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コロナウィルスはなぜか日本ではあまり伝染していない [グローバルな問題]

コロナウィルスが世界でまさに猛威を振るっているが、その中で、コロナウィルス患者が早い段階で出現したのに、その後、普及していない国がある。何を隠そう、日本である。今年の1月下旬に中国の武漢でアウトブレークをした後、中国から日本、韓国、イランそしてヨーロッパへと伝染していく。
 2020年3月14日(昨日)時点のコロナ患者数の上位11カ国のデータを示す。日本は患者数こそ1371人と多いが、人口当たりではアメリカに次いで低い。これは、最も多いイタリアの3%にも満たない。最初のコロナ患者が発見されてから、これだけ時間が経っているにも関わらず、この数字の低さは驚くべきものだ。
 また、他国はコロナ患者数の時系列変化をみると、急激に上昇し、ある時点で垂直のように増加する。そうでないのは中国と日本だ。ただし、中国は急激に上昇した後、ロジスティックス曲線のようなカーブを描いているので、他の国を先行していると推測される。他の国も、このまま増加していたら国が滅びてしまうから、おそらく中国のような曲線を描くと予測するのが妥当であろう。対策はしているので。
 そうすると、極めて例外なのは日本で、ずるずると増加しているが一次関数のような形状である。他はもう二次関数どころか五次関数か、と思うほどの増加率なので、これは極めて不思議な現象である。
 ウィルスの拡大のスピードは人口密度が極めて重要なファクターとなるが、日本はここで挙げたほとんどの国より人口密度が高い。本来的には流行する条件が中国なみに揃っているのに、この人口当たりの患者数の少なさは不思議だ。
 もし、これがデータの隠蔽とかでなければ、他国は日本の対策に学ぶべきであろう。しかし、日本が対策をしていて、他国が対策をしてないことって何だろう?

コロナウィルス.jpg
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イタリアでのコロナウィルスの蔓延状況は相当やばい [グローバルな問題]

コロナウィルスをぶっ飛ばせ!と言うのは威勢が良いし、私もそういうことを言いたいタイプだと自己分析しているのですが、Worldometersで示されているこのイタリアの数字は不味い。罹患率も人口100万人で250人で、全世界最高。
https://www.worldometers.info/coronavirus/country/italy?fbclid=IwAR0t7WMjnAgPhNZ6jx2rDKZd6DXvK3kV67ykvWIUntLmTStz8WLcE8cYMlk
日本ではまだ死者3名なので、コロナ恐れるに足らず、という雰囲気ですが、日本より人口が少ないイタリアでは既に1000人以上。致死率は6%以上。イタリアは北部だけでなく、全土で移動禁止。食料店と薬局以外は閉店。イタリアの経済へのダメージは半端ないでしょうが、この致死率を考えると致し方ないのかも。いや、水を差すようなことを書いてすいませんが、イタリアの状況をみて、コロナウィルスへの考え方を変えている自分がいます。

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次女が東京芸術大学音楽学部に合格した [教育論]

次女が東京芸術大学の音楽学部に合格した、との連絡を受けた。彼女の合格は結構、父親としては感慨深い。6年前に、彼女の中学受験期の顛末をこのブログに書かせてもらった。私のブログの中でも最も読まれた記事である。大変、興味深いことに、大学受験に際しても似たようなことが起きたのと、東京芸術大学の音楽学部の受験は極めてユニークで、周囲に我々のように芸大関係者がいないと、相当その対策は難しいので、ここで若干、その経緯を披露させてもらいたい。
 次女が音楽の道に進みたいと言ってきたのは、高校一年の中頃。理系か文系かを選択することを検討しなくてはならない時期、将来、何になりたいかを考えたら音楽の道に進みたいと言う。次女はそれなりにピアノも上手かったりしたが、演奏家になれるほどの力量は親としてはあまり感じられなかった。絶対音感もないし、例えば作曲に関して才能がある訳ではない。そういう才能では、私の前任校の卒業生である宇宙団の望月などとは比較にもならない。
 私の親戚で音楽家になったものはいない。あと、私はしがない大学教員なので、私立の音大に行かせるような余裕はまったくない。加えて、私の周りには私立の音大卒が比較的いるが、その学費に見合うようなプロフェッショナルな人生をその後、歩んでいるかというと、そういう例は決して多くない。そこで、次女には国立の東京芸術大学を志望する覚悟があれば、その道に進みなさいと伝えた。
 さて、次女もさすがに演奏家になって、その後、しっかりと食べていけるほどの腕があるかということでは自信がなかったらしく、楽理科に進学することを考えた。東京芸術大学の音楽学部を受験するうえでは相当の対策をしなければいけない、というのはイメージでは分かっていたが、それじゃあどうすればいいのか、というと全く検討もつかない。とりあえず、次女のピアノの先生に相談すると、都内にあるM芸大・音大予備校がいいのではないかと勧めてくれた。他にまったくアテもないので、早速、そこに行き、いわゆるスタンダードの授業を受けることにした。楽理科には、英語・国語といったいわゆる入試的な試験科目以外にも、ソルフェージュ、楽典、新曲視唱、リズム課題、和声、さらに副科実技(次女の場合はピアノ)といった実技試験科目がある。加えて小論文と面接。さらにセンター試験では、英語・国語・「地理歴史,公民,数学,理科のうち1教科」を受けなくてはいけない。次女は得点では不利になるかもしれないが、その後の勉強では不可欠となる「世界史」を選ぶことにした。
 次女の通っていた高校は二年から理系・文系に分かれるのだが、次女は入試科目から文系のクラスに行くこととした。まあ、それにしても、この理系・文系という分類は本当、本質的には無意味でくだらないなと思うが、そのことに関しては、ここでは述べない。
 さて、芸大・音大予備校に通っているし、他にも何の対策をしていいかも分からないので、そちらはそのまま次女に任せていた。一方、副科のピアノはさすがに芸大用の対策をしなければいけないので、こちらはピアノの先生にお願いして紹介をしてもらった。
 そして高校三年の7月に事件は起きた。次女が通っている芸大・音大予備校の講師に妻が呼び出されて話を聞くと「とても次女の能力だと東京芸大の楽理科には受からないから進路を変えろ」と言われる。一年半、高い授業料を払ってそんなことを言うのは、あまりにも無責任だろう、と思ったが、そういう根拠は何なのか、ということを妻に聞いた。そうすると、極めて合格するうえで重要な位置づけを持つ「小論文」が全然、書けないので駄目だということらしい。私はそこで急いで、楽理科の過去問を見た。そして、そのあまりの難しさに驚いた。この小論文に答えられるようになるには、音楽評論関係の文献を相当、読みこなせていないと無理だ。それは、単に自分の意見を述べるのではなく、しっかりとした包括的な音楽と、それと社会や他の芸術などとの関連性などの知識を問うようなものばかりだからだ。それは、普通の小論文の試験などとはまったく次元が違うものであった。
 慌てた私は、次女に予備校では、どのような小論文の指導をされているのか、と尋ねると、「いろいろと書かされてはいる」と答える。それで、どんな本を読まされているのか、と聞くと1冊ぐらいしか読まされていないとのこと。一年以上通っていて一冊だけ。私は愕然とした。なぜなら、この小論文試験に解答するには膨大な読書量が必要であるし、それ以外、解答できる手段はないのに、そういう指導を予備校がほとんどしていないからだ。そういうことをしてなければ、そのような問題に解答できる訳がない。それは文章力のテストではなく、知識のテストであるからだ。こんなのは、過去問をみたら10秒で気づく。なぜ、そのような対策をしていないのだ!これは、とんでもないところに通わせてしまったと思うのと同時に、このままでは絶対、合格できないことは明らかだったので、翌日には「進路」ではなく「予備校」を変えた、というよりかは辞めることにした。
 小論文であったら、私が策定した戦略の方がまだ合格率は高くなる。楽理科に通るのに必要な本を急いで調べて、購入をした。これらを一週間一冊のペースで読み、読書ノートをつけるということをやるといいと伝えた。ただ予備校を辞めるとソルフェージュとかの対策に困るので、ネットで東京芸術大学の音楽学部の指導をしてくれる個人講師を探して、そこに行かせてもらうことにした。
 さて、この個人講師はとても指導力があり、また次女のこともいろいろと気に掛けてくれた。そして、小論文の対策に関しても心配してくれて、芸大の楽理科への受験指導では、右に並ぶものがいないと言われる先生がいるので、そこに通うことを勧めてくれた。ただ、この講師もその先生の名前は知っていても連絡先は知らないので、自分の学生(この講師の方も芸大の先生であった)に調べてもらったのだ。ちなみに、この先生の連絡先はネットなどでも公開されていない。
 そして、この先生のところを訪れたのが10月。通常はよほどのことがなければ指導してくれず、また、10月という受験まで4ヶ月ぐらいしかない中では、まず受け入れてくれないようなのだが、紹介してくれた先生がどうも高名らしく、そのおかげで入れてもらうことができた。これは、結果的に次女が楽理科に合格するうえでは絶対的に必要な条件であったかと思われる。
 この先生のもと、小論文や英語の問題の対策を一生懸命やってきたことが功を奏したのか。この先生も「もしかしたら私が指導したなかで最短での合格かもしれない」というようなギリギリの状況ではあったが、無事合格することができた。ちなみに、この先生の教室からは6人が二次試験を受験したが5人が合格するという驚異の合格率であった。
 東京芸術大学の楽理科は何しろ、小論文の試験がユニークでとびきり難しい。こんな難しい大学入試が存在するのか、と思うぐらいの難しさである。そして、そのためには音楽関係の広範なる知識を有することが必要不可欠であろう。さらには、自分の論理を構築するロジカル・シンキングがしっかりしていることだ。次女は中学ぐらいから漫画の『美味しんぼ』を愛読していたが、この本はロジカル・シンキングを鍛えるのには極めて有効だったのではないか、と合格できた今、思ったりしている。
 読者の中にはご自分が、もしかしたらお子さんが東京芸術大学音楽学部の楽理科を受験しようと考えていらっしゃる方もいるかもしれない。いろいろとそちら方面の知り合いがいる方がいればいいが、そうでないと我々のように暗中模索で対策を考えると思われる。そこで、そこらへんの音大予備校とかに藁にもすがる思いで通わせるのではないだろうか。しかし、そのような予備校に通ってもまず入れないと思う。次女は、むしろ予備校が「諦めろ」と言ってくれたので、目が覚めて辞めたので、無事合格できたのだが、そのまま通わせていたらと思うと、本当にゾッとする。ある意味、出来があまりよくなかったことが功を奏した。予備校が何をもって「芸大は無理だ」と言ったのかは今でもよく分からないが、そう言ってくれたことは次女の人生を変えるような福音であった。あと、もう一つは、通常、なかなか受講を認めてくれない先生達が、次女を受け入れてくれたのは、彼女に何か伸ばさせてあげたい、指導をしたいと思わせる点があったことは付け加えておきたい。その意思が将来への扉を開かせたことは、我々が支援することを決めたことを含めて、このような朗報を受けることになった大きな理由である。
 東京芸術大学の音楽学部の楽理科を目指す方に少しでも参考になればと思い、ちょっと記させてもらった。

