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御岳山(日本百名山51座登頂) [都市デザイン]

御岳山にチャレンジする。御岳山は2014年9月の噴火以降、登山ルートが立ち入り規制されたが、最近、緩和された。ということで、どうせ登るのであれば最高峰の剣ヶ峰に行こうと考える。ただ、どの登山道の規制が緩和されたのかがよく分からなかった。そこで、前泊した木曽福島のホテルの受け付けのお兄さんに尋ねると、よく理解しておらず、とりあえず御岳ロープウェイのルートがいいんじゃないですかと答える。御岳ロープウェイ は始発が7時。ただ、それよりは田ノ原ルートの方がいいだろうな、と思っていた。さて、ホテルは当日、予約したのでもう夕食は用意できない、ということなので木曽福島の街中にでる。どうも「くるまや」という蕎麦屋が有名のようなので、そこに行こうとするともう閉まっていた。仕方がないので、そばの「たちばな」という居酒屋に入る。長野県はどうも非常事態宣言に指定されていないそうで、お酒が飲めるので、久し振りに居酒屋で日本酒を飲む。さて、そこでダメ元でお店の人に御岳山の登山ルートを尋ねると、なんとご主人はメチャクチャ詳しくて、田ノ原ルートからだと王滝までは行けるが、その先は通行できないと教えてくれる。これは、ホームページとかを熟読すれば分かったことだが、私はよく読み取れていなかった。田ノ原ルートで行こうと思っていたので、この情報はメチャクチャ助かる。さらに、ロープウェイで行くのもいいが、黒沢口6合目までは車で行くことが出来、そこから50分ぐらいでロープウェイの山頂駅からのルートと合流すると教えてくれる。7時にロープウェイの駐車場に行くのは日の出が5時30分ということを考えると勿体ない。起床時間にも依るが、黒沢口6合目か御岳ロープウェイで登ることを決める。このご主人は拡大した地図まで渡してくれた。
 翌日は2時前ぐらいに起床する。ちょっと早すぎたので布団でゴロゴロしていたが4時には床から出て4時45分ぐらいに宿を出る。ここから黒沢口6合目までは26キロメートル。途中、セブンイレブンに寄り、朝食のサンドイッチと昼食のおにぎりを購入する。黒沢口6合目までの道のりはなかなかの山道で結局、思ったよりも遅く6時頃に到着してしまった。ここは相当、駐車場の台数には余裕があるのだが、結構、埋まっていた。穴場のルートなのかなと思っていたが、大間違いだ。御岳山、私が思っていたよりはるかに人気のあるルートなのではないかと思われる。駐車場には駐まれたが、もう既に日は出ており、もう少し早く宿を出ていればよかったと後悔する。
 登山の準備をして出発したのは6時10分。登山道はしっかりと整備されており、歩きやすい。昨日までの雨で泥濘んではいるが、木の階段が組まれているので苦ではない。登山ではこの泥濘道に手こずることが多いので、これは有り難い。さて、出発地点は1800メートルとそれほど高くはないが、それでも高山病気質の私はあまり気分がよくない。高山病を発症したら元も子もないので、通常のゆっくりペースをさらにゆっくりさせて、どんどん後続に追い越されても、一歩一歩噛みしめるように歩いて行く。黒沢口ルート、傾斜はなかなか急なので楽なルートではない。御岳ロープウェイとの合流点には7時に着く。御岳ロープウェイ組よりは早い到達時間であるが、それほどのアドバンテージでもない。その後のルートもしっかりと整備はされていて歩きやすいが、なかなかの斜面である。ただ、ところどころで気の合間から見られる中央アルプスの山々の美しさに癒やされる。7時45分に後続にどんどん追い越されていく。尋ねると、ロープウェイ組であった。たったの45分のアドバンテージのために300メートル余計に登ったのかと思うと、もっと早く起きていけばと思わずにはいられない。ロープウェイ組はまだ歩き始めということもあって元気に登っていく。8合目に到着したのは8時。ここには山荘があって、食事が取れる。というか、7合目にも山荘があり、8合目にも9合目にも山荘があって、そういう意味では登山をするうえでのサポート・サービスが充実した山であるといえよう。

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<黒沢口6合目の駐車場は相当の台数が駐められる。この写真以外にも2箇所ある。ただ、6時前でも相当数、既に駐車していた>

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<黒沢口6合目の入り口>

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<気持ちのよい森の中を歩いて行く。登山道はしっかりと整備されていて快適だ>

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<朝日の中を歩いて行くのは登山の醍醐味の一つであろう>

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<八合目になると途端に展望が開ける>

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<八合目からちょっと登ったところからの素晴らしい展望。左に見えるのが乗鞍岳だ>

 8合目から上は灌木しか生えていない。もう既に紅葉が始まっていて、その色彩が美しく晴れやかな気分となる。8号目からは木曽アルプス、南アルプス、先週登った乗鞍岳、北アルプスが展望できる。非常に豪華な景観を望める。8号目からは登山道にレキが目立つが登山上がしっかりと整備されているので歩きやすい。しかも急斜面ではあるが、鎖場や梯子はまったくない。この歩きやすさはこの御岳登山の魅力の一つといってもいいであろう。これは人気がある訳だと納得する。石室山荘の手前で森林限界。これから先はもう岩の世界である。十勝岳とか霧島岳(韓国岳)の火山もそうだが、日本の山の山頂の多くがまるでイメージとする火星のような荒廃した景観であるということは登山をするまで知らなかったことである。

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<レキの登山道だがしっかりと整備されており歩きやすい>

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<既に紅葉が始まっている>

 9号目の手前にある石室山荘に到着したのは9時20分。ここでおにぎりなど簡単にエネルギーを吸収し、長袖のシャツや虫除けなどこれからの山頂アタックに不要なものをここに預けさせてもらう。こういうサービスをしてくれる山荘があるのは本当、有り難い。ここで2014年に亡くなられた方々への供養の気持ちを込めて、好きではないヘルメットを被る。ヘルメットは御岳山登山のために今回、初めて買ったものである。さて、随分と身軽になったので足取りも軽く、山頂を目指す。二ノ池を通過するのが10時ぐらい。私が写真でみた二ノ池は青かったが、今日の二ノ池は白濁した色であった。2014年からこのような色のままなのかもしれない。さて、そこから先は、もう私の苦手のレキの登山道なのかなと思っていたら、難しいところは、しっかりと階段状の木道が整備されていて歩きやすい。そして、何より展望が別格によい。嬉しい気持ちになりながら標高を稼いでいく。ゆっくりと疲れないように歩いていたこともあって高山病にもならずに済みそうだ。

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<石室山荘。ここまでの登山の疲れを取るのにうってつけの場所に建っている>

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<九合目から上はまったくもってぺんぺん草も生えない荒野のような道を行く>

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<二ノ池>

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<苦手なレキの登山道だが、しっかりとこのような木の階段が設置されているのでとても歩きやすい。いい登山道だ>

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<頂上手前。2014年の事故以降につくられた避難場所。ちょっとデザインが今一つ>

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<頂上にはこの80段ほどの階段を登らなくては成らない。最後の試練>

 山頂に着いたのは10時20分。最後に80段ぐらいの階段を登らさせられる。山頂からは乗鞍岳、北アルプス、八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス、そして恵那山までもが展望できる。天気に恵まれたこともあって、素晴らしい景色を楽しむことができた。つくづく、登山は天気によってその体験が大きく左右されることを痛感する。今日は大当たりであった(いや、晴れということが分かったので登ったということもあるが)。
 山頂ではインスタント・ラーメンを食べる。いつもは普通のカップヌードルなのだが、今日は趣向を変えたものを買ったら「激辛インスタント・ラーメン」であった。京都の一乗寺にある「極鶏ラーメン」をモデルにしたものだが、そもそも当たり前だが麺が違うし、味も全然、違う。それはいいが、この激辛というのは登山には極めて不適切だ。お腹を壊したらどうする、と思いつつ悔しいので食べる。
11時15分頃に下山を開始する。登山計画書では30分休憩だが、どうも自分は60分は休憩を取りたいタイプのようだ。これからは登山計画でも60分間の休憩時間としておこう。今回は1300メートルの登山であったが、太股が攣りそうなこともなく、結構、順調に上がってこれた。とはいえ、下りでは膝を痛める可能性があるので、慎重にゆっくりペースで降りて行く。12時頃に石室山荘に到着。荷物を受け取り、300円のオロナミンCを飲んで8号目に向かう。結構、膝は痛むので、随時、休んでマッサージをする。8号目の到着は13時。コースタイムを大きく上回る時間である。というか、自分はこの下りが人より時間がかかることを改めて認識する。そして、7号目の力餅のある行場山荘に着いたのは13時50分。せっかくなので「力餅(ぜんざい)」を食べて休む。500円だが、疲れた身体にぜんざいの甘さとお餅のもちもち感が嬉しい。お店を出たのは14時ちょっと過ぎ。そして、最後の力を振り絞って黒沢口6合目に着く。到着時間は14時40分。下りに時間を取られたが、それでも膝も痛くはなく、太股も一度も痙攣しなかったこと、さらには尻餅をつかなかったことはちょっとした成果である。
 帰りは木曽福島の街並みを見学し、一挙に東京まで戻る。連休の合間ではあったが、中央高速で25キロの渋滞に遭い、家に着いたのは23時近くであった。

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<山頂から二ノ池方面を望む>


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<山頂から木曽山脈の方を望む。右手には王滝方面の登山口が見える>

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<連休中ということもあって多くの登山客が登っていた>

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<行場山荘の力餅。疲れた身体にはじんとくる美味しさだ>

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乗鞍岳(日本百名山50座登頂) [日本百名山]

乗鞍岳にチャレンジする。これまで乗鞍岳には二度チャレンジしたことがある。一度目は畳平までは辿り着いたが、あまりのガスと高山病のような症状がでたので諦めた。二度目は雨で畳平まで行くバスに乗ることさえしなかった。乗鞍岳は百名山の中では、そうとう登頂が楽な山と知られている。しかし、私にとってはなかなか手強い存在であった。その手強さの一番の要員は私が高山病になりやすいということがある。最初にトライしたのは、松本で宿泊して、そのままバスターミナルに向かったので、いきなり短時間で2000メートルも登ることになった。そして、おそらく寝不足でもあったかと思う。そういう失敗をしたので、今回の前泊は乗鞍高原にて行った。乗鞍高原だと、それでもう標高は1600メートルもある。少しでも高さに慣れた方がよい。

寝不足も大敵ということで、20時頃には就寝する。しかし、2時ちょっと過ぎには目が覚める。始発バスは6時10分で、それに乗る計画だったが、こんなに早く目が覚めたなら、4時10分とかの来光バスにも乗れる。それに乗ろうかと調べたら、前日の18時までに予約をしておかないといけないらしい。残念だが諦める。普通の月曜日だというのに、5時30分には結構、多くの人がいた。その前日の日曜日だったら、相当、人がいたであろう。コロナなのに、あまり人は行動を抑制していないようだ。って、人のことは言えない。バスは時間通り出発し、6時55分頃に畳平に到着。なんと気温は6度。相当、寒い。ちょっと高山病的な気分のよくなさはあるが、まあ、これぐらいなら大丈夫。大事をとってゆっくりと進んでいく。天気は最高によい。まさに三度目の正直。

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(バスターミナルからも剣が峰が見える。三度目の挑戦で初めての晴天)

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(9月13日であるにも関わらず、畳平は6度という寒さ)

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(畳平からの登山口の入り口)

お花畑を右手に見つつ、歩を進めると砂利道の車道に出る。これは歩くのは楽だが、味気ない。ただ、そこから左手に広がる展望は素晴らしいの一言につきる。甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、北岳とが見える。しばらく歩くと、肩の小屋に着く。時間的には7時40分。ここからは、登山道。レキが多い登山道で、ハイキングというよりかは登山という気分にさせられる。剣ヶ峰への登山道自体は、典型的な火山登山で、レキと低木で景観的には目を楽しませるものがないが、展望はもう特別に素晴らしい。雨や霧の日ではなく、この晴れの日に登山できたことはラッキーだ(いや、三回目にしてようやく晴れたというのが実態だが)。

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(登山始めは右手に花畑をみながら歩いて行く)

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(砂利道の車道を歩いて行く。素っ気ない登山道だが展望は素晴らしい)

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(肩の小屋からは本格的な登山道が始まる)

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(振り返ると北アルプスの素晴らしい展望が広がっている)

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(百名山としては簡単に登れるといわれる乗鞍岳であるが、このレキを登っていくのは簡単ではない)

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(乗鞍岳も火山であるのだな、ということがこの無味乾燥な登山道から理解できる)

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(権現池の向こうには白山がみられる)

