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縮小現象に関して、シンガポールのテレビの取材を受ける [グローバルな問題]

 シンガポールの国営テレビの取材を受ける。人口減少に関しての取材だ。日本の人口減少がどう影響を及ぼすかという内容であった。私はちょうど、岩波書店の雑誌『思想』に、これに関する原稿を書いていたので、ほいほい、と了承した。しかも、取材は英語でいいよ、と気軽に応じたのだが、AutonomyとかVulnerabilityといった普段、カタカナで書いているような単語が出てこなくて大変困った。しょうがないので、Self-governanceとかFragileといった言葉で置き換えていたが、なんか格好が悪く、気まずい思いをした。アホに見えるであろう。シンガポールでしか流れず、日本で流れないのがせめてもの救いだ。さて、しかし、ここで書きたいことは、そういうことではない。
 シンガポールの人達が、なんで日本の人口減少に興味を持つのかな、と最初はその意図がよく分からなかったのだが、撮影が終わった後、カメラマンが「日本人が絶滅種という解釈はどうですか」と尋ねたことで、ちょっと見えてきた。日本の人口減少が続いていたら、そのまま日本人が消滅してしまう、といった話に興味を抱いていたのであろう。流石に私にはそのような質問を正式にはしなかったのだが、日本人がいなくなる、というちょっとセンセーショナルな話題に持って行きたいというような意図を私はカメラマンのちょっとずるそうな笑みから読み取ったのである。
 人口減少に関しては、こういう本質を見ていない興味を喚起させる。豊島区が消滅するといった話もそうである。豊島区が消滅するのであれば、その前に、所沢市や清瀬市、東久留米市が消滅するだろう。なぜなら、豊島区から人がいなくなれば、代わりにそこに多くの人が住みたがって移動していくからである。豊島区の方が、所沢市や清瀬市、東久留米市より地価が高く、家賃が高いのは、それなりに意味があるのだ。豊島区の目白の周辺に誰も住まなくなったら、私は喜んでそこに住むね。東久留米市や和光市に住んでいたら、まず間違いなく引っ越してくるであろう。
 日本人が消滅するということも、同様にまずあり得ない。日本人の人口が減少し始めているのは、はっきりいって国土規模に対して、現状の豊かさを維持させていくには多すぎるからである。
 エコロジカル・フットプリントという概念がある。これは、「ある期間、ある集団が消費するすべての資源を生産し、その集団から発生する二酸化炭素を吸収するために必要な生態学的資本を測定したもの」である。1980年代以降、日本はその需要を満たすために、おもに海外の生物生産力に依存したため、エロジカル・フットプリントは増加傾向にある。現在、日本の食生活を支える生物生産力は海外に75%依存していて、これは食糧確保という観点からは、脆弱な状況にあると言える。また、世界中の人々が日本と同様の食生活をした場合、エコロジカル・フットプリントが示す地球の資源は、地球1.64個分になる。これは、地球1個ではまかなえないということで、決してサステイナブルではない。極めて単純で乱暴な計算をすれば、現状の日本人の食生活から生じるエコロジカル・フットプリントを地球規模に落とし込むためだけでも7800万人程度まで、規模としての人口を減少しなくてはならない。現在、人類が直面している深刻な課題はその人口爆発であり、それがもたらす持続可能ではない多大なる環境負荷であるということだ。
 したがって、エコロジカル・フットプリント的に考えれば、日本人は多すぎるのだ。これが7800万人ぐらいになれば、また増加し始めるであろう。増加しなくても、少なくとも減少のトレンドは留まるであろう。
 地球という有限の資源で生き延びていかなくてならない人類は、これまでのようにやみくもに成長することができない壁にぶつかっている。この人類史上の大きな岐路に、どのように対応していくのかで、人類が生き延びられるのか滅びるのかが決まるのではないかと思われる。現在、日本人が減少しているというのは、そういう意味で私は賢明なのではないかとさえ考えている。
 あと、日本人は絶滅種という設問に関して、何をもってして日本人なのかということが極めて曖昧である。日本という国に住んでいれば日本人なのか。それとも日本人の親を持っていれば日本人なのか。日本語をしゃべれば日本人なのか。そもそも、日本人という概念が相当、曖昧である。これが、ホピ・インディアンとかだと、ホピ文化を次代に継承させていくことが重要なことであると分かる。そのように考えると、日本文化と日本語を次代に継承させていくことが何よりも重要であり、その継承者は別に日本人でなくてもいいのではないかと思ったりする。ドナルド・キーンが、日本文化と日本語を次代に継承させるうえで果たした役割は、そこらへんの「日本人」とは比べものにならないほど大きい。
 まあ、いろいろと考えさせられることが多いシンガポールの国営テレビの取材であった。

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