクトの完成は空間的だけでなく時間的にもランドマークとなるようなプロジェクトであった。その工事は2021年に開始され、2025年に完成する予定であった。現在、100メートルぐらいのところまで工事が進捗したが、工事が中止になってしまった。これは、シグナ・プライム・エレクションという投資会社が支払期限に支払いを払えていないからだ。現時点(2024.01.15)でも問題は解決できていない。
 工事費は10億ユーロ。シグナ・プライム・エレクションはチロルの富豪ルネ・ベンコが所有している。ルネ・ベンコはドイツのデパート・チェーン、カール・シュタットやマンハッタンのクライスラー・ビルディングを所有している。
 さてさて、21世紀とともに始まったハンブルクのハーフェン・シティの都市再開発事業はその優れたデザイン、よく練られた事業計画など、ドイツの都市計画の秀逸さを見事に物語るプロジェクトであるが、最後の最後で雲行きが怪しくなっている。まあ、いつかは完成するだろうが、絶好調都市ハンブルクがハーフェン・シティのゴール直前で躓いてしまったという感じである。

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ハンブルク・アルトナ駅 [都市デザイン]

ハンブルクにアルトナ区がある。ハンブルクの観光地であるフィッシュ・マーケットはアルトナ区にある。また、ハンブルクの高級住宅地であるブランケネーゼもここアルトナ区に含まれる。人口は27万人である。このアルトナ区にはアルトナ駅というターミナル駅がある。なぜ、同じハンブルク市内に二つのターミナル駅があるのか。これは1640年から1864年までアルトナ区はデンマークの領土であり、アルトナ駅は1844年につくられたからである。ただ、この時のアルトナ駅は現在の駅の南300メートルのところにつくられていた。元の駅はアルトナの区役所として使われている。
 ドイツの領土になってから、すぐに中央駅との接続線が開通し、ここからベルリンなどにもいけるようになる。さらに1867年にはブランケネーゼ線(現在の1号線)も開通する。1898年にアルトナ駅は現在の場所に移動する。第二次世界大戦にオリジナルの駅舎は破壊されたが、その後、建て替えられた。これは、その後、一部の路線を地下化する際に建て替えられて、現在は存在しなし。現在の駅舎は1979年につくられたコンクリートのつまらない建物になってしまっている。
 このアルトナ駅だが、このターミナル駅機能をなくして、一駅北にあるディーブシュタイヒ駅中心に新たにターミナル駅をつくろうという計画がある。ドイツ鉄道が2014年に発表した。
この計画によって都市構造が大きく変わる。そして、現在の工業地区・商業地区であるディーブシュタイヒ駅周辺の土地利用も大きく変化させることになるであろう。その規模は75ヘクタールと相当大きい。これによって、ハンブルク市が慢性的に不足している住宅問題が多少は緩和されるのと、人口密度の高度化も期待できる。
そのため、ハンブルク市議会は新駅の周辺の調査を実施し、ここに商業と住宅がうまく調和して共存できるような都市づくりを目指すことにした。この計画は2021年に完成している。それと同時に、駅からそれほど離れていないところにホルステン・ビールの製造工場があったのだが、これが市の南のハーブルクに移転することで空き地となるために、ここも新しいミックスド・ユースの住宅地区をつくる計画が策定された。
 というように、ハンブルク・アルトナ駅周辺は今後、大きく変貌していくこととなる。20年後には同駅は特急列車も止まらない、というか走ることもない、ただの繁華街の駅というような形になるであろう。
 
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【現在のアルトナ駅(左側)】

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【昔のアルトナ駅。今は区役所】
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ベルリンの正月は前日の大晦日花火のゴミで溢れている [都市デザイン]

ベルリンの大晦日は花火が各地で打ち上げられる。結構、夜遅くまで花火の打ち上げる音がうるさい。また、しっかりと組織的に打ち上げられている花火もあるのだろうが、実際は、地元の人達が適当に打ち上げていることが分かった。
 さて、しかし、この花火を打ち上げた後に生じるゴミをどうも私の家のそばの人達は片付けないようで、歩道やちょっとした広場的なところには、この花火のゴミが散乱している。相当、汚い。正月早々、このゴミを見るのは日本人的には抵抗がある。日本でも花火をした後に生じるゴミは片付けると思う。これは、しかし、放っておいて誰かが片付けるのであろうか。
 花火を大晦日の夜に打ち上げるのはすればいいと思う。何も反対しない。むしろ、新年を祝おうという気持ちを盛り上げるのはいいことだとさえ思う。しかし、それでゴミを出して迷惑をかけるのであれば別である。私は外国人という立場で暮らしているのと、新年を体験するのは今年だけなので、積極的に状況を改善しようとは思わないが、なんかだらしがない。ドイツはごみ問題の対応で先進国だとか言う日本人は、もう随分と前から(このブログでも10年ぐらい前から)間違っているのではないか、と言ってきたが、まさにそれを再確認する。嬉しくないけど。

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コペンハーゲンにはトラムが走っていない [都市デザイン]