頂上小屋に着いたのは8時30分。ここでは珈琲も飲める。私はドリップ式の珈琲をもってきたのでここのは飲まなかったが、軽い荷物で上がっても肩の小屋では食事もできるし、頂上小屋では珈琲も飲める。なかなか充実したサービスが提供されている。この小屋からの展望も素晴らしいの一言で、北アルプス、中央アルプス、南アルプス、八ヶ岳ともう絶景を楽しめる。とはいえ、頂上はさらにいいだろうと20分ほど登ると頂上に着いた。頂上からはまさに360度の大展望が得られる。富士山が北岳の左側にちょこっと覗くように顔を出している。ちっちゃい、それほど威厳もないような富士山ではあるが、富士山が見えると見えないとでえらく得した感が違う。全然活躍しない大谷翔平でも、試合に出ているのを見ると嬉しいのとかと感覚は近いのかもしれない。ここでカップ麺を食べ、珈琲を飲み、帰路に着く。下り始めたのは9時30分ぐらいだ。

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(頂上小屋では珈琲を飲むことができる)

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(頂上小屋から南アルプスを展望する)

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(御岳山も見ることができる)

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(頂上から南アルプス方面を展望する)

下りは比較的早めのペースで降りて行った。これはバスが一時間に一本しか走っていないからで、10時05分は無理だが、その次には乗りたかったからである。そのためにはコースタイム通りで下山しないといけない。今回はストックを敢えてもたずに登山をしたが、膝にくることもなく、太股の筋肉にも特にハリは出来ず、無事に11時頃には下山することができた。11時05分発のバスに乗って、バスターミナルに戻ったのは11時50分。宿泊した宿が帰りに温泉に寄っていいと言ってくれたのでお言葉に甘えて行く。記念すべき百名山の50座目は、特に危険もなく、楽しい登山であった。

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(下山もずっと素晴らしい展望を楽しむことができる。これは乗鞍岳登山の魅力である。ただし、晴れていないといけないが)
タグ:乗鞍岳
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テキサス州の中絶禁止法からみられるアメリカの吐き気がするような矛盾 [トランプのアメリカ]

9月1日、アメリカのテキサス州で妊娠6週目以降の中絶を禁止する州法が施行された。妊娠6週間というのは、多くの女性が妊娠をまだ自覚していない時期であり、この州法によって実質的にほとんどの女性が中絶を受けられなくなる。この法律の女性へ対する人権侵害は甚だしいが、事態をさらに悪化させているのは権利擁護団体などが連邦最高裁に差し止めを求めたが、最高裁は5対4でその請求を退けたことである。ちなみに、退けた5人のうち3人が、トランプが指名した判事である。

この中絶禁止法の卑劣なところは「私的訴権」を認めていることであり、つまり、被害を受けていない人でも、同法に基づいた訴追が可能になることである。これは、余計なお世話的な民事訴訟を中絶反対者が起こすことができるということであり、これによって中絶を行う医師だけでなく、当事者の家族までもが訴えられる可能性がでてくる。これによって、強姦や近親相姦による妊娠でも中絶を認められなくなる。

ここで本当、摩訶不思議というか酷いなと思うのは、銃の保有や、それこそコロナ禍でのマスクをしないことなどの「自由」を強く訴えるくせに、他人が強姦されて妊娠した子供を堕胎することも許さない、それどころか堕胎しなさいといった母親までもが訴えようとする、この心の狭さというか残酷さである。これがキリスト教の教えというのであれば、そんな人を不幸にする宗教はいらない。自分のことならまだしも、他人が自分の身体をどうこうしようとそれは勝手であろう。道ばたで泥棒に襲われても助けようとしない人がほとんどのアメリカ人(いや、そういう意味では日本人もそうだが)が、なぜ、他人が堕胎することを法律でも規制させようするのかが分からない。まさにカルト宗教国家のようである。イスラム国を非難できないよ。

しかも、そのようなカルト的異常性を正せない連邦最高裁。こんな国が、本当、日本の同盟国なのか。こんな国の同盟国である日本の将来が本当、心配である。

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地方都市でのおばあちゃんカルテットとの会話 [サステイナブルな問題]

豊岡市にておばあちゃんが集うサードプレイスがあることを市役所の職員から聞く。それは、市役所が設置した「豊岡市立 加陽水辺公園交流館」である。この施設は、コウノトリ関連の資料館という位置づけであるのだが、おばちゃんがたわいのないお話をするような場所となっている。珈琲なども出してもらえ(100円は支払う)、なかなか居心地がよい。私は、豊岡市の知りあいに付き合ってもらい、いきなり話に加わらせてもらった。本当はその会話を動画でも撮影したかったのだが、それは断られた。

さて、人口が縮小するおばあちゃんの暮らしはどのような状況なのであろうか。現状では、車が運転できているので問題がないそうだ。買物とかでも特に不便はないそうだ。とはいえ、空き家が増えているので寂しいとは言う。空き家はもうあっという間に草ボウボウとなる。売りたくても売れないそうだ。とはいいつつ、郊外には新築が建設されている。なんで、空き家がこんなにあるのに、新築が建つんだろうという意見に皆、不思議そうにそうだな、と頷く。

四人のうち三人は年金暮らし。ただ、一人は農家のおばあちゃんで80歳ぐらいなのだが、年金では暮らせないとのこと。これは、他の三人が厚生年金であるのだが、このおばあちゃんだけ国民年金だからだそうだ。国民年金だと月額5万円ちょっとしかもらえない。しかも、このおばあちゃんは農家で農地を人に貸しているのだが、一反4000円で貸しているそうだ。しかし、この農地をもっているので水利権のお金を払わなくてはならない。これで、ほぼ農地をもっていることで賃貸料を受け取っても月額2万円ほどの赤字になるそうだ。それに、さらに集落内での付き合いがある。とても5万円ではやっていけないそうだ。できれば売りたいのだが、買い手がいない。ある意味、不良債権ではある。国民年金だけでは不足なので、市役所からの委託の仕事をしている。

このおばあちゃんは今、とても元気だが、倒れて例えば介護付き施設に入ると月15万円かかるという。さらにおむつ代などを考慮すると、月20万円ぐらい必要となる。子供は3人いるけど、3人に負担をお願いしたら一人6万円強。とてもそのような迷惑はかけられないし、かけたくない。子供には迷惑かけたくない。ぼっくりと死ぬのが理想、という。この意見に関しては、皆が合意(お一人は家族はいなかった)。

この30年間ぐらいの大きな変化としては、全般的に世知辛くなっている、という。昔はもっと大らかだったけど、今は、訴えられたりすることが怖くて不便になっている。例えば、以前だったら近所の人の車に平気で乗れたのが、最近だと事故を起こして訴えられたりしたらたまらない、と乗せてもらえにくくなっている。学校の先生とかも指導を厳しくしたりすると訴えられたりするので臆病になっている。ストレスが高まって大変だと思うと指摘する。

全般的にコミュニティの紐帯は弱まっているという認識はもっている。若者に対しては、「若者の意見は状況を理解していないくて、聞くに値しない」という意見と、「若者の意見もなかなか傾聴に値する」という意見とに分かれた。どちらの意見もなるほどと思うところはあるが、若者に豊岡にいてもらうためには、ある程度、若者の意見を尊重しないと厳しいかなとも思ったりもする。

祭り等の地域行事に関しては、伝統的な慣習が次々となくなっていると指摘される。これは「村」によって違いがあり、皆がそうだという訳ではなかったが、祭りなどの行事がある時は幹事役の家が、お酒代は出すという慣習があったが、若い人が幹事をした時、そんなことはしないと指摘し、それからそういう慣習はなくなった。およそ20年ぐらい前の出来事である。昔は、分限者(お金持ち)が負担するという不文律があったが、今ではそういうのは古くさい習慣として過去のものとなってしまっている(うちの村はそうではない、という指摘もある)

高齢者のコミュニティとしては、グランド・ゴルフなどがある。これらのイベントの連絡は携帯電話。携帯電話がないと生きていくのは難しい、という。携帯電話の扱いは難しいのでは?との質問には「ボケ防止」と明るく答える。グランド・ゴルフは朝8時とかから始まり、午前中で終わる。

また、「村」のコミュニティはよそ者の意見はなかなか受け入れてもらえない、との指摘もあった。伝統的な行事を引き継ぐときも、よそから移住したものではなく、昔からその「村」に暮らしてきた人達に引き継ぐ。ただ、最近ではそうも行っていられなくなってきたので、昔ほど極端ではなくなっているという。

このような話を1時間以上にわたって聞かせてもらった。豊岡市という地方都市において高齢者の暮らしは結構、大変なのではと思ったりしたが意外とそうではなかった。むしろ、都会で暮らしている人達より孤独でないのかもしれない。これは、都会であればコミュニティがある訳ではないからだ。ただ、高齢化という問題において、生き延びていくお金、というのは深刻であることは改めて確認させられた。

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豊岡市のふれあい公設市場のおばちゃんとの対話から、中心市街地の蘇生策を考える [都市デザイン]

豊岡市の市役所のすぐそばに「ふれあい公設市場」がある。南北に約70メートルほどで、豊岡市の目抜き通りである大開通りと生田通りに面してた常設アーケードである。木造市場としては、日本で最も古いという指摘もあるそうだ。ここは2003年4月に市の助成を受けた豊岡商工会議所が、全店舗に庇をとりつけて「町家風」に改装した。この時、「公設市場」を「ふれあい公設市場」と改名している。

さて、9月のある金曜日のお昼頃に訪れた。大開通りのほとんどのお店がシャッターを閉めている。そういう中、まだ多少、画期のようなものを感じるのがこの「ふれあい公設市場」である。ということで中に引き込まれるように入る。商工会議所のデータだと14店がまだ営業しているとのことだ。そこで天ぷら屋さんをしているお店のおばさんにお話を聞く。

どのくらい営業されているのですか?
「私は二代目。ここに嫁に来てから、こちらで営業をしている。もう50年以上はしているかな。」

何時から営業しているのですか?
「コロッケをつくるのに5時に起きる。店に来るのは9時。9時から揚げ始める。店を閉めるのは大体14時頃か、売り切れたら。」

商店街は随分とシャッターが降りていますが、どうして?
「買物客が減ったというのもあるが、後継者がいない。後継者がいなくて、閉めてしまう。うちもそう。子供達はもうこのお店を継ぐ気持ちはない。誰かが買ってくれたり、借りてくれたらいいのだけど、買い手がいない。」

随分とお洒落ですが、人は来ないのですか?
「町家風に改装した当時は、結構、人が来た。写真を撮る人なども多くいた。しかし、コロナなどもあり、全然、人通りはなくなった。そのちょっと前からお店が随分と飲み屋へと変わっていった」

ここで、公設市場の他のお店を経営している人が話に入ってくる。この人はお喋りで、いろいろと話をしてくれる。

二階はどのように使われていますか?
「結構、住んでいる人も多い。私は通っているけど。飲み屋はお客さんのための座敷とかとして使っている。二階は結構、広い。」

商店街に来ていた人はどこで今、野菜などの買物をしているのですか。
「駅前のアイティとかに行っていると思う。随分と不便になった。」

商店街がこんなに元気がなくなったのはどうして?
「病院が移転したことが何よりも大きい。病院は大開通りの駅と反対側にあり、それによって多くの人がここらへんも歩いたりしていた。大開通りには駅から病院に行くバスに乗る人も多かった。この病院を移転させたことで、ここらへんから活気がなくなった。今、新しい病院のあたりはお店も増えて賑わっている。」

何が豊岡市の衰退をもたらしたのでしょう。
「一番、悪いのは今井(元市長)。彼の時代に急に悪くなった。病院を移転する計画を描いたのも今井。彼の政策で、中心市街地がガラガラとなった。しかし、その後の中貝も全然、ダメ」

中貝市長は評判がいいと思うのですが。
「マスコミに出ていたりするのでそう思われているかもしれない。コウノトリ、コウノトリといっても我々の生活とは全然、関係ない。今の市長はちょっとよく分からない。豊岡の人ではないし(豊岡市の人ではあるが旧日高郡ではある)」

お礼を述べて、コロッケを2個購入する。コロッケは一個120円。妙に甘い。砂糖が入っているのだろうか。それともジャガイモの甘さか。ジャガイモの甘さであれば、なかなか美味しいコロッケだ。おばちゃんの重ねた時間が、ちょっと沁みていると書いたら、感傷的に過ぎるだろうか。

なかなか、地方都市の活性化策の難しさを感じる対話というか取材であった。印象的だったのが、中心地から病院を郊外に移転したことがいけないという指摘である。一般のおばちゃんも鋭く、問題の要因を理解していると認識した。人口9万人ぐらいの都市で、中心市街地にある集客的施設を郊外に移転させると、中心市街地が衰退することを引き起こすだけだ。どうもこの病院跡地は、想定したよりもはるかに安い値段でしか売却することができず、そういう点でも大失敗だと思われるのだが、こういう政策を展開していた反省が、コンパクト・シティの重要性を認識させているのだろうか。そうであればいいのだが。大学もそうだが、郊外に移してしまった病院、市役所などを積極的に都心に回帰させるという政策を展開することで、地方都市の中心市街地を多少は活性化することができるのではないだろうか。死に瀕している地方都市の中心市街地は、本当に息の根が止まる前に、そこらへんに手をつけるべきではないか、ということを商店街のおばちゃん達とのお話から思ったりした。

