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フランクフルト・オーデルを訪れる [グローバルな問題]

ドイツとポーランドの国境にフランクフルトという都市がある。ヘッセン州にあるフランクフルトが有名だが、このフランクフルトはアム・マインが通常、つけられる。これは、マイン川のフランクフルトという意味で、ブランデンブルク州にあるフランクフルトと混在しないためである。ただ、普通、フランクフルトというと国際空港のあるフランクフルトを指す。しかし、ブランデンブルク州ではしっかりと区別した方がいい。というのは、ブランデンブルク州のフランクフルト、それなりの存在感を有しているからだ。
 ドイツが再統一した1990年の人口は86131人。その後、ご多分に漏れず、人口は減少し、2021年では56679人。とはいえ、この10年間の人口減少率は5%以下とそれほど悪くない。これは、ベルリンへの通勤圏としても位置づけられることや、トラムなども走っているため、モビリティはこの人口規模としては悪くないこと、さらに1999年1月1日より郡独立市として、行政上は郡と同格の地位を持つようになり、地方行政的には自由度が高くなっているなど、他地域に比べて優位な条件を有しているからであろう。
 ということで、前から興味があったのだが、これまで通過はしても訪れたことがなかった。それで日曜日の午後、私はドイツ鉄道の無料券を持っているので、ちょっと足を伸ばしてみた。
この都市で個人的に特筆したいことは、トラムがこの6万人弱の都市で走っているという、もう日本人的には驚きのことが起きていることだ。しかも、なんと3路線(これに+2路線が支線としてピーク時とかには走っている)もある。京都の地下鉄だって2路線なのに凄いことだ。その延長運行距離は19.5キロメートル。1898年につくられたということなので、モータリゼーション以前に整備された訳だが、今でも生き残っている。驚愕の状況だ。その運行主体はフランクフルト(オーデル)の交通公社で、これは現在、ベルリン・ブランデンブルク運輸連合に所属しているようだ。
 さて、ただ中央駅に着いてちょっとびっくりした。というのも、トラムの停留所が見当たらないからだ。後で知ったのだが、トラムの停留所はあるのだが、200メートルぐらい中央駅から離れている。この200メートルはちょっと離れすぎで、もったいない。おそらくだが、トラムの方が中央駅より先に出来たため、そのようなことになってしまったのかとも思うが、これは改善した方が絶対いい。人口6万人弱でトラムを運営しているのだ。少しでも乗客が増えるように出来ることはしたほうがいいだろう。
 あと街を歩いて発見したのは、非常に坂が多く、起伏があるということだ。もちろん、オーデル川が流れているので河岸段丘的に高低差ができるのは分かるが、川から多少、離れていても坂が多いのだ。こういう坂はベルリンにはほとんどないし、そもそもブランデンブルク州にも少ないのではないだろうか。これだけ坂があるとトラムは便利であろう。そういう地理的な特徴も、人口規模が少ない中、トラムの運営を可能にしているのかもしれない。
そして、人口減少都市においては、このようなトラムがあることはその減少に歯止めをかけるうえでは不可欠だと改めて思わさせられた。日本のように人口減少して、乗客が少なくなり、赤字が増えるとすぐに廃線にするようなことをしていたら、人口減少を加速化させるだけだ。もちろん、フライブルク・オーデルのトラムはド赤字であろう。しかし、このド赤字は公共的な事業であるから許されている。その代わり、このポーランドの国境都市がしっかりと維持できるのである。それは広域地域的にも国家的にも重要なことである。数日前に訪れたハイルブロンに次いで、このトラムの地方都市を維持させていく条件としての重要性を再確認した次第である。

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ベルリンのクリスマス・マーケット [ドイツ便り]

ドイツはクリスマス・マーケットの季節である。そこで、ベルリンのクリスマス・マーケットを訪れてみようと、ベルリン市のウェブサイトにてチェックをすると、なんとクリスマス・マーケットだらけであった。なんか、都市一つに一つのクリスマス・マーケットぐらいのイメージを抱いていたので、驚いた。ベルリンには全部で23区あるが、それらの区ごとにクリスマス・マーケットの数を整理すると次のようになる。
シャーロッテンブルク区に8つ、フリードリッヒシャイン区で5つ、ヘレスドルフ区で2つ、ホーヘンショーンハウゼン区では4つ、クロイツブルク区では5つ、ケッペニック区では6つ、リヒテンベルク区では4つ、マッツァーン区では3つ、ミッテ区では8つ、ノイケルン区では6つ、パンコー区では4つ、プレンツラウアー・ベルク区では3つ、ライニッケンドルフ区では5つ、ショーネンベルク区では3つ、シュパンダウ区では7つ、シュテグリッツ区では2つ、テンペルホフ区では3つ、ティアガーデン区では3つ、トレプトウ区では4つ、ヴェディング区では1つ、ヴァイシェンゼー区では2つ、ヴィルメルスドルフ区では6つ、そしてツェーレンドルフ区では6つ、である。
これは、ベルリン市で合計すると100箇所でクリスマス・マーケットが開催されているということだ。上記の100箇所の中には、これはクリスマス・マーケットというよりか、ただのクリスマス・イベントと呼ばれるようなものも含まれているので、実際、日本人とかがイメージするクリスマス・マーケットみたいなものはガクッと数は減るかとは思うが、それにしても凄い数である。あと、このように猫も杓子もクリスマス・マーケットを開催するようになったのは最近のことである。ベルリンの100箇所のクリスマス・マーケットでも今年から開催、というの、というのがあった。必ずしもどの都市でもクリスマス・マーケットが伝統行事、ということはないのである。
さて、そのようなベルリンのクリスマス・マーケットであるが、一番人気のあるのはゲンダーメンマルクトで開催されるものらしい。ただし、2022年から2024年までは広場が工事中なので、その変わり、そのそばにあるベベルプラッツで開催されている。80万人を一ヶ月で集客するという、これは30日で割ると、一日あたり2万5千人強を集客するという相当のイベントだ。さて、この広場はフンボルト大学の法学部の建物にあり、私はウンテル・デン・リンデンの地下鉄駅から歩いた。5分ぐらいである。
広場を上手に会場として使っているいい感じのクリスマス・マーケットであるが、中に入るのが有料であるというのが発覚した。2ユーロと全然、安く、これだけ安いというのはむしろ人数制限のためにやっているのか、と思ったりもしたが、流石に一人で2ユーロ払って、クリスマス・マーケットの中に入るのは躊躇されたので、外側から写真を撮影してそそくさと帰ることにした。というか、クリスマス・マーケット、基本的には公共空間を活用しているのであるから、それのアクセスをお金で制限するのは間違っている。ベルリン市とかは、そこらへんをどう考えているのかが気になる。

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日本大学アメフト部廃部に関して思うこと [教育論]

日本大学アメフト部が廃部になった。1940年に創部で「甲子園ボウル」で21度も優勝している強豪で名門である。このアメフト部の組織的な問題が表面化したのは2018年の関西学院大との定期戦で、日大の守備選手が相手のクォーターバックに悪質なタックルをして負傷させたのだが、そういう指示を監督(かコーチ?)がしたことが発覚したからだ。これは、大学の教員や事務員が学生に、道行く人を襲え、というようなものだ。
 これは、もう社会的にも非難を受けるような事件であったかと思う。しかし、それは悪質なタックルを守備選手に指示した監督(かコーチ?)が、アメフト界から追放され、そして大学からも解雇され、そして大学が社会に謝罪して、アメフト部を再生させてくれ、と頭を下げて、ある程度の罰(数試合の出場停止等)を受けることで、再起を図る、というような後処理がされていたのではないかと記憶している(いや、間違っているかもしれないが)。
 今回は一部員の大麻保持事件である。これはアメフト部にも問題があるかもしれないが、むしろ個人の問題であろう。この部員を退部(大麻事件であるから退学もすることになるだろう)させ、その監督責任者として監督がしっかりと状況を説明し、それを受けて大学は監督に責任があれば、それを処分するようなこともあるだろうが、そうでない場合もあるだろう。そして、アメフト部に改善するような余地がなければ廃部、という選択肢もあるだろうが、一部員の大麻事件を改善できないというようなことは想像できない。いや、アメフト部の寮で監督を始めとして大麻を栽培していて、それをアメフト部のOBとかのネットワークとかで売りさばいていたりしたら、まあ廃部ということも致し方ないかもしれないが、一部員の大麻保持で、クラブを廃部というのは、日本大学は大学のクラブを何と思っているのだろうか。
 いや、私は私立大学の教員をしているが、あまり体育会とかは好きではない。まあ、狭い了見なのだが、大学は勉強するところでスポーツをするところじゃないんじゃないか、と思っているところがあるからだ。ただ、最近はスポーツの教育的効果とかも高いな(いや、日大のタックル事件などがあると、むしろ低いというか、受けない方がいいとは思うが)と思ったりするので、それなりの意義はあるかな、と考えるようになっている。そして、体育会のネットワークとかは、社会に出た後、貴重な財産となるだろう。まあ、それなりに私立大学の体育会の意味もあるかな、と思うようになったりしているので、体育会に力を入れている大学にとっても、そのクラブのOBにとっても、そしてそのクラブ部員にとっても、さらにはそのようなクラブに入りたくて日々、頑張っている高校生にも、今回の廃部という判断は大きな裏切りであり、その判断には相当の覚悟がなくてはいけない、と思うのである。
 まあ、一方でいかにも林真理子的な判断だとは思う。相手の立場とかをあまり考えないで、自分の本音をどんどん書いていたら、そのスタイルが受けて、あれよあれよという間に一流作家の仲間入りをしてしまった。彼女の魅力はローン・ウルフ的なところであったかと思うが、そういうキャラは大学の理事長のように、いろいろな内部の関係者の立場を汲んで、調整をし、世間から大学をむしろ身を挺して守るようなことが求められる仕事には全く向いていない。彼女は日大の理事長としての、世間からの彼女のイメージを最優先するから、こういう日大の歴史にとっては汚点となるような判断も平気でやれるのであろう。というか、日大はリスク・マネジメント部があるだろう。私は林真理子を理事長に据えたという大学の判断はまったくリスク・マネジメントの能力に欠けていることの証左だと思うのである。よく、ここまで頓珍漢な人事を行えたものだ。
 いや、話が逸れたが、それにしても部員の大麻事件だけで廃部って、流石にちょっと、外部(例えば文科省)が強制的にするならまだ分かるが、内部での判断って、唐突というか酷すぎるのではないだろうか。
 というか、これが理由で廃部にするのであれば、アメリカの大学のアメフト部はそれこそ、ほとんど全てのチームが廃部になるね。悪質なタックル事件の指示を監督かコーチがした件の方がよほど大学としては問題であると思う。しかし、これも監督、コーチを一新すれば立ち直れたであろうから廃部にすることはないような事件でなかったとは思う。

