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能登空港に関する朝日新聞の記事から、能登空港が赤字で昰なら、ローカル線も当然、赤字で是だろうと思う [地域興し]

2月2日の朝日新聞に「森喜朗氏の功罪:能登空港と安倍派5人衆」という記事があった。森喜朗氏に「功」があるのか、と興味深く読んだ。
https://ml.asahi.com/p/000004c215/23515/body/pc.html
 この記者が森喜朗氏の「功」として挙げたのは1998年度から着工した能登空港の予算取りである。能登空港は森氏なしでつくられることはなかった、という指摘は確かにその通りであると思う。能登空港は総事業費約240億円で、年間赤字が約3億円である。そして、これを負担するのは地元ではなく、全国民である。相当の辣腕でないと、こんな公共事業はできない。
 ただ、今回の震災で、能登空港は大活躍である。被災地への物資輸送の拠点としても利用されたそうだ。そして、この記者は「震災で活用される能登空港を見て、採算面だけでは語れないことに今さらながら気づかされた」という。
 さて、同じことは地方の赤字ローカル線にも言える。鉄道全般に採算面を当てはめるのは世界でも日本(とアメリカ:だからアメリカでは鉄道はほとんど走っていない。走らせる時は住民投票で、その運営赤字を、消費税を上げることで対応させるような判断をさせる)だけであるが、そんなことを考えていたら、日本の地方からは鉄道はすべて無くなる。しかし、これらローカル線はその地方の生活を支える基盤である。特に自動車を運転できない高校生以下、自動車を運転するのが困難になる高齢者にとっては、ローカル線がなくなることは著しく生活の質を劣化させる。特に、ローカル線とともに地方では高校も統廃合されているが、ローカル線がなければ、地元高校が廃校になった高校生は学校に通うことも難しくなる。その結果、18歳で地元からいなくなるのではなく、15歳で地元から他に移ってしまう。これじゃあ、人口が減るのは当たり前だ。
 社会基盤を採算面で見るという視点は、その費用対効果からは必要ではあると思うが、道路はそのような発想がほぼ無いに等しいのに、鉄道には他国と比べても遥かに厳しい。ドイツで暮らしているとつくづくそう思う。

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人口縮小下では公務員の仕事は創造性が求められている [地域興し]

昨日、私が奉職している大学の講義で、長門市の職員の方にオンラインだがゲスト講師をしてもらった。長門市は、民間企業に長門湯本温泉のマスタープランの策定を随意契約で御願いするなど、相当、荒療治でその再生に取り組み、まさにまちづくりの「改革」を行ったところである。案の定、この講義を受講してくれたOB(多くは公務員)からは、多くの質問が出てきた。彼らの「常識」からすると、長門市で行われたことは驚天動地な「掟破り」のように思えたに違いない。確かに、長門市で行われたことは革命的であるとは思うし、そこまでしなければならなかったのか?とも思う。しかし、おそらく、答えは「そこまでしなければならなかった」のであろう。
人口縮小下では、これまでの硬直的なルールや常識に従っていると、いつまでも閉塞状況から脱せない。脱せないどころか、徐々に衰退していく。弱火の鍋に入れられたカエルのようなものだ。そのような状況において、新しい試み、先進的な試みをしていくところが、うまく状況を改変できている。長門市以外でも、岡崎市や豊田市、亀岡市なんかが頭に浮かぶ。私が知らないだけで、そのような取り組みをしている自治体は他にもあるだろう。人口縮小下では、行政にすごく創造性が求められている。昔と違って、中央省庁が頼りにならなくなっている、というか頼りにしてもどうにもならない時代になっている。これは、中央省庁の人達がダメなのではなくて、硬直的な制度がもうどうにも創造性を発揮できないようにしているからだ。そもそも、創造性とは枠組みがあると出てこないものである。そういう点では、地方自治体の仕事は、いわゆる「役所仕事」ではなく、より創造性のある発想や取り組みが求まれると思う。あと、創造性以外に求められているのはコミットメントである。おざなりに仕事をこなすのではなく、問題解決をするために当事者としてコミットメントする覚悟。そのような覚悟がないと、八方塞がりの人口縮小地域では問題は解決できない。
 このように考えると、安定で楽な仕事を求めて役所に入った人達には大変な時代になったであろう。私の学生達も、創造性がなく、楽な仕事を求めているものが公務員を志望し、実際、公務員になったりするのだが、これは大きなミスマッチがあるような気がする。採用において、ペーパーテスト以外を導入した方がいいであろう。絵を描かせたり、楽器を演奏させたり、ダンスをさせたりすることを採用試験でも導入するといいかもしれない。

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矢作弘先生の講義を聞いて刺激を受ける [地域興し]

 矢作弘先生の講義を中国の四川大学で聴く。ジャーナリストと学者との違いについての話をした。ジャーナリストは帰納的なアプローチをして、学者は演繹的なアプローチをすると述べていた。つまり、ジャーナリストは現実に何が起きているかから、状況を分析しようとするのに対して、学者は理論から現実を分析しようとする。
 この話は、私の個人的な体験からも説得力のあるものとなった。以前、奉職していた大学の経済学科の先生が、「多変量解析モデルが現実を説明できないのは、現実が間違っているからだ」と真顔で言ったことに仰天したことがあるからだ。なんで現実を説明しようとしているモデルが正しくて、現実が間違っているなどと言えるのだろう。現実は事実であろう。私はこのとき、経済学の研究者は、飛びきり優れている人は別であろうが、そこらへんの私立大学で教えているレベルの人だと、半分ぐらいは信用できないな、と思ったものである。経済学科は二流私立大学以下だと授業料の無駄であるなとも思ったりもした。
 それはともかく、この帰納的なアプローチは個人的にも共鳴する点が多い。また、彼はデンバーのショッピングセンターの記事を書かなくてはいけなかったのだが、取材拒否にあって困った時、ひたすらフィールドサーチをすることで記事を〆切に間に合わせた話もしてくれた。このアプローチが、トリノやデトロイト、ヘラクレスといった街のビビッドな都市分析へと繋がったのだなと納得する。フィールドを理解するうえでの重要な方法論を教えてもらった気がする。

タグ:矢作弘
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山形の人はやはりラーメンをよく食べるようだ [地域興し]

