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京都サービスが悪すぎるだろうシリーズ(7) [京都生活]

家から2分ぐらいのところにある人気の居酒屋を同僚と訪れる。水曜日の9時過ぎ。「予約してないけど入れます」と関東弁でお願いすると、ちょっと躊躇しつつも「すいません、席が埋まってまして」と断られる。まあ、人気店なのでしょうがないな、と思い「すいません、今度は予約してきてから来ますね」と言って去ろうとすると、「あ、すいません。狭いですがテーブルだったら空いていますから」と言われて、二人のテーブルに案内される。「今度は予約してきてから」が効いたのだな、と納得。とはいえ、「狭いテーブルなのに申し訳ありません」と何度も言われると、結構、追い出そうとしたことを気にしているのかなと思ったりもする。お勘定の時、「お車呼びます」と言われたので、そのときは自信を持って「隣の通りに住んでいるので」と堂々と言うと、「本当、テーブルが空いているのを忘れてすいませんでした」と丁寧に謝れる。まあ、関東からの観光客と誤解したんだな、と再度、確認する。いや、別に入れて美味しい食事とお酒にありつけたからいいけど、本当、京都の店は客を見るな、とつくづくと思う。ちなみに、この店の請求額は納得のお値段であった。というか、いい店に入れてラッキーだった。
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京都サービスが悪すぎるだろうシリーズ(6) [京都生活]

烏丸御池で同僚と酒でも飲もうと繰り出す。繰り出すといっても、二人とも最寄り駅は烏丸御池駅なのだが。さて、目指した居酒屋が閉まっていたので、食べログをチェックして、料金の平均が2000〜2999円の場所に行く。この居酒屋、カウンターのみなのだが雰囲気が抜群によく、大衆居酒屋的な気の置けなさを感じさせつつ、仕事はしっかりとしてるぞ、という迫力を感じるような、まあ居酒屋としては極めて正統派的なお店であった。入店する時、「お仕事の帰りですか?」と尋ねられる。きたきたきた、我々がよそ者かとのチェック質問だ。堂々と「そうです」と答える。まあ、本当だからな。さて、注文しようとすると、ほとんどないんですよね、と言われる。これは、歓迎されない証拠だ。とはいえ、あるものを出してください的なオーダーをする。刺身はトリガイ、締め鯖、マグロなどだ。わさびステーキやうざく、なども注文する。そして、名物らしい出汁で味付けした焼きそば(これは美味しかった)なども注文し、結構、お腹いっぱいに食べた。そして、お酒も上喜元、黒龍、〆張鶴などの美味しいどころを注文する。いやあ、いい酒も揃えているなあ。ということで、十分いい時間を過ごしてお勘定を頼む。さすがに、これだけ飲んで、食べたら一人7000円ぐらいはいくだろう、と思ったら二人で24000円請求された。確かにメニューには値段は書いていないが、いやあ、これはぼったくり過ぎだろう。そんなに来て欲しくないタイプの客なのか。二人ともこの店から5分以内のところに住んでいるのに!とはいえ、黙って支払いました。そして、普通ならここで二度と来るまい、と思うのだが、家から近くて、こんなに素晴らしいのであと二回は行ってやろう、と思っている。ただし、三回目もそれだけの額を請求されたら「二度と来るまい」にならざるを得ない。というのも、このお店、素晴らしいが流石に12000円払えば、京都にはここよりもいい店があるからだ。また、行った時はその顛末をこのブログでも開陳したいと思う。

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「京都市営地下鉄」対「京阪電鉄」。どちらが正しい戦略をとっているか? [京都生活]

