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椎名林檎のコンサートの感想の追記 [ロック音楽]
昨日のブログで福井サンドームのコンサートを観た後の椎名林檎の偉大さを述べたが、そこで追記し忘れたことを一点だけ。それは、先日のコンサートでもそうだったが、椎名林檎はいわゆる数多あるヒット曲の多くを演奏しないことだ。例えば「ギブス」「罪と罰」「本能」「歌舞伎町の女王」「丸ノ内サディスティック」「幸福論」「ここでキスして」「宗教」「やっつけ仕事」「神様、仏様」「長く短い祭」「旬」「NIPPON」「ありあまる富」といった、珠玉の曲群から一曲も演奏していない。そして、私を含めて会場の一人とも不満を抱かず、大満足で会場を後にしている。こんなことをできるアーティストが世界中にどれほどいるだろうか。これは、例えばイーグルスが「ホテル・カリフォルニア」「デスペラード」「呪われた夜」「偽りの瞳」「テイク・イット・イージー」「ピースフル・イージー・フィーリング」「ラスト・リゾート」「ニュー・キッド・イン・タウン」「ライフ・イン・ザ・ファストレーン」を一切、演奏しないコンサートをやるようなものだ。そんなことをしたら暴動が起きるであろう。ポール・マッカートニー、スティーリー・ダン、ポール・サイモンだったらそういうことができるかもしれないが、それ以外でどのくらいのアーティストがそういうライブを出来るだろうか。デビッド・ボウイ、ケイト・ブッシュ、ピーター・ガブリエルはできるかもしれないが、エルトン・ジョンやフリードマックは無理だろう。そのように考えると、いかに椎名林檎が作り出した楽曲群が優れているかが理解できる。まさに本当に、こんなアーティストが日本から生まれたことを日本人として誇りに思う。
タグ:椎名林檎
「(生)林檎博'24-景気の回復-」アット福井サンドーム(ライブ・レポート) [ロック音楽]
椎名林檎のライブを福井サンドームで観る。福井サンドームを訪れたのは初めてだ。てっきり福井駅のそばにあると思ったら、鯖江駅が最寄り駅でそこから20分も歩かされた。めちゃくちゃ不便である。なんで福井なのか、というと、それは東京も大阪もチケットが取れなかったからである。さて、それはともかく、今回の椎名林檎のコンサートは素晴らしかった。いや、どの椎名林檎のコンサートも相当、素晴らしいので、それは目新しいことではないのかもしれないが、ドイツに1年間いて、あちらのギグを中心に見ていたからか、椎名林檎のコンサートの傑出した素晴らしさが身に染みたというのもあるかもしれない。あと6年ぶりのアリーナ・ツアーでの林檎博。林檎博は特に気合いが入った演出をされているので、改めて圧倒された、ということもあるかもしれない。というか、現時点で、世界中で最もハイグレードなコンサートは、椎名林檎のコンサートなのではないかとさえ思わせられた。それは音楽や音響も素晴らしいが、レーザーライトを駆使して、しかも事実婚の相手の映像ディレクターの児玉氏のプロジェクション・マッピングが度肝を抜いて素晴らしいからだ。いや、寡聞にして、このような音楽、映像、ダンス(そうなんです、ダンスも凄いんです)のトータリティのレベルは世界レベルで唯一無二だと思うのだが、それは私がモノを知らないからか。少なくともドイツで一年間、比較的ライブに行ったつもりでいたが、ドイツのライブと比べると50年ぐらい違う。ベニュー別でも10近くは観たと思うが、その中でベストであったスマッシング・パンプキンズでも、椎名林檎のライブのあしもとにも及ばないと思う。もちろん、ラスベガスのスフィアとかだと相当、新しい体験ができるのかもしれないが、まあ、私の範疇では椎名林檎のライブは凄まじいイベントだと思う。
さて、とりあえず「(生)林檎博'24-景気の回復-」の福井セットリストは次の通り。
1.鶏と蛇と豚
2.宇宙の記憶
3.永遠の不在証明
4.静かなる逆襲
5.秘密
6.浴室
7.命の帳
8.TOKYO
9.さらば純情
10.おとなの掟
11.MOON (REBECCAカバー)
12.ありきたりな女
13.生者の行進 with AI
14.ジプシー (あっぱCover)
15.人間として
16.望遠鏡の外の景色
17.茫然も自失
18.ちりぬるを with 中嶋イッキュウ
19.ドラ1独走 with 新しい学校のリーダーズ(virtual)
20.タッチ (岩崎良美カバー) with Daoko
21.青春の瞬き
22.自由へ道連れ with 中嶋イッキュウ
23.余裕の凱旋 with Daoko
24.ほぼ水の泡 with もも
25.私は猫の目 with 中嶋イッキュウ、もも、Daoko
アンコール
26.初KO勝ち with のっち(virtual)
27.ち☆ち☆ん☆ぷいぷい
個人的にはやはり「浴室」が一番のハイライトであった。一枚目、二枚目で椎名林檎はほぼ音楽家としての立ち位置を確立させてしまった。それは、日本のロック・ミュージシャンとして前代未聞のクオリティを提供した、という不動の立ち位置だ。私ぐらいの年齢だと、どうしてもロック・ミュージックに関しては、洋楽の方が音楽的にも演奏的にも優れていて格好良かった。ティーネイジャーの時にイエスとかツェッペリンとかジェネシスとかドゥービー・ブラザースとかリトル・フィートとかスティーリー・ダンとかエリック・クラプトンを聞いていたのだ。その差は歴然であった。ユーミンとか楽曲の優れたアーティストもいたが、いかんせん、ボーカルがそこらへんのカラオケ素人レベルである。山下達郎あたりが出てきて、高橋幸宏の登場はオッと思わせるなど、ポップス系はなかなかレベル・アップがみられたがロックはなかなか厳しいものがあった。そういう中でレベッカはなかなかだな、と思ったりしてコンサートにも行ったりしたが、今回のMOONのカバーを聞いて、やはりレベッカと椎名林檎の楽曲にはマリワナ海溝のような溝があることを改めて知った。もう、ホンダカブとハーレー・ダビッドソンぐらいの違いである。そして、その違いは一枚目、二枚目というデビューにおいて既に違いが顕在化している。ちなみに、私は椎名林檎がデビューする前は比較的、桑田佳祐に好意的であり、コンサートにも行ったりしていたが、椎名林檎がデビューした後は、その音楽性の恥ずかしさが目立ち、2度と聞くことはなくなった。最近だと、ラーメン屋とかで流れていても眉をひそめるようにさえなってしまっている。これは、本物を知ってしまったからで、椎名林檎の副作用かと思う。
話が横に逸れたが、それ以外だと「静かなる逆襲」「青春の輝き」「自由へ道連れ」「ありきたりの女」「私は猫の目」がよかった。いや、全般的に相変わらずの計算され尽くした、精密機械のようなエンタテイメントであり、すべてが観客の満足度を最大限にするかのように演出されており、それは本当に圧巻であった。
最近はゲスト・ボーカルが共演者として出てくることが多いが、今回は中嶋イッキュウ、もも、Daokoと三人が生ででてきた。また、AIやノッチ、学校のリーダーズもバーチャルではあるが共演をしていた。これらは当然、録音されたものが流されている。ついでにいうと林檎のボーカルも結構、録音されたものが流されていた。この点は、前からちょっと気になっているが、全体的な満足度が高いので敢えて問題視しないようにしている。
メンバーはベースが鳥越啓介、ギターが名越由貴夫、ピアノが伊澤一葉、ドラムが石若駿。そして、斎藤ネコ率いるオーケストラ。そして、ダンサー二人が舞台に華やぎをもたらす。
個人的には音楽家としての椎名林檎の才能をすこぶる評価しているが、コンサート自体は演奏だけでなく、照明、ダンス、衣装、プロジェクション・マッピングと完全に総合芸術となっており、リヒャルト・ワグナーが生きていたら、さぞかし地団駄を踏んで悔しがったであろう。
さて、とりあえず「(生)林檎博'24-景気の回復-」の福井セットリストは次の通り。
1.鶏と蛇と豚
2.宇宙の記憶
3.永遠の不在証明
4.静かなる逆襲
5.秘密
6.浴室
7.命の帳
8.TOKYO
9.さらば純情
10.おとなの掟
11.MOON (REBECCAカバー)
12.ありきたりな女
13.生者の行進 with AI
14.ジプシー (あっぱCover)
15.人間として
16.望遠鏡の外の景色
17.茫然も自失
18.ちりぬるを with 中嶋イッキュウ
19.ドラ1独走 with 新しい学校のリーダーズ(virtual)
20.タッチ (岩崎良美カバー) with Daoko
21.青春の瞬き
22.自由へ道連れ with 中嶋イッキュウ
23.余裕の凱旋 with Daoko
24.ほぼ水の泡 with もも
25.私は猫の目 with 中嶋イッキュウ、もも、Daoko
アンコール
26.初KO勝ち with のっち(virtual)
27.ち☆ち☆ん☆ぷいぷい
個人的にはやはり「浴室」が一番のハイライトであった。一枚目、二枚目で椎名林檎はほぼ音楽家としての立ち位置を確立させてしまった。それは、日本のロック・ミュージシャンとして前代未聞のクオリティを提供した、という不動の立ち位置だ。私ぐらいの年齢だと、どうしてもロック・ミュージックに関しては、洋楽の方が音楽的にも演奏的にも優れていて格好良かった。ティーネイジャーの時にイエスとかツェッペリンとかジェネシスとかドゥービー・ブラザースとかリトル・フィートとかスティーリー・ダンとかエリック・クラプトンを聞いていたのだ。その差は歴然であった。ユーミンとか楽曲の優れたアーティストもいたが、いかんせん、ボーカルがそこらへんのカラオケ素人レベルである。山下達郎あたりが出てきて、高橋幸宏の登場はオッと思わせるなど、ポップス系はなかなかレベル・アップがみられたがロックはなかなか厳しいものがあった。そういう中でレベッカはなかなかだな、と思ったりしてコンサートにも行ったりしたが、今回のMOONのカバーを聞いて、やはりレベッカと椎名林檎の楽曲にはマリワナ海溝のような溝があることを改めて知った。もう、ホンダカブとハーレー・ダビッドソンぐらいの違いである。そして、その違いは一枚目、二枚目というデビューにおいて既に違いが顕在化している。ちなみに、私は椎名林檎がデビューする前は比較的、桑田佳祐に好意的であり、コンサートにも行ったりしていたが、椎名林檎がデビューした後は、その音楽性の恥ずかしさが目立ち、2度と聞くことはなくなった。最近だと、ラーメン屋とかで流れていても眉をひそめるようにさえなってしまっている。これは、本物を知ってしまったからで、椎名林檎の副作用かと思う。
話が横に逸れたが、それ以外だと「静かなる逆襲」「青春の輝き」「自由へ道連れ」「ありきたりの女」「私は猫の目」がよかった。いや、全般的に相変わらずの計算され尽くした、精密機械のようなエンタテイメントであり、すべてが観客の満足度を最大限にするかのように演出されており、それは本当に圧巻であった。
最近はゲスト・ボーカルが共演者として出てくることが多いが、今回は中嶋イッキュウ、もも、Daokoと三人が生ででてきた。また、AIやノッチ、学校のリーダーズもバーチャルではあるが共演をしていた。これらは当然、録音されたものが流されている。ついでにいうと林檎のボーカルも結構、録音されたものが流されていた。この点は、前からちょっと気になっているが、全体的な満足度が高いので敢えて問題視しないようにしている。
メンバーはベースが鳥越啓介、ギターが名越由貴夫、ピアノが伊澤一葉、ドラムが石若駿。そして、斎藤ネコ率いるオーケストラ。そして、ダンサー二人が舞台に華やぎをもたらす。
個人的には音楽家としての椎名林檎の才能をすこぶる評価しているが、コンサート自体は演奏だけでなく、照明、ダンス、衣装、プロジェクション・マッピングと完全に総合芸術となっており、リヒャルト・ワグナーが生きていたら、さぞかし地団駄を踏んで悔しがったであろう。
アメリカに移住した中学時代の友人がトランプ支持者であった [トランプのアメリカ]
アメリカに住んでいる中学時代(目黒区立の中学)の友人から夜の9時に電話がある。「今、ベルリン?」「いや、都立大学」「え!今、三軒茶屋で飲んでいるんだけど」「分かった、今、いく」。
ということで日本にちょっとの間、戻っている友人が飲んでいた三軒茶屋の店に行く。友人と奥さん、そしてもう一人、中学の同窓生がいた。しばらく、彼と飲んでいて、なんと彼がトランプ支持者だということが判明した。初めて、生身のトランプ支持者と話をした。ちなみに彼は日本人だけどアメリカ国籍を持っていて、選挙も出来る。当然、トランプに票を入れたよう。
驚いたあ!いろいろと話をして、完全に洗脳されていることが判明した。こちらの考えのベースとなるニュースや新聞などの情報はすべてフェイク・ニュースで、反トランプ派からすると「騙されている」のは、こちら側だそうだ。じゃあ、どこで情報を得ているのか、というと、いろいろと調べている、と回答して「お前は何も分かっていない」と哀れむような表情でこっちをみてくる。したがって、2021年の連邦国議会議会堂の襲撃事件も、ほとんどピクニックのような事件であった、と本当に信じているようなのだ。警備員が死んでいるが、それは、事件と関係のない心臓発作であって、本当に死んだのは襲撃側の女性一人である、と確信的に私に言うのである。堕胎禁止、というのをよく支持できるねと問うと、これはやはり立場が悪いようで、これはニュートラルだ、と返してきた。ただ、リベラルが乱交をしまくって、妊娠して堕胎するのはよくない、という主張をしてきた。いや、銃規制に反対していて、乱交がいいとはまったく思わないけど、それを規制しようという考えにはちょっとついていけない。
基本、自分の考えは正しく、自分が信じたい情報こそが真実であり、自分に不都合な情報はフェイク・ニュースで片付ける、という傾向があることが分かった。
しかし、ここで論理的に話をしていたら、数少ない中学時代の友人と絶縁状態になることが明らかだったので、ある程度、流す。彼も流石に、それは分かってくれたようだけど、これまでも多くの友人と縁が切れてしまったようだ。なんで、そこまでして肩入れするのか分からないけど、これは寂しいことである。私も、ただ、同じような友情を保つことは、彼が改心するまでは不可能であるな、と思う。
ちなみに、この友人は上智大学を卒業した後、日本の商社に入り、その後、会社を辞め、アメリカの会社に勤める。ホンジュラスとかに病院をつくるような仕事をしており、50代でもう引退生活を送っている事業的には大成功者である。日本にも不動産を所有しており、その不動産の賃貸料とかも相当の額かと推察される。とはいえ、企業の経営者ではないし、流石にそこまでの富裕層ではないので、トランプを経営的観点から支持するメリットはない。したがって、何が彼をトランプ支持にさせたのかは若干、不明ではあるのだが、彼は三人兄弟の末の弟であった。そして、彼自身も優秀ではあったのだが、上のお兄さんに比べると大きく劣っていた。そういうこともあって、根底に何かエリートに対して劣等感を有していたのかもしれない。そのエリートを根底からやっつけてくれる、というイメージをトランプは有している。多様性、包摂力、環境問題・・・何を格好、つけているんだ、というような気持ちをトランプは上手く汲んだのかもしれない。しかし、彼はアメリカ国籍を有してはいるけど移民一世なんだよね。しかも、有色人種である。トランプ・サイドからすれば敵であるにも関わらず、そっち側に乗っかるというのは、悪いけど、ナチスを支持したユダヤ人のようにしか見えない。トランピズムが極端に振れると、日本に戻るしかない状況になるかもしれない、というのに想像が及ばないのだろうか。