日本人が外食でラーメンを食べるのは年平均で5.1回。ラーメン好きにはちょっと少ないかなと思う数字だが、これは赤ちゃんからおじいさんまで含めての数字だ。都道府県でこの数字をみると、もっとも多いのは山形県である。山形県の人は11.4杯、外食で平均食べるそうである。日本人平均の2倍である。これは、山形県ではお客さんが来るとラーメンを店屋物で頼むという習慣があるからだそうだ。
 さて、そういうこともあって山形県鶴岡市を訪れ、こちらの大学院生と話をする機会があったので、「ラーメンってよく食べますか」と尋ねてみたら、「食べる、食べる」との回答。二人に聞いたのだが、二人とも週に3回は食べる、とのこと。これはもちろん外食以外を含めての数字だが、相当のラーメン消費量である。
 また、「店屋物だとラーメン延びて美味しくないじゃないですか」と聞くと、慣れているから平気、とのこと。というか、店屋物のラーメンが普通だと思っていたので、この店屋物を頼んでいたラーメン屋に行って食べた時の味の違いにショックを受けたそうだ。
 いろいろと驚く私に、でも鶴岡はそれほどラーメンは食べない。山形(市)はもっと食べるとのこと。今年の冬にラーメンまちづくり課のある南陽市を訪れて、山形県民のラーメン愛についていろいろと役所サイドからは聞かされたが、実際の県民に聞いて、確かに山形県民のラーメンへの愛情は半端ないことを知る。
 

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ラーメン課のある山形県南陽市を訪れる [地域興し]

山形県南陽市にラーメン課がある。ということで、そんなおかしな自治体があるのか調べに行った。さて、南陽市役所に行き、このラーメン課を訪れると、どうもラーメン課というものはなく、南陽市みらい戦略課企画調整係内の事業「南陽市役所ラーメン課R&Rプロジェクト」であることを知る。流石にラーメン課はないか。ただ、我々だけでなく北海道の自治体も視察にそれで来たりしたそうであるから、我々だけが間抜けという訳ではない。
 さて、南陽市がなぜ、ラーメンでまちづくりをしたかというと、そのきっかけは中学生・高校生に「南陽市外の人に伝えたい南陽市の魅力は?」とアンケートで聞いたところ「ラーメン」との回答がベスト4に入ったからである。ちなみに1位はさくらんぼ、2位はラフランス、3位はワイン。「ラーメン」というのは市役所の人からすると「目から鱗」であったそうだ。というのも山形県は全国で最もラーメンの外食回数が高い県である。これは、お店だけでなく、店屋物でラーメンを注文する人が多いからだそうだ。山形では、お客さんが来た時におもてなしとして、ラーメンを注文するそうだ。別にちょっと伸びていようが気にもしないらしいから、本当、皆、ラーメンが好きなのかもしれない。逆に、うどんやそばといった補完財的なものの消費は少ないそうである。この、あまりにも日常に溶け込んでいたラーメンなので見落としていたが、確かにこれはイケるかもしれないと市役所の人は思ったそうである。県境を越えた福島県にある自治体はラーメンで全国的ブランドの喜多方市である。しかし、南陽市の人が喜多方市でラーメンを食べても、全然、感動しないそうである。それどころか、「宮内(南陽市の集落)の方がうめえっぺ」と思うそうだ。また、南陽市には食べログの東日本百名店が一軒ある。龍上海である。しかし、喜多方市には一軒もない(坂内食堂もまこと食堂も2019年2月時点では入っていない)。しかも、そのような仕掛けをしている自治体は少ない。
ということで、2016年にプロジェクトが発足したのである。まず、始めたのがラーメン会議。そして、ラーメン会員を募った。そして、ラーメン屋での写真を募ったフォト・コンテスト。さらには、ラーメン屋のカードを期間限定で配布したりもした。フォト・コンテストはそれほど上手くいかなかったが、カードに関しては、人々の収集癖を刺激したようで、結構、うまく行ったようだ。ラーメン・マップなども東北芸術工科大学の学生とコラボして作成している。これは写真ではなく、敢えて絵を描くなどして味を出そうとしている。
 このラーメンでまちづくり事業。成果は得られているのだろうか。近々に行われた中間報告ではあるが、平均でみるとラーメン店の売り上げは増えているそうだ。埼玉や群馬から来ているお客さんが増えている。商工観光課への取材では、マクロでの効果は見られていないというクールな回答ではあったが、やらないよりはプラスということは言えるのではないだろうか。
 課題としては、なぜラーメン屋ばかりに贔屓をするのか、という他業種の人達がクレームをしてくる可能性があることと、このラーメンを目当てに訪れた人を赤湯温泉に泊まらせるなどの波及効果をどのようにもたらすか、その仕組みを考えなくてはいけないことであろうか。
 とはいえ、例えば、私は喜多方のそばに行くと(例えば会津若松や磐梯高原)、ちょっと足を伸ばして喜多方まで行き、ラーメンを食べたりはする。また、ラーメンという地域ブランドをつくった喜多方市のメリットは結構、大きいものがあるような気がする(あくまで印象論であるが)。そのようなことを考えると、他業種のメリットは少ないだろうが、このラーメンでまちづくり、意外とそんなにバカに出来ないような政策かもしれないなと思ったりもした。

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(赤湯駅を下りると長いラーメンの広告が出迎える)

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(南陽四天王の一つ、葵)

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(葵のメニュー)

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都市政策と地域政策を考える [地域興し]

私はカリフォルニア大学バークレイ校のDepartment of City and Regional Planning の大学院を卒業している。これを日本語に訳すと都市および地域計画学科になるであろう。このようにわざわざ都市および地域という名称にしているのは、都市計画と地域計画は異なるものであるからだ。都市計画は、自治体レベルでの計画であるのに対し、地域計画はより広域的な複数の自治体にまたがるような計画というものになる。

さて、しかし日本ではこの都市と地域というのがどうも曖昧のようだ。計画ではないが、政策という観点からは都市政策と地域政策の違いが必ずしもはっきりしていないようなのである。すなわち、地域政策は幾つかの自治体にまたがる「地域」を対象とした政策という意味ではなく、地方自治体の「地域」として捉えられているような印象を受ける。関連文献などを読むとそのように捉えた書き方が為されている。そうすると、都市・地域政策といった場合、都市の方がむしろ曖昧ということになってしまう。都市は一般的には自治体単位で捉えられるべきものである。京都といえば京都市であるし、小田原といえば小田原市であるし、弘前といえば弘前市である。しかし、それらは地方自治体であるので、それらの政策も地域政策として捉えられてしまう。地域政策学部という名称が大学で使われているのに、都市政策学部という名称が使われていないのは、政策学的に捉えると地方自治体のイメージを喚起させる地方という名詞の方が都市より通りやすいということがあるのかもしれない。

一方で計画だと都市が使われる。都市計画学科はあるが、地域計画学科はない。地域計画の英語訳であるRegional Planningがアメリカとかでは跋扈しているのとは対照的である。

この政策と計画とによって、用語の使われ方が違うということは、都市政策や地域政策の議論を曖昧模糊としているような気がする。ここらへんに関しては、これからも問題意識をもって考察していきたい。とりあえず、今日は備忘録というか、思いつきレベルのことを書かせてもらった。

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地域政策に関して考える [地域興し]