京都市の公共交通の採算性が悪化しているようだ。そこで、京都市営地下鉄は運賃の値上げをした。それに対して京阪電鉄は運行本数を減らした。京都市営地下鉄は5区間ある運賃の値上げ幅を過去最大の30円とするそうだ。一方の京阪電鉄は私が生活している京都市内だと、10分間隔が15分間隔へと減便されている。
京都市営地下鉄はまだ値上げをしておらず、これからだが、これはどちらの判断が正しいのだろうか。京都新聞などは、京都市営地下鉄は全国でも最も高い運賃となる、などと批判しているが、正しい判断をしたのは京都市営地下鉄であって京阪ではない。京阪の方がむしろ利用者に不利益をもたらしている。
 というのは、交通においては時間弾力性の方が価格弾力性に比べるとはるかに大きいからだ。すなわち、到達時間が短くなることによってその需要は増え、それが長くなると大幅に需要が減る。価格はある程度、高くなっても需要は減らないし、安くしても需要は増えない。これは交通のタイプによって異なり、一番、時間弾力性が大きいのは「通勤・通学」であり、「レジャー」は「通勤・通学」に比べると価格弾力性が大きい。
 この社会実験はなかなか大変なので事例がないが、ボストン大都市圏で実施されたものがあり、その結果、私が上述したような傾向が顕著に伺えた。そして、これは私の行動パターンを考えても同じことがみられる。私は待ち時間を除けば、京阪でも京都市営地下鉄でも、ほぼ同じ通勤時間である。ただ、京都市営地下鉄の駅からの通勤通路はもう工業地帯のような郊外的な景観を歩くのに比して、京阪の場合は京都市役所周辺の寺町通りというもう「ザ・キョウト」的な景観を歩くので精神衛生上は京阪で通いたい。しかし、この10分間隔から15分間隔へと運行ダイヤが変更したことで、ほとんど京都市営地下鉄を利用するようになっている。というのも、この5分間、運行間隔が延びたことで、私の駅での待ち時間が私の忍耐能力を超えてしまったからだ。というか、そもそも10分間隔でも相当、厳しかったが、その閾値を超えてしまったのだ。
これを少し、モデル的に考えてみたいので、苦痛期待値という指標を導入して、計算を試みたい。ここで苦痛期待値とは、1分間待つことで1(苦痛)を得ると考える。すなわち、10分待つと10苦痛である。すると、10分間隔だと、その苦痛期待値は(10×10)/2=50となる。15分間隔だと(15×15)/2=112.5となり、平均待ち時間は5分から7.5分に増えるだけだが、苦痛期待値はなんと2.25倍と2倍以上に増える。待ち時間は1.5倍に増えただけだが、苦痛は2倍以上も増えてしまうのだ。
また、コスト面からも比較したい。私の時間価値を1分=50円としてみたい。これだと時給3000円ぐらいの数字となる。ここで、平均待ち時間が2.5分増えることで125円の損失だ。これに比べれば30円の損失などまったく問題ない。というか、30円より待ち時間2.5分の方の損失が少ないのは、時給720円以下ということになる。時給720円というのは最低賃金以下だ。そんな人はいない。
もちろん、中学生や高校生にとっては大きなダメージがあるかもしれない。それであれば、通学定期を大幅に安くすればいいのである。そして、むしろ価格は30円以上に上げてもいいぐらいだ。自動車へのモーダルシフトが気になるのであれば、駐車場代に税金を課せばいい。場合によっては、ガソリン税を公共交通の赤字補填に使うべきである。アメリカ合衆国でもISTEA法、TEA21法でそのような対策を取っていた。
そもそも、公共交通において黒字を期待するというのが、全世界的に狂気の沙汰に近いことである。なぜ、このような理不尽な要求がされるかというと、日本は全世界的に奇跡的に公共交通で黒字を出しているからだ。まあ、これは非人間的な満員電車を人々が堪えてきたからであって、必ずしも喜ばしいことではない。
ということで、この場合、政策的にも経営的にも京都市営地下鉄の対応は、京阪電鉄のそれよりはるかに正しい。京都新聞とかももっと勉強しないと、間違った方向に世論を持って行ってしまう。私のブログは京都新聞の1万分の1も読まれないかと思うが、カウンターアーギュメントとして記させてもらう。

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京都サービス悪すぎるだろうシリーズ(5) [京都生活]

京都市営地下鉄の烏丸御池駅にはコインロッカーがある。小さいのから大きいのまであって、それらがあるのは流石、国際観光都市京都、気が利いているなと思われるかもしれない。しかし、コインロッカーがあるのはいいのだが、100円硬貨しか使えない。しかも、大きいのは800円だったりする。普通、100円硬貨を8枚財布に持っている人はそんな多くないと思う。これで両替機があれば納得するが、両替機がない。改札内にキオスクも見当たらない。コインロッカーを設置することまで考えたなら、利用者の使い勝手まで考えればいいのにそれができない。まあ、ある意味、いかにも京都的だなとも思えなくもないが、重いトランクを持っている私はそのように客観的に評価する気持ちの余裕がなく、毒づいていましたよ。

