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日本人がワインを有り難がるのは、恥ずかしく悲しく、そして馬鹿げている [グローバルな問題]

世田谷区等々力7丁目にある紀伊國屋を訪れる。紀伊國屋は業態としては、ただのスーパーマーケットであるが、セレクトショップのような高級食材が集められていて、まさに「金に糸目をつけない」人のためのスーパーといった店である。さて、この紀伊國屋にはワインが大量に陳列されている。物によっては7万円のボトルのワインも置いていたりする。ふえーっ、こんなの買う人いるのか、と驚く。一方で日本酒はどのようなものが置いてあるかをチェックすると、八海山、鬼ごろしなど極めて凡庸。獺祭、十四代、ロ万、飛露喜、三重錦、亀泉、鍋島、刈木・・・ちょっとこちらが買いたい気分になるような銘柄はまったく置いていなかった。そもそも、陳列スペースがワインの10分の1どころか20分の1もない。

私はあまり蘊蓄を述べるほどの知識もないし、大した味覚を持っている訳ではない。ただし、そのような私でも分かることは、日本酒は相当美味い酒であるということだ。日本で飲むという条件においては、ワインより遙かに美味しいと思う。しかも、日本で飲むのであればコストも安い。何が悲しくて、紀伊國屋のようなスーパーで7万円のワインを購入しなくてはならないのだろう。これがインドであれば、しょうがないかもしれない。まともな酒がないからだ。しかし、ここは日本である。美味しい純米酒を飲めばいいのだ。そうすれば、経済も刺激することになる。私を絶望的な気分にさせるのは、ワインに関してはいろいろと品揃えをしている紀伊國屋が、日本酒に対しては恐ろしく無関心であるということだ。紀伊國屋でお酒を買おうと思ったら、私も日本酒でなくてワインを買ってしまうかもしれない。それほど、日本酒の品揃えが悪いからだ。

憤然とした気持ちで、帰りにこれまた高級スーパーの類のガーデンに寄ったら、ここの日本酒の揃えはさらに悪かった。そしてワインは充実していた。私は、日本の金持ちが、高い金を支払って、何日もかけてフランスとかから運ばれた亜硫酸塩(亜硫酸塩は人体には毒)が入ったワインを有り難がって飲んでいるという光景が滑稽で悲しく思えてしまうのである。ちなみに、日本酒も亜硫酸苑を入れると輸出が容易に出来るそうだが、それは醸造側が強く反対しているそうだ(とはいえ、醸造アルコールを入れるようなことはしているが)。ということで、もっと日本人は日本酒を飲むべきであると強く思ったりするのだ。世界一美味しい酒をつくっている国民が、ワインに走るのは、本当、恥ずかしく悲しく、そして馬鹿げていると思う。

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イギリスの新聞『テレグラフ』に安倍首相はヴォルデモートを復活させるヴォルデモート軍団の一味のようなものだとの記事が掲載される [グローバルな問題]

イギリスの新聞『テレグラフ』に安倍首相はヴォルデモートを蘇らせようとするヴォルデモート軍団のようであるとの記事が掲載される。
http://www.telegraph.co.uk/comment/10546442/Liu-Xiaoming-China-and-Britain-won-the-war-together.html

この記事は中国の駐英大使によるもので、ヴォルデモートに相当する軍備という悪霊が再び蘇り、日本を祟りつつあるようだと書いている。そして、ヴォルデモートが魂を7つのホークラックスに分けたが、靖国神社こそそのホークラックスに相当しており、それを一生懸命、現代において復活させようとする安倍首相は、まさにヴォルデモート軍団の糞魔法使いのようなものだ、と述べている。

そして、靖国神社参拝は、国内事情で片付けられるものでは決してないと強く批判している。

ううむ・・。率直に感想を述べると、中国はなかなか政治的にしたたかで、しっかりしているなと感心した。ハリー・ポッターを比喩に出し、イギリス人だけでなく、世界中が忌み嫌うヴォルデモートを日本の軍国主義、さしずめ安倍首相はベラトリックスのようなヴォルデモートを復活させることを願う軍団の一人という例え。なんか、結構、説得力もあるし、ちょっと比喩としては秀逸である。茶化してはいるが、真剣さも伝わる。この記事を読むと、まず日本人として恥ずかしい、しまったなあ、と思わせられる。なかなか論駁することが難しい。相手を責める文章としては、そうとう優れている。

まあ、こうやった他国から責められるのは、そのような首相が所属する党を選挙で選んだ我々の国民の責任であるのだから致し方ないとはいえ、本当、嫌になっちゃうな。とはいえ、まだ東京都知事選という名誉挽回のチャンスは我々に与えられている。どうにか方向転換しないと。

ちなみに『テレグラフ』は50万部の大新聞であり、これに掲載されたことのインパクトは極めて大きい。

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何で日本のおじいさんは謝ることができないのか [グローバルな問題]

日本のおじいさんは何故か謝ることができない。例えば、スーパーや駅や電車の中とかでちょこっとぶつかってもほとんどの場合、謝ることをしない。私が一方的に謝る。なんで、謝ることができないのだろうか。こういう場合は、どちらが悪い訳ではない。町中で生きていくというのは、いろいろと人と人とが接するということでもある。都市や町は人が集住するからこそ、経済機会が生じ、それで集合体としての豊かさを向上させることで個人も豊かになるというシステムである。しかし、多くの人が集まって暮らすと、いろいろと不要な衝突が生じたりすることもある。例えば、ちょこっとぶつかってしまうということなどである。そういう状況を円滑に処理する手段として、ちょっと謝ればいいのである。お互い、別に悪気があった訳ではない。狭い空間を共有することで生じる、ちょっとした摩擦である。ただ、その摩擦は「すいません」の一言で処理できるようなレベルのものである。私は7年間アメリカに住み、1年間ドイツに住んだのだが、どちらの国でも町中でぶつかったらお互いが「すいません」と挨拶すれば問題にもならない。それは、都市で生活する人の最低限のマナーであり、礼儀であると思う。おばあさんは、そういうことがちゃんと分かっている。若い人もよほど無礼なものを除けば、しっかりと謝ることができる。出来ないのは、男性の高齢者である。これは、前からもすごく気になっていたことなのだが、最近も似たような体験をすることが多いので、ここに記させてもらっているのだが、なんで謝れないんだろう。そこで謝ることで、何か失うとでも思っているのであろうか。そうであったとしたら、随分と矮小な自我である。そもそも、このような最低限のコミュニケーションができない人間が都市で生活するような資格はないであろう。東京も都心部を除けば、ほとんどが農村地帯であり、都市コミュニティではなく農村コミュニティであった。特に私が住んでいる目黒区やすぐ隣の世田谷区などは、農村の中の農村だったので、急激な都市化に未だ対応できていないだけなのかもしれない。そうであったら、ちょっと同情もするが、もう宅地化が進んで50年以上は経つのだから、いい加減、都市のしきたりにも慣れてもらいたい。

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韓国人差別をする人たちの愚かさ [グローバルな問題]

最近、なんか韓国バッシングをするマスメディアが多くて、本当に辟易としている。SAPIOなどだ。こういう差別的な意見を恥ずかしげもなく堂々と主張する糞マスコミが跋扈しているのは、三流国の証拠でもあったりするので残念ではあるが、このような背景を分析することはそれなりに価値があるだろう。

弱者やよそ者を排除しようとするのは、いじめとまったく同じ構造なので、これは国レベルの「いじめ」である。このようないじめに対して、被差別者の痛みが分からない、というか想像できないことは、人として相当、社会的に洗練されていないと思う。韓国人への差別は、同朋としての日本人にも向けられる。まさに原発に被曝して、いきなり「弱者」になってしまった福島の人達に対しての姿勢がそうであり、なんかこの国は根源的に意地悪、というかいじめ体質なのではないかと思って悲しくなる。

ただし、日本が世界的な観点からみても、ジャイアン的にいじめっ子として振る舞えると思うのは大間違いだ。せいぜい、強がってみても「スネ夫」の位置づけ以上にはなれないであろう。

