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朝日新聞のニューヨーク支局長中井大助のちょっと信じられない記事についてコメントする [トランプのアメリカ]

2024年5月31日に朝日新聞のニューヨーク支局長中井大助による「トランプ法廷」の記事が掲載された。私はウェブサイトで読んだ。

https://digital.asahi.com/articles/ASS5012N5S50UHBI00FM.html?linkType=article&id=ASS5012N5S50UHBI00FM&ref=mor_mail_kaiin_topix1_20240601

この記事は裁判の結果、そして、彼の意見が述べられているのだが、そこで「裁判に党派性がなかったともいえない」というトランプのほとんど知性がある人なら騙されないようなレトリックに騙されたようなことを述べている。裁判が「党派性」に支配されるのであるなら、それこそバナナ・リパブリックである。民主主義の裁判制度はそういう「党派性」を越えた平等性のうえで初めて成立しているのである。確かに最高裁の判事は、各政党が自分達の政治理念に沿った判事を選ぶ傾向にある。共和党念願の堕胎禁止といった法律が各州で制定できているのは、最高裁の判事が共和党寄りであるからだ。とはいえ、本来であれば「党派性」を越えたところで裁判は機能すべきではあるし、そのような制度になっている。

さて、そして今回の裁判である。今回の裁判は共和党が指摘するような「党派性」を越えて、アメリカの裁判制度がしっかりと機能したというように評価されているし、私もそう思う。今回は共和党に寄ったトランプ派の陪審員もいたらしいが、それでも全員一致の判決が出ている。このトランプ派の陪審員が判決を遅らせるような工作をすることができたにも関わらず、法律を優先させたと報道されている。今回は34の案件ですべて有罪がなされている。党派性とかを問うような裁判ではないし、陪審員がしっかりと制度に則って判決を下した。OJシンプソンの裁判の時のように陪審員は感情に支配されることもなく、事実に基づいて、自分の政治的考えを離れて、一市民としての責任をしっかりと果たした。最高裁よりよほどましである。

そういうことはユーチューブでニュース報道やコメントをみていれば明らかである。この支局長は、本当にジャーナリストなのか。こういう理解の浅いジャーナリストがトランプイズムに勢いをもたらしてしまうのだ。アメリカの(しっかりとした)ジャーナリストに比べると、あまりにもレベルが低いのではないか。愕然としたので、ここにブログ記事をアップさせてもらう。私は子供の頃から、朝日新聞のファンだし、朝日新書から本を出したこともあり、贔屓していたが、朝日新聞、大丈夫なのか。

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フィンランドと日本、どちらが森林の国土に占める割合が高い? [グローバルな問題]

フィンランドの大学で講義をした。「日本の都市」がそのテーマであるが、多くの学生が日本を訪れたことがないので、さわりに日本とフィンランドの比較クイズをした。まず、国土。これは多くの学生がフィンランドの方が大きいとの意見だったが実は日本の方が大きい。その差はそれほどではないが、日本の国土面積はフィンランドやドイツよりも大きいのである。その後、人口などについて聞いた後、森林の国土に占める割合。これは、もう100%の学生がフィンランドと回答した。確かにフィンランドの方が多いのだが、実は数字は相当、競っている。というのもフィンランド73%に対して、日本は68%であるからだ。この数字をみても、いかに日本が森林国であるかが分かる。まあ、そういうイメージをもたれてはいないが。学生達も結構、驚いてくれて愉快だったので、このブログでも共有させてもらう。日本人はそんなに驚かないかもしれないが。

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フィンランドでは戦前は英語ではなく、ドイツ語を学校で教えていた [グローバルな問題]

フィンランドの言語教育はフィンランド語とスウェーデン語が中核を位置する。そして、外国語は英語であるが、戦前まではドイツ語だったそうだ。まあ、フィンランドはあまり知られてないが第二次世界大戦では枢軸国サイドだったということもある。したがって、私の親ぐらいの年齢だと、英語はできないけどドイツ語はできるらしい。ちょっと驚きである。しかし、第二次世界大戦前は、アメリカでもドイツ語は準公用語扱いされていて、結構、幅を利かせていたのに随分と後退したものだ。敗戦の影響は大きいな、と思わされる。

フィンランドは第二次世界大戦前、ドイツとソ連のどちらかを選ぶという、もう「カレー味のうんこ」か「うんこ味のカレー」のような究極な選択を迫られた。厳しいよなあ、これは。どっちも嫌だけど、やはりドイツとソ連だとドイツを選んでしまう気がする。まあ、ユダヤ人大虐殺はドン引きだけど、ソ連も基本、同じことをスターリンはやっているからな。まだ、文化面の功績とかいう点からでも、ドイツという国を信頼してしまうのは致し方ないような気がする。

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梁思成が京都と奈良を空爆させないよう米軍に進言したことの真偽について考察する [都市デザイン]

軍事的重要性が少なかった奈良はともかく、京都が第二次世界大戦に空爆を免れた理由は諸説ある。中国では梁思成の進言による、という説が一般化しており、建築を勉強している中国人はほとんどそれを知っている。一方で日本人に、それがあまり知られていないのは、その明確な根拠がないことからのようだ。ただ、おそらく私の勝手な解釈だが、梁思成の中国での古都保全の功績などを考え見ると、それが敵国のものであっても、それは人類の資産であるから守るべきだとは思っていたと推察されるし、それがアメリカの判断に影響を及ぼしたかどうかは分からないが、進言する機会があったらしていたのではないか、と思われる。1947年に招聘されて国際連合本部ビルの設計に参加したことなどを考えると、アメリカ側も一目置くような人物であったことは間違いない。

歴史的史実の根拠が薄いということで、この話は日本人に知られていない。一方で、中国人の建築系の人々にとっては常識となっている。それを対日世論工作だと批判している日本人達もいるが、これだけ日本人に知られていなければ、対日世論工作としては失敗だな、と思うのと同時に、この日本人と中国人とのギャップの大きさは考えものだなと思う。私は、梁思成の思想そのものは建築物の保全という点で素晴らしいものがあると思っている。そして、梁思成はおそらく、当時のアメリカ人の誰よりも、京都の都市資産の価値を認識していた(原爆の京都投下を回避させたヘンリー・スティムソンよりも、客観的に価値を理解していたと思われる。スティムソンは個人的な思い入れが強かった)と思われる。そうであれば、その進言が米軍の判断の影響に及ぼしたかはともかくとして、そのような考えは有り難いことであった、と受け入れてもいいのではないかと思うのである。それを頑なに史実的根拠がない、と真っ向否定するのも大人げなさ過ぎるのではないか。

ヨーロッパに住んでいると、基本、切羽詰まった時に信頼できるのは韓国や中国といった隣国人だな、ということを強く感じさせられる。アメリカに住んでいた時もそうだ。ヨーロッパの方が東アジアの同胞より、より理解できると思うのは、個別レベルではあってもグループ・レベルで考えると幻想であると思う。それは価値観や文化の違いである。したがって、梁思成の思想を我々はもっと共有できる筈だし、それを対日世論工作などといった穿った見方で捉えるのは情けないと思う。

結果的に、裁判で有罪になったとしても、自分を弁護してくれた隣人がいたら有り難いと思うであろう。無罪になったとしたら、その弁護が実際の判決に影響を与えた証拠はなかった、と主張するより、とりあえず弁護してくれて有難う、と言うだろう。裁判で弁護することができず、仲間うちの会話で、あいつは無実だと思う、と言ってくれただけでも有り難いことではないだろうか。

中国人の言い分も「京都を空爆から守った」というよりかは、梁思成は「京都や奈良を空爆するなと意見した」みたいな言い方をしている。これは、少なくとも、そう思っていたのであろうし、言っていたかもしれない。もちろん、相手が聞く耳を持たない、という可能性は高かったが、言ってくれたことは感謝してもいいのではないだろうか。

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タンペレを訪れる [地球探訪記]

ヘルシンキに宿泊しているのだが、日帰りでタンペレを訪れる。朝9時の列車で11時前に到着。列車代は22ユーロぐらいなので物価の割には安い。タンペレに訪れたのは、街を分断していた線路上に人工地盤を設置して、両側を結び、その上にノキア・スタジアムというホッケーなどが観戦できるスタジアムやらオフィス・ビルやらをつくるという開発をしたからだ。これは都市計画的に随分と賢いな、と思い、私が連載している「都市の鍼治療」の事例にふさわしいと思ったからなのだが、実際、見ると、それほど感心しなかった。線路上の開発ということでアクセスを著しく改善したことの効果は大きいが、そこが機能はともかくとして、空間として人を惹きつける魅力を伴ってないからだ。勿体ないなあ。私もわざわざ来た甲斐がなく、ちょっと勿体ないことをした。絶対、滑らない事例のように思えたからだ。ここらへんは報告書やウェブサイトと実態との乖離、ということで百聞は一見にしかずではある。まあ、行ったから理解できた、ということもあるのだが。