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京都サービス悪すぎるだろうシリーズ(4) [京都生活]

京都の老舗のレストランに予約の電話を入れる。「今日の19時15分なんですが、二人予約入れられますか?」「ちょっと待ってください」・・・と言われて2分ぐらいは待たされて「今日はいっぱいです」との返事。しょうがないな、と思い「19時30分でも無理ですよね」と言うと「折り返し電話してもいいですか?」と言ってくる。「いいですよ」と言うと2分後ぐらいに電話があって「19時だったら入れますけど」と言われる。「え!それは無理です」と言うと(電話をかけた時間は既に18時30分ぐらい)、「それじゃあ19時30分であれば大丈夫です」と言われる。なんで19時と19時30分でよくて19時15分じゃあ駄目なのか訳が分からないけど、電車に乗ってお店に行く。さて、お店に着くと、席はガラガラだった。80席ぐらいはあるお店で6割も埋まってない。なんで、最初の時点に断られたのかが分からない。予約を受けるタイミングが30分単位ということなのか。それじゃあ、断らずにそう説明すればいいだけの話だ。やはり、私の東京弁がネックなのか。随分と不思議な気分になるが、いざ客となればサービスはそもそも悪くない。というか、京都の居酒屋、実は常連になるとサービスは東京よりもよくなるぐらいだ。この「一見に厳しい」という京都の外食サービスを、改めて今日は再確認させられた。

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京都サービス悪すぎるだろうシリーズ(3) [京都生活]

京都のサービス業はもうどこも悪いが、その中でもとびきり酷いと思うのは不動産業である。今月、借りていたワン・ルーム・マンションから引き上げるのだが撤去前の二ヶ月に連絡しろ、という契約になっている。普通は一ヶ月前だ。なんか、学生相手の仕事が多いのであまりにもなめていないか。しかも、電話で連絡をしたら電話では駄目なので、書類を送れと言ってくる。それじゃあ、二ヶ月前の連絡というのは、今日なのか?それとも書類が到着した日なのか?郵便局員が封筒を竹林に捨てた場合はどうなるのか?などと尋ねると、まったく回答できない。どうにか、じゃあ今日送りますが、消印の日でいいですね、と念を押す。あまりにも信頼できなさそうなので、名前を聞いておいた。
 さらに、鍵の受渡日を決めたのだが、後日、ちょっと後ろにずらしてもらった。これは電話で話しをした。しかし、その日も仕事が入ったのでさらに変更をお願いしたら、そもそもその前の変更日ではなく、最初の日に設定されたままだというのが判明した。つまり、当初は16日であったのを26日に移していて、24日に変更したいと言ったら、なんと「16日に予定されているのを変更したいという依頼ですね」と返してきた。もう、唖然としました。「しっかりしてよね」と皮肉を言っても、「はああ」的な反応しかできない。東京で生活しているともう信じられない体験を京都ではすることができる。まあ、逆にいえば、これだけデタラメしていても会社が潰れないというのは、生ぬるい、というか気楽でいいかもね。マレーシアでの生活を思い出しますわ。当時は、日本の物差しで判断しちゃ駄目だ、と自戒することが多かった。え!京都も日本なんですか?

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京都サービス悪すぎるだろうシリーズ(2) [京都生活]

京都は、もう日々サービスの悪さを感じるが、引っ越しの時はなおさらである。ちょっと町内で引っ越すことにしたのだが、荷物は冷蔵庫とベッドぐらいである。ベッドはかさばるが解体すれば大したことはない。ゼミ生をアルバイトでも雇えばいいのだが、引っ越し先が同僚の大学先生の家(彼が海外研究に行っている間に住まわせてもらう)であり、彼が学生に家を見られたくない、と言ったのでゼミ生をアルバイトで雇うことも難しい。そこで赤帽に電話した。
「ちょっと少ない荷物ですが、お願いしたいのですが」
「ああ、13日なら対応できますよ」
「そうですか。よろしくお願いします。冷蔵庫も170センチ以下なので大丈夫かと思います」
「いや、170センチだとうちでは無理なのでお断りします」
「いやいや、170センチ未満で160センチもないと思います」
「いや、うちのトラックに乗らないので無理です」