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失われた30年が意味するもの [グローバルな問題]

バブルが破裂した後、失われた10年という言葉が使われたが、実際は「失われた30年」である。というか、このままだとずっと日本は失われ続けるかもしれない。まあ、現時点では「失われた30年」であろう。さて、なぜそう思うのか。それは、この30年で欧米といった先進国とは大きな経済的格差が広がってしまい、また後進国には猛烈な勢いで追いつき、追い越される過程にあるからだ。マラソンで言えば、皆が走っている時に歩いたり、立ち止まったりしているような状況だ。いや、よくよく考えれば、別にマラソンで一生懸命走らなくてもいいじゃないか、と思わなくもないが、そうすると国際経済的には落ちこぼれになって、とても若者が住みたくなるような国じゃあなくなっていくような気がする。
 なぜ、そう思うのかというと、今、アメリカでいろいろと取材調査をしているからだ。今日はシアトルの市役所の職員と話をしていたのだが、シアトルは低所得者層向けの住宅への申請資格が年収80000ドルだそうだ。これって年収900万円以上に相当する。つまり、シアトルであれば、ほとんどの日本人は低所得者層向けの住宅に申請する資格があるということだ。なんてこったい!驚いた私に、この職員は「何を驚いているんだ。サンタクララ(シリコンバレーにある自治体)だったら、年収100,000ドルから申請できるぞ」と言われてさらに驚いた。
 私がアメリカで生活をしていた1990年代前半、日本より高いものはアメリカではほとんどなかった。多くの日本人が強い円でいい気になって海外旅行を楽しんでいる時代である。今は弱い円と安い物価を目当てに多くの外国人が訪れる国になってしまった。
 このような格差、明らかな経済的な負け状況を目の当たりにすると、本当、脱出できる若者は日本を脱出するべきだなと思わずにはいられない。私のゼミの卒業生も気の利いた奴は脱出しているし、私の長女もそうする計画のようだ。本当、団塊の世代がいい気になっていると、若者がいない国になってしまうぞ。人口減少しているのに移民を入れるのはどうのこうのと言っているうちに、日本が移民を排出する国になってしまうぞ。そのような状況になってしまった背景が海外の経済状況を知るにつけよく理解できる。

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コロナウィルスはアメリカでは流行らないだろうな、と勝手に推測する [都市デザイン]

現在、アメリカにいる。コロナウィルスへの危惧から株も大暴落をしているが、さて、アメリカではそれほどコロナウィルスが流行らないだろうな、という気分になっている。これは、日本と比べて遙かに人口密度が低いからだ。そもそも人と接しない。いや、ニューヨークのマンハッタンのようなところであれば、流行るかもしれない。しかし、私が今回、訪れたデンバー、アトランタ、シアトルだとそれほど流行らないような気がする。この三都市の中ではシアトルが圧倒的に人口密度は高いが、それでも京都や東京とは比べものにならない。コンサートやスポーツ・イベントに行けば、それなりにウィルスも広まっているかもしれないが、日常的な移動も自動車が主体だし、なんか日本とは状況が違うのではないかなと思ったりする。伝染病が流行する危険度は都市度を測る一つの指標ではないだろうか。

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アメリカの大学の学費について [教育論]

アトランタにあるジョージア工科大学の先生にジェントリフィケーションに関して、取材をした。そこで、話が横にそれて大学の学費について話をした。というか、あちらから質問があったのでいろいろとやり取りをしたのだ。
 ジョージア工科大学は公立大学(州立大学)なので相当、安いのだが、それでも州内の出身の学生は一年で17000ドル(おおよそ200万円ぐらい)で、州外だと34000ドルとなる。これが例えばアイヴィー・リーグのプリンストン大学だと60000ドル(おおよそ700万円弱)ぐらいになる。4年間通ったら240000ドル、つまり2700万円ぐらいだ。とても私の稼ぎでは払えない。
 25年前、私はカリフォルニア大学バークレイ校の大学院に通っていたが、その時は一年間で120万円であった。留学生だったので最も高い授業料を支払っていたかと思うが、その程度である。ちなみに、ジョージア工科大学の先生はプリンストン大学に通っていたそうだが、その当時は9000ドル(90万円ぐらいか。当時は1ドル=100円ぐらいだったので)だったそうだ。
 日本の国立大学は年間52万円、私立大学はおよそ100万円ぐらいであることを考えると、アメリカはちょっとあり得ないぐらい高くなっている。ちなみに、私の長女はデンマークの大学院に通っているが、授業料は170万円だ。デンマーク人だとむしろ生活費として月6万円支給(年間で72万円)されるので、これは随分と差があるが致し方ない。とはいえ、アメリカの大学院に行くよりかはずっとましかなと思う。
 日本の大学の授業料が高いという批判もあるが、私の日本人の友人などは、授業料を高くしてもしっかりと教育してくれればいい、と言うものもいる。私は自分が奉職する龍谷大学政策学部は、お世辞抜きに、アメリカのどんな大学よりも教育サービスがいい(というか、良すぎて教員が疲弊しているという問題はあるが)と思うので、値段を上げたいぐらいだなと思ったりもするが、肝心の受験生にその良さが伝わっていないので、まず、そこから取り組みたいと思ったりもする。授業料が高ければ、教育サービスが優れている訳ではないのが、大学だからだ。

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地域通貨「さるぼぼコイン」 [サステイナブルな問題]

