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森喜朗が直面しているのは日本の世論ではなく、世界の世論である [グローバルな問題]

森喜朗の性差別発言が大きな波紋を呼んでいる。発言は撤回したが、辞任はしないようである。そして、反省はしているから辞任までさせなくていいだろう、という方向に世論を誘導しているような節がうかがえる。

森氏は「元々、会長職に未練はなく、いったんは辞任する腹を決めたが、武藤敏郎事務総長らの強い説得で思いとどまった」と毎日新聞の取材に応じた(https://mainichi.jp/articles/20210206/k00/00m/040/100000c?inb=ys)。

なんか、菅首相と同じで責任を取らなくても適当に誤魔化しても、そのうちマスコミも世論も収まるだろうというように捉えている印象を受ける。さて、しかし、今回の事件はそう簡単には収まらない。というのも、森氏のポジショニングは東京オリンピック・パラリンピック組織委員会長であり、オリンピックという世界的イベントを遂行する日本という枠組みを越えた世界的なイベントである。顧客も演技者も日本人に限定されるわけではなく、世界を対象としている。そのような重要な役職にある人間が、これだけ酷い差別発言をしたことは世界中の大ニュースとなっている。

CNN(https://edition.cnn.com/2021/02/04/sport/yoshiro-mori-comments-intl-hnk/index.html)、BCC(https://www.bbc.com/news/world-asia-55929404)と大々的に報じている。アメリカの大人気番組である「ザ・デイリー・ショー」のホスト、トレヴァー・ノアも森氏のパロディをやっていた。もう世界的に「敵」となってしまっている。これらの外国の世論を誤魔化すことは、さすがに自民党の老練政治家でも無理だろう。

「絶対モリを追い詰めてやる」と主張しているのは、カナダのIOCメンバーであるヘイリー・ウィッケンハイザー(Hayley Wickenheiser)氏である。アイス・ホッケーで4つの金メダルを取ったことのあるこの委員は、2月4日のツィッターでそう述べている(https://twitter.com/wick_22)。コワッ。

森首相がどうも辞めない理由は、東京オリンピックで動く大金を差配する能力があるからだそうだ。と、舛添氏は述べている。まあ、しかし、それが理由で辞めないというのは、金権オリンピックをまさに象徴している。しかも、もうコロナのおかげで大金も動かないし。そろそろ、そういう他人の褌で儲けるというようなセコい発想を辞めて、世界に対して日本という国の誠意でもみせたらどうか。前回のオリンピックでは、日本も敗戦から立ち直り、民主主義国家になったな、経済的にもよく頑張っているじゃないか、と好意的に思われた日本も、今回のオリンピックでは、もはや経済力も全然、衰弱しているのに見栄だけでオリンピックをやって、民主主義国家になったかと思ったら、こんな恥ずかしい性差別発言をしている輩が未だ権力を握っていて、その失態の責任をも自分達の利権を守るだけで取らさせないような奴らが跋扈している第三国だな、というイメージをもたれるようになっている。

森を守るということの国家的リスクをよくよく計算した方がいいと思われる。

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西暦と年号について考える [グローバルな問題]

日本では西暦と年号を用いる。年号は645年の大化の改新の時から始められたそうだ。西暦は時間を大幅に括れて、事件や出来事などが時系列的に把握できて便利だ。一方の年号はその前後関係も分かりづらいし不便なので、若い時などは西暦に一本化すればいいじゃないかと思ったりもした。
 さて、しかし年を取り、西暦の時間の一本道的な考えに違和感を覚えるようになっている。エントロピーの法則などを考えると、確かに時間は一方に進んでいると考えられる。自分自身も生まれると同時に、時間の流れとともに死に向かっていく。確かにそうなのだが、本当に時間は一本道なのか。もっと循環的な捉え方もあるのではないか。とも思うようになっている。なるほど、個体としての私はそのうち亡くなるが、子供をつくることで、「生」は継続されていく。昨今では、宇宙もユニバースではなく、マルチバースであるという考えが出始めているが、そのような考えに基づくと、必ずしも宇宙の消滅というのはないのかもしれない。そして、それは輪廻のように繰り返される、というような時間の捉え方の妥当性を示唆しているようにも思われる。
 そして、そのような時が循環するというような考え方で時間を捉えると、結構、西暦よりも年号で時を把握した方がいいかもしれないな、と思ったりする。いや、年表をつくったりするのが面倒になるし、日本史の試験勉強はより困難にはなりそうだが。

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麻生副首相は外国人が「絶句した」理由をはき違えている [グローバルな問題]

日本は欧米に比べるとコロナウィルスでの死者数が少ない。その点で、外国から電話で問い合わせがあったとき、「『おたくとうちの国とは国民の民度のレベルが違うんだ』って言ってやると、みんな絶句して黙る」と6月4日の参院財政金融委員会で述べた。さて、ここでこれを聴いた人が絶句するのは、開いた口がふさがらないだけであって、日本の民度のすごさに感心して絶句している訳ではない。しかし、麻生副首相は後者だと思っているから、こんな発言しちゃうんだろう。
 ある意味で、相手が呆れきっても、自分の都合のよいように解釈できる大した強者で、ちょっと羨ましささえ覚える。通常の組織であれば、とても上にいけないように思われるが、むしろこの超絶なる鈍感力、はき違え力が、総理にまで上り詰めさせ、また、あれだけ失態を続けて、失言を重ねても副総理にいられる理由かもしれない。とはいえ、みんなが麻生さんのように振る舞い始めたら、本当に嫌な社会になりそうで憂鬱になる。

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コロナウィルスがもたらす「経済死」の一考察 [グローバルな問題]

コロナウィルスの感染防止は、戦争であると捉えている政治家は多い。なんか、戦争であると言えば人々が命令に従ったり、支持をしてくれると考えているのかなあ。それはともかく、コロナウィルスを運ぶのは人間である。つまり、人間の助けなくして、コロナウィルスは感染拡大できない。だから、人間がコロナウィルスを運ぶことをしなければ、コロナウィルは感染しない。ロックダウンをするうえでの根拠であるし、戦争の比喩を用いれば、ここを押さえられれば負けることはない。
 じゃあ、そうすればいいじゃないか、というとなかなかこの対策を打つうえでの難しさがある。これは、人間社会が経済活動をするための条件を悪化させ、場合によっては「経済死」と呼ばれるような状況をもたらすからだ。
 人間の経済活動の一部は、空間を介した人とのコミュニケーションを必要とする。そのような活動を支えるためには、人間が移動し、人と接触することが求められる。そのような経済活動はコロナウィルスが猛威を奮う状況下では、営業することが難しい。少なくとも、コロナウィルスの感染を防止するためには、これらの経済活動を一時、停止させなくてはならない。台風の時に漁師が海に出られないようなものだ。
 さて、ここで漁師と上記の経済活動、例えば居酒屋との違いは、漁師は台風が来ることを予期して生活設計を立てているのに対して、居酒屋はコロナウィルスが来ることなど想定していないことだ。したがって、そのような保険商品もないし、まったくもって休業してもデメリットしかない。社会全体にはプラスではあるが、個人ではマイナス。総論賛成各論反対的な状況になってしまう。したがって、社会全体にプラスであれば、これら個人が生じる損失を社会(政府)が保障するのは極めて当然なロジックかと思うが、そういう政策が取れていない。
 ここが徹底できていないために、当然であるが、マイナスを被る個人がロックダウンに対する反発を強めている。アメリカでは、ラスベガスの市長がカジノを再開させるぞ!と息巻いていて顰蹙を買っているが、日本でも似たような胎動がみられはじめている。その胎動に油を注いでいるのがホリエモンなどだ。
 何回もこのブログでも述べているが、コロナウィルスをそれなりに押さえられているのは、医療システムという防波堤がまだ決壊されていないからだ。ここが決壊されたら大変なことになる。それを押さえられるかどうかが大きな瀬戸際で、ニューヨーク州はどうにか踏ん張れた。日本の医療システムの決壊まで、あとどれくらいのコロナウィルスの患者の増加を受容できるのか。しかし、一方でこの医療システムを維持するために、体調が相当、悪くても自宅待機していた人達が自宅死するという事件が報道されつつある。こういう人達の悲劇を横目に、しかし、営業をしなくては「経済死」をしてしまう人々もいる。
 前者に関しては、なかなか対応が難しいのかもしれないが、後者に対してはやろうと思えばすぐ対応できる筈だ。それが出来ないのは、手続きが煩雑とか、この後に及んで火事場泥棒的な発想でしかものごとを考えられない政治家や役人が多すぎるからだ。問題を解決することを優先させれば、後者の問題はそれほど難しくない筈だ。パリとかでもやれているのだからだ。前者に関しては、ちょっと台湾とか韓国のように賢くないと駄目だろう。日本政府にはちょっと無理かもね。

