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奥白根山(日本百名山40座登頂) [日本百名山]

奥白根山にチャレンジする。朝の4時過ぎに目黒区の自宅を自家用車で発つ。白根山のゴンドラの麓駅に着いたのは7時30分ぐらいである。7時30分はちょうどゴンドラの始発の時間であるので、タイミング的には絶妙であると言えるであろう。この日は晴天で、逆光であるが白根山の雄壮たる姿が見える。丸沼高原はスキー場が気に入っているので何回か来たことがあり、このゴンドラも随分と乗ったことがあるのだが、夏に来るのは初めてである。
さて、MarunumaではなくてMalnumaと書かれたゴンドラに乗って登山口まで一挙に上る。MalnumaのMalはスペイン語で「悪い」という意味なので、なんでMaruにしなくてMalなのか昔、気になっていたことを思い出した。しかし、その理由は今日になっても知らない。
ゴンドラで一挙に標高2000㍍地点まで上る。先週登った磐梯山の山頂より既に高い。標高が高いこともあり、空気が澄んでいて、フィトンチッドに溢れているような清涼さを感じる。さて、このゴンドラの駅からは、しばらくしっかりと整備された自然散策路で、牧歌的に歩いて行く。出発したのは8時ちょうどである。1時間弱で、自然散策路とは分岐し、本格的な登山路になる。いきなり斜面は急になり、呼吸も荒くなる。ただし、登山道はダケカンバの森の中を行くのだが、その美しさに息を呑むぐらいだ。日本は素晴らしい自然に恵まれていることを再確認する。しかも、東京から自動車で三時間ちょっとでこんな大自然にアクセスできるなんて、よく考えたら凄いことだ。ロンドンでもパリでもベルリンでも、このような大自然に自動車で三時間以内では行くことはできない。このダケカンバの森を一時間ぐらい歩くと、森林限界に達し、白根山が目の前に聳え立つ。ここからはガレ場である。それにしても百名山はガレ場を登らせる山が多い。いかに、日本の山が火山活動でつくられたかを思い知らされる。ガレ場を歩くポイントは、足もとをしっかりと確認して、浮き石に足を取られないようにすることだ。あせらず一歩一歩前に進んでいく。ふと振り返ると、富士山がその姿を現している。周辺の山々から図抜けて高いのでよく目立つ。富士山はその美しさだけでなく、圧倒的な高さによっても他の山々から飛び抜けた存在であることを、標高2500㍍ぐらいから望むとよく理解できる。さて、富士山の姿に勇気づけられ、ガレ場を前進していくと、無事、白根山の山頂の一角に着く。ただ、本当の頂上はもう一つの山頂であり、一度、窪地のようなところに降りて再び登る。山頂に着いたのは10時ちょうどであった。二時間で登れたことになる。
山頂からは360度の展望が得られ、白根山がひときわ周辺の山より高いこともあって、本当に感動的な景色を楽しむことができる。東側のすぐ隣には男体山と中禅寺湖、そして北に目を向けると会津駒ヶ岳、その左隣には燧ヶ岳の特徴的な山容がどんと構える。燧ヶ岳の左方向には至仏山が見られるが、燧ヶ岳からは意外と離れており、尾瀬湿原の大きさにちょっと驚かされる。そして、武尊山や皇海山も見える。さらには、前述した富士山もくっきりとその勇姿を現している。そして何より眼下に見られるエメラルドグリーンの五色沼の美しさが目を引く。北海道の阿寒国立公園にあるオンネトーよりもさらに心を惹かれる色彩だ。ちょっと宝石のような輝きを放っている。いやはや、こういう体験をすると登山をしたことのご褒美をもらえたような気分だ。簡単な昼食もこの山頂で取る。
そのまま、矢陀カ池を通って下山しようと思ったが、思いのほか早く登頂できたので、せっかくなので五色沼に寄ることにする。こちらのルートもガレ場なので降りるには足もとを注意しなくてはならない。マルバダケブキの黄色の中を歩いていくのは心躍る気分だ。マルバダケブキの黄色と五色沼のエメラルドグリーンとのコントラストが美しい。五色沼に着いたのは12時ちょっと前。思ったよりも時間はかかった。五色沼は遠くからだけでなく、畔からでもその美しさは変わらない。太陽が雲に隠れると、その色がエメラルドグリーンから藍色へと変わっていく。そして、その背景に見える白根山の堂々とした山容が素晴らしい。アメリカのシエラネバダ山脈の山々で感じるような荘厳さ、自然の素晴らしさを感じる。こんなところが北関東にあったのは驚きである。
しばらく五色沼の素晴らしさを堪能して、下山に入る。とはいえ、そこから矢陀カ池までは80㍍の高さを登らなくてはならない。矢陀カ池までは25分ぐらいで着いた。さて、ここは菅沼新道とロープウェイ駅との分岐点なのだが、ロープウェイ駅へのルートは「白根山」とだけ書いてあった。いや、ちょっと気をつければ「ロープウェイ駅もこちら」と書いてあったのだが、その時は、他の登山客がちょうど案内板の前にいたこともあり、遠目でチェックをした私は見落としてしまった。「白根山にはもう登らないよな」と思って、そのまま「菅沼登山口」に向かって下山をし始めた。この登山口も苔の緑が美しく、下山でもあり、楽しい気分で歩いていたのだが20分ぐらい歩いたところで「菅沼登山口まであと2.1キロメートル」の看板をみて、嫌な予感がして地図を確認するとまったくルートを間違っていることに気づく。既に結構、疲れていたので900㍍の来た道をまた登ると考えるとゾッとしたが他の選択肢はないので来た道を戻る。矢陀カ池には20分ほどで戻る。時間としては14時になっていた。そこから「白根山」に向かう道を行き、ちょっと登ると白根山とロープウェイ駅との分岐点に達する。右側のルートを取って、ロープウェイ駅へと向かう。急勾配の坂をゆっくりと歩いて降りていく。約1時間で自然散策路に合流し、せっかくなので「血の池地獄」という場所を見に行ったのだが、これはたいへん今ひとつであった。今日の登山で、唯一がっかりしたのはこれであった。というか、ネーミングと池のギャップが凄すぎる。あまりにがっかりしたので写真を撮る気力も出てこなかった。
登山口に戻ったのは15時20分。いらぬところで40分ほど損したので、思ったよりも遅くなってしまった。全行程で7時間ちょっと。
これまで北関東・南東北の山は結構、登ってきたが、この奥白根山はそれらの中でも別格の素晴らしさであった。寿司屋でいうと、先週の磐梯山が1500円ぐらいのランチ握りであるとすると、奥白根山は10000円の高級店でのランチ握りという感じである。これまでの登山の中でもベスト5に入る素晴らしい山であった。 

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<朝8時のロープウェイの山頂駅からみる奥白根山>

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<ダケカンバの森を歩いて行く>

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<朝の木漏れ日が美しい>

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<登山途中から武尊山の雄壮たる山容が望める>

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<森林限界を越えるとガレ場が広がる。と同時に白根山がその姿を現す>

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<振り返ると、富士山がその姿をはっきりと見ることができた>

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<白根山の山頂から北側への展望。燧ヶ岳を見ることができる>

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<白根山の山頂からの展望。男体山と中禅寺湖がすぐ目の前に広がる>

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<山頂からの五色沼の展望>

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<マルバダケブキの黄色と五色沼のエメラルドグリーンとのコントラストが美しい>

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<五色沼からの白根山の展望>

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<五色沼の息を呑むようなエメラルドグリーン>

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<矢陀カ池>

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<矢陀カ池から白根山を展望する>

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<下山時にロープウェイ駅から白根山を望んだところ>



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トランプの失言と虚言 [トランプのアメリカ]

