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ヒッチコックの『レベッカ』 [映画批評]

1940年のヒッチコックの監督作品。ヒッチコック41歳の作品。サイコスリラー的な作品であるが、後味はいい。たまに、こういうスリラー的で後味の悪い作品があるが(例えばマドモアゼルやツイン・ピークス)、映画は基本、娯楽なので、後味がいいと観てよかったと思える。白黒映画なのだが、これがかえってグッとゴシック的な雰囲気を出していて、映画の世界に引き込ませる。さすがの傑作だ。どうでもいい話だが、主人公のジョーン・フォンティンは日本の東京で生まれたそうである。


レベッカ [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 映像文化社
  • 発売日: 2013/11/28
  • メディア: DVD



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佐賀駅と下北沢駅の乗降客数 [都市デザイン]

 ちょうど一週間前に、佐賀県知事が新しい公共事業「SAGAアリーナ」を「とりあえず下北沢みたいにしたい」と発言して、その阿呆さ加減をこのブログで指摘した。
https://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2020-07-05
 しかし、その際、駅の乗降客数を比較し忘れたのでここで追記する。下北沢の1日あたり乗降客数は小田急線と京王帝都井の頭線を加えての値だが、237000人である。これに比して佐賀駅は12624人とほぼ20分の1、下北沢の5%ぐらいにしか満たない。下北沢の楽しさは、自動車ではアクセスできなくて、徒歩や公共交通でアクセスできることだ。そのマーケットが佐賀駅は下北沢の20分の1しかない。「とりあえず下北沢」の発言が、どれだけ本質を外しているのかが、この数字からも分かるであろう。
 私が、どうして、この件でこんなに立腹しているか、というと佐賀市には佐賀市のよさがあって、それを追求すべきであるのに、昔の地方で乱立した「○○銀座」のように、21世紀になっても、いまだ東京的なものを追求する田舎もん根性が払拭できていないことと、東京のような世界でも希有な大都市でしか存在できないようなものを、佐賀できもできると考える無知蒙昧さ・・・これが地方を駄目にするからだ。地方の豊かさを将来の世代に残すために何をするべきか、を真剣に考えたら、こんな馬鹿な施策ができる訳がない。そして、地方の多様な豊かさこそが、日本という国の豊かさなのに、なぜ東京的な豊かさを地方で実現しようと考える。しかも、それは都市の生態系的なことを考えれば、出来ないことは火を見るより明らかなのに。
タグ:下北沢 佐賀
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フロリダを凌ぐ勢いで、アリゾナでコロナウィルスが猛威をふるっている [トランプのアメリカ]

先日、フロリダ州においてコロナウィルスの猛威について述べたが、現在、さらにやばいのはアリゾナ州である。7月9日の新規感染者数は4057人で死者数は75人。合計で11万2671患者数で死者は2038人。
一週間の平均新規患者数は先週の509人であったことを考えると、ほぼ7倍増加したことになる。アリゾナ州の人口当たりの新規感染者数は米国のどの州よりも多く、そしてどの国よりも多い。ちなみに二番目に多いのはフロリダ州である。人口自体はそれほど多くない州なので、絶対数は全米の州の中でも8位、死者数でも16位であるが、人口当たりでみると、その数字は凄まじいものがある。
アリゾナ州といえば、2週間前の6月23日にトランプ大統領がユマとフィニックスに訪れてラリーを開催したところである。それから二週間ちょっと経った後のこの阿鼻叫喚の事態。トランプは、まさにアメリカ人にとって疫病神となっている。疫病神を崇めていると、ろくでもないことになる。そういうことを考えると、10日後ぐらいに危ないのは7月3日にトランプがラリーを行ったサウスダコタ州か。

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スティービー・ニックス(フリートウッド・マック)の名曲ランドスライドの歌詞の意味 [ロック音楽]

フリートウッド・マック(ピーター・グリーンやクリス・ウェルチの時代を除き、1975年以降のスタジアム・バンドになってからの話)は、3人の傑出したソングライターがそれぞれの個性を反映した楽曲群で我々を楽しませてくれるが、その3人の中でも特に強烈なキャラを放っているのはスティービー・ニックスであろう。
 さて、スティービー・ニックスは多くのヒット曲を世に送り出しており、どれが彼女のベスト・ソングかと問われると、なかなか悩ましいところは多いが、世代を超えて歌い継がれる曲はランドスライドではないかと思う。
 この曲はメロディもそうだが歌詞がなかなか人の琴線に触れるところがある。私も特に意味を考えなくても「But time makes you bolder, even children get older, and I’m getting older too」のところは惹き付けられていて、歌詞を覚えている。

I took my love, I took it down
Climbed a mountain then I turned around
And I saw my reflection in the snow covered hills
Till the landslide brought me down

Oh, mirror in the sky
What is love?
Can the child within my heart rise above
Can I sail through the changing ocean tides
Can I handle the seasons of my life

Well, I’ve been afraid of changing
‘Cause I’ve built my life around you
But time makes you bolder
Even children get older
And I’m getting older too

Take my love, take it down
Climbed a mountain and you turn around
And if you see my reflection in the snow covered hills
Well the landslide will bring it down

さて、しかし琴線には触れるが、その意味は不明瞭である。いくつか、日本語でその解説をしているブログもみつけたが、母親の心境だろう、とかちょっとズレた解釈がされている。ということで、私もちょっと解釈を試みたい。
その前に、スティービー・ニックスがどのような状況でこの曲をつくったのか。これについては、スティービー・ニックス自身も取材等で回答している(https://www.youtube.com/watch?v=9QAldn59NWQ)。
 作曲したのは1974年でスティービー・ニックスが26歳の時である。高校時代からのボーイ・フレンドであるリンゼイ・バッキンガムと音楽家として生計を立てようと頑張っていて、昼はウェイトレスの仕事をして、夜に創作活動に勤しんでいたのだが、この時はもう疲れ切っていて大学に戻ることを考えていた。ちなみに、ニックスの父親は全米にネットワークを張りめぐらすグレイハウンドの副社長を務めたような人である(一部では社長という説もあるが、父親本人の葬儀の案内では副社長となっているので、そちらが正しいように思われる)。
1973年にポリドールで録音した「ニックス・バッキンガム」がちょうどカタログから外された連絡を受けたニックスは、上記の取材でも述べているように大学に戻るか(授業料を親は出すと言っていた)、バッキングガムとの(主に音楽的)関係を続けていくかで悩み、このまま二人で音楽をやって行くぞという決意の心境を歌っている(と雑誌の取材で述べている。http://performingsongwriter.com/stevie-nicks-landslide/)。ということで、ニックスの父親本人とかも、これは自分のことを歌っていると思っていたらしいが(実際、あるライブではニックスがこの曲を父親にと言っている時もある・・・ただ、ニックスはこの曲をライブで演奏する時には、○○に捧げます的な言い方をする)、やはり、これは袋小路に陥った自分が今後、どうするか思慮して、その決断を示した歌と解釈するのが妥当であろう。
ちょうど、この曲はニックスがバッキンガムとコロラドのスキー・リゾートに滞在した時に創っている(ちなみにリアノンもこの時につくっている)。バッキンガムはエブリー・ブラザースの仕事が入り、ニックスのトヨタの車でアスペンを発つ。ニックスは父親がグレイハウンドの重役であったために、グレイハウンドのフリーパスを持っており、それで帰ろうかと考えていたら、なんとグレイハウンドがストライキに入り、結局、アスペンに滞在し続けることになるのだが、そのお陰でランドスライドとリアノンが創られたと考えると、結果的にはニックス、そしてこの素晴らしい二曲を聴くことができる人類にとってもグレイハウンドのストライキは福音であったのではと思われる。
ニックスはロッキー山脈に積もった雪を見ていて、これらが雪崩のように我々の積み上げたものをすべて台無しにするのだろう、と思ったと述べている(クリスタル・ヴィジョンの解説)。
さて、そのような情報をもとに歌詞を解釈してみよう。この歌詞は4つのパートに分かれるが、最初(1番目)と最後(4番目)が対になっている。最初が過去形で最後は現在形である。最初がIで最後はYouであり、最初は自分の心境、そして最後はこの曲を聴く者全員を指しているとも考えられるが、アスペンから喧嘩をしたような状態で出て行ったLindsayの可能性もある。とはいえ、あえて曖昧にした言い回しをしているのは、それほど重要ではないからであろう。ニックスは、この曲をつくっていたときはほとんど自分以外のものに対して、諦観のような気持ちを抱いていたのではと思われる。
分かりにくいのは、一行目のI took my love, I took it downの下りである。LoveはLindsayか音楽か、それともPolydorのアルバムかということだろうが、Lindsayとのその時の関係を考えると(喧嘩をした直後)、Lindsayと捉えるのが妥当かとも思われる。
そして、Climbed a mountain then I turned around/And I saw my reflection in the snow covered hills/Till the landslide brought me downのところは、ロッキーの山に登り振り返ると、雪に自分のReflectionを見て、そしたら雪崩が自分を山から降ろした、というような内容の歌詞に続く。ここでReflectionは単なる自分の姿ではなく、深慮という意味と掛けている。将来のことをいろいろと考えていたら、雪崩で原点に戻らされた、というような気持ちを歌っているのだろう。
 次ぎの二節は、私がこれからの音楽業界でやっていく苦難を乗り越えられるのか、という自問的な歌詞になっている。

Oh, mirror in the sky
What is love?
Can the child within my heart rise above
Can I sail through the changing ocean tides
Can I handle the seasons of my life

そして三節は、それに対しての答えを導き出したような内容となっている。ここのyouは、父親としては自分だと思いたいという気持ちは分かるが、この歌がつくられた状況を考えるとLindsayであろう。Lindsayと袂を分かつという可能性を考慮していたことが、ここでは歌われている。