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コロナウィルスの凄いところは、その社会の弱点を突いてくるところだ [グローバルな問題]

ニューヨーク州は遂に呼吸器の余裕が一切なくなったそうである。呼吸器が必要なのは、コロナウィルスの末期的患者であるので、呼吸器がないと言われるのは死刑宣言をされるようなものである。他の州には余っているようなので、是非とも融通してあげればいいのにと思うが、どのようにニューヨーク州がこの危機を乗り越えるのか。ニューヨーク市では救急医療関係者の4分の1がコロナウィルスに感染しているような状況で、もはや断末魔的な状況にある。デブラシオ・ニューヨーク市長、クオモ・ニューヨーク州知事がトランプ政権にどうにかしろ!と嘆願していても、トランプは「連邦政府はあくまでバックアップで州が対応すべきだ」とこの時点で言い放っている。日本ではマスクをすることをトランプが奨励したと報じられたが、実際は奨励した後「俺はしないけど」と付け足していて、おそらく多くのトランプ支持者は、この一言でしなくなるだろう。このような大統領に助けを求めなくてはならないニューヨークは本当にどうなるのだろうか。コロナ患者数が増加の一途を辿り、CNNでも「東京は第二のニューヨークになる」(https://edition.cnn.com/2020/04/03/asia/tokyo-coronavirus-japan-hnk-intl/index.html)と言われている我々からしても対岸の火事とは言えない。
コロナウィルスの凄いところは、その社会の弱点を突いてくるところである。アメリカではトランプ政権がまさに象徴する、赤いアメリカと青いアメリカとの分断である。この分断があるために、国家的な危機に協調して取り組むことができない。デブラシオ市長もクオモ州知事も民主党である。また、トランプのおかげでマスコミ不信をトランプ支持者は持つようになったが、コロナウィルス的危機において、何よりも重要なのは情報の正確性である。確度が高いマスコミ情報を疑い、SNSなどで跋扈する偽情報を鵜呑みにしていると、コロナウィルスに足もとを掬われる。というか、命を奪われる。そして、アメリカは医療保険制度の脆弱性、さらには市場経済を絶対視するような社会的土壌もコロナウィルスへの抵抗力を弱くしている。
さて、それでは日本はどこに弱点があるのか。それは、原発の時もそうだが、政権が情報を操作しようとすることである。今回は、それが、コロナウィルスの感染の診断をしないということに繋がってしまったことだ。東京オリンピックを2020年に開催したかった政権は、コロナウィルスの対応に後手後手に回り、実際の感染の広がりが分かる、感染の検査を怠った。その結果、今では濃厚接触者でも検査を受けられないような状況にある。このおかしさを上述したCNNでは報道しているのだが、確かにCNNのニュースを見る限り、なんで検査をしないのかの理由が全く分からない。
いや、もちろん多くの人が検査のために病院に訪れたり、保健所に訪れたりすることを避けたいというのなら分かるが、濃厚接触者や40度の熱が数日、続いている人達に検査をしないのって、どう考えても変である。おそらく、コロナウィルスの感染を防止するということを最優先に考えた政策を取りたくなかった理由があるのだろう。そして、それは原発政策の時もそうだったが、どうせろくでもない理由に違いない。

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コロナウィルスはなぜか日本ではあまり伝染していない [グローバルな問題]

コロナウィルスが世界でまさに猛威を振るっているが、その中で、コロナウィルス患者が早い段階で出現したのに、その後、普及していない国がある。何を隠そう、日本である。今年の1月下旬に中国の武漢でアウトブレークをした後、中国から日本、韓国、イランそしてヨーロッパへと伝染していく。
 2020年3月14日(昨日)時点のコロナ患者数の上位11カ国のデータを示す。日本は患者数こそ1371人と多いが、人口当たりではアメリカに次いで低い。これは、最も多いイタリアの3%にも満たない。最初のコロナ患者が発見されてから、これだけ時間が経っているにも関わらず、この数字の低さは驚くべきものだ。
 また、他国はコロナ患者数の時系列変化をみると、急激に上昇し、ある時点で垂直のように増加する。そうでないのは中国と日本だ。ただし、中国は急激に上昇した後、ロジスティックス曲線のようなカーブを描いているので、他の国を先行していると推測される。他の国も、このまま増加していたら国が滅びてしまうから、おそらく中国のような曲線を描くと予測するのが妥当であろう。対策はしているので。
 そうすると、極めて例外なのは日本で、ずるずると増加しているが一次関数のような形状である。他はもう二次関数どころか五次関数か、と思うほどの増加率なので、これは極めて不思議な現象である。
 ウィルスの拡大のスピードは人口密度が極めて重要なファクターとなるが、日本はここで挙げたほとんどの国より人口密度が高い。本来的には流行する条件が中国なみに揃っているのに、この人口当たりの患者数の少なさは不思議だ。
 もし、これがデータの隠蔽とかでなければ、他国は日本の対策に学ぶべきであろう。しかし、日本が対策をしていて、他国が対策をしてないことって何だろう?

コロナウィルス.jpg
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イタリアでのコロナウィルスの蔓延状況は相当やばい [グローバルな問題]

コロナウィルスをぶっ飛ばせ!と言うのは威勢が良いし、私もそういうことを言いたいタイプだと自己分析しているのですが、Worldometersで示されているこのイタリアの数字は不味い。罹患率も人口100万人で250人で、全世界最高。
https://www.worldometers.info/coronavirus/country/italy?fbclid=IwAR0t7WMjnAgPhNZ6jx2rDKZd6DXvK3kV67ykvWIUntLmTStz8WLcE8cYMlk
日本ではまだ死者3名なので、コロナ恐れるに足らず、という雰囲気ですが、日本より人口が少ないイタリアでは既に1000人以上。致死率は6%以上。イタリアは北部だけでなく、全土で移動禁止。食料店と薬局以外は閉店。イタリアの経済へのダメージは半端ないでしょうが、この致死率を考えると致し方ないのかも。いや、水を差すようなことを書いてすいませんが、イタリアの状況をみて、コロナウィルスへの考え方を変えている自分がいます。

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失われた30年が意味するもの [グローバルな問題]

