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タンペレを訪れる [地球探訪記]

ヘルシンキに宿泊しているのだが、日帰りでタンペレを訪れる。朝9時の列車で11時前に到着。列車代は22ユーロぐらいなので物価の割には安い。タンペレに訪れたのは、街を分断していた線路上に人工地盤を設置して、両側を結び、その上にノキア・スタジアムというホッケーなどが観戦できるスタジアムやらオフィス・ビルやらをつくるという開発をしたからだ。これは都市計画的に随分と賢いな、と思い、私が連載している「都市の鍼治療」の事例にふさわしいと思ったからなのだが、実際、見ると、それほど感心しなかった。線路上の開発ということでアクセスを著しく改善したことの効果は大きいが、そこが機能はともかくとして、空間として人を惹きつける魅力を伴ってないからだ。勿体ないなあ。私もわざわざ来た甲斐がなく、ちょっと勿体ないことをした。絶対、滑らない事例のように思えたからだ。ここらへんは報告書やウェブサイトと実態との乖離、ということで百聞は一見にしかずではある。まあ、行ったから理解できた、ということもあるのだが。

さて、しかし、都市自体は結構、興味深かった。フィンランドの都市はトゥルクを除くと、ほとんど歴史が浅い。そもそも、国の歴史が浅い。したがって、このタンペレも19世紀後半ぐらいからしか都市の歴史がなく、ちょっとニュータウン的な雰囲気が都市全体を覆っているのである。これは札幌とか旭川とかとも似ている。タンペレは「○○のマンチェスター」と形容される都市の一つであり、19世紀半ばから繊維産業で栄える。工場はまだ操業しているところもあるが、多くは操業を中止して、工場跡地は再開発されていたりする。そのうちの一つはフィンレイーといい、随分とイギリスっぽい名前だな、と思ったら創業者はスコットランド人であった。

そういう新しい都市ということであるが、しっかりとした都市のアメニティを高める工夫を都市デザイン的に頑張っていて、なんか応援したくなる。具体的には中央駅から伸びる大通りのトランジット・モール化、ウォーターフロントの公園整備(これは結構、昔からしているかもしれない)、それに前述した工場の跡地利用である。私はフィンレイーというところを訪れた。それなりに工場の建物をうまく再生利用しており、こういうブラウン・フィールドのリデザインは、もはやアイデアレベルではなく常套手段になっているのかな、との印象も受けた。

とはいえ、こうヨーロッパの都市の時間の積み重ねが生み出す、何年も寝かせたワインのような豊穣さが空間に欠けている。これは、まあ致し方ないことだが、それをどうやって都市デザインで克服させていくか。ここらへんが政策の肝かなと思ったりする。

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レンググリースというスキー場に行く [地球探訪記]

雪が降った後、あまりにも天気がいいので、思い切ってスキーに行く。ベルリンからだとドイツのまともなスキー場へは7時間ぐらいかかるのでミュンヘンで二泊をして、その中日にミュンヘンから日帰りで行けるスキー場に行くことにした。といっても候補はガルミッシュパルテンキルヘンとレンググリースしかない。ガルミッシュパルテンキルヘンは既に行ったのでレンググリースに行くことにした。レンググリースにはミュンヘンから1時間ちょっとで行くことができる。このスキー場は鉄道駅からリフト乗り場まで無料バスが走っているのは事前にチェック済みである。さて、最初にスキー板を借りなくては、ということでレンタル・スキー屋に入る。結構、混んでいて、まあまあ待たされたが、どうにか板を借りることができる。ちなみに靴は持参している。あと、実はスキーウェアのパンツを持ってきたと思っていたら、なんと上だったので、スキーウェアも借りようと思っていたが、ここでは借りることができなかった。ガルミッシュパルテンキルヘンでは借りられたので、規模が小さいスキー場はそういうサービスはしてないということだろう。しょうがないのでジーンズで滑ることにした。しかし、傍からみたらスキーを分からない東洋人のアホがジーンズで滑っている、というように思われたであろう。レンググリースは、標高差1012メートル、最高地点1712メートル、リフト数15、延長距離31kmという、なかなかの規模のスキー場である。ただ、ゴンドラで山の上まで一挙に上るのだが、これは40分以上待った。リフト・チケットを買うのにも15分ぐらいかかったので、上まで行くのに1時間ぐらいかかったことになる。日本のスキー場では今ではまずないような混雑である。さすが、雪が降った後の晴天日なので、皆もスキーに来ているのであろう。
ドイツのスキー場は初級、中級、上級と3つにゲレンデが分類されていて、レンググリースは上級のコースもあるのだが、なんか中級と上級の差がよく分からない。あと、新雪的な感じのところもあり、アイスバーンのところがあったりはしたが、コンディションは全般的によかった。まあ、ジーンズというのが残念であったが。上に行くとアルプスが見え、なかなか感動するが、先月末に行ったツークシュピッツェに比べると見劣りする。ただ、スキー場の景観は相当、よく、穴場的なスキー場としては優れていると思われる。いや、これだけ混んでいれば穴場とはとても言えないのかもしれないが。
 一応、ほぼコースの大方を滑った後、遅い昼食を取って、ビールを呑んでまたスキー場に戻ったら、身体が寒くて動かないのに加えて、ちょっと酔いが入ったこともあり、こりゃ不味いなと思ってそのままロープウェイの頂上から下山し、スキー板を返してミュンヘンに戻った。ジーンズだと身体の動きも悪くなるのと、何しろ寒いので、これ以上滑ると転倒するかもしれないと思ったからである。
昼食を取っていた時、地元のおっちゃん4名と相席になったのだが、社交的なおっちゃん達で結構、いじられた。いきなり、「お前はスキーマンか」と聞かれて、スキーマンって何か分からなかったが、とりあえず「そうですね」と言っておいた。まあ、ベルリンから一人で、とことことこんな場所までスキーに来る酔狂人は、スキーマンじゃない、とは言えないかもしれない。例え、ヘタレスキーヤーであっても。また、ミュンヘン、札幌とか言ってきて、Yukio Kasayaとか言っていた。そういえばミュンヘン・オリンピックの年に札幌・オリンピックを開催したのだな。最初は何を言っているか分からなかったが、「カサヤのこと」と言ったら嬉しそうに頷いていた。ちなみに、この会話は4人のうち一人だけ英語がそこそこしゃべれたので、彼を通訳で会話をした。あと小林とかも、言っていた。ベルリンと違って、ミュンヘンの周辺は、人が社交的で愛想がよい。このレストランは私が注文した麦酒がなかなか来なかったのだが、おじさん達が、しっかりと彼のを持ってこい、と言ってくれたらすぐ来た。
まあ、初老の男性が一人でスキーに行くというのも随分と寂しいことだよな、と思ったりしていた自分もいたが、実際、行ったらいろんな意味で楽しかった。ジーンズじゃなければ、もっとゲレンデも楽しめただろうに。

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【ドイツ・アルプスはアルプスの北縁に位置する】

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【北はドイツの平原がずっと続くのが分かる】
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ブランケネーゼというハンブルクの高級住宅地を訪れる [地球探訪記]

ハンブルクはドイツでも特別に豊かな都市として知られる。しかし、中央駅や運河街、レーパーバウンなどを歩いていてもよく分からない。多少、バーバンク周辺の北部の住宅街などを歩くと、それなりに瀟洒で落ち着いていていい雰囲気だな、と思ったりはするが、高級住宅地としての迫力のようなものはあまり感じられない。ドイツの経済を牽引している都市としては、そんなにパッとしないのである。ということで、ちょっと調べてみたら、どうもハンブルクの高級住宅地はエルベ川の下流にあるらしいということが分かった。その中でもブランケネーゼという住宅地がその代名詞的な場所であることが分かったので、そこを早速訪れることにした。
 アルトナ駅からS1号線に乗車して、5駅ほど乗ったところにブランケネーゼ駅はある。駅を降りてすぐ、そこが相当の質の高い住宅地であることが分かる。まず、店舗が小洒落ている。そして、車道が狭い。歩道もしっかりと整備されている。何より、街路樹がしっかりと植えられていて、ちょっと森の中の住宅地といった雰囲気である。
 ブランケネーゼはエルベ川の河岸段丘に開発された住宅地だが、エルベ川に向かって、その丘に立つ家々は絵のようにお洒落である。そして、丘から川へと繋ぐ車道がほとんどなく、階段の歩道で繋がれている。この歩道がまたいい感じで、丘から住宅の間に見え隠れするエルベ川が美しい。階段の数は合計で5000段近くもあるそうだ。1月で雨が降ったり止んだりするような肌寒い天気の日曜日であったのだが、多くの地元からと思しき観光客が行き来していた。
 ハンブルグ一の高級住宅地ということであるが、自動車じゃアクセス出来ない家が多い。その乗用車保有率を調べたら古いデータ(2006)ではあるが、人口当たり0.486台であった。これは実はハンブルクの数字より高い(0.406)。これは2011年の数字だ。最初はブランケネーゼの数字は結構、低いなと思ったのだが、こんなに不便でもハンブルクの平均より高いぐらいなんだ。というか、ハンブルクの数字はなかなか低い。ちなみにドイツの平均は2021年だと0.58ぐらいだが2011年だと0.52。さらに日本の数字だが、日本は0.49(2021年の数字)。ただ、日本はドイツより地域差が大きく、最高は新潟の0.71。
話が横に逸れてしまったが、ベルリンでは同市きっての低所得者層が住む地域で団地住まいをしているので、ドイツの住宅地は汚いなあ、といった印象を持っていたのだが、ブランケネーゼを訪れ、ドイツにも美しい住宅地が多くあることを思い出した。こういう街を訪れると、ドイツのまちづくりは上手いよな、と感心する。ベルリンではなかなか、こういう気持ちになれないのでわざわざ訪れてよかった。

