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札幌市議の金子快之氏が「アイヌ民族なんて、いまはもういない」と書いたことに関して、ちょっと考える [グローバルな問題]

 ちょっと前のことになるが、札幌市議の金子快之(やすゆき)氏(東区選出)が短文投稿サイト「ツイッター」に「アイヌ民族なんて、いまはもういない」と書きこんだ。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/558587.html)。自民党もこの発言に関しては、処分せず、ほおかぶりをしている。当人は批判に対しては「本当のことを言うと議員を辞めなければならないのでしょうか?」と開き直っている。
 ちなみに現在、北海道だけで約2万人ぐらいのアイヌ民族がいると言われている。アイヌ民族は、明治期の近代的土地所有制度導入時に土地所有から疎外され、狩猟・漁業など生業の場も失い、理不尽に貧困に追いやられた。口承文化であったこともあり、固有の言語や伝統文化は急速に失われた。しかし、現在でもアイヌ民族の学生らが文化や歴史を学び、次代に継承しようと努めている。こういう姿勢を金子氏はどのように考えているのだろうか。日本人が趣味でしているぐらいに思っているのだろうか。
 そもそも、純粋な日本人というのは存在し得ない。民族的にも大きく分けても縄文人と弥生人と二つの系統が存在する。また、北海道だけでなく、東北地方や北陸地方においてもアイヌ民族の文化を我々はブランドさせている。札幌、ニセコ、猪苗代、黒部といった地名をとっても、我々は、アイヌ語を使っている。また、オットセイやホッキ貝、ラッコ、トナカイ、シシャモの語源はアイヌ語である。つまり、我々日本人も、その割合は少ないかもしれないがアイヌ化しているのである。ちなみにDNA的にもっともアイヌと近いのは琉球人で、その次が和人となる。
 金子氏が「アイヌ民族なんて、いまはもういない」と主張するのであれば、ある意味で「和人なんて、いまはもういない」という主張も正しいことになるであろう。
 そもそも、このグローバル社会において、民族という定義は思いの外、難しい。
 山内昌之は、「民族とは一定の文化的特徴を基準として他と区別される共同体をいう。土地、血縁関係、言語の共有(母語)や、宗教、伝承、社会組織などがその基準となるが、普遍的な客観的基準を設けても概念内容と一致しない場合が多いことから、むしろある民族概念への帰属意識という主観的基準が客観的基準であるとされることもある」と述べている。山内の解釈をあてはめれば、アイヌの人達が、アイヌ民族に帰属すると意識すれば、その時点で、アイヌ民族は存在するのである。
 というか、こういう人の痛みが分からない人間が政治家として活動しているということに、私は非常に危険なものを感じる。田母神氏の支持率の高さといい、本当に日本は大丈夫なのか、と思わずにはいられない。
 アメリカで政治家が「ホピ・インディアンはもういない」と発言したら、確実にアウトだよね。ドイツで政治家が「ソルブ人はもういない」と発言したら、確実にアウトでしょう。なんで日本だとセーフなんだろう。この民族問題に対しての感受性の鈍さは、グローバル・スタンダードからは大きく逸脱している。ここが日本の国際社会における大きな弱点なんだろうな。

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