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燧ヶ岳(百名山62座登頂) [日本百名山]

燧ヶ岳にチャレンジする。百名山チャレンジは1年2ヶ月ぶりである。ドイツに行っていたこともあり、久しぶりの登山である。燧ヶ岳は実は大学生の時に登ったことがある。私は早稲田大学に一年だけ通ったことがあるのだが、その必修科目であるスポーツのコースとしてワンダーフォーゲルを選んだ。そのコースは夏休みに二度、山に登りに行くと単位がもらえるというもので、私は妙高山と火打山、そして燧ヶ岳に登った。その時の記憶は、随分と石だらけのところを登るというものであったが、果たして、それから42年という月日が過ぎても燧ヶ岳の御池登山路は石だらけの難路であった。
 前日に尾瀬御池にある御池山荘に泊まり、6時過ぎには山荘を出発した。登山開始は6時15分。御池登山は歩き始めるとすぐ結構の大きさの石だらけの急斜面を登らせられる。これは、下りは随分ときついなとの思い、帰りは沼山峠に抜けようとこの時は考える。55分後の7時10分には広沢田代に着く。この湿原が現れると爽快な気分になる。さて、湿原を過ぎるとまた岩だらけの急斜面が現れる。これは、上りはきついだけでどうにかやり過ごせるが、下りは滑りやすく結構、危険だなと思う。

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<御池山荘は山荘とは思えないほど巨大な宿泊施設である。銭湯もついてある>

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<登山路はすぐに三条の滝へ行く道と分岐する>

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<早速、岩だらけの登山路が目の前に立ちはだかる>

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<広沢田代は新しく整備された登山道を歩くので快適だ>

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<湿原がこの厳しい登山路に清涼水のような爽やかさをもたらしてくれる>

さて、広沢田代から60分ほど歩き、熊沢田代に出る。これは広大な湿原で、その正面に燧ヶ岳のどっしりとした姿が見える。湿原を歩く時は歩道が設置されているのだが、この歩道が結構、もうぼろぼろで滑りやすいので気をつける必要がある。湿原から緩やかな階段を上っていくのだが、ここで私の大腿筋が若干、悲鳴を上げる。いつもより随分と早い。まあ、久しぶりの登山と、それまでが急斜面であったためであろう。ここで無理をすると、痙攣が始まってしまうので休み、マッサージをし、だましだまし一歩、一歩高さを稼いでいく。何しろ、急坂であるので太股へのプレッシャーも大きい。また、急斜面の熊笹の藪を横切ったりするのだが、その時の道幅が狭い。これは、踏み外すと落ちるぞ、と気を引き締めた瞬間、踏み外して斜面を滑り落ちそうになった。幸い、熊笹をしっかりと掴んだために落ちなかったが、注意をしていても踏み外すぐらい道幅が狭いのと、熊笹に蔽われているので地面の状況が分からない。これは要注意だ。そして、涸れ沢を200メートルは登っていくのだが、これはきついことはきついが、序盤の大きな岩を越えていくよりはまだましだ。

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<熊沢田代からは燧ヶ岳が目の前にそびえ立つ。この時は、そんなに登山路が厳しそうに見えなかったのだが・・・>

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<熊沢田代からの緩やかの上り階段から湿原を振り返る>

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<登山路が整備されているのだが、至るところで壊れていて、また滑りやすいので油断をしないことが重要だ>

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<長い涸れ沢をひたすら登っていく>

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<ガレ場を横断する時もちょっと滑りそうなので緊張する>

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<登山中、振り返ると会津駒ヶ岳の雄姿を望むことができる>

 しかし、いつまでもこのような試練も続く訳ではなく、どうにかこうにか俎ぐらの山頂に着くことができた。登り始めてから3時間45分後である。10時ちょうどぐらいに到着した。大腿筋を守りながらの登山であったのでコースタイムより時間はかかった。さて、燧ヶ岳の最高峰は俎ぐらではなく、30分ほどさらに行った柴安ぐら頂上である。しかし、俎ぐらの山頂は凄い勢いで風が吹いており、結構寒く、尾瀬沼方面、柴安ぐら方面の視界はゼロに近い状態である。これは柴安ぐらに行っても何も見えないことから行くのを諦める。いらないであろうと思いつつ、いざという時のことを考えてもってきた防寒用さらに、沼山峠へのルートもこの視界の悪い状態では楽しくないし、また危険であるなと思い、天気は悪くない御池登山路を引き返す。さて、登っていた時に下りは相当、大変だとは思っていたが、実際、下り始めると本当、大変であった。前半のガレはまだ注意をすれば大丈夫であったが、熊沢田代を過ぎた後の岩の急坂、さらに広沢田代を過ぎた後の大岩の急坂は、本当、相当の注意をしないと滑り落ちてしまうので神経がすり減る。それでも、一度は斜めになっていた急坂の階段で滑ってしまい、こけそうになることが一度。そして、岩から滑った時に左手の親指を強打して突き指をしてしまった。いやはや、この下り坂は本当、半端なく厳しい。41年前も大変だったという記憶はあったが、当時は若かったのでもう少し、軽やかに降りられたような気がする。年寄りには非常に厳しい登山路ではないだろうか。どことなく、羊蹄山の登山を彷彿させるが、羊蹄山とは違い、途中、二箇所、湿原を通り抜けるのは救いである。結局、下りも上りと同じぐらいの時間をかけることになってしまい、登山口に着いたのは13時30分であった。この登山ルートは二度と行きたくないな、と思わせるほど厳しいものであった。

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俎ぐらの山頂から望む尾瀬沼。暑い雲に蔽われ、ほとんど見えなかったが、ちょっとした隙をついて撮影した写真

<御池コース>
登山道整備度 ★★☆☆☆ 一部、湿原のところは新しい歩道が整備されて歩きやすくなっていたりするが、総じて整備不足である。
岩場度 ★★★★★ 登山直前、それから広沢田代、熊沢田代の間の岩場は、その岩の大きさから行っても相当、歩きにくい。これより凄いところもあるかもしれないが、個人的な感想としては、これがチャレンジをする限界に近い岩場度。
登山道ぬかるみ度 ★★★☆☆ 全般的に登山口から熊沢田代までは相当、ぬかるんでいる。ただ、岩場の方が滑りやすいのと、岩が多いのでぬかるみ自体はそれほど気にならない。
登山道笹度 ★★☆☆☆ 熊沢田代を超えると笹藪を横切る。その際、道が狭いのでくれぐれも滑り落ちないように気をつけることが必要だ。筆者は滑り落ち、熊笹をすばやく掴んだので難を逃れた。
虫うっとうしい度 ★★☆☆☆ 多少、虫はいるが10月だったこともあり、うっとうしくはなかった。
展望度 ★★★☆☆ 天気が悪かったので個人的には、その素晴らしさを確認できなかったが、相当の展望が得られるとの評判。
駐車場アクセス度 ★★★★★ 駐車場へのアクセスは問題はない。ただし、アプローチは遠い。
トイレ充実度 ★☆☆☆☆ (コース沿いにはほとんどない)
下山後の温泉充実度 ★★★★☆ (檜枝岐まで行くと素晴らしい温泉がたくさんある)
安全度 ★☆☆☆☆ 上りはともかく下りは相当、危険。個人的には二度と下りたくない。

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尾瀬御池山荘に宿泊する [日本百名山]

尾瀬御池山荘に宿泊する。燧ヶ岳に登るためである。朝食をおにぎりにさせてもらったが、なんと前日の夜に冷凍をもらうというものであった。まだ食していないが、なんか美味しそうではない。あと、尾瀬沼で昼の食事をしようと考えていたのだが、どうも食事をできる山小屋とかは閉館している可能性が大であるそうだ。昼、山荘で食事ができると考えていたので鍋とかガスバーナーなど普段、持ってくるものを持参してきてない。ということで、相当のピンチなので山荘の売店でビター・イン・ゼリーや朝食用のカップラーメン(おにぎりは昼食に回す)を購入する。ちなみに、この山荘周辺はおそらく30キロメートル範囲ぐらいでコンビニはないと思われる。私は、前沢集落のコンビニっぽいお店に入ったが、そこは万屋であってコンビニではなく、とはいえ、心配だったので菓子類やポカリはここで調達していたのだが正しい判断であった。というのは、そこから山荘までコンビニどころかやっているお店はなかったからである(時間は17時をちょっと過ぎたぐらいであった)。
 さて、尾瀬沼で昼食が取れるかどうかは、また明日か近日中に報告したいと思います。

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日本凄いぞ! [グローバルな問題]