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【住宅地の丘からはエルベ川が望める】

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【住宅の間から見えるエルベ川は美しい】

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【小道と階段がこの住宅地を特別なものとしている】

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【エルベ川から丘の住宅地を望む】

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【丘は歩道でしかアクセスできず、自宅の敷地に駐車場が設置できる家は極めて少数である】
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ニュルンベルクのクリスマス・マルクトに行き、ちょっとがっかりする [地球探訪記]

ドイツはクリスマス・マルクトが有名である。どうも、三大どころはドレスデン、エアフルト、ニュルンベルクのようだ。それにしてもニュンベルクは何で有名なのであろうか。
ニュルンベルクのクリスマス・マルクト(クリストキンドルスマルクト)がいつ頃から始まったのか、については随分と研究が積み重ねられているようだが、現時点でも不明である。ただ、針葉樹の箱があり、そこには1628年のクリスマス・マルクトにエルブシンさんが、ハーシュデーフェリンさん宛に送ったと書かれていて、これが最古の証拠となっている。歴史家は1610年から1639年ぐらいの間に広場にて週ごとに開催されるようになった伝統的な市場にその源があると考えており、そこからクリスマスのための市場として独特 なものになったのであろうと推測している。
 結構、昔から人気があったそうなのだが、19世紀の終わりにはまったく賑わいはなくなってしまったそうである。それが復活したのは1930年代で、ナチス政権下で「歴史的な資源」であると大々的にプロモーションされたことで、また知名度と人気が上がったそうである。確かに、クリスマス・マルクトはドイツ的なイベントであるかなと思われる。ナチスになって有名になったが、第二次世界大戦、そしてその後の1948年までは開催されなかった。
 その開始日は12月4日であったのだが、観光客が多くなったので1973年から12月1日に変更されている。1970年代から多くの観光客を集客させていたのだ。会場となっているのは、ニュルンベルクの旧市街地の中心広場とそこに隣接する道路や広場などである。年間の訪問客は約200万人で、これを開催期間の25日間(最終日はクリスマス・イブの24日)で割ると、なんと一日当たり8万人。これはディズニーランドよりも多い数字(東京ディズニーランドは5万人以下)であり、その集客力には驚く。
 さて、このニュルンベルクのクリスマス・マルクトに実際、訪れる。12月22日と、千秋楽の二日前の金曜日ということで相当、混んでいるかなと思ったのだが、駅前のホテルは結構、安い値段で泊まることができたので、遠くからの観光客がそうそう多いという訳ではなさそうだ。とはいえ、ホテルでは多くの中国人、韓国人のお客さんがいて、また、街中に出ると日本語が多く聞こえた。
 実際のクリスマス・マルクトも雨が降っていたこともあり、旧市街地や共通した紅白の模様が施されたクラシックな屋台群もそれほど魅力あるようには移らなかった。屋台群は食事だけでなく、クリスマス関連のものを販売している小売店も多いのが興味深かった。こういうものを土産として買いたい人がいるのか、若干、訝しい気持ちにもなるが、逆に、これらの店がこのクリスマス・マルクトの伝統のようなものを感じさせる。
 中央広場の教会の前にはステージも設置されていて、そこでは家族と思しき人達がクリスマスの歌を合奏していた。玄人ではなくて素人みたいな感じであり、そういう素人感、マーケティングがされていない感じ(逆に裏をかいたマーケティングをしている可能性もあるが)は、地元の人には有り難いが、わざわざ海外から来た人にはそれほど有り難いものではないだろう。
 あと、このニュルンベルクはどうも姉妹都市の屋台も出ているようで、それらが地元料理を提供したりしているのだが、これも地元の人には有り難いが、海外からの観光客には有り難くない。また、閉店時間が20時。これはいくら何でも早すぎるのではないか。法律に引っかかるというところはあるのかもしれないが、こういうお祭りでは例外を設けてもいいのではないかと思ったりもする。
 ということで、それなりにドイツらしさを感じられるクリスマス・マルクトではあるし、ベルリンから一泊二日で来るなら、少なくとも一回ぐらいはいいかなと思うが、海外からわざわざ、これだけのために来るほどの価値はあるとは思えない。あと、より遊園地的な要素が強いが、エアフルトのクリスマス・マルクトの方が個人的には好きである。まあ、街自体がニュルンベルクよりエアフルトの方が好きというのもあるかもしれないが。

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【クリスマス・マルクトの光のサイン】

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【中央駅からクリスマス・マルクトまで向かう道のライティング】

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【教会前に設置されたステージ】

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【伝統を感じさせるような屋台】


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ガルミッシュ・パルテンキルヘンのスキー事情(登山鉄道) [地球探訪記]

ガルミッシュ・パルテンキルヘンに来ている。ガルミッシュ・パルテンキルヘンには二つのスキー場がある。標高2600メートルのツークシュピッツェと標高700メートル〜2000メートルのクラシックである。スキー場としてはツークシュピッツェの方が遥かによい、ということで初日こそクラシックに行ったが残りの3日間はツークシュピッツェで滑ることにした。ツークシュピッツェの課題はアクセスであり、乗換をしないで行くには登山鉄道しかない。
 この登山鉄道は、しかし、それ自体がもう観光資源のように興味深く、面白い。ということで、ここにその概要を記す。
 この登山鉄道の正式名称は、バイエリッシェ・ツークシュピッツェバーンで、ドイツに現存する歯車式鉄道4つのうちの一つである。それはガルミッシュパルテンキルヘン中央駅とツークシュピッツェ・プラッツとを結び、その終点の標高は2650メートルである。この高さはヨーロッパでは3番目に高く、ドイツでは最高である。始発駅と終点駅との標高差は1945メートルであり、この標高差はヨーロッパ一である。ただし、途中からは山の地下をずっと走って行く形になる。
 この鉄道は段階的に開業し、1929年にグライナウと美しい湖水がそばにあるアイブゼーが開業し、そして1930年にはガルミッシュパルテンキルヘンの中央駅からツークシュピッツェ・プラッツまでが開業する。
1987年には新しいトンネルが掘削され、ルートが変更する。そして、現在ではその運行距離は19キロメートルに及ぶ。
 12月末は運行頻度は30分に一本で、これは相当、便利である。ただし、行きは乗換なしで頂上まで行けるのだが、帰りは頂上15時発、15時30分発に乗ったのだが、どちらもグライナウ駅で乗換を強いられた。これはなかなか不便で、直行してもらえたらどんなにか楽なのにと思わずにはいられない。登山鉄道にはスキー板を置くところも外側に設置されていたりするが、片側だけなので、駅のホームが逆側だとスキー板が取れなくなるので要注意である。
 これは2007年には歴史的土木ランドマークとして登録される。

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【ツークシュピッツェ・プラットの駅の様子】

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【車両】

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【歯車式の線路】
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ガルミッシュ・パルテンキルヘンのスキー事情(ゲレンデ面:クラシック) [地球探訪記]

ガルミッシュ・パルテンキルヘン周辺には二つのゲレンデがある。ガルミッシュパルテンキルヘン・クラシックとツークシュピッツェである。このブログではガルミッシュパルテンキルヘン・クラシック(以下、クラシック)のゲレンデの特徴を簡単に記したい。
 クラシックのスキー場だが、ゲレンデへのアクセスは優れている。ガルミッシュパルテンキルヘンの中央駅から一駅、またツークシュピッツェ登山鉄道の駅もある。さらに、中央駅から無料のバスのシャトル・サービスもある。このシャトル・バスは12月下旬では20分間隔で運行しており、非常に使い勝手はよい。ただし、いわゆる市内バスはなぜかここまでは来なく、一番近くのバス停留所からだと10分以上は歩かなくてはならない。
 ゲレンデの麓にはレンタル・スキー場、ロッカー(ディポ)、スキー・スクールなどがあり、非常に便利である。私はここでスキー板を借りて、滑り終わると板と靴(これは自分で持ってきた)をここに預けていたので、宿とゲレンデの間を行き来するのが非常に楽であった。
 さて、ゲレンデであるがその延長距離は40キロメートルとツークシュピッツェの2倍もある。ロープウェイも2本、ゴンドラも2本、リフトが4本、Tバーが8本ということで規模もリフト等も充実しているのだが、私が訪れたクリスマス前後は積雪不足などもあり、一部のリフトが運行中止になっていたことと、滑った日に雨が降るほど暖かったこともあり雪のコンディションはまったくよくなかった。ただ、麓の標高が707メートルとそれほど高くはないのだが、頂点であるオステルフェルダーコプフの標高は2057メートルとなかなか高い。その標高差は1350メートルと、これは日本のスキー場でもない(日本の標高差が最大のスキー場はかぐらスキー場の1225メートル)。
個人的にはオステルフェルダーコプフに届くリフトが運休していたこともあり、その標高差は体験することができなかったのだが、一挙に下るのは相当、爽快であるだろうなと思うのと同時に、なかなか太股的にはきついかなと思ったりもする。
あと、有名なダウンヒルとしてカンダハールのランがあるが、上級者指定ではあったが、ツークシュピッツェの中級者指定とそれほどの違いは感じられなかった。ということで、上級者用のゲレンデに分類されないツークシュピッツェ・ゲレンデであるが、それを理由にクラシックを選ぶ必要性はそれほどないと思う。
それに加え、このスキー場はガルミッシュパルテンキルヘンの街並みと谷の展望は得られるが、ツークシュピッツェのようなアルプスの山々を展望することはできない。一度は滑る価値があるかもしれないが、それでもツークシュピッツェとクラシックのどちらを選ぶといえば前者であろう。私は、4日間滑ったが、初日以外はすべてツークシュピッツェで結果的に滑った。アクセスに時間がかかることが難点だが、それを除けばすべての面でクラシックよりツークシュピッツェの方が優れていると思われるからだ(これは初日を除いて天気に恵まれたからかもしれない。悪天候の時はクラシックの方を選ぶ方がよい場合もあるだろう)。