私は小学生時代、アメリカのロスアンジェルスで過ごした。その頃、多くの日本人はアメリカの小学校ではいじめられたと思うが、私もいじめにあった。理由は「日本人」であるというよりかは、「東アジア人」であるためであった。「東アジア人」は、ベトナム戦争の影響もあるが劣等民族として当時のアメリカにおいては捉えられていたと思う。ベトナム戦争の時は、「アジア人は果たして人間か」というのが例えば、一部の地域では真剣に議論されていた(アイオワ州のラジオ番組では、これに関して視聴者による真剣な議論が交わされた)。これは、人間でなければ戦争で殺しても問題がないだろう、という理屈をつくりたかったためで、同じモンゴロイドであるアメリカ・インディアンを動物と同様に殺戮しまくった歴史がある国だけあって、私は心底、アメリカに対して怖い思いを抱いた。怖い思いといえば、それから20年ぐらい経って、私はアメリカの大学院に行くのだが、そこでカンボジア人の同級生が、「絶対、南部の州には行かない」というので、どうしてかと尋ねると、「お前は映画『イージー・ライダー』を観たことがないのか。有色人種は無差別殺人の対象になるのだぞ」と言ったので、私は時代錯誤だ、と笑い返したが、そのような被害者意識を持つ彼の気持ちも分からないでもない。

アメリカ人からすれば中国人、日本人、韓国人の違いなどほとんど分からない。十把一絡げである。我々、日本人がデンマーク人とスウェーデン人とノルウェー人の違いがよく分からないのと同じようなものだ。必然的に、アメリカにおいては、同じ東アジア人と同朋的な気持ちになって、東アジア人とは仲良くなる傾向が強かった。私は、小学校の高学年になってリトル・リーグで野球をするようになって、結構、活躍したこともあり、いじめられる立場からは比較的、人気ものになったので(今、思えば人生において一番、人気者であったかもしれない)、結構、白色人種の友人が増えたが、そのようにならなかった私の友達のアメリカ生まれの中国系アメリカ人は、今でも久しぶり(例えば、私が遊びにロスアンジェルスに行った時など)に集う小学生時代の友達のほとんどがアジア系である。ちなみに、彼はドイツ系アメリカ人のゴージャスな美女と結婚したが、数年後に離婚し、莫大な慰謝料を請求された。今では日系ブラジル人と再婚している。

このような人生を送ったものとしては、なんか日本人が韓国人を苛めたり、対立を深めたりするのは、他国の利益にはなっても、日本人にとっては何もいいことはないと思うのである。私としては、そもそも、この苛めの空気が国中に充満していることが不快このうえない。苛めをすることは本人の人格を大きく貶めるだけでなく、それを許容するコミュニティ・社会を脆弱にさせていく。SAPIOは売れているそうだが、こういう雑誌を買うということが、グローバルな観点からは恥ずかしいし、また賢明でもないということの自覚を促したい。

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タイム誌が紹介する東京観光でするべきこと [グローバルな問題]

タイム誌のウェブサイトで東京に行ったらすべきこと、という記事が掲載されている。
http://content.time.com/time/travel/cityguide/article/0,31489,1897812_1897772_1897705,00.html

ここで書かれているのは「築地市場」、「相撲鑑賞」、「明治神宮」、「代々木公園」、「新宿御苑」、「森ビル」、「渋谷交差点」、「恵比寿の飲み屋街」、「カラオケ」、「大丸での買い物」。これらのリストを見て、まず思ったのは、東京ってこんなにつまらない都市だっけ、というものである。なんか、凄い浅いというか、ここまで歴史がない都市だっけ、という印象をこのリストからは受ける。

そもそも江戸時代的な要素はせいぜい「相撲鑑賞」くらいしかない。この10の観光スポットというか、観光体験で、東京という世界で最大の魅力を理解するのは不可能ではないだろうか。そもそも、なんで「恵比寿の飲み屋街」なの?とも思うし、敢えて「カラオケ」を東京で行く必要もないだろうし、「明治神宮」、「代々木公園」、「新宿御苑」って、そんなに有り難いものではないだろう。すべて明治時代以降につくられた緑地であって、この著者は緑地が好きなのかとも思ったりもするが、私は「代々木公園」に行くのであれば、まだ「後楽園」や「浜離宮」、「六義園」の方がまだ日本的風情があっていいと思う。あと、べたかもしれないが「明治神宮」よりは浅草寺の方が東京らしくていいだろう。少なくとも隅田川のクルーズと浅草をセットとしたコースは、上記の観光スポットの幾つかよりは優れていると思われる。

そもそも「築地市場」は、明らかに過大評価されているような気がする。というか、昨今の築地市場の人気は、他に東京には見るものがない、ということの裏返しなのではないかと思ったりするぐらいだ。そんなに悪くはないが、「築地市場」は結構、分かっていないとその良さを理解できない。適当に行って、そのユニークさなどは日本人でも分かりづらい。

あと「恵比寿の飲み屋街」は何を具体的にイメージしているのかは分かりにくいが、下北沢や三軒茶屋、高円寺、吉祥寺、四ッ谷荒木町、新橋、神田といった飲み屋街の方がずっと楽しいのではないかと思われる。まあ、別に外国人にこのような飲み屋街を荒らされるよりはいいかもしれないが、ちょっと勉強不足なのではないかと思ったりもする。

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アメリカのことを悪く言う若者と話をして、逆にアメリカのいい点を思い出す [グローバルな問題]

スウェーデンの若者の投票率は80%近く。それに比べて日本は30%にも満たないぐらいだ。この違いは何なのか、ということでスウェーデンに留学をしていた若者を招いてトーク・セッションを行った。そこで、セカンド・チャンスの話が出たので、私もアメリカのようにホームレスでも頑張れば大学院に行けるようなセカンド・チャンスの機会を社会が設けた方がいいかもしれない、といった発言をした。この私の発言を聞いた、このスウェーデンに留学をしていた若者は、「アメリカのような格差社会はけしからん。あなたが言うことは60年代のアメリカで今のアメリカではない」と凄い勢いで息巻いた。私は60年代生まれなので、私の知っているホームレスが大学院にいった事例(私は直接、この元ホームレスの女性と話をしている)は90年代後半の話だ。そんなに昔ではない。私は、ちょっとこの若者のアメリカに対しての極めて偏った考えと、その考えを堂々と主張する厚顔無恥さに鼻白む思いをしたのだが、このようなアメリカへの偏見というのは、日本人でもある層には比較的広まっているのではないかとも考えたりもした。

アメリカは弱肉強食の厳しい世界であり、その弊害はとても多いと思う。しかし、一方で、公平ではないとの指摘もあるが、公平な側面もある。少なくとも、敗者には厳しいという点は確かにあるが、勝者に対しては、日本なんかよりもはるかに公平だ。また、機会の不平等という側面も指摘されるが、才能のある者に対しては、日本よりもはるかに理解と支援がある。まあ、それはそれで問題がないとは思わないが、あともう一つの利点は、セカンド・チャンスの機会がたくさん与えられるということだ。すなわち、敗者復活戦がしやすいのだ。これは、私のアメリカでの大学院での指導教官であった半分イタリア系のアメリカ人の先生も、「イタリアをはじめとしたヨーロッパ諸国に比べて、アメリカが優れた点」として評価しており、私もそうだなと納得しているアメリカの利点だ。私自身、アメリカの大学院に行ったからこそ、今の自分がいる。大学の教員の職を得て、研究稼業をしていられるのも、アメリカの大学院が、私にセカンド・チャンスを与えてくれたからであって、日本の大学院に進学しようとしたら、今のような生活が出来ていたか、極めて心許ない。少なくとも、アメリカの大学院のカリキュラムは、私のちっぽけかもしれないが、才能を拡張させる機会を提供してくれた。私は日本の大学時代は、東京大学という世間の評判のよい大学に行ったにも関わらず、ほとんど自分の能力を高めるような機会を自らのものとすることはできず、ほとんど落ちこぼれのような状態で社会に出た。社会に出た後、これでは不味い、と思って、どうにか這い上がろうと考えたが、日本の社会のフレームワークでは極めて厳しそうだったので、アメリカに助けを求めたら、救ってもらったようなところがある。