Well, I’ve been afraid of changing
‘Cause I’ve built my life around you
But time makes you bolder
Even children get older
And I’m getting older too

最後の4節は、私の愛を受け取って、そのまま捨てちゃいなさいよ、山に登って振り返れば私の面影が雪山に見えるから。しかし、その面影も雪崩が流してしまうけど。


Take my love, take it down
Climbed a mountain and you turn around
And if you see my reflection in the snow covered hills
Well the landslide will bring it down

ううむ。ニックスが決意の歌と言っている割には、私の努力も結局、スタート地点に戻らされ、私の強い思いを相方が気づいても、それも雪崩に流されちゃう、というこう諦めの歌、恨み節の歌であることが分かる。まあ、ニックスの取材での発言と辻褄を合わせるには、この怨恨がこもったような曲をつくったことで、マイナス的な思考をすべてこの曲に注ぎ込んで、新しい未来に突き進もう、という気持ちになったということかもしれない。そして、実際、その年のクリスマス・イブにミック・フリートウッドと出会い、リンゼイ・バッキンガムとともにフリートウッド・マックのメンバーとなる。
そのように考えると、この曲が人々の琴線を触れ続けるのは、その圧倒的なエモーションがこの曲に詰め込まれているからではないだろうか。ほとんど6つしかコードがなく、構成も2つぐらいしかないシンプルな曲なのに、この曲の存在感は凄まじいものがある理由がなんか分かったような気がする。
私は昔から、スティービー・ニックスは米国の中島みゆきだよな、といい加減に思ったりしていたのだが、なんか、彼女の代表曲を考察していたら、この仮説、まあまあ当たっているかもと思ったりしている。


Fleetwood Mac

Fleetwood Mac

  • アーティスト: Fleetwood Mac
  • 出版社/メーカー: Rhino
  • 発売日: 2018/01/19
  • メディア: CD


(ランドスライドは1975年に発売されたこのアルバムに含まれていた)

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フロリダ州のコロナウィルスの新規感染者数が昨日だけで10000人を越えた [トランプのアメリカ]

7月5日、フロリダ州でコロナウィルスの新規感染者数が10059人となった。これで、フロリダ州は新規感染者数が12日連続で5000人を越えている。フロリダ州のコロナウィルスの感染者数は200111人。6月5日の感染者数は61488人から猛スピードで増えている。また、テストによる陽性率のこれまでの総計では9.1%であったが、昨日は17%を越え(CNNのニュースに基づく)。死者数は3731人である。昨日亡くなった人は29人である。
ちなみにフロリダ州の人口は2148万人。ほぼ日本の人口の6分の1である。さて、昨日の日本の新規感染者数は234人。フロリダ州は人口当たりでは日本の250倍。総数では60倍もフロリダ州は多い。陽性率は東京で0.1%、大阪で0.17%なのでこの数字をみても、また日本も別に余裕が持てるような状況ではないことを考えるとフロリダ州がいかに酷いか、まさに阿鼻叫喚を呈しているような悲惨な事態に陥っていることが分かる。
このコロナウィルスが流行り始めた3月頃、フロリダ州民は州知事を初め、トランプ大統領の「そのうち奇跡のようになくなる(One day, it’s like a miracle, it will disappear)」(2月27日)根拠のないフェイク・ニュースを支持し、ソーシャル・ディスタンシングもマスクもすることを拒んだ。そして、それを得意気に自慢する人達が多く、テレビの取材に応じていた。こりゃ、大変な人達だな、と思っていたら、本当に燎原に放たれた火のように凄い勢いで広がり始めている。
コロナウィルスはそれを軽視する人には容赦しない。ということを、フロリダ州のデータをみていると再確認させられている。ちなみにアメリカ合衆国で現在、指数関数的に患者数が伸びているのはフロリダ州だけでなく、テキサス州、アリゾナ州などもそうである。

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佐賀県知事が新しい大型公共事業「SAGAアリーナ」を「とりあえず下北沢みたいにしたい」と発言したことの愚かしさ [都市デザイン]

佐賀県が佐賀市の佐賀駅から北に1キロメートルぐらいいった日の出地区に540億円をかけて「SAGAサンライズパーク」というものを整備しようとしているようだ。この施設だが、山口佐賀県知事は、そこを「色々な人が勝手に集まって勝手に楽しむ、何が起こるか分からないチャレンジゾーンにしたい」「とりあえず(東京の)下北沢みたいにしたい」などとその展望を語った(朝日新聞2020年7月3日)。そして、その展望を具体化すべく、電通を代表企業とした企業グループを指定管理者に指定した。
最近、コロナウィルス禍の環境変化にやられて元気がまったくなくなっていたのだが、この新聞記事には久しぶりに腹が立った。怒髪天を衝くぐらいの気分だが、髪の毛がないので頭がただカッカしているような状況だ。この記事から、佐賀知事の何が愚かなのか、このブログ記事の奇特な読者は分かりますか?
まず、下北沢はつくろうと思ってつくれるようなものではない、ことが全然、知事が分かっていない、ぞの無知蒙昧さが腹立たしい。というか、本当、佐賀県民でなくてよかった。下北沢はニューヨーク・タイムスの記者が記事でグリニッチ・ヴィレッジに対する東京の返答、と形容するほどの特別な空間である。それが比肩できる場所は、地球上でもマンハッタンのグリニッチ・ヴィレッジとイースト・ヴィレッジ、ロンドンのカムデン・ヤード、パリのモンマルトルぐらいしかない。いや、モンマルトル、下北沢と同じ土俵に上がれるか、と書いていて不安になるぐらいだ。それは、東京という世界に冠たる大都市における創造的集積が展開した希有な街である。ちなみに、下北沢は北沢二丁目と代沢五丁目の一部(駅に近いところ)だけで1500店舗以上がある。最近では、北沢二丁目から北沢四丁目、代沢二丁目などにも店舗が浸食しているので、実際はこれよりもはるかに多くの店舗数がある筈だ。これらの数字は、私が学生と実地で数えた数字であるので、商業統計よりも遙かに多いので、佐賀市と比較しにくいので、ここでは食べログで見てみよう。
カフェの数を下北沢駅から1キロメートルの範囲で食べログで検索するとその数は214軒。一方の佐賀駅は38軒である。カレーは、下北沢は61軒、一方の佐賀県は8軒である。そもそもの集積がまったく佐賀とは違う。しかも下北沢の個性を出しているこれらの店の多くが個店である。凄まじいボトムアップ型の地域経済力があってこその下北沢の個性なのである。下北沢のもう一つの特徴として、文化を創造する孵化器的な機能が挙げられる。下北沢には決して規模はおおきくはないが21のライブハウス、8の小劇場がある。わずか2キロ平米ぐらいの中にこれだけの集積があるのだ。どうも佐賀県にはライブハウスが3つしかないようだ。下北沢の凄みというのは、この集積の経済が発現されるところにあって、今では大阪の大して実力のないガールズ・バンドがデビューのきっかけをつくりに下北沢に来るという、ちょっと「大阪、お前もか」と思わせるぐらいの下北沢と他との格差が生じてしまっている。これはこれで個人的に問題かなと思ったりもしているが、これらの集積が佐賀駅周辺に出来る筈がないだろう。というか、正直、九州でミニ下北沢ができるような都市があるとしたら福岡だけかもしれない(熊本と鹿児島は可能性ゼロとはいえないですが・・)。なぜなら、福岡はミュージシャンを輩出し、またそれを育てるような孵化器的な機能があるからだ。そして下北沢がなぜ、このように突出したようなバンド孵化器な機能を有したかというと、それはそのバックに東京という大市場があるからだ。そして、東京は創造都市的な要素も非常に強く、クリエイティブな活動を支援するような環境がある程度、整っていて、それは佐賀とは雲泥の差がある。
そうそう、下北沢がもう一つ特別なのは、歩行者空間が広がっていることだ(最近、駅前の開発が進んでいて心配だが)。駅周辺には信号が一切ないからね。佐賀市のように自動車中心のライフスタイルのところに、下北沢のような集積は絶対できません。
知事の発言になぜ、私が烈火のごとく怒っているかというと「下北沢みたいにしたい」といって、下北沢という街のことがまったく分かっていないと思われるからだ。加えて、佐賀県知事の発言は、お見合いの仲人に「とりあえずノン(能年玲奈)みたいな女性にしてよ」と依頼するような、身の程知らずな謙虚のなさをも感じる。
あと、もう一つまったく納得できないのは、その依頼を電通等の企業に御願いしていることだ。下北沢をつくったのは、個店を営んできた個人達である。それら個人は、お互いライバルとして切磋琢磨をしたり、また時には協働したりして街をつくりあげてきた。下北沢音楽祭、下北沢カレーフェスティバル、シモキタ将棋名人戦、下北沢大学・・・これら下北沢を象徴するようなイベントは皆、個人が企画し、周りを巻き込んで実現したものばかりだ(成功するとカレーフェスティバルのように企業がスポンサーになったりするが、それはほとんどが後付けだ)。下北沢や高円寺、自由が丘といった東京の魅力ある街の特徴は、それらを地主や住民が作ってきていることだ。吉祥寺はお寺が地主なので、個店が地上げを受けずにサバイバルできたのが、今の魅力に通じている。電通の能力は企業としてはずば抜けて高いとは思うが、そもそも企業は魅力的な街をつくることが構造的にはできない。これに関して論じようとすると、本が書けてしまうのでその詳細はここでは述べないが、企業に頼めば下北沢ができるという街のエコロジーをまったく分かっていないその愚は、本当嘆かわしい。こういう知事がいるから、というか、こういう知事を選ぶような土壌だから、皆、若者が地方から逃げたがるのだな。私が佐賀県民だったら絶対、逃げ出すだろうから、このような若者の気持ちはよく分かる。
そして、一方で、今の東京一極集中の状況は日本という国にとっては好ましくないので、このような知事がいることは日本国民としては由々しき問題であるなと思う。
新聞記事だけでの情報なので、知事はもうちょっと思慮があっての発言であるのかもしれないが、文面だけで取ると、そのように理解される。あと、下北沢の街の魅力とかが知事をやるぐらいの人でも分かっていない、というのは深刻な問題で、私自身もどうにかしないといけないな、とは思う。のだが、最近、本当疲れ気味なので、このブログの記事をアップするぐらいのことで今はちょっと勘弁していただきたい。我ながら情けない。