・・・・これは実際におこなわれた会話である。まったくコミュニケーションになっていないことがお分かりであろうか。私は、こんな業者にはこちらからお断りしてやるという気分になって、「そうですか。それでは残念ですね」と言って電話を切った。

仕事やる気ゼロだ。ここまでくるとドイツ以下のサービスの悪さである。3月の京都は引っ越し業者にすれば、売り手市場ではあるが、何なんだ!こいつらは。結局、同僚の先生にお願いすることにし、自分で対応することにした。まあ、こういうことをしていると経済規模はどんどん縮小していくよね。もったいない。

タグ:赤帽 京都
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京都サービス悪すぎるだろうシリーズ(1) [京都生活]

京都でサービスが悪いことは、もうあっちこっちで感じられるが、特にタクシーに乗ると嫌な思いをする。小さいトランク(機内に持ち込める奴)を持って入ろうとすると、「なんでトランクに入れてくれないんや」みたいに言われる。「いや、急いでいるんで、ごめん」と言っても納得しない感じだ。しかし、行き先を「龍谷大学」と言うと、急におやっという感じになって、「先生ですか?」と尋ねてくる。無視をしようかと思ったが、そうですよ、と返答すると急に態度が丁寧になる。ここで、私はただのくそ観光客から、地元の大学の先生に格上げされたらしい。こういう、人の値踏みをするところが本当に京都の嫌なところだ。自分だってタクシーの運転手じゃないか、と突っ込みたくなる。

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京都のサービス業はドイツ並みの酷さだと思う時がある [京都生活]

京都のサービス業の質は悪い。観光客相手の商売は、売り手側であってもそれほど酷くないとは思う。本当に悪いのは生活者相手の商売をやっているものだ。しかも、個店ではなくチェーン系が酷い。もう上げればキリがないのだが、例えば京阪電鉄。乗り越しの計算とかで、平気で実際より高額の請求をする。しかも、間違いを指摘すると、正確な値段をもう一度落とそうとする。間違えられて、さらにそれを指摘すると、より損をさせられそうになる。もう、油断も隙もない。スーパーもひどい。フレスコという京都のチェーンの出来事であったが、袋の大小を聞かれたから、「小でも入りますかね」と尋ねたら、「入るから聞いてんだ」みたいに言い返された。耳を疑いましたよ。しかし、これはより大きな阪急系のイズミヤでも同じようなものだ。いや、イズミヤぐらいになるとしっかりとしている人の方が多いが、それでもやはりプリペイ・カードのトラブルで、修正してくれとお願いすると、木で鼻をくくるような対応をしてくる。いや、カスタマー・サービスのおばさんなんですけど。カスタマー・サービスをしないなら、レジとか他の仕事をしていろよ。これは、デシャブ的なものを感じたので記憶を辿ったらドイツのサービス業での対応を思い出した。まあ、ドイツはサービスないに等しいから。それにしても、この京都の企業におけるサービス業のレベルの低さは本当、愕然とする。不動産業も企業系は本当に酷い。東京では50年間ぐらい一度も体験したことがないような不愉快な出来事が、もう日常茶飯事的に起きる。実は、これは大学の事務でも起きていることで、もしかしたら、これは京都の地域文化とも関係しているのかな、と思ったりもする。最初は、関西の文化かなとも思ったのだが、大阪ではほとんどそういう不愉快な思いをしたことがない。何か、根源的に相手を思いやろうというかエンパシーの気持ちが欠如している印象を京都では受けるのだ。まあ、しかし個店は別だから、京都というか、企業文化とも関係しているかもしれない。

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京都での一人暮らしは高くつく [京都生活]