さて、しかし、都市自体は結構、興味深かった。フィンランドの都市はトゥルクを除くと、ほとんど歴史が浅い。そもそも、国の歴史が浅い。したがって、このタンペレも19世紀後半ぐらいからしか都市の歴史がなく、ちょっとニュータウン的な雰囲気が都市全体を覆っているのである。これは札幌とか旭川とかとも似ている。タンペレは「○○のマンチェスター」と形容される都市の一つであり、19世紀半ばから繊維産業で栄える。工場はまだ操業しているところもあるが、多くは操業を中止して、工場跡地は再開発されていたりする。そのうちの一つはフィンレイーといい、随分とイギリスっぽい名前だな、と思ったら創業者はスコットランド人であった。

そういう新しい都市ということであるが、しっかりとした都市のアメニティを高める工夫を都市デザイン的に頑張っていて、なんか応援したくなる。具体的には中央駅から伸びる大通りのトランジット・モール化、ウォーターフロントの公園整備(これは結構、昔からしているかもしれない)、それに前述した工場の跡地利用である。私はフィンレイーというところを訪れた。それなりに工場の建物をうまく再生利用しており、こういうブラウン・フィールドのリデザインは、もはやアイデアレベルではなく常套手段になっているのかな、との印象も受けた。

とはいえ、こうヨーロッパの都市の時間の積み重ねが生み出す、何年も寝かせたワインのような豊穣さが空間に欠けている。これは、まあ致し方ないことだが、それをどうやって都市デザインで克服させていくか。ここらへんが政策の肝かなと思ったりする。

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イスラム教徒の女性はイスラム教徒の男性としか結婚できない !? [グローバルな問題]

私はキリスト教系の大学に務め、現在では仏教系の大学に務めているが無宗教である。とはいえ、家のお墓があるので葬式は仏教で行うと思われる。あと、キリスト教系の大学と仏教系の大学に務めた経験からすると、仏教の方がよほどまともだな、とは思っている。さて、そんな罰当たりな私であるが、パキスタンに仕事で行った時、イスラム教はいいな、と思ったことがある。基本はキリスト教系の進化形であるし、その教えは学ぶところが多い。とはいえ、当時、既に奥さんがいて、どうもイスラム教徒はイスラム教徒かキリスト教徒としか結婚できない、という話を聞き、奥さんと離婚してまでの価値は全然ないな、と思い止まったことがある。
さて、しかし、そんな話を昨日、大学のイスラム教徒の秘書に話をすると、なんと女性はイスラム教徒としか結婚できないらしい。え!それは酷いな。男女差別である。おそらくモハメッドはそんなことはまったく言ってないと思うのだが、下手、イスラム教徒になって子供に迷惑をかけずに本当、よかったなと思った。私の子供は二人とも娘なので。

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韓国の合計特殊出生率0.7の衝撃 [グローバルな問題]

東京都市大学のイム先生の講演会に参加する。なんと、韓国の合計特殊出生率は0.7であるらしい。これは、現在のウクライナより低いぐらいである。驚きだ。日本の合計特殊出生率も随分と低いが、この深刻さは比較にならない。そもそも2001年からは1.4を上回ることはない。ソウルに注目すると、さらに低く、2022年には0.59になっている。これは、世界でも最低水準であろう。
 なぜ、低いのか。雇用の不安定、教育費の負担、助成の仕事と家庭の両立困難、個人的価値観の変化、住宅費の高騰、などが要因と考えられる。イム先生の研究からは、ソウルにおいては「教育費・養育費の高さ」が大きな要因であることが考察される。これに加えて「住宅価格が高い」ことも加わる。つまり、経済的な問題で負担を抱えることが子供を産まない大きな理由であると考えられる。
 韓国政府も手を拱いている訳ではない。育児給付金をそれまでの4倍の額を提供するようにしたりしている。この成果が出るのか、出ないのか。これは、今後、明らかになるだろう。
 さて、しかし、それにしても合計特殊出生率0.7は大変な事態である。少子化問題の人類の最先端に韓国は立っている。とはいえ、マクロでみれば人類は増えすぎている。それの調整を考えなくてはいけないので、人口が減っていることは好ましい事態として捉えられるが、ミクロ、すなわち国レベルで考えるといろいろと問題が生じる。今、合計特殊出生率0.7の凄さを知るために非常に簡単な計算をしてみる。男性と女性の人口が同じと考え、平均寿命が80歳、女性が平均30歳で子供を0.7人産むと仮定すると、ある年に生まれた100の人口は、この人達が死亡した100年後には80ちょっとの数字になり、さらにその子どもたちがほぼ亡くなった130年後には20ぐらいになってしまう。孫達が亡くなる時の150年後ぐらいには6ぐらいで、これは150年で人口が94%ほど減少してしまうということだ。100万人の人口だったら150年後に6万人、1億人だったら600万人ということだ。もちろん、150年間、こんなに合計特殊出生率が一貫して低いということは考えられないが、年金制度は大幅な改革が必要であることは間違いないだろう。
 いやいや、日本の少子高齢化などが吹っ飛ぶような状況に改めて愕然とした。

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ドイツの田園都市ヘレラウを訪れる [都市デザイン]

ドイツ鉄道乗り放題チケットが今日で最終日になったので、どこに行こうかと考え、ドレスデンの田園都市ヘレラウに行くことにしました。ヘレラウは以前、ドイツ人の友人に連れて行ってもらったのですが、ただ連れられていったのであまり問題意識もなく歩いていただけでした。そのくせ、大学で「田園都市」の講義をした後、世界中に影響を及ぼした事例としてヘレラウのスライドを使ったりしていましたけど。ヘレラウは世界遺産登録を目指して運動しているのですが、今年も落ちました。ヘレラウには博物館(といっても随分と小さいですが)があり、そこの受付の人に気になることを聞いたら、随分と丁寧にいろいろと教えてくれました。
 ヘレラウは当時の著名な建築家達が集まって家々を設計したのですが、その中でも4名が設計したものはドイツのデンクマール(記念碑)保全の対象になっているので、住んでいる人が改修する際には、ドレスデン市に問い合わせをしなくていけないようです。そして、新築の場合は特になく、ドレスデン市の他の地域と同じように通常のFプラン(土地利用計画)とBプラン(建築計画)には従わなくてはならないようです。実際、街中に出てみると、ヘレラウのデザイン・コンセプトと違うデザインの住宅が多くつくられていました。
 ヘレラウの街並みは、基本、ドイツのユーゲントシュティル運動の中核的メンバーであったリヒャルト・リーメルシュミットの意匠がその基調となっていますが、他の建築家も設計しているので単調にはならない。他の建築家も基本、リーメルシュミットと調和するようなコンセプトのデザインで設計していますが、いい意味で個性が出ているので、調和のある中での多様性のようなものが感じられます。また、通りごとにその担当が分かれていたようで、通りが個性を持つようになっています。
 ヘレラウはカール・シュミットという実業家が工場をつくる際に、ドレスデンの郊外のヘレラウという牧草地の北側を選び、その周辺に工場で働く人達のために住宅をつくることを考えたことで実現しました。ちょうど、イギリスでエベネザー・ハワードが田園都市という考えを発表し、実際、レッチワースという田園都市を1903年から建設し始めました。この田園都市というコンセプトはあっという間に世界中に影響を与え、日本でも関東の田園調布や関西の千里山などに似たようなコンセプトの住宅がつくられたりしますが、ドイツも例外ではなかったのです。シュミットは田園都市のコンセプトに感銘し、それを模倣した。当時のドイツでは社会改革運動が盛り上がっており、その考えも反映させることにしたのです。
 ヘレラウの中心は市場広場です。ただ、ここは駐車場として使われていて、シンボルとしての中心性は弱かったです。非常にもったいない。ただ、道路が直線ではなく地形に沿って緩やかに曲線していることや、庭が広く、また公共の緑も結構、つくられており、非常に住環境は優れているなと感じました。工場はもう操業していませんが、建物は綺麗に保存されており、レストランなどがテナントとして入っていました。私が訪れた時、ちょうど結婚式をあげていました。ある意味、こちらの工場の方が市場広場より、人々が愛着をもつ空間なのかもしれません。
 ヘレラウは田園都市の周辺をも含んだ近隣地区でおおよそ人口が6千人強です。レッチワースの人口が3万4千人ですので、規模では随分と小さいです。レッチワースはしっかりとした鉄道駅もあるし、商店街も相当、しっかりしているのに比べて、ヘレラウは必要最小限の商店・サービスしか提供されていないような印象を受けました。ただ、トラムが走っており、ドレスデンの都心部まで30分で行けます。田園都市のコンセプトの人口規模はハワードは、3万2千人ぐらいとしていたので、レッチワースはほぼそのコンセプト通りです。それに比して、ちょっとヘレラウは小さいですね。とはいえ、住宅の並びの美しさは本家を上回ると思いました。