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『ハロルドとモード』 [映画批評]

荒唐無稽のシナリオの映画。1971年に公開された時は人気がなかったそうだが、その後、カルト的人気を博し、現時点ではDVD等もリリースされている。10代の青年が79歳のおばあさんと恋して、結婚するというストーリーは面白いといえば面白いが、個人的にはそれほど話には引き込まれなかった。ちょっと非現実的過ぎるでしょう、と突っ込む自分がいるのだ。と記して、私のドイツ人の40代後半の友人の母親が自分より若い男性と再婚したと当惑して話をしたことを思い出した。まあ、世の中にはいろいろなことがあるし、これが男女逆だと比較的、よく聞く話だ(大抵、男性側が金持ちであることが残念であるが)。とはいえなあ、まあ常識に囚われなくて自由人のおばあさんは魅力的かもしれないが、そこで恋に堕ちるかあ・・・というところで個人的にどうも腑に落ちないので評価はちょっと今ひとつです。ギャグも面白いとそれほど思えなかったし。


ハロルドとモード/少年は虹を渡る [DVD]

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『プライベート・ライアン』 [映画批評]

今更ながら『プライベート・ライアン』を観た。1998年に公開されたトム・ハンクス主演、スピルバーグ監督の戦争映画である。映画冒頭の戦場のシーンは、生々しく、戦争を知らない世代にも、そのむごたらしさ、冷徹かつ非合理な悲惨さ、が伝わるように描かれている。戦争をしない国民であることの有り難さが分かるような戦場の理不尽な残酷さを見事に表現している。この冒頭シーンだけでなく、戦争がいかにヒューマニティから縁遠いところにあるかを描ききっている。この映画の優れたところは、人間の弱さ、そしてその弱さに人間の希望というか救いのようなものを感じることである。戦争という狂気から、人間を回避させるのは、この弱さを愛おしみ、大切に感じられる気持ちを共有させることではないだろうか。憲法改正とか議論する政治家の話を聞く前に、まずはこの映画を観ることをお勧めしたい。


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人口減少や少子化・高齢化といった問題を自治体だけで対応しようとしても無理であろう [サステイナブルな問題]

現在、京都大学の教授をしている広井良典氏が2010年に自治体を対象として実施した
「地域再生・活性化に関する全国自治体アンケート」で「現在直面している政策課題で特に優先度が高いと考えられるものは何か」という質問をしているのだが、その回答の一位は「少子化・高齢化の進行」であり、二位が「人口減少や若者の流出」であった(広井良典『人口減少社会のデザイン』、東洋経済出版社)。
 これらの課題は深刻ではあるが、これは自治体が政策的に対応してどうにかなるものではない。地球温暖化に一自治体で対応することよりかは何かしら手立てがあるかもしれないが、ほとんど焼け石に水であろう。というのも、このような問題が生じているのは、その自治体に原因がある訳ではなく、全国いや全世界的な現象であるからだ。そういう意味では地球温暖化とも共通点はあるかもしれない。
 それは10歳の子供が家計を心配しているような、なんかズレを感じてしまう。というのも、このような現象が生じている一番の要因は、中央政府そして自民党政権がそのような大都市(特に東京)を極端に優遇するような政策を推進してきたからであり、それに抗うのはゴリアスに素手で挑むようなものである。それは政策ではなく、政治で対応しなくてはならない、それなのに、そもそも地元に基盤はあっても、東京で生まれて東京で育って東京で暮らしている政治家が地元視点での政治ができる訳ないのに、そういう人達にずっと投票をしてきたことに問題がある。ここらへんから変えないと、一地方自治体が政策で対応しようとしても無理だ。それは、癌を手術ではなくて薬だけで処方しようとするようなものだ。しかも、薬ほとんど揃えがないし。
 このようなマクロの問題に対処療法的に対応するような愚はやめて、もっと、その自治体が100年後にどのようになっていきたいのか、といったような将来構想を地元で共有できるような動きをすることの方がずっと効果はあると思われる。それによって、未来をその自治体でつくっていこう、という気持ちにもなる。私が幾つか訪れた自治体でも、長門市(山口県)とか尾道市(広島県)、金沢市、弘前市、神山町などではそのような動きの鼓動を感じることができる。
 特にコロナウィルス禍の中では、それまで大都市の優位性の根源であった集積の経済が必ずしもプラスとして働かなくなっている。自分の自治体の存在意義、アイデンティティといったものを考えることの方が、「少子化・高齢化の進行」や「人口減少や若者の流出」といった課題に小手先で対応しようとすることよりずっと効果があると思われる。

人口減少社会のデザイン

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  • 作者: 広井 良典
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2019/09/20
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コンテイジョン [映画批評]

私のゼミ生がこの映画がいいと勧めたのでアマゾンで早速、注文して鑑賞したのだが、いやはや緊張感溢れた内容に加え、パンデミックの危機をリアリティ溢れた描写をしていて大いに楽しめた。まるでコロナウィルスの危機を予見したかのような内容には、ちょっと衝撃さえ覚える。というか、しっかりとパンデミックをシミュレーションすると、こういう事態になることが予見できるということであろうか。コロナウィルスを体験した我々からすると、そのシミュレーションの際だった秀逸さが理解できるともいえよう。また、直接的には交錯しないのだが、CDCの医師達、WHOの研究員、陰謀説をSNSで流すフリージャーナリスト、妻と息子をウィルスで失った男性という四つの視点からパンデミックの進展を描いていることで、視聴者は4つの多角的な視座によって状況を俯瞰することができる。それゆえに、画面にぐいぐいと引き込まれて、目が離せない。まったく集中力を途切らすことなく一挙に最後まで観ることができた。CDCのケイト・ウィンスレット演じる若手研究者が感染源を突き止めても、政治的な理由から都市封鎖ができず、無念を抱えたままウィルスに感染して亡くなってしまうことや、ジュード・ロウ演じるフリー・ジャーナリストがSNSを駆使して世論形成に成功すること、さらには人々が買い溜めに走り、暴動するところなど、今のコロナウィルスの状況そっくりである。リアリティ溢れた描写、と前述したが、現在のコロナウィルスの件でCNNの番組に出まくっているグプタ博士がカメオ的に出演していることにはちょっと個人的に受けた。というか、コロナウィルスのパンデミックを経験した我々としては、2011年につくられた作品であるにも関わらず、まるで今の状況を報道しているのではないか、という錯角さえ覚えさせる。コロナウィルスと共生していかなくてはならなくなった人類必見の映画であると思う。エンタテインメントを越えた良質な映画である。

コンテイジョン [DVD]

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テレワークの可能性と課題 [サステイナブルな問題]

2020年6月5日の東京新聞に、職業別のテレワークに関する実施率の調査結果が示されていた。パーソル総合研究所が実施した「新型コロナウィルス対策によるテレワークへの影響に関する緊急調査」(4月10日~12日)をまとめたものである。さて、それで実施率が50%以上の職業は上から「WEBクリエイティブ職」(64%)、「コンサルタント」、「企画・マーケティング」、「IT系技術職」、「広報・宣伝・編修」となっている。逆に10%に満たないのは下から「福祉系専門職」(2.2%)、「ドライバー」、「製造(組み立て加工)」、「建築・土木系技術職」、「飲食の接客・サービス系職種」、「理美容師」、「幼稚園教諭・保育士」、「医療系専門職」、「飲食以外の接客・サービス系職種」、「警備・清掃・ビル管理」、「販売職」となっている。
 コンピュータを相手に仕事をする職業ほどテレワークに移行しやすいことが分かる。とはいえ、それでも最大の職業でも3分の2ほどがテレワークで仕事をしているだけで、残りの3分の1はテレワークではなく仕事をしている。一方でテレワークの割合が低いものは、そりゃ、そうだと納得するような仕事がほとんどだ。人を対象とする仕事、もしくは場所(現場)に縛られる仕事(建築・土木、移動はするがドライバー)でテレワークをしている人は管理職のような人だけであろう。
 筆者は大学教員であるので、ほとんどテレワークである。テレワークをしはじめて、いろいろと気づいたことがある。まず、生活のリズムを維持することが大変であるということだ。あと、これは大学がオンライン講義にシフトすることを決めた時点で即、覚悟したことであるが、その準備は猛烈に忙しい。オンライン講義が開始してから、ほとんど土曜日と日曜日も仕事をしているような状況になっている。そりゃ、そうだ。90分の講義を録画しなくてはならないけど、一発でうまく録画できる訳がない。そもそも、途中で休みを入れないのはこの年だと無理に近い。疲れた時に録画作業をすると、噛みまくって何回も録画をする。それで、アップする前に再確認で見ると、結構、失言なども少なくなく、納得できず再録画をしたりもする。その結果、明け方まで仕事をしたりする場合も少なくない。同僚の若い先生はそのまま徹夜をしたりもするらしいが、私はとても無理なので明け方に眠って昼に起きるような生活になったりする。無理に起きると、昼食後に猛烈な睡魔が起きて、家ということもあって寝てしまう。結果、もういつでも時差のような状況になってしまう。
 個人的には、これが一番の課題であるのだが、このアンケート調査ではテレワークの課題も尋ねていて興味深い。それを多い順で紹介すると、「運動不足を感じる」(74%)、「テレワークでできない仕事がある」(60%)、「プリンターなど必要機器がない」(48%)、「仕事に集中できない」(44%)、「業務上の指示ややりとりに支障がある」(39%)、「会議が減ってさびしさを感じる」(37%)となっている。
 「生活のリズムが崩れている」という回答はないが、これは単に選択肢のなかっただけかもしれない。ここで挙げた課題で私も同意するのは「運動不足」と「仕事に集中できない」の二つである。「運動不足」は本当、相当気をつけないと大きな問題となる。私は幸い、自宅のそばに緑道があり、また1キロメートル以内に駒沢公園という広大な都立公園があるので、1日に5キロメートルぐらい散歩をするようにしているが、このような散歩環境がないと結構、ストレスは溜まるであろう。コロナ禍では、これら緑のインフラが生活環境内にあることの重要性を再確認する。もう一つの「仕事に集中できない」のは、自宅での作業の問題点であろう。誰も監視せず、周辺には気が散るものに溢れている。というか、コンピューターもユーチューブとかが私の集中力を大いに妨げる。いや、単に意志が弱いというだけなのかもしれないが、この自分の怠け心に打ち勝って仕事に集中出来る人がどのくらい、この世の中にいるのか。私はちょっと相当、少ないのではないだろうか、と思っている。
コロナウィルスは、現在は落ち着きつつあるが、また県外にまたがる移動を許可したということで、これからも収束するのは難しいと思われる。おそらく、コロナウィルスとは共生していくことになるかと思うが、そうすると、このテレワークで仕事をするスタイルは、緊急避難的な意味合いではなく、ある程度、対応できる職業を中心に普及していくのではないだろうか。そのための課題なども、このアンケートは浮き彫りにしており興味深い。