コペンハーゲンには比較的頻繁に来ているかと思う。10回は来ている。最初に来たのは、アーバン・デザイナーであるヤン・ゲールに取材するためだ。まだ日本でヤン・ゲールが有名になる前のことである。ただ、その時はアポが取れたものの直前にキャンセルされたので、彼に会えず(その後三回ほど会うことになる)、しかし、航空券をキャンセルするのが嫌だったのでそれでも行って、ストロイエを見に行ったことがある。これが2007年のことだと思う。市街地をどう動いたかをあまり覚えてないのだが、勝手にクリスチャニアにはトラムで行っていたようなイメージを抱いていた。しかし、時期的に考えると出来て、それほど間もない地下鉄で行っていたようだ。随分と適当な記憶である。
 コペンハーゲンには昔、トラムが走っていた。開通したのは1863年と日本の路面電車より前、というか江戸時代である。そして1972年に廃線となる。日本の都市などは東京がそうだが、路面電車を廃止した後、地下鉄で代替するというアプローチを取るが、コペンハーゲンが地下鉄を整備するのは30年経った2002年である。それから、現在まで4路線ほど整備している。 
 モビリティを強く意識しているコペンハーゲンでトラムがないのは意外な事実だったが、これはコペンハーゲン市もそう思っているらしく、2025年に開業予定のトラムを整備中である。しかし、通常の都心部のアクセスを提供するような役割を担う訳ではなく、コペンハーゲンの北にある郊外のLundtofte駅と西にある郊外のIshøj駅とを結び、コペンハーゲンの市境を走るような、むしろコペンハーゲン市内をバイパスするようなルートとなっている。
 


 

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カールスルーエ・モデル [都市デザイン]

カールスルーエ・モデルはトラムと郊外電車を共同運行するようにしたシステムで、東京や大阪で私鉄・国鉄が地下鉄と乗り入れをしているようなシステムであるが、トラムという路面電車と郊外電車との乗り入れというところが画期的である。そんなことは広島電鉄でもしているではないか、と言う指摘はあるが、同じ企業体である広島電鉄と違って、直流・交流、法律、運営主体の違いなどを克服して実現されたこと、さらにはそれによって市域を越えたバスとも一体化した広域の公共交通ネットワークを構築できたことが、なかなか画期的なことと評価されている。私も、トラムと郊外電車のいいとこ取りのシステムで、人口密度の高い都心部では小回りが利くトラムのメリットを活かし、人口密度の低い郊外部では郊外電車の高スピードと移動の快適性を活かす、というなかなか優れたシステムであると思う。人口30万人をわずかに越える都市で、これだけのモビリティを確保できていることは大いに感心する。ただ、公共交通事業としては大赤字だろうから(というか、公共交通で赤字事業じゃないところが日本以外であったら本当に紹介してもらいたい。アジアにはあるかもしれないが、欧米では皆無である)、公共交通の赤字を受け入れられないという世界的には希有な日本においては、実現は不可能であろう。だから、多くの日本の役人とかが視察に来ているがほとんど実は無駄な視察となる。
それはともかくとして、このカールスルーエ・モデル、なかなか複雑でよく分からない。いろいろと論文や運営会社のホームページを読んだりしても理解ができない。これは、私が理解力に欠けているから、ということもあるかもしれないが、複雑だと思う。そこで、カールスルーエに来て、このトラム・トレインを乗り回して、理解を深めるようにした。また、この視察をして疑問を感じた点は、できればカールスルーエの交通会社に頑張ってアポでもいれて明らかにしたいと考えている。
さて、分かってきたのはカールスルーエ・モデルと一言で言っても、それは幾つかのシステムが重ね合わされており、決して、完全に統一されたシステムではないことである。そこにはトラム・ネットワークと郊外鉄道(Sバーン)・ネットワーク、さらにはカールスルーエ市が取得したアルバタール鉄道という地方鉄道のネットワーク、それにドイチェ・バーンのネットワークもちょっと前までは加わっていた。ドイチェ・バーンのネットワークはもう外れたので考慮に入れなくてもいいが、このトラムとSバーン・ネットワークのシステムの重なりは留意しなくてはならない。というのも、それらのシステムが合体して、大きなシステムをつくっているというよりかは、それはトラム・トレイン(カールスルーエ・モデル)とトラムという二つのシステムによって構成されていると考えるべきだからだ。ここでトラムは基本、Straßenbahn と訳されており、車両数も少なく、低床である。
それに比してトラム・トレインは車両も場合によっては6車両も連結されており、どちらかというともうトラムというより郊外鉄道線にむしろ近いくらいである。しかし、都心部に入るとトラムと同じ軌道を共有する。したがって、郊外鉄道線がトラム路線を走っていると考えるのが妥当だと思われる。というのも郊外鉄道の車両がトラム路線を走っている訳ではなく、郊外鉄道を走ることのできるようにトラム車両を改良した路線が、システム上を走っているというイメージだからだ。そして、トラム・トレインの車両は相当、立派なので、一部のトラム路線は走れないようにも思われる。曲率半径が短すぎると厳しいのではないだろうか。いや、これは確認が必要であるが。
そして、このトラムと郊外鉄道とをどのように結ぶかであるが、線路を新設している。例えば西部にあるヴォース市と結ぶ路線(S5線)は、カールスルーエの市域内のラインバーグ・シュトラッセ駅までは既存のトラム路線が走っているが、そこから先は新しく線路を敷設し、郊外鉄道(ドイツ鉄道の線路)と接続できるようにしている。
一方、東北部とを結ぶS4線は、ドイツ鉄道のデューラッハ駅を過ぎて、それまではここが終点(というのも転回用の線路が残っている)で、その先はおそらく新規で路線を敷設していると思われるのだが、しばらくはずっとドイツ鉄道とは別のトラム・ライン専用の軌道を走っている。そして、この路線をつくった時に新たにいくつかの駅も新設していると推察される。ダーラッハ駅から2駅目のグロッツィエン駅でドイツ鉄道(郊外鉄道)の線路と平行に走り始め、3駅目のグロッツィエン・ウーバーシュトラッセで東北部に向かうS4線とそのまま東に向かうS5線とが分岐する。ここからは、なんと複線が単線になる。ここからは、郊外鉄道の路線と合流し、しばらく行くと再び複線となる。ここらへんは丘陵地の美しい森の中を走って行く。ベルリンのように丘陵のないところから来ると、丘の緑が目に優しい。この路線はそのままハイルブロンまで行く。ハイルブロンに行くと驚くことに、その都心部までドイツ鉄道と分岐してトラムとして走行する。これは、なんと新たにトラム路線を新設したものだそうだ。ハイルブロンは、以前はトラムが走っていたが戦後、すぐに廃線にしている。それを何と21世紀になって復活させたのである。
南部はS7線が走っているが、これは中央駅からアルブタール鉄道のカールスルーエ駅を経由して、トラム・トレインの路線を走り、ラスタット駅で再びドイツ鉄道と合流する。トラム・トレインはドイツ鉄道と同じ路線を走っていても、こまめに駅を新たに整備したりしているので、利便性は大きく向上している。
これまでカールスルーエには何回か来たこともあり、実際、話も聞いたりしたことがあったのだが、なかなか頭ではしっくりとこないことが多かった。公共交通を調査するうえでは、とりあえず乗って経験する、というのは私が尊敬する中村文彦先生の研究アプローチであるが、実際、乗って分かることは多い。というか、乗ることによって疑問も多く、出てくる。今回、初めて強い問題意識を持って訪れ、実際、乗車して見えてきたことがたくさんある。「書を捨て、町に出よ」というのは、公共交通研究者にとっては不可欠な姿勢であるな、ということを、公共交通を必ずしも専門としない私だが思った次第である。