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ガルミッシュ・パルテンキルヘンのスキー事情(ゲレンデ面:ツークシュピッツェ) [地球探訪記]

ガルミッシュ・パルテンキルヘン周辺には二つのゲレンデがある。ガルミッシュパルテンキルヘン・クラシックとツークシュピッツェである。このブログではツークシュピッツェのゲレンデの特徴を簡単に記したい。
 ツークシュピッツェのスキー場だが、まずゲレンデへのアクセスが難しいことが特徴として挙げられる。直行ルートは登山鉄道のみ。もう一つはロープウェイでツークシュピッツェまで行き、そこからまたロープウェイを乗り継いでゲレンデ(ツークシュピッツェ・プラッツ)へ行くという方法である。登山鉄道はガルミッシュパルテンキルヘンの中央駅そばから走っている。ほぼ1時間15分ぐらいの工程だ。この登山鉄道だが1930年につくられたという代物だが、途中からずっとトンネルの中を走って行く。黒部ダムのトロリーバスのような感じだが、おそらく斜度はこちらの方が厳しい。なんせ、700メートルから2600メートルまであがってしまうのだから。
 そう、ツークシュピッツェのスキー場の標高は2600メートルととても高い。日本のスキー場も木曽駒ヶ岳の千畳敷は2800メートルという高さだが、ゲレンデの規模がまったく違う。その次に日本で高いのは志賀高原の横手山の2300メートルだが、ここに比べてもゲレンデの広さは大きい。そして、横手山は森林限界を越えていないが、ここは越えているのでもう周りは白銀の世界である。そのため雪質は素晴らしい。すぐ近くにあるガルミッシュパルテンキルヘン・クラシックとはまったく別の国のように違う。
 ただし、リフト等は少なく、リフトは6人乗りが2つ、そしてTバーが4つだが、私が行った日で稼働していたのは2つのみであった。コースは13あったが、走行可能は11。ただ、これらのコースの総距離は20キロメートル。中級は13キロメートル、初級は7キロメートルということだが、個人的にはここの中級コースとガルミッシュパルテンキルヘン・クラシックの上級コースとの差をほとんど感じなかった。
 あと、何より素晴らしいのはこのスキー場からの展望である。ドイツ最高峰のツークシュピッツェ山(2962メートル)のお膝元ではあるが、それだけでなくシュネーフェルナーコプフ(2840メートル)、ヴェッターヴァンデック(2698メートル)、アルプスピッツェ(2628メートル)、オステールフェルデーコプフ(2050メートル)という見事な山容の山々に囲まれ、さらにそれらの背景にはオーストリア・アルプスの山々が展望できる。その景観はまさに「神々の遊ぶ天上」というような形容がふさわしいような絶景である。
 リフトの数、そして上級者用コースがないことなどから今ひとつのスキー場というイメージをもたれる方もいるかもしれないが、なかなか見事で素晴らしいスキー・ゲレンデであるとの印象を抱いた。

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【ツークシュピッツェのスキーゲレンデには登山鉄道でアクセスする】

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【ゲレンデからはドイツ最高峰のツークシュピッツェ山を間近に観ることができる】

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【ゲレンデを守るようにそびえ立つシュネーフェルナーコプフ】

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【ゲレンデで最も低いところにあるTバーの乗り口】
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ガルミッシュ・パルテンキルヘンのスキー事情(費用面) [地球探訪記]

ガルミッシュ・パルテンキルヘンにスキーに来ている。ドイツ・アルプスなのでスイス・アルプスはもちろんのことオーストリア・アルプスよりも安いと思われるからだと、以下、今後、行くことを検討する人のためにも費用がどれくらいかを開陳したいと思う。

まず、宿泊費であるがいわゆるAirBNBを予約した。5泊で920ユーロである。日本円にすると(1ユーロ=165円換算)15万円ちょっと。一泊当たりで3万円ということで日本の感覚からすると高いと思われるかもしれないが、他と比べると安い宿であった。宿はキッチン、リビング、ベッドルームの1LDKで、お風呂場は豪華であった。ただ、実は一泊延泊しようとしたら、この宿は一泊でほぼ同額の910ユーロをネットでは掲示していた。なんで5泊分と1泊分が同じ値段を請求できるのか分からないが、そういうことで、決して割高ではないのではと推察される。

次に交通費であるが、リフト券と宿でもらったゲスト券で、ほぼ公共交通は無料であるので、その分の支払いはなかった。ゲスト券をもらう前に駅から宿に行くのには2ユーロ50セントを支払った。

さて、リフト券であるが、これは5日分を購入して280ユーロちょっとと高額であった。日本円にすると(これはデビットからの引き落とし額)45700円ちょっとである。ただ、ガルミッシュパルテンキルヘン・クラシックとツークシュピッツェの両方のゲレンデで使える。登山鉄道にも乗れるということで、確かに日本の価格と比較すると高いがしょうがないかもしれない

あと、スキーをレンタルした。これがデビットからの引き落とし額で24800円である。これも5日分である。

また、レンタルしたスキー等を保管するためのロッカー代が5日間で4200円。

ということで、ざくっとまとめると宿泊代15万(ただ一人換算すると7万5千円)、リフト代46000円、スキーレンタル24800円、ロッカー代4200円で、二人だと30万円弱、一人だと15万円弱ぐらいである。なかなかの値段である。これに実際は、ガルミッシュパルテンキルヘンまでの交通費、食費などもかかる。あと、私はレンタカーをするのを諦めたが、レンタカーをしたら420ユーロ(7万円弱)ぐらいの出費にガソリン代もかかったので、結構の値段になる。今の円安が続くと、ヨーロッパ・アルプスでスキーができる日本人は一部の富裕層だけになってしまうかもしれない。

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ガルミッシュ・パルテンキルヘンのスキー事情(移動面) [地球探訪記]

ガルミッシュ・パルテンキルヘンに来ている。前回のブログ記事で書いたように(https://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2023-12-25)、ニュルンベルクでレンタカーをしようとしたらとんでもない目に遭い、結局、借りずに鉄道で向かった。そして、宿への中央駅からバスで行ったのである。さて、宿は思いがけず、鉄道駅からもスキー場からも離れていて、どうしようと思いご主人に相談すると「タクシーしかないかな」と言う。まあ、しょうがないなあ、と思ったが、実際はそれほど不便でないことが判明した。
 というのは、1)一時間に一本と頻度は悪いが、それでも、宿のそばをバスが通ること。しかも宿がくれたゲストカードで無料で乗れること、2)このバスはスキー場直結ではないのですが、歩いて5分ぐらいのところに停まること、3)スキー場ではレンタルをしたスキーや靴などを置くロッカーが借りられるために、ほぼ手ぶらで宿に帰られること、4)鉄道駅には比較的多くのコインロッカーがあること(最終日に荷物を置いておける)、などが分かり、車がなくても意外に移動は大丈夫だな、ということを知ったからである。さらに、我々は使わなそうではあるが、20分置きに中央駅とスキー場を結ぶ無料のシャトルバスも走っている。おそらく、宿のご主人はバスとか使わないで生活しているのではないかな、と推察する。

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ベルリンは知れば知るほどケッタイな都市である [地球探訪記]

ベルリンは知れば知るほどケッタイな都市だ。まずドイツ最大の大都市でありながら、東ベルリンと西ベルリンとが人為的に分けられ、その後、人為的に統合されたために中心がふたつある。また、東西ベルリンは政治制度も経済システムも異なっていたために、都市の空間的特徴、建築物にも違いが見られる。
 いや、その前に一つのベルリンの時代があったではないか、と指摘されるかもしれないが、第二次世界大戦でベルリンは徹底的に破壊される。そして、どうにか爆撃を回避できた建物も特に旧東ドイツではその後、倒壊され、新たな建物がつくられた。
 こういうことを書くと、いやいや、結構、古い建物が残っているじゃないか、とまた指摘されるかもしれないが、それらは統一後に新たに作り直されたものが少なくない。ベルリン州オペラ劇場、シャーロッテンブルク宮殿、ゲンダルメン広場、ベルリン・パレス、ベーベル広場、旧司令官の家(Alte Kommandantur)などベルリンの歴史を語るような風格のある建物は皆、戦後、つくりなおされたものである。
 また、ベルリンは確かに大都市ではあるのだが、大都市圏は決して大きくない。例えば、ベルリン市とパリ市の市域人口を比較すると、343万人と214人でベルリンの方が1.5倍ぐらい大きいが、大都市圏で比較すると401万人と1253万人とでパリの方が3倍も大きくなる。このような特徴はアレキサンダー広場に立つテレビ塔の上にある展望台から都市を眺めると分かる。ベルリンの周辺でちょっとは人口集積があるのは南西にあるポツダム市ぐらいで、それでも人口は18万人程度である。したがって、展望台からでも市域の境界が分かる。これはベルリンがグリーンベルトを設けているということもあるのだが、市街地の先には緑が広がっていることが目で確認できるからだ。東京の例えば新宿都庁の展望台からの、ずっと市街地が延々に広がっていくような光景とは全く異なる。
 あと、ベルリンはドイツっぽくない都市。パリがフランスっぽいのや、ロンドンがイギリスっぽいのとは全然、異なる。これをドイツ人に言うと、ドイツの本当の都はウィーンだ、と言い返す人もいた。確かにウィーンはドイツ文化の香りがする。ベルリンはベートーベンもバッハもモーツァルト(オーストリア生まれだけど)の響きがまったくしない。食事の名物もカレー・ヴァースト(カレー・ソーセージ)って、どれだけ食生活、貧しいんだよ、という感じである。ドイツ自慢のビールもドイツ平均よりずっと低いし。これは、ドイツ人とかに言わせると、ベルリンは「プロシアの都」であって、ドイツの都ではない、と言う。確かにプロシアの都であるし、そもそも、元を辿ればスラブの都でもある。プロシアは軍事優先政策をとったので、そういう文化の蓄積が他の都市(例えば、ドレスデンやミュンヘンなど)のようにされなかったのであろう。ヴィルヘルム皇帝とかもフランス大好きだったし。
 ベルリンには世界遺産が4つはある。凄い数だ。しかし、それらの多くがほぼ残念、世界遺産であり、日本からわざわざ観光する価値があるものは、よほどその方面に関心がなければないであろう。観光的な価値でも例えばウィーンに比べると大きく劣る。
 まあ、ぼろくそ書いている気がしないでもないが、まだ、しばらくこの都市で暮らすので、気づいていない新たな魅力を発見することができるかもしれない。とりあえず、3ヶ月弱暮らしてのベルリンの印象をここに記させてもらう。