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介護男性の母親絞殺事件は他人事ではない [サステイナブルな問題]

今年の5月、69歳の男性が91歳の実母を殺したということで逮捕され、その判決が11月に出た(下記の朝日新聞デジタル記事を参照)。

https://digital.asahi.com/articles/ASRCX66BXRCXPIHB01G.html?linkType=article&id=ASRCX66BXRCXPIHB01G&ref=weekly_mail_top_20231201

この男性は奥様に先立たれ、さらには親族からもお金の無心が継続的にあり、公務員をしていたこともあり貯金はあったのだが、ほぼ親族を経済的に支えていくうちに貯金は取り崩され、孤独と不安とから、介護の限界を感じて母親に手をかけてしまったそうだ。母親は認知症のレベル2であったそうだ。

私も認知症のレベル2の母親がいる。したがって、こういう記事を読むといたたまれなくなる。私の場合は、母親を介護施設に入居させることができたので、この男性のように追い込まれることはない。介護施設は本人だけでなく、家族もしっかりとサポートできる素晴らしい制度だと思う。日本が誇れるような制度だな、と諸外国を訪れても思う。ただ、私がこのような制度を利用できたのは、月額20万円近い介護施設の家賃を負担できているからだ。そして、なぜそれが可能かというと、母親がぼろではあるがアパートを持っていたので、どうにか家賃と年金を足し合わせると、それほど貯金を取り崩さなくても済むからだ。

この男性は親族からの無心がなければ、このような介護施設に母親を入居させることも可能だったかもしれないが、結局、親族を援助してしまったがために追い込まれた。そして、私も母親に手をかけるかどうかは別としても、この男性のように介護をずっとしていたら、そして連れ合いに先立たれたりしたら、相当、追い込まれてしまうだろうな、というのは想像できる。私とかは親族から無心があっても断るであろうから、この男性は優しい人であったのだろう。優しさ故に母親に手をかけることになったとしたら、本当にやるせない。

この男性を批判するのは簡単である。しかし、警察庁の統計によると2018〜2022年の5年間で検挙された殺人罪のうち「介護・看病疲れ」が動機であったのは約4%の165件だそうだ。そして、加害者は息子が38%で被害者は女性が75%。被害者の3割が要介護1であったそうだので、本当、これは深刻な社会問題である。この男性が、感情のコントロールができない身勝手な人とは私はとうてい思えない。要介護2で認知症の母親を抱える子どもの負担は極めて大きなものがあると思う。介護施設にアクセスできなかったら、本当、人生を棒に振るようなことにさえなりかねない。と書きつつ、私もそう遠くないうちに、そちら側に行くことになるので、しっかりとそのような施設に入れるだけの貯金をしなくてはいけないとも思わせられる。家族を犯罪者にさせないためにも、老いる負担を自分で責任取れるように、可能な限り、努めることが定年を迎える年代の我々が意識しなくてはならないことかと思う

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ドイツでコンサート・チケットを購入する [ドイツ便り]

せっかくベルリンにいるのだから、コンサートにでも行こうと考えた。インターネットで検索してみたら、KEANEがコンサートを今年、やることが分かった。KEANEは観たことがないので、これは行かなくてはと思ったのだが、ドイツではケルンでしかやらない。そして、ソールド・アウトだ。チケットは入手できるがリセール価格なのでべらぼうに高い。しかし、イギリスでのチケットはまだ余っている。ということで、思い切ってマンチェスターまで行くことにした。チケット・マスターだ。イギリスだとEチケットしか買えず、Eチケット、ちょっと心配なんだけど、まあ、そのリスクを負わずしてKEANEは観られないな、と思い購入する。リセールとの価格差を考えると、宿泊代は出なくても格安の航空券代は出るような気がする。150ユーロぐらいは違うからだ。ちなみに時期は5月である。
 しかし、やはり、せっかくベルリンにいるのだから、ということで、ベルリンで興味があるコンサートに行くことにした。そこで2月のベイルート、4月のエコー&ザ・バニーメン、シンプル・マインズのチケットを購入した。これらはドイツなのでEチケットではなくてチケットが郵送されるので安心だ。これらは、チケット・マスターではなくて、Eventimというサイトである。このサイトはSafariだとバグがあるがChromeだとしっかりと支払いができる。Safariで上手くいかなかった人はChromeで対応するといいかとも思う。
 あと、6月にスマッシング・パンプキンズもライブをする。これは、まだチケットを購入してないが、ジェームス・イハも復帰したということなので、見た方がいいかもしれないな、と思ったりもする。

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プレゼント(贈答品)についての一考察 [その他]

プレゼントを学生達からもらった。有り難いことではある。バッグとマフラーとマグカップである。学生達がお金を出し合って買ってくれたらしい。しかし、さて、このプレゼントは3つとも私の趣味ではまったくなかった。とはいえ、こういうのは気持ちが大切だよな、ということで使おうと思ったが、なかなかできない。まず、マフラーは恐ろしく抵抗がある。私が持っているマフラーはポール・スミスのド派手なポール・スミスのレインボー・カラーがしたようなものである。学生がくれたものは、ちりめんの雅的な桃色のもので、それなりに上品だが、どちらかというと渋く枯れたおじいさんがすれば似合うかもしれないが、私のようなZZトップが好きなバンド爺には、アイデンティティ否定のように似合わないし、「贈ってくれるという気持ちが何より大切」と思っても羽織ることができない。バッグも同じように、好々爺には似合うかもしれないが、私には似合わないが、バッグは機能面でそれなりに使えるので、これは機会があれば使いたいと思ったりしている。問題はマグカップである。これも機能面で使えばいいや、と思い、有り難く使おうと思っていた。まったく私の趣味ではないデザインで、むしろ嫌いなデザインであるのだが清水焼だし、高価な品だ。学生の思いをしっかりと受け止めなくては、と思っていたのだが、日々、使っているうちに腹が立ってきた。いや、心が狭いといわれればそのままだが、私のデザイン的価値観とバッティングし過ぎるのである。もう、破壊したいぐらいの衝動にも襲われる。ということで、我慢せずに使うのを止めることにした。
 さて、このような経験から学生には悪いな、とは思うが、そのように思わせるプレゼントはしてはいけないな、とも思う。それは、プレゼントをあげる人に甘えすぎている。ちなみに、これらのプレゼントは、趣味は悪くない。人によっては有り難がられるであろう。しかし、私はポール・スミスもそうだが、還暦を過ぎて、ヴィヴィアン・ウエストウッドで洋服を買うような趣味をしているのだ。ZZトップや椎名林檎が好きなのだ。ちりめんの桃色のマフラーして、ZZトップのコンサートに行く奴はいないだろう。まあ風貌が地味だから、そういう判断をしたのかもしれないが、風貌だけで判断するほどの浅い付き合いでもないだろう。基本、プレゼントは、このように人のアイデンティティと衝突を起こすような洋服や食器、CDや本などはあげない方が無難であろう。いや、よほど自信があればいいけど、それはリスクを負うという覚悟を持ってしてもらいたい。このように書いて、大学時代の彼女が「絶対、買ってあげたいと思っていた」と私にくれたセーターが、まったく悲しいほど私の趣味に合わないので残念な思いをしたことを思い出した。このセーターはブランド品ということもあり、なかなか捨てられなかったのだが、着たことはほとんどなかった。ただ、この彼女は私にはもったいないような女性であったが、もし結婚したら、その点では趣味の衝突があって問題が起きただろうと思ったりもする。
 一方で、前任校の学生達はなぜか私のツボに嵌まるプレゼントをしてくれる。結構、アイデンティティと衝突しそうなアイテムのもの、例えば帽子やキーホルダーであったりするが私の趣味に絶妙に合っていて、大切に愛用させてもらっている。要するに自分の価値観を押しつけたりしないで、相手をしっかりと観察して、もらった相手の気持ちを鑑みてプレゼントを選ぶということが何より重要だということでないだろうか。自分がよければ、そして趣味が客観的によければ相手が喜ぶ訳ではないことは、肝に銘じなくてはならないと自戒を込めて思う。おそらく、本人はそういう自覚はないだろうが、自分が気に入ったものを相手にプレゼントすれば喜ぶ、という考えは相当、傲慢なのではないかなと思うのである。

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フライブルクからベルリンまで列車で移動する [ドイツ便り]

フライブルクからベルリンまで列車で移動する。フライブルクからベルリンまでは遠い。ICEでノンストップで行く列車もない訳ではない。これだと6時間43分で帰れるが、せっかくフライブルクまで来たので、ついでにちょっと途中下車をして、カールスルーエの南にあるラスタットで下り、トラム・トレインの7号線に乗り、カールスルーエ中央駅からはハイルブロンに行く。1時間15分ぐらいだ。ハイルブロンは初めてだったので結構、刺激的であったが、雨だったのであまり長居をせずに、一時間ぐらい途中下車して帰路に戻る。といっても、ここからが大変だ。ハイルブロンは特急列車が走っておらず、ローカル線を乗り継がなくてはならない。駅スパートのドイツ版で検索すると、いくつか出てくる。カールスルーエに戻りICEで帰るルートと、シュツットガルトに出てICEで帰るルート、そしてヴュルツブルクまで出て、さらにローカル線に乗り換えてバンバルクまで行き、そこからICEで戻るルートである。ここは物理的に最も短いと思われるヴュルツブルク、バンバルクという世界遺産都市経由のルートを選ぶ。いや、別に都市観光する時間はないし、もう日が暮れているのだが。
 ハイルブロンからヴュルツブルクまでの道のりは長い。途中、雪も降ってきて、結構、ローカル度抜群だ。とはいえ比較的しっかりと走っているな・・・と思ったら15分ぐらい到着が遅れて、接続便のバンブルク行きに乗りそびれる。これは不味い!と思い、再び駅スパートのドイツ版で検索すると、なんかニュルンベルク経由で行け、と出てくる。なんだ、それは!これは長野駅から東京駅に帰る時に越後湯沢経由で帰れ、と言われるようなものだ。本当かよ、と疑うが検証する余裕もない。ということで、ウィーン行きの特急列車に乗る。ニュルンベルクの接続に遅れると致命的だなと心配したが、接続便もしっかりと遅れたこともあり無事にベルリン行きのICEに乗ることができた。ということで、ようやくベルリン駅に着くのだが、もう時間は22時30分である。ハイルブロン駅を出ても7時間以上。その前にも列車に乗っていたので今日は9時間近く列車に乗っていたことがある。流石にお尻が痛い。