バブルが破裂した後、失われた10年という言葉が使われたが、実際は「失われた30年」である。というか、このままだとずっと日本は失われ続けるかもしれない。まあ、現時点では「失われた30年」であろう。さて、なぜそう思うのか。それは、この30年で欧米といった先進国とは大きな経済的格差が広がってしまい、また後進国には猛烈な勢いで追いつき、追い越される過程にあるからだ。マラソンで言えば、皆が走っている時に歩いたり、立ち止まったりしているような状況だ。いや、よくよく考えれば、別にマラソンで一生懸命走らなくてもいいじゃないか、と思わなくもないが、そうすると国際経済的には落ちこぼれになって、とても若者が住みたくなるような国じゃあなくなっていくような気がする。
 なぜ、そう思うのかというと、今、アメリカでいろいろと取材調査をしているからだ。今日はシアトルの市役所の職員と話をしていたのだが、シアトルは低所得者層向けの住宅への申請資格が年収80000ドルだそうだ。これって年収900万円以上に相当する。つまり、シアトルであれば、ほとんどの日本人は低所得者層向けの住宅に申請する資格があるということだ。なんてこったい!驚いた私に、この職員は「何を驚いているんだ。サンタクララ(シリコンバレーにある自治体)だったら、年収100,000ドルから申請できるぞ」と言われてさらに驚いた。
 私がアメリカで生活をしていた1990年代前半、日本より高いものはアメリカではほとんどなかった。多くの日本人が強い円でいい気になって海外旅行を楽しんでいる時代である。今は弱い円と安い物価を目当てに多くの外国人が訪れる国になってしまった。
 このような格差、明らかな経済的な負け状況を目の当たりにすると、本当、脱出できる若者は日本を脱出するべきだなと思わずにはいられない。私のゼミの卒業生も気の利いた奴は脱出しているし、私の長女もそうする計画のようだ。本当、団塊の世代がいい気になっていると、若者がいない国になってしまうぞ。人口減少しているのに移民を入れるのはどうのこうのと言っているうちに、日本が移民を排出する国になってしまうぞ。そのような状況になってしまった背景が海外の経済状況を知るにつけよく理解できる。

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京阪電車という公共空間でのマナーが分からないアメリカ人 [グローバルな問題]

京阪電車に乗っていた時のことである。京阪電車は出町柳や河原町、伏見稲荷などが沿線にあるので海外の観光客が多く乗る。今日も対面にどうも取材スタッフらしきアメリカ人のトリオが座っていた。アジア系男性、白人系女性、アフリカ系男性の3人だ。話している英語の発音からほぼアメリカ人である。この人たちが、ロングシートの車内で食事をしている。サンドイッチやポテトチップスだが、我が物顔で食べており、においもこちらに漂ってきて不愉快だ。とはいえ、こういうことは女子高生とかもするからな、と我慢していたら、食後、iPhoneを取り出して、音を出して動画を見始めた。これは、ちょっとひどい。注意をしようかとちょっと考えたが、最近のアメリカのトランピズムのような人だと関わらない方がいいかなと思い直して、車両を移った。
 アメリカは公共空間が貧しいから、また、大都市とかに限定されてあるので、日本のような狭い国土で協働して生活するマナーとかエチケットを知らない人が多い。ヨーロッパでも本当、それは感じるが、日本だとさらに、土足で家に上がられたような不愉快な気分になる。

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イタリアの南部の農家の人たちは、周囲の人たちと仲良くなく、自己中心的であるそうだ [グローバルな問題]

イタリアのフォッジ大学の先生が龍谷大学政策学部で講演をしたので参加した。バリに訪れた時、一緒に食事をしたことがあるからだ。彼らは農業経済学者だったのだが、イタリアの南部にある農村のコミュニティづくりを実践的に試みている。その成果などを発表していたのだが、興味深かったのは、イタリアの南部の農家の人たちは、周囲の人たちと仲良くなく、自己中心的であるという説明があったことだ。地理的にも散在しているらしく、協働作業などをしないそうだ。彼らは、これらの農家がネットワーク化できるように、VAZAPPという企画を推進している。これは農家を会場として「夕食会」を開催し、周辺の農家に来てもらい、そこでネットワークをつくるきっかけを提供している。
 なぜ、イタリア人が自己中心的であるか不思議だったのだが、日本の農家の多くは米農家なので、水の管理という観点から協働せざるを得ないのだが、南部イタリアはオリーブとかなので、別に水の管理はそれほど重要ではないから、協働しなくてもやっていけるからだそうだ。
 そうだったのか。日本の組織の協調性の高さ(最近はそうでもないかもしれないが)は米農家という組織文化を引き継いでいるかもしれない。

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新幹線の隣の客の香水があまりに臭くて拷問のようだ [グローバルな問題]

新幹線での移動中、私の隣の欧州人と思しき若い男性客の香水があまりにも強烈で、眠ることも集中して仕事をすることもできない。これは、まったくの迷惑行為で不愉快であるが、そのための対処法としては私が席を移動することぐらいしかできない。文句を言っても、今更香水を取ることもできないしな。
 しかし、改めて、なんでこんなに強烈な香水をしなくてはならないのだろうか。よほど体臭が強烈なのだろうか。しかし、この強烈な麝香系ともいえる臭いより不愉快な体臭とはあるのか、と考えさせられる。麝香系ということで、こういう臭いをすれば雌鹿のように女性が寄ってくると思っているのだろうか。いや、私は女性ではないので、そこらへんの女性の好みは分からないが、おそらく、そんなことはないだろう。というか、普通、逃げますよ、この臭い。
 公共の場ではうるさい音を出すことはマナー違反だし、不愉快なもの(例えば裸)を見せるのもマナー違反というか、裸であったりしたら法律違反である。臭いについても、もうちょっとマナー違反というか、考えてもらえるといいと思う。

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フクシマの原発事故における欺瞞は、ヨーロッパの人々には軽蔑の対象となっている [グローバルな問題]

スイスのシャフハウゼンにて、同市のシュタットヴェルケの所長にお話を聞く。そこで、お話を録音してもよいかと尋ねると、「フクシマではないので、何も隠すことはないので構いません」と言われた。いや、スイスの田舎の人でも、フクシマの隠蔽気質は知られるところになっているのか、とちょっとショックを覚える。
 その後、フランスのストラスブールに訪れたら、現地の人に「フランスでは、フクシマ原発での汚染水の海洋漏出はとても問題だと思っている」とも言われた。私と一緒に取材をした人がたまたま福島県在住であったからの意見だが、なかなか厳しい。
 私はスイスはともかく、フランス人に言われるのは不本意だな、とも思ったが、どうやらフクシマに関しては、日本人よりヨーロッパ人の方が関心を持っているようだ。いや、どうしてフランス人に言われるのは不本意だな、と思ったかというと、次の原発事故はフランスで起きる確率が相当、高いのではないかと私は推測しているからだ。しかし、当のフランス人は、ある意味当たり前だが、あんな事故を起こしておきながら、しかもその事後処理をしっかりとできないダメな国と日本を見ているようだ。
 また、このお二人がヨーロッパの全般的な世論と同じかというと、それはなんとも言えないが、しかし、少なくとも、フクシマに関して、事故を起こしたという不始末よりも、その後の対応のまずさ、不誠実さによって、より日本への見方が厳しくなっているのは確かであろう。
 というか、フランスはともかく、ドイツのようにスイスもフクシマの事故を契機として原発政策を大きく脱原発へと舵取りした。そのような事故を起こした張本人が、あまり反省もせず、平気で国境が実質的にはない海に汚染物質を漏出させ、また原発を再稼働させるというのは、大きく信頼を損ねる行為であるとみられても当然であろう。というか、日本と同様のことを中国や韓国がやったら、日本でも相当の非難がなされると思うのである。
 改めて、ヨーロッパの人々は、フクシマ原発事故を厳しくみており、その事後処理もしっかりやれよというプレッシャーを我々に送っているなという印象を受けた。

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放射能汚染した医者に対してのロシア当局の説明は、「旅行で行ったタイで福島産の蟹を食べたからだ」という驚愕するものであった [グローバルな問題]

レイチェル・マドー・ショーをユーチューブで観ていたら、信じられない報道があった。8月の上旬に、ロシアが同国の北西部において放射能流出をした事故で、被爆をした住民を診察していた医者も放射能汚染をしてしまい、筋肉細胞にセシウム137が検出されたので、それを当局に訴えたら、ちょっと前にこの医者が旅行で行ったタイで「福島産の蟹を食べたことで汚染したのだ」と言ったそうである。