タグ:ベルリン
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コペンハーゲンでラーメンを食べる [地球探訪記]

コペンハーゲンで最近、人気らしいラーメン屋(店名:「ラーメンとビール」)に行く。私は基本、海外で日本食のレストランに入ることは皆無に近い。入る時は、他の人たちが行きたいというのでしょうがなく付き合う時のみである。これは、そもそも海外の外食の日本料理は「高い」、「不味い」、「自分でつくった方が美味い」からであり、何が悲しくて日本に帰国すれば食べられるのに、海外で食べるのかの合理的な理由が分からないからである。さて、しかし、この「ラーメンとビール」は相当、人気があるという現地の日本人の情報もあったので、昼過ぎに近くで用事があったので思い切って入ってみた。もう、コンセプトはもろに日本のラーメン屋という感じであり、空間はチェーンのラーメン店屋よりは雰囲気がよい。流れているのはピーター・ガブリエルの「スレッジ・ハンマー」だったりするのもセンスの良さのようなものを感じさせる。ということで、オリジナルの「塩ラーメン」を注文してみた。一番、外さなそうということでの注文だ。値段も一番、安く150デンマーク・クローネ。これは日本円にすると3320円で、実は人生最高額のラーメンになったかと思う。
さて、運んできてもらったラーメンはチャーシューが二枚に麺、海苔が二枚、そして葱。葱はどうも日本の葱のような細さである。チャーシューは豚の国、デンマークならではの美味しさ。ただ麺が茹ですぎである。これはちょっといただけない。麺自体は上手く、茹でればそれなりかもしれない。スープ自体はそれほど不味くはなく、おそらく野菜出汁なのかもしれないが、出汁が効いてない。鰹節や鰯とかは使うのが難しいのだが、何かデカフェの珈琲のようなパンチがない。改めて、出汁を取る重要性を知る。とはいえ、昔、デュッセルドルフのラーメン屋は猫舌で麺を啜れないドイツ人のためにぬるいスープを出していたが、ここはそんなことはなく、許せる範囲で熱かった。結構、それなりに進化はしているのかなとは思ったが、まあ、日本だったら500円でようやく客が来るかな、というレベルのラーメンだ。3320円を日本人が払う価値はないな・・・ということを、3320円を支払うことで知る。

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デンマークの鉄道の切符をオンラインで買う [地球探訪記]

ベルリンからデンマークのコペンハーゲンまで鉄道で移動することにした。私は、ドイツ国内はバーン・カード100という「ICE(ドイツ版新幹線)を含めて乗り放題」というカードを保有しているのでドイツ国内の分は買わなくてもいいのだが、デンマークの切符は買わなくてはならない。しかし、そのために国境の駅で降りて切符を買うのは極めて面倒臭いな、と思っていたのだがオンラインで買うことが出来るので、その制度を初めて、恐る恐る使ってみた。デンマーク鉄道のオンラインで日時と区間を入力すると、その値段が出てきた。それをクレジットカードの情報を入力すると、私のメイル・アドレスにQRコードが送られてくる。それを印刷してもいいし、携帯で送られたメイルを見せてもいい。
日本のように改札がなく、車内検札で切符の有無を確認するという制度なので、こういうパターンでも大丈夫なのだろう。私のようにドイツでの乗り放題券を持っていて、国境越えをするような旅行をするものには頗る便利である。

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ワルシャワ発ベルリン行きの列車が二時間遅れる [地球探訪記]

ウッチからベルリンまで列車で戻る。ウッチからクトノーまでは普通の都市間列車で行く。クトノーから、ワルシャワ発ベルリン行きの列車に乗り、結構、いい感じで進んでいたのだが、ドイツ国境そばまで来て途中停車。車両が故障したのが理由らしいが、車内放送では最初は60分、次は80分、今は120分待ちに徐々に延長していく。まあ、いつものことなのでそれほど驚かないし、iPadも本もあるし、コンピューターもあるので、全然、退屈しないが、それにしてもなあ。コンパートメントの客に「まあ、ドイツ鉄道のいつものことだし」と言うと、「いやいや、これはドイツ鉄道ではない(ポーランド鉄道)」と返答された。ドイツ鉄道はくそデタラメだけど、外国人に批判されると面白くないのかもしれない。誰もあまり文句を言わないのは、こういう理不尽に慣れているからだろう。私も別に「またか」という感じになっている。しっかり、食堂車で長期停止を想定してコーヒーとかポテトチップス、チーズケーキを購入して座席に戻ると、列車は無事に120分の遅れで動き出す。ベルリンにも無事に120分の遅れで到着する。ちなみに、私はドイツ鉄道にメイル・アドレスを登録しているので、列車が遅れると丁寧にメイルを送ってくる。11分、26分、56分、86分、96分で送られてきたのだが、しかし96分以降はメイルが来なくなった。それ以上の遅れだと何か弁償とかの問題が発生するのだろうか。まあ、慣れているのと面倒臭いので弁償を請求する気持ちにもならないが。

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「旅行嫌い」の人たちに反論してみる [地球探訪記]