おそらく、トランプの最大の罪は、こういう人々の分裂をアメリカ中につくってしまったことじゃないのだろうか。内部対立の中からは創造的なものは生まれない。わざわざ飲みに出向かなかった方がよかったかもしれない。個人的には相当、後味が悪い一日であった。悪いけど、下北沢には絶対、一緒に飲みに連れて行けないな。というか、飲みに行くことは、彼が改心するまではないでしょう。下手したら、殴り合いにさえなりかねない。下手、友達だから。
ということで日本にちょっとの間、戻っている友人が飲んでいた三軒茶屋の店に行く。友人と奥さん、そしてもう一人、中学の同窓生がいた。しばらく、彼と飲んでいて、なんと彼がトランプ支持者だということが判明した。初めて、生身のトランプ支持者と話をした。ちなみに彼は日本人だけどアメリカ国籍を持っていて、選挙も出来る。当然、トランプに票を入れたよう。
驚いたあ!いろいろと話をして、完全に洗脳されていることが判明した。こちらの考えのベースとなるニュースや新聞などの情報はすべてフェイク・ニュースで、反トランプ派からすると「騙されている」のは、こちら側だそうだ。じゃあ、どこで情報を得ているのか、というと、いろいろと調べている、と回答して「お前は何も分かっていない」と哀れむような表情でこっちをみてくる。したがって、2021年の連邦国議会議会堂の襲撃事件も、ほとんどピクニックのような事件であった、と本当に信じているようなのだ。警備員が死んでいるが、それは、事件と関係のない心臓発作であって、本当に死んだのは襲撃側の女性一人である、と確信的に私に言うのである。堕胎禁止、というのをよく支持できるねと問うと、これはやはり立場が悪いようで、これはニュートラルだ、と返してきた。ただ、リベラルが乱交をしまくって、妊娠して堕胎するのはよくない、という主張をしてきた。いや、銃規制に反対していて、乱交がいいとはまったく思わないけど、それを規制しようという考えにはちょっとついていけない。
基本、自分の考えは正しく、自分が信じたい情報こそが真実であり、自分に不都合な情報はフェイク・ニュースで片付ける、という傾向があることが分かった。
しかし、ここで論理的に話をしていたら、数少ない中学時代の友人と絶縁状態になることが明らかだったので、ある程度、流す。彼も流石に、それは分かってくれたようだけど、これまでも多くの友人と縁が切れてしまったようだ。なんで、そこまでして肩入れするのか分からないけど、これは寂しいことである。私も、ただ、同じような友情を保つことは、彼が改心するまでは不可能であるな、と思う。
ちなみに、この友人は上智大学を卒業した後、日本の商社に入り、その後、会社を辞め、アメリカの会社に勤める。ホンジュラスとかに病院をつくるような仕事をしており、50代でもう引退生活を送っている事業的には大成功者である。日本にも不動産を所有しており、その不動産の賃貸料とかも相当の額かと推察される。とはいえ、企業の経営者ではないし、流石にそこまでの富裕層ではないので、トランプを経営的観点から支持するメリットはない。したがって、何が彼をトランプ支持にさせたのかは若干、不明ではあるのだが、彼は三人兄弟の末の弟であった。そして、彼自身も優秀ではあったのだが、上のお兄さんに比べると大きく劣っていた。そういうこともあって、根底に何かエリートに対して劣等感を有していたのかもしれない。そのエリートを根底からやっつけてくれる、というイメージをトランプは有している。多様性、包摂力、環境問題・・・何を格好、つけているんだ、というような気持ちをトランプは上手く汲んだのかもしれない。しかし、彼はアメリカ国籍を有してはいるけど移民一世なんだよね。しかも、有色人種である。トランプ・サイドからすれば敵であるにも関わらず、そっち側に乗っかるというのは、悪いけど、ナチスを支持したユダヤ人のようにしか見えない。トランピズムが極端に振れると、日本に戻るしかない状況になるかもしれない、というのに想像が及ばないのだろうか。
おそらく、トランプの最大の罪は、こういう人々の分裂をアメリカ中につくってしまったことじゃないのだろうか。内部対立の中からは創造的なものは生まれない。わざわざ飲みに出向かなかった方がよかったかもしれない。個人的には相当、後味が悪い一日であった。悪いけど、下北沢には絶対、一緒に飲みに連れて行けないな。というか、飲みに行くことは、彼が改心するまではないでしょう。下手したら、殴り合いにさえなりかねない。下手、友達だから。
トランクルームの劣悪なるサービスに日本の劣化をみる [その他]
私はドイツに行っていたこともあり、また母親が老人ホームに入ったのを機に実家の荷物を動かしたこともあり、トランクルームを3室も借りています。結構、出費が嵩むので2室に集約させようとして、ハイエースを借りて引越作業をしていたら南京錠に入れた鍵がフニャっとなってなんと折れました。そして先端は南京錠の鍵穴に入って取れなくなってしまった。トランクルーム(ハローストレージ)に状況を説明したら、鍵屋を呼んで切ってください、と言う。それで費用は、というと私持ちだという。この南京錠はこのトランクルーム屋が提供したもので、これは明らかに鍵が不良品だろう、と言ったのだが梨の礫です。私は一月で3室借りているということもあるが、10万以上は払っているのに、なんだこの対応は、と結構、憤慨しています。また、先方は無料で南京錠を送る、とか言ってきたが南京錠は1000円もしない。それでいて、鍵屋の費用は59400円もかかった。これは、トランクルームが払うべきだろうと交渉したが、結果、自腹のようです。うむ、日本も徐々にドイツ化が進んでいるな。ただ、鍵屋は、値段はドイツ並みだけど、20分で来たし、ドイツよりはしっかりと仕事をしているような印象は受けます。あと、南京錠はハローストレージが送ったものではなく、自分で購入することにしました。というか、これはトランクルームを借りるうえでの鉄則かな、と思いました。結構、高い授業料でしたが。
ソフトバンクは店によってサービスが違う [その他]
今日は午後に恵比寿のソフトバンクに行き、これまで使っていた携帯(バージョン10)をドイツで購入したより新しい携帯(バージョン13)にデータ移行するようお願いする。ソフトバンクには昨日、中目黒と銀座に行ったのだが、予約をしてないと対応できないと言われて断念したのだが、その時、結構、データ移行は面倒だ、お金がかかると言われて覚悟していた。しかし、恵比寿のソフトバンク店ではSIMカードをかえるだけでお金もかかりませんよ!と言われる。そして、そのように対応してもらえた。実はグーグルで店舗の評価をチェックするとダントツに恵比寿がよかったので、そこを昨日、予約して行ったのだが結果的に大正解であった。同じソフトバンクでも、店舗によってこんなに差があるのは驚きだ。しかも恵比寿店では、私が契約をしているポケット・モバイルを使っているか?とまで尋ねてくれた。その存在は知っていたが、あまり意識したこともなく、おそらくこの3年間はほとんど使っていなかったかと思う。というか、ユーチューブをみると6時間で一月の契約分をすべて使ってしまう。ということで、ほとんど使えないような契約内容であったのだが、それでも4618円ほど毎月、支払っていた。これは、ユーチューブのような動画コンテンツが少なく、メイルのチェックなどさえできればいいというような時代に契約をしたものであった。そこで、これをついでに解約することをアドバイスされ、そうした。なんて素晴らしいサービスだ。あと、同じソフトバンクといっても、店によってそのサービスの内容が大きく違うことも知った。幸い、店舗ごとの評価がネットでされているので、それを参考にするといいかとも思う。
タグ:ソフトバンク
オアシスが「英国史上最強のロックンロール・バンド」というコピーは、おそらくオアシス自身が激怒るだろうと思われる [ロック音楽]
オアシスの30周年特別展のちらしに「英国音楽史上最強のロックンロール・バンド、オアシス」と書かれていた。これを読んで仰け反りましたね。いや、ベスト10に入るだろう、と言われれば、そうかもしれないなとは思うけど、英国音楽史上最強はないでしょう。というか、このコピーを書いた人はザ・ビートルズとかレッド・ツェッペリンとかローリング・ストーンズとかが英国のバンドだということを知らないのだろう。私は90年代という枠でもレディオ・ヘッズの方がロックンロール・バンドとしては、上だなと思うので、このちらしはちょっと傲慢過ぎるな、と思うのである。
そして、このようなコピーに敏感に反応するのがオアシス、特にノエル・ギャラガーだと思うのである。おそらく、本人の前で、「オアシスは英国音楽史上最強のロックンロール・バンドですよね」などと宣ったら、即パンチが飛んでくると思う。ノエル・ギャラガーのビートルズ愛は凄まじいものがあるからだ。まあ、レディオ・ヘッズの方が上だと思う、と言ってもパンチが飛んでくるとは思うが。
どちらにしても、トランプのフェイク・ニュースが跋扈している時代、こういう誇大広告は是非とも止めにしてもらいたい。
そして、このようなコピーに敏感に反応するのがオアシス、特にノエル・ギャラガーだと思うのである。おそらく、本人の前で、「オアシスは英国音楽史上最強のロックンロール・バンドですよね」などと宣ったら、即パンチが飛んでくると思う。ノエル・ギャラガーのビートルズ愛は凄まじいものがあるからだ。まあ、レディオ・ヘッズの方が上だと思う、と言ってもパンチが飛んでくるとは思うが。
どちらにしても、トランプのフェイク・ニュースが跋扈している時代、こういう誇大広告は是非とも止めにしてもらいたい。
タグ:オアシス
仙丈ヶ岳(百名山64座登頂) [日本百名山]
甲斐駒ヶ岳にチャレンジした後、北沢峠にあるこもれび荘に宿泊し、その翌日に仙丈ヶ岳にチャレンジした。北沢峠の最終バスは16時であるので、この時間までには下山しなくてはならない。そこから逆算をして、朝の5時30分に出発することにしたが、いろいろと手間取っていたら結局、出発時間は5時45分になってしまった。話はちょっと逸れるが、こもれび荘は夕食もそうだったが朝食も美味しく、さらに従業員のサービスもとてもよいのが印象的であった。前日の甲斐駒ヶ岳でストックを破損した私は結構、ピンチであったが、相談をしたら誰かの忘れ物のストックを貸してくれた。これがどれだけこの日の登山の助けになったか。山小屋であるにも関わらず、再訪したくなるような宿泊体験をすることができた。
さて、仙丈ヶ岳の登山ルートだが、しばらくは樹林帯の中を歩いて行く。環境は甲斐駒ヶ岳と同じだが、逆光の中、歩いて行く甲斐駒ヶ岳の方が朝の光は綺麗に見えるような気がする。いや、昨日、見たので感動が薄れているだけかもしれないが。多少の斜度はあるが、快適な登山道で高さを稼いでいく。大滝頭に着いたのが7時45分。ほぼコースタイム通りだ。ここからは坂が随分と急になる。そして、ここを踏ん張ると六合目につき、ここからは森林限界より高く、素晴らしい絶景の中、歩いて行くこととなる。富士山と北岳というナンバーワン、ツーのコンビを左手に見つつ、山頂を目指す。小仙丈ヶ岳の分岐点に着いたのは9時ちょうど。帰りのバスのこともあるので、ここは少しでも山頂に近づきたいので小仙丈ヶ岳はパスをする。途中、岩場的なところもあるが、前日の甲斐駒ヶ岳に比べれば前々、大したことはない。そんなに苦労せずに越えていくが、下りの岩場を降りる時はちょっと落胆させられる。標高を稼ぐために頑張っているのに、ここで無駄にするのか、という怒りにも似た気持ちにさせられる。しかし、その気持ちを抑え、山頂へと向かう。ここからは仙丈ヶ岳の見事なカール地形を望みながらの登山だ。尾根の登山道は本当、楽しいし、登山の楽しみを満喫できる。
仙丈小屋へのルートとの分岐点に着いたのが10時。そして山頂に到着したのは10時30分。北沢峠から4時間45分で着いた。前日の甲斐駒ヶ岳と違い、それほどコースタイムとはずれがない。改めて自分が岩場に弱いことを確認する。山頂からの展望は、前日の甲斐駒ヶ岳と同様に大絶景である。白山、御岳、木曽駒ヶ岳、空木岳、恵那山、塩見岳、鳳凰三山、北岳、富士山、金峰山、瑞牆山、甲武信ヶ岳、浅間山、妙高山、火打山、槍ヶ岳、白馬岳、常念岳、乗鞍岳・・・。これは天下の絶景かもしれない。
さてバスの時間が気になるので、11時には山頂を後にする。目の前に屹立する甲斐駒ヶ岳を眺めながらの下山は気持ちよい。30分ほど歩くと、下りなのに岩場を再び、上る地点に着く。これは仙丈ヶ岳の登山ルートで一番の難所であろう。とはいえ、前日の甲斐駒ヶ岳の岩場に比べれば大したことはない。大滝頭に戻ったのは12時30分。10分ほどコースタイムよりかは遅い。そして、北沢峠に到着したのは14時15分。これもコースタイムよりは遅いが休憩時間等を考えれば妥当か。前日の甲斐駒ヶ岳とは違い、比較的、疲労を蓄積せずに降りてくることができた。休憩時間に太股を入念にマッサージした効果があったのかもしれない。
【樹林帯の隙間から北岳の雄姿を望む】
【樹林帯を過ぎ、振り返ると甲斐駒ヶ岳の雄壮たる山容が望める】
【この登山道から見る富士山は猫耳をしているようだ】
【仙丈ヶ岳の見事なカール】
【登山道からは山頂に近づくまで見えなかった西側のカール】
【山頂の標識】
【富士山、北岳の標高1位、2位が揃ってみえる百名山はここ仙丈ヶ岳だけ】
【帰路はほぼ甲斐駒ヶ岳に見守られながらの下山となる】
<小仙丈コース>
登山道整備度 ★★★★☆ しっかりと整備されている。ただ、小仙丈ヶ岳の後にある岩場は、多少歩きにくい。もう少し整備してもらえると有り難い。
岩場度 ★☆☆☆☆ 岩場らしい岩場は、小仙丈ヶ岳のちょっと先にあるところだけ。この岩場は標高を下げるので意気を損なうのと、下り時に足場が見えないところがあるので注意は必要だ。
登山道ぬかるみ度 ☆☆☆☆☆ 秋晴れで天候がよかったということもあるかもしれないが、ぬかるみ度はゼロ。とはいえ、霜柱が立っており、これが溶けると多少、滑りやすくなるかもしれない。
登山道笹度 ☆☆☆☆☆ 笹はない。
虫うっとうしい度 ☆☆☆☆☆ 秋ということもあり、ほぼゼロ。
展望度 ★★★★★ 天気がよかったということもあるが、山頂からはそれこそ40座以上の百名山が展望できるぐらいの素晴らしさ。
駐車場アクセス度 ★★★★★ 駐車場へのアクセスは問題はない。ただし、アプローチは遠い。
トイレ充実度 ★★☆☆☆ (コース沿いにはないが、仙丈小屋に行けばある)
下山後の温泉充実度 ★★★★☆ (仙流荘の温泉は相当、評価できる)
安全度 ★☆☆☆☆ ほとんど難所はない。唯一、岩場が多少、注意を要するぐらい
さて、仙丈ヶ岳の登山ルートだが、しばらくは樹林帯の中を歩いて行く。環境は甲斐駒ヶ岳と同じだが、逆光の中、歩いて行く甲斐駒ヶ岳の方が朝の光は綺麗に見えるような気がする。いや、昨日、見たので感動が薄れているだけかもしれないが。多少の斜度はあるが、快適な登山道で高さを稼いでいく。大滝頭に着いたのが7時45分。ほぼコースタイム通りだ。ここからは坂が随分と急になる。そして、ここを踏ん張ると六合目につき、ここからは森林限界より高く、素晴らしい絶景の中、歩いて行くこととなる。富士山と北岳というナンバーワン、ツーのコンビを左手に見つつ、山頂を目指す。小仙丈ヶ岳の分岐点に着いたのは9時ちょうど。帰りのバスのこともあるので、ここは少しでも山頂に近づきたいので小仙丈ヶ岳はパスをする。途中、岩場的なところもあるが、前日の甲斐駒ヶ岳に比べれば前々、大したことはない。そんなに苦労せずに越えていくが、下りの岩場を降りる時はちょっと落胆させられる。標高を稼ぐために頑張っているのに、ここで無駄にするのか、という怒りにも似た気持ちにさせられる。しかし、その気持ちを抑え、山頂へと向かう。ここからは仙丈ヶ岳の見事なカール地形を望みながらの登山だ。尾根の登山道は本当、楽しいし、登山の楽しみを満喫できる。