京都と東京での二重生活をして二年半ぐらいが経つ。朝ご飯はなるべく、自炊するようにしているのだが、結構、これが高くつく。近くに阪急系のスーパー「いずみや」があるのだが、これは例えば東京の城南地区にある「おおぜき」、「サミット」、「いなげや」というローカルなスーパーマーケットはもちろん、「東急ストア」より品質が悪い生鮮品を提供し、なおかつ値段が高い。昨日などは、八分の一のサイズのスイカを498円で売っていた。しかも、元のサイズも小さいようなスイカである。東京の都立大学であれば900円で一玉買える。
 まだ、これらが美味しければ少しは納得できるのだが、美味しくないのだ。野菜、美味しくない・・・京都。いや、京野菜も売っていたりするのだが、それはそれで馬鹿高い。京野菜は美味しいと思うが、この値段だとちょっと一人暮らしだと手が出ない。というのは、新鮮なうちにそうそう食べきれないからだ。
 そもそも一人暮らしを気づいたのだが、タマネギを一玉買うと、そのタマネギを消費するために3日間ぐらいの献立が決まってしまう。先日はレタスを間違えて買ってしまったのだが、やはり、このレタスが献立を決める。そして、タマネギもレタスもそれほど高くないのだが、チキンサラダにしたりしようと考えると、ささみチキンを買ったり、キュウリを買ったりで結局、外食とほぼかわらないような値段になってしまったりするのだ。いや、三人前をつくるのであれば、一人当たりの額は自炊の方が安いだろうが、一人前だと本当、コスパが悪くなる。なぜなら、ささみチキン、レトルトなのになかなか高い値段だったりするからだ。まあ、この一人前は高いというのは、東京でも京都でも同じことなのだろうが、それにしても大学生が多い都市であるのに、なんか一人暮らしにそれほど親切ではないなあ、と思わせられたりする。
 そんなに「いずみや」に文句があればローカルのスーパーに行けばいいじゃないかと言われるかもしれない。京都にもフレスコというローカルのスーパーはあるのだ。しかも、これも家のすぐそばにある。ただ、このフレスコ、なんと「いずみや」よりさらに酷いのだ。
 京都に暮らしていて感じるのは、この消費生活が貧相なことである。これは、あまり指摘されていないことだが、東京のような生活をするうえでのコスパがいいのだ。スイカだけでなく、例えば焙煎珈琲豆なども、東京だと注文してから焙煎してくれるし、なおかつ値段も全然、京都より安い。以前、私が贔屓にしていた東京の焙煎珈琲豆屋に京都からわざわざ買いに来た人がいて、なんでわざわざここで買うのか、と訝しんでいたが、京都より安くて、新鮮(焙煎したものを新鮮というのも変だが)な豆が手に入るからだということを、こっちにきて知った。
 それでも、京都はまだ自立した生活はできるかと思う。私も仕事柄、家に帰るのが遅いので商店街とかをうまく活用できず、スーパー便りなので、豊かでない生活をしているというところはあると思う。東京にいると、肉屋は肉屋で、珈琲豆は焙煎珈琲豆屋で、野菜は八百屋で、パンやパン屋で、ケーキはケーキ屋で、としっかりと専門店で購入しているが、京都ではそこらへんがまだうまく回せてないからだ。とはいえ、この消費生活環境が、商品の供給力という点で劣っているだけでなく、コスパが悪い、ということが地方都市の東京に比しての大きな競争性の無さではないかと思われる。最近、本当、地方にいってお店に入って安いな、と感じることが少なくなっている。まあ、ちゃんとしたお店を見つけてられないといえばそれまでなのだが、非常に気になる東京と地方との違いである。というようなことを、まさか京都で書くとは思わなかった。京都はもっと豊かな消費生活環境を維持できていると思っていたからだ。

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京都人のいじめ気質をコロナウィルス禍で再確認する [京都生活]