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【リーメルシュミットが設計した住宅群】

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【工場は現在、テナントとしてレストランなどが入っている】

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【ヘレラウの象徴でもあるフェスティバル・ホール】
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ドイツ人でも鉄道飛び込みの自殺はする [ドイツ便り]

東京や大阪とかでは鉄道への飛び込み自殺が多い。どこかで、それは日本的な病である、みたいな記事を読んだことがある。それは異常だ、ということで、そうなのかな、と思っていたりした。さて、しかし、ドイツでも仕事や人生で悩み、精神を病んでいる人は多い。実は私の友人も精神病になってしまった。彼の場合は家庭にも恵まれていて、仕事も大学教員として実績等もたくさんつくっていたので、その原因を探るのは難しいのだが、彼との話をもとに私が考察すると、コロナでのダメージは大きかったようだ。コロナでの抑圧された生活の後の開放感が躁病の引き金になってしまったような気がする(彼の病気は躁病である)。
 さて、そして、そのように精神を病んでいる人は自殺を往々にするのだが、鉄道への飛び込み自殺とかもあるらしい。魔が差してしまったのであろう。ただ、そういう点では日本人だけが異常という訳ではないような気がする。私の別の友人は管理職として22人の部下を抱えていたが、そのうち5人が精神を正式に病んでいたそうだ。まあ、なかなかドイツで仕事をするのも大変だな、という気がするのと同時に、ドイツの官僚制は日本と比べても酷いので、まあ、これはストレス抱えるな、と思わなくもない。
 ドイツでは日本の「過労死」はギャグであり、到底、信じられないと言う。まあ、私も過労死はしないタイプだと思うのだが、それは責任感がそれほどないからだ。死んでまで忠誠をつく価値のある組織に所属したことがないからだとも言えるが、過労死は、日本人の組織に対する忠誠心、責任感に基づいている。個人を犠牲にするのはおかしい、という考え方には共感するが、この組織への忠誠度や責任感はある意味、日本の美徳の裏返しでもある。ドイツでは過労死になるほどは働かないが、それは組織への忠誠心や責任感が希薄であるからだ。それは、悪いことだとは思わないが、逆をいえば、ちょっとコミュニティ的なものへの帰属感の薄さにも繋がる。そのような中、仕事をしていくうえではいろいろとストレスが多い。このストレスを個人でため込むことが、精神的病に繋がるのではないか。
 日本がいいとは思わないが、ドイツでもいろいろと仕事環境などで課題があることが分かる。

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ドイツ人のサービスすることへの嫌悪について、ちょっと意見を述べてみた [ドイツ便り]

最近、暖かくなってきたせいか、蛇口からでる水が臭う。歯を磨く時に、濯ぐのにも抵抗がある。これは不味いなと思い、浄水器を買いに行くことにした。ということで、ロスマンというドラッグ・ストアに買いに行った。見当たらないので店員に「浄水器を置いてあるのか」と尋ねると、「ある」と言う。ただ、場所は教えてくれない。しばらく、物欲しげな顔をして見ていると、うざそうな顔をして「あっちだ」と方向を教えてくれた。それ以上は、私をしかとして棚に売り物を陳列し始めた。ということで、とりあえず指された方向に行ったが全然、分からない。しょうがないので、他の店員を探して「浄水器の場所を教えて欲しい」というと、また「あっちだ」と方向しか教えてくれない。「もうちょっと教えて欲しい」と尋ねると「ゴミ袋の隣だ」と言う。いや、ゴミ袋もどこにあるのかが分からないのだけど。ただ、とりあえず、浄水器よりゴミ袋の方が見つけやすいかな、と思い、言われた方向のところに行くと、果たしてゴミ袋は見つけることができた。そして、それの周辺を見回したらようやく見つけることができた。レジに行くと長蛇の列ができていたが、自動精算の機械があったので、そちらで精算して店を出た。機械はとても快適であった。
 それにしても、ドイツあるあると言えばそうだが、このサービスの無さは驚きだ。もしかしたら、店員はお店との契約内容に、お客に売っているものの場所を教えること、というのが入っていないのかもしれない。店員の仕事というのは、商品を棚に並べることとレジを打つことだけなのかもしれない。しかし、そもそも困っている人を助けてあげる、ということがあたかも損のように捉える、このエゴイスティックな感覚は何なんだろう。私はたまたま見つけられたからここで買ったが、独力で浄水器を見つけられなかったら買わずに店を出たであろう。それは販売機会の損失なのではないのか。いや、店が潰れても自分達はただの従業員なのでいいという考えなのかもしれない。
 といいつつ、ドイツは国全体では極めて寛容で他国に優しい政策を行う。貧困者や失業者にも手厚く、資本主義的ではない。このマクロとしての国とミクロとしての人の違いは何なのだろうか。と書きつつ、個人的には非常に優しくて、性格がいいドイツ人を多く知っている。彼らは、そこらへんの日本人よりずっと優しかったりする。それなのに、仕事になるとそういう感覚を持たないのはどうしてなのか。そういえば、私が所属するベルリン工科大学の先生達も、公私を極めて分けて、私に対してコミュニケーションするのは、前からの友人と秘書と同じ研究室の若手先生ぐらいである。これはドイツ・パラドックスだな。
 公私を別、という考え方を悪いとまでは言わないが、仕事が嫌い、というか仕事にやり甲斐を見出さないという価値観に対しては、私はとても抵抗があるので、その点は受け入れられない。そんなにサービスするのが嫌なら、サービス業で働かなければいいと思うからだ。しかし、お金をもらって、人のためになるとか人がちょっといい気持ちになれるというサービス業ってそんなに悪い仕事だと思わないんだけどな。仕事に面白みややり甲斐を見出せない、というのは自分に問題があるんじゃないだろうか。

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ラウシャというチューリンギアの森の中にある町を訪れる [ドイツ便り]

チューリンゲン州の南にチューリンギアの森は広がる。それは北西端のアイゼナハから南端のゾンネベルクに及ぶ2200平方キロメートルぐらいの広大な森である。チューリンギアの森は山の高さこそ800メートル前後と高尾山ぐらいのものであるが、そこから展望する景色は北海道をも上回る雄大さで、なかなか見応えがある。
 さて、そんなチューリンギアの森の中にあるラウシャという町を訪れた。チューリンギアの森の中心的都市であるザールフェルトから24キロメートルほど南西にこの町はあるのだが、最近、ザールフェルトから直通で走っている列車が廃線になってバスが代行することになったので、バスでザールフェルトからノイハウスまで行き、そこから列車に乗り換えて3駅ほど行かなくてはならない。ザールフェルトからノイハウスまで列車では30分ぐらいで行けたところが1時間もかかるようになった。
 ライプツィヒに8時50分発の列車に乗って2時間かけてザールフェルトまで行き、バスと鉄道を乗り継いで町に着いた時には12時30分を過ぎていた。なかなか遠い。
 さて、その人口であるが3188人(2022年末)。最盛期は二つの大戦の狭間頃で、当時の人口は8000人ぐらいいたそうだ。1995年にも人口は4459人いたので、それからの減少もなかなか大きい。この20年間ぐらいの人口動態をみると、一貫して自然減ではあるものの、最近は社会増もみられており、5年前にこの町にベルリンから移住をした人にも話を聞けたりもした。
 この町はガラス工業が盛んであり、ガラス・ファイバーが発明された町でもあるそうだ。また、このガラスを使ったクリスマス・ツリーのデコレーションのガラス細工でも有名であり、街中にはガラス博物館があり、また、クリスマス・ツリーのデコレーションのガラス細工のお店が多くある。このクリスマス・ツリーのデコレーションのガラス細工もラウシェン発らしい。ただし、個人的には、このデコレーションのガラス細工は収集癖があるぐらいなので大変、興味が惹かれたが、それほど物欲を刺激されるものはなかった。結果、何も買わずに帰路につくことになる。個人的にはガラス細工というとボヘミアン・グラスやベネチアン・グラスや北欧のグラスは知っていたが、当然、ドイツにもこのようなガラス都市があるのは、よく考えれば当たり前のことだが知らなかった。
この町が初めて記録に表されたのは1366年。ガラス製造が始まるのは1597年である。ガラスをつくるのには水が綺麗であること、さらに土が必要であること、さらには炭酸カリウムや木材が必要であるのだが、ラウシャはそれらの条件を備えていた。ガラス産業を興したのはミュラー家とグライナー家である。この二つの家が、ラウシャのガラス製造を今日まで引き継いでいる。
実際、訪れてみるとラウシャ川が削りとった細い谷を中心に広がる街並みは相当、美しい。家々は基本、スレート葺きの建物であり、つい最近まではデザイン規制もされていたが、それが最近は撤廃された。その理由は、スレートが高額になって容易に購入できなくなったことが理由のそうだ。市長もこのスレート葺きにしたいそうだが、なかなかコスト的に厳しくて出来ていないそうだ。
ラウシャは財政的にも厳しく、財政破綻もしたことがあったそうだ。とはいえ、人口は、自然減は致し方ないが社会増は大きな希望である。市長はウクライナ難民の受け入れにも積極的で、街中でもそのような難民の人達を見かけた。あと、この町には地霊のようなものが宿っている。そういう町は消滅することはない。適当な経済学者や役人が得意になって「消滅する自治体」とか言っているが、そこに住んでいる女性が子供をどれくらい産むか、みたいな適当な法則で、場所の将来は予測できない。そういうことを改めて感じさせるような町であった。