仙丈小屋へのルートとの分岐点に着いたのが10時。そして山頂に到着したのは10時30分。北沢峠から4時間45分で着いた。前日の甲斐駒ヶ岳と違い、それほどコースタイムとはずれがない。改めて自分が岩場に弱いことを確認する。山頂からの展望は、前日の甲斐駒ヶ岳と同様に大絶景である。白山、御岳、木曽駒ヶ岳、空木岳、恵那山、塩見岳、鳳凰三山、北岳、富士山、金峰山、瑞牆山、甲武信ヶ岳、浅間山、妙高山、火打山、槍ヶ岳、白馬岳、常念岳、乗鞍岳・・・。これは天下の絶景かもしれない。
さてバスの時間が気になるので、11時には山頂を後にする。目の前に屹立する甲斐駒ヶ岳を眺めながらの下山は気持ちよい。30分ほど歩くと、下りなのに岩場を再び、上る地点に着く。これは仙丈ヶ岳の登山ルートで一番の難所であろう。とはいえ、前日の甲斐駒ヶ岳の岩場に比べれば大したことはない。大滝頭に戻ったのは12時30分。10分ほどコースタイムよりかは遅い。そして、北沢峠に到着したのは14時15分。これもコースタイムよりは遅いが休憩時間等を考えれば妥当か。前日の甲斐駒ヶ岳とは違い、比較的、疲労を蓄積せずに降りてくることができた。休憩時間に太股を入念にマッサージした効果があったのかもしれない。
【樹林帯の隙間から北岳の雄姿を望む】
【樹林帯を過ぎ、振り返ると甲斐駒ヶ岳の雄壮たる山容が望める】
【この登山道から見る富士山は猫耳をしているようだ】
【仙丈ヶ岳の見事なカール】
【登山道からは山頂に近づくまで見えなかった西側のカール】
【山頂の標識】
【富士山、北岳の標高1位、2位が揃ってみえる百名山はここ仙丈ヶ岳だけ】
【帰路はほぼ甲斐駒ヶ岳に見守られながらの下山となる】
<小仙丈コース>
登山道整備度 ★★★★☆ しっかりと整備されている。ただ、小仙丈ヶ岳の後にある岩場は、多少歩きにくい。もう少し整備してもらえると有り難い。
岩場度 ★☆☆☆☆ 岩場らしい岩場は、小仙丈ヶ岳のちょっと先にあるところだけ。この岩場は標高を下げるので意気を損なうのと、下り時に足場が見えないところがあるので注意は必要だ。
登山道ぬかるみ度 ☆☆☆☆☆ 秋晴れで天候がよかったということもあるかもしれないが、ぬかるみ度はゼロ。とはいえ、霜柱が立っており、これが溶けると多少、滑りやすくなるかもしれない。
登山道笹度 ☆☆☆☆☆ 笹はない。
虫うっとうしい度 ☆☆☆☆☆ 秋ということもあり、ほぼゼロ。
展望度 ★★★★★ 天気がよかったということもあるが、山頂からはそれこそ40座以上の百名山が展望できるぐらいの素晴らしさ。
駐車場アクセス度 ★★★★★ 駐車場へのアクセスは問題はない。ただし、アプローチは遠い。
トイレ充実度 ★★☆☆☆ (コース沿いにはないが、仙丈小屋に行けばある)
下山後の温泉充実度 ★★★★☆ (仙流荘の温泉は相当、評価できる)
安全度 ★☆☆☆☆ ほとんど難所はない。唯一、岩場が多少、注意を要するぐらい
甲斐駒ヶ岳(百名山63座登頂) [日本百名山]
甲斐駒ヶ岳にチャレンジする。実は甲斐駒ヶ岳は13年前の2011年10月にチャレンジしたことがある。ちょうど登山を開始した年で、百名山的にも3座目の挑戦であった。そこで、見事に挫折する。双児山から駒津峰までのレキで太股が悲鳴を上げ、痙攣をし始め、その後、だましだまし登ったが駒津峰の先で断念したのである。その顛末は以前もこのブログに記したことがあるが、今、読み返すと、自分の山への姿勢の甘さを痛感する。この登山の失敗を機に、それ以降、タイツとストックを常備するようになる。
https://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2011-10-13
さて、それ以降、いつかはリベンジをしようと思っていたうちに、随分と月日が経ってしまった。40代だった自分は60代になってしまった。甲斐駒ヶ岳はアクセスに優れているのだが、どうせ行くなら仙丈ヶ岳も登りたいと考え、そうすると二泊は必須だな、ということでなかなか機会をつくれずにいたのだが、遂にその機会はやってきた。前泊したのは、前回
と同じ仙流荘である。仙流荘には夕方入り、夕食も取った。夕食は地のものを中心にコストに見合う素晴らしいものであった。ここは温泉も素晴らしく、なおかつサービスもよく、快適な一夜を過ごすことができた。ただ2時前に目が覚めてしまい、5時間ぐらいの睡眠で挑戦することになってしまったのは後で考えると失敗だった。
朝食はおにぎりに代えてもらい、始発の6時発のバスに乗る。北沢峠に着いたのは6時50分。北沢峠にあるこもれび山荘に荷物を置いて、7時には双児山ルートを登りはじめる。朝焼けの中、針葉樹林帯の中を歩くこの登山道は本当に素晴らしい。その静謐で凜とした厳かなこの山の生態系は、自然に対して畏れにも近い感情を喚起させる。こういう経験をすると、原子力発電所を稼働しようと人は思わなくなると登りながら考えたりもした。この素晴らしい世界を壊す可能性のある危険性を伴うものを進めることの愚かさを、甲斐駒ヶ岳の針葉樹林は我々に教えてくれる。
さて、しかし、この登山道は、なかなか傾斜はきつい。この日は3度ぐらいの気温であったのだが、身体は温まり、すぐにフリースを脱ぎ、涼しい格好で歩くことにする。13年前と同じ轍を踏まないよう、ゆっくりとした一定のペースで登っていく。たまに木々の間から見える甲斐駒ヶ岳の雄姿が気持ちを鼓舞する。また、この日は伊那盆地方面に広大な雲海が広がり、その美しい景観にも息を呑むような感動を覚える。しばらくすると森林限界を越え、周りの木々はダケカンバやナナカマドなどになる。四合目である双児山に着いたのが9時10分。まあ、ほぼコースタイム通り。ここからは、結構、下る。せっかく苦労した稼いだ高度を失うのは、地味な仕事で苦労して稼いだお金を無益に散財するような気分にさせられる。この区間は展望もあまり得られない。そして、その後に以前、私の太股が参ってしまったレキの急坂。しかし、今回はなんでこんなとこで太股が悲鳴をあげたのか分からないほど、負担を感じず登り切ることができた。年齢は重ねてしまったが、あれ以降、60座以上の百名山を登ったので、それなりに体力と登るための知恵がついてきたのかもしれない。この登山道の両脇は灌木なので、周囲の雄大な景色を楽しめるので、登山の楽しみを満喫できる。前衛峰の駒津峰に到着したのが、10時10分。ここはコースタイムより随分と時間がかかった(ほぼ2倍)。以前、ここで挫折したので慎重に登りすぎてしまったかもしれない。前回、訪れた時もそうだったが今日も素晴らしい天候で、この駒津峰からは甲斐駒ヶ岳や仙丈ヶ岳、北岳、鳳凰三山などの見事な展望を得ることができる。
この駒津峰からはしばらく岩の稜線。私は、この岩は登りも下りも苦手である。ストックを取り外して、両手を使い、慎重に行く。チェーンやロープも結構設置されている。最近の運動不足に加え、標高が高いこと、睡眠も不足していることもあり、体力の消耗が激しく、くらくらしながらの登山となってしまった。そのため直登ルートとの分岐点に着いたのは11時。大幅な遅れである。そこから巻き道ルートを取り、砂礫の斜面をトラバースし、花崗岩の白砂の斜面をひたすら登っていく。この白砂が、遠方から甲斐駒ヶ岳をみると雪のようにみえる招待なのだな、と思いつつ、結構な急斜面はほとんど岩のぼりに近い。息を切らせながら一歩、一歩、高度を稼いでいく。山頂に着いたのは12時20分。駒津峰から山頂までのコースタイムは90分なのだが、私は130分もかかってしまった。とはいえ、前回は登ることもできなかったので這々の体ではあるが、どうにか登れたことは喜びである。また、天候は一年に数回あるかどうかの素晴らしい快晴。おそらくこの日は、ここから40以上の百名山が展望できたのではないかと思われる。
さて、名残惜しいが、こもれび山荘に16時までに戻らなくてはならないので、そそくさと昼ご飯を食べて12時40分には帰路につく。結構、ひざのグリップ力が弱まっているので、下りが登りと同じぐらい厳しい。転ばないように気をつけながら下山したので時間がかかる。駒津峰に戻ったのが14時20分。1時間のコースタイムに1時間40分かかってしまっている。さらにそこから仙水峠へと下りる。この仙水峠ルートは1キロメートルの間に500メートルを下るという急降下な道である。足がヘロヘロになっているうえ、木の根っこと岩が足をさらうので結果、注意深くなってしまい、時間がかかる。とはいえ、途中、岩に滑り、横転。右手の岩に打つが、その際、身体を支えたストックが破損する。同行した友人のストックを借りたが、結構、体力の限界に近いような状態だ。仙水峠に着いたのは15時40分。このコースタイムも1時間だったので20分(33%)も余計にかかっている。これはもう16時にこもれび山荘に到着するのは不可能である。こもれび山荘に遅れることの電話を入れようとしたのだが繋がらないので、友人が先に宿に急ぎ、私はマイペースで降りていくこととする。この仙水峠から仙水小屋のルートは巨大な花崗岩が転がっているところを歩いていくのだが、歩きにくいことこの上ない。この岩歩きが抜けると、登山道はぐっと歩きやすくなり仙水小屋からは一部、ロープを使って降りるようなところもあるが、それほど難はなく、こもれび山荘には夕御飯開始の17時ぎりぎりに戻ることができた。
どうにか13年前のリベンジは果たせたが、そのリベンジは結構、満身創痍にさせられた。コースタイミは7時間20分。休憩時間を入れても8時間20分ぐらいで往復することが望ましいところ10時間。今後、登山ができるのか不安を覚えさせるような山行となってしまった。
【美しい針葉樹林帯の中を登山道は上っていく】
【見事な雲海が展開している】
【甲斐駒ヶ岳の見事な雄姿を見ながら高さを稼いでいく】
【駒津峰へと続くレキの登り道】
【駒津峰からみる甲斐駒ヶ岳】
【駒津峰からは鎖のあるような岩場のアップダウンの繰り返し】
【山頂手前は花崗岩の砂場の急登を上っていく】
【山頂からの鳳凰三山の見事な展望】
【仙丈ヶ岳の優美な姿も展望できる】
【遠く、乗鞍岳、北アルプスの秀峰も屏風のようにみえる】
【花崗岩の砂場は降りる時にも筋肉を疲労させる】
【仙水峠は巨大な岩場がゴロゴロと転がっているような異様な場所である】
<双児山コース>
登山道整備度 ★★★★☆ しっかりと整備されているかと思うが、駒津峰からの岩歩きのところ、さらには山頂周辺の岩のぼりのところは、もう少し整備してもらえると有り難い。
岩場度 ★★★★☆ 駒津峰から山頂まではずっと岩場。特に駒津峰から登山ルート分岐点までの岩場は、アップダウンの不毛な繰り返しで私のように岩場が苦手な人には鬼門であろう。また、性格は異なるが山頂への花崗岩の砂場は滑りやすく、その斜度の大きさなどから決して楽ではない。
登山道ぬかるみ度 ☆☆☆☆☆ 秋晴れで天候がよかったということもあるかもしれないが、ぬかるみ度はゼロ。これは、仙水峠コースが序盤にぬかるみの道があるのとは極めて対照的である。
登山道笹度 ☆☆☆☆☆ 笹がないことは、甲斐駒ヶ岳の登山の優れたところであるかと思われる。
虫うっとうしい度 ★☆☆☆☆ 秋ということもあり、ゼロではないがほとんど気にならない。
展望度 ★★★★★ 天気がよかったということもあるが、山頂からはそれこそ40座以上の百名山が展望できるぐらいの素晴らしさ。この展望に勝る山は滅多にないのでは。
駐車場アクセス度 ★★★★★ 駐車場へのアクセスは問題はない。ただし、アプローチは遠い。
トイレ充実度 ★★☆☆☆ (コース沿いには多少ある)
下山後の温泉充実度 ★★★★☆ (仙流荘の温泉は相当、評価できる)
安全度 ★★★☆☆ 駒津峰までは難所はない。ただ、駒津峰から先は慎重さが求められる。
https://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2011-10-13
さて、それ以降、いつかはリベンジをしようと思っていたうちに、随分と月日が経ってしまった。40代だった自分は60代になってしまった。甲斐駒ヶ岳はアクセスに優れているのだが、どうせ行くなら仙丈ヶ岳も登りたいと考え、そうすると二泊は必須だな、ということでなかなか機会をつくれずにいたのだが、遂にその機会はやってきた。前泊したのは、前回
と同じ仙流荘である。仙流荘には夕方入り、夕食も取った。夕食は地のものを中心にコストに見合う素晴らしいものであった。ここは温泉も素晴らしく、なおかつサービスもよく、快適な一夜を過ごすことができた。ただ2時前に目が覚めてしまい、5時間ぐらいの睡眠で挑戦することになってしまったのは後で考えると失敗だった。
朝食はおにぎりに代えてもらい、始発の6時発のバスに乗る。北沢峠に着いたのは6時50分。北沢峠にあるこもれび山荘に荷物を置いて、7時には双児山ルートを登りはじめる。朝焼けの中、針葉樹林帯の中を歩くこの登山道は本当に素晴らしい。その静謐で凜とした厳かなこの山の生態系は、自然に対して畏れにも近い感情を喚起させる。こういう経験をすると、原子力発電所を稼働しようと人は思わなくなると登りながら考えたりもした。この素晴らしい世界を壊す可能性のある危険性を伴うものを進めることの愚かさを、甲斐駒ヶ岳の針葉樹林は我々に教えてくれる。
さて、しかし、この登山道は、なかなか傾斜はきつい。この日は3度ぐらいの気温であったのだが、身体は温まり、すぐにフリースを脱ぎ、涼しい格好で歩くことにする。13年前と同じ轍を踏まないよう、ゆっくりとした一定のペースで登っていく。たまに木々の間から見える甲斐駒ヶ岳の雄姿が気持ちを鼓舞する。また、この日は伊那盆地方面に広大な雲海が広がり、その美しい景観にも息を呑むような感動を覚える。しばらくすると森林限界を越え、周りの木々はダケカンバやナナカマドなどになる。四合目である双児山に着いたのが9時10分。まあ、ほぼコースタイム通り。ここからは、結構、下る。せっかく苦労した稼いだ高度を失うのは、地味な仕事で苦労して稼いだお金を無益に散財するような気分にさせられる。この区間は展望もあまり得られない。そして、その後に以前、私の太股が参ってしまったレキの急坂。しかし、今回はなんでこんなとこで太股が悲鳴をあげたのか分からないほど、負担を感じず登り切ることができた。年齢は重ねてしまったが、あれ以降、60座以上の百名山を登ったので、それなりに体力と登るための知恵がついてきたのかもしれない。この登山道の両脇は灌木なので、周囲の雄大な景色を楽しめるので、登山の楽しみを満喫できる。前衛峰の駒津峰に到着したのが、10時10分。ここはコースタイムより随分と時間がかかった(ほぼ2倍)。以前、ここで挫折したので慎重に登りすぎてしまったかもしれない。前回、訪れた時もそうだったが今日も素晴らしい天候で、この駒津峰からは甲斐駒ヶ岳や仙丈ヶ岳、北岳、鳳凰三山などの見事な展望を得ることができる。