下記のユーチューブの9分ぐらいのところである。
https://www.youtube.com/watch?v=viU-d49Ljw4

いやあ、この報道には幾つかの点で驚いた。まず、チェルノブイリの事故を起こしたことのある、つまり、福島原発以外で唯一、原発事故を起こしたロシアがこんな風評被害どころではない出鱈目のロジック(トランプが言うならまだ分かる)を言い放ったということである。もう一つは、事故が起きて8年経っても、フクシマはそのような場所として捉えられているのか、ということ。っていうか、このロシア当局の言うことが正しければ、今頃、日本人の半数は放射能汚染されているよね。さらに、なんでタイでフクシマの蟹が食べられるの?っていうか、フクシマの蟹って何?日本人だってフクシマの蟹は滅多に食べないよね。ウニならまだ分かるけど。とはいえ、ロシアという国はアメリカのトランプ大統領もそうだが、根も葉もない嘘八百を平気で言い放たれる国だということは、この報道で再確認した。というか、日本、どんだけ酷いイメージを持たれているんだ、という感じである。それでも、原発再稼働しているし。ちょっとイメージ戦略をしっかりと策定した方がいいのではないだろうか。

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言葉がまったく分からない中国でコミュニケーションのことについて考える [グローバルな問題]

中国の成都にて、国際ワークショップを行っている。ホストとなってくれている大学は四川大学で、国立台湾大学、北京大学、ワシントン大学(アメリカ)、そして私が奉職する龍谷大学の学生が参加している。大学院生と学部生を連れてきているのだが、大学院生はどうにか頑張れているのだが、学部生はもうお手上げという感じである。これは、語学の問題が大きく立ちはだかるので致し方ないところもある。そもそも、ワシントン大学が参加するので、当然、共通言語は英語かと思っていたが、ワシントン大学から来た3名の学生は全員、中国語がぺらぺらなので共通言語がほぼ中国語になってしまったからだ。これは、私も想定外の事態で大いに戸惑った。
 さて、しかしいつまでも嘆いていても仕方がない。私は英語ではほぼ問題なくコミュニケーションができるが、それ以外でもドイツ語(2級)、スペイン語、ポルトガル語と学んでいたのと、フランス語を高校と大学でやっているので、ここらへんの言葉であれば、なんか言っていることの幾つかの単語などを拾うことはできる。まったく分からないという訳ではない。しかし、中国語は麻雀用語と中華料理以外はまったく分からない。もう、本当、しゃべっているのを聞いても宇宙語のようにしか聞こえない。これは、相当のピンチだ。でも、このままの状況は不味い。
 ということで、とりあえず、「あなたの名前は何ていうのですか」「本当ですか」「はい」「いいえ」「こんにちは。ご機嫌よう」「すいません」「いいえ、大丈夫です」「有り難う」「どういたしまして」「美味しいです」「最高!」「ビール」「これは何ですか」「なぜ」ぐらいは言えるようにした。もう50代も後半なので、本当に記憶はできないが、それでもiphoneの動画に知り合いの中国人に発音を吹き込んでもらったのを何回も聞いていると、少しは記憶に定着する。もちろん、ほとんど通じないし、仮に通じても、相手が返事したことはまったく分からないので、コミュニケーションにはならないが、それでも気持ちは通じる。何か、壁のようなものがなくなるような気がするし、相手は悪い気持ちに決してならない。
 それをなぜか日本の私が連れてきた学生はしないのだ。どうも一人は中国語を第2外国語で取っていたらしいので、本当に練習するいい機会なのに、こういうときはなぜか英語をしゃべろうとする。ううむ、不思議だ。
 コミュニケーションは語学の出来の良し悪しだけでは決まらない。相手を知ろうとすること。相手によく思ってもらいたいという気持ちを持つこと。それによって、全然、円滑になるのではないか、ともう言葉がほとんど分からない(とはいえ、漢字なので、そういう点では多少は通じる)中で思ったりした。

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崇德村の農家の年収 [グローバルな問題]

崇德村の農家に住む3人の老婦人に取材をする。彼女らは年金は一切もらっていないのだが田んぼを貸しているので年間で2000〜3000元ほどの収入があるそうだ。とはいえ、これはマックスでも48000円ぐらいということだ。月で割ると4000円になる。驚くほど少ないな。ということで、息子さんは青海(せいかい)の土木工事に出稼ぎに行くようである。この出稼ぎでの仕事は年間で200000元ほど稼げるそうだ。これだと32万円か。まあ、48000円と比べれば相当いいが、大きく状況を改善するほどでもない。しかし、なぜ50分で通える成都で仕事を探さないのだろうか。という疑問も湧くが、これは彼らの能力ではそのような仕事にありつけないからだそうだ。いろいろと中国の農家も大変そうである。

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崇德村の林盤 [グローバルな問題]

崇德村周辺には林盤という農業村落コミュニティが分散されてある。これらは大体10戸から100戸単位で、経済単位であるだけでなく社会単位でもあるそうだ。これらの林盤は、ライバル関係にもあり、特に水利権などでは交渉単位になっているようだ。
 この林盤は前近代的なシステムであると中国政府は判断をして1980年頃から、農地拡大という名目で市街地へと強制移住させる政策をとってきた。市街地へと移住させられた農民は生業であった農業を止めることになるが、代わりに補助金をもらえるので生活をすることはできる。居住先の市街地の住宅は二階建てで一階は商いができるようなつくりにっているが、農家を辞めて商業をするのはよほどの才覚がないと難しいであろう。結果、崇德村の市街地にあるこのような建物の1階はシャッターが閉まっている。いわゆる日本のシャッター商店街は、客が遠のいて店を閉じてしまった訳だが、こちらのシャッター商店街はそもそも最初から店をやっていない。
 さて、そのような元農民が市街地に住むようになって何をやっているか、というと麻雀である。朝からやっている。若者がそもそもいないので、やっているのは高齢者である。女性も多い。麻雀自体は、成都でもよくやられていて、そもそもこの地方では相当親しまれている遊戯ではあるのだが、ここ崇德村はちょっと異常に近い。雀荘の数も半端ではない。10軒以上はある。カフェというか、簡単な食事処よりも多い。崇德村の人口は4000人であることを考えると、また雀荘以外でも麻雀はやられていることを考えると凄まじい、そして、彼らはよく観察すると賭け金が結構、多い。彼らの平均年収は18000元。すなわち、27万円ぐらいであるが、平気で20元札や50元札が行き交っている。ちょっとギャンブル依存症になっている高齢者が多そうで他人事ながら心配だ。また、ちょい悪風情のおじさんがおばさんからふんだくっている様子も見られる。ギャンブルは犯罪の温床にもなる。見ていてこの状況は心が痛い。
 林盤を前近代的であると判断したことは政策的には間違いであると中国政府も最近になって気づいたそうだ。とはいえ、まだ残っている林盤に住んでいる住民に話を聞くと、中国政府がお金を払ってくれるのであれば、市街地へ引っ越したいと言う。何か大切なものを失っているようにしか思えないのだが、それは傍観者の戯言にしか過ぎないのであろうか。

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「林盤の住民に取材をする四川大学の学生達。おばさんもチベットに出稼ぎに行ったことがあるそうだ」

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「林盤の中を通る道」
タグ:林盤
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成都に来て、中国とロシアの近さを知る [グローバルな問題]

成都ではイビス・ホテルに宿泊している。さて、そこには大人数のロシアの大学生も滞在していた。おそらく四川大学との交流なのだろうが、ロシアと中国って結構、親交があるということを知り、驚いた。いや、驚いたのは私が無知だからであって、中国とロシアが近いのはよく考えたら不思議でも何でもない。
 改めてアメリカの核の傘のもと、私は世界をパックス・アメリカーナ的に見ていたことを思い知る。加えて、現在、トランプは各国と一対一で交渉したがり、それで成果を出せると思っているようだが、中国とロシア、中国と北朝鮮、ロシアと北朝鮮などの関係性をしっかりと理解していないと酷い目に遭うのではないかと思ったりする。彼はチェッカー(チェスと言いたいところだが、トランプの頭でチェスができるとは思えないので敢えてチェッカー)をしている積もりだろうが、実際のゲームは麻雀に近いものがあるだろう。
 そういう状況にあることを成都に来て気づく。世界はアメリカを中心に回っている訳ではない。日本はアメリカの動きにつられて状況を見ようとするが、それはオバマのように信頼できる人間を大統領に選出できる国である場合はそれほど問題がないだろうが、トランプのような卑劣感を平気で大統領に選出するような国である場合は大きく状況を見誤るであろう。

