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クリチバで地下鉄がつくられなかった理由 [クリチバ]

ブラジルのクリチバはバス・ラピッド・トランジットの元祖として広く、世界中で知られている(日本では残念ながらあまり知られていない。おそらく、ブラジルだから下に見ているのだと思われる)。さて、クリチバのバス・システムは素晴らしいものがあったが(最近は、相当劣化している)、人口180万人、大都市圏だと360万人ぐらいの都市で地下鉄がないのはおかしいだろうと指摘するよそ者が日本企業やJICAを含めて少なくない。そして、実際、地下鉄をつくろうという動きは、今でもある。しかし、なぜつくられなかったのか。
 私が現地で受けた説明は、マスコミが地下鉄かバスか、で議論を展開した時、元市長であり、バス・ラピッド・トランジットをつくったジャイメ・レルネル氏に意見を求めたら、「バスの方が全然、いいだろう。クリチバはバスだ」という鶴の一声があって、それでマスコミや市民が地下鉄を却下したという話だ。これは比較的、最近で2010年ぐらいに聞いた話である。
 しかし、2020年に出版された「Traços de Curitiba(クリチバの特徴)」という本には、時代は違うが私が知らなかった、そして興味深いことが書かれていた。時代は1995年前後に遡るのだが、レルネル氏が三期目の市長を終え、それを引き継いだグレカ市長の時代、メトロをつくろうという気運が盛り上がった。インター・アメリカ開発銀行からも融資を受けることまで決定した。しかし、そこで作家のアルヴィン・トフラーがクリチバを訪れ、彼がグレカ市長とバスに乗車した際、グレカ氏がメトロをつくろうと思うのだけど、あなたの意見はと尋ねると「このバス・システムは世界でも見たことのないほど素晴らしい。地下鉄なんてつくって、これを台無しにしちゃダメだよ」と言われて、撤回したことが書かれていた(pp.210-211)。
 さすがトフラーほどの人は見識がある。それから30年、再びグレカ氏が市長になり、再びメトロ論が出てきている。アルヴィン・トフラーは残念ながら鬼籍に入っている。これから先、クリチバがどのように判断するかは興味深い。ただ、メトロを再び撤回するような決断ができる人が今、クリチバにいるとしたらグレカ氏ぐらいじゃないか、とも思う。

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クリチバの凋落の大きな要因は自分で考えることをしなくなってからだ [クリチバ]

 クリチバは訪れるたびにどんどん悪化している。今では普通のブラジルの都市のようである。それは何が要因なのであろうか。いろいろな要因が考えられるが、セルジオ・トッキオ環境局長によれば、クリチバが考えることをしなくなったからだと指摘する。それまではクリチバは自分で考えた。しかし、最近の市長はクリチバの政策的な理念を持てなくなっている。レルネル時代の環境都市、タニグチ市長の人間都市(一部、私の著書のタイトルから取ったという人がいるが確認はしたことがない。流石に尋ねるのも恥ずかしい)などの理念、コンセプトがタニグチ氏以降の市長には不在なのである。
 そのような状況になると、世界銀行などがいろいろとアドバイスをし始める。JICAとかもやってくる。クリチバは自分で考える街ではなくなった。しかし、名前が知られているから、国際コンサルタントにとっては、その仕事をするのは箔を付けることにもなるので、非常に熱心に営業するのである。考えることをアウトソーシングし始めているのがクリチバのこの10年間ぐらいの傾向であるのだ。
 トッキオ局長による解説によれば、この何年間はクリチバが有名だったので、世界がクリチバを認めてくれた。それで、自分が何をしていいかも考えなくなってしまった。都市の場合は、一年間考えなかっただけで、どんどんと劣化していく。都市は凄いスピードで動いているからだ。人類の歴史がそうだ。頑張ってやっている時は、周りから集まってくる。頑張りがなくなった場合、頑張らなくても簡単だ、とそう思いながら市長が市政を運営すると、どんどんと劣化していく。立候補をする時に、街づくりなんてそんなに難しくない、と考えるとうまくいかない。街を維持するには非常な努力がある。レルネルさんがやったことをそのまま真似をすることはできる。だけど、人は代わりにならない。書くことを習った。しかし、それだけでは十分ではない。本を書きなさい、といわれても簡単にはできない。
 また、トッキオ氏はレルネルさんへの多少、批判する。
「レルネルさんは現役の時は、学校のように皆が集まって、同じ目的、同じ考えをもっていた。レルネルさんが学校をつくるのを忘れて、自由にしてしまった。そうすると、レルネルさんの考えが薄れていってしまった。ジャイメ・レルネルさんが学校をつくるのを忘れてしまった。」
 レルネル氏の驚くほどの都市経営の才能が、しっかりと継承されず、また、それを引き継いだ人達が、クリチバが上手くいったのはレルネル市長の能力ではなく、誰でも出来るというように過小評価をして、考えることもしなくなった。考えることをせずに、考えることをアウトソーシングし始めるとその組織は徐々に崩壊していくのである。
 などと書いていて、私は考えることをアウトソーシングされるコンサルタントで39歳まで働いていたことを思い出した。ちょっと複雑な気分である。