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カールスルーエ・モデル [都市デザイン]

カールスルーエ・モデルはトラムと郊外電車を共同運行するようにしたシステムで、東京や大阪で私鉄・国鉄が地下鉄と乗り入れをしているようなシステムであるが、トラムという路面電車と郊外電車との乗り入れというところが画期的である。そんなことは広島電鉄でもしているではないか、と言う指摘はあるが、同じ企業体である広島電鉄と違って、直流・交流、法律、運営主体の違いなどを克服して実現されたこと、さらにはそれによって市域を越えたバスとも一体化した広域の公共交通ネットワークを構築できたことが、なかなか画期的なことと評価されている。私も、トラムと郊外電車のいいとこ取りのシステムで、人口密度の高い都心部では小回りが利くトラムのメリットを活かし、人口密度の低い郊外部では郊外電車の高スピードと移動の快適性を活かす、というなかなか優れたシステムであると思う。人口30万人をわずかに越える都市で、これだけのモビリティを確保できていることは大いに感心する。ただ、公共交通事業としては大赤字だろうから(というか、公共交通で赤字事業じゃないところが日本以外であったら本当に紹介してもらいたい。アジアにはあるかもしれないが、欧米では皆無である)、公共交通の赤字を受け入れられないという世界的には希有な日本においては、実現は不可能であろう。だから、多くの日本の役人とかが視察に来ているがほとんど実は無駄な視察となる。
それはともかくとして、このカールスルーエ・モデル、なかなか複雑でよく分からない。いろいろと論文や運営会社のホームページを読んだりしても理解ができない。これは、私が理解力に欠けているから、ということもあるかもしれないが、複雑だと思う。そこで、カールスルーエに来て、このトラム・トレインを乗り回して、理解を深めるようにした。また、この視察をして疑問を感じた点は、できればカールスルーエの交通会社に頑張ってアポでもいれて明らかにしたいと考えている。
さて、分かってきたのはカールスルーエ・モデルと一言で言っても、それは幾つかのシステムが重ね合わされており、決して、完全に統一されたシステムではないことである。そこにはトラム・ネットワークと郊外鉄道(Sバーン)・ネットワーク、さらにはカールスルーエ市が取得したアルバタール鉄道という地方鉄道のネットワーク、それにドイチェ・バーンのネットワークもちょっと前までは加わっていた。ドイチェ・バーンのネットワークはもう外れたので考慮に入れなくてもいいが、このトラムとSバーン・ネットワークのシステムの重なりは留意しなくてはならない。というのも、それらのシステムが合体して、大きなシステムをつくっているというよりかは、それはトラム・トレイン(カールスルーエ・モデル)とトラムという二つのシステムによって構成されていると考えるべきだからだ。ここでトラムは基本、Straßenbahn と訳されており、車両数も少なく、低床である。
それに比してトラム・トレインは車両も場合によっては6車両も連結されており、どちらかというともうトラムというより郊外鉄道線にむしろ近いくらいである。しかし、都心部に入るとトラムと同じ軌道を共有する。したがって、郊外鉄道線がトラム路線を走っていると考えるのが妥当だと思われる。というのも郊外鉄道の車両がトラム路線を走っている訳ではなく、郊外鉄道を走ることのできるようにトラム車両を改良した路線が、システム上を走っているというイメージだからだ。そして、トラム・トレインの車両は相当、立派なので、一部のトラム路線は走れないようにも思われる。曲率半径が短すぎると厳しいのではないだろうか。いや、これは確認が必要であるが。
そして、このトラムと郊外鉄道とをどのように結ぶかであるが、線路を新設している。例えば西部にあるヴォース市と結ぶ路線(S5線)は、カールスルーエの市域内のラインバーグ・シュトラッセ駅までは既存のトラム路線が走っているが、そこから先は新しく線路を敷設し、郊外鉄道(ドイツ鉄道の線路)と接続できるようにしている。
一方、東北部とを結ぶS4線は、ドイツ鉄道のデューラッハ駅を過ぎて、それまではここが終点(というのも転回用の線路が残っている)で、その先はおそらく新規で路線を敷設していると思われるのだが、しばらくはずっとドイツ鉄道とは別のトラム・ライン専用の軌道を走っている。そして、この路線をつくった時に新たにいくつかの駅も新設していると推察される。ダーラッハ駅から2駅目のグロッツィエン駅でドイツ鉄道(郊外鉄道)の線路と平行に走り始め、3駅目のグロッツィエン・ウーバーシュトラッセで東北部に向かうS4線とそのまま東に向かうS5線とが分岐する。ここからは、なんと複線が単線になる。ここからは、郊外鉄道の路線と合流し、しばらく行くと再び複線となる。ここらへんは丘陵地の美しい森の中を走って行く。ベルリンのように丘陵のないところから来ると、丘の緑が目に優しい。この路線はそのままハイルブロンまで行く。ハイルブロンに行くと驚くことに、その都心部までドイツ鉄道と分岐してトラムとして走行する。これは、なんと新たにトラム路線を新設したものだそうだ。ハイルブロンは、以前はトラムが走っていたが戦後、すぐに廃線にしている。それを何と21世紀になって復活させたのである。
南部はS7線が走っているが、これは中央駅からアルブタール鉄道のカールスルーエ駅を経由して、トラム・トレインの路線を走り、ラスタット駅で再びドイツ鉄道と合流する。トラム・トレインはドイツ鉄道と同じ路線を走っていても、こまめに駅を新たに整備したりしているので、利便性は大きく向上している。
これまでカールスルーエには何回か来たこともあり、実際、話も聞いたりしたことがあったのだが、なかなか頭ではしっくりとこないことが多かった。公共交通を調査するうえでは、とりあえず乗って経験する、というのは私が尊敬する中村文彦先生の研究アプローチであるが、実際、乗って分かることは多い。というか、乗ることによって疑問も多く、出てくる。今回、初めて強い問題意識を持って訪れ、実際、乗車して見えてきたことがたくさんある。「書を捨て、町に出よ」というのは、公共交通研究者にとっては不可欠な姿勢であるな、ということを、公共交通を必ずしも専門としない私だが思った次第である。

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カールスルーエは訪れるたびに都市の魅力が増しているように思われる [都市デザイン]

カールスルーエはドイツのバーデン・ビュッテンベルグ州第三の都市で、その人口は30万人をちょっと越えるぐらいである(2022年)。ドイツの都市としては歴史が浅い。カールスルーエは「カール」の「休息」という意味で、ここでいうカールとはバーデン・ドゥルラハ辺境伯であるカール3世ヴィルヘルムのことである。カール3世ヴィルヘルムは現在のドゥルラハ地区にお城があったが、17世紀末にフランスとの戦争で徹底的に破壊され、新たにドゥルラハ地区より西5キロメートルにある現在地に城を建てることにした。城の建設が始まったのは1715年である。カールスルーエは、このお城を中心に道路が放射状に伸びていくという極めて特徴的な空間構造をしており、同州の第二の都市であるマンハイムとともにドイツのバロック都市として知られる。

歴史が浅い都市だと、そのアイデンティティづくりにいろいろと苦労しなくてはならないのだが、カールスルーエの場合は、いきなり王宮都市としてつくられたので、もうその時点で強力なアイデンティティを有していることになる。王宮から放射状に道路が整備されている都市構造といい、そのユニークさはドイツ屈指である。というか、それ以上のブランディングも特に必要としない。そういう点では恵まれた都市である。

カールスルーエはまたモビリティの優れた都市としても知られている。カールスルーエ・モデルというトラムと郊外鉄道を一体的に運行するシステムは、世界初の試み(直流と交流の両方の電流に対応した車両、二つの異なる法体系に対応した車両や施設)として内外に知られる。カールスルーエ・モデルに関しては、なかなか複雑なので、また機会が設けられたら別途、このブログでも紹介したいと思う。カールスルーエは、このようなシステムだけでなく、最近では都心部において、このトラムの軌道を地下化し、それまでのトランジット・モールをオール歩行者空間にしたり、さらには自転車利用促進にも力を入れており、それまでミュンスターと自転車首都の看板を競っていたエアランゲンを自転車利用率で抜いた。その割には、あまり自転車専用道路などを見ないが、トラムに自転車を持ち込む人が多いので、そういったデュアル・モードでの移動をしている人が多いのかもしれない。

カールスルーエは現在(2023年11月)、都心部の歩行アメニティを改善するのに力を入れている。来るたびにカールスルーエは、よりよくなっているという印象を受けるのだが、この都心部のリ・デザイン事業が終わったら、さらに魅力的な都市へと変貌しているであろう。明日が今日よりもよくなる。これこそが都市政策が満たすべき重要な要件であると思うが、日本ではそのような希望がなかなか持ちにくくなっている。この問題点をしっかりと検討すべきであろう(と書きつつ、大阪の難波駅周辺のリ・デザイン事業のように驚くほど素晴らしい事業もあるので、全然駄目だとは思っていません)。

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カールスルーエからフライブルクに鉄道で行こうとしたら運行中止になっていた [ドイツ便り]