先日(8月10日)のブログで、バイデンの失言をことさら、問題であると取り上げる日本のマスコミのバランス感覚の欠如を指摘した。ただ、一方的に批判するのも何だなと思い、トランプの失言集でもこのブログで書こうと考え、トランプの失言集が書けないことに気づいた。というのは、トランプは嘘デタラメを言いまくるので、もはや失言というレベルではないからだ。政治家は嘘つき、というのは古今東西、多くの人が理解していることかと思う。しかし、トランプはそのような「政治家は嘘つき」といったレベルを遙かに超越している。
 2017年のAmerican Ethnologistの記事でCarole McGranahanは嘘つきという点では、トランプは他の政治家とはまったく違う次元にあり、「最も成功した効果的な嘘つきである」と表現している。そして、トランプの出現と政治家としての成功によって、他の(主に共和党)政治家もトランプに倣ってあからさまな嘘をつくようになっている(これらは、特にコロナ・ウィルス関連で明らかになっている)と指摘している。
 ライス大学のDouglas Brinkleyは、政治家は嘘をつくことはあるが、トランプのように「常に、高頻度で」嘘をつく政治家は初めてであると言及している。そして、「嘘自体がもう政策となっている」と述べてもいる。まさに、トランプという政治家は、これまでとは異次元の、まさにカルト宗教の教祖のような存在になってしまっている。実際、まともなマスコミ(NBC系)はトランプの支持者をカルト団体と表現しているが、結構、適切な指摘であろう。
 したがって、失言より遙かにたちが悪い。実際、トランプはプーティンに対しての大統領としては極めて不適切な発言を「失言であった」と言い訳をしている。まあ、それに加えて、有名な失言は次のようなものであろう。
2016年10月20日:「I don't even wait. And when you're a star, they let you do it. You can do anything. ... Grab them by the pussy」。訳すのもおぞましいが、敢えて訳すと「(女性がその気になるのに)俺は待ったりしない。スターだと(女性は)何でもさせてくれるさ。何でもできる。○○をつかむことだってできるさ」。
2017年8月15日:「you also had people that were very fine people, on both sides.」 バージニア州のシャーロットビルで人種差別デモをしていたネオ・ナチのグループが、それを阻止しようとした人種差別反対の人を殺した後の発言。これは、バイデンに大統領出馬を決意させたきっかけとなる。
2018年9月29日:「[Kim] wrote me beautiful letters and they're great letters. We fell in love.」これは、失言というか、ただの馬鹿発言かもしれない。
2019年5月17日:キム・ジョンウンへの対しての賛辞「Well, first of all, let me say that I think that Kim Jong Un, or Chairman Kim, as some people say, is looking to create a nation that has great strength economically. I think he's very much -- I talk to him a lot about it, and he's very much into the fact that -- he believes, like I do, that North Korea has tremendous economic potential like perhaps few other developing nations anywhere in the world」(いや、これは失言というよりかは、ただ馬鹿丸出しの発言ですが)。
2019年6月28日・29日(大阪でのG20サミット):「 Get rid of them. Fake news is a great term, isn't it? You don't have this problem in Russia but we do.」 この場合のthemはマスコミ。訳すと、(マスコミ)を駆除しないと。フェイク・ニュースという造語は最高でしょう。このような問題はロシアにはないかもしれないが、アメリカにはあるんですよ。
・・
 こんな感じで失言をまとめてみようとしたが、よく考えたら、嘘の方が遙かに失言よりも質が悪い。というか、トランプの支持者のSNSのタイトルが「Slip of the tongue」(失言)であった。失言がむしろトランプの売り、というか、トランプの場合は常にけんか腰なので、その勢いある発言をむしろポジティブに捉えている傾向さえうかがえる。
 そういう輩を相手にすることになるバイデンの失言を問題視して、取り上げること自体、まさに揚げ足を取る行為であろう。もっと、しっかりとトランプの嘘やデタラメさ加減を報道していての、報道であるならまだ理解できるが、東京新聞はそのようなトランプ批判が極めて弱いという印象を持っている。
 ちなみにトランプは2020年7月9日時点で20000回の嘘をついている。これは、一日12の嘘をついている計算になる。下記のワシントン・ポストの記事とかに詳しく、その内容が書かれている。東京新聞の記者とかは参考にするといいと思う。
https://www.washingtonpost.com/politics/2020/07/13/president-trump-has-made-more-than-20000-false-or-misleading-claims/

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バイデンの失言を大きく報道する日本の馬鹿ジャーナリズム [トランプのアメリカ]

私が購読している「東京新聞」の今日の記事(2020.08.10)で、「バイデン氏失言」というものが掲載されていた。「黒人に比べて、ヒスパニックは多様だ」と述べたことが人種差別だというような内容だ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/48052/

あのねえ。このレベルの失言だったらトランプは1時間に3回ぐらい言っていますよ。この記事は、バイデンのリードが縮むだろう、とか書いているが、トランプ大統領は今でもコロナウィルスを「チャイナ・ウィルス」と必ず言っている。いや、トランプの失言はあまりにも頻繁なのでニュースにならないのは分かるが、トランプなんて「郵送での投票は不正があるから受け付けない」と主張していたのに、接近戦が見込まれるフロリダ州は、トランプ支持層の白人高齢者の多くが郵送での投票をする確率が高いので、フロリダ州は特別に大丈夫、などという本当にデタラメを言っていることなどを記事にしていない。しかも、郵便局を管轄する役所のトップをトランプの忠実な部下に任せ、郵便局の予算を大幅にカットし、郵送での投票を困難にしようとしている。こういう記事を書かないで、ちょっとしたバイデンの失言を大袈裟にとりあげるというのは、この金杉とかいう東京新聞の記者はジャーナリストとしてバランス感覚が欠けているのではないだろうか。

アメリカでも問題となっているのは、トランプや共産党はデタラメをやりたい放題しているのに、民主党がちょっとしたミスをするとすぐフォックス・ニュースなどトランプ支持のマスコミが騒ぎ立てる。この不公正がアメリカの民主主義の問題となっているのに、それに乗っかるこの金杉とかいう記者は何を一体全体、訴えたいのであろうか。

東京新聞は原発関係や被差別者の立場にたった面白い編集方針を貫いていて、私は応援したい気持ちがあるし、それであるからこそこのネットの時代に購読しているのだが、国際関係のニュースはレベルが低くて常に不満を抱いている。その中でも、この記事はひどい。こんなバランス感覚が欠如した記事を書くぐらいだったら、むしろ書かない方がいいぐらいだ。

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トランプはなぜ、ゴルフに行きまくるのか? [トランプのアメリカ]

トランプは2016年の大統領選で、オバマがゴルフばかりをしていることを非難していた。「そんなゴルフをする時間があるなら仕事しろ、俺なら国民のために仕事をするのでゴルフをすることはない(Because I'm going to be working for you, I'm not going to have time to go play golf!)」とほざいた。それから3年ちょっと経ち、トランプは大統領になってから283回ほどゴルフに行っている(2020年7月末時点)。オバマは第一期の4年間で100回ほどゴルフに行っている。少ないとは言わないが、トランプのほぼ3分の1の割合だ。
 なぜ、そんなにトランプはゴルフに行くのだろうか。コロナウィルスの対応で批判を受けていてもゴルフに行く。70歳を過ぎてもそんなにゴルフが好きなのか。
 個人的にもちょっと謎だったのだが、その理由が分かった。トランプはゴルフをする時、そのほとんどを自分が所有するゴルフ場でする。すると、大統領がゴルフをするということで、通常にも増して、そのゴルフ場では警備員等を雇うことになる。この追加費用はすべて税金で支払われる。つまり、トランプは自らがゴルフをすることで、自分のゴルフ場が儲かる、すなわち自分の懐が豊かになるのだ。
 とんでもない人間だ。しかし、これだけとんでもないことが明らかになっていても、まだ彼を支持するアメリカ国民は3割もいる。この民度の低さが世界中に露見されたことこそ、トランプ大統領が果たした最も大きなマイナスの功績であろう。そして、それを仕掛けたロシアのプーチン大統領の狡猾さには本当に舌を巻く。

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トランプが持ち出した感染者あたりの死亡率という指標 [トランプのアメリカ]

AXIOSのオーストラリア人ジャーナリスト、ジョナサン・スワンの取材を受けたトランプが、その事実誤認を指摘されて動揺したことが、随分と話題となっている。下記のユーチューブでその一部を見ることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=Ifns-1Wlji0
 アメリカは他国に比べてコロナウィルスにしっかりと対応している、世界の羨みの対象だ、とデタラメをほざきまくっているトランプであるが、今回はプロのジャーナリストに対してそれを主張してしまったので、その無理解が露呈されてしまった。
 彼は4枚ほどの紙を説明のために持参しており、スワンが「アメリカのどこがコロナウィルスの対策をしっかりとできているのですか。一日に1000人が死亡している(こういう数字を書くと、日本の対応は酷いが、流石にアメリカよりは遙かにましな状況であることを再確認する)のですよ」と指摘すると、得意げにこれらの紙をみせる。
 スワンはそれらを見て、これは「感染者あたりの死亡率ですね。私が問題にしているのは、人口当たりの死亡率です。アメリカはこの点では他国に比べて最悪の状況です」と指摘する。トランプにしては、それを指摘されると珍しくちょっと戸惑った表情を見せる。それはともかく、「感染者あたりの死亡率」という数字をみると、確かにちょっと面白い結果が示されている。アメリカのそれは3.3%、これは世界平均の3.8%より確かに低い(データは2020年8月7日)。ちなみに日本は2.4%である。中国は5.3%で、メキシコは10.9%である。アメリカは人口当たりの死亡率だと、世界一ではないがイギリス、イタリアに次いで高い。
 それでは、この「感染者あたりの死亡率」というのは何を示唆しているのだろうか。まず、コロナウィルスによる死亡率は高齢者率が高い国ほど高くなるので、高齢化率が高い国ほど高くなるだろう。もう一つは、死亡率の低い若者が多く感染していると、この数字は低くなるであろう。
 高齢化率とコロナウィルスの死亡率を示したグラフがあるのだが、アメリカとブラジルは高齢化率が低いにも関わらず、死亡率が高い。というか、前述した死亡率がアメリカより高いイギリス、イタリアはアメリカより高齢化率が高い(特にイタリアはずっと高い)。
https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/bubble.html
 ということで、「感染者あたりの死亡率」がアメリカで相対的に低いというのは、単に「コロナで死ぬ確率が低い若者が多く感染している」ということであって、これはむしろコロナウィルスの無策を露呈している。しかし、トランプはおそらくそういうことも分からないのだろう。いや、ジョナサン・スワンがこの点を指摘した時の、トランプ大統領の表情は、嘘の確信犯的な自信があるものではなく、困惑したようなものであったからである。
 日本もおそらく「Go To トラベル」を要因とした、沖縄などのコロナウィルスの新規感染者数が増えていてとんでもないなと思わされるが、トランプが日本の政治家でないことはちょっと安堵する。しかし、対岸の火事の火の粉がいつ日本に飛んでくるか分からないので注意していないと。

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『サム・オブ・ザ・パーツ(Sum of the Parts)』 [ロック音楽]