おばちゃんのお話は動画撮影したいぐらいだったのですが、断られてしまったので、私の文章でのみ紹介させてもらう。

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ニュータウンにコミュニティ性を加えるための処方箋 [都市デザイン]

ニュータウンがつくられてから、早いところではもう50年以上が経つ。つまり、ニュータウンで生まれた人も、もう人によっては50歳を越えるということだ。これは、もうニュータウンともいえない。さて、ニュータウンはその地縁がない人達が寄せ集まって生活をするようになったため、コミュニティを新たに形成しなくてはならない。ただ、このコミュニティというのは聞こえはいいが煩わしい。家族でさえ煩わしいのであるから、他人と一緒にコミュニティをつくりあげるというのはなかなか言うは易く行うは難しだ。
 さて、しかし、コミュニティのネットワークが弱いと防災面や防犯面で脆弱である。それでは、どのようにすればいいのか。このことに関して、ランドスケープ・アーキテクトの祐乗坊さんのお話を聞かせて頂き、大変、示唆に富むことを仰っていたので、ここに共有させてもらう

「町を手垢で汚す」・・手垢を街につけることが重要。自分の記憶を街に織り込む。団地の空いているところに好きな花を植えるなどして、町のどっかに自分のアイデンティティを刷り込んでいく。そうすると、気になるところが増えていく。そういう意識をもって町に手垢をつけていかないと、縁も地縁もない町をふるさとにすることは出来ない。ニュータウンに住むということは、そのような自分の記憶を織り込むようなことを意識しないと、なかなかコミュニティ性をもたせることは難しい。

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火打山(日本百名山49座登頂) [日本百名山]

前日の妙高山に次いで、火打山にチャレンジする。黒沢池ヒュッテの朝食を4時30分にとり、5時30分に出発。ちなみに朝食はクレープにジャム、ツナ缶、缶詰の桜桃、スープに珈琲であった。ヒュッテは冷蔵庫が使えないのでそのようなメニューとなる。珈琲が美味しい。さて、今日は昨日とは打って変わった好天気である。「天気とくらす」での予報は、火打山は「C評価(登山に適していない)」であったが、今日は千載一遇の登山日和である。ここらへんの予報はなかなか当たらないと改めて思う。

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<茶臼山の登山道から後ろを振り返ると昨日はみられなかった妙高山がその姿を現していた>

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<茶臼山の登山道は尾根道なので、左手には日本海が見られる>

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<雷菱の印象的な赤い壁を望む>

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<登山道の両側はクマザサが群生している>

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<高谷池の湿原>

さて黒沢池からは茶臼山を乗り越えて高谷池ヒュッテに向かうことになる。この茶臼山はいっきなり結構の登りがあるので起きたばかりの身体には結構、負荷がある。振り返ると昨日はまったくその姿をみられなかった妙高山がその雄壮たる姿を現している。日本海も見られ、この尾根道は気持ちがよい。さて、ただ茶臼山の山頂からは木に邪魔され展望が得られない。茶臼山の山頂から写真を撮ろうと考えないで、その手前で撮ることをお勧めする。さらに、茶臼山から東側(黒沢池ヒュッテ側)は比較的、クマザサが刈られていて歩きやすいが、高谷池ヒュッテ側はそこらへんが管理されず、歩きにくい。特にヒュッテに近いところは、沢を降りる形になるが、岩と泥の中を歩いて行くのは結構、しんどいものがあった。

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<火打山をバックにした高谷池>

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<高谷池ヒュッテ>

さて、高谷池ヒュッテには7時ちょっと前に着く。荷物を置き、身軽になって再チャレンジする。高谷池ヒュッテは目の前に高谷池の湿原が広がり、早朝の光の中、高山湿原の素晴らしさを身体全体で感じる。晴れていると本当に、高山湿原は素晴らしい。高谷池ヒュッテからは火打山の壮麗なる姿が高谷池の向こう側に見える。妙高山のような特異な形状ではなく、円錐型の山らしい形をした山である。火打山、影火打山、焼山の山塊をバックにした、この湿原は極めてフォトジェニックで素晴らしい。昨日の雨で空のホコリが流されたからだと思われるが、早朝の光が、山、池、樹木を素晴らしい色で照らしている。


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<素晴らしい高原湿原>

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<高原湿原は木道で歩いて行くので快適だ>

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<ふと振り返ると妙高山のユニークな形を確認することができる>

高谷池ヒュッテを出発したのは7時ちょうどぐらい。ここから火打山までの2時間弱の登山は天気が素晴らしいこともあったが、相当、優れた登山体験を提供してくれる。妙高山の理不尽に近い、修行のような厳しさとは違い、登山の楽しさを体感させてくれるようなルートである。これは、登山道の不安定な場所はところどころ木道が整備されているなどして歩きやすくなっていることに加えて、管理も行き届いているからであろう。隣同士にある百名山であるにも関わらず、この登山環境の差は驚くものがある。一方はフルサービスの美味しい料理を提供してくれるフレンチ・レストランであるとすれば、もう一方はセルフサービスのうどん屋のような感じである。

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<天狗の庭と火打山>

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<火打山と逆さ火打>

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<妙高山>

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<さっきまで見えていた北アルプスが雲で覆われ始める>

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<火打山の山頂>

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<火打山からは360度の見事な展望を得ることができた>

高谷池ヒュッテを過ぎて15分ぐらい行くと「天狗の庭」という高山湿原がある。この湿原も見事である。ここらへんはすべて木道であるので歩きは快適だ。この湿原歩きは、高谷池ヒュッテから火打山登山のハイライトの一つであろう。湿原が終わると坂が始まる。坂は比較的、急だが、昨日の妙高山に比べればずっと楽である。坂もそれほどは急でないのに加え、登山道が管理されているので歩きやすいからだ。さらには、尾根道なので右手に日本海、左手に高妻山、さらに前方には北アルプスの山容、振り返れば妙高山が展望できる。まさに空中散歩のような気分で標高を上げていくことができ、登山の醍醐味を味わうことができる。山頂の直前には階段があり、これはこれできついが、機械的なモーションで上がっていくと山頂がいきなり目の前に広がる。山頂に着いた時は、急激に発達した水蒸気で北アルプスこそは展望が得られなかったが、それ以外は昨日とは打って変わって素晴らしい展望が広がる。あと15分ほど早く着いたら、北アルプスも見られたかもしれないが、逆にあと15分ほど遅れて着いたら、今、見られているものも雲で隠されていたかもしれない。昨日まで振っていた大量の水分が、今日の晴天と高温で凄い勢いで水蒸気となって山を覆い始めているからだ。山頂にはコースタイムより時間を取り、9時ちょっと前に到着。しばらく展望を楽しんで、帰路に着く。出発時間は9時。

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<登山道の真っ直ぐ先に見える妙高山>

帰路も気持ちよく降りて行ったのだが、ふと振り返ると雲が火打山の山頂を覆い始めている。本当、登山はタイミングだなとつくづく思わされる。我々は満点ではなかったかもしれないが、97点ぐらいのタイミングのよさだなと思う。高谷池ヒュッテに到着したのは、10時20分。ここで昼ご飯を取る。昼ご飯といっても、高谷池ヒュッテで購入できるのはカップ麺か、カップ飯。私はカップ麺を買う。カップ麺のごみも持って帰らなくてはいけないのは負担だが、カップ麺に入れるお湯とかをヒュッテが提供してくれるのは有り難い。山小屋があると、もってくる荷物がグッと減るので本当、有り難い。食事をして、最後の火打山の勇姿を満喫して、帰路に着く。出発時間は11時である。

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<富士見平分岐でふと空を見上げると夏らしい色合いの青空>

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<美しい苔に覆われた倒木>

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<十二曲り>

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<登山道沿いには多くのキノコが生えている>

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<黒沢橋そばの黒沢の清流>

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<登山道入り口に戻る。ほぼ34時間ぶり>

高谷池ヒュッテから富士見分岐までは黒沢池ヒュッテ側と違って谷道で、沢のような泥々としたところを歩いて行く。富士見平分岐は12時頃に到着。そこからは急坂を下りていく。なかなかの急坂で膝への負担を気にしつつ、丁寧に降りて行く。そして、12曲りを経て、黒沢橋。黒沢橋からはほぼ平らの木道で歩くのは楽。ただ、足の親指に水ぶくれのようなものができたので、それをかばいつつ降りて行く。あと、随分と温度があがってきたので若干、熱中症が気になる。十二分の水分を摂取しながらある一会区。笹ヶ峰キャンプ場に着いたのは14時15分。昨日の妙高山登山とほぼ同じ距離を歩いたが、登りと下りという差はあるが、疲労度は全然、違う。杉ノ原スキー場にある苗名の湯で汗を流し、帰路に着いた。

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妙高山(日本百名山48座登頂) [日本百名山]

妙高山にトライする。前日、妙高高原のホテルに泊まり、5時にはホテルを発つ。笹ヶ峰のキャンプ場の駐車場に向かう。雨天の予報もあり、小雨が降っている中、キャンプ場の駐車場にはほとんど車がいない。準備をして6時頃に笹ヶ峰の登山口から出発する。最初はブナ林の木道を歩いて行く。緩やかに登っていくが、ほとんど難しいところはない。小雨が降っているがブナの木々がその勢いを柔らかくしてくれる。ほぼ1時間ぐらいで黒沢橋を渡る。そして、すぐに12曲りと呼ばれる急坂に届く。なかなかの急坂であるが、それを越えて、しばらく行くとさらに急坂に出る。こちらの方がむしろ12曲りよりも難敵だ。ただ、この頃になると雨足が弱くなってくるのが救いとなる。ここらへんは尾根道であるが、木々に覆われているので、そして、そもそも雲に覆われていて、ほとんど展望も得られない。

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<登山口>

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<黒沢橋>

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<黒沢の急流>

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<雲に覆われて展望は得られにくいが、雨足は弱い。雨に濡れたブナ林の緑が美しい>

坂が緩やかになってしばらく歩くと富士見平分岐に出る。ほぼ9時頃である。ここは、火打山方面と妙高山方面とにの分岐点である。右に折れて妙高山方面の道を行く。緩やかに高度を下げるような形で黒沢池のある湿原を歩いて行く。この湿原の淵を通る登山道は木道がしっかりと整備されていて歩きやすい。相変わらず、雲に覆われてはいるが、湿原は展望できるて、気持ちよく距離を稼ぐことができる。そして、この湿原と山の淵に黒沢池ヒュッテが建つ。ドーム型の特徴的な意匠が目を惹くこの山小屋を設計したのは、吉阪隆正氏である。ル・コルビュジエに師事した建築家として知られる氏であるが、大学時代は山岳部に所属し、大の登山家であった。その吉阪氏の設計なので、それは山小屋としても秀でた建築であるのは間違いない。この日はこの山小屋に泊まるので、入らない荷物をここに置かさせてもらい、妙高山の山頂へと向かう。黒沢池ヒュッテを発ったのは10時30分。黒沢池ヒュッテの東には大倉山が聳える。これを越えなくてはいけないのだが、じめじめした沢を登っていくので決して気持ちいい感じではない。この頃には雨も晴れたこともあり、虫が多い。大倉山乗越の峠に着いたのは30分後。

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<黒沢池のある湿原。気持ちが晴れるような気持ちよい景色の中を歩く>

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<40分ほど湿原を歩くと、黒沢池ヒュッテのユニークな意匠が姿を現す>

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<巨匠吉阪隆正のデザインによる建物である>

さて、それからは大倉山と妙高山の二つの山の狭間の谷に降りていかなくてはならないのだが、これがとんでもない難路であった。それは途中、崩落箇所が幾つかあり、しかも登山道にはクマザサの根が張っているのだが、これを踏むと横に滑るのだ。そして、滑る先は崖。後で、黒沢池ヒュッテの管理者に聞いたのだが、やはり、ここで滑り、滑落する人達は結構多く、そのたびにレスキューをしにいくのだそうだ。ある人の場合は、結局、それらのレスキュー隊でも脱出させられずに消防署に来てもらったケースもあるそうだ。めちゃくちゃ危ないな、と歩いていた時にも思っていたが、実際、滑落した人も少なくなく、そして滑落すると自力では脱出できない。ここを歩いていた時に、環境省はもっとしっかりと国立公園の登山道を整備しろ、と心の中で毒まいていたのだが、実際、この歩道は問題視されているらしく、今度、新しい登山道を整備する計画があるそうだ。ということで、妙高山に登山を考えている人は、この登山道が出来た後にチャレンジされるといいかと考える。そう思わせるぐらい、この大蔵乗越から長助池の現行のルートは歩いても楽しくないし、危険である。というか、このルートを取るぐらいなら、妙高高原スカイケーブルを用いたルートを取るべきであろう。

