塔ノ岳に登る(丹沢山未踏) [日本百名山]
そろそろ今年の登山シーズンも終わりである。ということで頑張って丹沢山にチャレンジすることにした。11月22日ということで日の出も遅いし、日の入りも早い。歩ける時間が短いということで相当、厳しい行程になるが、ガイドブックには「健脚の人なら日帰りも可能」と書いている。健脚ではないが、頑張ってチャレンジをすることにした。ただ、日の入りの時間を考えて、16時までには戻ってくることを胆に銘じる。
当日、起きたのは4時。ちょっと遅い。急いで支度をし、珈琲をつくり、おにぎりをつくって家を出る。家を出たのは5時過ぎ。これは、7時発かなと半ば諦めていたのだが、なんと菩提峠の駐車場には6時についた。そして念のためのヒル対策をして、登山を開始したのが6時15分。家を出たのが遅い割には、思ったより随分と早く出発できた。というか、丹沢、近すぎないか。こんなに近いのか、丹沢。
ちなみに丹沢に来るのは人生2度目。一度目は大学時代に彼女とドライブで縦断しただけだ。それ以来というか、歩きでは人生初めてである。丹沢にこんな近くに住んでいたのに。

<菩提峠の駐車場>
菩提峠からの登山口はよく分からず、違うところに行こうとしたのだが、他の登山者が違うルートをとっていたので間違いに気づいた。本当、登山は出だしが肝心だ。さて、菩提峠から二ノ塔までは、スギ林の急坂を歩いて行く。メインルートではないので、結構、道が分かりにくい。小一時間ぐらい歩くと、ようやく二ノ塔尾根のルートとぶつかる。ここからは尾根道で展望が広がって気持ちがよい。というか、結果的に富士山をしっかりと見られたのはこの尾根道からであった。とは、ここを歩いている時には夢にも思わなかった。これは、塔ノ岳からの富士山の展望は素晴らしいものがあると期待に胸を膨らませて高度を上げていく。

<菩提峠の駐車場から二ノ塔への登山口は結構、分かりにくい>

<登山道からは秦野市街地と相模湾を展望することができる>

<菩提峠から二ノ塔までは結構の急坂である。ロープもあったりする>

<曙で東雲がやわらかく輝きはじめていく>

<太陽が昇ってくると、小田原市街地の方が朝日で美しく照り出される>
二ノ塔に着いて、ちょっと歩くと三ノ塔。三ノ塔からは、はるか下の方に鳥尾山荘が見える。三ノ塔から鳥尾山荘までは鎖場のある急な坂を下りる。なんで登っているのに下るのか。その理不尽さに納得できないものを感じつつも、他にルートもないので涙ながらに降りていく。しかも鎖場のあるところは崖である。崖を降りるのだ。鳥尾山荘に着いたのは既に8時。4時に下山することを考えると、9時30分までに塔ノ岳に着ければ丹沢山にチャレンジできるし、そうでなければ戻ろうと考えている。そして、11時までに塔ノ岳に到着できなければ、そのまま帰路につこうとも考えていたので、この鳥尾山荘までに2時間かかったのは結構、微妙な感じである。

<木道がしっかりと整備されており、そういう点からは歩きやすい>
登山道自体は、随分と細い尾根を歩くところもあるが、木道も設置されていたりして全般的には歩きやすい。全般的に乾いており、泥のぬかるみ道を歩かない登山はちょっと嬉しい。また、尾根道であるので左手には小田原や秦野の市街地、そしてその先の相模湾、大島などが展望でき、右手には丹沢の山塊、来た道を振り返れば相模原市や町田市の市街地が展望でき、景観的には素晴らしい。流石、尾根道であると感心する。ただ、紅葉には間に合わず、ほとんど枯木の中を歩いて行く。

<富士山は表尾根の途中まではその勇姿を現していたが、塔ノ岳からは見ることはできなかった>

<けっこう厳しい鎖場もある>
そして、新大日を経て木の又小屋に着いたのが9時30分。丹沢山にチャレンジするためには、塔ノ岳に9時30分には到着しなくてはいけなかったことを考えると、ここで丹沢行は断念。と同時に、太股がピキピキ痙攣し始める。これは、太股が攣る前兆である。ということで、ここで休む。ちょっと休んだぐらいでは、復活しないので、ゆっくりだましだまし塔ノ岳に向かっていく。塔ノ岳の山頂に登頂したのは10時ちょっと過ぎ。4時間というのは、ほぼコースタイム通り。ただ、コースタイム通りのペースで歩いたこと、特に序盤でハイペースになったことが後半のバテに繋がってしまったと思われる。

<塔ノ岳の山頂は広く、ちょっとした広場的な空間となっている>
さて、期待した塔ノ岳からの富士山であったが、雲が出てきて見えずじまい。そのうち晴れるかなと昼ご飯を用意し始めたら、どんどん天気は悪化する一方だ。というか、塔ノ岳周辺も相模湾からの黒い雲に覆われ始めた。駐車場を出発した時は、流石に雨は降らないだろうと思っていたのだが、本当、山はなめられない。

<10時の塔ノ岳の光景。東を展望>

<11時ちょっと前にほぼ同じ光景を撮影。1時間でこれだけ天気が悪化した>
天気も崩れそうになったので、もういそいそと下山することにした。出発したのは11時。一時間の間でまさに天国から地獄のような天気の変化である。丹沢のような標高が低く、市街地のすぐそばにある山でもこんなに天候の変化が激しいとは驚きだ。雲は山のちょっと上をすごいスピードで南から北へと移動している。これは、雨も降るかなと思ったが、幸い、雨になることはなかった。行きは雄大な展望が開けていたのに、帰りは雲の切れ目から市街地が展望できるような状況である。この表尾根の辛いのは下山時も登りがあることだ。特に、鳥尾山荘から三ノ塔は壁のような急坂を登らせられる。鎖場もあるし。
三ノ塔に到着したのは13時20分。二ノ塔を過ぎたあたりから膝にもきはじめる。なかなかの厳しさだ。ゆっくりとジグザグに降りていくが、途中、あまりの急坂でジグザグに歩くこともできないような状態になる。丹沢山に登れなかったにもかかわらず、這々の体で菩提峠の駐車場に戻ってくる。14時30分ちょっと前。1時間の休憩時間を入れて、8時間30分の登山であった。走行距離も12キロぐらいなので、ちょっとした百名山なみのハードな登山であった。

<行きとはまったく違って暗雲が空を覆っている>

<たまに雲の切れ目から展望できる市街地が美しい>

<11月下旬であったが駐車場そばでリンドウが咲いていた>
次回は、表尾根を歩いていた時にみつけた戸沢山荘に駐車をして、できればみやま山荘に一泊するようなルートで丹沢山にチャレンジしたいと思う。これまでまったく縁がないに等しかった丹沢であるが、次回訪れるのは、結構、すぐ先であるような気がする。
当日、起きたのは4時。ちょっと遅い。急いで支度をし、珈琲をつくり、おにぎりをつくって家を出る。家を出たのは5時過ぎ。これは、7時発かなと半ば諦めていたのだが、なんと菩提峠の駐車場には6時についた。そして念のためのヒル対策をして、登山を開始したのが6時15分。家を出たのが遅い割には、思ったより随分と早く出発できた。というか、丹沢、近すぎないか。こんなに近いのか、丹沢。
ちなみに丹沢に来るのは人生2度目。一度目は大学時代に彼女とドライブで縦断しただけだ。それ以来というか、歩きでは人生初めてである。丹沢にこんな近くに住んでいたのに。

<菩提峠の駐車場>
菩提峠からの登山口はよく分からず、違うところに行こうとしたのだが、他の登山者が違うルートをとっていたので間違いに気づいた。本当、登山は出だしが肝心だ。さて、菩提峠から二ノ塔までは、スギ林の急坂を歩いて行く。メインルートではないので、結構、道が分かりにくい。小一時間ぐらい歩くと、ようやく二ノ塔尾根のルートとぶつかる。ここからは尾根道で展望が広がって気持ちがよい。というか、結果的に富士山をしっかりと見られたのはこの尾根道からであった。とは、ここを歩いている時には夢にも思わなかった。これは、塔ノ岳からの富士山の展望は素晴らしいものがあると期待に胸を膨らませて高度を上げていく。

<菩提峠の駐車場から二ノ塔への登山口は結構、分かりにくい>

<登山道からは秦野市街地と相模湾を展望することができる>

<菩提峠から二ノ塔までは結構の急坂である。ロープもあったりする>

<曙で東雲がやわらかく輝きはじめていく>

<太陽が昇ってくると、小田原市街地の方が朝日で美しく照り出される>
二ノ塔に着いて、ちょっと歩くと三ノ塔。三ノ塔からは、はるか下の方に鳥尾山荘が見える。三ノ塔から鳥尾山荘までは鎖場のある急な坂を下りる。なんで登っているのに下るのか。その理不尽さに納得できないものを感じつつも、他にルートもないので涙ながらに降りていく。しかも鎖場のあるところは崖である。崖を降りるのだ。鳥尾山荘に着いたのは既に8時。4時に下山することを考えると、9時30分までに塔ノ岳に着ければ丹沢山にチャレンジできるし、そうでなければ戻ろうと考えている。そして、11時までに塔ノ岳に到着できなければ、そのまま帰路につこうとも考えていたので、この鳥尾山荘までに2時間かかったのは結構、微妙な感じである。

<木道がしっかりと整備されており、そういう点からは歩きやすい>
登山道自体は、随分と細い尾根を歩くところもあるが、木道も設置されていたりして全般的には歩きやすい。全般的に乾いており、泥のぬかるみ道を歩かない登山はちょっと嬉しい。また、尾根道であるので左手には小田原や秦野の市街地、そしてその先の相模湾、大島などが展望でき、右手には丹沢の山塊、来た道を振り返れば相模原市や町田市の市街地が展望でき、景観的には素晴らしい。流石、尾根道であると感心する。ただ、紅葉には間に合わず、ほとんど枯木の中を歩いて行く。

<富士山は表尾根の途中まではその勇姿を現していたが、塔ノ岳からは見ることはできなかった>

<けっこう厳しい鎖場もある>
そして、新大日を経て木の又小屋に着いたのが9時30分。丹沢山にチャレンジするためには、塔ノ岳に9時30分には到着しなくてはいけなかったことを考えると、ここで丹沢行は断念。と同時に、太股がピキピキ痙攣し始める。これは、太股が攣る前兆である。ということで、ここで休む。ちょっと休んだぐらいでは、復活しないので、ゆっくりだましだまし塔ノ岳に向かっていく。塔ノ岳の山頂に登頂したのは10時ちょっと過ぎ。4時間というのは、ほぼコースタイム通り。ただ、コースタイム通りのペースで歩いたこと、特に序盤でハイペースになったことが後半のバテに繋がってしまったと思われる。

<塔ノ岳の山頂は広く、ちょっとした広場的な空間となっている>
さて、期待した塔ノ岳からの富士山であったが、雲が出てきて見えずじまい。そのうち晴れるかなと昼ご飯を用意し始めたら、どんどん天気は悪化する一方だ。というか、塔ノ岳周辺も相模湾からの黒い雲に覆われ始めた。駐車場を出発した時は、流石に雨は降らないだろうと思っていたのだが、本当、山はなめられない。

<10時の塔ノ岳の光景。東を展望>

<11時ちょっと前にほぼ同じ光景を撮影。1時間でこれだけ天気が悪化した>
天気も崩れそうになったので、もういそいそと下山することにした。出発したのは11時。一時間の間でまさに天国から地獄のような天気の変化である。丹沢のような標高が低く、市街地のすぐそばにある山でもこんなに天候の変化が激しいとは驚きだ。雲は山のちょっと上をすごいスピードで南から北へと移動している。これは、雨も降るかなと思ったが、幸い、雨になることはなかった。行きは雄大な展望が開けていたのに、帰りは雲の切れ目から市街地が展望できるような状況である。この表尾根の辛いのは下山時も登りがあることだ。特に、鳥尾山荘から三ノ塔は壁のような急坂を登らせられる。鎖場もあるし。
三ノ塔に到着したのは13時20分。二ノ塔を過ぎたあたりから膝にもきはじめる。なかなかの厳しさだ。ゆっくりとジグザグに降りていくが、途中、あまりの急坂でジグザグに歩くこともできないような状態になる。丹沢山に登れなかったにもかかわらず、這々の体で菩提峠の駐車場に戻ってくる。14時30分ちょっと前。1時間の休憩時間を入れて、8時間30分の登山であった。走行距離も12キロぐらいなので、ちょっとした百名山なみのハードな登山であった。

<行きとはまったく違って暗雲が空を覆っている>

<たまに雲の切れ目から展望できる市街地が美しい>

<11月下旬であったが駐車場そばでリンドウが咲いていた>
次回は、表尾根を歩いていた時にみつけた戸沢山荘に駐車をして、できればみやま山荘に一泊するようなルートで丹沢山にチャレンジしたいと思う。これまでまったく縁がないに等しかった丹沢であるが、次回訪れるのは、結構、すぐ先であるような気がする。
巻機山(日本百名山46座登頂) [日本百名山]
大学の講義が始まると講義や校務に追われて忙しい。結果、秋に百名山にチャレンジすることがなかなか適わなくなる。そんなことでは不味いと思い、尾瀬の燧ヶ岳にチャレンジしようとしたのだが、ゴートゥーで前泊するような宿がまったくない。それでは谷川岳にしようと水上にある安宿を予約した。予約した後、しかし、ロープウェイの始発は何時かな、とネットで調べたら、なんとロープウェイは運行中止になっていた。何それ!と思ったが、当日予約なのでキャンセルしても全額払わなくてはならない。それなら近場の苗場山に行くかと思ったが、天気予報では苗場山は雪。ということで、それではと巻機山にチャレンジすることにした。
宿を4時前に出て、途中、コンビニエンス・ストアに寄って巻機山の登山口の駐車場に着いたのが5時15分ぐらい。まだ空は暗いが、既に駐車場は結構、混んでいる。いろいろと身支度を調え、出発したのは5時50分。駐車場が多く、登山口を探すのにちょっと迷った。第四駐車場のところに登山口はあった。
既に空は明るくなりつつあり、山はまさに燃えるような色をしている。素晴らしい紅葉だ。
登山口を進むとすぐに沢コースと尾根コースの分岐点になる。沢コースは最近の大雨で崩落が激しく、登りはともかく下りは禁じられている。当然、尾根コースをとる。しばらくは緩やかな登りであるが、泥のぬかるみ道なので滑りやすい。なんか、日本の登山は泥道か礫を歩かされるかのどっちかだな。どちらにしろ、あまり快適ではない。ただ、巻機山の麓に広がるブナ林は素晴らしい。幹が太くなく、スマートなプロポーションをしているブナの木だ。
私の登山の弱点は下りに弱いということである。この下りに弱いというのは、元気な登り時に膝を痛めてしまうからなので、今回はゆっくりとマイペースで登っていくこととした。マラソンで最初に飛ばして後半、ガクッとくるような登り方をするのが問題であるのだ。ということで、抜かれてもじっと我慢をして一歩一歩、噛みしめるように登っていく。結果、この日は下りも膝にこないで下山をすることができたので、これからもこの登り方を守っていきたいと思う。
さて、歩いて二時間ぐらい経つと徐々に展望が開け、驚くような美しい紅葉に彩られた山が登山口の両側に展開する。そして、ほぼ2時間15分後(8時05分)に6合目に到着する。ほぼコースタイム通りである(『日本百名山-山あるきガイド』(JTBパブリッシング))。6合目は展望台になっており、見事な紅葉と六日町、さらには遠く日本海までも望むことができる。ここで軽くおにぎりを食べて休憩。
そこからはクマザサに覆われた中、泥の急斜面が続く。泥がまるでダーク・チョコレートのようだ。登山靴は泥だらけである。ここを我慢して歩いて行くと、八合目に出る。八合目からはしっかりと木で階段がつくられており、非常に歩きやすい。天気は快晴で、素晴らしい紅く燃えるような紅葉の山々を見ながら歩いて行く登山は、気持ちも晴れる。忙しい中、無理して時間をつくって登山に来てよかったとつくづく思う。
階段を登り切って左に歩いて行くとニセ巻機山に到着する。向かいには巻機山本峰と、その左に堂々とした山容の割引岳を見ることができる。時間は9時10分。この行程でもコースタイムより早い。多くの登山客に抜かれて歩いていた割には、ペースは決して悪くない。そこから5分ほど下ると巻機山避難小屋に着く。ここではトイレがあり、私も用を足す。そこからはまた登りになる。織姫の池と呼ばれる池塘に映える空と山を見ながら、稜線へと足を運ぶ。ここは御機屋といわれて、ちょっと平らになっている。ここは巻機山山頂の看板が立っている。実際の山頂は、もっと右にあるのだが、植生保全のために立ち入りができない。そのための措置である。とりあえず、ここで記念撮影をする。
当初は、ここで食事でもして引き返すことも考えたのだが、既に多くの登山客がここで食事を取っていた。時間は10時ちょっと前。下山はコースタイムより、遙かに時間がかかる傾向にある私だが、流石に登りの4時間よりかかることはないだろうと思い切って三角点があり展望のよい牛ヶ岳まで足を延ばし、そこで昼ご飯を食べることにした。牛カ岳に行く途中には本峰もある。本峰は平らで、あまり感動を覚えない。それより、この牛カ岳への尾根道は左に日本海の素晴らしい展望、目の前に越後三山、さらには右には平ヶ岳、燧ヶ岳、日光白根山、さらに後ろには谷川連峰、苗場山などを見ることができ、歩いていて本当に気持ちがよい。牛カ岳の近くにいくと奥只見湖も見える。
牛カ岳は尾根の先端という感じの場所で、そこから先は急坂となっている。何人かの人がいたが、空きスペースを探してお湯を沸かそうと思ったらなんと鍋を忘れた。本当、先日、買ったばかりなのに情けない。カップヌードルのビッグサイズをそのまま持ち帰る羽目になった。
牛カ岳は11時頃に発つ。下山の目標時間は4時間30分である。下りが何より弱点の私は、登りと同じように休みつつ、降りていくことを今日は自らに課すこととした。11時30分頃に御機屋を通過し、12時頃にはニセ巻機山を通過。8合目から6合目にかけては、途中、凄まじい泥濘の急坂を注意して下りていき、6合目には13時頃に到着。ニセ巻機山から6合目の下山はコースタイムの45分よりもかかっている。しかし、焦りは禁物だ。焦ると膝に来て、結果、余計時間がかかることになるからだ。先月の雨飾山では、まさに下山でコースタイムの1.5倍もかかることになってしまったが、これは膝が痛くなったからだ。
6合目を過ぎたあたりから、あれだけ晴天だったのに雲が出てきた。本当、山の天気はよく分からない。人にどんどん追い越されるが、何しろ泥に足を取られて滑らないことを念頭に下山する。とはいえ、一度は滑って尻餅をついてしまった。この滑るのは足の筋肉が持ちこたえることが出来なくなっているからだ。しかし、雨飾山よりはずっと足のコンディションはよい。三合目を越えると平らになったので、ちょっとペースを速めた。登山口に到着したのは14時40分。これもコースタイムの90分よりは時間がかかったが、10分程度であり、これは私的には相当の頑張りで、自分でもちょっと驚いた。やればできるじゃないか、という感じである。合計8時間50分の登山となり、いつもは体力を100%以上、使い切っている場合が多く、もう這々の体となっているのだが、今回は多少、余裕がある。将来に繋がる登山であったかなと思う。
私は、百名山にチャレンジはしているが、ほとんど苦行なので滅多に同じ山にもう一度登りたいとは思わない。苦行じゃなくて簡単な山はそれほど魅力がないので、やはりもう一度チャレンジしたいとは思わない。しかし、この巻機山は違った。もう一度、機会があれば登りたいと思わせた。こんなに気分よく、さらに達成感をも兼ねて登山をできたのは初めてかもしれない。

(5時前であるが駐車場には多くの車が既に駐車していた)
(登山口からすぐに分岐点がある)

(泥のぬかるみ道の急坂が続く)

(6合目の展望台)

(6合目から8合目までの泥濘んだ急坂)

(8合目からは階段が続いて歩きやすい)

(ニセ巻機山)

(ニセ巻機山から割引岳を望む)

(避難小屋)

(織姫の池)

(御機屋と呼ばれる稜線に開けた場所。巻機山山頂の看板が立っている)

(御機屋から牛カ岳へと向かう)

(牛カ岳)

(牛カ岳周辺の山々は真っ赤に燃えていた)

(まるで空中散歩をしているかのような尾根道)

(笹の緑と紅葉の赤とのコントラストが美しい)

(御機屋からニセ巻機山を望む)

(ニセ巻機山から八合目へと下りていく)

(ちょうど7合目周辺からの紅葉は見事であった)
宿を4時前に出て、途中、コンビニエンス・ストアに寄って巻機山の登山口の駐車場に着いたのが5時15分ぐらい。まだ空は暗いが、既に駐車場は結構、混んでいる。いろいろと身支度を調え、出発したのは5時50分。駐車場が多く、登山口を探すのにちょっと迷った。第四駐車場のところに登山口はあった。
既に空は明るくなりつつあり、山はまさに燃えるような色をしている。素晴らしい紅葉だ。
登山口を進むとすぐに沢コースと尾根コースの分岐点になる。沢コースは最近の大雨で崩落が激しく、登りはともかく下りは禁じられている。当然、尾根コースをとる。しばらくは緩やかな登りであるが、泥のぬかるみ道なので滑りやすい。なんか、日本の登山は泥道か礫を歩かされるかのどっちかだな。どちらにしろ、あまり快適ではない。ただ、巻機山の麓に広がるブナ林は素晴らしい。幹が太くなく、スマートなプロポーションをしているブナの木だ。
私の登山の弱点は下りに弱いということである。この下りに弱いというのは、元気な登り時に膝を痛めてしまうからなので、今回はゆっくりとマイペースで登っていくこととした。マラソンで最初に飛ばして後半、ガクッとくるような登り方をするのが問題であるのだ。ということで、抜かれてもじっと我慢をして一歩一歩、噛みしめるように登っていく。結果、この日は下りも膝にこないで下山をすることができたので、これからもこの登り方を守っていきたいと思う。
さて、歩いて二時間ぐらい経つと徐々に展望が開け、驚くような美しい紅葉に彩られた山が登山口の両側に展開する。そして、ほぼ2時間15分後(8時05分)に6合目に到着する。ほぼコースタイム通りである(『日本百名山-山あるきガイド』(JTBパブリッシング))。6合目は展望台になっており、見事な紅葉と六日町、さらには遠く日本海までも望むことができる。ここで軽くおにぎりを食べて休憩。
そこからはクマザサに覆われた中、泥の急斜面が続く。泥がまるでダーク・チョコレートのようだ。登山靴は泥だらけである。ここを我慢して歩いて行くと、八合目に出る。八合目からはしっかりと木で階段がつくられており、非常に歩きやすい。天気は快晴で、素晴らしい紅く燃えるような紅葉の山々を見ながら歩いて行く登山は、気持ちも晴れる。忙しい中、無理して時間をつくって登山に来てよかったとつくづく思う。
階段を登り切って左に歩いて行くとニセ巻機山に到着する。向かいには巻機山本峰と、その左に堂々とした山容の割引岳を見ることができる。時間は9時10分。この行程でもコースタイムより早い。多くの登山客に抜かれて歩いていた割には、ペースは決して悪くない。そこから5分ほど下ると巻機山避難小屋に着く。ここではトイレがあり、私も用を足す。そこからはまた登りになる。織姫の池と呼ばれる池塘に映える空と山を見ながら、稜線へと足を運ぶ。ここは御機屋といわれて、ちょっと平らになっている。ここは巻機山山頂の看板が立っている。実際の山頂は、もっと右にあるのだが、植生保全のために立ち入りができない。そのための措置である。とりあえず、ここで記念撮影をする。
当初は、ここで食事でもして引き返すことも考えたのだが、既に多くの登山客がここで食事を取っていた。時間は10時ちょっと前。下山はコースタイムより、遙かに時間がかかる傾向にある私だが、流石に登りの4時間よりかかることはないだろうと思い切って三角点があり展望のよい牛ヶ岳まで足を延ばし、そこで昼ご飯を食べることにした。牛カ岳に行く途中には本峰もある。本峰は平らで、あまり感動を覚えない。それより、この牛カ岳への尾根道は左に日本海の素晴らしい展望、目の前に越後三山、さらには右には平ヶ岳、燧ヶ岳、日光白根山、さらに後ろには谷川連峰、苗場山などを見ることができ、歩いていて本当に気持ちがよい。牛カ岳の近くにいくと奥只見湖も見える。
牛カ岳は尾根の先端という感じの場所で、そこから先は急坂となっている。何人かの人がいたが、空きスペースを探してお湯を沸かそうと思ったらなんと鍋を忘れた。本当、先日、買ったばかりなのに情けない。カップヌードルのビッグサイズをそのまま持ち帰る羽目になった。
牛カ岳は11時頃に発つ。下山の目標時間は4時間30分である。下りが何より弱点の私は、登りと同じように休みつつ、降りていくことを今日は自らに課すこととした。11時30分頃に御機屋を通過し、12時頃にはニセ巻機山を通過。8合目から6合目にかけては、途中、凄まじい泥濘の急坂を注意して下りていき、6合目には13時頃に到着。ニセ巻機山から6合目の下山はコースタイムの45分よりもかかっている。しかし、焦りは禁物だ。焦ると膝に来て、結果、余計時間がかかることになるからだ。先月の雨飾山では、まさに下山でコースタイムの1.5倍もかかることになってしまったが、これは膝が痛くなったからだ。
6合目を過ぎたあたりから、あれだけ晴天だったのに雲が出てきた。本当、山の天気はよく分からない。人にどんどん追い越されるが、何しろ泥に足を取られて滑らないことを念頭に下山する。とはいえ、一度は滑って尻餅をついてしまった。この滑るのは足の筋肉が持ちこたえることが出来なくなっているからだ。しかし、雨飾山よりはずっと足のコンディションはよい。三合目を越えると平らになったので、ちょっとペースを速めた。登山口に到着したのは14時40分。これもコースタイムの90分よりは時間がかかったが、10分程度であり、これは私的には相当の頑張りで、自分でもちょっと驚いた。やればできるじゃないか、という感じである。合計8時間50分の登山となり、いつもは体力を100%以上、使い切っている場合が多く、もう這々の体となっているのだが、今回は多少、余裕がある。将来に繋がる登山であったかなと思う。
私は、百名山にチャレンジはしているが、ほとんど苦行なので滅多に同じ山にもう一度登りたいとは思わない。苦行じゃなくて簡単な山はそれほど魅力がないので、やはりもう一度チャレンジしたいとは思わない。しかし、この巻機山は違った。もう一度、機会があれば登りたいと思わせた。こんなに気分よく、さらに達成感をも兼ねて登山をできたのは初めてかもしれない。

(5時前であるが駐車場には多くの車が既に駐車していた)

(登山口からすぐに分岐点がある)

(泥のぬかるみ道の急坂が続く)

(6合目の展望台)

(6合目から8合目までの泥濘んだ急坂)

(8合目からは階段が続いて歩きやすい)

(ニセ巻機山)

(ニセ巻機山から割引岳を望む)

(避難小屋)

(織姫の池)

(御機屋と呼ばれる稜線に開けた場所。巻機山山頂の看板が立っている)

(御機屋から牛カ岳へと向かう)

(牛カ岳)

(牛カ岳周辺の山々は真っ赤に燃えていた)

(まるで空中散歩をしているかのような尾根道)

(笹の緑と紅葉の赤とのコントラストが美しい)

(御機屋からニセ巻機山を望む)

(ニセ巻機山から八合目へと下りていく)

(ちょうど7合目周辺からの紅葉は見事であった)
焼岳(日本百名山44座登頂) [日本百名山]
焼岳に挑戦する。前日の夜11時頃に塩尻市内のビジネスホテルに到着する。天気予報では松本市内の降水確率は40%ぐらいだったので、これは無理だろうと半ば諦めていたのだが、登山天気アプリをみると、上高地の降水確率は6時から12時までゼロ、12時から18時までの間では降水量1mmの雨が降るという予想であった。これは5時の始発の沢渡から上高地に行くバスに乗れれば、雨が降り始めた時にはあわよくば登山口に戻れるかもしれないし、そうでなくても登山口そばには戻っているだろうと考え、朝3時40分にアラームをセットして眠る。
はずだったのだが、車を運転している時に珈琲を飲み過ぎたのか、目が覚めて一睡もしないで3時30分になってしまった。どうするか、と行くことを躊躇したが、こういう時に諦めたら100名山登頂は絶対無理だと思い、ホテルを発つ。沢渡に着く前にセブンイレブンで朝食のサンドイッチとお握りを購入する。最近のワンパターンである。
沢渡への道は意外と遠く、4時50分頃に到着する。まだ周囲は暗い。急いで準備をする訳にもいかず、靴を履いたり、タイツを履いたりしていたら始発のバスは出発してしまった。その次は6時であった。土曜日であったので、結構、多くの客がいるのかと思ったが空いていた。帝国ホテル前にて降りる。6時30分ぐらいである。朝焼けに映える上高地を囲む山々のシルエットが息を呑むほど美しい。これは日本のヨセミテだ。
さて、そこから田代橋の方に行くと、穂高登山口に出る。穂高はまだまだハードルが高いので、ここは左に曲がって焼岳へ。ちなみに、焼岳を私はずっと「やきだけ」と読んでいたのだが「やけだけ」なのですね。
砂利道をしばらく歩き。左側に大正池の地獄的な景観が広がる。なかなか、迫力がある。15分ぐらい歩くと焼岳の登山口に出る。ここからは砂利道を外れ、本格的な登山道となる。最初の30分ぐらいは樺の美しい森の中を快適に歩いて行く。しかし、だんだんと傾斜がきつくなり、7時30分ぐらいには森に入って初めて焼岳がその姿を森の木々の中から現す。なんか神々しいのと、同時に、あんな高いところまで登れるのだろうかと不安になる。なんせ、睡眠不足なので体力の消耗が気になるのだ。
また、周りにまったく人気がない。というか、百名山の単独行でこんなに一人になったことは初めてである。そしたら、妙に尿の臭いが強い箇所を通り過ぎた。人間にしてはちょっと臭いが濃すぎる。一昨日にも熊が出没したというニュースがあったので、流石に不安になって、iPhoneで音楽を流しながら歩いて行くこととした。さらに30分ぐらい歩いて行くと、森から抜け、谷が展望できるところに出る。ここらへんからは梯子も出始め、なかなか技術と度胸が必要となってくる。8時45分には、登山コース最後の梯子に到着するが、ここは二つの梯子が括り合わされて長い一つの梯子になっているのだが、その梯子の繋ぎのところを登っていくのはなかなか緊張する。これは二つの梯子の傾きがズレているからだ。流石にここを通る時は眠気も覚めた。ただ、嬉しいのは梯子を越えると、目に見えて高度を得たことが分かることだ。また、この梯子を越えると、谷向こうに焼岳の北岳の素晴らしい展望が得られる。天気も最高に近く、午後の降水予報を敢えて無視してきたことは正しい判断であったと確信する。
ただ、ここらへんからか、寝不足もあって高山病のような症状が出始める。これは、通常、これだけ登山で体力を消耗すると空腹を覚えるのだが、その空腹感がまったく出てこないのである。これ以上、高山病を悪化しては不味いと意識し、ゆっくりとゆっくりと登っていくことにする。ここらへんになると、私を追い抜いていく人も出始め、この山に自分一人ではないという、ある意味当たり前のことを実感して少し、安堵を覚える。
焼岳小屋に到着したのは9時15分。コースタイムとほぼ変わらない。途中からゆっくりペースにしたわりには悪くない。ただ、ここでは流石にちょっとでも目を閉じた方がいいと考え、ベンチに座り10分ぐらい仮眠する。
コースタイムをみると焼岳小屋から頂上まで1時間10分であった。まあ、これまでゆっくりペースでもコースタイムだったので、10時30分にはつけるだろうと思ったのだが、これは大間違いであった。焼岳の山頂を目前にしてからが遠い、遠い。ガレ場の急坂で滑りやすいというのもあるが、なかなか高さを稼げない。ところどころから噴煙がまだ出ており、風向きによっては強烈な硫黄臭に襲われる。周囲を見渡せば笠ヶ岳、穂高連山が見えて、本当、素晴らしい景観の中にいて、気は高揚するのだが、山頂は近いようで遠い。結局、山頂に到達したのは11時。コースタイムのよりも1.5倍もかかった。
山頂からは南にある乗鞍岳も展望でき、本当、今日は素晴らしい登山日であったことを実感する。焼岳からはまさに360度の絶景を楽しむことができる。神々が遊ぶ谷、というヨセミテのキャッチフレーズを思い出す。槍ヶ岳も見ることができる。いつか、これらの山に登頂しなくては、とちょっと気持ちも高揚する。
山頂は飽きないが、午後の雨が来る前に急いで下山しないと、と考え11時20分には出発する。下りは結構、ペースをあげたのだが、焼岳小屋に着いたのは、やはりコースタイムより1.5以上倍かかった13時到着であった。ちょっとだけここでも目をつぶり、下山を開始する。これまで晴天の中にいた焼岳に雲がかかっている。ちょっと不吉な前兆だなと思ったのだが、最初の梯子を下りた時ぐらいから雨が降り始め、3つ目ぐらいの梯子を下りた時には土砂降りになった。これはもうしょうがないとカメラをリュックに入れて、雨仕様に着替え、下山を続ける。このとき、山を登っているグループと出会ったのだが、彼らは焼岳小屋に宿泊する予定なのだろうか。あの梯子を濡れた中、のぼるのは嫌だろうなと同情する。
それからは雨の中、ゆっくりと歩く。途中、猿の大群と出会い、相当緊張したが、無事に通り過ぎることができた。ただ、猿の群れと歩いている時はペースが相当、落ちてしまった。
雨の中、歩いていたこともあり、随分と体温も上がり、膝も痛くなったりして、さらには寝不足であったこともあり、なかなかしんどい下山となった。最初は15時台のバスに乗れるのではないかと思ったのだが、思ったよりずっと時間がかかり、結局、這々の体で登山口に戻ってきたのが15時10分。
最終バスの16時には余裕の15時40分にはバスターミナルには着いたのだが、それでも下山に4時間20分もかかってしまった。登りに4時間30分かかったことを考えると、下山は相当、ペースが落ちてしまったのかもしれない。休憩を入れたら9時間以上の登山になってしまい、もう相当、疲労困憊の登山にはなってしまったが、山頂までは本当に素晴らしい天気に恵まれ、そういう意味では充実した登山ではあった。

<西穂高登山口。私は左の焼岳登山口へ>

<幻想的な朝靄の樺の森の中を歩いて行く>

<森の中から焼岳がその姿を現す。挑発されているような気分>

<谷の向こう側の焼岳の勇姿。天気がよく見事な山容に感動する>

<梯子は結構、厳しい。緊張して登っていく>

<焼岳小屋にはトイレや飲み物等を販売するキオスクがある>

<焼岳の山頂はすぐ登れそうで結構、遠い>

<ところどころに出ている噴煙から、ここがまだ活火山であることに気づかされる>

<あと少し、あと少しと思っても山頂にはなかなかたどり着けない。コースタイムは短すぎると思う>

<山頂直前にも二つの噴火口があり、風向きによっては相当、硫黄臭がきつい>

<山頂にようやく到着。コースタイムを大幅にオーバー>

<お釜はなかなか神秘的>

<笠ヶ岳のまるで壁のような山容>

<上高地が箱庭のように見える>

<乗鞍岳も展望することができた>

<1時過ぎには急に雲行きが怪しくなり、1時30分から雨が降り始める>
はずだったのだが、車を運転している時に珈琲を飲み過ぎたのか、目が覚めて一睡もしないで3時30分になってしまった。どうするか、と行くことを躊躇したが、こういう時に諦めたら100名山登頂は絶対無理だと思い、ホテルを発つ。沢渡に着く前にセブンイレブンで朝食のサンドイッチとお握りを購入する。最近のワンパターンである。
沢渡への道は意外と遠く、4時50分頃に到着する。まだ周囲は暗い。急いで準備をする訳にもいかず、靴を履いたり、タイツを履いたりしていたら始発のバスは出発してしまった。その次は6時であった。土曜日であったので、結構、多くの客がいるのかと思ったが空いていた。帝国ホテル前にて降りる。6時30分ぐらいである。朝焼けに映える上高地を囲む山々のシルエットが息を呑むほど美しい。これは日本のヨセミテだ。
さて、そこから田代橋の方に行くと、穂高登山口に出る。穂高はまだまだハードルが高いので、ここは左に曲がって焼岳へ。ちなみに、焼岳を私はずっと「やきだけ」と読んでいたのだが「やけだけ」なのですね。
砂利道をしばらく歩き。左側に大正池の地獄的な景観が広がる。なかなか、迫力がある。15分ぐらい歩くと焼岳の登山口に出る。ここからは砂利道を外れ、本格的な登山道となる。最初の30分ぐらいは樺の美しい森の中を快適に歩いて行く。しかし、だんだんと傾斜がきつくなり、7時30分ぐらいには森に入って初めて焼岳がその姿を森の木々の中から現す。なんか神々しいのと、同時に、あんな高いところまで登れるのだろうかと不安になる。なんせ、睡眠不足なので体力の消耗が気になるのだ。
また、周りにまったく人気がない。というか、百名山の単独行でこんなに一人になったことは初めてである。そしたら、妙に尿の臭いが強い箇所を通り過ぎた。人間にしてはちょっと臭いが濃すぎる。一昨日にも熊が出没したというニュースがあったので、流石に不安になって、iPhoneで音楽を流しながら歩いて行くこととした。さらに30分ぐらい歩いて行くと、森から抜け、谷が展望できるところに出る。ここらへんからは梯子も出始め、なかなか技術と度胸が必要となってくる。8時45分には、登山コース最後の梯子に到着するが、ここは二つの梯子が括り合わされて長い一つの梯子になっているのだが、その梯子の繋ぎのところを登っていくのはなかなか緊張する。これは二つの梯子の傾きがズレているからだ。流石にここを通る時は眠気も覚めた。ただ、嬉しいのは梯子を越えると、目に見えて高度を得たことが分かることだ。また、この梯子を越えると、谷向こうに焼岳の北岳の素晴らしい展望が得られる。天気も最高に近く、午後の降水予報を敢えて無視してきたことは正しい判断であったと確信する。
ただ、ここらへんからか、寝不足もあって高山病のような症状が出始める。これは、通常、これだけ登山で体力を消耗すると空腹を覚えるのだが、その空腹感がまったく出てこないのである。これ以上、高山病を悪化しては不味いと意識し、ゆっくりとゆっくりと登っていくことにする。ここらへんになると、私を追い抜いていく人も出始め、この山に自分一人ではないという、ある意味当たり前のことを実感して少し、安堵を覚える。
焼岳小屋に到着したのは9時15分。コースタイムとほぼ変わらない。途中からゆっくりペースにしたわりには悪くない。ただ、ここでは流石にちょっとでも目を閉じた方がいいと考え、ベンチに座り10分ぐらい仮眠する。
コースタイムをみると焼岳小屋から頂上まで1時間10分であった。まあ、これまでゆっくりペースでもコースタイムだったので、10時30分にはつけるだろうと思ったのだが、これは大間違いであった。焼岳の山頂を目前にしてからが遠い、遠い。ガレ場の急坂で滑りやすいというのもあるが、なかなか高さを稼げない。ところどころから噴煙がまだ出ており、風向きによっては強烈な硫黄臭に襲われる。周囲を見渡せば笠ヶ岳、穂高連山が見えて、本当、素晴らしい景観の中にいて、気は高揚するのだが、山頂は近いようで遠い。結局、山頂に到達したのは11時。コースタイムのよりも1.5倍もかかった。
山頂からは南にある乗鞍岳も展望でき、本当、今日は素晴らしい登山日であったことを実感する。焼岳からはまさに360度の絶景を楽しむことができる。神々が遊ぶ谷、というヨセミテのキャッチフレーズを思い出す。槍ヶ岳も見ることができる。いつか、これらの山に登頂しなくては、とちょっと気持ちも高揚する。
山頂は飽きないが、午後の雨が来る前に急いで下山しないと、と考え11時20分には出発する。下りは結構、ペースをあげたのだが、焼岳小屋に着いたのは、やはりコースタイムより1.5以上倍かかった13時到着であった。ちょっとだけここでも目をつぶり、下山を開始する。これまで晴天の中にいた焼岳に雲がかかっている。ちょっと不吉な前兆だなと思ったのだが、最初の梯子を下りた時ぐらいから雨が降り始め、3つ目ぐらいの梯子を下りた時には土砂降りになった。これはもうしょうがないとカメラをリュックに入れて、雨仕様に着替え、下山を続ける。このとき、山を登っているグループと出会ったのだが、彼らは焼岳小屋に宿泊する予定なのだろうか。あの梯子を濡れた中、のぼるのは嫌だろうなと同情する。
それからは雨の中、ゆっくりと歩く。途中、猿の大群と出会い、相当緊張したが、無事に通り過ぎることができた。ただ、猿の群れと歩いている時はペースが相当、落ちてしまった。
雨の中、歩いていたこともあり、随分と体温も上がり、膝も痛くなったりして、さらには寝不足であったこともあり、なかなかしんどい下山となった。最初は15時台のバスに乗れるのではないかと思ったのだが、思ったよりずっと時間がかかり、結局、這々の体で登山口に戻ってきたのが15時10分。
最終バスの16時には余裕の15時40分にはバスターミナルには着いたのだが、それでも下山に4時間20分もかかってしまった。登りに4時間30分かかったことを考えると、下山は相当、ペースが落ちてしまったのかもしれない。休憩を入れたら9時間以上の登山になってしまい、もう相当、疲労困憊の登山にはなってしまったが、山頂までは本当に素晴らしい天気に恵まれ、そういう意味では充実した登山ではあった。