京都人はよそ者を見つけてはいじめる。とはいえ、日本の冠たる大学都市で、また観光都市であるのでよそ者を受け入れてはいる。よそ者が嫌いという訳ではないだろう。まあ、受け入れるからこそのイジメという風にも捉えられなくもない。よそ者がそんなにいなければ、そもそもイジメようという気分にならないし、観光プロモーションや大学の立地などさせないと思うからだ。
 さて、先日、ある研究会があった。この研究会は、ほぼ関西のメンバーから構成されているのだが、私ともう一人は東京と京都を往来していて、二人とも東京人である。そうしたら、メンバーの京都S大学の先生が「東京はコロナウィルスの新規感染者数が増えているようで大変なんじゃないですか」と話を振ってきた。そして、「先日、東京の人が取材を依頼したら、東京の人は、コロナかもしれないので取材はお断りですよ、と言われたみたいですよ」と言ってきた。私が、「どちらに取材をしようとしたのですか?」と尋ねたら「京都ですよ」と答えてきた。
 あまり、そういう意図はないのだろうけど、私ともう一人の東京と京都を往復する先生に暗に「来るなよ」と言っているような気になってしまった。あと、この取材を断ったのが京都、というのがとても納得できる。京都以外だったら、コロナが本音でも建て前で違う理由を言ってくるような気がする。あと、この話を私に伝えたのが京都の先生であるところも興味深い。普通、そういう話は東京人に対してはしなくてもいいと思う。いや、これが福岡とかだったら、第三者的に「酷いこと言うところもあるよね」というのもあるかもしれないが、自分も京都人だと、この話で暗に自分が思っていることを伝えようとしていると勘ぐられても致し方ないと思う。
 まあ、こういうイジメかたは「ぶぶ漬け」のような回りくどさがなく、逆にあまりにもストレートなので分かりやすいのだが、なぜ、そんなことを敢えて言わなくてはならないのだろう。おそらく私に信頼されなくても屁のかっぱと思っているのかもしれないし、人を不愉快にすることで快感を得られる人もいるからな。あと、心に思ったことを言わないと気持ち悪い、というタイプなのかもしれない。
 コロナウィルス禍なので、そのような見方をしてしまうのかもしれないが、よくよく考えると日本全体でもカリフォルニア州より面積的には狭いのに、こう地域での違いをことさらに強調するというのは、東京と京都の二重生活をしている私からすれば違和感は覚える。とはいえ、万が一、私がコロナウィルスの媒介者になったりしたら、まあ、彼女の不愉快な発言も正当化されるのだが。


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京都の観光公害を報じた恥ずかしいテレビ番組 [京都生活]