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クリチバの凋落 [クリチバ]

クリチバの調子がおかしい。もう10年以上おかしいと言っても過言ではない。私が『人間都市クリチバ』を出版したのは2004年であるから13年前である。その頃は、まだタニグチ市長の二期目が終わる頃で、徐々に綻びが見始めたがまだそれでも、レルネル市長の資産で食いつなげていたという印象である。さて、それから、しかし坂を転落するようにクリチバは特別な都市から普通のブラジルの都市へと転落していく。私の専門は、都市政策が成功する都市と失敗する都市の背景にある要因を研究することにあるので、クリチバが成功したその要因分析にも大変興味を持ったが、それが凋落したという要因分析にも非常に強い関心を持っている。クリチバの人からすれば迷惑かもしれないが、私としてはクリチバの凋落は凋落で、一粒で二度美味しい研究機会を提供してもらっているようで有り難い。
 さて、その凋落を象徴しているようなプロジェクトが、サステイナビリティ・ステーションという分別拠点である。これは、3年ぐらい前につくられたフルエテ前市長のプロジェクトである。その当時の環境局長のアイデアであったようだ。彼は「緑の党」出身であった。そこに国連が推薦した海外のコンサルタント・チームがクリチバに入り込んで、フルエテ前市長にこれをもっとしっかりとしたものにするべきであると提案したそうである。そして、あろうことか、このプロジェクトを実現させれば「ごみではないごみプログラム」を止めることができるとまで提案したそうだ。この提案書をみて新しく市長にあるグレカ氏と、新しい環境局長のセルジオ・トキオ氏はびっくり仰天をして、これを即座に止めたそうである。
 実際、これが具体化された拠点をグアヴィロトゥーバ(Guavirotuba)に視察に行った。これは、公園に設置された分別するゴミごとに色分けされた巨大なゴミ箱であったが、ゴミ箱の中を見ると、まったくゴミは捨てられていなかった。まあ、直前にゴミが回収されたという可能性が無いわけではないが、私に同行してくれた元環境局長の中村ひとしさんによれば、「こんな所にわざわざ分別ゴミを市民がもってくる訳がない」とつぶやいた。ジャイメ・レルネル元市長と一緒に「ごみ買いプログラム」や「緑との交換プログラム」、「ごみではないごみプログラム」を実践して、ごみをなくすだけでなくファベラの人々への社会福祉政策にまでもっていた中村氏からすれば、人のモラルを勝手に期待するような先進国モデルをクリチバの人達に強要して上手くいくと考えられる人々が信じられないようである。確かに、中村ひとし氏が手がけたごみ対策は、すべて人々がごみを回収するということを目的としたのではなく、それを回収することにインセンティブをもたらす仕掛けをいかにつくるか、ということに終始していた。このような点が、現在のクリチバ市の施策にはまったく欠如している。
 私は今、クリチバ市民を対象として400票という膨大な意識調査を科研費で実施している。その中で、70年代からのクリチバ市の好きな市長と嫌いな市長を尋ねているのだが、タニグチ市長後の3人が雁首揃えて「嫌いな市長」としてのワースト3を独占している。クリチバを駄目にした張本人達である。
 なぜ、このように駄目にしたのか。まだ、仮説の段階ではあるが、私はこう捉えている。
1) レルネル市長と同じことをしていると、自分に能力があると思われないので、違うことをやりたがる。
2) 何がクリチバに成功をもたらしたかを理解せずに、何かやれば成功するだろうと勝手に誤解をしている。
3) レルネル、グレカ、タニグチは叩き上げであったが、リッシャ、フルエトなど最近の市長は二世であり、親の七光りで政治家になっている。
4) レルネル、グレカ、タニグチは技術者であったが、それ以降は政治家であった。
5) 成功の要因を分析していないので、創造的であったクリチバの政策が、他の模倣をするような悲惨な状態になってしまっている。
 先週も国際コンサルタントが来て、何かいろいろと提案をしようとしたそうである。このプロジェクトをいれないとお金は来ないなどと脅しているそうだ。
「ここのことを知らないで平気にしている。どれだけのお金が無駄になっているか。これは、犯罪です」。中村氏は珍しく、強く非難をしていた。このチームの中には連邦の開発銀行の行員もいるそうだ。彼もこのプロジェクトをやらなければ、ブラジルの連邦予算が取れなくなるよ、と脅かすそうである。その背景には、世界的に著名なクリチバにコンサルタントをしたという実績が欲しいのであろう。JICAもそのような動きがみられる。
 このような混迷する状況下で唯一の救いは、クリチバの都市づくりをレルネルさんの下で取り組んだグレカ氏が市長に返り咲いたことである。私も前述したアンケート結果をグレカ市長にプレゼンする筈であった。これはドタキャンされてしまったが、しっかりとクリチバの栄光を取り戻してもらいたいものである。選挙運動のスローガンが「昔のクリチバを取り戻す」ということであるので、これは本当有言実行してもらいたい。