<西穂高登山口。私は左の焼岳登山口へ>

<幻想的な朝靄の樺の森の中を歩いて行く>

<森の中から焼岳がその姿を現す。挑発されているような気分>

<谷の向こう側の焼岳の勇姿。天気がよく見事な山容に感動する>

<梯子は結構、厳しい。緊張して登っていく>

<焼岳小屋にはトイレや飲み物等を販売するキオスクがある>

<焼岳の山頂はすぐ登れそうで結構、遠い>

<ところどころに出ている噴煙から、ここがまだ活火山であることに気づかされる>

<あと少し、あと少しと思っても山頂にはなかなかたどり着けない。コースタイムは短すぎると思う>

<山頂直前にも二つの噴火口があり、風向きによっては相当、硫黄臭がきつい>

<山頂にようやく到着。コースタイムを大幅にオーバー>

<お釜はなかなか神秘的>

<笠ヶ岳のまるで壁のような山容>

<上高地が箱庭のように見える>

<乗鞍岳も展望することができた>

<1時過ぎには急に雲行きが怪しくなり、1時30分から雨が降り始める>
霧ヶ峰(日本百名山43座登頂) [日本百名山]
東京から自動車で京都へ移動する際、諏訪で宿泊した。天気があまり芳しくないということなので、前日は、そのまま車で移動しようと考えていたのだが、朝、起きたら晴天である。これは登山日和、ということで霧ヶ峰、正確には車山登山にチャレンジすることにした。車山肩に駐車をして、車山を目指す。登山道は斜度がそれほどなく、幅も広く歩きやすい。いや、結構、岩があるのだが、利尻岳、後方羊蹄山を歩いた後だと、こんな岩は小石のような気分だ。車山の頂上に着いたのは40分後ぐらいか。ハイキングのような登山であるが、結構、汗をかいている。
車山からの展望はなかなか素晴らしいが、あいにく、蓼科山には雲がかかって全貌をみることはできなかった。さて、そのまま来た道を帰ってもよかったのだが、それも芸がない。そこで、車山乗越を経由して、車山肩に戻る周回ルートを取ることにした。これは、途中まで八島ヶ原湿原に行くルートと同じである。蝶々美山のなだらかな山容を眺めながら、分岐点から車山肩に戻る。野草がいろいろ咲いていて目を楽しませてくれるが、ニッコウキスゲがもう咲いていないのは残念であった。この分岐点からのルートは板敷きの道を歩くので、大変歩きやすい。元に戻ったら11時30分。ということで90分という短い時間の登山であった。
車山は以前、スキーでほぼ頂上までリフトで行ったことがある。夏の今日も平日であるが、リフトは動いていた。このリフトを使えば、おそらく百名山の中でも最も簡単に登頂できるのがこの車山であろう。とはいえ、車山ではなく、霧ヶ峰を百名山として深田久弥が挙げたのは、この車山だけでなく、高原全体を評価してのことだと思われる。しかし、正直、ここより百名山として選考すべきであった山は多くあったのではないかと思う。ニペソツ山とか・・。
私は「簡単な百名山なし」という格言というか戒めのようなものを意識して登山をするようにしている。それは、二週間前に登った磐梯山や、初めて登った瑞牆山とか、いわゆる「初心者向け」と言われる山も、それなりに大変で怪我とか遭難の危険性を伴うからだ。しかし、これまで登った中で、この霧ヶ峰(車山)と八幡平はハイキング気分でスニーカーでも登れる百名山かなとも思ったりもした。

<車山肩の駐車場前から登山道は整備されている>

<霧ヶ峰のたおやかな丘陵>

<40分ぐらいで山頂に着いてしまう>

<山頂から蓼科山を望むも雲で上は見られず>

<山頂付近から白樺湖を望む>

<蝶々美山のなだらかな山容>
車山からの展望はなかなか素晴らしいが、あいにく、蓼科山には雲がかかって全貌をみることはできなかった。さて、そのまま来た道を帰ってもよかったのだが、それも芸がない。そこで、車山乗越を経由して、車山肩に戻る周回ルートを取ることにした。これは、途中まで八島ヶ原湿原に行くルートと同じである。蝶々美山のなだらかな山容を眺めながら、分岐点から車山肩に戻る。野草がいろいろ咲いていて目を楽しませてくれるが、ニッコウキスゲがもう咲いていないのは残念であった。この分岐点からのルートは板敷きの道を歩くので、大変歩きやすい。元に戻ったら11時30分。ということで90分という短い時間の登山であった。
車山は以前、スキーでほぼ頂上までリフトで行ったことがある。夏の今日も平日であるが、リフトは動いていた。このリフトを使えば、おそらく百名山の中でも最も簡単に登頂できるのがこの車山であろう。とはいえ、車山ではなく、霧ヶ峰を百名山として深田久弥が挙げたのは、この車山だけでなく、高原全体を評価してのことだと思われる。しかし、正直、ここより百名山として選考すべきであった山は多くあったのではないかと思う。ニペソツ山とか・・。
私は「簡単な百名山なし」という格言というか戒めのようなものを意識して登山をするようにしている。それは、二週間前に登った磐梯山や、初めて登った瑞牆山とか、いわゆる「初心者向け」と言われる山も、それなりに大変で怪我とか遭難の危険性を伴うからだ。しかし、これまで登った中で、この霧ヶ峰(車山)と八幡平はハイキング気分でスニーカーでも登れる百名山かなとも思ったりもした。

<車山肩の駐車場前から登山道は整備されている>

<霧ヶ峰のたおやかな丘陵>

<40分ぐらいで山頂に着いてしまう>

<山頂から蓼科山を望むも雲で上は見られず>

<山頂付近から白樺湖を望む>

<蝶々美山のなだらかな山容>
羊蹄山(日本百名山42座登頂) [日本百名山]
羊蹄山にチャレンジする。羊蹄山には4つのルートがあるが、そのうちそれほど難しくないのは比羅夫ルートか真狩ルートであるが、我々は比羅夫ルートを選ぶ。宿を4時に出て、途中でセブンイレブンにより、登山口の半月湖野営場の駐車場に車を停める。天気予報が雨ということもあってか、我々以外に登山者はいないようだ。ただ、5時時点では天気は悪くない。羊蹄山の姿も笠雲を被ってはいるがよく見える。その姿はむしろ、我々を挑発するようだ。
5時ちょっと前に登山口を出発する。しばらくはミズナラやシナノキといった広葉樹林の森の中を平坦な道を歩く。たまに倒木が登山道に横たわり行く手を阻むがそれ以外は、軽快に足を進めていける。ただ、一合目(5時30分通過)を過ぎると、すぐ羊蹄山の斜面はきつくなり、そこからはひたすら山頂周りの火口壁までは30度ぐらいの急登が続く。さらに、登り坂になってからすぐに登山道は狭くなり、草が繁茂していることもあり歩きにくい。急坂の泥道であるために、これは雨が降ったら大変なことになるな、という思いは、下りで現実となることを知る。加えて、状況をさらに悪化させるのは虫が多いことだ。これは標高が低いからかもしれないが、蚊の類いや羽虫のようなものがやたら多くて、不快である。ただ、一方で美しい花が多く咲いており(そのせいで虫も多いのかもしれないが)、これが多少はきつい登りを上がっていく中、喜びを与えてくれる。二合目は5時50分、五合目は7時10分。四合目当たりから雨が降り始めたので、五合目ではレインコートを着る。登りがきついので汗が滝のように出るので、レインコートを着るのは躊躇していたが、この雨の強さだと致し方ない。一眼レフのカメラもこの時点でリュックにしまい込む。五合目ぐらいから、さらに斜度がきつくなる。七合目は8時30分。八合目は9時10分。そして九合目に到着したのは9時30分である。本来であれば、ここから広大な展望が得られるのだろうが、まったく雨と霧で視界は得られない。というか、風も強くなってきて寒い。ここで手袋をする。手袋をしないと低体温症になるかというぐらいの風の強さと冷たさである。
九合目に到着したら山頂まではすぐかと思ったら、さにあらず。そこから山頂までも大変な難行であった。どうもここら一帯は「後方羊蹄山の高山植物帯」として天然記念物に指定されているそうだが、その美しさを愛でる余裕はない。急登もそうだが、雨との戦いでそれどころではないからだ。
九合目を40分ほど登ると火口壁に着く(10時10分)。ただ、霧と風でほとんど何も見えない。ただ、瓦礫と岩の荒涼たる場所であることが分かる。どうも、この火口壁からは360度の展望が広がるそうだが、まったく何も見えない。さらに、眼鏡に雨の水滴がこびりついて、目の前もよく見えないような状況だ。羊蹄山の山頂に到達するには岩場を登り上がらないといけない。なかなかハードだ。しかし、それらの苦行を乗り越えて、どうにか山頂に登頂する。11時ちょうどで、登山口から6時間かかったこととなる。ここからの展望は素晴らしいらしいが、何も見えないので、大変残念だが、登頂したという達成感で気持ちは清々しい。
さて昼飯時ではあるのだが、雨ということもあり避難小屋まで移動してそこで食べることにする。帰り道は、来た道を戻るという選択肢もあったが、何も見えないが山頂を廻る形で、真狩ルートの分岐点を経由するコースを取る。ただ、このコース、山頂直下はなかなか凄まじい岩場である。しかも、その岩場が相当、長い間続く。雨でも岩は滑りにくかったが、相当、緊張して通過する。さて、どうにか岩場を通り抜けたのはいいが、その後、安心感からか油断して左の足首を捻ってしまった。これは古傷で、非常に不味いなと思ったのだが、同行者が急いでエアー・サロンパスで救急処置をしてくれたこともあって、どうにか歩くことはできた。ただ、足首は一日経った今、これを書いている現在でもそれほど芳しくはない。左の足首は、もう捻るのは癖になっているのだが、私の登山靴はしっかりと足首をサポートしてくれることもあって、この登山靴を履いて捻ったのは初めてであり、ショックであった。
少し休んだ後、ゆっくりと歩き始め真狩ルートで避難小屋まで向かう。避難小屋への分岐点は真狩ルートの九合目なのだが、そこまで20分はかかった。そして、分岐点からさらに10分はかかる。避難小屋へのアクセスが悪いというのも、羊蹄山のマイナスポイントなのではないかと思う。ただ、この頃から雨が上がり始め、下界が展望できるようになる。山頂の高度からではないが、それなりの雄大なる眺めに心は晴れる。避難小屋に着いたのは13時10分頃。
避難小屋のベンチに座りながら、ゆっくりと食事を取り、捻った足首にサロンパスを貼る。トイレも借りて、避難小屋を発ったのが13時30分。カメラを再び鞄から取り出し、雄大な西北海道の光景を撮影する。日本海が美しい。
さて、再び比羅夫ルートの九合目に着いたのが13時45分。そこからはひたすら急坂を下りていくことになる。捻った直後の足首に、これはなかなか厳しい。とはいえ、登山靴がテーピングをしたかのように足首をしっかりと固定してくれているので、どうにか降りていくことができる。ゴローのしっかりとした登山靴の有り難みが身に染みる。
七合目に到着したのが14時30分。六合目が15時05分。足首を気にしているためかコースタイムより遅い。再び雨が降り始めたので、カメラをまたリュックにしまい、泥道で非常に滑りやすい中、ストックを使いながらどうにか降りていく。ただ、気をつけながらも3回ほど転んでしまった。この比羅夫ルート、決して優れたコースとはいえない。もう少し、整備をしてくれればと強く思う。とはいえ、四つあるコースではこのコースが一番人気らしいので、他のコースはこれより酷いのかと思うと、ちょっと驚きだ。どうにか二合目に着いたのは16時40分。また17時前だが、雨ということもあり、さらには森の中にいるため暗く感じる。日の入りはまだまだということは分かっていても不安になる。
さて、這々の体で登山口に戻ってきたのは17時20分。正味12時間以上の登山であった。披露困憊だ。シャツを4回は着替えるほどの大量の汗を掻き、雨に降られ、泥まみれになり、さらに足首を捻り、しかも登山をしてから初めて脇腹が筋肉痛になるという事態にも陥るなど、どっと疲れるような登山体験であったが、懸念であった「膝痛」もなければ、太股の痙攣もなく、この長丁場をどうにか登り切れたのは自信となった。
羊蹄山に登る前に、ロッグキャビンのような場所に前泊したのだが、そこで隣のキャビンに泊まっていた札幌の人とちょっと話をした。彼は嫌味なく、北海道が本州に比べて、自然がいかに豊かで恵まれているか、という話をした。私はそれを聞いて、そういうものかな、と思っていたが、「自然」をどのように捉えるかは難しいところはあるが、今日の羊蹄山より、先週、登頂した奥白根山の方がはるかに自然のゴージャスさでは勝っているという感想を抱いた。いや、晴れていたら違う感想を抱くと指摘されるかもしれないが、登山口が既に羊蹄山より高い標高2000メートルの奥白根山の高山の魅力、五色沼の美しさは北海道にはなかなかないのではと思ったりもする。いや、まだ幌尻岳とかトムラウシは未踏なので、これはあくまでも現段階での感想ですが。ただ、羊蹄山はその素晴らしく雄大なる姿に比べて、登山体験としては今一つではあることは確かだ。羅臼岳や利尻岳はもちろん、旭岳の方がずっと素晴らしい。

<前泊した宿から展望した羊蹄山。まるで我々を挑発するかのように聳え立っている>

<登山口>

<登山道はまるでジャングルのように木々が生い茂っている>

<イワギキョウ>

<九合目は濃霧の中だ>

<山頂に行くには岩場を登りきらなくてはならない>

<山頂からの展望。濃霧と雨の中、視界は極めて限定されていた>

<火口壁は岩だらけである>


<真狩ルートとの分岐点ぐらいから視界が開け始める>

<避難小屋にアクセスするのは結構、遠回りをしなくてはならない>

<避難小屋周辺から羊蹄山の西側を観る>

<下山時の九合目は、登山時に比べるとずっと視界は開けていた>
5時ちょっと前に登山口を出発する。しばらくはミズナラやシナノキといった広葉樹林の森の中を平坦な道を歩く。たまに倒木が登山道に横たわり行く手を阻むがそれ以外は、軽快に足を進めていける。ただ、一合目(5時30分通過)を過ぎると、すぐ羊蹄山の斜面はきつくなり、そこからはひたすら山頂周りの火口壁までは30度ぐらいの急登が続く。さらに、登り坂になってからすぐに登山道は狭くなり、草が繁茂していることもあり歩きにくい。急坂の泥道であるために、これは雨が降ったら大変なことになるな、という思いは、下りで現実となることを知る。加えて、状況をさらに悪化させるのは虫が多いことだ。これは標高が低いからかもしれないが、蚊の類いや羽虫のようなものがやたら多くて、不快である。ただ、一方で美しい花が多く咲いており(そのせいで虫も多いのかもしれないが)、これが多少はきつい登りを上がっていく中、喜びを与えてくれる。二合目は5時50分、五合目は7時10分。四合目当たりから雨が降り始めたので、五合目ではレインコートを着る。登りがきついので汗が滝のように出るので、レインコートを着るのは躊躇していたが、この雨の強さだと致し方ない。一眼レフのカメラもこの時点でリュックにしまい込む。五合目ぐらいから、さらに斜度がきつくなる。七合目は8時30分。八合目は9時10分。そして九合目に到着したのは9時30分である。本来であれば、ここから広大な展望が得られるのだろうが、まったく雨と霧で視界は得られない。というか、風も強くなってきて寒い。ここで手袋をする。手袋をしないと低体温症になるかというぐらいの風の強さと冷たさである。
九合目に到着したら山頂まではすぐかと思ったら、さにあらず。そこから山頂までも大変な難行であった。どうもここら一帯は「後方羊蹄山の高山植物帯」として天然記念物に指定されているそうだが、その美しさを愛でる余裕はない。急登もそうだが、雨との戦いでそれどころではないからだ。
九合目を40分ほど登ると火口壁に着く(10時10分)。ただ、霧と風でほとんど何も見えない。ただ、瓦礫と岩の荒涼たる場所であることが分かる。どうも、この火口壁からは360度の展望が広がるそうだが、まったく何も見えない。さらに、眼鏡に雨の水滴がこびりついて、目の前もよく見えないような状況だ。羊蹄山の山頂に到達するには岩場を登り上がらないといけない。なかなかハードだ。しかし、それらの苦行を乗り越えて、どうにか山頂に登頂する。11時ちょうどで、登山口から6時間かかったこととなる。ここからの展望は素晴らしいらしいが、何も見えないので、大変残念だが、登頂したという達成感で気持ちは清々しい。
さて昼飯時ではあるのだが、雨ということもあり避難小屋まで移動してそこで食べることにする。帰り道は、来た道を戻るという選択肢もあったが、何も見えないが山頂を廻る形で、真狩ルートの分岐点を経由するコースを取る。ただ、このコース、山頂直下はなかなか凄まじい岩場である。しかも、その岩場が相当、長い間続く。雨でも岩は滑りにくかったが、相当、緊張して通過する。さて、どうにか岩場を通り抜けたのはいいが、その後、安心感からか油断して左の足首を捻ってしまった。これは古傷で、非常に不味いなと思ったのだが、同行者が急いでエアー・サロンパスで救急処置をしてくれたこともあって、どうにか歩くことはできた。ただ、足首は一日経った今、これを書いている現在でもそれほど芳しくはない。左の足首は、もう捻るのは癖になっているのだが、私の登山靴はしっかりと足首をサポートしてくれることもあって、この登山靴を履いて捻ったのは初めてであり、ショックであった。
少し休んだ後、ゆっくりと歩き始め真狩ルートで避難小屋まで向かう。避難小屋への分岐点は真狩ルートの九合目なのだが、そこまで20分はかかった。そして、分岐点からさらに10分はかかる。避難小屋へのアクセスが悪いというのも、羊蹄山のマイナスポイントなのではないかと思う。ただ、この頃から雨が上がり始め、下界が展望できるようになる。山頂の高度からではないが、それなりの雄大なる眺めに心は晴れる。避難小屋に着いたのは13時10分頃。
避難小屋のベンチに座りながら、ゆっくりと食事を取り、捻った足首にサロンパスを貼る。トイレも借りて、避難小屋を発ったのが13時30分。カメラを再び鞄から取り出し、雄大な西北海道の光景を撮影する。日本海が美しい。
さて、再び比羅夫ルートの九合目に着いたのが13時45分。そこからはひたすら急坂を下りていくことになる。捻った直後の足首に、これはなかなか厳しい。とはいえ、登山靴がテーピングをしたかのように足首をしっかりと固定してくれているので、どうにか降りていくことができる。ゴローのしっかりとした登山靴の有り難みが身に染みる。
七合目に到着したのが14時30分。六合目が15時05分。足首を気にしているためかコースタイムより遅い。再び雨が降り始めたので、カメラをまたリュックにしまい、泥道で非常に滑りやすい中、ストックを使いながらどうにか降りていく。ただ、気をつけながらも3回ほど転んでしまった。この比羅夫ルート、決して優れたコースとはいえない。もう少し、整備をしてくれればと強く思う。とはいえ、四つあるコースではこのコースが一番人気らしいので、他のコースはこれより酷いのかと思うと、ちょっと驚きだ。どうにか二合目に着いたのは16時40分。また17時前だが、雨ということもあり、さらには森の中にいるため暗く感じる。日の入りはまだまだということは分かっていても不安になる。
さて、這々の体で登山口に戻ってきたのは17時20分。正味12時間以上の登山であった。披露困憊だ。シャツを4回は着替えるほどの大量の汗を掻き、雨に降られ、泥まみれになり、さらに足首を捻り、しかも登山をしてから初めて脇腹が筋肉痛になるという事態にも陥るなど、どっと疲れるような登山体験であったが、懸念であった「膝痛」もなければ、太股の痙攣もなく、この長丁場をどうにか登り切れたのは自信となった。
羊蹄山に登る前に、ロッグキャビンのような場所に前泊したのだが、そこで隣のキャビンに泊まっていた札幌の人とちょっと話をした。彼は嫌味なく、北海道が本州に比べて、自然がいかに豊かで恵まれているか、という話をした。私はそれを聞いて、そういうものかな、と思っていたが、「自然」をどのように捉えるかは難しいところはあるが、今日の羊蹄山より、先週、登頂した奥白根山の方がはるかに自然のゴージャスさでは勝っているという感想を抱いた。いや、晴れていたら違う感想を抱くと指摘されるかもしれないが、登山口が既に羊蹄山より高い標高2000メートルの奥白根山の高山の魅力、五色沼の美しさは北海道にはなかなかないのではと思ったりもする。いや、まだ幌尻岳とかトムラウシは未踏なので、これはあくまでも現段階での感想ですが。ただ、羊蹄山はその素晴らしく雄大なる姿に比べて、登山体験としては今一つではあることは確かだ。羅臼岳や利尻岳はもちろん、旭岳の方がずっと素晴らしい。

<前泊した宿から展望した羊蹄山。まるで我々を挑発するかのように聳え立っている>

<登山口>

<登山道はまるでジャングルのように木々が生い茂っている>

<イワギキョウ>

<九合目は濃霧の中だ>

<山頂に行くには岩場を登りきらなくてはならない>

<山頂からの展望。濃霧と雨の中、視界は極めて限定されていた>

<火口壁は岩だらけである>


<真狩ルートとの分岐点ぐらいから視界が開け始める>

<避難小屋にアクセスするのは結構、遠回りをしなくてはならない>

<避難小屋周辺から羊蹄山の西側を観る>

<下山時の九合目は、登山時に比べるとずっと視界は開けていた>
タグ:羊蹄山
赤城山(日本百名山:二回目登頂) [日本百名山]
奥白根山に登った翌日、苗場山にチャレンジしようと苗場山の麓の越後湯沢の宿に泊まる。もちろん、天気予報を確認した後での行動だ。さて、しかし二日前はほぼばっちりであった天気が、前日は9時から15時までのみが晴天となっている。これは、登山の最初の時間帯は雨かな、とちょっと嫌な気分になりながらも眠りに就く。さて、朝の3時に目を覚まし、行動を開始しようと天気予報をチェックすると、なんと晴天は12時から15時のみとなっている。そして、宿の窓の外は雨が降っている。これはアカン。雨が降っている中、苗場山にチャレンジする気はまったくない。とはいえ、宿でゴロゴロしているのも時間の無駄なので4時頃には宿を発った。どうせなら、登山口ぐらいを見ていこう、と敢えて高速道路ではなく国道17号で帰路に着く。さて、苗場山の登山口付近は雨こそ降っていなかったが、山の中腹以上はもう雨雲に覆われている。これはどうしょうもない、とそのまま17号を東京に向けて走って行くと、なんと県境を越えたトンネルを抜けたら晴天であった。なんだなんだ、と思うと同時に、これならどっか登れるな、ということに気づく。どこに行くか、ということだが、これは赤城山だな、と気づく。ちなみに、赤城山は以前、登ったことがあるのだが山頂は雲に覆われていてまったく展望が得られなかったので、そういう意味ではリベンジとしてもいいかなと思ったのである。
さて、沼田から赤城山へと向かう。黒檜山の登山口に着いたのは7時前。早起きは三文の得、という諺を思い出す。さて、黒檜山登山口から赤城山最高峰の黒檜山までの道のりは険しい。岩だらけで、しかも急勾配である。ということで、私がいつも携帯するストックを敢えて持たずにチャレンジする。加えて、手袋をするべきだったのだが、これはし忘れてしまい、あとで後悔する。
黒檜山までは、森の中をひたすら登っていく。あまり楽しくない。しかし、たまに大沼の素晴らしい展望が得られて、これが単調な上り坂にいいアクセントを与えてくれる。天気に恵まれ、これは黒檜山からの360度の素晴らしいパノラマが見られるぞ、と期待に胸を膨らませていたら、なんと山頂への分岐点に着いた時に、雲が舞い上がってきて、まったく東側の展望が得られない。と思っていたら、西側も雲に覆われてしまった。なんてついていない、というか赤城山とはつくづく相性が悪いと思わされた。山頂に着いたのは1時間20分後であった。
ここで軽くお握りを食べながら、さて、ここで待つか、すぐ帰るかと悩むが、すぐ帰ることにした。これは、結果的にいい判断であった。というのは、下山時には、山頂を覆う雲が灰色になりつつあり、下手したら雨に降られる可能性さえあったからだ。黒檜山の登山のポイントは下山も全然、楽じゃないことだ。私が注意深かったからかもしれないが、下山は登山よりむしろ時間がかかったぐらいである。昨日の奥白根山とはもちろんのこと、一週間前の磐梯山と比べても、相当今ひとつな百名山である。まあ、展望が得られたら別の印象を持ったかもしれないが、それを除いても、登山路の整備のされ無さ、その大変さ、登山途中の楽しみの無さ、ワイルド・フラワーが少ないこと、標高がそれほど高くないこと、などを考慮すると、近場にいい山があるのにわざわざチャレンジする必要性があるかなとも思ったりする。いや、唯一いい点は距離が短く、短時間で登って降りてこられることである。あと、東京からのアクセスは他の百名山よりはずっとよい。そういう点からはトレーニングとしては向いているかもしれない。私も展望が得られなかったことで、もう一度、チャレンジするような気もする。二度あることは三度ある、か三度目の正直か、どちらに出るかは分からないが。

<黒檜山の登山口>

<途中、大沼への美しい展望が楽しめる。晴天で素晴らしい天候だ>

<黒檜山登山ルートの険しい岩道。この岩道がほとんどずっと続く。全然、この岩登り、楽しくない>

<黒檜山の頂上は雲でほとんど何も見られず。あと30分、いや15分早く着いていれば・・・と悔やまれる>

<帰路でも大沼は展望できたが、一時間前と比べるとずっと曇っている>
さて、沼田から赤城山へと向かう。黒檜山の登山口に着いたのは7時前。早起きは三文の得、という諺を思い出す。さて、黒檜山登山口から赤城山最高峰の黒檜山までの道のりは険しい。岩だらけで、しかも急勾配である。ということで、私がいつも携帯するストックを敢えて持たずにチャレンジする。加えて、手袋をするべきだったのだが、これはし忘れてしまい、あとで後悔する。
黒檜山までは、森の中をひたすら登っていく。あまり楽しくない。しかし、たまに大沼の素晴らしい展望が得られて、これが単調な上り坂にいいアクセントを与えてくれる。天気に恵まれ、これは黒檜山からの360度の素晴らしいパノラマが見られるぞ、と期待に胸を膨らませていたら、なんと山頂への分岐点に着いた時に、雲が舞い上がってきて、まったく東側の展望が得られない。と思っていたら、西側も雲に覆われてしまった。なんてついていない、というか赤城山とはつくづく相性が悪いと思わされた。山頂に着いたのは1時間20分後であった。
ここで軽くお握りを食べながら、さて、ここで待つか、すぐ帰るかと悩むが、すぐ帰ることにした。これは、結果的にいい判断であった。というのは、下山時には、山頂を覆う雲が灰色になりつつあり、下手したら雨に降られる可能性さえあったからだ。黒檜山の登山のポイントは下山も全然、楽じゃないことだ。私が注意深かったからかもしれないが、下山は登山よりむしろ時間がかかったぐらいである。昨日の奥白根山とはもちろんのこと、一週間前の磐梯山と比べても、相当今ひとつな百名山である。まあ、展望が得られたら別の印象を持ったかもしれないが、それを除いても、登山路の整備のされ無さ、その大変さ、登山途中の楽しみの無さ、ワイルド・フラワーが少ないこと、標高がそれほど高くないこと、などを考慮すると、近場にいい山があるのにわざわざチャレンジする必要性があるかなとも思ったりする。いや、唯一いい点は距離が短く、短時間で登って降りてこられることである。あと、東京からのアクセスは他の百名山よりはずっとよい。そういう点からはトレーニングとしては向いているかもしれない。私も展望が得られなかったことで、もう一度、チャレンジするような気もする。二度あることは三度ある、か三度目の正直か、どちらに出るかは分からないが。

<黒檜山の登山口>

<途中、大沼への美しい展望が楽しめる。晴天で素晴らしい天候だ>

<黒檜山登山ルートの険しい岩道。この岩道がほとんどずっと続く。全然、この岩登り、楽しくない>

<黒檜山の頂上は雲でほとんど何も見られず。あと30分、いや15分早く着いていれば・・・と悔やまれる>

<帰路でも大沼は展望できたが、一時間前と比べるとずっと曇っている>
奥白根山(日本百名山40座登頂) [日本百名山]
奥白根山にチャレンジする。朝の4時過ぎに目黒区の自宅を自家用車で発つ。白根山のゴンドラの麓駅に着いたのは7時30分ぐらいである。7時30分はちょうどゴンドラの始発の時間であるので、タイミング的には絶妙であると言えるであろう。この日は晴天で、逆光であるが白根山の雄壮たる姿が見える。丸沼高原はスキー場が気に入っているので何回か来たことがあり、このゴンドラも随分と乗ったことがあるのだが、夏に来るのは初めてである。
さて、MarunumaではなくてMalnumaと書かれたゴンドラに乗って登山口まで一挙に上る。MalnumaのMalはスペイン語で「悪い」という意味なので、なんでMaruにしなくてMalなのか昔、気になっていたことを思い出した。しかし、その理由は今日になっても知らない。
ゴンドラで一挙に標高2000㍍地点まで上る。先週登った磐梯山の山頂より既に高い。標高が高いこともあり、空気が澄んでいて、フィトンチッドに溢れているような清涼さを感じる。さて、このゴンドラの駅からは、しばらくしっかりと整備された自然散策路で、牧歌的に歩いて行く。出発したのは8時ちょうどである。1時間弱で、自然散策路とは分岐し、本格的な登山路になる。いきなり斜面は急になり、呼吸も荒くなる。ただし、登山道はダケカンバの森の中を行くのだが、その美しさに息を呑むぐらいだ。日本は素晴らしい自然に恵まれていることを再確認する。しかも、東京から自動車で三時間ちょっとでこんな大自然にアクセスできるなんて、よく考えたら凄いことだ。ロンドンでもパリでもベルリンでも、このような大自然に自動車で三時間以内では行くことはできない。このダケカンバの森を一時間ぐらい歩くと、森林限界に達し、白根山が目の前に聳え立つ。ここからはガレ場である。それにしても百名山はガレ場を登らせる山が多い。いかに、日本の山が火山活動でつくられたかを思い知らされる。ガレ場を歩くポイントは、足もとをしっかりと確認して、浮き石に足を取られないようにすることだ。あせらず一歩一歩前に進んでいく。ふと振り返ると、富士山がその姿を現している。周辺の山々から図抜けて高いのでよく目立つ。富士山はその美しさだけでなく、圧倒的な高さによっても他の山々から飛び抜けた存在であることを、標高2500㍍ぐらいから望むとよく理解できる。さて、富士山の姿に勇気づけられ、ガレ場を前進していくと、無事、白根山の山頂の一角に着く。ただ、本当の頂上はもう一つの山頂であり、一度、窪地のようなところに降りて再び登る。山頂に着いたのは10時ちょうどであった。二時間で登れたことになる。
山頂からは360度の展望が得られ、白根山がひときわ周辺の山より高いこともあって、本当に感動的な景色を楽しむことができる。東側のすぐ隣には男体山と中禅寺湖、そして北に目を向けると会津駒ヶ岳、その左隣には燧ヶ岳の特徴的な山容がどんと構える。燧ヶ岳の左方向には至仏山が見られるが、燧ヶ岳からは意外と離れており、尾瀬湿原の大きさにちょっと驚かされる。そして、武尊山や皇海山も見える。さらには、前述した富士山もくっきりとその勇姿を現している。そして何より眼下に見られるエメラルドグリーンの五色沼の美しさが目を引く。北海道の阿寒国立公園にあるオンネトーよりもさらに心を惹かれる色彩だ。ちょっと宝石のような輝きを放っている。いやはや、こういう体験をすると登山をしたことのご褒美をもらえたような気分だ。簡単な昼食もこの山頂で取る。
そのまま、矢陀カ池を通って下山しようと思ったが、思いのほか早く登頂できたので、せっかくなので五色沼に寄ることにする。こちらのルートもガレ場なので降りるには足もとを注意しなくてはならない。マルバダケブキの黄色の中を歩いていくのは心躍る気分だ。マルバダケブキの黄色と五色沼のエメラルドグリーンとのコントラストが美しい。五色沼に着いたのは12時ちょっと前。思ったよりも時間はかかった。五色沼は遠くからだけでなく、畔からでもその美しさは変わらない。太陽が雲に隠れると、その色がエメラルドグリーンから藍色へと変わっていく。そして、その背景に見える白根山の堂々とした山容が素晴らしい。アメリカのシエラネバダ山脈の山々で感じるような荘厳さ、自然の素晴らしさを感じる。こんなところが北関東にあったのは驚きである。
しばらく五色沼の素晴らしさを堪能して、下山に入る。とはいえ、そこから矢陀カ池までは80㍍の高さを登らなくてはならない。矢陀カ池までは25分ぐらいで着いた。さて、ここは菅沼新道とロープウェイ駅との分岐点なのだが、ロープウェイ駅へのルートは「白根山」とだけ書いてあった。いや、ちょっと気をつければ「ロープウェイ駅もこちら」と書いてあったのだが、その時は、他の登山客がちょうど案内板の前にいたこともあり、遠目でチェックをした私は見落としてしまった。「白根山にはもう登らないよな」と思って、そのまま「菅沼登山口」に向かって下山をし始めた。この登山口も苔の緑が美しく、下山でもあり、楽しい気分で歩いていたのだが20分ぐらい歩いたところで「菅沼登山口まであと2.1キロメートル」の看板をみて、嫌な予感がして地図を確認するとまったくルートを間違っていることに気づく。既に結構、疲れていたので900㍍の来た道をまた登ると考えるとゾッとしたが他の選択肢はないので来た道を戻る。矢陀カ池には20分ほどで戻る。時間としては14時になっていた。そこから「白根山」に向かう道を行き、ちょっと登ると白根山とロープウェイ駅との分岐点に達する。右側のルートを取って、ロープウェイ駅へと向かう。急勾配の坂をゆっくりと歩いて降りていく。約1時間で自然散策路に合流し、せっかくなので「血の池地獄」という場所を見に行ったのだが、これはたいへん今ひとつであった。今日の登山で、唯一がっかりしたのはこれであった。というか、ネーミングと池のギャップが凄すぎる。あまりにがっかりしたので写真を撮る気力も出てこなかった。
登山口に戻ったのは15時20分。いらぬところで40分ほど損したので、思ったよりも遅くなってしまった。全行程で7時間ちょっと。
これまで北関東・南東北の山は結構、登ってきたが、この奥白根山はそれらの中でも別格の素晴らしさであった。寿司屋でいうと、先週の磐梯山が1500円ぐらいのランチ握りであるとすると、奥白根山は10000円の高級店でのランチ握りという感じである。これまでの登山の中でもベスト5に入る素晴らしい山であった。

<朝8時のロープウェイの山頂駅からみる奥白根山>

<ダケカンバの森を歩いて行く>

<朝の木漏れ日が美しい>

<登山途中から武尊山の雄壮たる山容が望める>

<森林限界を越えるとガレ場が広がる。と同時に白根山がその姿を現す>

<振り返ると、富士山がその姿をはっきりと見ることができた>

<白根山の山頂から北側への展望。燧ヶ岳を見ることができる>

<白根山の山頂からの展望。男体山と中禅寺湖がすぐ目の前に広がる>

<山頂からの五色沼の展望>

<マルバダケブキの黄色と五色沼のエメラルドグリーンとのコントラストが美しい>

<五色沼からの白根山の展望>

<五色沼の息を呑むようなエメラルドグリーン>

<矢陀カ池>

<矢陀カ池から白根山を展望する>

<下山時にロープウェイ駅から白根山を望んだところ>
さて、MarunumaではなくてMalnumaと書かれたゴンドラに乗って登山口まで一挙に上る。MalnumaのMalはスペイン語で「悪い」という意味なので、なんでMaruにしなくてMalなのか昔、気になっていたことを思い出した。しかし、その理由は今日になっても知らない。
ゴンドラで一挙に標高2000㍍地点まで上る。先週登った磐梯山の山頂より既に高い。標高が高いこともあり、空気が澄んでいて、フィトンチッドに溢れているような清涼さを感じる。さて、このゴンドラの駅からは、しばらくしっかりと整備された自然散策路で、牧歌的に歩いて行く。出発したのは8時ちょうどである。1時間弱で、自然散策路とは分岐し、本格的な登山路になる。いきなり斜面は急になり、呼吸も荒くなる。ただし、登山道はダケカンバの森の中を行くのだが、その美しさに息を呑むぐらいだ。日本は素晴らしい自然に恵まれていることを再確認する。しかも、東京から自動車で三時間ちょっとでこんな大自然にアクセスできるなんて、よく考えたら凄いことだ。ロンドンでもパリでもベルリンでも、このような大自然に自動車で三時間以内では行くことはできない。このダケカンバの森を一時間ぐらい歩くと、森林限界に達し、白根山が目の前に聳え立つ。ここからはガレ場である。それにしても百名山はガレ場を登らせる山が多い。いかに、日本の山が火山活動でつくられたかを思い知らされる。ガレ場を歩くポイントは、足もとをしっかりと確認して、浮き石に足を取られないようにすることだ。あせらず一歩一歩前に進んでいく。ふと振り返ると、富士山がその姿を現している。周辺の山々から図抜けて高いのでよく目立つ。富士山はその美しさだけでなく、圧倒的な高さによっても他の山々から飛び抜けた存在であることを、標高2500㍍ぐらいから望むとよく理解できる。さて、富士山の姿に勇気づけられ、ガレ場を前進していくと、無事、白根山の山頂の一角に着く。ただ、本当の頂上はもう一つの山頂であり、一度、窪地のようなところに降りて再び登る。山頂に着いたのは10時ちょうどであった。二時間で登れたことになる。
山頂からは360度の展望が得られ、白根山がひときわ周辺の山より高いこともあって、本当に感動的な景色を楽しむことができる。東側のすぐ隣には男体山と中禅寺湖、そして北に目を向けると会津駒ヶ岳、その左隣には燧ヶ岳の特徴的な山容がどんと構える。燧ヶ岳の左方向には至仏山が見られるが、燧ヶ岳からは意外と離れており、尾瀬湿原の大きさにちょっと驚かされる。そして、武尊山や皇海山も見える。さらには、前述した富士山もくっきりとその勇姿を現している。そして何より眼下に見られるエメラルドグリーンの五色沼の美しさが目を引く。北海道の阿寒国立公園にあるオンネトーよりもさらに心を惹かれる色彩だ。ちょっと宝石のような輝きを放っている。いやはや、こういう体験をすると登山をしたことのご褒美をもらえたような気分だ。簡単な昼食もこの山頂で取る。
そのまま、矢陀カ池を通って下山しようと思ったが、思いのほか早く登頂できたので、せっかくなので五色沼に寄ることにする。こちらのルートもガレ場なので降りるには足もとを注意しなくてはならない。マルバダケブキの黄色の中を歩いていくのは心躍る気分だ。マルバダケブキの黄色と五色沼のエメラルドグリーンとのコントラストが美しい。五色沼に着いたのは12時ちょっと前。思ったよりも時間はかかった。五色沼は遠くからだけでなく、畔からでもその美しさは変わらない。太陽が雲に隠れると、その色がエメラルドグリーンから藍色へと変わっていく。そして、その背景に見える白根山の堂々とした山容が素晴らしい。アメリカのシエラネバダ山脈の山々で感じるような荘厳さ、自然の素晴らしさを感じる。こんなところが北関東にあったのは驚きである。
しばらく五色沼の素晴らしさを堪能して、下山に入る。とはいえ、そこから矢陀カ池までは80㍍の高さを登らなくてはならない。矢陀カ池までは25分ぐらいで着いた。さて、ここは菅沼新道とロープウェイ駅との分岐点なのだが、ロープウェイ駅へのルートは「白根山」とだけ書いてあった。いや、ちょっと気をつければ「ロープウェイ駅もこちら」と書いてあったのだが、その時は、他の登山客がちょうど案内板の前にいたこともあり、遠目でチェックをした私は見落としてしまった。「白根山にはもう登らないよな」と思って、そのまま「菅沼登山口」に向かって下山をし始めた。この登山口も苔の緑が美しく、下山でもあり、楽しい気分で歩いていたのだが20分ぐらい歩いたところで「菅沼登山口まであと2.1キロメートル」の看板をみて、嫌な予感がして地図を確認するとまったくルートを間違っていることに気づく。既に結構、疲れていたので900㍍の来た道をまた登ると考えるとゾッとしたが他の選択肢はないので来た道を戻る。矢陀カ池には20分ほどで戻る。時間としては14時になっていた。そこから「白根山」に向かう道を行き、ちょっと登ると白根山とロープウェイ駅との分岐点に達する。右側のルートを取って、ロープウェイ駅へと向かう。急勾配の坂をゆっくりと歩いて降りていく。約1時間で自然散策路に合流し、せっかくなので「血の池地獄」という場所を見に行ったのだが、これはたいへん今ひとつであった。今日の登山で、唯一がっかりしたのはこれであった。というか、ネーミングと池のギャップが凄すぎる。あまりにがっかりしたので写真を撮る気力も出てこなかった。
登山口に戻ったのは15時20分。いらぬところで40分ほど損したので、思ったよりも遅くなってしまった。全行程で7時間ちょっと。
これまで北関東・南東北の山は結構、登ってきたが、この奥白根山はそれらの中でも別格の素晴らしさであった。寿司屋でいうと、先週の磐梯山が1500円ぐらいのランチ握りであるとすると、奥白根山は10000円の高級店でのランチ握りという感じである。これまでの登山の中でもベスト5に入る素晴らしい山であった。