小学校と中学校の一部もアメリカで現地校に通っていたが、日本の窮屈な制度(これは学校だけでなく、同級生といったコミュニティも含めてそうである)には本当に辟易としており、今でも日本に帰国せずに、アメリカの中学校にそのまま通っていれば人生、もっと充実していただろうにな、と思うところがあるぐらいだ。そういう経験をした自分からすると、例えば、マイカル・ムアーの映画が指摘するようなアメリカの社会の悪い側面ばかりを取り上げて、アメリカはろくでもない国だと人の意見もろくに理解しようとせずに一刀両断する若者の視野の狭さは、もったいないなと思ったりする。

私もアメリカはおそらく人類を滅ぼすことになるだろうな、と悲観的に思ったりもするが、この人の才能とか人の可能性を評価しようとする姿勢は、日本やヨーロッパよりもむしろ優れている側面であると考えたりもする。少なくとも、大学においては、個人レベルではともかく、組織レベルでは、日本よりは優れていると思う。そして、この若者との対話で、私は、いろいろとアメリカのことを悪く言う側面もあるが、アメリカに救われ、アメリカのおかげで多少は自己実現をする機会を与えられていたことに気がついた。まあ、アメリカにもいろいろと悪い面も多いが、すべてが悪いという訳ではない。
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フランス人はやはり食文化に関しては、文化度は高いかもしれない [グローバルな問題]

ユルカフェというコミュニティ・カフェを学生と運営しているのだが、夕方からはそこでおでんを出している。そこで、私が担当している留学生の講義を受講している留学生をそこに連れ出した。中国人(香港人)、アメリカ人(アフリカ系アメリカ人でサンディエゴ育ち)、フィリピン人、フランス人である。おでんを食べろ、と勧めたが、それに応じたのは、フランス人の女子学生だけであった。他の学生は、「いい」「結構」「お腹が一杯」とかいって、おでんに怖じ気づいて食べもしない。フランス人の女子学生は、ちょっと変わった食べ物だと思いつつも、好奇心が勝って食べていく。大根とかちくわとかだ。そして、「うん、これは美味しい」と感想を述べる。他の学生は、全員、男子学生であったこともあるが、この感想を聞いても、なお食べようとしない。なんて駄目な奴らだ。成績を下げたいくらいだ。

まあ、この事実をもってしてだが、私はフランス人はやはり食文化に関しては、文化度は高いのかもしれないな、と感心もした。いや、女性が男性に比べてそうなのかもしれない。まあ、どちらにしろ、私のフランス人評価は、彼女を知ったことで最近、非常に高くなっているのである。この学生は、私の講義も真剣なまなざしで聞いて、一生懸命、メモを取ったりする。こんな学生は日本のうちの学生では皆無だ。私は、この彼女の姿勢が、結構、嬉しかったりする。教師というのは、こういう歓びを感じるポテンシャルを有しているのか、ということをこの学生を通じて思ったりさえするのだ。日本人相手の講義だと、本当に、私の話に関心を持たない学生ばかりなので。

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(写真は我々が出しているおでんの糸こんにゃく)
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スターバックスの珈琲が不味い理由 [グローバルな問題]

 スターバックスの珈琲は前から不味いと思っていた。私は珈琲中毒に近いほど、珈琲を飲む人間だ。医者には一日一杯くらいならいいかな、と言われているのだが、一日500ミリリットルはまず飲む。4杯分くらいか。大概、珈琲豆の店が焙煎してくれた豆を買って、自分で豆を挽いて飲むのだが、外出中は珈琲屋で飲む。時間があれば喫茶店に入るが、そうもいかない場合が多いので、そのような時はスターバックスではなくてドトールコーヒー店に入る。これは、ドトールコーヒーが美味しいからというのが理由ではなくて、スターバックスよりは美味しい、という消極的な理由による。スターバックスに入るのは、高速道路で移動している時のサービス・エリアぐらいである。これは、さすがにスターバックスの珈琲の方が、自販機の珈琲よりは美味いからである。
 さて、しかし、なぜ不味いのかは分からなかった。スターバックスでも、しっかりと豆を挽いている。新鮮である筈なのになぜ、と思っていたのだが、その理由が判明した。それは、スターバックスのコーヒー豆は、すべて本社のあるシアトルで焙煎しているからだ。したがって、我々が日本で口にするコーヒーはすべて焙煎されてから数ヶ月以上も経ったコーヒー豆を挽いたものなのだ。それは美味しい訳がない。特に、私のように二週間に一度くらい、珈琲豆店に焙煎されたばかりの豆を買いに行っているものにとっては、まったく別物の味がするのは当然だ。私が買う珈琲豆はとてもいい香りがする。スタバの珈琲豆は全然、香りがしない。そりゃあ、する訳ないよね。なぜ、スターバックスの珈琲が不味いかがよく分かって、すっきりした気分だ。だから、スターバックスで珈琲豆を好んで買う人は、よほど味音痴なのか、本当の美味しい珈琲を知らないかのどちらかである。

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日本の外務省がワインを買い漁っていることに関して考察した [グローバルな問題]

 ちょっと前の話になるが、2009年度末時点での、海外における日本の51の在外公館等では保管されているワインは、年間消費量の30倍にあたる約8000本もの数に及ぶ、ということが会計検査院の調べで分かった。
 昔の話で恐縮だが、私は、なんで日本の在外公館でこんなにワインをコレクションするのかが不思議でならない。保管するワインの膨大な量にも呆れるが、それよりも海外にいるとしても、日本人なんだからワインではなくて日本酒を保管していろよな、と強く思う。たとえば、フランスの在外公館等で日本酒を大量に保管していることを知ったら、我々は強烈な違和感を覚えるであろう。フランスの在外公館は基本的にフランスのワインを大量に保管していると思われるのである。それと同様に、日本の在外公館であれば日本の日本酒をしっかりと保管し、来客があればそれを振る舞ってもらいたいと強く思う。元はといえば、私も支払っている税金を原資としているのであるから、ワインなどではなく、日本の経済にも貢献する日本酒を買うべきであろう。
 日本酒というワインと同等かそれ以上の酒文化を有している国民を代表する在外公館の人々が、ワインを有り難がって飲んでいるというのは、ほとんど物まねジョージではないが、イエロー・モンキーそのもので情けない。自国の文化にしっかりと自信を持てない、もしくは自国の文化をしっかりと相対的に評価する能力も持っていない人達が、在外公館で働いて外交をしているかと思うと、心底情けない気分になってしまう。そういうことをしているから、海外から日本人はバカにされるのである。

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日本へ来る留学生が激減している [グローバルな問題]

 日本へ来る留学生が激減している。これは、福島第一原発の事故が起きてからだ。最近では、徐々に増えつつあるが、それでも「日本=危険」というイメージは払拭し難い。例えば、韓国のある大学の話であるが、原発事故前であれば50人前後いた日本への留学生は、事故が起きてからほとんどゼロ、そして現在でも4名程度しかいないそうだ。もちろん、原発の事故だけが原因ではないだろう。最近の嫌韓報道は、日本人の私でさえ不快になるのだから、当の韓国人であったらたまらないものがあるだろう。私はアメリカの小学校に通っていて、日本人だからという理由だけでイジメを受けた経験があるので、このような民族とかをターゲットにした報道が、公のメディアでされることは、ほとんど理解できないし、そういうことが起きている日本の三流国ぶりに辟易しているので(そのくせ、グローバル化に対応しないといけないなどと騒いでいるのだから呆れてしまう)、留学生に来て欲しいといいつつも、本当に来る価値がある国であるかは自信が持てなかったりもする。
 ちょっと、外に出れば、日本のおかれている国際的状況がいかに不味いものであるかが分かる。オリンピックを招致できたからといって、日本が安全であると認められたわけではない(実際、安全ではないし)。風評被害などと言っている暇があれば、しっかりと事故を反省し、それを二度と繰り返さないような国づくりを模索するべきであろう。原発推進を姑息に考えているようでは、信頼されることは遠のくばかりであるし、いい加減、アメリカのいいなりばかりにならないで、日本の国益を中心に政策を考えるべきではないのか。アメリカは日本政府に原発推進やら秘密保護などを押しつけるが、それを日本政府が実践することを非難するのもアメリカのマスメディアである。両方を満足することが出来ないのであれば、日本の国益を中心に将来を考えるべきであろう。

タグ:留学生
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韓国の大学を訪れ、日本の大学より遙かに進んでいることを知り、凹む [グローバルな問題]