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ラスト・ブラックマン・イン・サンフランシスコ [映画批評]

ジョー・タルボットのデビュー作。2019年に発表され、サンダンス映画祭で最優秀監督賞を受賞している。映画はサンフランシスコのハンターズ・ポイントに住むアフリカ系アメリカ人が、ミッション地区の瀟洒な家族が元住んでいた家に移り住もうとする話である。ジェントリフィケーションが進み、低所得者層がどんどんと追いやられる背景が、メランコリーに描かれていて、沈鬱な気分にさせられる。出口が見えない状況が続き、将来への希望は一切描写されない。そのような中、映像はとても美しく、結果、絶望的な内容であるにも関わらず、後味は悪くはないが、どうもそれは「滅びの美」のようなものかもしれないな、と思ったりもする。ジェントリフィケーションやジョージ・フロイド事件の背景を知るうえでは参考になる映画であるとも思われる。


The Last Black Man in San Francisco [DVD]

The Last Black Man in San Francisco [DVD]

  • 出版社/メーカー: Lions Gate
  • 発売日: 2019/08/27
  • メディア: DVD



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伊藤詩織さんの事件を考える [その他]

ジャーナリストの伊藤詩織さんが元TBS記者の山口氏から性行為を強要されたことで訴え、刑事事件では政権に極めて近い関係にある山口氏(奥さんがアッキーと同級生)を検察は嫌疑不十分として起訴を取り下げる。しかし、それで諦めなかった伊藤さんは民事裁判で訴え、2019年12月に東京地裁で開かれた民事裁判で勝訴した。ちなみに山口氏は控訴している。
 この事件の事実は、どうであったのかは私にはよく分からない。伊藤さんの訴えを聞いた高輪警察署の人達が調べた結果、山口氏は極めてクロであったという報道からすれば、また、訴えることのリスクを敢えておかしてまで伊藤さんが正義を求めたということを鑑みれば、まあ山口氏はクロなんだろうなとは思う。しかし、まあ、そこは正直、私にはよく分からない。とはいえ、山口氏の弁明する場に伊藤さんが気丈にも同席して彼を見据えていたことを考えると、まあクロであろう。潔く謝罪して、罪の責任を取ってもらえればと思うが、彼の失うものの大きさを考えると、まあジタバタするのも分からないでもない。そして、そう思いつつ、100%山口氏がクロだろうとは判断できない自分もいる。世の中、何が真実かはなかなか分からないからだ。
 さて、伊藤さんが本日、Twitterに投稿されたイラストなどが名誉毀損に当たるとして、漫画家のはすみとしこらに損害賠償を求め、東京地裁に提訴した。このイラストは、まさに伊藤さんそっくりの女性を侮辱する内容のもので、本人ではなく私が見ても非常に不愉快を感じるものである。はすみ氏は伊藤さんではない、と主張しているが、誰がどう見ても伊藤さんそのものである。というか、はすみ氏は画力があるのだ。彼女の底が抜けたように意地が悪い意図は明らかであり、こういう人の傷に辛子を塗りたがるような行為は、犯罪であることは100%明白であり、厳しく処分してもらいたい。もちろん、彼女は「言論の自由」などと主張するだろうが、シリア難民への極めて無礼なイラストとともに、その行為は「言論の自由」をむしろ危機にもたらすような裏切り行為であると思う。
 山口氏の行為は密室なので、私は、100%確信はもてないが、はすみとしこ氏の行為はまさに白日のもとに晒された、というかツィッターで拡散されていて明々白々の事実である。そして、それは犯罪的ではなく、犯罪そのものである。こういう行為を野放しにしておくことこそ、「言論の自由」への挑戦である。「言論の自由」とは、嘘をつく自由でもないし、根拠なく人を貶められる自由ではない筈だ。

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麻生副首相は外国人が「絶句した」理由をはき違えている [グローバルな問題]

日本は欧米に比べるとコロナウィルスでの死者数が少ない。その点で、外国から電話で問い合わせがあったとき、「『おたくとうちの国とは国民の民度のレベルが違うんだ』って言ってやると、みんな絶句して黙る」と6月4日の参院財政金融委員会で述べた。さて、ここでこれを聴いた人が絶句するのは、開いた口がふさがらないだけであって、日本の民度のすごさに感心して絶句している訳ではない。しかし、麻生副首相は後者だと思っているから、こんな発言しちゃうんだろう。
 ある意味で、相手が呆れきっても、自分の都合のよいように解釈できる大した強者で、ちょっと羨ましささえ覚える。通常の組織であれば、とても上にいけないように思われるが、むしろこの超絶なる鈍感力、はき違え力が、総理にまで上り詰めさせ、また、あれだけ失態を続けて、失言を重ねても副総理にいられる理由かもしれない。とはいえ、みんなが麻生さんのように振る舞い始めたら、本当に嫌な社会になりそうで憂鬱になる。

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アメリカのコロナウィルス19の罹患状況(2020.05.31) [トランプのアメリカ]

2020年5月31日の全米疾病予防管理センターのデータ(https://www.cdc.gov/coronavirus/2019-ncov/cases-updates/cases-in-us.html)によると、現時点でのアメリカ合衆国のコロナウィルス罹患者数は約174万人。死者数は10万2785人である。州別にみると、罹患者数が多いのはカリフォルニア州、ニューヨーク州、テキサス州、フロリダ州、イリノイ州と人口が多いところが多いが、一方でルイジアナ州やテキサス州、ノースカロライナ州などでも多い。
 全米疾病予防管理センターのコロナウィルスのデータは結構、しっかり集計されており、日本の厚労省のものに比べて遙かにしっかりしているのでいろいろと勉強になるが、罹患者の多くは18歳から44歳である。次いで45歳から64歳だ。人口比率的にもそんなものなのかもしれないが、コロナウィルスは高齢者の死亡率が高いので、そちらに注目がいってしまう傾向があるが、実際、それに罹患するのは年齢とはあまり関係がないように見受けられる。
 また、これも母数の比率を考慮しないとまずいのだが、白人層の全体の罹患率が52.2%。75歳以上でみると7割近くにまで達する。とはいえ、アメリカ人のうち、自分を白人であると考えている人の割合は7割なので、相対的には多いとはいえないかもしれない。逆に少ないのがアジア系アメリカ人であり、4.7%。アメリカ人のうちアジア系が占める割合は5.6%なので、アジア系はコロナウィルスに罹患しにくい特徴があるのかもしれない。とはいえ、それほど顕著な統計差ではない。
 あと気になるのは、医療関係者で罹患した数が64479人であり、そのうち死亡されたのが309人。東京医科歯科大学のしっかりとしたコロナウィルスの管理をしているのに比べて、やはりアメリカの医療システムは杜撰(聖マリアンナ医科大学レベル)なのではないかと考えたりもする。
 アメリカは毎日1000人の死者を出しているといった、おそろしい事態であるが、このように公的機関がしっかりと情報を提供できているのは有り難い。日本は、その点、全然、しっかりしていない。データが出されてはいるが、PDFの資料をはり付けているようなレベルで、なんで国の機関なのに、ネット系のリテラシーというかマニプレーションが駄目なんだろう。そういう人材を採用するか、アウトソーシングすればいいのに。しっかりとした情報なくして、しっかりとした対策ができる訳がない。こんなことは、基本中の基本である。

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トランプがツィッターの閉鎖を訴えていることは、まさに天に唾する大愚行である [トランプのアメリカ]