新しく奉職した大学では「都市・地域政策総論」という講義を担当することになった。これまでも前任校で「都市政策論」という講義を担当していたので楽勝だろうと思っていたのだが、都市政策だけではなく地域政策とも講義名で掲げられているので、地域政策論も多少は教えなくてはならない。そこで、講義資料をまとめ始めて、はたと気づいたのは、地域政策って何じゃらほい、ということである。日本は基本的には国土政策で地域政策まで網羅している。アメリカやドイツの連邦制を有している国においては、しっかりとした地域政策もあり得るが、日本において地域政策って「首都圏整備計画」のようなものだろうか。しかし、これも中央政府がつくっている。中央政府がつくっている広域計画は、アメリカのTVAを含めて地域政策で括ることは難しいよな、ということで自分で考えても分からないので教科書的なものを注文した。
 その名も『地域政策』という中央経済社から出ている本と『地域政策を考える』という勁草書房が出している高崎経済大学付属地域政策研究センターが編集したものである。後者は地域政策学部というファカルティまで擁しているので、参考なるだろうと思ったのである。
 さて、しかし、何ということであろうか。これらの本を読んでもほとんど役に立たなかったのである。前書は、「地域経済、地域政策、国土計画を学ぶ初歩の初歩、最初の1冊として、本書を活用していただければと思います」と書いているにもかかわらず、地域経済の勉強になっても地域政策の参考にはほとんどならなかったからである。というのも、「地域政策とは」という章を開くと、いきなり「地域政策とは何かを定義することは、簡単ではありません。地域政策という本をかいておきな柄、それはないだろうと思われるでしょう。」などと書いてある(96ページ)。それはないだろう!それが知りたくて購入したのだから。そして、その数ページ後に「歴史的にみると、地域を意識した政策を実施した背景には①民族問題、②問題地域の発生、③新しい領土の開発問題がありました。」と書いている。これは、地域政策とは何じゃラホイ、と思っている私でもずれているということが分かる。こりゃ、駄目だ、ということで後者の本を読むことにした。
 しかし、これも序文を読んでがっくりと来た。そこではこう書かれていたのである。
「(前略)地域間格差の解消を目指す古典的な地域政策から、広域ブロックごとに発展を目指す新たな地域政策が模索されるようになった。そのために地方自らが策定する地域産業政策に大きな権限と財源を与え、自律的に企業誘致を戦略的に展開し、立地に関する行政サービスをワンストップで行うことが求められている。
 さらに、今後に向けては、多重・多層型パートナーシップの形成による自律型経済システム創造を目指して、個々の主体では対応できない事態への機動的即応、波及的なインパクトを含む相乗効果の発揮が期待される」(pp.3-4)。
 この文章で言っていることは正しいかもしれないが、その語尾に注目してもらいたい。「求められている」「期待される」である。つまり、そのような地域政策が求められていたり、期待されていたりするが、現実の日本においてはほとんど為されていない、ということだ。
 また、同じ序文では次のようにも書かれている。
「地域政策学のアプローチは、多面的に地域を考え、内発的な地域づくりに参画していく地域における官民諸分野の人材の養成と、その人材を活かすことのできる地域社会システムの構築と、地域政策に関わる総合的な視野を持った学問体系の形成によって達成されるものである。」
 この文章自体は、しっかりとした問題意識を有しており、地域の課題を直視し、その解決法を考えようとの提案であり、それについての異論はない。しかし、「考え」、「養成」といった動詞が使われている内容は取り組めるが、「構築」というのはそうそうできるものではない。というかハードルが高すぎるとも思われる。そもそも、地域社会システムが構築されて始めて、その地域政策が意味を持つのであって、そのようなシステムが構築されるような制度がない現状において地域政策を論じることに虚しさを覚えるのは私だけではないであろう。これが地域「政策」でなければ、まだ希望が持てる。例えば、地域「活性化策」とか、地域「再生策」、もしくは地域「方策」でもいい。しかし、「政策」といった時点で、その主体というか主語は、政府もしくは行政体に限定されてしまう。そして、そのような地域政策をしっかりと遂行できる行政体があるようでない状況下で、そのようなことを論じるのは違和感を覚えてしまうのである。
 これらの本からも分かったことは、都市政策(自治体政策)と地域政策がごちゃ混ぜになっているということである。敢えて、講義を進めるうえでは、実はごちゃ混ぜにしてしまって議論を進めるというのは好都合である。ただし、それでは学生もこんがらがるだけだ。したがって、私がここで勝手に地域政策についての仮説を設定する。
 それは、自治体だけでは解決できない公害問題などを含む環境問題、交通問題など複数の広域的自治体で対応しなくてはならない政策的課題に対して、広域的に関係する自治体が連携することで、策定される政策のことを「地域政策」とする。これだと、アメリカでいうところのRegional Policyともほぼ合致する。そして、その政策を遂行する組織のイメージとしては、アメリカであれば、ポートランド広域都市圏のMetroやミネアポリス・セントポール大都市圏のメトロポリタン・カウンシル、サンフランシスコ大都市圏のSCAGなどであるし、ドイツであればルール地方のルール・リージョナル・アソシエーション(Regionalverband Ruhr)などになるだろう。
 そのような主体が策定するのが地域政策であり、それは自治体が策定する自治体政策(都市政策)とは一線を画すべきであると思うのである。
 少なくとも、私はそのような理解で講義を進めていきたいと思っているし、そのうち、そのような地域政策論の考えをまとめたいとも思っている。ということで、講義を受けることになる学生から質問が来る前に自分のスタンスをここで明らかにしておく。

タグ:地域政策
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東京から館山に列車で行くと遠い [地域興し]

千葉の館山まで電車で行った。ヤフーの路線情報で検索すると、バスで行けと出てくる。バスはあまり好きではない。というのも、ずっと席に座らされて移動中は動けないからだ。列車だと立ったりできるし、トイレに行きたければ最悪、途中下車できる。キオスクとかもあるし、列車がいい。ということで、時間は余計にかかるが、列車で行くことにした。さて、しかし、内房線に走っていると私が思っていた特急列車は走っていなかった。どうも通勤用の列車になっているようで、19時に館山に戻ろうという時間帯にはまったく走っていないようなのだ。しょうがないので各停で行ったが、なんと東京の都立大学からだと3時間ほどかかることが分かった。3時間だと新幹線を使えば都立大学からだと京都まで行けてしまう。千葉なんて、すぐそばだけど安房半島の先端までは遠いことが分かった。そして、18時に館山に着く列車に乗ったので車窓は真っ暗で東京湾は全然、観られなかった。なんのために列車に乗ったのか、少しだけ後悔する。次回はバスで行くことを考えよう。

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東京と地方の大きな格差は寿司屋の質である。 [地域興し]

