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『オッペンハイマー』 [映画批評]

先日のオスカーを総ナメ(作品賞とその他6つの賞)した『オッペンハイマー』を観る。なかなか興味深く、面白い映画であった。三時間という、昨今の映画では相当、長いが飽きることもなく最後まで観ることができた。オッペンハイマーの実像に、どれほど忠実に描かれているかが、こちらの方面に詳しくない私にははっきりと分かっていないのだが、映画が描いたようなキャラクターであったとしたら、この映画はなかなか視聴者に誠実なのではないだろうか。というか、映画で描かれたキャラが実態と違っていたら、逆にとんでもない話かなと思ったりもするが。興味深かった点は3点。

一つ目は、原爆を落とさないと日本は降伏しない、という主張である。これは、日本人以外はそうかな、と疑問を持つかもしれないが、日本人の私は、確かに原爆が落ちなかったら、日本人は降伏しないだろうな、と納得したりした。日本人というか、日本社会の大きな特徴は方向を変えられず、惰性で同じ道を歩み続けることがあるかと思う。これまで取ってきた同じ轍を歩み続ける。したがって、変化する時はいつも革命的なドラスティックな変化を伴う。上手く、徐々にソフトランディングができないのだ。だから、人類史的にも驚くような悲惨な事故が起きても相変わらず原発への依存傾向から脱することができないし、中央集権が地方を衰退させていることがこれだけ明らかになっていても、その体制を変えることができないし、人口減少下で社会において女性の力がこれだけ求められている国であるにも関わらず、ジェンダーギャップは世界でも最低ランクにずっと留まっているのに変更することができないし、年金問題も国債の借金問題も崩壊するまで引き延ばして解決しようともしない。

二つ目はストラウスのオッペンハイマーへの嫉妬。これも、多くの人は、そんなことに嫉妬するかいな、そこまで人間小さい奴は少ないだろう、と疑問を持つと思われるが、研究者はおそろしく嫉妬深い人種である。私は大学の教員をしているので、これは身をもって理解している。傍からみたら、大したことねえだろう、と思われることに凄いプライドを持っていたりして、プライドを傷つけられるとすごく恨んだりする。いや、私は東京大学とか京都大学とかの教員をしている訳じゃあないですからね。三流私立大学の教員である。そういう、三流大学だから研究業績も三流である。しかし、そのプライドだけは一流レベルの人が多く、本当に厄介だ。だから、ストラウスみたいな学者がいても、ああ、そういう奴いるいる、と思えるのだ。というか、本当、映画のような感じだったのだろう。非建設的の極致である。この点に関しては、前任校の学部の方が遥かにプライドが高くて酷かったが、今の学部でもいない訳ではないので気をつけなくては、と思っている。

三つ目はハリー・トゥルーマンがいかに糞か、ということ。おそらくこの映画で描かれていたような大統領だったのだろうが、アメリカの大統領がアホだと人類は大変な危険に晒されるということに改めて気づかされた。そして、トランプというもうトゥルーマン以上のアホが大統領になる可能性がまだあることを考えるとゾッとする。トランプに投票をすることを考えている人はこの映画を観るといいと思う。ただし、この映画を観ても、そこまで考えが及ぶかは疑わしいが。そもそも、それぐらいの論理的な思考ができる人はトランプに票を入れないからだ。
ということで、なかなか骨のあるいい映画であった。史実も知りたいな、と思うが、そこらへんを調べるような時間がなかなかないかもしれない。定年迎えて、時間があれば調べてみたいところである。
最後に関係ないがエピソードを一つ。オッペンハイマーの弟のフランク(フランクも名字はオッペンハイマーであるが)が、兄について次のようにドキュメンタリー映画『The Day After Trinity』で述べている。なかなか人類の将来を絶望させる言葉なので紹介したい。
「ロバートは現実世界では使うことのできない兵器を見せて、戦争を無意味にしようと考えていた。しかし、人びとは新兵器の破壊力を目の当たりにしても、それまでの兵器と同じように扱ったと絶望していた」。人類は一部の天才的な賢い人達によって、その道が開かれたが、その道を閉じるのは、想像力に欠けている愚者によるであろう。

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