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ブルックリンの再開発ラッシュが凄い [グローバルな問題]

学会がブルックリンにあるので、ブルックリンのダウンタウンのホテルに泊まっているのだが、周りは再開発ラッシュで槌音が鳴り止まないような状況である。ニューヨークというと、多くの日本人がマンハッタンだけをイメージしているのではないかと思われる。空港はマンハッタンにはないが、空港に着くとほとんど直行してマンハッタンに行くような気がする。しかし、ニューヨーク市の人口862万人(2017年)のうち、マンハッタンが占めるのは2割にも満たない166.5万人だけである。そして、人口が一番多いのはブルックリンで265万人である(ちなみに二番目はクイーンズの236万人)。ブルックリンが市として独立したら、ロスアンジェルス、シカゴに次ぐ大都市になる。ちなみに、クイーンズはそれに次いで、四番目に人口規模が大きいヒューストンを上回る。驚きの数字だ。ちなみに面積も183km2あり、クイーンズの281km2よりは小さいがマンハッタンの59km2よりも3倍も大きい(ちなみに東京23区は627 km2で、これはニューヨーク市全体の784km2より小さいが人口はちょっと上回っている)。
 しかし、経済規模(GDP)はマンハッタンの10分の1ぐらいしかなく、人口当たりのGDPでは37.8万ドルに対して、2.4万ドルにしか過ぎない。というか、マンハッタンの一人当たりのGDPは日本円で4000万円ぐらいということか。多すぎないか。人口密度は、マンハッタンとブルックリンでは一ヘクタールあたり278人と146人と半分ぐらいの差がある。というか、マンハッタンの人口密度は東京よりも高い。東京23区で一番、人口密度が高いのは増田寛也が「消滅都市」にランキングした豊島区(いやはや、人口密度が日本で最も高い自治体が消滅都市というのは、本当に出鱈目な予測であると思うが、それに慌てた豊島区の馬鹿さ加減は改めて呆れるばかりである)で230人ということを考えると、マンハッタンの人口密度は凄まじいものがある。ブルックリンの人口密度は大阪市の淀川区、旭区、東京23区でいえば江戸川区ぐらいだ。
 そのような状況であるから、マンハッタンに住めない人達がどどっとブルックリンに住もうとしているようで、ブルックリンのダウンタウンやイースト川沿いはビル開発ラッシュで凄いことになっている。バブル期の東京の臨海部を彷彿させるような開発ラッシュだ。アメリカの経済状況は今、すこぶる数字的にはいいようだが、それを実感させるブルックリンのダウンタウンの建設ラッシュである。
 

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ニューヨークのホームレス [グローバルな問題]

ニューヨークに来ている。市の都市計画局を訪れ、いろいろと話を聞く。ニューヨーク市は1970年代の財政破綻ぎりぎりを回避した時以来、ずっと低迷し、人々もニューヨークから抜け出すような状況であったが、1990年頃から回復し始め、現在は人口も増加している。人口が増加しているのは5つの区の中ではブルックリン、クイーンである。これら両区は人口は200万人近くもあり、一つの市とみても全米屈指の規模となる。
 さて、この人口増加の背景としては移民による社会増と、より大きな変化は社会減の減少である。今でもニューヨークから外に出て行くアメリカ人は、入っていく人よりも多くてネットではマイナスなのだが、その数が減ってきている。自然増もしているので、プラマイでプラスになっている。移民による社会増の数字はそれほど変化していないので、アメリカ人の社会減の減少、これが人口増の背景であるようだ。
 そして、人口増加に伴い、また海外からの不動産投資も盛んということもあり、地価が高騰している。マンハッタンではなくて、ブルックリンのイースト川沿いのマンションが70平米で家賃3000ドル。これは東京よりも高いだろう。そのような家賃の高騰は、多くのホームレスを生みだしている。1990年は2万人ぐらいだったが、それから一貫として増加していき、現在で5万人以上である。しかも、これは統計で把握している数字であるので、実際はもっと多いと推測されている。
 実際、マンハッタンの街中を歩くと、驚くほど多くのホームレスの人達がいる。好況に沸くニューヨークであるが、その果実を味わうことができるのは一部の裕福層だけである。トランプ政権は経済が好況であること自慢しているが、その実態はハリボテ景気である。ホームレスでなくても、給料の半分以上を家賃で取られてしまう人達の割合も高く、表の数字はよくても実質的には貧相なアメリカ人の生活がホームレスの多さからも透けて見える。

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中国では検索サイトが使えない [グローバルな問題]

南京ではインターネットは使えるが、検索サイトは使えない。グーグル、ヤフーが一切、使えず、これって相当、インターネットを不便にさせることに改めて気づかされる。メールは問題なく使える。さらに、検索サイトが使えないというだけで、サイトのアドレスを覚えさせているものはしっかりと閲覧することができる。例えば、食べログや金融関係、アップルのサイトなどは大丈夫だ。一方でアマゾンやユーチューブ、フェイスブックは駄目である。また、ポケモンGOは開くことはできるが、位置情報が機能しないので、基本的に遊ぶことはできない。
なんか、それはそれで不便ではあるが、アメリカによる大統領選でのロシアによるこれらSNSを用いた世論操作の影響力の大きさなどを鑑みると、中国政府がこれらをシャットアウトしたい気持ちを持つのは分からなくもない。アメリカのマスコミはまだ持ちこたえてはいるが、ロシアなどのSNSによる世論操作と、大統領自らマスコミなどをフェイク・ニュースと叫んでいる実態を考えると、まあ中国政府はこんなツールを民衆にもたらせても彼らにとってはろくなことが起きないなと考えるのは理解できなくもない。といいつつ、ホテルの部屋には習近平の顔が表紙の「中国の統治」という本がバイブルのように置かれているのをみると、そのようなインターネット規制が中国政府にとっては都合がよくても、果たして国民にとって幸せかどうかは疑わしい。
ただ、そのような中国の状況に接すると、既存のマスコミを、ロシアなどからの援護射撃を受けつつSNSを用いて攻撃しているトランプ大統領は、本当、何を目的として行動しているのであろうか。おそらく自分の利益のため、そしてその利益をもたらしてくれるロシアのためであろう。ロシアはアメリカがガタガタになれば、しめたものだからだ。少なくとも、アメリカ国民のためでないことは確かである。そして、それを支持しているのが皮肉なことに3割近くの国民。自分の身体を蝕む癌細胞にせっせと栄養を与えているような行動を、この3割近くはしているのである。いやはや、インターネットは人民の味方にもなるが、使い方をまちがえると巨大な敵にもなる諸刃の刃であることを、中国のインターネット規制を通じて改めて気づかされる。



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正月におせち料理をつくり、食べる意義 [グローバルな問題]