島根県の浜田市に学会を訪れる。私の発表は午後の遅い時間、空港に着いたのがお昼過ぎ、ということで浜田市で昼食を取ることにした。こういう時に、本当に役立つのが食べログである。ということで食べログでチェックすると、なかなか評価の高いお寿司屋さんを見つけた。昨晩もお寿司だったので、ちょっと連チャンはなあ、と思ったりもしたが、比較するにはいいタイミングかと思い、この店に入った。ランチ・メニューで「季節のちらし寿司」(税込み1510円)を注文する。ちょっと東京の感覚だと1.5倍は高い。しかし、「季節」と書いているので旬のもの、場合によってはノドグロぐらいもついてくるかな、とノドグロの季節がいつか分かっていない私は勝手に甘い期待を抱く。
 さて、出てきたちらし寿司は、鯖、イカ、まぐろ、海老(甘エビではない)、いくら、さんまなど、どこが「季節」か分からない定番もの(さんまが季節もの?)だらけであり、まったく浜田のオーセンティシティが感じられるようなものではなかった。そして味は今ひとつ。これは、本当に最近、地方の寿司屋さんに入って感じるところだが、あきらかに東京と地方とでは寿司のクオリティに驚くほどの差があるのだ。もちろん、東京の方が美味しい。しかも、東京の方が安い。お寿司屋を食べ比べると、本当、この点こそ東京と地方との格差ではないか、と痛烈に感じさせられる。三ヶ月前に境港に行った時もそう思った。北海道や富山、鹿児島とかだと、まあ、東京でも行くかな、というぐらいのレベルのお寿司屋さんがないわけではないが、それでも東京のお寿司屋さんの方がコスパでは秀でている。それが、浜田や境港ぐらいの規模の都市だと、もう惨敗であり、おそらく東京にあったら閑古鳥が鳴くであろうといったお寿司屋さんが地元では名店で鳴らしていたりする。ちなみに、浜田も境港のお寿司屋さんも食べログでの評価は3.5以上である。私は3より高い点はとてもじゃないがつけられない。
 このような状況から推察されるのは、地方都市はグローバル経済下で競争するという覚悟のようなものが欠如しているのではないだろうか、ということである。私は地方が消滅するとは思わないが、地方の人が思っているよりも、遙かに東京と地方との差は拡大しているような気がする。それが、お寿司であるということに気づいている人はまだ多くはないだろうが。

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宮城県の観光PR動画について、ちょっと苦言を呈したい [地域興し]

 壇蜜が演じる、宮城県の観光PR動画広告「涼・宮城の夏」が性的な表現が多いと批判の声が挙がっているが、村井嘉浩・宮城県知事は定例記者会見で記者の質問に「誰も、可もなく不可もなくというようなものは、関心を呼びません。したがって、リスクを負っても皆さんに見ていただくものをと思いました」「私としては面白いと思っている。あれをみて『宮城に行かない』と、そういう感じにはならないのではないか」と、問題がないとの認識を示した(ハフポスト日本版編集の記事をもとに若干、編集)。

 この動画、個人的には趣味はよくないと思うが、私が問題視するのは、宮城県の観光PRに壇蜜が出演する必然性が極めて低いということである。壇蜜は秋田県横手市で生まれ、幼少の時に既に東京に越してきて、昭和女子大学付属から昭和女子大まで進む、という三軒茶屋ッ子である。三軒茶屋の観光PRもしくは世田谷区の観光PRに出るのが一番妥当である。ちょっと頑張って、横手市というのは許容範囲かもしれないが宮城県というのは、ほとんど関係ないでしょう。どうも、仙台藩士の子孫という説もあるようだが、それで宮城県の観光大使のような仕事をするのは無理がある。観光PRというのは、その都市・地域のアイデンティティを広く普及させることが重要である。そのために、税金は使われるべきものであり、「リスクを負ってみていただく」というのは十歩譲って許容しても、そのリスクを負ってみた動画に出演している俳優が、宮城や仙台とほとんど関係がなければ、その都市・地域のPRには説得力がほとんどない。
 それは、バングラデッシュの観光PRにローラが出るほどの説得力さえ有していないと思う。観光PRを血税で制作するのであれば、人々にイメージしてほしい宮城という概念をしっかりと伝えられるものであるべきだし、それを伝えるべき俳優が壇蜜である妥当性はない。というか、壇蜜が出てくる時点で、宮城、人材いないのかとさえ思ってしまう。もちろん、宮城には素晴らしい人材が多くいて、スケートの羽生選手や荒川選手とか、サッカーの香川選手とかがいるし、女優でも鈴木京香がいる。鈴木京香は、宮城県泉市で生まれ、黒川郡で育ち、東北学院大学を卒業している、というまさに宮城人である。そして、失礼な言い方になってしまうが、壇蜜に比べると女優としても格上である。壇蜜は実際の人物の素晴らしさに比して、ちょっと二流感というかB級なところを本人も楽しんでいるところがあり、それはそれで愛嬌があり、個人的には嫌いではないが、そのような個性をもつ女優を使うという時点で、宮城県は非難を免れないし、その女優が宮城とほとんど関係性がないということで、アウトであると考える。

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駐車場だらけなのに駐車できない、という恐ろしくも馬鹿げた事態が地方都市に展開している [地域興し]

出雲市最後の夕食。しかし、まだ出雲蕎麦を食べていない。ということで、レンタカーを借りているということもあり、出雲蕎麦屋を探して出雲市駅周辺を車でうろついた。ちょっとうろついた後、駅前の道沿いに店を一軒、見つけた。さて、しかし路駐はできない。どこに車を停めていいかが分からないが、後ろに車がいるので仕方なくそのまま前に進む。東京とかだと、タイプズ駐車場のような時間貸し駐車場があるので、出雲市にもそのようなものがあるだろうから、そこに停めようと思って進むが、駐車場はあるのだが、皆、月極駐車場か、どこかの店専用のものばかりだ。ご丁寧に「当店以外の方の利用は強く、禁止します。カメラで監視しているので違反者は罰金1万円いただきます」などと書かれている。結局、駐車できるスペースがみつからないまま、蕎麦屋は遠ざかった。これだけ店専用の駐車場があるということは、おそらくその蕎麦屋にも駐車場があるということだろう、ということを理解し、また車を走らせていると再び、蕎麦屋が現れた。今度は、店の前に書かれていた地図をチェックして、その蕎麦屋の駐車場に駐車する。そして、蕎麦は無事に食べられたのだが、この蕎麦屋は中心市街地にあった。そして、周辺は駐車場だらけである。それにも関わらず、これらの駐車場の利用が制限されているので、駐車場はあっても使えない、という馬鹿げた事態が生じている。確かに商店街の店舗の多くはシャッターが閉じているので、駐車場の土地には困らないのかもしれない。しかし、それでも多くの駐車場には車は停まっておらず、都心部においてこんな土地の無駄遣いはない。商店街で共有できるような駐車場ができないのか。こんな馬鹿げたことはない、と憤慨したのだが、そこで初めて高松市の丸亀商店街が共同駐車場を整備したことがなぜ評価されていたのかが理解できた。共同駐車場という準公共物を協働して整備する、ということさえできない商店街が多いということか。もし、しかし、そんなことでも協働できないようであれば、商店街がイオンなどのショッピング・センターに勝てる訳がないであろう。