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(見た目はオシャレ)

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(右にいるのは元環境局長の中村ひとし氏)

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(ごみはまったく捨てられていないようだ)

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(ごみが捨てられなければ、どんなにオシャレでも意味はない)
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ジャイメ・レルネル氏との会話 [クリチバ]

 今回、クリチバを訪れている大きな理由は、クリチバ市民を対象としたアンケート調査を実施するためであるが、クリチバが私を引き寄せているのは元市長であるジャイメ・レルネル氏と会うためである。今回も彼と会うことができ、短い時間ではあったが極めて有意義な会話をすることができた。ここに差し障りのない範囲で、彼の発言を披露したい(会話をしたのは2016年8月18日)

■ 映画について
 25年間、映画監督が私のことを撮影してきたのだが、作品が完成し、ようやく9月に公開される。サンパウロ、クリチバ、リオで公開予定である。そのテーマは「夢」。映像に解説がついただけというちょっと特殊な映画である。私はこの映画に流す曲も作った。二曲ほどつくったのだが、大変楽しい経験であった。
 この映画は「夢」に関するものである。オスカー・ニーマイヤー、中村ひとし、フランシス・コップラも出てくる。フランシス・コップラとは友人である。彼のカリフォルニアの家にもよく遊びに行った。

■ ブラジリアについて
 ブラジリアはある特定の時期につくられた。パイロット・プラン(プラーノ・ピロート)の一部は素場らしい。パイロット・プラン以外は、まったく計画されていないこともあって悲惨である。特に働く場所がパイロット・プランに集中したので、通勤交通は混乱状態にある。交通に関しては出鱈目である。郊外をパイロット・プランと同じようにしようとしていることが問題である。普通の都市のような郊外をつくるべきである。

■ クリチバの道路舗装について
(花通りの写真で、その道路舗装をみながら)300年以上前からこのような舗装をしている。このデザインはポルトガルに由来している。しかし、最近ではこのような舗装をしなくなっている。大変、もったいないことだ。

■ 最近の関心ごと
 椅子のデザインをしている。また、新しい車をデザインしている。これらは、綿イズの人生の新しいプログラムである。ところで君は以前、会った時より若くなったな(おそらく髭を剃ったからだと思われる)。私は現在78歳であるが、すごく快調で若くなった気分である。まるで77歳の時のようだ。25キロも減量していた。よく食べているが、適度に食べている。
 先週、70年来の友人を失った。ジュカという名前なのだが79歳で亡くなってしまった。
 リオのオリンピックのオープニング・セレモニーは素場らしかった。金を使わなかったところが大変、評価できる。

■ 都市について
 都市は常に楽観主義者のものであって、悲観主義者のものではない。

■ ポルト・アレグレのプロジェクトについて
 プロジェクトはウォーターフロントのもので、いかにウォーターフロントに人を再び集めるかというのが課題である。そこに公園と倉庫のリノベーションを行おうと考えている。

■ 交通について
 いつでも、私は新しいプロジェクトを創造しようとしている。公共交通をデザインしようとしているのだ。
 我々(レルネルさんと中村ひとしさん)はビューロクラシーが嫌いである。人々は洗練されたモビリティに乗りたがっている。
 現在、多くの人が将来に見出そうとしているのは、自動運転の自動車であったりするが、それが現行の自動車と同じように空間を占有してしまうのは同じである。
 基本は自動車に乗らなくてもいいような、乗っても距離が短くなれるような、そのような都市構造の創造である。これを、リオで実践しようと考えている。

■ その他
 人々は表面的(スーパーフィッシャル)にしか理解しようとしない。なぜ、それをしたのか。そこを知ることが重要である。多くの人は、何かを始めることをおそれる。とりあえず答えを知りたがるのである。しかし、答えはない。
 人々がなぜ、それをやらないのかと言い訳をしているのを聞いていると、私はとても悲しくなることがある。

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サンノゼ・ドス・ピニョイスの笠井珈琲を訪れ、珈琲について勉強する [クリチバ]