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ドイツの国土開発可能面積は年間30ヘクタール以下!という驚き [都市デザイン]

ドイツの国土開発は年間30ヘクタール以下と連邦政府によって規定されていることを知った。30ヘクタールといったら、東京ドーム 9個分ぐらいしかない。州政府での上限ではなく、国土全体での上限だそうだ。この30ヘクタールであるが、対象はグリーン・フィールドであり、工場跡地とか既に市街地となっているところは対象に入ってない。こんな規制があれば、郊外開発が進まないのも当たり前である。 

さて、ただ近年の住宅不足と住宅価格高騰は、流石にもっと開発させろ!という圧力を高めているが、多くの自治体はグリーン・フィールドに手をつけることには強い抵抗を覚えているそうだ。住民もグリーン・フィールドが減るのは大反対だ。それどころか、多くの人はこの30ヘクタールをゼロにしたいと考えているそうだ。例えば、大学生で都市計画とかを学んでいる人のほとんどは、これを増やすどころか、ゼロにしろ!と主張しているらしい。確かに住宅不足と賃貸高騰で大変な状況になっているベルリンでも、テンペルフォルト飛行場跡地に住宅をつくらず、そこを広大な公園とすることにした。テンペルフォルト飛行場はグリーン・フィールドではなくブラウン・フィールドとして計算されるので、ベルリン市にとってそこに住宅を整備しなかったことは、ちょっと違うのではないかと思わなくもないが、それだけオープン・スペースを大切にしているということの証左であろう。

このような規制があることが、ドイツではブラウン・フィールドの開発が盛んで、しかもそれを丁寧にしていることの背景にあることを知る。そして、なぜ郊外開発ができないのか。その土地供給のところで根本的に抑えていることを知る。こういうことをして、初めてコンパクト・シティが形成されるのであろう。日本のように市街化調整区域でも、例外規定をつかってどんどんと住宅開発できるような状況で、コンパクト・シティの旗をあげても無駄なのではないか。ドイツの30ヘクタールを上限とするグリーン・フィールドの開発規制は、なかなか厳しいなと個人的には思うが、そういう施策を支持する民意があって初めて郊外開発規制やコンパクト・シティが具体化できることを改めて知る。

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ブリストルの都市計画局長と話をして、イギリスの地方都市をめぐる問題が多少、理解できた [都市デザイン]

ブリストルの都市計画局長と話をすることができた。ブリストルはイギリス西南部にある人口46万人の都市である。その都市計画的な弱みは3つ。一つは公共交通機関が劣悪であるということ。人口46万人でバスだけ、というのはなかなか厳しく、ドイツでもそんな都市はないんじゃないだろうか。地方都市でトラムが整備されていない都市といえば、ドイツの北西部に集中しているが、アーヘンでも25万人、ミュンスターでも31万人。46万人でトラムも地下鉄も整備されていないのは、確かにドイツと比較すると、え!という感じである。結果、自動車の利用分担率は相当、高いようだ。もちろん、ブリストル市でもそのニーズはよく理解していて、20年ぐらい前に中央政府がトラム整備の補助金を出した時には、応募した。しかし、その時はノッティンガムが選ばれて、ブリストルは落とされた。ということで、依然として、これは大きな課題となっている。特に中央駅と都心部が離れていて、歩くのが厳しいといった都市構造的な特徴が問題をより深刻化させている。
 もう一つの問題は市域が狭いので、開発需要に対して土地の供給量が少なすぎること。これは、グリーンベルトの影響も大きい。グリーンベルトは戦後、指定されたのだが、そもそも市域が狭いのに加えて、グリーンベルトで開発できる土地がさらに限られている。必然的に高層ビルという選択肢が出てくるのだが、なかなか高層ビルに対しては抵抗がある。とはいえ、現在、24階建ての住宅を含めたミックスド・ユースの建物に開発許可を出した。状況は変わっていくかもしれない。グリーンベルトの先にある隣接自治体が住宅を供給してくれればいいのだが、そういう気にはならない。人口が増えることに対しての抵抗が強いそうだ。こういう点は日本とちょっと違うかもしれない。
 三つ目の問題は住宅のところでも述べた周辺自治体との調整である。ブリストルは隣接した自治体が大規模ショッピング・センターを郊外部につくったので、これによってブリストルの中心市街地は相当、ダメージを受けている。市域内であれば、そのような郊外開発を規制することができるが、隣の自治体だとお手上げである。
 ということで、なかなか日本と似たような都市問題を抱えていることを知ったが、グリーンベルトはロンドンのものが有名だが、ブリストルだけでなく、隣の小さな自治体もグリーンベルトを設けていることを知った。一般的にグリーンベルトは設けるもののようだ。なんか、整備するためのインセンティブがあるのかな?確かにドイツのような厳しい土地利用規制がない中、郊外開発を抑制させるためにはグリーンベルトは効くであろう。これをイギリスが、コンパクト・シティを提唱する背景の一つにあるのかもしれない。そもそも、最初からコンパクト・シティである、という点で。日本のように無理矢理、コンパクト化を図ろうとする(から、結局、出来ない)のとはちょっと状況が違うことことも理解した。あと、郊外的な位置づけにある自治体が人口を増やしたくない、というのも日本とは違う。人口が増えた方がいろいろとメリットがあるんじゃないですか?と尋ねても、「そうなんだけどね」という返事であった。ここらへんは日本とちょっと違う状況にあるような気がする。あと、EUから脱退しても、人口は増えているみたいだ。この背景はちょっと時間があれば調べたいところである。

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ブリストル・パークウェイとブリストル・テンプルミードの関係性に新大阪駅と大阪駅の関係性をみる [都市デザイン]

マンチェスターからブリストルまで鉄道で行く。ブリストルは港湾都市なので、東西に行く鉄道にとってブリストルの中心市街地に行くのは面倒だ。したがって、ブリストル・パークウェイという駅が郊外につくられていて、カーディフやバースに行く人はここで乗り換えることになる。同じ港湾都市である新大阪駅のようなものだろう。
 さて、違うのは、この特急はブリストル・パークウェイという駅で止まらず、しっかりとブリストル・テンプルミードという中心市街地の駅、大阪でいえば大阪駅まで列車を走らせている。いや、雷鳥もそうしているでしょう、と言われるとそうかもしれないが、イギリスは日本と違って新幹線が走っていない。圧倒的に多くの利用者の利便性を考えれば、少なくとも新大阪駅止まりの新幹線は大阪駅まで走らせるべきであろう。というか、本当ならば難波駅まで走らせたいぐらいである。いや、いっそのこと、そこからりんくうタウンを経由して和歌山駅まで走らせたいぐらいだ。
 これは全然、突飛な考えではない。もし、大阪が首都であればまず問答無用に近く、大阪駅に新幹線の乗り入れは実施されるような計画である。というか、駅の目の前にあれだけの広大な土地があったら、普通、そのように考えるのではないだろうか。豊臣秀吉だったら、間違いなく、そういう計画をするだろう。大阪市は市の人口規模だけを考えれば、それほどは大きくはないかもしれないが、大都市圏だとヨーロッパで随一、アメリカとでもニューヨーク大都市圏と競うぐらいの大都市なのである。その都市の中央駅に新幹線が入ってこないというのは、あまりにもおかしい。いや、何か、裏の事情があるのだろうが、それを知らないとまったく理解不能だ。
 ということをブリストルに来て、さらに思った次第である。

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日本が「新興国」なみになったとの比喩は、「新興国」に失礼だ。 [サステイナブルな問題]