この駒津峰からはしばらく岩の稜線。私は、この岩は登りも下りも苦手である。ストックを取り外して、両手を使い、慎重に行く。チェーンやロープも結構設置されている。最近の運動不足に加え、標高が高いこと、睡眠も不足していることもあり、体力の消耗が激しく、くらくらしながらの登山となってしまった。そのため直登ルートとの分岐点に着いたのは11時。大幅な遅れである。そこから巻き道ルートを取り、砂礫の斜面をトラバースし、花崗岩の白砂の斜面をひたすら登っていく。この白砂が、遠方から甲斐駒ヶ岳をみると雪のようにみえる招待なのだな、と思いつつ、結構な急斜面はほとんど岩のぼりに近い。息を切らせながら一歩、一歩、高度を稼いでいく。山頂に着いたのは12時20分。駒津峰から山頂までのコースタイムは90分なのだが、私は130分もかかってしまった。とはいえ、前回は登ることもできなかったので這々の体ではあるが、どうにか登れたことは喜びである。また、天候は一年に数回あるかどうかの素晴らしい快晴。おそらくこの日は、ここから40以上の百名山が展望できたのではないかと思われる。
さて、名残惜しいが、こもれび山荘に16時までに戻らなくてはならないので、そそくさと昼ご飯を食べて12時40分には帰路につく。結構、ひざのグリップ力が弱まっているので、下りが登りと同じぐらい厳しい。転ばないように気をつけながら下山したので時間がかかる。駒津峰に戻ったのが14時20分。1時間のコースタイムに1時間40分かかってしまっている。さらにそこから仙水峠へと下りる。この仙水峠ルートは1キロメートルの間に500メートルを下るという急降下な道である。足がヘロヘロになっているうえ、木の根っこと岩が足をさらうので結果、注意深くなってしまい、時間がかかる。とはいえ、途中、岩に滑り、横転。右手の岩に打つが、その際、身体を支えたストックが破損する。同行した友人のストックを借りたが、結構、体力の限界に近いような状態だ。仙水峠に着いたのは15時40分。このコースタイムも1時間だったので20分(33%)も余計にかかっている。これはもう16時にこもれび山荘に到着するのは不可能である。こもれび山荘に遅れることの電話を入れようとしたのだが繋がらないので、友人が先に宿に急ぎ、私はマイペースで降りていくこととする。この仙水峠から仙水小屋のルートは巨大な花崗岩が転がっているところを歩いていくのだが、歩きにくいことこの上ない。この岩歩きが抜けると、登山道はぐっと歩きやすくなり仙水小屋からは一部、ロープを使って降りるようなところもあるが、それほど難はなく、こもれび山荘には夕御飯開始の17時ぎりぎりに戻ることができた。
どうにか13年前のリベンジは果たせたが、そのリベンジは結構、満身創痍にさせられた。コースタイミは7時間20分。休憩時間を入れても8時間20分ぐらいで往復することが望ましいところ10時間。今後、登山ができるのか不安を覚えさせるような山行となってしまった。
【美しい針葉樹林帯の中を登山道は上っていく】
【見事な雲海が展開している】
【甲斐駒ヶ岳の見事な雄姿を見ながら高さを稼いでいく】
【駒津峰へと続くレキの登り道】
【駒津峰からみる甲斐駒ヶ岳】
【駒津峰からは鎖のあるような岩場のアップダウンの繰り返し】
【山頂手前は花崗岩の砂場の急登を上っていく】
【山頂からの鳳凰三山の見事な展望】
【仙丈ヶ岳の優美な姿も展望できる】
【遠く、乗鞍岳、北アルプスの秀峰も屏風のようにみえる】
【花崗岩の砂場は降りる時にも筋肉を疲労させる】
【仙水峠は巨大な岩場がゴロゴロと転がっているような異様な場所である】
<双児山コース>
登山道整備度 ★★★★☆ しっかりと整備されているかと思うが、駒津峰からの岩歩きのところ、さらには山頂周辺の岩のぼりのところは、もう少し整備してもらえると有り難い。
岩場度 ★★★★☆ 駒津峰から山頂まではずっと岩場。特に駒津峰から登山ルート分岐点までの岩場は、アップダウンの不毛な繰り返しで私のように岩場が苦手な人には鬼門であろう。また、性格は異なるが山頂への花崗岩の砂場は滑りやすく、その斜度の大きさなどから決して楽ではない。
登山道ぬかるみ度 ☆☆☆☆☆ 秋晴れで天候がよかったということもあるかもしれないが、ぬかるみ度はゼロ。これは、仙水峠コースが序盤にぬかるみの道があるのとは極めて対照的である。
登山道笹度 ☆☆☆☆☆ 笹がないことは、甲斐駒ヶ岳の登山の優れたところであるかと思われる。
虫うっとうしい度 ★☆☆☆☆ 秋ということもあり、ゼロではないがほとんど気にならない。
展望度 ★★★★★ 天気がよかったということもあるが、山頂からはそれこそ40座以上の百名山が展望できるぐらいの素晴らしさ。この展望に勝る山は滅多にないのでは。
駐車場アクセス度 ★★★★★ 駐車場へのアクセスは問題はない。ただし、アプローチは遠い。
トイレ充実度 ★★☆☆☆ (コース沿いには多少ある)
下山後の温泉充実度 ★★★★☆ (仙流荘の温泉は相当、評価できる)
安全度 ★★★☆☆ 駒津峰までは難所はない。ただ、駒津峰から先は慎重さが求められる。
ガソリン代は地域によって随分と違う [その他]
東京から京都まで自動車で移動した。ガソリンが多少、不足していたので、途中で入れようと思っていた。まず静岡県の磐田インターのそばのガソリン・スタンドで入れようとしたら1リットル187円(ハイオク)であった。これは安いかもな、と思って入ろうと考えたが、道路が渋滞しており右折が難しかったので諦めた。その後、昼食を取るために下りた四日市のガソリン・スタンドでは171円と随分と安かったので、ここで入れた。さて、新名神の土山サービスエリアのガソリン・スタンドはなんと207円であった。ということで、随分と地域・場所によってガソリン代が違うことが分かった。無頓着で土山サービスエリアのガソリン・スタンドで入れたら1リットルあたり36円違う。私は35リットルぐらい入れたので、1260円も違うことになる。全額で6000円ぐらい支払ったので、これは20%ぐらいの差である。なかなかの差だ。もちろん、高速道路のサービスエリアが高いことは知っていたが、こんなに違うとは驚きだし、また磐田と四日市でも560円違うので、1割ぐらいは違う。まあ、少なくともよほどのことがない限りは高速道路のサービスエリアで入れない方がいいことを知ると同時に、地域差もある程度、把握しておくといいかもしれないな、と思ったりもした。
タグ:ガソリン代
高名な中華系アメリカ人ジャーナリスト、コニー・チャンから名前を取った日系人も多い [グローバルな問題]
コニー・チャンは私ぐらいの年齢(1963年生まれ)だと、アメリカのニュース・アンカーとして非常によく知られていたジャーナリストである。彼女は、女性としてはバーバラ・ウォルターに次いで二番目の、そしてアジア人(男性を含めて)としては初めてのメジャー局でのニュース・アンカーを務めた。1946年にワシントンDCで生まれたが、10人兄弟の末っ子で、彼女以外はアメリカ外で生まれている。彼女の父親は台湾政府のスパイであった。
アメリカにおけるアジア系はほとんどマスコミに出ず、隠れた存在であったが、そのような状況をコニー・チャンは切り開いていった。そして、それは多くの中国系アメリカ人に勇気をもたらし、多くの赤ん坊は、彼女にあやかるようにコニーという名前をつけられた。しかし、それは中国系アメリカ人だけではなく、韓国系アメリカ人や日系アメリカ人もそうであった。この事実はコニー・チャンのテレビでの活躍は、中国系アメリカ人だけでなく、日系アメリカ人にも勇気をもらったことを示唆している。日本では、中国人を嫌いな人が結構、多くいるが、世界の中でみればもっとも近い人達である。そのような近い人が、アメリカ合衆国という人種の坩堝の中で活躍しているのは、隣人である日系人にとってもとても有り難いことだったのであろう。アメリカ人で日本人は好きだけど中国人は嫌い、といったような意見を持っている人はほとんどいない。これは、スウェーデン人は嫌いだけどデンマーク人は好き、というようなもので、よほどその国や国民を知っていたらそういう意見も出てくるだろうが、ほとんど同じように捉えられている。それは、それで困ったものだな、と思ったりもするが、そのような十把一絡げで括られる側としては、その同朋として括られる側の人間が活躍してくれるのは、自分たちの見られ方も変わる(実際、そういう効果は高いと思われる)ことで嬉しくなるという気持ちはよく分かる。
似たような現象は、イチローが活躍した時、多くの中国系アメリカ人や韓国系アメリカン人も応援していたことでもみられた。
何が言いたいかというと、アメリカ人だけでなく世界からみれば、日本、中国、韓国はみな同じようなものであり、これら東アジアの国民を差別する側からすると(日本人は差別されますよ!このことを分かっていない日本人は多いですが!!)、中国はダメだけど日本は大丈夫みたいに区分することはないです。そもそも、3つの国があることも分かっている人は少ないかもしれない。細かい点では、領土問題など難しい対立点もあるかとは思うが、地球規模でみた場合は、上手く一緒にやっていくべき国々である。ヨーロッパもようやくそういうことが理解して欧州連合がつくられたが、東アジアもそういう動きがあって然るべきである。ということを、コニー・チャンにあやかってコニーという名前をつけた韓国系アメリカ人、日系アメリカ人が多いというニュースを知り、改めて確証した。
参考資料:
https://time.com/7021522/connie-name-asian-americans/
アメリカにおけるアジア系はほとんどマスコミに出ず、隠れた存在であったが、そのような状況をコニー・チャンは切り開いていった。そして、それは多くの中国系アメリカ人に勇気をもたらし、多くの赤ん坊は、彼女にあやかるようにコニーという名前をつけられた。しかし、それは中国系アメリカ人だけではなく、韓国系アメリカ人や日系アメリカ人もそうであった。この事実はコニー・チャンのテレビでの活躍は、中国系アメリカ人だけでなく、日系アメリカ人にも勇気をもらったことを示唆している。日本では、中国人を嫌いな人が結構、多くいるが、世界の中でみればもっとも近い人達である。そのような近い人が、アメリカ合衆国という人種の坩堝の中で活躍しているのは、隣人である日系人にとってもとても有り難いことだったのであろう。アメリカ人で日本人は好きだけど中国人は嫌い、といったような意見を持っている人はほとんどいない。これは、スウェーデン人は嫌いだけどデンマーク人は好き、というようなもので、よほどその国や国民を知っていたらそういう意見も出てくるだろうが、ほとんど同じように捉えられている。それは、それで困ったものだな、と思ったりもするが、そのような十把一絡げで括られる側としては、その同朋として括られる側の人間が活躍してくれるのは、自分たちの見られ方も変わる(実際、そういう効果は高いと思われる)ことで嬉しくなるという気持ちはよく分かる。
似たような現象は、イチローが活躍した時、多くの中国系アメリカ人や韓国系アメリカン人も応援していたことでもみられた。
何が言いたいかというと、アメリカ人だけでなく世界からみれば、日本、中国、韓国はみな同じようなものであり、これら東アジアの国民を差別する側からすると(日本人は差別されますよ!このことを分かっていない日本人は多いですが!!)、中国はダメだけど日本は大丈夫みたいに区分することはないです。そもそも、3つの国があることも分かっている人は少ないかもしれない。細かい点では、領土問題など難しい対立点もあるかとは思うが、地球規模でみた場合は、上手く一緒にやっていくべき国々である。ヨーロッパもようやくそういうことが理解して欧州連合がつくられたが、東アジアもそういう動きがあって然るべきである。ということを、コニー・チャンにあやかってコニーという名前をつけた韓国系アメリカ人、日系アメリカ人が多いというニュースを知り、改めて確証した。
参考資料:
https://time.com/7021522/connie-name-asian-americans/
タグ:コニー・チャン
舌足らずに関しての簡単な分析 [その他]
先日、ソフトバンクのコール・サービスで商品の説明を受けたのだが、相手の女性が舌足らずで何を言っているのか極めて分かりにくく、何回も聞き直すことになってしまった。自分の耳が悪いのかな、と思っていたりしたのだが、今日、ある解説ユーチューブを見ていたら、やはり舌足らずの人がナレーションをしていたので、ここで何が聞きにくくしたのか、気づいたことを箇条書きしたいと思う。
まず、全般的に気づいたことは、せつぞくの「つ」、「できるのか」の「る」、「必要なのか」の「の」、「べんりにしたり」の「り」、「押したり」の「り」などが明瞭に発音されないので、極めて聞きにくいことである。そこで、これらをさらに分類して整理してみたい。
1)ラリルレロの発音が英語でのLにすべきところをRで発音している。
例えば「できるのか」はほとんど「できうのか」と聞こえる。「押したり」は「おしたい」、「べんりにしたい」は「べんいにしたい」と聞こえる。これはローマ字で書くとDekirunoka、Oshitari, Benrinishitariのrの発音が、英語的なrで発音されているとも言える。そのように考えると、この舌足らずな人は英語やスペイン語のrの発音が上手なのかもしれないな、と思ったりもするが、日本語だと聞きづらいこと顕著である。
・ツをッとして発音している。
例えば「せつぞく」は「せっぞく」とつが聞こえなくなるのだが、おそらくこの人は「はつもうで」、「たつのおとしご」なども「はっもうで」「たっのおとしご」と発音するような気がする。これをローマ字で書くとSetsuzokuをSettzokuと発音しているような感じであろうか。
・ノがNOではなくて、Nになってしまっている。
例えば「必要なのか」は「必要なんか」と聞こえる。これもローマ字で書くとHitsuyounanoka をHitsuyounankaとoを省いて発音しているようなものなのかもしれない。
・ワのWの子音がしっかりと発音されない。
例えば「スワイプ」が「すあいぷ」とも聞こえる。ワの発音がしっかりとしていない。
今回は非常に簡単な分析を試みているのだが、1)ラリルレロをしっかりと発音していない、2)ツをいわゆる小さいッとして発音してしまう、3)「の」を「ん」と発音してしまう、ことなどが極めて言っていることを分かりにくくしまっていることが分かった。コール・サービスやユーチューバーにとっては、これは致命的であるので、自分が何を言っているのか分からないと指摘されたら、上記を参考にしてもらえればと思う。私もこれらの例を他山の石として、しっかりと分かりやすく発音をしようと思う。
まず、全般的に気づいたことは、せつぞくの「つ」、「できるのか」の「る」、「必要なのか」の「の」、「べんりにしたり」の「り」、「押したり」の「り」などが明瞭に発音されないので、極めて聞きにくいことである。そこで、これらをさらに分類して整理してみたい。
1)ラリルレロの発音が英語でのLにすべきところをRで発音している。
例えば「できるのか」はほとんど「できうのか」と聞こえる。「押したり」は「おしたい」、「べんりにしたい」は「べんいにしたい」と聞こえる。これはローマ字で書くとDekirunoka、Oshitari, Benrinishitariのrの発音が、英語的なrで発音されているとも言える。そのように考えると、この舌足らずな人は英語やスペイン語のrの発音が上手なのかもしれないな、と思ったりもするが、日本語だと聞きづらいこと顕著である。
・ツをッとして発音している。