地域通貨がバブルの後に流行ったことがある。なぜか、エコマネーという変な日本語がつけられていた。なにがエコなのか、よく分からなかったが確か経産省(当時は通産省)の役人が命名者だ。それはともかくとして、各地でエコマネーがつくられた。早稲田大学そばの商店街でつくられたアトム通貨、滋賀県の「オウミ」、千葉県のピーナッツなどである。
 私もその先進事例であるオーストラリアのマレーニのレッツ・システムの創始者、ジル・ジョーダンに取材をするなど、その仕組みなどを調査したことがある。その後、日本ではあまり地域通貨という言葉を聞かなくなる。地域通貨のポイントは幾つかあるが、レッツ・システムなどは貨幣の流通などはなく、単にやり取りの記録(台帳)で管理されるのに対して、日本の多くの地域通貨は子供銀行のように紙幣を発行した。紙幣を発行すると、それによって流通量が制限されるし、その場に紙幣がないとやり取りができない。レッツ・システムなどに比べていると地域通貨というシステムを分かってないんじゃないか、と思わせられたりしたが、案の定、その後、あまり進展することはなかった。
 私は、大学はレッツ・システムのような地域通貨を流通させるコミュニティとしては適当だなということと、携帯アプリの普及は、そのやり取りの記録管理に使えることに気づき、前任校では学長に学内での地域通貨の導入に関する企画書を提案したが、なんか学長は「ううむ、面白いアイデアだね」と頷くだけで実行に移されることはなかった。まあ、前任校はアイデアを潰すというのがほとんど組織文化に近いから今更愚痴を言っても仕方ないが、その後、会津大学が導入したというのを聞いた時は悔しく思ったりはした。
 さらに、この会津大学だけでなく、最近、再び地域通貨が注目されるようになっている。それは、地域における人口減少によってコミュニティが弱体化していることと、前述したようなインターネットや携帯の普及が地域通貨のインフラとして極めて使い勝手がよくなっていることである。そのようなネオ地域通貨でも特に注目されているのが飛騨高山の「さるぼぼ」である。ということで、「さるぼぼ」の生みの親でもある飛騨信用組合の古里さんに取材をしに行った。
 「さるぼぼ」は2017年3月にリリースされるのだが、その二年ぐらい前からプロジェクト・チームがつくられ検討がされていた。なぜ地域通貨にしたかというと、域内でお金を回したかったらだ。高山も人口がすごい勢いで減っている。そして地域の商店などがビジネスを畳むと、そこに域外資本がどんどん入ってきて、さらにお金が外に流れてしまい、地域にお金が残らない。地域で循環するような経済をつくりたい、というのが大きな目的であった。一方で、高山は観光地としても人気がある。年間470万人の観光客が来るが、これは人口単位でみると、全国でも2位ぐらいの観光地である。そこで、いかに歩留まり高く、お金を落としてもらうか、ということが課題となるが高山市の観光地としての課題は「買い物しづらい」こと。これは、多くの店舗でクレジットマネーも電子マネーも使えないからだ。「さるぼぼ」コインは、そのような問題の解決策の一つとしても位置づけられた。これは決済のインフラをつくるということで、地域通貨というよりかは電子マネーという取り組みになるが、そのようなインフラをつくるミッションが地方信用組合にはあると考えたそうだ。
「さるぼぼ」をつくるうえでの背景として、組合をちょっと改革しようという流れがあった。そこで2012年の9月に「さるぼぼ倶楽部」というものをつくった。これは、組合の事業所で構成される会員組織であり、組合員の中でお金をやりとりしましょうというのが趣旨であった。例えば、飲食店だと倶楽部のメンバー内ではビール一杯が無料になるなど、販売促進の特典付けをしたのだ。
 そして、しばらくして、加盟店で使える割引券を配ろう、という話になる。これもよく回り、お客さんにも喜ばれるようにした。決算賞与も現金だけでなく、さるぼぼ割引券を配るようにした。組合の中での経済循環ができるようになった。そのような素地があったので、CSV(Creating Shared Value)の考え方も加わって、組合員に閉じていたものをさらに地域にまで広げていこうという、そういう素案ができたのである。
一方で電子通貨を発行するためのコストが低くなっていき、QRコードの決済ができるようにする。QRコードのアイデアは、なぜ、これだけの観光客が来るのにクレジットカードで決済ができないのか、というプレッシャーから必要に迫られて出てきた。加盟店にコストをかけないようにするにはQRコードしかない。信用組合はユーザーからの発想ではなくて、加盟店からの発想でシステム構築などを考えるのだ。
この導入に関しては自治体や他の企業関係者さんも、うまくいかないと指摘した。ただ、実際やってみたらそれほど問題もなかった。
地域通貨の仕組み自体は加盟店には理解しやすい。域外資本で買い物をするより、自分のところで使ってくる。加盟店は右肩上がりで伸びている。ただし、かなり高齢の事業所さんがやられているところはアレルギー反応がある。電子マネーとかは本当に辞めてくれ、と言ってくるそうだ。
一方で苦労しているのはユーザーの方。加盟店の実利とは違う世界。よさが分かってもらえない。加盟店で「さるぼぼコイン」をいい仕組みだと応援している方も、自分が決済する時には「さるぼぼコイン」ではなく、ペイペイを使う。これは還元率がペイペイの方がいいため。
 また、「さるぼぼコイン」が使えない域外と指定されたお店との対応も課題の一つであるそうだ。そのようなお店は地元の商工会議所に入っていたりする場合もあり、組合としては入ってもらいたいところがあるが、そうすると域内の競合する加盟店からの反発が大きい。
 あとユーザーサイドにいかにチャージをしてもらうかも大きな課題であるのだが、2020年4月からセブンイレブンでチャージができるようになり、またチャージ機も設置される計画である。ここらへんが利用の促進に繋がるのではないかと期待されている。
 「さるぼぼ」を導入することのメリットは幾つかあるが、そのうちの一つとして一物二価が挙げられる。「さるぼぼ」で購入した場合は割引価格で購入できるというものだ。キューバなどでは行われているが、観光地であればこそ、その導入は有効であろう。一物二価というと、そんな公平性に欠けることをしていいのか、と思われるかもしれないが、この出張で宿泊したホテル。同僚の先生が海外のウェブサイトであるBooking.comで予約をしてくれたのだが、この価格は国内のウェブサイトであるじゃらん・ネットより随分と割高であった。もう既に一物二価の制度は実質的には一般化しているのだ。
 地域通貨「さるぼぼコイン」がこれからどのように展開していくのか。それには人々のこの地域通貨への信頼が極めて重要な役割を担うことになるであろう。加盟店の立場だと応援しても、利用者の立場だと使わない。また、我々も駅前の酒屋さんで「さるぼぼコイン、使えます」と質問したら、加盟していないとのこと。加盟するメリットが分からない、と言い放ったお店の人は、でも我々に対して「さるぼぼコインって便利なの?」と尋ねたりもしてきた。加盟しないお店も、それほど確信をもって駄目だと思っているわけではない状況が透けて見えたような印象も受ける。
 よく考えれば、我々だって日々、日本銀行が発行する紙っぺらに1万円という価値を見いだしているのだが、それは信頼だけをベースにした極めて不安定なものである。地域通貨はコミュニティ力を強化する力を持っているが、逆にコミュニティ力が地域通貨を機能させる極めて重要な条件であるともいえる。飛騨高山にそのコミュニティ力があるのか。非常に興味深い、地域通貨の最新事例である。

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トランプ大統領の弾劾裁判に無関心なアメリカ在住の台湾人 [トランプのアメリカ]

大学院の後輩である台湾人の友人と食事を一緒にする。もう25年以上の付き合いだ。彼女はアメリカのランドスケープ事務所で働いていて、アメリカの国籍も取得している。その彼女にトランプ大統領のことを尋ねると、共和党もひどいが民主党も酷いという。いや、悪いけど民主党の酷さと共和党の酷さは比較にならないから。事実を無視して、大統領はやりたいことは何でもできる(「五番街で人を殺しても、一票も失わない」と公の前で言い放つのがトランプ大統領だ)といい、そのデタラメを支持しているのが共和党である。もはや、民主主義ではなく、北朝鮮なみの酷さである。
「何でそれが平気なの?」と尋ねるとニュースをフォローしていないそうだ。え!こんな大変な事態なのに!とはいえ、実際、日々、仕事に追われていたらそうそうニュースをフォローしないというのも分からない訳ではない。私も研究職であるし、研究に関しては自分が管理者であるので、思わず、そちらに気が向いてしまってトランプ・ウォッチしているが、普通の仕事だとそうそう追いかけられないだろう。
 それでも、トランプ大統領が再選したら、彼女のような人こそ差別の対象になる。サンフランシスコとかに住んでいると、まさか人種差別をあからさまに受けるとは思っていないのかもしれないが、あのデタラメなトランプ大統領が支持されている二大要因は、有色人種排斥と堕胎禁止である。いや、高収入者の税金軽減というのもあったが、これは既に達成している。私の友人などは、トランプが再選したら、恐ろしい逆風が吹くと思うし、とんだもないことが起きるのかもしれないのに、そういうのの問題意識が薄いのにはちょっと驚いた。
 その前日に日系二世の女性とこのことについて話をしていたのだが、この人はトランプの再選が彼女にとっては相当、生きにくくなるだろうということを推測していた。日系二世というアメリカ人はこのような危機を分かるが、アメリカに25年住んでいて国籍を取っていても、一世はそこらへんの危機意識が薄いというのは興味深い。もちろん、日系人はアメリカの移民の中でも唯一、人種差別政策で隔離されたことがあるから、この点での問題意識が違うのかもしれないが。そうそう、台湾人の友人はメキシコとの国境で親から隔離された子供が既に数人、死んだというニュースも知らなかった。まあ、これが彼女の性格なのかもしれないが、牧歌的な人々こそが、まさにトランプイズムを増長させてしまう。安倍政権にも似たところがあるが、アメリカも日本もいろいろと心配だ。

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トランプ大統領が再選したら内戦が起きるかもしれない [トランプのアメリカ]

大学院時代の友人と久しぶりに会って話す。いや、大学の新しいプログラムをつくるうえでの協力を仰ぐためだったのだが、どうしても話題はトランプ政権に及ぶ。この彼は、デービス大学で教員をしているのだが、トランプ大統領が再選したら内戦(Civil War)が起きるかもしれないと言っていた。確かに、トランプ大統領だけでなく、それを支持する共和党連中のデタラメさ加減もとんでもないレベルで、北朝鮮なみだ。いや、北朝鮮というのは大げさかもしれないが、中国より下手したら不味いんじゃないだろうか。というのは国内での対立構図が極めて先鋭化しているからだ。というか内戦しなくて、どうやってアンチ・トランプの人々の不満を収めることができるのだろうか。
 そもそもトランプ大統領の支持基盤がなぜ、トランプを支持しているのか。それは、もうこれまでの調査でほぼ明らかになったが、移民排斥、有色人種の差別という白人高齢者層の醜悪なる願望と、福音派の堕胎禁止である。堕胎禁止などは、個人の権利への極めてお節介な干渉であり、こういうことを主張し始めると宗教もおしまいだなと思う。キリスト教は仏教と違って、これまで多くの戦争の原因となってきたが、それは他人への本当に迷惑な干渉に基づいている。「人々の魂を救わなくては」とポア(殺人)をしようとするオウム真理教とあまり変わらない気さえする。
 自分の身体のことぐらい、自分で管理させろ!って私は女性ではないが、そう思う女性を支持したい。
 つまり、そもそもトランプ政権と、それを支持する人達のデタラメにあと4年間、付き合わされるのはたまらないだけでなく、そのデタラメの延長は真剣に民主主義の崩壊をみることになるのではないだろうか。下手したら第三次世界大戦に突入することになる危険性もトランプの再選は孕んでいる。そして恐ろしいことに第三次世界大戦では、当然、ロシアはアメリカとは対立しないのだ。というか、ロシアは戦争をせずにして、見事にアメリカを内部から崩壊させることに成功した。恐ろしい国である。こんな国がまともに北方四島を返却してくれる訳がない。
どうやって、このような難しい状況を、これから生きていけばいいのか。日本人にとっては大変むずかしい課題が眼前にある。「働き方改革」とか言っている暇があるのか。って、もしかしたら「働き方改革」もロシアの差し金か?まさか、それはないだろうけど。とにかく、トランプの再選がないことを今は一日本人として願っている。トランプの選挙スローガンである「Make America Great Again」の待遇は「Make Other Countries Not Great」であることを日本人は強く自覚した方がいい。某大臣が得意気に「Make America Great Again」の帽子をかぶっていたが、日本の大臣であることを強く意識しないと、とんでもないことが起きる気がする。