トランプが、トランプを頻繁に批判する元ジョー・スカーボロー共和党議員が女性部下を殺したというとんでもないデマをツィッターで流したことで、その女性部下の旦那がお願いだからトランプのツィッターを閲覧できないようにしてくれ、と嘆願したのだが、ツィッター社はそれを放っておいた。しかし、さすがにツィッター社も何もしないのはまずいと思ったのか「事実確認を促す警告」をこのトランプのツィートに付けることにした。
 そしてトランプは、警官による黒人の逮捕者を殺人したことを契機にミネアポリスで大暴動が起きていることを受け、「略奪した時点で射殺する!有り難う」というツィートをアップするのだが、これも「暴力的なツィート」ということで、クリックをしないと閲覧できないようにツィッター社は対応した。これは、例えば私のようなものがツィートしたら当然、そのような対応をされるような代物である。
 しかし、そこはトランプ。なんと、これらに対して「表現の自由に反している」と猛烈な攻撃をソーシャルメディア・プラットフォームに仕掛けている。現在、利用者の投稿内容についてインターネット・プロパイだーの責任を免責する「米通信品位法230条」というのがあるのだが、これを撤回するために大統領令にまで署名した。
 トランプは感情的にみえて、結構したたかに計算しているとか、アホのようなフリをしているだけだ、という見方をするような日本人の識者(例えば、橋下元大阪市長)もいるが、この件から考察するに、ただの感情をコントロールできないバカであることが分かる。
 まず、大統領令を署名しても議会を通らないと法律は撤回できず、民主党がマジョリティの下院でこれが通るかは分からない。いや、通るかもしれない。というのは、これは後述するようにトランプにとって相当、不利になるからだ。どちらにしろ、トランプにとって大統領令に署名してもパフォーマンス以上の意味はない。
 また「表現の自由に反している」と主張するが、トランプはむしろマス・メディアの「表現の自由」に対して「フェイク・ニュース」と言い放ち、むしろ表現の自由に対して苛立ちを隠せないでいる。CNNの報道関係者とかはトランプ支持者に身の危険を感じるような経験をさせられている。「表現の自由」というのは、トランプにとっての「表現の自由」であって、他者にとっての「表現の自由」ではない。
 さらに、仮に「米通信品位法230条」が撤回した場合、その表現を規制する筆頭がトランプ大統領である。ツィッターはむしろ、トランプということで、表現の規制をしなかった。トランプの発言に対してツィッターが責任を取ることになれば、将来のこと(トランプが大統領ではなく一般市民に戻った時)を考えると、トランプ大統領の発言は相当、規制せざるを得ない。
 ということで、どちらに転んでも、このけんかはトランプの負けである。というのは、ツィッターを取り上げたトランプは、蛇矛を奪われた張飛、ギターを取られたジェフ・ベックのようなものである。もう少し、感情に支配されずに、けんかをするならしないと。

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ひたすら責任回避を図るトランプ氏を大統領として担ぐ大国アメリカ [トランプのアメリカ]

『日本人とインド人』の著者が、その本で次のように述べている。「日本人は危機が来ると、現状をどう改善するかより先に自らの責任回避と他人の責任追及を始める」。なかなか厳しい指摘だし、それなりにそういうところがあるかもしれないが、今のアメリカを見ていると、アメリカ人の方が、そういう点では遙かにそれに相当する人が多いかなと思われる。
 その代表格がトランプ大統領だ。最初は、「アメリカはコロナウィルス恐るに足らず」と言っていたのだが、徐々に増えていくと「中国の責任だ」と主張し始め、人工呼吸器が足りなくなってくると「オバマ政権が何もしなかったからだ」とうそぶき(実際はオバマのパンデミック対策チームをトランプ政権になって解散させた)、連邦政府が国家緊急事態宣言を出したにも関わらず、「州知事がその対策を考えるべきで連邦政府はチアリーダー」と責任回避を図る。この時期、記者から「大統領の責任をどう考える」と問われると、「何の責任も取らない(I take no responsibility)」と回答する。それから死者数が9万人にも届き、全世界中でも最も多くなった今となっては、「死者数や感染者数の数字が実態より多く報告されている」と難癖をつけ、CDC(Center for Disease Control and Prevention: アメリカ疾病予防管理センター)に、統計の取り方を見直せと指示している。さらに、自分への批判を逃れるために「オバマゲート」というオバマ大統領の不正をでっち上げしようとしている。何なんだ、この男は、と流石にもう呆れ果てるしかないのだが、ポイントはこのような責任転嫁男を、アメリカ人の半数近くが支持をしているという事実である。
 日本人も、責任転嫁をする傾向がないとは言わないが、トランプ政権とそれを支持するアメリカ人(問題の本質から目を背けて、誰かに言いがかりをする)には、その足もとにも及ばないかなとも考えたりする。

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経済社会活動をまともに戻したいのであればPCR検査は不可欠だ [サステイナブルな問題]

日本ではPCR検査数が圧倒的に少ない。その少なさの異常さは、イギリスのBBCなどで報道されている。桁が違う、という指摘である。このBBCの記事では、日本に滞在する外国人がPCR検査を受けるまでいかに酷い目に遭ったかとの報道もされていて、「日本、おかしいぞ」という論調で書かれている。

https://www.bbc.com/news/world-asia-52466834

私は日本のニュースはみなくてもCNNとMSNBCは毎日、チェックしているので世界的なコロナウィルス対策はある程度、理解しているが、そのような目でみると確かに日本は否定的な意味で「例外的」であり、ちょっと「異常さ」も感じる。

さて、しかし、日本ではあまり、この「異常さ」を自覚しているとは思えない。例えば、次はある総合病院のブログではあるが、PCR検査をしないことの理由が書かれている。橋下元大阪市長などの意見もほぼ同じようなものだ。

「新型コロナウイルスのPCR検査の陽性率(感染している人を調べた場合、陽性と出る確率)は70%と言われております。また、陰性率(感染していない人を調べた場合、陰性と出る確率)は99%ほどと言われております。
つまり、感染していても30%の人は陰性となり見過ごされてしまい、感染していなくて1%の人は陽性と誤った診断を下されてしまうのです。これがPCR検査の限界でそれを知った上で検査に望まなくていけません。
例えば、日本人の人口1億人をPCR検査で調べたとします。そして感染している人の割合を0.1%と仮定して、10万人としましょう。(5月10日時点で全国で15000人と発表されております。多めに見積もって10万人とします)すると、1億人の1%である100万人の人が感染していないのに陽性と診断を受けて、場合によっては入院やホテル待機になります。
100万人に対して全国の病床を合わせても13000ベッド程度です。これにホテルの部屋を合わせても到底足りませんよね。
そして10万人の30%である3万人の方が感染しているのに陰性と診断を受けて、街を出歩くことになるのです。
日本国民全員がPCR検査を受けるのはかなり大げさな話ではありますが、その100分の1の100万人が検査を受けたとしても1万人が不要な病院のベッドやホテルの部屋が必要となります。全国のベッドが13000に対してかなり大きな割合を占めしまいますね。
このような理由から、保健所は現時点では検査を絞っているのです。」

 ちょっとこの引用元は、武士の情けで上げないでおくが、この議論のおかしさは、PCR検査を実施することのデメリットだけ述べていて、PCR検査を実施しないことのデメリットを考えていないことである。PCR検査を実施することで問題は100%解決できないことは分かる。しかし、実施しないことの弊害の方が遙かに大きいのではないか。PCR検査を実施しないことのデメリットは下記の通りである。
 まず、陰性での誤差(1%)の場合は、これは安全側を考えれば、ホテル待機してもらえばよい。そもそも、まったくの健常者にまで検査をしろとは言っていない。もちろん、そこまでやれればいいが、それはPCR検査の最先端を行っている人口30万人ちょっとのアイスランドでも全国民検査はやっていない。ここで、いきなり1億人という数字を出すのはあまりにも乱暴で、悪意さえ感じる。現状の検査数は人口1000人当たり1.4である。つまり、ちょっと前のデータだがイタリア、ドイツは22.1, 20.9とBBCが指摘するように一桁違っている。日本は、1億人に換算しても14万にしか過ぎない。それをいきなり1億に上げて、そんなことをしたら医療崩壊だと指摘されてもな。問題は発熱をしたり、明らかに症状が出ていたりしていても、このような議論によって、結果、検査もされずにコロナウィルスによって死者が出ている(大阪の元ラガーマン)ような状況をもたらしていることである。もしくは、もう少し早く検査されれば死ななくても済んだのに、重篤化されてから検査をしたので亡くなってしまっりもしている(28際の力士のケースとかはこれだろう)。亡くなった人達は検査をされたり、早くされていれば治療されたかもしれない。これは、亡くなった家族からすれば、裁判に訴えるに相当する判断ミスであると思う。
 このブログでは「100万人に対して全国の病床を合わせても13000ベッド程度です。これにホテルの部屋を合わせても到底足りませんよね」と書いているが、全国のホテルの部屋数は162万室ある。宿泊客の大幅な減少を考えれば、もしかしたらホテルの部屋を提供してもらうことで対応できるかもしれない。また、家族がいなくて一人暮らしであれば、自宅待機という選択肢もあり得るかもしれない。ホテルの数字なんて、簡単に調べられるのに、この病院のブログを書いた人は勝手に、少ないだろうと思ってこのように書いているのだろう。これは、出来ない理由を探す人にありがちなミスで、問題を解決しようと考えたら、こんな無責任なことはとても書けない(しっかりと調べるから)。
 もう一つの「そして10万人の30%である3万人の方が感染しているのに陰性と診断を受けて、街を出歩くことになるのです」ということだが、もしPCR検査の陽性率の70%が低くて気になるのであれば、例えば、症状的にこれは誤りではないかと思う人は再検査をして、その結果が出るまで待機させればいいのである。70%という確率は確かに低いが、二回やって両方とも陰性と出る確率は9%、すなわち信頼度は91%ほどになる。それでも高すぎるというのであれば三回やればいいだろう。そうすると誤差は2.7%(信頼度97%)になる。
 PCR検査をしなくてもいいと主張する人達の背景には、医療崩壊への危惧というのが考えられる。確かに医療崩壊は大変な問題である。しかし、PCR検査なくして、コロナウィルス以前の社会を復活させることは不可能である。電車やバス、飛行機で隣に座った人がコロナウィルスである確率が1%以下(個人的には0.1%以下が望ましい)であろうと信頼できるような状況でなければ、多くの人々は外食にもいかねければ、ライブハウスや野球観戦にも行かないであろう。
 そもそもTransmittable Rateがたかだか1.3のインフルエンザでも、罹患すると会社や学校を休まなくてもいけないような社会規範を有していた国が、TRが2で、しかもワクチンもないコロナウィルスが蔓延している状況下で、それ以前の状態に戻れる訳がないことはよく考えなくても理解できることである。
 医療崩壊を防ぐことは極めて大切なことであるが、社会システムを正常に戻すためには、PCR検査は不可欠であり、欧州だけでなく、アメリカも民主党系はそのように強く主張している。「一にもテスト、二にもテスト、三にもテスト」である。これは、一人の患者が他人と接触しただけで、あっという間にコロナは広がってしまうからであり、この一人の患者が他人との接触をいかに抑えられるか、という点が、復帰には何よりも不可欠である。アメリカでトランプがPCR検査を最近、嫌がっているのは、ロックダウンに抵抗する人達の支持を受けて、今秋の大統領選に臨もうとする選挙戦略である(下記のCNNの記事を参照)。ただし、このトランプの賭けはアメリカ人の生命をチップにした、極めて危険なものである。そのようなトランプの論説を真に受けて、あたかも我が意を得たり(PCR検査は必要ない)というように日本の識者とかマスコミが報道しているのを見ると、本当、呆れ果てる。呆れ果てて、ブログに書く気力も失せたが、今日は土曜日でよく寝たこともあり、頑張って書いた。