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(蕎麦屋はみつけたが駐車場が分からない)

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(シャッターが降りまくっている商店街)

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(駐車場は空いているのに駐車をすることはできない)

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ゼミ生の卒論の内容を報告しに、栃木県栃木市へと行く [地域興し]

 ゼミ生と栃木県栃木市に行く。一人のゼミ生の卒論が、日本のキャラクターのイメージ調査をドイツ人と日本人に行い、その選好比較をしたものなのだが、すべて日本人の方がポジティブなイメージを持っていた中で、唯一、そうでなかったのが栃木市のゆるキャラの「とちすけ」。ということで、市役所に行って、その研究結果を報告してきた。市役所の担当は喜んでくれたけど、私としてはマスコミ等に発表してもらいたいところである。とはいえ、大学で毎年、大量に書かれる卒論。学生達は相当のエネルギーと情熱を注いでも、なかなかそれが世間の注目を浴びることはない、というか読んでもらう機会も滅多にない。といいつつ、8年前の4期生が執筆した「プロ野球選手と結婚する方法論」という卒論は、大炎上をして、ある出版社から是非とも出版したいと数回、私のところに営業に来たことがある。この大炎上は別にマイナスのものではなく、好意的というか「意外としっかり分析されている」というプラスのものが多かったが、本人の出版意向がほとんどなく、また公表しないということで、実際、プロ野球選手の奥様方に取材をしたりしたので、実質的に出版することは難しかった。この件があって、本人からの依頼もあってゼミOBのホームページに卒論のPDFをアップすることも控えたりしたのだが、卒論といえでも侮るなかれ。といった内容のものも少なくない。今回のドイツ人は「とちすけ」を好意的に思っている、なんていうのも新しい発見だと思ったりする。なるべく多くの人に知ってもらいたい、この調査結果。
 さて、仕事が終わった後、栃木市名物のモロ(サメ)料理を食べ、なぜ、みんなサメを食べないのかを理解し、その後、代官跡地や岡田家22代目(23代?)のご隠居の大邸宅などの歴史的建築物を見に行った。岡田家25代の奥様がいろいろと話をしてくれたので、栃木市の理解が深まった。岡田家では広大な敷地を維持するために、子供を医者にしたそうだ。医者以外の職業だと、維持が大変だからということだけど、なかなか世知辛い世の中だなと思うと同時に、それで医者になれるとは優秀な子供達であるなと思ったりした。

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(東武デパートと同じ建物の中にある栃木市役所)

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(適当に入った喫茶店が岡田記念館だった)

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(岡田家25代目の奥様とゼミ生との記念写真)

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(岡田家の翁島別邸)
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鳥取駅前の繁華街は土曜日の昼だがほとんどが閉店でまるでゴーストタウンのようだ [地域興し]

 鳥取駅の周辺で土曜日に昼ご飯を食べる店を探していたが、ほとんどすべてが準備中。繁華街は飲み屋が中心なので、しょうがないのかもしれないが、これだけ多くの店が集積していて、揃って閉店というのは、ちょっとこれだけの一等地の使い方としては勿体ないような気がする。というか、なんでこんなに多くの飲み屋があるのだろうか。それも不思議だ。この静けさと人のいなさは、まるでゴーストタウンのようだ。鳥取の人達は夜にはここに来るのかもしれないが、土曜日の昼は一体どこにいるのだろうか?
 閉店だらけの商店街でどうにか開いているブティックをみつけ、その店主に「お昼が食べたいのですが」と尋ねると、賀露に行かなくては駄目だと言われる。賀露というのは鳥取港のあるところのようだ。車で5キロぐらい離れているそうだが、そこに向かう。そして、向かったところは、フィッシャーマンズワーフのような観光施設であった。ただ、ここでは地元の人達もお昼を食べているようであった。なぜ、郊外にこのような施設をつくり、中心市街地に人が集まる仕掛けをつくらないのだろうか。そんな余裕があるほど人口があるわけでもないのに。
 都心のあり方などを結構、考えさせられる鳥取での体験であった。

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金沢に来て、地方の危機を再考察する [地域興し]