今日は、病院の会計処理で感動的な対応を体験した。私の通う大学病院では、精算は5つの機械によって実施されているのだが、私がその空きを待っていたらマニュアルの会計の受付をしていた人が、こちらでもやれますからと言って精算処理をしてくれた。これは、もう99.99%ドイツでは体験できないことだ。むしろ、対応している人がいないので、この受付に行っても、機械の列に並べと言うであろう。逆に、そのような機械でもできるサービスを代わりにしたら、他の同僚から非難を受けるような気がする。余計な仕事を増やすな!と。本当、日本は消費者がサービスのよさによって豊かさを享受できている。しかし、このサービスの良さに対して対価を支払っていないので、これはGDPにはまったく反映されないのですよね。すべて消費者余剰となっている。結果、サービス産業の生産性が低くなってしまっているのですが、それをもってして問題だとか言っている経済学者はおかしいと思います。サービスが悪いからサービス産業の生産性が低いのではなく、真逆です。そして、その便益は無償で消費者が得ている。経済指標が必ずしも、その豊かさを反映させてないというのは、ちょっと前の日本がまさにその例かと思います。

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日本、凄いかも [その他]

明日の打ち合わせに名刺がない。これは持っていた名刺をすべてドイツで配ってしまったためである。京都の大学に行けば、研究室にはあるが、それを取りに行くのはあまりにもアホらしい。ということで、朝7時30分頃に東銀座にある印刷サービス会社にイラストレーターで原稿を提出。昼から銀座での打ち合わせをして、その後、教授会があるので銀座のレンタルオフィスからオンラインで出席し、18時頃に終了したので、この印刷サービス会社に名刺を取りに行く。しっかりとできていた。これで明日の打ち合わせも恥をかかずに済みます。凄いぞ、日本。欧州からすればミラクルとしかいいようがないでしょう。逆立ちしてもできないと思う。
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トランプの討論会での「猫・犬のペットを食べているハイチ難民」発言の真の意図 [トランプのアメリカ]

先日、トランプとハリスの討論会が行われた。ハリスの圧勝で、スラム・ダンク的な内容であったが、世論調査ではハリスが勝ったと思った人は63%。トランプが勝ったと思った人が37%もいたというのは、もう本当に驚きだ。なんかアメリカ人の1/3以上は根源的に頭が相当、悪いのではないかと思ったりさせられる。

まあ、それはともかく、この討論会での最も注目されたトランプの発言は、オハイオ州のスプリングフィールドでハイチ難民達が住民のペットの犬や猫をさらって食べている、という発言である。司会のファクト・チェックで、そのようなニュースの根拠はまったくない、とスプリングフィールド市長の発言まで紹介したが、トランプは「テレビで報道されていたから本当だ」(実際はそんな報道もない)と主張した。日頃、テレビはフェイク・ニュースと言ってるのに、こういう時はテレビ報道を主張の根拠としたのは、もう失笑するしかないし、もうアメリカの多くのニュース番組も、トランプは認知症に遂になったのか、みたいな紹介の仕方をしていたが、この発言にはもっと酷い悪意が含有されている。

というのも、私もこの発言をするまで知らなかったオハイオ州のスプリングフィールド市であるが、調べると、その25%近くがハイチ難民(移民ではなく、難民・・・ここ重要なので間違いないよう)であることが分かった。そして、多くがハイチの政治的混乱から亡命した人々であるから、アメリカ合衆国に移って4年ぐらいしか経っていない。私も驚いたが、その自治体の人口の1/4が難民である町があるのは、多くのアメリカ人にとっても衝撃であったかと思う。そして、これらのハイチ難民は、人口減少してるオハイオ州の片田舎の町にとっては経済的には相当のブーストをもたらしたにも関わらず、多くの人種差別的な人々にとっては、文化的衝突、移民(本当は難民だが、おそらくトランプ支持者の多くはその違いも分からない)による仕事の強奪、といった文脈で、スプリングフィールドを見るであろう。ということで、トランプのこのアホ発言は、スプリングフィールドという難民が25%もの人口を占める自治体がアメリカ合衆国にあって、そこでは難民と地元民との大きな対立があるという嘘の情報を広めて、人々の移民への危機感を煽るという目的があった、と考えるのが正しいのではないかと考える。実際、MAGAの人々はスプリングフィールド市の学校の爆破予告を早速、したりしている。というか、なんで学校の爆破に繋がるのか分からないが、このようにMAGAの人々の怒りのタネを振りまくことが真の意図であるかと思われる。

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日本はドイツと比べると、もう仕事の効率は10倍ぐらいで進ませることができる [その他]

日本に戻っていろいろと仕事をこなす。メイルのやり取りでどんどん仕事が消化されていく。今日は出版社、税理士、自動車の修理、実家のテナントとの契約、実家のリフォーム相談、明後日の打ち合わせの確認等を行ったのだが、これらすべてに関して、メイルでの問い合わせに対して即に近いリスポンスで返事をもらい、仕事がどんどんと消化されていく。まったくストレスを感じない。Well Oiled Machine のような感じで快適だ。ドイツと比べると効率は2倍とか3倍とかいうオーダーではなく、10倍といった桁で違うと思う。この凄さはしっかりと自覚した方がいい。あとは、この効率の良さをいかに社会にとって有益な価値の創造に繋げることかな。
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日本はなかなか住み心地のいい国かもしれない [地球探訪記]

日本に戻ってきました。まず、最初の印象は蒸し暑い!そして、生まれて初めて通関で税金を払ったのですが、なんとワイン1本が100円で済みました。ドイツでは2000円の日本酒で15000円ぐらい(90ユーロ)の税金を取られたりしたので、ちょっと恐れていたのですが随分と安くて驚きました。あと、通関の人が荷物を代わりに運んでくれたのは本当、驚きましたね。公務員なのに、なんでサービスをしてくれるんだ。また、荷物が大量にあるのでタクシーで帰ったのですが、タクシーの運転手の対応が本当に丁寧で、これも一年ぶりだと感動しました。日本はダメだ、ダメだと日本人は自虐的に言っていますが、いやはや、実は相当暮らしやすい国かなと思います。確かにタクシーの車窓からの街並みは醜悪で、これはウィーンやパリといった古都は勿論のこと、ベルリンのような都市と比べても劣るかもしれないけど住みやすい国かも。まあ、スタイルが今ひとつで美貌麗しくはないけど、性格が正直で少なくとも表向きは優しい女性のような感じでしょうか。性格が悪いベルリンに一年と住んでいたので、とりあえずとてもホッとしている自分がいます。
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ドイツではバースデイ・パーティーを当人が負担する [ドイツ便り]

ドイツではバースデイ・パーティーを当人が負担する。これは誕生日を迎えた人が祝されるのではなく、むしろ、少なくとも経済的には罰されるということで、あまり嬉しくない習慣だと思われる。どうして、こういうことになったのか。チャットGPTで尋ねてみたら4つほどの回答が得られた。
1) ドイツではホストがゲストに食事などを提供するのが習慣だから。誕生パーティーは誕生日を迎えた人がホストなので。
2) みんながこの習慣に従うので、結果的には公正であるので。
3) 独立と自立の精神。自分の祝いごとは自分で管理する。
4) ゲストに経済的な負担を与えないようにする工夫。
ふうむ、まあ、そういうことなのかもしれないが、私はそもそも他人の誕生日を祝う気持ちが欠けているだけかと思う。そういう気持ちが欠けている人が多いと、そもそも誕生日を祝うという行事ができなくなってしまう。まあ、しなければいいのかもしれないが、それはそれで寂しいので、妥協点として、誕生日を迎えた人が、自分が出費をするので、私の誕生日を祝ってくださいよ、という習慣ができてきたのではないだろうか。いやいや、ドイツ人はそこまで冷たくないでしょう、と指摘する人は、それじゃあ子供の誕生日も子供が負担するのか、と問いたい。なぜなら、ロジック的にはそうなるからだ。ドイツ人でも子供の誕生日は、親がすべて提供すると思うのである。もちろん、子供が成人したら状況はもしかしたら変わるかもしれないが、これはドイツ人でも子供の誕生日を祝う気持ちがあるからだ。つまり、他人の誕生日を祝いたい、という気持ちがあれば、人々はそれなりに負担すると思うのだ。まあ、ないものをあるというように偽善的にしない、というプラグマティックな考え方はドイツ的とは言えなくもないが、ちょっと人間関係を寂寞とさせることもあるかな、と思ったりする。ドライといえば聞こえはいいが、そのドライが何か生産的に機能しているようには思えない。

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ソウル歴史博物館を訪れて、そのボランティアのおばあちゃんの英語力に驚く [都市デザイン]

ソウル歴史博物館を訪れた。ガイドのおばちゃんは60歳前後ぐらいの方であったが、その英語力が半端ない。まったく淀みなくペラペラと、ほぼネイティブのような英語で、的確に解説をすることができる。韓国人は往々にして、相当、英語力が高く、日本人より遥かに英語を見事に駆使できているな、という印象は抱いていたのだが、このおばちゃんはただ者ではない。ということで、ガイド・ツアーが終わった後、ボランティアなのかと尋ねると、ボランティアだと言う。無料だそうである。無料でこんな英語で解説できるおばちゃんがいるというのは驚きだ。ああ、このレベルでの英語で会話をできる人は、日本人ではネイティブ以外ではほとんどお目にかかれたことはない。中学、高校の英語教師どころか、大学で英語を教えている教員でも、このレベルで英語をしゃべれる人は滅多にお目にかかったことはない。