円安が進み、財務省も日本銀行もマスコミも大慌てをしている。それまで円安を目指した政策を進めて、円安が具体化したら、急いで円を買うような税金の無駄遣いをしている。植田先生は結構、しっかりとしているのではないか、と期待したが、所詮、経済学者はこんなものなのだろうか。というか、経済学自体が本当に必要なのか、むしろメチャクチャ無駄な学問なのではないか、とまじに考えさせる政策失態である。
 それはともかくとして、このような事態を朝日新聞は「新興国並み」と記した(https://digital.asahi.com/articles/ASS4S4GVLS4SULFA003M.html)。新興国?それは、国際経済的に経済競争力がない状態から、徐々に競争力を持ち始めているような国のことを指す。つまり、新興国とは基本的に経済成長過程にある状況にある国であり、人口が成長し、それに伴って経済も成長しているような国を指す。日本のように人口も減少し、経済競争力が減っている国は決して「新興国」とは言わない。それは「衰退国」である。
 いや、この小見出しは経産省が「新興国に追いつかれる」と発言したことを紹介する記事のものなのだが、経産省は「新興国なみ」とは言ってないので、ここで朝日新聞のバイアスがかかったのではないか、と推察される。そうであれば、何か、問題の本質を全然、見誤っているのではないか。新興国の明日は明るい。いや、上がり下がりはあるかもしれないが、基本、明るい。日本の明日は暗い。もちろん、京都大学の森先生が指摘するように100年後に存在する都市は東京と福岡、というような事態には決してならない。いや、こういうことを書く時点で、またも経済学者はしょうがねえなあ、と思わなくはないが、ただ、そこまで酷くはならないが、新興国のような未来が待っていることはない。日本を「新興国なみ」と表現した朝日新聞は、全然、事態を理解していないと思われる。
 そうそう、この記事で知ったのだが、財政制度等審議会の会長代理が、あの「地方消滅」の著者であり、豊島区が消滅可能都市だと発表した増田寛也であることも驚き(ちなみに豊島区はこの10年間、自治体での人口増加率トップ5で、むしろ消滅どころか人口が増えすぎて問題になっている)。加えて、増田氏は、この自分の計算モデルの間違い(女性は子供を産んだ後、引っ越すということを計算に入れていない。子供をどこで産むかということに注目し過ぎているので、豊島区が消滅可能都市、世田谷区の将来も黄信号みたいな予測をしてしまう・・これに関しては時間があればしっかりとどこかで書いてみたい。さすがブログだときつい)を認めず、最近、言い訳をしているらしい。こんな奴が会長代理じゃあ、日本の経済がどうにかなる訳ないよな。はあ、植田さんが円買いをするなら、円を売るぐらいでしか自衛手段はないかもしれない。今、海外に住んでいるので、日本で暮らしているのとは違って、日々、削られる思いです。

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列車内のお行儀はドイツよりさらにイギリスの方が悪かった [ドイツ便り]

ロンドンからマンチェスターまで鉄道で移動した。車内には女子中学生か女子高校生のグループが乗っていた。おそらくマンチェスターからロンドンに友達とつるんで出かけたのであろう。結構、興奮していた感じであった。さて、別に子供なので興奮するのはいいのだが、お喋りだけではなくて、音楽をかけて歌い始めた。これは、誰かが止めるだろうと思っていたのだが、誰も止めなかった。これは日本でもドイツでもあり得ない事態である。日本も車掌が注意してくれるが、ドイツでも特急列車だと「何かあったら車掌にまで言ってください」とアナウンスを立前かもしれないがする。いや、イギリスでもするのかもしれないが、皆、許容していた。私も結構、腹が立っていたが、外国人という立場もあってわきまえていたが、誰か文句を言ってくれることを期待していた。まあ、イアフォンを持っていたので、それで音楽を聴いて気を逸らしたが。
また、私の列をはさんで隣にいたハイティーンか20歳ぐらいの女性は、やたら車内で化粧をし、その後、席をしばらく外して戻ってきたら、ボディコンというか、胸が強調されて、パンツは丸見えのような裾の短い洋服に着替えて戻ってきた。香水もプンプンと漂わせて、いや、これは志村軒の森下悠里よりセクシーだ。これはロンドンからマンチェスターに何か勝負をかけに来ているのか、それとも仕事か。なかなかの美人ではあったが、あの格好で列車に乗られるとちょっと迷惑かもしれない。いや、志村けんのように見て嬉しくないことはないかもしれないが、それでも公共空間には不適切である。せめて、終点のマンチェスターの駅で着替えることはできなかったのか。時間がなかったのかもしれない。
ということで、5日ほど前に「ドイツ人の列車内での態度が悪い」というブログ(https://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2024-04-30)をアップしたが、イギリス人はもっと悪いということで、記事を挙げさせてもらう。

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列車内でお行儀の悪いドイツ人は結構、多い [ドイツ便り]

三浦展さんのベストセラー『下流社会』では、下流現象として列車内での女子高校生などのお化粧、さらには食事などを指摘していた。興味深い指摘であるし、確かに公共空間と私有空間の見境がつかない人達の大小は、都市で生活するうえでのマナーを測る物差しであるかと思う。さて、しかし、そのような人達はドイツにもたくさんいる。都市間鉄道でなら分からなくもないが、地下鉄でもみられる。化粧もすれば、食事を地下鉄でも平気で食べていたりする。まあまあ、匂いも漂わせる。ホモセクシュアルのカップルが地下鉄で平気でキスをし始めたりもするし、ううむ、パブリックとプライベートの違いがあまり分からないというのは別に日本人だけじゃないな、と思わせる。というか、携帯のユーチューブをなぜかヘッドフォンもせずに音全開で聞いている人がいる。若い男の子かと思ったら、中年のおばさんであった。ヘッドフォンをしろよな、と思うし、もしヘッドフォンがなければ音を消せ、とも思う。特急列車では「静穏車輌」があるのだが、「静穏車輌」でも携帯電話で大きな声で話したり、友達同士ではしゃいでしゃべる人とかもいる。日本人が車内でお化粧、食事をするのは決して褒められたことではないが、まあ、どこの国も似たようにお行儀が悪いな、とは思ったりもする。

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ドイツの都市計画の謎 [都市デザイン]

ドイツの都市では一等地が緑地である場合が多い。ベルリンは都会のど真ん中に広大なティア・ガーテンという公園がある。その規模は210ヘクタール。ロンドンのハイドパークよりも大きい。これは皇居の230ヘクタールよりはちょっと小さいが、皇居と違ってアクセス・フリーというところが違う。ハンブルクも旧市街地の外側を走る環状道路の外側にグリーンベルトのようにヴァランラーゲンの緑地を設けている。ミュンヘンも都心部の東を流れるイーゼル川沿いに広大な回廊状の緑地を整備している。今、私がよく特急の乗換駅で使うシュパンダウ駅は、東京でいえば大宮駅のような高速鉄道の交通結節点である。この駅でハンブルク行き、ハノーファー行きとが分岐する。しかし、その駅前には公園が広がる。それも結構の規模である。
 なんでこういう都市計画ができるのか。というのは、このシュパンダウ駅前は一等地である。日本だったらまず土地開発をするであろう。この公園の土地は相当の確率でベルリン市かシュパンダウ区が所有していると思われるが、日本だったら役場が土地を所有しても、それを「有効」活用することを検討するであろう。さて、ここで何が「有効」なのか、ということがポイントであるのだが、それは投資対効果なのである。アメリカでも似たようなことが検討されると思われるが、アメリカの方が実は日本より結構、役所が力を持っているので、それほど乱暴な不動産開発はできない(ただし、アメリカは都市計画法が州法なので州によって異なる。例えばハワイ州とかは、相当、土地利用規制が厳しい)。
 このように駅前の一等地にドイツにて緑地が確保できるのは、これは都市計画がしっかりしているからだが、この計画をつくるうえであまり経済的な観点が配慮されていないことが分かった。そもそもドイツの都市計画家は経済の勉強をしてないらしい。都市経済学とかいう言葉がでると、ドイツの大学の都市計画系の先生とか都市デザインの先生とかは、いやあ、ドイツはこういうことを都市計画の分野で勉強しないから不味いんだ、みたいなことを言う。したがって、駅前の一等地にオフィスビルをつくれば雇用が増え、税収も増えるぞ、みたなことをどうも都市計画では考えてないようなのだ。いや、考えていたとしても定性的というか勘のようなものだと思う。と書きつつ、ベルリンでもポツダム広場の再開発では、ソニーやベンツなどの民間投資を随分と促して、驚くような開発を遂行したから、多少は考えていたのかもしれないけど、その後、ベルリン州は倒産に近いような状況になったからな。開発をする時も金計算はあまりしていないのかもしれない。
 そして経済性ではなく、もっとアメニティとかアイデンティティのようなことを優先に考えて計画を立てる。土地でいかに儲けるようなことを考えない、というかそういう発想がないようだ。そもそも住宅も7割近くが賃貸だし、土地転がしという考えがない。それの担い手である不動産会社も日本やアメリカ合衆国と違って恐ろしく政治力がない。その結果、短期的にみると土地から金を生み出さないので損をしたようなことになるが、長期的にみればその都市の利益に繋がる。都市のあるべき姿をしっかりと考えることができるのだ。ドイツはこの点は偉いな、と思っていたのだが、その人材を育てるドイツの大学の教員達はむしろ真逆のことを考えている。ドイツのよさを潰して、アメリカ的な都市経済学で都市をつくろうと考えているのである。なんか、がっかり。あと、都市経済学というのは基本、アメリカ人が発展させた体系であるので、アメリカの中小都市の分析には多少、役に立つが大都市圏の分析には役立たないし、また、人口減少や日本の東京や大阪のように複雑な系となっていて、アメリカ人と違う価値観を有する人達が住んでいる都市にはほとんど役に立たない。日本でもいろいろとフラストレーションが溜まるが、ドイツの専門家も結構、アホなのでフラストレーションが溜まる。しかも、コミュニケーションを英語でするので、どうも説得力に欠けるし(私は日本語で話してもそれほど説得力を有さない・・・見た目のせいもあると思う)、しかもドイツにビザで住まわせてもらっている身なので、そうそう強く主張するのにも抵抗があるし。ドイツ人は自分達のよさをしっかりと自覚しないと、不味いんじゃないかな。そうそう、都市計画の先生よりも都市社会学の先生の方がドイツではまだしっかりして理解しているような印象も受ける。しかし、実施、都市計画を担うのは、都市計画の学科を出た学生なんだよなあ。
 