 最近、地方に来ると、地方の危機を強く感じる。人口減少や高齢化、自動車への過度への依存がもたらした買物難民など、多くの人々が指摘する地方の危機以外に、私が地方に来るたびに実感するのは、付加価値を創出する能力の欠如である。
 ひと昔前であれば、東京から地方へ旅行する大きな魅力は、東京では入手がなかなか難しい食べ物を味わったり、また、その地方固有の生活文化などに触れられたりすることであった。このような地方が東京と異なることによって相対的に生じる魅力こそは、地方のアイデンティティであり個性であった。特に食文化は伝統的には、その地のものを消費していたので、地域・風土が違えば、当然、東京とは違ったものが食べられ、それは地方にとって貴重な観光資源でもあった。
 さて、しかし、最近は大阪、京都、福岡といった大都市や一部の地域(例えば讃岐うどんの香川県)を除けば、地方に行って東京より美味しいものに出会える確率は極めて低くなってしまっている。こういうことを書くと、いや、コスパが違うでしょう、と異論を唱える人も出てくるかもしれないが、コスパにおいても東京より優れた料理と出会える確率は相当、低くなってしまっている。
 これは一年前に宮崎を訪れた時にも感じたが、半年前に北海道を訪れた時にも痛感した。この地の人達は観光客相手に、地の美味しいものを出しているような気分になっているのかもしれないが、悪いけど東京では我々は往々にして、これらのものよりも遙かに美味しく、そしてそれらを安い値段で楽しめている。観光地に来ているというボーナス効果を加えても有り難がることができない場合がほとんどだ。それにも関わらず、地方においてはそのような自覚がない。「東京からわざわざ来たんだったら、○○を食べないと」と言われて注文しても、ほおっと感心するようなものを食べられる確率は低い。しかし、愛想で「流石ですね」などと言ってしまう自分もいる。客に愛想を言っているのではなく、客が愛想を言っているというのが地方の特産品などで売り出している食堂の実態ではないかと私は捉えている。
 名古屋などはグルメ観光を高らかに謳って、観光プロモーションを展開しているが、名古屋にわざわざ食べに行かなくてはいけないような食べ物はない。いや、名古屋にいたら食べますよ、櫃まぶし。しかし、鰻自体は名古屋以外でも美味しいものが食べられる。きしめん、味噌カツ、コーチンで人が名古屋に来るだけの価値はない。そして、確かに相当、美味しいお店は櫃まぶしに関しては少なくとも名古屋に存在することを認めるが、名古屋の鰻屋がどこもクオリティが高いかというとそんなことは決してない。というか、そういう店は名古屋に住んでいても予約を取るのが(名古屋の櫃まぶしの名店は予約を受け付けない店も多い)困難である。つまり、名古屋にわざわざ櫃まぶしを食べにいくだけの価値がある店はごく少数ということである。それなのに、名古屋に行けばうまい櫃まぶしが食べられるかのように宣伝するのは嘘である。こういうプロモーションをしていると、いわゆる「観光地にうまいものなし」を名古屋という地域が証明することになり、逆にイメージを悪くするように思うのだがどうであろうか。
 まあ、似たようなことは東京の月島のもんじゃ、とか横浜の中華街でも言えることなのだが、これらは、それなりに町自体がテーマパークのようになっているのと、誰ももんじゃに味を期待しないことと、中華街は中国人っぽい人達が料理をつくっている、ということで味以外の要素を提供していることが、名古屋全体のグルメ・プロモーションと大いに異なる点である。
 さて、話が随分と横道にそれてしまったが、金沢である。金沢は、このようなひねくれた考えを持っている私をもってしても、「美味い物が喰えるのではないか」と期待させるオーセンティシティを有している。なんといっても加賀百万石である。ということで、昼に近江市場を訪れ、食べログまでチェックして、3.5点以上のお寿司屋さんに入った。そこでランチであるが奮発して、2700円の海鮮丼を注文した。さて、海鮮丼はおどろくほど早く来た。北海道のウニ、蟹、甘エビ、カンパチ、まぐろ、イカ、タコなどが入っている。しかし、どこか新鮮のように見えない。切った後、ちょっと時間が経っているかのような印象を受ける。さて、一口食べると全然、美味しくない。これは、しまったと思うが後悔先に立たず。イカとかは固くなっており、刺身が不思議だと思うぐらい美味しくないのだ。美味しいと思われたのはイクラと甘エビぐらいであった。これは刺身を切ってから、時間が結構経ってしまったということであろう。味的には、東京の寿司屋のランチのちらしとは比較できないほど今ひとつであった。しかも、東京の私が食べる寿司屋のランチのちらしは1000円だが、これは2700円である。近江市場で新鮮なものが食べられると思った私は大きく失望をしたのである。この海鮮丼で食べログの評価が高いことはちょっとあり得ないので、このお店の握りは美味しいのかもしれない。握りであれば作り置きは出来ないと考えられるからである。その日の夕方、近江市場の二階で食べた居酒屋はなかなかよかったことから、金沢の刺身が不味い訳ではない(それでも東京と比べて特別とはいえない)ので、この店の問題であっただろう。ただし、翌日、金沢うどんを食べたが、これもそれほど特別ではなかった。すなわち、今回の金沢旅行では期待を膨らませていたが、あまり美味しいもの、少なくとも金沢に来て美味しいものが食べられてよかったな、と思えるような料理にはありつけなかったのである。
 もちろん、金沢には美味しい店が多くあり、美味しい料理も存在するであろう。ただ、観光化をしているからかもしれないが、それでも、この近江市場の海鮮丼はないと思うのである。こういうことで商売が出来るというのは、観光客相手だからということなのだろうが、そのうち酷いしっぺ返しを食らうのではないだろうか。特に、SNSがこれだけ発達した世の中において、こういうオーセンティックを期待している人達に、オーセンティックではない、というかちらし寿司としてもちょっと違うでしょう、というものを出していることは瞬く間に知られるからである。
 金沢はバーとかも結構、高くていい値段を取る。しかし、店の人は「東京じゃあ、こんな安い値段じゃ、このウィスキーは飲めないよね」とか言ったりするが、場所を選べば飲めたりする。そういうことを自覚しなさ過ぎだ。
 それでもまだ、観光客ビジネスは、東京にはない地元の美味しいものといった幻想、誤解で当分はやっていけるかもしれないが、そのようなぬるま湯的環境では、そもそもない付加価値を新しくつくるようなことは出来ないであろう。フリーライドをしている人ばかりになると金沢の魅力は、早晩喪失してしまうであろう。
 と言いつつ、金沢には付加価値を維持し、さらに次代に継承しようと頑張っている人達、外部から金沢において新たな付加価値を創出しようと挑戦しようとしている人達も多い。私は、金沢にある唯一の「麹屋」である高木商店で、「かぶらずし」と味噌を購入した。また、お麩の専門店である加賀麩「不室屋」でお麩を購入したりした。金に糸目をつけず、しっかりと良質なものを消費しようと調査をすれば、金沢であれば外さないだけの地方固有の価値を提供してくれるであろう。
 ただ、逆に捉えると、金沢であっても、相当調べないと、なかなかいい消費体験が出来ないということである。もちろん、東京だって適当に店に入ったりしていると酷い目にあうだろうが、東京は私にとっては観光地ではなくて生活都市だからね。いい店と悪い店とをよく知っているので、同じ観光地として捉えて比較して、東京にも不味い店があるじゃない?といった感じで緊張感を持たないでいると、本当、東京にすべてやられるような気がするのである。そして、東京に人・モノ・カネだけでなく、文化、個性といった面でも後塵を拝すると、グローバル経済下、そして人口が減少していく中で、地方は本当に大変なことになると思われるのである。これだけ、ユニークなコンテンツを有している金沢でもこんな状況なのだから、他の地方都市はさらに状況が深刻であることを改めて確認した次第である。
 また追記すると、金沢は25年前に比べるとずっとよくなっている。東山の茶屋街、主計町の街並みなど非常に改善されて魅力的になっている。しかし、よくなっていても、まだ根源的な面で東京とは差を埋められていないな、というのも再確認させられた。地方に頑張ってもらわないと日本の将来は暗い。どうにか、この状況を打破できるといいのだが。

タグ:地方の危機
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カジノをどうしてもつくるというのであれば、苫小牧につくるべきである [地域興し]

 カジノ法案が今日にも衆院を通過しそうだ。このブログを読まれている人は、もうその結果を知っているだろう。さて、IRの誘致を考えている自治体は7つ。東京都(お台場)、横浜、大阪市(夢州)が注目されているが、私はカジノという濡れ手に粟的ビジネス・チャンスこそ疲弊している地方の活性化の切り札として使ってもらいたいと思っている。
 私は、基本的にカジノは強く反対しているが、もしどうしてもつくるというのであれば、それを大都市に誘致するような愚をさらに重ねることだけは避けてもらいたいと強く思う。そもそも世界的にみてもカジノというのは、大都市から隔離されて行われる。アメリカではネバダ州がカジノ解禁だが、それはネバダ州の大部分が荒涼たる砂漠で、他にめぼしい産業(軍事産業はある)がないからである。
 上記の3以外に手を挙げているのは、釧路市、苫小牧市、留寿都村の北海道勢、そして佐世保市(ハウステンボス)である。これら4つのうち、私が強く推したいのは苫小牧市。苫小牧にはまったく買い手がつかなかった広大な工業団地が広がっているし、社会基盤も整備されている。千歳空港からのアクセスもよいし、北海道はインバウンドの観光客も多い。ニセコや札幌、支笏湖などともパッケージ化しやすく、その経済効果はすこぶる大きなものが期待できるであろう。社会基盤、アクセスのよさ、さらにはその地方において新たな産業の必要性の高さ、などから苫小牧市はまさにカジノを設置するのに適している。
 この苫小牧には大きく遅れは取るが、佐世保市のハウステンボスも次点としては検討に値する。苫小牧もハウステンボスももとはといえば、新産業都市という国策の失敗が背景にある。国策の失敗の責任を地方に対して取る、ということを国はしっかりと考えないといけないと思う。
 間違っても横浜市やお台場、そして地方都市に落ちぶれたとはいえ、腐っても大阪市にはカジノをつくるような愚は避けてもらいたい。
 