 クリチバ空港のそばにあるサンノゼ・ドス・ピニョイスにある笠井珈琲(http://www.kassaicafe.com.br)を訪れ、そこのオーナーである笠井さんにいろいろとお話を聞かせてもらい、珈琲のことについて随分と勉強することができた。
 笠井さんは日系三世。50歳まで銀行勤めをしていたのだが、50歳で退職して美味しい珈琲をつくることに専念した。今年で14年目になるそうだ。100ヘクタールの土地を購入して、実際に珈琲豆の栽培をしている。
 私は珈琲が好きなのだが、あまり珈琲豆のことについては詳しくない。まず、笠井さんは珈琲豆についてお話をしてくれた。珈琲豆は大きくアラビカ種とホーブスタ(ローバスト)種がある。アラビカ種の方が高級で値段も高く、ホーブスタ種は安く、またそれほど甘くない。
 また、笠井さんは珈琲豆を枝ごと採るそうだが、コロンビアは木から直接、選別してよい珈琲豆を採るそうだ。彼は、この方法は木に優しくないという。その理由はちょっとよく分からなかったが、まあ、珈琲を採る方法にしても、いろいろなやり方があることが理解できた。
 笠井さんは脱サラしたわけだが、銀行時代に比べてずっと楽しいと言う。珈琲を通じて知り合った人間関係はよいと言う。笠井珈琲は営業をしない。ただ、どのように珈琲を栽培して、つくっているか、そして味をみてもらっているだけだ。それで買いたいという人にだけ買ってもらっている。幸いなことに、どこに行っても笠井珈琲の評判はよいようだ。
 なんで、笠井珈琲は違うのか、ということを尋ねると、ブラジルはきれいな珈琲豆を重視しており、美味しい珈琲豆を重視していないからだと言う。美味しい珈琲豆は蜜が染みこんでおり、見た目はそれほどよくない。笠井珈琲では、この後者を優先しているそうだ。
「悪い珈琲はない。珈琲は悪くなる」という、珈琲豆性善説を笠井さんは何回か繰り返していた。
 笠井さんは敷地にある珈琲の木から豆を幾つか採ってきてくれた。珈琲の豆は私が思っているよりずっと大きく、サクランボぐらいの大きさであった。つまり、我々がコーヒーの豆と思っているのは、サクランボの種のようなもので、実際、珈琲の豆の周りの果肉は甘くて、珈琲豆から連想される苦味は一切ない。私は知らなかったのだが、どうもインドネシアではジャコウネコの糞から未消化の珈琲豆を取り出して、それを飲んでいるらしい。ジャコウネコはどうも美味しい赤味のある珈琲豆を選り好みするらしく、さらにジャコウネコの体内で自然発酵されることもあって、不思議に美味しい豆がつくられるらしい。なんか、世の中、とんでもないものがあるな、と感心する。
 素晴らしい珈琲豆栽培者であるが、日系人ということもあり、日本人も結構、訪れるそうである。私がいた時も遠く、隣国パラグアイから笠井さんの珈琲を仕入れに来ていた業者がいた。自動車でわざわざ来たそうだ。
 笠井さんは「日本人は珈琲の飲み方が1番上手い」と言う。砂糖を入れないで飲むからだそうだ。私も、実は世界で1番美味しいコーヒーは日本で飲めるのではないか、と考えていたので合点がいった。しかし、珈琲豆が育たない日本で、なんでそんなにみんなが珈琲に拘るかは不思議なことである。笠井珈琲では、当然、珈琲を飲ませてもらったが、笠井珈琲専用の自販機から飲んだ。この点に関しては、私はちょっと大いなる疑問を抱いた。日本であれば、私でも自宅、オフィスでも珈琲豆を挽いて淹れる。珈琲豆を購入するところも、皆、焙煎屋で注文してから焙煎してくれる。このプロセスを経ると、日本でも美味しいコーヒーが飲める。
 ここブラジルでは、なぜ、そのプロセスを珈琲を飲む前にしないのか。もし、すれば日本では到底味わえないような、至高の珈琲が飲めるような気がするのである。私もちょっとカフェをまたやりたい気持ちになってきた。

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(笠井珈琲の看板)

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(焙煎した豆をみせてくれる笠井さん)

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(珈琲豆はオリーブぐらいの大きさがあって驚いた)

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(笠井さん)

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(敷地内にあった珈琲の木)

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(私が訪れた時はパラグアイからわざわざ仕入れに来た人達がいた。パラグアイでも笠井珈琲は人気のようだ)

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クリチバでは市長の選挙戦が始まった [クリチバ]