ソウルにある明学の協定校である3大学を訪れる。スンシル大学、ソウル市立大学、そしてヨンセイ大学だ。これらの大学で驚かせられたのは、施設が非常に立派であるということだ。特に図書館、IT関係、グローバル対応などが進んでいる。私が奉職する明治学院大学を上回っているだけでなく、私が知っているほとんどの大学より優れている。少なくとも、早稲田大学よりはずっといい。下手をしたら、東京大学よりもヨンセイ大学の方が優れているかもしれない。少なくとも、風水を活かしたキャンパス・デザインという点ではヨンセイ大学の方が上だ。ということで、今回の訪問で私は随分と凹んでしまった。こんなに、基本的な施設面等で明白な差があるのはショックだ。日本人はへんなコンプレックスで韓国は日本より遅れていると捉える傾向があるが、都市デザインと大学の施設やプログラムに関しては、韓国の方が日本より進んでいることは間違いない。この二つは私と深く関係している分野であり、私からすれば、韓国はまさに先進国なのだ。なんか切ない気分にさせられる。
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機内食のエコノミーの麺ものはどうにかならないのか [グローバルな問題]

 校務で韓国に向かう。羽田空港利用なのでとても便利だ。キャリアーは全日空で嬉しさは増す。さて、しかし、機内食で気になることがある。これは以前からもずっと気になっていることなのだ。それは、機内食のそばである。このエコノミーの機内食にそばや麺ものを出すのは、私が小学生に初めて国際線に乗った時から出されているので、もはや伝統なのかもしれないが、これは有り難くない。
 まず、つゆの問題だ。麺つゆは、飛び散る。今日のように、校務なので背広を着ていたりすると、その飛び散った麺つゆが背広についてしまわないか心配だ。これは、日本人で食べ慣れている私でもそうだから、外国人にとっては、それを上手に食べるのは至難の業であろう。また、うまく食べようとすると啜らなくてはならないが、この啜るというのがエチケット違反の欧米人にとっては、これは出来ない。ということで、大変、苦労するか食べることを放棄するしかない。なんで、こんなものを出すのか。しかも、食べ終わった後、つゆが残る。これは、片付けるキャリア・アデンダントにとっても仕事を必要以上に難しくするし、飛行機のようにいつ揺れるか分からない乗り物にとってはなおさらである。
 さらに、そこまでの難儀を乗客、そして乗務員に負わせてまで食べさせるほど美味しくない。当たり前だが、麺は伸びきっているし、ただのでんぷんの塊のような代物だ。しかし、ここまで長い間、ロングランで提供されているというのは人々の支持があるからだろう。最近、私が評価しないものが、世間ではすこぶる支持を受けている事例が多い。自民党が最たるものであるが、最近、もしかしたら私が恐ろしくマイノリティなのではないかと心配してしまうぐらいである。本も売れていないしなあ。

タグ:機内食
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アメリカの大学の授業料の高さを考える [グローバルな問題]

アメリカのカリフォルニアにある私立大学の先生の訪問を受ける。いろいろと話をしたのだが、先方は日本の大学生は海外への留学希望者が減っているので、日本政府もアメリカの大学の授業料を補填できるよう補助金を考えているらしい。この話に乗っかって、私が所属している大学から、自分の大学に留学するプログラムをつくることを考えないか、という話であった。こちらは、有り難い話ですが、うちの大学は留学希望者がむしろ年々増加しているので、と丁重にお断りした。実際、うちの大学では留学希望者が年々、増えている。オープン・キャンパスでも留学に関する説明会では立ち見がでるほどだ。そして、うちの大学のアメリカの協定校のリストを見てもらったら、先方の大学の先生は度肝を抜かれていた。

おそらく、明学のレベルを随分と低くみていたのであろう。アメリカの留学協定校先は、カリフォルニア大学バークレイ校、ロスアンジェルス校をはじめとして、ロチェスター大学、テキサス大学、ケンタッキー大学、ホープ・カレッジなど、すべての大学が先方の大学より格上であったからだ。さらにヨーロッパに目を転じれば、マーストリヒト大学、ハンブルク大学、エックス・プロバンス大学、オックスフォード大学、アジアはヨンセイ大学、東呉大学、フィリピン大学など、本当、なぜ明学の認定留学先がこんなに高いのか、と説明している自分もたまに不思議になるほどのエリート校だ。それほど、明学の協定留学システムは秀でている。おそらく、偏差値換算すれば日本一であろう(これは、うちの偏差値が高くないこととも関係する)。

さて、しかし、私が書きたいことは、そういうことではなく、先方の大学の授業料の高さである。なんと年間31000ドルである。これは、ざっと計算すると300万円弱ぐらいだ。州立のケンタッキー大学も24000ドルぐらいであったから、まあ不思議ではない数字だが、この高さ、ちょっと尋常ではない。これじゃあ留学したくてもできない。ちなみに、明学の留学制度は協定校先であれば1年間いっても、相手先の大学ではなく明学の授業料で行くことが出来る。すなわち100万円ちょっとだ。これは大変お得である。とはいえ、アメリカの大学はこの価格差を面白くないと思っているらしく、ちょっと経営上問題があるといって、この制度をなくす可能性もあるかもしれない。そうされる可能性はあるが、実際、アメリカに留学した人間に言わせると300万円も払うほどの価値のある授業はアメリカの大学は提供していないと断言できる。まあ、私が行った時は州立ではあったが、大学院で留学生価格でも120万円であった。大学院で120万円であるならともかくとして、300万円の価値があると思うのは、傲慢甚だしい。

実際、アメリカから明学に来ている留学生は、私のような学生と親しくなれるスタイルの講義や先生は、アメリカにはいなく素晴らしい、日本の学生が羨ましい、と言ってくれるものもいる。私も実際、そう思う。この日本的なゼミの徒弟制度のようなスタイルは、アメリカのビジネス・ライクな大学では提供できないものだ。ただ、こういうのは実際、経験しないと分からないことでもある。私の同僚の多くも、私がどのような講義をやっているのかは、北朝鮮の大学の先生が何をしているのかが分からないほど分かっていないであろう。ちょっと話が横道にそれたが、何が言いたいかというと、アメリカの大学の授業料の高さが尋常に高く、しかし、その価値には見合っていないということだ。先日、デンマークのコペンハーゲン大学の学生が私のところに来たが、コペンハーゲン大学は国立ではあるが、授業料が無料なだけでなく、勉強をしているということで、日本円で毎月10万円ほどが奨学金として与えられるそうである。

教育というのは国の投資である。教育された国民は、その国の財産である。アメリカとデンマークという国のこの考え方の違いに多いに驚くと同時に、日本がアメリカを模倣することの愚かさに改めて気づく。教育と医療を民営化させようとするアメリカという国が、どこに向かっているのか。その展望される未来が明るいものである訳がないと思うのは、私だけではあるまい。



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デンマーク人は豆大福が苦手? [グローバルな問題]

デンマークのコペンハーゲン大学の学生達が明治学院大学を訪れる。私はゼミ生数名の力を借りて、キャンパスのツアーと周辺地区のツアーに引率した。明治学院大学の白金キャンパスはなかなかよい。本館は世田谷美術館や高岡市美術館、大分市美術館などを設計した内井昭蔵である。内井氏の亡くなる直前に仕上げられた作品の一つで、私は相当、気に入っている。一部の教員には不評を買っているが、私は、これは本当に「豚に真珠」だなと思っている。さらに、白金キャンパスには3つの歴史建築物がある。国の重要文化財であるインブリー館、東京都港区有形文化財の明治学院記念館、同文化財の明治学院チャペルである。チャペルはヴォーリズの作品だ。チャペルとインブリー館は中に入れなかったが、これらを説明するときは、ちょっと自慢気になってしまう。明学で働いていてよかったと思ったりする。なんか、どこかの予備校コンサルタントが、うちの大学の執行部に「最近では東洋大学がライバルとして意識されています」などの妄言を言ったらしいが、これらの歴史建築物がある限り、東洋大学とは常に一線を画せると私は思っている。