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カールスルーエは訪れるたびに都市の魅力が増しているように思われる [都市デザイン]

カールスルーエはドイツのバーデン・ビュッテンベルグ州第三の都市で、その人口は30万人をちょっと越えるぐらいである(2022年)。ドイツの都市としては歴史が浅い。カールスルーエは「カール」の「休息」という意味で、ここでいうカールとはバーデン・ドゥルラハ辺境伯であるカール3世ヴィルヘルムのことである。カール3世ヴィルヘルムは現在のドゥルラハ地区にお城があったが、17世紀末にフランスとの戦争で徹底的に破壊され、新たにドゥルラハ地区より西5キロメートルにある現在地に城を建てることにした。城の建設が始まったのは1715年である。カールスルーエは、このお城を中心に道路が放射状に伸びていくという極めて特徴的な空間構造をしており、同州の第二の都市であるマンハイムとともにドイツのバロック都市として知られる。

歴史が浅い都市だと、そのアイデンティティづくりにいろいろと苦労しなくてはならないのだが、カールスルーエの場合は、いきなり王宮都市としてつくられたので、もうその時点で強力なアイデンティティを有していることになる。王宮から放射状に道路が整備されている都市構造といい、そのユニークさはドイツ屈指である。というか、それ以上のブランディングも特に必要としない。そういう点では恵まれた都市である。

カールスルーエはまたモビリティの優れた都市としても知られている。カールスルーエ・モデルというトラムと郊外鉄道を一体的に運行するシステムは、世界初の試み(直流と交流の両方の電流に対応した車両、二つの異なる法体系に対応した車両や施設)として内外に知られる。カールスルーエ・モデルに関しては、なかなか複雑なので、また機会が設けられたら別途、このブログでも紹介したいと思う。カールスルーエは、このようなシステムだけでなく、最近では都心部において、このトラムの軌道を地下化し、それまでのトランジット・モールをオール歩行者空間にしたり、さらには自転車利用促進にも力を入れており、それまでミュンスターと自転車首都の看板を競っていたエアランゲンを自転車利用率で抜いた。その割には、あまり自転車専用道路などを見ないが、トラムに自転車を持ち込む人が多いので、そういったデュアル・モードでの移動をしている人が多いのかもしれない。

カールスルーエは現在(2023年11月)、都心部の歩行アメニティを改善するのに力を入れている。来るたびにカールスルーエは、よりよくなっているという印象を受けるのだが、この都心部のリ・デザイン事業が終わったら、さらに魅力的な都市へと変貌しているであろう。明日が今日よりもよくなる。これこそが都市政策が満たすべき重要な要件であると思うが、日本ではそのような希望がなかなか持ちにくくなっている。この問題点をしっかりと検討すべきであろう(と書きつつ、大阪の難波駅周辺のリ・デザイン事業のように驚くほど素晴らしい事業もあるので、全然駄目だとは思っていません)。

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ドイツの自転車都市エアランゲンに行き、ちょっと失望する [都市デザイン]