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ヴィレッジ・ホームスの管理について [都市デザイン]

ヴィレッジ・ホームスの設計者の一人であり、開発当初からの住民にお話をする機会があった。彼女は、ビレッジ・ホームスの考案者であるマイケル・コーベット氏の事務所で、まさにヴィレッジ・ホームスをつくる時に働いていたので、気になる話を聞かせてもらった。まず、コーベット氏は「NOを受け付けない人」だと表現していた。ヴィレッジ・ホームスという極めて斬新でユニークな開発をするうえでは、役所はもちろんだが、金融機関はほとんど駄目出しをする。しかし、その駄目出しを全然、真に受けなかったそうである。こういう新しい事業を具体化するうえでは必要なメンタリティなのかもしれない。信念の人だったのだな、ということを改めて知る。
 また、やはりポイントは維持管理ということだ。道路自体は市役所が管理したりしてくれるが、公共的な空間(芝生)などは三名から四名ぐらいの人を雇って管理しているそうだ。これらはホームオーナーズ・アソシエーションが雇用をしているそうである。このアソシエーションは他にもコミュニティ・センターなどを管理している。一方で、プラムシア(Plumshire)という不動産管理会社もあって、ここはヴィレッジ・ホームス内にあるオフィス、レストランなどの不動産を管理しているそうだ。このプラムシアはヴィレッジ・ホームス以外には物件を持っていないそうである。
 あと、この方は45年もここに住んでいるが、最近では、このヴィレッジ・ホームスで育った子供達が一度はここを出るが再び、戻ってくるという傾向がみられるそうだ。確かに、ここは子供を育てるには相当、いい環境ではないかと思われる。自動車の通過交通はないし、自転車で移動しやすいし、果実はそこらへんに育っているし、自家菜園での健康的な野菜を食べることができる。ある意味で、アメリカの理想的な郊外像を提示しているのではないか、と思ったりする。公共交通の問題などはあるが、自転車で市内であればほぼどこでも快適に移動できるし、ある意味、レッチワースより田園都市的かなという印象も覚える。

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ヴィレッジ・ホームスのコミュニティ・パーティに参加する [都市デザイン]

サステイナブル・コミュニティの代表的事例であるヴィレッジ・ホームスに滞在しているのだが、ちょうど日曜日にコミュニティのポットラック・パーティが開催されたので参加させてもらった。ヴィレッジ・ホームスはサステイナブル・コミュニティを具体化させることを意図したのだが、そこで何しろ重視したのは、コミュニティという共同体をいかにつくりあげるのか、ということである。これは、ヴィレッジ・ホームスを設計したマイケル・コーベット氏に以前、取材した時に、彼が特に強調していた点でもある。
 さて、しかしヴィレッジ・ホームスがつくられたのは1975年。つくられた当初の高邁な理念は徐々に風化してしまい、共同体意識も薄れていったような印象を覚えたりした。いや、私は1993年に初めて訪れてから、その後、それこそサンフランシスコに住んでいた時はもちろん、帰国後も1997年、2003年、2005年、2008年と訪れていたので、時系列的な変化を観察していたので、そのような変化を感じていたのだ。実際、1975年に30歳ぐらいで移り住んだ住民達も70歳を越え、子供達も大人になってここを出た。住民の高齢化はここでも一つの課題である。
 このようなトレンドの中、ふたたび共同体としてのコミュニティを強化しようといった動きが見られつつある。このポットラック・パーティーはまさにそのような試みの一つで、数年前にここに住むようになったフランス出身の絵描きが提案して一年ぐらい前に始まったイベントのようである。
 ポットラック・パーティーはヴィレッジ・ホームスのコミュニティの象徴でもあるコミュニティ・センターで行われた。このコミュニティ・センターの中に入ったのは初めてだったのでそういう意味でも個人的には興味深かった。
 私はおばさん住民の間に座らさせられ、なんかまったく話題もなく、相当浮いたが、たまたま前に座った人がマイケル・コーベットの事務所で働いていたことがあり、つくられてすぐコーベット氏にヴィレッジ・ホームスの家を買わされてから住んでいるヴァージニアという方だった。そこで、つくった時の苦労話や、コーベット氏の話、ヴィレッジ・ホームスの運営管理の話などを聞かせてもらった。
 郊外住宅はコミュニティをつくることが大きな課題である。コミュニティという共同幻想をどうやって支えるかは住民のコミットメントが必要だが、ほとんどの郊外住宅地ではそれができていない。いや、郊外どころか家族という郊外においては核となるべき幻想でさえ、もはや蜃気楼のような状況になっていて共有できていない。これはアメリカでも似たようなことかと思うのだが、移民国アメリカは、この幻想を強化しなくては、という意識が強いような気がする。というか、強い人がヴィレッジ・ホームスのようなコミュニティに住むのだろうが。どちらにしと、面白い経験をさせてもらった。

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サステイナブル・コミュニティの雄、ヴィレッジ・ホームスに生まれて初めて滞在する [都市デザイン]

アメリカはカリフォルニアのデービスに来ている。デービスでは、サステイナブル・コミュニティの草分けとしてよく知られている。私もシーサイドやケントランド、ラグナ・ウェストといった、いくつかのサステイナブル・コミュニティを訪問したことがあるが、このヴィレッジ・ホームスがもっとも持続可能というコンセプトに忠実であると捉えている。実際、設計者のマイケル・コーベット氏に取材をしたこともあり、その結果は拙著『衰退を克服したアメリカの中小都市のまちづくり』(学芸出版社)にまとめている。ヴィレッジ・ホームスに関してはこの本でまとめているし、三浦展氏が洋泉社から出したムック本でも、詳細な解説を書いたりしたことがある。
 さて、しかし、実際、そこにある家に泊まったことはなく、今回が初めてである。大学院時代の同級生宅なのだが、4泊ほどさせてもらった。マイケル・コーベット氏の話を聞いた時に、印象を受けたのは微気候を意識した省エネ住宅をつくることに随分と神経を使ったということだが、友人は結構、改造していた。この友人宅はコーベット氏本人ではなく、彼のところで働いていた女性建築家が設計したそうだが、実際、生活すると窓が少ないなどの点で住み心地はあまりよくないそうだ。コーベット氏は断熱を考えると窓がない方がいいと言っていたが、住民からすると、やはり明るい方がいいという考えになるようだ。
 とはいえ、建設されたのが1975年ぐらいの筈だから、既に45年経っている筈だが、住宅もなかなか悪くなく快適だ。ただ、やはり住宅より感心したのは周囲の環境である。狭い自動車道路、自動車道路側ではなく、歩道側に玄関を設置した空間構成。塀を設置しないで個人より共同体を優先するというコンセプト。そして、歩道に植えられた街路樹は果樹で食べられる。いわば、エディブル・ランドスケープの嚆矢である。実際、朝食では友人がこれらの街路樹から落ちているグレープフルーツを拾ってきて出してくれたが、なかなか美味であった。また、友人はこれらの果樹(梅やオレンジ)をもとにジャムをつくっているのだが、砂糖を少なめにしているので個人的にはとても美味しい。さらに、杏もシロップ漬けにしていたりしたが、これもなかなか箸が止まらない美味しさであった。このエディブル・ランドスケープだが、基本、その木のある人達が管理しているのだが果実は、木から落ちたものはもらっていい、というのが友人の個人的なルールだそうだ。
 そして、エディブル・ランドスケープより感心したのは共同農園である。ほとんど無料のようなお金で(確か50ドルぐらい年会費で払うことを言っていたが、正確な数字は忘れてしまった)借りることができる。友人はカリフラワー、ブロッコリー、アーティチョーク、サラダ系の野菜、じゃがいも、ニンジンなどを栽培しており、鳥さえ飼えば自給自足できると言っていた。ちなみに、鶏を飼っている家もあった。
 このように食べものに関しては、コーベット氏が以前、私に言っていたように、相当、自給自足でサステイナブルな暮らしが出来ているなと感心したのだが、もう一つのエネルギー。友人はこの家を買った時に、さらに太陽光パネルを増設したので黒字である、すなわちプラス・エネルギー・ハウスになっていると述べていた。デービスはちょっと暑いので、冷房が必要かなと思ったりするが、友人宅は屋根も高く、特にその必要はないようだ。
 そして移動に関してだが、自動車は所有していた。この友人は、大学院時代は車を所有していなく、私が結構、自分の車に乗せて大学院のフィールドワークなどには連れて行ったりしたが、現在はシェブロレの電気自動車に乗っていた。そうそう、電気自動車もこのデービスで生まれて初めて運転したが悪くない。今、私は「自動車を持たない贅沢」などとのたまっていたのに自動車を所有している。おそらく買い換えることはないような気はするが、もし買い換えるのであれば電気自動車にしようかなと思ったりもした。環境にはやはり電気自動車の方がいいし、なんせ動く蓄電器は地震の時などには随分と心強いからである。
 ということで、デービスのヴィレッジ・ホームスの理解が、より進んだという点で非常に有り難い経験をさせてもらった。つくづく、学生時代の友人のネットワークというものは有り難い。

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<ヴィレッジ・ホームスにある友人宅>

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<鶏を飼っている家もある>

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<道ばたに育つグレープフルーツの木から落ちた果実を拾う友人>