まあ、このおばちゃんは留学経験があることが分かったが、留学経験がある日本人でもここまで流暢な英語でしゃべれる人は稀である。しかも、英語だけでなく、その説明内容も的確なのだ。確実に英語脳がつくられてないと、しゃべれないレベルである。いやあ、韓国恐るべしである。本当、こういう事態に遭遇すると、寺脇某の「ゆとり教育」とかの考えが、まったく国際的には頓珍漢であることを改めて認識する。というか、このおばちゃん、間違いなく寺脇某よりかは英語が上手いと確信的に思う。

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エドモンド・ベーコン著『Design of Cities』 [書評]

おそらく30年近く積ん読をしていた名著、エドモンド・ベーコンの『Design of Cities』をようやく読むことができた。大した文字数もなかったのだが、今まで手を付けるを億劫がっていた。サバティカルをもらい、ようやく読むことができた。アテネからブラジリアまでに及ぶ都市の形状がつくられていった背景の考えについて、見事に解説されている。そして、その解説において、ポール・クレーの空間の動きの考えを応用させている。都市空間を解読する力を養うには絶好の本であろう。
 この本が発表されたのは1967年。ジェイン・ジェイコブスの痛烈な都市計画批判の著『Death of American Great Cities』が発表されたのは1962年。強烈な批判に晒され、意気消沈をしていた都市計画関係者に、その仕事の肯定的な可能性を提示することを、本書は見事、果たしている。マスタープランの最終的な形ではなく、それをつくるためのプロセス、そして、その将来像は柔軟に変容できることが重要であると述べている。最後の付け足しのブラジリア批判は、1ページにも満たないものだが、その欠陥を見事にまとめている。
 本書は、ポスト・ジェイコブスの都市計画のあり方を都市計画側から提示した。こういう名著を30年間も積ん読していたことを反省しつつ、ようやく読めたことでホッとしている。



Design of Cities

Design of Cities

  • 作者: Bacon, Edmund N.
  • 出版社/メーカー: Thames & Hudson Ltd
  • 発売日: 1978/10/16
  • メディア: ペーパーバック



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インチョン空港とソウル市内との交通手段 [地球探訪記]

インチョン空港からソウル市内への交通手段は、ソウル駅直行の鉄道、一般的な鉄道、そしてバスがあるかと思う。今回のソウルでは行きはソウル駅直行の鉄道(AREX)を利用した。これは、空港から文字通り、一直線にソウル駅とを結ぶ鉄道であり、途中の停車駅もなく、時間は最速の43分(第二ターミナル)である。ちなみに料金は11000ウォンである。ただ、ソウル駅が最終目的地であればいいが、そうでないと地下鉄などを利用することになり、これは結構、面倒くさいし、結構、歩かせられる場合も多いかと思う。一般的な鉄道は直結鉄道に比べると時間はかかるが、料金は安く、行き先によっては、直結鉄道より便利なことがあるかと思う。さて、今回は初めて空港バスを利用した。これは、ホテルのすぐそばの停留所に止まることが分かったからである。この空港バス、ソウル市内を頻繁に止まるし、時間も結構、かかるが、乗り心地は快適である。時間に余裕がないと使いにくいが、時間に余裕があると使えるかと思う。ちなみに料金は17000ウォンであった。そして、西大門駅の停留所から第2ターミナルまでは90分ほどかかった。これは都心部の道路で一部、渋滞をしたということもある。料金も時間も直結鉄道の方が有利であるが、空港に向かう時に、自分のホテルのすぐそばにバスの停留所があれば、選択肢としては悪くないであろう。

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シンガポールの都市政策のメモ [都市デザイン]

シンガポールの都市整備公団のような方の講演を聴いたので、ちょっとメモ書きをここにさせてもらいたい。
 シンガポールは第三国から一等国にまで成長したが、それは偶然では決してない。その理由はしっかりとした計画と、しっかりとした統治に基づいている。1970年にリー・クアン・ユーが政権を執ったとき、彼は4つの政策指針を掲げた。「新鮮な空気」、「安全な水」、「緑
」、そして「低廉な住宅(Affordable Housing)」である。低廉な住宅は、公共住宅の割合が全住宅の8割を占めるという現状にも繋がっている。この公共住宅の割合はウィーンとほぼ同じであり、ウィーンと同様にシンガポールもほとんどジェントリフィケーション問題はみられない。ただ、残りの2割の民間住宅ではジェントリフィケーションは起きていないが、宅地価格の高騰がみられる。これら民間住宅のある地区は緑地帯に近接しているそうで、基本、裕福な人々が住んでいるそうだ。また、圧倒的な土地不足ということもあり、マリーナ地区に370ヘクタールの埋め立て地をつくるという大事業も行っている。370ヘクタールといえば、東京ドーム82個分である。
 シンガポールといえば国の歴史が浅いので、そのアイデンティティをいかに保全するかということが重要となるが、二つの包括的な保全プログラムがある。PreservationとConversationである。前者はほとんど変えずに、そのまま保全するというものでナショナル・ギャラリー・シンガポールやヴィクトリア劇場・コンサート・ホールなどの国家的に重要な建物がその対象である。後者は内装などのリフォームが可能であり、Khong Guan BuildingやThe Warehouse Hotelなどの事例がある。
 シンガポールの都市政策のポイントとしては、緑地保全がある。人口は増えているが、緑地も増えているのがシンガポールの特徴である。また、緑地の質も生物多様性などを意識した高いものを目指している。また、人々のアクセスも確保しており、ヘンダーソン・ウェイブ橋や、フォレスト・ウォーク(2008)という1.6キロメートルにも及ぶ歩道も整備されている。これらの橋からは猿などを見ることができる。
 あと、シンガポールは国のアイデンティティが希薄であることを補うかのように、デザインに力を入れており、建築のレベルは凄く高い。
 公共交通にも力を入れており、現在、286kmの鉄道ネットワークが整備されている。また、混雑マネジメントや混雑税などを導入している。
シンガポールの都市政策は非常に優れている。これは、背水の陣ということがあるとは思うが、いろいろと学ぶ点も多い。

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ヨーロッパでは日本人も中国人もほぼ同類に見ている [グローバルな問題]

日本人の友人とイタリアを訪れた。中国人の観光客も多くいる。ちょっとお上りさん的な振る舞いをする人もいる。ちょっとした会話で「ヨーロッパ人は外見ではほとんど中国人と日本人、韓国人の違いは分からない」みたいなことを言ったら、「中国人と同じように見られるのは不本意だな」と私の友人は言った。この発言を、日本で聞いたら違和感は全然、感じなかったかもしれないが、ベルリンに住んでいることもあってか、強烈な違和感を持ってしまった。というのは、ヨーロッパ人は日本人が中国人より上だ、みたいな意識はまったく持ってないからだ。日本人はそういう優越意識を持ちたいのかもしれないが、実態的には優れているとは到底、思えない。いや、劣っているとも思わないが、欧州の物差しでみれば同じかと思う。ああ、欧州にいる中国人の方が日本人より英語は上手いな。我々だってオランダ人はデンマーク人より優秀だ、とか思わないであろう。それと同じである。
 私の友人はとても知的で、立派な人格者でもある。しかし、そのような人でも、こういう発言をしてしまうというのは、日本全体を蔽う空気感として中国人への差別意識があるのではと思わせられる。アメリカでも欧州でも、差別問題を語るうえで、社会制度的な差別ではなく、そのような意識を持っていることが問題であるとされている。ああ、私のようにアメリカで7年間、ドイツでも2年間住んだような日本人だと、結構、日本人だからと差別をされる経験をしたことがある。そういう経験をすると、自分が不愉快なことを他人にはしないようにしよう、と思うのだが、そういう経験がないと、立派な人でも差別的な意識を持ってしまうのかもしれない。私はドイツでの生活で、同僚で一番、信用でき、一番、仕事ができるなと思っているのは中国人である。決して、ドイツ人ではない。もちろん、そこから一般化するのは危険ではあるが、そういう人を知ると、中国人と同じように見られて不本意とは全然、思わない。誇らしいとも思わないが。

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会社のため、とかお国のため、とかいう言葉が嫌いだ [その他]