ドイツはデンマークやオランダに比べると、ちょっと今ひとつではあるが、自転車政策に力を入れている国であるかな、と思う。私が現在、住んでいるベルリンでも自転車専用レーンを2030年までに3000キロメートル整備するという計画を掲げている。とはいえ、年に60キロメートルぐらいしか整備できていないので、到底、無理だろうとの声も聞こえるが。
 それはともかくとして、ドイツを代表する自転車都市としては、一般的にミュンスターとエアランゲンが知られている。ミュンスターの自転車利用状況に関しては、このブログでも記述したことがある(https://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2009-08-28)のだが、城壁跡地を自転車専用道路にしたり、駅前に駐輪場を兼ねる自転車修理センター、レンタル・センターなども設置したりして、なかなか自転車都市の看板に偽りなし、といった好印象を抱いていた。
 そこで、このミュンスターと並び称されることが多いエアランゲン(日本でも結構、紹介されている)なので、大きな期待を抱いて訪れたのだが、それはちょっと失望に変わった。もちろん、駅前を中心にちょこっと歩いただけなので、誤解をしているところもあるかもしれない。あくまでも駅前周辺を見ての印象ということで、最初にお断りをさせていただきたい。
 まず、エアランゲンはそれほど大きな都市ではない。自治体の人口は11万7000人ぐらいである。アメリカだとコロラド州のボルダー市、ドイツだとコットブス市と同じぐらいの規模である。また、ミュンスターやアメリカのデービスのような自転車都市と同じように大学都市である。
 自転車都市としての歩みは1970年代から始まっているので、おそらくデンマークのようにオイル・ショックが契機となっている可能性が高い。当時のハールヴェグ市長が推進役となって歩道に自転車専用レーンを設置するようにしたそうである。
 ただ、私はあくまで駅前周辺しか歩かなかったのでこの自転車専用レーンを確認することはできなかった。代わりに目にしたのは、駅前に放置されていた大量の自転車である。駐輪場はしっかりと整備がされているのだが、それだけでは収容しきれていないようである。ただ、駅前にこれだけ自転車が駐輪されているのは、サイクル・アンド・ライドといった自転車と公共交通を連携した移動が一般的にされているということで、それはそれで優れていることかな、と思ったりもする。
 実際、自転車の利用者は多く、全交通における自転車の分担率は23%、市内に限れば34%にも達する。ミュンスターは通勤交通では、全体でも47%に達するので、そういう意味ではドイツの自転車都市の冠はミュンスターのものかなと思ったりもするが、ただ23%と言う数字は相当、高いことは確かだ。
 そして、私は確認することはできなかったが、エアランゲンには自転車専用レーンは確かに整備されており、現時点で10の通りにある整備されているようだ。ただ、駅前へアクセスする道路で整備されているものは皆無であった。あまり利用されているところでは整備できていないような印象も受ける。
 ということで、30分ぐらいの滞在時間しかないのにいい加減なことを言うのは憚られるが、自転車都市エアランゲンというのは、自転車利用者が多いということであって、政策的に優れたことをした結果とはあまり関係がないのかな、との印象を受けた。まあ、この印象が事実とズレている可能性は決して低くないが、もし、そのような事実が判明されたら、またこのブログにて記したいと思う。

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【エアランゲン中央駅前に放置されたままになっている自転車。これは万国共通的に美しい景観とはいえない・・・これに関してはミュンスターが駅前に地下駐輪場を設けたのとは異なっている】

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【一応、駅にはいくつかの駐輪場が整備されているが、需要の方が多いようだ】

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【駅に向かう道に自転車専用レーンは見つけられなかった・・・ミュンスターだけでなくフライブルクや他のドイツの都市でも、ここらへんはもっと整備されているように思われる】

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日本の農村はなぜ美しくないのか? [都市デザイン]

日本の農村が美しくない、ということで農林水産省はどうやったら美しい農村景観がつくれるかの政策を検討するうえで、なぜヨーロッパの農村が美しいのか、などの研究などをしていたそうだ。その話を聞いて、確かに日本の農村は美しくないよな、と思ったりもしたが、日本の農村景観は20世紀半ばぐらいまでは、世界でも最も美しい農村景観を有していた。それは、1964年にイギリスのランドスケープ・アーキテクトであるジェフリー・ジェリコーとスーザン・ジェリコーが著した『ランドスケープ・オブ・マン(Landscape of Man)』の写真を見ると明らかである(この本に関しては、このブログでも以前、簡単に書評らしきものを記している。https://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2010-01-02)。この本は世界中の人がつくりあげたランドスケープを解説している素晴らしい大著であるのだが、世界中の農村景観の中でも最も私が、その美しさから感銘を覚えたのはなんと日本の農村景観である。
 つまり、日本の農村景観は、そもそもは美しかったのである。それを、戦後の経済成長下で醜悪にさせてしまったのであって、元々はヨーロッパの農村と比べてもまったく遜色がなかったのである。したがって、ヨーロッパの農村を研究することには、それなりに意味はあると思うが、ヨーロッパの農村の美しさの構成要素などを研究するのは、日本の農村を美しくするうえでは意味はないと思う。というよりかは、日本の農村がなぜ醜悪になったのか、なぜヨーロッパの農村は醜悪にならなかったのか、その背景となった政策や社会動向変化を比較研究することが重要なのではないか、と思うのである。
 基本、日本の農村を醜悪にさせたのは、公共施設や道路である。特に道路の問題は深刻だ。下にイギリス、ドイツ、日本の農村景観の道路の写真をアップするが、どうみても日本の農村の道路はオーバースペックで周囲と合わない。もちろん、日本でも大内宿などは道路からアスファルトを剥がして周囲の景観と合わせているので、日本人がそういうのに無関心ではないことは明らかだ。ただ、そういう工夫が大内宿などの特殊ケースに留まっているのが、欧州の農村などとの大きな違いであろう。日本の農村は美しくないのではなく、美しかったのを醜悪にしたのである。それは、昔の姿に戻した大内宿がその美しさを復活させたことからも明らかであろう。その点をしっかりと認識してもらい、間違っても、ヨーロッパ風の農村をつくるような愚を犯してほしくないものである。農村の美しさは、その風土の美しさである。風土をしっかりと理解することが、美しい農村をつくるうえでの最重要事項であると思われる。

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【ドイツ:バイエルン州南部の道路】

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【イギリス:ホーリーヘッドの道路】

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【日本:群馬県の上野村の道路】

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【日本:福島県の大内宿の道路(街並み)】
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ポーランドの地方都市の公園で公共が提供しているワイファイ・サービスに接続する [都市デザイン]

ウッチというポーランドの地方都市に来ている。ちょっと歩き疲れたので、公園で休み、もしかしてネットに接続できるようなカフェがあるかなと検索したら、ウッチ・ワイファイというどうも市が提供しているサーバーに接続できた。凄いなあ、なんでそういうサービスを提供してくれるんだろう。これは、もはやワイファイは公共財という理解があるからだろうな。でも、助かった。日本でももっと積極的に公共空間でネットに接続できるようにするといいと思う。