 クリチバでは8月18日から市長の選挙戦が始まった。有力候補は現職の市長を含めて6名ほどいる。現職の市長であるフルエ氏は、二代目市長であり、レルネルさんの後援も受けたにも関わらず、レルネル的な都市づくりをなかなか行えずに、国の政権与党である労働党に随分と振り回されてきて、彼に期待した人達を大きく裏切ってきた。彼自信には悪気はないのだろうが、力がなさすぎるという評判のようだ。
 もう一人、私が興味をもっている候補は元市長のラファエル・グレカ氏である。「知識の灯台」や移民をコンセプトとした公園をつくるなど、93年〜96年までレルネル氏を引き継いで市長を務めた時には高い評価を得ていた。当時の彼の口癖は「クリチバの市長は最高の仕事であるので、私は金をもらわずに払うべきだ」というものであった。その後、彼は連邦政府の観光大臣にまでなるが、ある時、その師でもあるレルネル氏に反旗を翻し、レルネル氏のライバルであり、元クリチバ市長でその後、連邦議員となったヘキオン氏へ寝返ったことで、多くの支持者を失望させた。その彼が。「元のクリチバに戻そう」というキャンペーンでクリチバ市長に返り咲こうとしている。彼は昔の政治的裏切りをしている中高年層からは票を集めるのは難しいと思われているが、そのようなことを知らない若い世代からは支持を得る可能性もある。レジュメは申し分ないし、さらにヘキオン氏と同様に口が上手い。
 また、レルネル・ファンとして注目したいのがネー・レポレヴォスト氏である。彼は、以前、レルネル氏が州知事時代に、パラナ州の観光局長を務めたりしており、現在はパラナ州の議員である。その彼も「元のクリチバを戻そう」というのがキャンペーンのコピーである。彼を強く推しているのは、フルエ氏のライバルであるハチーニョスである。ハチーニョスは、前回の市長選挙でフルエ氏と決選投票をした相手である。
 残りの3名だが、マリア・ヴィクトリアは大きな政党のPP(ぺーぺー)であり、今の副知事(母親)の娘であり、父親の連邦政府の保険大臣であるなど名家の出身である。そして、フィーリョ・ヘキオンはあの元市長であり、レルネル氏の宿敵であるヘキオン氏の息子である。タデゥ・ヴェネーリ氏はPT(ぺーテー)のパラナ州の議員である。この3名が当選すると、都市計画的には面白くなく、私としてもクリチバへの興味が削がれる。
 選挙は10月上旬、誰も過半数がとれなかった場合は、1ヶ月後あとぐらいに上位2人で決選投票をする。私は個人的には、東京都知事選の次ぐらいにこの選挙結果が気になっている。

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クリチバの「花通り」の傘売り [クリチバ]

 私がおそらく世界で1番好きな公共空間はクリチバの「花通り」である。その通りは、まさに都市の民主主義的な活動を具体化させたような空間である。ちょっと時間が出来たので、「花通り」を訪れると、突然、雲行きが怪しくなって雨が降ってきた。「花通り」には多くの人がいたが、私を含めて、ほとんどの人が傘を持っていなかったので軒下に雨宿りをすることにした。
 雨が降り始めると、ほとんど同時に数カ所で大きく叫ぶ男達が現れた。何を言っているのか分からない私は、ちょうど今日から10月の市長選の選挙活動が解禁になったので、選挙キャンペーンかと思ったりしていたのだが、その叫ぶ男が、私が雨宿りをしている場所に寄ってくるのをみて、合点がいった。彼らは、なんと「傘売り」であったのだ。何本もの傘を片手にもって、大声で傘を売り歩いていたのである。
 確かにクリチバにはコンビニがないので、傘を買おうと思ったら、こういう人達から買うしかない。これら傘男は、最初は10本ぐらいの傘をもっていたが、結構、需要があったのか、10分ぐらいで全てを売り捌いてしまった。雨は思いの外、激しく、しかも激しい割にはなかなか止まなかった。私は雨宿りの場所からなかなか移動できず、このような事態であるなら、傘男から傘を買っておけばよかったとちょっと後悔した。

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クリチバではリオのオリンピックの盛り上がりが感じられない [クリチバ]