長助池分岐には、水が溢れていて気持ちいいのだが、生憎、蚊が多くいたこともあり、ゆっくりと休ませてはくれなかった。そこを12時過ぎに早々と立ち、妙高山を登り始める。妙高山は山頂が全方位とも崖のような急斜面であり、長助池分岐からもちょっと緩やかな沢のようなところを登ると、クライミングのような急登が現れる。妙高山は、映画「E.T.」で有名になったワイオミング州のデビルズ・タワーのような形状をしているので、最後の登りがまさに絶壁を登るような感じとなっているのだ。この急登は半端なく厳しく、息が上がり続け、途中、目の前が暗くなりそうな状態にもなる。相方がおらず、一人で登っていたら、とても登り切ることはできなかったであろう。呼吸のリズムを気にしながら、とりあえず気絶するようになることは避け、ゆっくりと一歩一歩進んでいく。すると、どうにか妙高山の山頂に到着することができた。到着時間は13時30分。

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<妙高山の北峰>

山頂はガスでほとんど何も見られない状況であるが、「天気とくらす」の予測ほど風は強くなかった。雨が降っていないことはせめてもの救いである。妙高山には二つの山頂がある。足はもうガクガクであったが、頑張って南峰へといく。途中、日本岩という巨岩があるロック・ガーデンのような場所がある。晴れていたら、さぞかし綺麗だろうが、こうガスが出ているとあまりその凄さが感じられない。

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<北峰と南峰の中間には巨岩がゴロゴロ転がっているロック・ガーデンのような場所がある>

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<妙高山南峰>

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<頂上からは絶景が望めるはずなのだが、ガスに覆われてほとんど何も見られない>

満身創痍に近かったので、頂上で10分間ほど横になって休憩を取る。そして、14時頃から下山を開始する。登りが厳しいということは、下りも厳しいということだ。それほどゆっくりと降りた積もりはないのだが、コースタイムより10分も遅く、長助池に到着する。ここの泉で顔を洗い、身体を冷やす。冷たい水を身体が喜ぶ。さて、ここから大倉乗越は登り。なんで、ここで登るのかと思うが、疲れ切った身体にむち打ち、また滑落しないよう気を張ってトラバースをする。この登山道は、繰り返しになるが、とても百名山の登山道と思えないほど酷い。ただ、後で黒沢池ヒュッテの管理者に聞いた話だが、ここらへんの登山道の管理はボランティア任せらしい。ボランティアは人手が足りず、また、重作業なのでなかなか管理ができないというのが実情らしい。例えば関温泉からのルートはクマザサに登山道が覆われ、道をみつけるのも難しいような状況だそうだ。多少、関温泉からのルートを考えていたこともあったので、つくづくそのルートを取らなくてよかった。

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<この日の登山で唯一の青空が見えた瞬間>

さて、大倉乗越を過ぎると、あとは下り。ただ、この下りも沢のような道を降りていくので気をつけないといけない。ゆっくりと慎重に降りていき、黒沢池ヒュッテに到着。到着したのは16時30分であった。今日はこちらで泊まる。コロナが感染拡大していることもあってか、宿泊者は私と同行者の二人だけ。管理人も我々も皆、ワクチンを二回接種しているので、まず安心だ。ということで、極めてコロナ・フリーな山小屋泊となった。コロナの山登りの必須品であるマイ・シーツを敷いて、夕ご飯のシチューを食べると、速攻で眠りに落ちる。明日は火打山である。

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『都市政策の思想と現実』宮本憲一 [書評]

政治経済学者であるが、都市論者の泰斗である宮本憲一氏の著書。1980年に出された『都市経済論』という名著が、既に絶版となっているので、それに代わる本としては、これはお勧めであろう。たいへん分かりやすく、論理的な文章に理解は進むが、誤字は多い。ブラジルのクリチバがチリチバになっていたり、ちょっと笑えない誤字が特に後半部には少なくない。また、私は宮本氏を敬愛しているので、彼に過ちはないと思いたいのだが、「ドイツは日本と同じように持ち家主義であり、主として民間に供給をまかせている」(p.238)という明らかな事実誤認もある。ドイツは持ち家率が3割台で、旧東ドイツは特に賃貸が顕著であるが、旧西ドイツでも戸建て住宅はともかく、集合住宅はほとんどが賃貸である。ただ、そのような重箱の隅をほじくると出てくるミスはあるが、400ページに及ぶこの本は、日本の都市政策を相当、範囲、網羅しており、政策学部の大学生は読むべき著書であることは間違いない。


都市政策の思想と現実 (立命館大学叢書 政策科学)

都市政策の思想と現実 (立命館大学叢書 政策科学)

  • 作者: 宮本 憲一
  • 出版社/メーカー: 有斐閣
  • 発売日: 2021/08/19
  • メディア: 単行本



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日本の明るい将来を導くためには道州制の導入が必要だろう [サステイナブルな問題]

今回のコロナウイルスへの対応の自民党政府の酷さは目に余る。その理由としては、もちろん自民党政権の知力が劣化しているからであるが、彼らの知力は随分と前から劣化している。おそらく森あたりが首相を務めた時から劣化は相当、進んでいたであろう。さて、それでは何で、それでも政権を維持できたのか。それは中央省庁のエリート達が優秀だったからである。民主党政権がいろいろと上手く回せなかった最大の要因は、この中央省庁のエリート達を使いこなせなかったからである。自民党は政権掌握期間が長いので、ここらへんはゆかりがない。上手く彼らに操縦されて、どうにか政権を維持できてきた。
 さて、それではなぜ、今回このコロナウイルスでは上手く対応することができなくなったのか。それは、中央省庁の役人達が劣化を始めているからだ。小室圭のことだって、宮内庁がしっかりとしていればこんな問題にはならなかった。中央官庁の役人がサラリーマンのようになってしまい、国の課題を解決する主体であるという自覚がなくなってしまったことが、コロナやオリンピックを始めとして、いろいろと直面する問題が解決できなくなってしまっている最大の要因ではないかと思うのだ。最近でも、国の未来を担うというような気持ちで中央官庁の役人になる者はいる。しかし、彼ら・彼女らの多くが、中央官庁という組織に嫌気が差して辞めていく。私の周囲にもそういう人達が何人かいるのを知っている。エリートという約束されたポジションを捨てるほど、その組織は拘束的で、クリエイティブだったり、問題意識が高い人ほど辞めていく。結果、残るのは自分のことしか考えていないような輩だけとなる。ちょっと前にも経産省の若きエリート役人が詐欺で逮捕されたが、彼らはコロナ対策補助金を詐欺をして自分のポケットに入れて、それで何をしたかというと給料以上の家賃のマンションに住んで、1000万円以上の会社買っていたそうだ。そのさもしさに涙が出る。(https://www.sankei.com/article/20210703-Q3TJU5ZVAZI5LN5PV5AZ46VOXU/
 こんな人達が、コロナウィルスから国民の安全や命を守ろうなんて、思う訳がない。
 さて、それでは我々、国民はどうすればいいのか。ふて寝という選択肢もあるが、それじゃあ、いつまで経ってもふて寝をしていなくてはいけないし、そのうち中央政府と自民党コンビに殺されるかもしれない。
 ここは、道州制を導入して、中央政府の役割を国防とかに限定させてしまうことを提案したい。環境省や国土交通省、経産省、農林水産省、厚労省とかはもう解体した方がいい。財務省などの解体は「円」の管理人としては必要だが、現状よりずっと小規模にして構わないであろう。州政府に移譲すればいいのだ。コロナの対策もはっきり言って、自治体の方が遙かに機動力があって知恵もある。福井県の対応なんて、国よりはるかに現実の危機への対応力がある。
 道州制は1990年代頃から議論されていたが、既得権を守りたい中央省庁や自民党政権によって潰されてきたが、もう日本もただのアジアのダメ国の一員になっていたことがオリンピックで露見されたことをきっかけに再び議論をするべきであるし、それを導入すべきであろう。そうしないと、このバカな国は再び平気で戦争をするぞ。そして、今度、戦争したら、本当に国が消滅するかもしれない。目をつぶって楽観論だけを耳に入れて、オリンピックに突入して、このコロナが猖獗を極めている危機を招いた自民党政権・中央政府の反省しない態度をみるにつけ、これは本当にこの国は危機にあるな、ということを思い知らせられる。ただ、我々は、この劣化した中央政府に拘る必要はない。徳川幕府より解体することは簡単だし、無血で出来る筈だ。

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オリンピック開催がコロナウィルスの感染を抑止した証拠はまったくない [菅政権]

オリンピック開催はコロナウィルスの感染拡大と無関係だ、と小池都知事も菅首相もその取り巻きも主張しているが、オリンピック開催によってコロナウィルスの感染が抑制される、というかマイナスに働いた要素はまったくない。つまり、マイナスにはならないがプラスにはなるというイベントを、このコロナウィルスの感染拡大が危惧されたのに遂行したということは、もっと自覚し、政権、そしてその政権を支持した我々も反省すべきであろう。

小池都知事は、8月12日で東京都のモニタリング会議で国立国際医療研究センターの大曲氏が「競技場の周辺や沿道に多くの人が集まり応援する姿がみられた」と言及したのに対して、「印象論でおっしゃっている」と回答した。これは肺がんになった喫煙者の患者が、「喫煙は止めた方がいい」というお医者さんに、喫煙と肺がんとの私個人における因果関係(エビデンス)はないので、喫煙を止めるというような「印象論」で話さないでくれ、と言っているようなものだ。でも、喫煙をすることで肺がんになることを回避するといった効果はゼロである。つまり、「競技場の周辺や沿道に多くの人が集まる」ことは、オリンピックを開催しなかったらまったくあり得なかったことなので、その開催はリスクを高めることはあっても低めることはない。

つまり、たばこのようなもんだな。確かに、たばこは美味しいし、吸うと気持ちよくなる。健康に悪いが止められない。オリンピックも楽しいし、見ているとわくわくする。ただ、たばこは身体に悪いのが否定できないように、コロナウィルス禍でのオリンピックはコロナウィルスの感染拡大を促進する方向に働いた、ということは否定しようがない。コロナウィルス感染拡大の統計を10年後の統計学者が分析すれば、まず明らかなのはオリンピックが要因であるということ。小池さんも菅さんも自分に都合が悪いから否定しているだけで、第三者的立場でみれば、というか野党側であったら猛烈にその因果関係を指摘していたであろう。

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『AKIRA』を久し振りに読んで、やはりそれほど感心しない [書評]

『AKIRA』は1982年から1990年にかけてヤング・マガジンに連載されていた大友克洋の漫画である。私はちょうど大学時代と被ったりもしたので、結構、連載中も読んでいた。とはいえ、ヤング・マガジンはたまに買うか、喫茶店とかで読むぐらいであったので集中して読んでいた訳ではない。あとで単行本も買ったりしたが、全巻揃えず、最初の三巻ぐらいであったかと思う。

さて、しかし私のそのような関心のなさとは世間の評価はまったく異なり、『AKIRA』は日本の漫画の金字塔的位置づけにある。ハリウッドでも実写版映画が企画されて、本来であれば今年、公開予定であった。原作がつくられてから40年経っても、この人気というのは凄まじいものである。私も五十嵐太郎の著書を読んでいたら、やたら『AKIRA』の引用が多いので、改めて1巻から6巻までを購入して、一気読みをしてみた。

その感想であるが、やはり40年前と同じであまり感心しなかった。いや、荒廃された東京の描写は凄まじいものがあって、確かに建築をやっている学生さんとかは惹き付けられるであろう。バックグラウンドの絵などの描写は素晴らしいし、ミヤコ教の総本山のデザイン(代々木の国立競技場にそっくりだが)なども興味深い。それなのに、なぜ私が惹き付けられないのか。

それはまず、主人公の金田のキャラが今一つであり、とても感情移入できないからだ。まず、アホすぎ。子供のように感情に支配され、前後の見境がない。正義感がないとはいえないが、それは直情的であり、いや、本当、こいつには近づきたくない。そのような中、ケイが常識的な人間で、彼女の目を通じて世の中を捉えようとする読者としての自分がいたが、最後には一緒になってしまって、もうなんじゃこりゃ、の世界である。ご都合主義にもほどがある。いや、SFなので科学面ではご都合主義は致し方ないが、人間関係の描写にご都合主義だとストーリーの面白さが半減する。