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埼玉県の「子どもだけで留守番禁止」条例改正案からみる、議員の馬鹿さ加減 [都市デザイン]

埼玉県が「子どもだけで留守番禁止」などを含む虐待禁止条例改正案を出したが、県知事宛に送られた1007件の意見のうち、1005件が反対であったなどの猛反発を受けて、それを取り下げた。この改正案では次のことがらを虐待としている。「子どもだけで公園で遊ばせる」「子どもだけでおつかいに行かせる」「高校生のきょうだいに子どもを預けて外出する」。ちなみに、ここで子どもと定義されているのは小学校3年生以下である。
 これらがなぜ、虐待であるかが分からない。「子どもだけで公園で遊ぶ」、というのは私の子ども時代の素晴らしいよい思い出である。缶蹴りとか鬼ごっことか、似たような年齢の子と公園で楽しんでいた。ここに親というか大人が入ってくると、随分と水を差されたような気分になったものである。そこでつくられたのは子どもだけの世界で、そこで私は随分と社会化されたと思う。ドラえもんでのび太やジャイアンが空き地で遊んでいるが、埼玉県の条例ができたら、ドラえもんの物語も成立しないな。
次の「子どもだけでおつかいに行かせる」というのも、素晴らしくワクワクした体験であった。いわゆる「初めてのおつかい」・・・私は家のそばのパン屋におそらく幼稚園の年長ぐらいの時に行ったと思うのだが、その時は「親から頼まれた」という事実に意気揚々として、無事に買い物が出来て褒められた時は、大いなる達成感を覚えた。こういうハードルを一つ一つクリアしていき、子どもは徐々に社会化していくのである。このような機会を政治家が奪うのはとんでもなくけしからんことだと強く思う。
 三番目の「高校生のきょうだいに子どもを預けて外出する」というのは、ちょっと何が悪いかは不明だが、アメリカなどでは高校生の一番のアルバイトはベイビー・シッターである。この条例ができたらベイビー・シッターも出来なくなってしまい、高校生が気軽にできるアルバイトがなくなる。あと、子どもは高校生ぐらいの準大人が大好きだ。これらのお兄さん、お姉さんから子どもが多くを学ぶというのは、例えば世田谷区のプレイ・パークなどをみても明らかである。これじゃあ、埼玉県じゃあプレイパークも出来ないな。
 このように上記の3点をみても、まったくもって子どもにとってマイナスな改正案であるが、実際、これらが施行されたら親、特に母親はたまったものじゃない。こんな条例が成立したら、まともに働けないし、子どもがさらに負担となる。子どもを産みたい気持ちをさらに削ぐような愚策である。少子化が問題となっている今、むしろ、母親(父親も含む)の負担を減らすような政策こそ進めなくてはいけないのに、まったく逆行している。
 このような改正案を出そうとしている議員が多い埼玉県は、とんでもない自治体だなと思うのと同時に、そもそも、なんでこんな改正案が出てきたのだろうか。
どうもそのきっかけは、「保育園バスなどの置き去り事故が相次いだ」ことを受けてだそうだが、そうであれば、なぜ置き去り事故が起きたのか、また置き去りについての罰則を強化させればいいだけである。なんで、そういう発想にならないのか。
 また、改正案は自民党県議団でプロジェクト・チームを設置しまとめたそうだが、この58人のうち女性は3人だけである。この団長の田村琢実というのが、どうも首謀者に近いようだが、彼には子どもはいない。そりゃ、そうだ。子どもがいたら、こんな改正案がおかしいことぐらいすぐ分かる。1971年のさいたま市生まれ、ということだから、1963年に池袋のそばで私がしたような子どもだけの公園遊び、みたいな経験には乏しかったのであろうか。こういう遊びは意外と都会の方ができたりするから。ベイビー・シッターのようなアルバイトも高校生時代にしてなかったのだろうな。
 ちなみに、私は小学校4年生からアメリカのロスアンジェルスで暮らしていたが、よく友達と一緒にお姉さんにベビーシッターをしてもらっていた。彼女には母親はアルバイト代を渡していたと思おう。4つぐらい上で、子供心になんかうれし恥ずかしいような気持ちになった。自分も中学校一年の時に、ベイビー・シッターのアルバイトをしていた。まあ、知り合いの子どもと一緒にテレビを見たり、トランプをしたりするようなものであったが。子供たちには慕われていたのと、小遣いが少しもらえたので嫌な体験ではなかった。もちろん、アメリカと日本では一緒に出来ないが、このプロジェクト・チームでは、アメリカでは子供たちで登下校をさせない、という発言があったそうなのでちょっと付け加えさせてもらった。また、アメリカでは子供たちだけで登下校する場合はある。私はロスアンジェルスの郊外というアメリカでも自動車化が進んでいるところに住んでいたけど、登下校は歩いてたし、友達もそうだった。友達が家まで迎えに来てくれていた。そして、そのような傾向は歩いて行ける範囲で住んでいる児童は今でもやっている。もちろん、当時でも自動車で送ってもらう子たちもいたけど、それが100%ではない。ただ、アメリカは治安が悪いので、私も結構な頻度でカツアゲ少年とは出会う。私も結構、会った。しかし、それをうまく回避するために知恵を使ったことはその後の人生で多少は約に立っているかとも思う。基本、学校と家の間を歩くと、道ばたの花とか木とかと親しめるし、周りの人たちも知ったりする。私が都市に興味を持たせてくれたのは、この時の経験が大きいと思う。本当、親が放っておいてくれて、そういう面では幸せであった。
 このように考えると、このプロジェクト・チームのメンバーは、おそらく相当、頭が悪いと思われる。つまり、何が欠けているかというと、問題(この場合は、置き去り事故)が起きたことを受けた後の背景・要因の分析、そして、それらを解決するために何をすればいいのかの政策論での検討、である。田村団長のコメントなどをみると、彼に欠けているのは、上記の分析・検討をするための頭脳だけでなく、周りの状況をしっかりと把握しようとする謙虚さ、であると思われる。ただ、彼はプーチンではない。彼は公正なる選挙で選ばれている県会議員である。そのように考えると、その責は埼玉県にある。ダサいの語源が埼玉であることを思い出すような改正案であった。まあ、却下されてよかった。これは、母親はもちろんであるが子どもにとっても、とてもよかった。というかジェイン・ジェイコブスの本とか、ヤン・ゲールの本とか、拙著(『若者のためのまちづくり』岩波書店)などを埼玉県民は読んで欲しい。