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ドイツの都市計画家達との議論で新しい知見を得られた [都市デザイン]

ドイツの都市計画の先生達との議論に参加する。そこで分かったのは、ドイツは都市計画学科のカリキュラムに都市経済学とかがないらしい。したがって、コスト感覚がしっかりとしていなくて、それをとても問題視していることが判明した。不動産経済とかをしっかりと分かる都市計画家がいないらしい。不動産投資をバックアップする学問がなかなか発達していないので、それがドイツの欠点であるとさえ言う。
 マサチューセッツ工科大学や明海大学とかにある不動産学部のようなものが、どうもドイツにないようなのだ。おそらく日本の不動産学会とか、アメリカのUrban Land Instituteみたいな組織もないのだろう。いや、私の邪推なので間違っていたら申し訳ないですが。
 さて、ただドイツは不動産業界が弱いのは確かである。ドイツにも不動産家は結構いて、宅地開発なども手がけていたようなのだが、世界大恐慌でほぼすべて倒産したそうだ。そのような経緯もあり、政治力のある不動産屋が出てこなかった。あと、ドイツの特性として土地利用規制などをしっかりとやることを好むという風土があったので、金儲けのために勝手をさせないという空気があったのと、郊外の多くは王家とかが所有していたので開発できなかった、ということもある。これらの王家の土地はそのまま市有地になったりしている。これが、ドイツはアメリカや日本と違って、だらしないスプロールが生じなかった二つの理由だと考えている。すなわち、土地利用規制がそもそも厳しいということと、そのような規制を無理矢理変えてでも郊外の宅地開発をして儲けようという不動産業者が不在だったということだ。
 私はドイツの都市計画に経済的な要素が入ってないことを、公共性とかを優先しているからだろう、と勝手に評価をしていたのだが、ドイツ人達はそれをマイナスと捉えていたというのが大変興味深かった。いや、経済優先でいったら、ドイツから公共交通、全部なくなってしまう。公共交通をむしろ生存権として位置づけ、民間事業ではなく公共事業として公共事業体が責任もってサービスを提供する。赤字は税金から補塡。潔くて素晴らしい、と関心していたのに、ドイツ人はその経済性の意識の無さ、そして、都市経済学のような経済的な視点が欠けていることを問題だと捉えていたとは。なんか、がっかり。
 ただ、私がそういう経済性を考えないところが、ドイツの都市計画の素晴らしいところじゃないのか、ローカル線を廃線にするような考えの政策が正しいとは思えない、そもそも私はドイツのそういう知恵を学びに来ているのだ、と主張したら、4人いた先生のうち1人はふむふむと聞いてくれた。この先生がいたのは結構、救いであった。この先生は都市デザイナーなのだが、なんとハンブルクのハーフェン・シティの設計に関わって、エルベ川が氾濫した時は、一階は浸水してもしょうがない、というアイデアを出した本人であった。感動した。ということで、ドイツ人があまり賢いわけではないな、ということを確認したがっかりした日ではあったが、とても貴重なネットワークもつくることができた。ドイツくんだりまで来た甲斐があったといえるような日であった。

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円安が止まらないと慌てふためくアホども [グローバルな問題]

円安が止まらない。どうも財務省も日本銀行も懸念を強めていて、何か大慌て状況である。さて、しかし、このように円安を誘導したのは政府や日本銀行ではなかったのか。そもそも、日本の経済を浮揚させるために円安政策を今まで推進しようとしたのではなかったのか。10年前の2014年に三井住友DSアセットマネジメントがアップしたウェブサイトでは次のように「円安は日本経済にプラス」であることが書かれている(https://www.smd-am.co.jp/market/daily/keyword/archives/japan/1241825_1982/)。

以下、引用。
「円安は、輸出企業には採算改善や輸出拡大、サービス産業には訪日外国人旅行者の増加による消費支出の拡大などの経済効果があります。輸入企業にはコスト増や価格競争力の低下などのマイナスの効果がありますが、日本経済全体としてはプラスの効果が上回るとみられています。」
以上。

これは、別に三井住友DSアセットマネジメントだけでなく、政府も社会もそのような考えであったかと思う。円安こそがアベノミクスの目標の一つだったのではないか。基本、安倍さんが旗を振って、一生懸命「円安にすればどうにかなる」と呪文のように唱えて、ずっと経済政策を推し進めてきて、その結果の円安である。なんか、一生懸命、好きな女性を口説いて、ようやく受け入れられたら慌てているようなアホさ加減を覚える。円安で困るなら、円安誘導策などをしなければよかったのである。自分達が招いたくせに、いざ具体化したら慌てるのはおかしすぎるだろう。というか、日本経済にプラスにならず、しかも株高につながらない、ということをしっかりとエコノミストは説明する責任があるのではないか。こういう時のために、経済学を勉強してきたのではないのか。

私は現在、ドイツに住んでいるので、この円安はもう普通の日本人より遥かに大きなダメージを受けている。とはいえ、国が目指した経済政策の成果であるから、ある意味仕方ないと思っているところもある(ただ、私は自民党に票を入れたことは人生で一度もありませんが)。それなのに円安が止まらなくて大変だ、日本も「新興国になった」とか慌てふためいているのは人を馬鹿にしすぎてないか。失敗をしたことが明々白々になったのだから、ここで計算ミスをしたとか、ここを誤解した、といった政策の判断のミスを解説してもらった方が有り難い。経済学なんて相当、いい加減なものなのであるから、そもそもそうそう思い通りに行くとは思えない(私は以前、某私立大学の経済学科に所属していたので、経済学の先生達のいい加減さは骨身に染みて理解している)。それはいい加減な仮説(見えざる手とか)の積み重ねだからだ。しかし、いい加減だから現実がその通りにならないのもしょうがないと思う。ただ、だからこそ、ここの仮説が間違えたとか、そのモデルを修正しようと考えることとかが求められるのではないだろうか。なんか、藪から蛇が出てきたように、慌てふためくのだけは本当に止めて欲しい。

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大西國太郎著『都市美の京都』 [書評]

1992年ともう30年前に出版された本。著者は京都市役所で長い間、働き、京都の景観保全の最先端で仕事をされていた。京都に対してのとてつもない愛情が行間から溢れてきて、読んでいてちょっと心が震える。こういう人達がいたから、今の京都の街並みの美しさが保全されているのだな、と感じると同時に、こういう人がいてもあそこまでしか出来なかったのか、とも思う。最悪のシナリオは歩まなかったけど、最高からはほど遠い。そして、本が出されて30年以上経っても、まだまだ問題は解決できていない。特に京都南部は、この本が出た時よりはるかに悪くなっているような印象を受ける。しかし、こういう本が世に出ていることは本当に有り難い。100年後にも読んでもらいたい本である。

都市美の京都: 保存・再生の論理

都市美の京都: 保存・再生の論理

  • 作者: 大西 國太郎
  • 出版社/メーカー: 鹿島出版会
  • 発売日: 1992/05/01
  • メディア: 単行本



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都市は不死身なのか [都市デザイン]