あと、建築や都市の描写が素晴らしすぎるのであまりそう思っていなかったのだが、人の描写は決して上手くない。ヒロインのケイも美人なのかそうでないかが分からない。チヨコも男性か女性かはちょっとよく分からない。金田と関係を持っていた保健婦が美人でないのは分かったが。人の描写って難しいのだな、と改めて思わさせられる。

ということで35年ぶりぐらいに読み返した『AKIRA』は、やはりそれほど感心しなかった。ハリウッド的というか、アメリカ人にも分かりやすい単純なストーリーであるというところはあるかもしれないが、日本の漫画はもっと人と人との心の複雑な絡みが描かれている。そこで、ストーリーはリアリティを確保するし、そこに我々は惹き付けられる。例えば『あずみ』や『サイボーグ009』、『鉄腕アトム』、そのオマージュである『PLUTO』…というか、その作者である浦沢直樹の『二十世紀少年』や『MONSTER』なんか、まさにそういう作品である。『二十世紀少年』も主人公はアホといえばアホだが、金田のように感情移入ができないアホではなく、めちゃくちゃ感情移入したくなるようなアホだ。そういう意味では荒唐無稽では、はるかに『AKIRA』の上をいく荒木飛呂彦のジョジョ・シリーズでも、『AKIRA』よりはるかに物語の世界に引き込まれる。いや、パラレル・ワールドとか岩人間とか、まったくあり得ないと思いつつ、『AKIRA』のように読み進めることへの苦痛を覚えない。

さて、もう世紀の名作という評価が確立している『AKIRA』に対して、このような批判をするのはまさに神をも恐れぬ、という所業なのだろうが、率直に一個人としての読書感想をここに述べさせてもらう。失敬。



AKIRA コミック 全6巻完結セット

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  • メディア: セット買い



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  • 作者: 大友 克洋
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1984/09/14
  • メディア: ペーパーバック



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データをみると、ラムダ株の恐ろしさが見えてくる。 [グローバルな問題]

世界のコロナ感染がどのような状況であるのかをチェックしてみた(2021.08.13)。まず、感染者数であるが2億623万人、死者数は435万人である。感染者数を国別でみるとアメリカ合衆国、インド、ブラジルと続く。死者数だとアメリカ合衆国はトップだが、次いでブラジル、インドとなる。インドは悲惨だと指摘されていたが、実はブラジルの方が酷いのか。さて、その後、急上昇しているのはメキシコ、ペルーでロシア、イギリスを抜いた。ペルーではラムダ株が猛威をふるっているということで、ちょっと今後が心配だ。
 さて、次は人口当たりであるが、感染者数でみると小国が並び、2000万人以上でみると、14位のアメリカがトップ(11.17%)で、次いでアルゼンチン、オランダ、ウルグアイ、スェーデンと続く。日本はなんと142位で、結構、医療逼迫と言われているが、まだ相対的にはましなのか、とちょっと驚く。
 人口当たりの死者数では、ペルー(0.59%)、ハンガリー、ボスニアが1位から3位。比較的、人口が多い国だけをみると、8位にブラジル、11位にコロンビア、12位にアルゼンチン、16位にパラグアイと南米諸国が続く。それ以降は17位にイタリア、20位にイギリス、21位にアメリカ合衆国、22位にメキシコ、23位にチリである。ちなみに絶対数が多いインドは115位、日本は140位である。
それにしても、南米の人口当たりの死者数、高すぎないか。特にペルーの高さは尋常ではない。日本は0.01%であるから、日本のほぼ60倍近い死亡率である。ワクチン接種率が低いなどが要因としては考えられるが、もう一つはラムダ株の存在であろう。他の南米諸国の死亡率が高いことを考えても、ラムダ株はデルタ株より怖ろしい可能性をこれらの数字は暗示している。ラムダ株はペルー由来である。日本でも8月10日に確認されたが、アメリカでも昨日のCNNのニュースによれば、テキサス州などで発見されているようだ。
 というか、まじでこのような状況でもパラリンピックを強行するのか。今すぐ、何かしらの対応をすべきであろう。というか、コロナウィルス、強すぎないか。まだラスボスが登場するには時間がかかりそうな気がする。

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フロリダ州のコロナ感染拡大が凄いことになっている [グローバルな問題]

トランプ大統領の傀儡であるロン・デサントスが州知事であるフロリダ州のコロナ感染拡大が猖獗を極めている。フロリダ州の保険局が8月13日に発表したデータ(http://ww11.doh.state.fl.us/comm/_partners/covid19_report_archive/covid19-data/covid19_data_latest.pdf) によると累計の感染者数は272万5450人。先週だけで、新たに13万4500人が感染している。6月18日までは週当たりの新規感染者数は12万人を越えることはなかったので、一ヶ月半で週当たりの新規感染者数は10倍以上も増えていることになる。これは、まさにアウトブレークに近い。
フロリダ州の人口は2157万人。既にコロナの感染者数は全人口の12.6%に及んでいる。日本の累計感染者数は107万人であり、感染者数は全人口の0.08%だ。ついでに東京のデータをみると、感染者数は全人口の1.9%である。現在、医療崩壊が心配されているような感染爆発が起きている東京でさえ、まだこの数字だ。フロリダ州の状況がいかに酷いかが分かる。ちなみにフロリダ州のコロナによる死者数は40171人。日本は15336人(東京都は2317人)なので、人口当たりの死亡率はフロリダ州は日本の15倍(東京都の11倍)ぐらいで、感染者数とほぼ同じ比率である(東京都と比べると、死亡率は感染率より低い)。そして、未だ増加トレンドにあり、これはどれだけの人が今後、感染していくか、ちょっと考えただけでもゾッとする。
この要因は、デサントス州知事が、小学校でのマスク着用を義務化させることを州法で禁止しようとさせたり(これは現在、州裁判所に無効だと訴訟されている)、「自由」を規制するようなコロナ対策はアメリカ的でないと主張したり、「Don’t Fauch my Florida」といったホワイトハウスのコロナ対策タスクフォースの一員であるアンソニー・ファウチを揶揄するTシャツやマグカップを配布したりするなど、ワクチン接種やコロナ対策への批判をすることで、政治活動を展開しているからだ。ところで、トランプといい、なんでコロナ対策を批判するのか不思議だったのだが、そのような活動をすると寄付金で随分と儲かることが最近、理解できた(驚いたことにトヨタも結構、寄附をしている・・・なぜだ?)。
ワクチン接種者は1210万人なので56%に達している。1017万人が二度接種を完了している。これまで、接種率が低かった同州だが7月から接種者が急増している。ちなみに日本は二度接種だと36%、東京都では30%だ。日本はやはり遅い。
さて、フロリダ州のコロナ感染状況で明らかになったことは、15歳の子供などが重篤化していることだ(https://www.nbcmiami.com/news/local/why-my-daughter-broward-teen-hospitalized-in-icu-with-covid-19/2506704/)。4歳の子供が亡くなったケースもある(https://www.jacksonville.com/story/news/coronavirus/2021/03/02/hardee-county-4-year-old-becomes-floridas-youngest-covid-19-death/6849825002/)。
デルタ株が猛威をふるい、さらにはラムダ株がデッキで待機していることを推察すると、これからの日本でも子供達がコロナの犠牲者になる可能性が今後、高くなるということだ。何しろ、若者を含めてワクチン接種を進めて、万が一コロナになっても重篤化させない、死なないような自衛策を講じるべきであろう。コロナは過ぎ去ったかと思ったが、これからが本格的な闘いとなる。まだ、せいぜい第二楽章が終わったぐらいの状況にあることがフロリダの悲惨な状況をみると理解することができる。何が「東京五輪、人類がコロナに打ち勝った証に」だ!まだ、インターミッションにも入っていないような状況にあることが分かった。

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コロナ禍での人口移動を考察する [サステイナブルな問題]

総務省は8月4日、住民基本台帳に基づく2021年1月1日時点の人口動態調査を発表した。コロナの影響下で、人々がどのように移動したかの傾向が見られる調査であり、興味深い。

さて、まず外国人住民が7年ぶりに減少した。まあ、これは分かりやすい。ただ、大都市から地方という移動はほとんどマクロではみられない。相変わらず、減少率が高い(この1年で1%以上減少)のは秋田(1.40%)、青森(1.23%)、岩手(1.16%)、山形(1.13%)、福島(1.02%)といった東北勢に新潟(1.01%)、高知(1.09%)、長崎(1.09%)である。人口減少が進んでいるところが相変わらず、人口減が激しい。さて、それではどこが増えているのかというと、埼玉、千葉、東京、神奈川の一都三県+沖縄であり、これまで人口増が進んでいるところが相変わらず増えている。きれいに勝ち組と負け組が別れている。東京は昨年に比べると社会増の数が減っているということらしいが、それでも47都道府県の中で神奈川に次いで多い二番目のポジションを得ている。なんてことはない。コロナ禍でも相変わらず、人々は東京に引っ越して来ているのだ。

今後の地方を展望すると、追い風どころか向かい風の強風が吹き荒れているような模様だ。なぜなら、地方に雇用を創出していた工場がどんどんと閉鎖されているからだ。栃木県真岡市のホンダ、豊田市のキューピー、新発田の京セラ、川崎のJFEスチールなどである。これらを後押ししているのは、高度成長期につくられた工場の老朽化や、人工知能などの第四時産業革命への対応、そして経営合理化。

地方で雇用がなければ東京に出てくる(もはや大阪ですら怪しい)ことになるが、その肝心の東京がオリンピックの敗戦処理でこれから経済的に混迷していく。こりゃ、まじで東京でもスラムが出来るような悲惨な状況になる。そういう状況を回避するためには、地方で産業をつくらなくてはダメだ。いや、本当、不味いでしょう。とはいえ、本当に美味しいものは東京ががめるからな。まあ、オリンピックをがめたら罰が当たったけど。そもそも、地方選出の国会議員のほとんどがその地方を知らないで東京育ちだから、そりゃ、ほとんどの国会議員が地方のことをどうしようなんて本気で考えない。私の目の黒いうちに何か大きく、日本を変えるようなことが起きるかもしれない。しかし、それは東京を否定するような、首都機能移転ではなく、既存の都市への首都移転といった大胆なことになるであろう。まあ、行き詰まって戦争やって敗戦からの復活、といったようなバカなことは二度と繰り返してほしくないと強く思うが。話が随分と横に逸れたが、まあ、コロナで東京から地方へ人が移動ということはほとんど見られなかったということが分かった。せいぜい、ちょっと多摩川を越えて武蔵小杉に住む人が増えたというぐらいの変化であろう。

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丸川大臣の発言にデジャブ感を覚える [菅政権]

8月10日、丸川大臣は記者会見で東京五輪期間中に新型コロナウイルスの感染者数が増加したことについて「五輪の開催は感染拡大の原因にはなっていないものと考えている」と発言した。この発言にデシャブ感を覚えて、そうか、福島の子供達の甲状腺癌の数が尋常じゃなく増えていても「福島原発事故は癌の患者数増加の原因にはなっていないものと考えている」と同じだ、ということに気づいた。
 要するに、ほぼ因果関係が明らかであるにも関わらず、その責任逃れをする。まあ、ここまで無責任な人達が国の舵取りをしているからこそ、コロナの対応も後手後手になるし、まともにオリンピックにも対処できない。今回は、コロナの感染拡大がなくても、モントリオール、アテネに勝るとも劣らないほどの惨憺たる敗戦処理を覚悟するようなものであったのに、コロナの感染拡大で状況はさらに悪化した。泣きっ面に蜂とはまさにこのことだが、本当、これからどうするのか。国外脱出できるものは、した方がいいのではないか、というような暗澹たる未来が待っている。まあ、敗戦直後の日本人がそうしたように、ひたすら頑張って勉強するしかないかもしれない。所詮、天然資源に乏しい日本人は、人材を磨いて世界に勝負するしか有効な手段はないのだから。

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オリンピックがようやく終わった。これから長い敗戦処理が始まる。 [菅政権]