それはさておき、これら明治学院大学のキャンパスをみてもらった後、街に出る。まずは、昭和8年(1933年)につくられた高輪消防署。アールデコのなかなかオシャレな建物で、なかだえりさんの「東京散歩」でも紹介されている。ノーアポ訪問であったが、中を見せてもらう。江戸時代の防火具などもあって、面白い。その後、とことこと旧東海道を歩き、寂れた商店街の様子をみてもらった後、高輪の魚らん寺などのお寺をみてもらい、我々ゼミが魚らん商店会から貸してもらっているスペースにいって、ディスカッションをする。ディスカッションの内容は、「アベノミクスは将来を捨てて、現在の豊かさを維持する無謀な策だと思うがどう考える」とか、「東京オリンピックで公共投資が東京に集中することの弊害は」とか、「これだけ財政赤字が続いて、今後どう解決すればいいのか」など結構、難しい質問がきて、ちょっとたじたじだ。私は、そんなことが分かれば、私は政府で働いていると思うよ、などと言って逃げていた。さて、このディスカッションの最中に、我々はデザートとして、高輪の松島屋の豆大福を用意していた。もう、東京的なヒット商品であり、お昼前には売り切れてしまうという絶品である。私もここの豆大福は世界で一番美味しいと思う。昭和天皇も大好物であるという逸話もあながち嘘ではないと思わせる美味さだ。この豆大福を人数分予約して、豪勢に振る舞った。私は、多くのデンマークの学生が、「こんな美味しいものはデンマークにはない、さすが日本」という反応を無邪気にも期待していた。しかし、実際は、一口、二口食べると、もういらないという感じで残した。30人ほど訪れたのだが、彼らが去った後には、松島屋の素晴らしくも美味しい豆大福の食べ残しが、無残にも置かれていた。この光景は、ある意味でちょっと想像できない。

ということで、デンマーク人に美味しい豆大福は、まさに「豚に真珠」ということが分かった。ある意味で、勉強にはなったが、ちょっと残念な気分だ。まあ、豆大福が食べられたら、外国人もちょっと日本通と評価してあげてもいいかもしれない。

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ヘルシンキ空港のセキュリティで紛失した腕時計が無事、日本に送り届けられた [グローバルな問題]

ロンドンに行く途中、ハブ空港として利用したヘルシンキ空港のセキュリティで腕時計を取り忘れた。ロンドンのホテルで腕時計がないことに気づき、これはヘルシンキ空港に違いないと考えた。ヘルシンキまでは日本航空に乗ったので、日本にいる家内にお願いして日本航空に問い合わせてもらったのだが、ヘルシンキ空港だとどうにもならないとのことなので、しょうがないので自分でヘルシンキ空港の紛失物取扱所に電話をかける。幸い、電話をとってくれた担当者は訛りはきついが比較的、英語ができた。帰りの便でもヘルシンキ空港を使うので、その時、受け取りたいと言うと、紛失物取扱所は一度、空港を出ないと駄目なことを知った。空港での乗り換え時間は2時間。ヒースロー発の飛行機であることもあり、この2時間だと、空港で再びチェックインするのは乗り遅れる可能性が大だ。私はその翌日にすみだ・ジャズ・ストリート・フェスティバルに出演しなくてはならないので、そんなリスクを取ることはできない。日本航空の誰かに渡して欲しいとお願いすると、本人でないと渡せないと言われる。そりゃあ、そうだ。それなら、日本に送ってくれるか、というとクレジット・カードの番号を教えてくれればいいよ、と言われる。後ろのセキュリティ番号も教えてくれ、と言われて相当、躊躇するが、フィンランド人だから大丈夫かと思い、思わず伝えてしまう。これが、オレオレ詐欺だったら大変だ。さて、しかし、次に送り先の住所を伝えるところになって、これは電話で相手に通じるのはほとんど不可能であることに気づく。これは、私のような経験をしたことがある人なら誰でもそう思うであろう。そもそも、住所が街路ではなくて、街区で表される国などほとんどなく、また、その住所の表記の順番も小さい場所から大きな場所へと表現されていくのに日本では逆だ。ちなみに、このような表記をするヨーロッパの国はハンガリーが例外的にはある。まあ、どちらにしろ、ネイティブでも危ないのに、英語が母国語でなくて、日本語の住所表記をしっかりと伝えることは不可能に近いと考え、住所はメイルで送るのでメイル・アドレスを教えてくれと伝える。ちなみに、メイル・アドレスを正確に伝えるのは日本人同士でも結構、大変なのであるが、住所よりは大丈夫であるし、聞くのは自分だ。二回ほど確認させてもらい、また相手のお名前を聞かせてもらって(これはクレジット・カードを使われた時のため)、電話を切る。

さて、その後、メイルを送ると、すぐに返事が書かれてくる。この返事では、送って欲しいならクレジット・カードの番号を教えるか、または、指定された銀行口座にお金を振り込み、その振り込み証書をファックスかメイルで送れ、と書かれている。流石にクレジット・カードの番号と裏のセキュリティ番号までもメイルで送るのは危なすぎるので、帰国してから指定された銀行口座に振り込み、その証書をスキャンしたものをメイルで送ったら、本当、3日目ぐらいに自宅に時計が送られてきたのである。この対応に、私はフィンランドという国の強みを垣間見たような気がした。ちなみに、振り込んだ送付料と手続き料は64ユーロくらい。さらに郵便局で外貨送金をしたのだが、その手数料が2500円で合わせて1万円ちょっとであった。

私の時計はそれほど高くはないので、ちょっと1万円ちょっとは痛いが、それでも1万円以上はするので、戻ってきて本当よかった。というか、金銭的な損得ではなく、このように失ったものを取り返すことができたことで嬉しく思ったのである。
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ロンドンの地下鉄での乗客の振るまいは、日本に劣らず下品であえる [グローバルな問題]

 ロンドンの地下鉄に乗って、ふと周りの乗客を眺めると、結構スマートフォンに見入っているものが多くて日本とほとんど変わらないことに気づく。しかし、ちょっと違うかなと思うのは、ギャルとか若い女子高生とかではなく、いかにもキャリア・ウーマンのような洋服もピシッと決めているような見目麗しいような女性が、平気で化粧をして、マスカラとかを車内でつけていることである。口を開けて手鏡を観ている彼女は、いくら美人であっても、ちょっと、そのお行儀の悪さは顰蹙ものである。日本人よりも下品だな、何が紳士淑女の国だと思って、横を見ると、横山やすしのような風貌の若い女性と、ドラえもんのような体型の女性がケタケタと笑っている。別にケタケタと笑っているのはいいのだが、そのうち、キスとかをし始めた。それも唇を合わせている。流石に、これはちょっと見たくないであろう。そもそも、異性同士であっても、車内という公共的空間でいちゃつくのはお行儀が悪い。それが同性同士であると、そのような不愉快さにプラスアルファがつくと思うのは私だけではわるまい。いや、私は別に同性愛に関しては、鷹揚な考えの持ち主である。ただ、いちゃつくのは場所をわきまえて欲しいと思うだけだ。こういうのは、いわゆるホモのカップルでは見たことがないので、彼女達は結構、いい気になっているのではないか、と思われる。このいい気な気持ちが私を不愉快にさせるのである。
 まあ、日本の近頃の若い者は公共エチケットがなっていない、との批判をよく聞くし、私もそれは問題であるなと思ったりもするし、ロンドンの地下鉄はさらに公共エチケットを無視しまくっているとの印象を受けた。

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ハードロック・カフェ商法について考える [グローバルな問題]

ダブリンでの土産を何か買おうかな、と思ってハードロック・カフェに入る。ハードロック・カフェは基本的にはチェーン・レストランであり、私はそこで食事をする気はまったく起きないのだが、お土産には惹かれる時がある。といってもハードロック・カフェのお土産というのは、ほとんど同じデザインのTシャツなどの服を、その店のある都市名だけ替えるといったいい加減なものであり、まさにそれが売っているものは記号にしか過ぎないのであるが、その記号が価値を有するとわたしが思ってしまう時があるのだ。例えば、ロンドンやニューヨーク、ロスアンジェルスなどではまったく買いたくもないのだが、セント・ジョージ島であったり、今回のダブリンであったりすると、ちょっと買ってしまいたいと思うのだ。それは、おそらくそういうあまり人が来ないところに行ったというのを見せびらかせたいという、超せこい気持ちがあるからだと思われるのだ。この超せこい気持ちこそが、ハードロック・カフェの需要であると思われる。