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鹿児島県志布志市ふるさと納税のPR動画「UNAKO」は内容云々よりも、大手広告代理店に仕事を発注していることが問題だと思う [地域興し]

 鹿児島県志布志市のふるさと納税用のPR動画「UNAKO」が物議を醸している。志布志市の名産であるうなぎを美少女に擬人化させて、「養って」という台詞が監禁を連想させるなどと問題視されているのである。地元の女性がモデルになっているこの動画は、確かに性的なものも多少は連想させるので、その点では市役所が税金をつくるものとしてはいかがなものか、とも思ったりするが、個人的にはこういうことで所見を述べる気持ちはない。批判するのは神経質かなとも思うし、またこういうことに批判が起きない世論も問題であると思う、つまり中庸的な立場にあるからだ。
 私が気になるのは、ふるさと納税のPRのために貴重な志布志市の税金が支払われているということだ。ふるさと納税という税金を募るために広告費を使うというのは、あまりにも馬鹿げていないか。いや、市役所の職員で仕事がない人が広告を作成するというのなら理解できる。百歩譲って、地元の広告制作会社に発注をするのならまだ地域経済を潤すという理屈をつくることもできるかもしれない(税金の使い方としては有効だとはとても思えませんが)。しかし、この動画を作成したのは、天下の博報堂である。なぜ、博報堂にふるさと納税を募るための広告制作費を貴重な市民の税金を使って捻出しなくてはいけないのであろうか。私が志布志市の市民であったら、動画の内容云々よりも、ここを問題視するであろう。ちょっと出所を確認できなかったのだが(おそらく東京新聞)、制作費は800万円であったらしい。博報堂の広告制作費としては破格の安さのような印象も受けるが、そもそもこのような出費であれば1円でさえもったいない。
 平成27年12月末のふるさと基金への市への直接寄付額は約1億2400万円。前年は513万円だから相当のアップ率である。平成26年から27年の間に何があったかは不明だ。しかし、博報堂などの大手広告代理店に広告業務を依頼したことで増えたのかもしれない。
 そのように考えると、志布志市の立場からすれば広告代理店に依頼したことの費用対効果は抜群であったと思ったのかもしれない。そして、さらに図に乗って、おそらく性的なサブリミナル効果をも狙った(あまりにも分かりすぎるとサブリミナル効果にはならないのですが、市役所相手なので分かりやすくつくったとも考えられる)今回のPR動画をつくってしまったのかもしれない(さすがに最初の第一弾でこのような冒険的な作品をつくる企画を市役所が通すとは思えない)が、このような広告によってふるさと納税を増やすという行為は、すぐ他が追随することになり、基本、広告効果はどんどん低減していき、ふるさと納税によって、広告費を支払う。場合によっては赤字になるような本末転倒な事態でさえ起きることが推測される。
 そもそも、博報堂に広告代を支払って、広告を制作してもらい、志布志市のふるさと納税額が増えたとしても、日本全体では別に税収が増える訳ではなく、ただ納税先が移行するだけである。しかも、その納税額はあたかも税金のように、大手広告代理店に吸収されてしまうのである。つまり、中央にある富を地方に配分しようとしてつくられたふるさと納税制度が、結局は地方を経由して東京に戻ってくるだけである。さらに、先行して納税額が増えた自治体に倣って、他も追随することで、その広告効果も大きく減少していき、結果、ふるさと納税という地方に潤いをもたらす政策もその意義を失ってしまうのである。
 そのように考えると広告代理店はまさに税金泥棒のように思えなくもないが、喜んで彼らに自分達が中央からもらったお金を「献金」しているのは地方自治体なのである。こういうことをやっている限りは、地方創生などできるわけがないと思う。東京の力を借りずに、自分たちで道を切り開いていく、ということをしない限りは、地方は衰退していくばかりである。せっかく、ふるさと納税という武器をもらっても、それを駄目にしてしまうのは地方自身であることを自覚することが必要である。そうでないと、人口は加速度的に減少していく一方だ。

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ハバナ・クラブ博物館 [地域興し]

オールド・ハバナ地区にあるハバナ・クラブ博物館を訪れる。ハバナ・クラブとはキューバで製造されているラム酒である。1878年からつくられているのだが、元のオーナーは1959年のキューバ革命で亡命して、国有化される。その後、1994年にフランスの会社との合弁事業を行うこととし、現在はハバナ・クラブ・インターナショナルという会社が経営をしている、2011年の販売総数は380万ケース以上ということだからなかなかのものだ。
 ハバナ・クラブ博物館はオールド・ハバナ地区のウォーターフロント沿いの18世紀につくられたコロニアル・タウンハウスの建物をリノベーションしたところにある。階高のある3階建ての建物で、1階はお洒落な中庭のパティオが印象的である。どのようにラムがつくられるのか、その製造過程の展示と、またラム工場周辺のジオラマはいかに鉄道がラムをつくるのに使われていたかがよく理解できる。
 キューバという風土がラムをつくりだし、ラムが数々のカクテルをつくりだしたことが分かり、キューバとさとうきび、ラム、カクテルといった関係性が見えてくるなかなか有意義な展示が為されている。そして、当然、ハバナ・クラブの商品ラインアップの説明も受け、ハバナ・クラブ通にもちょっとなれる。最後にテースティングもさせてくれるが、ストレートで飲むラムは強烈で喉がカッカする。ガイドの英語は非常に流暢であった。キューバ人の英語力は一般的に驚くほど高い。やはり、これも教育レベルが高いことの反映なのだろうか。

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(ジオラマの展示はなかなか迫力がある)

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(若い女性のガイドは英語も流暢)

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(1階のパティオ)

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(博物館の外観)

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雲丹を求めて羅臼を彷徨い、葡萄海老を食す [地域興し]