今日でオリンピックが終わる。いやあ、長かったあ。早く終われと思っていたので、ことさらそう感じたのかもしれない。オリンピックの浮かれ気分とともに、感染が広がったコロナであるが、ここまで絶対値として増えてしまった今、それが収束するのには時間がかかるだろう。オリンピックは終わっても、それでばらまかれたウィルスはすぐには沈静化しない。まあ、カミュのペストのように一都三県(もはや東京だけがパンデミック・センターではない)をロックダウンしますか?とはいえ、一都三県での行き来ができると不味いので、これはもうネイバーフッド単位でロックダウンするしかないかもね。ロックダウンがもたらす経済的ダメージは計り知れない。しかし、そうするしか生き残る方法がなければするしかないという判断にはなり得る。でも、そんな覚悟が自民党にあったら、そもそも、ここまで状況は悪化しなかったであろうし、オリンピックも中止をしたであろう。オリンピックの中止もできないのに、ロックダウンって、ちょっと英検3級も通らないのに、英検1級を受けるようなもんだ。政策の難しさのレベルが全然、違う。
 さて、しかし、これからオリンピック開催都市という巨大負債を抱え込んだ東京は大変だ。アテネ・オリンピックによってギリシャは経済が傾いた。モントリオール・オリンピックでは、モントリオールは30年間も負債の返済に苦しむ。そして、負債の返済をしている間に、カナダでの第一の都市という座をトロントに明け渡すことになる。メジャーリーグ・ベースボールのエクスポスもワシントンDCに移動してしまった。東京はモントリオールと違って首都であるので、同じような目には合わないかもしれない(逆にいえば関西が台頭するチャンスは少ないということ・・・万博で東京の失敗に付き合っているし)が、アテネのように日本国を大きく傾かせることにはなるだろう。
 まさに敗戦処理をこれからしなくてはならなくなる。まあ、ここで金メダルの多さに浮かれて、菅政権を支持したりしたら、それこそ越後トンネルより長い暗闇に日本は突入するであろう。今、日本の若者は本当、可哀想だ。馬鹿な年寄りのために、酷い目にこれから合うことになるだろう。

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「人流は減っている」という菅の嘘 [菅政権]

7月27日、菅首相は「(オリンピックを続けることについて)車の制限であるとか、テレワーク、そして正に、皆さんのおかげさまによりまして、人流は減少していますので、そうした心配はないと思っています」と回答した。
 何を根拠に人流は減っているというのであろうか。NTTドコモが、首都圏の主要駅や繁華街で人での増減率を記録しているが、翌日の7月28日、千葉駅が5.9ポイント(7月7日との比較)、横浜の中華街は6.5ポイント、川崎駅は4.3ポイント、大宮駅西は3.4ポイント増えている。全然、人流が減少する気配はみられていない。
 7月27日はその当時、新規感染者数が過去最多となる2848人を記録した。それから10日の間、新規感染者数は毎日のように記録を更新し、遂に今日は5000人を越えた。
 本日(8月6日)のNTTドコモによる調査(https://mobaku.jp/covid-19/)では、東京都内の12の地点のうち前年同月比では10地点で増えている。東京駅は10.4ポイント、渋谷センター街などは6.9ポイント増である。減っているのは霞ヶ関と品川駅だけだ。ここらへんはエリート層が働くようなオフィスが多いのでテレワークができるのであろう。
 前日比とのデータもあるが、これも12地点で8地点が増えている。減っているのは霞ヶ関と品川駅に加え、大手町と丸の内。つまり、オフィス以外はすべての地点で増えている。というか、人流が減っているというトレンドはまったく見られないことが分かる。もちろん、データの取り方によっては瞬間風速的に減っているというのはあるかもしれないが、緊急事態宣言の二回目と比較したデータでも、7地点で増加している。立川などは9.7ポイントも増加している。
 つまり、人流が減っている、というようなデータは見つからないのだ。というか、むしろ減っていない。新規感染者数が毎日のように記録更新をして増えているにもかかわらず、減っていないのだ。ワクチンを接種している人達が3割ぐらいいるのに、この数字の高さは怖ろしい。
 それなのに、なぜ菅首相は「人流が減っているから大丈夫」などと平気で言うのだろうか。まあ、国民を馬鹿にしているのは分かるが、それにしても程度というものがあるだろう。菅首相はまた記者会見で、東京五輪と感染拡大は「無関係」と明言した。これも、まったく根拠がなく、この人の論理性のなさは凄まじいものがある。菅は、6月9日の党首討論であは、五輪による感染拡大リスクについて「国民の生命と安全を守るのが私の責任だ。守れなくなったら(五輪を)やらないのは当然だと思う。それは前提だ」とのたまった。まだ、中止をするチャンスは残されている。一国の首相ともあろうものは、しっかりと約束を守ってくれなくては困る。まだ、今日ならそれができる。最後くらい、いいとこみせてよ、菅首相。

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菅首相の金メダリストへの電話攻勢や祝勝ツイッターが示唆すること [菅政権]

菅首相が金メダリストへ電話をしたり、祝勝ツイッターを頻繁にしている。この行為に関して、あまり好ましいと思っていない人は多いのではないか。メダリストへのお祝いの言葉を述べている、まさにその瞬間にもコロナウィルスは猖獗を極めている。足元には死亡者まで出ている。これも菅首相のオリンピックを優先し、国民の命の安全を守らなかった愚策の帰結であり、腹立たしい。
 さて、しかし、このようなパフォーマンスが国民受けしないということは、ちょっと考えると分かりそうなのに、なぜ、続けているのか。そもそも今回のオリンピックを成功させるためにマリオに扮したり、まったくアンダー・コントロールではない福島をそうであるとまで言い切った安倍首相が開会式に出ない、というのは、そこでの逆風を予期していたからであろう。安倍首相は何も得意なところはないが、言い訳だけは天才的だと看破したのは、彼の祖父(父方か母方かは忘れた)であったようだが、責任回避に関してはまさに天才的だと感心する。
 そのような危機意識のなさ、そしてKYぶりが菅首相はあまりにも顕である。何でだろう?と考えて、もしかしたら「令和おじさん」を再体験したいからなのではないかと考察した。それまで陰が薄かった菅さんであるが、令和の元号を発表した時に、「令和おじさん」として国民にもその名前と顔が知られ、ちょっと人気まで上がった。菅さん的にはもしかしたら、そのように好意的に注目されたのは人生で初めてだったのかもしれない。しかし、首相になったら最初こそは支持率が高かったが、それからは落ちる一方である。「令和おじさん」のように好感度をアップするような機会を虎視眈々と狙っていたのだろう。そして見つけたのが、日本人の金メダリストに、庶民的な感覚で国民を代表して祝いの言葉を述べる首相、という機会だったのではないだろうか。まあ、メダリストの威光を借りたセコセコ戦略であるが、「令和」の元号発表だって、別に菅さんが考えたものでもないからな。この時の美味しい体験が忘れらなくて、同等の効果はもはやないにも等しい状況であるにも関わらず、菅さん、止められないんじゃないかな。まあ、どちらにしても国民を馬鹿にした話だ。

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エンゲルスは当時の労働者が置かれた悲惨な状況を社会的殺人と指摘したが、今の自民党政権がしていることも社会的殺人ではないのか [菅政権]

『イギリスの労働者階級の状態』や『住宅問題』などの著書で知られるエンゲルスは、産業革命下で労働者がとうてい生きることのできない事情に追いやられて非業の死を遂げるのであれば、それは個人的殺人と同様に殺人であり、それを社会的殺人であると指摘した。そして、それを「防止し、社会の各成員のせめて生命を保護する責任はブルジョアジーであるとかいている。なぜならばブルジョアジーは生産手段と生活資料を所有し、現在の社会の支配圏をにぎっており、したがって、この支配権にあずからない人々の生命や健康については責任をもつ階級だからである。この責任をブルジョアジーは果たしていないのであるから、社会的殺人・傷害の犯人はブルジョアジーであるといわざるをえない」(宮本憲一、『都市政策の思想と現実』p.93)。

ここで、ブルジョアジーを自民党政権と置き換えてもいいであろう。菅首相自ら、「国民の命と健康を守るのは私の責務だ。五輪を優先させることはない」と今年の6月1日に参院厚生労働委員会で答弁していたのだから、その自覚はあると思って間違いない。

それにも関わらず、オリンピックを開催したらコロナウィルスが猛烈に拡大し始め、政府は重症化リスクの低い中等症患者などを原則、自宅療養とすることを表明した。これは、もう「国民の命と健康」を守れていない状況にあるということだ。何が「人類がコロナに打ち勝った証しだ」。完璧に負けている。それにも関わらず、そのパンデミックのエピセンターである東京ではオリンピックという祭りが行われている。祭りをしている一方で、下村大臣は「ロックダウンをできるように法律を整備する」と発言をしている。下村大臣は、よほど国民の基本的人権を制限したいのだろう。ロックダウン云々を抜かす前に祭りを止めろ。というか、ワクチン接種というロジスティクスも出来ない政府がロックダウンとか言うな!と主張したい。今回のコロナの流行を抑えられないのは、国民に原因があるのではなく、これは自民党政権、そしてそれを支えている国家公務員に原因があるのは他国と比べれば明らかだ。下村大臣に票を入れる人が本当、不思議だ。日本人を止めたいのだろうか。

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新国立競技場をしっかりとつくれなかった国だから、オリンピックのダメダメ具合は必然であろう [都市デザイン]

オリンピックのダメダメ具合をみるにつけ、新国立競技場をしっかりとつくれないような国だから、この帰結は当然かなと思ったりする。当時、この競技場の案を却下するかどうかで世論が湧いていた頃、週刊ポストにこの件でのコメント依頼がきて、「東京オリンピックはこの競技場でやります、って招致活動したのだから、つくらないのは詐欺ですよね」ってコメントしたら「つくらないのは詐欺ですよね」のところだけ引用しようとしたので、その最終確認を東横線に乗っている時、携帯メイルで受け取って、急いで途中下車して、私のコメントはもう修正しなくていいから全文削除、私の名前を出さないでくれ、と言ったことがる。私はハディド案をつくるべきだと当時も思っているし、今も思っているが、流石に周囲の反対派のバッシングを受けるほどの覚悟はない。
 それはともかく、女性で最初のプリツカー賞受賞者で、ガウディ以来の創造性を有した建築家で、彼女の作品をボツにしたときにリチャード・ロジャースが「イギリスの至宝に何て失礼なことを日本はするんだ」とコメントしたのを覚えている。改めてコンペの講評文を掲載する。

「スポーツの躍動感を思わせるような、流線型の斬新なデザインである。極めてシンボリックな形態だが、背後には構造と内部の空間表現の見事な一致があり、都市空間とのつながりにおいても、シンプルで力強いアイデアが示されている。可動屋根も実現可能なアイディアで、文化利用時には祝祭性に富んだ空間演出が可能だ。(中略)また、橋梁ともいうべき象徴的なアーチ状主架構の実現は、現代日本の建設技術の枠を尽くすべき挑戦となるおのである。(中略)アプローチを含めた周辺環境との関係については、現況に即したかたちでの修正が今後必要であるが、強いインパクトをもって世界に日本の先進性を発信し、優れた建築・環境技術をアピールできるデザインであることを高く評価し、最優秀案とした。」

 このような国際コンペで選ばれた作品も、政治的な絡みなどでボツにする。ハディドの作品はイギリス、ドイツ、イタリア、オーストリア、米国、アゼルバイジャン、シンガポール、中国、韓国の大都市で見学することができる。日本には一つも作品がない。磯崎新がその才能を発掘したにもかかわらずである。それは、日本がそのような建築作品をつくる舞台として覚悟を持てないからである。この覚悟の無さが、今回のオリンピックの低迷と通底している。それは、オリンピック大会組織委員会の武藤敏郎事務総長を始めとした中央政府の役人達が覚悟を持たない無責任体質でやっているからだ。上手くいく訳がない。そして、それはザハ・ハディドの新国立競技場を却下した時点である程度、予測できたことである。

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谷川岳(日本百名山47座登頂) [日本百名山]