カールスルーエからフライブルクに鉄道で行こうとした。駅の掲示板をみると、なぜか皆、途中のオッフェンブルク止まりになっている。なんか変なダイヤだな、と訝しく思って、お!これは運行中止か、ということに気づく。急いでドイツ鉄道のインフォメーションセンターにフライブルクに行きたいのだけれど、と尋ねると、オッフェンブルクから振替のバスに乗って行けばいい、と言われる。おお、得意のバス振替か。しかし、バスだと時間が倍以上かかるのだけど、他に選択肢はない。フライブルクでは人と会う約束をしているし、ホテルも予約しているのだ。
 オッフェンブルク駅で降りて、バス乗り場を探さなくてはならない。これは、人の流れに従ったら案の定、見つけられた。大勢の人がバス停留所周辺に溢れている。バスの台数が少ないとバスに乗れない、という最悪のシナリオも想定されたが、私はトランクなどの重い荷物を持っていないので、荷物を預けなくて済んだのでサッサとバスに乗り、椅子を確保することができた。一安心だ。以前、似たような状況で、バスの台数が少なく、我先にと人を押しのけてバスに乗るドイツ人と遭遇したことがあるので、結構、緊張していたのだが一安心だ。私のバスは4台来たバスの最後に出発したが、少しだけ空席もあった。私の隣も空席だ。
 ということで、オートバーンでフライブルクに向かう。待ち合わせの時間からは大幅に遅刻だが、先方も事情は理解してくれている。いろいろと散々ではあるが、このライン沿いのバーデン地方のランドスケープは本当に美しい。まあ、どちらかというと里山的な人手が入った景観ではあるが、ベートーベンの「田園」が流れるとマッチするような風景である。こういう風景の中で生活していると、脱原発やエコロジカルな発想が育まれるのだろうなと思う。

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ハイルブロンを訪れ、なぜ人口12万6000人でトラムが新設できるかを考察してみる [サステイナブルな問題]

ハイルブロンはバーデン・ヴュルテンベルク州にある人口12万6000人の都市である。同州ではシュツットガルト、マンハイム、カールスルーエ、フライブルク、ハイデルベルグ、ウルムに次いで7番目の都市である。ネッカー川沿いに発展した都市であり、中世から交易都市として栄える。同地域の他よりも産業革命で先んじ、経済的に発展する。第二次世界大戦では旧市街地がほぼ完全に破壊され、1950年に再建する。
さて、そんなハイルブロンになぜ、訪れたかというと、この都市が2001年に中央駅から新たにトラムを新設したからである。このトラムは、カールスルーエ・モデルのトラム・トレイン・システムに組み込まれており、一部の列車は、そのままカールスルーエまでも運転される。ハイルブロンも1955年まではトラムが走っていたので、廃線してから46年後に復活させたということになる。驚きだ!さらに2005年、2013年とハイルブロンはトラム路線を延長させている。この延長は乗客数が想定よりも多かったということで計画されたとのことだが、人口12万6000人で、広域圏人口もほとんどない都市では、日本では考えられない快挙であるかと思われる。実際、中央駅からトラムで二駅ほどいった都心部の市役所前に行ったのだが、なんと、この市役所駅を挟んだ400メートルぐらいの区間がトランジット・モールになっており、自動車は通行できないようになっていた。その結果、都心部は結構、賑わいがあり、月曜日の午後で雨も降っていたにも関わらず、多くの人が集っていた。日本の都市で人口が12万クラスの都市で、この賑わいはちょっと驚きだ。もちろん、トラムが走っていて、トランジット・モールがあることはもっと驚きであるが。なんたって、日本は京都という150万都市の大観光都市でも、トランジット・モールはもちろん、トラムの復活もできないからだ。何なんだろうなあ、この違い。
大きくは三つ、日本ができない理由があると思われる。一つ目は、公共交通を採算事業であると捉えていること。ハイルブロンのデータは分からないが、これは大赤字事業である。そもそも、ドイツのトラムで黒字の都市は一つもない。バーデン・ヴュルテンベルク州最大のシュツットガルトであっても、赤字率は50%ぐらいだ。人口も遥かに少なく、ネットワークも比較にならないほどしょぼいハイルブロンでは、おそらくシュツットガルトよりも低いだろうから、日本では許されないレベルであろう。しかし、道路事業は超絶、ど赤字でも平気なのに公共交通事業だと急に採算性の話を持ってくる日本は、はっきりいって公共事業においての公共交通差別であり、まったく頓珍漢だ。両方ともモビリティを人々に提供する社会基盤であるにも関わらずだ。ちなみに、こんな発想を持ち出す国は日本以外だと、公共交通を共産主義だと思う一部の右翼思想の人がいるアメリカぐらいである(そのアメリカでも公共交通大好きのピート・ブティジェッジが運輸長官になっているので、状況は変わりつつある)。二つ目は、地方分権が徹底できないこと。これは連邦制のドイツと中央集権の日本との大きな制度上の違いであり、そのため地方自治体の裁量が日本はドイツに比して遥かに小さい。日本の方が人口もドイツの1.5倍はあるのに、そして、自治体の職員も優秀であるのに、中央集権の役人たちが勝手に全国一律のルールをつくってしまう。結果、その地域に応じた交通政策を策定できなくなってしまう。本当、道州制の導入を本気でそろそろ考えた方がいいかと思う。三つ目は、これは不思議なのだが、自動車への偏愛である。これに関しては、最近の若者はちょっと価値観が変わってきているかな、と思うが地方の若者は自動車なくしては生活あり得ない、と今でも言う。まあ、そのような考え方の人がほとんどだとトラムの導入はなかなか厳しいものがあるだろう。ただ、自動車は都心部の集積や賑わいをつくらない。その結果、地方都市と大都市との差はさらに大きくなって、自動車社会が嫌な人や、自動車に乗らなくてもいいような選択肢がある大都市へと移り住んでしまう。いや、自動車に固執するのはいいが「自動車捨てますか、地方捨てますか」という状況になっていることを自覚してもいいかと思う。なぜなら、今後、ガソリン代も高騰し、自動車という交通手段がそうそう長く生き残っていくとは思えないからだ。ドイツの脱自動車的な活動の熱情をみるにつけ、そう思う。
上記のように捉えると、一つ目は価値観の問題だから変えればいいだけだ。二つ目は制度の問題だからこれも変えればいいだけだ。意外と三つ目が一番のハードルかなと思ったりもするが、これもしっかりとその弊害を話すことで状況を突破できるかもしれない。私は人口12万ぐらいの都市でトラムのようなモビリティ手段が提供できていて、その結果、都心部に賑わいが日本の都市でももたらされることを望むものである。日本の都市はそもそも、とてもコンパクトであるし、その文化もとてもアーバニティと相性があるものなので、上手くやればとても魅力的な都市空間ができることを疑っていない。松本市や長野市、金沢市など、上手く既存のトラム的鉄道とJRとかと連携することで、その魅力は大きく向上されると思うのだが、どうだろうか?
ちなみにハイルブロンは、周辺に大都市もない地方都市であり、人口も2001年の120,163人から2011年は116,059人へと減少していたが、2021年には125,613人と人口は減少から増加へと転換している。もちろん、トラムの延長以外の要因もあるかとは思うが、社会基盤をしっかりと整備し、モビリティ、そして都心部の歩行アメニティが改善され、賑わいも生じれば、人々はその都市の将来に希望が持てるようになる。その都市の将来に希望が持てれば人はそれほどその都市から出ることはない。希望が持てないから、人は地方都市から大都市へと脱出するのだ。人口減少時代の地方都市に求められる政策は、未来への希望をしっかりと提示できることではないだろうか。赤字だからローカル線を廃線するような地域にどんな若者が未来を描けるというのであろうか。ハイルブロンの体験は、そういうことを我々に示唆していると思われる。

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【中央駅に隣接してつくられたトラムの停留所】

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【市役所前はトランジット・モールになっており、自動車の通行が禁止されている】

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【市役所前のトランジット・モールを走るトラム】

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CNNの北朝鮮ルポルタージュは一見の価値がある [グローバルな問題]

少し前、というかトランプ政権の時のものと古いが、CNNが放映した北朝鮮ルポルタージュはたいへん興味深いものであり、一見の価値がある(下記にリンクを貼っている)。北朝鮮の人々の日常も、このルポルタージュは捉えており、当たり前であるが北朝鮮の人々も我々と共通した感情を有する人間であることが分かる。また、キム一族が崇拝されているが、それはアメリカ人がキリスト教を信仰するのと似ているとのレポーターであるウィル・リプリーの解説は、この報道を観た後だと説得力を持つ。洗脳はされているかと思われるし、そうでなければ、洗脳しているふりをしているのかもしれないが、日本人も80年ぐらい前だと似たような状況にあったことを考えると、決して他人事とも思えない。北朝鮮の人々が「アメリカ憎し」と言う時、80年前の日本人も「鬼畜米英」と言っていたのとほとんど同じことかな、と思わせられるからである。
 あとこの番組でロケされた長白山は相当、美しい。いつか機会があれば(あるのか、そんなものが。ただ大学院生が中国側の吉林省の出身なので、可能性はゼロではない)、行ってみたいものだ。

https://www.youtube.com/watch?v=NyugVyGlWTw

タグ:北朝鮮 CNN
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ウクライナの男性(60歳以下)は国から出ることができない [グローバルな問題]