会社のため、とかお国のため、とかいう言葉が嫌いである。サラリーマンの時に、よく「会社のため」とか言う輩がいたが、「会社のため」という「会社」とは何なのか、説明してくれ、とよく思ったものである。「会社」は法概念ではあるが、そのような概念で説明される「会社」を尽くす対象として捉える考え方は危険であると思う。「会社のため」というのは、会社が個人より上位に位置するような考え方だ。いや、「会社」が極めて単純な目的を持っている場合は、そのような議論をする余地はあるかなと思う。例えば、鯛焼き屋の会社が、鯛焼きをなるべく多くつくって売って、年間で300万円の利益を出す、みたいな目的を挙げた場合、それに同調したものが一緒に協働して頑張るというのはあるかと思う。しかし、この鯛焼き屋がとても美味しい鯛焼きをつくる、とかユニークな餡を入れて個性的な鯛焼きをつくる、とかいう目的を加え始めただけで、目的同士が矛盾を生じ、「会社」の何に自分が力を入れていいかが見えなくなってくるであろう。よりよい社会づくりに貢献する、とかサステイナブルな未来をつくる、とかいう曖昧で耳障りのよいだけの目的を挙げる会社は、自己を犠牲にしてまで会社のために尽くす意味はほとんどないと思われる。そして、大抵「会社のため」とかいう輩に限って、自己の利益を優先する傾向が強い。つまり、自分以外を「会社のため」に尽くさせようとしていたりする場合が多いのだ。下手したら「会社」=「自分」だと思っているかもしれない、と疑わせたりもさせる。
 ただ、そういう「会社のため」みたいなことを強要するような会社は辞めればいいだけの話だが、これが国になるとたちが本当に悪くなる。気をつけないといけない。

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香港の家賃は驚愕の10㎡、1000米ドル [都市デザイン]

香港は土地が狭い。いや、狭いといってもシンガポールなどよりは大きかったりするのだが、その土地の3割を緑地として保全しているために、またシンガポールよりも人口が大きかったりするので(シンガポールの500万人ちょっとに対して、香港は700万人)、土地不足は深刻だ。その結果、土地利用は極めて高度化する。高層ビルが林立する光景は、地震国である日本からは想像することさえ難しい。さて、このように土地利用を精一杯、高度化しても住宅価格は高騰する。なんと、4㎡の借家とかがあるそうだ。4㎡というのは、どんなに小さなビジネス・ホテルでも成立しない規模だ。私と話をしていた香港大学の学生さんは、10㎡のアパートに一月1000米ドル(14万円ぐらいか?)払って住んでいるそうだ。恐ろしく高額だ。ちょっと前までは東京の家賃が高いと言われていたが、隔世の感がする。

タグ:香港 家賃
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斜陽の国ドイツ(2): オリンピック強国からの転落 [ドイツ便り]

ドイツの斜陽を示す指標として、オリンピックのメダル数がある。パリのオリンピックでは、ドイツは金メダル数が12, 総メダル数が33であるが、これは開催国であるフランス(16, 64)はともかくとして、オランダ(15, 34)、イギリス(14, 65)、イタリア(12, 40)よりも劣っている。ここでポイントとなるのは、ドイツはこれらの国より遥かに人口が多いことで、特にオランダの人口は1770万人とドイツの人口の2割ちょっとしかない。ちなみにドイツよりは人口が多いということもあるが、日本の20, 45をドイツの人口へと換算すると13, 30となるので、まああまり違いはない。そういう点では、日本人にそこらへんでケチをつけられたくないといく気持ちはあるかもしれないが、ドイツより人口が1/3は少ない韓国が13, 32というのは、やはり欧州連盟最大国としては、なんか不味いのではないか。

ちなみにドイツは国別だと10位であり、人口当たりでみた場合のメダル数は金メダル、総数ともにヨーロッパでも最低レベルにあるのではないか。という気がしたのでちょっと計算してみた。1000万人当たりの金メダル数でみると、ドイツは21カ国中、17位である。1000万人あたりの総メダル数でみると、ドイツは21カ国中18位の4.0である。金メダルを3点、銀メダルを2点、銅メダルを1点と重み付けした場合は、21カ国中18位の8.4である。これらの3つの指標でドイツより下の国は固定されていて、スペイン、ポルトガル、ポーランドとなっている。

別にオリンピックでメダルを取ることにアクセクする必然性はないし、そういうのに超絶して暮らしている方が立派という見方もあるかもしれない。しかし、ドイツは、昔はオリンピックでは圧倒的な強国であった。例えば東西ドイツが再統一されて最初に開催されたオリンピックであるバルセロナ・オリンピックでは国別ではアメリカに次いで2位で3位の中国を大きく引き離している。このときの金メダル数は33, 総メダル数は82であった。ちなみに日本は3, 22である。その次のアトランタはロシアが参加したので、国別ではアメリカ、ロシアに次いだ3位であったがそれでも中国より上であった(金メダル数20、総メダル数65)。シドニーでは中国と開催国であるオーストラリアの後塵を拝し、5位で金メダル数13, 総メダル数56であった。とはいえ、ヨーロッパでは最多メダル国である。その後、アテネでは6位で金メダル数13, 総メダル数49、北京では5位で金メダル数16、総メダル数41、ロンドンでは6位で金メダル数11、総メダル数44。このとき、初めてヨーロッパでは英国より低い順位となる。リオデジャナイロでは5位で金メダル数17、総メダル数42であった。この年もイギリスの後塵を拝する。そして、東京オリンピックでは遂に9位にまで落ち、イギリスだけでなくオランダ、フランスにも抜かれる。この時、金メダル数が10,総メダル数は37であった。

人口的に圧倒的に他国を凌駕していることを考えると、ドイツはもはやオリンピックでの強国どころか、欧州の中では弱小国になってしまっていることが、今回のパリ・オリンピックで如実に顕在化したことが分かる。さて、それではなぜ、弱くなってしまったのか。それは、「ゆとり」的生活を追求しすぎてしまい、生きることの情熱を相対的に喪失しまっているからではないか、というのが私の無礼な仮説である。

全般的に、人生に目標を持って生きているような人に現在のドイツではなかなか出会えない。いや、もちろん中にはすごい情熱を持って日々を送っており、脱帽するしかないような立派なドイツ人を知っている。しかし、日々、私が接している大学生とかをみていても、日本の大学生の方がまだ一生懸命なんじゃないか、と思うことも少なくない。私はドイツ鉄道をしっかりと運営できなくなってしまったドイツと、オリンピック大強国であったドイツが今や、ヨーロッパでは弱小国になってしまったこととは軌を一にしているのではないかと考えていたりする。なんか、生きることに白けているという人々が増えたことが、オリンピックの弱小化に繋がっているのでは
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斜陽の国ドイツ(1) [ドイツ便り]

ドイツで15年ぶりに一年弱、生活した。その経験から痛感するのは、ドイツは相当、行き詰まっているな、ということだ。何か、国の劣化がじりじりと進んでいるような気がしてしょうがない。それまでのドイツの強みのようなものが後退し、ドイツの弱みというか、悪いところがどんどんと増殖しているような印象を、こちらで生活していると受ける。まあ、私が住んでいるのがベルリンという、相当ダメダメな都市ということもあるので、ドイツ全体へと一般化することには相当、気をつけないといけないとは思うが、それにしてもなんか社会が上手く回っていないような気がする。ということで、備忘録的に、いろいろとここに自分が考えることを共有させてもらいたいと思ったりもする。

まず、ドイツの劣化を何よりも物語るのはドイツ鉄道であろう。時間通りに運行することはできず、遅刻は日常茶飯事である。したがって、乗り換えをしようとすると乗れない場合がしょっちゅうある。乗り換えの時間は相当、余裕を持たないと不味いであろう。そして、時間通りに走れないくせに、時間帯によって運賃をコロコロ変える。時間通りに走行できてこそ、そのような時間帯ごとの運賃変更が初めてできるのであって、時間が守れないのに運賃変更を細やかにするというせこさが呆れさせる。ここまでやるのであれば、守れなければ運賃を返金するとか、差額を返すなどをやればいいだろうという意見もあるかもしれない。実際、ドイツ鉄道においても、しっかりと交渉すれば返金できるかもしれないが、私の周りでそういうことをした人はほとんど知らない。というのは、交渉するのが超面倒臭くて、また、相手も話をなかなか理解しようとしないので、ストレスがより溜まるからである。このストレスの費用を考えると、損したお金は盗まれたぐらいに考えて諦めた方が、まだ精神衛生上はよい。

まあ、このようにストレスを感じるのは日本の高い定時性と素晴らしいサービスに慣れているからであり、そもそも鉄道はこんなものだ、と考えていれば、それほどストレスを感じないのかもしれないが、このようなアホなシステムなので計画がつくれない。ドイツ鉄道の遅延による経済機会の損失を誰か計算するといいかと思うのだが、おそろしく膨大な数字になると思われる。そして、なぜ、このようにドイツ鉄道がしっかりと運営できないのか。というのは、その運営に携わっている個々人が無責任だからだと思うのである。この無責任の積分が現在のドイツ鉄道の混乱した状態を作り出しているのではないか、というのが私の仮説である。