昨年の12月に足首を捻挫した。それ以来、初めての登山にチャレンジした。谷川岳ならどうにか登れるかも、ということでいろいろと不安はあったが挑戦してみた。難しければ、戻る覚悟をしてでの挑戦である。朝、5時ぐらいに家を出ようと思っていたのだが、なかなか寝付けず、結局、目が覚めたのは6時過ぎであった。ただ、急いで用意をして出発をしたら7時前に家を出ることができた。
 オリンピック開催中ということや、四連休の最終日ということもあり、道路は空いており、谷川岳のロープウェイの駐車場に到着したのは10時前ぐらいであった。ロープウェイの運賃は往復で2100円。3分間隔で動いているので凄い輸送力である。ロープウェイに乗車したのは10時20分。15分で天神平駅に着く。その後、リフトに乗ると170メートルぐらいは標高で得をするが、そのまま歩き始める。高原植物が多く咲いていて目を楽しませてくれる
 さて、ひさりぶりの登山ということもあり、丁寧にゆっくりと登っていく。登り始めてすぐ、ストックを車のトランクに置きっぱなしにしていることに気づくが後の祭りだ。これは、下りで足に来るだろうと予測するが、その予測は当たる。ただし、予測していた膝ではなく、太股に来たが。
 その後、ガスは出るのだが、このときは天気も良く、随分と暑く、熱中症を気にするような感じであった。早めに経口補水液などを飲み、熱中症にならないように気をつける。しばらく行くと、リフトからのトレイルと合流し、さらにしばらく歩くと熊穴沢避難小屋に着く。11時15分だ。それからしばらく行くと、急斜面となる。ヒモもあり、鎖場もあり、なかなか厳しいが、登りに関しては鎖に頼らなくても登れる程度の斜度である。ただ、急斜面がずっと続くので太股には結構、厳しい。天狗の腰掛け岩を過ぎ、天狗の留まり場に着いたのが12時ちょうど。ここから山の方はクマザサの緑が絨毯のように広がり、美しい。
 ここらへんから雲が発達してきて、展望は得られなくなるが、涼しいのはちょっと助かる。そのまま肩の小屋に行き、休むかとも考えたが、一瞬、晴れ間が雲の中に見えたので一気に登ることとする。とはいえ、ここらへんで太股が相当、張ってくる。膝のサポーターを太股に巻くと状況はよくはなった。しかし、ここで痙攣すると、あとあと大変なことになるので、だましだまし歩いて行く。トマの耳までは、ここからだとすぐ。登頂したのは13時ちょうど。ここで休憩とし、昼食を取る。タイツの上から筋肉痛のためのサロンパスのスプレーを吹く。30分ほど滞在したが、雲が凄い勢いでまた視界を遮り、ほとんど何も見えなかった。さて、そこからオキの耳まではアップ・ダウンのある岩場を15分ほど行く。登頂時は13時45分だ。最終のロープウェイの時間は17時ということで急いで帰路に着く。
 帰路の下山時は、もう太股との格闘だ。ただ、ちょっと休めば状況は改善するので、時間はかかるがゆっくりと降りればいいだけの話である。天狗の留まり場を通過したのは14時20分。そして、天狗の腰掛け岩ではゆっくりと休憩。到着時は15時。そこからは太股への負担も特になく降りられたので、天神平駅に到着したのは15時45分であった。
四連休の最終日ということもあり、ハイキング的な格好で登っている人を数人、見かけた。鎖場などは、降りることに難儀をしていて、見ていてハラハラさせられた。谷川岳はアクセスがいいので、ちょっとハイキング気分で来られる人も多いのかもしれないが、リフトで天神峠に行くぐらいで留めた方がいいのではないだろうか。ロープウェイで高度は稼げるが、この登山は結構、厳しい。同じ百名山でも八幡平、筑波山、霧ヶ峰、大台ヶ原などとは全然、違う。というか、ちゃんとした登山である。
その後、湯テルメ・谷川で汗を流したが、この町営の温泉施設はとてもよかった。

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ロープウェイから東にある朝日岳の方角を望む

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ロープウェイの天神平駅周辺はワイルドフラワーが咲き乱れていて、目に楽しい

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ロープウェイの駅からしばらくはブナ林の中を歩いて行く

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木道が整備されていて、急登が始まるまでは歩きやすい

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急登は始まると、以後、ほとんど同じような斜度が続く。これは相当、きつい。

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天狗の留まり場から上は笹に覆われた緑が眩しい

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天狗の留まり場から肩の小屋までも急坂が続く

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とりあえず証拠写真

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これも証拠写真

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トマの耳からは360度の展望が得られるらしいが、雲でほとんど何も見えず

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たまに雲の合間から雄大であろう景色の一部を見ることができる

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天狗の腰掛け岩周辺。熊穴沢避難小屋からは階段を上るような急登。初級者には厳しい山かと思う。

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天狗の腰掛け岩から南東方向を望む

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登山後の温泉は谷川温泉の湯テルメ・谷川がいいかと思う。露天風呂は野趣溢れる。
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小山田圭吾の壮絶ないじめ告白について無責任に考察する [ロック音楽]

小山田圭吾が1990年代にロッキンオンの取材で、中学と高校時代に陰惨で卑劣なイジメをしたことを自慢したことで、オリンピックの楽曲メンバーを辞退することになった。小山田は小学校、中学校、高校と和光学園というお坊ちゃま・お嬢ちゃまの私立学校に通う。ということで、このイジメは和光学園でやられたことだが、「うんこを食べさせたうえにバックドロップをした」「パンツを脱がせて女性生徒のいる廊下を歩かせた」というイジメを実際に行って、それを学校側に見つからないことはちょっと考えにくい。おそらく、ロッキンオンという雑誌への取材ということで、そうとう盛ったのではないかと考えられる。
 小山田の実家はお金持ちである。音楽一家でもあるし、才能は間違いなくある。ただ、つくる音楽はロックというよりか、お洒落系の軟派な音楽である。ロッキンオンを読むレッド・ツェッペリンとかメガデスとかが好きな層に、お前等、自分のことを軟弱なミュージシャンと思っているかもしれないが、俺のサディスティックな狂気を知ってビビるなよ、みたいな気持ちがあったのではないだろうか。いや、知らんけど。
 そういうことで、小山田はちょっとした冗談(趣味は悪いが)的に大袈裟に言ったことが、今回、大炎上して同情はしないがアホだなと思っている自分がいる。しかし、それじゃあ寛容な気持ちになれるかというと、まったくそういう気持ちにはなっていない。なぜなら、小山田本人よりも周りにろくでもない輩がたくさんいることが分かったからだ。例えば、いとこの音楽プロデューサーの田辺晋太郎は、この件で「はーい、正義を振りかざす皆さんの願いが叶いました、良かったですねー!」とツイートした。さらには、小山田の所属するバンド「METAVIVE」のメンバーであるゴンドウトモヒコ氏は「偉いよ小山田くん。受け止める。いい音出してこう!!!!! 寧ろ炎上なんか◯◯喰らえ」とツィートした。さらに、これは昔の話だが、前述したいじめ取材をしたロッキンオンの編集者はいじめ被害者と対談するという破廉恥な企画を具体化すべき、被害者の家まで行っている(もちろん、断られる)。
 ということで、小山田にしろロッキンオンにしろ、「イジメが悪いような偽善的な風潮が世にはびこっているが、身障者をみたらいじめたくなるのが人間の本性だろう!」みたいに、本音を曝け出すことを是とするような、「不良の正義」みたいなことを主張することが格好いいというか、ロック・バンド的に正しい、みたいに当時は思っていたのかもしれないな、と考察したりしている。
 ロックをする人は多くの場合、いじめられっ子である。ビートルズだってジョンは母さんや運命にいじめられたし、ポールも母親を失ったことでロックに走る。他にもマリリン・マンソンやフィオナ・アップル、アラニス・モリゼット、クリスティナ・アギレラとかが浮かぶ。まあ、中にはZZトップのビリー・ギボンスのような裕福な家の息子もいるが、大抵、その攻撃性は若い時のトラウマから生まれている。レディ・ガガも実家はめちゃくちゃ裕福だがいじめられっ子だったからな。
 そういう中、小山田は裕福な家、というのに加え、和光学園というまあ、甘やかされっこしかいかないような私立学校に小学校から高校まで行っていたので、ある意味屈折したコンプレックスのようなものを持っていたのかもしれない。相方もドイツ文学者の息子にして東大文学部卒のお坊ちゃまだったからな。そんな俺にも反社会的な要素があるんだ、ロックをするという「ロッキンオン的意義はあるんだ」ということが主張したくて、ちょっと容赦のないいじめっ子みたいな演出を過度にしようとしていたのではないか。そして、ロッキンオンとかいとことか、バンド・メンバーとかもそういうのを是にしていたところがあるかとも思う。そういう価値観を醸成させ、そしてそれに乗っかる、というような嫌らしさがプンプンとするのだ。そして、私は小山田本人というよりかは、そのような「突っ張った格好良さ」をミュージシャンにまで求める雰囲気に嫌悪感を覚えるのだ。それは「正義を振りかざしたい」からではない。音楽以外に変にラベリングをするという姿勢が嫌なのだ。まさに小山田を非難する人達を「正義を振りかざしたい」でラベリングする田辺晋太郎はその典型で不愉快だ。
 別にさ、飛び切りの才能を持っているんだから、素直に「音楽では才能あるんですけど、特に人間性とかは一般的です。いじめはやっぱいじめられた側のこと考えるとしんどいね」とか言ってればいいのに、90年代という時代がそうではないことまでミュージシャンに求めたのかもしれないな。そして、小山田はそれに応えようとして、ちょっとサービス精神旺盛で答えてしまったのかもしれないが、そういう虚構を支える周囲の奴らが「えぐいイジメをする奴こそ格好いい」といった歪んだ価値観を生む。この虚構を支える奴らこそが本当の邪悪で私を不愉快にさせている。小山田はその象徴にしか過ぎないと思う。
 

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トヨタが五輪関連のテレビCMを止めた [スポーツ]

東京オリンピックの最高位スポンサーを務めるトヨタ自動車は、国内で予定していた五輪関連のテレビCMの放送を取りやめた。これは、自社のブランドにマイナスイメージが広がるリスクを避けたかったのが理由だそうだが、この判断は極めて賢明に思える。
 というのは個人的な話だが、先日、コンビニでアイスクリームを買いに行ったのだが、メイジのスーパーカップを手に取ろうとして、オリンピックのマスコットのミライトワとソメイティがパッケージに描かれていたので止めたからである。アイスクリームなんて150円ちょっとのものだ。それでも、このマスコットによって他の商品を買わせるような忌諱行為を消費者に取らせる。いや、反対に買いたくなる人もいるかもしれないが、少なくとも私のような消費者も決してそれほど少数派ではない筈だ。
 自動車のような高額商品であれば尚更だろう。アイスクリームは食べればあっという間になくなるが、自動車は長い付き合いとなる。このオリンピックでのマイナスイメージが広がることは避けるべきである。確かに今更キャンセルをしてもスポンサーのお金は戻ってこない。しかし、だからといって勿体ないと続けることでより傷口が広がっていく。株で損をしても、損切りができないで沼にどんどんと沈んでいくのと同じことだ。
 日本政府もトヨタ自動車のように賢い判断ができればよかったのだが、オリンピックの開催を強行することで傷口をどんどんと広げている。日本の経済は一流、政治は三流という言葉を思い出す。

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『地方創生の正体』 [書評]

久し振りに「読むべき図書」に出会ったというのが、読後の印象である。なぜ地域政策は失敗するのか。それは、そもそも中央政府は国策として、地域を消滅させようとしているからだ、という主張は、豊富の事例と二人の著者の論理的な思考によって、大変説得力のあるものとなっている。そういう意味で、地方がどんどんと衰退しているのは、国策としては失敗どころか成功であるのだ。ただ、本書が指摘するように、それらの地域の消滅は一方で統治の失敗であるという矛盾。増田レポートの偽善も明確に暴き出してくれる。地域の問題、統治の問題をしっかりと論証する本書の内容を理解することで、なぜ日本政府がコロナウィルスを抑制できないのか、オリンピックを中止することができずなし崩しに突進してしまうのか、といったことも分析できる。それは、自分達の都合が悪いもの(自治体等を含む)を排除していったことによって、自浄機能を失い、自分達が何をやっているのかも認識できなくなった安倍政権から続く、自民党体制とそれを維持させてきた中央政府の末期的症状が必然的にもたらした事態である。日本は、我々が思っているよりずっと深い沼に沈み込んでしまっている。


地方創生の正体 ――なぜ地域政策は失敗するのか (ちくま新書)

地方創生の正体 ――なぜ地域政策は失敗するのか (ちくま新書)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2015/11/01
  • メディア: Kindle版



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4度目のコロナウィルス対策の緊急事態宣言に対して、その裏の意図を邪推する [菅政権]