 ブラジルのクリチバに来ている。同国ではオリンピックが開催されているが、クリチバにいるとまったくそのような盛り上がりが感じられない。どうも、家ではテレビに釘付けになっているようだが、それは日本でも同じである。まあ、プールが藻で一夜にして青から緑になったり、汚臭漂うコパカバーナでトライアスロンの遠泳をさせられたり、テレビカメラが会場の建物の上から落下したりと、いろいろと問題の多いオリンピックではあるが、自国で開催しているのだから、なんかこうホスピタリティのようなものがプンプンしてもいいのではと思ったりするが、そういう意識もなさそうだ。リオデジャナイロは盛り上がっているようだが、他の都市は今ひとつ、というのが実態のようである。そもそも、このオリンピックは50%の国民が開催を反対していた。おまけに大統領が罷免させられるという国の緊急事態。オリンピックぐらいで、気分が晴れるか、というのが人々の気持ちなのかもしれない。
 とはいえ、棒高跳びでチアゴ・ブラス・ダ・シウヴァ選手が金メダルを取ったという番狂わせは、結構、ニュースになっているようだ。ファベラ出身の女子柔道の金メダリストの話も人々を感動させているようだ。
 まあ、そのようないいストーリーも多いわけだが、どうも南米最初のオリンピックはあまりうまく行っていないようだ(出所:http://www.sbnation.com/2016/7/15/ 12122676/olympic-games-2016-rio-zika-security-budget-brazil)。最初の大きな問題はジカ熱であろう。そしてヨット・レースなどをするグアナラ湾に安全レベルを越えた廃棄物が存在することが昨年の7月に発覚する。さらに2015年にはブラジルの経済は前年の4%ほど縮小する。また、2015年12月にはオリンピック会場と都心とを結ぶ鉄道整備事業がオリンピックには間に合わないことが明らかとなり、代わりにバスを走らせることになる。今年4月にはルセフ大統領が弾劾され、その後、罷免される。同月にはオリンピックのためにつくられたリオの自転車専用道路が崩落し、2名が死亡する。5月にはサッカーのスター選手のリバルドが「ブラジルにオリンピックに来ることは再考した方がいい」とインスタグラムで発信する。5月になってもオリンピックの試合のチケットは1/3が売れ残っていた。
 ということで、改めてオリンピックを開催することのリスクの大きさを感じる、今回のリオ・オリンピックである。ただ、人々は感動をすると嫌なことを忘れるという傾向がある。長野オリンピックもあれだけの赤字イベントであったが、感動させてくれたからいいや、という気分に人々もなっていた。
 ただ、クリチバではあるが、この盛り上がりのなさは気になる。感動によって、まあ、いいか、という気分になかなかブラジル人はなれないような、そういう印象を受けている。

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クリチバの中村ひとし氏の凄み [クリチバ]

 クリチバに来ている。クリチバにあるオスカーニーマイヤー博物館では、ジャイメ・レルネルの都市計画50周年記念展示が為されている。クリチバの将来を大きく変貌させる都市計画コンペが実践されたのが、ちょうど50年前の1965年。ここで優勝したのが、パラナ大学の学生であったジャイメ・レルネル氏を中心としたチームの提案であった。この案を実践させたことで、クリチバは驚くほど変貌し、世界の都市計画関係者の注目を集めることに成功したのだ。
 その彼の功績をプロジェクトや取材を通じて展示がされている。なかなか素晴らしい企画である。さて、この企画ではレルネル氏とともにクリチバの都市計画を実践してきた人々の取材も展示されている。その中で特異なものが、環境局長を務めた日系一世の中村ひとし氏である。他の人々が、自分の功績を述べている中で、中村ひとし氏は、「私はジャイメ・レルネルという天才のアイデアを実践することだけに集中した。ジャイメという頭があるのに、私が考える必要はなかった。彼のアイデアを具体化することだけを考えた」と主張しているのである。ジャイメ・レルネル氏の天才性を疑うことは微塵もないが、彼がそのアイデアを見事、クリチバというキャンバスにて実践できたのは、中村ひとしのような人材が周りを固めていたからであるというのがよく理解できる。
 中村ひとしの凄みのある人生は、拙著『ブラジルの環境都市を創った日本人:中村ひとし物語』にまあまあ描かれています。宜しければ、ご笑覧ください。


ブラジルの環境都市を創った日本人: 中村ひとし物語

ブラジルの環境都市を創った日本人: 中村ひとし物語

  • 作者: 服部 圭郎
  • 出版社/メーカー: 未来社
  • 発売日: 2014/03/10
  • メディア: 単行本



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クリチバの中村ひとし氏の伝記を上梓するので、恒例の没原稿を順次アップする(4) [クリチバ]

4回目です。

 1992年5月30日の神戸新聞で中村のクリチバ市での活躍を紹介する記事がある。そこでの取材で、中村は「都市環境の保護で最も大切なのは、政府に期待するのではなく、住民が自分たちの課題として認識すること」と、述べている。また、1994年5月27日に尼崎市立教育総合センターで「環境に配慮した町づくり」と題した講演を行ったのだが、「都市は人が住むための場所。クリチバでは利便性だけを考えた都市計画はせず、既存の森や林を造成したり、湖沼を埋めたりもしない」 と、クリチバの都市づくりが、人の豊かさを追求したまちづくりを展開してきたことを紹介している。中村にとっての街づくりは、一貫して人づくりなのだ。都市そして街の主人公は、人。その人の意識を変える。都市、街へ意識を向けさせ、そして、その主人公が自分たちであることを認識させる。


ブラジルの環境都市を創った日本人: 中村ひとし物語

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  • 作者: 服部 圭郎
  • 出版社/メーカー: 未来社
  • 発売日: 2014/03/10
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クリチバの中村ひとし氏の伝記を上梓するので、恒例の没原稿を順次アップする(3) [クリチバ]