明けましておめでとうございます。最近、掲載頻度が少なくなっていますが、今年もこのブログを宜しくお願い致します。

さて、極めて私事ではありますがおせち料理を最近、つくっています。これは、日本人とは何だろうとこの数年、考えているからでもあります。日本人ってどうやって定義できるのでしょうか。日本は島国なので、移民がなかなか来にくい国です。ということもあり、なんか日本で生まれ育って、親もそのように暮らしてきて、さらに親の親もそのようであったりすると、もう日本人だと勝手に思ってしまうかもしれませんが、本当にそれで日本人といえるのでしょうか?例えば、そのような考えをアメリカ合衆国に適用すると、そのような人達はアメリカ・インディアンだけに絞られてしまい、トランプ大統領のように母親が20歳頃スコットランドから渡米してきて、さらに父親方も祖父の代にドイツから渡米してきたような人なんて、まったくアメリカ人と言えなくなってしまいますよね。
 おそらく世界的には、日本人は日本語をしっかりと駆使できて、日本文化をしっかりと理解して、それらを次世代に継承するだけの教養・技能・情熱を有している人なのではないかなと思うのです。そのように考えると、ドナルド・キーンなどは私なんかよりも遙かに日本人である訳です。これは、例えばどこかの国が日本人なんて絶滅してもいいんだと主張した時(いや、このような話は真面目に第二次世界大戦中はされていたと思います。そうでなければ原爆は落とされない)、いやいやいや、日本人は人類において日本語を含む貴重な文化を継承していくという重要な役割を担っているので、絶滅させない方が日本人以外にとってもいいでしょう、と主張するのが、一番、絶滅させない理由として適当であると私は思ったりするからです。ここで人道的などという言葉を放っても、ほとんど効果がないことは人類の歴史が証明しています。
 さて、前口上が長くなってしまいましたが、そのような日本にしかない貴重な人類の文化資源として、私はおせち料理というものがあるのではないかと思っています。朝日新聞の元記者であった本田勝一も世界で一番美味しい料理は日本料理と言っていますが、私も50ヶ国以上訪れた経験から本当にそう思います。そして、その和食のエッセンスはおせち料理に詰められていると思います。ということで、おせち料理の調理に精進することで、日本料理の哲学のようなものにもちょっと触れられるかなと思うのと同時に、殺されそうになった時、ちょっと美味しい料理を振る舞って命乞いができるかもしれないと思ったりもする訳です。
 ということで今年もおせち料理をつくりました。ポイントとなるのは食材をどこで買うかということですが、野菜系はすべて尾山台にある八百屋ジャズで仕入れました。値段は高いですが、モノはいいです。この値段の高さには、しっかりとした商品を提供してくれる信頼の値段も含まれているかと思います。ローストビーフのお肉は都立大学の原田畜産で入手しました。原田畜産はとても人気なのですが、家内が大晦日の日に開店前に並んでくれたので無事、手に入れることができました。ちなみに予約をすればいいじゃないか?と思われるかもしれませんが、八百屋ジャズでは大根の予約ができますが、原田畜産は相当の量でないと予約は受け付けてくれません。個人消費の量ではとても予約できないのです。
さて、問題となるのは魚介類です。というのは、これまでは築地市場で入手していたのですが、築地市場が移転した後、場外はただの小売店の場となっている筈です。豊洲市場のサイトをチェックすると、どうも場内でも購入できるようだということが判明したので、とりあえず豊洲市場に向かいました。何しろ、必要なのは有頭海老、そして数の子、蛸、鰹節です。また出来れば真鯛。初めて行った豊洲市場はとても清潔で、しっかりと来場者も管理していて、とてもよく計画されているなと思いました。正直、築地市場よりも遙かにましになっています。部外者がいろいろと反対していましたが、当事者からするとなんで反対するんだ、という気分だったでしょう。
 場内に入るのはわざと入りにくくされているようでしたが、いそいそと入っていき、海老専門店に行きましたが既に12時を回っていたこともあり閉まっていました。他の店もあまりいい海老が置いていない、というか売り切れている。ということで、豊洲市場にあるショッピング・コート的な場所で鰹節や数の子、昆布巻き、蒲鉾、伊達巻、田作などを買いました。ちなみに、結果論ですが、ここで買ったものは鰹節こそ相当よかったですし、蒲鉾、伊達巻、田作は文句を言うようなものではなかったですが数の子、昆布巻きは今一つでした。ちょっと安かったですが、安物買いの銭失いという言葉を痛感させられました。
 肝心の海老が入手できなかったので、豊洲のお店の人に相談すると、築地の場外に行くのであればアメ横の吉池でしょう、といわれたので初めてですがそそくさと吉池に向かいました。吉池の混み具合は、まさにラッシュアワーの田園都市線という感じでしたが、どうにか海老、鯛、蛸を入手することができました。ただ、これも結果論ですが、鯛、蛸はよかったのですが海老は残り物を購入したせいもあるけど、頭が調理途中でもげたりして散々でした。
 さて、そんな感じで仕入れた食材でつくったおせち料理は次のようなものになりました。

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まず、、写真中央の鯛の塩焼き。これは、なんと内臓処理をお願いし忘れたので、自分で初めて捌きました。そのため、ちょっと見た目は悪かったですが、吉池で購入した金額が確か700円前後。近くのスーパーで調理済みの鯛が3000円ぐらいで売っていたので、見た目の悪さはどうってことない気分になります。そして、時計回りに左から行くと、左は栗きんとんです。そして、次の重は黒豆、数の子、膾+干し柿、菊花蕪、田作(カシューナッツ和え)、蛸と大根の煮物、その隣の重は蒲鉾(市販品)、海老の日本酒煮、ローストビーフ、昆布巻き、伊達巻、そして一番、右側は筑前煮です。
 ほとんどのレシピがクックパッドで検索したもので、本当、クックパッドのおかげでどれだけの家庭料理が向上されたか分かりません。そして、その家庭料理にはおせち料理も含まれる訳です。ということで、私の家に代々伝わるおせち料理という訳ではないですが、クックパッドのおかげで、日本人らしい正月を迎えることができるようになっています。前文に戻りますが、日本人の定義って難しいですが、宇宙人的にみると「日本語をしゃべっている」、「裸になってよくお湯に浸かる」、「家に入る時、靴を脱ぐ」と同じぐらい、「正月におせち料理を食べる」というのもその条件になるような気がします。そういう意味で、正月におせち料理を食べて、自分が日本人であると自覚すること、さらには、その極めて日本的な料理を次代に継承できるようにしておくことは、結構、重要なことかなと思ったりします。
 最近、記事を書く頻度が開いてしまって申し訳ないですが、本年も何とぞ、よろしくお願い申し上げます。

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国連の移民の統計をみて考える [グローバルな問題]

2015年に国連が発表した2013年の各国の移民数データがある。2013年時点で全世界には2億4370万人の移民がいる。それを国別でみると、最も多いのはアメリカで4663万人であり、これはアメリカの全人口の14.3%を占める。次に多いのはドイツの1200万人で、これはドイツの全人口の14.9%に相当する。絶対数では、ロシア、サウジアラビア、イギリスが続く。割合で高いのはアラブ首長国連邦の84%やカタールの74%といった中東の産油国である。日本はどうかというと、204万人であり、これは全人口の2%にも満たない。これより少ない国は中国、インド、メキシコ、バングラデッシュ、ナイジェリア、エチオピア、ウガンダ、スーダン、インドネシア、タンザニア、スリランカ、ルーマニア、モザンビーク、アルジェリア、ベトナム、グアテマラ、イラクというどちらかというと紛争があったり、独裁国であったりして逃げ出したくなるような国が多くを占める。そのように考えると、日本のこの移民数の少なさは国際的には異常であるといえよう。安倍政権はあと50万人ほど移民を増やすと言っているが、それでもその全人口に占める割合は2.5%にも届かない(母数の全人口が減るので割合はもしかしたら高くなるかもしれないが)。アメリカ、ドイツ、イギリス(13.2%)、フランス(11.1%)、スイス(28%)、カナダ(22%)といった10%を越えるのはなかなか難しいかもしれないが、まだ豊かであるうちに移民をスペイン(9.6%)、イタリア(8.3%)といったヨーロッパのラテン系諸国に近づく8%に目標設定をしてもいいのではないだろうか。日本人は移民に対して抵抗を覚えている嫌いがあるが、人口が減少していく中、国力を維持させることを考えるのであれば、この国際的な異常値を示している移民を増やすのがもっとも有効な対策であろう。というか、あまりぐずぐずしていると移民が来たいような国ではなく、移民を出す国にまで落ちぶれてしまうのではないかと心配である。まだ、余裕があるうちに対策を立てた方がいいであろう。将来の日本の人口を1億人と想定すると、8%は800万人。50万人ではなくて、600万人は増やす必要がある。日本人を存続する必要性はあまり個人的には感じないが、日本語を始めとして日本文化を次世代に継承していく人達、また、これらを土台とした新しい文化を創造する人達のプールとしての集団が必要である。そのような人は、別に肌が黄色でなくてもいいし、目が青くてもいいかとも思う。感情論ではない冷静な移民政策の議論が待たれる。