 都市を人体のアナロジーとして捉えると、いろいろと興味深い思考実験が行える。しかし、もちろん都市と人体とは異なるので、そのアナロジーにあまり説得力のない場合もある。例えば、都市と人体はともに、あるときこの世界に誕生するが、人体は死を迎えるが、都市は死なない。もしくは、例えば戦争などで徹底的に破壊されることで「死んだ」と捉えるような状況になったとしても、その後、蘇生することが可能だということだ。と書いて、ふと気づく。それは、この都市が本当に「蘇生」したのかということへの疑問だ。それは、同じ地理的場所につくられているが、違う「都市」なのではないか。つまり、都市としては「別人格」なのではないか、ということだ。江戸時代の「江戸」と令和時代の「東京」とを必ずしも同じ都市として捉えないような考えである。
 アメリカ人では子供に親と同じ名前をつける習わしがある。同姓同名にするということだ。当然、名前だと区別がつかないので、親はシニア、子供はジュニアと呼ぶことで区別をつけることになる。ただ、同じ名前だが実際は違う人間だ。都市も同様のことが言えるのではないか。そのように考えるのはロシアのカリーニングラードやポーランドのブロツワフを思い描いているからだ。カリーニングラードはロシアよりドイツの都市であろう。ブロツワフは100年前は間違いなくドイツの都市であったが、それより昔まで遡るとポーランドの都市であったりしたので難しいところがあるが、その都市アイデンティティが必ずしも一貫したものではない。このような都市は日本にはほとんどなく、それが都市の不死身さを考えるうえで、ちょっと安易になってしまっているのかもしれない。
 私はカリーニングラードはある意味、死んでしまったように考えている。ブロツワフはちょっと難しい。まだ考察が必要だ。

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ポートランドに来たがるNBAの選手はほとんどいない!? [地域興し]

NBAもレギュラー・シーズン終了まであと1週間ぐらい。プレイオフに進出するチームはまだまだ続くが、そうでないチームはもう来季を見据えて戦略を立てていかなくてはいけない時期だ。戦略増強は大きく3パターンある。ドラフトとトレード、そしてフリー・エージェントである。この中で即効力のあるのはフリー・エージェントであろう。金はかかるがトレードと違って、自分のチームの選手を放出しなくてもよい。さて、先日、ユーチューブでだが、スポーツ・ラジオ番組を聴いていると(見ていると)、フリー・エージェントで選手が行きたがるチームはほぼ限定されているという意見をホストが述べていた。そして、やはりロスアンジェルスが一番、人気だろう、とこの番組のホストは言っていた。これはレイカーズがそもそも強豪であるからだが、ロスアンジェルスの都市としての魅力が素晴らしいしな、と付け加えた。そして、一方でチームの強さはともかく、NBA選手が行きたくない都市はポートランド、オクラホマ・シティだ、とも言った。この発言にはちょっと驚いた。いや、私も西海岸の大都市で住むならサンフランシスコ、シアトル、サンディエゴ、ロスアンジェルス、ポートランドの順で、ポートランドは最下位である。だけど、オクラホマ・シティより下とはちょっと違うのじゃないか、と思ったからだ。ただ、私自身、オクラホマ・シティに行ったことがないので強く反論することはできない。

さて、このポートランドだが、実は日本人は結構、好きである。世田谷区の保坂区長とかもポートランド大好きで本とかにも紹介している。他にも好きな人が多くて、ポートランド本も結構、出ている。しかし、私はそんなに嫌いとは思わないが、前述したように他の都市に比べていいとは全然、思わない。実は政策的には大都市圏行政がしっかりとできているのは全米ではミネアポリス大都市圏とポートランド大都市圏しかなく、そういう点からは興味深いのだが、都市としての魅力は大してない。まあ、NBAのゴールデン・ステート・ウォリアーズでいえば、カリー、トンプソン、グリーン、最近台頭しているカミンガのレベルでなく、せいぜいウィギンスぐらいの立ち位置の都市である。というように全然、過大評価してない私であったが、まさかNBA選手が行きたくない都市の筆頭に挙げられると驚きであった。まあ、確かにトップの州立大学はユージーンにあるし、絵はがきにするようなランドマークもないし、四大スポーツもバスケしかないし、お土産になるようなものもないし(1993年に訪れた時、お土産屋に行ったらナメクジの缶詰がギャグで売っていた)、地味な都市といえば、本当、地味だよな。ということを改めてアメリカ視線で知った。

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ブランデンブルク市の公衆トイレに入ろうとして驚く! [ドイツ便り]

ベルリンから小一時間ほど西に鉄道で行ったところにあるブランデンブルク市を訪れる。さて、街中に出る前に用を足そうと思い、駅前の公衆便所に入ろうとする。料金は50セントである。50セントを入れて、ドアを開けたら、なんと女性が便器に座ったまま用を足していた。30代前後ぐらいの女性だ。流石に驚いて、「ごめんなさい」と慌てて英語で言ってドアを閉めた。これは、どういうことだろう。と考えて、おそらく、この彼女は内鍵をし忘れたのか、ドアが壊れていたかのどちらかであろう。ただ、公衆便所は空いている、とドアに緑色のサインが点いていたのと、比較的新しくつくられた感じのトイレだったので、なんとなく前者のような気がする。

こういうことは日本だとほとんどないような気がする。と書いて、そもそも日本はトイレが男女別だからか、ということに気づく。しかし、そうであればこそ、内鍵はしてもらいたいし、もし鍵が壊れているのであれば違うトイレに行って、壊れたトイレは使わないべきだと思う。私だったら使わないと思う。ちなみに、女性が用を足している光景は、家族を含めてもほとんど見たこともないが、見てもまったく得したような気分にはならない。というか、見ない方がいいものだと思った。ちょっとあんなものを見させられて不愉快ですらある。

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『ベルリンを知るための52章』 [書評]

私は明石書店の「○○を知るための○章」のエリア・スタディ・シリーズが結構、これまでも、好きでいろいろと読んでいる。さて、しかし、このベルリン本は、私が読んだ中で最も質が低く、しっかりと編集できていなくて、本当に明石書店が出版社かと確認したぐらいである。何か編集部に組織的問題があったのではないか、というほど酷い。

この本は浜本隆志という定年を迎えた大学教員と希代真理子というベルリン在住のフリーランスが書いているのだが、このコンビネーションがよくない。ジャズ・ギタリストとヘビー・メタルのベーシストでバンドを組ませたような感じである。浜本先生はドイツの歴史にはさすが詳しく、ワイマール共和国あたりのエッセイはなかなか勉強になるが、ベルリンとの関連性は薄い。一方の希代氏は、ベルリンの生活者からの視点でいろいろと彼女の感想文のようなものを書いているが、女優のエッセイというレベルで、著者に興味がなければ読むに値しない。これのどこがエリア・スタディなのだろうか。私もベルリンに住んでいるが、私のブログの方がまだまともなことを書いているのではないだろうか。これは著者の責任というより、この人に書かせた明石書店の問題じゃないだろうか。

あと、「増加」を「増化」とするなどの誤植があり、これは流石に編集レベルで気がつかないのは不味いだろう。私は、これまでこのエリア・スタディ・シリーズは無条件に信頼していたが、その信頼を大いに落とした本である。あと、ベルリンの内容にも異議を多く持つ。悪いけど、そんなに環境都市じゃあない。少なくとも、京都に比べてもごみの分別とかごみの処理はしていないし、街並みはごみに溢れていて汚い(といってもオランダよりはましだけど)。そして、生活排水の処理ができてないんだよねえ。ここは、本当、日本で生活していたものとしては心配になる。ドイツに長く住んでいる日本人にこの点を相談したら、「日本と違って生活排水はそのまま流すんです。ダメですよねえ」と言っていたから、希代さんも知っている筈だ。ということで、ベルリンに対して理解を促すというか、誤解を促すような本であるとも思う。まあ、読まない方がいい、というか他の本を読んだ方がベルリンを理解するうえではいいだろう。

例えば、平田達治氏の『ベルリン・歴史の旅』を読んだ方が10倍以上、というか『ベルリンを知るための52章』の読む価値はゼロに近いので、100倍以上はためになると思われる。まずは、こちらを手にすることを強く勧める。


ベルリン・歴史の旅-都市空間に刻まれた変容の歴史 (阪大リーブル025) (阪大リーブル 25)

ベルリン・歴史の旅-都市空間に刻まれた変容の歴史 (阪大リーブル025) (阪大リーブル 25)

  • 作者: 平田達治
  • 出版社/メーカー: 大阪大学出版会
  • 発売日: 2010/10/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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『インディアナ・ジョーンズ/魔宮の伝説』 [映画批評]