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<友人の自家菜園で育つ野菜>

参考までに「ヴィレッジ・ホームス」に関しては、下記のHPでも説明しているので宜しければ参考にしてもらえればと思う。
https://www.hilife.or.jp/cities/?p=1071
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コービー・ブライアントの悲報に接して思うこと(3) [教育論]

コービー・ブライアントの突然の訃報から4日ほど経ち、NBAの関係者を始め多くの人がその追悼を述べている。高校生のコービーを発掘して、レイカーズに入れたジェリー・ウエストを始め、マジック・ジョンソン、シャキール・オニール、レブロン・ジェームズといったレイカーズ関係者、ポール・ピアース、ドック・リバース、グレッグ・パパヴィッチといったライバル達、トレイ・ヤング、チャールス・バークレイ等である。
 これらの人達の言葉を聞いて分かったのは、コービー・ブライアントはイチローと非常に共通したところが多いな、ということだ。若い時からプロの世界に入り、周りからは生意気だと思われ、しかし、実際のアウトプットを出し続けることで認められる。練習の鬼で、バスケ中心の生活を送る。そして、引退した後、ブライアントもイチローも子供達のコーチに力を入れる。
 コービー・ブライアントはどうも一日4時間しか睡眠を取らなかったそうである。しかも、2時間睡眠を2セット。目的を設定すると、その達成に向けてがむしゃらに努力する。体質を改善してまでも努力をする。それは、ちょっとクレイジーと傍からは見えるかもしれないが、その姿は眩しい。「働き方改革」という旗印のもと、やりたい仕事の時間を削られるような状況下では、なかなかコービーのような人間は出てきにくいだろう。仕事はパッションであることが望ましい。人はパッションを持ったら、その限られた一生という時間の中で悔いなく、そのパッションのために時間を使いたいと思う筈だ。「働き方改革」ということより、「働く」ことをパッション(情熱)にするような生き方改革をすることが重要であろう、とパッションを持たず、しかし文句を言う若者に日々、接している私は思ったりする。コービー・ブライアントのような生き方をするべきである。それは、後悔しない生き方であるし、失敗しても自己責任として受け入れられる生き方でもある。そして、世の中に必要なことは「働き方改革」ではなく、コービー・ブライアントのような頑張る人の足を引っ張るのではなく、その可能性を切り開けるように支える社会システムであろう。頑張れない人には厳しいかもしれないが、頑張る人をしっかりと支援する。そんな世の中こそが、結局、若者にとっても生きがいを感じられるのではないだろうか。



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コービー・ブライアントの悲報に接して思うこと(2) [教育論]

今、アメリカにいる。そして、アメリカでコービー・ブライアントの訃報に接した。そういうこともあり、アメリカのメディアはブライアントの偉大さをいろいろな側面から報じている。そのような報道の中で、私の心を打ったのは、彼の「目的を実現させるためには、周囲のサポートは必要であるが、何より重要なのは、そのために自分が出来うる限りコミットメントすることだ」という、人生に対する姿勢である。「(自転車の)ペダルを一生懸命踏まなくてはならない」という言葉で彼はその姿勢を表現していた。
 高校卒業をして、すぐNBAの厳しい世界に飛び込んだブライアントは、頂点を目指すために人々の想像を絶するような努力を積み重ねる。ブライアントの知り合いがテレビで彼についてコメントする時、彼が成し遂げた成果というよりかは、彼の努力する姿勢を賞賛していた。そして、ブライアントはなぜ、そのように若い時代に自分の才能を信じて努力できるのかと聞かれた時、「自分は若いとき、多くの同世代の人間が理解していなかったことを自覚していた。それは、ある目的を達成しようとする時、周りからいろいろなプレッシャーを受け、自分が信用できなくなり、ポテンシャルを持っているにも関わらず、自ら潰してしまうことを回避しなくてはいけないということだ。ただ、努力をせずに成功できると思ってはならない。死に物狂いで頑張らなくては目的を達成することはできない」と回答する(https://www.youtube.com/watch?v=nbvmTyxpFSA)。そして、それを若者にしっかりと伝えなくてはいけない、とも言う。
 私は仕事柄、多くの若者と接する。驚くのは、多くの若者が本当に努力を嫌うというか、回避しようとすることだ。いや、全員ではないが、そういう若者が多い。勉強とかも頑張れない。要領よく単位を稼ぎ、とりあえず卒業しようと考える若者のなんと多いことか。名古屋の大学では、期末テストのレポートの〆切りが間に合わなかったので「単位を上げない」と言った教員が学生に刺される事件もあった。単位は自分が努力をして取得するものであろう。
 そこで甘やかしても学生のためには全然ならない。もちろん、才能を活かすような環境をつくってあげることは必要であろう。しかし、その才能を高みに上げるのは本人以外の何者でもない。
 受験の時期である。私も受験には失敗しているので、偉そうなことは言えないが、この受験の壁を前にして、是非とも怯むのではなく、自分の力を伸ばしてくれるチャンスぐらいに捉えてもらえればと思う。そのようなチャンスを指定校推薦とか、エスカレーター式の学校に行くことで回避するのは、得をしているようで実は損をしているのではないか。
 私の次女も高三で大学受験である。国立大学一校に絞って受験をする。それは、その大学が唯一無二であるからだが、例え失敗しても、その努力は後の人生において活きると思うのである。コービー・ブライアントは、娘の才能を活かすために第二の人生を賭けていた。実際、ジニの才能が特別なものであることはYouTubeの動画を観ると分かる。親によって子供の育ち方も異なる。私はブライアントの足下にも及ばないが、ブライアントの人生への姿勢を参考にして、次女の才能が開花できるようにサポートしたいと思っている。
 私と私の娘の最も大きな違いは親であると私は思っている。


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コービー・ブライアントの悲報に接して思うこと(1) [都市デザイン]

アメリカのプロ・バスケットボールのスーパースターであったコービー・ブライアントがヘリコプター事故で亡くなった。享年41歳。同乗していた13歳の次女のジジも一緒に亡くなり、今、アメリカでこの訃報を聞いたのだが、アメリカ中が喪に服しているような状況にある。さて、コービー・ブライアントのこの悲報に接して深く考えさせられたことが二つある。
 一つは、コービー・ブライアントを殺したのはロスアンジェルスの悲惨な道路渋滞、そしてその原因であるお粗末な交通システムであるということだ。コービー・ブライアントは、この道路渋滞を回避するために日常的に、移動にヘリコプターを使っていた。どのように、ヘリコプターを日常的に使っているのかという質問に対して、ブライアントはウェブ記事の取材に次のように回答している(https://toofab.com/2020/01/27/heartbreaking-reason-kobe-bryant-insisted-on-flying-in-helicopters-in-his-own-words/)。
「朝早く、筋トレ。子供を学校に(車で)送る。ヘリコプターに乗る。きちがいのように練習する。メディア関係や、その他のしなくてはいけない仕事をこなす。ヘリコプターで帰宅する。車で子供を迎えに行く」。
 そして、ヘリコプターを使うのは、家族と過ごす時間を1分も無駄にしたくないからだとも回答している。
 コービー・ブライアントが亡くなった事故は、ロスアンジェルスの南に位置する自宅があるニューポート・ビーチから、彼のスポーツ学校であるマンバ・スポーツ・アカデミーのあるロスアンジェルスの北西のサウザンド・オークスまでヘリコプターで移動している時に起きた。確かに、ニューポート・ビーチからサウザンド・オークスに自動車で運転していくのはちょっと考えたくない。ヘリコプターで行きたい気持ちも分からなくもない。
 ただ、ロスアンジェルスは自動車を前提に都市づくりをしたので、低密度で広大な面積にいろいろな都市機能を分散させ過ぎた。人口が少ない時はそれでも、ある程度機能していたのかもしれないが、これだけ大きくなり、しかも公共交通の使い勝手が極めて悪いような状況下では、ブライアントのように時間価値が高い人が金に糸目をつけずにヘリコプターで移動したくなる気持ちはよく分かる。
 しかしなあ、もっと都市をコンパクトにして、また東京のように公共交通での移動がしっかりとできる都市であれば、このような事故も起きなかったのかもしれない、と思ったりもする。ヘリコプターで移動しなくてはならない、というかそういう選択肢を日常的に採る人が出た時点で、もう都市が機能していないということを理解すべきであろう。
 逆にいえば、ヘリコプターで移動できるから、ブライアントもマンバ・スポーツ・アカデミーを自宅から遠く離れたサウザンド・オークスに立地させたのかもしれない。どちらにしても、NBAのスーパースターと才能溢れる次女の命を奪ったのは、ロスアンジェルスという都市の構造であることは間違いない。ブライアントはロスアンジェルス・レーカーズ一筋のスーパースターであり、その都市のアイコンである。恩を仇で返すとはこのことだ、と思わずにはいられない。
 二つ目の点は、また後日、書かせてもらう。

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『柳川堀割物語』 [映画批評]