2014年にBBCが放映したジェネシスのドキュメンタリー映像。デビューから解散、そして2007年の再結成ライブまでのバンドの歴史を描いている。アンソニー・フィリップスの取材もあり、チャーター・ハウスでの活動、そしてフィル、スティーブが加入した初期のストーリーはよく編修されていると思われる。また、5人のメンバーの座談会形式の取材があるのだが、「眩惑のブロードウェイ」当時のピーターは最低だった的な赤裸々な発言が出てきたり、ハケットが脱退時に閉所恐怖症的な不快感を覚えたことを述べると、その原因はバンクスだろうとピーターが本人に振るなど、本音発言に溢れていて、いやあ、空気読まない感が日本人とは違って逆に新鮮だなと感心させられたりした。
 基本、ジェネシス・ファンであれば見て損はない、というか見るべき作品であると強く思う。しかし、その編修は悪くはないが、レイ・ウィルソンが一切、無視されたり、また「セリング・イングランド・バイ・ザ・パウンド」や「静寂の嵐」の作品紹介がほぼない(正確にはYour Own Special Wayは流れたりしていた)など、ジェネシスを語るうえで極めて重要な作品の解説がないことなどは、違和感は覚える。
 とはいえ、2時間の作品でそこまで期待するのは無理があるかもしれない。ファンとしては、時間が長いのは気にならないので、そこらへんもカバーできればより有り難かったかなと思う。


ジェネシス・ヒストリー〜サム・オブ・ザ・パーツ【BLU-RAY/日本語字幕付】

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Sum of the Parts / [Blu-ray]

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  • アーティスト: Genesis
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磐梯山(日本百名山39座登頂) [日本百名山]

ちょうど1年ぶりに百名山に挑戦する。このように時間が空いてしまったのは昨年の秋が忙しかったのと、今年前半はコロナで山登りという気分にもなれなかったからである。さて、一年ぶりに挑戦したのは日帰りでも行ける磐梯山。東京の自宅を7時ちょっと前に出発。道路は混んでいなかったし、それなりに飛ばしたのだが八方台に到着したのは11時。八方台の駐車場はそれなりのスペースがあるのだが、さすが11時だとほぼ満車状態で私はちょうど最後のスペースに停められることができた。ただ、ここが満車でも近くにもまだ駐車場はある。
 さて、八方台で既に標高が1200㍍ほどあるので、600㍍ちょっと登るだけである。距離的にも短く、大したことがないと思っていたのだが、なかなかの急勾配の厳しい登山であった。というか距離が短かったために助かった。この急勾配で距離が長いと相当、バテる。
 駐車場からすぐ美しいブナ林が広がる。これらのブナ林は明治時代の噴火以降に形成されたので100年ぐらいの若いブナ林である。このブナ林を抜けてしばらく歩くと中ノ湯跡という、元いで湯の跡地がある。周辺は硫黄臭が強い。
 中ノ湯では裏磐梯からのコースと合流するが、ここらへんから急登となる。土砂崩れの跡などを注意深く歩いて行くと、弘法清水に着く。弘法清水では湧き水が出ていて、その冷たさと美味しさに感動する。想像以上の急坂ということもあって、随分と水分補給をしたので、ここで冷たい水を確保できたのは大きい。ここで元気を回復して、最後の30分ほどのアプローチに臨む。さて、このアプローチ、メチャクチャ急坂である。わずか500㍍ぐらいの距離だが、息が上がり、なかなか前に進めない。一年ぶりの登山ということもあり、この坂は堪えた。
 しかし、頑張って30分ほど踏ん張ると磐梯山の山頂に着く。ちょうど14時だったので3時間弱かかったことになる。山頂からは、まさに360度の大展望が得られる。南には猪苗代湖、そして北には桧原湖が展望できる。ちょうど私が登頂した時には雲も周りになく、すばらしい展望を愉しむことができた。ただ、トンボやブヨがたくさんいるので、食事を落ち着いて取ることはかなわなかった。
 行きはあまりの急坂にそのような余裕はなかったが、帰りはカメラを取り出し、山頂と弘法清水の登山路に咲くワイルド・フラワーを撮影する。オニユリを初めとして、目を楽しませてくれる花々が多く咲いている。
 帰りも坂が急なので、注意深く降りていかなくてはならない。とはいえ、登りのような心肺機能に来る負担は全然、ない。ただ、膝には気をつけないといけないぐらいの急坂である。駐車場に戻ったのは16時。自分の体力の衰えを自覚させてくれた厳しい登山であったが、その素晴らしい展望、登山道沿いのワイルド・フラワーの美しさは、登ってよかったと強く思わせる。8月の晴天日であったが、あまり直射日光を浴びるところが多くないこともプラスであった。


【登山口にいきなり「熊注意」の看板。若干、緊張が走る】
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【登山口からは美しいブナ林の中を歩いて行く】
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【中ノ湯からは磐梯山の雄姿を眺めることができる】
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【中ノ湯の廃墟跡】
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【桧原湖の素晴らしい景色が望める】
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【弘法清水から山頂を望む】
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【弘法清水の冷たく、美味しい水で英気を養う】
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【山頂から猪苗代湖を望む】
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【山頂から秋元湖を望む】
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【山頂には磐梯明神の石祠が祀られている】
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【ホタルブクロ】
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【ウスユキソウ】
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【オニユリ】
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千里ニュータウンの訪問度・知名度調査 [都市デザイン]

私の大学で「地域都市政策総論」を受講している学生と千里ニュータウンの関係性を尋ねてみた。その結果をグラフで示す。母数は249名だ。そのうち3名(1%に相当)が千里ニュータウンに住んでいた。私の4回生のゼミ生が14人中2人がニュータウンに住んでいたので、もっと割合的には高いかなと思っていたのでこの数字は意外であった。住んでいない学生で、訪れたことはある学生は16%。6分の1ぐらいか。ただ、私も別にずっと東京に住んでいたが、多摩ニュータウンには滅多に行くこともないので、まあそれほど驚かない数字である。あと知らない学生も3分の1ぐらいいた。意外と千里ニュータウンの知名度は高くないので驚きだ。まあ、こんなアンケート結果を公表されてもな、と思う読者が大半だろうが、せっかく調査に学生達も協力してくれたので、ここに公開させていただく。

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海外留学の代わりにオンライン留学を検討する学生は・・・増えない [教育論]

大学の教員をしていると、頓珍漢な大学運営に驚くことが多い。しかし、これは自分が奉職している大学だけではなく、他の大学も似たり寄ったりである。それでも、7月29日の朝日新聞の記事で紹介されたことには驚いた。

群馬県立女子大は「海外留学・海外ボランティア・海外フィールドワークを希望する学生は多いが、実際に行ける学生は激減し、海外留学の代わりにオンライン留学を検討する学生が増える可能性もある」。

これだけを読めば、何を驚いたのかと思われるかもしれない。解説させてもらう。海外留学に行くために日本の大学に行くという選択肢はある。いきなり、海外の大学を外国人の立場で受験して合格するのは至難の業なので、日本の大学に入って海外の協定校などで行って、留学もどきの体験をすることは決して悪くはないと思う。しかし、ここでオンライン留学ということになると、ちょっと話は変わってくる。オンラインでの留学をするのであれば、そもそも日本の大学に入る必要はなくなる。なんで、わざわざオンラインで海外の大学の講義を受講するのに、日本の大学に授業料を払わないといけないのか。ちょっと頭が働く保護者、そして学生だったら気づくだろう。いや、それはオンラインのアクセス権がないから、とか反論するかもしれないが、海外の大学だって馬鹿じゃないので、直接、若者達にアプローチにするようになるだろうし、オンラインのアクセス権を日本の大学が確保するのは、相当の交渉が必要となるだろう(私は以前務めていた大学で、留学の部署であった国際センター長を務めていたのでここらへんの交渉が簡単ではないことはよく知っている)。
 何を言いたいかというと、群馬県立女子大の朝日新聞に取材をした人は、オンライン留学を検討する学生は、もはや群馬県立女子大に授業料を払うインセンティブが実はない、ということをあまり理解してないと思われるのだが、そのようなお人好しの学生はそれほど多くないということだ。海外の大学によるオンライン留学が普及したら、日本の大学に授業料払ってまで、オンライン留学をしたい学生は減りますよ。
 と書いていて、そんなことはないな、と言うことにも気づいた。オンライン留学をしてまで英語での勉強をやりたい、という学生はいないわけではないだろうが、おそらく極めて少数で、それだけ勉強熱心だったら、大変失礼ながら群馬県立女子大には行っていないからだ。海外フィールドワークや海外ボランティアといった身体的な海外体験を求めている学生はいても、オンライン留学までして海外の大学の勉強をしたい学生はゼロとはいないが、ほとんどいないであろう。いや、関係者が不愉快な思いをしたら申し訳ないが、ほぼ同じかちょっと上ぐらいの偏差値の私の現在勤務している大学も前任校においても、そういう学生は皆無である。
 最初の考察とはずれたが、それでもこの朝日新聞での記事での発言はおかしい。それは、「オンライン留学を検討する学生が増える可能性もある」ということがないからだ。

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コロナによる死亡者数の推移 [サステイナブルな問題]

コロナウィルスを警戒する人達を「コロナ脳」と批判する人達が増えています。まあ、批判するのは勝手かもしれないですが、このグラフをみてから言ってもらいたい。

https://public.flourish.studio/visualisation/2944635/?fbclid=IwAR1QBsz0mpvotGoiGS-gcq7XHScyTJBC-ouxtY_nAWw3lXSwymbDtINlM1I

このグラフは、2020年1月1日から今まで(7月24日)の要因別死亡者数を示したものです。2月頃からコロナウィルスでの死亡者数が凄い、勢いで増え始めて、マラソンに例えれば最下位グループからまさにターボエンジンをかけたかのように猛追して、現在は3位。しかも2位の「結核」に肉薄している。1位の「糖尿病」も視野に入っている。これは、今年後半ではトップに立つでしょうな。どこが、ただの風邪だ。ちなみに、こちらの方が危険だと指摘されているインフルエンザは11位。