<朝8時のロープウェイの山頂駅からみる奥白根山>

<ダケカンバの森を歩いて行く>

<朝の木漏れ日が美しい>

<登山途中から武尊山の雄壮たる山容が望める>

<森林限界を越えるとガレ場が広がる。と同時に白根山がその姿を現す>

<振り返ると、富士山がその姿をはっきりと見ることができた>

<白根山の山頂から北側への展望。燧ヶ岳を見ることができる>

<白根山の山頂からの展望。男体山と中禅寺湖がすぐ目の前に広がる>

<山頂からの五色沼の展望>

<マルバダケブキの黄色と五色沼のエメラルドグリーンとのコントラストが美しい>

<五色沼からの白根山の展望>

<五色沼の息を呑むようなエメラルドグリーン>

<矢陀カ池>

<矢陀カ池から白根山を展望する>

<下山時にロープウェイ駅から白根山を望んだところ>
磐梯山(日本百名山39座登頂) [日本百名山]
ちょうど1年ぶりに百名山に挑戦する。このように時間が空いてしまったのは昨年の秋が忙しかったのと、今年前半はコロナで山登りという気分にもなれなかったからである。さて、一年ぶりに挑戦したのは日帰りでも行ける磐梯山。東京の自宅を7時ちょっと前に出発。道路は混んでいなかったし、それなりに飛ばしたのだが八方台に到着したのは11時。八方台の駐車場はそれなりのスペースがあるのだが、さすが11時だとほぼ満車状態で私はちょうど最後のスペースに停められることができた。ただ、ここが満車でも近くにもまだ駐車場はある。
さて、八方台で既に標高が1200㍍ほどあるので、600㍍ちょっと登るだけである。距離的にも短く、大したことがないと思っていたのだが、なかなかの急勾配の厳しい登山であった。というか距離が短かったために助かった。この急勾配で距離が長いと相当、バテる。
駐車場からすぐ美しいブナ林が広がる。これらのブナ林は明治時代の噴火以降に形成されたので100年ぐらいの若いブナ林である。このブナ林を抜けてしばらく歩くと中ノ湯跡という、元いで湯の跡地がある。周辺は硫黄臭が強い。
中ノ湯では裏磐梯からのコースと合流するが、ここらへんから急登となる。土砂崩れの跡などを注意深く歩いて行くと、弘法清水に着く。弘法清水では湧き水が出ていて、その冷たさと美味しさに感動する。想像以上の急坂ということもあって、随分と水分補給をしたので、ここで冷たい水を確保できたのは大きい。ここで元気を回復して、最後の30分ほどのアプローチに臨む。さて、このアプローチ、メチャクチャ急坂である。わずか500㍍ぐらいの距離だが、息が上がり、なかなか前に進めない。一年ぶりの登山ということもあり、この坂は堪えた。
しかし、頑張って30分ほど踏ん張ると磐梯山の山頂に着く。ちょうど14時だったので3時間弱かかったことになる。山頂からは、まさに360度の大展望が得られる。南には猪苗代湖、そして北には桧原湖が展望できる。ちょうど私が登頂した時には雲も周りになく、すばらしい展望を愉しむことができた。ただ、トンボやブヨがたくさんいるので、食事を落ち着いて取ることはかなわなかった。
行きはあまりの急坂にそのような余裕はなかったが、帰りはカメラを取り出し、山頂と弘法清水の登山路に咲くワイルド・フラワーを撮影する。オニユリを初めとして、目を楽しませてくれる花々が多く咲いている。
帰りも坂が急なので、注意深く降りていかなくてはならない。とはいえ、登りのような心肺機能に来る負担は全然、ない。ただ、膝には気をつけないといけないぐらいの急坂である。駐車場に戻ったのは16時。自分の体力の衰えを自覚させてくれた厳しい登山であったが、その素晴らしい展望、登山道沿いのワイルド・フラワーの美しさは、登ってよかったと強く思わせる。8月の晴天日であったが、あまり直射日光を浴びるところが多くないこともプラスであった。
【登山口にいきなり「熊注意」の看板。若干、緊張が走る】

【登山口からは美しいブナ林の中を歩いて行く】

【中ノ湯からは磐梯山の雄姿を眺めることができる】

【中ノ湯の廃墟跡】

【桧原湖の素晴らしい景色が望める】

【弘法清水から山頂を望む】

【弘法清水の冷たく、美味しい水で英気を養う】

【山頂から猪苗代湖を望む】

【山頂から秋元湖を望む】

【山頂には磐梯明神の石祠が祀られている】

【ホタルブクロ】

【ウスユキソウ】

【オニユリ】

さて、八方台で既に標高が1200㍍ほどあるので、600㍍ちょっと登るだけである。距離的にも短く、大したことがないと思っていたのだが、なかなかの急勾配の厳しい登山であった。というか距離が短かったために助かった。この急勾配で距離が長いと相当、バテる。
駐車場からすぐ美しいブナ林が広がる。これらのブナ林は明治時代の噴火以降に形成されたので100年ぐらいの若いブナ林である。このブナ林を抜けてしばらく歩くと中ノ湯跡という、元いで湯の跡地がある。周辺は硫黄臭が強い。
中ノ湯では裏磐梯からのコースと合流するが、ここらへんから急登となる。土砂崩れの跡などを注意深く歩いて行くと、弘法清水に着く。弘法清水では湧き水が出ていて、その冷たさと美味しさに感動する。想像以上の急坂ということもあって、随分と水分補給をしたので、ここで冷たい水を確保できたのは大きい。ここで元気を回復して、最後の30分ほどのアプローチに臨む。さて、このアプローチ、メチャクチャ急坂である。わずか500㍍ぐらいの距離だが、息が上がり、なかなか前に進めない。一年ぶりの登山ということもあり、この坂は堪えた。
しかし、頑張って30分ほど踏ん張ると磐梯山の山頂に着く。ちょうど14時だったので3時間弱かかったことになる。山頂からは、まさに360度の大展望が得られる。南には猪苗代湖、そして北には桧原湖が展望できる。ちょうど私が登頂した時には雲も周りになく、すばらしい展望を愉しむことができた。ただ、トンボやブヨがたくさんいるので、食事を落ち着いて取ることはかなわなかった。
行きはあまりの急坂にそのような余裕はなかったが、帰りはカメラを取り出し、山頂と弘法清水の登山路に咲くワイルド・フラワーを撮影する。オニユリを初めとして、目を楽しませてくれる花々が多く咲いている。
帰りも坂が急なので、注意深く降りていかなくてはならない。とはいえ、登りのような心肺機能に来る負担は全然、ない。ただ、膝には気をつけないといけないぐらいの急坂である。駐車場に戻ったのは16時。自分の体力の衰えを自覚させてくれた厳しい登山であったが、その素晴らしい展望、登山道沿いのワイルド・フラワーの美しさは、登ってよかったと強く思わせる。8月の晴天日であったが、あまり直射日光を浴びるところが多くないこともプラスであった。
【登山口にいきなり「熊注意」の看板。若干、緊張が走る】

【登山口からは美しいブナ林の中を歩いて行く】

【中ノ湯からは磐梯山の雄姿を眺めることができる】

【中ノ湯の廃墟跡】

【桧原湖の素晴らしい景色が望める】

【弘法清水から山頂を望む】

【弘法清水の冷たく、美味しい水で英気を養う】

【山頂から猪苗代湖を望む】

【山頂から秋元湖を望む】

【山頂には磐梯明神の石祠が祀られている】

【ホタルブクロ】

【ウスユキソウ】

【オニユリ】


常念岳(日本百名山38座登頂) [日本百名山]
常念岳に挑戦した。前日に松本市内のビジネスホテルに泊まり、3時15分に起床。4時前にチェックアウトして、一ノ沢の駐車場へ向かう。5時前に駐車場に到着。ちょうど一両分の空きスペースがあったので、そこに駐車する。ついている。そして、5時10分頃、登山開始。ここから一ノ沢の登山口までは1200メートル。ここにはトイレなどもある。ここは5時40分に出発。出発して500メートルぐらいで山の神の神社があり、登山の無事を祈って出発。烏帽子沢の渓流を左手にみつつ、緩やかに高度を上げていく。途中、沢を通るところもあり、泥濘みのところもあったりしたが、倒木をうまく使って歩けば問題はない。烏帽子沢の渓流は美しく、歩いていて楽しい。7時前ぐらいに大滝に着く。登山口から2.1 キロ、標高として300メートル稼いだが、常念小屋まではまだまだだ。さらに一時間、丸太橋を渡り、烏帽子沢の右へ行ったり左を行ったりして、笠原沢に到達したのがちょうど8時。この笠原沢は標高的には1900メートルで登山口からは600メートル標高を稼いだことになり、ちょうど半分ぐらい登ったことになる。そして、しばらく行くと胸突き八丁に差し掛かる。ここからはジグザグに高度を上げていく。烏帽子沢にはまだ長大な雪渓が残っている。常念岳もこちらから望めるのだが、ガスがかかっていてその全容はみることはできない。
そして烏帽子沢を丸太橋で渡ると、最終水場に9時15分頃に到着する。ここまで来ると、あと常念小屋まで1キロメートル。高さも200メートルだけだ。難所と言われる胸突き八丁も越えたし、もうあと一息と思ったのだが、実はここから常念小屋までがとても困難であった。最終水場から常念小屋までの方が、むしろ胸突き八丁とかわらぬほどの急坂。最近はあまりなかった大腿筋が痙攣し始め、これは攣るかもしれないと緊張する。攣ると面倒なので休み、休みゆっくりと登っていくことにする。途中、三箇所、ベンチがあるのだが、三箇所ともゆっくりと休んで上がっていった。その結果、常念小屋に着いたのは10時30分と最終水場から1時間15分もかかった。これはコースタイムの50分より大幅に遅い。とはいえ、攣らずにどうにか到着できたのはよかった。
そのまま常念小屋でチェックインをする。常念小屋は定員200名で、3日前に予約した時は既に250名が予約しているので、一畳を二人で共有して下さいと言われ、覚悟をしていたのだが、3階の部屋は天井が低いので一畳を一人で使うことができた。常念小屋で早い昼食を取る。私が注文したのは牛丼で1000円だった。なかなか山小屋としては味のクオリティは高い。ここで荷物を置き、水とカメラだけを入れたザックを担いで常念岳を覆い被さっていたガスが晴れたのを確認して12時頃から登山にチャレンジする。
常念岳まではジグザグに礫の道を歩いていく。展望は抜群で、槍ヶ岳から涸沢、穂高岳と素晴らしい展望を右手に見つつ、左手には安曇野市の美しい田園風景を見つつ、登っていく。この坂も相当、厳しいが、常念小屋で休んだこともあり、大腿筋はどうにか我慢してくれている。展望の素晴らしさが、また疲れを吹き飛ばしてもくれる。
常念岳に到着したのは13時30分。これもコースタイムを20分もオーバーしてしまった。大腿筋の痙攣だけではなく、なんか登りながら立ちくらみにもなりそうで、もう満身創痍での登頂であった。そういう意味では、これまでの登山の中でも今回の常念岳登頂は相当、厳しいものであったと考えられる。
とはいえ、常念岳からの展望はまさに360度の絶景で、なぜ多くの人々が北アルプスに魅了されるのかがよく理解できた。この素晴らしい絶景を見るためなら、身体が多少、悲鳴を上げてもその価値があると思われる。槍岳は雲に姿を隠して、なかなかその全貌を見せなかったが、小屋に着いた頃に、その素晴らしくもユニークな偉容を我々に見せてくれる。
絶景を堪能した後、ゆっくりと常念小屋まで下山をし、5時の夕食まで食堂にて生ビールを飲み、時間を潰す。ちなみに、このビール、身体が欲していたのだろうか、人生でも5本の指に入るぐらいの美味しさであった。夕食はハンバーグ定食。
夕食を食べた後、6時にはもう就寝し、一度起きるが次に気づいたら3時。ゆっくりと身支度をして、4時30分頃に朝食を食べる。朝食は鮎煮と卵焼き、ソーセージなどでなかなか美味しかった。夕食よりも美味しいような気もする。5時にご来光を見て、下山開始は5時30分。胸突き八丁に差し掛かったのは6時18分。登りとは偉い違うインターバル・タイム。登山口に到着は9時であった。登りと違って、下りは特に問題もなかった。

(登山口の手前にある駐車場。ぎりぎり一車輌分が空いていて助かった)
(山の神の神社で登山の無事を祈る)

(登山道にはワイルド・フラワーが咲き誇っているが、その中でもその優雅さで目立つのはクルマユリである)

(胸突き八丁からは烏帽子沢の雪渓を展望できる)

(常念小屋に着いた時は常念岳も小屋もガスに覆われていた)

(常念小屋での昼食。1000円の牛丼は山小屋としては相当のクオリティであったかと思われる)

(常念小屋から常念岳の肩の部分を展望する。これは、常念岳の山頂ではない)

(常念岳への登山道はなかなか厳しい)

(常念岳の登山途中から常念小屋を振り返って望む。キャンプ場のテントの色彩が美しい)

(常念岳の肩から常念岳の山頂を望む)

(常念岳の山頂までの道は険しいが左右に展開する素晴らしい絶景が疲れを吹き飛ばしてくれる)

(登山途上に咲くしゃくなげの花)

(登山道から安曇野市側を展望する)

(常念岳の山頂)

(常念岳の山頂から涸沢、穂高岳を展望する)

(常念岳から大天井岳の方を展望する)

(常念岳から横通岳の方を展望する)

(常念小屋に近づいた時、それまで雲に見え隠れした槍岳が全貌を見させる)

(常念小屋での朝食)

(常念小屋からのご来光)

(朝日によって赤く染まった槍岳)

(胸突き八丁沿道に見られるワイルド・フラワー)


(烏帽子沢の美しい渓流)
そして烏帽子沢を丸太橋で渡ると、最終水場に9時15分頃に到着する。ここまで来ると、あと常念小屋まで1キロメートル。高さも200メートルだけだ。難所と言われる胸突き八丁も越えたし、もうあと一息と思ったのだが、実はここから常念小屋までがとても困難であった。最終水場から常念小屋までの方が、むしろ胸突き八丁とかわらぬほどの急坂。最近はあまりなかった大腿筋が痙攣し始め、これは攣るかもしれないと緊張する。攣ると面倒なので休み、休みゆっくりと登っていくことにする。途中、三箇所、ベンチがあるのだが、三箇所ともゆっくりと休んで上がっていった。その結果、常念小屋に着いたのは10時30分と最終水場から1時間15分もかかった。これはコースタイムの50分より大幅に遅い。とはいえ、攣らずにどうにか到着できたのはよかった。
そのまま常念小屋でチェックインをする。常念小屋は定員200名で、3日前に予約した時は既に250名が予約しているので、一畳を二人で共有して下さいと言われ、覚悟をしていたのだが、3階の部屋は天井が低いので一畳を一人で使うことができた。常念小屋で早い昼食を取る。私が注文したのは牛丼で1000円だった。なかなか山小屋としては味のクオリティは高い。ここで荷物を置き、水とカメラだけを入れたザックを担いで常念岳を覆い被さっていたガスが晴れたのを確認して12時頃から登山にチャレンジする。
常念岳まではジグザグに礫の道を歩いていく。展望は抜群で、槍ヶ岳から涸沢、穂高岳と素晴らしい展望を右手に見つつ、左手には安曇野市の美しい田園風景を見つつ、登っていく。この坂も相当、厳しいが、常念小屋で休んだこともあり、大腿筋はどうにか我慢してくれている。展望の素晴らしさが、また疲れを吹き飛ばしてもくれる。
常念岳に到着したのは13時30分。これもコースタイムを20分もオーバーしてしまった。大腿筋の痙攣だけではなく、なんか登りながら立ちくらみにもなりそうで、もう満身創痍での登頂であった。そういう意味では、これまでの登山の中でも今回の常念岳登頂は相当、厳しいものであったと考えられる。
とはいえ、常念岳からの展望はまさに360度の絶景で、なぜ多くの人々が北アルプスに魅了されるのかがよく理解できた。この素晴らしい絶景を見るためなら、身体が多少、悲鳴を上げてもその価値があると思われる。槍岳は雲に姿を隠して、なかなかその全貌を見せなかったが、小屋に着いた頃に、その素晴らしくもユニークな偉容を我々に見せてくれる。
絶景を堪能した後、ゆっくりと常念小屋まで下山をし、5時の夕食まで食堂にて生ビールを飲み、時間を潰す。ちなみに、このビール、身体が欲していたのだろうか、人生でも5本の指に入るぐらいの美味しさであった。夕食はハンバーグ定食。
夕食を食べた後、6時にはもう就寝し、一度起きるが次に気づいたら3時。ゆっくりと身支度をして、4時30分頃に朝食を食べる。朝食は鮎煮と卵焼き、ソーセージなどでなかなか美味しかった。夕食よりも美味しいような気もする。5時にご来光を見て、下山開始は5時30分。胸突き八丁に差し掛かったのは6時18分。登りとは偉い違うインターバル・タイム。登山口に到着は9時であった。登りと違って、下りは特に問題もなかった。

(登山口の手前にある駐車場。ぎりぎり一車輌分が空いていて助かった)

(山の神の神社で登山の無事を祈る)

(登山道にはワイルド・フラワーが咲き誇っているが、その中でもその優雅さで目立つのはクルマユリである)

(胸突き八丁からは烏帽子沢の雪渓を展望できる)

(常念小屋に着いた時は常念岳も小屋もガスに覆われていた)

(常念小屋での昼食。1000円の牛丼は山小屋としては相当のクオリティであったかと思われる)

(常念小屋から常念岳の肩の部分を展望する。これは、常念岳の山頂ではない)

(常念岳への登山道はなかなか厳しい)

(常念岳の登山途中から常念小屋を振り返って望む。キャンプ場のテントの色彩が美しい)

(常念岳の肩から常念岳の山頂を望む)

(常念岳の山頂までの道は険しいが左右に展開する素晴らしい絶景が疲れを吹き飛ばしてくれる)

(登山途上に咲くしゃくなげの花)

(登山道から安曇野市側を展望する)

(常念岳の山頂)

(常念岳の山頂から涸沢、穂高岳を展望する)

(常念岳から大天井岳の方を展望する)

(常念岳から横通岳の方を展望する)

(常念小屋に近づいた時、それまで雲に見え隠れした槍岳が全貌を見させる)

(常念小屋での朝食)

(常念小屋からのご来光)

(朝日によって赤く染まった槍岳)

(胸突き八丁沿道に見られるワイルド・フラワー)


(烏帽子沢の美しい渓流)
蔵王山(日本百名山37座登頂) [日本百名山]
鶴岡市に月曜日に用事がある。ということで、日曜日に蔵王山に登ってから鶴岡市に向かうことにした。早朝、蔵王に向かおうとしたが、始発に乗る時間に起きれる自信がなかったので、土曜日の夜に白石蔵王にまで向かう。駅そばのホテルに泊まり、レンタカー会社が開業する8時ちょうどに車を借りて蔵王山のトレイルヘッドでもある刈田峠に行く。道は結構、幅が狭いワインディング・ロードで刈田峠の駐車場に着いたのは9時30分近くであった。ちなみに、この刈田峠の駐車場に入るには540円を支払わなくてはならない。
さて、刈田峠周辺は霧が出ており、お釜もまったく見えなかったが、しばらく登山をすると霧も晴れ、緑色の見事なお釜を望むことができた。この緑色は抹茶色であったが、隣でそれを見ていた人は、今日は抹茶色だが、エメラルドグリーンになったり、色々と天気によって変わると説明してくれる。ちなみに抹茶色の時は珍しいようだ。
その後、活火山特有の岩と砂、時々ちょっとした緑、といった馬の背といわれる尾根道の登山道を歩いて行くと1時間もしないうちに、蔵王では最高峰の熊野岳に登頂する。山形盆地の方は雲が発達していたが、太平洋側は素晴らしい展望が得られることができた。山形盆地も北部は展望することができた。なかなかの絶景だ。
熊野岳には斎藤茂吉の歌碑、熊野神社と避難小屋がある。火山ではあるが、蓼科山、岩木山などと違い、頂上が礫ではなく平らなので足に優しい。そこで、おにぎりなど消費したカロリー分を吸収していると、雲がどんどんと迫ってくるので、そのまま帰路に着く。帰路に着き始めたら、もうほとんど登山道は霧の中で、帰りの駐車場までほとんど視界はないに等しかった。ただ、登山道に沿って、電信柱のようなものが立っているので道を迷わずに戻ることができた。帰路はお釜もまったく霧で見ることができなかった。たかだか1時間もないほどの差だが、1時間遅れて登山を開始したらまったく蔵王山の印象は変わったものとなったであろう。本当、登山はタイミングが大事であることを思い知る。
刈田峠の駐車場に戻ったのは11時30分。休憩を入れても2時間で、これまでの百名山登山でも最も簡単な部類であったが、霧に覆われる前に登頂できたので、満足のいく登山となった。

(駐車場から山形方面を望む)

(駐車場からしばらくは舗装された極めて歩きやすい道を行く)

(お釜の見事な姿。今日は抹茶色であったが、色は天気や太陽の光によって大きく変わるとのこと)

(1時間もしないうちに山頂が見えてくる)

(山頂手前で山形方面を望む)

(熊野岳山頂)

(山頂)

(帰路は濃霧の中を歩く。電信柱のような柱があるので迷わず戻れたが、これがなかったら結構、不安になったかもしれない)

(帰りはお釜もまったく見えず。1時間足らずの差でこの違い)

(駐車場からの展望も2時間弱でこんなに違った)
さて、刈田峠周辺は霧が出ており、お釜もまったく見えなかったが、しばらく登山をすると霧も晴れ、緑色の見事なお釜を望むことができた。この緑色は抹茶色であったが、隣でそれを見ていた人は、今日は抹茶色だが、エメラルドグリーンになったり、色々と天気によって変わると説明してくれる。ちなみに抹茶色の時は珍しいようだ。
その後、活火山特有の岩と砂、時々ちょっとした緑、といった馬の背といわれる尾根道の登山道を歩いて行くと1時間もしないうちに、蔵王では最高峰の熊野岳に登頂する。山形盆地の方は雲が発達していたが、太平洋側は素晴らしい展望が得られることができた。山形盆地も北部は展望することができた。なかなかの絶景だ。
熊野岳には斎藤茂吉の歌碑、熊野神社と避難小屋がある。火山ではあるが、蓼科山、岩木山などと違い、頂上が礫ではなく平らなので足に優しい。そこで、おにぎりなど消費したカロリー分を吸収していると、雲がどんどんと迫ってくるので、そのまま帰路に着く。帰路に着き始めたら、もうほとんど登山道は霧の中で、帰りの駐車場までほとんど視界はないに等しかった。ただ、登山道に沿って、電信柱のようなものが立っているので道を迷わずに戻ることができた。帰路はお釜もまったく霧で見ることができなかった。たかだか1時間もないほどの差だが、1時間遅れて登山を開始したらまったく蔵王山の印象は変わったものとなったであろう。本当、登山はタイミングが大事であることを思い知る。
刈田峠の駐車場に戻ったのは11時30分。休憩を入れても2時間で、これまでの百名山登山でも最も簡単な部類であったが、霧に覆われる前に登頂できたので、満足のいく登山となった。

(駐車場から山形方面を望む)

(駐車場からしばらくは舗装された極めて歩きやすい道を行く)

(お釜の見事な姿。今日は抹茶色であったが、色は天気や太陽の光によって大きく変わるとのこと)

(1時間もしないうちに山頂が見えてくる)

(山頂手前で山形方面を望む)

(熊野岳山頂)

(山頂)

(帰路は濃霧の中を歩く。電信柱のような柱があるので迷わず戻れたが、これがなかったら結構、不安になったかもしれない)

(帰りはお釜もまったく見えず。1時間足らずの差でこの違い)

(駐車場からの展望も2時間弱でこんなに違った)
祖母山(日本百名山36座登頂) [日本百名山]
祖母山にチャレンジする。祖母山には3つの主要な登山口がある。神原登山口と尾平登山口、そして北谷登山口である。標高はそれぞれ390メートル、590メートル、1111メートル。これは絶対、北谷登山口であろう。町のホームページによると、北谷登山口の駐車場は使用できず、2.4キロメートル手前の一の鳥居の駐車場を使えとのこと。これもゴールデンウィークのみだけ開いているそうだ。これは、往復4.8キロメートルも余計に歩かなくてはならないが、標高は100メートル下がるだけなので、それでも北谷登山口に向かう。
さて、ゴールデンウィーク中であったので、これは相当、駐車場が混むことを予測した。昨日、久住山の登山口の牧ノ戸登山口が6時過ぎで200台のキャパを越えていたことを考えると、15台しか駐車できない北谷登山口の一の鳥居の駐車場はあっという間に満車になるだろう。
(その情報源となった高千穂町のHP。http://takachiho-kanko.info/sightseeing/detail.php?log=1381220521)
ということで、熊本空港そばのホテルは2時ちょっと過ぎに起き、3時にはチェックアウトをした。北谷登山口は東へ60キロメートルちょっと。昨日の牧ノ戸登山口とほぼ距離は一緒である。私のレンタカーのナビは古くて、道路が工事中で通行止めの情報を反映させていないが、昨日、失敗したので同じ轍を二度は踏まない。スムーズに移動していく。北谷登山口の入り口が分からないのではと不安に思ったが、看板がしっかりと出ていたので、迷わず、そちらに向かうことができた。
ホームページ等は登山口までの林道は車高が低いと気をつけろなどの注意をしていたが、それほどの悪路ではなかった。むしろ、拍子抜けしたぐらいだ。さて、一の鳥居の駐車場には5時過ぎ頃に着いたが誰一人、駐車していない。これは何だ。もしかして、一番乗り。そんな筈はないだろうと戸惑っていると、私の後ろから車が来て、そのまま真っ直ぐと進んでいく。これは、もしかして北谷登山口の駐車場まで行けるのか、とその車を追いかけていくと、果たして、北谷登山口の駐車場に多くの車が駐車していた。悔しいことに、私の前を走っていた車が最後のスポットを取ってしまったが、それから200メートルぐらい下りると、また10台以上は駐まれる駐車スペースがあった。しかも、さらにその下に駐車スペースがある。最近、増設したのであろうか。駐車スペースに関しては、北谷登山口、それほどホームページ等で言うほど心配しなくてもいいかもしれない。

(5時30分頃、ちょうど満車になった北谷登山口の駐車場。というか、駐車できるのであれば早くいってよ、みたいな気分。それとも平成31年ではなくて令和元年になったので、情報は古いとでも言い訳をするのだろうか)
ということで、5時45分には登山を始めた。北谷登山口から祖母山までには二つのルートがあるが、千間平、三県界を通る尾根ルートを取ることにした。このルートはそれぞれの合目に看板が設置され、さらには標高を示す看板も置かれているので、安心して登っていくことができる。ちなみに、それぞれの通過時間は、一合目が5時46分、二合目は6時17分、三合目は6時29分、四合目は6時41分、五合目は6時54分、六合目は7時17分、七合目は7時25分、八合目は7時38分、九合目は7時59分、山頂は8時20分であった。一合目から二合目まで時間がかかったのは、ストックが壊れたので、それを直そうとするのに時間がかかったからだ。一合目から四合目までは、結構、標高を稼ぐために登り坂は比較的厳しいが、それから七合目と八合目の中間にある国観峠までは尾根沿いのなだらかな登山道となる。ただ、展望は決してよくない。ただ、三合目ぐらいまでは植林の杉林が多く、緑のコンクリートのような無粋な森の中を歩いていくが、それ以降は広葉樹林が発達してきて目には優しい。国観峠から山頂までは、滑りやすい道が続く。ところどころに紐があり、これに頼って登っていく感じになる。登りはまだしも、下りは厳しいだろう。ただ、最近、雨が降っていないのか、事前にホームページ等で収集した情報に比べると、それほど困らずに山頂まで行くことができた。
山頂は九重連山、阿蘇山を含む360度の大展望を楽しむことができる。今日も天気はよかったので、展望には恵まれた。
さて、復路は往路と同じ道をと考えていたのだが、あまり面白くなかったので、「危険箇所あり、注意」との看板があり、単独行なのでちょっと怯んだが、幸い、比較的よくある太股の張りや膝の痛みがないのと、下山開始時が8時30分ということもあり、思い切って「風穴コース」を取ることにした。風穴コースは、急な窪地を下りていくため、ロープや梯子も多くある。ただ、昔は梯子をみると、ゲゲッと思ったが、最近ではむしろ楽なのでラッキーと思うようになっているので、そんなに苦にはしなかった。とはいえ、ちょっと段差があるところの着地で滑ったのと、木に足をかけたら、それが滑ったので、二回ほど尻餅をついた。幸い、怪我にはならなかったが、気をつけていてもこの泥のような登山道は滑る。さて、まあ、登山ルート的には往路に比べて、風穴コースは難度は高かったが、周辺の景観はとてもよく、こちらを選んで大正解であった。まず、往路ではほとんど見られなかった「ツクシアケボノツツジ」が蕾から、咲き始めているものまで多くあり、その派手でいて上品なピンク色が目を楽しませてくれた。風穴はただの洞穴にしか見えず、全然、感心しなかったが、登山口そばでは渓流沿いに歩いていき、その渓流美もなかなかのものであった。変化もあり、こちらの方がずっと楽しめる。往路は、国観峠の展望は悪くないし、八合目までなだらかな登山道であることや、看板が充実していて安心して登山できることはプラスではあるが、登山自体の楽しみは風穴コースの方が数倍優れているのではないかと思われる。
とはいえ、初めて祖母山を登るのであれば、いきなり風穴コースはびびるかもしれない。
さて、風穴コースで一番迷ったのが、登山口そばの林道に出たところ。左に行けばいいのか、右に行けばいいのか分からない。正解は左なのだが、私は携帯電話でチェックしようとしたがグーグルマップが使えず、結局、町のホームページの拡大地図を見て確認した。看板を設置した人は、ここは置かなくてもいいだろうと思ったのかもしれないが、一番、重要な分岐点であるような気がしないでもない。
登山口に戻ったのは10時45分。ということで5時間の行程であった。

(しばらくは緑のコンクリートのような生態系的にもいびつな自然の中を歩いて行く。無粋)

(ただ、3合目を越えたあたりから、広葉樹林が発達してくる)

(祖母山登山の敵が、この滑りやすい登山道)

(尾根沿いの登山ルートは合目ごとに貴重な情報が提供されていて有り難い)

(合目ごとの情報だけでなく、節目の標高となる場所でも看板が設置されている)

(国観峠から祖母山を仰ぐ)

(八合目から山頂までは、さらに登山道が滑りやすくなる。雨が降ると、本当、悲惨な登山になるだろう。よかった、晴れていて)

(山頂)

(山頂からの素晴らしい展望。これは南側をみたところ)

(山頂から九重連山を見る)

(山頂から阿蘇連山を見る)

(ツクシアケボノツツジがちょうど咲いていた)

(ツクシアケボノツツジの見事なピンク)

(ツクシアケボノツツジと祖母山周辺の山の見事なコントラスト)

(風穴コースは「危険」看板が多い)

(梯子や紐なども多く備え付けられている)

(またツクシアケボノツツジ。ツツジというよりかは桜のよう)

(巨大な岩がある場所から祖母山を見る)

(またまたツクシアケボノツツジ。これを見ただけでも風穴コースを選んで大正解)

(風穴コースの目玉である風穴は、その有り難みがよく分からなかった)

(ツクシアケボノツツジ以外にも可憐な紫のスミレが登山道沿いに咲いていた。可憐だ)


(風穴コースは登山口近くでは渓流沿いに歩いて行く。これもなかなかよかった)
さて、ゴールデンウィーク中であったので、これは相当、駐車場が混むことを予測した。昨日、久住山の登山口の牧ノ戸登山口が6時過ぎで200台のキャパを越えていたことを考えると、15台しか駐車できない北谷登山口の一の鳥居の駐車場はあっという間に満車になるだろう。
(その情報源となった高千穂町のHP。http://takachiho-kanko.info/sightseeing/detail.php?log=1381220521)
ということで、熊本空港そばのホテルは2時ちょっと過ぎに起き、3時にはチェックアウトをした。北谷登山口は東へ60キロメートルちょっと。昨日の牧ノ戸登山口とほぼ距離は一緒である。私のレンタカーのナビは古くて、道路が工事中で通行止めの情報を反映させていないが、昨日、失敗したので同じ轍を二度は踏まない。スムーズに移動していく。北谷登山口の入り口が分からないのではと不安に思ったが、看板がしっかりと出ていたので、迷わず、そちらに向かうことができた。
ホームページ等は登山口までの林道は車高が低いと気をつけろなどの注意をしていたが、それほどの悪路ではなかった。むしろ、拍子抜けしたぐらいだ。さて、一の鳥居の駐車場には5時過ぎ頃に着いたが誰一人、駐車していない。これは何だ。もしかして、一番乗り。そんな筈はないだろうと戸惑っていると、私の後ろから車が来て、そのまま真っ直ぐと進んでいく。これは、もしかして北谷登山口の駐車場まで行けるのか、とその車を追いかけていくと、果たして、北谷登山口の駐車場に多くの車が駐車していた。悔しいことに、私の前を走っていた車が最後のスポットを取ってしまったが、それから200メートルぐらい下りると、また10台以上は駐まれる駐車スペースがあった。しかも、さらにその下に駐車スペースがある。最近、増設したのであろうか。駐車スペースに関しては、北谷登山口、それほどホームページ等で言うほど心配しなくてもいいかもしれない。

(5時30分頃、ちょうど満車になった北谷登山口の駐車場。というか、駐車できるのであれば早くいってよ、みたいな気分。それとも平成31年ではなくて令和元年になったので、情報は古いとでも言い訳をするのだろうか)
ということで、5時45分には登山を始めた。北谷登山口から祖母山までには二つのルートがあるが、千間平、三県界を通る尾根ルートを取ることにした。このルートはそれぞれの合目に看板が設置され、さらには標高を示す看板も置かれているので、安心して登っていくことができる。ちなみに、それぞれの通過時間は、一合目が5時46分、二合目は6時17分、三合目は6時29分、四合目は6時41分、五合目は6時54分、六合目は7時17分、七合目は7時25分、八合目は7時38分、九合目は7時59分、山頂は8時20分であった。一合目から二合目まで時間がかかったのは、ストックが壊れたので、それを直そうとするのに時間がかかったからだ。一合目から四合目までは、結構、標高を稼ぐために登り坂は比較的厳しいが、それから七合目と八合目の中間にある国観峠までは尾根沿いのなだらかな登山道となる。ただ、展望は決してよくない。ただ、三合目ぐらいまでは植林の杉林が多く、緑のコンクリートのような無粋な森の中を歩いていくが、それ以降は広葉樹林が発達してきて目には優しい。国観峠から山頂までは、滑りやすい道が続く。ところどころに紐があり、これに頼って登っていく感じになる。登りはまだしも、下りは厳しいだろう。ただ、最近、雨が降っていないのか、事前にホームページ等で収集した情報に比べると、それほど困らずに山頂まで行くことができた。
山頂は九重連山、阿蘇山を含む360度の大展望を楽しむことができる。今日も天気はよかったので、展望には恵まれた。
さて、復路は往路と同じ道をと考えていたのだが、あまり面白くなかったので、「危険箇所あり、注意」との看板があり、単独行なのでちょっと怯んだが、幸い、比較的よくある太股の張りや膝の痛みがないのと、下山開始時が8時30分ということもあり、思い切って「風穴コース」を取ることにした。風穴コースは、急な窪地を下りていくため、ロープや梯子も多くある。ただ、昔は梯子をみると、ゲゲッと思ったが、最近ではむしろ楽なのでラッキーと思うようになっているので、そんなに苦にはしなかった。とはいえ、ちょっと段差があるところの着地で滑ったのと、木に足をかけたら、それが滑ったので、二回ほど尻餅をついた。幸い、怪我にはならなかったが、気をつけていてもこの泥のような登山道は滑る。さて、まあ、登山ルート的には往路に比べて、風穴コースは難度は高かったが、周辺の景観はとてもよく、こちらを選んで大正解であった。まず、往路ではほとんど見られなかった「ツクシアケボノツツジ」が蕾から、咲き始めているものまで多くあり、その派手でいて上品なピンク色が目を楽しませてくれた。風穴はただの洞穴にしか見えず、全然、感心しなかったが、登山口そばでは渓流沿いに歩いていき、その渓流美もなかなかのものであった。変化もあり、こちらの方がずっと楽しめる。往路は、国観峠の展望は悪くないし、八合目までなだらかな登山道であることや、看板が充実していて安心して登山できることはプラスではあるが、登山自体の楽しみは風穴コースの方が数倍優れているのではないかと思われる。
とはいえ、初めて祖母山を登るのであれば、いきなり風穴コースはびびるかもしれない。
さて、風穴コースで一番迷ったのが、登山口そばの林道に出たところ。左に行けばいいのか、右に行けばいいのか分からない。正解は左なのだが、私は携帯電話でチェックしようとしたがグーグルマップが使えず、結局、町のホームページの拡大地図を見て確認した。看板を設置した人は、ここは置かなくてもいいだろうと思ったのかもしれないが、一番、重要な分岐点であるような気がしないでもない。
登山口に戻ったのは10時45分。ということで5時間の行程であった。

(しばらくは緑のコンクリートのような生態系的にもいびつな自然の中を歩いて行く。無粋)

(ただ、3合目を越えたあたりから、広葉樹林が発達してくる)

(祖母山登山の敵が、この滑りやすい登山道)

(尾根沿いの登山ルートは合目ごとに貴重な情報が提供されていて有り難い)

(合目ごとの情報だけでなく、節目の標高となる場所でも看板が設置されている)

(国観峠から祖母山を仰ぐ)

(八合目から山頂までは、さらに登山道が滑りやすくなる。雨が降ると、本当、悲惨な登山になるだろう。よかった、晴れていて)

(山頂)

(山頂からの素晴らしい展望。これは南側をみたところ)

(山頂から九重連山を見る)

(山頂から阿蘇連山を見る)

(ツクシアケボノツツジがちょうど咲いていた)

(ツクシアケボノツツジの見事なピンク)

(ツクシアケボノツツジと祖母山周辺の山の見事なコントラスト)

(風穴コースは「危険」看板が多い)

(梯子や紐なども多く備え付けられている)

(またツクシアケボノツツジ。ツツジというよりかは桜のよう)

(巨大な岩がある場所から祖母山を見る)

(またまたツクシアケボノツツジ。これを見ただけでも風穴コースを選んで大正解)

(風穴コースの目玉である風穴は、その有り難みがよく分からなかった)

(ツクシアケボノツツジ以外にも可憐な紫のスミレが登山道沿いに咲いていた。可憐だ)


(風穴コースは登山口近くでは渓流沿いに歩いて行く。これもなかなかよかった)
九重山((日本百名山35座登頂) [日本百名山]
ゴールデンウィークに百名山の久住山に挑戦する。大型連休ということもあり、九重山(ちなみに久住山と九重山の違いであるが、前者は百名山の山、後者はこれを含む連山を指す時に使うようだ)周辺のホテルは料金がべらぼうに高いものを除けば満室。しかたがないので、熊本空港そばの宿を取る。登山口から60キロほど離れている。早朝、4時30分に出発。5時30分過ぎには着くだろうと思っていたら、なんと国道が工事で通行止め。阿蘇の山麓の道を迂回していくことになり、大幅な時間のロス。結局、牧ノ戸登山口に着いたのは6時過ぎであった。
さて、この駐車場は200台分あるので、私は流石に駐車できるだろうと高を括っていたのだが、すでに満車であった。恐るべき、ゴールデンウィーク。仕方がないので路駐。さて、結局、登山口から登山をし始めたのは、6時30分くらい。最初はいきなり階段が続く。この階段がアスファルトの絨毯のようなもので覆われていてとても風情がない。とはいえ、おかげで急坂であるにも関わらず歩きやすい。

(6時30分ちょっと前の牧ノ戸登山口の駐車場)

(牧ノ戸登山口)

(牧ノ戸登山口からはアスファルトが絨毯のように敷かれた階段状の坂道を上っていく)

