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コミュニケーション・メデイアとしての建築 ー 「Architecture as Signs and Systems」を読んで [都市デザイン]

デニス・スコット・ブラウンのエッセイを読む(Architecture as Signs and Systems)。ロバート・ヴェンチューリのパートナーの建築家である。看板としての建築、コミュニケーション手段としての建築の意義を主張してきて、実際、そのような建築をいくつか手がけている。日本だと日光の霧降リゾートなどの設計に携わっている。ヴェンチューリもスコット・ブラウンも書いていることは興味深いのであるのだが、実際、つくる建築はとても今ひとつであると感じる。

景観規制をするうえで対象となるのは広告看板である。それは、その視覚的情報が鬱陶しいからである。私は渋谷とか新宿とかで走っている広告トラックを非常に苦々しい思いで見ているものであるが、それも視覚的情報(さらに聴覚的にも騒音をまき散らしている)が非常に不快であるからだ。特に風俗系の広告だったりすると、本当、不愉快になる。都市空間はコミュニケーションを促すメディアであるというのは指摘通りだと思うが、コミュニケーションは双方向であるから建設的なのだ。単一方向に一方的に受動を余儀なくされる情報はコミュニケーションではない。それを受け入れる人もいるかもしれないが、受け入れない人もいる。特に、ヴェンチューリやスコット・ブラウンの作品では安易にビルの機能を言葉で書いていたりする場合もあるが、それをした時点で建築の負けだと思ったりするのである。

見た目で何かが分かりにくい建築は問題かもしれないが、その判断をする余地をなくすようにするのは品がないと思う。金閣寺の屋根に「金閣寺」と書いたら品がないだろう。エッフェル塔に「Eiffel Tower」とネオンで書かないであろう。ラブホテルも「○○ラブホテル」と字で書いた時点で下品だろう。いや、もちろんヴェンチューリ達の建築作品もいちいち字を記さないものの方が多いが、何か浅薄なものを感じるのである。頭でっかち過ぎるのではないのだろうか。もっと感性とかで空間を捉えた方がいいのではないか、と思ったりした。建築にはコミュニケーション・メディアとしての機能より重要な役割があると思う。看板性ばかりを考えるから、いい空間をつくれていないのではないか、と思ったりもする。



Architecture as Signs and Systems: For a Mannerist Time (The William E. Massey Sr. Lectures in American Studies)

Architecture as Signs and Systems: For a Mannerist Time (The William E. Massey Sr. Lectures in American Studies)

  • 出版社/メーカー: Belknap Press: An Imprint of Harvard University Press
  • 発売日: 2004/12/17
  • メディア: ハードカバー



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