タグ:移民
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ドレスデンのインターナショナル・カフェを訪れる [グローバルな問題]

ドレスデンにあるヴェルト・クラブ(Welt Club)を訪れ、アフロパというドレスデン周辺で生活をしているアフリカ系ドイツ人とドイツ人との交流を図るNPOの代表とインターナショナル・カフェの代表者に取材をする。アフロパは2014年から活動を開始し、その後、難民などがシリア、アフガニスタンから来たことで、活動内容を拡大している。ドレスデン市からも補助金を受けていて、ソーシャル・ワーカーを使って、ドレスデンにきた難民の人にアドバイスなどをしている。
ヴェルト・クラブはアフロパが事業として行っている交流スペースである。1階には移民の人達の相談場所があり、来た人が知り合うためのカフェのような施設もある。2階はセミナールーム。ここは極めてオープンな空間である。
代表は無償で仕事をしている。代表の仕事は看護師で出身国はモザンビークである。アフロパの位置づけは、ドレスデン市にいる外国人のための代弁者。1989年に東西ドイツの壁が取り壊され、1991年に外国人の排斥運動がドレスデン市で起きた。そして、モザンビーク出身の移民が排斥運動のために亡くなった。外国人に対する暴力を振るう人がたくさん現れた。2015年にたくさんの難民がドイツにやってきた時にまた排斥運動が始まり、当時のことを思い出し、これはしっかりと対応をしなくてはと思っているそうだ。
ドイツ人は過去、ユダヤ教徒の排斥があったが、現在はイスラム教徒への排斥運動がみられている。ドレスデンは人種差別の街というイメージが定着されつつある。それと同時に、1990年代頃からドレスデンでは外国人を守るような運動も起きている。アフロパはそのような運動の流れの一つとして捉えることができよう。
インターナショナル・カフェの代表はオルガ・フィーガさん、というちょっと中東的な雰囲気も持つ若い美人さんであった。彼女は大学で芝居を勉強しており、ベルリンから2009年にドレスデンに引っ越してきたそうだ。ドレスデンに来て彼女が驚いたのは、通りを歩いている人のほとんどが色の白いドイツ人だったことである。舞台をみてもテレビをみても、ドイツ人ばっかりが出ている。ベルリンと違って、外国人、難民はカルチャーという舞台には出てこなかった。いろんなところで劇をしていて、舞台のテーマは人種差別の話だったりもするが、それはドイツ人とドイツ人が話をしているだけである。そうであれば、モザンビークやベトナムの人達を舞台に上げて、そこで人種差別の話をするような舞台をつくろうと考えたそうである。そして、実際、やろうとしたら舞台の責任者が駄目だという。アフリカの人達が舞台に上がって人種差別をどうこう議論するのはけしからんという。そのようなこともあり、自分達で劇をつくることにした。そして、それをやっている途中、ペギータがドレスデンにもいることに気づいた。これは、ヨーロッパ人(ドイツ人)がイスラム化するのを防ぐグループである。彼らは毎週、月曜日にドレスデンの街中を散歩した。最初は小さいグループだったが、いつの間にか25000人にまで膨れあがり、暴力的にもなってきた。そして、ドレスデンの市民は支持者と反対者とかで二分されてきた。その結果、ここで生活するのが不快な状況になってきた。最初はこれに反対するデモに参加していたのだが、このデモの参加者が徐々に少なくなってきた。そして、自分達がいいことをしている筈なのに肩身が狭い思いをするようになってきた。それで危機感を覚えて、一週間に一回、ペギータ反対者のグループが集まるようになった。これがインターナショナル・カフェの始まりだ。
最初の動機は自分達のシェルターをつくることであった。それと難民の人達の逃げ場をつくることにした。ここに集まって、いろいろな話をした。毎週、金曜日の午後にそこに集まるようにした。特に広報をしなかったが、人が集まってくるようになった。
インターナショナル・カフェはプログラムをつくることをしなかった。その時に生じた費用は寄付金で賄った。インターナショナル・カフェはE.V登録をしていないが、それは規則で縛られて何かやるのではなく、自由にいろいろとやれるようにしていたいからだそうだ。

ドレスデンは人種差別の町として、ドイツだけではなくドイツ外でも悪いレッテルを貼られているが、それら人種差別者と相対して、そのような差別がない社会をつくろうとしている人達も当然、存在している。このような人達の存在は、ネオナチ等のネガティブな情報の陰に隠れてしまう訳だが、ドレスデンにもドイツ的な良心が存在することを知ったことは私にとっては視野が広がる思いであった。

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ブレクジットのイングランドはワールドカップでも応援されない。そして、トランプも。 [グローバルな問題]

ストックホルムの地下鉄に乗っていた時、ワールドカップの話で若者が話していた。一人はスウェーデン人ではない若者で、イングランドとクロアチアのどちらを応援するか、で盛り上がっていたのだが、スウェーデン人の方が「イングランドには負けて欲しい」とぽつり。スウェーデン人じゃない方が「どうして?」と聞くと、「ブレクジットしたから・・」。

そうか、そういう風にヨーロッパではイギリスでは思われているのか、と妙に納得。しかし、スウェーデンもユーロは使わずにクローネで頑張っているので本当、物価が高くて嫌になっちゃう。まあ、そのようなことは棚に上げても、やはりヨーロッパという大枠の概念をつくろうとしている時に、そこから抜け出したイギリスの非協調性というのは気になるのだろう。

と、これを書いている中、トランプがNATOの大批判。NATOという大枠をつくることをリードしてきたアメリカがそれを壊そうとするというのは、もう何が何だか分からない。TPPもアメリカがつくろうとしたのに脱退したからな。トランプは取引の名人、というのが売りらしいが、不動産屋らしく、極めて短期的な取引での利益しか考えていない。長期的な取引の名人というのは、信頼を獲得するということがまったく分かっていないというか、そのようなメリットを無視している。

ブレクジットとか、TPP脱退(個人的にはTPPは反対)、NATO大批判とか、大きなフレームワークを壊すというのは、巨大な砂のお城を壊すような快感のようなものを覚えるのだろうが、壊した後には何も残らない。というか、砂遊びに誘われなくなるだけだよな、などということをちょっと考えた。
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スウェーデンはキャッシュが使えない!? [グローバルな問題]

スウェーデンに来ている。北欧は物価が高いので、どれくらい現金が必要かが分からない。ということで、とりあえず日本円で1万円ほどクローネに換金をして(1000クローネ)、空港内のセブンイレブンで水を買おうとした。280クローネだ。これは、ちょっと物価は高いな。もう少し、キャッシュは必要かもなと思いつつ水を買おうとしたら、キャッシュは受け付けないとのこと。キャッシュを持っていても使えないのじゃ意味ないな、と考え、そのままホテルにバスで向かう。バスのチケットもクレジットカード払いであった。翌日、中央駅で珈琲を買おうとしたら、ここでもクレジットカードのみ支払いOKとのことである。ううむ、これはクレジットカードを作れない子供やティーネイジャーはどうするのだろうか。大きな疑問を持ちつつ、45クローネ(500円)相当の珈琲をクレジット・カードで購入した。

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なぜ、日本人は食べる時に音を立てるのか [グローバルな問題]