(朝日を反射して輝くような九重山をみながら標高を稼いでいく)
この急坂は、沓掛山まで続く。沓掛山は牧ノ戸登山口からは30分ぐらい。ここからは九重連山が展望できる。沓掛山からは梯子などで坂を今度は下りる。ここらへんは上りと下りとでルートが分かれている(左通行)ようなのだが、あまり守られていない。私も下る時にそうであることに気づいた。
さて、この坂を下りた後は、しばらくなだらかな登り坂が続く。楽ではあるが、逆にアスファルト舗装がなくなり、若干、滑りにくい泥道になるので、その点は留意した方がいいかもしれない。扇ヶ鼻との分岐点にたどり着くと、本当に平坦でなだらかな草原を通っていく。この草原は西千里が浜と呼ばれており、夏になるとコスモスなどの高原植物が美しいようなのだが、今日はまったくそのような色彩的な美しさとは無縁であった。クマザサの緑が目に新しいくらいの色彩の貧困さである。左手に星生山を見ながら歩くと、展望が広がり、久住山をはじめとした九重連山が見える。とはいえ、中岳は見えない。坂を下りると、避難小屋とトイレがある。そのまま、まっすぐ礫の坂を登っていき、中岳との分岐点を右に行くと、久住山に辿りつくことができる。下からみると結構、遠くに見えたが、実際、登っているとそれほどきつくはなかった。避難小屋からおよそ30分ぐらいだろうか。

(7時30分には扇ヶ鼻との分岐点に着く)

(西千里が浜は平で歩きやすい)

(雄大な西千里が浜は歩いていて快適である。大体、ここを下りで通り過ぎたのは10時30分)

(西千里が浜を過ぎると、九重山の山々の雄大な展望が開ける)
幸い、天気に恵まれたこともあり、久住山からは見事な360度の展望を楽しむことができた。特に阿蘇山の優大な姿が印象に残っている。祖母山も見えた。ここで、簡単におにぎりなどを頬張る。空腹を満たすというよりかは荷物を軽くしたかったからだ。

(久住山の山頂から三俣山の方を展望する。山頂に登ったのは8時30分ほど。ほぼ2時間の行程)

(久住山の山頂から阿蘇山の方面を展望する)
その後、中岳分岐点まで戻り、中岳にチャレンジする。これは、九重連山の最高峰は中岳であるからだ。中岳への道は遠いが、それまでまったく姿が見えなかった御池という小さなカルデラ湖を展望することができたのは嬉しかった。というのも、この時期の久住山というか、九重連山は、色彩が貧相だ。黒と白と黄色の絵の具で表現できるような風景となっている。まるで、老いたライオンのような色なのだ。これは、あとひと月もすれば花も咲き、様変わりするのかもしれないが、ゴールデンウィークの九重山は岩だらけの、イメージ的にはまるで火星のような風景の山であった。もっと、女性的というかたおやかな山のイメージがあったので、これは意外であったが、活火山であることを考えればこのような風景であることは当然かもしれない。これまでに登った百名山では十勝岳をちょっと連想させた。まあ、そういうこともあって、御池の水の色はちょっと景色の変化をもたらしてくれて登山をする身にとっては有り難かった。御池はカルデラ湖(カルデラ池?)であることもあり、澄んでいて美しい色を放っていた。

(中岳に行く登山道は御池を迂回していくことになる)
さて、中岳に登頂するのは九重山よりかはちょっと難儀であった。そこからの展望は九重山がどっしりと見えるのと、九重山からは見えなかった御池が見えるので、より優れているかもしれない。避難小屋から山頂までの時間は久住山より中岳の方が倍とは言わないが、1.5倍は長いと思われる。ちなみに避難小屋から中岳に直接、行く場合はちょっとしたショートカットがあるので、それを使われるといいかと思う。

(登山口から中岳の山頂を望む)

(中岳の山頂。9時30分に登頂。出発してからほぼ3時間)

(噴煙を目撃すると、ここが依然として活火山であることを再確認する)
帰りは楽ではあるが、私は得意になって速く下りると膝を痛める癖があるので、今日は逸る気持ちを抑えてゆっくりと下りた。お陰で心地よい疲労以外、特に身体を痛めずに下山することができた。下山したのは11時30分をちょっと回っていた。総じて5時間ちょっとの登山であった。
沓掛山から下りる途中、牧ノ戸登山口周辺の道路をみると、長蛇の路駐の列が繋がっていた。どれだけの人が今日、九重山の登山に参加したのだろうか。私は二年前、ゴールデンウィークに筑波山に登ったことがあるのだが、その時はもう大渋滞で、まともに歩けないほどであった。それを体験したこともあったので、今日の人数ぐらいでは驚かなかったが、はしごのところなどでは待ち行列ができていたし、狭い登山道では随分と人を待ったり、待たせたりもした。小さな子供なども登山にチャレンジさせられたり、また赤ちゃんや犬を背負って登山していた人などもいたが、そんなに簡単な登山ではないような印象も受けた。

(帰りに目撃した駐車場に駐車できない自動車がつくった長蛇の路駐の列)

(多くの登山客が久住山へ続く礫の登山道を登っていく)
さて、この駐車場は200台分あるので、私は流石に駐車できるだろうと高を括っていたのだが、すでに満車であった。恐るべき、ゴールデンウィーク。仕方がないので路駐。さて、結局、登山口から登山をし始めたのは、6時30分くらい。最初はいきなり階段が続く。この階段がアスファルトの絨毯のようなもので覆われていてとても風情がない。とはいえ、おかげで急坂であるにも関わらず歩きやすい。

(6時30分ちょっと前の牧ノ戸登山口の駐車場)

(牧ノ戸登山口)

(牧ノ戸登山口からはアスファルトが絨毯のように敷かれた階段状の坂道を上っていく)

(朝日を反射して輝くような九重山をみながら標高を稼いでいく)
この急坂は、沓掛山まで続く。沓掛山は牧ノ戸登山口からは30分ぐらい。ここからは九重連山が展望できる。沓掛山からは梯子などで坂を今度は下りる。ここらへんは上りと下りとでルートが分かれている(左通行)ようなのだが、あまり守られていない。私も下る時にそうであることに気づいた。
さて、この坂を下りた後は、しばらくなだらかな登り坂が続く。楽ではあるが、逆にアスファルト舗装がなくなり、若干、滑りにくい泥道になるので、その点は留意した方がいいかもしれない。扇ヶ鼻との分岐点にたどり着くと、本当に平坦でなだらかな草原を通っていく。この草原は西千里が浜と呼ばれており、夏になるとコスモスなどの高原植物が美しいようなのだが、今日はまったくそのような色彩的な美しさとは無縁であった。クマザサの緑が目に新しいくらいの色彩の貧困さである。左手に星生山を見ながら歩くと、展望が広がり、久住山をはじめとした九重連山が見える。とはいえ、中岳は見えない。坂を下りると、避難小屋とトイレがある。そのまま、まっすぐ礫の坂を登っていき、中岳との分岐点を右に行くと、久住山に辿りつくことができる。下からみると結構、遠くに見えたが、実際、登っているとそれほどきつくはなかった。避難小屋からおよそ30分ぐらいだろうか。

(7時30分には扇ヶ鼻との分岐点に着く)

(西千里が浜は平で歩きやすい)

(雄大な西千里が浜は歩いていて快適である。大体、ここを下りで通り過ぎたのは10時30分)

(西千里が浜を過ぎると、九重山の山々の雄大な展望が開ける)
幸い、天気に恵まれたこともあり、久住山からは見事な360度の展望を楽しむことができた。特に阿蘇山の優大な姿が印象に残っている。祖母山も見えた。ここで、簡単におにぎりなどを頬張る。空腹を満たすというよりかは荷物を軽くしたかったからだ。

(久住山の山頂から三俣山の方を展望する。山頂に登ったのは8時30分ほど。ほぼ2時間の行程)

(久住山の山頂から阿蘇山の方面を展望する)
その後、中岳分岐点まで戻り、中岳にチャレンジする。これは、九重連山の最高峰は中岳であるからだ。中岳への道は遠いが、それまでまったく姿が見えなかった御池という小さなカルデラ湖を展望することができたのは嬉しかった。というのも、この時期の久住山というか、九重連山は、色彩が貧相だ。黒と白と黄色の絵の具で表現できるような風景となっている。まるで、老いたライオンのような色なのだ。これは、あとひと月もすれば花も咲き、様変わりするのかもしれないが、ゴールデンウィークの九重山は岩だらけの、イメージ的にはまるで火星のような風景の山であった。もっと、女性的というかたおやかな山のイメージがあったので、これは意外であったが、活火山であることを考えればこのような風景であることは当然かもしれない。これまでに登った百名山では十勝岳をちょっと連想させた。まあ、そういうこともあって、御池の水の色はちょっと景色の変化をもたらしてくれて登山をする身にとっては有り難かった。御池はカルデラ湖(カルデラ池?)であることもあり、澄んでいて美しい色を放っていた。

(中岳に行く登山道は御池を迂回していくことになる)
さて、中岳に登頂するのは九重山よりかはちょっと難儀であった。そこからの展望は九重山がどっしりと見えるのと、九重山からは見えなかった御池が見えるので、より優れているかもしれない。避難小屋から山頂までの時間は久住山より中岳の方が倍とは言わないが、1.5倍は長いと思われる。ちなみに避難小屋から中岳に直接、行く場合はちょっとしたショートカットがあるので、それを使われるといいかと思う。

(登山口から中岳の山頂を望む)

(中岳の山頂。9時30分に登頂。出発してからほぼ3時間)

(噴煙を目撃すると、ここが依然として活火山であることを再確認する)
帰りは楽ではあるが、私は得意になって速く下りると膝を痛める癖があるので、今日は逸る気持ちを抑えてゆっくりと下りた。お陰で心地よい疲労以外、特に身体を痛めずに下山することができた。下山したのは11時30分をちょっと回っていた。総じて5時間ちょっとの登山であった。
沓掛山から下りる途中、牧ノ戸登山口周辺の道路をみると、長蛇の路駐の列が繋がっていた。どれだけの人が今日、九重山の登山に参加したのだろうか。私は二年前、ゴールデンウィークに筑波山に登ったことがあるのだが、その時はもう大渋滞で、まともに歩けないほどであった。それを体験したこともあったので、今日の人数ぐらいでは驚かなかったが、はしごのところなどでは待ち行列ができていたし、狭い登山道では随分と人を待ったり、待たせたりもした。小さな子供なども登山にチャレンジさせられたり、また赤ちゃんや犬を背負って登山していた人などもいたが、そんなに簡単な登山ではないような印象も受けた。

(帰りに目撃した駐車場に駐車できない自動車がつくった長蛇の路駐の列)

(多くの登山客が久住山へ続く礫の登山道を登っていく)
八幡平に登る(日本百名山34座登頂) [日本百名山]
早池峰山に登り、下山したのが12時ちょっと前。そこから八幡平に車で移動する。紫波町で蕎麦冷麺という変わった創作料理を食べ、八幡平の見返峠に到着したのが15時。八幡平には登山道というかハイキング・ルートの前にトイレやお土産物屋が入っているビルの駐車場がある。ここは駐車料金が500円である。しかし、その手前200メートルぐらいのところにある駐車場は無料である。ということで、こちらに駐車する。天気は見事で、昨日、我々が山頂アタックを断念させられた岩手山がその雄大な山容を惜しげもなく晒している。ちょっと悔しい。
八幡平の見返峠からの登山道は、しっかりと舗装がされており、登山というよりかはハイキングのようなものである。途中、鏡沼、めがね沼という美しい火山湖を見つつ、八幡平の頂上に着く。頂上であるのは、ここが一番標高が高いからであるが、平坦で見晴らしはきかず、山頂にある展望台に登って周りを見渡すというちょっと間抜け感がする。どうも、この展望台をつくった人もそう思ったのか、言い訳のように深田久弥の『日本百名山』がなぜ、ここを百名山に選定したかの文章を引用した看板が立てられている。そこで何が書いているかは覚えていないので、ちょっと私もここに深田久弥から引用させてもらう。
「しかし八幡平の真価は、やはり高原逍遥にあるだろう。一枚の大きな平坦な原ではなく、ゆるい傾斜を持った高低のある高原で、気持ちのいい岱を一つ横切るとみごとな原始林へ入ったり、一つの丘を越すと思いがけなく沼があったりして、その変化のある風景がおもしろい」。
確かに、帰り際にみた八幡沼やがま沼なども美しく、その高原的風土は日本の自然の美しさを表している。ただ、往復で1時間もせずに駐車場から山頂までアクセスできる利便性と引き替えに、その自然の懐の深さなどが失われているような印象を受けた。特に午前中に早池峰山に登ったのでなおさら、その差が大きく感じられた。おそらく、八幡平も早池峰山のようにしっかりと自然環境、エコシステムを保全するというアプローチを採っていれば、現在よりもさらに素晴らしい場所として存在していたのではないかと思われる。多くの人が楽にアクセスできるようにすることによって、利益を享受する人も増えるが、それによって失われるものも多い。特に道路を整備することは、益も多いが、マイナス面も少なくない。道路が不便でアクセスが悪いゆえの素晴らしさを早池峰山で実感したので、八幡平はちょっと気になった。
駐車場に戻ったのは16時ちょっと過ぎ。おそらく、これまでの34座で最も楽な日本百目山であった。初めて一日で二つの百名山を登った。

(登山口のそばの駐車場から岩手山を望む。見事な山容である)

(八幡平への登山道はしっかりと整備されている)

(鏡沼は雪解け時にはドラゴンアイと呼ばれる美しい自然現象がみられる)

(めがね沼)

(八幡平の山頂)

(がま沼。後ろに見えるのは岩手山)

(八幡沼)
八幡平の見返峠からの登山道は、しっかりと舗装がされており、登山というよりかはハイキングのようなものである。途中、鏡沼、めがね沼という美しい火山湖を見つつ、八幡平の頂上に着く。頂上であるのは、ここが一番標高が高いからであるが、平坦で見晴らしはきかず、山頂にある展望台に登って周りを見渡すというちょっと間抜け感がする。どうも、この展望台をつくった人もそう思ったのか、言い訳のように深田久弥の『日本百名山』がなぜ、ここを百名山に選定したかの文章を引用した看板が立てられている。そこで何が書いているかは覚えていないので、ちょっと私もここに深田久弥から引用させてもらう。
「しかし八幡平の真価は、やはり高原逍遥にあるだろう。一枚の大きな平坦な原ではなく、ゆるい傾斜を持った高低のある高原で、気持ちのいい岱を一つ横切るとみごとな原始林へ入ったり、一つの丘を越すと思いがけなく沼があったりして、その変化のある風景がおもしろい」。
確かに、帰り際にみた八幡沼やがま沼なども美しく、その高原的風土は日本の自然の美しさを表している。ただ、往復で1時間もせずに駐車場から山頂までアクセスできる利便性と引き替えに、その自然の懐の深さなどが失われているような印象を受けた。特に午前中に早池峰山に登ったのでなおさら、その差が大きく感じられた。おそらく、八幡平も早池峰山のようにしっかりと自然環境、エコシステムを保全するというアプローチを採っていれば、現在よりもさらに素晴らしい場所として存在していたのではないかと思われる。多くの人が楽にアクセスできるようにすることによって、利益を享受する人も増えるが、それによって失われるものも多い。特に道路を整備することは、益も多いが、マイナス面も少なくない。道路が不便でアクセスが悪いゆえの素晴らしさを早池峰山で実感したので、八幡平はちょっと気になった。
駐車場に戻ったのは16時ちょっと過ぎ。おそらく、これまでの34座で最も楽な日本百目山であった。初めて一日で二つの百名山を登った。

(登山口のそばの駐車場から岩手山を望む。見事な山容である)

(八幡平への登山道はしっかりと整備されている)

(鏡沼は雪解け時にはドラゴンアイと呼ばれる美しい自然現象がみられる)

(めがね沼)

(八幡平の山頂)

(がま沼。後ろに見えるのは岩手山)

(八幡沼)
早池峰山(日本百名山33座登頂) [日本百名山]
盛岡市のホテルに前泊して、レンタカーで早池峰山へと向かう。早池峰山には二つの登山ルートがある。河原坊コースと小田越コースである。ただし、河原坊コースは現在、通行止めであり、小田越コースしかルートはない。駐車場があるのは河原坊コースである。したがって、河原坊コースから小田越コースまでは車道を歩かなくてはならない。登山に来て、興醒めするのは車道歩きである。車道を歩くのであれば都会でもできる。そして、河原坊の登山口から小田越の登山口までは上りで40分、下りで30分もかかる。さて、しかし、である。というか、ここに書くのは相当、躊躇するのだが、小田越コースにも駐車場はあるのだ。ただし、10台ほどしか駐車することはできない。そして駐車できなければ河原坊まで戻らなくてはならない。しかし、ここに駐車できれば往復で1時間以上も節約することができる。ということで、ホテルを早朝4時過ぎにでる。盛岡市から早池峰山の登山口までは意外と時間がかかる。これは、アクセス道路が相当、悪路であるからだ。しかし、個人的にこの悪路は期待感を盛り上げてくれるので嬉しい。舗装がしっかりとされた道路ですいすいと登山口に行くのは楽かもしれないが、登山の楽しみや期待感を大きく萎ませる気がする。やはり、人里離れた大自然に行くにはアプローチがそれなりに遠い方がいい。
さて、河原坊コースに到着すると、まだ駐車場の空きは多い。ここでも駐車できないと、はるか下の岳集落で駐車をしないといけない。しかし、今日は土曜日で晴天好日であったが、まだ6時前ということもあり、小田越の駐車場にて駐車できなくても河原坊の駐車場には駐まれるであろうと判断し、小田越の駐車場に向かう。さて、運良く小田越の駐車場には駐車することができた。朝日が素晴らしく、清々しい凜とした空気が周りを包み込んでいる。そして、南側には薬師岳、北側には早池峰山が屹立している。
早池峰山は環境保全が徹底しており、登山ルートにはトイレがなく、また、そこらへんで用を足すことが禁止されている。そのため、携帯トイレを携行しないといけない。この携帯トイレは登山口で販売されている。ちなみに、私は常に持参しているので買わなくて済んだ。また、登山口にある管理人事務所にはトイレがあり、トイレットペーパーも置かれているので、是非ともここで用を済ましてから登山するといいとお節介ながら助言したい。
登山口を出発したのは6時15分。美しい樹林帯の中を歩いて行く。人工物が一切ない大自然の懐に抱かれているような気分になる。このような気分になるのは、モンタナ州とかイエローストーン、アラスカなどでは感じたことがあるが、日本では強いていえば知床の羅臼岳に登った時ぐらいであろうか。こういうところが本州にあるというのを知っただけでも、今回、ここに来たことがある。私の34回の登山経験の中でも希有の素晴らしい自然体験である。早池峰は環境保全が厳しい理由を分かったような気がする。
さて、樹林帯を抜けると、蛇紋岩の岩道となる。二週間前に登った尾瀬の至仏山も蛇紋岩の山であるが、こちらの蛇紋岩は至仏山より遙かに巨大である。登山路の蛇紋岩もより大きく、滑り具合もより酷い。幸い、晴れていたのでそれほどでもなかったが、雨が降ったりしたらさぞかし、滑って歩きにくいだろうと思う。もくもくと高度を上げていくと、右側には太平洋が見えてくる。樹林限界を超えているのか、高い木がまったくないので、展望は素晴らしいものがある。そして、この山は高山植物が素晴らしい。高山植物の見頃は6月下旬から8月上旬らしく、この時期は週末はマイカーが入れない。我々は、このマイカー規制が終了した翌週ということで、ゴールデンウィークの次の週末のような感じで登山客は少なかったが、まだ高山植物はそこそこ咲いており、それは見事なものであった。一番の目玉はハヤチネウスユキソウというエーデルワイスの近似種であり、小さいながら可憐な花を愛でながらの登山は気持ちを明るくする。ここらへんの地区一帯は国の特別天然記念物に指定されているそうだが、確かに非常に特別な場所であることを感じる。これは、世界遺産クラスだなと思ったが、下手に世界遺産に指定されると逆に多くの観光客が訪れて、環境保護的には本末転倒の事態になるか、白神山地のようにまたぎも入れないほど管理をされて結局、訪問できなくなるかもしれないので、ここは現状のままでいいのかなと思ったりもする。
ハヤチネウスユキソウ以外には、ナンブトウウチソウという赤紫色のねこじゃらしのような花が咲き乱れていた。蛇紋岩の登山道はなかなか傾斜は急であるが、一歩一歩丁寧に歩いて行く。八合目を過ぎると、特に急なところに出て、ここはなかなか長い梯子がかけられている。ただ、梯子で登るほど垂直ではなく、梯子を這って登るような感じだ。梯子に到着した時間は8時30分。ほぼ登山口からは2時間20分、ということでコースタイムよりはゆっくりである。梯子を登り切ると、また岩場が続く。ただ、もう尾根は目の前である。尾根に出た後は、お花畑の中を木道で歩いて行く。山頂に到着したのは9時。出発から2時間50分とゆっくりであったが、ゆっくり登ったおかげで太股も脹ら脛も攣りそうになることもなく、膝も痛くなっていない。
山頂からは東には太平洋、北は八甲田山、西には鳥海山、そして南には薬師岳のその背後にある広大な北上山地を展望することができる。見事な絶景である。二週間前に訪れた至仏山からも360度の絶景を展望できたが、異なるのは早池峰山からの展望は人工物がほとんど見えないことだ。至仏山はダムなどが見れたりしたが、早池峰山からはそのようなものも見えない。僅かに駐車場や管理小屋が薬師岳との間の谷に見え隠れするぐらいだ。この北上山地の素晴らしい大自然に感動すると同時に、こんなところが本州にあったのかと驚きを覚える。大雪山よりも、さらに大自然の中に包まれている感じを受ける。これは見事な山である。ただ、今日のように晴天の日は珍しいということを山頂で一緒になった地元の登山者から聞く。昨日の岩手山、一昨日の八甲田山と天気に祟られたが、その二日間のマイナスを取り返せたほどの見事な登山日和に早池峰山に登ることができた。
山頂ではお湯を沸かして、カップ麺を食べて、ゆっくりと下山する。山頂が平坦で、ゆっくりと座れるところもこの山の素晴らしいところである。これは岩木山や蓼科山のように山頂が岩でごつごつしているところに比べると遙かにいい。下山は蛇紋岩で滑りやすいこともありゆっくりと降りていく。梯子は登りより降りの方が難しい。しっかりと足場を確認しつつ、降りる。帰路は周りをじっくりと観察しながら歩いたのだが、蝉やバッタ、そして苔などがとても綺麗な色をしている。自然の美しさをつくづくと実感することができたが、このような経験はアメリカの国立公園などではしたことがあるが、日本の国立公園だと知床や立山でも経験したことがない。この早池峰山というのは、そういう意味でも、何か特別な場所であるような気がする。なんか生態系が非常に正しい、と実感させるような場所である。
私は緊張していたせいか、便秘気味になっており、かつ発汗もしていたので尿意も催せず、携行トイレのお世話にならず、無事、12時ちょっと前に登山口に到着する。
25年ぐらい前にサラリーマンをしていた時、登山好きの同僚の女性が早池峰山を登ったことを嬉しげに話してくれたことがある。当時、山にまったく関心がなかった私は、そういう山があるのかぐらいに思っていたのだが、今日、早池峰山に登り、いかにこの山が特別であるかを理解することができた。百名山登山を目指すという目標をたてなければ、おそらくこの山に登ることは一生なかったかと思う。早池峰山を登ったという貴重な経験をしただけでも、百名山登山を目指してよかったと思う。

(小田越の駐車場から早池峰山を望む)

(小田越の登山口)

(登山の最初は森の中を歩いて行く。苔が美しい)

(早池峰山の雄姿。貫禄と風格に溢れた素晴らしい山である)

(登山道を振り返ると薬師岳が見られる)

(エーデルワイスの近似種のハヤチネウスユキソウ)

(猫じゃらしのようなナンブトウウチソウ)

(太平洋の方を望む)

(早池峰山は蛇紋岩の総大将のような山でもある)

(太平洋側を望む)

(サインでさえお洒落で洗練されている)

(登山道から山頂の方向を望む)

(長い梯子が我々を待ち構えていた)

(山頂)

(山頂から薬師岳を望む)

(山頂から西を見る。左の方に雲の上から顔を出している岩手山を見ることができる)

(山頂から東を望む)

(小田越から山頂へ行くルートは途中、お花畑を通る)

(蝉でさせ、厳かな気分にさせるほど美しい)

(苔も美しい)
さて、河原坊コースに到着すると、まだ駐車場の空きは多い。ここでも駐車できないと、はるか下の岳集落で駐車をしないといけない。しかし、今日は土曜日で晴天好日であったが、まだ6時前ということもあり、小田越の駐車場にて駐車できなくても河原坊の駐車場には駐まれるであろうと判断し、小田越の駐車場に向かう。さて、運良く小田越の駐車場には駐車することができた。朝日が素晴らしく、清々しい凜とした空気が周りを包み込んでいる。そして、南側には薬師岳、北側には早池峰山が屹立している。
早池峰山は環境保全が徹底しており、登山ルートにはトイレがなく、また、そこらへんで用を足すことが禁止されている。そのため、携帯トイレを携行しないといけない。この携帯トイレは登山口で販売されている。ちなみに、私は常に持参しているので買わなくて済んだ。また、登山口にある管理人事務所にはトイレがあり、トイレットペーパーも置かれているので、是非ともここで用を済ましてから登山するといいとお節介ながら助言したい。
登山口を出発したのは6時15分。美しい樹林帯の中を歩いて行く。人工物が一切ない大自然の懐に抱かれているような気分になる。このような気分になるのは、モンタナ州とかイエローストーン、アラスカなどでは感じたことがあるが、日本では強いていえば知床の羅臼岳に登った時ぐらいであろうか。こういうところが本州にあるというのを知っただけでも、今回、ここに来たことがある。私の34回の登山経験の中でも希有の素晴らしい自然体験である。早池峰は環境保全が厳しい理由を分かったような気がする。
さて、樹林帯を抜けると、蛇紋岩の岩道となる。二週間前に登った尾瀬の至仏山も蛇紋岩の山であるが、こちらの蛇紋岩は至仏山より遙かに巨大である。登山路の蛇紋岩もより大きく、滑り具合もより酷い。幸い、晴れていたのでそれほどでもなかったが、雨が降ったりしたらさぞかし、滑って歩きにくいだろうと思う。もくもくと高度を上げていくと、右側には太平洋が見えてくる。樹林限界を超えているのか、高い木がまったくないので、展望は素晴らしいものがある。そして、この山は高山植物が素晴らしい。高山植物の見頃は6月下旬から8月上旬らしく、この時期は週末はマイカーが入れない。我々は、このマイカー規制が終了した翌週ということで、ゴールデンウィークの次の週末のような感じで登山客は少なかったが、まだ高山植物はそこそこ咲いており、それは見事なものであった。一番の目玉はハヤチネウスユキソウというエーデルワイスの近似種であり、小さいながら可憐な花を愛でながらの登山は気持ちを明るくする。ここらへんの地区一帯は国の特別天然記念物に指定されているそうだが、確かに非常に特別な場所であることを感じる。これは、世界遺産クラスだなと思ったが、下手に世界遺産に指定されると逆に多くの観光客が訪れて、環境保護的には本末転倒の事態になるか、白神山地のようにまたぎも入れないほど管理をされて結局、訪問できなくなるかもしれないので、ここは現状のままでいいのかなと思ったりもする。
ハヤチネウスユキソウ以外には、ナンブトウウチソウという赤紫色のねこじゃらしのような花が咲き乱れていた。蛇紋岩の登山道はなかなか傾斜は急であるが、一歩一歩丁寧に歩いて行く。八合目を過ぎると、特に急なところに出て、ここはなかなか長い梯子がかけられている。ただ、梯子で登るほど垂直ではなく、梯子を這って登るような感じだ。梯子に到着した時間は8時30分。ほぼ登山口からは2時間20分、ということでコースタイムよりはゆっくりである。梯子を登り切ると、また岩場が続く。ただ、もう尾根は目の前である。尾根に出た後は、お花畑の中を木道で歩いて行く。山頂に到着したのは9時。出発から2時間50分とゆっくりであったが、ゆっくり登ったおかげで太股も脹ら脛も攣りそうになることもなく、膝も痛くなっていない。
山頂からは東には太平洋、北は八甲田山、西には鳥海山、そして南には薬師岳のその背後にある広大な北上山地を展望することができる。見事な絶景である。二週間前に訪れた至仏山からも360度の絶景を展望できたが、異なるのは早池峰山からの展望は人工物がほとんど見えないことだ。至仏山はダムなどが見れたりしたが、早池峰山からはそのようなものも見えない。僅かに駐車場や管理小屋が薬師岳との間の谷に見え隠れするぐらいだ。この北上山地の素晴らしい大自然に感動すると同時に、こんなところが本州にあったのかと驚きを覚える。大雪山よりも、さらに大自然の中に包まれている感じを受ける。これは見事な山である。ただ、今日のように晴天の日は珍しいということを山頂で一緒になった地元の登山者から聞く。昨日の岩手山、一昨日の八甲田山と天気に祟られたが、その二日間のマイナスを取り返せたほどの見事な登山日和に早池峰山に登ることができた。
山頂ではお湯を沸かして、カップ麺を食べて、ゆっくりと下山する。山頂が平坦で、ゆっくりと座れるところもこの山の素晴らしいところである。これは岩木山や蓼科山のように山頂が岩でごつごつしているところに比べると遙かにいい。下山は蛇紋岩で滑りやすいこともありゆっくりと降りていく。梯子は登りより降りの方が難しい。しっかりと足場を確認しつつ、降りる。帰路は周りをじっくりと観察しながら歩いたのだが、蝉やバッタ、そして苔などがとても綺麗な色をしている。自然の美しさをつくづくと実感することができたが、このような経験はアメリカの国立公園などではしたことがあるが、日本の国立公園だと知床や立山でも経験したことがない。この早池峰山というのは、そういう意味でも、何か特別な場所であるような気がする。なんか生態系が非常に正しい、と実感させるような場所である。
私は緊張していたせいか、便秘気味になっており、かつ発汗もしていたので尿意も催せず、携行トイレのお世話にならず、無事、12時ちょっと前に登山口に到着する。
25年ぐらい前にサラリーマンをしていた時、登山好きの同僚の女性が早池峰山を登ったことを嬉しげに話してくれたことがある。当時、山にまったく関心がなかった私は、そういう山があるのかぐらいに思っていたのだが、今日、早池峰山に登り、いかにこの山が特別であるかを理解することができた。百名山登山を目指すという目標をたてなければ、おそらくこの山に登ることは一生なかったかと思う。早池峰山を登ったという貴重な経験をしただけでも、百名山登山を目指してよかったと思う。

(小田越の駐車場から早池峰山を望む)

(小田越の登山口)

(登山の最初は森の中を歩いて行く。苔が美しい)

(早池峰山の雄姿。貫禄と風格に溢れた素晴らしい山である)

(登山道を振り返ると薬師岳が見られる)

(エーデルワイスの近似種のハヤチネウスユキソウ)

(猫じゃらしのようなナンブトウウチソウ)

(太平洋の方を望む)

(早池峰山は蛇紋岩の総大将のような山でもある)

(太平洋側を望む)

(サインでさえお洒落で洗練されている)

(登山道から山頂の方向を望む)

(長い梯子が我々を待ち構えていた)

(山頂)

(山頂から薬師岳を望む)

(山頂から西を見る。左の方に雲の上から顔を出している岩手山を見ることができる)

(山頂から東を望む)

(小田越から山頂へ行くルートは途中、お花畑を通る)

(蝉でさせ、厳かな気分にさせるほど美しい)

(苔も美しい)
岩手山のお鉢まで登って、強風で登頂を断念する [日本百名山]
前日の八甲田山への挑戦は、雨に行く手をふさがれ、諦めた。その後、紫波町のオガールインに泊まったのだが雨は止み、見事な夕焼けであった。朝、起きたら雨も上がっている。予報では岩手山は午前中は雨だが、正午には雨は上がるということで、これはいけるぞ、と勇んでオガールインを4時30分頃に発ち、岩手山の登山口である馬返しに向かう。馬返しに着いたのは6時前。既に、数台の車が駐車場に停まっている。登山口では雨は降っていない。
ということで非常に楽観的な気持ちで登山を開始する。登山の最初は、ブナやミズナラなどの広葉樹の森の中である。0.5合というところで新道と旧道とに分離する。ここは左手の旧道を取る。旧道は谷の脇を通っていく。谷をみると雨が結構、降っている。これはアカン、と思うが幸い、登山道は森の中なので雨には濡れずに済む。さて、ほぼゆるやかな階段を上るぐらいの傾斜で登山道は高さを稼いでいく。新道と旧道は合流し、さらに2.5合というところでまた新道と旧道とが分離している。旧道は木が茂っていない。この雨だと厳しいと判断し、ここも新道を選ぶ。それ以降は、延々と広葉樹の森の中を歩いて行く。斜度はきつく、火山であることもあり礫も多い。決して楽ではないが、ゆっくりと歩幅を狭くして、一歩一歩確かめるように歩いて行くと、どうにか7合目の新道と旧道の合流点に着く。ここらへんからは見事な北上盆地が見られるのだが、それに気づくのは帰路。上りは、霧雨の中、視界もほとんど得られない中、苦行に耐えるようにただ歩いて行くのみであった。
7合目からちょっと行くと8合目に着く。ここには避難小屋が設置されており、管理人も常駐している。8合目は霧が深く、また雨も止みそうにもないので、この避難小屋で昼食を取ることにする。天気が悪かったのでガスバーナーを持ってこず、今回は珈琲とカップヌードルを諦めたのだが、この避難小屋では両方とも入手することができる。ということで、ガスバーナーを持ってこなくても、カップヌードルでの昼食を取ることができた。さて、昼食を取っても天候は依然として芳しくない。正午には晴れるということなので、正午ちょうどに山頂に到着できるように、この避難小屋で1時間ほど待つことにした。避難小屋にはトイレもついており、岩手山の山頂へのアタックするうえでは大変有り難い存在だ。私は、ここで濡れた服を乾かしていたのだが、1時間では乾かなかったので、他の重い荷物とともに山頂に行っている間は、ここに置かせてもらった。
11時15分に小屋を出発し、山頂へ向かう。9合目に着くと、鬼カ城と呼ばれる巨岩が現れる。しかし、濃霧でまるで幽霊城のように見える。9合目から外輪山には二つのルートがあるのだが、避難小屋の管理人が遠回りでも右手のルートがいいと教えてくれたのでその通り、右手のルートを行く。歩きやすいと言われた右手のルートであるが、斜度はそれでもきつくて、ジグザグで歩いて行かないととても登れない。また、砂礫は歩きづらい。これより歩きにくい左手のルートはどんだけと思う。さて、とはいえ、踏ん張って歩いていると外輪山に着く。ただ、外輪山はとてつもない暴風で、今にも飛ばされそうである。そして、手がかじかんでいて寒い。気温はそれほど寒くはないのだが、暴風によって体感温度は相当低い。6時間近く歩いて、山頂はあと20分ぐらいで到着できるのだが、これはリスクが高すぎるのと、頂上にたとえ登れてもまったく景色も見られないだろうと判断して、ここで踵を返す。いわゆる「勇気ある撤退」というやつである。
9合目まで登ると、行きよりは鬼カ城はその輪郭をくっきりと現している。8合目に戻って、登頂を断念したことを管理人に告げると、我々より先に入っていた登山者が低体温症になってしまって大変だったということを我々に話す。どうも、手はかじかみ、口はガタガタ震えて、もう身体がコントロールできないような状態になってしまったそうだ。この登山者はレインギアではなく、普通のカッパを着て、また速乾性の高いスポーツシャツを着ていた。速乾性の高いスポーツシャツは乾かすのは早いが、常に雨に降られて濡れているような状況にあると、濡れタオルを着ているようなものなので体温をむしろ奪ってしまう。8月に低体温症というのは、トムラウシでの惨劇などで起こりうることは知ってはいたが、いざ、目の前の人がその寸前だったという話を聞くと、改めて登山の恐ろしさを知る。この人は、避難小屋があったので、身体を温め直すことができて、大事に至らなくて済んだが、もし避難小屋がなかったら、本当、命の危険に直面することになったであろう。「勇気ある撤退」は賢明だったな、と思うと同時に、登山のリスク管理の大切さを再確認する。
さて、置かせてもらった荷物をパッキングし、下山を開始する。雨は途中まで降っていたが、新道と旧道とが分離する7合目ぐらいから、下界への視界が時折開け、素晴らしい展望を楽しませてくれた。今回の登山のハイライトはこれぐらいであったが、イーハトーブと言う名称がなんかしっくりと来るような北上盆地の美しいランドスケープを望むことができたことは、岩手山登山の収穫であった。
礫の登山道は、上りよりむしろ下りの方が難しいくらいである。浮き石もあるので、捻挫に気をつけつつ注意深く降りていく。帰りも2.5合までは新道を選ぶ。
登山口に着いた時は16時を回っていた。ほぼ10時間という長丁場の登山であった。今回は岩手山頂には到達できなかったが、個人的には10時間という長丁場の登山は羅臼岳以来であり、ゆっくりと丁寧に登ったことで太股、脹ら脛とが攣りそうになることもなく、膝にも痛みを感じずに登って降りることができたのは自信に繋がった。いつか、登ってやるぞ、という決意とともに岩手山を後にする。

(馬返しの駐車場)

(馬返しの登山口)

(登山口からの岩手山。山の稜線が見れたので、結構、楽観的な気持ちになってしまった)

(一合目ぐらいでもう雨が降っていた)

(八合目の避難小屋は管理人も常駐しており、寝ることもできる)

(避難小屋ではカップヌードルも300円で購入することができる。これは便利)

(霧の中の八合目避難小屋)

(お鉢のところまでたどり着くと、待っていたのは視界ゼロに近い濃霧と凄まじい暴風)

(鬼カ城は下山時にはその姿が見えてきた)


(下山時に見えた北上盆地の美しいランドスケープ)

(盛岡市が美しい風土の中につくられたコンパクトな都市であることがこの写真からは伺える)
ということで非常に楽観的な気持ちで登山を開始する。登山の最初は、ブナやミズナラなどの広葉樹の森の中である。0.5合というところで新道と旧道とに分離する。ここは左手の旧道を取る。旧道は谷の脇を通っていく。谷をみると雨が結構、降っている。これはアカン、と思うが幸い、登山道は森の中なので雨には濡れずに済む。さて、ほぼゆるやかな階段を上るぐらいの傾斜で登山道は高さを稼いでいく。新道と旧道は合流し、さらに2.5合というところでまた新道と旧道とが分離している。旧道は木が茂っていない。この雨だと厳しいと判断し、ここも新道を選ぶ。それ以降は、延々と広葉樹の森の中を歩いて行く。斜度はきつく、火山であることもあり礫も多い。決して楽ではないが、ゆっくりと歩幅を狭くして、一歩一歩確かめるように歩いて行くと、どうにか7合目の新道と旧道の合流点に着く。ここらへんからは見事な北上盆地が見られるのだが、それに気づくのは帰路。上りは、霧雨の中、視界もほとんど得られない中、苦行に耐えるようにただ歩いて行くのみであった。
7合目からちょっと行くと8合目に着く。ここには避難小屋が設置されており、管理人も常駐している。8合目は霧が深く、また雨も止みそうにもないので、この避難小屋で昼食を取ることにする。天気が悪かったのでガスバーナーを持ってこず、今回は珈琲とカップヌードルを諦めたのだが、この避難小屋では両方とも入手することができる。ということで、ガスバーナーを持ってこなくても、カップヌードルでの昼食を取ることができた。さて、昼食を取っても天候は依然として芳しくない。正午には晴れるということなので、正午ちょうどに山頂に到着できるように、この避難小屋で1時間ほど待つことにした。避難小屋にはトイレもついており、岩手山の山頂へのアタックするうえでは大変有り難い存在だ。私は、ここで濡れた服を乾かしていたのだが、1時間では乾かなかったので、他の重い荷物とともに山頂に行っている間は、ここに置かせてもらった。
11時15分に小屋を出発し、山頂へ向かう。9合目に着くと、鬼カ城と呼ばれる巨岩が現れる。しかし、濃霧でまるで幽霊城のように見える。9合目から外輪山には二つのルートがあるのだが、避難小屋の管理人が遠回りでも右手のルートがいいと教えてくれたのでその通り、右手のルートを行く。歩きやすいと言われた右手のルートであるが、斜度はそれでもきつくて、ジグザグで歩いて行かないととても登れない。また、砂礫は歩きづらい。これより歩きにくい左手のルートはどんだけと思う。さて、とはいえ、踏ん張って歩いていると外輪山に着く。ただ、外輪山はとてつもない暴風で、今にも飛ばされそうである。そして、手がかじかんでいて寒い。気温はそれほど寒くはないのだが、暴風によって体感温度は相当低い。6時間近く歩いて、山頂はあと20分ぐらいで到着できるのだが、これはリスクが高すぎるのと、頂上にたとえ登れてもまったく景色も見られないだろうと判断して、ここで踵を返す。いわゆる「勇気ある撤退」というやつである。
9合目まで登ると、行きよりは鬼カ城はその輪郭をくっきりと現している。8合目に戻って、登頂を断念したことを管理人に告げると、我々より先に入っていた登山者が低体温症になってしまって大変だったということを我々に話す。どうも、手はかじかみ、口はガタガタ震えて、もう身体がコントロールできないような状態になってしまったそうだ。この登山者はレインギアではなく、普通のカッパを着て、また速乾性の高いスポーツシャツを着ていた。速乾性の高いスポーツシャツは乾かすのは早いが、常に雨に降られて濡れているような状況にあると、濡れタオルを着ているようなものなので体温をむしろ奪ってしまう。8月に低体温症というのは、トムラウシでの惨劇などで起こりうることは知ってはいたが、いざ、目の前の人がその寸前だったという話を聞くと、改めて登山の恐ろしさを知る。この人は、避難小屋があったので、身体を温め直すことができて、大事に至らなくて済んだが、もし避難小屋がなかったら、本当、命の危険に直面することになったであろう。「勇気ある撤退」は賢明だったな、と思うと同時に、登山のリスク管理の大切さを再確認する。
さて、置かせてもらった荷物をパッキングし、下山を開始する。雨は途中まで降っていたが、新道と旧道とが分離する7合目ぐらいから、下界への視界が時折開け、素晴らしい展望を楽しませてくれた。今回の登山のハイライトはこれぐらいであったが、イーハトーブと言う名称がなんかしっくりと来るような北上盆地の美しいランドスケープを望むことができたことは、岩手山登山の収穫であった。
礫の登山道は、上りよりむしろ下りの方が難しいくらいである。浮き石もあるので、捻挫に気をつけつつ注意深く降りていく。帰りも2.5合までは新道を選ぶ。
登山口に着いた時は16時を回っていた。ほぼ10時間という長丁場の登山であった。今回は岩手山頂には到達できなかったが、個人的には10時間という長丁場の登山は羅臼岳以来であり、ゆっくりと丁寧に登ったことで太股、脹ら脛とが攣りそうになることもなく、膝にも痛みを感じずに登って降りることができたのは自信に繋がった。いつか、登ってやるぞ、という決意とともに岩手山を後にする。