https://edition.cnn.com/2020/05/02/opinions/president-trumps-reelection-strategy-is-taking-shape-zelizer/index.html

タグ:日本 PCR検査
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コロナウィルスとインフルエンザの違いをざっと考察してみた [サステイナブルな問題]

麻生副首相は「新型コロナは風邪、はやり病」(https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-05-12/QA73ZUGQITJ401)と1918年のスペイン風邪のケースを例にとり、コロナウィルスについて発言した。まあ、「はやり病」とはいえ、スペイン風邪で日本人は40万人強なくなっている。まだ、コロナでの死者数は700人弱ぐらいなので、「はやり病」で「6月には収束」という考えを述べるのはいいが、それまでに相当数の死者が出るのは勘弁してもらいたい。
 さて、コロナウィスルとスペイン風邪に代表されるインフルエンザとの大きな違いは、その感染率(Transmittable Rate)である。コロナウィルスのそれは2.0でインフルエンザは1.3である。この数字は一人の患者が何人に移すか、というものだ。2と1.3だと一見、それほど違いがないように思えるが、これは恐ろしい違いがある。ざっと計算してみたが、次の通りである。インフルエンザだと20回ほど感染のサイクルがあってもたかだか146人にまでしかならないのだが、コロナウィルスは52万人。25回のサイクルだとインフルエンザは543人なのに、コロナウィルスは日本人口を遙かに超える1億6780万人となる。スペイン風邪はそもそもワクチンもウィルスという正体も知らなかったので、そういう意味では治療手段がないコロナウィルスと似ているが、それでも感染率が通常のインフルエンザと同じぐらいと想定すれば、その脅威はコロナウィルスほどのものではない。それでも、スペイン風邪で全滅した村もあった。あと、現代医療での水準での話ではあるが、山中伸弥氏のブログを参照すると、コロナウィルス、相当の致死率である(https://www.covid19-yamanaka.com/cont1/main.html)。日本は今のところ、この致死率よりもガクッと低いが、油断をすることはできない。

インフルエンザ  コロナウィルス
第一感染者数:    1人       1人
第二感染者数:    1人       2人
第三感染者数:    2人       4人
第四感染者数:    2人       8人
・・・
第十感染者数:    14人      2048人
・・・
第二十感染者数:   146人     520,000人
・・・
第二十五感染者数:  543人    1億6780万人

 ちなみに、スペイン風邪がはやり病であり、コロナウィルスも麻生副首相の指摘するようにその面では同じ傾向を見せるかもしれないが、スペイン風邪は三回、流行している。そのように考えると、例え「6月に収束」しても、また猛威を奮うだろう。

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『里地里山エネルギー』 [書評]

著者は読売新聞の記者。自然資源を使った地産地消型のエネルギーを具体化させようとする事例を5つほど紹介している。それらは、新電力会社をつくった東松島市(宮城県)、風力発電の庄内町(秋田県)、木材チップを使ったバイオマスの柴波町(岩手県)、電気自動車の中古バッテリーで蓄電施設をつくろうとしている甑島(鹿児島県)、そして小水力の五箇山・宇奈月温泉(富山県)である。ジャーナリスティックに現地を訪れ、現地の人に取材した内容がまとめられているものであり、事例報告という体裁。それほど参考にはならないが、新聞記事レベルの知識を得ることができる。


里地里山エネルギー - 自立分散への挑戦 (中公新書ラクレ)

里地里山エネルギー - 自立分散への挑戦 (中公新書ラクレ)

  • 作者: 河野 博子
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/01/17
  • メディア: 新書



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『ぼくの瀬戸内海案内』 [書評]

先月、他界された大林宣彦監督が若者向けに著した本。彼の作品を紹介しつつ、瀬戸内海の風土の素晴らしさ、方言の豊かさ、などを語っていく。豊かに生きることとはどういうことなのか、豊穣なる人生を送るための心構えはどうすればいいかのか、など若者が悩みそうなことがらへの監督からの示唆溢れるメッセージが本書には詰まっている。私は恥ずかしいが、彼の映画作品をほとんど見ていないのだが、是非とも鑑賞しなくてはいけないな、という気持ちにさせられた。私も十代の時にこの本を手にしていればよかったのにと思わずにはいられない。あと、映画も観ておけばよかった。

ぼくの瀬戸内海案内 (岩波ジュニア新書)

ぼくの瀬戸内海案内 (岩波ジュニア新書)

  • 作者: 大林 宣彦
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/09/20
  • メディア: 新書



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感染研の出勤者8割削減の指示から見えてくること [サステイナブルな問題]

今日(5月6日)の東京新聞では、極めて興味深い記事が二つあった。一つは、「新型コロナウイルスの感染拡大防止に重要な役割を担う国立感染症研究所(感染研)に対して、直轄する厚生労働省が国の方針に沿って、出勤者を8割削減するよう指示していたこと」(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202005/CK2020050602000118.html)である。安部さんの強い要望らしいが、今こそ「感染研」の出番であるし、国家がコロナウィルス対策のために組織の全力を発揮してもらいたいのに、なぜ?。っていうか、今、機能しなくていつ機能するの?。国民からすれば、これまでつぎ込んだ税金を回収する(感染研の立場からすれば還元する)、絶好のチャンスじゃないのではないだろうか。
 いや、出勤者の8割削減に拘るなら、病院でコロナウィルスの最前線で命を張っている医者と看護師にも要望を出すべきだろう。
 というような状況であるにも関わらず、一方、茨城県にある東海第二原発の再稼働のための工事は進められているそうだ。従業員を含む周りの中止してくれ、という声に対して、原電は「工事は安全最優先で進めている」と応じず、大井川和彦知事も「工事に着手した人はずっと県内にいる。大きな脅威にはならない」と退けている(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202005/CK2020050602000117.html)。
 なんで感染研が出勤者8割削減で、東海大原発の工事は中止にならないんだろう。
 私は基本、日本のテレビはみないのでニュース番組で何が報道されているのかはよく分かっていない。ただ、海外(ほとんどアメリカ)のニュース番組は毎日2時間ぐらい見るので(最近はオンライン講義の準備に追われて1時間ぐらいに削減されているのだが)、コロナウィルス関連のニュースはそちらから入手している。アメリカのコロナウィルス対策もデタラメだが、アメリカのニュース番組はそのデタラメさを他国と比較して指摘しているので、他国の対策にも詳しくなっている。そのような目でみると、日本のコロナ対策はズタボロだなと思っていたのだが、どうしてそうなっているのかが、「感染研」の出勤者8割削減に安倍首相が拘るということで、ちょっと見えてきた。
 それは安倍首相をはじめとした麻生さんとかの自民党の二世・三世国会議員は、国難に対してリーダーシップを発揮してそれを克服しようとか、国民を守ろうとか、そういう意識が皆無であるからだ、ということである。コロナウィルスの蔓延を国民から守ろう、とか、その経済的ダメージを極力なくそうとかいう意識がないのである。問題意識がなければ、しっかりとした対応ができる訳がない。いや、そういう意識を彼らが持っていると思う方が、よほどお人好しなのかもしれないが、そうであっても流石に真面目に日々、仕事などをして暮らしている人が可愛そうだ。出来ないのであれば、せめて地方分権化して、地方に勝手に対処させるようにするべきである。
 というようなことが、今日の東京新聞の二つの記事から透かし見えた。


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コロナウィルスがもたらす「経済死」の一考察 [グローバルな問題]