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ベルリン空港へ市内バスで向かったら意外と便利であった [地球探訪記]

ベルリン空港は不便である。そもそも、ドイツ国内でミュンヘン、フランクフルトを除くと、ほとんど直行便が飛んでないという不便さに加え、アクセスが何しろ不便である。行くルートは大きく2つ。ドイツ鉄道と都市鉄道である。ドイツ鉄道はポツダム方面とか空港の南部方面とかにも行くので行き先はしっかりと確認する必要がある。都市鉄道は大きく二ルート。スッドクロイツから環状線の南側路線を通っていくルートと、東駅―アレキサンダー広場―中央駅を経由してシュパンダウ方面にいくルートである。
さて、ドイツ鉄道でいくと時刻表的には時間が一番短くて空港まで行けるのだが、しょっちゅう遅刻する。というか、時間通りで行くのは難しい。すると、時間はかかっても各駅停車の都市鉄道で行くのが一番、手堅いルートとなる。
さて、実はこれらに加えて裏ルートのようなものがある。それは地下鉄7号線で空港そばのルドロー駅まで行き、そこからバスに乗るというものである。これはドイツ鉄道のルート検索とかで出てくるので、前から知っていたが、それを使うのには抵抗があった。というのもバスは定時性という面で、少なくとも日本では鉄道に多いに劣る。トランクを持って乗るのも面倒だ。バスの停留所を見つけるのが難しいかもしれない。このような不確定要素が多いために、今まで避けていたのだが、今日は日曜日で都市鉄道の本数も少ないので、初めて試してみた。地下鉄はドイツでもさすがに、相当、定時性が高いので、時間通りにルドロー駅に着く。駅には空港行きのバス停留所の場所が明示されていたので迷わずにバス停留所にたどり着くことができた。というか、バスの停留所は地下鉄駅のすぐそばにあった。バスは多少の遅れはあったが、それでも5分も待たずに乗ることができた。二両連節のバスでトランクを持っていても特に問題なく乗ることができた。そして、なんとノンストップで空港まで直行してくれた。これは、川崎駅と羽田空港とを結ぶ京急バスよりも便利なくらいだ。所有時間は15分ぐらいであっただろうか。高速道路を走ったので快適であった。
まあ、通常はバスが選択肢に上がることは少ないと思うが、ベルリンのように鉄道の定時性が悪い場合や、パリのように空港とを結ぶ鉄道路線がスリの狩り場であったりする場合はバスという選択肢も有効かなと思う。
どちらにしても鉄道が定時性、安全性(治安面)を確保できていないが故のバスの選択肢ということになるが、ちょっとベルリンで空港に向かう時にトラブった場合は念頭に置いておくといいかもしれない。

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ライプツィヒ市の地区別データを入手するのに迷走する [ドイツ便り]

ライプツィヒ市は結構、ジェントリフィケーションが進んでいます。とはいえ、地区別に温度差がある。ライプツィヒ市は2011年から地区別の家賃変化をデータとしてインターネットにあげています。しかし、2011年以前のデータはない。2011年以前のデータが欲しいのだよな、ということでそれを入手するためにこの3ヶ月ぐらい知人の研究者に尋ねたりしてのですが埒があかない。ライプツィヒ市の統計課にもメイルを送ったのですが、全然、梨の礫です。
 ということで、もう帰国まで時間もないので、ライプツィヒ市役所の統計課にアポなしで突撃しました。受付もないので、直接、課のある部屋まで行くと、驚くこともなく、部屋に入れてくれました。「2001年前後のライプツィヒ市の区別の家賃の統計が欲しいのだけど」と伝えると「メイルをしなさい」と言われる。「いや、メイルは出してます」と答えると、「9月まで選挙で忙しいのでその後で」と言われる。「いや、それも分かっているのでここまで来たのです。そこらへんに転がっていると思うのですけど」と言うと、「担当者に連絡して、その後、またメイルをするので、メアドをください」と言われる。「急いでいるのか」と聞かれたので「9月上旬に締め切りなのです(これは本当)」と伝えると、「しっかり連絡します」と言われる。
ここまでいくと、おおようやく一段落と思われるかと思いますが、おそらくそうは問屋が許さないとは思います。この日にデータが入手できなかったのは、私の完敗に近い。まあ、一方でやれることはやった、という感じなので、すっきりはしています。ドイツの多くの研究者は統計に弱いのですよね。どうしてか不思議だったのですが、容易にアクセスできる統計数字以外は急に入手が難しくなるかだ、ということが分かりました。したがって、しっかりとした研究をするには、その市役所の統計課の担当者と仲良くなって、いろいろと便宜を図ってもらうことが必要であることが分かりました。日本人の私には相当、ハードルが高いですね。

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都市のアイデンティティについて考える [都市デザイン]

ベルリン工科大学の都市政策の先生とお話をする。歴史保全などが専門の先生である。当然、歴史保全などが専門であるということはアイデンティティにも詳しいだろうと多いに期待していろいろと質問をしてみた。この先生はベルリンが大好きなようなので、ベルリンのアイデンティティは何なのか、と尋ねてみた。彼女はアイデンティティという考えはブランディングと似てしまって捉えられているが、それとは違うものだ、と返してきた。そして、ベルリンのどの地区にもアイデンティティがあると回答した。

アイデンティティを都市ブランディングと同じ平面上で捉えるという傾向は確かにあるかと思う。都市間競争が激しくなっている欧州の都市では、都市ブランディングをするためにアイデンティティを強化させるという動きは多くみられる。ハンザ同盟の都市がハンザ都市というアイデンティティを強化させようという動きや、歴史的街道筋をことさら強化させるといった動きはその典型であろう。アイデンティティを強化させるという政策が意義を有するのは、都市ブランディングに有効である場合である。まあ、他にも、シビック・プライドを促すというような目的もあるので、必ずしも、それが都市ブランディングとは言えないかなとも思う。これが内向きのブランディングというのはちょっと違うかなとも思う。もちろん、都市ブランディングを外部に行い、内部にはシビック・プライドを醸成させるようなアイデンティティ強化ができると一番、いいことはいうまでもない。

さて、しかし、どの地区にもアイデンティティがあるという考え方は、ちょっとその考えは浅薄であると思う。というのは、アイデンティティというのは人々が認識して初めて、アイデンティティとして確立されるからであって、存在していれば、それがアイデンティティというように捉えるのは無邪気すぎる。人が認知をしなければ、それはアイデンティティではない。そういう点ではブランドと似ている。アイデンティティとは自己同一性という、そもそも相対的な意味合い、集団の中での個、ということで生み出される特徴であり、極めて社会的な記号である。地図から名前を取ってしまったら、その場所のアイデンティティはほとんど消失する。人間だって、名前を取ってしまえば、アイデンティティは相当、なくなる。一方で、じゃあ、名前という記号をつければすぐアイデンティティができる訳ではない。西東京市はもうつくられてから30年以上は経つと思うが、相変わらず、アイデンティティはつくられてない。保谷市とか田無市とかの方が、はるかにアイデンティティがあるのではないだろうか。

いろいろと話からは刺激を受けたが、アイデンティティの理解は浅いな、という印象を受けた。まあ、私も全然、勉強中の身ですが。

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朝日新聞のアメリカ大統領選に関する的外れな記事に再び呆れる [トランプのアメリカ]

7月25日の朝日新聞のデジタル記事を読んだ。
https://digital.asahi.com/articles/ASS7T2FG5S7TUHBI00PM.html
アメリカ大統領選に関する記事で、バイデンの撤退は遅きに失したか、という内容であり、その記事を書いたのは高野遼という記者である。この記事のポイントは「引き際の判断を誤った」というもので、もっと早く辞めていれば、ということを示唆したような内容だ。一応、「結果的には良いタイミングになった」という大学教授の発言を引用したりはしているが、まあ、手遅れなんじゃないの、という記者の考えが推察されるような文章である。

アホか。これは絶妙なタイミングである。これより早くても遅くても、ベストではない。ぎりぎりの寸止め的なタイミングであり、むしろバイデンの潮目をしっかりと捉える傑出した能力の高さを物語っている。そこらへんの記者と政治家とでは、状況の判断能力に天と地との違いがあるな、ということを認識させる。これに関しては予期できたことではないが、トランプの銃撃未遂の前にもし撤退していたら、トランプの銃撃事件がもたらしたトランプの追い風、すなわち民主党にとっての向かい風を新しい大統領がすべてそれを受け止めなくてはいけなくなったであろう。銃撃事件というトランプへのとてつもない追い風をも大きく弱める効果が、今回のバイデンの撤退発言にはあった。逆にいえば、このとてつもない追い風を殺すためには、バイデンが撤退せざるを得なかったとも考えられる。トランプの銃撃事件によって、バイデンは撤退をすることが必要となったのである。