 日本人の多く、特におじさんは食べる時に音を立てる。これは、欧米では完全に御法度である。私もドイツ人の友人を連れて日本を旅行した時、ラーメン屋に入ったら、周りの人がラーメンを啜って食べているのに対して「申し訳ないけど、ドイツではとても下品で、許されない食べ方だ」と言われた。その時、私は「いや、これは日本での食べ方だから郷に入っては郷に従え、我慢しろ」と言ったのを覚えている。というか、ラーメンを啜って食べるのは、熱いラーメンを食べるうえでは比較的合理的であり、下品か舌を火傷するか、という選択肢しかなければ、ほとんどの人は前者を取るであろう。ちなみに、ドイツ人はどうするか、というと熱いラーメンを食べないという選択肢を取る。したがって、ドイツのラーメン屋のラーメンはぬるい。そして、当然だが不味い。
 とはいえ、逆も真なりで、日本人がドイツや欧州に行ったら、啜って食べることは慎むべきである。なぜなら、ドイツや欧州では、啜ったり、音を立ててたベたりするのは「とても下品で、許されない食べ方」であるからだ。日本人は忖度が得意だし、周りに異常なほど気を遣うのに、食べ方だけは変えない。だから、私は日本人の人達と欧州で食事をした時、「スパゲッティを注文するな!」と心の中で念じている時が多い。しかし、私が念じれば念じるほど、「今日はスパゲッティが食べたい」と言って、スパゲッティをラーメンを食べるがごとき、啜って音を立てて食べるのである。私も日本人なので、そこで指摘をして相手に恥をかかせるのは申し訳ないので、我慢をしているのだが、なかなか辛いものがある。というのも、海外で8年間生活していたこともあって、そこらへんのセンスが欧米人と近くなってしまっているからかもしれない。
 先ほど熱いラーメンは啜った方がいい、と私の屁理屈を紹介したが、この屁理屈はスパゲッティには通用しない。スパゲッティを啜って食べるというのは、下品であるとしか形容しようがない。しかし、多くの日本人がそれを是としている。『あぶない刑事』で二枚目の柴田恭兵がスパゲッティを音を立てて啜って食べているシーンがあって、愕然としたのだが、それだけ、日本の一般社会では許容されているのであろう。
 私はこれは立ち小便をするとか、鼻くそを人前でほじくる、並みの下品さだと感じるので、この彼我の違いは愕然とするしかない。というか、それを不快に感じるような感性を有して日本で暮らしている不運は、まあ嘆くしかないが、欧州にいる時はせめて是正してもらいたいと思う。おじさん達、お願いします。と言っている私も既におじさんであるが・・・。

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おせち料理をつくって正月を迎える [グローバルな問題]

明けましておめでとうございます。さて、正月は皆さん、おせち料理を食べられましたでしょうか。おせち料理に関して、自分はごく平均的な日本人のようなこだわりしか有していないと思っていたのですが、結婚してそうではないことに気づきました。例えば、正月三が日はおせち料理を作り置きし、台所に立たない、など三が日のタブーは実家では守られていましたが、結婚したら必ずしも、そういうことにこだわりをそれほど持たない人もいることを知りました。
 さて、しかし、おせち料理に関して正月早々、喧嘩をすることは避けたいので、今年は自らつくることにしました。28日から買い出しをし始め、28日には尾山台の八百屋に行き、海老芋、ゴボウ、大根、黒豆、今日人参、レンコン、栗の瓶詰めなどを仕入れ、29日には築地に行き、いくら、海老、タコ、蒲鉾と佃煮屋の佃茂で田作り、昆布巻き、卵焼きを購入しました。そして30日は地元の肉屋でローストビーフを購入しようとしたら売り切れており困惑したのですが、31日の開店直後に来れば出せるかもと言われて、そうしたらどうにかゲットできました。
 そして、つくったものが写真のようなおせち料理です。とはいえ、卵焼き、昆布巻き、田作りは築地の佃茂の商品です。あと蒲鉾と伊達巻き、黒豆は市販のもので、一番手間がかかる栗きんとんは女房殿がつくっています。私がつくったのは、海老のうま煮、たこのうま煮、数の子(一の重)、ローストビーフ、筑前煮、菊花蕪(二の重)、そして膾とイクラのみぞれ和え(三の重)です。

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(一の重)

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(二の重)

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(三の重)

 ということで娘達も満足してくれたのと、私もおせち料理に関しては正月から喧嘩をせずにすみ、どうにか平和な正月を迎えることができました。
 ただ、改めて考えてみると、今回のメインであるローストビーフですが、正月三が日のタブーの一つとして四本足の動物は食べないというものがあります。いつから、このタブーが破られて、ローストビーフをおせち料理に出すようになったのか。ちょっと気になります。
タグ:おせち料理
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日本の在留外国人数 [グローバルな問題]

 2016年12月時点において日本で生活する在留外国人の数は238万人である。これは、日本人全体の2%にしか過ぎず、相変わらず日本には外国人が少ないなと思う。さらに国籍別にみると、一番多いのは中国人で69万人(29%)。次いで、韓国人の45万人(19%)、フィリピン人の24万人(10%)、ベトナム人の20万人(8%)、ブラジル人の18万人(8%)ということで、上位5ヶ国で全体の74%を占める。6位から10位まではネパール人(3%)、米国人(2%)、台湾人(2%)、ペルー人(2%)、タイ人(2%)である。上位10ヶ国で86%を占めている。絶対数が少ないということもあるが、多様性にも乏しい。
 その是非はともかくとして、インド人よりネパール人が多いことや、北朝鮮がベスト10に入っていないことなど結構、興味深い。まあ、ただ興味本位で調べただけだが、情報共有ということでちょっとブログにアップする。

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旧東ドイツの人口が2000年頃に急に増えたので、その背景をチェックしてみた [グローバルな問題]

旧東ドイツの人口統計を調べていたら、突然2000年で増加していた。これは何が原因なのかキツネにつままれたような気分になったのだが、1950年から1995年までは西ベルリンは旧西ドイツであったのに、2000年からは西ベルリンが旧東ドイツに含まれるようになったからであったことが判明した。旧西ベルリンはおよそ200万人ちょっとなので、これが入ることで12%ぐらい人口が増えることになる。この急に西ベルリンが旧西ドイツに入ることで、旧東ドイツの人口減少のインパクトが統計的には誤魔化される。それを意識したかどうかは不明だが、ちょっと統計を分析するものにとっては不親切である。

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ジョン・オリバーの日本へのギャグは、日本という国が世界からどのように見られているのかがよく分かる。 [グローバルな問題]

 ちょっと前の話になってしまうが、アメリカのHBOで活躍するイギリス人コメディアンのジョン・オリバーが、日本が安保法を2015年9月に成立したことを受けて彼がホストをしているLast Week Tonightでコメントしているのを視た。
https://www.youtube.com/watch?v=s14qCFC5RwI
 ジョン・オリバーの指摘は結構、的確であり、イギリス人らしい皮肉に溢れたコメントは、笑いを誘う。とはいえ、この番組で報道されている日本の姿は、まさに事実ではあるのだが、ちょっと不気味である。AKB48がビキニ姿で踊っている姿をみて、私は北朝鮮の喜び組を彷彿してしまった。自分が日本人であるので、こういうのを書くのは大変気が引けるが、世界的な観点からすると、ちょっと異常というか理解不能なイメージを抱かれてしまうというのも致し方ないかなと思ってしまった。このような理解不能なイメージを、しっかりと世界の人に納得してもらうように努力をすることが、これから世界で活躍する日本人には課せられるであろう。
 随分前だが、私はアメリカで大学院に通っていたが、日本好きでロック好きの友人に自信を持って「森高千里」のビデオを家で見せたら、ドン引きさせられたことがある。AKB48はまったくフォローできない私でも森高千里は許容範囲である。それでも、日本好きで日本に住んだこともあるアメリカ人でさえ、それは許容範囲外であった。そういう変態(ジョン・オリバーは冒頭で、日本のことを「地球の変態おじさん」と紹介して、聴衆に受けている)性を有している、というか世界では変態的に思われているという前提で、変態でも危険ではない、変態でもいいところもある、といった日本人イメージを日本人一人一人が発信していき、理解をしてもらうしか方法はないのかもしれない、と思ったりもした。というか、ジョン・オリバーのこのユーチューブはしっかりと見るといいと思う。

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