例えば「せつぞく」は「せっぞく」とつが聞こえなくなるのだが、おそらくこの人は「はつもうで」、「たつのおとしご」なども「はっもうで」「たっのおとしご」と発音するような気がする。これをローマ字で書くとSetsuzokuをSettzokuと発音しているような感じであろうか。
・ノがNOではなくて、Nになってしまっている。
例えば「必要なのか」は「必要なんか」と聞こえる。これもローマ字で書くとHitsuyounanoka をHitsuyounankaとoを省いて発音しているようなものなのかもしれない。
・ワのWの子音がしっかりと発音されない。
例えば「スワイプ」が「すあいぷ」とも聞こえる。ワの発音がしっかりとしていない。
今回は非常に簡単な分析を試みているのだが、1)ラリルレロをしっかりと発音していない、2)ツをいわゆる小さいッとして発音してしまう、3)「の」を「ん」と発音してしまう、ことなどが極めて言っていることを分かりにくくしまっていることが分かった。コール・サービスやユーチューバーにとっては、これは致命的であるので、自分が何を言っているのか分からないと指摘されたら、上記を参考にしてもらえればと思う。私もこれらの例を他山の石として、しっかりと分かりやすく発音をしようと思う。
タグ:舌足らず
カマラ・ハリスの仕事観が素晴らしい [グローバルな問題]
カマラ・ハリスに結構、関心を持っている。素晴らしい人物であり、ジョー・バイデンといい、ヒラリー・クリントンといい、バラック・オバマといいアメリカという国は、いろいろな問題を擁している国であるなとは思うが、超一流の政治家を出す土壌を有している点では日本とはまったく異なる一流国である。
さて、そのカマラ・ハリスの仕事観が素晴らしい。よく集会で口にする「Hard Work is a Good Work」からも分かるように、勤勉であることを美徳としているし、きつい仕事はよい仕事という考え方は素晴らしいなと思う。日本の働き方改革と真逆の主張である。
そして、彼女は取材でアメリカ人の優れた点として「労働倫理」と「重労働を厭わぬこと」を挙げた。この点は日本人も負けてないと思うのだが、そのような価値観を有していることはとても共感が持てる。日本人も勤勉性が美徳であった。私はドイツに住んで、その勤勉でない人々と一年近く暮らして、ほとほと嫌になったので、日本に戻ってきて本当、幸せだなと思う。皆がしっかりと仕事をして、その結果、どんどんと仕事が進んでいく。まあ、政治家がアホなので、この勤勉が相当、無駄になってしまっているということはあるかもしれないが、それでも個人レベルではサクサクと仕事が進んでいくのは本当、有り難い。そして、アメリカのリーダー候補でもあるカマラ・ハリスがそのような仕事観を有しているのは嬉しいと心から感じる。
さて、そのカマラ・ハリスの仕事観が素晴らしい。よく集会で口にする「Hard Work is a Good Work」からも分かるように、勤勉であることを美徳としているし、きつい仕事はよい仕事という考え方は素晴らしいなと思う。日本の働き方改革と真逆の主張である。
そして、彼女は取材でアメリカ人の優れた点として「労働倫理」と「重労働を厭わぬこと」を挙げた。この点は日本人も負けてないと思うのだが、そのような価値観を有していることはとても共感が持てる。日本人も勤勉性が美徳であった。私はドイツに住んで、その勤勉でない人々と一年近く暮らして、ほとほと嫌になったので、日本に戻ってきて本当、幸せだなと思う。皆がしっかりと仕事をして、その結果、どんどんと仕事が進んでいく。まあ、政治家がアホなので、この勤勉が相当、無駄になってしまっているということはあるかもしれないが、それでも個人レベルではサクサクと仕事が進んでいくのは本当、有り難い。そして、アメリカのリーダー候補でもあるカマラ・ハリスがそのような仕事観を有しているのは嬉しいと心から感じる。
タグ:カマラ・ハリス
スペインでは高齢者は働きたくても働けない [グローバルな問題]
スペインの研究者を招聘して講演会を行った。テーマは「高齢化と都市政策」といった内容のものであった。マドリッドとパリでは都心部で高齢化が進展しているという興味深い内容であった。
さて、いろいろと興味深い内容の中で私の関心を引いたのは、フランスでもスペインでも高齢者は仕事を継続することが非常に難しいということであった。この研究者の祖母はマドリッドでベッド屋を営んでいて、その仕事に誇りと生き甲斐を覚えていた。しかし、65歳になると営業を続けるには役所に申請をしなくてはいけない。非常に営業をすることのハードルが高くなるのだ。彼女は営業許可をもらえたが結局72歳で店の経営を止めた。その後、85歳までは矍鑠としており、92歳で亡くなったそうだ。このように仕事をしたいのにさせない、というのは随分と高齢者に優しくない政策である。いや、おそらく国は、高齢者を早く「辛い」仕事から解放させて年金暮らしをさせることが、高齢者のためになると思っているのであろうが、仕事を「辛い」と捉えるのかどうかは個人の価値観によって異なる。私は日本の高齢者の方がずっと幸せだな、と思ったりした。
それにしても、この仕事を「悪」というヨーロッパの考えは、なんかとてもつまらないなと思う自分がいる。そして、そのように仕事を「悪」と思っている人と仕事をするのもとてもつまらない。仕事を「悪」と思っているような人はバカンスを取ってもつまらないバカンスしか取れないような気がする。仕事はそもそもクリエイティブで、それは自己実現につながる極めて重要な生き甲斐であるべきだと思うし、私が知る限りでは、そのように思っている日本人の方が、少なくともドイツ人より遥かに多い。
さて、いろいろと興味深い内容の中で私の関心を引いたのは、フランスでもスペインでも高齢者は仕事を継続することが非常に難しいということであった。この研究者の祖母はマドリッドでベッド屋を営んでいて、その仕事に誇りと生き甲斐を覚えていた。しかし、65歳になると営業を続けるには役所に申請をしなくてはいけない。非常に営業をすることのハードルが高くなるのだ。彼女は営業許可をもらえたが結局72歳で店の経営を止めた。その後、85歳までは矍鑠としており、92歳で亡くなったそうだ。このように仕事をしたいのにさせない、というのは随分と高齢者に優しくない政策である。いや、おそらく国は、高齢者を早く「辛い」仕事から解放させて年金暮らしをさせることが、高齢者のためになると思っているのであろうが、仕事を「辛い」と捉えるのかどうかは個人の価値観によって異なる。私は日本の高齢者の方がずっと幸せだな、と思ったりした。
それにしても、この仕事を「悪」というヨーロッパの考えは、なんかとてもつまらないなと思う自分がいる。そして、そのように仕事を「悪」と思っている人と仕事をするのもとてもつまらない。仕事を「悪」と思っているような人はバカンスを取ってもつまらないバカンスしか取れないような気がする。仕事はそもそもクリエイティブで、それは自己実現につながる極めて重要な生き甲斐であるべきだと思うし、私が知る限りでは、そのように思っている日本人の方が、少なくともドイツ人より遥かに多い。
燧ヶ岳(百名山62座登頂) [日本百名山]
燧ヶ岳にチャレンジする。百名山チャレンジは1年2ヶ月ぶりである。ドイツに行っていたこともあり、久しぶりの登山である。燧ヶ岳は実は大学生の時に登ったことがある。私は早稲田大学に一年だけ通ったことがあるのだが、その必修科目であるスポーツのコースとしてワンダーフォーゲルを選んだ。そのコースは夏休みに二度、山に登りに行くと単位がもらえるというもので、私は妙高山と火打山、そして燧ヶ岳に登った。その時の記憶は、随分と石だらけのところを登るというものであったが、果たして、それから42年という月日が過ぎても燧ヶ岳の御池登山路は石だらけの難路であった。
前日に尾瀬御池にある御池山荘に泊まり、6時過ぎには山荘を出発した。登山開始は6時15分。御池登山は歩き始めるとすぐ結構の大きさの石だらけの急斜面を登らせられる。これは、下りは随分ときついなとの思い、帰りは沼山峠に抜けようとこの時は考える。55分後の7時10分には広沢田代に着く。この湿原が現れると爽快な気分になる。さて、湿原を過ぎるとまた岩だらけの急斜面が現れる。これは、上りはきついだけでどうにかやり過ごせるが、下りは滑りやすく結構、危険だなと思う。
<御池山荘は山荘とは思えないほど巨大な宿泊施設である。銭湯もついてある>
<登山路はすぐに三条の滝へ行く道と分岐する>
<早速、岩だらけの登山路が目の前に立ちはだかる>
<広沢田代は新しく整備された登山道を歩くので快適だ>
<湿原がこの厳しい登山路に清涼水のような爽やかさをもたらしてくれる>
さて、広沢田代から60分ほど歩き、熊沢田代に出る。これは広大な湿原で、その正面に燧ヶ岳のどっしりとした姿が見える。湿原を歩く時は歩道が設置されているのだが、この歩道が結構、もうぼろぼろで滑りやすいので気をつける必要がある。湿原から緩やかな階段を上っていくのだが、ここで私の大腿筋が若干、悲鳴を上げる。いつもより随分と早い。まあ、久しぶりの登山と、それまでが急斜面であったためであろう。ここで無理をすると、痙攣が始まってしまうので休み、マッサージをし、だましだまし一歩、一歩高さを稼いでいく。何しろ、急坂であるので太股へのプレッシャーも大きい。また、急斜面の熊笹の藪を横切ったりするのだが、その時の道幅が狭い。これは、踏み外すと落ちるぞ、と気を引き締めた瞬間、踏み外して斜面を滑り落ちそうになった。幸い、熊笹をしっかりと掴んだために落ちなかったが、注意をしていても踏み外すぐらい道幅が狭いのと、熊笹に蔽われているので地面の状況が分からない。これは要注意だ。そして、涸れ沢を200メートルは登っていくのだが、これはきついことはきついが、序盤の大きな岩を越えていくよりはまだましだ。
<熊沢田代からは燧ヶ岳が目の前にそびえ立つ。この時は、そんなに登山路が厳しそうに見えなかったのだが・・・>
<熊沢田代からの緩やかの上り階段から湿原を振り返る>
<登山路が整備されているのだが、至るところで壊れていて、また滑りやすいので油断をしないことが重要だ>
<長い涸れ沢をひたすら登っていく>
<ガレ場を横断する時もちょっと滑りそうなので緊張する>
<登山中、振り返ると会津駒ヶ岳の雄姿を望むことができる>
しかし、いつまでもこのような試練も続く訳ではなく、どうにかこうにか俎ぐらの山頂に着くことができた。登り始めてから3時間45分後である。10時ちょうどぐらいに到着した。大腿筋を守りながらの登山であったのでコースタイムより時間はかかった。さて、燧ヶ岳の最高峰は俎ぐらではなく、30分ほどさらに行った柴安ぐら頂上である。しかし、俎ぐらの山頂は凄い勢いで風が吹いており、結構寒く、尾瀬沼方面、柴安ぐら方面の視界はゼロに近い状態である。これは柴安ぐらに行っても何も見えないことから行くのを諦める。いらないであろうと思いつつ、いざという時のことを考えてもってきた防寒用さらに、沼山峠へのルートもこの視界の悪い状態では楽しくないし、また危険であるなと思い、天気は悪くない御池登山路を引き返す。さて、登っていた時に下りは相当、大変だとは思っていたが、実際、下り始めると本当、大変であった。前半のガレはまだ注意をすれば大丈夫であったが、熊沢田代を過ぎた後の岩の急坂、さらに広沢田代を過ぎた後の大岩の急坂は、本当、相当の注意をしないと滑り落ちてしまうので神経がすり減る。それでも、一度は斜めになっていた急坂の階段で滑ってしまい、こけそうになることが一度。そして、岩から滑った時に左手の親指を強打して突き指をしてしまった。いやはや、この下り坂は本当、半端なく厳しい。41年前も大変だったという記憶はあったが、当時は若かったのでもう少し、軽やかに降りられたような気がする。年寄りには非常に厳しい登山路ではないだろうか。どことなく、羊蹄山の登山を彷彿させるが、羊蹄山とは違い、途中、二箇所、湿原を通り抜けるのは救いである。結局、下りも上りと同じぐらいの時間をかけることになってしまい、登山口に着いたのは13時30分であった。この登山ルートは二度と行きたくないな、と思わせるほど厳しいものであった。
俎ぐらの山頂から望む尾瀬沼。暑い雲に蔽われ、ほとんど見えなかったが、ちょっとした隙をついて撮影した写真
<御池コース>
登山道整備度 ★★☆☆☆ 一部、湿原のところは新しい歩道が整備されて歩きやすくなっていたりするが、総じて整備不足である。
岩場度 ★★★★★ 登山直前、それから広沢田代、熊沢田代の間の岩場は、その岩の大きさから行っても相当、歩きにくい。これより凄いところもあるかもしれないが、個人的な感想としては、これがチャレンジをする限界に近い岩場度。
登山道ぬかるみ度 ★★★☆☆ 全般的に登山口から熊沢田代までは相当、ぬかるんでいる。ただ、岩場の方が滑りやすいのと、岩が多いのでぬかるみ自体はそれほど気にならない。
登山道笹度 ★★☆☆☆ 熊沢田代を超えると笹藪を横切る。その際、道が狭いのでくれぐれも滑り落ちないように気をつけることが必要だ。筆者は滑り落ち、熊笹をすばやく掴んだので難を逃れた。
虫うっとうしい度 ★★☆☆☆ 多少、虫はいるが10月だったこともあり、うっとうしくはなかった。
展望度 ★★★☆☆ 天気が悪かったので個人的には、その素晴らしさを確認できなかったが、相当の展望が得られるとの評判。
駐車場アクセス度 ★★★★★ 駐車場へのアクセスは問題はない。ただし、アプローチは遠い。
トイレ充実度 ★☆☆☆☆ (コース沿いにはほとんどない)
下山後の温泉充実度 ★★★★☆ (檜枝岐まで行くと素晴らしい温泉がたくさんある)
安全度 ★☆☆☆☆ 上りはともかく下りは相当、危険。個人的には二度と下りたくない。
前日に尾瀬御池にある御池山荘に泊まり、6時過ぎには山荘を出発した。登山開始は6時15分。御池登山は歩き始めるとすぐ結構の大きさの石だらけの急斜面を登らせられる。これは、下りは随分ときついなとの思い、帰りは沼山峠に抜けようとこの時は考える。55分後の7時10分には広沢田代に着く。この湿原が現れると爽快な気分になる。さて、湿原を過ぎるとまた岩だらけの急斜面が現れる。これは、上りはきついだけでどうにかやり過ごせるが、下りは滑りやすく結構、危険だなと思う。
<御池山荘は山荘とは思えないほど巨大な宿泊施設である。銭湯もついてある>
<登山路はすぐに三条の滝へ行く道と分岐する>
<早速、岩だらけの登山路が目の前に立ちはだかる>
<広沢田代は新しく整備された登山道を歩くので快適だ>
<湿原がこの厳しい登山路に清涼水のような爽やかさをもたらしてくれる>
さて、広沢田代から60分ほど歩き、熊沢田代に出る。これは広大な湿原で、その正面に燧ヶ岳のどっしりとした姿が見える。湿原を歩く時は歩道が設置されているのだが、この歩道が結構、もうぼろぼろで滑りやすいので気をつける必要がある。湿原から緩やかな階段を上っていくのだが、ここで私の大腿筋が若干、悲鳴を上げる。いつもより随分と早い。まあ、久しぶりの登山と、それまでが急斜面であったためであろう。ここで無理をすると、痙攣が始まってしまうので休み、マッサージをし、だましだまし一歩、一歩高さを稼いでいく。何しろ、急坂であるので太股へのプレッシャーも大きい。また、急斜面の熊笹の藪を横切ったりするのだが、その時の道幅が狭い。これは、踏み外すと落ちるぞ、と気を引き締めた瞬間、踏み外して斜面を滑り落ちそうになった。幸い、熊笹をしっかりと掴んだために落ちなかったが、注意をしていても踏み外すぐらい道幅が狭いのと、熊笹に蔽われているので地面の状況が分からない。これは要注意だ。そして、涸れ沢を200メートルは登っていくのだが、これはきついことはきついが、序盤の大きな岩を越えていくよりはまだましだ。