(馬返しの駐車場)

(馬返しの登山口)

(登山口からの岩手山。山の稜線が見れたので、結構、楽観的な気持ちになってしまった)

(一合目ぐらいでもう雨が降っていた)

(八合目の避難小屋は管理人も常駐しており、寝ることもできる)

(避難小屋ではカップヌードルも300円で購入することができる。これは便利)

(霧の中の八合目避難小屋)

(お鉢のところまでたどり着くと、待っていたのは視界ゼロに近い濃霧と凄まじい暴風)

(鬼カ城は下山時にはその姿が見えてきた)


(下山時に見えた北上盆地の美しいランドスケープ)

(盛岡市が美しい風土の中につくられたコンパクトな都市であることがこの写真からは伺える)
雨で八甲田山登山を断念する [日本百名山]
八甲田山に登山するために酸ヶ湯温泉に宿泊した。前日は雨が降っていたのと予報では雨だったので、ほとんど期待せずに熟睡をしていたら、起きたら雨は止んでいた。予報では、10時頃からまた雨が降るということなので、6時30分に朝食を取るとそそくさと準備をして、さすがに酸ヶ湯温泉から登るのは無理と判断して、レンタカーで八甲田山ロープウェイの乗り場まで行く。八甲田山ロープウェイの営業時間は8時からである。始発のロープウェイで上まで行く。ロープウェイの途中までは視界も開けていたが、途中から雲の上。上の山頂公園駅に着くと、雨はもう結構、降っていた。大岳まで行くのはとても難しそうだったので、とりあえず赤倉岳を目指す。レインギアをしっかりと着て、傘をさして歩き始める。山頂公園は観光客向けの田茂萢湿原を巡る60分のハイキングコースがある。このコースは木道が敷かれており、雨の中でも歩きやすい。このハイキングコースと赤倉岳の登山ルートが分岐する上毛無岱分岐点からは、登山道も狭まり泥濘んだ道となる。ここを5分ほど歩いたところで、雨が酷くなったことに加え、濃霧で視界もほとんど得られないことから、それ以上先に行くことを断念。Uターンして、ロープウェイの山頂駅に戻る。八甲田山は結構、東京からは遠いので断念したのは残念だが、まあ、山がなくなる訳ではないので、またいつか来ることを誓いつつ、八甲田山を後にする。

(ロープウェイから前嶽を望む。このくらいの高さだとまだ眺望が得られる)

(ロープウェイから下界を望む)

(ロープウェイから前嶽を望む。このくらいの高さだとまだ眺望が得られる)

(ロープウェイから下界を望む)
至仏山(日本百名山32座登頂) [日本百名山]
昨年の10月に至仏山に登るために鳩待山荘を予約しておいた。しかし、8月下旬にアイスランドで足首をひどく捻挫したため、宿まで行って泊まったのだが、結局、とても登れそうもないので、尾瀬ヶ原にだけ行って至仏山には登らなかった。ということで、大変、後ろ髪を引かれていた至仏山であったので、この週末にチャレンジをした。幸い、ゼミの卒業生が二人付き合ってくれた。11時に東京を自家用車で出発する。鳩待山荘へは自家用車のアクセスが禁止されていたので、戸倉の駐車場にて車を停めて、そこから乗り合いタクシーにて鳩待山荘にまで向かう。バスもタクシーも同じ料金で一人980円である。ちなみに戸倉の駐車場は一日1000円であった。
鳩待山荘に到着したのは16時ちょっと過ぎぐらいであった。隣のお土産屋さんで、地酒の水芭蕉の純米吟醸を仕入れ、17時30分の夕食の前から一献傾ける。夕食では生ビールを注文し、食事をした後も、卒業生と残りの酒を飲み明かす。3人とも飲兵衛なので、早いピッチで飲み終わり、20時頃には就寝。朝の4時頃に目を覚まし、朝食はおにぎりにしてもらい、4時50分には鳩待山荘を発つ。そのまま至仏山に登るコースもあったが、卒業生は二人とも尾瀬ヶ原に行ったことがない、ということなので山の鼻経由のルートを取ることにした。
山の鼻の標高は1409メートル。鳩待山荘が1591メートルなので、180メートルちょっと下りることになる。これは、ちょっと勿体ない。しかし、山の鼻はちょうど朝靄が晴れるような状態で、その尾瀬ヶ原の美しさをみたら、勿体ないという気持ちは吹っ飛んだ。ちょっとコースタイムの50分より時間がかかり1時間ほどかかったので着いたのは6時ぐらいであった。ここで朝食のおむすびを食べ、またお土産屋がもう開業していたので温かい缶コーヒーを買う(なんと、250円)。
腹拵えをして出発したのは6時30分。ここから至仏山の山頂2228メートルまで、820メートル登らなくてはならない。とはいえ、820メートルといったらそれほど大したことはないだろうと高をくくったら、ほとんど階段を永遠に上って行くような感じで、相当厳しかった。とはいえ、その厳しさを知るのはずっと後の話である。
山の鼻を出て、ちょっとだけ尾瀬ヶ原の湿原を横切り、至仏山の登山口という看板とともに、坂道となる。登山道はしっかりと整備されていて歩きやすいが、斜度はなかなかのものだ。ただ、30分ぐらい登ると、燧ヶ岳の山容を背景とする尾瀬ヶ原がばっちりと見え、高さを稼ぐことの喜びを感じる。1時間15分ぐらい歩くと、森林限界に到達し、それとともに登山道も滑りやすい蛇紋岩を這っていくような感じになる。そして、永遠に続くかのような階段に出る。私の頭に、レッド・ツェッペリンの佳曲『天国への階段』のイントロが流れる。ここは、どうも高天が原と呼ばれるワイルドフラワーの名所らしい。しかし、もう疲労困憊の私はワイルドフラワーを愛でる余裕はない。脹ら脛がぴきぴきと言い始め、攣るのだけは回避しなくてはと、騙し騙し登っていき、ちょっともう限界かも、と思ったら山頂に着いた。山頂に着いたのは8時50分。2時間20分ということで、コースタイムより5分ほど余計に時間がかかったが、悪くないペースである。
山頂ではお湯を沸かしてドリップ式の珈琲を飲みたいところなのだが、私が鍋を忘れてしまったので、簡単な軽食だけをここで食べる。山頂からはまさに360度の素晴らしい展望を得ることができる。天気も晴れていたこともあり、尾瀬ヶ原や燧ヶ岳はもちろんのこと、日光白根山や谷川岳が展望できる。
9時15分頃には下山を開始する。蛇紋岩は滑りやすいとガイドブックなどでも随分と書かれていたので、慎重に下りていく。確かに、黒光りしているような岩は、面白いようにつるつると滑る。私は3人のチームの中で、最後尾を歩いていたので、先を行く卒業生達が「つるつる警報」を出してくれたので、まったく滑らずに済んだが、先頭を行く卒業生はつるりんと滑ってしまった。幸い、怪我とかはなかったが、蛇紋岩、なかなか厄介である。
さて、せっかく下がっていったのだが、小至仏山では再び登らなくてはならない。この登りは疲れたからだにはなかなか楽ではない。が、踏ん張って9時54分には小至仏山の山頂に立つ。これはコースタイムの20分よりも10分も余計にかかったが、これ以上のペースで歩くと蛇紋岩で滑ってしまったであろう。これは、コースタイムが早すぎるのではないかと思ったりもする。ここらへんの蛇紋岩からはワイルドフラワーが多く自生しており、ちょっと余裕があり、上りと違って愛でる余裕も出てくる。小至仏山から20分ぐらい歩いたところに素晴らしい湿原が出現。さすが尾瀬は魅力溢れる土地だなというのを実感しつつ、鳩待峠に急ぐ。鳩待峠は下りルートからよく見えるのだが、なかなか歩いても近づかない。比較的早いペースで歩いたつもりだったが、到着したのは11時20分。ほぼ至仏山山頂を出てから2時間経っての帰着であった。
鳩待山荘に置かせてもらっていた荷物を受け取り、11時50分発の乗り合いバスで戸倉の駐車場まで戻る。鳩待山荘でお薦めといわれた「ほっこり湯」というサービスが偉いぶっきらぼうで全然ほっこりしていない温泉で汗を流し、着替えをし、帰りには沼田市の池田というえらく美味しい蕎麦屋で十割そばを食べて、東京に戻る。日曜日ということで関越自動車道の渋滞に巻き込まれたこともあり、東京には19時頃に到着。

(鳩待山荘を早朝に出発)

(朝靄の中を山の鼻に向かって歩いて行く)

(山の鼻で朝食を取る)

(朝靄が晴れて朝日が差し込み、幻想的な美しさを見せる尾瀬ヶ原)

(早朝の尾瀬ヶ原を気持ちよく歩く)

(至仏山への登山道は急だが、ある程度歩くと、燧ヶ岳と尾瀬ヶ原の素晴らしい展望が得られる。これは至仏山登山の醍醐味であろう)

(登山道には尾瀬ヶ原を展望するベンチがところどころに設置されている)

(樹林限界を超えると、蛇紋岩のガレを這い上がるようにのぼっていく)

(たまに階段が設置されているが、もう永遠に続くかのような長さにあまり嬉しくなれない。「天国への階段」のメロディーが頭の中に響く)

(登山道を振り返ると、この絶景)

(至仏山の山頂)

(山頂は広くはないが、ちょっと休めるようなスペースがある。岩木山とか蓼科山のような岩でごつごつしていないのは有り難い)

(至仏山から西を望む。山頂からは360度の絶景が得られる)

(下山開始。最初は小至仏山へと向かう)

(小至仏山への下山道から振り返る至仏山の西側は、東側の端正な容姿とは異なり、極めてごつごつといかつい風貌を晒している)



(至仏山は花の山として有名だが、りんどうなどのワイルドフラワーがあちこちに咲いており、目を楽しませてくれる。ただ、個人的には上っていた時はそのような花を愛でる余裕はゼロであった)

(小至仏山の山頂。ここからも素晴らしい展望が得られる)

(オヤマ沢田代という美しい湿原が忽然として現れる)

(鳩待山荘に戻ってきたのは11時20分。ということで午前中に戻ってこられたのはよかった。前泊登山の魅力はこれだ。)
鳩待山荘に到着したのは16時ちょっと過ぎぐらいであった。隣のお土産屋さんで、地酒の水芭蕉の純米吟醸を仕入れ、17時30分の夕食の前から一献傾ける。夕食では生ビールを注文し、食事をした後も、卒業生と残りの酒を飲み明かす。3人とも飲兵衛なので、早いピッチで飲み終わり、20時頃には就寝。朝の4時頃に目を覚まし、朝食はおにぎりにしてもらい、4時50分には鳩待山荘を発つ。そのまま至仏山に登るコースもあったが、卒業生は二人とも尾瀬ヶ原に行ったことがない、ということなので山の鼻経由のルートを取ることにした。
山の鼻の標高は1409メートル。鳩待山荘が1591メートルなので、180メートルちょっと下りることになる。これは、ちょっと勿体ない。しかし、山の鼻はちょうど朝靄が晴れるような状態で、その尾瀬ヶ原の美しさをみたら、勿体ないという気持ちは吹っ飛んだ。ちょっとコースタイムの50分より時間がかかり1時間ほどかかったので着いたのは6時ぐらいであった。ここで朝食のおむすびを食べ、またお土産屋がもう開業していたので温かい缶コーヒーを買う(なんと、250円)。
腹拵えをして出発したのは6時30分。ここから至仏山の山頂2228メートルまで、820メートル登らなくてはならない。とはいえ、820メートルといったらそれほど大したことはないだろうと高をくくったら、ほとんど階段を永遠に上って行くような感じで、相当厳しかった。とはいえ、その厳しさを知るのはずっと後の話である。
山の鼻を出て、ちょっとだけ尾瀬ヶ原の湿原を横切り、至仏山の登山口という看板とともに、坂道となる。登山道はしっかりと整備されていて歩きやすいが、斜度はなかなかのものだ。ただ、30分ぐらい登ると、燧ヶ岳の山容を背景とする尾瀬ヶ原がばっちりと見え、高さを稼ぐことの喜びを感じる。1時間15分ぐらい歩くと、森林限界に到達し、それとともに登山道も滑りやすい蛇紋岩を這っていくような感じになる。そして、永遠に続くかのような階段に出る。私の頭に、レッド・ツェッペリンの佳曲『天国への階段』のイントロが流れる。ここは、どうも高天が原と呼ばれるワイルドフラワーの名所らしい。しかし、もう疲労困憊の私はワイルドフラワーを愛でる余裕はない。脹ら脛がぴきぴきと言い始め、攣るのだけは回避しなくてはと、騙し騙し登っていき、ちょっともう限界かも、と思ったら山頂に着いた。山頂に着いたのは8時50分。2時間20分ということで、コースタイムより5分ほど余計に時間がかかったが、悪くないペースである。
山頂ではお湯を沸かしてドリップ式の珈琲を飲みたいところなのだが、私が鍋を忘れてしまったので、簡単な軽食だけをここで食べる。山頂からはまさに360度の素晴らしい展望を得ることができる。天気も晴れていたこともあり、尾瀬ヶ原や燧ヶ岳はもちろんのこと、日光白根山や谷川岳が展望できる。
9時15分頃には下山を開始する。蛇紋岩は滑りやすいとガイドブックなどでも随分と書かれていたので、慎重に下りていく。確かに、黒光りしているような岩は、面白いようにつるつると滑る。私は3人のチームの中で、最後尾を歩いていたので、先を行く卒業生達が「つるつる警報」を出してくれたので、まったく滑らずに済んだが、先頭を行く卒業生はつるりんと滑ってしまった。幸い、怪我とかはなかったが、蛇紋岩、なかなか厄介である。
さて、せっかく下がっていったのだが、小至仏山では再び登らなくてはならない。この登りは疲れたからだにはなかなか楽ではない。が、踏ん張って9時54分には小至仏山の山頂に立つ。これはコースタイムの20分よりも10分も余計にかかったが、これ以上のペースで歩くと蛇紋岩で滑ってしまったであろう。これは、コースタイムが早すぎるのではないかと思ったりもする。ここらへんの蛇紋岩からはワイルドフラワーが多く自生しており、ちょっと余裕があり、上りと違って愛でる余裕も出てくる。小至仏山から20分ぐらい歩いたところに素晴らしい湿原が出現。さすが尾瀬は魅力溢れる土地だなというのを実感しつつ、鳩待峠に急ぐ。鳩待峠は下りルートからよく見えるのだが、なかなか歩いても近づかない。比較的早いペースで歩いたつもりだったが、到着したのは11時20分。ほぼ至仏山山頂を出てから2時間経っての帰着であった。
鳩待山荘に置かせてもらっていた荷物を受け取り、11時50分発の乗り合いバスで戸倉の駐車場まで戻る。鳩待山荘でお薦めといわれた「ほっこり湯」というサービスが偉いぶっきらぼうで全然ほっこりしていない温泉で汗を流し、着替えをし、帰りには沼田市の池田というえらく美味しい蕎麦屋で十割そばを食べて、東京に戻る。日曜日ということで関越自動車道の渋滞に巻き込まれたこともあり、東京には19時頃に到着。

(鳩待山荘を早朝に出発)

(朝靄の中を山の鼻に向かって歩いて行く)

(山の鼻で朝食を取る)

(朝靄が晴れて朝日が差し込み、幻想的な美しさを見せる尾瀬ヶ原)

(早朝の尾瀬ヶ原を気持ちよく歩く)

(至仏山への登山道は急だが、ある程度歩くと、燧ヶ岳と尾瀬ヶ原の素晴らしい展望が得られる。これは至仏山登山の醍醐味であろう)

(登山道には尾瀬ヶ原を展望するベンチがところどころに設置されている)

(樹林限界を超えると、蛇紋岩のガレを這い上がるようにのぼっていく)

(たまに階段が設置されているが、もう永遠に続くかのような長さにあまり嬉しくなれない。「天国への階段」のメロディーが頭の中に響く)

(登山道を振り返ると、この絶景)

(至仏山の山頂)

(山頂は広くはないが、ちょっと休めるようなスペースがある。岩木山とか蓼科山のような岩でごつごつしていないのは有り難い)

(至仏山から西を望む。山頂からは360度の絶景が得られる)

(下山開始。最初は小至仏山へと向かう)

(小至仏山への下山道から振り返る至仏山の西側は、東側の端正な容姿とは異なり、極めてごつごつといかつい風貌を晒している)



(至仏山は花の山として有名だが、りんどうなどのワイルドフラワーがあちこちに咲いており、目を楽しませてくれる。ただ、個人的には上っていた時はそのような花を愛でる余裕はゼロであった)

(小至仏山の山頂。ここからも素晴らしい展望が得られる)

(オヤマ沢田代という美しい湿原が忽然として現れる)

(鳩待山荘に戻ってきたのは11時20分。ということで午前中に戻ってこられたのはよかった。前泊登山の魅力はこれだ。)
岩木山(日本百名山31座登頂) [日本百名山]
弘前に家族旅行で来ていたので、ついでに岩木山登山にチャレンジした。岩木山は津軽岩木スカイラインという有料道路が走っており、これを使えば8合目まで行くことができ、さらにそこからリフトを使えば、9合目まで行くことができる。つまり、苦労もせずに1500メートルも確保できてしまうのだ。ということで、素人の妻と次女も登れるのではないか、と一緒に行ったのであった。津軽岩木スカイラインは、普通車の通行料が1800円と思いの外、高かった。そして、リフトは往復だが900円かかる。つまり、1500メートル登るのに一人1500円ほどかかるということだ。これは、1メートル1円ということになる。ということで、まったく筋肉を使わずに標高1500メートルほど得て9合目に着いたのだが、なんとリフトの終着駅から岩木山の山頂までは、急な岩場であった。リフトからはほぼ垂直のようにさえ見える。それを見て、妻は登ることを拒んだので、リフトの終着駅で待ってもらうことにして、次女と二人で登り始めた。標高差はわずか125メートルなのだが、大きな石がごろごろしている急坂は、両手を使って岩登りのように登っていかなくてはならない。なかなか技術的には大変だ。私は、甘く見てスニーカーを履いてきたのだが、登山靴でくればよかったとちょっと後悔する。とはいえ、25分で頂上に着いた。
頂上からの展望は素晴らしいの一言に尽きる。幸い、天気には恵まれて、日本海はもちろん、北海道の松前崎、白神山地の向こうの鳥海山、八甲田山、奥羽山脈の峰々と素晴らしき360度の展望を得ることができた。
下りは上りと同じか、それ以上に難しかった。ほとんど尻餅をついたような形で下りていったために、上りと同じぐらいの時間がかかった。ということで、往復で50分ほどかかった。ただし、難しいとはいえ、初心者の次女も問題なく登って降りてこられたので、注意をすれば初心者でも登れるルートであることは間違いない。その傾斜が急であること、さらに大きな岩を乗り越えなくてはいけないなど楽な登山とはいえないが、それでも、自動車とリフトを使ったこともあり、これまで登った百名山では最も楽に山頂に着くことができた。

(リフトの終着駅の9合目から岩木山を望む)

(日本海と津軽半島、そしてその先にある北海道を望む)

(山頂での記念写真)

(山頂から陸奥湾を望む)
頂上からの展望は素晴らしいの一言に尽きる。幸い、天気には恵まれて、日本海はもちろん、北海道の松前崎、白神山地の向こうの鳥海山、八甲田山、奥羽山脈の峰々と素晴らしき360度の展望を得ることができた。
下りは上りと同じか、それ以上に難しかった。ほとんど尻餅をついたような形で下りていったために、上りと同じぐらいの時間がかかった。ということで、往復で50分ほどかかった。ただし、難しいとはいえ、初心者の次女も問題なく登って降りてこられたので、注意をすれば初心者でも登れるルートであることは間違いない。その傾斜が急であること、さらに大きな岩を乗り越えなくてはいけないなど楽な登山とはいえないが、それでも、自動車とリフトを使ったこともあり、これまで登った百名山では最も楽に山頂に着くことができた。

(リフトの終着駅の9合目から岩木山を望む)

(日本海と津軽半島、そしてその先にある北海道を望む)

(山頂での記念写真)

(山頂から陸奥湾を望む)
蓼科山(日本百名山30座登頂) [日本百名山]
京都に職場があり、自宅が東京にある。普通は新幹線で移動しているのだが、荷物が多い時は自動車で移動している。ただ、東京から京都は一挙に行くのはちょっと辛い。ということで、中間で宿泊して帰ることが多い。どうせ宿泊するなら、ちょっと寄りたいところで泊まりたい。ということで、東京—京都間にある百名山にちょっと寄り道して登ろうということを考え、最初に選んだのが蓼科山である。ここで蓼科山にしたのは、楽に登れるだろうと考えたからである。というのも、私がバイブルのように参考にしている「大人の遠足ブック、日本百名山 山あるきガイド」では、蓼科山は体力☆、技術☆☆の評価が為されている(☆は5段階評価)。ちなみに筑波山でも体力☆☆、技術☆☆である。筑波山はそれほど大変ではない。ということで、蓼科山なら軽く登れるだろうと考えたからである。ただ、その考えには一抹の不安があった。というのも、私は高校一年生の時、高校の林間授業の一環で蓼科山に登ったことがあるのだが、結構、きついという記憶があったからである。ただ、高校生の時は柔だったのだろうと勝手に解釈して、行くことにした。
前日に諏訪インターチェンジのそばにあるホテルに泊まった。7時には宿を出る。目の前にマクドナルドがあるので、私的には非常に珍しいことなのだが、マクドナルドで食事を取ることにした。これは、山を登るためにはカロリーがたくさん必要であるからだ。さらに、昼ご飯と水を途中のコンビニで確保し、蓼科山の7合目まで車で行く。意外と諏訪インターチェンジからは遠くて、7合目に着いたのは8時頃であった。7合目で既に1906メートルの高さを稼いでいる。空気が薄い。私は高山病になりやすい質なので、これも注意しながら登ることになる。ちなみに天気は、素晴らしい快晴で、まさに登山日和であった。準備をして出発したのは8時10分。蓼科神社の鳥居を抜けて、登山は始まる。カラマツの平坦な道を歩いて行くと、途中からオオシラビソの林になる。朝の光にオオシラビソの緑が反射しているのが美しい。徐々に登山道は傾斜を増し、道路沿いの苔が美しい。標高は高いが、雨量が多い日本の山の美しいランドスケープを堪能しつつ、登っていく。ほぼ1時間後の9時16分に蓼科山荘のある将軍平に到着する。ここからは、まさに登山というよりかは岩登りという感じで、大きな石を両手で使って登っていくような感じで、結構、厳しい。鎖場もある。空気が薄いこともあり、息が上がる。この厳しさは高校時代の記憶と一致する。筑波山より体力が簡単という「大人の遠足ブック」の評価は間違っているだろう、と太ももの筋肉が悲鳴を上げている。技術も明らかに筑波山よりは☆が一つは多く評価されるべきだと思う。私はこういうレキを登っていくのが好きではないので、あまり楽しい気分になれないが、徐々に高度を増すと周りの素晴らしい光景が広がっていくので、それが疲れを吹っ飛ばせてくれる。
さて、山頂ヒュッテに到着したのは9時53分。その後は、露岩の中を山頂まで足下を注意しながら歩いて行く。山頂は岩だらけで、食事をするための空間も確保しにくい。蓼科山は離れた距離から見た目は女性的だが、近くに来るとぎざぎざの岩の上で、少なくともピクニックをする場所としては不適切だ。私は高校一年の時、蓼科山に登って、あまり登山が楽しいと思わなかったのだが、これは、この蓼科山の山頂に対していいイメージを持たなかったからかもしれない。その後、大学のワンダーフォーゲルの講義で妙高山を登った時には楽しいな、と思ったりしたので、初級者に蓼科山に登らすのはあまり得策ではないかと思ったりもした。
とはいえ、標高2530メートルからの360度の展望は素晴らしいの一言に尽きる。八ヶ岳の雄姿、さらには南アルプス、乗鞍岳、北アルプスと日本の素晴らしい山々を一望することができる。これは蓼科山登山の魅力であろう。おにぎりを二つ食べて、10時10分頃には下山を始める。蓼科ヒュッテから蓼科山荘までは、急登を降りて行かなくてはならない。注意深く、岩にとりつきながら降りていく。鎖場は登りでは鎖を使わなかったが、下りでは非常に役に立った。岩は尖っているので足下は不安定。私は、ちょっと捻ったりもしてしまった。捻挫はしなかったが、しっかりと足首をサポートするようにしておけばよかったと後悔する。10時45分には蓼科山荘に着く。ここでは挽き立ての珈琲が飲めるということで、ちょっと休憩をして珈琲を飲む。値段は500円。しっかりと豆を挽いてから、珈琲を淹れてくれるのでなかなか美味しい。蓼科山荘、蓼科山頂ヒュッテと珈琲、食事が提供されるので、蓼科登山にはガスを持って行く必要はないな、と思う。とはいえ、この岩だらけの登山は、もう一度行きたいとはあまり思わせない。10時55分には山荘を出て、下っていく。行きには寄らなかった天狗の露地に寄る。ここも岩がごろごろしていて足下に留意しなくてはならない。ここからは、蓼科山の雄姿を観ることができる。急坂を下りるには、膝が痛い。というので、ジグザグで降りていく。再び7合目の鳥居をくぐったのは11時55分、正午のちょっと前であった。
正直、蓼科山もなかなか厳しい登山であった。「楽に登れる百名山なし」とは、私が自分を慰めるためにつくった言葉であるが、まさにそれを実感させられた蓼科山登山であった。帰りは、蓼科山荘の主人が勧めてくれた白樺湖沿いにあるすずらん湯に寄る。このすずらん湯はよかった。そして、東京の自宅には16時ちょっと過ぎに着いた。蓼科山登山は厳しかったが、天候がよかったこともあり、そういう点ではいい一日を送ることができた。

(登山の始めは平坦な林の中を歩いて行く)

(45分ぐらい歩いたところで振り返ると、素晴らしい蓼科の光景が広がる)

(蓼科山荘を後にすると、登り坂はさらに厳しくなる)

(鎖場まで現れる)

(登り坂を振り返ると、将軍平から随分と標高を稼いでいるのを知る)

(蓼科山頂ヒュッテの直前までは、岩を抱きながら登っていくような感じになる。全然、簡単な山ではないような気がする)

(蓼科山頂ヒュッテ)

(野草が美しい)

(蓼科山頂)

(蓼科山頂は大きな岩がごろごろと転がっている)

(登りが厳しいということは、下りも厳しいということです)

(帰りは蓼科山荘で珈琲をいただきました)

(標高が高いこともあって、露に濡れる植物が美しい)

(天狗の露地からは蓼科山が展望できる)
前日に諏訪インターチェンジのそばにあるホテルに泊まった。7時には宿を出る。目の前にマクドナルドがあるので、私的には非常に珍しいことなのだが、マクドナルドで食事を取ることにした。これは、山を登るためにはカロリーがたくさん必要であるからだ。さらに、昼ご飯と水を途中のコンビニで確保し、蓼科山の7合目まで車で行く。意外と諏訪インターチェンジからは遠くて、7合目に着いたのは8時頃であった。7合目で既に1906メートルの高さを稼いでいる。空気が薄い。私は高山病になりやすい質なので、これも注意しながら登ることになる。ちなみに天気は、素晴らしい快晴で、まさに登山日和であった。準備をして出発したのは8時10分。蓼科神社の鳥居を抜けて、登山は始まる。カラマツの平坦な道を歩いて行くと、途中からオオシラビソの林になる。朝の光にオオシラビソの緑が反射しているのが美しい。徐々に登山道は傾斜を増し、道路沿いの苔が美しい。標高は高いが、雨量が多い日本の山の美しいランドスケープを堪能しつつ、登っていく。ほぼ1時間後の9時16分に蓼科山荘のある将軍平に到着する。ここからは、まさに登山というよりかは岩登りという感じで、大きな石を両手で使って登っていくような感じで、結構、厳しい。鎖場もある。空気が薄いこともあり、息が上がる。この厳しさは高校時代の記憶と一致する。筑波山より体力が簡単という「大人の遠足ブック」の評価は間違っているだろう、と太ももの筋肉が悲鳴を上げている。技術も明らかに筑波山よりは☆が一つは多く評価されるべきだと思う。私はこういうレキを登っていくのが好きではないので、あまり楽しい気分になれないが、徐々に高度を増すと周りの素晴らしい光景が広がっていくので、それが疲れを吹っ飛ばせてくれる。
さて、山頂ヒュッテに到着したのは9時53分。その後は、露岩の中を山頂まで足下を注意しながら歩いて行く。山頂は岩だらけで、食事をするための空間も確保しにくい。蓼科山は離れた距離から見た目は女性的だが、近くに来るとぎざぎざの岩の上で、少なくともピクニックをする場所としては不適切だ。私は高校一年の時、蓼科山に登って、あまり登山が楽しいと思わなかったのだが、これは、この蓼科山の山頂に対していいイメージを持たなかったからかもしれない。その後、大学のワンダーフォーゲルの講義で妙高山を登った時には楽しいな、と思ったりしたので、初級者に蓼科山に登らすのはあまり得策ではないかと思ったりもした。
とはいえ、標高2530メートルからの360度の展望は素晴らしいの一言に尽きる。八ヶ岳の雄姿、さらには南アルプス、乗鞍岳、北アルプスと日本の素晴らしい山々を一望することができる。これは蓼科山登山の魅力であろう。おにぎりを二つ食べて、10時10分頃には下山を始める。蓼科ヒュッテから蓼科山荘までは、急登を降りて行かなくてはならない。注意深く、岩にとりつきながら降りていく。鎖場は登りでは鎖を使わなかったが、下りでは非常に役に立った。岩は尖っているので足下は不安定。私は、ちょっと捻ったりもしてしまった。捻挫はしなかったが、しっかりと足首をサポートするようにしておけばよかったと後悔する。10時45分には蓼科山荘に着く。ここでは挽き立ての珈琲が飲めるということで、ちょっと休憩をして珈琲を飲む。値段は500円。しっかりと豆を挽いてから、珈琲を淹れてくれるのでなかなか美味しい。蓼科山荘、蓼科山頂ヒュッテと珈琲、食事が提供されるので、蓼科登山にはガスを持って行く必要はないな、と思う。とはいえ、この岩だらけの登山は、もう一度行きたいとはあまり思わせない。10時55分には山荘を出て、下っていく。行きには寄らなかった天狗の露地に寄る。ここも岩がごろごろしていて足下に留意しなくてはならない。ここからは、蓼科山の雄姿を観ることができる。急坂を下りるには、膝が痛い。というので、ジグザグで降りていく。再び7合目の鳥居をくぐったのは11時55分、正午のちょっと前であった。
正直、蓼科山もなかなか厳しい登山であった。「楽に登れる百名山なし」とは、私が自分を慰めるためにつくった言葉であるが、まさにそれを実感させられた蓼科山登山であった。帰りは、蓼科山荘の主人が勧めてくれた白樺湖沿いにあるすずらん湯に寄る。このすずらん湯はよかった。そして、東京の自宅には16時ちょっと過ぎに着いた。蓼科山登山は厳しかったが、天候がよかったこともあり、そういう点ではいい一日を送ることができた。

(登山の始めは平坦な林の中を歩いて行く)

(45分ぐらい歩いたところで振り返ると、素晴らしい蓼科の光景が広がる)

(蓼科山荘を後にすると、登り坂はさらに厳しくなる)

(鎖場まで現れる)

(登り坂を振り返ると、将軍平から随分と標高を稼いでいるのを知る)

(蓼科山頂ヒュッテの直前までは、岩を抱きながら登っていくような感じになる。全然、簡単な山ではないような気がする)

(蓼科山頂ヒュッテ)

(野草が美しい)

(蓼科山頂)

(蓼科山頂は大きな岩がごろごろと転がっている)

(登りが厳しいということは、下りも厳しいということです)

(帰りは蓼科山荘で珈琲をいただきました)

(標高が高いこともあって、露に濡れる植物が美しい)

(天狗の露地からは蓼科山が展望できる)
荒島岳(日本百名山29座登頂) [日本百名山]
長浜のホテルにチェックインし、元会社の同僚と翌日の天気をチェックする。元同僚は「てんきとくらす」という優れたアプリをみながら、翌日の14時頃には荒島岳の山頂は晴れそうだとする。ということで、せっかくここまで来たということもあり、朝の5時にロビー−集合という予定を立てる。
朝の5時に自動車に乗り込んで荒島岳に向かう。北陸自動車道は雨がパラパラと降っている。同僚は「てんきとくらす」によると荒島岳はEという。ちなみに、「てんきとくらす」の評価はA〜Cであり、Aは「登山に適切」、Bは「登山にやや適していない」、Cは「適していない」であり、Eという評価が何かもよく分からない。私は職業が大学教員なので、それから類推すると、登山を考えること自体、非常識というようなことか。どうも、その日の明け方は荒島岳には雪が降ったそうである。
とはいえ、荒島岳の登山口には向かった。荒島岳には大きく4つの登山ルートがある。最も人気があるのはJRの勝原駅を起点とする勝原コースである。ただし、これは非常に急登で厳しいという情報がウェブサイトに書かれていたので、中出(なかんで)コースを選んだ。これは、歩行距離は長いが、標高差もほぼ同じで、時間も10分ぐらい余計にかかるぐらいである。途中、コンビニで食料を購入する。中出コースの登山口の駐車場には7時ちょっと過ぎに着く。雨はパラパラとは降っているが、青空のようなものも見える。元同僚は、前線の雨雲が断続的に動いているが、そのうちなくなると指摘する。そして、14時頃には山頂も晴れそうだ、と言う。そのような状況なので8時30分まで逸る気持ちを抑えて、8時30分まで登山口の駐車場で仮眠を取ることにする。小雨が時折、車のフロントグラスに降る。その音を聞きつつ、前途多難かもしれないと思うが、とりあえず急いては事をし損じると自分に言い聞かせる。さて、とはいえ二人とも8時20分ぐらいにはいてもたってもいられない気持ちになり準備をし始めるような感じになる。念入りにチェックをすると、9時頃にはどうも空も明るくなってきた。ということで、登山を開始する。中出コースは途中までは林道を歩いて行く。そして、途中で分岐する。登りはまあまあきついが、驚くほどの急登ではなく、このコースを選んで正解だと思う。歩いて1時間30分ぐらい経つと、西側に雪山が見えてくる。なかなか美しいと思いつつ、あそこの山に雪が積もっているのであれば荒島岳の山頂も間違いなく雪が積もっているなと、不安な気持ちが首をもたげる。

(登山開始時の駐車場の様子。まだ空は曇っている)

(しばらく歩くと、素晴らしい山並みの展望を時折、見ることができる)
ここらへんからはブナの森の中を通っていくのだが、これが非常に気持ちよい。元同僚が言うには、このブナの森を目的にここに来る人もいるようなのだが、それも納得だ。改めて本州の風土の美しさをつくる重要な要素はブナの森であるなと思う。高度が上がるにつれて、雪が目立つようになり、遂に登山道が雪でみえなくなっているようなところも現れた。靴の足跡を辿って行くと、その靴跡をつけた人も道を間違えていたようで、どこにも行けなくなっている。後ろを歩いていた元同僚が、どうにか正しい道を見つけたので事なきを得たが、単独登山だと下手したら道に迷ったかもしれない。雪の怖さを思い知る。

(中出コースは素晴らしいブナ林の中を歩いて行く)
さて、2時間30分ぐらい経つと、小荒島岳との分岐点に到着する。この分岐点から1分で小荒島岳には行ける。私は体力もないため、10秒でも寄り道をするのを躊躇するタイプなのだが、元同僚は当然、行くでしょうという感じで向かっていく。私はしょうがないな、とついていったのだが、ここからは360度の展望だけでなく、荒島岳の素晴らしい山容を目の前にすることができる。今回の登山は、素晴らしい景色を十二分に堪能したが、小荒島岳からの展望が最も優れていた。荒島岳に登る人は是非ともここに登って欲しい。というか、ここにアクセスできるという事実だけで、勝原コースではなくて、中出コースを選ぶべきではないかと考えるくらいである。

(小荒島岳から見る荒島岳の見事な山容)
そこから勝原コースとの分岐点であるしゃくなげ平までは30分ちょっと。5月ということで、シャクナゲはもちろんのこと登山道沿いには白木蓮のような花も咲いていて楽しませてくれる。さて、しゃくなげ平から荒島岳の山頂までは1時間ぐらいだそうだが、途中、もちが壁という難所を通る。普通の状態でも雪が積もっていたらさらに大変だ、と戦々恐々とした気分で登り始める。ただ、幸い、もちが壁のロープがあるような急斜面では雪は積もってなく、雨が降った直後で泥濘んでおり、泥まみれにはなったが、どうにか登ることはできた。しかし、もちが壁の後に登山道が雪で完全に被われているところがあった。ここは下ってくる登山者達が異口同音に、「大変なところがある。とはいえ、アイゼンは必要はない」と言っていたところだ。この難所は、登山道が急に1メートルぐらい積もった雪に被われて壁のようになっており、その雪の部分にまではい登らなくてならないような状況になっていた。私よりも度胸がある元同僚がここを登ろうとしたら、足をひっかけ損ねて酷い状態で雪のない泥の道を滑ってしまった。私はそれをみて、これは雪というよりかは、泥の部分を歩くためにアイゼンが必要だと考え、ここでアイゼンを着ける。アイゼンを着け終わって顔を上げると元同僚の姿はなくなっていた。どうやったのかは分からないが、アイゼンを着けずに登ったようである。さて、私はアイゼンを着けたこともあり、滑らずにここをクリアすることができた。雪の壁の場所を通り過ぎても、しばらくアイゼンを着けて歩いていたが、結局、アイゼンが必要だったのはこの部分だけであった。

(シャクナゲ平を過ぎたところに生えていた白木蓮(だと思われる花))

(登山道の前に立ちはだかる雪の壁)
この難所を過ぎると、それほど苦労せずに荒島岳の山頂に登ることができた。時間は13時40分。登り始めてから4時間40分ちょっとである。さて、展望は素晴らしかったが、風が強いこともあり、降りてしゃくなげ平で食事をすることにする。下りでは、私だけでなく元同僚もアイゼンをつけて例の難所を通り抜けることにする。アイゼンをつけると、やはり雪の上での安定性は格段に向上する。

(山頂そばの登山道から見た白山の山々)

(山頂での証拠写真)

(山頂から能郷白山方面を望む)

(山頂から見た白山の山々)

(山頂から越前大野市街を望む)
下りはなかなか太股、足首、膝に来たが、幸い、痛みを伴うこともなく、無事に17時30分には駐車場に着くことができた。
その後、郡上を経由して、新東名で家路へと急いだが、結局、その日のうちには帰宅できず、家に着いた時は1時を回っていた。これは、荒島岳と伊吹山を登る順番を変えたからだが、伊吹山はともかく、荒島岳は素晴らしい登山を体験することができて、たいへんよかった。

(戻ったら駐車場には西日が差していた)
朝の5時に自動車に乗り込んで荒島岳に向かう。北陸自動車道は雨がパラパラと降っている。同僚は「てんきとくらす」によると荒島岳はEという。ちなみに、「てんきとくらす」の評価はA〜Cであり、Aは「登山に適切」、Bは「登山にやや適していない」、Cは「適していない」であり、Eという評価が何かもよく分からない。私は職業が大学教員なので、それから類推すると、登山を考えること自体、非常識というようなことか。どうも、その日の明け方は荒島岳には雪が降ったそうである。
とはいえ、荒島岳の登山口には向かった。荒島岳には大きく4つの登山ルートがある。最も人気があるのはJRの勝原駅を起点とする勝原コースである。ただし、これは非常に急登で厳しいという情報がウェブサイトに書かれていたので、中出(なかんで)コースを選んだ。これは、歩行距離は長いが、標高差もほぼ同じで、時間も10分ぐらい余計にかかるぐらいである。途中、コンビニで食料を購入する。中出コースの登山口の駐車場には7時ちょっと過ぎに着く。雨はパラパラとは降っているが、青空のようなものも見える。元同僚は、前線の雨雲が断続的に動いているが、そのうちなくなると指摘する。そして、14時頃には山頂も晴れそうだ、と言う。そのような状況なので8時30分まで逸る気持ちを抑えて、8時30分まで登山口の駐車場で仮眠を取ることにする。小雨が時折、車のフロントグラスに降る。その音を聞きつつ、前途多難かもしれないと思うが、とりあえず急いては事をし損じると自分に言い聞かせる。さて、とはいえ二人とも8時20分ぐらいにはいてもたってもいられない気持ちになり準備をし始めるような感じになる。念入りにチェックをすると、9時頃にはどうも空も明るくなってきた。ということで、登山を開始する。中出コースは途中までは林道を歩いて行く。そして、途中で分岐する。登りはまあまあきついが、驚くほどの急登ではなく、このコースを選んで正解だと思う。歩いて1時間30分ぐらい経つと、西側に雪山が見えてくる。なかなか美しいと思いつつ、あそこの山に雪が積もっているのであれば荒島岳の山頂も間違いなく雪が積もっているなと、不安な気持ちが首をもたげる。