世論的にもハリウッド俳優のジョン・クルーニーなどからも、バイデン撤退すべき、といった発言が出たりして、十二分に「撤退の是非」の議論が盛り上がったところで、ここは自分の意思に反してでも降りなくてはいけない、という意思表示をした。それは、自分より国家を優先した判断、ということでトランプとは真逆の考えを提示することに成功した。このタイミングより早ければ、むしろ支持者からすれば無責任とも捉えられたであろう。世論が十二分にこの議論で盛り上がっての、撤退の判断である。本当ならば、もう少し、後でもよかったぐらいであるが、そうすると新しい大統領候補の選挙戦にマイナスの影響を及ぼす。ぎりぎり、かつ最高のタイミングである。

この記事はまた「ハリス氏は元々、熱烈な人気を誇るカリスマというわけでも、政策通というわけでもない」と述べているが、どこに目玉をつけているのだ。ハリス氏をバイデンが後継者指名した24時間で8100万ドル(120億円ぐらい)の寄付金を得ている。これはオバマ大統領でもできなかった歴史的快挙である。また政策通という訳ではない、と言うが現役の副大統領だぞ。まさかトランプや国会議員を二年しか務めたことがないヴァンス副大統領候補の方がハリスより政策通であると考えているのだろうか。

朝日新聞の米大統領関連の記事はもう批判するのも馬鹿らしいほどくだらないが、流石にこの記事は一言述べないと不味いな、というレベルなので書かせてもらった。アメリカ社会への読みがあまりにも浅いのだ。フォックス・ニュースが情報源なんじゃないの、と思わせるぐらいの状況把握力の無さである。

同じ新聞でもイギリスのガーディアンはトランプが2011年にカマラ・ハリスがカリフォルニア州の司法長官に選ばれるために、トランプが寄付金を投じているという記事を書いている。こういう記事は読む価値に値する。

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ヴィースバーデンを訪れる [地球探訪記]

フランクフルト中央駅発の列車までちょっと時間がったので、ヴィースバーデンにまで足を延ばす。これまで中央駅まで行ったことはあったのだが、そこから旧市街地までは距離があったので断念したことがある。今日は、時間があるので旧市街地まで歩いて行った。さて、ヴィースバーデンはヘッセン州の州都ではあるが、交通の便は悪い。どちらかというとどん詰まり的なところに位置している。東側にはマインツやフランクフルトがあるが、西側はライン川の渓谷とそのうえに広がる台地の森からなり、人口集積地もほとんどない。はっきりいって州都として位置づけるには交通ネットワーク的には不適切な都市である。当然、ドイツ人もそんなことは分かっているので、そのデメリットがあっても敢えてここを州都にした理由があったと思われる。

ヴィースバーデンにはトラムが走っていない。人口が28万人もあるのに走っていないのだ。ライン川の川向こうのマインツは人口21万人の都市であるにも関わらず、トラムが走っているのとは対照的である。中央駅が都心部から離れていたりする都市構造からも、トラムは活躍できると思うのだが、ここらへんも何かトラムを撤去する経緯が何かあったのであろう。

ヴィースバーデンは名前からも分かるように温泉が湧き出ている。豊富な地下水に恵まれているが、地下駐車場をつくるうえではいろいろと弊害となるようだ。この温泉があることより、ここは皇帝の宮廷都市であり、裕福な人々がここを訪れた。イギリスのバースと近いかもしれない。そして、第二次世界大戦での都市破壊率は30%ほどと、他のドイツの都市に比べて少なく、街の戦前以前からの景観がある程度、保全されている。このため、ここをユネスコ世界遺産に登録するような動きもあるようだが、個人的にはそれほど感心しなかった。おそらく、ヴィースバーデンは都心部の保全活動が早い時期に展開されたと思われる。当時は最先端の保全の考え方が導入されたかもしれないが、その後、さらに都心部の空間デザインの方法論は自動車ではなく歩行者優先になっている。また、歴史建築物がしっかりと保全されているのは確かではあるが、その前に戦後に建てられた建築物がうまく調和していない。いや、調和しようとする努力は伺えるのだが、現在のレベルからすると稚拙である。ということで、世界遺産に登録しようとするのであれば、更なるその都市アイデンティティの検証、そして、何を保全し、保全しないものはどのように改善すべきかなどを考えるべきなのではないかと思う。そして、それが面倒であるのなら、安易に世界遺産に登録しない方が市民にとってはいいかと思う。現状では逆立ちしてもリューベック、バンベルグといった世界遺産都市の足下にも及ばないと思うのだ。

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【マルクト教会は煉瓦づくり】

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【古い街並み(右)と新しい街並み(左)。そんなにも悪くはないかもしれないが、世界遺産都市の街並みではないかと思う】

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【地下駐車場をつくると水が湧き出るので大変】

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ナイト・オブ・ザ・プログフェストの歴史 [ロック音楽]

ドイツのローレライで7月19日から21日まで開催されたナイト・オブ・ザ・プログフェストに参加した。このフェストは2006年から始まった。どうも思いつきレベルで始まったフェストであるようなのだが、それから18年間ほど続いた。そして、2024年で終了する。ということで、プログフェストの有終の美を目撃する機会に恵まれたという訳である。そこで、ちょっとその歴史を概観したいと思う。

初年度の2006年に出演したのはフィッシュ(元マリリオン)、シルヴァン(ドイツ)、ジェネシスのトリビュート・バンドであるセコンド・アウト、そしてモストリー・オータム(イギリス)の4バンドであった。まあ、プログレッシブ・ロック・ファンでもなかなか行きたいとは思わないようなメンツであったと言うことは否定できないであろう。しかし、2007年は随分とメンツは魅力的になり、ジェスロ・タル、エイジャという集客力のあるバンドに加え、ペンドラゴン、フィッシュ、IQなど計7バンドが参加し、フェスも二日にまたがった。2008年からは3日間となり、バークレイ・ジャイムス・ハーヴェスト、ロジャー・ホッジソン、タンジェリン・ドリーム、フィッシュ、イット・バイツ、レイ・ウィルソン、ザ・フラワー・キング、マジェンタなど、相当、魅力的なメンツを揃えたイベントへと成長する。2009年からは開園日は二日間に戻るが、スティーブ・ハケット・バンド、アリーナ、ラズーリ、ペンドラゴン、リバーサイドといった2024年と似たメンツに加え、エージェント・オブ・マーシーが出演するなど濃いメンツを揃えることに成功した。2010年はマリリオン、シルヴァン、ザ・エニッド等が出演。2011年はドリーム・シアター、リバーサイド、アナセマ、ムーン・サファリ、IQ等が出演。2012年はスティーブ・ハケット・バンド、サーガ、アリーナ、ザ・フラワー・キング、ラズーリ、シルヴァン等が出演。2013年はスティーブン・ウィルソン、オペス、マグマ、キャラヴァンなどが出演するが、ちょっとメインアクトが弱くなった印象を受ける。2014年はマリリオン、トランスアトランティックがメインアクトで、他にはIQやアナセマなどが出演する。2015年からは再び3日に戻り、キャメル、フィッシュ、スティーブ・ハケットがトリを務める。他にはザ・エニッド、シルヴァン、リバーサイド、ラズーリ、ペンドラゴン、ビアード・フィッシュなどが出演する。これはなかなか素晴らしいメンツを揃えることに成功したのかなとの印象を受ける。2016年はホークウィンド(イギリス)、スポックス・ビアード(アメリカ)、ザ・ミュージカルボックス(カナダ)がメインアクトで、私はこれらをよく知らない。いや、ザ・ミュージカルボックスがジェネシスのトリビュート・バンドであることは知っているのだが、残りの二つのバンドは寡聞にして知っていない。他の出演者であるフォーカス、カール・パーマーは昔取った杵柄、で流石に知っているが、他は知らず、この年は人を集められたのか、ちょっと気になる。2017年は、前年から一転して、イエス、カンサス、ゴング、レイ・ウィルソンといったなかなか豪華なメンツを揃えている。他にもマイク・ポートノイス・シャタード・フォートレス(アメリカ)、クリス・トンプソンが出演している。2018年はキャメル、リバーサイド、ビッグ・ビッグ・トレイン、スティーブ・ホガースなどを揃える。2019年はニック・メイソン、タンジェリン・ドリーム、スティーブ・ヒレッジ、ラズーリ、IQ、アナセマなどが出演する。そこそこ渋いメンツであるが、集客力に関してはちょっと疑わしい。そして、コロナ禍の2020年と2021年はキャンセルとなり、2022年はスティーブ・ハケット、PFM、ルネッサンスという昔の大御所、それに加えてペンドラゴン、コロシアム、ムーン・サファリなどが出演する。そして2023年はニック・メイソン、ザ・ミュージカルボックス、レプロウス(ノルウェイ)という今ひとつのメインアクトに私もほとんど知らないミュージシャンばかりが出演した。唯一、ウィッシュボーン・アッシュが参加していたのは興味深いが、全般的に翌年、このイベントを閉じることに繋がる集客だったのではないかと邪推する。ということで最後の2024年を迎える訳であるが、これはメインアクトがリバーサイド、スティーブ・ハケット、ビッグ・ビッグ・トレインで、それに色を添えたのがアリーナ、ペンドラゴン、スティーブ・ロザリー・バンド、ザ・フラワーキングス、ラズーリ、ビアード・フィッシュ、カルナータカ等であった。特に最後の年ということで、特別に豪勢という訳ではないかもしれないが、昨年に比べると遥かにレベルアップされていたメンツを揃えることに成功した。