スタジオジブリの作品。3時間に及ぶ大作である。福岡県柳川市に張り巡らされる水路。これが近代化と土木国家によって汚され、その結果、蓋をされ消滅させられそうになったのだが、一人の柳川市職員の問題提起によって、水路の下水道工事計画が白紙に戻り、それを役所と住民の共同で再び清い水が流れる水路を復活させた経緯、そして、その流れの中で伝統的なコミュニティの紐帯が再び強化されていったというノン・フィクションの物語である。美しい映像、アニメを交えた水路の仕組みを分かりやすく説明する工夫、キーパーソンである広松伝氏や古賀元市長への取材、丁寧な構成と柳川市の堀割を再生した過程、背景がよく理解できる内容となっている。ある意味で、スタジオジブリ作品の中でもノン・フィクションのしっかりとした記録といった側面から大変、重要な価値を有するものかもしれない。
 広松氏はこの映画の中で「成功できたのは過去を共有できるだけの「思い出」の資源があったからだ」という。人々が蘇らせたい過去を共有できたことが、成功の原因であるというのは示唆的である。組織がまとまってある方向に行くには、共有する価値が必要だと考えるが、その共有する価値をこの柳川市は幸い、有していた。
そして、下水道工事を中止した後、役所と住民は協同してヘドロに覆われた水路の浚渫を進めていく。この住民の愛、コミットメント、そして住民達と役所の連帯があって初めて柳川の堀割は再生できたのである。貴重な記録である。
貴重な記録という点では、「川や堀は私たち市民すべての共有財産」ですと柳川の市報に書かれたのをみて、県や国は目くじらを立てて怒ったことが映画では示された。彼らからすると、川は国や県のものだそうだ。こういう馬鹿な人達がいるから、日本の美しい風土は壊されてきたことがこの映画からも分かる。そのようなトレンドに見事に抗い、柳川はその環境、風土、そしてコミュニティの連帯を維持することに成功したのである。柳川市の人々の「煩わしい水」との共存する姿勢にも頭が下がるが、これを見事、映像として記録に残したスタジオジブリ、そして高畑氏にも頭が下がる。素晴らしい作品で、多くの人に見てもらえるといいかと思う。


柳川堀割物語 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
  • 発売日: 2003/12/05
  • メディア: DVD



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宮台慎治の『まぼろしの郊外』 [書評]

今更ながらだが、宮台慎治の『まぼろしの郊外』を読む。郊外論の研究をしようと誘われたのだが、今更、郊外ってどうよ、と思ったりしたので、積ん読状態であったこの本を読んだのである。さて、この文庫本は『まろしの郊外』というタイトルであるが、大きく二つの内容に分類でき、前半は「テレクラ少女論」がほとんどで、あまり郊外論的ではない。いや、この「テレクラ少女」の背景に郊外的な課題があるのはもちろんなのだが、どちらかというと郊外というよりかは、東京vs.地方都市(青森)といった構図で語られていた。そして、彼の論では地方都市は東京に比べて、売春女子高生という点では「郊外化」していない。ふうむ、都心と郊外を対比するというのは定義からして当然だが、彼の論的には東京がすでに郊外なのかもしれない。というか、全体的に郊外化しているということか。
 後半は「現代の諸像」ということでインターネットのマイナスの側面、恋文の意味の喪失、差別論、オウム信者の「良心」などが語られる。これらも郊外的な現象ではあるかもしれないが、必ずしも郊外という概念に収まらないし、郊外を形作る要素でもなく、現代社会を分析する一つの視座を提供する現像である。そして、最後に「酒鬼薔薇聖斗のニュータウン」というエッセイがあり、これは相当、読み応えのある密度の高い郊外論である。
 などと書いたら、私のこの浅薄さを予め察したかのように「あとがき」には次のように書いてあった。
「(前略)したがって『まぼろしの郊外』と題される理由は自明であろう。成熟した近代において、(1)幻想の共有度合いが低下するとともに(2)社会の不透明さが増大し(3)実存を脅かされた人々が非自明的な幻想に固執する、という動きを代表する空間こそが「郊外」であるからだ」。
 ううむ、つまり「郊外」を論じる本ではなく、社会の「郊外化」を論じる本であったということですか。すなわち「郊外」を何かが分かっていないと、よく見えてこない本でもある。とはいえ、流石、そのフィールドワーク、透徹な論理力はすさまじく、その思考には引き込まれる。
 

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『死刑台のエレベーター』 [映画批評]

1958年に公開されたフランス映画。ジャンヌ・モローが主演で、マイルス・デービスのトランペットが映画に哀愁を漂わせることに成功しているが、ストーリーは完全犯罪が、ちょっとしたミスと不運で雪だるま式に悲惨な方向へと転がっていくドタバタ悲劇である。ジャンヌ・モロー演じる大会社の社長夫人が、旦那の会社で働く不倫相手の若いハンサム男に、年老いた旦那を殺させる。そこまではよかったが、ちょっとした隙に、この男の車はチンピラに盗まれ、このチンピラが衝動的に観光客を殺してしまったことで濡れ衣を着させられる。この男は男で、犯行に使ったロープを取り忘れたのでそれを回収しようとして乗ったエレベーターが止まってしまったので、その濡れ衣を晴らすことができない。という、もう見ててイライラするような不合理の連続で、本当、人間アホだよな、と思わずにはいられない。しかし、まあ、こういうアホが多い世の中で、どのように生き延びるのか、ということを考えるきっかけは提供してくれる。まあ、この社長夫人の愛人の男性の場合は、社長夫人とそのような関係にならなければいいのだが、ううむ、これはちょっと拒むことは難しいかもしれない。あとは、社長夫人の旦那殺しの依頼をしっかりと断れることかな。どちらにしろ、人はアホばかりだということをしっかりと映画で表現できる国で、原発をあれだけ稼働させているのは驚くべきことだ。この映画を観たら、原発で何か小さい問題が起きても、それが大爆発にまで至るように悪いことが重なりそうだ、ということには気づきそうなものだが。


死刑台のエレベーター HDリマスター版 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 株式会社アネック
  • 発売日: 2017/06/21
  • メディア: DVD



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京阪電車という公共空間でのマナーが分からないアメリカ人 [グローバルな問題]

京阪電車に乗っていた時のことである。京阪電車は出町柳や河原町、伏見稲荷などが沿線にあるので海外の観光客が多く乗る。今日も対面にどうも取材スタッフらしきアメリカ人のトリオが座っていた。アジア系男性、白人系女性、アフリカ系男性の3人だ。話している英語の発音からほぼアメリカ人である。この人たちが、ロングシートの車内で食事をしている。サンドイッチやポテトチップスだが、我が物顔で食べており、においもこちらに漂ってきて不愉快だ。とはいえ、こういうことは女子高生とかもするからな、と我慢していたら、食後、iPhoneを取り出して、音を出して動画を見始めた。これは、ちょっとひどい。注意をしようかとちょっと考えたが、最近のアメリカのトランピズムのような人だと関わらない方がいいかなと思い直して、車両を移った。
 アメリカは公共空間が貧しいから、また、大都市とかに限定されてあるので、日本のような狭い国土で協働して生活するマナーとかエチケットを知らない人が多い。ヨーロッパでも本当、それは感じるが、日本だとさらに、土足で家に上がられたような不愉快な気分になる。

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明けましておめでとうございます [その他]

明けましておめでとうございます。最近、ブログの更新をしていなくて申し訳ございません。コンピューターを新しくしたことで、ネットの設定に手間取ってしまっていました。正月休みでようやく、ここらへんを整理できた次第です。

さて、2020年は東京オリンピック、そしてアメリカの大統領選があります。東京オリンピックは、これからの日本の衰退の契機となる可能性が大ですし、アメリカの大統領選は、その結果によっては大きく民主主義が瓦解していく可能性を秘めています。どちらにしろ、大変な時代を迎えるような気配が空気を覆っているように感じるのは私だけでしょうか。などと思ったら、年が明けたら、いきなりトランプはイランの司令官を殺害するし、北朝鮮はICBM実験を示唆しています。

このような状況下、国は頼りになりません。個人で生き延びる術を考えないとならない時代に突入したと考えた方がいいでしょう。日本は移民に対して、いろいろと制約を課していますが、実態としては、日本から他国に移民をしなくてはいけないような状況になりつつあることを自覚しないといけないかと思います。しかし、他国に移民をするには何しろ教育レベルを高めることが必要です。そうでないと、日本を出ることもできませんから。

なぜ、そこまで悲観的になるのか。それは、日本という国が抱えている借金の大きさからです。消費税を8%から10%に上げるのもその借金の大きさからすれば仕方ないと言えるかもしれませんが、安倍政権は増えた税収入をまたもやばらまきに使っています。福祉に使うのではなかったのか。ほとんど詐欺的なことを行っているのに、それでも安倍政権を選んだのは国民ですからね。そういう国民の国は滅びることになるかもしれない。それはとても個人的には辛いことですが、私の寿命が尽きる前に、日本は悲惨な状況、第二次世界大戦の敗戦と同じようなひどい事態になり得るかなと思ったりもしています。

新年の挨拶で、まったくおめでたくないことを書いてしまい恐縮ですが、大学教員、そして研究者のはしくれとしては、せめて迫り来る危機に対して、いたずらに危機感を煽るのではなく、冷静に客観的な情報を発信する責任があるかなと思ったりします。私の二人の子供は、日本を出ることになると思いますが、私は日本という国を愛しているので心中する覚悟ではおります。引き続き、よろしくお願いします。
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ハローエンドロール『ホライゾン・ブルー』 [ロック音楽]

最初にこのバンドの名前を聞いた時、Hello Endrollかと思い、なんてお洒落なバンド名なんだと感心した。だって、いきなりEndrollにハローですよ。Goodbye Episodeみたいな、この言葉遊び的なセンスに溢れたネーミングにこれはただ者ではないと思った。そしたら、Hello and Rollという、まあストレートで捻りもないバンド名だった訳です。
ということで、最初にハードルを上げたこともあり、ちょっと残念感をもちながらこのデビュー・アルバムを聴く。まず、ボーカルの透明感はいい。聴いていて癒やされる。ついでにいうと、このボーカルのルックスも透明感に溢れている。そして、歌詞もいい。「キラキラ」の「後悔の夜を泳ぎ切って」などは、なかなかの才能を感じさせる。このリーダーである平山織愛のキャラクターがこのバンドの音楽として具象化しているのだろう。ただ、そのキャラが魅力的なので、聴いていても心地よい。まあ、いい意味でも悪い意味でも明治学院大学卒のバンドっぽい。つまり、芯が細そうでいてしなやかで、しかし、なんか洗練されている、という感じである。明治学院大学で15年間教えていた私としては、まあ身贔屓したくなるキャラである。
全部で7曲。ただ、まだ聴いている回数が少ないので、無責任なことを書くのは何だが、印象に残ったのはオープニングの「群青」と「キラキラ」かな。どこかIndigo Girlsを彷彿させる。