<熊沢田代からは燧ヶ岳が目の前にそびえ立つ。この時は、そんなに登山路が厳しそうに見えなかったのだが・・・>
<熊沢田代からの緩やかの上り階段から湿原を振り返る>
<登山路が整備されているのだが、至るところで壊れていて、また滑りやすいので油断をしないことが重要だ>
<長い涸れ沢をひたすら登っていく>
<ガレ場を横断する時もちょっと滑りそうなので緊張する>
<登山中、振り返ると会津駒ヶ岳の雄姿を望むことができる>
しかし、いつまでもこのような試練も続く訳ではなく、どうにかこうにか俎ぐらの山頂に着くことができた。登り始めてから3時間45分後である。10時ちょうどぐらいに到着した。大腿筋を守りながらの登山であったのでコースタイムより時間はかかった。さて、燧ヶ岳の最高峰は俎ぐらではなく、30分ほどさらに行った柴安ぐら頂上である。しかし、俎ぐらの山頂は凄い勢いで風が吹いており、結構寒く、尾瀬沼方面、柴安ぐら方面の視界はゼロに近い状態である。これは柴安ぐらに行っても何も見えないことから行くのを諦める。いらないであろうと思いつつ、いざという時のことを考えてもってきた防寒用さらに、沼山峠へのルートもこの視界の悪い状態では楽しくないし、また危険であるなと思い、天気は悪くない御池登山路を引き返す。さて、登っていた時に下りは相当、大変だとは思っていたが、実際、下り始めると本当、大変であった。前半のガレはまだ注意をすれば大丈夫であったが、熊沢田代を過ぎた後の岩の急坂、さらに広沢田代を過ぎた後の大岩の急坂は、本当、相当の注意をしないと滑り落ちてしまうので神経がすり減る。それでも、一度は斜めになっていた急坂の階段で滑ってしまい、こけそうになることが一度。そして、岩から滑った時に左手の親指を強打して突き指をしてしまった。いやはや、この下り坂は本当、半端なく厳しい。41年前も大変だったという記憶はあったが、当時は若かったのでもう少し、軽やかに降りられたような気がする。年寄りには非常に厳しい登山路ではないだろうか。どことなく、羊蹄山の登山を彷彿させるが、羊蹄山とは違い、途中、二箇所、湿原を通り抜けるのは救いである。結局、下りも上りと同じぐらいの時間をかけることになってしまい、登山口に着いたのは13時30分であった。この登山ルートは二度と行きたくないな、と思わせるほど厳しいものであった。
俎ぐらの山頂から望む尾瀬沼。暑い雲に蔽われ、ほとんど見えなかったが、ちょっとした隙をついて撮影した写真
<御池コース>
登山道整備度 ★★☆☆☆ 一部、湿原のところは新しい歩道が整備されて歩きやすくなっていたりするが、総じて整備不足である。
岩場度 ★★★★★ 登山直前、それから広沢田代、熊沢田代の間の岩場は、その岩の大きさから行っても相当、歩きにくい。これより凄いところもあるかもしれないが、個人的な感想としては、これがチャレンジをする限界に近い岩場度。
登山道ぬかるみ度 ★★★☆☆ 全般的に登山口から熊沢田代までは相当、ぬかるんでいる。ただ、岩場の方が滑りやすいのと、岩が多いのでぬかるみ自体はそれほど気にならない。
登山道笹度 ★★☆☆☆ 熊沢田代を超えると笹藪を横切る。その際、道が狭いのでくれぐれも滑り落ちないように気をつけることが必要だ。筆者は滑り落ち、熊笹をすばやく掴んだので難を逃れた。
虫うっとうしい度 ★★☆☆☆ 多少、虫はいるが10月だったこともあり、うっとうしくはなかった。
展望度 ★★★☆☆ 天気が悪かったので個人的には、その素晴らしさを確認できなかったが、相当の展望が得られるとの評判。
駐車場アクセス度 ★★★★★ 駐車場へのアクセスは問題はない。ただし、アプローチは遠い。
トイレ充実度 ★☆☆☆☆ (コース沿いにはほとんどない)
下山後の温泉充実度 ★★★★☆ (檜枝岐まで行くと素晴らしい温泉がたくさんある)
安全度 ★☆☆☆☆ 上りはともかく下りは相当、危険。個人的には二度と下りたくない。
尾瀬御池山荘に宿泊する [日本百名山]
尾瀬御池山荘に宿泊する。燧ヶ岳に登るためである。朝食をおにぎりにさせてもらったが、なんと前日の夜に冷凍をもらうというものであった。まだ食していないが、なんか美味しそうではない。あと、尾瀬沼で昼の食事をしようと考えていたのだが、どうも食事をできる山小屋とかは閉館している可能性が大であるそうだ。昼、山荘で食事ができると考えていたので鍋とかガスバーナーなど普段、持ってくるものを持参してきてない。ということで、相当のピンチなので山荘の売店でビター・イン・ゼリーや朝食用のカップラーメン(おにぎりは昼食に回す)を購入する。ちなみに、この山荘周辺はおそらく30キロメートル範囲ぐらいでコンビニはないと思われる。私は、前沢集落のコンビニっぽいお店に入ったが、そこは万屋であってコンビニではなく、とはいえ、心配だったので菓子類やポカリはここで調達していたのだが正しい判断であった。というのは、そこから山荘までコンビニどころかやっているお店はなかったからである(時間は17時をちょっと過ぎたぐらいであった)。
さて、尾瀬沼で昼食が取れるかどうかは、また明日か近日中に報告したいと思います。
さて、尾瀬沼で昼食が取れるかどうかは、また明日か近日中に報告したいと思います。
タグ:尾瀬御池山荘
日本凄いぞ! [グローバルな問題]
今日は、病院の会計処理で感動的な対応を体験した。私の通う大学病院では、精算は5つの機械によって実施されているのだが、私がその空きを待っていたらマニュアルの会計の受付をしていた人が、こちらでもやれますからと言って精算処理をしてくれた。これは、もう99.99%ドイツでは体験できないことだ。むしろ、対応している人がいないので、この受付に行っても、機械の列に並べと言うであろう。逆に、そのような機械でもできるサービスを代わりにしたら、他の同僚から非難を受けるような気がする。余計な仕事を増やすな!と。本当、日本は消費者がサービスのよさによって豊かさを享受できている。しかし、このサービスの良さに対して対価を支払っていないので、これはGDPにはまったく反映されないのですよね。すべて消費者余剰となっている。結果、サービス産業の生産性が低くなってしまっているのですが、それをもってして問題だとか言っている経済学者はおかしいと思います。サービスが悪いからサービス産業の生産性が低いのではなく、真逆です。そして、その便益は無償で消費者が得ている。経済指標が必ずしも、その豊かさを反映させてないというのは、ちょっと前の日本がまさにその例かと思います。
日本、凄いかも [その他]
明日の打ち合わせに名刺がない。これは持っていた名刺をすべてドイツで配ってしまったためである。京都の大学に行けば、研究室にはあるが、それを取りに行くのはあまりにもアホらしい。ということで、朝7時30分頃に東銀座にある印刷サービス会社にイラストレーターで原稿を提出。昼から銀座での打ち合わせをして、その後、教授会があるので銀座のレンタルオフィスからオンラインで出席し、18時頃に終了したので、この印刷サービス会社に名刺を取りに行く。しっかりとできていた。これで明日の打ち合わせも恥をかかずに済みます。凄いぞ、日本。欧州からすればミラクルとしかいいようがないでしょう。逆立ちしてもできないと思う。
トランプの討論会での「猫・犬のペットを食べているハイチ難民」発言の真の意図 [トランプのアメリカ]
先日、トランプとハリスの討論会が行われた。ハリスの圧勝で、スラム・ダンク的な内容であったが、世論調査ではハリスが勝ったと思った人は63%。トランプが勝ったと思った人が37%もいたというのは、もう本当に驚きだ。なんかアメリカ人の1/3以上は根源的に頭が相当、悪いのではないかと思ったりさせられる。
まあ、それはともかく、この討論会での最も注目されたトランプの発言は、オハイオ州のスプリングフィールドでハイチ難民達が住民のペットの犬や猫をさらって食べている、という発言である。司会のファクト・チェックで、そのようなニュースの根拠はまったくない、とスプリングフィールド市長の発言まで紹介したが、トランプは「テレビで報道されていたから本当だ」(実際はそんな報道もない)と主張した。日頃、テレビはフェイク・ニュースと言ってるのに、こういう時はテレビ報道を主張の根拠としたのは、もう失笑するしかないし、もうアメリカの多くのニュース番組も、トランプは認知症に遂になったのか、みたいな紹介の仕方をしていたが、この発言にはもっと酷い悪意が含有されている。
というのも、私もこの発言をするまで知らなかったオハイオ州のスプリングフィールド市であるが、調べると、その25%近くがハイチ難民(移民ではなく、難民・・・ここ重要なので間違いないよう)であることが分かった。そして、多くがハイチの政治的混乱から亡命した人々であるから、アメリカ合衆国に移って4年ぐらいしか経っていない。私も驚いたが、その自治体の人口の1/4が難民である町があるのは、多くのアメリカ人にとっても衝撃であったかと思う。そして、これらのハイチ難民は、人口減少してるオハイオ州の片田舎の町にとっては経済的には相当のブーストをもたらしたにも関わらず、多くの人種差別的な人々にとっては、文化的衝突、移民(本当は難民だが、おそらくトランプ支持者の多くはその違いも分からない)による仕事の強奪、といった文脈で、スプリングフィールドを見るであろう。ということで、トランプのこのアホ発言は、スプリングフィールドという難民が25%もの人口を占める自治体がアメリカ合衆国にあって、そこでは難民と地元民との大きな対立があるという嘘の情報を広めて、人々の移民への危機感を煽るという目的があった、と考えるのが正しいのではないかと考える。実際、MAGAの人々はスプリングフィールド市の学校の爆破予告を早速、したりしている。というか、なんで学校の爆破に繋がるのか分からないが、このようにMAGAの人々の怒りのタネを振りまくことが真の意図であるかと思われる。
まあ、それはともかく、この討論会での最も注目されたトランプの発言は、オハイオ州のスプリングフィールドでハイチ難民達が住民のペットの犬や猫をさらって食べている、という発言である。司会のファクト・チェックで、そのようなニュースの根拠はまったくない、とスプリングフィールド市長の発言まで紹介したが、トランプは「テレビで報道されていたから本当だ」(実際はそんな報道もない)と主張した。日頃、テレビはフェイク・ニュースと言ってるのに、こういう時はテレビ報道を主張の根拠としたのは、もう失笑するしかないし、もうアメリカの多くのニュース番組も、トランプは認知症に遂になったのか、みたいな紹介の仕方をしていたが、この発言にはもっと酷い悪意が含有されている。
というのも、私もこの発言をするまで知らなかったオハイオ州のスプリングフィールド市であるが、調べると、その25%近くがハイチ難民(移民ではなく、難民・・・ここ重要なので間違いないよう)であることが分かった。そして、多くがハイチの政治的混乱から亡命した人々であるから、アメリカ合衆国に移って4年ぐらいしか経っていない。私も驚いたが、その自治体の人口の1/4が難民である町があるのは、多くのアメリカ人にとっても衝撃であったかと思う。そして、これらのハイチ難民は、人口減少してるオハイオ州の片田舎の町にとっては経済的には相当のブーストをもたらしたにも関わらず、多くの人種差別的な人々にとっては、文化的衝突、移民(本当は難民だが、おそらくトランプ支持者の多くはその違いも分からない)による仕事の強奪、といった文脈で、スプリングフィールドを見るであろう。ということで、トランプのこのアホ発言は、スプリングフィールドという難民が25%もの人口を占める自治体がアメリカ合衆国にあって、そこでは難民と地元民との大きな対立があるという嘘の情報を広めて、人々の移民への危機感を煽るという目的があった、と考えるのが正しいのではないかと考える。実際、MAGAの人々はスプリングフィールド市の学校の爆破予告を早速、したりしている。というか、なんで学校の爆破に繋がるのか分からないが、このようにMAGAの人々の怒りのタネを振りまくことが真の意図であるかと思われる。
日本はドイツと比べると、もう仕事の効率は10倍ぐらいで進ませることができる [その他]
日本に戻っていろいろと仕事をこなす。メイルのやり取りでどんどん仕事が消化されていく。今日は出版社、税理士、自動車の修理、実家のテナントとの契約、実家のリフォーム相談、明後日の打ち合わせの確認等を行ったのだが、これらすべてに関して、メイルでの問い合わせに対して即に近いリスポンスで返事をもらい、仕事がどんどんと消化されていく。まったくストレスを感じない。Well Oiled Machine のような感じで快適だ。ドイツと比べると効率は2倍とか3倍とかいうオーダーではなく、10倍といった桁で違うと思う。この凄さはしっかりと自覚した方がいい。あとは、この効率の良さをいかに社会にとって有益な価値の創造に繋げることかな。
日本はなかなか住み心地のいい国かもしれない [地球探訪記]
日本に戻ってきました。まず、最初の印象は蒸し暑い!そして、生まれて初めて通関で税金を払ったのですが、なんとワイン1本が100円で済みました。ドイツでは2000円の日本酒で15000円ぐらい(90ユーロ)の税金を取られたりしたので、ちょっと恐れていたのですが随分と安くて驚きました。あと、通関の人が荷物を代わりに運んでくれたのは本当、驚きましたね。公務員なのに、なんでサービスをしてくれるんだ。また、荷物が大量にあるのでタクシーで帰ったのですが、タクシーの運転手の対応が本当に丁寧で、これも一年ぶりだと感動しました。日本はダメだ、ダメだと日本人は自虐的に言っていますが、いやはや、実は相当暮らしやすい国かなと思います。確かにタクシーの車窓からの街並みは醜悪で、これはウィーンやパリといった古都は勿論のこと、ベルリンのような都市と比べても劣るかもしれないけど住みやすい国かも。まあ、スタイルが今ひとつで美貌麗しくはないけど、性格が正直で少なくとも表向きは優しい女性のような感じでしょうか。性格が悪いベルリンに一年と住んでいたので、とりあえずとてもホッとしている自分がいます。
ドイツではバースデイ・パーティーを当人が負担する [ドイツ便り]
ドイツではバースデイ・パーティーを当人が負担する。これは誕生日を迎えた人が祝されるのではなく、むしろ、少なくとも経済的には罰されるということで、あまり嬉しくない習慣だと思われる。どうして、こういうことになったのか。チャットGPTで尋ねてみたら4つほどの回答が得られた。
1) ドイツではホストがゲストに食事などを提供するのが習慣だから。誕生パーティーは誕生日を迎えた人がホストなので。
2) みんながこの習慣に従うので、結果的には公正であるので。
3) 独立と自立の精神。自分の祝いごとは自分で管理する。
4) ゲストに経済的な負担を与えないようにする工夫。