コロナウィルスの感染防止は、戦争であると捉えている政治家は多い。なんか、戦争であると言えば人々が命令に従ったり、支持をしてくれると考えているのかなあ。それはともかく、コロナウィルスを運ぶのは人間である。つまり、人間の助けなくして、コロナウィルスは感染拡大できない。だから、人間がコロナウィルスを運ぶことをしなければ、コロナウィルは感染しない。ロックダウンをするうえでの根拠であるし、戦争の比喩を用いれば、ここを押さえられれば負けることはない。
 じゃあ、そうすればいいじゃないか、というとなかなかこの対策を打つうえでの難しさがある。これは、人間社会が経済活動をするための条件を悪化させ、場合によっては「経済死」と呼ばれるような状況をもたらすからだ。
 人間の経済活動の一部は、空間を介した人とのコミュニケーションを必要とする。そのような活動を支えるためには、人間が移動し、人と接触することが求められる。そのような経済活動はコロナウィルスが猛威を奮う状況下では、営業することが難しい。少なくとも、コロナウィルスの感染を防止するためには、これらの経済活動を一時、停止させなくてはならない。台風の時に漁師が海に出られないようなものだ。
 さて、ここで漁師と上記の経済活動、例えば居酒屋との違いは、漁師は台風が来ることを予期して生活設計を立てているのに対して、居酒屋はコロナウィルスが来ることなど想定していないことだ。したがって、そのような保険商品もないし、まったくもって休業してもデメリットしかない。社会全体にはプラスではあるが、個人ではマイナス。総論賛成各論反対的な状況になってしまう。したがって、社会全体にプラスであれば、これら個人が生じる損失を社会(政府)が保障するのは極めて当然なロジックかと思うが、そういう政策が取れていない。
 ここが徹底できていないために、当然であるが、マイナスを被る個人がロックダウンに対する反発を強めている。アメリカでは、ラスベガスの市長がカジノを再開させるぞ!と息巻いていて顰蹙を買っているが、日本でも似たような胎動がみられはじめている。その胎動に油を注いでいるのがホリエモンなどだ。
 何回もこのブログでも述べているが、コロナウィルスをそれなりに押さえられているのは、医療システムという防波堤がまだ決壊されていないからだ。ここが決壊されたら大変なことになる。それを押さえられるかどうかが大きな瀬戸際で、ニューヨーク州はどうにか踏ん張れた。日本の医療システムの決壊まで、あとどれくらいのコロナウィルスの患者の増加を受容できるのか。しかし、一方でこの医療システムを維持するために、体調が相当、悪くても自宅待機していた人達が自宅死するという事件が報道されつつある。こういう人達の悲劇を横目に、しかし、営業をしなくては「経済死」をしてしまう人々もいる。
 前者に関しては、なかなか対応が難しいのかもしれないが、後者に対してはやろうと思えばすぐ対応できる筈だ。それが出来ないのは、手続きが煩雑とか、この後に及んで火事場泥棒的な発想でしかものごとを考えられない政治家や役人が多すぎるからだ。問題を解決することを優先させれば、後者の問題はそれほど難しくない筈だ。パリとかでもやれているのだからだ。前者に関しては、ちょっと台湾とか韓国のように賢くないと駄目だろう。日本政府にはちょっと無理かもね。

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トランプ大統領はコロナウィルスの治療に「漂白剤」が効くのではと発表した [トランプのアメリカ]

トランプ大統領は大統領官邸での記者発表で、コロナウィルスの治療に「漂白剤」が効くのではと発表して、アメリカのマスコミは蜂の巣をつついたような大騒ぎとなっている。
 これが実際のトランプ大統領の発言の映像である。専門家のプレゼンを受けての発言だが1分50秒くらいから、ちょっと中学生でも言わないような「デタラメを述べ始めている」。
https://www.youtube.com/watch?v=QtgVxGkrX1Y
 これは同じところを撮影した映像だが、大統領官邸の顧問をしている専門家であるバークス医師の唖然、そして絶望的な表情をうまく捉えている。
https://www.youtube.com/watch?v=lFKQGGf1iiI
 ニューヨーク・タイムス、NBC系、CBS系、CNN系のトップニュースである。それにも関わらず、日本ではほとんど報道されていない。少なくとも、このブログを書いている4月25日の昼時点では報道されていない。イギリスやドイツでもトップ・ニュース的に報道している。
(BBC)
https://www.youtube.com/watch?v=OxSaT6CNr8I
(Spiegel)
https://www.youtube.com/watch?v=-k6Hd0i8sjI
 なぜ、日本ではこのニュースを報道していないのだろうか。不思議だ。不思議といえば、このブログで書いたように木村太郎という真っ当なイメージを私でさえ抱いていたジャーナリストが、トランプを賞賛するような記事を書いたり、橋下徹のような政治家でもトランプを賞賛したりしている。これも不思議な社会的現象だ。
 ペロシ下院議長は「トランプの意見を聞くに値しない」と述べた。私もそう思う。確かに「漂白剤で肺を洗浄すること」や「紫外線を身体に照射すれば消えるのでは」とか、医学の素人の私、というか普通の高校生の知的レベルでもおかしいだろう、という意見を述べまくるトランプの頭は本当、おかしい。
https://www.youtube.com/watch?v=CNpp8shqsSA
 そして、このおかしさを隠そうとしている日本のマスコミは、一体全体、何を意図しているのだろうか。まあ、いろいろと不気味なことが起きるような嫌な予感がする。

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コロナウィルスのロックダウン反対の動きと類似したことは150年前のイギリスのコレラ禍でも起きた [サステイナブルな問題]

コロナウィルスのロックダウンに対して反対する動きが、全米の幾つかの都市で起きている。ワシントン州の州都オリンピアでは2500人が反対デモに集った。ロックダウンにはプロとコンがある。プロはコロナウィルスの感染拡大の防止であるが、コンは経済の停滞と失業者の増加である。全米では2200万人が既に失業している。これだけ失業者が増えると、どうにかしてくれよ、という気持ちになるのも分からないでもない。
 このデモの実態は、しかし、どうも切羽詰まった人達の「声」というよりかは、トランプ支持者達の政治的運動であるという解説がBBC(https://www.bbc.com/news/world-us-canada-52359100)などではされており、おそらくその通りであろう。上院多数党院内総務である共和党員のミッチ・マコーネルは、コロナウィルスの感染防止のために連邦政府の支援を仰いでいるニューヨーク州(州知事は民主党)は「破産宣告」すればよい、と発言して顰蹙を買っているが、コロナウィルスを政争に使おうとしている共和党は、流石にアメリカ人の多くも呆れているようだ(トランプ支持者はもちろん呆れていないが)。
 さて、一方で日本でも緊急事態宣言に反対する声も出始めている。なんか、徐々にアメリカだけでなく日本でもきな臭い雰囲気になってきているが、こういうパンデミックが流行ると、なんか頭が理性的でなく働く人が出てくるのは昔もそうだったようである。
イギリスの公衆衛生の父であるエドウィン・チャドウィックが、コレラの蔓延を防止するため、清浄な飲料水と公衆衛生の向上の推進を進めていた1854年、タイムズの論説は次のように批判した。
「我々は、押しつけの健康ではなく、コレラの感染を選ぶ」
 このような意見を掲載したのは、おそらくこのような考えを支持する人々がたくさんいたからであろう。今、この意見を受け入れる人は世界におそらくほとんどいない。99.99%の人が清浄な飲料水と清潔な下水システムを欲するであろう。
 コロナウィルスの反対デモを知るにつけ、この1854年のタイムズの論説意見の的を外した愚かしさを笑えないな、と思う。

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コロナウィルスでのロックダウンに反対デモをする人々 [トランプのアメリカ]

コロナウィルスでのロックダウンに反対するデモがアメリカで頻発している。それを後押しするかのようにトランプ大統領は「Liberate Michigan」、「Liberate Minnesota」、「Liberate Virginia」と叫んでいる。ロックダウンから「解放しろ!」と、自分がロックダウンを指示しながら何を言ってるんだ、という感じである。コメディアンのトレバー・ノアが「あたかもアメフトの監督がフィールドゴールを狙え、と指示した後に、なんでフィールドゴールを選択したんだとチームを責めるようなものだ」と言っていたが、朝令暮改どころのレベルじゃない。また、トランプ大統領が挙げたミシガン、ミネソタ、バージニアはみな州知事が民主党である。この期に及んで、コロナウィルスを政治的に利用しようとする根性は見上げたものである。
 さて、コロナウィスルを戦争と例える人は多く、トランプ大統領もその一人である。私は戦争と例えることは違和感を覚えるが、兵站学が必要であるという点では、戦争と類似点が多いと思われる。戦争において、どこがロジスティックス上の弱点になるかをいち早く分析し、それに対応することは、敵のロジスティックスのどこが弱点であるかを見抜き、そこを突くのと同様に、戦勝を得るうえでは極めて重要である。
 そのように考えると、コロナウィルスの攻撃に対して、現在の社会システムのどこがウィーク・リンクかというと、それは医療システムである。医療崩壊が起きた時点で、その都市・地域は、コロナウィルスにチェックメイトされてしまったも同然だ。それが故に、ここだけは死守しなくてはならない。そのためのロックダウンであり、ソーシャル・ディスタンスである。これらは、コロナウィルスの猛威が奮うスピードを減速させるための措置である。まあ、洪水に対して土嚢を積むような行為かもしれないが、土嚢を積まないと浸水してしまう。
 確かに、このロックダウンは経済活動の多くを停止させてしまうので、その社会的ダメージは大きい。医療崩壊が起きる前の、コロナウィルスの被害と経済的な被害との損得を計算すると、議論したくなる気持ちが生じるのも分からなくはない。しかし、医療崩壊が起きた時の社会の損失は、ロックダウンでの被害の大きさを遙かに上回るであろう。コロナウィルスの脅威はまさにその点であり、トランプが支持者に「ロックダウンに反対しろ」とツイッターを通じて遠隔操作をしているのは、こいつ本当にアメリカという国を破壊しようとしているのではないかとさえ思わせる。
 日本はアメリカの悲惨な状態を他山の石としないと。橋下元知事のようにトランプを賞賛する人とかもいるので、油断はならない。