朝日新聞の11月2日に興味深い記事が掲載された。「そんなにどこかに行きたいか?」という挑発的な見出しで、「旅行嫌い」の作家の町田康のコメントが載せられたのだ。町田氏の論点は、1.旅行の準備が面倒、2.生産するのが好きなので消費する行為事態があまり好きでない、にまとめられると思う。
 興味深い指摘ではあるし、町田氏のような作家であれば、そういう考えもあるかな、と思ったりする。自分の生活がめちゃくちゃ刺激的で、もう日々の生活で消化できないぐらいの情報量が入ってきて、それへの対応で楽しくてしょうがない、というような人にとっては何でわざわざ旅行に行かなくてはいけないのだろう、と思うのは想像することができる。
 ただ、この記事を書いた朝日新聞の記者までも「納得」と記事をまとめていたり、コメントプラスでサンキューたつおが「鋭い指摘」とか書いていたりするのには、おいおいおい、と思わずにはいられない。そこで私の考えを披露してみたい。
 まず、一点目の「旅行の準備が面倒」という点であるが、ネットがこれだけ発展した今、そんな準備は全然、面倒じゃあない。これが面倒であれば、ちょっとした事務の仕事もすることができないのじゃないか。朝日新聞の記者とかもサラリーマンなので、こんなことでも面倒であれば、ちょっと余計なお世話だが本当に心配だ。私ならまず絶対、採用しないだろう。なぜなら、旅行の準備ではなく、その後の清算事務の方がよほど面倒であるからだ。ホテルや飛行機、列車の予約は簡単だ。その後の清算事務や出張報告書を書くことは本当、面倒だ。私はそういうのが苦手なので苦痛である。したがって、清算事務が面倒なので出張旅行に行きたくないというのなら、まだ分かるが、旅行の準備が面倒?というのは、社会人として致命的に問題があると思う。しかも新聞記者である。情報が取れそうであれば、どこにでも出かけていくのがほぼ本能のようでないと不味いのじゃあないか。
 私は大きく括ればジャーナリストであるかな、とも思うが、そのためには情報収集のためにあちらこちらに行きまくるようにしている。現場で得られる情報が何しろ、一番、情報の質が高かったりするからだ。それでも、新聞記者のような貪欲さがないな、と反省したりすることがあるのだが、旅行の準備が面倒?これは新聞記者に向いてないということじゃないのか。
 あと、旅行が記号消費化しているという側面は確かにあるが、それが嫌であれば、別に旅行に行っても記号消費しなくてもよいだけの話だ。というか、旅行を記号消費として捉えている時点で、もうそういう「旅」素人と議論をする必要もないかな、と思ったりもするのだが、私の場合は、旅行が「仕入作業」に近いので、それは生産する素材のインプットであったりする。もちろん、旅行はそれが与えてくれる刺激や環境変化によって自分自身をも変えさせてくれる。それは自分の器を大きくさせてくれるような変化である。すなわち、自分が生産するために、自分の器を広げて、そこに材料を仕入れるといったような作業が旅行なのだ。確かに先日、高校時代の友人がベルリンに来て、一緒にベルリン歩きをしたが、まあまあ記号消費的な観光をした。国会議事堂、ブランデンブルク門、ホロコースト記念碑、ポツダム広場、アレキサンダー広場、ベルリンの壁、ハッケシェ・ヘーフェ、チェックポイント・チャーリー、ユダヤ博物館を回ったのである。これらランドマークを巡って、そこで写真を撮影して、ただスタンプ・ラリーのように観光記号を消費しただけじゃないか、という批判はあるかもしれないが、この友人は「ベルリンは思ったより大都市じゃないんだ。ベルリンには高い建物が少ないんだ。ウンテル・デン・リンデンは森鴎外の「舞姫」に出てきたあの通りか。ユダヤ人をベルリンは随分と受け入れてきた過去があったから、それの反動のナチの台頭か。」など、いろいろと気付きもあったようだ。そういう気付きは必ずしも、ただの消費とは言えないのではないか、と思うのである。
 私も、今、この記事を、ポーランドを一人旅している最中に列車内で書いているのだが、ワルシャワの王宮の復元を目の当たりにして、ポーランド人の自らのアイデンティティへの執念の凄さにもう驚いたり、ワルシャワ博物館では、第二次世界大戦で破壊された旧市街地の状況をみて愕然としたり、マリア・キュリー博物館では、彼女の家族がほぼ全員、とびきり優秀であったことを知ったり、彼女のロマンスを知ったりと、はたまたワルシャワ蜂起で支援するといったロシアが裏切ることで、蜂起が失敗して皆殺しにされて、やはりロシア人は信じられないな、と思えば、ポーランド分割を正当化する論文を最近、ロシア人が書いているのを知って、やはりロシアという国は人類的に問題だな、という考えをもったりして、ポーランドを旅する前の自分よりずっと賢く、幅も広くなっていると思うのだ。
 まあ、私は町田氏に比べると、日々の生活に大した刺激もないので、そういう旅行に行って補っているというところがあるかもしれないが、それをドライブさせているのは間違いなく知的好奇心である。世の中のことを知りたい、という気持ちが旅行に行かせているのである。
一条ゆかりの『有閑倶楽部』の面々は、しょっちゅう旅行に行く。まあ、作家にとってネタがつくりやすいというのもあるが、彼ら・彼女らは旅行が与えてくれる刺激が人生を楽しませてくれるということを分かっているからじゃあないのか。確かに、旅行に行かないと日々の人生がつまらないのに問題があるんじゃないの、という指摘は一理あるかなとは思うが、それは町田康のような破天荒な人生を歩んでいる人だからこそ、その発言に重みがあるのであって、新聞記者が主張するのは違うかなと思う。中田英寿のように「人生は旅だ」という意見は違うとは思うが、非日常の刺激を得て、自分の視野を広げ、より多くの知識を知るためにも旅というのは極めて重要かなと思うのだ。
もちろん、人によって考え方が違うのはあるかなと思う。私は例えばカレーのルーは使わないし、電子レンジも使わなければ、冷凍食品も食べない。これは、料理が面倒な人には理解できないことかなとも思う。私はどうせなら美味しい料理が食べたいし、美味しい料理を知りたいし、そのために時間をかけたりすることが面倒だとは思わないからだ。むしろ、不味い料理を食べた方が、貴重な時間を損したと思う。同じことが旅行にも言えると思う。私はいろいろなところに行って、刺激を受けて、自分の脳味噌を拡張させていき、より多面的に物事を捉え、考えられる人になりたいとこの年になっても思っている。そのためには、旅行に出かけることはとても有効なのだ。そういう意味で、「人生は旅だ」とは言わないが、旅は人生を豊かにしてくれる、とは言いたいとは思う。もちろん、豊かな人生を送るのが面倒な人はそういうように生きられればいいし、そういう人にとやかく言う資格はないかなと思う。余計なお世話的な意見を言っているかもしれない。 

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ワルシャワからウッチに鉄道で行こうとして混乱する [地球探訪記]

ワルシャワからウッチに鉄道で行こうとして、とりあえず中央駅に行く。何しろ、日が暮れるのが早いので、ちょっとでも早くウッチに到着しようとして9時台の特急で行こうとしたのだ。ただ、どうもその列車は指定席券が必要で満席のようで早くても13時07分発のものしかない。と言われる。ウッチというのは大阪でいえば、和歌山とか姫路ぐらいのものである。そんなに待たないといけないのはおかしいんじゃないか、と問うと、二つ先の駅から乗れ、と言われる。ちょっとよく分からなかったが、これは大阪駅じゃなくて新大阪駅から乗れ、と言われているようなものかな、と思い、二つ先の○○駅まで行く。
 ここでチケットを買ったら9時58分発の列車のチケットを売ってくれた。さて、いろいろと整理はされていないのだが、なんか列車の運営主体が少なくとも3つあることが分かった。私が乗った列車はLKAという会社が運営しているもので、他にもIC(これは普通にポーランド国鉄か・・・ドイツだとIntercityの略ではあるので運営会社ではないのだが)とKMがある。おそらく上下分離をしているのであろう。いや、大外しをしていたら申し訳ないが。あと、てっきり始発かと思っていたが、始発ではなかった。始発ではないとすると、これは中央駅も通っているかと思うのだが、そうするとなぜ、中央駅の切符売り場では売ってくれなかったのだろう。ちなみに、この列車は全席指定ではなかったので、別に満席というようなことは無いはずである。列車もそこそこ空いていたし。なんか理由があるのだろうけど謎だ。
 列車は結構な高速で走って行き、ポーランドの牧歌的な田園風景の中を疾走していった。なかなか列車移動は快適であった。ウッチには時間通りに到着した。

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ポーランド人は交通規則を守る? [地球探訪記]

この一月ぐらいで、ポツナン、ブロツワフ、ワルシャワとポーランドを三回ほど訪れたが、そこで気づいたことは、どの都市も共通して自動車の運転が優しく、歩行者を優先させてくれる。横断歩道では、ほぼ自動車が止まる。これはドイツもそうだが、ドイツよりもさらにしっかりと歩行者の安全を考えてくれるような運転をしている印象を受ける。あと、歩行者がちゃんと信号を守る。信号無視をしているのは私ぐらいだ。これは、ドイツでもそうだが、ドイツとかだと、私につられて一緒に信号無視して渡る人がたまにいるので、ポーランドの方がより規則を守るような印象を受ける。まあ、少ないサンプル・サイズであるが、日本よりはずっと交通規則を守っているような気がする。

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ワルシャワ [地球探訪記]

ワルシャワに初めて来ている。ということで、ワルシャワのことを整理してみた。ワルシャワはポーランドの首都であり、同国最大の人口を擁する大都市。人口は186万人であるが、大都市圏だと310万人である。市域は517キロ平方メートル。東京都区部から足立区と江戸川区を除いたぐらいの面積である。18の地区から構成されている。ヴィスワ川が市内を流れる。
 ポーランドは国として長い歴史を有していることもあり、ポツナン、クラカウ、ブロツワフ、ダンツィヒなど歴史ある都市が多い。ワルシャワはそういう都市と比べると、遥かに歴史が浅い。そもそもは小さな漁村であり、その名前が文献に初めて載るのは1313年である。そして、大聖堂が建つなど徐々に都市としての様相を整えつつあったが、大きな転機となったのは16世紀にジグムント3世がポーランドの首都をクラカウからワルシャワに移転することを決めてからである。この移転はクラクフの王が居住していた城で大火災が起きたことが契機であり、当時、スウェーデン王も狙っていたジグムントはクラクフに比べて、よりスウェーデンに近く、また居住するのに適切な城郭のあったワルシャワに目を付けたのである。
 18世紀のワルシャワは、ポーランドの繁栄の恩恵を被り、「北のパリ」と呼ばれるほど文化・経済が発展していく。しかし、1795年にポーランドの土地はプロシア、ロシア、オーストリアに分割され、クラクフはオーストリア、ワルシャワやダンツィヒはプロシアに属することになる。ちなみに、今のベラルーシのミンスクなども分割前はポーランドの領土であった。その後、ナポレオンによってプロシア、ロシア、オーストリアが蹴散らされ、ワルシャワ公国の首都となる。しかし、1815年にナポレオンが敗走し、ワルシャワはロシア帝国の支配下に陥る。ただし、19世紀後半にはロシア人の市長ソクラテス・スターリンキヴィッツのもとに上水道・下水道が整備され、トラムの近代化、街灯の整備などが遂行され、ワルシャワは発展していく。その結果、1850年から1882年の期間にワルシャワの人口は134%も増加し、38万3000人の人口を擁することになる。この人口は1897年には62万6000人にまで膨れ上がる。これは、ロシアの中ではセイント・ピータースバーグ、モスクワに次ぐ多さであった。そして、第一次世界大戦終戦で、ドイツとオーストリアが敗戦国となったため、ポーランドは独立し、ワルシャワが再びポーランドの首都となる。
 ただし、1939年に再びドイツの侵攻を受け、ドイツの占領下に入る。そして、終戦も間近になってヒットラーはワルシャワの総破壊を命じ、その結果、ワルシャワの85%は破壊され、歴史地区や王宮もその犠牲となった。
 第二次世界大戦、ワルシャワはまさに廃墟から復活の道を歩み始める。住宅不足のためにプレハブ式の集合団地が多くつくられ、数少ない19世紀から戦災を回避できた建物群も社会主義の考えのもとに撤去された。石畳の道はアスファルト舗装され、道幅は大幅に広幅員となった。歴史ある通りもこの社会主義時代に再開発で随分と失われた。一方で、王宮や歴史地区は元の姿に限りなく戻すために、作り直していく。ここらへんの考え方は、社会主義的でなく、なぜそのように取り組んだのかは興味深い。
 ワルシャワの最初の地下鉄が通ったのは1995年と随分、最近である。その後、二本目が2015年に開業している。公共交通をどんどん発展させているのが、今のヨーロッパの都市である。日本は逆行している。この点は本当、面白い。
 ポーランドは2004年に欧州連合に加盟するが、それ以来、ワルシャワは経済発展を謳歌している。人口も1990年の166万人から2022年には186万人まで増えている。もちろん、この増加には、ロシア・ウクライナ戦争によるウクライナ難民の増加が寄与している。
 