3日間での通しのチケットの値段は240ユーロ。会場のローレライ野外音楽堂はライン川の有名なローレライの岩の上の台地にあり、そこからのライン川の眺めは素晴らしい、の一言である。収容力は15000人で、つくられたのはナチス時代であり、集団イベントのためだったらしい。

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【会場からは素晴らしいライン川の眺めが得られる】

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【収容能力15000人のこの会場はナチス時代の集会用に1930年代につくられた】

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ドイツのローレライで開催されたプログフェスト2024に行く:三日目(3) [ロック音楽]

プログフェスト2024の最終日は、お昼はちょっとマルクスブルク城まで足を延ばした。マルクスブルク城は800年の歴史をもち、ライン地方では中世の名残を今に伝える唯一のお城である。その理由はしっかりと調べてないが、とてつもなく急峻な山の上に立っているからではないだろうか。本気で兵糧攻めなどをする執念がなければ、なかなかこのお城を攻めることは大変なのではないかと思われる。さて、この日は16時頃会場に着く。若干、寝不足が続いていたので、この日は芝生に横になって演奏を聴きながら仮眠を取る。そして、フラワー・キングから真剣に前の方に移動して観るようにした。フラワー・キングはキーボードのミディの不具合で演奏開始が30分ほど遅れて、結局、30分間ほど演奏時間が短縮された。しかし、本番でプロでもこんなことが起きるのか、と驚く。フラワー・キングといったらスウェーデン・プログレの雄かと思うのだが、しかし、本番直前で音が出なくなるとは。結局、キーボードを交換して演奏を開始したので、キーボードの方に問題があったということか。次のスティーブ・ロザリー・バンドは最初の数曲を除くと、ほぼマリリオンの代表曲を演奏した。いきなりケイリーを演奏した時は、それほどマリリオンのファンではない私でも興奮した。前日のスティーブ・ハケット・バンドと同様に昔のバンドの代表曲を現在に再現するというコンセプト。マリリオン・ファンにとっては堪らないだろう。そして、大トリのビッグ・ビッグ・トレインであるが、期待をしていたのだが、非常に今ひとつな印象。まず、ボーカルのピッチがずれている。しかも、コーラスが多用されるので目立つ。加てえて、ドラムとベースが合っていない。同行していたスーパー・ギタリストも同様の意見で、雨が降ってきたこともあって途中で帰路につく。雨はその後、酷くなり、早めに退却してよかった。最後のビッグ・ビッグ・トレインが今ひとつだったのは残念であったが、それでも全般的には極めて貴重なプログフェスの3日間であった。私のプログレシッブ・ロックのリテラシーは大きく高まったと思われる。

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【フラワー・キングは機材の故障もあり、ステージ上でメンバーが対策をしているところ。プロでもこういうことはあるんだな】

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【スティーブ・ロザリー・バンド。ロック・ミュージシャンらしくない風貌のメンツが揃っているが、その演奏レベルはさすがの一言】

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ドイツのローレライで開催されたプログフェスト2024に行く:二日目(2) [ロック音楽]

翌日は、お昼はリューデスハイムの町中をいろいろと散歩し、それから車で会場方面へ移動し、お昼ご飯をローレライの町で取り、会場へ向かう。今日はカルナータカ、ペンドラゴン、スティーブ・ハケット・バンドが見所である。この日はカルナータカとスティーブ・ハケットのサイン会には並び、購入したTシャツにサインをもらった。私は15歳からジェネシスのファンであるので、もうスティーブ・ハケットのギターとは46年以上親しんでいるものであり、コンサートも数回、行ったことがあるが、至近距離で遭ったのは初めて。ただ、ツーショットもお話をするのも禁止といった雰囲気だったので(長蛇の列が出来ていたのでそれは理解できる)、まあ物理的に接近できた、というぐらいの収穫でしかなかった。カルナータカはギターとドラムスがサポートで思いが薄いのか、今ひとつであった。特にギターはケーブルが抜けるのを防止するためストラップに回す、という素人でも常識のことをしておらず、これは不可思議であった。これは、私がやってもバンド・メンバーのベーシストとかが発狂するようにして注意をするので、何でプロなのに、と思った次第である。確かに、彼がソロでステージ前に出てきた時はケーブル踏んで抜けたらどうしよう、とハラハラしていた。彼はまた、やたらにチューニングをする。しかも曲が演奏中でギターが弾いていない時もしているので、それも本当に気になった。曲の合間とかのチューニングはいいが、曲の演奏中でチューニングはとても目立つし、格好悪い。これも他山の石にしよう、と思った次第である。ペンドラゴンは流石のギターの美しさ。同行していたギタリストはペンドラゴンのギタリストと知り合いで、いろいろとギター談義をその後、したのだが、ラットのファズとチューブ・スクリーマーとかを使って音作りをしているらしい。え、マジですか、と思った。弘法筆を選ばず、というか、そんなシンプルな音作りであの素晴らしい音を奏でられるのか。そして、スティーブ・ハケット・バンド。最初の数曲はハケットの曲からであったが、4曲目ぐらいから「眩惑のブロードウェイ」。そして、そのアルバムから選ばれた曲を幾つか演奏した。ただ、私はレンタカーでトラブルがあってレスキューの人に来てもらっていたこともあり、ちょっと中座をする。ItやLamia, Cinema Showを演奏するのが駐車場まで聞こえてきたが、しっかりと見ることはできず、レンタカーの修理が終わって、会場に戻った時はアンコールが始まる時であった。ただし、人が移動したこともあり、最前列に行くことができた。そして、Firth of FifthとLos Endosのハケット・バンド・バージョンを観ることができた。この日は、駐車場の混乱もなく、初日より早く宿に戻ることができた。

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【カルナータカ】

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【スティーブ・ハケット・バンド】
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ドイツのローレライで開催されたプログフェスト2024に行く:初日(1) [ロック音楽]

ドイツのローレライで2024年7月19日から21日まで3日間で開催されたプログフェスト2024に行く。会場はローレライ野外音楽劇場である。多くの人は会場そばのキャンプ場でキャンプをしていたようだが、高齢の私は知り合いのアメリカ・バンド、フレンチTVのギタリスト(日本人)と一緒にリューデスハイムの宿に18日にチェックインをする。ただ、ベルリン市役所の移民局から19日に呼び出されたので、チェックイン後、即座にベルリンに戻って、19日に再び会場に戻ってきたので、19日に到着したのはトリ前のアリーナが演奏する直前であった。しかし、この日はトリのリバーサイドを最前列で観ることができて、とてもよかった。リバーサイドのライブが終了したのは午前1時。駐車場のチケットが見当たらず、出るのに一悶着あったのだが、運転席の下に落ちていることが分かり、無事に出ることができる。リューデスハイムの宿まではライン川沿いの道を行く。およそ40分の行程であった。

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【リバーサイドのライブ】
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ドイツのいいところは治安のいいところ [ドイツ便り]

さて、いろいろとドイツの悪口ばかり書いている私であるが、ドイツには他のヨーロッパ諸国に比べて優れているところもある。その筆頭は治安がいいところである。フランスは料理は美味しいし(といっても日本には劣るとは思う)、人々は人懐っこいし、サービスもドイツよりはいいし、取材にも応じてくれるし、なかなか個人的にはいい国であると思う。しかし、治安が悪い。私も実はパスポートをパリで掏られたことがある。シャルル・ド・ゴール行きの列車内で、ここはそもそもそういう評判はあったのだが、あまり気にせず使っていた。しかし、その日は日本のラッシュアワー並みの混み具合で、私はパスポートを小さな袋に入れていたので財布と間違えられたのであろう。袋ごと盗られてしまった。こういうことがドイツではゼロであるとは言わないが、非常に少ないと思う。

ドイツの鉄道は改札がないので、無賃乗車をしようと思えばできるが、ほとんどの人がしていないと思う。これはドイツ・チケットという乗り放題チケットが月額で49ユーロ(9000円ぐらい)で購入できるということもあるが、そういうキセル的なことが嫌いだというメンタリティに依ると思っている。レストランでも、後精算だが、皆、しっかりと払う。払いたくてもウエイター(ウエイトレス)がまったく無視をしていてもだ(私とかは、あまりにも無視されるとそのまま払わず出て行きたくなる衝動を抑えるのが大変だ)。一度、イタリアの警察官とドイツで食事をした時、イタリアだったらほとんどが払わずに出て行く!とドイツのシステムに驚いたことに、私はとても驚いたことがある。