Horizon Blue

Horizon Blue

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ORIGAMI RECORDS
  • 発売日: 2019/07/10
  • メディア: CD



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岡崎市を生まれて初めて訪問する [都市デザイン]

岡崎市を生まれて初めて訪問する。いや、岡崎インターを降りてJR岡崎駅そばの有名な鰻屋に入ったことがあったりするので初めてというのは違うが、岡崎城がある岡崎市の中心地に訪れたのは生まれて初めてであった。
 岡崎は江戸時代には東海道53次の宿があり、家康生誕の地でもあり、東三河の中心地であった。名古屋なんかより、はるかに存在感がある都市であったと思われる。明治時代に入っても岡崎県が設置されていたぐらいであるから、それなりのプレゼンスがあった筈だ。それが、現在は一地方都市として、なんか存在感が薄い。人口は増加しているが、これは外国人増加で日本人減少を補っているだけであるし、経済力は優れているかもしれないが、これは豊田のベッドタウンとして位置づけられる地理的要因に起因している。ということで、本来的には地方中核都市的位置づけであった筈なのに、なんで、こんなことになってしまったのか。
 それに対しての私の答えは、鉄道を忌諱したからだ。東海道本線が敷かれた時、当然、鉄道側は岡崎の中心に鉄道を敷きたかった。しかし、これに対して岡崎市民は猛反対。その結果、岡崎駅とは名ばかりの、岡崎市の南端に駅がつくられた。中心市街地からは相当、距離がある。その後、名古屋鉄道が名古屋と豊橋を結ぶ路線を敷くときは、中心市街地の近くに駅を設置することに成功する。これは、当時の名古屋鉄道がちんちん電車のようなもので、国鉄のような迫力がなかったためであると岡崎市役所の人が説明してくれた。現在、岡崎市の中心駅といえば、この東岡崎駅になるそうだ。
 その後、新幹線が1964年に開通するが、岡崎市はこの新幹線にも反対する。もし、新幹線のルートが岡崎市の中心近くに走ったら、岡崎市に新幹線の駅がつくられたかどうかまでは不明だが、その都市の歴史、さらには都市規模、また名古屋と豊橋との距離、三島や熱海、米原、岐阜羽島などに駅がつくられたことを考えると、岡崎駅ができてもまったくおかしくなかったであろう。結局、新幹線は岡崎市をかするように通っているが、はるか市街地より南を通り、その後、隣の安城に新幹線駅はつくられるようになる。
 中心市街地に公共交通が整備されていなかった訳ではない。1960年代まではJR岡崎駅と東岡崎駅、そして家康の菩提寺である大樹寺とを結ぶ路面電車が走っていた。現在も、この路面電車が走っていた通りは「電車通り」と呼ばれているそうである。しかし、路面電車が廃止され、その後は、ひたすらモータリゼーションの道を進む。中部地方最大ともいわれるイオン・モールが20年前にJR岡崎駅と東岡崎駅の中間に開店すると、中心市街地の衰退も一気に進む。
 岡崎の人達がなぜ、ここまで鉄道を嫌ったのかは不思議である。もし、東海道線をもっと都心部にまで引き込み、さらには名鉄を都心部に走らせ、新幹線の駅もつくっていれば、今頃はもっと栄えていたのではないかと思われる。なんか、とてももったいないことをした都市のような印象を覚える。

タグ:岡崎市
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イタリアの南部の農家の人たちは、周囲の人たちと仲良くなく、自己中心的であるそうだ [グローバルな問題]

イタリアのフォッジ大学の先生が龍谷大学政策学部で講演をしたので参加した。バリに訪れた時、一緒に食事をしたことがあるからだ。彼らは農業経済学者だったのだが、イタリアの南部にある農村のコミュニティづくりを実践的に試みている。その成果などを発表していたのだが、興味深かったのは、イタリアの南部の農家の人たちは、周囲の人たちと仲良くなく、自己中心的であるという説明があったことだ。地理的にも散在しているらしく、協働作業などをしないそうだ。彼らは、これらの農家がネットワーク化できるように、VAZAPPという企画を推進している。これは農家を会場として「夕食会」を開催し、周辺の農家に来てもらい、そこでネットワークをつくるきっかけを提供している。
 なぜ、イタリア人が自己中心的であるか不思議だったのだが、日本の農家の多くは米農家なので、水の管理という観点から協働せざるを得ないのだが、南部イタリアはオリーブとかなので、別に水の管理はそれほど重要ではないから、協働しなくてもやっていけるからだそうだ。
 そうだったのか。日本の組織の協調性の高さ(最近はそうでもないかもしれないが)は米農家という組織文化を引き継いでいるかもしれない。

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「日本語の教室」大野晋 [書評]

新書でありながら、言語に関して深く考えさせられる内容が含まれている。これまで受けた質問に回答する形となった第一部と、「日本語と日本の文明、その過去と将来」について、言語学者から考察した日本人の論理的思考の弱点、そして日本のこれから行くべき道を論じている。たいへん、示唆に富んでいる。
「言語能力と事実の認識力とには関係性がある」、「人間は母語によって思考する。母語の習得の精密化、深化をはかることなくして、何で文明に立ち向かうことができよう。」といった指摘はもちろんだが、湯川秀樹が日本、中国の古典を実によく読んで消化しており、言語的にも日本語について緻密な理解力を持っていたことを挙げ、思考の底の部分で言語の力と物理学の構想力が通じていたのであろう、などという洞察も大変、参考になる。理系・文系といったあたかも血液型のように人の能力を判断するという世界的にも恐ろしく奇異な慣習がある日本人に猛省を促すような指摘であると思われる。理系と文系との能力は、論理的な思考をするうえでは極めて共振する。また、「日本語がよくできない日本人は、アメリカに滞在しても英語ができるようにならない」といった例も外国語教育のあり方について再考させられる。
多くの知見が得られる良書である。


日本語の教室 (岩波新書)

日本語の教室 (岩波新書)

  • 作者: 大野 晋
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/09/20
  • メディア: 新書



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トランプ大統領の卑劣だが、なぜか有効な相手を貶めるテクニック [トランプのアメリカ]

トランプ大統領が、世論調査で大きく票を開けられているバイデン大統領候補を攻撃している。その攻撃内容は、バイデン大統領の弁護士である息子がウクライナや中国で投資をするなどする際に、バイデン元副大統領が便宜を図ったのでは、というものである。
 自分の子供達には、現時点でも大統領という立場を使っておそろしく便宜を図っていることを棚に上げて、何を言っているのかとも思うが、そもそも、このバイデンの息子の件はほとんどがでっち上げに近い。でっち上げに近いが、100%白といえるか、と言うと、私もちょっと自信がない。
 オバマ大統領がアメリカで生まれていない、と攻撃した時もそうである。まず、100%嘘であると思うが、命を賭けるか、と凄まれると、ちょっと賭けないような気もする。つまり、ほんの少しだけ、そうかもしれないと思わせるところがあるのだ。まあ、ここがトランプの「イーブル・ジーニアス」(邪悪な天才)と呼ばれるところであろう。
 さて、こんな出鱈目な噂を立てられても痛くも痒くもない、と思いたいところだが実態は違う。この出鱈目なまさにフェイク・ニュースに多くの人は翻弄されるのである。ということを、ジョン・バイデンの昨日の取材で知ることになった。というのも、多くのマスコミが、このトランプの出鱈目な噂話について、その背景を探るような質問ばかりを集中砲火させたからである。バイデンは、このほとんど根拠もない出鱈目な誹謗に対して、回答をしなくてはならない。このストレスは想像を絶するものがある。
 トランプ大統領が捏造するフェークニュースに、アメリカ中が右往左往している。そして、真実を報道しようとするMSNBCやCNNに対してはフェークニュースと攻撃をする。人間の醜悪さをここまで具象化した人物も珍しい。そして、このような人間を支持しているアメリカ人の偽善性、知性のなさ。それらを世界中に顕在化させたこと、これこそがロシアが2016年の選挙において、介入したことの一番の成果、そしてアメリカにとっては、最大の損失なのではないだろうか。

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先斗町で開業してから55年経つスナックを訪れる [都市デザイン]