ラーメン屋に入って、ラーメンを啜っていたら、店内のテレビで京都の観光公害の特集をやっていた。Goodyというフジテレビ系のニュース番組である。ここでは、京都に来る外国人観光客のマナーが悪くて問題であるということを話題として取り上げていた。京都に生活する私としても興味のある問題なので、ラーメンを食べつつ番組を見ていると、なんと、テレビ取材者が花見小路の人混みに溢れた道に報道車で入っていき、人々がどかないことに何てマナーが悪いんだ、と呆れていた。私はこれを見て、人に溢れている花見小路に自動車で入っていくテレビ局の方によほど呆れた。いや、花見小路に自動車で入るな、とは言わないが、悪いがそこで生活している人以外は入って欲しくない。そもそも、京都の魅力は1000年以上も都市としての歴史が積み重ねられたことにあるので、その900年以上は自動車とは無縁であった。京都の都市としての魅力を最も破壊しているのは自動車であるな、と考えている私としては、そもそも京都ナンバー以外の自動車が入ってくるのは迷惑千万である。いや、観光客も多少、迷惑かもしれないが、車で京都の人混み溢れる道路(しかも花見小路)に突っ込んでくるテレビ局の方がよほど迷惑だから。
 もし、この私の意見が納得できなかったら、休日に下北沢の南一番商店街を車で走られたらいいと思う。ここも法律的には自動車が走行できるが、悪いけど誰もどかないよ。というか、入ってきたあんたが迷惑だと思われて顰蹙を買うだけだ。たまに、車が入り込み、大顰蹙を買うときがあるが、大抵、尾張小牧とか郡山などのナンバーである。同じことを鎌倉の小町通りでやったって誰もどかない。こういう歩行者が主人公のような空間をプレシデント・プレシンクトと言うが、京都は特に日本の都市では、法律的には自動車が通れるけど実質的には歩行者がよりコントロールしている道路空間が多くて、これだから京都は魅力があるのだ。
 他にも、この番組の偽善性は本当に鼻につき、観光客が提灯を頭の上にちょこんと載せた写真を撮っていることや、禁煙ゾーンでたばこを吸っていることなどを一つ一つ指摘して、注意をするのだ。確かにそれらの行為は褒められたものでは決してない。しかし、日本人観光客がヨーロッパのレストランでスパゲッティをずずずっとラーメンのように啜って食べていることは、皆、白い目で見ている。私は直接、ドイツ人の友人に、あのようになぜ日本人は食べるのだ、ヨーロッパではマナー的に許されないことなのに、と言われたこともあるので、皆、日本人のこの食べ方に密かに嫌悪感を持っていることをよく知っている。私もヨーロッパに日本人と同行して行き、レストランに入るときは祈るような気持ちでスパゲッティやスープ(スープは基本的に口に入れ込むもので啜って飲むものではない)を注文しないでくれ、と思うが、実際、注文して、周りから白い目で見られたりしている時も、一切、その点を本人には注意しない。それは、他国のマナーを強要すること自体がちょっと偉ぶっていると思われるからだ。また、日本人のスモーカーも平気で禁煙スポットで喫煙していたりするが確信犯であることはほとんどなく、注意をされると照れ笑いをしたりする。この番組では、禁煙ですよ、と指摘されて照れ笑いをして「知らなかった、ごめんなさい」と回答した中国人観光客に対して、「反省の色が見えない」などとテロップで流していたが、こういう恥ずかしい、偽善的な番組を作成しているフジテレビの方がよほど恥ずかしいし、反省してもらいたい。なんか、調子がいいときだけ「おもてなし」とか言ったりするが、まったく「おもてなし」精神がないこの番組づくりに日本人として恥ずかしくなった。
 他人の振り見て、我が振り直せ。私は8年間、海外で暮らしていたが、同朋として日本人観光客の破廉恥な行為を見て見ぬふりをしてきた。それは、海外の文脈で理解することはなかなか難しいということがあるからだ。できれば失敗や顰蹙を買った時などは反省してもらえればと思うが、毎回、来る観光客は違う。ただ「旅の恥はかき捨て」文化の日本が自分達がやっていることは棚に上げて、外国人を批判するような番組を上目視線でつくるというその根性を私は恥ずかしいと思う。

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京都の公共交通サービスは帯に短したすきに長しだ [京都生活]

最終の新幹線で東京から京都に着く。金曜日の夜ということもあり、23時35分の地下鉄京都駅は人が溢れている。これなら、すぐ地下鉄が来るかと思い、時刻表をチェックしたら、なんと23時台は地下鉄の運行頻度は20分に1本だ。これだけ人が待っているのに、なんで運行頻度がこんなに冗長なのだ。もちろん、地下鉄のように一度に多くの人を運ぶモードだから、採算性を考えたら運行頻度を減らしたいという気持ちが分からなくもないが、いくら何でもこれではサービスが悪すぎるであろう。これなら、車輌数を半分にしてでも運行頻度をあげるべきだし、そもそも地下鉄を整備するには人口150万人というのは少なすぎるのかもしれない。とにかく、地下鉄では充実した公共交通サービスが提供できないようで、これは京都という素晴らしい都市の欠陥であるし、是正すべきだ。

次の日の朝、堀川通りの南に用事があったので、9番のバスに乗った。土曜日の7時30分という時間だったが、バスはぎゅうぎゅうで、私はバス停の最前列にいたが乗るのに躊躇するほどであった。これだけたくさんの人が乗っていると、目的地に着いてもなかなか降りることもできない。結果、時刻通りに運行できない。これは、バスというモードで交通需要を処理するには人口150万人という都市規模は大きすぎるということだ。

つまり、この都市にはバスと地下鉄の中間の公共交通が必要だということであり、それはライトレール、というか路面電車である。幸い、堀川通りとか路面電車を通すのに最適な道路がある。他にも五条通りとかも通せるであろう。モータリゼーションが進展し、成長が右肩上がりの時に貴重な京都の路面電車のネットワークをバスに置き換えたのは不幸であったが、現在のように自動車の先行きが行き詰まり、公共交通サービスも今一つの現状を大きく修正するには、抜本的な公共交通計画というか、交通計画全般の練り直しが京都には求められている。特に京都駅から北側において、その検討が必要である。

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