若者のためのまちづくり (岩波ジュニア新書)

若者のためのまちづくり (岩波ジュニア新書)

  • 作者: 服部 圭郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2013/08/22
  • メディア: 新書



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ポツダムを訪れる [都市デザイン]

ドイツに来て4回目の日曜日。起床すると雨だったので、これはどこにも行けないな、と思っていたのだが、お昼頃から雨が止み、晴天ではないが、そこそこ明るいのでポツダムに行く。ポツダムは住んでいるアパートからシャーロッテンブルク駅まで地下鉄に行き、そこからSバーンに乗れば一本で行ける。私は、ベルリンの市内公共交通のAB区間の一ヶ月チケットを持っているので無料で行けるかと思ったのだが、ポツダムはC区間であった。その手前のヴァナゼーまではB区間だったのでちょっと残念だ。ポツダムまでは片道3.80ユーロであった。電車は10分おきぐらいに来るのだが、通勤時間並みに混んでいた。みんな、日曜日は森にハイキングに行ったり、ポツダムに遊びに行ったりするのだということを知る。
 郊外鉄道であるSバーンはベルリンの郊外住宅地であるグリュネヴァルトを過ぎると広大な森の中を走って行く。アウトバーンが並行に走っていて、しばらく駅もない。これは、ちょっとしたグリーンベルトのようなものかもしれない。
 さて、ポツダムは極めて変わった都市である。というのも、ベルリンという大都市の郊外都市として位置づけられているにも関わらず、ブランデンブルク州の州都であるからだ。州都であるのに、隣にベルリン州があってベルリン市があるために、なんか存在感が薄い。ちなみにポツダム市の人口は18万人ぐらいで、ベルリンの10分の1にも満たない。そのくせ、ブランデンブルク州では人口が一番多いのだ(というか、ブランデンブルク州の都市、小さすぎないか)。さらにプロシアの都であり、王宮は世界遺産に指定されている。都市としての歴史も1000年以上あり、新参者のベルリンに比べると古参である。そういう意味では、むしろベルリンより格が高い。地理的にもまったく平坦な湿地跡につくったベルリンに比べると、多少、丘陵があったりして、そういう意味でも豊かである。
 ポツダムに訪れるのはおそらく4回目である。2006年と2011年に訪れた時の写真は、私の写真ストックにあるのだが、もう一回、雨の中、ブランデンブルク州の役所に取材に訪れた時がある。このときは、ベルリンから慌てて自動車で往復したのと、また、雨が降っていたので写真をまったく撮影しなかったように覚えている。さて、ポツダムはいいイメージがまったくない。東ドイツ時代に建てられた集合住宅のプラッテンバウがポツポツと建っていて都市のオリエンテーションも分かりにくく、なんか陰鬱なイメージを抱いていた。もちろん、サンスーシ宮殿は流石にゴージャスだとは思ったが、それ以外にはいいイメージがなかった。今回、中央駅に訪れて驚いたのは、おそらく10年以上ぶりということもあるかもしれないが、相当、改善されている、というか見違えるようによくなっていた。前回、訪れた時に工事中であったものが、結構、具体化されたという感じであろうか。特に聖ニコライ教会の周辺のアルト・マルクト辺りは見違えるようである。トラムも東ドイツ時代のものが随分とアップグレードされたようで、都市に彩りを与えている。
 思っていたより随分と興味深く、今回は偵察という感じであったが、これからもう少し、しっかりと調査をしたいと思わせられた。今ひとつであったものを、都市デザイン、都市計画の力で改善させていく。この点においては、ドイツは優れているとつくづく思っていたが、それを強烈に再確認させてくれたポツダム訪問であった。

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都市デザインは問題解決のための手段である [都市デザイン]

ドイツのベルリン工科大学の客員教授として10月途中から働いている。同僚は結構、無愛想で教員で私に親しく話しかけるのは、私を招待してくれた教員を除くと二人しかいない。二人ともベルリン出身ではなくて、ノルトラインヴェストファーレン州からベルリンに赴任してきている。偶然かもしれないし、そうでないかもしれない。そのうちの一人は、今年度(10月)から教員として講義を受け持つようになった若いドイツ女性である。金髪で碧眼の目をしているところはドイツ人っぽいが、一般的なドイツ女性らしく肩幅は広くなく、そういう点では柔らかい好印象を与える女性だ。その彼女が、ちょうど今日、初めての講義をしたらしくて、興奮していた。
 そこでいろいろと先輩面をして話したのだが、「学生は早くデザインをしたくてむずむずしているけど、私はいろいろと制度面を教えなくてはいけない。その重要さをどうやったら伝えたらいいのか難しい」というので、「都市デザインは都市を創造するのではなくて、都市の問題を解決することだというのを教え込むのが必要だと思うよ」と言ったら、納得して「今度、そう言ってみる」と嬉しそうにしていた。まあ、ここらへんはドイツ人も日本人も共通にみられる課題であるが、デザインというと、みな自分の創造性に任せて勝手に絵が描けると思っている場合が多いが、建築ではなく都市を対象とした場合、それはあくまでも問題解決のための手段にしか過ぎない(いや、本当は建築もそうなんですけどね)。つまり、何が問題であるかを調査し、その問題点をしっかりと分析し、その解決手法をデザインする、という3段階の能力が必要なのだ。ここらへんは学生だけでなく、日本だと政治家とかも分かってなかったりするので、それは、自分のような人間の発信力が不足しているからだと責任を感じたりもする。
 まあ、今日は年寄りの客員教授として、少しは貢献できたかなと思ったりもしている。