都市デザインの大家である大阪大学の鳴海名誉教授から、1970年の先斗町、木屋町の飲み屋マップを授かった。それで、この地図を片手に、時間がある時(あまりないのだが・・)に、まだ存在しているお店を訪れるということ同僚の若手の石原先生としている。というか、正確には今日で二度目であるのだが、そういうことをした。前回は、万作という先斗町と木屋町通とを結ぶ路地にある居酒屋を訪れた。ここは、「随分と長くやっていらっしゃるんじゃないですか?」とおじさんにいったら「いやいや、全然、新しいですわ。ほんの60年」とか回答されて、「うわっ、京都や」と唸らされたのだが、今回は、ちょっと懐も温いこともあって、スナックにチャレンジした。
 ちなみに、私はそもそも京都だけでなく東京でもスナックには行かない。これは、スナックがとても苦手だからだ。まず、カラオケが嫌いでしない。さらに、綺麗なおばさんとか、ホステス的な若い女性があまり好きでない。そういう意味ではキャバクラとかも全然、好きじゃない。さらに、スナックは結構、高いくせに美味しい酒も置いてなく、まったく行こうとも思わなかったのだが、ほんの一週間前に、東京大学の某H先生に連れられて、四谷荒木町のスナックに行き、ちょっとスナックへの抵抗が減ったということもあったかもしれない。
 1970年の地図に残っていたスナックは、「歌宴」という店であった。看板に「女性バーテンダーの店」と書いてある。女性バーテンダー?ちょっとよく分からないが、何しろ1970年から営業しているのであれば、そんなえぐい店である筈はないだろうと思い、どきどきしながら扉を開けた。
 さて、扉を開けるとおばあさんが一人、客席に座って、テレビをボーッと観ていた。おお、これは不味いかも、と瞬間思ったが、ここはヒアリング調査もしなくては、ということと、一人ではないということも手伝って、「入っていいですか」と声をかける。おばあさんは、客が来たことを心から喜ぶような表情をして、我々を自分が座った席に座らせ、自分はカウンターの中に入る。
 このお店は、このおばあさん(以降、ママとする)が1964年の4月、18歳の時に開業したもので、今年で開業55年目になるそうだ。そして、ママの年齢は73歳。しかし、73歳とは思えないほど、話し始めるとチャーミングでこちらも楽しい気分になる。さすがプロだ。お店はママのお母さんが出資してくれて始めたもので、当時は350万円ほどで支払ったそうだ。つまり、ママは正真正銘、このお店のオーナーであるのだ。ウィスキーのロック割りを飲みつつ、柴漬けやスルメイカを食べる。これらのつまみもちょっと工夫をした味付けがされており、美味しい。
 先斗町、木屋町通はこの50年で随分と変わったそうだ。50年前はもう飲み屋と料理屋だけで5000軒もあったそうである。5000軒!下北沢の店舗数が12000店であることを知っているので、多少、その規模感とかが推測されるが、それにしても多い。飲食店だけだからね!しかし、それからは随分と減ったそうである。現在の数字はママさんもよく分からないようだが、特に減ったのは、ホモ用のお店だそうだ。当時は220軒はあったそうであるが、今は10軒もないとのこと。220軒もあった時は、美少年と金を持っている中年男のカップルが結構、よく周辺では観られたとのこと。
 また、結構、ぼったくりのお店も多かったそうだ。あと、あの呼び込みというのは、お店が雇っているわけではなく、アウトソーシングされていることも知った。ぼったくりは、ちょっと入ってお酒を一杯か二杯飲んで、15万円ぐらい請求するようなお店である。こういう店のほとんどはヤの字が経営していたようである。
 「18歳でお店を始めた時は、結構、将来どうなるかとか、いろいろと考えられたんじゃないですか」と、ママが開業した時より年を取っている幼稚な学生達と日々、接しているので、思わず尋ねると、「開業当時は目が回るほど忙しくて、そんな考える余裕なんてなかった」と回答された。そして、どうも開業当時は「女性バーテンダー」というのは珍しかったらしく、テレビ、ラジオ、雑誌などで随分と紹介されたそうだ。人を雇っていた時も結構、長かったそうだ。
 店にはレオタード姿のママの若い時の写真が貼ってあって、それは相当、可愛い感じなのだが、既にその時45歳だったそうである。45歳で、この美貌であれば、20歳の時は相当、可愛かったであろう。
 ということで、ほぼ生まれて初めてぐらい、再訪してもいいスナックを見つけた気分になっている。料金はやはり、そこらへんのバーの3倍ぐらいは高い。私が最も頻繁に行く下北沢のマザーよりも3倍は高く、しかもママは60歳は越えているが、「夜宴」のママよりも若い。まあ、マザーが先斗町にあったら、夜宴に行かないかもしれないが、マザーは先斗町にはないからな。
 

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新幹線の隣の客の香水があまりに臭くて拷問のようだ [グローバルな問題]

新幹線での移動中、私の隣の欧州人と思しき若い男性客の香水があまりにも強烈で、眠ることも集中して仕事をすることもできない。これは、まったくの迷惑行為で不愉快であるが、そのための対処法としては私が席を移動することぐらいしかできない。文句を言っても、今更香水を取ることもできないしな。
 しかし、改めて、なんでこんなに強烈な香水をしなくてはならないのだろうか。よほど体臭が強烈なのだろうか。しかし、この強烈な麝香系ともいえる臭いより不愉快な体臭とはあるのか、と考えさせられる。麝香系ということで、こういう臭いをすれば雌鹿のように女性が寄ってくると思っているのだろうか。いや、私は女性ではないので、そこらへんの女性の好みは分からないが、おそらく、そんなことはないだろう。というか、普通、逃げますよ、この臭い。
 公共の場ではうるさい音を出すことはマナー違反だし、不愉快なもの(例えば裸)を見せるのもマナー違反というか、裸であったりしたら法律違反である。臭いについても、もうちょっとマナー違反というか、考えてもらえるといいと思う。

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フクシマの原発事故における欺瞞は、ヨーロッパの人々には軽蔑の対象となっている [グローバルな問題]

スイスのシャフハウゼンにて、同市のシュタットヴェルケの所長にお話を聞く。そこで、お話を録音してもよいかと尋ねると、「フクシマではないので、何も隠すことはないので構いません」と言われた。いや、スイスの田舎の人でも、フクシマの隠蔽気質は知られるところになっているのか、とちょっとショックを覚える。
 その後、フランスのストラスブールに訪れたら、現地の人に「フランスでは、フクシマ原発での汚染水の海洋漏出はとても問題だと思っている」とも言われた。私と一緒に取材をした人がたまたま福島県在住であったからの意見だが、なかなか厳しい。
 私はスイスはともかく、フランス人に言われるのは不本意だな、とも思ったが、どうやらフクシマに関しては、日本人よりヨーロッパ人の方が関心を持っているようだ。いや、どうしてフランス人に言われるのは不本意だな、と思ったかというと、次の原発事故はフランスで起きる確率が相当、高いのではないかと私は推測しているからだ。しかし、当のフランス人は、ある意味当たり前だが、あんな事故を起こしておきながら、しかもその事後処理をしっかりとできないダメな国と日本を見ているようだ。
 また、このお二人がヨーロッパの全般的な世論と同じかというと、それはなんとも言えないが、しかし、少なくとも、フクシマに関して、事故を起こしたという不始末よりも、その後の対応のまずさ、不誠実さによって、より日本への見方が厳しくなっているのは確かであろう。
 というか、フランスはともかく、ドイツのようにスイスもフクシマの事故を契機として原発政策を大きく脱原発へと舵取りした。そのような事故を起こした張本人が、あまり反省もせず、平気で国境が実質的にはない海に汚染物質を漏出させ、また原発を再稼働させるというのは、大きく信頼を損ねる行為であるとみられても当然であろう。というか、日本と同様のことを中国や韓国がやったら、日本でも相当の非難がなされると思うのである。
 改めて、ヨーロッパの人々は、フクシマ原発事故を厳しくみており、その事後処理もしっかりやれよというプレッシャーを我々に送っているなという印象を受けた。

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アベンジャーの『エンド・ゲーム』を観ようとして途中で挫折する [映画批評]

アベンジャー・エンド・ゲームが人気らしい。いや、人気どころか興行収入は世界歴代一位らしい。ということで、ちょっと教養として観ておいた方がいいかな、と思って飛行機の機内で観ようとしたのだが、30分ぐらいで挫折した。なぜなら、あまりにもつまらないからだ。最後まで観ていないので、映画の内容をとやかく批評することはできないが、タイムマシンの話とか、表層的な人間関係の描き方とか、創造性がまったくうかがえないアライグマのキャラクターとか(もっとカネゴンとかバルタン星人とかの円谷プロのような魅力的な宇宙人キャラがつくれないのか)、何しろシナリオに惹きつけられないのだ。俳優陣も全然、魅力がなく、強いていえばスカーレット・ヨハンソンがちょっといい味出しているかな、といったぐらいである。もちろん、これは私が初老に近づいた中年男性であるからだろうが、それにしても、こんな映画が売れる現代はなんてつまらない時代なのだろう、と思わずにはいられない。
 とはいえ、結構、この映画の評判は悪くないのだ。私が敬愛している、私とそれほど年が変わらないアメリカ人コメディアンのスティーブン・コーベアもこの映画を評価していたようだし、私の元同僚もこの映画を評価していた。ううむ、何なんでしょう、この違い。自分と時代のトレンドとにギャップが生じているということでしょうか。
 とはいえ、結構、この映画の評判は悪くないのだ。私が敬愛している、私とそれほど年が変わらないアメリカ人コメディアンのスティーブン・コーベアもこの映画を評価していたようだし、私の元同僚もこの映画を評価していた。ううむ、何なんでしょう、この違い。自分と時代のトレンドとにギャップが生じているということでしょうか。

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『フィラデルフィア』 [映画批評]

トム・ハンクスとデンゼル・ワシントンという二大スターによる法廷ドラマ。1993年の作品であり、トム・ハンクス演じるホモセクシャルの主人公が、エイズに患い、それによって弁護士事務所をくびにさせられたことが、差別にあたると法廷で事務所と戦うというストーリーである。実話にもとづくストーリーであるそうだ。エイズに蝕まれていくトム・ハンクスの演技は鬼気迫るものがあり、アカデミー賞で主演男優賞を受賞したのも納得である。映画の冒頭にブルース・スプリングスティーンの曲が流れるが、なかなかの佳曲である。


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