(登山開始時の駐車場の様子。まだ空は曇っている)

(しばらく歩くと、素晴らしい山並みの展望を時折、見ることができる)
ここらへんからはブナの森の中を通っていくのだが、これが非常に気持ちよい。元同僚が言うには、このブナの森を目的にここに来る人もいるようなのだが、それも納得だ。改めて本州の風土の美しさをつくる重要な要素はブナの森であるなと思う。高度が上がるにつれて、雪が目立つようになり、遂に登山道が雪でみえなくなっているようなところも現れた。靴の足跡を辿って行くと、その靴跡をつけた人も道を間違えていたようで、どこにも行けなくなっている。後ろを歩いていた元同僚が、どうにか正しい道を見つけたので事なきを得たが、単独登山だと下手したら道に迷ったかもしれない。雪の怖さを思い知る。

(中出コースは素晴らしいブナ林の中を歩いて行く)
さて、2時間30分ぐらい経つと、小荒島岳との分岐点に到着する。この分岐点から1分で小荒島岳には行ける。私は体力もないため、10秒でも寄り道をするのを躊躇するタイプなのだが、元同僚は当然、行くでしょうという感じで向かっていく。私はしょうがないな、とついていったのだが、ここからは360度の展望だけでなく、荒島岳の素晴らしい山容を目の前にすることができる。今回の登山は、素晴らしい景色を十二分に堪能したが、小荒島岳からの展望が最も優れていた。荒島岳に登る人は是非ともここに登って欲しい。というか、ここにアクセスできるという事実だけで、勝原コースではなくて、中出コースを選ぶべきではないかと考えるくらいである。

(小荒島岳から見る荒島岳の見事な山容)
そこから勝原コースとの分岐点であるしゃくなげ平までは30分ちょっと。5月ということで、シャクナゲはもちろんのこと登山道沿いには白木蓮のような花も咲いていて楽しませてくれる。さて、しゃくなげ平から荒島岳の山頂までは1時間ぐらいだそうだが、途中、もちが壁という難所を通る。普通の状態でも雪が積もっていたらさらに大変だ、と戦々恐々とした気分で登り始める。ただ、幸い、もちが壁のロープがあるような急斜面では雪は積もってなく、雨が降った直後で泥濘んでおり、泥まみれにはなったが、どうにか登ることはできた。しかし、もちが壁の後に登山道が雪で完全に被われているところがあった。ここは下ってくる登山者達が異口同音に、「大変なところがある。とはいえ、アイゼンは必要はない」と言っていたところだ。この難所は、登山道が急に1メートルぐらい積もった雪に被われて壁のようになっており、その雪の部分にまではい登らなくてならないような状況になっていた。私よりも度胸がある元同僚がここを登ろうとしたら、足をひっかけ損ねて酷い状態で雪のない泥の道を滑ってしまった。私はそれをみて、これは雪というよりかは、泥の部分を歩くためにアイゼンが必要だと考え、ここでアイゼンを着ける。アイゼンを着け終わって顔を上げると元同僚の姿はなくなっていた。どうやったのかは分からないが、アイゼンを着けずに登ったようである。さて、私はアイゼンを着けたこともあり、滑らずにここをクリアすることができた。雪の壁の場所を通り過ぎても、しばらくアイゼンを着けて歩いていたが、結局、アイゼンが必要だったのはこの部分だけであった。

(シャクナゲ平を過ぎたところに生えていた白木蓮(だと思われる花))

(登山道の前に立ちはだかる雪の壁)
この難所を過ぎると、それほど苦労せずに荒島岳の山頂に登ることができた。時間は13時40分。登り始めてから4時間40分ちょっとである。さて、展望は素晴らしかったが、風が強いこともあり、降りてしゃくなげ平で食事をすることにする。下りでは、私だけでなく元同僚もアイゼンをつけて例の難所を通り抜けることにする。アイゼンをつけると、やはり雪の上での安定性は格段に向上する。

(山頂そばの登山道から見た白山の山々)

(山頂での証拠写真)

(山頂から能郷白山方面を望む)

(山頂から見た白山の山々)

(山頂から越前大野市街を望む)
下りはなかなか太股、足首、膝に来たが、幸い、痛みを伴うこともなく、無事に17時30分には駐車場に着くことができた。
その後、郡上を経由して、新東名で家路へと急いだが、結局、その日のうちには帰宅できず、家に着いた時は1時を回っていた。これは、荒島岳と伊吹山を登る順番を変えたからだが、伊吹山はともかく、荒島岳は素晴らしい登山を体験することができて、たいへんよかった。

(戻ったら駐車場には西日が差していた)
伊吹山(日本百名山28座登頂) [日本百名山]
昨年の8月にアイスランドで捻挫をして以来、登山をしたのは一度だけである。それも吾妻山と大して難しい山ではなかった。捻挫をしてからほぼ9ヶ月。まだ本調子ではないが、五月の連休であり、これはチャンスということで荒島岳と伊吹山に5月3日と4日の二日連続でチャレンジすることにした。元会社の同僚に付き合ってもらった。
さて、初日は行程も長く、東京からも離れている荒島岳にチャレンジしようと計画し、越前大野にある旅館に宿を取ることにした。そこでお弁当をつくってもらい、朝の6時前に出発しようと思ったのだが、越前大野は雨が降っていた。翌日も雨がひどく、とても登山をするようなコンディションではない。ということで、荒島岳の登山は諦め、伊吹山も雨がひどいようなので、とりあえず比叡山にでも登山し、そのまま伊吹山登山の拠点として予約した長濱のホテルに行こうかと思い、眠りにつく。
3日はゆっくりと7時30分に食事を取り、宿は8時30分ごろに出発する。宿のおばさんも前日に荒島岳に登山した人が散々な目に遭ったという話をしてくれる。「今日はとても無理だろう、残念ですね」と慰められ、宿を後にする。さて、そして北陸自動車道で比叡山に向かう。彦根IC経由でのルートだ。10時頃、賤ヶ岳サービスエリアで休憩をすると、どうも天気は快方に向かっている。そして、なんと伊吹山の全容が姿をみせた。これは、比叡山ではなくて今日、伊吹山に登ってしまおうと相談し、そのまま長濱インターチェンジで降りて、伊吹山の登山口へ向かう。途中、コンビニで食料と水を購入する。
さて、伊吹山の登山口は10時40分頃に着く。駐車場に行くと、おばさんが我々に話しかけてきて500円で家の駐車場に停まらせてやる、と言ってくる。登山口のリフト乗り場の駐車場代も500円だったので、そのまま停まらせてもらう。500円を支払うとお煎餅と飴を二粒ほどくれた。さて、伊吹山はマイカーは通行禁止なのだが、タクシーであれば3合目まで行くことができる。久しぶりの登山で足首に不安があり、また、大きく出遅れていたこともあり、このおばさんにタクシーを呼んでもらうようにお願いする。15分くらいは待つよ、と言われたが、大丈夫と回答する。さて、しかし、タクシーは呼んだらあっという間に来た。どうも、他の客を3合目まで送ってきた帰りに電話を受けたようである。
タクシーは狭くてくねくねとした道路を上っていく。その途中、300円の有料駐車場が多くあることに気づく。さきほどの駐車場の煎餅と飴は、この200円差の埋め合わせかと思ったりもした。
3合目までは15分ぐらいで着いた。料金は2430円。高いといえば高いが、これで時間でいえば1時間30分、標高差で570メートルを稼いだと思えば安いものだ。二人で割ったので一人の負担は1200円ちょっとだし。さて、山頂にかかっている雲は気になるが、少なくとも雨は降っていない。3合目は2010年に閉業した伊吹山スキー場のゴンドラの山頂駅があったところである。2011年までは登山客のためにゴンドラは操業していたのだが、これも中止された。3合目にはスキー客のためのレストハウスの廃屋が二軒ほどあり、なんか寂寥感が漂う。

(三合目にあるスキー場のレストハウスの廃屋)
三合目を出発したのは11時ちょっと過ぎ。気持ちよく、この石灰岩の登っていく。三合目の標高は770メートル。山頂は1377メートル。およそ600メートルの登山である。木がほとんど生えていない登山道からは琵琶湖の素晴らしい景観を楽しむことができ、気持ちよい登山ができる。30分後には5合目に着く。ここには自販機があり、ベンチもある。ただし、自販機の飲料水のペットボトルは240円となかなかの値段だ。3合目から1時間弱で6合目。ここらへんから雨が降り始めたので、カメラをリュックにしまい、ひたすら登山に専念する。途中からは、ほとんど這うようにして岩山を登っていく。雨が降った後で泥は滑りやすくて注意が必要だ。山頂近くは雲に被われ、視界はほとんど得られない。

(五合目)

(五合目にある自販機。ペットボトルは240円)

(登山道から展望した琵琶湖の長浜の街並み)

(米原市方面の展望)

(山頂の周遊道路と合流する。山頂まではあと少しだ)
山頂に着いたのは三合目を出発してから2時間弱経った13時ちょっと前。伊吹山頂は歩いて30分ぐらいのところまで道路が通じていることもあり、山頂には結構の人がいた。そういうこともあり、山頂には多くのレストハウスがあり、わざわざ食事を持って登ってきたのがちょっと馬鹿らしい。山頂は視界がないのに加え、なかなか風も強く寒かったこともあり、レストハウスに入り、コンビニで買ったサンドイッチを頬張る。レストハウスには申し訳なかったのでお味噌汁を注文するが、店の人は気にしなくてもいいと言ってくれる。なかなか優しい店員であった。とはいえ、このレストハウス群は登山の詩情をまったく喪失させる。ここまで風情がない百名山もなかなか珍しい。筑波山並みの情緒がない山頂である。

(山頂での証拠写真。霧で視界はまったく得られない。そして、風が強く寒い)

(レストハウスで休憩する)

(レストハウスの外観。サービスはとてもよかった)

(山頂にあるレストハウス。山頂の風情はまったくなく、ちょっと脱力する)
「てんきとせいかつ」のアプリによれば15時ぐらいになると霧は晴れるという情報であったが、15時まで待っていると下山をすると17時30分になってしまう。流石にそれは遅すぎるだろうということと、レストハウスのおじさんが「これからは天気は悪くなる一方だ」と言うので13時30分には下山を開始した。しばらくは霧の中であったが、7合目ぐらいでまた視界が広がる。琵琶湖や関ヶ原、そして鈴鹿山脈の山容が美しい。登っている時にはそれほど気にはならなかったが、なかなか勾配はきつく、下りは結構足首に負担が大きい。足首を捻らないように気をつけて高度を下げていく。15時頃になると、伊吹山の山頂がくっきりと見える。ちょっと悔しい気持ちにもなるが、そのまま帰路を急ぐ。三合目に戻ったのが15時40分。伊吹山のずっしりとした山容が綺麗に見えて、悔しさが再びぶり返す。駐車場にもどったのは17時ちょっと前であった。駐車場のおばさんは、ブラシを貸してくれる靴を洗うといいよ、と言ってくれた。泥んこ遊びをしたように靴とズボンは泥だらけだったのだ大変助かった。200円の差額以上のサービスを得られたような気分であった。

(15時ぐらいには山頂が姿を現す)

(三合目に戻った時には、山頂だけでなく青空も見られた)
さて、初日は行程も長く、東京からも離れている荒島岳にチャレンジしようと計画し、越前大野にある旅館に宿を取ることにした。そこでお弁当をつくってもらい、朝の6時前に出発しようと思ったのだが、越前大野は雨が降っていた。翌日も雨がひどく、とても登山をするようなコンディションではない。ということで、荒島岳の登山は諦め、伊吹山も雨がひどいようなので、とりあえず比叡山にでも登山し、そのまま伊吹山登山の拠点として予約した長濱のホテルに行こうかと思い、眠りにつく。
3日はゆっくりと7時30分に食事を取り、宿は8時30分ごろに出発する。宿のおばさんも前日に荒島岳に登山した人が散々な目に遭ったという話をしてくれる。「今日はとても無理だろう、残念ですね」と慰められ、宿を後にする。さて、そして北陸自動車道で比叡山に向かう。彦根IC経由でのルートだ。10時頃、賤ヶ岳サービスエリアで休憩をすると、どうも天気は快方に向かっている。そして、なんと伊吹山の全容が姿をみせた。これは、比叡山ではなくて今日、伊吹山に登ってしまおうと相談し、そのまま長濱インターチェンジで降りて、伊吹山の登山口へ向かう。途中、コンビニで食料と水を購入する。
さて、伊吹山の登山口は10時40分頃に着く。駐車場に行くと、おばさんが我々に話しかけてきて500円で家の駐車場に停まらせてやる、と言ってくる。登山口のリフト乗り場の駐車場代も500円だったので、そのまま停まらせてもらう。500円を支払うとお煎餅と飴を二粒ほどくれた。さて、伊吹山はマイカーは通行禁止なのだが、タクシーであれば3合目まで行くことができる。久しぶりの登山で足首に不安があり、また、大きく出遅れていたこともあり、このおばさんにタクシーを呼んでもらうようにお願いする。15分くらいは待つよ、と言われたが、大丈夫と回答する。さて、しかし、タクシーは呼んだらあっという間に来た。どうも、他の客を3合目まで送ってきた帰りに電話を受けたようである。
タクシーは狭くてくねくねとした道路を上っていく。その途中、300円の有料駐車場が多くあることに気づく。さきほどの駐車場の煎餅と飴は、この200円差の埋め合わせかと思ったりもした。
3合目までは15分ぐらいで着いた。料金は2430円。高いといえば高いが、これで時間でいえば1時間30分、標高差で570メートルを稼いだと思えば安いものだ。二人で割ったので一人の負担は1200円ちょっとだし。さて、山頂にかかっている雲は気になるが、少なくとも雨は降っていない。3合目は2010年に閉業した伊吹山スキー場のゴンドラの山頂駅があったところである。2011年までは登山客のためにゴンドラは操業していたのだが、これも中止された。3合目にはスキー客のためのレストハウスの廃屋が二軒ほどあり、なんか寂寥感が漂う。

(三合目にあるスキー場のレストハウスの廃屋)
三合目を出発したのは11時ちょっと過ぎ。気持ちよく、この石灰岩の登っていく。三合目の標高は770メートル。山頂は1377メートル。およそ600メートルの登山である。木がほとんど生えていない登山道からは琵琶湖の素晴らしい景観を楽しむことができ、気持ちよい登山ができる。30分後には5合目に着く。ここには自販機があり、ベンチもある。ただし、自販機の飲料水のペットボトルは240円となかなかの値段だ。3合目から1時間弱で6合目。ここらへんから雨が降り始めたので、カメラをリュックにしまい、ひたすら登山に専念する。途中からは、ほとんど這うようにして岩山を登っていく。雨が降った後で泥は滑りやすくて注意が必要だ。山頂近くは雲に被われ、視界はほとんど得られない。

(五合目)

(五合目にある自販機。ペットボトルは240円)

(登山道から展望した琵琶湖の長浜の街並み)

(米原市方面の展望)

(山頂の周遊道路と合流する。山頂まではあと少しだ)
山頂に着いたのは三合目を出発してから2時間弱経った13時ちょっと前。伊吹山頂は歩いて30分ぐらいのところまで道路が通じていることもあり、山頂には結構の人がいた。そういうこともあり、山頂には多くのレストハウスがあり、わざわざ食事を持って登ってきたのがちょっと馬鹿らしい。山頂は視界がないのに加え、なかなか風も強く寒かったこともあり、レストハウスに入り、コンビニで買ったサンドイッチを頬張る。レストハウスには申し訳なかったのでお味噌汁を注文するが、店の人は気にしなくてもいいと言ってくれる。なかなか優しい店員であった。とはいえ、このレストハウス群は登山の詩情をまったく喪失させる。ここまで風情がない百名山もなかなか珍しい。筑波山並みの情緒がない山頂である。

(山頂での証拠写真。霧で視界はまったく得られない。そして、風が強く寒い)

(レストハウスで休憩する)

(レストハウスの外観。サービスはとてもよかった)

(山頂にあるレストハウス。山頂の風情はまったくなく、ちょっと脱力する)
「てんきとせいかつ」のアプリによれば15時ぐらいになると霧は晴れるという情報であったが、15時まで待っていると下山をすると17時30分になってしまう。流石にそれは遅すぎるだろうということと、レストハウスのおじさんが「これからは天気は悪くなる一方だ」と言うので13時30分には下山を開始した。しばらくは霧の中であったが、7合目ぐらいでまた視界が広がる。琵琶湖や関ヶ原、そして鈴鹿山脈の山容が美しい。登っている時にはそれほど気にはならなかったが、なかなか勾配はきつく、下りは結構足首に負担が大きい。足首を捻らないように気をつけて高度を下げていく。15時頃になると、伊吹山の山頂がくっきりと見える。ちょっと悔しい気持ちにもなるが、そのまま帰路を急ぐ。三合目に戻ったのが15時40分。伊吹山のずっしりとした山容が綺麗に見えて、悔しさが再びぶり返す。駐車場にもどったのは17時ちょっと前であった。駐車場のおばさんは、ブラシを貸してくれる靴を洗うといいよ、と言ってくれた。泥んこ遊びをしたように靴とズボンは泥だらけだったのだ大変助かった。200円の差額以上のサービスを得られたような気分であった。

(15時ぐらいには山頂が姿を現す)

(三合目に戻った時には、山頂だけでなく青空も見られた)
吾妻山(西吾妻山)に登る(日本百名山27座登頂) [日本百名山]
台風が近づいており、秋雨前線も展開している。登山をするにはまったくもって理想から遠い状況であったが、宿を予約していたので頑張ってゼミの卒業生の中君とともに東京を金曜日の朝に出発した。捻挫もまだ完治していなかったにも関わらずである。最初の目的地は蔵王山である。白石蔵王まで新幹線で行き、そこからレンタカーをして刈田岳へ向かった。刈田岳はすさまじい濃霧で、雨も降っており、とても登山をするような状況ではなかった。諦めて、金曜日の宿である白布温泉へと向かう。吾妻山の登山拠点である。白布温泉の宿泊地は中屋別館不動閣。昔から温泉旅館をしていたような老舗感のある旅館であるが、食事とかは地のものが中心で大変、好感が持てた。また温泉も掛け流しで、私の捻挫にも効いたような気がする。心持ち、足首の調子がよくなった気分である。
さて、土曜日は朝の7時に朝食を食べた後、チェックアウト。雨は降っていないが、霧は濃い。とはいえ、雨が降っていなければ登山はできるということで、思い切って決行する。まず向かったのは天元台ロープウェイの乗車口。ここに車を駐車する。ロープウェイは8時から運行をしていたが、我々はちょっと遅れたので8時20分のロープウェイに乗る。頂上には10分ちょっとぐらいで到着する。そこからはリフトを3本乗り継ぐのだが、このリフトはなかなか時間がかかる。全部で30分以上はかかったと思う。しかも3本目のリフトに乗った時に激しい雨が降り、我々は傘を差してそれを凌いだが、傘がなければ大変なことになっていた。また、傘を差していても膝のタイツの部分に氷雨が染み込み、足が寒くなる、という経験を初めてした。長ズボンをしてくればよかったと後悔する。さて、3本目のリフトの降り場の下でレインコートに着替え、出発する。雨が降っているので最初の30分ぐらいの登り坂は沢登りのようであった。かもしか展望台は何も展望もできず、そのままスルーをして行く。いろは沼池周辺は木道が続く。二週間前の尾瀬へのハイキングから、木道が滑りやすいことを経験から知っているので、注意深く進んでいく。11時ぐらいに梵天岩に着く。ここらへんから雨も上がり、濃霧で視界は狭いが登山的にはそれほど難ではない。それから30分ほど歩いて西吾妻山に到着する。コースタイムは15分間であるが、トレイルはほとんど雨で水たまりというか池のような状況になっていたこともあり時間がかかったからである。もちろん、捻挫をしていたので、いつもより注意深く進んだということもある。
山頂には11時40分に着いたが、視界はまったくなく、残念な山頂。下山後、聞いた話では「百名山で最も残念な山頂」という不名誉な称号もあるらしい。確かに、残念そうではある。ただ、そもそも濃霧なので、素晴らしい山頂からの展望があった方が悔しかったかもしれない。
私も中君もお腹が空いていないので、そそくさと下山を開始する。行きにスキップをした吾妻神社に帰りは寄ってお参り。私は捻挫の足をこれ以上、挫かないで下山できますようにとお願いする。そこでツアーの一団が来て、もう雨が降るのでここで食事にして下さい、とリーダーが皆に伝える。私は、このリーダーにこれから雨が降りますか、と尋ねると、これからは天気が悪くなる一方、と言うので、急いで下山をし始める。確かに風も徐々に強くなってきているような気がする。
さて、しかし、そこから1時間ちょっと歩き、いろは沼のところに来ると、なんとなく霧が晴れて展望も開けるような感じになっている。また、私も疲れからか捻挫をした左足の踏ん張りが効かなくなったこともあり、ここで食事をすることにした。食事はカップラーメンとドリップ式のインスタント・コーヒー。食事中に、さきほどのツアーの一団が我々を通り越していく。我々を見て、口々に「ここで食事をした方が温かそうね、雨も降っていないし」とか「雨の中で食事をさせられて大変だった」などと文句を言い始めた。気持ちは分からないでもないが、ベストの判断をしたと思っていたのに外れたリーダーの心中は複雑であろう。ベテランでも山の天気の予測は外れるということか。
食事をしている最中にどんどんと霧は晴れてくる。中吾妻山と思しき山の稜線も見えてくる。初めて、今回の登山で頑張って登ってよかった、と思えた瞬間である。裏磐梯の素晴らしい地形を見ることはできなかったが、ある程度の展望が得られたことで、疲れも飛ぶ。45分ほど休み、最後の下りに望む。捻挫をしている足には登りより下りの方がずっと危険である。ということで、ゆっくり、ゆっくりとストックを使いながら降りていく。リフトの駅の頂上に着いたのは14時30分過ぎ。大幅にコースタイムを上回る。ただ、リフトの駅の頂上からは雲海の上に奥羽山脈の一部が見える。なかなか素晴らしい光景だ。この光景を見れたことも、今回、無理をして登山をしたご褒美であろう。
そこから登りと同じように3つのリフトを乗り継いでロープウェイの頂上に着いたのは15時14分。ここはまだ濃霧で視野はほとんど得られないような状況にあった。ロープウェイで駐車場まで降りたのは15時30分。思ったより、なかなか長い登山になってしまった。

<ロープウェイからの車窓の山は紅葉で彩られていた>

<リフト乗り場は濃霧で被われていた>

<梵天岩からの展望。吾妻山が見られる筈だが、まったく見えない>

<吾妻山の山頂に着く>

<吾妻山の山頂と吾妻神社の間の湿地帯>

<吾妻神社から吾妻山を振り返るが、見えるのは霧のみ>

<いろは沼そばの湿地帯から中吾妻山の山稜を見る>

<いろは沼周辺の湿地帯は今回の登山のハイライトであった>

<リフトの頂上から山形県の山々を雲海の上に望む>

<リフトから紅葉する山々を観る>

<リフト乗り場は行きよりさらに濃い霧で覆われていた>
さて、土曜日は朝の7時に朝食を食べた後、チェックアウト。雨は降っていないが、霧は濃い。とはいえ、雨が降っていなければ登山はできるということで、思い切って決行する。まず向かったのは天元台ロープウェイの乗車口。ここに車を駐車する。ロープウェイは8時から運行をしていたが、我々はちょっと遅れたので8時20分のロープウェイに乗る。頂上には10分ちょっとぐらいで到着する。そこからはリフトを3本乗り継ぐのだが、このリフトはなかなか時間がかかる。全部で30分以上はかかったと思う。しかも3本目のリフトに乗った時に激しい雨が降り、我々は傘を差してそれを凌いだが、傘がなければ大変なことになっていた。また、傘を差していても膝のタイツの部分に氷雨が染み込み、足が寒くなる、という経験を初めてした。長ズボンをしてくればよかったと後悔する。さて、3本目のリフトの降り場の下でレインコートに着替え、出発する。雨が降っているので最初の30分ぐらいの登り坂は沢登りのようであった。かもしか展望台は何も展望もできず、そのままスルーをして行く。いろは沼池周辺は木道が続く。二週間前の尾瀬へのハイキングから、木道が滑りやすいことを経験から知っているので、注意深く進んでいく。11時ぐらいに梵天岩に着く。ここらへんから雨も上がり、濃霧で視界は狭いが登山的にはそれほど難ではない。それから30分ほど歩いて西吾妻山に到着する。コースタイムは15分間であるが、トレイルはほとんど雨で水たまりというか池のような状況になっていたこともあり時間がかかったからである。もちろん、捻挫をしていたので、いつもより注意深く進んだということもある。
山頂には11時40分に着いたが、視界はまったくなく、残念な山頂。下山後、聞いた話では「百名山で最も残念な山頂」という不名誉な称号もあるらしい。確かに、残念そうではある。ただ、そもそも濃霧なので、素晴らしい山頂からの展望があった方が悔しかったかもしれない。
私も中君もお腹が空いていないので、そそくさと下山を開始する。行きにスキップをした吾妻神社に帰りは寄ってお参り。私は捻挫の足をこれ以上、挫かないで下山できますようにとお願いする。そこでツアーの一団が来て、もう雨が降るのでここで食事にして下さい、とリーダーが皆に伝える。私は、このリーダーにこれから雨が降りますか、と尋ねると、これからは天気が悪くなる一方、と言うので、急いで下山をし始める。確かに風も徐々に強くなってきているような気がする。
さて、しかし、そこから1時間ちょっと歩き、いろは沼のところに来ると、なんとなく霧が晴れて展望も開けるような感じになっている。また、私も疲れからか捻挫をした左足の踏ん張りが効かなくなったこともあり、ここで食事をすることにした。食事はカップラーメンとドリップ式のインスタント・コーヒー。食事中に、さきほどのツアーの一団が我々を通り越していく。我々を見て、口々に「ここで食事をした方が温かそうね、雨も降っていないし」とか「雨の中で食事をさせられて大変だった」などと文句を言い始めた。気持ちは分からないでもないが、ベストの判断をしたと思っていたのに外れたリーダーの心中は複雑であろう。ベテランでも山の天気の予測は外れるということか。
食事をしている最中にどんどんと霧は晴れてくる。中吾妻山と思しき山の稜線も見えてくる。初めて、今回の登山で頑張って登ってよかった、と思えた瞬間である。裏磐梯の素晴らしい地形を見ることはできなかったが、ある程度の展望が得られたことで、疲れも飛ぶ。45分ほど休み、最後の下りに望む。捻挫をしている足には登りより下りの方がずっと危険である。ということで、ゆっくり、ゆっくりとストックを使いながら降りていく。リフトの駅の頂上に着いたのは14時30分過ぎ。大幅にコースタイムを上回る。ただ、リフトの駅の頂上からは雲海の上に奥羽山脈の一部が見える。なかなか素晴らしい光景だ。この光景を見れたことも、今回、無理をして登山をしたご褒美であろう。
そこから登りと同じように3つのリフトを乗り継いでロープウェイの頂上に着いたのは15時14分。ここはまだ濃霧で視野はほとんど得られないような状況にあった。ロープウェイで駐車場まで降りたのは15時30分。思ったより、なかなか長い登山になってしまった。

<ロープウェイからの車窓の山は紅葉で彩られていた>

<リフト乗り場は濃霧で被われていた>

<梵天岩からの展望。吾妻山が見られる筈だが、まったく見えない>

<吾妻山の山頂に着く>

<吾妻山の山頂と吾妻神社の間の湿地帯>

<吾妻神社から吾妻山を振り返るが、見えるのは霧のみ>

<いろは沼そばの湿地帯から中吾妻山の山稜を見る>

<いろは沼周辺の湿地帯は今回の登山のハイライトであった>

<リフトの頂上から山形県の山々を雲海の上に望む>

<リフトから紅葉する山々を観る>

<リフト乗り場は行きよりさらに濃い霧で覆われていた>
金峰山登頂を六年越しで果たす(日本百名山26座登頂) [日本百名山]
百名山を登るという無茶な計画を策定したのが六年前の五月。最初に狙ったのが瑞牆山と金峰山であった(http://urban-diary.blog.so-net.ne.jp/2011-05-11)。しかし、金峰山は雪のためあえなく登れなく断念する。それから常に金峰山へのリベンジを考えていたのだが、遂にその機会が訪れた。6時30分に二子玉川駅で大学の卒業生と合流。彼の運転する車で金峰山に向かう。五月は瑞牆山荘から金峰山にチャレンジしたが、今回はより簡単な大弛峠からチャレンジすることにした。ただ、計算外だったのは、勝沼インターチェンジから大弛峠までに大変時間がかかったことである。およそ1時間かかった。そこで、想定では遅くとも10時ぐらいから登り始められるのかと思っていたのだが、11時スタートとなった。大弛峠の標高は2,360mであり、自動車車両が通行できる日本最高所の車道峠であるそうだ。駐車場には30台くらいは駐車できるが、我々が11時ちょっと前に到着した時は、既に駐車場から結構、離れた場所にまで側道に30台程度は駐車されていた。
小雨が降っており、これはちょっと厳しい登山になるのではと覚悟をしたのだが、標高が高いこともあり、小雨は降っているが凜とした森の空気の中、気持ちよく歩き始めることができた。コースタイムでは最初の1時間で朝日岳山頂、そしてさらに1時間ちょっと歩くと金峰山に到達する。基本、尾根道なのでそれほどはキツくないはずだが、最初はいきなりなかなかの急坂。しかし、それはガイドブックに書かれていたので想定済みなので、ただもくもくと高さを稼ぐ。ある程度、登ると平坦な道になる。快適な気分だ。青森トドマツ、ダケカンバの森の中を歩いていると、同行した若者は「こんな空気はヨセミテ以来です。こういう空気を日本で味わえるとは」と言う。確かに、アメリカの国立公園の森を彷彿させるような爽快な気分である。これは、最近の百名山登山では大山でも味わえたが、安達太良山や両神山では感じられなかったことである。一つの理由は標高があるということだろうが、もう一つの理由はアオモリトドマツ等の森の樹木が発するフィトンチッドが、例えば杉に比べて癒やし効果が高いということがあるのではないだろうか。いや、適当な推測ですが。
大弛峠に行く途中は濃霧が覆っていたが、この登山道は濃霧の上であったので視界は悪くない。小雨も気にならない程度だ、とちょっと前向きな気持ちになってきたら、木の狭間から富士山が見えた。今日は富士山を見ることはできないだろうと悲観的な気分になっていたので、テンションは一気に高まる。朝日岳の前の岩稜帯でちょっと休憩して、写真を撮影したりもする。八ヶ岳こそ雲で見えなかったが、富士山、甲武信岳は綺麗に展望できる。そして、そこからまた朝日岳への急坂を登る。標高が高いこともあり、息は上がる。ちょっと、目の前が暗くなりそうになり、高山病を意識する。昨年秋、八ヶ岳で高山病になったので、この程度の標高でも私は油断できないのだ。ということで、あまり無理をしないよう、呼吸を整えるように気をつける。
朝日岳には12時20分に着く。標高は2579メートル。金峰山より20メートルだけ低い。朝日岳からは金峰山の雄姿がはっきりと見える。五丈岩が独特の存在感を放っている。ここで、小雨のため鞄に入れていたカメラを外に取り出す。そこから、坂を下り、鉄山を迂回して歩いて行くと、徐々に樹木が灌木となっていく。7月中旬であるのに、シャクナゲがまだ咲いている。寒いからであろう。実際、今日の気温も15度くらいである。シャクナゲはピンク色ではなく、白色であった。金峰山が近づくと、礫の中を歩いて行くことになる。山頂近くでは、礫は岩になり、岩の中をくぐり抜けていく感じになる。頂上が見えなかったこともあり、山頂は突然、現れた。目の前に五丈岩が屹立している。五丈岩はちょっとした地震で崩れ落ちそうな、岩が積み上げられたようなものである。どうやって自然につくられたのか、不思議な気分になったが、どうも2000年以上前に人工的につくられたものであるそうだ。こんな大自然の中、誰がこのピラミッドのようなものをつくったのか。どちらにしても壮大なミステリーである。
金峰山の頂上からはまさに絶景が楽しめる。特に印象的なのは富士山であるが、瑞牆山も相当なものだ。北にある小川山に比べて標高は低いこともあり、山としての存在感はそれほどでもないが、その花崗岩の岩峰が林立する姿は、一際目立つし、自然の造形美に感嘆させられる。あと、瑞牆山荘から金峰山へと至る登山道は、まるでノコギリの歯のように凸凹している尾根道なのだが、個人的には、その長く引くように伸びる登山道が、両側を断崖絶壁に挟まれたか細い糸のように見え、そこを歩いている人が綱渡りをしている蟻のようで、思わず息を呑んだ。このコースは、6年前に歩こうとしたところだし、ガイドブック的には決して難しくはない筈なのだが、金峰山の頂上からみると、それは恐ろしく危険に富んだ決死の登山路のように見える。いやはや、日本の山は本当に険しいことを改めて思い知る。
五丈岩の下で昼ご飯にしようかとも思ったが、もう既に13時30分頃だったので、山頂の岩の隙間でお湯を沸かす。そこで昼食のサンドイッチと珈琲を飲む。食事中に雨がまた降り始め、さらには霧が西側からのぼってきたために急いで身支度をして下山をし始める。
下山は結構、ハイペースで私の登山経験ではあまりないことだが、抜かされることなく、逆に数パーティを抜いた。いや、別にこのようなことを敢えて記す必要もないのだが、個人的には登山の経験回数が増えるにつれ、私もようやく人並みのペースになりつつあるのかな、と今後の登山に明るい展望が得られたので記させてもらった。
ということで、一度だけ休んだだけで一挙に下山をした。大弛峠の駐車場に着いたのは15時50分。16時ちょっと前で、往復で5時間弱。濃霧の中を大弛峠に車で向かった時は、まったく期待できず、むしろ登山を中止した方が賢明ではないかと思ったぐらいであったが、期せずして相当、いい登山をすることができた。これは金峰山が、そもそも素晴らしいということが大きな理由であるかと思う。私は登山が結構、辛いので、登った後に再訪したいという気持ちになることはあまりないのだが、この金峰山は是非とも再訪したいと思った。もちろん、日帰りで行けるというアクセスの良さというのもあるかもしれないが、何しろ茹だるような東京の暑さからは開放されるし、ここの登山は気持ちよいからだ。

(期せずして富士山が見えた。思わず気持ちが高揚する)

(朝日岳からは金峰山が展望できた)

(シャクナゲが目を楽しませてくれる)

(金峯山頂からの富士山の展望)

(五丈岩)

(瑞牆山の素晴らしい展望も得られる)

(瑞牆山荘からの登山道の険しさに驚く)

(瑞牆山方面の展望も素晴らしい)

(帰路はより輪郭がはっきりした富士山を展望することができた)
小雨が降っており、これはちょっと厳しい登山になるのではと覚悟をしたのだが、標高が高いこともあり、小雨は降っているが凜とした森の空気の中、気持ちよく歩き始めることができた。コースタイムでは最初の1時間で朝日岳山頂、そしてさらに1時間ちょっと歩くと金峰山に到達する。基本、尾根道なのでそれほどはキツくないはずだが、最初はいきなりなかなかの急坂。しかし、それはガイドブックに書かれていたので想定済みなので、ただもくもくと高さを稼ぐ。ある程度、登ると平坦な道になる。快適な気分だ。青森トドマツ、ダケカンバの森の中を歩いていると、同行した若者は「こんな空気はヨセミテ以来です。こういう空気を日本で味わえるとは」と言う。確かに、アメリカの国立公園の森を彷彿させるような爽快な気分である。これは、最近の百名山登山では大山でも味わえたが、安達太良山や両神山では感じられなかったことである。一つの理由は標高があるということだろうが、もう一つの理由はアオモリトドマツ等の森の樹木が発するフィトンチッドが、例えば杉に比べて癒やし効果が高いということがあるのではないだろうか。いや、適当な推測ですが。
大弛峠に行く途中は濃霧が覆っていたが、この登山道は濃霧の上であったので視界は悪くない。小雨も気にならない程度だ、とちょっと前向きな気持ちになってきたら、木の狭間から富士山が見えた。今日は富士山を見ることはできないだろうと悲観的な気分になっていたので、テンションは一気に高まる。朝日岳の前の岩稜帯でちょっと休憩して、写真を撮影したりもする。八ヶ岳こそ雲で見えなかったが、富士山、甲武信岳は綺麗に展望できる。そして、そこからまた朝日岳への急坂を登る。標高が高いこともあり、息は上がる。ちょっと、目の前が暗くなりそうになり、高山病を意識する。昨年秋、八ヶ岳で高山病になったので、この程度の標高でも私は油断できないのだ。ということで、あまり無理をしないよう、呼吸を整えるように気をつける。
朝日岳には12時20分に着く。標高は2579メートル。金峰山より20メートルだけ低い。朝日岳からは金峰山の雄姿がはっきりと見える。五丈岩が独特の存在感を放っている。ここで、小雨のため鞄に入れていたカメラを外に取り出す。そこから、坂を下り、鉄山を迂回して歩いて行くと、徐々に樹木が灌木となっていく。7月中旬であるのに、シャクナゲがまだ咲いている。寒いからであろう。実際、今日の気温も15度くらいである。シャクナゲはピンク色ではなく、白色であった。金峰山が近づくと、礫の中を歩いて行くことになる。山頂近くでは、礫は岩になり、岩の中をくぐり抜けていく感じになる。頂上が見えなかったこともあり、山頂は突然、現れた。目の前に五丈岩が屹立している。五丈岩はちょっとした地震で崩れ落ちそうな、岩が積み上げられたようなものである。どうやって自然につくられたのか、不思議な気分になったが、どうも2000年以上前に人工的につくられたものであるそうだ。こんな大自然の中、誰がこのピラミッドのようなものをつくったのか。どちらにしても壮大なミステリーである。
金峰山の頂上からはまさに絶景が楽しめる。特に印象的なのは富士山であるが、瑞牆山も相当なものだ。北にある小川山に比べて標高は低いこともあり、山としての存在感はそれほどでもないが、その花崗岩の岩峰が林立する姿は、一際目立つし、自然の造形美に感嘆させられる。あと、瑞牆山荘から金峰山へと至る登山道は、まるでノコギリの歯のように凸凹している尾根道なのだが、個人的には、その長く引くように伸びる登山道が、両側を断崖絶壁に挟まれたか細い糸のように見え、そこを歩いている人が綱渡りをしている蟻のようで、思わず息を呑んだ。このコースは、6年前に歩こうとしたところだし、ガイドブック的には決して難しくはない筈なのだが、金峰山の頂上からみると、それは恐ろしく危険に富んだ決死の登山路のように見える。いやはや、日本の山は本当に険しいことを改めて思い知る。
五丈岩の下で昼ご飯にしようかとも思ったが、もう既に13時30分頃だったので、山頂の岩の隙間でお湯を沸かす。そこで昼食のサンドイッチと珈琲を飲む。食事中に雨がまた降り始め、さらには霧が西側からのぼってきたために急いで身支度をして下山をし始める。
下山は結構、ハイペースで私の登山経験ではあまりないことだが、抜かされることなく、逆に数パーティを抜いた。いや、別にこのようなことを敢えて記す必要もないのだが、個人的には登山の経験回数が増えるにつれ、私もようやく人並みのペースになりつつあるのかな、と今後の登山に明るい展望が得られたので記させてもらった。
ということで、一度だけ休んだだけで一挙に下山をした。大弛峠の駐車場に着いたのは15時50分。16時ちょっと前で、往復で5時間弱。濃霧の中を大弛峠に車で向かった時は、まったく期待できず、むしろ登山を中止した方が賢明ではないかと思ったぐらいであったが、期せずして相当、いい登山をすることができた。これは金峰山が、そもそも素晴らしいということが大きな理由であるかと思う。私は登山が結構、辛いので、登った後に再訪したいという気持ちになることはあまりないのだが、この金峰山は是非とも再訪したいと思った。もちろん、日帰りで行けるというアクセスの良さというのもあるかもしれないが、何しろ茹だるような東京の暑さからは開放されるし、ここの登山は気持ちよいからだ。

(期せずして富士山が見えた。思わず気持ちが高揚する)

(朝日岳からは金峰山が展望できた)

(シャクナゲが目を楽しませてくれる)

(金峯山頂からの富士山の展望)

(五丈岩)

(瑞牆山の素晴らしい展望も得られる)