3回目です。

さらに、これら判断力、決断力だけでなく(中村ひとしの)「先見の明」が図抜けていると指摘するのは、兵庫県職員の彌城である。彼は、中村が環境市民大学の時に、ブラジルで初めて「海のシンポジウム」を開催したことを挙げて、その将来の読みの鋭さを分析する。そもそもブラジルには水産という発想がなく、その当時、ブラジルには水産庁はなかった。しかし、パラナグアには10万トン級の船も来るようになっていた。パラナ湾は10メートルと非常に浅い。あっという間に環境が悪くなることが中村はよく分かっていたので、水産資源を保護するための環境保全という問題意識をブラジル人に持たせることが重要であると考えたのである。ブラジルでは海への視点は欠けていたが、森林の保全は既にやっていた。木を一本切っても犯罪というような森林保全の考えを、マングローブまで拡張しようとしたのである。ただし、彌城は中村のこの飛び抜けた「先見の明」、そして、それに基づいて、先手先手を打っていく中村の行動が、ブラジル人にはどうも分からないのではないかと推察する。その結果、どこかで金が出てくるから、こんな関係なさそうなことに力を入れているのではないか、と勘ぐられるのではないかとも分析していた。
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クリチバの中村ひとし氏の伝記を上梓するので、恒例の没原稿を順次アップする(2) [クリチバ]

二回目のアップです。

 日本人であることを強く意識している中村であるが、中村は日本人同士、日系人同士でつるむようなことをしない。中村は日系人ではあまり例がないような役所での出世をした。しかし、中村の日系人での評判は必ずしもよいものばかりではない。中村は日本人なのに、日系人を雇わない、日系人のことを優先的に捉えない、といった批判をされる場合もあるそうだ。笠戸丸で最初の日系移民がブラジルに着いてから、2008年で100年が経った。しかし、まだまだ、多くの日系人が日系のコミュニティの中だけで生活している。ブラジル人との間に壁をつくって生活している日系人が未だに少なくない。そういう日系人と中村は考え方が違った。中村はブラジルにおいて、日本のよさを表現しよう、日本のよさでブラジルの環境をよくしよう、と考えたのである。日本人である自分だからこそ出来ることがある。そのためには、日系人という狭いコミュニティに閉じこもっていたら駄目だ。広く、ブラジルの社会の中に入り込んでこそ、日本人としての表現も出来る。そして、中村は日本人だからこそ有していた自然と調和する思想、自然に対する繊細な感性を活かしたランドスケープ・デザインをブラジルという土地で実施することができた。例え、日系移民のコミュニティから疎んじられてでも、中村のアプローチの方が、ブラジル国内において日本のアイデンティティをしっかりと理解してもらうことに寄与できたのではないだろうか。中村の生き様は、ある意味で新しい移民像をも提示していると思われる。日本、日系人という内の世界に留まらず、積極的に外の世界に接しつつも、その基本的なアイデンティティである日本ということは大切にする。
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クリチバの中村ひとし氏の伝記を上梓するので、恒例の没原稿を順次アップする(1) [クリチバ]

クリチバの中村ひとし氏の伝記を今度、上梓する。この本を企画したのは2008年なのだが、その時、出版を引き受けるといってくれた会社が大幅事業削減をし、お蔵入り。その後、ドイツに行ったりしたので帰国してまた出版先を探すのだが、ことごとく断られる。ようやく、飛び込み営業で電話した講談社が出版してくれると言ってくれたので、これは素晴らしいと思っていたのだが、これも結局、没になる。また、出版社への営業まわりをしたのだが、どこもなしのつぶて。こちらの足下を見て、200万円出せば、出版してもいいなどと言い出すところや、私の悪いところを懇切丁寧に指摘してやるとか言う出版社もいたりして、本当に不愉快千万の経験をするが、それにめげず、これはサラリーマンに営業しているから駄目なんだ、社長に話をしなければ、と知り合いのつてで紹介してもらった社長に話をしたら、ようやく出版の目処がついた。企画してから、もう5年以上も経つ。出版は今年の3月か4月になると思われます。乞うご期待。

さて、そういったことで大変、有り難いのだが、やはり原稿をコンパクトにして読みやすくするためにも幾つか、没原稿ができている。それをそのまま闇の中に葬ってしまうのもなんかなあ、なので、ここにアップさせていただく。何回か続くと思うがお付き合いしていただければと思う。