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ゴートゥー・トラベル(Go To Travel)は英文法的におかしいのか [英語関連]

以前、ゴートゥー・トラベル(Go To Travel)の批判をこのブログにて書かせてもらったが(https://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2020-07-22)、その時、英文法的にもおかしいと指摘した。ここでは、どこがおかしいかをサッと説明したい。

まずGo to Travelは英文法的におかしいかと言うと間違ってはいない。ただ、これはTravelが固有名詞だったりした場合や、明確に分かる場所だったりした場合だ。Go to the kitchenやGo to Meguro Station, go to a library, go to Williamsburgなどと同じ文脈で、例えばTravel が地区名だったりしたらそれはそれで大丈夫である。この場合は命令形になるので主語とかはいらない。

しかし、Travelを旅行するという文脈で使おうとすると、そういう言い方はしない。というか、このGo To Travelで何を言いたいのか、ということをまず確認した方がいいだろう。そもそも英語が変なので、意味を解釈してからでないとまともな英語にもできないからだ。これは「旅行に行こうぜ!」とか「旅行に行きましょう」とかいう意味かなと考えられるが、そうであればLet’s Travelになる。Travelは名詞でも使われるけど、基本、動詞である。Travelで「旅行に行く」という意味なので、go travelという言い方はまずしない。ただ、Where are you going to go travel? みたいな言い回しはない訳ではないので、名詞としてのtravelとして用いてgo travelと言えなくもない(しかし、ここでもgo to travelとは絶対言わない)。ただ、名詞としての旅行はtripを使う方が自然で、そういうことが分かっていればGo on a tripという言い方をする。ちなみにTripは動詞もあるが、これは「つまづく」とか「失敗する」とか「足をひっかける(他動詞)」とかの意味で旅行関係の意味がない。そういう意味でも、上記のような意味として使いたければtripが妥当であろう。

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コロナ脳批判の背景を考察する [サステイナブルな問題]

最近、コロナ脳を批判する人達が日本において増えている。不思議なのは、このコロナ脳批判の議論は国際的にはほとんど異端であるにも関わらず、日本では幅を効かせているということだ。いや、完全に異端という訳ではない。ブラジルの大統領は、コロナ脳批判を繰り返している。そして、自分も罹患してしまった。ただ、その後も意見をあまり変えていないようだ。ある意味、信念の人かもしれない。あと顕著なのは、トランプ政権とその支持者達である。5月頃は、コロナで自粛したりする州(特にニューヨーク州など)を政策的な失敗と批判していて、今、まさにコロナ脳とカテゴライズされるコロナ自粛派を批判というか、罵詈雑言を浴びせている人達とほとんど同じことを言っていた。特にフロリダ州のデサンティス知事やテキサス州のアボット知事などである。7月の今、両州とも驚異的にコロナ患者が増え、ヒューストン市などでは病院のキャパオーバーとなり、まさに緊急事態である。フロリダ州はアメリカ合衆国を含めてだが、国として捉えると4番目の新規感染者数を記録している。
 コロナはただの風邪、みたいなことは、まさにアメリカのコロナ脳批判者側がずっと言っていたことで、コロナ脳批判者の意見には既視感を覚える。ということは、2ヶ月後には日本も相当、コロナが流行していることが考えられる。
そして、ついにトランプは先日、コロナは危険であり、しっかりと抑制させなくてはいけない、マスクもしなくてはいけないとホワイトハウスの記者会見で述べた。自分のこれまでのコロナウィルスに対する考え方を公に改めたのである。トランプが、このように煮え湯を飲むことになったのは、コロナウィルスがアメリカにおいて猛威を奮っているからである。コロナによる死者数が14万人を越えた現状において、これ以上、コロナ脳批判を繰り返していると、11月の大統領選において惨敗することが目に見えているからだ。
グローバル化することでメリットとデメリットが双方あるが、こういう輩達の意見がおかしいということが、他国が辿った道を知ることで分かるということはメリットであろう。おそらく、こういう情報を流している人達の一部はお金をもらって発信しているだろう。アメリカにおけるSNS等を通じたフェイク・ニュース発信者と同様に、そういうビジネスがあるのだと思われる。そういう人達の意見は無視していればいいのだが、結構、インテリもだまされたりするので気をつけなくてはならない。ホリエモンとかはまず相当の確率で、あのように発言することでお金が懐に入っているような気がする。くれぐれもそのような発言には気をつけて、自分の頭でしっかりと考えることが必要である。鵜呑みをするのは危険である。まあ、そういう意味ではこのブログも同じ位置づけかもしれないが。

タグ:コロナ脳
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日本のコロナウィルスの人口当たりのテスト数の異様な低さ [サステイナブルな問題]

日本のコロナウィルスの人口当たりのテスト数を国際比較すると、その数字の低さに愕然とする。215国中なんと159位で、日本はセネガル、ウガンダの次である。私はセネガルには行ったことがないが、ウガンダには行ったことがある。まともな医療サービスを受けることが難しいようなウガンダの方が日本より順位が高いというのは驚愕の事実だ。ちなみに日本の次はカメルーンで、グイアナ、ケニア、インドネシア、トーゴ、トリニダード・トバゴ、フィジー、ザンビアと続く。日本より100倍多く実施しているのはルクセンブルクであるが、50倍以上であれば、アラブ連邦共和国、バーレイン、アイスランド、デンマーク、イギリス、シンガポール、ロシア、イスラエル、カタール、アメリカ合衆国、オーストラリア、ポルトガル、スペイン、ベルギー、アイルランドといった国が挙げられる。
 感染者数が27090人、死者が988人、新規感染者数が567人(7月22日)という状況で、このテスト数の異様な低さは異常である。
 コロナウィルスの感染の拡大を抑止するのは、ニューヨーク州での取り組みが成果を上げていることからも分かるように、徹底的にテストをして、コロナウィルス感染者を隔離し(自宅待機等でも構わない。人との接触を回避させるということ)、非感染者によって経済活動を続けるという状況を維持させることである。つまり、岩手県のように感染者数がゼロのところの小学校まで一律に閉校するのではなく、感染者が存在する場所において、その感染拡大を抑制させることが極めて効果的である。
 ここでテストをして陽性なのに陰性がでた人が移したら大変だ、という議論があるが、それであれば二回テストをして、そのような確率を減らすことを考えるといいと思うし、そのような人が多少、人に移すリスクがあるといっても、それでも検査をしないよりかは、はるかに状況は改善されると思う。自覚がないまま、人に移してしまう人が存在するという事実は検査をしようがしまいが、どちらにしろ、あり得るからだ。まだ検査をした方が、少なくとも検査で陽性が出た人が行動を抑制するからプラスである。
 ゴートゥー・トラベルの理不尽さは、二階氏関連の業界への利益誘導であることが明らかになり、納得している自分がいるが、このコロナウィルスの検査を回避しようとする本当の理由は何なのであろうか。アフリカ諸国並みの人口当たり検査数、そして、ここ数日の新規感染者数の高さの異様さから考えると、日本はなんかとんでもなく駄目な国になってしまったと思わずにはいられない。アメリカ合衆国の馬鹿な対応を対岸の火事のように笑えない状況になりつつある。

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コロナ感染者等の国際比較(7月24日) [トランプのアメリカ]

アメリカのコロナ感染者数は本日(7月24日)、417万人である。アメリカの人口は3億2820万人ぐらいであるから国民の1.3%がコロナに罹患したことになる。感染者数は圧倒的に多いが、割合でみるとチリ、カタール(ただし感染者数は10万8千人と少ない)、バーレインの方が高い。ちなみに、全人類では0.2%が感染している状況である。
 アメリカでのコロナによる死者は14万7000人である。人口100万人当たりの死者数は445人。これも絶対数ではダントツであるが、割合でみるとベルギー(846人)、スウェーデン(562人)、フランス(462人)、イタリア(580人)、イギリス(671人)、スペイン(608人)、チリ(462人)、ペルー(535人)人の方が多い。しかし、これら欧州諸国ではコロナ禍は沈静化しているので、この国をアメリカが抜くのは時間の問題であろう。ちなみに全人類では82人である。
 さて、テストの数に関してであるが、アメリカは5155万。これは結構、多い数字であるが中国の9000万には遠く及ばない。人口100万人当たりのテスト数でみると、アメリカは15万であるが、ロシアは17万、イギリスは21万、カタールは16万、デンマークは24万、ルクセンブルグは59万であり、それらの国よりは少ないが、結構、多くのテストをしていることは確かだ。
 トランプは、アメリカはどこの国より多くのテストをしていて、人口当たりの死者数は最も少ないとフォックス・ニュースの取材でほざいていたが大嘘であることが、これらの統計からも分かる。
 トランプの嘘を検証するために統計数字をみていたが、ついでに日本のデータをみると感染者数は2万7000人で、死亡者数は917人、テスト数は68万8000件。100万人当たりの数字でみると、感染者は214人(0.02%)、死亡者は8人、テストは5441件となる。感染者数はアメリカと比べた場合、65分の1,死亡者は56分の1と低いが、一方でテストも28分の1とおそろしく低い。ルクセンブルクと比較すると100分の1以下という水準だ。日本は幸い、コロナ禍の被害がまだそれほど多くはないが、テストをしないことには、コロナウィルスの流布を抑制できないので、今後は、感染者数、死亡者も増えていくような予感がする。