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ベルリンの都市イメージと実態との乖離 [都市デザイン]

日本から知人がベルリンに訪れてくれた。それでベルリン観光に出かける。ルートは連邦国会議事堂、ブランデンブルク門、ホロコースト記念碑、ポツダム広場、アレキサンダー広場(テレビ塔)、ハッケシェ・ヘーフェ、そしてビアガーデンである。さて、この知人は初めてベルリンを訪れたのだが、特にテレビ塔からの景色をみて、イメージと全然違う、という。イメージと違って、高い建物がない、そして小さい、さらに緑が多いという。
確かに知人の指摘のようにベルリンにはドイツの首都、ドイツ最大都市としての風格のようなものがちょっと欠けていると思う。まあ、基本プロシア王国の首都だし、第二次世界大戦で結構、爆撃で壊されているし、戦後から45年間は東ベルリン、西ベルリンと分断されていたので、120万人の都市と210万人が合併して300万以上に膨れ上がっただけなので、もともとの都市集積はそもそもそれほど大きくない。市町村合併して、統計上は人口が増えても、その人口規模に見合う都市の魅力がなかなか伴わない日本の都市(例えばいわき市、高山市、仙台市)などと同じような状況にあるのではと推察される。加えて、大都市圏でみてもポツダムぐらいしかある程度の人口を擁する都市がない。大都市圏だとドイツ国内では、ルール都市圏の方が遥かに人口規模は大きかったりする(ただ、ルール都市圏も個々の都市は小さいので、いわゆるメトロポリタン的な魅力には欠いている)。
ということで、この統計数字に比べてベルリンの都市的魅力が欠いていることを、この知人の発言を踏まえて改めて確認したわけである。

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ブロツワフに行く [都市デザイン]

日曜日と月曜日にかけて隣国のブロツワフにまで行く。ブロツワフはポーランドの南西に位置し、人口67万人(2022年)のシレシア地方の中心都市であり、大都市圏だと100万人を越える。それは、オーデル川沿いに位置している。歴史的にブロツワフはシレシアの首都であり、都市としては1000年以上の歴史を有する。ベルリンなどよりもずっと古い。ただ、国は頻繁に変わり、ポーランド王国、ボヘミア王国、ハンガリー、ハプスブルク家、プロシア、そしてドイツと変遷した。そして1945年にはポーランドに属することになる。
ブロツワフは大学都市でもあり、学生数は13万人を越える。これはほぼ人口の2割だ。ブロツワフ大学はこれまでに9人のノーベル文学賞を輩出しており、その教育レベルの高さで知られている。ブロツワフは多くの歴史的ランドマークを擁しており、中央市場広場、ブロツワフ・オペラ座、大聖堂島、国立博物館、100周年ホールなどである。100周年ホールは世界遺産に指定されている。2016年には欧州文化首都にも選定されている。
歴史的には13世紀中頃にモンゴルの侵攻を受け、相当の破壊を被るが、モンゴルが去った後は、徐々にドイツ人が住むようになる。そして、13世紀以降はポーランドの重要な都市であるにも関わらず、ドイツの都市法が適用されるようになる。そして、1335年に350年間に及んだポーランド王国の同市における覇権は失われ、神聖ローマ帝国に属することになる。1387年にはハンザ同盟に所属する。15世紀にはハンガリー帝国に属することになり、1526年からはハプスブルク家の支配に入る。30年戦争ではスウェーデンとザクソンの支配下になる。1740年からはプロシアの支配下になり、反ナポレオン運動の中心都市となる。19世紀にはポーランドの独立運動の重要な拠点の一つとして位置づけられる。1871年にドイツ帝国が発足した時、ブロツワフは帝国内で6番目に大きな都市であった。1900年には既に42万人の人口を擁していたのである。当時の人口のうち98%がドイツ語をしゃべり、ポーランド語はわずか1.3%、残りの0.7%がバイリンガルであった。第二次世界大戦では、ドイツ側の極めて重要な防衛拠点となり、ソ連との激しい戦いの場となった。ドイツの大都市では、最後まで降伏しなかった都市で、結果、市街地の半分以上が破壊され、市民の死者数は8万人にも及んだ。そして、第二次世界大戦後のヤルタ会談で、再び、ブロツワフはポーランド領となることが決まり、本日に至る。
いやあ、なんか日本では信じられないような都市の話である。こうなると、もはや都市のアイデンティティの方が遥かに国のアイデンティティより重要となるであろう。というか、国のアイデンティティって何?みたいなことを強く考えさせられる。歴史に蹂躙された、と言えばそうなのだろうけど、それでも都市はずっと存続していく。都市としての独立性、自立性を強く考えさせられる都市だ。
さて、ベルリンからブロツワフには一日に一本だけ、直行便の特急列車が走っている。これはプシェミシルというウクライナ国境の町が終点の列車で、途中、クラカウやカトヴィッツなども通る。なかなか旅情溢れるが4時間以上かかるので、結構、退屈だ。ただ、ワイファイが通じるのでユーチューブで時間を潰すことができた。
ブロツワフ駅は、なんかアートヌーヴォー風の変わった意匠の駅である。市場広場はめちゃくちゃ規模が大きく、真ん中に市庁舎や建物が建っている。これは修復中であったがポツナンも同じような感じであった。ここらへんのスタイルなのであろうか。とはいえ、隣国のザクセンとかの広場とは違う。まあ、勉強不足なので適当なことは言えないが、ちょっとドイツ感はそれほどしない。ゲーリッツやコットブスなどとは共通点を感じるが。まあ、ここらへんはもう少し、勉強してから意見を述べたいと思う。
ホテルは95ユーロのところを予約したら、めちゃくちゃハイグレードであった。ドイツだと、もう100ユーロ以下はくそホテルという印象だったのだが、ここらへんは物価の違いを感じる。もう少し、安いホテルを予約しておけばよかったと反省する。