ふうむ、まあ、そういうことなのかもしれないが、私はそもそも他人の誕生日を祝う気持ちが欠けているだけかと思う。そういう気持ちが欠けている人が多いと、そもそも誕生日を祝うという行事ができなくなってしまう。まあ、しなければいいのかもしれないが、それはそれで寂しいので、妥協点として、誕生日を迎えた人が、自分が出費をするので、私の誕生日を祝ってくださいよ、という習慣ができてきたのではないだろうか。いやいや、ドイツ人はそこまで冷たくないでしょう、と指摘する人は、それじゃあ子供の誕生日も子供が負担するのか、と問いたい。なぜなら、ロジック的にはそうなるからだ。ドイツ人でも子供の誕生日は、親がすべて提供すると思うのである。もちろん、子供が成人したら状況はもしかしたら変わるかもしれないが、これはドイツ人でも子供の誕生日を祝う気持ちがあるからだ。つまり、他人の誕生日を祝いたい、という気持ちがあれば、人々はそれなりに負担すると思うのだ。まあ、ないものをあるというように偽善的にしない、というプラグマティックな考え方はドイツ的とは言えなくもないが、ちょっと人間関係を寂寞とさせることもあるかな、と思ったりする。ドライといえば聞こえはいいが、そのドライが何か生産的に機能しているようには思えない。
1) ドイツではホストがゲストに食事などを提供するのが習慣だから。誕生パーティーは誕生日を迎えた人がホストなので。
2) みんながこの習慣に従うので、結果的には公正であるので。
3) 独立と自立の精神。自分の祝いごとは自分で管理する。
4) ゲストに経済的な負担を与えないようにする工夫。
ふうむ、まあ、そういうことなのかもしれないが、私はそもそも他人の誕生日を祝う気持ちが欠けているだけかと思う。そういう気持ちが欠けている人が多いと、そもそも誕生日を祝うという行事ができなくなってしまう。まあ、しなければいいのかもしれないが、それはそれで寂しいので、妥協点として、誕生日を迎えた人が、自分が出費をするので、私の誕生日を祝ってくださいよ、という習慣ができてきたのではないだろうか。いやいや、ドイツ人はそこまで冷たくないでしょう、と指摘する人は、それじゃあ子供の誕生日も子供が負担するのか、と問いたい。なぜなら、ロジック的にはそうなるからだ。ドイツ人でも子供の誕生日は、親がすべて提供すると思うのである。もちろん、子供が成人したら状況はもしかしたら変わるかもしれないが、これはドイツ人でも子供の誕生日を祝う気持ちがあるからだ。つまり、他人の誕生日を祝いたい、という気持ちがあれば、人々はそれなりに負担すると思うのだ。まあ、ないものをあるというように偽善的にしない、というプラグマティックな考え方はドイツ的とは言えなくもないが、ちょっと人間関係を寂寞とさせることもあるかな、と思ったりする。ドライといえば聞こえはいいが、そのドライが何か生産的に機能しているようには思えない。
ソウル歴史博物館を訪れて、そのボランティアのおばあちゃんの英語力に驚く [都市デザイン]
ソウル歴史博物館を訪れた。ガイドのおばちゃんは60歳前後ぐらいの方であったが、その英語力が半端ない。まったく淀みなくペラペラと、ほぼネイティブのような英語で、的確に解説をすることができる。韓国人は往々にして、相当、英語力が高く、日本人より遥かに英語を見事に駆使できているな、という印象は抱いていたのだが、このおばちゃんはただ者ではない。ということで、ガイド・ツアーが終わった後、ボランティアなのかと尋ねると、ボランティアだと言う。無料だそうである。無料でこんな英語で解説できるおばちゃんがいるというのは驚きだ。ああ、このレベルでの英語で会話をできる人は、日本人ではネイティブ以外ではほとんどお目にかかれたことはない。中学、高校の英語教師どころか、大学で英語を教えている教員でも、このレベルで英語をしゃべれる人は滅多にお目にかかったことはない。
まあ、このおばちゃんは留学経験があることが分かったが、留学経験がある日本人でもここまで流暢な英語でしゃべれる人は稀である。しかも、英語だけでなく、その説明内容も的確なのだ。確実に英語脳がつくられてないと、しゃべれないレベルである。いやあ、韓国恐るべしである。本当、こういう事態に遭遇すると、寺脇某の「ゆとり教育」とかの考えが、まったく国際的には頓珍漢であることを改めて認識する。というか、このおばちゃん、間違いなく寺脇某よりかは英語が上手いと確信的に思う。
まあ、このおばちゃんは留学経験があることが分かったが、留学経験がある日本人でもここまで流暢な英語でしゃべれる人は稀である。しかも、英語だけでなく、その説明内容も的確なのだ。確実に英語脳がつくられてないと、しゃべれないレベルである。いやあ、韓国恐るべしである。本当、こういう事態に遭遇すると、寺脇某の「ゆとり教育」とかの考えが、まったく国際的には頓珍漢であることを改めて認識する。というか、このおばちゃん、間違いなく寺脇某よりかは英語が上手いと確信的に思う。
エドモンド・ベーコン著『Design of Cities』 [書評]
おそらく30年近く積ん読をしていた名著、エドモンド・ベーコンの『Design of Cities』をようやく読むことができた。大した文字数もなかったのだが、今まで手を付けるを億劫がっていた。サバティカルをもらい、ようやく読むことができた。アテネからブラジリアまでに及ぶ都市の形状がつくられていった背景の考えについて、見事に解説されている。そして、その解説において、ポール・クレーの空間の動きの考えを応用させている。都市空間を解読する力を養うには絶好の本であろう。
この本が発表されたのは1967年。ジェイン・ジェイコブスの痛烈な都市計画批判の著『Death of American Great Cities』が発表されたのは1962年。強烈な批判に晒され、意気消沈をしていた都市計画関係者に、その仕事の肯定的な可能性を提示することを、本書は見事、果たしている。マスタープランの最終的な形ではなく、それをつくるためのプロセス、そして、その将来像は柔軟に変容できることが重要であると述べている。最後の付け足しのブラジリア批判は、1ページにも満たないものだが、その欠陥を見事にまとめている。
本書は、ポスト・ジェイコブスの都市計画のあり方を都市計画側から提示した。こういう名著を30年間も積ん読していたことを反省しつつ、ようやく読めたことでホッとしている。
この本が発表されたのは1967年。ジェイン・ジェイコブスの痛烈な都市計画批判の著『Death of American Great Cities』が発表されたのは1962年。強烈な批判に晒され、意気消沈をしていた都市計画関係者に、その仕事の肯定的な可能性を提示することを、本書は見事、果たしている。マスタープランの最終的な形ではなく、それをつくるためのプロセス、そして、その将来像は柔軟に変容できることが重要であると述べている。最後の付け足しのブラジリア批判は、1ページにも満たないものだが、その欠陥を見事にまとめている。
本書は、ポスト・ジェイコブスの都市計画のあり方を都市計画側から提示した。こういう名著を30年間も積ん読していたことを反省しつつ、ようやく読めたことでホッとしている。
インチョン空港とソウル市内との交通手段 [地球探訪記]
インチョン空港からソウル市内への交通手段は、ソウル駅直行の鉄道、一般的な鉄道、そしてバスがあるかと思う。今回のソウルでは行きはソウル駅直行の鉄道(AREX)を利用した。これは、空港から文字通り、一直線にソウル駅とを結ぶ鉄道であり、途中の停車駅もなく、時間は最速の43分(第二ターミナル)である。ちなみに料金は11000ウォンである。ただ、ソウル駅が最終目的地であればいいが、そうでないと地下鉄などを利用することになり、これは結構、面倒くさいし、結構、歩かせられる場合も多いかと思う。一般的な鉄道は直結鉄道に比べると時間はかかるが、料金は安く、行き先によっては、直結鉄道より便利なことがあるかと思う。さて、今回は初めて空港バスを利用した。これは、ホテルのすぐそばの停留所に止まることが分かったからである。この空港バス、ソウル市内を頻繁に止まるし、時間も結構、かかるが、乗り心地は快適である。時間に余裕がないと使いにくいが、時間に余裕があると使えるかと思う。ちなみに料金は17000ウォンであった。そして、西大門駅の停留所から第2ターミナルまでは90分ほどかかった。これは都心部の道路で一部、渋滞をしたということもある。料金も時間も直結鉄道の方が有利であるが、空港に向かう時に、自分のホテルのすぐそばにバスの停留所があれば、選択肢としては悪くないであろう。
シンガポールの都市政策のメモ [都市デザイン]
シンガポールの都市整備公団のような方の講演を聴いたので、ちょっとメモ書きをここにさせてもらいたい。
シンガポールは第三国から一等国にまで成長したが、それは偶然では決してない。その理由はしっかりとした計画と、しっかりとした統治に基づいている。1970年にリー・クアン・ユーが政権を執ったとき、彼は4つの政策指針を掲げた。「新鮮な空気」、「安全な水」、「緑」、そして「低廉な住宅(Affordable Housing)」である。低廉な住宅は、公共住宅の割合が全住宅の8割を占めるという現状にも繋がっている。この公共住宅の割合はウィーンとほぼ同じであり、ウィーンと同様にシンガポールもほとんどジェントリフィケーション問題はみられない。ただ、残りの2割の民間住宅ではジェントリフィケーションは起きていないが、宅地価格の高騰がみられる。これら民間住宅のある地区は緑地帯に近接しているそうで、基本、裕福な人々が住んでいるそうだ。また、圧倒的な土地不足ということもあり、マリーナ地区に370ヘクタールの埋め立て地をつくるという大事業も行っている。370ヘクタールといえば、東京ドーム82個分である。
シンガポールといえば国の歴史が浅いので、そのアイデンティティをいかに保全するかということが重要となるが、二つの包括的な保全プログラムがある。PreservationとConversationである。前者はほとんど変えずに、そのまま保全するというものでナショナル・ギャラリー・シンガポールやヴィクトリア劇場・コンサート・ホールなどの国家的に重要な建物がその対象である。後者は内装などのリフォームが可能であり、Khong Guan BuildingやThe Warehouse Hotelなどの事例がある。
シンガポールの都市政策のポイントとしては、緑地保全がある。人口は増えているが、緑地も増えているのがシンガポールの特徴である。また、緑地の質も生物多様性などを意識した高いものを目指している。また、人々のアクセスも確保しており、ヘンダーソン・ウェイブ橋や、フォレスト・ウォーク(2008)という1.6キロメートルにも及ぶ歩道も整備されている。これらの橋からは猿などを見ることができる。
あと、シンガポールは国のアイデンティティが希薄であることを補うかのように、デザインに力を入れており、建築のレベルは凄く高い。
公共交通にも力を入れており、現在、286kmの鉄道ネットワークが整備されている。また、混雑マネジメントや混雑税などを導入している。
シンガポールの都市政策は非常に優れている。これは、背水の陣ということがあるとは思うが、いろいろと学ぶ点も多い。
シンガポールは第三国から一等国にまで成長したが、それは偶然では決してない。その理由はしっかりとした計画と、しっかりとした統治に基づいている。1970年にリー・クアン・ユーが政権を執ったとき、彼は4つの政策指針を掲げた。「新鮮な空気」、「安全な水」、「緑」、そして「低廉な住宅(Affordable Housing)」である。低廉な住宅は、公共住宅の割合が全住宅の8割を占めるという現状にも繋がっている。この公共住宅の割合はウィーンとほぼ同じであり、ウィーンと同様にシンガポールもほとんどジェントリフィケーション問題はみられない。ただ、残りの2割の民間住宅ではジェントリフィケーションは起きていないが、宅地価格の高騰がみられる。これら民間住宅のある地区は緑地帯に近接しているそうで、基本、裕福な人々が住んでいるそうだ。また、圧倒的な土地不足ということもあり、マリーナ地区に370ヘクタールの埋め立て地をつくるという大事業も行っている。370ヘクタールといえば、東京ドーム82個分である。
シンガポールといえば国の歴史が浅いので、そのアイデンティティをいかに保全するかということが重要となるが、二つの包括的な保全プログラムがある。PreservationとConversationである。前者はほとんど変えずに、そのまま保全するというものでナショナル・ギャラリー・シンガポールやヴィクトリア劇場・コンサート・ホールなどの国家的に重要な建物がその対象である。後者は内装などのリフォームが可能であり、Khong Guan BuildingやThe Warehouse Hotelなどの事例がある。
シンガポールの都市政策のポイントとしては、緑地保全がある。人口は増えているが、緑地も増えているのがシンガポールの特徴である。また、緑地の質も生物多様性などを意識した高いものを目指している。また、人々のアクセスも確保しており、ヘンダーソン・ウェイブ橋や、フォレスト・ウォーク(2008)という1.6キロメートルにも及ぶ歩道も整備されている。これらの橋からは猿などを見ることができる。
あと、シンガポールは国のアイデンティティが希薄であることを補うかのように、デザインに力を入れており、建築のレベルは凄く高い。
公共交通にも力を入れており、現在、286kmの鉄道ネットワークが整備されている。また、混雑マネジメントや混雑税などを導入している。
シンガポールの都市政策は非常に優れている。これは、背水の陣ということがあるとは思うが、いろいろと学ぶ点も多い。
ヨーロッパでは日本人も中国人もほぼ同類に見ている [グローバルな問題]
日本人の友人とイタリアを訪れた。中国人の観光客も多くいる。ちょっとお上りさん的な振る舞いをする人もいる。ちょっとした会話で「ヨーロッパ人は外見ではほとんど中国人と日本人、韓国人の違いは分からない」みたいなことを言ったら、「中国人と同じように見られるのは不本意だな」と私の友人は言った。この発言を、日本で聞いたら違和感は全然、感じなかったかもしれないが、ベルリンに住んでいることもあってか、強烈な違和感を持ってしまった。というのは、ヨーロッパ人は日本人が中国人より上だ、みたいな意識はまったく持ってないからだ。日本人はそういう優越意識を持ちたいのかもしれないが、実態的には優れているとは到底、思えない。いや、劣っているとも思わないが、欧州の物差しでみれば同じかと思う。ああ、欧州にいる中国人の方が日本人より英語は上手いな。我々だってオランダ人はデンマーク人より優秀だ、とか思わないであろう。それと同じである。
私の友人はとても知的で、立派な人格者でもある。しかし、そのような人でも、こういう発言をしてしまうというのは、日本全体を蔽う空気感として中国人への差別意識があるのではと思わせられる。アメリカでも欧州でも、差別問題を語るうえで、社会制度的な差別ではなく、そのような意識を持っていることが問題であるとされている。ああ、私のようにアメリカで7年間、ドイツでも2年間住んだような日本人だと、結構、日本人だからと差別をされる経験をしたことがある。そういう経験をすると、自分が不愉快なことを他人にはしないようにしよう、と思うのだが、そういう経験がないと、立派な人でも差別的な意識を持ってしまうのかもしれない。私はドイツでの生活で、同僚で一番、信用でき、一番、仕事ができるなと思っているのは中国人である。決して、ドイツ人ではない。もちろん、そこから一般化するのは危険ではあるが、そういう人を知ると、中国人と同じように見られて不本意とは全然、思わない。誇らしいとも思わないが。