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トランプの認知度テスト [トランプのアメリカ]

トランプが認知度テスト(Cognitive Test)でどうも満点を取ったらしく、凄く自慢していて、バイデン元副大統領も受けるべきだと挑発している。そこで、どんなに難しいテストなのかと思ったら、おそろしく簡単なテストであった。是非とも挑戦してみてください!!

https://www.bbc.com/news/world-us-canada-42717163?fbclid=IwAR3znvsmCtZEMm_4-tF4Ht6Epqb2u6088tGSnBdZzSR_PELeS1LMVeTxXh4

ライオンとサイとラクダの写真を見せて、それらが何かを答えるとか、100から7を引き続けた数字を選ぶとか、もう小学校入試の問題より簡単です。いや、トランプおかしいと思っていたけど、流石にこのテストで満点を取って自慢しているのは、おかしさを通り越して異常です。というか、これで自慢しているのは真面目に認知症かもしれない。こんな阿呆から、何兆円もの使い物にならない兵器を買わされた日本も阿呆ですが・・・。
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「Go To トラベル」は21世紀の「生類憐れみの令」なみの愚策である [サステイナブルな問題]

コロナウィルスの新規感染者数が増えている。昨日(7月21日)、東京都内では237人の新型コロナウイルス陽性者が確認された。陽性者が100人を越えるのは13日連続で感染拡大に歯止めがかからない。大阪府でも 72人と増加傾向がみられる。国内での新規感染者数は631で、全体でも増加傾向にある。増加率の推移をみると、4月2日の頃よりは緩やかではあるが、パンデミック前夜というような状況でもある。
 さて、そのような危機的状況にある中の本日、「Go To Travelキャンペーン」が開始される。Go To Travelって、英文法的に間違っているだろう(敢えて正しいように解釈すると、Travelという固有名詞がある場合、例えばTravelというお店に行けという場合は間違いではない)という突っ込みは置いといて、このあまりのタイミングの悪さにゾッとする。というか、実態としては、人々の移動をむしろ規制するような状況であるのに、血税を投入してまで人を移動させようと促すこの愚策は、なんかコロナウィルスを撒き散らしたい悪意があるのか、とさえ邪推させる。
 コロナウィルスは人を介して感染する。したがって、ソーシャル・ディスタンスやマスクが極めて、その感染防止に有効である。これでも感染拡大を阻止できない場合は、ロックダウンという措置をすれば、EUの経験からも抑えることができることは分かっている。
 ゴートゥー・トラベルはまさに、その逆の効果しか及ぼさない。それなのになぜ、このような対策をするのか。表向きは国内観光需要喚起ということで、コロナウィルスの流行によって打撃を受けた観光産業の支援ということだが、この施策によって、さらにコロナウィルスの新規感染者数が増えれば、結果的には観光産業により大きな打撃を与えることになる。そもそも、コロナウィルスによる地球規模でのパンデミックは、観光のあり方に大きなパラダイム転換のような変化を強要しているような状況である。コロナウィルス以前の観光を維持させようという発想自体、賢明ではないと思われるが、そのために血税を投入する必然性はない。この愚策の予算は1兆7千億円。日本人一人当たりの負担額は1万4600円ぐらいか。一人一泊当たり2万円の補助だと、まあそんなものかもしれないが、東京都民には適用されないので、その不公正はどうにか対処してもらいたいと思う。と書いて、東京都民の予約キャンセル料を国が補填するので、これで東京都民分は全て水疱に帰すだろうな、と思ったりする。しかし、このキャンセル料に税金を使う、ということの馬鹿さ加減というか無責任さをもっと自覚してもらいたい。普通、こんなキャンセルをさせるような事業を遂行したら、民間企業だったら降格かクビですよ。というか、ボーナスは全額カットであろう。
 それはともかくとして、この状況下でこの愚策を推し進めるのは、当然、全国旅行業協会の会長が二階さんであるからだと推察できる。とはいえ、あまりにも分かりやすくて、国民を愚弄している。そして、二階さんを支持しているのが観光産業を所管する経済産業省らしい。相変わらず、経済産業省はセンスが悪い。
 私の机の上には、使われていない「アベノマスク」が置かれている。使おうかと思うのだが、あまりにもサイズが小さくて、結局、市販のものを使ってしまっている。そのうち、ゴミ箱に行くであろう。このアベノマスクで使われた国民の血税は260億円。まったくの無駄であったが、260億円だと国民一人当たりの負担は220円。まあ、これぐらいだったら、それほど痛くない。1万4600円は、ちょっと洒落にならない。あと、アベノマスクはコロナウィルスの感染防止に役立たなかったかもしれないが、その感染拡大には寄与していない。ゴートゥー・トラベルは感染防止にはまったく効果はゼロだが、感染拡大には寄与する。そして、この感染拡大することが、観光産業へのダメージをより長期化、深刻化させる。
 二階さんは4200万円ぐらい、観光業界から献金してもらっていたので、このような機会に恩返しをしたいという気持ちはあったのかもしれないが、国民の健康(場合によっては生命)を犠牲にしてまですることではない。というか、これって、観光業界への恩返しにもならない。なぜ、もう少し、待てなかったのか。
 これは、「生類憐れみの令」なみの愚策だ。おそらく、歴史に残るであろう愚策になるだろうと思われる。

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西暦と年号について考える [グローバルな問題]

日本では西暦と年号を用いる。年号は645年の大化の改新の時から始められたそうだ。西暦は時間を大幅に括れて、事件や出来事などが時系列的に把握できて便利だ。一方の年号はその前後関係も分かりづらいし不便なので、若い時などは西暦に一本化すればいいじゃないかと思ったりもした。
 さて、しかし年を取り、西暦の時間の一本道的な考えに違和感を覚えるようになっている。エントロピーの法則などを考えると、確かに時間は一方に進んでいると考えられる。自分自身も生まれると同時に、時間の流れとともに死に向かっていく。確かにそうなのだが、本当に時間は一本道なのか。もっと循環的な捉え方もあるのではないか。とも思うようになっている。なるほど、個体としての私はそのうち亡くなるが、子供をつくることで、「生」は継続されていく。昨今では、宇宙もユニバースではなく、マルチバースであるという考えが出始めているが、そのような考えに基づくと、必ずしも宇宙の消滅というのはないのかもしれない。そして、それは輪廻のように繰り返される、というような時間の捉え方の妥当性を示唆しているようにも思われる。
 そして、そのような時が循環するというような考え方で時間を捉えると、結構、西暦よりも年号で時を把握した方がいいかもしれないな、と思ったりする。いや、年表をつくったりするのが面倒になるし、日本史の試験勉強はより困難にはなりそうだが。

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京都人のいじめ気質をコロナウィルス禍で再確認する [京都生活]

京都人はよそ者を見つけては虐める。とはいえ、日本を冠たる大学都市で、また観光都市であるのでよそ者を受け入れてはいる。よそ者が嫌いという訳ではないだろう。まあ、受け入れるからこそのイジメという風にも捉えられなくもない。よそ者がそんなにいなければ、そもそもイジメようという気分にならないし、観光プロモーションや大学の立地などさせないと思うからだ。
さて、先日、ある研究会があった。この研究会は、ほぼ関西のメンバーから構成されているのだが、私ともう一人は東京と京都を往来していて、二人とも東京人である。そうしたら、メンバーの京都S大学の先生が「東京はコロナウィルスの新規感染者数が増えているようで大変なんじゃないですか」と話を振ってきた。そして、「先日、東京の人が取材を依頼したら、東京の人は、コロナかもしれないので取材はお断りですよ、と言われたみたいですよ」と言ってきた。私が、「どちらに取材をしようとしたのですか?」と尋ねたら「京都ですよ」と答えてきた。
あまり、そういう意図はないのだろうけど、私ともう一人の東京と京都を往復する先生に暗に「来るなよ」と言っているような気になってしまった。あと、この取材を断ったのが京都、というのがとても納得できる。京都以外だったら、コロナが本音でも建て前で違う理由を言ってくるような気がする。あと、この話を私に伝えたのが京都の先生であるところも興味深い。普通、そういう話は東京人に対してはしなくてもいいと思う。いや、これが福岡とかだったら、第三者的に「酷いこと言うところもあるよね」というのもあるかもしれないが、自分も京都人だと、この話で暗に自分が思っていることを伝えようとしていると勘ぐられても致し方ないと思う。
まあ、こういうイジメかたは「ぶぶ漬け」のような回りくどさがなく、逆にあまりにもストレートなので分かりやすいのだが、なぜ、そんなことを敢えて言わなくてはならないのだろう。おそらく私に信頼されなくても屁のかっぱと思っているのかもしれないし、人を不愉快にすることで快感を得られる人もいるからな。あと、心に思ったことを言わないと気持ち悪い、というタイプなのかもしれない。
コロナウィルス禍なので、そのような見方をしてしまうのかもしれないが、よくよく考えると日本全体でもカリフォルニア州より面積的には狭いのに、こう地域での違いをことさらに強調するというのは、東京と京都の二重生活をしている私からすれば違和感は覚える。とはいえ、万が一、私がコロナウィルスの媒介者になったりしたら、まあ、彼女の不愉快な発言も正当化されるのだが。


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『地下鉄のザジ』 [映画批評]