治安が悪いことの経済的マイナスはとてつもなく大きいと思う。人が泥棒だという前提でみていると、人と協働することは大変だ。公共交通も乗らずに自動車を乗りたくなる。ちなみに、私はパスポートを掏られてからはシャルル・ド・ゴール空港はバスで行くようになったが、このバスも結構、乗り心地が悪くて大変だ。ということで、この治安がいい、というか人は泥棒ではない、と思って暮らせるのは、ドイツのとてもいいところだと思う。サービスの悪さとか、いろいろと腹が立つことが多いが、防犯にお金とエネルギーをそんなにかけずに済むというのは、ドイツの優れたところではないだろうか・・・とか書いた後、酷い目に遭わないといいのだけど。

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ドイツの運輸・交通のインフラが機能不全に陥っているのは人のやる気を削ぐと思う [ドイツ便り]

ドイツに住んでいてつくづく嫌になるのは、郵送・交通のインフラが機能不全に陥っていることである。まあ、これは他のヨーロッパ諸国も似たようなものという指摘もあるが、とりあえず私はヨーロッパではドイツにしか住んだことがないので、ドイツに関して述べる。運輸・交通のインフラがしっかりと機能しないと、まず移動をすることを敬遠するようになる。なぜなら、インフラの機能不全で誰が被害を被るかというと移動者だからだ。これは、ずばり金銭的な懲罰として戻ってくる。つまり、移動をすることによる金銭的なリスクが高すぎるのだ。これは日本とは考えられないくらいの大きな差である。日本は交通インフラがしっかりしているので、自動車での移動は別として、そのリスクは小さい。例えば、私は東京と京都をしょっちゅう行き来している生活をしているが、私のようなライフスタイルはドイツでは不可能に近い。しょっちゅう休講になってしまい、そうでなくても低い信頼をさらに失うであろう。結果、東京ではなく、京都に定住することになるだろう。

そのように書いていて、実はドイツの大学でも家は別の都市という人は少なくない。そのようなライフスタイルが成立するとはとても思えないが、やっている人は少なくない。凄いストレスであるのと、仕事の生産性はおそらく相当落ちるであろう。というのも、この時間通りに走れない列車を使っていて、どういうことが起きるかというと、やる気を失うのである。仕事のやる気がどんどんと削がれていく。まあ、これはもちろん業種にもよるが、何か自分だけ時間に追われて仕事をしていることが馬鹿げたような気分になっていくのである。同様のことは郵送サービスにも言える。交通・郵送は人の交流を、コミュニケーションを促す。これがしっかりと機能しないと、そのコミュニケーションをしようというか、協働して仕事をしようという熱意を削ぐ。ドイツに住んでいて、一部の人を除くと、学生を含み、何かアパシー的なものを感じてしょうがなかったのだが、それは、この社会システムに依るのではないか、と最近、思っている。

日本の生産性の低さはとても気になるが、社会システム的にはその条件はヨーロッパのおそらくどんな国より優れているのではないか、というのが最近の私の見解である。

タグ:ドイツ
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ドイツ鉄道は当日にチケットを買おうとすると値段が増額している [ドイツ便り]

ドイツ鉄道でハノーファーからベルリンに戻らなくてはならない。昨晩、ダイヤをチェックすると同時に金額もチェックする。59ユーロか69ユーロである。69ユーロの列車が私的には一番よかったのだが、ちょっと翌日、起きる時間と相談して考えようとその日は寝る。さて、そして、今朝、起きてチェックしたら軒並み84ユーロになっている。59ユーロのものであれば25ユーロ(4500円増し)である。なんだ、なんだという感じだ。まあ、ただ需要に応じて値段を変えるということはあってもいいかと思うが、まったくもって時間通りに走れない鉄道会社が時間によって料金を変える資格はないと思う。というのは、その時間で走るという価値を購入しているのに、それに見合った価値を提供できていないからだ。こういう、人に厳しく、自分に甘い、というのはドイツの体質かとは思うが、本当、嫌になっちゃうなあ。

タグ:ドイツ鉄道
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縮小都市御三家「シュヴェート」を訪れる [サステイナブルな問題]

シュヴェートを訪れる。ブランデンブルク州の北東、ポーランド国境のオーデル川沿いにある町を訪れる。ここは、旧東ドイツに計画的な産業都市として位置づけられた。同様に産業都市として位置づけられたホイヤスヴェルダ、アイゼンヒュッテンシュタットとともに「縮小都市御三家」と私は勝手に名付けている。しかし、小さな集落しかないところに巨大な製鉄所をつくったアイゼンヒュッテンシュタットや、小さな村落のところに巨大な褐炭コンビナートをつくったホイヤスヴェルダとは異なり、シュヴェートは13世紀頃から人が住み始め、15世紀には町としての権限が与えられているなど、それなりに発展をしてきた。

第二次世界大戦の後半、シュヴェートは大きな爆撃を幾つか受け、シュヴェート城を含め町の85%が破壊された。第二次世界大戦終戦後直前に、この町はソ連の支配下になった。旧東ドイツ政府はここにドイツ最大の石油精製所を設け、それをロシアのパイプライン・ネットワークと繋げた。この石油精製所は年間2000万立法メートルの水を必要とするため、オーデル川沿いのこの町は立地条件を満たしていたと考えられる。さらに、シュヴェートの北部に巨大な製紙工場を建設した。

旧東ドイツ時代は、この町に移動することが奨励され、これらの精製所、工場に働くために外部から来た人達のためにプラッテンバウ団地が多くつくられ、それは全住宅の9%までを占めることになった。
その人口のピークは1985年で54142人。再統一直後の1990年は53628人であったが、直後から急激に人口が減少し始め、2015年からはその減少は緩やかになり始めているが、それでも減少は続き、2020年には1985年の54%の29433人ほどまで減少する。

空き家率の状況であるが、一番深刻だったのは2002年で既に47%に達していたのはアム・ヴァルトラント地区である。この高さは既に、倒壊事業に手が付けられていたということもある。同地区の空き家率は1998年に28.3%であったが、2008年は倒壊事業によって3.9%にまで減少し、2022年は1.8%にまで減る。タルサンド地区は1998年で21%であったが2008年には1.7%で、2022年は2.1%。タルサンド地区のそばにあるカスタニアン地区は1998年で9.4%であったのが、2008年には17.4%まで増え、その後、2020年には0.9%にまで減少する(筆者の取材調査による)。

これによって1000戸が倒壊される。それ以外にも再開発(Sanierungsgebiet)関連の予算で482戸、ブランデンブルク州の予算で264戸、さらに2002年という早い時点でシュタットウンバウ・オスト・プログラムの予算で356戸を、シュタットウンバウ・オスト・プログラムが本格的に展開する2003年より前に倒壊している。倒壊事業のまさにパイオニアのような自治体であった。シュタットウンバウ・オスト・プログラムで6316戸数を倒壊している。シュタットウンバウ・オスト・プログラムが終了した後は、新たなシュタットウンバウ・プログラムで倒壊はせずに減築的対応で住宅市場の供給過多、そして、需給とのミスマッチに対応している。

地区別にみると、アム・ヴァルトラントで約6000戸と大多数を撤去している。ここは現在、その3/4が森林に戻され、残ったものも低密度化が図られている。これらの倒壊とリニューアルに合わせて、シュヴェート市は道路や広場の改善を行う。実際、現在、この町を訪れると、その公共空間が随分といい状態にあるのを確認することができる。これらのリフォームは倒壊事業を行う以前から既に行われていたが、この倒壊事業という都市にとって短期的には心理的にマイナスをもたらす事業と、公共空間のアップグレードという心理的にプラスをもたらす事業を平行に実施したことで、縮小に対してそれほど市民が悲観的に陥ることを回避した。これは社会減を少なくする効果をもたらしたのではないかと推察される。

私は2006年に訪れたことがあるが、その時は、縮小御三家の中でも最も悲惨だな、という印象を受けた。ただ、その時は4月の曇った日であったので、それが印象に強く影響を与えた可能性は高い。それから、18年経ち、シュヴェートは縮小から脱却したかのような印象を受ける。現在でも人口は減少しているが、その減少率は随分と低くなっている。これまでの縮小対策が功を奏している印象を受けた。

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【2006年に訪れた時のシュヴェートは、空き家だらけの団地が亡霊のように建っていたのが印象に残っている】

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【2024年のシュヴェートは、2006年から随分と改善されている】

シュヴェートは、倒壊事業はもう終了したと考えている。これからは、いかに人々のニーズに既存の住宅が応えることができるかが課題となっている。

(この原稿は私が管理している「シュリンキング・シティ研究会」でも掲載しています)

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