政府は4度目となるコロナウィルス対策の緊急事態宣言を東京都に対して12日に発した。今回も飲食店の酒類の提供停止と営業時間を午後8時までにすることを求めることになった。コロナが早く収束してもらいたいという点においては、ほとんどの日本人が支持していると思われる。私もそのようになることを強く願っている。さて、しかし、今回の緊急事態宣言も納得ができない内容である。
 まず、緊急事態宣言は東京都のみである。千葉、埼玉、神奈川は「まん延防止」である。しかし、例えば埼玉の川口市や神奈川の川崎市、千葉の浦安市の方が、はるかに東京都奥多摩町より、東京都内との結びつき、人流は大きい。コロナウィルス対策であれば、都道府県ではなく市町村単位でやるべきであろう。ではなくて、本当に抑えたいのであれば、千葉、埼玉、神奈川も含めるべきであろう。こりゃ、小池イジメか?とも思ったりもするが、意外と小池が裏で糸を引っ張っている可能性もあるかもしれない。
 何より納得できないのは、飲食店の酒類の提供停止と営業時間を午後8時にすると「求めている」ことである。これを「規制」して補償金をしっかりと出すというのならまだ分かる。しかし、それを自主規制のような形にしているのがどうにも、この政府の嫌らしさを感じるのである。
 そもそも、飲食店の酒類の提供とコロナウィルスにどの程度、因果関係があるのかが分からない。お酒を飲む時には確かにマスクを外すが、それはノンアルコールでも同様である。というか、食事をする時にはマスクを外す。飲酒をすると多少、注意散漫になるかもしれないが、それでマスクを外したまま大声を出すような人は流石に相当、少ないかと思われる。それなのに、なぜ酒類の提供を停止することをお願いするのか。
 あと営業時間を午後8時というのはさらに訳が分からない。私のように夜9時30分頃まで仕事場にいるものにとっては大変な迷惑である。食事が出来ないからだ!早く帰れ、という人もいるかもしれないが、講義が夜9時30分に終わる曜日だってあるのだ。スーパーも夜10時に閉まるようになったので、本当、泣く泣くマクドナルドとかで食事をするような悲惨な状態に陥ったりもしている。
 このような馬鹿げた要請に従っていると、まじで破産してしまう飲食店も多いであろう。「正直者が馬鹿を見る」的な状況下、これらの要望を無視するお店も増えている。そして、私が知っている範囲ではあるが、どこも大繁盛している。雀の涙のような協力支援金をもらうより、はるかに賢い判断だ。というか、そのように無視して営業しているオーナーが真っ先に言うのは、従業員の雇用を守るためだという。確かに、そもそも人気店は多くの従業員を雇っているので、上記の要望を聞いていたら皆、路頭に迷ってしまう。
 さてさて、ここで疑問に浮かぶことは、このような状況になることは、思考停止の自民党政権でも分かっていると思われることだ。もし、本気でコロナウィルス対策をしようとしたら、一都三県の範囲で、補償金とセットで休業要請をすべきだ。オリンピックだって、もう始まるのだから。しかし、なぜ、そうしないのか。
 私は、これはコロナウィルスのまん延の責任を、政府がしっかりと対応できていなかったのではなく、政府がお願いしたのに、それを無視した国民に転嫁させようとしているからではないか、と推察するのである。ワクチン接種も供給面で不足するという、もうロジスティクス対応でも基本中の基本のところで失敗した(これは、戦争でいえば、兵隊(医療関係者)も兵隊の駐屯所(病院)も確保できたにもかかわらず、武器(ワクチン)を運ぶことができないような状態で、絶対、戦いに負けるパターンだ)という失態から目を逸らすためにやっているとしか思えない。
 政府の言うことを聞いていたら店が潰れる。そのため、要望を無視する店も増える。その店を支持する客はそこに通う。その店、客ともまったく因果関係が不明であっても、コロナウィルスが増えたら、ちょっと政府の言うことをきかなかった自分の責任かな、と思ったりはするであろう。いや、店や客がそう思わなくても、周りの人、特に政府の要望を素直に聞いた店主とかはそう思うであろう。実態は、満員電車や小学校、幼稚園で広がっていたとしてもだ。私は、おそらく今回の緊急事態宣言はそこがポイントなのかなと邪推している。というのも、政府は確実に東京オリンピックを開催することで、無観客であってもコロナウィルスは広がるということを分かっていると思われるからだ。8月22日までに緊急事態宣言を延ばしているのが、その何よりもの証拠ではないか(コロナが爆発するのは、おそらくオリンピック終了後)。しかし、その責任を国民に半分ぐらいは押しつけたいのであろう。そこで、国民がアホらしくて守れないような、こういう馬鹿らしい緊急事態宣言を「東京都のみ」に押しつけているのである。
 それは、また国民を「東京民」と「それ以外」に分断するような意地悪な政策でもあって、自民党はトランプ政権の分断政策を勉強しているなとさえ思わせる。
 さてさて、これらが何を示唆しているのか、というと、現政権はまったくもって国民の命や経済を守ろうなどという気持ちがないということだ。さらには、自分達の無策の責任をも取ろうとせずに都民に転嫁させようとしている。そして、都民以外の国民のウィルス拡大の批判の矛先を自分達ではなく都民に向けようとしている。場合によっては、都民の中でも政府の言うことをきくよい子が、自主警察のように言うことを聞かない都民を批判するであろう。
 まあ、100年も前じゃない時に、国民に特攻死させた国だからな。ジハードならともかく、小室圭ごときにかどわかされる孫を持つ人のために、国民を特攻死させる国だから、本当、我々国民は重々、気をつけないといけないなと思わされる。国が自分の命を守ってくれるなどという幻想はもってはならない。そういうことは香港人や中国人から学ばなければいけないことかもしれないな。


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菅首相の「人類が打ち勝った」の発言に不快感を覚える [菅政権]

菅首相は東京都に緊急事態宣言を出すうえで、7月8日の記者会見で「全人類の努力と英知によって難局を乗り越えていけることを東京から発信したい」と言い放った。菅首相は1月18日にも「東京五輪、人類がコロナに打ち勝った証に」との施政方針演説を行った。
 私はこの菅首相が「人類」をいちいち持ち出すことに極めて不快感を覚えている。そもそも「人類がコロナに打ち勝った」と言っているが、その人類の勝負に足を引っ張っているのが日本である。イスラエルやヨーロッパ諸国どころか、トランプ政権下でコロナ対策がダメダメだったアメリカよりもその対応に後手に回っている。これは、バスケットボールで言えば、シュートも入らず、パスをしようとすればターンオーバーして、守備もざるのような選手が「相手チームに勝つことで我々の強さの証しを示す」と取材で他の選手を押しのけて発言しているようなものでみっともないことこのうえない。しかも、これは日本語で発信されているので日本人向けの発言だし、他の人類はほとんど誰も分からない。それなら、単純に「日本人がコロナに打ち勝った」という言い方をすればいいだろう。なぜ、いちいち「人類」を持ち上げるのか。
 そもそも、今回の無観客という判断で、ロスアンジェルス・タイムスとかは「日本のコロナ対応の遅れが原因」といった解説をしている。確かに全国民の17%しかワクチン接種をしていないが、これは全世界で70位という位置づけである。ルーマニアやモロッコ、トルコ、カンボジアよりも低い。ほとんどコロンビア、メキシコといった国と同じ割合だ。こんな国に「人類がコロナに打ち勝った証し」とか言って欲しくないよな。
 足を引っ張っているのに、まるで率いているかのような言い方はするな。するなら、英語とか、他国の人が分かるような言葉で言うべきである。
オリンピックに関しても、「全人類の努力と英知によって難局を」などと言っているが、なんで東京オリンピックの開催の難局を「全人類」が努力をしなくてはいけないのか。オリンピックは全人類的なイベントではそもそもない。そのようなオリンピックは1976年のモントリオールで終焉を迎えている。そして、東京オリンピックなんか、日本がどうにかすべき課題であり、さらに突っ込めば東京の課題であって、大阪や京都、福岡なんかにとってはどうでもいいことに近い。とはいえ、政治家なので「全日本人の努力と英知」というのは百歩譲ってスルーすることもできるかもしれないが、「全人類」というのは、たかだかアジアの片隅にある島国の首相ごときが言える言葉ではないだろう。
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『日本の美林』井原俊一著 [書評]

 日本は森林国である。森が占める国土面積の割合は7割にも及ぶ。スイスのような山岳国家ではないのに、この割合の高さは改めて驚くような数字である。さて、しかし森と一言でいっても一様ではない。広葉樹、針葉樹、原生林、天然林、人工林・・・いろいろとそのタイプは違う。本書では、「資源」と「環境」という二つの対立する価値観で捉えられる日本の森をいかに「生きた森」として持続可能な状態で将来に維持させていくか、その方策を検討する。著者は全国24カ所の森を訪ね、それらの森の現状報告・分析を通じて、日本の森の多様さ、豊かさ、そして、その危機的な現状を読者に伝えてくれる。

日本の美林 (岩波新書)

日本の美林 (岩波新書)

  • 作者: 俊一, 井原
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1997/07/22
  • メディア: 新書



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「都市は亀である」(The City is a Turtle) [都市デザイン]

ジャイメ・レルネル氏が2008年のサラトガ万博で、「サステイナブルな地球のための建築」という展示で寄稿した文章「都市は亀である」を訳したので、ここに共有する。

20世紀が都市化(アーバニゼーション)の世紀であったとしたら、21世紀は「都市の世紀」となるであろう。都市において、生活の質への対立が生じ、その結果によって地球環境や人間関係に決定的な影響を与えるであろう。都市における生活の質を高めるためには、環境との関係における次の3つの点に留意することが必要である。サステイナビリティ、モビリティ、そしてソリダリティである。
 およそ75%の資源は都市で消費されており、ほぼ同じ割合の二酸化炭素も都市で発生していると言われている。したがって、人類にとって持続可能な開発を行ううえで、都市をどうやって開発するかが極めて重要な比重を占めることとなる。そして、そのために建築分野が貢献できるところは少なくない。
 仕事場のそばで生活するか、仕事を家のそばに持ってくることは、持続可能性を測るうえでの試金石となる。自動車の利用を削減し、ごみを分別し、既存の都市施設に多様な機能を与え、保存を最大限にし、廃棄を最小にする。サステイナビリティとは、保存されたものから廃棄されたものの差という計算式なのだ。より多く保存し、より少なく廃棄すれば、よりサステイナブルになる。
 モビリティに関しては、すべての都市が、それぞれ有している交通モードごとに最大限に活用することが必要となる。それが地下にあろうと、地上にあろうとである。そのための鍵は、同じ空間に競合するシステムを有していないことや、都市が有するすべての交通手段を最も効率的に活用するということだ。地上の交通システムの方が、適切な施設(例えば、専用レーン、乗降口の高さが同じ先払いプラットフォーム、高頻度の運行など)を整えれば、地下交通システムより有利である。それは、地下交通システムとほぼ同じ交通量を捌きつつ、その費用はほとんどどのような都市でも負担できるし、またはるかに早く供給することができる。
 健康な都市とは、乗用者以外の快適な交通手段を提供できているところである。そこでは、エネルギーが無駄に使われておらず、道路や公園での歩行をしたくなるようなところだ。
 都市は連帯の避難所でもある。そこは、グローバリゼーションの過程がもたらす非人間的な状況から、人々を守ってくれる。それは、治外法権やアイデンティティを喪失させるようなグローバリゼーションの攻撃から我々を守ってくれる。一方で、最も過激な戦争は都市の縁辺部でおきている。それは、富裕層とゲットーとの対立である。都市は、その域内で異なる都市機能(収入、年齢、人種等)を包摂しなくてはならない。うまく混在させられるほど、都市はより人間的になる。社会的多様性は、共存においては最も重要な課題である。
 最後に、都市は多くの人の夢の集積である。この夢をつくるのはきわめて重要である。それがなければ、市民の本質的な参加は期待できない。したがって、都市の運命に責任を有するものは、分かりやすいしなりを描かなくてはいけない。そのシナリオは、多くの人が期待するもので、すべての年齢層にそれに寄与したいと思わせるようなものである。建築家は、アイデアを提案する専門家として、それに貢献することができる。

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東京オリンピックは人類のスポーツの平和の祭典ではなく、コロナウィルスの大変異イベントになるだろう [サステイナブルな問題]

東京オリンピックはどうも強行されそうだが、それによって、世界中からコロナウィルスがこの東京に集まることになるだろう。そうすると、異なるコロナ株に重複感染する人も当然、増えていく。というか、現状と比較すれば、すごい高い確率でそのような人が増える。さて、重複感染するが起きると、「異なる株同士で遺伝子が組み換わる可能性が高まり、新たな新型コロナの変異株が生まれる結果にもなりうる」ことがブラジルの研究で明らかになったとCNNが報道している。
 いや、これは怖ろしい。極めて高い確率でオリンピックを契機とした「東京株」ができることが予測されるからだ。
 東京でオリンピックはやるが、海外からの訪問客はほとんど来ない。しかし、選手、そしてスタッフ、マスメディア関係者は多く来る。これは、コロナウィルスも多く来るということだ。そして、まさに東京において、このコロナ・カクテルが人体を介してつくられていく。中には、ドラクエの錬金術のように、とんでもないコロナ・カクテル・ウィルスもつくりだされるかもしれない。
 菅首相は東京オリンピックを「人類がコロナウィルスに打ち勝った証しとしたい」と言い放ったが、実態は「人類がコロナウィルスに致命的ダメージを受ける証し」になりそうだ。
 さて、それでは我々はどうすればいいのか。おそらく、怖いのはオリンピックが終わって二週間後の8月中旬から9月下旬ぐらいだ。この時期にコロナ・カクテル・ウィルスが蔓延するであろう。医療崩壊の可能性も高い。それこそ、巣籠もりをするか、東京から一ヶ月脱出するか、などを考えないと命が危ないような事態が生じそうである。今のうちにワクチンを接種することも必要だろう。流行し始めたら医療崩壊が現実的になるので医療機関でのワクチン接種は期待できない。もう、経済を維持とかいっているような余裕はなくなるだろう。ウィルスの戦いは、これからが正念場だ。アホな政治家を選び続けたツケを一挙に支払わされる時が来そうである。いや、私は現在の安部、菅関係者に一票も入れたことはないけどね。

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