先日、私が所属しているドイツの大学の研究室でクリスマス会があった。一ヶ月前で随分と気が早いなとは思ったが参加した。さて、この研究室では私とウクライナ人の先生が客員教授で招かれている。ウクライナ人の先生は女性なのだが、旦那と二十歳の長男はウクライナに残り、長女は彼女と一緒にベルリンに来ている。そこで、ドイツ人の若い先生が「なぜ、長男はウクライナから出ないの」と無邪気に質問したら、この先生は「なかなか難しいのよ」と言った後、思わず涙がこぼれ落ちた。二十歳の男性どころか、下はちょっと不明だが六十歳以下の男性はウクライナから出ることができない。許可なく出国しようとして捕まると懲役8年の刑である。現時点では軍隊に所属している人たちでロシアと戦っているが、そのうち、徴兵があるかもしれない。そのような緊急事態を想定して、男性はウクライナに留まらなくてはならないのだ。ウクライナはもうロシアに勝手に侵略されて、国を守る戦争であり、その意義は理解できるかもしれないが、戦争とかが苦手な人にとっては戦争に行くこと自体が地獄であろう。本当にロシアはとんでもない国であると改めて思う。
さて、しかし、このような野蛮な国が隣国であるという点では、日本もウクライナと同じである。ロシアのような掟破りな国と国境を接していることをしっかりと肝に銘じて、軍事力ではない国力をつけて、ロシアが何か無茶をしようとした時に対応できるようにしておかなくてはならない。まず、第一に二世、三世議員が跋扈している政治状況を変えないと駄目だろう。政治力だけで比較すると、まさにメイジャー・リーグとリトル・リーグぐらいの違いがあるからだ。
同じ研究室の同僚の家族がこのような悲惨な状況に置かれているのを目の当たりにすると、このウクライナ侵略戦争の非業さが心に染みる。

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カールスルーエの南にあるエトリンゲンという町を訪れる [ドイツ便り]

カールスルーエに来ている。有名なカールスルーエ・モデルを実際、乗車体験してどんなものかを知りたかったからだ。カールスルーエ・モデルはカールスルーエ市から周辺の地域にまでネットワークを伸ばしている。その一つが、南方の元アルブタール鉄道(現在はカールスルーエ交通公社が買収)の線路である。それはバード・ヘレンナルブ、イッテルスバッハにまで行くのだが、その途中にあるのが、アルブタール鉄道をつくるきっかけにもなったエトリンゲンである。ということで、エトリンゲンまで行く。この町は人口が39000人で結構、立派なお城があるらしい。昔の空間構造を維持した歩行者街路から構成される旧市街も残っている。アルブタール鉄道をつくるきっかけになったのは、ドイツ鉄道がエトリンゲンの中心部から1.5キロメートルぐらい離れたところにエトリンゲン西駅をつくったのだが、それだと不便だ、ということで新たに鉄道を敷こうということになって、この町とカールスルーエとを結ぶ鉄道がつくられることになったことだ。そのため、アルブタール鉄道のカールスルーエ駅はドイツ鉄道の中央駅とはちょっと離れたところにターミナルがある。元々は別の鉄道会社であったからだし、おそらく軌道幅も違っていたのではないだろうか。
そういう経緯があったからだと思うが、エトリンゲン駅舎はとても立派である。土曜日の夕方なので駅舎内の店舗とかは閉まっていたが、ちょっとしたコミュニティ・ハブのような役割も担っているのではとの印象を覚える。また、駅前にはなかなか広大の広場のような芝生空間がある。この町の人にとって、この駅は宝物のようなものではないかと推察する。まあ、感想だらけで申し訳ないが、駅からは黒い森(シュヴァルツヴァルト)の丘へのハイキング・コース(標高はなんと400メートル弱。日本とはここらへんは大きく違う)もあったりして、いい感じの町である。

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【エトリンゲン駅舎とその前にある芝生の広場】

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【エトリンゲン駅】

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【エトリンゲン市の旧市場】

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【エトリンゲン旧市街地は細い路地によって構成されている】
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ドイツの公共交通はこの20年で相当、改善されている [サステイナブルな問題]

1950年代末までは路面電車(トラム)はドイツにおいて最も重要な交通手段であった。しかし、その後の30年間はトラムにおいては苦難の時代となり、多くの都市において、トラムのネットワークが廃線となった。しかし、1990年頃から、このトレンドは転換し、古いトラム路線は改修され、新しいトラム路線が建設されるようになった。ハノーファーではトラム・システムを中央駅周辺で地下化することを行った。同様の試みはデュッセルドルフでも為された。カールスルーエは1992年から直流・交流で走行できる車両を導入し、トラムと郊外鉄道を共同運行することを可能にした。ルール地方のオーバーハウゼンは1996年にドイツで廃線されたトラム路線を再開する最初の事例となった。そして、ザーブルッケンは1997年にオーバーハウゼンに次いで再開することになった。そして、ミュンヘンでは地下鉄と郊外鉄道のネットワークを補完するために新たなトラム路線を営業することにしたのである。 
 私が現在、住んでいるベルリンでもドイツ鉄道はともかく、地下鉄とバスのサービスはとても優れていて、大学のある京都はもちろんのこと、東京とも遜色はない。いや、地下鉄の車両はオンボロであるし、駅も遥かに汚く、そういったインフラのレベルは低い。ただ、サービスというソフト面だけみれば、相当、レベルが高く、自動車の必要性はほとんど感じない。ここでサービスのことをもう少し具体的に説明すると、まず運行頻度である。平日はほぼ5分間隔で走っている。週末は10分間隔ぐらいになるが、それでも使い勝手は悪くない。そして、地下鉄のホームやバスの停留所では、どの程度で次の列車、バスが来るかをしっかりと電光掲示板で明示してくれるのでストレスがない(これは、私がよく利用する京阪電鉄とは大きな違いである)。また、地下鉄では次の駅で乗換をするバスが何時に出発するかをしっかりと車両の電光掲示板で明示してくれるので(そのような電光掲示板がない古い車両ではできていないが)、地下鉄からバスへと乗換をするインセンティブを提供してくれる。そういった点で、意外なことに京都などより遥かにベルリンの方が公共交通を移動手段として信頼できるのである。
 これは、14年前のデュッセルドルフでは感じたことがなかった。もちろん、デュッセルドルフとベルリンとの違いというのはあるかもしれないが、ここ10年間ぐらいでドイツの都市の公共交通事情は相当、改善されているような印象を受ける。ベルリンの場合は、確か2015年頃にモビリティ法を制定したので、それで大きく改善されているということはあるかもしれない。
 私は今、この記事をカールスルーエで書いているのだが、カールスルーエはそうでなくても相当、便利であった公共交通が、さらに地下路線を整備し、トラム・ラインのネットワークを充実させたことで、より利便性を高めている。
カールスルーエは2001年の27万9000人の人口が2021年には30万6000人まで増加している。これは20年で9.6%も人口が増加したことで、これはドイツ平均の2.1%より遥かに大きい。この増加した要因の一つに、優れたモビリティというのはあるかと思われる。モビリティは都市のインフラ基盤として相当、重要な意味を持つからだ。

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ドイツのアンペルマン [ドイツ便り]

ドイツが再統一された後、ほとんどの旧東ドイツのものは旧西ドイツのものに置き換わった。経済システムはもちろんだが、政治システムもそうだし、自動車やスーパーマーケットなども西側のものが入ってきて、従来のものは駆逐された。そのような中、数少ない生き残りがアンペルマンという歩行者用の信号機にデザインされた男性と女性のアイコンである。青の時は歩いているポーズの男性、赤の時は人を制するように両手を広げている女性。なかなかチャーミングなデザインだ。
 このアンペルマンであるが、デザインしたのはカール・ペグラウという旧東ドイツの心理学者である。当時、東西ベルリンに壁がつくられた直後であったが、交通事故の多さが大きな社会的問題となっていた。それまで自動車用の信号機はあっても、歩行者用の信号機はなかったのである。そこで歩行者用の信号機をつくるのと同時に、人々はただの信号機よりもシンボルがあった方が注意喚起をするという心理学的な研究成果を活かして、信号機に人型のシンボルを描いたのである。1961年には、このデザインをベルリン市にプレゼンする。そして、1969年にはベルリン市にて、これらのデザインがされた信号機が設置されたることになる。この信号機は効果があることが判明し、その後、旧東ドイツ全土にて設置されるようになる。
 アンペルマンは旧東ドイツでは極めて好意的に捉えられ、フリードリッヒ・ロチョウ氏は子ども向けの交通安全の映画にてアンペルマンを登場させ、彼らに道路での危険な状況を指摘する役割を担わせた。この映画を観た後、子どもたちはアンペルマンのバッジやキーホルダーなどのグッズをもらったのである。これが、最初のアンペルマン・グッズであろうと考えられている。
 1989年にドイツが再統一された後、信号機も西側のものに置き換わった。しかし、しばらく経った1996年に工業デザイナーのマーカス・ヘックハウゼンが、旧東ドイツの撤去されたアンペルマン信号機を使って、新しい電灯をつくりはじめた。これがメディアの注目を集め、人々は旧東ドイツのものでも旧西ドイツより優れたものがあり、それを全て撤去してしまうのは間違いがあることに気づかされたのである。そして、アンペルマンの保全活動をつくる委員会が設置されて、彼らは結果的に復活することになる。現在は、アンペルマンは大通りではなく、あまり交通量が多くない道に設置されている。さらに、旧西ドイツの街でもアンペルマンを設置する自治体も出てきた。したがって、アンペルマンの有無で旧東ドイツであったか旧西ドイツであったかを判断することも、今ではできなくなっている。

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【アンペルマン:ヴェロニゲローデにて】
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ドイツの自転車都市エアランゲンに行き、ちょっと失望する [都市デザイン]