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トランプの支持率が急下降している [トランプのアメリカ]

3月26日、コロナウィルスの感染が広がる中、トランプ大統領の支持率は47.3%にまで急上昇する。それまでは就任直後の46%が最高であったので、トランプ大統領の三年間ちょっとで最も支持率が上がった。これは、以前のブログでも述べたことだが、国家的危機において政府を支持するという「A Rally Around the Flag Effect」と呼ばれるアメリカ人の行動パターンの一つである(話は横に逸れるが、日本人は危機に政府を支持しなくなる傾向がみられる)。
 それはともかく、そのトランプ的に史上最高の支持率を得た後、二週間後の4月10日には44.9%にまで急低下した。これは、トランプがまったくもってコロナウィルスの感染拡大にしっかりと対応できていないからである。
https://www.realclearpolitics.com/epolls/other/president_trump_job_approval-6179.html
 大統領選の遊説では、「私だけが(このアメリカを)直すことができる(I alone can fix it)」と豪語していたトランプだが、このコロナウィルスで連邦政府が対応できない言い訳を「我々は裏方だ(We are a backup)」としている。この情けなさは何なんだろう。
 この状況を知りたい人はセス・マイヤーの昨日の番組の2分10秒ぐらいのところで見ることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=T1nlr2wEKj4
 木村太郎アナウンサーを始めとして、日本人はトランプのデタラメさ加減をあまりにも過小評価している。というか、原寸大のトランプを理解していないことは、国際的には無教養にも等しいことは自覚しておいた方がいいと思う

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正しい情報をフェイク・ニュースと批判してきたトランプを信じたアメリカ人はその命を危険に晒している。 [トランプのアメリカ]

命の危機に直面してきた時、重要なのは正しい情報である。嘘やフェイク・ニュースは、命を危険に晒す。嘘をつくことが罪であることの根拠である。さて、トランプ大統領は大の嘘つきである。もう、自分が嘘をついたかどうかも自覚がないほど、口からはいい加減な情報を垂れ流す。しかし、アメリカ人の30%強の人々は興味深いことに、この嘘にだまされ、トランプは素晴らしい人だと勘違いをして、大統領にしてしまうような投票行動を行った。
 嘘もたわいのないものだったり、命に関わらないことであれば、まあそれほど目くじらを立てなくてもいいかとも思う。ただ、その人の命が関わったりしたら別だ。
 トランプという世紀のペテン師の嘘を信じてきた人々は、まさに「コロナウィルスは大したことない。春になったら奇跡的にいなくなる」というトランプの言葉を信じ、コロナウィルスの拡大状況を報道するマス・メディアは皆、トランプを貶めるフェイク・ニュースだと勘違いし(これに関しては木村太郎というジャーナリストもそういう文脈で捉えていたので、アメリカ人だけを批判できないが)、結果、コロナウィルスの脅威を無視して、依然として教会のミサに参加したり、家族でのバーベキューや食事会を行っている。
 コロナウィルスの感染率は、その感染者一人が二人に移す。これはインフルエンザの1.3人より高い。まあ、そんなに差がないかなと思うかもしれない。ただ、この感染者が例えばだが、罹った翌日のみに二人にだけ移すと想定しよう。そうすると翌日は2人、二日後は4人、3日後は8人・・・と罹患者数が増えていく。最初は大したことがないかもしれないと思う。しかし、二週間後にこの数字は16384人になる。そして1ヶ月後には・・・なんと10億人を越える。1ヶ月も経たずに日本人、全員が罹患することになる。こういう数字を見ると、治療薬がない現状では、ソーシャル・ディスタンスしか、この拡大を阻止する術はない。
 そして、それをしないと、とんでもないパンデミックが起きてしまう。人々の命綱である正しい情報、そしてその情報伝達手段としては、世界でも相当まともなアメリカのマスコミをフェイク・ニュースとしたトランプを信じてしまった人々は、その綱を自ら切断してしまった。
 MSNBCのアリ・メルバーが、トランプを筆頭とするフェイク・ニュースがいかにコロナウィルスの偽情報でアメリカ人の命が危険に晒されているかを指摘している。このパンデミックで生き延びたいのであれば、正しい科学的情報をしっかりと入手し、命を守るように行動することである。
https://www.youtube.com/watch?v=j_XIF6JARCw

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トランプ大統領はコロナウィルスに「抗マラリア薬」や「亜鉛」が効くと主張 [トランプのアメリカ]

新型コロナウィルスの治療薬として、トランプ大統領は繰り返し、抗マラリア薬が有効であると主張している。専門家は諫めているが、自分の脳みそで理解できる以上の世界が存在すると思わないトランプはまったく聞く耳を持たず、ホワイトハウスからのブリーフィングで根拠のない情報を垂れ流している。朝日新聞にもその記事がある。

https://www.asahi.com/articles/ASN48452GN47UHBI01J.html

抗マラリア薬のヒドロキシクロロキンは、効果があるかもという報告はある。ただし、ヒドロキシクロロキンは失明や心臓疾患など副作用のリスクが指摘されている。ただ、価格が安いことなどは魅力ではあるそうだ。

さて、トランプはヒドロキシクロロキンについて「自分なら投与を受けるかもしれない」と発言していることなどもあり、アメリカでは患者から投与を求められている医者もいるそうだ。私もこのトランプのホワイトハウスでのブリーフィングを見たが、「(ヒドロキシクロロキンを投与して)何を失うものがある?」と主張していた。いや、失明して視力を失う可能性はある。

https://www.theguardian.com/world/2020/apr/04/coronavirus-us-ventilators-new-york-trump-touts-unproven-cure-malaria-drug

さて、なぜヒドロキシクロロキンなのか?「アメリカ薬剤研究・製造」(Pharmaceutical Research and Manufacturers of America (PhRMA))がトランプの支持団体であるということに加え、トランプ自身がフランスの薬剤製造企業Sanofiに投資しているからだとニューヨーク・タイムズは指摘している(https://www.gq.com/story/trump-coronavirus-miracle-cure)。まあ、おそらくそんなことであろう。火事場泥棒とかは、トランプ得意そうだからな。

ナバロ米大統領補佐官(通商製造政策局長)はヒドロキシクロロキンの有効性を巡って、ホワイトハウスの医者を中心とした科学者達(特に国立アレルギー感染症研究所のファウチ所長)と対立があったことを認めた。ナバロ氏は経済には詳しいが、科学分野にはまったく疎い。それをCNNのレポーターに指摘されたら「Touché 」(トゥーシェ)と返した。「Touché 」(トゥーシェ)はフランス語で「一本取られた」という意味だそうだ。ということを、個人的に知った。

簡単に流れをまとめると、トランプは科学的根拠が極めて乏しい「抗マラリア薬」がコロナウィルスに効くという、場合によっては病状をさらに悪化させる情報を、その場しのぎ、そして自分が投資している企業の株が上がることや支持母体に益することを期待して、ホワイトハウスから流しているのだ。

ちなみに最近では「亜鉛も効く」とトランプは言っている。その発言をした後、CNNのレポーターはすかさず、傍らにいた医師に「それは本当か」と尋ねた。医者が「その科学的根拠はない」と発言したのはホワイトハウスに残る数少ない良心をみた思いである。

https://www.commondreams.org/news/2020/04/09/msnbc-cuts-briefing-so-doctor-can-refute-trumps-mystifying-claim-zinc-can-treat

このようにホワイトハウスでトランプが発する情報は、デタラメなだけでなくアメリカ人の生命を脅かしている。実際、ワシントン・ポストの記者の母親が、トランプやフォックス・ニュースの言うことが正しいと考え、まったくソーシャル・ディスタンスをしないことを嘆いた記事を書いたが、この母親がコロナウィルスに罹って亡くなったとしたら、それはトランプ政権に原因があるのではないだろうか。このような危険な偽情報を一部、CNNが報道しなかったことを批判する木村太郎という人は、本当にジャーナリストなのか、ということを三日前(4月7日)のブログで主張したが、さらにその思いを強くする。

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トランプ大統領とフォックス・ニュースのデタラメ報道 [トランプのアメリカ]

昨日、木村太郎の批判をした。バックグランドを知らない人は、何、この人、切れてるんだろう。牛乳でも飲んだ方がいいんじゃない?などと思われると癪なので、トランプ大統領(政権)、およびフォックス・ニュースがいかにフェイク・ニュースを流しているかをトレヴァー・ノアの撮影スタッフが見事に編集してくれたので、そのサイトを下記に挙げる。

https://www.youtube.com/watch?v=NAh4uS4f78o&fbclid=IwAR1uEcD0-9hyd6jwNlfgwV83bz-upU4YWoLK7bdZ6TCnA81fdkaTXjngEHc

まあ、フォックス・ニュースのデタラメさと、前言を翻す恥知らずさが凄いが、他のニュース番組(CNN等)では、そのデタラメさというよりかは、そのような発言をした一人のアナウンサーであるレッシュ・レーガンを首切りしたことを立腹していた。アナウンサー一人の責任にするなよな!ということだそうだ。

フォックス・ニュースの人気パーソナリティであるシャーン・ハナティのデタラメさに関しては、ワシントン・ポストのエリック・ウィンピー記者が鋭く批判している。
https://www.youtube.com/watch?v=DftLWzKEwrU

本当に首にすべきはレーガンではなくてハナティである。
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