私の友人はとても知的で、立派な人格者でもある。しかし、そのような人でも、こういう発言をしてしまうというのは、日本全体を蔽う空気感として中国人への差別意識があるのではと思わせられる。アメリカでも欧州でも、差別問題を語るうえで、社会制度的な差別ではなく、そのような意識を持っていることが問題であるとされている。ああ、私のようにアメリカで7年間、ドイツでも2年間住んだような日本人だと、結構、日本人だからと差別をされる経験をしたことがある。そういう経験をすると、自分が不愉快なことを他人にはしないようにしよう、と思うのだが、そういう経験がないと、立派な人でも差別的な意識を持ってしまうのかもしれない。私はドイツでの生活で、同僚で一番、信用でき、一番、仕事ができるなと思っているのは中国人である。決して、ドイツ人ではない。もちろん、そこから一般化するのは危険ではあるが、そういう人を知ると、中国人と同じように見られて不本意とは全然、思わない。誇らしいとも思わないが。
会社のため、とかお国のため、とかいう言葉が嫌いだ [その他]
会社のため、とかお国のため、とかいう言葉が嫌いである。サラリーマンの時に、よく「会社のため」とか言う輩がいたが、「会社のため」という「会社」とは何なのか、説明してくれ、とよく思ったものである。「会社」は法概念ではあるが、そのような概念で説明される「会社」を尽くす対象として捉える考え方は危険であると思う。「会社のため」というのは、会社が個人より上位に位置するような考え方だ。いや、「会社」が極めて単純な目的を持っている場合は、そのような議論をする余地はあるかなと思う。例えば、鯛焼き屋の会社が、鯛焼きをなるべく多くつくって売って、年間で300万円の利益を出す、みたいな目的を挙げた場合、それに同調したものが一緒に協働して頑張るというのはあるかと思う。しかし、この鯛焼き屋がとても美味しい鯛焼きをつくる、とかユニークな餡を入れて個性的な鯛焼きをつくる、とかいう目的を加え始めただけで、目的同士が矛盾を生じ、「会社」の何に自分が力を入れていいかが見えなくなってくるであろう。よりよい社会づくりに貢献する、とかサステイナブルな未来をつくる、とかいう曖昧で耳障りのよいだけの目的を挙げる会社は、自己を犠牲にしてまで会社のために尽くす意味はほとんどないと思われる。そして、大抵「会社のため」とかいう輩に限って、自己の利益を優先する傾向が強い。つまり、自分以外を「会社のため」に尽くさせようとしていたりする場合が多いのだ。下手したら「会社」=「自分」だと思っているかもしれない、と疑わせたりもさせる。
ただ、そういう「会社のため」みたいなことを強要するような会社は辞めればいいだけの話だが、これが国になるとたちが本当に悪くなる。気をつけないといけない。
ただ、そういう「会社のため」みたいなことを強要するような会社は辞めればいいだけの話だが、これが国になるとたちが本当に悪くなる。気をつけないといけない。
香港の家賃は驚愕の10㎡、1000米ドル [都市デザイン]
香港は土地が狭い。いや、狭いといってもシンガポールなどよりは大きかったりするのだが、その土地の3割を緑地として保全しているために、またシンガポールよりも人口が大きかったりするので(シンガポールの500万人ちょっとに対して、香港は700万人)、土地不足は深刻だ。その結果、土地利用は極めて高度化する。高層ビルが林立する光景は、地震国である日本からは想像することさえ難しい。さて、このように土地利用を精一杯、高度化しても住宅価格は高騰する。なんと、4㎡の借家とかがあるそうだ。4㎡というのは、どんなに小さなビジネス・ホテルでも成立しない規模だ。私と話をしていた香港大学の学生さんは、10㎡のアパートに一月1000米ドル(14万円ぐらいか?)払って住んでいるそうだ。恐ろしく高額だ。ちょっと前までは東京の家賃が高いと言われていたが、隔世の感がする。
斜陽の国ドイツ(2): オリンピック強国からの転落 [ドイツ便り]
ドイツの斜陽を示す指標として、オリンピックのメダル数がある。パリのオリンピックでは、ドイツは金メダル数が12, 総メダル数が33であるが、これは開催国であるフランス(16, 64)はともかくとして、オランダ(15, 34)、イギリス(14, 65)、イタリア(12, 40)よりも劣っている。ここでポイントとなるのは、ドイツはこれらの国より遥かに人口が多いことで、特にオランダの人口は1770万人とドイツの人口の2割ちょっとしかない。ちなみにドイツよりは人口が多いということもあるが、日本の20, 45をドイツの人口へと換算すると13, 30となるので、まああまり違いはない。そういう点では、日本人にそこらへんでケチをつけられたくないといく気持ちはあるかもしれないが、ドイツより人口が1/3は少ない韓国が13, 32というのは、やはり欧州連盟最大国としては、なんか不味いのではないか。
ちなみにドイツは国別だと10位であり、人口当たりでみた場合のメダル数は金メダル、総数ともにヨーロッパでも最低レベルにあるのではないか。という気がしたのでちょっと計算してみた。1000万人当たりの金メダル数でみると、ドイツは21カ国中、17位である。1000万人あたりの総メダル数でみると、ドイツは21カ国中18位の4.0である。金メダルを3点、銀メダルを2点、銅メダルを1点と重み付けした場合は、21カ国中18位の8.4である。これらの3つの指標でドイツより下の国は固定されていて、スペイン、ポルトガル、ポーランドとなっている。
別にオリンピックでメダルを取ることにアクセクする必然性はないし、そういうのに超絶して暮らしている方が立派という見方もあるかもしれない。しかし、ドイツは、昔はオリンピックでは圧倒的な強国であった。例えば東西ドイツが再統一されて最初に開催されたオリンピックであるバルセロナ・オリンピックでは国別ではアメリカに次いで2位で3位の中国を大きく引き離している。このときの金メダル数は33, 総メダル数は82であった。ちなみに日本は3, 22である。その次のアトランタはロシアが参加したので、国別ではアメリカ、ロシアに次いだ3位であったがそれでも中国より上であった(金メダル数20、総メダル数65)。シドニーでは中国と開催国であるオーストラリアの後塵を拝し、5位で金メダル数13, 総メダル数56であった。とはいえ、ヨーロッパでは最多メダル国である。その後、アテネでは6位で金メダル数13, 総メダル数49、北京では5位で金メダル数16、総メダル数41、ロンドンでは6位で金メダル数11、総メダル数44。このとき、初めてヨーロッパでは英国より低い順位となる。リオデジャナイロでは5位で金メダル数17、総メダル数42であった。この年もイギリスの後塵を拝する。そして、東京オリンピックでは遂に9位にまで落ち、イギリスだけでなくオランダ、フランスにも抜かれる。この時、金メダル数が10,総メダル数は37であった。
人口的に圧倒的に他国を凌駕していることを考えると、ドイツはもはやオリンピックでの強国どころか、欧州の中では弱小国になってしまっていることが、今回のパリ・オリンピックで如実に顕在化したことが分かる。さて、それではなぜ、弱くなってしまったのか。それは、「ゆとり」的生活を追求しすぎてしまい、生きることの情熱を相対的に喪失しまっているからではないか、というのが私の無礼な仮説である。
全般的に、人生に目標を持って生きているような人に現在のドイツではなかなか出会えない。いや、もちろん中にはすごい情熱を持って日々を送っており、脱帽するしかないような立派なドイツ人を知っている。しかし、日々、私が接している大学生とかをみていても、日本の大学生の方がまだ一生懸命なんじゃないか、と思うことも少なくない。私はドイツ鉄道をしっかりと運営できなくなってしまったドイツと、オリンピック大強国であったドイツが今や、ヨーロッパでは弱小国になってしまったこととは軌を一にしているのではないかと考えていたりする。なんか、生きることに白けているという人々が増えたことが、オリンピックの弱小化に繋がっているのでは
ちなみにドイツは国別だと10位であり、人口当たりでみた場合のメダル数は金メダル、総数ともにヨーロッパでも最低レベルにあるのではないか。という気がしたのでちょっと計算してみた。1000万人当たりの金メダル数でみると、ドイツは21カ国中、17位である。1000万人あたりの総メダル数でみると、ドイツは21カ国中18位の4.0である。金メダルを3点、銀メダルを2点、銅メダルを1点と重み付けした場合は、21カ国中18位の8.4である。これらの3つの指標でドイツより下の国は固定されていて、スペイン、ポルトガル、ポーランドとなっている。
別にオリンピックでメダルを取ることにアクセクする必然性はないし、そういうのに超絶して暮らしている方が立派という見方もあるかもしれない。しかし、ドイツは、昔はオリンピックでは圧倒的な強国であった。例えば東西ドイツが再統一されて最初に開催されたオリンピックであるバルセロナ・オリンピックでは国別ではアメリカに次いで2位で3位の中国を大きく引き離している。このときの金メダル数は33, 総メダル数は82であった。ちなみに日本は3, 22である。その次のアトランタはロシアが参加したので、国別ではアメリカ、ロシアに次いだ3位であったがそれでも中国より上であった(金メダル数20、総メダル数65)。シドニーでは中国と開催国であるオーストラリアの後塵を拝し、5位で金メダル数13, 総メダル数56であった。とはいえ、ヨーロッパでは最多メダル国である。その後、アテネでは6位で金メダル数13, 総メダル数49、北京では5位で金メダル数16、総メダル数41、ロンドンでは6位で金メダル数11、総メダル数44。このとき、初めてヨーロッパでは英国より低い順位となる。リオデジャナイロでは5位で金メダル数17、総メダル数42であった。この年もイギリスの後塵を拝する。そして、東京オリンピックでは遂に9位にまで落ち、イギリスだけでなくオランダ、フランスにも抜かれる。この時、金メダル数が10,総メダル数は37であった。
人口的に圧倒的に他国を凌駕していることを考えると、ドイツはもはやオリンピックでの強国どころか、欧州の中では弱小国になってしまっていることが、今回のパリ・オリンピックで如実に顕在化したことが分かる。さて、それではなぜ、弱くなってしまったのか。それは、「ゆとり」的生活を追求しすぎてしまい、生きることの情熱を相対的に喪失しまっているからではないか、というのが私の無礼な仮説である。
全般的に、人生に目標を持って生きているような人に現在のドイツではなかなか出会えない。いや、もちろん中にはすごい情熱を持って日々を送っており、脱帽するしかないような立派なドイツ人を知っている。しかし、日々、私が接している大学生とかをみていても、日本の大学生の方がまだ一生懸命なんじゃないか、と思うことも少なくない。私はドイツ鉄道をしっかりと運営できなくなってしまったドイツと、オリンピック大強国であったドイツが今や、ヨーロッパでは弱小国になってしまったこととは軌を一にしているのではないかと考えていたりする。なんか、生きることに白けているという人々が増えたことが、オリンピックの弱小化に繋がっているのでは
斜陽の国ドイツ(1) [ドイツ便り]
ドイツで15年ぶりに一年弱、生活した。その経験から痛感するのは、ドイツは相当、行き詰まっているな、ということだ。何か、国の劣化がじりじりと進んでいるような気がしてしょうがない。それまでのドイツの強みのようなものが後退し、ドイツの弱みというか、悪いところがどんどんと増殖しているような印象を、こちらで生活していると受ける。まあ、私が住んでいるのがベルリンという、相当ダメダメな都市ということもあるので、ドイツ全体へと一般化することには相当、気をつけないといけないとは思うが、それにしてもなんか社会が上手く回っていないような気がする。ということで、備忘録的に、いろいろとここに自分が考えることを共有させてもらいたいと思ったりもする。
まず、ドイツの劣化を何よりも物語るのはドイツ鉄道であろう。時間通りに運行することはできず、遅刻は日常茶飯事である。したがって、乗り換えをしようとすると乗れない場合がしょっちゅうある。乗り換えの時間は相当、余裕を持たないと不味いであろう。そして、時間通りに走れないくせに、時間帯によって運賃をコロコロ変える。時間通りに走行できてこそ、そのような時間帯ごとの運賃変更が初めてできるのであって、時間が守れないのに運賃変更を細やかにするというせこさが呆れさせる。ここまでやるのであれば、守れなければ運賃を返金するとか、差額を返すなどをやればいいだろうという意見もあるかもしれない。実際、ドイツ鉄道においても、しっかりと交渉すれば返金できるかもしれないが、私の周りでそういうことをした人はほとんど知らない。というのは、交渉するのが超面倒臭くて、また、相手も話をなかなか理解しようとしないので、ストレスがより溜まるからである。このストレスの費用を考えると、損したお金は盗まれたぐらいに考えて諦めた方が、まだ精神衛生上はよい。
まあ、このようにストレスを感じるのは日本の高い定時性と素晴らしいサービスに慣れているからであり、そもそも鉄道はこんなものだ、と考えていれば、それほどストレスを感じないのかもしれないが、このようなアホなシステムなので計画がつくれない。ドイツ鉄道の遅延による経済機会の損失を誰か計算するといいかと思うのだが、おそろしく膨大な数字になると思われる。そして、なぜ、このようにドイツ鉄道がしっかりと運営できないのか。というのは、その運営に携わっている個々人が無責任だからだと思うのである。この無責任の積分が現在のドイツ鉄道の混乱した状態を作り出しているのではないか、というのが私の仮説である。
まず、ドイツの劣化を何よりも物語るのはドイツ鉄道であろう。時間通りに運行することはできず、遅刻は日常茶飯事である。したがって、乗り換えをしようとすると乗れない場合がしょっちゅうある。乗り換えの時間は相当、余裕を持たないと不味いであろう。そして、時間通りに走れないくせに、時間帯によって運賃をコロコロ変える。時間通りに走行できてこそ、そのような時間帯ごとの運賃変更が初めてできるのであって、時間が守れないのに運賃変更を細やかにするというせこさが呆れさせる。ここまでやるのであれば、守れなければ運賃を返金するとか、差額を返すなどをやればいいだろうという意見もあるかもしれない。実際、ドイツ鉄道においても、しっかりと交渉すれば返金できるかもしれないが、私の周りでそういうことをした人はほとんど知らない。というのは、交渉するのが超面倒臭くて、また、相手も話をなかなか理解しようとしないので、ストレスがより溜まるからである。このストレスの費用を考えると、損したお金は盗まれたぐらいに考えて諦めた方が、まだ精神衛生上はよい。
まあ、このようにストレスを感じるのは日本の高い定時性と素晴らしいサービスに慣れているからであり、そもそも鉄道はこんなものだ、と考えていれば、それほどストレスを感じないのかもしれないが、このようなアホなシステムなので計画がつくれない。ドイツ鉄道の遅延による経済機会の損失を誰か計算するといいかと思うのだが、おそろしく膨大な数字になると思われる。そして、なぜ、このようにドイツ鉄道がしっかりと運営できないのか。というのは、その運営に携わっている個々人が無責任だからだと思うのである。この無責任の積分が現在のドイツ鉄道の混乱した状態を作り出しているのではないか、というのが私の仮説である。
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