ドイツはデンマークやオランダに比べると、ちょっと今ひとつではあるが、自転車政策に力を入れている国であるかな、と思う。私が現在、住んでいるベルリンでも自転車専用レーンを2030年までに3000キロメートル整備するという計画を掲げている。とはいえ、年に60キロメートルぐらいしか整備できていないので、到底、無理だろうとの声も聞こえるが。
 それはともかくとして、ドイツを代表する自転車都市としては、一般的にミュンスターとエアランゲンが知られている。ミュンスターの自転車利用状況に関しては、このブログでも記述したことがある(https://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2009-08-28)のだが、城壁跡地を自転車専用道路にしたり、駅前に駐輪場を兼ねる自転車修理センター、レンタル・センターなども設置したりして、なかなか自転車都市の看板に偽りなし、といった好印象を抱いていた。
 そこで、このミュンスターと並び称されることが多いエアランゲン(日本でも結構、紹介されている)なので、大きな期待を抱いて訪れたのだが、それはちょっと失望に変わった。もちろん、駅前を中心にちょこっと歩いただけなので、誤解をしているところもあるかもしれない。あくまでも駅前周辺を見ての印象ということで、最初にお断りをさせていただきたい。
 まず、エアランゲンはそれほど大きな都市ではない。自治体の人口は11万7000人ぐらいである。アメリカだとコロラド州のボルダー市、ドイツだとコットブス市と同じぐらいの規模である。また、ミュンスターやアメリカのデービスのような自転車都市と同じように大学都市である。
 自転車都市としての歩みは1970年代から始まっているので、おそらくデンマークのようにオイル・ショックが契機となっている可能性が高い。当時のハールヴェグ市長が推進役となって歩道に自転車専用レーンを設置するようにしたそうである。
 ただ、私はあくまで駅前周辺しか歩かなかったのでこの自転車専用レーンを確認することはできなかった。代わりに目にしたのは、駅前に放置されていた大量の自転車である。駐輪場はしっかりと整備がされているのだが、それだけでは収容しきれていないようである。ただ、駅前にこれだけ自転車が駐輪されているのは、サイクル・アンド・ライドといった自転車と公共交通を連携した移動が一般的にされているということで、それはそれで優れていることかな、と思ったりもする。
 実際、自転車の利用者は多く、全交通における自転車の分担率は23%、市内に限れば34%にも達する。ミュンスターは通勤交通では、全体でも47%に達するので、そういう意味ではドイツの自転車都市の冠はミュンスターのものかなと思ったりもするが、ただ23%と言う数字は相当、高いことは確かだ。
 そして、私は確認することはできなかったが、エアランゲンには自転車専用レーンは確かに整備されており、現時点で10の通りにある整備されているようだ。ただ、駅前へアクセスする道路で整備されているものは皆無であった。あまり利用されているところでは整備できていないような印象も受ける。
 ということで、30分ぐらいの滞在時間しかないのにいい加減なことを言うのは憚られるが、自転車都市エアランゲンというのは、自転車利用者が多いということであって、政策的に優れたことをした結果とはあまり関係がないのかな、との印象を受けた。まあ、この印象が事実とズレている可能性は決して低くないが、もし、そのような事実が判明されたら、またこのブログにて記したいと思う。

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【エアランゲン中央駅前に放置されたままになっている自転車。これは万国共通的に美しい景観とはいえない・・・これに関してはミュンスターが駅前に地下駐輪場を設けたのとは異なっている】

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【一応、駅にはいくつかの駐輪場が整備されているが、需要の方が多いようだ】

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【駅に向かう道に自転車専用レーンは見つけられなかった・・・ミュンスターだけでなくフライブルクや他のドイツの都市でも、ここらへんはもっと整備されているように思われる】

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日本の農村はなぜ美しくないのか? [都市デザイン]

日本の農村が美しくない、ということで農林水産省はどうやったら美しい農村景観がつくれるかの政策を検討するうえで、なぜヨーロッパの農村が美しいのか、などの研究などをしていたそうだ。その話を聞いて、確かに日本の農村は美しくないよな、と思ったりもしたが、日本の農村景観は20世紀半ばぐらいまでは、世界でも最も美しい農村景観を有していた。それは、1964年にイギリスのランドスケープ・アーキテクトであるジェフリー・ジェリコーとスーザン・ジェリコーが著した『ランドスケープ・オブ・マン(Landscape of Man)』の写真を見ると明らかである(この本に関しては、このブログでも以前、簡単に書評らしきものを記している。https://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2010-01-02)。この本は世界中の人がつくりあげたランドスケープを解説している素晴らしい大著であるのだが、世界中の農村景観の中でも最も私が、その美しさから感銘を覚えたのはなんと日本の農村景観である。
 つまり、日本の農村景観は、そもそもは美しかったのである。それを、戦後の経済成長下で醜悪にさせてしまったのであって、元々はヨーロッパの農村と比べてもまったく遜色がなかったのである。したがって、ヨーロッパの農村を研究することには、それなりに意味はあると思うが、ヨーロッパの農村の美しさの構成要素などを研究するのは、日本の農村を美しくするうえでは意味はないと思う。というよりかは、日本の農村がなぜ醜悪になったのか、なぜヨーロッパの農村は醜悪にならなかったのか、その背景となった政策や社会動向変化を比較研究することが重要なのではないか、と思うのである。
 基本、日本の農村を醜悪にさせたのは、公共施設や道路である。特に道路の問題は深刻だ。下にイギリス、ドイツ、日本の農村景観の道路の写真をアップするが、どうみても日本の農村の道路はオーバースペックで周囲と合わない。もちろん、日本でも大内宿などは道路からアスファルトを剥がして周囲の景観と合わせているので、日本人がそういうのに無関心ではないことは明らかだ。ただ、そういう工夫が大内宿などの特殊ケースに留まっているのが、欧州の農村などとの大きな違いであろう。日本の農村は美しくないのではなく、美しかったのを醜悪にしたのである。それは、昔の姿に戻した大内宿がその美しさを復活させたことからも明らかであろう。その点をしっかりと認識してもらい、間違っても、ヨーロッパ風の農村をつくるような愚を犯してほしくないものである。農村の美しさは、その風土の美しさである。風土をしっかりと理解することが、美しい農村をつくるうえでの最重要事項であると思われる。

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【ドイツ:バイエルン州南部の道路】

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【イギリス:ホーリーヘッドの道路】

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【日本:群馬県の上野村の道路】

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【日本:福島県の大内宿の道路(街並み)】
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寺沢武一『コブラ』 [書評]

それぞれ人には、思い入れの漫画作品があると思う。それは、その人が生まれた時とも関係性があるかと思う。例えば、私は昭和38年生まれであるが、私より10ぐらい上の人とかだと『あしたのジョー』『巨人の星』『鉄腕アトム』『サイボーグ009』とかになるのかと思われるが、私の世代だと『火の鳥』、『ブラック・ジャック』、『宇宙戦艦ヤマト』、『ドカベン』、『マカロニほうれん荘』、『デビルマン』などになるのではと思われる。
 私はもちろん、これらの作品に多くの感銘を覚えたものであるが、その中でも今なお読んでいて興奮のようなものを覚えるのは寺沢武一の『コブラ』である。その壮大なる宇宙観がとてつもない魅力であるが、画力が人間の能力を超えるようなレベルにあり、その味方、敵方、地球人、宇宙人、動物、植物を含むキャラクターのデザインが素晴らしいのも魅力である。『コブラ』はアメリカン・コミック風のコマ割りとなっており、また、登場する女性陣は『バーバレラ』でのジェーン・フォンダ風であったりと、またスタートレックやスターウォーズからの影響もあるとは思われるが、前述した『コブラ』のキャラクター・デザインに比べると、スターウォーズやスタートレックなどのキャラは幼稚で洗練されていないものに思えてしまう。私は、あまりスターウォーズが好きでないのだが、それは『コブラ』や円谷プロの影響があると思われる。これらの作品の宇宙人に比べると、スターウォーズの宇宙人とかが格好悪すぎるからだ。同じことはアベンジャー・シリーズにも言える。『コブラ』はそういう意味で宇宙ファンタジーものとしては、世界一のレベルにもあるのではないかと思ったりする。
 さて、もう一つ『コブラ』の特徴としては、そのアーカイブがしっかりと系統だって整理されていないことである。これは、連載していた雑誌が変わったりしたこともある。少年ジャンプにて掲載されていた作品は全て12巻からなる復刻版にて読むことができる。それ以外の作品はフルカラー・フルCGコミックにてある程度、補塡されるが、全てではない。とても残念なことである。
 あと、私も知らなかったのだが、『コブラ』の作者である寺沢武一は今年の9月8日、68歳で亡くなられた。是非とも、寺沢武一作品全集などを刊行していただき、コブラのアーカイブがしっかりしていない点なども整理していただければ大変有り難い。


COBRA vol.1 COBRA THE SPACE PIRATE

COBRA vol.1 COBRA THE SPACE PIRATE

  • 作者: 寺沢武一
  • 出版社/メーカー: アールテクニカ
  • 発売日: 2014/10/01
  • メディア: Kindle版




COBRA vol.2 COBRA THE SPACE PIRATE

COBRA vol.2 COBRA THE SPACE PIRATE

  • 作者: 寺沢武一
  • 出版社/メーカー: アールテクニカ
  • 発売日: 2014/10/01
  • メディア: Kindle版




COBRA vol.3 COBRA THE SPACE PIRATE

COBRA vol.3 COBRA THE SPACE PIRATE

  • 作者: 寺沢武一
  • 出版社/メーカー: アールテクニカ
  • 発売日: 2014/10/01
  • メディア: Kindle版





COBRA vol.4 COBRA THE SPACE PIRATE

COBRA vol.4 COBRA THE SPACE PIRATE

  • 作者: 寺沢武一
  • 出版社/メーカー: アールテクニカ
  • 発売日: 2014/10/01
  • メディア: Kindle版




COBRA vol.5 COBRA THE SPACE PIRATE

COBRA vol.5 COBRA THE SPACE PIRATE

  • 作者: 寺沢武一
  • 出版社/メーカー: アールテクニカ
  • 発売日: 2014/11/01
  • メディア: Kindle版




COBRA vol.6 COBRA THE SPACE PIRATE

COBRA vol.6 COBRA THE SPACE PIRATE

  • 作者: 寺沢武一
  • 出版社/メーカー: アールテクニカ
  • 発売日: 2014/11/01
  • メディア: Kindle版




COBRA vol.7 COBRA THE SPACE PIRATE

COBRA vol.7 COBRA THE SPACE PIRATE

  • 作者: 寺沢武一
  • 出版社/メーカー: アールテクニカ
  • 発売日: 2014/11/01
  • メディア: Kindle版




COBRA vol.8 COBRA THE SPACE PIRATE

COBRA vol.8 COBRA THE SPACE PIRATE

  • 作者: 寺沢武一
  • 出版社/メーカー: アールテクニカ
  • 発売日: 2014/11/01
  • メディア: Kindle版




COBRA vol.9 COBRA THE SPACE PIRATE

COBRA vol.9 COBRA THE SPACE PIRATE

  • 作者: 寺沢武一
  • 出版社/メーカー: アールテクニカ
  • 発売日: 2014/12/01
  • メディア: Kindle版




COBRA vol.10 COBRA THE SPACE PIRATE

COBRA vol.10 COBRA THE SPACE PIRATE

  • 作者: 寺沢武一
  • 出版社/メーカー: アールテクニカ
  • 発売日: 2014/12/01
  • メディア: Kindle版




COBRA vol.11 COBRA THE SPACE PIRATE

COBRA vol.11 COBRA THE SPACE PIRATE

  • 作者: 寺沢武一
  • 出版社/メーカー: アールテクニカ
  • 発売日: 2014/12/01
  • メディア: Kindle版




COBRA vol.12 COBRA THE SPACE PIRATE

COBRA vol.12 COBRA THE SPACE PIRATE

  • 作者: 寺沢武一
  • 出版社/メーカー: アールテクニカ
  • 発売日: 2014/12/01
  • メディア: Kindle版



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ドイツのやる気のまったくなく、無礼なカフェ店員に殴りたい衝動を覚える [ドイツ便り]