さて、こんなハードロック・カフェはどうやってつくられたのかというと、1971年にアメリカ人がロンドンに開店したものが第一号店である。その後、53ヶ国175店舗まで拡張した。日本にも六本木には随分と昔からある。私が大学時代に既に開店しており、訪れたことを覚えている。興味深いのは、2007年、フロリダ州のセミノール・インディアンが購入したということだ。何が、セミノール・インディアンの関心を惹いたのだろうか。ちょっと興味を惹かれる。

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イギリスは改めて考えると、随分とちっぽけな国である [グローバルな問題]

イギリスは凄い国だ。なにしろ、彼らが使っている、まったく文法的にも出鱈目な言語が世界共通語として利用されている。イギリス国内でさえも、スコットランドの人達は英語かどうかが分からないような言葉をしゃべっているほど方言がきついという地域性があるにも関わらず、世界中の人にしゃべらせようとしてほぼ成功している。他にも、メートル法という素晴らしい人類の発明があるにも関わらず、相変わらず、ポンドやらパイントやらストーンやらフィートやら、もう子供のままごとレベルのような単位を頑なに使い通している。想像を絶した頑固さである。影響力が強いのは英語だけではない。ロック音楽をここまでポピュラーにしたのはイギリス人だし、よく考えれば銀行制度、保険制度といった金融システムはもちろんのこと、蒸気機関や鉄道を発明したのもイギリス人だ。イギリス人が存在しなかったら、人類の歴史もだいぶ、変わったものになったであろう。

さて、そのような偉大な国というイメージが強いイギリスであるが、実は、ちっぽけな国である。国土はスコットランドやウェールズを含んだいわゆるユナイテッド・キングダム(名前はめちゃくちゃ大袈裟だなあ)でも日本の3分の2にしか満たない。「小さい日本、そんなに急いでどこに行く」は名コピーであったが、イギリスはもっと狭い。スコットランドの首都エジンバラでさえイングランドの首都のロンドンから4時間で着いてしまうほどだ。スコットランドやウェールズを除いたイングランドの国土は、もう日本の3分の1ぐらいしかないほど小さい。3分の1といったら、相当な小ささである。人口もほぼ日本の2分の1。ということで、もう小国なのである。これは、イギリスを移動すると本当に実感する。あっという間に、他都市へたどり着いてしまうからである。山だって、スコットランドに1300メートル級があるだけで、イングランドには1000メートルを越す山はないからな。英語が母国語であるという強みはあるし、その創造性は侮れないが、逆に、大国であるという意識を持つ必要もないのではないかと思う。その方が、イギリスという国をしっかりと分析して捉えることができると思うのだ。

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イギリスの列車でうるさい子供にじっと堪えるイギリス人 [グローバルな問題]

ロンドンのキングス・クロス駅を正午に経つイースト・コースト号に乗ってニューキャッスルへと向かう。ニューキャッスルは通ったことがあるが、街で降りるのは初めてである。さて、この列車はなんとディーゼル車であった。ちょっと驚きである。線路は電化されているので、電化されている区間だけでも電車で運行すればいいのだが、ここらへんはどうなっているのだろう。ちょっと不思議だ。チケット代はオフ・ピーク・スペシャルのエニタイムで121ユーロ。往復でもほとんど割引はない。オフ・ピーク・スペシャルだとほぼ2割引。これは出発時間によって規定され、9時ちょっと過ぎから15時前ぐらいまでにロンドンを出発すれば大丈夫のようである。

さて、列車は定刻通り出発し、15分だけなら無料のインターネットも整備されており、なかなか快適だ。とはいえ、ドイツのICEの二等車と比べてもアメニティなどは随分と落ちるが、それでも悪くはない。しかし、後ろのムスリム系の男の子たちが絶えず、奇声をあげているのがとても迷惑である。私も子供がいるので、基本的には子供のこのようにはしゃぐのは親に同情することはあっても非難するような気持ちには滅多にならないのだが、流石に今回は声の大きさなどから酷いものがある。しかし、母親は全然、躾をしない。これは文化の違いなのかもしれないが、本当に迷惑だ。されに興味深いのは、周囲の反応で、皆、我慢している。ドイツであったら絶対、誰かが注意をしているであろう。じっと嫌な顔をしつつも、周囲は我慢している。これは、どういう文化なのだろうか。私が一番、最初に注意をしそうな予感がする。それも何か。イギリス的にはKYかもしれないとも考え、飛行機で寝られるように持参しているが、ほとんど使ってない耳栓をした。少しは、状況はよくなったが、それにしても、なんでみんな我慢をしているのであろうか。不思議である。

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海外の人々と原発絡みの話をしていると、本当、日本という国は不可解であるなと思う [グローバルな問題]

ダブリンでの学会でのドイツ人との会話。「日本の原発政策はどうなっているの?」「おそらく参院選でも原発推進の政党が勝つから、また原発は増えてくと思うけど」「それは残念ね。しかし、あなた達のおかげで、ドイツはようやく脱原発を進めることができるようになったわ。有り難う」・・・うん?。なんか御礼を言われても全然、嬉しくない。というか、原発事故を起こした日本は、他国が他山の石として、その政策の誤りに気づいているのに、何で自分は分からないのかが不思議。ちょっと、福島県の原発周辺の自治体に行けば、いかに状況が深刻であるかが分かるというものだ。

学会では、またスローフードやら地産地消で地域を活性化する話題が出たが、その方法論は日本の地方活性化に有効ではないかというイギリス人に、「いや、それは少なくとも、福島周辺では通用しない。そもそも、マーケティングとして使えない」と言ったら、はっと気づいて落胆していた。本当、原発の事故さえ起きなければ、いろいろと地域を活性化させる術などたくさんあるのに、原発という安易な方法を選び、他力依存してしまい、このような被害が生じてしまったことを目の当たりにしたら、補助金がなくては地域経済がまわらないので原発再稼働という主張などとても出来る訳はないと思うのだが、原発再稼働を訴えている玄海町などは何を考えているのだろう。少なくとも、日本でいるときはどうでもいいとも思えるのだが、海外の人々と話していると、本当、日本という国は不可解であるなと思う。日本人の私でさえそう思うのだから、外国人からすれば尚更であろう。少なくとも、民主主義国家ではないことだけは確かだ。

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ダブリンに来てつくづく感じるのは、その都市の徹底的な貧しさであ [グローバルな問題]

ダブリンを初めて訪れる。これまでアイルランドには2回、訪れたことがある。2回とも仕事で、顧客と一緒だったので、あまり自由も効かなかったのでダブリンに訪れることができなかったのである。一回目は、1997年頃でリムリックに訪れた。シャノン・サイエンス・パークに取材をしにいくという仕事であった。二泊だけで、あっという間にアイルランドを発ってしまった。カレーをランチでご馳走してもらったが、カレーと言われるまで、それがカレーとは想像もできないような変わった料理であった。美味しくなかった。そして2002年頃、ベルファストに訪れた。北アイルランドの住宅公社に取材し、情報を収集するという仕事であった。ベルファストで泊まったホテルは、最もテロの攻撃に遭ったホテルとしてギネスにも登録されるようなものであったが、市役所ではカトリックの職員もプロテスタントの職員も仲良く仕事をしていた。結局、宗教対立という名前を借りたイギリスとアイルランドの領土争いなのであるな、と理解したことを覚えている。そもそも、どうみても北アイルランドはアイルランドなんだから、イギリスが領土として維持していることは不自然だ。宗教を口実にするのは卑怯ではあるが、まあイギリスという国は卑怯だから、これは泥棒に泥棒をするなと説教するような虚しいことなのかもしれない。

閑話休題。とにかくダブリンを初めて訪れ、いろいろ見て感じたことは、この都市の徹底的な貧しさである。こう冨を蓄積したとか、投資をされたという形跡が都市の中でほとんど観察できない。ドックランズの再開発の地区の周辺にある住居の貧しさなどは、ここがヨーロッパの一国の首都であるとは信じられない。チェコのプラハや、ポーランドのクラカウなどでも見られる冨が蓄積された歴史的な痕跡は、ほとんど皆無であった。また、コペンハーゲンやアムステルダム、ハンブルクはもちろんのこと、リューベックやブレーメンどころか、ロストックやタリンのような商業都市でみられる冨の蓄積でさえ、ここでは観察することはできない。第二次世界大戦までは貧しい国であったスウェーデンでも、首都ストックホルムは王国としての歴代の冨の蓄積がみられるが、ダブリンではそのようなものが全くといっていいほど見当たらない。改めて、この国がちょっと前まで植民地であることを思い出すと同時に、植民地によって経済敵に搾取されることの残酷なまでの現実、そしてそれから立ち直ることがいかに困難なことであるかを思い知らされる。リムリックやベルファストでは感じることのできなかった、アイルランドという国がこれまで受けた苦難、そして、そのようななかで将来を展望することの難しさを首都ダブリンにおいて知る。つくづく、日本はほとんどの周辺諸国が植民地であったにも関わらず、植民地化されなかったという幸運を感謝すべきであると思う。といっても、自分達で原発を再稼働させるような政党に投票しているような愚行を続けていれば、自滅することになるかもしれないが。