何かのきっかけで購入してしばらく放っておいたのを、仕事が一段落したので見る。放っておいたのはあまり興味が湧かなかったのだが、見たらなかなか面白く、鑑賞後の疲れはない。まあ、それは軽い作品だということもあるが、個人的に興味深く感じたのは、この映画は1960年の作品なのだが、当時のパリの状況を知る貴重な映像資料となっているからだ。戦後から15年後のパリは、今のパリとは比べものにならないほど雑然として無秩序である。しかし、そこで撮影されていたギャラリーなどは今よりもずっと汚いが、その雰囲気を今でも維持できていることを知る。60年後の今の方が、古い建物が洗練されお洒落になっていて、それらしくなっていることに気づかせられる。都市デザインがそれなりに都市の魅力を向上させることに貢献することに気づかせてくれ映画であるということが個人的には、何より興味深かった。映画の内容はドタバタ・コメディ。しかし、ちょっとセンスはよく、また映像編集も上手く、それがこの映画のハチャメチャなドタバタさ加減に清涼剤のような爽快感を与えている。いや、見て損はない映画だと思う。


地下鉄のザジ [DVD]

地下鉄のザジ [DVD]

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
  • 発売日: 2018/07/27
  • メディア: DVD



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広井良典『ポスト資本主義』 [書評]

京都大学の広井良典教授が著した新書。広井先生の縮小時代における社会システムをどのようにつくっていけばいいのか、現状の課題を挙げて解説している。彼の思想が包括的に明解にまとめられており、広井先生の本をとりあえず読んでみたいという読者には、この本はお勧めである。広井先生の特徴は、その知識の裾野の幅が広いところである。法学部で学ぶが、科学史に関心を持ち、そちらに専門を移し、厚労省で働いたこともあるので、福祉政策・医療政策にも精通している。その幅の広い知識と視座が、現在・過去の社会システムを分析し、未来の望ましい社会システムを提示するうえで極めて有効に働いているのではないかと思わせる。この本は、そのエッセンスが集約されており、分かりやすい。


ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来 (岩波新書)

ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来 (岩波新書)

  • 作者: 広井 良典
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2015/09/17
  • メディア: Kindle版



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竹内正浩『地図と愉しむ東京歴史散歩』 [書評]

東京は破壊と再生を繰り返した「不死鳥」のような都市である。本書は、明治以降(江戸時代にも多少、踏み込んでいる章もある)の東京がどのように変遷してきたのか。古地図との比較から丹念に、それを描写している。たいへん面白く、好奇心を刺激される。9つの章からなり、次の9つの切り口から東京の変遷を浮きぼらせている。それは水準点、明治の五公園、市営霊園、水道道路、川、山手急行電鉄計画、軍都、帝都復興道路、廃線分譲地である。個人的に特に興味を引いたのが、荒川放水路という大土木事業を解説した「川」の章と、山手急行電鉄計画の章である。前者は実現されたことで東京東部が大きく変貌したものであるが、後者は未完であるが、もし実現されたら、どれほど東京の姿が変わったであろうか。想像するだけで楽しくなる。また、これらの歴史の記憶が土地に残っている場合もあるが、痕跡がまったくなくなった場所も少なくない。忘れたくなるような記憶(たとえば赤線地帯であったことなど)であるのかもしれないが、ネガティブであっても、それは東京(江戸)という都市の事実であり、物語でもある。そのような土地の記憶をしっかりと継承させることの重要性もこの本は読者に伝えているような感想を抱いた。


カラー版 地図と愉しむ東京歴史散歩 (中公新書)

カラー版 地図と愉しむ東京歴史散歩 (中公新書)

  • 作者: 竹内正浩
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/07/11
  • メディア: Kindle版



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ヒッチコックの『レベッカ』 [映画批評]

1940年のヒッチコックの監督作品。ヒッチコック41歳の作品。サイコスリラー的な作品であるが、後味はいい。たまに、こういうスリラー的で後味の悪い作品があるが(例えばマドモアゼルやツイン・ピークス)、映画は基本、娯楽なので、後味がいいと観てよかったと思える。白黒映画なのだが、これがかえってグッとゴシック的な雰囲気を出していて、映画の世界に引き込ませる。さすがの傑作だ。どうでもいい話だが、主人公のジョーン・フォンティンは日本の東京で生まれたそうである。


レベッカ [DVD]

レベッカ [DVD]

  • 出版社/メーカー: 映像文化社
  • 発売日: 2013/11/28
  • メディア: DVD



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佐賀駅と下北沢駅の乗降客数 [都市デザイン]

 ちょうど一週間前に、佐賀県知事が新しい公共事業「SAGAアリーナ」を「とりあえず下北沢みたいにしたい」と発言して、その阿呆さ加減をこのブログで指摘した。
https://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2020-07-05
 しかし、その際、駅の乗降客数を比較し忘れたのでここで追記する。下北沢の1日あたり乗降客数は小田急線と京王帝都井の頭線を加えての値だが、237000人である。これに比して佐賀駅は12624人とほぼ20分の1、下北沢の5%ぐらいにしか満たない。下北沢の楽しさは、自動車ではアクセスできなくて、徒歩や公共交通でアクセスできることだ。そのマーケットが佐賀駅は下北沢の20分の1しかない。「とりあえず下北沢」の発言が、どれだけ本質を外しているのかが、この数字からも分かるであろう。
 私が、どうして、この件でこんなに立腹しているか、というと佐賀市には佐賀市のよさがあって、それを追求すべきであるのに、昔の地方で乱立した「○○銀座」のように、21世紀になっても、いまだ東京的なものを追求する田舎もん根性が払拭できていないことと、東京のような世界でも希有な大都市でしか存在できないようなものを、佐賀できもできると考える無知蒙昧さ・・・これが地方を駄目にするからだ。地方の豊かさを将来の世代に残すために何をするべきか、を真剣に考えたら、こんな馬鹿な施策ができる訳がない。そして、地方の多様な豊かさこそが、日本という国の豊かさなのに、なぜ東京的な豊かさを地方で実現しようと考える。しかも、それは都市の生態系的なことを考えれば、出来ないことは火を見るより明らかなのに。
タグ:下北沢 佐賀
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フロリダを凌ぐ勢いで、アリゾナでコロナウィルスが猛威をふるっている [トランプのアメリカ]

先日、フロリダ州においてコロナウィルスの猛威について述べたが、現在、さらにやばいのはアリゾナ州である。7月9日の新規感染者数は4057人で死者数は75人。合計で11万2671患者数で死者は2038人。
一週間の平均新規患者数は先週の509人であったことを考えると、ほぼ7倍増加したことになる。アリゾナ州の人口当たりの新規感染者数は米国のどの州よりも多く、そしてどの国よりも多い。ちなみに二番目に多いのはフロリダ州である。人口自体はそれほど多くない州なので、絶対数は全米の州の中でも8位、死者数でも16位であるが、人口当たりでみると、その数字は凄まじいものがある。
アリゾナ州といえば、2週間前の6月23日にトランプ大統領がユマとフィニックスに訪れてラリーを開催したところである。それから二週間ちょっと経った後のこの阿鼻叫喚の事態。トランプは、まさにアメリカ人にとって疫病神となっている。疫病神を崇めていると、ろくでもないことになる。そういうことを考えると、10日後ぐらいに危ないのは7月3日にトランプがラリーを行ったサウスダコタ州か。

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スティービー・ニックス(フリートウッド・マック)の名曲ランドスライドの歌詞の意味 [ロック音楽]

フリートウッド・マック(ピーター・グリーンやクリス・ウェルチの時代を除き、1975年以降のスタジアム・バンドになってからの話)は、3人の傑出したソングライターがそれぞれの個性を反映した楽曲群で我々を楽しませてくれるが、その3人の中でも特に強烈なキャラを放っているのはスティービー・ニックスであろう。
 さて、スティービー・ニックスは多くのヒット曲を世に送り出しており、どれが彼女のベスト・ソングかと問われると、なかなか悩ましいところは多いが、世代を超えて歌い継がれる曲はランドスライドではないかと思う。
 この曲はメロディもそうだが歌詞がなかなか人の琴線に触れるところがある。私も特に意味を考えなくても「But time makes you bolder, even children get older, and I’m getting older too」のところは惹き付けられていて、歌詞を覚えている。

I took my love, I took it down
Climbed a mountain then I turned around
And I saw my reflection in the snow covered hills
Till the landslide brought me down

Oh, mirror in the sky
What is love?
Can the child within my heart rise above
Can I sail through the changing ocean tides
Can I handle the seasons of my life

Well, I’ve been afraid of changing
‘Cause I’ve built my life around you
But time makes you bolder
Even children get older
And I’m getting older too

Take my love, take it down
Climbed a mountain and you turn around
And if you see my reflection in the snow covered hills
Well the landslide will bring it down