(瑞牆山荘からの登山道の険しさに驚く)

(瑞牆山方面の展望も素晴らしい)

(帰路はより輪郭がはっきりした富士山を展望することができた)
安達太良山(日本百名山25座登頂) [日本百名山]
安達太良山に登る。その前日にゼミの卒業生達と磐梯山に登る予定だったので、安達太良山の麓の岳温泉の宿を予約し、一挙に二つの山を登頂しようと目論んでいた。ただ、磐梯山は雨の予報であり、行く直前にキャンセルした。実際、当日は、午前中は土砂降りの雨だったようで行かなくて正解だったのだが、私は宿を予約していたこともあり、一人で夕方に岳温泉に向かった。17時まで大学で仕事をし、そこから東北新幹線で郡山に向かい、郡山でレンタカーをして岳温泉には21時ちょっと前に着いた。
予約をした旅館は、山小屋に毛が生えたようなものをイメージしていたのだが、大規模で豪華な温泉旅館であった。ちょっと外した気分ではある。
翌日は8時30分に始発のゴンドラに乗ることを計画する。これだと登山時に1時間30分は節約できるからだ。ということで7時に朝食を取り、8時過ぎにチェックアウトをしてゴンドラ駅に向かう。旅館から奥岳のゴンドラ駅までは自動車で10分ほどであった。奥岳には広大な駐車場があった。さて、しかし、なんとゴンドラは強風で運行中止であった。しばらく待ったら運行が再開されるかもしれないと思ったが、受付には誰もいないので奥岳から登山を開始する。山頂は雲で見えなかったが、それまでのルートははっきりと見える。
登山開始は8:45。30分ほどスキー場のゲレンデを登っていく。そして、ゲレンデのリフトの降り口から急坂になる。昨日の雨のせいか、道は泥濘んでいて極めて歩きにくい。薬師岳にはおよそ1時間ほどで着いたが、そこまでのルートは水たまりや泥濘みのせいで、まったく快適ではない楽しくない登山であった。というか、もう少し、登山道を整備できないものか。自動車が走る道路ばかりを不必要に整備し続けるのではなく、こういう登山道にも少しは投資をするべきであろう。そうでなくても、百名山は潜在的には観光資源としてのポテンシャルが高い。登山道をしっかりと整備すれば、登山が快適になり、内外の観光客が増えるであろう。そして、高齢化が進む中、登山が多くなされるようになれば高齢者も元気になり、医療福祉に振り向けられる税金が減るのではないだろうか。などとぶつぶつ考えながら、高度を上げていった。
薬師岳はゴンドラの上部駅がそばにあり、そこから二本松市方面の展望は素晴らしかった。ただ、安達太良山の方はなんか禍々しい雲が覆っている。この薬師岳には、高村光太郎夫人である高村智恵子の「この上の空がほんとうの空です」という一句の碑があるのだが、上の空はグレーの陰鬱な雲に覆われていた。薬師岳からはゴンドラの駅からの登山道と合流し、そこからは素晴らしく歩きやすい木道が続く。
さらに1時間ほど歩くと、礫が続く急坂になり、雲の中に入り、視界は悪くなる。頭上をもの凄い勢いで風が吹き荒れ、ちょっと恐怖さえ覚える。そして、そこから数分で安達太良山の頂上のでっぱりの手前まで来る。安達太良山の頂上は乳首と呼ばれているそうだが、確かにそのような形状をしている。ただ、この最後の部分はなかなかの崖で、しっかりと三点支持の要領で登っていく。頂上に着いたのは10時55分。360度の素晴らしい展望ということだが、まったく何も見えない。そして、下から吹き上げる凄まじい風。ということでそそくさと下山を始める。先日の大山では上りが調子よかったので、いい気になって下ったら膝を痛めたので、今回はいい気になる気持ちを抑えてゆっくりと降りていく。11時40分には薬師岳に戻る。そして、泥濘みだらけの登山道を下山していく。上りよりさらに、その泥濘みに不快な気持ちを抱く。泥濘みのせいか、羽虫のような虫も多く、本当に鬱陶しい。初めての百名山でここを登ったら、登山を今のようにしていなかったかもしれないとさえ思う。ただ、つまらない私の気持ちをなだめるかのように、シャクナゲなどの花が目を楽しませてくれる。この野生植物は安達太良山の魅力かもしれない。
そして登山口に着いたのが12時54分。ほぼ4時間ちょっとで往復することができた。とはいえ、ゴンドラが運転しているなら、是非ともゴンドラを使うべきだと思う。登山口から薬師岳までのルートにはまったくの魅力はなかった。
ということで、25座目の百名山登頂になったのだが、おもに天気のせいではあったが最も今ひとつな登山であった。ただ膝は痛くない。ということで、登山口にあった安達太良渓谷自然遊歩道というのがあったの歩いてみた。そしたら、これが安達太良登山よりも遙かに自然美に溢れて、また登山道もしっかりと整備されていたものであった。西沢渓谷ほどではないが、これだけ簡単にアプローチできることを考えると、これはなかなか素晴らしい渓谷美である。ということで、ちょっとささくれていた私の気持ちは随分と慰められた。レンタカーに戻ってエンジンを入れたら雨が降ってきた。

<ゴンドラは運行休止。これで往復2時間以上は余計にかかることになった>

<スタート地点はスキー場>


<ひどい泥濘みの中を登っていく>

<薬師岳からは二本松市方面の素晴らしい展望が得られるが、この登山で唯一、雄大な景観が楽しめたのはここだけであった>

<薬師岳の碑>

<高村智恵子の句>

<薬師岳からしばらくはしっかりと整備された快適な登山道を登っていく>

<山頂に近づくと坂も急になる>

<乳首とよばれる山頂の下にまでくる>

<山頂>

<山頂からの展望は皆無>

<下りの泥濘み。足を滑らせ、尻餅をつく>






<ささくれる私の気持ちを慰めてくれたのは、野生の花々であった>




<なんだかなあ、と言う私の思いを吹き飛ばしてくれたあだたら渓谷自然遊歩道の素晴らしい渓谷美>
予約をした旅館は、山小屋に毛が生えたようなものをイメージしていたのだが、大規模で豪華な温泉旅館であった。ちょっと外した気分ではある。
翌日は8時30分に始発のゴンドラに乗ることを計画する。これだと登山時に1時間30分は節約できるからだ。ということで7時に朝食を取り、8時過ぎにチェックアウトをしてゴンドラ駅に向かう。旅館から奥岳のゴンドラ駅までは自動車で10分ほどであった。奥岳には広大な駐車場があった。さて、しかし、なんとゴンドラは強風で運行中止であった。しばらく待ったら運行が再開されるかもしれないと思ったが、受付には誰もいないので奥岳から登山を開始する。山頂は雲で見えなかったが、それまでのルートははっきりと見える。
登山開始は8:45。30分ほどスキー場のゲレンデを登っていく。そして、ゲレンデのリフトの降り口から急坂になる。昨日の雨のせいか、道は泥濘んでいて極めて歩きにくい。薬師岳にはおよそ1時間ほどで着いたが、そこまでのルートは水たまりや泥濘みのせいで、まったく快適ではない楽しくない登山であった。というか、もう少し、登山道を整備できないものか。自動車が走る道路ばかりを不必要に整備し続けるのではなく、こういう登山道にも少しは投資をするべきであろう。そうでなくても、百名山は潜在的には観光資源としてのポテンシャルが高い。登山道をしっかりと整備すれば、登山が快適になり、内外の観光客が増えるであろう。そして、高齢化が進む中、登山が多くなされるようになれば高齢者も元気になり、医療福祉に振り向けられる税金が減るのではないだろうか。などとぶつぶつ考えながら、高度を上げていった。
薬師岳はゴンドラの上部駅がそばにあり、そこから二本松市方面の展望は素晴らしかった。ただ、安達太良山の方はなんか禍々しい雲が覆っている。この薬師岳には、高村光太郎夫人である高村智恵子の「この上の空がほんとうの空です」という一句の碑があるのだが、上の空はグレーの陰鬱な雲に覆われていた。薬師岳からはゴンドラの駅からの登山道と合流し、そこからは素晴らしく歩きやすい木道が続く。
さらに1時間ほど歩くと、礫が続く急坂になり、雲の中に入り、視界は悪くなる。頭上をもの凄い勢いで風が吹き荒れ、ちょっと恐怖さえ覚える。そして、そこから数分で安達太良山の頂上のでっぱりの手前まで来る。安達太良山の頂上は乳首と呼ばれているそうだが、確かにそのような形状をしている。ただ、この最後の部分はなかなかの崖で、しっかりと三点支持の要領で登っていく。頂上に着いたのは10時55分。360度の素晴らしい展望ということだが、まったく何も見えない。そして、下から吹き上げる凄まじい風。ということでそそくさと下山を始める。先日の大山では上りが調子よかったので、いい気になって下ったら膝を痛めたので、今回はいい気になる気持ちを抑えてゆっくりと降りていく。11時40分には薬師岳に戻る。そして、泥濘みだらけの登山道を下山していく。上りよりさらに、その泥濘みに不快な気持ちを抱く。泥濘みのせいか、羽虫のような虫も多く、本当に鬱陶しい。初めての百名山でここを登ったら、登山を今のようにしていなかったかもしれないとさえ思う。ただ、つまらない私の気持ちをなだめるかのように、シャクナゲなどの花が目を楽しませてくれる。この野生植物は安達太良山の魅力かもしれない。
そして登山口に着いたのが12時54分。ほぼ4時間ちょっとで往復することができた。とはいえ、ゴンドラが運転しているなら、是非ともゴンドラを使うべきだと思う。登山口から薬師岳までのルートにはまったくの魅力はなかった。
ということで、25座目の百名山登頂になったのだが、おもに天気のせいではあったが最も今ひとつな登山であった。ただ膝は痛くない。ということで、登山口にあった安達太良渓谷自然遊歩道というのがあったの歩いてみた。そしたら、これが安達太良登山よりも遙かに自然美に溢れて、また登山道もしっかりと整備されていたものであった。西沢渓谷ほどではないが、これだけ簡単にアプローチできることを考えると、これはなかなか素晴らしい渓谷美である。ということで、ちょっとささくれていた私の気持ちは随分と慰められた。レンタカーに戻ってエンジンを入れたら雨が降ってきた。

<ゴンドラは運行休止。これで往復2時間以上は余計にかかることになった>

<スタート地点はスキー場>


<ひどい泥濘みの中を登っていく>

<薬師岳からは二本松市方面の素晴らしい展望が得られるが、この登山で唯一、雄大な景観が楽しめたのはここだけであった>

<薬師岳の碑>

<高村智恵子の句>

<薬師岳からしばらくはしっかりと整備された快適な登山道を登っていく>

<山頂に近づくと坂も急になる>

<乳首とよばれる山頂の下にまでくる>

<山頂>

<山頂からの展望は皆無>

<下りの泥濘み。足を滑らせ、尻餅をつく>






<ささくれる私の気持ちを慰めてくれたのは、野生の花々であった>




<なんだかなあ、と言う私の思いを吹き飛ばしてくれたあだたら渓谷自然遊歩道の素晴らしい渓谷美>
大山(日本百名山24座登頂) [日本百名山]
大山に登ることにする。単独登山である。宿泊したのは国民宿舎大山ビューハイツ。大山の夏登山口からは離れているが、この宿の有り難い点は、前日にチェックアウトさせてくれるので早朝、出発できることと、朝食をお弁当にしてくれることである。お弁当は夕食時に渡してもらった。さて、19時過ぎには夕食を終えて部屋に戻るのだが、その日は寝不足ということもあってすぐに寝てしまった。起きたら1時ちょっと過ぎ。多少、睡眠が不足はしているが、もう目はがんがんに冴えている。窓の外は月が明るく、大山の輪郭がはっきりと見える。雲一つない。これを見て、さらに目は覚め、もう無理して寝ようとすることもないと考え、溜まっている仕事をすることにした。そうしていたら、もう4時過ぎになってしまっている。窓の外をみるともう明るくなっている。これはいかん、と急いで準備をしてレンタカーで登山口にもっとも近い駐車場に行く。駐車場には10台弱ぐらいの車が既に駐車していた。朝の時間帯は寒い。登り始めるとすぐ暑くなることは分かっていても、この登り始めの寒さは意外なほどだ。速乾性のシャツに長袖、さらに念のために持ってきていたパーカーを羽織る。このパーカーがなければ寒過ぎたであろう。また、手袋も防寒用にする。ちょうど5時頃に登山を開始する。
駐車場に隣接している登山路のようなところを何も考えずに歩き始めようとすると、同じような駐車をしていた人が「そこは登山路じゃないですよ」と教えてくれた。いきなり、大きなミスをするところであった。登山口は、大山橋を西に少し歩いたところにあった。
登山開始からほとんど階段の連続である。大山周辺は西日本最大のブナ林だそうだが、ブナの緑がとても美しい。ここまで美しい森は滅多に見たことがないのではないだろうか。アメリカのワシントン州のオリンピック公園や、北カリフォルニアのレッドウッドの森に入ったような神聖なる森の世界に入ったかのようだ。厳かでありながら、どこか優しい。素晴らしい森であり、感動しつつ一歩一歩、標高を稼いでいく。しばらくは展望もなく、ひたすら森の中を登っていくという感じであるが、気持ちは充実している。四合目ぐらいで、日本海の青さが目に入る。そして、しばらく高度を上げると、米子市の美保の関が見える。目を見張るかのような美しさだ。日本という国土には、こんなにも美しい場所があるのか、と大袈裟でなく思わせる光景である。
そして1時間10分ぐらいで6号目に到着する。ここは、大山の凄まじい山容と日本海の絶景を展望できる。東の方では日本海に雲海が被さっている。この景観もなかなか素晴らしい。ぶよのような虫が6合目付近には多くいて、耳を咬まれたようで、その後、ずっと痒くて困った。後で虫除けスプレーをかけたら寄ってこなかったので、これをしておくといいであろう。6合目付近からもそのまま急坂は続く。まだ日が昇っていないので木陰の中を歩いて行けるが、もう少し、遅くなり太陽がそのまま照りつけると、相当、暑くなると思われる。
急坂ではあるが、時折、展望が開ける。その展望の素晴らしさに疲れは吹っ飛ぶ。ということもあり、標高をどんどん稼ぐことができる。八合目からは、登山路は木道になる。この沿道には、ダイセンキャラボクという常緑の低木が生えている。これらの高さは50cmから2mと低く、葉は針葉で先がとがっている。これらは鳥取の木としても指定されているようである。
さて木道になってあっという間に山頂に着くかと思ったが意外と時間がかかる。とはいえ、素晴らしい展望と山頂が見えていることもあり、足取りは軽い。木道を歩き始めてから20分で山頂に到着する。時間は7時17分である。山頂からは360度の展望が得られる。この日は雲一つなく、その展望はひたすら素晴らしい。体調は悪くない。おにぎりを食べて、この絶景を十分に楽しんだ後、下山し始める。
下山し始めた時は、体調が好調であったこともあり、ユートピア避難小屋まで足を伸ばそうかと思ったのだが、六合目頃には膝に疲れが来てしまい、とてもそれどころではなかった。これは、急坂であるにも関わらず、元気であったので勢いよく下山してしまったためであろう。六合目をちょっと降りると行者分かれという分岐点に着く。そこからは行きとは違う行者コースを降りる。行者コースは美しいブナ林の中を歩く、素晴らしい森林浴を味わえるコースで、また、大山の見事な北壁を望むことができる。それでいて夏登山口に比べると登山者はずっと少ない。ちょっと遠回りになるが、この道で降りてきて大正解であった。そして、9時30分過ぎに大神山神社奥宮に着き、10時ちょっと前に大山寺に到着する。
温泉に入ろうと考え、ガイドブックが勧めていた大山レークホテルまでの4キロの距離をレンタカーを飛ばすと、日帰り温泉のサービスはもう止めたそうである。それではどこに行けばいいかを尋ねると、豪園湯院がいいとのこと。ここは私がレンタカーを駐車していたところのそばだ。なんかえらく無駄骨だなと思いながら、再び大山の登山口の方まで戻ると豪園湯院は11時から開業だったので、ちょうど開業直後に入ることになった。ということで、それほど無駄骨ではなかったかもしれない。豪園湯院はなかなかいいお湯で、疲れも吹き飛んだ。
単独登山では最もチャレンジングな挑戦であったが、膝が痛くなったことを除けば、ほぼしっかりとやり遂げることができたのではないだろうか。ちょっとだけ自信となった。

(登山口の駐車場に到着する。4:48)

(登山口の駐車場の前にある道を登山道と間違えて登り始めそうになる)

(厳かな朝の空気の中を歩き始めていく)

(一合目。5:11)

(登山道はしっかりと階段として整備されている)

(二合目。5:17)

(三合目。5:41)

(徐々に朝日が森を照らし始める。5:44)

(四合目。5:51)

(四合目から後ろを振り返ると、息を呑むような日本海の絶景を観ることができる)

(五合目。6:03)

(日本海の絶景)

(六合目。6:18)

(朝日を浴びる大山の絶壁)

(六合目をちょっと登ったところから展望する日本海の絶景)

(七合目。6:33)

(米子市の展望)

(山頂へと最後のアプローチは木道が続く。6:57)

(木道の両側にはダイセンキャラボクが展開する)

(大山の頂上へ2時間ちょっとで着く。7:17)

(頂上から弥山の方を望む)

(頂上から美保の関を望む)

(素晴らしい景観の中を下山し始める。7:35)

(六合目に着く。8:22)

(行者コースを降り始める。8:39)

(行者コースのブナ林の木漏れ日の中を歩く)

(大山の素晴らしい北壁を展望する。9:12)

(行者コースの気持ちよい森の中を歩いて行く)

(大神山神社奥宮。9:44)

(大山寺。10:00)
駐車場に隣接している登山路のようなところを何も考えずに歩き始めようとすると、同じような駐車をしていた人が「そこは登山路じゃないですよ」と教えてくれた。いきなり、大きなミスをするところであった。登山口は、大山橋を西に少し歩いたところにあった。
登山開始からほとんど階段の連続である。大山周辺は西日本最大のブナ林だそうだが、ブナの緑がとても美しい。ここまで美しい森は滅多に見たことがないのではないだろうか。アメリカのワシントン州のオリンピック公園や、北カリフォルニアのレッドウッドの森に入ったような神聖なる森の世界に入ったかのようだ。厳かでありながら、どこか優しい。素晴らしい森であり、感動しつつ一歩一歩、標高を稼いでいく。しばらくは展望もなく、ひたすら森の中を登っていくという感じであるが、気持ちは充実している。四合目ぐらいで、日本海の青さが目に入る。そして、しばらく高度を上げると、米子市の美保の関が見える。目を見張るかのような美しさだ。日本という国土には、こんなにも美しい場所があるのか、と大袈裟でなく思わせる光景である。
そして1時間10分ぐらいで6号目に到着する。ここは、大山の凄まじい山容と日本海の絶景を展望できる。東の方では日本海に雲海が被さっている。この景観もなかなか素晴らしい。ぶよのような虫が6合目付近には多くいて、耳を咬まれたようで、その後、ずっと痒くて困った。後で虫除けスプレーをかけたら寄ってこなかったので、これをしておくといいであろう。6合目付近からもそのまま急坂は続く。まだ日が昇っていないので木陰の中を歩いて行けるが、もう少し、遅くなり太陽がそのまま照りつけると、相当、暑くなると思われる。
急坂ではあるが、時折、展望が開ける。その展望の素晴らしさに疲れは吹っ飛ぶ。ということもあり、標高をどんどん稼ぐことができる。八合目からは、登山路は木道になる。この沿道には、ダイセンキャラボクという常緑の低木が生えている。これらの高さは50cmから2mと低く、葉は針葉で先がとがっている。これらは鳥取の木としても指定されているようである。
さて木道になってあっという間に山頂に着くかと思ったが意外と時間がかかる。とはいえ、素晴らしい展望と山頂が見えていることもあり、足取りは軽い。木道を歩き始めてから20分で山頂に到着する。時間は7時17分である。山頂からは360度の展望が得られる。この日は雲一つなく、その展望はひたすら素晴らしい。体調は悪くない。おにぎりを食べて、この絶景を十分に楽しんだ後、下山し始める。
下山し始めた時は、体調が好調であったこともあり、ユートピア避難小屋まで足を伸ばそうかと思ったのだが、六合目頃には膝に疲れが来てしまい、とてもそれどころではなかった。これは、急坂であるにも関わらず、元気であったので勢いよく下山してしまったためであろう。六合目をちょっと降りると行者分かれという分岐点に着く。そこからは行きとは違う行者コースを降りる。行者コースは美しいブナ林の中を歩く、素晴らしい森林浴を味わえるコースで、また、大山の見事な北壁を望むことができる。それでいて夏登山口に比べると登山者はずっと少ない。ちょっと遠回りになるが、この道で降りてきて大正解であった。そして、9時30分過ぎに大神山神社奥宮に着き、10時ちょっと前に大山寺に到着する。
温泉に入ろうと考え、ガイドブックが勧めていた大山レークホテルまでの4キロの距離をレンタカーを飛ばすと、日帰り温泉のサービスはもう止めたそうである。それではどこに行けばいいかを尋ねると、豪園湯院がいいとのこと。ここは私がレンタカーを駐車していたところのそばだ。なんかえらく無駄骨だなと思いながら、再び大山の登山口の方まで戻ると豪園湯院は11時から開業だったので、ちょうど開業直後に入ることになった。ということで、それほど無駄骨ではなかったかもしれない。豪園湯院はなかなかいいお湯で、疲れも吹き飛んだ。
単独登山では最もチャレンジングな挑戦であったが、膝が痛くなったことを除けば、ほぼしっかりとやり遂げることができたのではないだろうか。ちょっとだけ自信となった。

(登山口の駐車場に到着する。4:48)

(登山口の駐車場の前にある道を登山道と間違えて登り始めそうになる)

(厳かな朝の空気の中を歩き始めていく)

(一合目。5:11)

(登山道はしっかりと階段として整備されている)

(二合目。5:17)

(三合目。5:41)

(徐々に朝日が森を照らし始める。5:44)

(四合目。5:51)

(四合目から後ろを振り返ると、息を呑むような日本海の絶景を観ることができる)

(五合目。6:03)

(日本海の絶景)

(六合目。6:18)

(朝日を浴びる大山の絶壁)

(六合目をちょっと登ったところから展望する日本海の絶景)

(七合目。6:33)

(米子市の展望)

(山頂へと最後のアプローチは木道が続く。6:57)

(木道の両側にはダイセンキャラボクが展開する)

(大山の頂上へ2時間ちょっとで着く。7:17)

(頂上から弥山の方を望む)

(頂上から美保の関を望む)

(素晴らしい景観の中を下山し始める。7:35)

(六合目に着く。8:22)

(行者コースを降り始める。8:39)

(行者コースのブナ林の木漏れ日の中を歩く)

(大山の素晴らしい北壁を展望する。9:12)

(行者コースの気持ちよい森の中を歩いて行く)

(大神山神社奥宮。9:44)

(大山寺。10:00)
両神山(日本百名山登頂23座) [日本百名山]
埼玉県の奥秩父山塊にある両神山に行く。埼玉県には百名山が3つあるが、そのうち2つは県境にある。県境ではなく、すべて埼玉県内にある百名山は両神山だけである。そういった点からも、両神山は「埼玉県の山」というシンボル的な意味合いも有する山であると思う。
5月中旬の土曜日、友人の車に乗せてもらい都立大学の家を13時に出た。花園インターチェンジを経由して両神山荘に着いたのはほぼ16時。3時間で着いてしまうので近いものである。早い風呂に入り、夕食は18時。食事は思いの外、豪勢で地の物が中心で鮎以外はすべて精進料理のようなベジタリアン志向であったが、好感が持てる。その後、部屋で多少、友人との旧交を温め、19時には寝る。起きたのは1時30分で、ちょっと早すぎだが、睡眠時間は確保している。ただし、この山荘はソフトバンクが繋がらないので、時間は持て余す。
布団を上げたのは4時30分。登山準備を開始し、パッキングが終了したのは5時15分。朝食は5時20分過ぎには準備されており、チェック・アウトを済ませ、昨晩お願いした昼食(500円)を受け取り、登山を開始したのは6時。ここまでは予定通りである。両神山は山岳信仰の霊峰である。というのが、登山口を上がって5分ぐらい経って鳥居をくぐらせられることで改めて思い出す。登山道には多くの石仏や石塔が置かれており、つい最近、設置されたと思しきものもあった。天気は曇りで、小雨がたまにぱらつく感じではあるが、レインコートを着るほどではない。登山道は急峻な谷の間を縫うように行く。道は狭く、ちょっと油断をすると滑落する危険さえある。行きはともかく、疲労が溜まった帰りには気をつけないといけないであろう。
会所という休憩所は6時35分に到着。それからは、渓流を徒渉しながら高度を上げていく。昨日までの雨で登山道は泥濘んでいる。上りはともかく下りはちょっと大変であろう。特に展望がない谷をずっと歩いて行くがブナやもみじなどからなる落葉樹林の森は美しく心も落ち着く。途中、いくつか鎖場があるが、滑りやすい岩に設置されており、どちらかというと上りではなく下りようである。8時30分頃に清滝小屋にようやく着く。ほぼコースタイム通りではある。ここのトイレは相当、清潔であり、登山者にとっては有り難い。
さて、ここからは急登が尾根に出るまで続く。鎖が大変というよりかは、泥濘みが難しい。つりそうな感じになったので、ちょっと休んで身体をほぐす。なかなか厳しい坂が続くが、どうにか両神神社には9時30分頃に着く。そこから尾根まで一挙に登ると、両神山頂は目前である。ここでストックをリュックにしまい込み、最後の鎖場。ロック・クラミングのような岩場を登るが、それほど難しくはなかった。山頂に着いたのはほぼ10時。両神山頂からは素晴らしい展望が得られるという話だったが、我々は白いガスしか見えなかった。とはいえ、雨が降らなかったことは不幸中の幸いだ。また、両神山はアカヤシオツツジが有名であるが、ちょっと満開には早かったが頂上でもこれらの可憐な花を見ることができた。昼食を食べるにはちょっとスペースが狭いことと、まだお腹も空いていないので、そのまま一挙に清滝山荘まで下る。この時、気をつけたにも関わらず泥濘みに足を取られ、尻餅をつく。この泥濘みを下るということで慎重になったこともあり、下りはコースタイムを大幅に上回り、下山したのは14時ちょっと前であった。
曇っていたために展望が得られなかったこと、また登山道が泥濘んでいて歩きにくかったなどの問題もあったが、奥秩父の大自然を体験できたことは意義のあることであった。機会があれば再びチャレンジしたいとも思わせられたが、まだ登っていない名山が多いので、それは先のことになるかもしれない。

(朝霧の中の両神山登山口周辺)

(両神山荘。山小屋ではなく民宿でした)

(清滝山荘までは、渓流に沿って谷を登っていく)


(美しいブナ林)

(山頂はあいにくガスで素晴らしいといわれる展望はまったく得られませんでした)

(山頂でのアカヤシオツツジ)
5月中旬の土曜日、友人の車に乗せてもらい都立大学の家を13時に出た。花園インターチェンジを経由して両神山荘に着いたのはほぼ16時。3時間で着いてしまうので近いものである。早い風呂に入り、夕食は18時。食事は思いの外、豪勢で地の物が中心で鮎以外はすべて精進料理のようなベジタリアン志向であったが、好感が持てる。その後、部屋で多少、友人との旧交を温め、19時には寝る。起きたのは1時30分で、ちょっと早すぎだが、睡眠時間は確保している。ただし、この山荘はソフトバンクが繋がらないので、時間は持て余す。
布団を上げたのは4時30分。登山準備を開始し、パッキングが終了したのは5時15分。朝食は5時20分過ぎには準備されており、チェック・アウトを済ませ、昨晩お願いした昼食(500円)を受け取り、登山を開始したのは6時。ここまでは予定通りである。両神山は山岳信仰の霊峰である。というのが、登山口を上がって5分ぐらい経って鳥居をくぐらせられることで改めて思い出す。登山道には多くの石仏や石塔が置かれており、つい最近、設置されたと思しきものもあった。天気は曇りで、小雨がたまにぱらつく感じではあるが、レインコートを着るほどではない。登山道は急峻な谷の間を縫うように行く。道は狭く、ちょっと油断をすると滑落する危険さえある。行きはともかく、疲労が溜まった帰りには気をつけないといけないであろう。
会所という休憩所は6時35分に到着。それからは、渓流を徒渉しながら高度を上げていく。昨日までの雨で登山道は泥濘んでいる。上りはともかく下りはちょっと大変であろう。特に展望がない谷をずっと歩いて行くがブナやもみじなどからなる落葉樹林の森は美しく心も落ち着く。途中、いくつか鎖場があるが、滑りやすい岩に設置されており、どちらかというと上りではなく下りようである。8時30分頃に清滝小屋にようやく着く。ほぼコースタイム通りではある。ここのトイレは相当、清潔であり、登山者にとっては有り難い。
さて、ここからは急登が尾根に出るまで続く。鎖が大変というよりかは、泥濘みが難しい。つりそうな感じになったので、ちょっと休んで身体をほぐす。なかなか厳しい坂が続くが、どうにか両神神社には9時30分頃に着く。そこから尾根まで一挙に登ると、両神山頂は目前である。ここでストックをリュックにしまい込み、最後の鎖場。ロック・クラミングのような岩場を登るが、それほど難しくはなかった。山頂に着いたのはほぼ10時。両神山頂からは素晴らしい展望が得られるという話だったが、我々は白いガスしか見えなかった。とはいえ、雨が降らなかったことは不幸中の幸いだ。また、両神山はアカヤシオツツジが有名であるが、ちょっと満開には早かったが頂上でもこれらの可憐な花を見ることができた。昼食を食べるにはちょっとスペースが狭いことと、まだお腹も空いていないので、そのまま一挙に清滝山荘まで下る。この時、気をつけたにも関わらず泥濘みに足を取られ、尻餅をつく。この泥濘みを下るということで慎重になったこともあり、下りはコースタイムを大幅に上回り、下山したのは14時ちょっと前であった。
曇っていたために展望が得られなかったこと、また登山道が泥濘んでいて歩きにくかったなどの問題もあったが、奥秩父の大自然を体験できたことは意義のあることであった。機会があれば再びチャレンジしたいとも思わせられたが、まだ登っていない名山が多いので、それは先のことになるかもしれない。

(朝霧の中の両神山登山口周辺)

(両神山荘。山小屋ではなく民宿でした)

(清滝山荘までは、渓流に沿って谷を登っていく)


(美しいブナ林)

(山頂はあいにくガスで素晴らしいといわれる展望はまったく得られませんでした)

(山頂でのアカヤシオツツジ)
タグ:両神山
筑波山(日本百名山登頂22座) [日本百名山]
ゴールデン・ウィークに筑波山にチャレンジする。朝、7時前に都立大学を出て、北千住でつくばエクスプレスに乗り換えた。その際、「筑波山ある切符」というものを購入したのだが、これはつくばエクスプレスだけでなく、「直行筑波山シャトルバス」にも乗れる。これで3050円。北千住からつくば駅までの往復で2060円。つくば駅から、筑波山のロープウェイの山麓駅のつつじヶ丘まで片道800円以上するので、これは大いに得する。お勧めだ。
(http://www.mir.co.jp/service/otoku/arukippu.html)
さて、つくばエクスプレスもつくば駅まで乗るのは初めての体験だったのだが、あっという間につくば駅に到着した。そこから筑波山の登山口のつつじヶ丘まで行く「直行筑波山シャトルバス」は30分間隔で運行している。結構、並んでいたがうまく9時30分発のバスに乗ることが出来た。これで10時30分にはつつじヶ丘に着くだろうと思っていたら、筑波山神社に向かう道が大渋滞。ほとんど歩くより遅いようなスピードになり、筑波神社口のバス停に着いたのは11時30分。これから、つつじヶ丘までも渋滞しているという話なので、これはたまらないと思い、予定を変えて筑波神社から登山を開始する。
なぜ、正統のルートではなく、つつじヶ丘から登ろうとしたかというと、睡眠不足であったからだ。通常であれば、こういう時は登山を避けるのだが、私は来週、両神山を登山する計画をしている。今シーズンの最初に両神山を登るのは流石にリスクが高い。そういうこともあって、今日は多少の無理をして筑波山にチャレンジしたのである。さて、しかし、つつじヶ丘からのルートに比べて、筑波神社からのルートは二つあるが、どちらもずっと厳しい。私は百名山にチャレンジをし始めてから、楽な百名山はない(強いていえば大菩薩峠は楽かもしれない)ということを思い知らされているが、標高877メートルという百名山で最も低いこの標高の筑波山も、筑波山神社から頂上までの標高差712メートルをほとんどケーブルカーに並行に登っていく。つまり、712メートルを階段で上るような登山なのだ。
筑波神社口のバス停で降りると、そこから筑波山神社まで歩いて行かなくてはならない。道路には歩道の幅がなく、ちょっと危険を感じる。筑波山神社はなかなか立派な拝殿であった。さて、神社を抜けて、ケーブルカーの入り口と登山道が分かれるところから、もう急坂が始まる。そして、急坂はほぼ一貫して続く。普通の階段より、ちょっとだけ緩やかなぐらいの斜度である。これは、きつい。とはいえ、90分間ほど歩くと御幸ヶ原という男体山と女体山を結ぶ展望が拡がる平坦な場所に着く。ここで、カロリーメイトと珈琲を飲み、時間もあまりないので男体山に挑む。10分ぐらいの上りなのだが、なかなか岩をよじ登る感じの急坂で決して楽ではない。この男体山からは南には霞ヶ関と水郷地帯が展望でき、なかなかの絶景である。この絶景が、筑波山の魅力であろう。
さて、男体山から御幸ヶ原に戻り、次は女体山に向かう。男体山は871メートル、女体山は877メートル。ちょっとだけ女体山の方が高いが、筑波山を登頂したというには二つとも制覇しなくてはいけないような気がする。男体山と違って、女体山へのアプローチは緩やかであった。女体山は男体山に比べると、遙かに多くの人が狭い山頂にひしめき合っていて、ちょっと危険なぐらいであった。ここからは男体山の素晴らしい展望が得られる。また、ここから太平洋方面への光景も素晴らしい。
さて、その後は「おたつ石コース」というルートでつつじヶ丘に向かう。このおたつ石コースは、登ってくる客が数珠のように繋がっていて、ほとんど一歩も動けないぐらい混んでいる場所もあった。まるで、ディズニーランドのビッグ・サンダー・マウンテンの行列のようだ。私は降りる方なので、ある程度、自分のペースで歩いて行くことができたが、逆方向は凄いストレスではないか、と思う。というか、もう15時近いのに、なぜ、登り始めているのかが分からない。また、ほとんどの登山者は軽装で、私のように登山靴を履いている方が珍しかった。さらには犬や幼稚園児ぐらいの子供、さらにはリュックに赤ん坊を背負っている人もいたりして、筑波山の人気の凄さを思い知らされた。私は、この4年間に3回、登山をしているが、こんなに登山をしている人が多い山は初めてである。そして、登山者でない、レジャー感覚で登っている人がこんなに多い百名山も初めて知った。
また、つつじヶ丘に近づくと、つつじが群生しているところに出た。とはいえ、まだ蕾みが多く、つつじが満開状況になるのは1週間は早くきてしまったようである。
帰りはつつじヶ丘からバスに乗ったが、帰りは1時間でつくば駅に着くことができた。その後、行きと同じルートで帰宅すると戻ったのは18時30分ぐらいであった。あれだけの渋滞に遭遇したにも関わらず、公共交通を用いて12時間で往復できたというのはなかなかアクセスのよい百名山である。値段も安いし、そういう意味では財布にも時間にも優しい山であると言えるだろう。なぜ、もっと早く訪れなかったのだろうか、と少し後悔する。
とはいえ、「西の富士、東の筑波」というほどは立派ではないのは明らかである。しかし、この平坦な関東平野の東に唯一、地面から聳えるように立っているその姿は、その高さが低いにも関わらず感動的である。
あと、今回の経験から分かったのは、つつじヶ丘から女体山へは登るより、降りる方がずっといいのではないだろうか。筑波山神社のルートに比べると、標高差は少ないかもしれないが、登山者渋滞で、遅くなるならまだしも停止状態になるというのは、登山の楽しみをすべて奪うのに等しいような状況であると思われるからだ。

(バス停から筑波山神社までのアクセスは非常に今ひとつである)

(筑波山神社の拝殿はなかなか立派である)

(御幸ヶ原へコースの入り口)

(昼なお暗い杉林の中を歩いて行く)

(このような坂道をずっと登っていくという感じである)

(上と同じ)

(さらに坂は厳しくなる)

(また、さらに厳しくなって、まるで壁のようだ)

(御幸ヶ原に出る直前の階段)

(あと少しの辛抱である)

(男体山から女体山を展望する)

(男体山から南を展望する)

(男体山から北を展望する)

(女体山から太平洋側を展望する)

(女体山から男体山を展望する)

(つつじヶ丘から女体山への道は登山者で溢れていた)

(つつじヶ丘のそばではつつじが群生していた)
(http://www.mir.co.jp/service/otoku/arukippu.html)
さて、つくばエクスプレスもつくば駅まで乗るのは初めての体験だったのだが、あっという間につくば駅に到着した。そこから筑波山の登山口のつつじヶ丘まで行く「直行筑波山シャトルバス」は30分間隔で運行している。結構、並んでいたがうまく9時30分発のバスに乗ることが出来た。これで10時30分にはつつじヶ丘に着くだろうと思っていたら、筑波山神社に向かう道が大渋滞。ほとんど歩くより遅いようなスピードになり、筑波神社口のバス停に着いたのは11時30分。これから、つつじヶ丘までも渋滞しているという話なので、これはたまらないと思い、予定を変えて筑波神社から登山を開始する。
なぜ、正統のルートではなく、つつじヶ丘から登ろうとしたかというと、睡眠不足であったからだ。通常であれば、こういう時は登山を避けるのだが、私は来週、両神山を登山する計画をしている。今シーズンの最初に両神山を登るのは流石にリスクが高い。そういうこともあって、今日は多少の無理をして筑波山にチャレンジしたのである。さて、しかし、つつじヶ丘からのルートに比べて、筑波神社からのルートは二つあるが、どちらもずっと厳しい。私は百名山にチャレンジをし始めてから、楽な百名山はない(強いていえば大菩薩峠は楽かもしれない)ということを思い知らされているが、標高877メートルという百名山で最も低いこの標高の筑波山も、筑波山神社から頂上までの標高差712メートルをほとんどケーブルカーに並行に登っていく。つまり、712メートルを階段で上るような登山なのだ。
筑波神社口のバス停で降りると、そこから筑波山神社まで歩いて行かなくてはならない。道路には歩道の幅がなく、ちょっと危険を感じる。筑波山神社はなかなか立派な拝殿であった。さて、神社を抜けて、ケーブルカーの入り口と登山道が分かれるところから、もう急坂が始まる。そして、急坂はほぼ一貫して続く。普通の階段より、ちょっとだけ緩やかなぐらいの斜度である。これは、きつい。とはいえ、90分間ほど歩くと御幸ヶ原という男体山と女体山を結ぶ展望が拡がる平坦な場所に着く。ここで、カロリーメイトと珈琲を飲み、時間もあまりないので男体山に挑む。10分ぐらいの上りなのだが、なかなか岩をよじ登る感じの急坂で決して楽ではない。この男体山からは南には霞ヶ関と水郷地帯が展望でき、なかなかの絶景である。この絶景が、筑波山の魅力であろう。
さて、男体山から御幸ヶ原に戻り、次は女体山に向かう。男体山は871メートル、女体山は877メートル。ちょっとだけ女体山の方が高いが、筑波山を登頂したというには二つとも制覇しなくてはいけないような気がする。男体山と違って、女体山へのアプローチは緩やかであった。女体山は男体山に比べると、遙かに多くの人が狭い山頂にひしめき合っていて、ちょっと危険なぐらいであった。ここからは男体山の素晴らしい展望が得られる。また、ここから太平洋方面への光景も素晴らしい。
さて、その後は「おたつ石コース」というルートでつつじヶ丘に向かう。このおたつ石コースは、登ってくる客が数珠のように繋がっていて、ほとんど一歩も動けないぐらい混んでいる場所もあった。まるで、ディズニーランドのビッグ・サンダー・マウンテンの行列のようだ。私は降りる方なので、ある程度、自分のペースで歩いて行くことができたが、逆方向は凄いストレスではないか、と思う。というか、もう15時近いのに、なぜ、登り始めているのかが分からない。また、ほとんどの登山者は軽装で、私のように登山靴を履いている方が珍しかった。さらには犬や幼稚園児ぐらいの子供、さらにはリュックに赤ん坊を背負っている人もいたりして、筑波山の人気の凄さを思い知らされた。私は、この4年間に3回、登山をしているが、こんなに登山をしている人が多い山は初めてである。そして、登山者でない、レジャー感覚で登っている人がこんなに多い百名山も初めて知った。
また、つつじヶ丘に近づくと、つつじが群生しているところに出た。とはいえ、まだ蕾みが多く、つつじが満開状況になるのは1週間は早くきてしまったようである。
帰りはつつじヶ丘からバスに乗ったが、帰りは1時間でつくば駅に着くことができた。その後、行きと同じルートで帰宅すると戻ったのは18時30分ぐらいであった。あれだけの渋滞に遭遇したにも関わらず、公共交通を用いて12時間で往復できたというのはなかなかアクセスのよい百名山である。値段も安いし、そういう意味では財布にも時間にも優しい山であると言えるだろう。なぜ、もっと早く訪れなかったのだろうか、と少し後悔する。
とはいえ、「西の富士、東の筑波」というほどは立派ではないのは明らかである。しかし、この平坦な関東平野の東に唯一、地面から聳えるように立っているその姿は、その高さが低いにも関わらず感動的である。
あと、今回の経験から分かったのは、つつじヶ丘から女体山へは登るより、降りる方がずっといいのではないだろうか。筑波山神社のルートに比べると、標高差は少ないかもしれないが、登山者渋滞で、遅くなるならまだしも停止状態になるというのは、登山の楽しみをすべて奪うのに等しいような状況であると思われるからだ。