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ワルシャワ行きの列車がキャンセルされた・・・がめげずに到着することができた [地球探訪記]

13時51分ベルリン中央駅のワルシャワ行きの列車が、出発10分前ぐらいに「キャンセル」のアナウンスがされた。10分前ですよ!ふざけてんなあ、と思ったけど、取りあえずキャンセル代をもらいにドイツ・バーンのインフォメーションセンターに行ったら、いや、コットブス行きの列車に乗って、フランクフルトで乗り換えればワルシャワ行けるよ、というので、え!そうなの!と思ったが、その列車の出発時間は1分後である。久しぶりに中央駅を本気で走りましたよ。エスカレーターのところも階段で走って登った。コットブス行きの列車は3分ぐらい遅れたので無事に乗れたのだけど、なんで特急列車のダイヤに後続の普通列車が追いつけるんだろう。って、まだフランクフルトに着いていないので、本当に追いつけるかも分かってないのですが。そもそも、コットブスに行くのにフランクフルト経由って、随分遠回りなんじゃないの?東京から高崎に行くのに、八王子経由で八高線で行くようなイメージなんだけど。あと、フランクフルトで乗り換えてワルシャワに行くというのは、東京から沼津まで東海道線で行って、そこで寝台特急「瀬戸」に乗り換えるようなイメージだ。こういうのって、普通のドイツ人でもすぐ分かるのかな?鉄道が普及している日本人でも難しいような気がするんだが。

などと考えているうちにフランクフルトに着いた。フランクフルトといってもオデールの方でマインの方ではない。ホームの隣にしっかりとワルシャワ行きの列車が待っていた。ということで、無事に乗ることができた。一応、指定席を確保しているのだが、そのまま指定の状況になっているのだろうか。まあ、これもそのうちすぐに分かる。

ワルシャワ行きの列車はがら空き。多くの人が旅行をキャンセルしたと思われる。私は3人掛けの真ん中、後ろ向きというほぼ最悪の席であったが、それは、これがほぼ満席であった、ということを暗示している。ちなみに指定席はそのまま有効であった。6人掛けのボックス・シートに私とアゼルバイジャンからの若者の二人だけ。

ワルシャワまでは5時間30分かかるのと到着時間で19時30分と遅いので、食堂車で食事をする。ポーランドの列車の食堂車はどうもキッチンがついているようで、そこで調理をするので美味いのだ、という情報をドイツの知人から聞いたからだ。果たして、鶏料理を注文したが、なかなか悪くなかった。いや、食堂車ということを考えると、相当美味しいかもしれない。ビールを呑んでほろ酔い気分になって、アベルバイジャンの若者と話をしていたらワルシャワに無事、到着した。時間通りである。

ワルシャワには以前、2009年に当時、住んでいたデュッセルドルフから夜行列車で向かおうとしたことがある。そして中央駅で列車を待っている時、ちょっとホームにある時刻表をみていた瞬間に、スーツケースが消えていた。まさに「マジック」という感じであった。それで、もうその時はワルシャワに行くのは断念して、真夜中に警察署に行って盗難届を出したという苦い思い出がある。スーツケースの中には、交換用のレンズが入っていた。あと、スーツケース自体がいい値段をした。ということで、なかなか縁のないワルシャワであるが、今回も列車が運行中止になった時は「またか!」と思わせられた。ただし、ホテルのキャンセル料がかかるので、本当、頑張って行くようにしてよかった。

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ブロツワフの夕食 [地球探訪記]

ブロツワフの夕食は、これはポーランド料理だろうということで、市場広場のそばにあるコンスピラ(Konspira)に行く。ここは23時45分までやっているということで、他の多くの店が20時閉店であることを考えると嬉しい。さて、お店に行ったのは19時15分ぐらいだったのだが、15人ぐらいの行列ができていた。多少、躊躇したが本を持っていたのと、せっかくだからしっかりとしたポーランド料理を食べたいと思って列に並んだ。さて、前のカップルが二組ほど途中で脱落してくれたお陰で、それほど待たずに入ることができた。ただ、どうも一人で外食、というパターンがあまりないようで、「一人で座るところはないんだけど」と言われて、「展示物が置いてある机でよいか」とまさにガスマスクやコンピューターなどの展示物が置かれている机を指して、ちょっとこれは躊躇したが、まあいいや、と思ってそこに座る。どうも、お店に入って分かったのだが、ここはソ連共産主義に支配されていた時代の反共活動の歴史関連資料をも展示しているらしく、それ関係の展示のための机に座らせられたらしい。
 さて、机はひどいがサービスはそれほど悪くなく、500mlのビールと豚のネック・ステーキを注文した。それにピクルス、ジャガイモ、赤カブの煮物が出てくる。ソースはキノコソースである。さすが行列ができるだけあって、なかなか美味しい。というか、やはりドイツ料理よりは美味しいと思う。素材はほとんど同じだが、レシピがポーランドの方が、気が効いている。これは、以前からそう思っていたことだが、再確認する。
 なお、料金は2500円ぐらいか。支払いの時にポーランドではチップを取るのか、と尋ねたら、取るというので1割ぐらいでいいか、と言ったら嬉しそうに「いい」、と答えたので、ほぼドイツと同じ感覚でいいのかなと捉えた。

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<店の前には長蛇の列>

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<ネック・ステーキ。ドイツより美味しいと思う>
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ポーランドのトイレ事情 [地球探訪記]

ヨーロッパの国に行くと、心配になるのはトイレである。というのも、トイレが有料である場合が多いからだ。なるべくホテルで済ませるのが好ましいが、そうでないと結構、苦労する。今回のブロツワフでも列車内のトイレが壊れていたので、駅でしようとしたら、ドイツと同じ有料であった。そのためにコインを両替するのは嫌だったが、クレジット・カードが使えたので、これは上手く回避する。さて、ブロツワフは10月中旬だと結構、冷えていて手袋なしでは厳しいくらいだ。つまり、トイレに行きたくなる頻度が高くなる。マーケット・ホールでちょっと自然に呼ばれたので、トイレに行くと、ここもコイン制だ。ここはクレジット・カードが使えない。これは不味いな、ということでトラムに二駅ほど乗って、ショッピング・センターに行く。ショッピング・センターであれば有料でもクレジット・カードが使えると思ったからである。さて、しかし、なんとショッピング・センターは無料であった。これじゃあ、人はマーケット・ホールでなくてショッピング・センターに買い物に行くな、と思う。街中を歩いていて公衆便所を見つけたが、これもコイン制であった。まあ、今回も前回もポーランドの一泊旅行では現地のお金を両替しなかったが、これからはしておいた方がいいな、とトイレの状況を考えて思わせられた。

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ポツナンで餃子のような郷土料理「ピエロギ」を食す [地球探訪記]

ポツナンでの昼飯は、餃子のような郷土料理を食べた。結構、人気のあるお店で、店内が小さいということもあるが、相席で座らないと椅子がないような状況であった。ただ、ほとんどの客がポーランド語を話さず、拙い英語で会話をしていたので観光客に有名なお店かもしれない。ちなみに、お店の人は相当、流暢に英語をしゃべっていた。この料理はピエロギといい、まさに茹で餃子だ。ただ、皮は日本で食べる茹で餃子の方が美味しいと思う。中身はいろいろと異なり、私はほうれん草とフェタ・チーズ、マッシュルームとじゃがいも、鶏とターキーの3種類のものを注文した。サワー・クリームをトッピングで注文して、それにつけて食べた。なかなか悪くない。また、ここではサクランボの実がそのまま入っているチェリー・ソーダのようなものを注文したのだが、これは美味しかった。中央駅でもこれが売っていたら買おうと思っていたのだが、それは見つからなかった。また、機会があれば飲んでみたい味であった。改めて、ドイツよりポーランドの方が料理は美味しいな、ということを確認した。

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ポツナンで食器を購入する [地球探訪記]

ポツナンで、ポーランドの陶器屋を見つけた。ポツナンの「ハンドメイド」というブランドだ。ポーランドの陶器は有名だ。ちょっと女性っぽいというか可愛らしい意匠が施されている。私は基本、コスタ・ボダとか北欧系の食器が好きだが、現在、借りているアパートの食器が今ひとつなのと、北欧での食器を揃えると予算的に厳しいので、ポツナンで小さい皿、大きな皿、シリアル用のボール、それにマグカップを購入した。皆、同じデザインのものである。これで120ユーロちょい。2万円弱というところか。ちょっと前だったら現地で仕入れて日本で売ったら利益が出ただろうが、今だと厳しいかもしれない。

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ベルリン中央駅から特急列車でポーランドのポツナンに向かう [地球探訪記]