さて、しかし琴線には触れるが、その意味は不明瞭である。いくつか、日本語でその解説をしているブログもみつけたが、母親の心境だろう、とかちょっとズレた解釈がされている。ということで、私もちょっと解釈を試みたい。
その前に、スティービー・ニックスがどのような状況でこの曲をつくったのか。これについては、スティービー・ニックス自身も取材等で回答している(https://www.youtube.com/watch?v=9QAldn59NWQ)。
 作曲したのは1974年でスティービー・ニックスが26歳の時である。高校時代からのボーイ・フレンドであるリンゼイ・バッキンガムと音楽家として生計を立てようと頑張っていて、昼はウェイトレスの仕事をして、夜に創作活動に勤しんでいたのだが、この時はもう疲れ切っていて大学に戻ることを考えていた。ちなみに、ニックスの父親は全米にネットワークを張りめぐらすグレイハウンドの副社長を務めたような人である(一部では社長という説もあるが、父親本人の葬儀の案内では副社長となっているので、そちらが正しいように思われる)。
1973年にポリドールで録音した「ニックス・バッキンガム」がちょうどカタログから外された連絡を受けたニックスは、上記の取材でも述べているように大学に戻るか(授業料を親は出すと言っていた)、バッキングガムとの(主に音楽的)関係を続けていくかで悩み、このまま二人で音楽をやって行くぞという決意の心境を歌っている(と雑誌の取材で述べている。http://performingsongwriter.com/stevie-nicks-landslide/)。ということで、ニックスの父親本人とかも、これは自分のことを歌っていると思っていたらしいが(実際、あるライブではニックスがこの曲を父親にと言っている時もある・・・ただ、ニックスはこの曲をライブで演奏する時には、○○に捧げます的な言い方をする)、やはり、これは袋小路に陥った自分が今後、どうするか思慮して、その決断を示した歌と解釈するのが妥当であろう。
ちょうど、この曲はニックスがバッキンガムとコロラドのスキー・リゾートに滞在した時に創っている(ちなみにリアノンもこの時につくっている)。バッキンガムはエブリー・ブラザースの仕事が入り、ニックスのトヨタの車でアスペンを発つ。ニックスは父親がグレイハウンドの重役であったために、グレイハウンドのフリーパスを持っており、それで帰ろうかと考えていたら、なんとグレイハウンドがストライキに入り、結局、アスペンに滞在し続けることになるのだが、そのお陰でランドスライドとリアノンが創られたと考えると、結果的にはニックス、そしてこの素晴らしい二曲を聴くことができる人類にとってもグレイハウンドのストライキは福音であったのではと思われる。
ニックスはロッキー山脈に積もった雪を見ていて、これらが雪崩のように我々の積み上げたものをすべて台無しにするのだろう、と思ったと述べている(クリスタル・ヴィジョンの解説)。
さて、そのような情報をもとに歌詞を解釈してみよう。この歌詞は4つのパートに分かれるが、最初(1番目)と最後(4番目)が対になっている。最初が過去形で最後は現在形である。最初がIで最後はYouであり、最初は自分の心境、そして最後はこの曲を聴く者全員を指しているとも考えられるが、アスペンから喧嘩をしたような状態で出て行ったLindsayの可能性もある。とはいえ、あえて曖昧にした言い回しをしているのは、それほど重要ではないからであろう。ニックスは、この曲をつくっていたときはほとんど自分以外のものに対して、諦観のような気持ちを抱いていたのではと思われる。
分かりにくいのは、一行目のI took my love, I took it downの下りである。LoveはLindsayか音楽か、それともPolydorのアルバムかということだろうが、Lindsayとのその時の関係を考えると(喧嘩をした直後)、Lindsayと捉えるのが妥当かとも思われる。
そして、Climbed a mountain then I turned around/And I saw my reflection in the snow covered hills/Till the landslide brought me downのところは、ロッキーの山に登り振り返ると、雪に自分のReflectionを見て、そしたら雪崩が自分を山から降ろした、というような内容の歌詞に続く。ここでReflectionは単なる自分の姿ではなく、深慮という意味と掛けている。将来のことをいろいろと考えていたら、雪崩で原点に戻らされた、というような気持ちを歌っているのだろう。
 次ぎの二節は、私がこれからの音楽業界でやっていく苦難を乗り越えられるのか、という自問的な歌詞になっている。

Oh, mirror in the sky
What is love?
Can the child within my heart rise above
Can I sail through the changing ocean tides
Can I handle the seasons of my life

そして三節は、それに対しての答えを導き出したような内容となっている。ここのyouは、父親としては自分だと思いたいという気持ちは分かるが、この歌がつくられた状況を考えるとLindsayであろう。Lindsayと袂を分かつという可能性を考慮していたことが、ここでは歌われている。

Well, I’ve been afraid of changing
‘Cause I’ve built my life around you
But time makes you bolder
Even children get older
And I’m getting older too

最後の4節は、私の愛を受け取って、そのまま捨てちゃいなさいよ、山に登って振り返れば私の面影が雪山に見えるから。しかし、その面影も雪崩が流してしまうけど。


Take my love, take it down
Climbed a mountain and you turn around
And if you see my reflection in the snow covered hills
Well the landslide will bring it down

ううむ。ニックスが決意の歌と言っている割には、私の努力も結局、スタート地点に戻らされ、私の強い思いを相方が気づいても、それも雪崩に流されちゃう、というこう諦めの歌、恨み節の歌であることが分かる。まあ、ニックスの取材での発言と辻褄を合わせるには、この怨恨がこもったような曲をつくったことで、マイナス的な思考をすべてこの曲に注ぎ込んで、新しい未来に突き進もう、という気持ちになったということかもしれない。そして、実際、その年のクリスマス・イブにミック・フリートウッドと出会い、リンゼイ・バッキンガムとともにフリートウッド・マックのメンバーとなる。
そのように考えると、この曲が人々の琴線を触れ続けるのは、その圧倒的なエモーションがこの曲に詰め込まれているからではないだろうか。ほとんど6つしかコードがなく、構成も2つぐらいしかないシンプルな曲なのに、この曲の存在感は凄まじいものがある理由がなんか分かったような気がする。
私は昔から、スティービー・ニックスは米国の中島みゆきだよな、といい加減に思ったりしていたのだが、なんか、彼女の代表曲を考察していたら、この仮説、まあまあ当たっているかもと思ったりしている。


Fleetwood Mac

Fleetwood Mac

  • アーティスト: Fleetwood Mac
  • 出版社/メーカー: Rhino
  • 発売日: 2018/01/19
  • メディア: CD


(ランドスライドは1975年に発売されたこのアルバムに含まれていた)

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フロリダ州のコロナウィルスの新規感染者数が昨日だけで10000人を越えた [トランプのアメリカ]

7月5日、フロリダ州でコロナウィルスの新規感染者数が10059人となった。これで、フロリダ州は新規感染者数が12日連続で5000人を越えている。フロリダ州のコロナウィルスの感染者数は200111人。6月5日の感染者数は61488人から猛スピードで増えている。また、テストによる陽性率のこれまでの総計では9.1%であったが、昨日は17%を越え(CNNのニュースに基づく)。死者数は3731人である。昨日亡くなった人は29人である。
ちなみにフロリダ州の人口は2148万人。ほぼ日本の人口の6分の1である。さて、昨日の日本の新規感染者数は234人。フロリダ州は人口当たりでは日本の250倍。総数では60倍もフロリダ州は多い。陽性率は東京で0.1%、大阪で0.17%なのでこの数字をみても、また日本も別に余裕が持てるような状況ではないことを考えるとフロリダ州がいかに酷いか、まさに阿鼻叫喚を呈しているような悲惨な事態に陥っていることが分かる。
このコロナウィルスが流行り始めた3月頃、フロリダ州民は州知事を初め、トランプ大統領の「そのうち奇跡のようになくなる(One day, it’s like a miracle, it will disappear)」(2月27日)根拠のないフェイク・ニュースを支持し、ソーシャル・ディスタンシングもマスクもすることを拒んだ。そして、それを得意気に自慢する人達が多く、テレビの取材に応じていた。こりゃ、大変な人達だな、と思っていたら、本当に燎原に放たれた火のように凄い勢いで広がり始めている。
コロナウィルスはそれを軽視する人には容赦しない。ということを、フロリダ州のデータをみていると再確認させられている。ちなみにアメリカ合衆国で現在、指数関数的に患者数が伸びているのはフロリダ州だけでなく、テキサス州、アリゾナ州などもそうである。

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佐賀県知事が新しい大型公共事業「SAGAアリーナ」を「とりあえず下北沢みたいにしたい」と発言したことの愚かしさ [都市デザイン]