【天皇陛下夫妻の行幸啓】
 中村が州の環境局長として目が覚めるような成果を数多く残していた、まさにそのピークの時に、中村にとっても非常に印象深いイベントが起きる。1997年5月の平成天皇のクリチバ行幸である。中村本人を始め、中村の両親は平成天皇と皇后のクリチバ案内を務めることとなった。平成天皇と皇后は、植物園、知識の灯台、バリグイ公園、そして兵庫姫路館 を訪れた。中村の父親きよしは、中村がブラジルに行く時に反対をして見送りもしなかった。しかし、その父親が、天皇陛下から「息子さん、頑張っていらっしゃいますね」とのお言葉をいただいた。日本を後にした時には、この親不孝者と言われた中村であったが、結果的にでっかい親孝行を日本の裏側でやり遂げたのであった。久美子も美智子皇后に「これからもお身体に気をつけて仕事に励んで下さいね」とのお言葉をかけていただいた。流石の久美子も心底、その優しさと思いやりに感動をする。天皇陛下と皇后にお花を贈呈する役割を担ったのは、中村の長女の麻友美であった。美智子妃殿下は、植物園でハチドリの名前を知りたくて、中村に対して「中村さん」と呼びかけたそうである。中村も自分の名前を呼ばれたことに大変驚いたそうである。中村も、天皇陛下と美智子妃殿下のオーラには流石に圧倒されたそうだ。
 ただし、レルネルはそれほど緊張しなかったようで、植物園の隣にあった施設で、昼食をともにした時、食事とともに出された紙ナプキンに鉛筆でクリチバの都市計画の考えを描いて、天皇陛下に説明されたそうである。しかし、いくら癖とはいえ、天皇陛下に対して、紙ナプキンにいきなり鉛筆とは、レルネルらしいエピソードである。
 また、出し物は盆踊りなどを当時の総領事が提案したので、中村はそれは違うと反対した。というのも、天皇陛下は、まだ皇太子であられた10年前にロンドリアを訪れられている。その時に既に盆踊りを見ていただき、日系人も日本文化を維持していることを十分に伝えさせていただている。10年後のクリチバで盆踊りを再び見ていただいても意味はない。それよりかは、日系人もポルトガルやドイツ、ポーランドの移民と一緒に頑張っているのを見ていただくべきだ。総領事は中村の意見には納得しなかった。また、総領事は、座る場所までも細かく指定した。しかし、これに対して中村は、「ここはブラジルである。敬意を表さなくてはならないのは当然だが、座る場所で人を差別するようなのは違う」。この中村と総領事との対立を知ったレルネルは、「天皇陛下を招待したのはパラナ州、すなわち自分であって総領事ではない。君は黙っていなさい」と一喝した。そして、結局、中村の意見は通って、ポーランドやイタリア、ウクライナ、ドイツ、日本の世界の踊りを短い時間で披露することにし、座り方も肩書きで順序づけするようなことも止めた。普通は、日本人の総領事の言うことを聞く。しかし、レルネルは天皇陛下を受け入れるだけの教育は受けている、と総領事の考えを突っぱねたのである。紙ナプキンでの説明がエチケットに反しているかどうかは、ここでは不問にしたい。このイベントの後、通訳が天皇陛下に「クリチバは移民の町として知られています」と説明されると、よく分かったと答えられたそうである。

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平成天皇と美智子妃殿下、そして中村ひとし氏(クリチバの植物園にて)


ブラジルの環境都市を創った日本人: 中村ひとし物語

ブラジルの環境都市を創った日本人: 中村ひとし物語

  • 作者: 服部 圭郎
  • 出版社/メーカー: 未来社
  • 発売日: 2014/03/10
  • メディア: 単行本



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クリチバの危機(4) [クリチバ]

クリチバに来て幾つかの変容に気づいているのだが、その一つとして、骨格軸のバス専用レーンを走るバスの運行頻度が今ひとつになっていることである。あのチューブ型の停留所が人で一杯になり、バスが早く来ないと、一体全体どうなるんだと心配させられたくらいである。

さて、一体全体どうしたんだ、と思っていたのだが、中村ひとしさんから興味深い話を聞く。どうも、クリチバに地下鉄をつくりたがっている人達がいて、彼らがバスのサービスを悪くして、市民が大好きなバスのイメージ・ダウンを企んでいるようなのだ。そして、恐ろしいことに、この地下鉄計画を推進しているのはイプキなのだ。最初の地下鉄計画は、タニグチ市長の二期目に発表され、大きく新聞でも取り上げられたが、レルネルさんが「このバカもの、クリチバはバスだ」のまさに水戸黄門の印籠のような鶴の一声で事態は収拾した。しかし、また、今になって地下鉄推進派が蠢き始めているのだ。

地下鉄の計画を全面否定するつもりはないが、市民のバス支持を落とさせるために、バスのサービスを悪くするというのは、原発事故の後、原発反対派の動きを牽制するために計画停電をした東電・経産相チームと同じような卑劣さである。ある意味、ブラジル的ともいえるが、クリチバもやはりブラジルの都市であったのだな、というのを再確認させられて悲しくなる。

都市というのは所詮、器にしか過ぎない。どんなにうまくいっていた都市でも、そこに住む人達、その政を司る人達がしっかりとしなければ、都市はどんどんと堕落していく。油断大敵火がぼーぼーである。
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