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自らの尺度で、他国の人や文化を理解しようとすると、かえって理解を遠ざける [グローバルな問題]

ちょっと前(5月26日)、東京新聞の筆洗に次のような文章が書かれていた。ブラジルがワールドカップの準備にもたついていることに関してのエッセイだ。

「それでも、ブラジルは懸命に準備を急いでいる。突貫工事による事故も起きている。五十年前の日本人がけなげに町を掃除し、公徳心を学んだようにおもてなしに取り組んでいるはずだ。「サンバと陽気さ」のお国柄の印象であたかも怠けているかのような言い方はすべきではない。」

いや、ブラジルにはそんな「おもてなし」の気持ちはないから。私はブラジルという国は大好きだ。12回以上は訪れているし、関連する本も2冊ほど出版させてもらった。しかし、彼らが日本人と同様に「おもてなし」の気持ちを持っているというのはあまりにも表層的で浅はかな分析であると思う。彼らは人の弱みにつけ込むことが非常に巧みだ。そして、そのような行動があまり卑劣とは思われずに、むしろ賢いと思われる。私は、日本人なので、そういうところはちょっとムムムと思うが、価値観の相違ということで受け入れるようにしている。そうでなければ、ブラジルではやっていけない。自らの尺度で、他国の人や文化を理解しようとすると、かえって理解を遠ざけることになる。彼らは「怠けている」から工事が完成しているのではなく、「怠ける」と多くの人が困るからこそ怠けているのである。それは、怠けることでより多くの給料を引きだすことに成功するからである。しっかりと計算しているのだ。そして、国家的なイベントを「おもてなし」という気持ちで皆が乗り越えようとするほど、政府を信用していないし、お人好しではない。日本人のように原発事故を隠蔽させようとする政府にここまで従順な国民という方が、グローバル・スタンダードでは異常だということを理解した方がいいと思う。

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