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<ブロツワフの素晴らしい市場広場>
タグ:ブロツワフ
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ポツナンの都市ノード [都市デザイン]

ポーランドのポツナンを訪れ、トラムの一日券を買って乗り回している。都市の実態を知るには安上がりで手っ取り早いと思ったからだ。さて、7号線というほぼ環状線のようなルートの路線に乗っていたのだが、気づいたのはラウンドアバウトがトラムにとっても重要な結節点というかノードになっているということだ。ノードは『都市のイメージ』を著したケビン・リンチも人々が都市をイメージするうえで重要な役割を担っていると指摘しているが、このノードはポツナンでは、おそらくランドアバウトになっているのではないかと推察する。実際、トラムは大通りと並行して走っている場合が多いので、ランドアバウトが乗換駅にもなるからだ。実際、ここの住民にポツナンのイメージ・マップを描いてもらったら、ラウンドアバウトを描写する人が多いような気がする。

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<ポツナン市東部にあるラウンドアバウト>
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ベルリンの公共交通事情(鉄道) [都市デザイン]

ベルリンは公共交通が相当、優れていると思う。まず、ネットワークが相当、細やかなのと駅間の距離が短いので、都心内であれば、どこでもほぼ地下鉄と鉄道で行くことができる。私は郊外というか近郊に住んでいるが、ここもしっかりと地下鉄駅が徒歩3分ぐらいのところにあるので非常に便利だ。さらに、運行頻度がよい。日中であれば4〜5分間隔で走っているので、ほとんど待つことでストレスを感じることはない。京都の京阪電鉄はもちろん、市営地下鉄よりも断然、便利である。駅間距離が短いので東京よりも使い勝手がよいかもしれない(スピードはその分、遅いがこれは都市規模がずっと小さいのでそれほどの問題とはならない)。このようなサービスが提供できるのは、採算度外視で赤字運営を前提としているからだ。とはいえ、それでも、料金は高い。初乗りが3.20ユーロである。大体500円ぐらいであろうか。これは円安といった問題もあるが、日本の初乗りに比べると相当、高く、一日4回ぐらい乗るともう2000円ぐらいになってしまう。これは堪らない、ということで一月チケットを購入した。これだと、ベルリンのAB地域(ほぼベルリン市の中心から近郊部)であれば、一ヶ月間どれだけ乗っても大丈夫だ。この料金が91ユーロ。大学での通学で一日あたり最低限6.40ユーロは支出するので、15日間大学に行けば元が取れる。結構、お得だし、何しろ、券売機でいちいちチケットを購入する手間が省けるのが何より、有り難い。ドイツの券売機はお札を受け入れなかったり、受け入れる機械でも5ユーロ札と10ユーロ札としか受け付けなかったりなどといろいろと不便だからである。あと、一度、購入すると、元を取ろうと公共交通を使うことになるので、出不精になるのを防ぐというような隠れた効果も期待できる。

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日本の市民参加はアメリカのそれより進んでいる?? [都市デザイン]

アメリカの市民参加をヘンリー・サノフとともに、広く一般化することに貢献したランディ・ヘスターの講演を東北大学で聴く。彼が日本や台湾と関心をもったきっかけは、1990年代にはアメリカの市民参加はほとんど制度側がコントロールをしていたのに対して、日本や台湾の方がずっと優れていたと感じたからだということを知る。そこで、彼は日本や台湾と一緒に市民参加の会議をすると、自分がいろいろと勉強できると感じたのである。つまり、これは、アメリカよりも日本や台湾の方が市民参加については1990年代には進んでいたということである。これは、なかなか衝撃的な意見であるが、以前も、伊藤滋先生(東大名誉教授)が、アメリカ人が日本に来たら、市民参加が民主主義的に行われているので驚いたのを知って、自分が驚いた、という話をしていたことを思い出させた。つまり、日本人はアメリカの市民参加という方法論を参考にしたのですが、本家がアリバイ的に使っていたのをくそ真面目に導入して、逆にしっかりした制度をつくってしまったのである。
 もちろん、これは一面的な見方である。市民参加という方法論をくそ真面目にやっている自治体もあるが、多くの場合はそれほどしっかりとされていない。特に、自治体規模やプロジェクト規模が大きくなれば、市民の声が全然、届かないのは神宮外苑の再開発のケースをみても明らかである。とはいえ、先進国から一生懸命、学んだと思ったら、そのオリジナルより上達してしまったというのはケーキやパン、自動車づくりだけではない。それじゃあ、なんでそれでまちづくりが上手くいかないのかというと、ボトムアップを政策に繋ぐチャンネルがないからだ。逆にいえば、いくら市民参加をしても、このチャンネルが不在であるので暖簾に腕押しになってしまっている。こういう勿体ない制度設計になっていることが、日本がなかなか袋小路を突破できない理由の一つかなと考えたりする。

タグ:市民参加
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