水曜日から大学に顔を出さなくてはいけない、ということで、一泊二日でポーランドのポツナンに行くことにした。とはいえ、ベルリン中央駅を出発したのは16時ちょっと前なので、実質的には火曜日にポツナンを回ることになる。到着時間は18時30分ちょっと過ぎ。所要時間は2時間40分というところか。東京―大阪を新幹線で行くぐらいの行程だ。ポーランドは14年ぐらい前にデュッセルドルフに住んでいた時に、クラカウとアウシュビッツに行ったことがある。また、その時にワルシャワに夜行列車で行こうとして、デュッセルドルフ中央駅で時刻表を見ていたら、荷物を置き引きされて、結局、断念したことがある。カメラのレンズをいれたバッグを取られた。それ以来、ワルシャワには絶対、行かなくてはと思っていて、今回もワルシャワに行くことも考えたが、列車で片道5時間近くかかるということで、今回はポツナンだけにした。ポツナンはポーランド五番目の歴史ある都市ということで楽しみだ。
 列車は二等車。6人乗りのコンパートメントで指定席である。ベルリンから国境のオデール川まではパンケーキのように平らである。鉄道はベルリンの市街地はゆっくりとのろのろと走っていたが、市街地を抜けて森に入るとなかなかのスピードで走り始める。ベルリンの周辺は赤松が広がる。景色は単調である。
 小一時間ほどでフランクフルト(オデール)に着く。国境の町である。20年ほど前は結構、人口減少が激しかった都市だが、その後、ベルリンの再生とともに、ベルリンのベッドタウン的な位置づけでまた元気になってきた、という話を聞いたことがある。
 フランクフルトを過ぎ、ベルリンを発ってほぼ1時間でオデール川を越える。新幹線で渡る大井川や天竜川の方がはるかに迫力はある。川の流れは緩やかで、どんよりとして何か重い感じを見る者に与える。
 ポーランドに入っても相変わらず平らで松林が続く。たまに松の中に白樺が見えたりする。ポーランドに入って最初の停車駅はRzepinであった。ポーランド語なのでまったく発音が分からない。ただ駅舎の建築様式は明らかにドイツと違う。細かい煉瓦づくりの建物であり、煉瓦の色もサーモンピンクで、どことなくか弱さと繊細さのようなものを感じる。窓もドイツのように無骨だが機能的といった感じではなく、柔らかく隙間風とかを入れそうな印象を受ける。この駅のある街は大きいのか小さいのかが分からないが、ちょっと寂しい感じである。まあ都市ではなく町という感じである。人口は2万人ぐらいだろうか。
 車内放送もポーランド語になる。ただ森の様子はほとんどベルリン周辺と同じだ。ただ、道路がドイツと比べてずっと貧相になる。そして、踏切が増える。電線の鉄塔とかも貧相である。全般的にドイツの50年ぐらい前か、という印象だ。とはいえ、ここらへんは第二次世界大戦以前にはドイツ領土であったと思われる。ここらへんは、ちょっと勉強しないといけないな。
 次に停車した駅はSwibodzin。これもまったくどうやって発音していいかも分からない。ここも都市というよりかは町という感じである。都市的な施設などは見当たらない。森林が伐採された後に広大な農地がつくられたといったような景色の中を鉄道は走って行く。車窓としては、それほど面白くはないが、初めてのところなので興味は惹かれる。
ポーランドに入って三番目の停車駅はZbaszybek 。ここは多少は駅舎が立派であり、乗換駅でもあるようで、4階建てのビルが駅周辺にあったりする。工場と思しきものもあり、ここは都市的な産業がある程度、集積しているのであろう。
 だんだんとポツナンに近づくにつれ、太陽光発電をしているところが多くなってきた。まあ、ロシアに依存できなくなっているということも関係しているのかもしれない。
 そしてポツナンには時間通りに着く。周りは暗くなっているが、ベルリンと違って晴天である。



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ソウルを訪れ、なかなかのガストロミー都市であるな、と感心する。 [地球探訪記]

家族サービスでソウルを訪れた。三日間だけの滞在であるが、家族が食べたいものを食べるという基本、グルメ的なツアーとなった。備忘録も兼ねて、その食事録をここで披露させていただくことをお許し願いたい。
まずは一日目であるが、前日の夜遅くに南出門そばのホテルに到着したので、朝食はホテルそばの南出門市場そばのお店に適当に入った。何の事前情報もなかったのだが、ちょっとお店が清潔そうだったのでお腹が空いていたこともあって入ったのである。入ったら、どうも開業前だったようで、我々が入ったことに店員のおばさんは驚いていたが、そのまま入れさせてくれた。ここでは豆腐チゲと大きな水餃子のようなものを注文した。さて、それらを食べて美味しくて驚いた。水餃子もそうだが、豆腐チゲがもう絶品である。豆腐の美味しさが見事に出ている。これは、随分といい店に入ったようだ。店で働く人はシェフを含めて全員中年の女性である。名前がハングルなので読めないのが残念だが、ここはソウルで駐在していたら常連となりたいようなお店である。
お昼はスキップをして、早い夕食は鐘路区の参鶏湯の有名店「土俗村」を訪れる。人気店なので並ぶかなと危惧していたが、店が馬鹿でかいので、すぐ入れた。ちなみにメニューは4種類しかない。鳥が白肉か黒肉、また朝鮮人参を入れるか入れないかである。私は朝鮮人参を入れて黒肉の鳥にした。参鶏湯は日本でも食べたことがあり、結構、好みである。本場のも大変、美味しかったが、いかんせん、朝鮮人参の味が強烈だ。味を楽しみたいのであれば、朝鮮人参を入れない方がいいかもしれない。医食同源という言葉が頭に浮かぶ。食べると身体が健康になったような気がする。これで料金は3000円前後であるから、コスパは素晴らしいと言ってよいだろう。
二日目の朝食は明洞にある瑞源という鮑粥屋を訪れる。9時ぐらいに訪れたのだが、既に行列ができていた。行列に並んでいる多くのお客さんが外国人であったが、一部、韓国人の方もいた。ただ、この韓国人が地元の人か観光客かは私には区別がつかなかった。外国人の中でも、圧倒的に多いのは日本人だ。我々の後ろにも、娘二人とご両親という日本人の家族連れが並んでいたが、お父さんが「こんなに並んで美味いのか。素人が来るような店じゃないのか」とぶうぶう文句を言っていたが、最終的にはお父さんと一人の娘は待つのを止めて、お母さんともう一人の娘だけが並んだ。結果的には、このお父さんの判断は大間違いであった。というのも、ここの鮑粥、半端ではなくて美味しかったからである。しかも2000円ちょっと、という円安の日本でも考えられない破格のコストパフォーマンスである。再びソウルに来る機会があったら是非とも再訪したい美味しさである。
二日目の夕食は、サムギョプサル。これは肉好きの奥さんの強い要望で行った。インターネットでサムギョプサルの美味しいお店を検索したら、ホテルのすぐ目の前にあるお店が極めて高評価であったのでそこに行く。19時頃に訪れると、既に行列が出来ていた。15分ぐらい待って、席に案内される。サムギョプサルとキムチ・チゲ、冷麺などを注文する。サムギョプサルはなかなか美味しかったが、それほど感動するものでもなかった。ただ、キムチ・チゲはおそらく人生食べた中で最も美味しいか、と思うぐらいであった。これは、そんなにキムチ・チゲを食べたことがないからだと思うが、流石、現地で食べると美味しいなということを改めて認識させられた。料金も一人3000円ぐらいでリーズナブルである。
三日目の朝食は、次女が食べたいというのでキンパ。キンパとは太巻きみたいなものだ。さて、日本でも太巻きのお店を探すのが大変なように、韓国でもなかなかキンパのお店はない。ということで、普通の定食屋のようなお店に入り、キンパを注文する。まあ、可も無く不可も無し。
三日目の夕食はカムギャタン。初日の朝食で入ったお店がとても美味しかったので、ここは夕食でもまず美味いだろうと思い訪れる。注文したのはカムギャタン。カムギャタンは新大久保の松屋でしか食べたことがない私からすれば、驚くほど美味しかった。そして、三人で分けるほどの量である「中」サイズを注文しても4000円もしない。このコストパーフォーマンスは素晴らしすぎる。サービスもとても気持ち良く、ソウルに駐在することがあれば二日に一度は訪れたいようなお店であった。店名が韓国語でここでは紹介できないのが、心苦しい。

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<参鶏湯>

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<鮑粥>

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<サムギョプサル>

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<カムギャタン>

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ダナンの空港でトランクを持ち忘れるという失態を犯す [地球探訪記]

早朝便でハノイからダナンに着く。バッゲージ・クレイムでトランクを取ったけど、その後、なぜかトランクをそこに置いたままで空港を出てタクシーを拾ってホテルに着いて、トランクがないことに気づいた。その時点では、タクシーを斡旋するおっさんにトランクを渡したのだけれど、おっさんがトランクに入れ忘れたのだろうと思っていた。そこで、タクシーのおばさん運転手に空港に戻ってもらい、探してもらった。おばさん運転手は警官などにも話をしてくれた。警官を含めて、おばさん運転手も、タクシーを斡旋するおっさんも英語がしゃべれなかったが、スマホに入っているソフトの翻訳機能を駆使して話をした。
 警官は防犯カメラをチェックしてくれたら、なんと、トランクを持たずに空港から出ている自分が写っていた。というか、なんでトランクを持たないで移動できたかが自分でも分からなく、自己不信に陥ったが、トランクはどうもバッゲージ・クレイムのところにある確率が高いことが分かった。そこで、バッゲージ・クレイムのところに入ろうとすると、警備員に入れないと言われる。しょうがないので警官のいるところに戻り、一緒に来てもらうようにする。そこで警官に説明してもらうと、警備員は私は入れないが、代わりにバッゲージ・クレイムのところに行ってもらい、ベトナム航空の職員に私のトランクを持ってきてもらった。そこで、無事にトランクを手に入れることができたのだが、私はこれまで50カ国以上は旅していて、結構、治安の悪いところも行っているのだが、実は、盗難に遭ったのはデュッセルドルフ中央駅で夜行列車を待っていた時と、学生時代のオーストラリア旅行とホーチミンの三回だけである。特にホーチミンはなぜか大勢のおばちゃんに取り囲まれて慌てていたら、カメラバックからレンズを取られたという集団的なスリ事件に遭遇している。したがって、ベトナムでは他国と比べても、スリとかに気をつけなくてはと注意しているのだが、100%自分のミスでトランクを忘れるとは、本当に情けない。とはいえ、半分以上諦めていたのだが、見事、取り戻すことができてそういう意味ではありがたい。特に、タクシーのおばさん運転手や、空港の人達が警官を含めてとても親切だったのはちょっと驚きだ。アメリカだったら、決してこうはならなかっただろうと思う。ベトナムの人達の情に触れて、それは嬉しくて有り難かった。