(バス停から筑波山神社までのアクセスは非常に今ひとつである)

(筑波山神社の拝殿はなかなか立派である)

(御幸ヶ原へコースの入り口)

(昼なお暗い杉林の中を歩いて行く)

(このような坂道をずっと登っていくという感じである)

(上と同じ)

(さらに坂は厳しくなる)

(また、さらに厳しくなって、まるで壁のようだ)

(御幸ヶ原に出る直前の階段)

(あと少しの辛抱である)

(男体山から女体山を展望する)

(男体山から南を展望する)

(男体山から北を展望する)

(女体山から太平洋側を展望する)

(女体山から男体山を展望する)

(つつじヶ丘から女体山への道は登山者で溢れていた)

(つつじヶ丘のそばではつつじが群生していた)
赤岳(日本百名山登頂21座)・・登山日2016年10月22日ー23日 [日本百名山]
八ヶ岳の赤岳にチャレンジすることにした。土曜日の朝4時30分頃、目黒区にある自宅にゼミの卒業生に自動車で迎えにきてもらい、そのまま美濃戸までむかう。朝ということもあり、ほぼ渋滞もなく、美濃戸に着いたのは8時頃。準備をして出発したのは8時30分頃である。美濃戸からは北沢と南沢と二つのアプローチがあるが、ここは南沢を取る。沢沿いの深い樹林帯を進んでいく。南沢の渓流が美しい。時折、周辺の山々が展望できる。紅葉している山肌が美しい。10時30分頃には河原が開け、横岳が目の前に見える。八ヶ岳に来たな、というのを実感する。ただし、河原に出ると猛烈な悪臭が漂っている。テントからの糞尿の臭いである。これはたまらない。とはいえ、他にルートもないので鼻をふさぎながらも登っていく。

(登山口の朝日に照らされたススキが美しい)

(南沢の深い森の中を歩いて行く)

(美しい渓谷に沿って行く)

(時折、姿を見せる紅葉に染まった山肌が美しい)

(行者小屋に近づくと河原が広がるが、同時にとんでもない悪臭が漂ってくる)
昼ご飯のスポットである行者小屋には11時頃に到着。出発地点から2時間30分ぐらいである。すでに、ここは標高2345メートルである。とはいえ、出発点の美濃戸が既に1700メートルはあるので、まだ650メートルぐらいしか登っていない。この小屋は、おでんとカレーが有名。ということで、おでんとカレーを両方注文する。カレーはインド・カレー、おでんは巾着、こんにゃく、大根、卵を注文。カレーは900円、おでんは550円也。カレーはトマトを随分と使ったような印象を受けるが、スパイスを上手く使っていて結構、美味しい。おでんもコンビニエンス・ストアのおでんよりは美味しいと思う(私は生まれて一度もコンビニエンス・ストアのおでんを食べたことがないので、これは想像でしかない)。珈琲は私が持参したインスタントのドリップ式のものを3人で分けて飲む。

(行者小屋)

(ここはおでんが有名らしい)

(私が食したのはインドカレー)

(行者小屋から望む横岳)
さて、ゆっくりと休憩もできたので、再び登り始める。大変急な傾斜を登らなくてはならないのだが、行者小屋を抜けてもしばらくは坂がなだらかなままだ。かえって、そのなだらかさに不安になる。その不安が相当、強くなってきた頃に、ようやく階段が出現した。とはいっても、私がイメージしたものより緩やかな普通の傾斜の階段である。こんなペースで、どうやって標高差を稼ぐのかと危惧は募るばかりだ。そしたら、遂に鎖の急坂が出現した。この鎖の急坂を登り終えると梯子に直面する。八ヶ岳はまさに屏風のような山塊であるが、これに登るには、この屏風をほとんどロック・クライミングの用に這い上がっていかなくてはならないのだ。標高が高いこともあって酸素が薄く、私の呼吸は激しくなる。呼吸が整わないまま、梯子と鎖で高度を上げていく。何か考えると、足が止まるので、無我の境地になってひたすら登っていく。すると可愛いお地蔵さんが目の前に現れた。地蔵の頭に着いたのだ。目の前に金峯山や瑞垣山、そしてその手前に紅葉で色づいた清里の高原が広がる。絶景だ。ここからは、我々の宿泊先である赤岳天望荘も目の前だ。赤岳天望荘に到着したのは13時20分。

(地蔵の頭が近づくと、坂もほとんど壁のように急になり梯子でしか登れない)

(地蔵の頭周辺の急坂を振り返ったところ)

(地蔵の頭に到着。あと少しで赤岳天望荘だ)
とりあえず、赤岳天望荘にチェックインをして荷物を置いて、赤岳へとチャレンジする。明日、登頂する予定であるが、明日は天気が崩れているかもしれない。若干曇り気味であり、風も強いが富士山は見える。赤岳は360度の絶景であるという。体力的には相当、バテもみられたが、水とカメラだけを持って登ることにした。赤岳までのルートは鎖場の連続であり、相当の急坂を登っていく。標高が高いこともあり、激しく息をしてしまい、ちょっと休んでも落ち着く気配がない。酸素が少ないので身体が過敏に反応しているのであろう。とはいえ、ここで登らなくては明日、悔やむことになるかもしれない、との危機意識から気力で高さを稼ぐことにする。さて、どうにか気力で頂上に登ると、まさにガイドブックに書かれたような360度の絶景がそこからは望むことができた。東には瑞牆山、金峰山、甲武信ヶ岳、北には浅間山、四阿山、横だけをはさんで蓼科山、さらに西を見れば北アルプス。この日は槍ヶ岳がしっかりとそのシルエットを見せていた。そしてその南には乗鞍岳と御嶽山。御嶽山はもの凄い存在感である。その手間には木曽駒ヶ岳を中心に据えた中央アルプス。南には南アルプスがそびえ立ち、仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、北岳がその堂々たる雄姿を見せている。登頂時刻は15時。
下りも相当の斜度なので気をつけなくてはならない。鎖をうまく使って降りていく。16時前には宿に戻る。

(富士山も素晴らしい雄姿を現した)

(赤岳の山頂が近づいてきた)

(赤岳山頂)
赤岳天望荘は、個人部屋もあり料金は1万2千円と高かったが、他人と泊まることと比較すると本当快適である。夕食は17時からであったが、ほぼ1時間爆睡する。後で振り返れば、この時点で既に高山病になっていたのかもしれない。夕食はバイキングで、それほど美味しくはないが、山小屋ではエネルギーになるものは何でも有り難い。とはいえ、ここで美味しいと思わなかったのは高山病ということかもしれない。夕食を取ったら、そそくさと寝る。
翌日、4時頃に起きる。9時間ぐらいは寝ているはずなのだが、全然、眠気が取れない。しかも頭痛もする。これはちょっと調子が相当、悪い。朝食は5時。まったく食欲がない。とはいえ、無理をして食べる。気持ちも悪いし、まさにこれは高山病の症状そのものである。これは、もう登れないかもしれないと絶望的な気分になる。
日の出は5時50分頃であった。曇りとの天気予報に反して、天候は素晴らしかった。食事後、これは滅多にないチャンスと思い、気持ち悪いのを我慢して、写真を撮影する。さて、しかしちょっと動いていたら気分が快復してきた。せっかくなので、頑張って昨日に続き赤岳に登る。7時頃に出発する。なぜか、登り始めたら気分の悪いのが払拭されて、むしろ昨日より好調なペースで登ることができた。7時45分頃には山頂に着くことができた。赤岳山頂からの展望は昨日よりさらに優れており、朝日を浴びた阿弥陀岳、横岳が美しい。遠く恵那山から御嶽山、乗鞍岳から槍ヶ岳までを遠望することができる。素晴らしい。

(赤岳天望荘からみる日の出時の富士山)

(金峰山周辺から日は昇ってきた)

(素晴らしい展望)

(周囲の山々も朝日で赤く映えているのが美しい)

(朝日を浴びた横岳)

(昨日に続いて今日も赤岳に挑戦)

(改めてすさまじい坂である)

(赤岳頂上から富士山を望む)
さて、これなら阿弥陀岳までチャレンジできるという気持ちになり、赤岳を下りて中岳経由で阿弥陀岳にチャレンジする。赤岳から中岳までは相当の急坂で、結構、注意を要する。鎖をうまく使って降りていく。中岳には9時15分頃に到着。中岳を越えると、阿弥陀岳と中岳道の分岐点に出る。ここで荷物やカメラを置いて、阿弥陀岳にチャレンジする。カメラを置いておくのは相当、躊躇したが、憂いのない状況でいかないととても登れないほどの急坂である。すべての力を出し切るような気力をもって望む。鎖場とガレという何とも難しい難所であるが、どうにか阿弥陀岳の上まで登ることができた。この阿弥陀岳からの展望も360度の素晴らしいものであった。天気も晴天であり、これまでの苦労が報われる。

(赤岳から阿弥陀岳を望む)
気をつけて坂を下り、分岐点に到着。分岐点を発ったのは11時頃。中岳道を降りていく。ちなみに中岳道は、梯子はおろか鎖もなく、非常に楽に降りていくことができた。行者小屋に着いたのは11時30分。しかし、ここはそのまま通り過ぎて、帰りは行きと違い赤岳鉱泉経由で北沢沿いに美濃戸に戻ることにする。これは、南沢は行者小屋を過ぎた後に前述したように強烈な悪臭がしていたからである。

(中岳道で降りていく)
赤岳鉱泉に着いたのは12時。赤岳鉱泉は行者小屋と比べても随分と清潔感のするいい感じの山小屋であった。行きと同じようにカレーを昼食で食べる。ほぼ同じコンセプトであり、おそらく同じレシピなのではないかと推察する。なんか炭酸ジュースが飲みたい気分になって、オレンジーナを注文したら400円もした。失敗だ。北沢は南沢に勝るとも劣らない渓谷美であり、急峻な坂を登るのとは違う楽しみを味わうことができた。このアルパインな環境が八ヶ岳の魅力なのだろう。美濃戸に戻ったのは14時20分であった。

(赤岳鉱泉)

(赤岳鉱泉でのカレー。行者小屋とほぼ同じ)

(北沢は南沢に劣らず美しい。北沢の方が乾いている印象)

(登山口の美濃戸に着いたのは14時ちょっと過ぎ)
生まれて初めて訪れた八ヶ岳であったが、大変素晴らしい体験ができた。また、高山病になりそうであったが、それでも八ヶ岳を登れたことは大いなる自信に繋がった。あと79座であるが、来年も今年と同様に8座ぐらいを達成したいという気持ちになった。

(登山口の朝日に照らされたススキが美しい)
(南沢の深い森の中を歩いて行く)
(美しい渓谷に沿って行く)
(時折、姿を見せる紅葉に染まった山肌が美しい)
(行者小屋に近づくと河原が広がるが、同時にとんでもない悪臭が漂ってくる)
昼ご飯のスポットである行者小屋には11時頃に到着。出発地点から2時間30分ぐらいである。すでに、ここは標高2345メートルである。とはいえ、出発点の美濃戸が既に1700メートルはあるので、まだ650メートルぐらいしか登っていない。この小屋は、おでんとカレーが有名。ということで、おでんとカレーを両方注文する。カレーはインド・カレー、おでんは巾着、こんにゃく、大根、卵を注文。カレーは900円、おでんは550円也。カレーはトマトを随分と使ったような印象を受けるが、スパイスを上手く使っていて結構、美味しい。おでんもコンビニエンス・ストアのおでんよりは美味しいと思う(私は生まれて一度もコンビニエンス・ストアのおでんを食べたことがないので、これは想像でしかない)。珈琲は私が持参したインスタントのドリップ式のものを3人で分けて飲む。
(行者小屋)
(ここはおでんが有名らしい)
(私が食したのはインドカレー)
(行者小屋から望む横岳)
さて、ゆっくりと休憩もできたので、再び登り始める。大変急な傾斜を登らなくてはならないのだが、行者小屋を抜けてもしばらくは坂がなだらかなままだ。かえって、そのなだらかさに不安になる。その不安が相当、強くなってきた頃に、ようやく階段が出現した。とはいっても、私がイメージしたものより緩やかな普通の傾斜の階段である。こんなペースで、どうやって標高差を稼ぐのかと危惧は募るばかりだ。そしたら、遂に鎖の急坂が出現した。この鎖の急坂を登り終えると梯子に直面する。八ヶ岳はまさに屏風のような山塊であるが、これに登るには、この屏風をほとんどロック・クライミングの用に這い上がっていかなくてはならないのだ。標高が高いこともあって酸素が薄く、私の呼吸は激しくなる。呼吸が整わないまま、梯子と鎖で高度を上げていく。何か考えると、足が止まるので、無我の境地になってひたすら登っていく。すると可愛いお地蔵さんが目の前に現れた。地蔵の頭に着いたのだ。目の前に金峯山や瑞垣山、そしてその手前に紅葉で色づいた清里の高原が広がる。絶景だ。ここからは、我々の宿泊先である赤岳天望荘も目の前だ。赤岳天望荘に到着したのは13時20分。
(地蔵の頭が近づくと、坂もほとんど壁のように急になり梯子でしか登れない)
(地蔵の頭周辺の急坂を振り返ったところ)

(地蔵の頭に到着。あと少しで赤岳天望荘だ)
とりあえず、赤岳天望荘にチェックインをして荷物を置いて、赤岳へとチャレンジする。明日、登頂する予定であるが、明日は天気が崩れているかもしれない。若干曇り気味であり、風も強いが富士山は見える。赤岳は360度の絶景であるという。体力的には相当、バテもみられたが、水とカメラだけを持って登ることにした。赤岳までのルートは鎖場の連続であり、相当の急坂を登っていく。標高が高いこともあり、激しく息をしてしまい、ちょっと休んでも落ち着く気配がない。酸素が少ないので身体が過敏に反応しているのであろう。とはいえ、ここで登らなくては明日、悔やむことになるかもしれない、との危機意識から気力で高さを稼ぐことにする。さて、どうにか気力で頂上に登ると、まさにガイドブックに書かれたような360度の絶景がそこからは望むことができた。東には瑞牆山、金峰山、甲武信ヶ岳、北には浅間山、四阿山、横だけをはさんで蓼科山、さらに西を見れば北アルプス。この日は槍ヶ岳がしっかりとそのシルエットを見せていた。そしてその南には乗鞍岳と御嶽山。御嶽山はもの凄い存在感である。その手間には木曽駒ヶ岳を中心に据えた中央アルプス。南には南アルプスがそびえ立ち、仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、北岳がその堂々たる雄姿を見せている。登頂時刻は15時。
下りも相当の斜度なので気をつけなくてはならない。鎖をうまく使って降りていく。16時前には宿に戻る。

(富士山も素晴らしい雄姿を現した)

(赤岳の山頂が近づいてきた)

(赤岳山頂)
赤岳天望荘は、個人部屋もあり料金は1万2千円と高かったが、他人と泊まることと比較すると本当快適である。夕食は17時からであったが、ほぼ1時間爆睡する。後で振り返れば、この時点で既に高山病になっていたのかもしれない。夕食はバイキングで、それほど美味しくはないが、山小屋ではエネルギーになるものは何でも有り難い。とはいえ、ここで美味しいと思わなかったのは高山病ということかもしれない。夕食を取ったら、そそくさと寝る。
翌日、4時頃に起きる。9時間ぐらいは寝ているはずなのだが、全然、眠気が取れない。しかも頭痛もする。これはちょっと調子が相当、悪い。朝食は5時。まったく食欲がない。とはいえ、無理をして食べる。気持ちも悪いし、まさにこれは高山病の症状そのものである。これは、もう登れないかもしれないと絶望的な気分になる。
日の出は5時50分頃であった。曇りとの天気予報に反して、天候は素晴らしかった。食事後、これは滅多にないチャンスと思い、気持ち悪いのを我慢して、写真を撮影する。さて、しかしちょっと動いていたら気分が快復してきた。せっかくなので、頑張って昨日に続き赤岳に登る。7時頃に出発する。なぜか、登り始めたら気分の悪いのが払拭されて、むしろ昨日より好調なペースで登ることができた。7時45分頃には山頂に着くことができた。赤岳山頂からの展望は昨日よりさらに優れており、朝日を浴びた阿弥陀岳、横岳が美しい。遠く恵那山から御嶽山、乗鞍岳から槍ヶ岳までを遠望することができる。素晴らしい。

(赤岳天望荘からみる日の出時の富士山)

(金峰山周辺から日は昇ってきた)

(素晴らしい展望)

(周囲の山々も朝日で赤く映えているのが美しい)

(朝日を浴びた横岳)

(昨日に続いて今日も赤岳に挑戦)

(改めてすさまじい坂である)

(赤岳頂上から富士山を望む)
さて、これなら阿弥陀岳までチャレンジできるという気持ちになり、赤岳を下りて中岳経由で阿弥陀岳にチャレンジする。赤岳から中岳までは相当の急坂で、結構、注意を要する。鎖をうまく使って降りていく。中岳には9時15分頃に到着。中岳を越えると、阿弥陀岳と中岳道の分岐点に出る。ここで荷物やカメラを置いて、阿弥陀岳にチャレンジする。カメラを置いておくのは相当、躊躇したが、憂いのない状況でいかないととても登れないほどの急坂である。すべての力を出し切るような気力をもって望む。鎖場とガレという何とも難しい難所であるが、どうにか阿弥陀岳の上まで登ることができた。この阿弥陀岳からの展望も360度の素晴らしいものであった。天気も晴天であり、これまでの苦労が報われる。

(赤岳から阿弥陀岳を望む)
気をつけて坂を下り、分岐点に到着。分岐点を発ったのは11時頃。中岳道を降りていく。ちなみに中岳道は、梯子はおろか鎖もなく、非常に楽に降りていくことができた。行者小屋に着いたのは11時30分。しかし、ここはそのまま通り過ぎて、帰りは行きと違い赤岳鉱泉経由で北沢沿いに美濃戸に戻ることにする。これは、南沢は行者小屋を過ぎた後に前述したように強烈な悪臭がしていたからである。

(中岳道で降りていく)
赤岳鉱泉に着いたのは12時。赤岳鉱泉は行者小屋と比べても随分と清潔感のするいい感じの山小屋であった。行きと同じようにカレーを昼食で食べる。ほぼ同じコンセプトであり、おそらく同じレシピなのではないかと推察する。なんか炭酸ジュースが飲みたい気分になって、オレンジーナを注文したら400円もした。失敗だ。北沢は南沢に勝るとも劣らない渓谷美であり、急峻な坂を登るのとは違う楽しみを味わうことができた。このアルパインな環境が八ヶ岳の魅力なのだろう。美濃戸に戻ったのは14時20分であった。

(赤岳鉱泉)

(赤岳鉱泉でのカレー。行者小屋とほぼ同じ)

(北沢は南沢に劣らず美しい。北沢の方が乾いている印象)

(登山口の美濃戸に着いたのは14時ちょっと過ぎ)
生まれて初めて訪れた八ヶ岳であったが、大変素晴らしい体験ができた。また、高山病になりそうであったが、それでも八ヶ岳を登れたことは大いなる自信に繋がった。あと79座であるが、来年も今年と同様に8座ぐらいを達成したいという気持ちになった。
羅臼岳(日本百名山登頂20座) [日本百名山]
3日間で日本百名山を3座挑戦する、という無謀に近い企画を実践したのだが、今日は最後の3座目である。1座目は雌阿寒岳、2座目は斜里岳、そして3座目は羅臼岳と、日にちが遅くなるほど厳しさは増してくる。私の持っている本によれば距離にして、3時間30分、5時間20分、7時間10分、累積標高差にして812メートル、1028メートル、1443メートル、ヒグマとの遭遇率にして、ほとんど会わない、ときたま会う、しょっちゅう会う、とどんどんとレベルが高くなっている。しかも、斜里岳の下りで私の弱点である左膝を痛めてしまった。万全の状態でも危ないのに、どうなるのか不安でしょうがない。
さて、前泊したのは登山口の岩尾別温泉にある「地の涯(ちのはて)ホテル」である。ネーミング的にも、相当、レトロなログ風の宿を想定していたのだが、近代的な3階建ての宿泊施設でちょっと驚いた。私はおそらく25年ぐらい前にこの温泉に来たことがあり、表からも丸見えの露天風呂というおそろしく野趣溢れる環境に、決して高級感のしない宿が隣にあった(泊まってはいない)印象を持っていたからである。ちなみに、この野趣溢れる露天風呂に当時は、おそらくドイツ人と思われる若き男性達が入っており、その景観的インパクトが強烈に記憶に残っている。どうも、それからホテルは建て直しをしたらしい。ホテルに飾られていた昔の写真は2階建てで、もうちょっとこじんまりとしたものであったからである。私が見たホテルはこの昔のものであったのだろう。
ホテルの温泉で朝風呂にも入り、二日間の筋肉の疲れを取り、スパッツ、膝サポーター、膝のテーピング、さらにはストックという4重の構えで望む。朝食のお弁当をホテルの部屋で取り、朝の6時50分頃に出発する。ヒグマ対策もあり、今回は調理道具をすべて置いていく。食事は乾物系のみである。これは、また荷の重さを少しでも軽減させたいという意図もあった。しかし、出発してちょっと歩いて膝に痛みを覚える。もうこれはあかん、と思い、同行している仲間に私を置いて言ってくれと伝えようとしたが、彼らに私のことで気を遣わせるのも抵抗があったので、我慢して行けるところまで行こうと決心する。
登山ガイドでは、すぐに急坂、と書いてあったので相当、覚悟をしていたのだが、それほど急ではない坂を登っていく。これまで、大峰山や昨日の斜里岳のように、本当にきつい急坂を登ってきたので、これぐらいの坂だと急に覚えなくなってしまっているのかもしれない。40分ぐらい経つとオホーツク展望地。しかし、名称と異なり、ここではあまりオホーツクを展望できない。とはいえ、飛び抜けた晴天ということおあり、木々の合間から見えるオホーツクの青の美しさが疲れを飛ばしてくれる。海と空がグラデーションのように繋がっており、その境目が分からない。青という色のハーモニーの美しさは感動的だ。また、分厚いサポーターのおかげか、膝の痛みは消えないが、より痛くなるということはない。
オホーツク展望地からはしばらく緩やかな平らが続く。弥三吉水という水場でちょっと休憩(8時30分)。冷たい水で顔の汗を拭う。また歩き始める。ここは極楽平とよばれる平坦のルートで、本当に楽である。平坦な道だと膝の痛みもちょっと忘れる。ピーカンの天気なので暑さはきついが、ときおり吹いてくる風によって癒される。極楽平の次は仙人坂。この坂はなかなかきついが、昨日の斜里岳に比べれば大したことはない。ただ、頭上に木の枝が覆い被さり、足下の石ころに気を取られていると頭をぶつけ、猛烈に痛い。背が高い人は、ここを抜けるのは相当、気を遣うであろう。さて、仙人坂を登り切ると銀冷水という水飲み場がある(10時到着)。命の泉のような美しい泉である。
さて、銀冷水を過ぎると大沢という沢をのぼっていく。とはいっても水は流れていない。ただ、ここには雪渓が残っており、そのためにアイゼンを今回は持って来ている。初アイゼンかと緊張したが、雪渓の横にしっかりと登山道は確保されていたために、アイゼンは必要としなかった。雪渓を横切り、振り返るとオホーツク海が美しい。さて、羅臼平に近づくと斜面も緩やかとなり、右手には素場らしい高原植物のお花畑が広がる。
そして羅臼平には11時頃に到着する。ここはまさに天上の楽園のような場所で、羅臼岳と三ツ峰山に囲まれながら、オホーツク海と太平洋が見渡せるという素場らしき一等地である。ここで昼食休みを30分ほど取り、フードロッカーに細かい荷物を預け、羅臼岳にチャレンジする。羅臼岳は優しいスロープの上にごつごつの岩の塊が乗っかっているような異様な形状をしている。12時頃に石清水を通り抜ける。ここから先は山登りというかはロック・クライビングのような状況になる。ストックを岩陰に隠して、両手を使って登っていく。途中で行き交った中年の男性が「これから山頂に行くの。風が強いよ」と言ったので、猛烈に反発心で燃え上がる。「あと30分ちょっとで山頂までなのに、これまで膝が痛いのを我慢してここまで来たのに帰れるか」と思うと、アドレナリンが出まくって、凄い勢いで登り始めた。ここは、相当の岩崖で高所恐怖症は怖じ気づくようなところで、私も軽度の高所恐怖症なので、何もなければ相当、怖がると思うのだが、このおじさんの言葉のお陰で、奮起した私はハイペースで登っていき、時折膝の痛みも感じたが、それにも打ち勝ち13時前には山頂に着いていた。山頂は岩だらけで、そのスペースも狭く、風も強かったが、そこからの360度の展望はすばらしい絶景であった。北には硫黄山をはじめとする知床連山と巨大なる雪渓、北東から東にかけては国後島の爺爺岳をはじめとした秀峰の雄姿、南は雲海と斜里岳などの山々、そして西はオホーツク海の眩いような青とその手前には知床五湖が広がっている。見飽きない絶景ではあったが、もう時間も遅いのと風も強いので13時15分には下山を始める。
心に余裕があるのと、また下山は登りに比べると筋力的には優しいので、高山植物を愛でながら降りていく。小さく健気に咲く美しい花々を見られることは、登山の大きな魅力の一つであろう。行きには無視をした石清水も飲む。この石清水の美味しさといったら飛び切りのものがある。羅臼岳登山は水場が多くあるのも魅力だ。重い水を全ルート分、持ち運ぶのはなかなかの労苦である。石清水を発ち、羅臼平にて荷物を回収したのが14時30分。その後は、膝が爆発することがないように、ゆっくりと丁寧に下山をし、18時過ぎに登山口に戻る。理想的には2時間ほど前に戻ってくるべきであり、出発時間が遅かったことを反省する。とはいえ、よく登れたものである。もの凄い達成感を覚えつつ、今後の百名山挑戦に大きな励みとなる登山となった。私のこの登山につきあってくれている卒業生達に感謝をしつつ、今日はゆっくりと休む。

(オホーツク展望地をちょっと行ったところからオホーツク海を展望する。空と海の境目が分からない)

(弥三吉水で顔の汗を拭う)

(銀冷水)

(大沢の雪渓)

(雪渓を通り過ぎた後、振り返るとオホーツク海が美しい)

(羅臼平直前の緩やかな坂には高原植物のお花畑が満開で、疲れる気持ちを慰めてくれる)

(羅臼平から望む羅臼岳。我々の挑戦を迎え撃つかのような圧迫感ある姿)

(頂上はほとんど岩を積み重ねてできあがったかのよう)

(硫黄山の知床連山の美しい山容が展望できるのも羅臼岳の魅力の一つであろう)

(羅臼岳山頂)

(登頂した証拠写真)

(そのうち余裕ができたら、高山植物の勉強もしよう)

(国後島の爺爺岳の雄姿もきれいに展望できた)

(石清水はどんなミネラル・ウォーターよりも美味しく感じられた)
さて、前泊したのは登山口の岩尾別温泉にある「地の涯(ちのはて)ホテル」である。ネーミング的にも、相当、レトロなログ風の宿を想定していたのだが、近代的な3階建ての宿泊施設でちょっと驚いた。私はおそらく25年ぐらい前にこの温泉に来たことがあり、表からも丸見えの露天風呂というおそろしく野趣溢れる環境に、決して高級感のしない宿が隣にあった(泊まってはいない)印象を持っていたからである。ちなみに、この野趣溢れる露天風呂に当時は、おそらくドイツ人と思われる若き男性達が入っており、その景観的インパクトが強烈に記憶に残っている。どうも、それからホテルは建て直しをしたらしい。ホテルに飾られていた昔の写真は2階建てで、もうちょっとこじんまりとしたものであったからである。私が見たホテルはこの昔のものであったのだろう。
ホテルの温泉で朝風呂にも入り、二日間の筋肉の疲れを取り、スパッツ、膝サポーター、膝のテーピング、さらにはストックという4重の構えで望む。朝食のお弁当をホテルの部屋で取り、朝の6時50分頃に出発する。ヒグマ対策もあり、今回は調理道具をすべて置いていく。食事は乾物系のみである。これは、また荷の重さを少しでも軽減させたいという意図もあった。しかし、出発してちょっと歩いて膝に痛みを覚える。もうこれはあかん、と思い、同行している仲間に私を置いて言ってくれと伝えようとしたが、彼らに私のことで気を遣わせるのも抵抗があったので、我慢して行けるところまで行こうと決心する。
登山ガイドでは、すぐに急坂、と書いてあったので相当、覚悟をしていたのだが、それほど急ではない坂を登っていく。これまで、大峰山や昨日の斜里岳のように、本当にきつい急坂を登ってきたので、これぐらいの坂だと急に覚えなくなってしまっているのかもしれない。40分ぐらい経つとオホーツク展望地。しかし、名称と異なり、ここではあまりオホーツクを展望できない。とはいえ、飛び抜けた晴天ということおあり、木々の合間から見えるオホーツクの青の美しさが疲れを飛ばしてくれる。海と空がグラデーションのように繋がっており、その境目が分からない。青という色のハーモニーの美しさは感動的だ。また、分厚いサポーターのおかげか、膝の痛みは消えないが、より痛くなるということはない。
オホーツク展望地からはしばらく緩やかな平らが続く。弥三吉水という水場でちょっと休憩(8時30分)。冷たい水で顔の汗を拭う。また歩き始める。ここは極楽平とよばれる平坦のルートで、本当に楽である。平坦な道だと膝の痛みもちょっと忘れる。ピーカンの天気なので暑さはきついが、ときおり吹いてくる風によって癒される。極楽平の次は仙人坂。この坂はなかなかきついが、昨日の斜里岳に比べれば大したことはない。ただ、頭上に木の枝が覆い被さり、足下の石ころに気を取られていると頭をぶつけ、猛烈に痛い。背が高い人は、ここを抜けるのは相当、気を遣うであろう。さて、仙人坂を登り切ると銀冷水という水飲み場がある(10時到着)。命の泉のような美しい泉である。
さて、銀冷水を過ぎると大沢という沢をのぼっていく。とはいっても水は流れていない。ただ、ここには雪渓が残っており、そのためにアイゼンを今回は持って来ている。初アイゼンかと緊張したが、雪渓の横にしっかりと登山道は確保されていたために、アイゼンは必要としなかった。雪渓を横切り、振り返るとオホーツク海が美しい。さて、羅臼平に近づくと斜面も緩やかとなり、右手には素場らしい高原植物のお花畑が広がる。
そして羅臼平には11時頃に到着する。ここはまさに天上の楽園のような場所で、羅臼岳と三ツ峰山に囲まれながら、オホーツク海と太平洋が見渡せるという素場らしき一等地である。ここで昼食休みを30分ほど取り、フードロッカーに細かい荷物を預け、羅臼岳にチャレンジする。羅臼岳は優しいスロープの上にごつごつの岩の塊が乗っかっているような異様な形状をしている。12時頃に石清水を通り抜ける。ここから先は山登りというかはロック・クライビングのような状況になる。ストックを岩陰に隠して、両手を使って登っていく。途中で行き交った中年の男性が「これから山頂に行くの。風が強いよ」と言ったので、猛烈に反発心で燃え上がる。「あと30分ちょっとで山頂までなのに、これまで膝が痛いのを我慢してここまで来たのに帰れるか」と思うと、アドレナリンが出まくって、凄い勢いで登り始めた。ここは、相当の岩崖で高所恐怖症は怖じ気づくようなところで、私も軽度の高所恐怖症なので、何もなければ相当、怖がると思うのだが、このおじさんの言葉のお陰で、奮起した私はハイペースで登っていき、時折膝の痛みも感じたが、それにも打ち勝ち13時前には山頂に着いていた。山頂は岩だらけで、そのスペースも狭く、風も強かったが、そこからの360度の展望はすばらしい絶景であった。北には硫黄山をはじめとする知床連山と巨大なる雪渓、北東から東にかけては国後島の爺爺岳をはじめとした秀峰の雄姿、南は雲海と斜里岳などの山々、そして西はオホーツク海の眩いような青とその手前には知床五湖が広がっている。見飽きない絶景ではあったが、もう時間も遅いのと風も強いので13時15分には下山を始める。
心に余裕があるのと、また下山は登りに比べると筋力的には優しいので、高山植物を愛でながら降りていく。小さく健気に咲く美しい花々を見られることは、登山の大きな魅力の一つであろう。行きには無視をした石清水も飲む。この石清水の美味しさといったら飛び切りのものがある。羅臼岳登山は水場が多くあるのも魅力だ。重い水を全ルート分、持ち運ぶのはなかなかの労苦である。石清水を発ち、羅臼平にて荷物を回収したのが14時30分。その後は、膝が爆発することがないように、ゆっくりと丁寧に下山をし、18時過ぎに登山口に戻る。理想的には2時間ほど前に戻ってくるべきであり、出発時間が遅かったことを反省する。とはいえ、よく登れたものである。もの凄い達成感を覚えつつ、今後の百名山挑戦に大きな励みとなる登山となった。私のこの登山につきあってくれている卒業生達に感謝をしつつ、今日はゆっくりと休む。

(オホーツク展望地をちょっと行ったところからオホーツク海を展望する。空と海の境目が分からない)

(弥三吉水で顔の汗を拭う)

(銀冷水)

(大沢の雪渓)

(雪渓を通り過ぎた後、振り返るとオホーツク海が美しい)

(羅臼平直前の緩やかな坂には高原植物のお花畑が満開で、疲れる気持ちを慰めてくれる)

(羅臼平から望む羅臼岳。我々の挑戦を迎え撃つかのような圧迫感ある姿)

(頂上はほとんど岩を積み重ねてできあがったかのよう)

(硫黄山の知床連山の美しい山容が展望できるのも羅臼岳の魅力の一つであろう)

(羅臼岳山頂)

(登頂した証拠写真)

(そのうち余裕ができたら、高山植物の勉強もしよう)

(国後島の爺爺岳の雄姿もきれいに展望できた)

(石清水はどんなミネラル・ウォーターよりも美味しく感じられた)
斜里岳(日本百名山登頂19座) [日本百名山]
斜里岳に挑戦する。前日は川場温泉に泊まったのだが、昼ご飯を購入するコンビニが6時オープンなので、6時ちょっと前に宿をチェックアウトして、コンビニでカップラーメン等を購入する。そして、登山口のある清岳荘に向かう。
清岳荘に到着したのは7時30分。既に駐車場は満車に近い。晴天で日曜日であるので、地元の登山家が多く訪れたのではないだろうか。トイレに行ったり、いろいろと準備をしていたりしたら、出発したのは8時頃。ちょっと予定より遅れる。
15分ぐらい旧道を歩いていくと、沢の登山道に入る。ここからは沢を右に左に渡りつつ、高さを稼いでいく。この日は比較的温度が高かったので、沢の涼しさ、マイナスイオン効果が身体に優しく、癒される。ただ、結構、ここは沢が深いので石を踏み外すと、足はずぶ濡れになる。私も2度ほどくるぶしほど水に浸かってしまった。
睡蓮の滝という美しい形状の滝に到着したのは9時。このような美しい滝を観ながら登っていく沢登りはアドベンチャー感覚で、スリリングであるが楽しい。これが斜里岳登山の醍醐味であろう。ただ、沢を左右に行ったり来たりするので、道に迷いやすい。基本、沢から外れることがないので、枝分かれするようにある獣道に入っていかないように注意することが必要である。
沢を抜けると上二股という下山ルートと合流し、それからはちょっと歩いてからは急坂になる。ただ、このガレ場を我慢して登りきり、馬の背という展望平につく。あとちょっとで斜里岳の山頂であるが、急坂にひるんだ我々は、この馬の背に食べ物等を置き、荷物を軽くして山頂に挑むことにする。山頂に到着したのは12時ちょうど。西側には翌日に挑戦する羅臼岳と雪渓の残る知床連山がみえる。東は摩周湖、南はオホーツク海、そして北は太平洋といった360度の雄大な展望を楽しみ、馬の背に戻る。馬の背では、昼ご飯。カップラーメンなどを食べ、十分に休憩した後、13時30分頃下山を開始。沢を下るのは危険なので、上二股から迂回ルートで降りるが、この迂回ルートはなかなかのくせ者で、熊見峠まで登っていく。なぜ、下山をするのに登るのか。その理不尽さに多少、怒りを覚えつつ、それでもその展望の良さに多少は、心が落ち着く。ただ、熊見峠からの下り坂はほとんど崖のように急である。落ちるようにして降りていくのだが、ここで私の弱点である左膝が痛み始める。ちょっといい気になって、下りの馬の背で膝サポーターを外したのが裏目に出た。これで、大いに下りの時間をかけることになってしまい同行者にも迷惑をかけた。途中でシップ薬を貼り、サポーターを着けることでどうにか下山をしたが、このようなアクシデントもあり、下山できたのは17時ちょっと前であった。
斜里岳にはどうにか登山することができたが、翌日の羅臼岳に大いなる不安を抱えながら、この日の宿泊先である岩尾別温泉に向かう。

(登山口の清岳荘)

(沢を右に左に渡りながら標高を稼いでいく)

(下二又を越えると、沢は滝となる。これは水蓮の滝)

(連続した滝を見ながら沢を渡渉して登っていくのはスリリングだが爽快な気分になる)

(急な坂を登ると馬の背に出る)

(馬の背から斜里岳を望む)

(斜里岳の頂上に立つ)

(斜里岳の山頂からの展望。摩周湖が見える)

(斜里岳の山頂からの展望。知床の連山、羅臼岳を望む)
清岳荘に到着したのは7時30分。既に駐車場は満車に近い。晴天で日曜日であるので、地元の登山家が多く訪れたのではないだろうか。トイレに行ったり、いろいろと準備をしていたりしたら、出発したのは8時頃。ちょっと予定より遅れる。
15分ぐらい旧道を歩いていくと、沢の登山道に入る。ここからは沢を右に左に渡りつつ、高さを稼いでいく。この日は比較的温度が高かったので、沢の涼しさ、マイナスイオン効果が身体に優しく、癒される。ただ、結構、ここは沢が深いので石を踏み外すと、足はずぶ濡れになる。私も2度ほどくるぶしほど水に浸かってしまった。
睡蓮の滝という美しい形状の滝に到着したのは9時。このような美しい滝を観ながら登っていく沢登りはアドベンチャー感覚で、スリリングであるが楽しい。これが斜里岳登山の醍醐味であろう。ただ、沢を左右に行ったり来たりするので、道に迷いやすい。基本、沢から外れることがないので、枝分かれするようにある獣道に入っていかないように注意することが必要である。
沢を抜けると上二股という下山ルートと合流し、それからはちょっと歩いてからは急坂になる。ただ、このガレ場を我慢して登りきり、馬の背という展望平につく。あとちょっとで斜里岳の山頂であるが、急坂にひるんだ我々は、この馬の背に食べ物等を置き、荷物を軽くして山頂に挑むことにする。山頂に到着したのは12時ちょうど。西側には翌日に挑戦する羅臼岳と雪渓の残る知床連山がみえる。東は摩周湖、南はオホーツク海、そして北は太平洋といった360度の雄大な展望を楽しみ、馬の背に戻る。馬の背では、昼ご飯。カップラーメンなどを食べ、十分に休憩した後、13時30分頃下山を開始。沢を下るのは危険なので、上二股から迂回ルートで降りるが、この迂回ルートはなかなかのくせ者で、熊見峠まで登っていく。なぜ、下山をするのに登るのか。その理不尽さに多少、怒りを覚えつつ、それでもその展望の良さに多少は、心が落ち着く。ただ、熊見峠からの下り坂はほとんど崖のように急である。落ちるようにして降りていくのだが、ここで私の弱点である左膝が痛み始める。ちょっといい気になって、下りの馬の背で膝サポーターを外したのが裏目に出た。これで、大いに下りの時間をかけることになってしまい同行者にも迷惑をかけた。途中でシップ薬を貼り、サポーターを着けることでどうにか下山をしたが、このようなアクシデントもあり、下山できたのは17時ちょっと前であった。
斜里岳にはどうにか登山することができたが、翌日の羅臼岳に大いなる不安を抱えながら、この日の宿泊先である岩尾別温泉に向かう。

(登山口の清岳荘)

(沢を右に左に渡りながら標高を稼いでいく)

(下二又を越えると、沢は滝となる。これは水蓮の滝)

(連続した滝を見ながら沢を渡渉して登っていくのはスリリングだが爽快な気分になる)

(急な坂を登ると馬の背に出る)

(馬の背から斜里岳を望む)

(斜里岳の頂上に立つ)

(斜里岳の山頂からの展望。摩周湖が見える)

(斜里岳の山頂からの展望。知床の連山、羅臼岳を望む)