佐賀県が佐賀市の佐賀駅から北に1キロメートルぐらいいった日の出地区に540億円をかけて「SAGAサンライズパーク」というものを整備しようとしているようだ。この施設だが、山口佐賀県知事は、そこを「色々な人が勝手に集まって勝手に楽しむ、何が起こるか分からないチャレンジゾーンにしたい」「とりあえず(東京の)下北沢みたいにしたい」などとその展望を語った(朝日新聞2020年7月3日)。そして、その展望を具体化すべく、電通を代表企業とした企業グループを指定管理者に指定した。
最近、コロナウィルス禍の環境変化にやられて元気がまったくなくなっていたのだが、この新聞記事には久しぶりに腹が立った。怒髪天を衝くぐらいの気分だが、髪の毛がないので頭がただカッカしているような状況だ。この記事から、佐賀知事の何が愚かなのか、このブログ記事の奇特な読者は分かりますか?
まず、下北沢はつくろうと思ってつくれるようなものではない、ことが全然、知事が分かっていない、ぞの無知蒙昧さが腹立たしい。というか、本当、佐賀県民でなくてよかった。下北沢はニューヨーク・タイムスの記者が記事でグリニッチ・ヴィレッジに対する東京の返答、と形容するほどの特別な空間である。それが比肩できる場所は、地球上でもマンハッタンのグリニッチ・ヴィレッジとイースト・ヴィレッジ、ロンドンのカムデン・ヤード、パリのモンマルトルぐらいしかない。いや、モンマルトル、下北沢と同じ土俵に上がれるか、と書いていて不安になるぐらいだ。それは、東京という世界に冠たる大都市における創造的集積が展開した希有な街である。ちなみに、下北沢は北沢二丁目と代沢五丁目の一部(駅に近いところ)だけで1500店舗以上がある。最近では、北沢二丁目から北沢四丁目、代沢二丁目などにも店舗が浸食しているので、実際はこれよりもはるかに多くの店舗数がある筈だ。これらの数字は、私が学生と実地で数えた数字であるので、商業統計よりも遙かに多いので、佐賀市と比較しにくいので、ここでは食べログで見てみよう。
カフェの数を下北沢駅から1キロメートルの範囲で食べログで検索するとその数は214軒。一方の佐賀駅は38軒である。カレーは、下北沢は61軒、一方の佐賀県は8軒である。そもそもの集積がまったく佐賀とは違う。しかも下北沢の個性を出しているこれらの店の多くが個店である。凄まじいボトムアップ型の地域経済力があってこその下北沢の個性なのである。下北沢のもう一つの特徴として、文化を創造する孵化器的な機能が挙げられる。下北沢には決して規模はおおきくはないが21のライブハウス、8の小劇場がある。わずか2キロ平米ぐらいの中にこれだけの集積があるのだ。どうも佐賀県にはライブハウスが3つしかないようだ。下北沢の凄みというのは、この集積の経済が発現されるところにあって、今では大阪の大して実力のないガールズ・バンドがデビューのきっかけをつくりに下北沢に来るという、ちょっと「大阪、お前もか」と思わせるぐらいの下北沢と他との格差が生じてしまっている。これはこれで個人的に問題かなと思ったりもしているが、これらの集積が佐賀駅周辺に出来る筈がないだろう。というか、正直、九州でミニ下北沢ができるような都市があるとしたら福岡だけかもしれない(熊本と鹿児島は可能性ゼロとはいえないですが・・)。なぜなら、福岡はミュージシャンを輩出し、またそれを育てるような孵化器的な機能があるからだ。そして下北沢がなぜ、このように突出したようなバンド孵化器な機能を有したかというと、それはそのバックに東京という大市場があるからだ。そして、東京は創造都市的な要素も非常に強く、クリエイティブな活動を支援するような環境がある程度、整っていて、それは佐賀とは雲泥の差がある。
そうそう、下北沢がもう一つ特別なのは、歩行者空間が広がっていることだ(最近、駅前の開発が進んでいて心配だが)。駅周辺には信号が一切ないからね。佐賀市のように自動車中心のライフスタイルのところに、下北沢のような集積は絶対できません。
知事の発言になぜ、私が烈火のごとく怒っているかというと「下北沢みたいにしたい」といって、下北沢という街のことがまったく分かっていないと思われるからだ。加えて、佐賀県知事の発言は、お見合いの仲人に「とりあえずノン(能年玲奈)みたいな女性にしてよ」と依頼するような、身の程知らずな謙虚のなさをも感じる。
あと、もう一つまったく納得できないのは、その依頼を電通等の企業に御願いしていることだ。下北沢をつくったのは、個店を営んできた個人達である。それら個人は、お互いライバルとして切磋琢磨をしたり、また時には協働したりして街をつくりあげてきた。下北沢音楽祭、下北沢カレーフェスティバル、シモキタ将棋名人戦、下北沢大学・・・これら下北沢を象徴するようなイベントは皆、個人が企画し、周りを巻き込んで実現したものばかりだ(成功するとカレーフェスティバルのように企業がスポンサーになったりするが、それはほとんどが後付けだ)。下北沢や高円寺、自由が丘といった東京の魅力ある街の特徴は、それらを地主や住民が作ってきていることだ。吉祥寺はお寺が地主なので、個店が地上げを受けずにサバイバルできたのが、今の魅力に通じている。電通の能力は企業としてはずば抜けて高いとは思うが、そもそも企業は魅力的な街をつくることが構造的にはできない。これに関して論じようとすると、本が書けてしまうのでその詳細はここでは述べないが、企業に頼めば下北沢ができるという街のエコロジーをまったく分かっていないその愚は、本当嘆かわしい。こういう知事がいるから、というか、こういう知事を選ぶような土壌だから、皆、若者が地方から逃げたがるのだな。私が佐賀県民だったら絶対、逃げ出すだろうから、このような若者の気持ちはよく分かる。
そして、一方で、今の東京一極集中の状況は日本という国にとっては好ましくないので、このような知事がいることは日本国民としては由々しき問題であるなと思う。
新聞記事だけでの情報なので、知事はもうちょっと思慮があっての発言であるのかもしれないが、文面だけで取ると、そのように理解される。あと、下北沢の街の魅力とかが知事をやるぐらいの人でも分かっていない、というのは深刻な問題で、私自身もどうにかしないといけないな、とは思う。のだが、最近、本当疲れ気味なので、このブログの記事をアップするぐらいのことで今はちょっと勘弁していただきたい。我ながら情けない。

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『ハロルドとモード』 [映画批評]

荒唐無稽のシナリオの映画。1971年に公開された時は人気がなかったそうだが、その後、カルト的人気を博し、現時点ではDVD等もリリースされている。10代の青年が79歳のおばあさんと恋して、結婚するというストーリーは面白いといえば面白いが、個人的にはそれほど話には引き込まれなかった。ちょっと非現実的過ぎるでしょう、と突っ込む自分がいるのだ。と記して、私のドイツ人の40代後半の友人の母親が自分より若い男性と再婚したと当惑して話をしたことを思い出した。まあ、世の中にはいろいろなことがあるし、これが男女逆だと比較的、よく聞く話だ(大抵、男性側が金持ちであることが残念であるが)。とはいえなあ、まあ常識に囚われなくて自由人のおばあさんは魅力的かもしれないが、そこで恋に堕ちるかあ・・・というところで個人的にどうも腑に落ちないので評価はちょっと今ひとつです。ギャグも面白いとそれほど思えなかったし。


ハロルドとモード/少年は虹を渡る [DVD]

ハロルドとモード/少年は虹を渡る [DVD]

  • 出版社/メーカー: パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
  • 発売日: 2012/03/09
  • メディア: DVD



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『プライベート・ライアン』 [映画批評]

今更ながら『プライベート・ライアン』を観た。1998年に公開されたトム・ハンクス主演、スピルバーグ監督の戦争映画である。映画冒頭の戦場のシーンは、生々しく、戦争を知らない世代にも、そのむごたらしさ、冷徹かつ非合理な悲惨さ、が伝わるように描かれている。戦争をしない国民であることの有り難さが分かるような戦場の理不尽な残酷さを見事に表現している。この冒頭シーンだけでなく、戦争がいかにヒューマニティから縁遠いところにあるかを描ききっている。この映画の優れたところは、人間の弱さ、そしてその弱さに人間の希望というか救いのようなものを感じることである。戦争という狂気から、人間を回避させるのは、この弱さを愛おしみ、大切に感じられる気持ちを共有させることではないだろうか。憲法改正とか議論する政治家の話を聞く前に、まずはこの映画を観ることをお勧めしたい。


プライベート・ライアン [Blu-ray]

プライベート・ライアン [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: パラマウント
  • 発売日: 2019/04/24
  • メディア: Blu-ray





プライベート・ライアン (1枚組)[AmazonDVDコレクション]

プライベート・ライアン (1枚組)[AmazonDVDコレクション]

  • 出版社/メーカー: パラマウント
  • 発売日: 2018/03/20
  • メディア: DVD



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人口減少や少子化・高齢化といった問題を自治体だけで対応しようとしても無理であろう [サステイナブルな問題]

現在、京都大学の教授をしている広井良典氏が2010年に自治体を対象として実施した
「地域再生・活性化に関する全国自治体アンケート」で「現在直面している政策課題で特に優先度が高いと考えられるものは何か」という質問をしているのだが、その回答の一位は「少子化・高齢化の進行」であり、二位が「人口減少や若者の流出」であった(広井良典『人口減少社会のデザイン』、東洋経済出版社)。
 これらの課題は深刻ではあるが、これは自治体が政策的に対応してどうにかなるものではない。地球温暖化に一自治体で対応することよりかは何かしら手立てがあるかもしれないが、ほとんど焼け石に水であろう。というのも、このような問題が生じているのは、その自治体に原因がある訳ではなく、全国いや全世界的な現象であるからだ。そういう意味では地球温暖化とも共通点はあるかもしれない。
 それは10歳の子供が家計を心配しているような、なんかズレを感じてしまう。というのも、このような現象が生じている一番の要因は、中央政府そして自民党政権がそのような大都市(特に東京)を極端に優遇するような政策を推進してきたからであり、それに抗うのはゴリアスに素手で挑むようなものである。それは政策ではなく、政治で対応しなくてはならない、それなのに、そもそも地元に基盤はあっても、東京で生まれて東京で育って東京で暮らしている政治家が地元視点での政治ができる訳ないのに、そういう人達にずっと投票をしてきたことに問題がある。ここらへんから変えないと、一地方自治体が政策で対応しようとしても無理だ。それは、癌を手術ではなくて薬だけで処方しようとするようなものだ。しかも、薬ほとんど揃えがないし。
 このようなマクロの問題に対処療法的に対応するような愚はやめて、もっと、その自治体が100年後にどのようになっていきたいのか、といったような将来構想を地元で共有できるような動きをすることの方がずっと効果はあると思われる。それによって、未来をその自治体でつくっていこう、という気持ちにもなる。私が幾つか訪れた自治体でも、長門市(山口県)とか尾道市(広島県)、金沢市、弘前市、神山町などではそのような動きの鼓動を感じることができる。
 特にコロナウィルス禍の中では、それまで大都市の優位性の根源であった集積の経済が必ずしもプラスとして働かなくなっている。自分の自治体の存在意義、アイデンティティといったものを考えることの方が、「少子化・高齢化の進行」や「人口減少や若者の流出」といった課題に小手先で対応しようとすることよりずっと効果があると思われる。

人口減少社会のデザイン

人口減少社会のデザイン

  • 作者: 広井 良典
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2019/09/20
  • メディア: Kindle版



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