タグ:ダナン空港
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ハノイに来てアホなタクシーにストレスを覚える [地球探訪記]

ハノイに来た。ベトナムはホーチミンには二回ほど行ったことがあるが、ハノイは初めてだ。二回ほど来たが、二回ともまだ会社員時代の時だったから20年以上も前の話である。まず、ハノイの国際空港がとても近代的だったので驚いた。随分と、前回のベトナム訪問からベトナムも発展したのかなという印象を受ける。ホテルは空港のそばのを予約したつもりだったが、どうも3キロメートルは離れている。3キロの夜道は日本でも歩きたくない。ということで、タクシーで行くことにする。
 ベトナムのタクシーは20年前の感覚だと油断できない。空港でそのまま拾うとろくなことが起きない予感がするし、もう22時を回っているので、そういうトラブルは勘弁だ。ということで、空港のトラベル・センターのようなところに手配してもらい前払いのタクシーに乗ることにした。割高だが、保険のようなものだ。
 ということで、タクシーに乗ってホテルに向かったのだが、このタクシー運転手は酷かった。まず、全然、違うホテルに連れて行って、「ここだ」と言う。3キロどころか300メートルも走っていない。こちらは、またグーグル・マップで武装しているので、「全然、違う」といってグーグル・マップを示す。さて、ここで多くの日本人はこれで問題が解決したのだろうと思うだろうが、そうは問屋が卸さない。というのは、こちらのタクシー運転手は地図が読めない。ということを、私は若い時にクアラルンプールのタクシー運転手に都市の地図を書かせた研究をしたことがあるので知っているのだ。その調査から30年ぐらいは経つが、やはり彼も地図は読めなかった。したがって、Uターンして真っ直ぐ、と英語で説明するのだが、当然、英語は通じないので、身振り手振りで教える。この運転手はあまり納得できなかったようで、やたら電話をしたのだが、なんかホテルの名前は通じたので、どうにかたどり着くことができた。結構、ストレスを覚えて、怒りをぶつけたいのを我慢できた。まあ、怒るとこちらもダメージを受けるので。
 さて、ホテルはなんか場末のラブホテルのようなところだった。クーラーもなく、なんだかなあ、という感じである。

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メキシコ・シティのタクシーとウーバーだと4倍ぐらいの料金差がある [地球探訪記]

メキシコ・シティに来た。国際空港からコヨアカンのホテルまでタクシーで行った。もう空港に着いたのが2時頃で、公共交通という選択肢もなかったからだが、空港のタクシー会社でコヨアカンまで連れて行ってくれ、と言うと料金は650ペソだと言う。この遅い時間だし、50ペソほどチップで払ったので700ペソかかった。1800円ぐらいだ。
帰国する時も同じホテルから空港までタクシーを呼んでくれ、とホテルの人に頼むとウーバーを呼んでくれた。その値段は157ペソであった。チップを3ペソ払ってくれ、と言われる。ウーバーは確かに普通の自動車であったが、まあタクシーと基本的なサービスは同じである。ただ、このウーバーは、クレジット・カードは使えずに現金のみであった。帰りは夕方のラッシュ時だったので時間は随分とかかったが、料金は最初の提示どおり157ペソであった。随分と安上がりだ。コインをお釣りでもらっても邪魔なだけなので200ペソで残りはチップとしてあげておいた。157ペソと650ペソ。同じ距離でほぼ同じサービスなのに4倍も違う。まあ、英語がほとんど通じないので空港で自分でウーバーを呼ぶのはなかなか治安がよくないメキシコやブラジルでは厳しいかもしれないが、ホテルとかで現地の人に交渉してもらうのであればウーバーの方がずっと便利だな、と思った次第である。

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久しぶりに成田空港の全日空での国際カウンターを利用したら、あまりのサービスの劣化に驚いた [地球探訪記]

ブラジルに行くので久しぶりに成田空港発の国際線を利用した。昨年も二回ほど海外に行っているが、両方とも羽田であった。利用したのは全日空である。ブラジルまではアメリカ経由である。カウンターでチェックインをする。「ESTAかVISAのどちらで入国するのか」と聞かれたので「ESTA」と回答すると、「ESTAが登録されていない」と言ってくる。いや、そんな筈はない、と言ってコンピュータを取りだして、ESTAからの返信メールを見せると、「最近、ESTAの偽サイトがあるんで、そちらにされたんじゃないですか」と言ってくる。ESTAに登録されてないなら一大事である。しかし、ESTAのホームページにアクセスすると、どうもしっかりと登録されている。なんか、このカウンターの女性の方が「偽」なんじゃないか、と思ったので、悪いけど変わってくれ、と言う。
 いや、まず、ESTAに登録されていないような一大事の要因を私が勝手に「偽サイト」にアクセスすると短絡的に判断するような人は、私のチェックインの手続きでもどんなミスをやらかすか分かったもんじゃないからだ。そこで、違う人が対応してくれたが、この人もなんかいろいろと首を傾げたりしていて、あまり信頼できなかった。結局、当たり前だがESTAはしっかりと登録されていて、何が彼女に「ESTAが登録されていない」と思わせたのかは分からなかったが、どちらにしろ、ちょっと前までだったら全日空のカウンターではまず経験しなかったようなことを経験した。まるで、インドネシアかマレーシアのチェックイン・カウンターのようである。
 私も若者相手の仕事をしているので、最近の若者の劣化は目に余るものがあるな、と思っているが、まさか全日空にまで及んでいるとは想像の外であった。全日空なんて優秀じゃないと雇用されないだろう。その選りすぐりの社員でも、こんなに駄目かと思うと、本当に日本の将来が心配である。

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リモワをドイツで買おうとしたけど、あまりにも品数が少ないので諦めた [地球探訪記]

持っているリモワのスーツケースが壊れたので、せっかくドイツにいるので新しいのを買おうとドイツ出発日にフランクフルトの「銀座」であるハウプトヴァッフェを訪れる。まずはゲーテ・シュトラッセにあるリモワ専門店を訪れる。しかし、品数は本当、少ない。私が欲しいようなタイプはまったく置いてない。店員に尋ねると、今は在庫が少ないのでガレリア・デパートに行くといい、と言われる。え!リモワ専門店なのに無いとはどういうことだろう。

とはいえ、ハウプトヴァッフェ駅前のガレリアを訪れる。リモワはなんとスーツケース売り場ではなく、1階のブランド品売り場で売られていた。相当、儲けているのだろうなあ。さて、しかしガレリアにもほとんどトランクは展示されていなかった。展示されているものは、皆、今ひとつでドイツであっても敢えて買う必要はないようなものだった。

店員になぜ、こんなことになったのか?と尋ねると、最近、リモワのスーツケースが世界中で売れまくっているからだそうだ。圧倒的な需要過多に供給不足。リモワは丁寧につくっているので需要があっても、そう製造量を増やせないそうだ。確かに、これまで2年半ぐらい旅行に行くことが難しかったのでスーツケースの需要もなかったが、急に旅行ができるようになっているため、スーツケースが必要となっているのであろう。しかも、リモワは一度買うと、ずっと保証されるから、みんな買いたがるんだ、との説明もしてくれた。

しかし、リモワのスーツケース。ドイツでも1400ユーロぐらいの値段であった。税金を除いたとしても、相当の値段である。これは、日本だと幾らぐらいで売っているのだろうか。まあ、こういう状況なので、スーツケースを新しく買うのは諦めて、壊れたものをとりあえず修理に出してみるか。そもそもリモワのスーツケースは一生ものというのが売りなので、新しいのを買うという選択肢は、よほど修理不能でない限りはないのかもしれない。

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今日もドイチェ・バーンにはやられる。もうレンタカーしようかな。 [地球探訪記]

シュテンダールという町で13時に待ち合わせ。ベルリンからは特急であれば1時間ちょっとで行けるところにある町である。成田とか小田原みたいな感じの都市であろうか。さて、ベルリンのシュパンダー駅に10時30分頃に出発しようとする。11時ちょっと過ぎの列車に乗れば、ラッテナウという駅に12時ちょっと前に到着し、そこで乗り換えれば12時16分に着く。乗換の時間が6分と短かったのは気になったのだが、それ以外にはないということで、この列車に乗る。さて、列車は駅に止まるたびに遅れ、結局、20分ぐらい後にラッテナウ駅に着いた。連絡を待ってくれているかと期待したのだが、待っていなかった。次の列車は13時01分発で13時15分に着く。先方に連絡し、謝って待ってもらうこととする。タクシーで向かおうとも思ったが、ラッテナウからシュテンダールまでは30キロメートルぐらい。タクシーの運転手に幾らか尋ねると80ユーロから90ユーロぐらいだ、とのこと。15分待ってもらうのと、80ユーロ(約1万円)とを天秤にかけて、ここは15分待ってもらうという相手への失礼は80ユーロほどではないだろうと判断をし(会社員だったらそのような判断はしなかったとは思うが)待ってもらうこととする。
 さて、それであればまだよかったのだが、この列車が遅れた。約30分ぐらいである。ということで結局45分も待たせてしまった。これは大顰蹙を買ってしまったところなのだが、先方もドイチェ・バーンじゃしょうがないよね。あなたも被害者だ、と言ってくれて責められることはなかった。
 ということで、もう懲り懲りに近い気分になっている。次回からは、もうレンタカーにしようかな。

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