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なぜイスラム教国なのに、インドネシアでは政府高官と女性秘書の不倫問題が頻発するのであろうか [グローバルな問題]

私も仕事をしていたことのあるインドネシアのスラヴェシ州では、あまりにも高官が女性秘書と不倫をするというので、州知事が頭に来て、女性秘書を雇うことを禁止したそうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130714-00000022-jij_afp-int

なんか、なかなか破廉恥で、こういう話題はギリシャとかイタリアだといかにもありそうかなと思ったりするが、なんとイスラム教のインドネシアであるから驚きである。というか、イスラム教的には「不倫」というのはそもそもあり得ないのではないだろうか。というのも、イスラム教では不倫は重罪であり、その刑罰は重く、死刑になることすら少なくないからだ。例えば、コーランには以下のような文章がある。

「姦通した女と男は,それぞれ100回鞭打て。もしあなたがたが,アッラーと末日を信じるならば。アッラーの定めに基づき,両人に対し情に負けてはならない。そして一団の信者に,かれらの処刑に立会わせなさい。」

従って、イスラム教国であるインドネシアにおいても、不倫は起きえるかもしれないが、その罪の重大さを考えれば、州知事が女性秘書を禁止するほど、日常茶飯事に不倫が起きているというのは、スラヴェシに比較的、頻繁に行っている私でさえ、想像の域を超える。確かに高官は、平気で国内でもお酒を飲んだりしてはいたが、不倫のような重罪でも、アラーの神を畏れず、平気で行えてしまうというのは、インドネシア人、恐るべきである。というか、教条を守ることができないのであれば、そもそもイスラム教徒であることを辞めた方がいいのではないだろうか。

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ローラがバングラデッシュ系であることの衝撃 [グローバルな問題]

ローラという芸能人は結構、人気者なのではないかと推測する。私はテレビを観ないので、それほどよく知っているわけではないが、電車の吊り皮広告でも、街中のポスターでもよく目にする。さて、ローラはてっきりコーカソイド(白色人種)と日本人のハーフであると思っていた。もしかしたら日本の血は1/4のくらいかなとは思っていたのだが、半分がバングラデッシュであるとは思いもよらなかった。驚いたなあ。正確には50%がバングラデッシュで、25%が日本、残り25%がロシアである。

それで画像をチェックしたら、昔の写真は結構、インド人風のものがあった。肌は褐色で、髪も茶色である。私はインド系の女性が世界で一番、美形ではないかと思っているぐらいなので、これは全然、驚くようなことではないのだが、日本の芸能マスコミは女性モデルや女性芸能人をマーケティングする時には、結構、人種差別的な対応をするといった印象を持っている。すなわち、欧米の白人は日本人より優等で、有色人種は中国、韓国といった同じ東アジア系の黄色人種を含めて劣等であるというような扱いである。例えば、沢尻エリカは実質的にはアルジェリア人と日本人のハーフであるが、フランス人のハーフであるというように喧伝していたりするようなことである。

個人的に趣味ではないが、ローラは私も可愛いと思う。そして、おそらく世間もそう思っているのではないかと思われる。沢尻エリカも綺麗だと思う。これは、個人的にもそう思う。そういう風に、我々が可愛いとか美しいと思う女性が、アジア系や黄色人種とのハーフであるということを肯定的に捉えることが重要であるし、それに対して、より自覚的になるべきなのではないか、と私は思うのである。戦前のようにアジア蔑視の風潮が強まる中、ローラを可愛いと思う純粋な気持ちにこそ、人々は従い、よりアジアの人達との友好を図るべきであると思うのだ。

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外務省の上田秀明人権人道大使のシャラップ発言は、日本が三流国であることの証だ [グローバルな問題]

外務省の上田秀明人権人道大使が、国連拷問禁止委員会で、「日本は世界一の人権先進国だ」と開き直りの発言をした後、失笑が会場から出たので「シャラップ」と二回ほど怒鳴り、会場を凍り付かせた画面がユーチューブで見られる。次のものがそれだ。

http://www.youtube.com/watch?v=hkoQjIBA_3U

いやあ、こんなに恥ずかしい状況は、観ているだけで「穴があったら入りたい」ほど恥ずかしいのだが、これが同国民の、しかも我々の税金で養っている公務員であるというから、本当に恥ずかしい。というか、これは国際的な観点からみたら、まったくもってあり得ない破廉恥な対応で、これによる日本に対するマイナスのイメージ効果といったら尋常なものではない。

そもそも、会議で「シャラップ」と言うこと自体が異様というか異常である。これは、「黙りやがれ」といったニュアンスであるので、会議というか普通の会話でも使わない。というか、議論の場で「シャラップ」というのはおかしい。この場合は、軽く「笑い声が聞こえましたが、真面目に聞いて下さい。I heard someone laughing, but I am, surprisingly, serious.」などといなせばいいのである。「シャラップ」というのは、なんか対人関係でさえまともに構築できてない人なのであろうと思わせるし、人権に対しても軽視するような三流国であることを見事に証明してくれた。そして、こんな代表を送ってくる日本という国は三流国で、ある意味で、北朝鮮以下であることを露わにしてくれた。凄い、マイナスの広報活動だ。おそらく、金額に換算したら1兆円ぐらいのマイナス経済効果をもたらしたんじゃあないだろうか。

こんな馬鹿役人によって、国際的に不利な状況に追い込まれ、それで窮鼠猫を噛むではないが、軍備に走って脅かしに出るようであれば、やはり日本というのは第二次世界大戦を引き起こした人類的にも害のある国であると思われてもしょうがない。私でさえ、そうなのかもしれない、と思いつつある。

TOEFLを導入しても、こういう英語をしゃべる非国際的な輩を外務省で飼うようであれば、まったくの無駄だ。もっと、根源的にコミュニケーション能力を高めることが必要であろう。などと書いたら、彼は京都産業大学で教鞭を執っていたことが判明した。こんな大学の先生に教わるぐらいなら、教わらない方がよっぽどましだね。
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住民投票日の小平を訪れ、大いに落胆する [グローバルな問題]

今日は家にいても、小平の住民投票の結果が気になってしょうがないので、小平市までとことこやってきた。取りあえず、青梅街道で降りて小平市役所に向かったが閑散としている。街中もとても長閑で、とても民主主義が傲慢な為政者から挑戦を受けているような状況には思えない。なんか危機感がなさ過ぎるのではないだろうか?小平市役所は投票所ではなかったので近くの第十投票所に向かう。ここでも、人がぱらぱらといるだけ。13時時点での投票率は12.9%。これは不味いんじゃないのか。職員の人に、「これはもう無理ですね」と言うと、「いやあ、他の投票所もあるから」との回答。しかし、状況は芳しくない。

せっかく、関係者が本当に頑張って住民投票にまで持っていったのに、この事態は何なのだろうか。というか、これじゃあ、いろいろと文句を言えないよね、何やられても。というか、私は以前から日本という国は全然、民主国家ではないことには気づいていたが、その私でも今回の小平の状況はショックである。私は心の底から、無駄な道路や原発などの公共事業で地域経済を回していくのは亡国の政策であると思っているが、皆が、それを望むのであれば、反対しても虚しくなるだけである。ドン・キホーテになるほどは日本という国を愛していないと思う。

しかし、本当、残念至極である。

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アメリカ人は結構、信号無視が多い [グローバルな問題]