インディアナ・ジョーンズの1984年に公開された二作目。これは、私は観るのは初めてかと思う。私はインディアナ・ジョーンズの評価が低いのだが、それらをしっかりと全て観ていないのに言うのは不味いだろう、というだけで観た。さて、これは一作目や最新作に比べても質は低い。全体的な印象としては、インディアナ・ジョーンズは『少年ジャンプ』の漫画のレベルだな、ということである。そして、『少年ジャンプ』に連載されていたら、人気作品ではなく、そこそこの人気があるぐらいの漫画になっていたのではないか、と思うぐらいのレベルである。ドラゴン・ボール、スラム・ダンク、ブラックジャック(ジャンプ連載ではないが)といったレベルには到底、及ばない。まあ、基本、『少年ジャンプ』の読者層を視聴者として設定したような映画なのかもしれないので、そのストーリーの稚拙さにとやかくケチをつけるのも野暮ではあるのだが、私のように『少年ジャンプ』やウルトラマン・シリーズなどを観て育った人間にとっては、インディアナ・ジョーンズのリアリティの無さは本当に鼻がつく。ちなみに、これは私が年を取ったからではなく、この年になっても上記の漫画群はしっかりと物語世界に没頭して読むことができる。これはスター・ウォーズにも言えることだが、改めて日本の漫画コンテンツのレベルはとてつもなく高いな、と思わざるをえない。ということを、この映画をみてつくづく思った。




インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 [Blu-ray]

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  • 出版社/メーカー: パラマウント
  • 発売日: 2016/07/22
  • メディア: Blu-ray



インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: パラマウント
  • 発売日: 2016/07/22
  • メディア: DVD Audio



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『オッペンハイマー』 [映画批評]

先日のオスカーを総ナメ(作品賞とその他6つの賞)した『オッペンハイマー』を観る。なかなか興味深く、面白い映画であった。三時間という、昨今の映画では相当、長いが飽きることもなく最後まで観ることができた。オッペンハイマーの実像に、どれほど忠実に描かれているかが、こちらの方面に詳しくない私にははっきりと分かっていないのだが、映画が描いたようなキャラクターであったとしたら、この映画はなかなか視聴者に誠実なのではないだろうか。というか、映画で描かれたキャラが実態と違っていたら、逆にとんでもない話かなと思ったりもするが。興味深かった点は3点。

一つ目は、原爆を落とさないと日本は降伏しない、という主張である。これは、日本人以外はそうかな、と疑問を持つかもしれないが、日本人の私は、確かに原爆が落ちなかったら、日本人は降伏しないだろうな、と納得したりした。日本人というか、日本社会の大きな特徴は方向を変えられず、惰性で同じ道を歩み続けることがあるかと思う。これまで取ってきた同じ轍を歩み続ける。したがって、変化する時はいつも革命的なドラスティックな変化を伴う。上手く、徐々にソフトランディングができないのだ。だから、人類史的にも驚くような悲惨な事故が起きても相変わらず原発への依存傾向から脱することができないし、中央集権が地方を衰退させていることがこれだけ明らかになっていても、その体制を変えることができないし、人口減少下で社会において女性の力がこれだけ求められている国であるにも関わらず、ジェンダーギャップは世界でも最低ランクにずっと留まっているのに変更することができないし、年金問題も国債の借金問題も崩壊するまで引き延ばして解決しようともしない。

二つ目はストラウスのオッペンハイマーへの嫉妬。これも、多くの人は、そんなことに嫉妬するかいな、そこまで人間小さい奴は少ないだろう、と疑問を持つと思われるが、研究者はおそろしく嫉妬深い人種である。私は大学の教員をしているので、これは身をもって理解している。傍からみたら、大したことねえだろう、と思われることに凄いプライドを持っていたりして、プライドを傷つけられるとすごく恨んだりする。いや、私は東京大学とか京都大学とかの教員をしている訳じゃあないですからね。三流私立大学の教員である。そういう、三流大学だから研究業績も三流である。しかし、そのプライドだけは一流レベルの人が多く、本当に厄介だ。だから、ストラウスみたいな学者がいても、ああ、そういう奴いるいる、と思えるのだ。というか、本当、映画のような感じだったのだろう。非建設的の極致である。この点に関しては、前任校の学部の方が遥かにプライドが高くて酷かったが、今の学部でもいない訳ではないので気をつけなくては、と思っている。

三つ目はハリー・トゥルーマンがいかに糞か、ということ。おそらくこの映画で描かれていたような大統領だったのだろうが、アメリカの大統領がアホだと人類は大変な危険に晒されるということに改めて気づかされた。そして、トランプというもうトゥルーマン以上のアホが大統領になる可能性がまだあることを考えるとゾッとする。トランプに投票をすることを考えている人はこの映画を観るといいと思う。ただし、この映画を観ても、そこまで考えが及ぶかは疑わしいが。そもそも、それぐらいの論理的な思考ができる人はトランプに票を入れないからだ。
ということで、なかなか骨のあるいい映画であった。史実も知りたいな、と思うが、そこらへんを調べるような時間がなかなかないかもしれない。定年迎えて、時間があれば調べてみたいところである。
最後に関係ないがエピソードを一つ。オッペンハイマーの弟のフランク(フランクも名字はオッペンハイマーであるが)が、兄について次のようにドキュメンタリー映画『The Day After Trinity』で述べている。なかなか人類の将来を絶望させる言葉なので紹介したい。
「ロバートは現実世界では使うことのできない兵器を見せて、戦争を無意味にしようと考えていた。しかし、人びとは新兵器の破壊力を目の当たりにしても、それまでの兵器と同じように扱ったと絶望していた」。人類は一部の天才的な賢い人達によって、その道が開かれたが、その道を閉じるのは、想像力に欠けている愚者によるであろう。

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映画『カポーティ』 [映画批評]

2005年に公開されたハリウッド映画。売れっ子作家のトルーマン・カポーティがノンフィクション小説『冷血』を書くまでのプロセスを描いた。殺人犯との会話のやり取りはスリリングな心理戦のような側面もあり、いろいろと考えさせる。ハリウッド映画らしからぬ奥行きのある映画だ。映画自体も面白いが、この映画の凄さは、カポーティ演じるフィリップ・シーモア・ホフマンの怪優ぶりである。ジャック・ニコルソンよりも凄いのではないだろうか。アカデミー主演男優賞とゴールデングローブ主演男優賞を取ったのも納得の怪演である。


カポーティ [DVD]

カポーティ [DVD]

  • 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
  • 発売日: 2014/02/05
  • メディア: DVD



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エドワード・ホール『The Hidden Dimension(隠れた次元)』 [書評]

エドワード・ホールの『The Hidden Dimension』を読む。古典であり、私のような立場だと読んでおかなくてはいけない本だったのだが、ずっと積ん読してしまっていた。そして、読み終わって、やはり古典は読む価値があるな、ということを改めて認識すると同時に、これまでの自分の怠惰を反省する。

1964年に出された本であるので、いろいろと事例に関しては古いところがある。また、今だったらまずあり得ないNegroという言葉がたくさん出てきたり、日本の描写も多いのだが、1950年代の日本と現在とでは随分と違うので、そういう違和感は感じなくもない。加えて、基本、都市における人口成長が問題となっていた時代に書かれているので、「crowding」(混雑)が問題となっている。都心の衰退が問題であることを指摘しているが、コンパクト・シティが政策となっている現在の日本からすると、まさに隔世の感がする。

まあ、そういった気になる点がない訳ではないが、人が空間をどう認識するか、ということに関しては現在にもまさに通じる点であり、それに対しての人類学、生物学、心理学、社会学などに及ぶ膨大なる研究成果から考察する著者の頭脳の明晰ぶりは、唸らされるものがある。本当、もっと早く読んでおけよな、と自分を叱るような本であった。


The Hidden Dimension (Anchor Books a Doubleday Anchor Book)

The Hidden Dimension (Anchor Books a Doubleday Anchor Book)

  • 作者: Hall, Edward T.
  • 出版社/メーカー: Anchor
  • 発売日: 1990/09/01
  • メディア: ペーパーバック



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ピーター・ガブリエル『US』 [ロック音楽]

ピーター・ガブリエルが1992年に発表したソロとしては6枚目のアルバム。個人的には『SO』に優るとも劣らない大傑作アルバムである。ベースはトニー・レヴィン、ギターはデヴィッド・ローズといういつもの面々。うねうねとしたリズム、高揚感を抑えるようにして、徐々にドラマティックに盛り上げていく、歌の物語が見えてくるかのような楽曲群。もともと表現力に優れたボーカリストであったが、その頂点に達したかのようにいい。ちょうど離婚を経た時期であり、反抗する娘への戸惑い、といったミッド・ライフ・クライシス的な曲が等身大でとても心に染みる。ここらへんの曲の良さは10代のガキには分からないだろうなあ。捨て曲がないのは『SO』と同じである。


US

US

  • アーティスト: GABRIEL, PETER
  • 出版社/メーカー: CAROL
  • 発売日: 2014/12/29
  • メディア: CD




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