ポツダム駅内にあるEspresso Houseというカフェがある。マクドナルドに隣接していて、無料のネット環境があるので以前も使ったことがある店だ。この店に、ドイツ人風のコーカソイド系のおそらくアルバイト見習いのような店員がいるのだが、この店員が、サービスが悪いドイツでも飛びきり悪いのだ。まず、注文しても「ああ!」という態度だし、私がお金を払うのも、自分が立っているところまでも来させるし、しかも、私の発音の悪いドイツ語を馬鹿にして繰り返したりするのだ。流石に、ちょっと飛びかかって殴りたいような衝動を覚えた。本人も仕事がつまらなくてしょうがないという感じで、態度が悪いのは私だけにではないのだが、そんなにサービスや仕事が嫌ならしなければいいのにと思う。そして、雇っている方も堪らないだろうにと思う。ここの店長は、サービスする時もニコニコしていて悪い感じはしないので、おそらくこの若者には困惑しているのではないかと思われる。しかしなあ、こんな奴でも雇わなくてはいけないほど経済が回っているのは、どうしてなんだろう。日本の若者でも、ここまで酷いサービスをする奴は滅多にいないと思う。ドイツの豊かさといえば豊かさなのだろうが、金を払う方も貰う方もアンハッピーな状況はアンハッピーだと思う。

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ドイツ旅行ではエアビーエヌビーに気をつけろ! [ドイツ便り]

ハルツ山麓の北側にあるヴェロニゲローデに大学院の研究生の学生達と遊びに来ている。宿はブッキング・ドット・コムでエアビーエヌビーを予約する。エアビーエヌビーは結構、コスパもよくて使い勝手もいいかとは思うが、鍵の入手だけが面倒だ。さて、このエアビーエヌビーは、部屋の前に鍵が入っている小さなロッカーがあり、4つの数字を合わせて開けると鍵があるというシステムであった。この鍵の情報はチェックインする二日前ぐらいにメールで届けられる。とういことで、人を介さずに鍵がゲットできるよいシステムだな、と思っていたのだが、宿について鍵が入っている小さなロッカーを開けると、なんと鍵が入ってなかった。
 ということで急いで管理人に連絡すると「ちょっと確認してから電話するので待っていて」と言われる。そこで3分ほど待つと電話が来て「鍵の管理をしている女性は、間違いなく入れていると言ってる。本当に鍵はないのか?部屋は間違ってないのか」と言うので、部屋は間違ってないし、我々は寒空の下、一刻も早く部屋に入りたいので、デタラメを言うような余裕はない」と答えると、「分かった。ただ、そこまで25分ぐらいかかるので待っててくれ」と言われる。「了解、早く来てね」と言って電話を切って、寒空の下、25分ほど待つと果たして管理人はやってきた。「子どもの誕生会だったので、ちょっと対応が悪くて申し訳ない」と管理人は謝り、てきぱきと対応してくれて、若干のディスカント・サービスまでしてくれた。
 まあ、寒い中、待っているのは辛かったが、宿自体はとてもよく、そこで夕食も朝食もしっかりと自炊できるだけの設備が整っており、コスパも悪くなかったので不満はないのだが、これは管理人が危機にしっかりと対応してくれたからだ。その点は、ドイツでは必ずしも期待できる訳ではないので、やはりエアビーエヌビーを使う際には、相当、留意した方がいいと今回も思わされた次第である。

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ドイツ旅行ではコイン・ロッカーに気をつけろ! [ドイツ便り]

ハルツ山麓の北側にあるヴェロニゲローデに大学院の研究生の学生と遊びに来た。さて、彼が大きなスーツケースを持っていたので、とりあえずチェックインができる時間まで、駅のコインロッカーにて、このスーツケースを収容することにした。料金は3ユーロ50セントだ。コインを入れて、トランクを入れて、さて鍵を取り出そうとしたら取り出せない。コインを入れたら抜ける筈の鍵が抜けないのである。上下に動かしたり、左右に動かしたりしても抜けない。これは下手にこれ以上動かしたらより不味いかな、と考え、駅員に助けを仰ぎに行く。駅員のおばちゃんは、事情は理解しても「どうにも私にはできないわ。トゥト・ミア・ライト(残念だわ)」と言われる。まあ、これは想定内だが、「ロッカーを管理している会社に連絡したいのだけど」と言うと「マグデブルクの会社だし、今日は土曜日だから無駄よ」と答えたが、それでも電話番号をどうにか調べてもらって書き取った。さて、それをもらってロッカーのところに行き、電話をするが電話は通じない。ドイツの落とし穴に落ちたか、と愕然としたが、もう一度、ゆっくりと鍵を動かしたら上手く出てきてくれた。どうにか事なきを得たが、日本では想像しないようなことがドイツでは起きえる。ロッカーのトラブルは個人的には初めてだったが、以後、気をつけないといけないな、と思い知る。このブログの奇特な読者の人々にもこの情報を共有したいと考え、ここに記させてもらう。

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【問題のロッカーは蒸気機関車の写真が貼られている右から二段目、上から二段目のものである】
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一条ゆかり『有閑倶楽部』 [書評]

少女漫画のコメディとしてはバブル時代を代表する大傑作。そして、累計で2800万部も単行本が売れたお化け的ヒット作品でもある。その荒唐無稽な状況設定、コメディであってオカルト的要素も多く、その強烈な甘味と強烈な辛味がブレンドしたようなストーリーはとてつもない中毒症状を読者に引き起こす。そして、圧倒的な画力の凄さが、ぐいぐいと読者をその世界に引き込ませる。さらに有閑倶楽部の6人組は、ハリー・ポッターのトリオ、七人の侍にも優る素晴らしく魅力的なチームであり、こんな仲間たちと時を共にしていたら人生、楽しいだろうな、という気持ちに読者をさせる。ストーリー的にも質が高いが、『コーラス』に掲載が移った単行本16巻からは少し、雑な内容になる。しかし、それも19巻あたりでは復活する。
 これが連載されていたバブルの頃の世相も反映させており、バブルならではのハチャメチャさは、これからバブル時代を考証するうえでも役立つような内容であろう。バブル時代は、皆、この主人公たちのようなライフスタイルを送りたかったのではないだろうか。楽しく、信頼できる仲間たちと、数々のチャレンジを知恵と勇気と優しさで克服していく。
 個人的に気になるのは、ちょっと面食い的価値観が絶対視されていること。しかし、これは当時の時代の空気であって、今の時代では受け入れにくいような、ちょっと記号消費的な価値観がバブル時代を覆っていたのだな、ということを逆に伝えてくれる。こういう漫画が描かれた時代に生きていたことをちょっと嬉しく思わせるような肯定的な気分にさせてくれる、愉快痛快な作品である。


有閑倶楽部 1 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

有閑倶楽部 1 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

  • 作者: 一条ゆかり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2013/07/29
  • メディア: Kindle版





有閑倶楽部 2 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

有閑倶楽部 2 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

  • 作者: 一条ゆかり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2013/07/29
  • メディア: Kindle版




有閑倶楽部 4 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

有閑倶楽部 4 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

  • 作者: 一条ゆかり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2013/07/29
  • メディア: Kindle版




有閑倶楽部 5 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

有閑倶楽部 5 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

  • 作者: 一条ゆかり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2013/07/29
  • メディア: Kindle版




有閑倶楽部 6 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

有閑倶楽部 6 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

  • 作者: 一条ゆかり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2013/07/29
  • メディア: Kindle版




有閑倶楽部 7 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

有閑倶楽部 7 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

  • 作者: 一条ゆかり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2013/07/29
  • メディア: Kindle版




有閑倶楽部 8 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

有閑倶楽部 8 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

  • 作者: 一条ゆかり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2013/07/29
  • メディア: Kindle版




有閑倶楽部 9 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

有閑倶楽部 9 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

  • 作者: 一条ゆかり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2013/07/29
  • メディア: Kindle版




有閑倶楽部 10 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

有閑倶楽部 10 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

  • 作者: 一条ゆかり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2013/07/29
  • メディア: Kindle版




有閑倶楽部 11 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

有閑倶楽部 11 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

  • 作者: 一条ゆかり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2013/07/29
  • メディア: Kindle版




有閑倶楽部 12 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

有閑倶楽部 12 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

  • 作者: 一条ゆかり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2013/07/29
  • メディア: Kindle版




有閑倶楽部 13 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

有閑倶楽部 13 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

  • 作者: 一条ゆかり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2013/07/29
  • メディア: Kindle版




有閑倶楽部 14 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

有閑倶楽部 14 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

  • 作者: 一条ゆかり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2013/07/29
  • メディア: Kindle版




有閑倶楽部 15 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

有閑倶楽部 15 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

  • 作者: 一条ゆかり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2013/07/29
  • メディア: Kindle版




有閑倶楽部 16 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

有閑倶楽部 16 (りぼんマスコットコミックスDIGITAL)

  • 作者: 一条ゆかり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2013/07/29
  • メディア: Kindle版




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南アフリカの研究者とトレバー・ノアの話をしたが、相手はそれほど乗ってこなかった [グローバルな問題]