アメリカへ出張した時のことで、ちょっと気になっていたことがあったので記しておきたい。アメリカではアルバカーキーとサンアントニオ、レキシントンではレンタカーをしていた。これらの都市は、道路も広いのでほとんど渋滞に遭遇することはなかったのだが、交通量が少ない時に信号無視をする車が結構、多かったので驚いた。アメリカはカリフォルニア州をはじめとして、右折(いわゆる日本でいうところの左折)では赤信号でも車が来ていなければそのまま進んでも構わない州は多い。レンタカーをしていると、その州がそれを許可しているかどうかは周りの自動車をみて判断するのだが、私が言っている信号無視は、平気で赤信号でも直進をしたり、また左折(すなわち日本で言うところの右折)したりするものである。その感覚は、歩行者が信号を無視するようなものである。私は歩行者の立場だと結構、信号無視をするが、自動車だとしない。夜、自動車が通行していなくてもしない。しかし、アメリカではどうも平気で信号無視をする車がいることでちょっと驚いた。私は1993年から96年までアメリカにいたが、その時はそんな信号無視をする車を目撃することはほとんどなかった。これは、アルバカーキーやサンアントニオといった田舎であるからかもしれないが、どちらにしろ意外であった。
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防犯ブザーの件で、町田はやはり都市的洗煉さの欠片もないファスト風土だと認識する [グローバルな問題]

東京都町田市教育委員会が、小学校の新入学児童に無償配布する防犯ブザーを市内の朝鮮学校の新入学児童に配布しないことを決定した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013040502000112.html

市教委の担当者は「国際情勢を受けて総合的に判断した」と説明したが、小学校一年生の子供に防犯ブザーを差別的に配らないことが、なぜ国際情勢を受けたことになるのかはまったく分からない。そもそも北朝鮮の政治と、日本に在籍している朝鮮の子供とにどのような関係があるのだろうか。

私だって、ドイツに行けば、「なんで日本人は原発事故後も原発を推進しようとする政党を選んだのか。人類に対してあまりに無責任じゃないか」みたいな非難を受けることもある。私だって、そのような状況は心底、情けなくも思う。しかし、それが理由で、ドイツの人達から、日本人だから差別してやる、みたいな判断を下されたら、本当不愉快になるだろうし、それゆえにドイツを嫌うかもしれない。しかし、さすがにナチスの歴史を反省しているドイツではそのような判断はされないと思う。

それに比べると本当に、この町田市の判断は情けない。たかだか防犯ブザーである。なんで、こんなところで差別をしなくてはならないのか。在日の人達だって、多くは北朝鮮の今の愚行に呆れている筈だし、嫌悪感を覚えている人の方が多勢であろう。それと付き合って、なぜ自らが低いレベルにならなくてはならないのだろうか。私は、この一件で、町田はやはりアホな郊外自治体で、都市的洗煉さの欠片もないファスト風土なところなのだなと再認識した。以前、校内暴力が吹き荒れたころ、もっとも悲惨な事件が起きたのが町田市であったが、そういう社会的な問題が生じるだけの風土は、今にも引き継がれているのだなということを知る。
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アメリカでは資本主義の弊害が出すぎている [グローバルな問題]

福島の原発事故、そしてその後の人々、そして政府の対応、特に衆院選の選挙結果から、私は日本に対して絶望的な気分になっているのだが、じゃあ、アメリカがいいのか、というとアメリカという国も相変わらず、問題だらけで嫌になってしまう。特に、資本主義の弊害が出すぎている。金という価値観、経済といってもいいが、それがあまりにも優先されており、他の価値観を押しのけ、支配しようとしている。とても危ないものを感じる。これは、社会主義が崩壊してしまったことと関係があるだろう。

特に分かりやすいのは医療である。お金さえあれば、世界でも最先端に近い医療サービスを受けることができるかもしれないが、そうでなければ治療を受けることもままならない。これは医療保険が医療産業を牛耳っているからである。このような状況は、マイカル・ムアーの『シッコ』がうまく描き出している。

そして、最後の砦ともいえる教育分野に今、経済の論理が嵐のように吹き荒れている。今回も幾つかの大学を訪れたのだが、公立大学であってもあまりにも授業料が高い。日本の私立のほぼ2倍である。寄宿舎も1セメスターで2500ドルだ。これじゃあ、子供をアメリカの大学に行かせるなんてことは、普通の日本のサラリーマンでも不可能に近いであろう。しかも、アメリカ人の学生の多くは親が補助をしないので、自腹で行くことになる。当然、そんな金は持っていないので、借りることになる。結果、多くのアメリカ人の学生は卒業した時点で多大なる借金を抱えることになるのである。

果たして大学に行くことで、そんなに投資効果があるのか。非常に疑問である。野球が上手だったり、音楽的才能が豊かであれば、大学に行かないで、もう自立した方が賢明であろう。とはいえ、野球が上手だったりすると奨学金が得られるので、そういう学生は問題がないのかもしれないが。

とにかく、医療もそうだが、教育にまでお金の論理が幅を利かせるアメリカの状況は本当に暗澹たる気分にさせられる。そして、そのアメリカのポチ街道をまっしぐらに進んできた自民党がまた政権に帰り咲いた今、日本もそのような道を歩むことになるのではないだろうか。日本もアメリカもなかなか明るい将来を描くのは大変である。


スマイルBEST シッコ スタンダード・エディション [DVD]

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  • 出版社/メーカー: Happinet(SB)(D)
  • メディア: DVD



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日本の株高や円安は単にアメリカが要因なだけじゃないのか [グローバルな問題]

アメリカに10日間ほど出張で来ていて、つくづく思い知らされたのは、アメリカの景気がいいじゃないということだ。ラジオ番組を聴いていても、これまで中国に進出していた幾つかのアメリカ企業が地元に戻り、雇用を回復させているということだ。また、シェールガス革命も随分と進んでいるようで、これらを産出している州では失業率は随分と落ちている。実際、今回はサンフランシスコを除けば、地方都市を中心にまわっているのだが、小売業やレストランなども活況を呈している。さらには、アメリカの株価も随分と上がってきており、ニューヨーク株式市場ではダウ平均株価が3月には史上最高値を更新した。そのような中、ドルも買われているようだ。

なんだ、日本の株高や円安は単にアメリカが要因なだけじゃないのか。ということが朧気ながら見えてきた。どうも安倍さんは、自分の経済政策によってうまく行ったと思っている節があるのだが、実はアメリカという風が吹いたので日本という桶屋が儲かっただけなんだ。さらにいうと、日本の円安は確かにデフレ脱却効果をもたらすだろうが、それは原油やこれまで格安で手に入れられた商品が高くなるという形で実現されるであろう。それって、一般庶民にとっては何もいいことはないのでは。アメリカ企業のように中国から自国に戻ってくるという判断をする企業が日本にあればいいだろうが、アメリカと違って高齢化が進んでいる日本ではそのようなことは起きにくいであろう。まあ、結局、どちらに転んでも厳しく、生活者の視点でいえば、円安は何もいいことをもたらさないのになとも思う。

海外出張での出費もイタズラに高くなるだけだし。
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草食系に対して、居心地が悪いアメリカ人 [グローバルな問題]

ケンタッキー大学の教員と夕食を一緒にして、いろいろと話をする。そこで、Grass Eatersと日本の若いう男性は言われているそうじゃないか、という指摘を受ける。すぐには何のことか分からなかったが、「草食系」の英語訳であることに気づく。アメリカ人の先生達は、「競争を厭い、チャレンジもせず、女性も落胆しているそうじゃないか。これからの日本の将来は大変だ」みたいな指摘を受ける。社会的に問題だ、と批判的に草食系を捉えていた。この指摘をしたのが、非常に穏やかな感じの中年の女性の教員であったことに私は違和感を覚えた。違和感を覚えたのは、ケンタッキー大学で教鞭を執っている他の日本人先生も同じであったようで、「いやいや、むしろ、いいんじゃない」みたいな意見を言って反論した。私もアメリカのように競争、競争だったら、サステイナブルじゃない、みたいなことで草食系、大いに結構、という感じで論陣を張った。ただ、つくづくこの話で思ったのは、本当、アメリカは競争、というか他人に打ち克つということが相当、正しいと思われているということである。お互いが競争し合ってこそ、社会はよくなるといったような単純で一眼的なものの見方が為されている。それを、国際関係などを研究している女性の先生でさえ有していることでちょっとショックを受ける。
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