現在、所属しているベルリン工科大学が客員教員のウエルカム・パーティをするというので参加した。現在、20カ国からの客員教員が来ているようで、カザフスタン、中国、インドネシア、ウクライナ、ルーマニア、南アフリカ、カメルーンの人たちといろいろと話を弾ませるようにした。個人的には特に南アフリカの人と話をしたいと思ったのだが、それは、私が南アフリカ出身で、現在、主にアメリカで活躍しているトレバー・ノアの話をしたかったからだ。私はトレバー・ノアの大ファンである。彼がホストをしていたザ・デイリー・ショーはユーチューブで必ずチェックをしていた。その物真似の上手さといった芸だけでなく、彼のなんかハートの広さがとても素晴らしい。トランプが大統領をしていた時、多くのコメディアンが彼を舌鋒鋭く揶揄したが、トレバー・ノアの批判はトランプ支持者も納得せざるを得ないような基本的モラル、「それはやっぱり人としてやったら不味いでしょう。そんなことあなたがやられたら嫌でしょう」といった視点から語りかけるので、対立構図ができにくく、ううむ、やはりアパルトヘイトの時代を過ごした人の世の中の捉え方はいいな、と強く感心したものである。
 さて、しかし、このトレバー・ノアの素晴らしさを共有してくれる日本人はほとんど滅多にいない。というのも英語のユーチューブを好き好んで毎日、観るような日本人は私の周りにもいないからだ。したがって、私のトレバー・ノアへの愛はほとんど誰にも語ることができず、自分の中にて沈殿していた。そういう状況であったので、南アフリカ人と出会ったので、もう私のトレバー・ノアの愛情をこの人にぶちまけてしまった。「トレバー、最高!」みたいな感じで。
 すると、この南アフリカ人は、最初は愛想で「分かる、分かる」と頷いてくれていたのだが、あまり私がひつこいので、「まあ、ちょっと南アフリカだと食傷気味だけど」みたいなことを言われてしまった。まあ、おそらく私以外でも「南アフリカ=トレバー・ノア」みたいな人が多いのだろう。したがって、外国に行くと、同じようなことを言われてしまっているのではないだろうか。まあ、私の南アフリカ像も、ほぼトレバー・ノアでつくられてしまっているからな。私も、これまで随分と溜めてきたトレバー愛が結構、発散できたので、これ以降はちょっと気をつけなくては、と少し、反省した。日本人も大谷の話題ばかりを振られたら嫌になるかもしれないしな・・・いや、どうかな?けっこう嬉しいかも。

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ドイツの物価(1)-2023年11月 [ドイツ便り]

ドイツで暮らしていると、本当、日本に比べて物価が高いような気がする。しかし、気がするだけではあまり説得力がないので、今日、ビオ系のスーパーで買い物をしたときのレシートを見ながら、その金額をここに記録しておきたいと思う。

・ズッキーニ:1キログラムあたり5.99ユーロで、比較的大きなズッキーニということもあって一本2.84ユーロ。
・赤パプリカ:1キログラムあたり11.90ユーロで、比較的大きなパプリカということもあって一個2.90ユーロ。
・キノコ:1キログラムあたり9.90ユーロで、比較的小さいキノコを二つで0.67ユーロ。
・卵6個で2.79ユーロ。
・洋梨一個で2.10ユーロ。
・ミルクが一リットルで1.79ユーロ。
・チーズが1キログラムあたり21.90ユーロで、4.38ユーロ。

結構、野菜とか果物は日本の方が高いというイメージを持っていたが、必ずしもそうでないことがわかる。赤パプリカが1個500円、ズッキーニが一本500円って日本でも随分と高いかと思う。洋梨も400円ぐらいだ。うん、日本の方が安いな。

ただ、この後、肉屋で牛肉を買ったら、300グラムちょっとで6ユーロ。これは、流石にまだ日本の方が高い。

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渡辺克義『物語ポーランドの歴史』 [書評]

2017年に出された新書。ポーランドの歴史を大まかに知りたい人にはうってつけの新書ではないかと思われる。複雑で分かりにくいポーランドの歴史であるが、ポイントをうまく整理してくれている。第二次世界大戦以降、特に1990年移行はザッとまとめられてしまった感じで物足りないが、これは他の本を読んで補足するしかないだろう。まあ、新書なので、さっと要点が分かるということを優先した編集方針などだろうし、その点はしっかりと押さえているかと思われる。また、コラムが章の終わりに描かれているのだが、これがなかなか読書の参考になっている。事例や事件の解説によって、ポーランドがその時代、どのような状況にあったのかがイメージできるような内容となっており、有難い。ということで、ポーランドをあまり知らない人(まさに私のような読者)にとっては、読み甲斐のある新書であると思われる。


物語 ポーランドの歴史 - 東欧の「大国」の苦難と再生 (中公新書)

物語 ポーランドの歴史 - 東欧の「大国」の苦難と再生 (中公新書)

  • 作者: 渡辺 克義
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/07/19
  • メディア: 新書



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乾正雄『夜は暗くてはいけないか』 [書評]

照明に関する文化論。谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』で、日本は明るくないところに美を見出す伝統があると述べた。しかし、著者は実はヨーロッパの方が、現在の日本より暗さに美や心の安寧を求めている、ということを絵画、建築から論じていく。そして、著者の驚くほどの博識によって論じられる文化論は強い説得力を持って読者に迫ってくる。終盤の方で、最近のライトアップに関しても論じているのだが、猫も杓子もライトアップをすることでマイナスの影響しか出ないなどと指摘している。そして、しっかりとしたライトアップができている町は、行政がしっかりとしているとも述べている。これらの指摘・見識は非常に示唆に富んでいる。


夜は暗くてはいけないか―暗さの文化論 (朝日選書)

夜は暗くてはいけないか―暗さの文化論 (朝日選書)

  • 作者: 乾 正雄
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1998/05/01
  • メディア: 単行本



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ベルリンの水道水は不味い? [ドイツ便り]

ベルリンで生活している。水道水は直接では飲料水として飲まないが、お茶やコーヒーをつくる時には使う。しばらく、そうしているが、ちょっとお茶とかコーヒーとかが美味しくない。なんか臭うのである。これは、もしかして水が不味いからか、と思い、お茶やコーヒーをつくるときに湧かす水をエビアンにしてみた。果たして、味は遥かによくなった。ちょっと高くつくが、これからは水道水を使わず、珈琲やスープなどそのまま口に入れる場合は、ミネラル・ウォーターでお湯も沸かすことにした。ベルリンはそもそも湿地帯を埋め立ててつくったような都市である。水が美味しくないのであろう。

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キュリー博物館で考える [原発問題]

ちょっと前の話になりますが、ワルシャワに行った時にキュリー博物館を訪れました。キュリー夫人が子供時代を過した生家につくられた博物館です。とはいっても、この地域は第二次世界大戦の終盤にてほぼ完全に破壊されていますので、戦後、つくりなおしたものだと思われます。さて、それはともかくとして、キュリー博物館、改めて色々と新しいことを学ぶことができました(これは私が不勉強だからですが)。キュリー夫人は、家族皆とても優秀で、まあ、その中でもマリーは飛び抜けて優秀だったようです。父親だけでなく、祖父も物理の教授ということで、優秀な遺伝子は引き継がれるのですね。マリーの娘もそういえばノーベル賞を受賞しています。バッハ一族のような感じなのでしょうか。
 また、放射能は発見された当時は万能薬のように思われていて、もう、色々な病気の治療に使われたことが分かりました。まあ、化粧品とかでも使われていて、それは高額だったので金持ちしか使えなかったのですが、多くの使用者がその後、皮膚癌で亡くなります。
 マリーも放射能の長年の被曝が原因で亡くなったのですが、彼女の共同研究者も多くがそれを原因として亡くなります。科学を進歩させた偉大なる功績は、このような研究者の犠牲のうえに積み重ねられてきた訳です。我々としては、先人の貴重な犠牲から、その危険性をしっかりと認識し、それと上手く付き合って社会を営んでいくことが重要だということを改めて学びました。原子力発電の再稼働に突き進んでいる政治家とか電力会社とかは、その危険性に対して、もっと謙虚にならなくてはいけないと再確認しました。
九州電力の池辺社長は11月7日に鹿児島県知事を訪問して、「原子力発電所の安全に万全を期す」と述べたそうですが、基本、その安全を脅かすのは阿蘇山や霧島岳、桜島の火山群であって、九州電力が「安全に万全を期する」ことができるような代物では全くないわけです。人災で事故が起きることはないでしょうが、福島原発の事故もそうでしたが、天災で事故は起きるのです。特に「火の国」九州はその危険性が高くて、安全とかを安易に述べられるような状況では全くない訳です。日本は狭い国土ですが、地球上の10分の1の地震が起きるところなのです。そして、日本の中でも九州は特に多い。別府温泉なんて、アイスランドが見劣りするぐらいの温泉地です。そういうところで原発を稼働させるのに「安全に万全を期する」ことができる訳がない。ちょっとキュリー夫人から話が発展し過ぎましたが、そういうことをしっかりと次代の人間が理解しないと、キュリー夫人も浮かばれません。

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前田愛『都市空間のなかの文学』 [書評]

1982年に出版された『都市空間のなかの文学』。著者が51歳の時の著書である。文庫本で620ページという凄まじく密度が濃い本である。文学研究というのは、ここまで調べるのか、という迫力に満ちており、圧倒される。彼がここで取り上げた本は、一部しか読んだことがないので、その研究の深さなどは残念ながらしっかりと理解できないことがあったのだが、一研究者の研究対象に傾ける熱量には、門外漢でも目眩がするぐらいだ。私は文学という立場ではなく、都市解析の参考になるかな、という立場で読み始めたのだが、都市から文学を解析するというアプローチだけではなく、文学から都市を解析するというアプローチが展開させる研究フィールドの豊かさに驚かされた。やはり、名著と言われる図書は読むに値する、というか読まないと不味いなと自省させられた。


都市空間のなかの文学 (ちくま学芸文庫)

都市空間のなかの文学 (ちくま学芸文庫)

  • 作者: 前田愛
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2013/11/01
  • メディア: Kindle版



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