 知床半島に来ている。知床半島だと羅臼雲丹が美味しいようだ。ということで、ウトロ側に宿泊していたのだが、知床峠を越えて羅臼の漁港まで車で行く。しかし、漁港ではどうも素人は一切、購入ができないようだ。ということで、漁港で働いている職員と覚しき人にどこで上手い雲丹が得られるかと聞くと、羅臼での雲丹の漁期は1月〜6月でもう終わった、ということで、塩水雲丹は羅臼では手に入らないことが分かった。この時期だと、利尻がいいね、と言われたのだが、まさか利尻に行く訳にもいかない。明礬が入った通常の板うにであれば、それほど拘る必要もない。それでは他に、どこで美味しい地元の魚が食べられるかと尋ねると、道の駅の知床食堂でぶどう海老と時鮭(ときしらず)を食べるといいんじゃないの、とアドバイスしてくれたので早速、そこに向かう。
 道の駅は、もう風情がまったくない、デザインセンス皆無の建物であった。一階は、魚売り場。カニと昆布が販売されている。カニは高いものだと1万円はする。これだと東京よりも高いんじゃないか、とそれほどカニに執着しない私は思ったりする。送料を考えたりすると、ここで買うメリットがあまり理解できない。こういう商売をしているお店が美味しいのか、ちょっと不安だが、ぶどう海老というのはおそらく食べたことがないような気がするので二階の知床食堂に行く。
 ぶどう海老は、標準的には「ひごろもえび」と言うらしい。その名前の由来は、葡萄と同じような紫がかったワイン色をしているからだそうだ。その値段は一匹、1700円。べらぼうに高いが、漁港の職員が、そもそも卸値がべらぼうに高いから1000円じゃあ食べられない、と教えてくれたのでこれは想定内である。そして、このぶどう海老は羅臼の名物であるのと、漁期が7月1日〜9月末なので、このタイミングで、ここで食べるのはとても正解なのだ。
 ということで食べてみる。ぼたん海老のような感じだが、より味が濃厚のような気もする。しかし、これは新鮮さにも因るかもしれない。まったく冷凍してない状態で出されているので、まあ美味しさには間違いはない。
 また時鮭も焼いてもらったのだが、これもふんわりとして美味しかった。ここらへんは地のものであるから、新鮮である、というところが大きいのかもしれない。
 あと、雲丹をまったく食べないのも癪なので、うにぎりというおにぎりの具がうにのものを注文したが、これは塩雲丹であり、全然、美味しくもなかった。さらに、雲丹の量も少なく、しかも、通常のおにぎりが150円なのに、これだと600円。こういうぼったくり商売は、以前も稚内で経験しているが、ちょっと消費者を馬鹿にしているのではないか、と思ったりもする。こういうことを繰り返していると、観光客も馬鹿じゃないので、そのうち来なくなるよ、と思ったりもする。
 とはいえ、葡萄海老にしろ、雲丹の北海道の漁のあり方など、色々と勉強にはなった。

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(これが葡萄海老だ!1700円!)
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下北沢の結婚パーティーに顔を出して、その街の底力を垣間見る [地域興し]

 下北沢の知り合いのロックバーの看板娘が結婚式をしたので、ちょっと二次会のパーティーに顔を出す。二次会は結婚式の延長線で開催されたということもあり、下北沢の音楽面でのサブカルチャー的文化を支えている人達が勢揃いをしていた。私の知り合いも何人もいたが、私はサブカルチャーのファンではあるが、支えている訳ではないのでちょっとした距離感は覚える。とはいえ、端っこに入ればいることは許される。それぐらいの存在には長年、下北沢とつきあっているので、なれている(気がする)。まあ、出しゃばらなければいてもいいかな、と許されるぐらいのポジショニングである。
 さて、このパーティーはロックバーでやられたこともあり、また下北沢なので店から道にまでそのめでたい雰囲気があふれ出ていて、とても楽しいパーティーであったのだが、個人的にとても驚いたというか、ぶっ飛んだのは、歯が抜けたおばあちゃん(私は53歳なので、私がおばあちゃんと言うのは本当におばあちゃんである)達が、バックに流れるファンキー・ミュージック(Pファンクやオハイオ・プレイヤーのようなもろファンク)に合わせて、絶妙なステップと腰使いで踊っていたことである。もう、この人達は若い時には随分と遊んだのだろうな、というのが察せられる年季の入った踊りなのである。まるでアフリカ人のような、キレのある踊りであった。ちょっと、今時若者だって、ダンスをしっかりとやっていないと、こんな格好良くは踊れないだろう、というキレキレの踊りであった。しかし、満面の笑みからこぼれる歯はない。ううむ、下北沢はやはりただ者ではないな、とつくづく思わされた。ロックバーでの派手度満載のパーティーよりか、この老婆達のファンクダンスに遙かに感動した、というかやられた。

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タグ:下北沢
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武雄図書館を訪れ、公共性について考えさせられる [地域興し]

 武雄図書館を訪れる。2000年に佐藤総合計画が設計し竣工した図書館と歴史資料館を改修し、TSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブが指定管理者として参入し,2013年4月から運営を行っている。その時、開架書庫閲覧室の増床、2階バルコニーの新設などの改修を行っている。カルチュア・コンビニエンス・クラブが指定管理者となった後、蔵書の入れ替えに伴う貴重な歴史資料等の廃棄・除籍、および選書に対しての批判が高まっていた。私も、おそらく武雄図書館に訪れたら否定的な意見を持つであろうと思いつつ、武雄図書館に向かった。武雄図書館は武雄温泉駅から歩いて15分ほどの場所にある。目の前は夢タウンで、つくづく地方中小都市の中心は鉄道駅ではなく、ショッピング・センターであることを改めて思い知らされる。それなのに、コンパクト・シティを推し進めようとしている中央政府は、鉄道駅を都市の中心に位置づけようとしているのだ。愚かにも。閑話休題。
 さて、武雄図書館の第一印象は、なかなか趣のある素場らしい公共建築だな、ということである。佐藤総合計画は九州の建築設計事務所であるが、地元でこのような建築作品が多く生み出されるのは素場らしいことであるな、と感心する。また、武雄図書館はTSUTAYAの指定管理事務所が決まった後、つくられたのかと思っていたのだが、そういう訳では決して無く、既存の施設を改修しただけということを知った。ハコモノ行政ではなかったのである。
 実際、訪れた印象は、街中にある、規模の大きいお洒落な本屋である。私が奉職する大学の図書館なんかとは蔵書がまったく違う。基本、お洒落系の雑誌等が主体である。青山ブックセンターのような感じである。スタバも入ったりして、こんなお洒落空間が図書館であっていいのか、民業圧迫なんじゃないか、と東京であれば思ったりするが、ここ武雄市は圧迫する民業もないかであろう。お洒落な居心地のいい空間を公共がつくることは別に悪いことではないだろう。また、確かに貴重な歴史資料等が廃棄されたことは大変な問題ではあるが、それはむしろ佐賀大学などの公共の大学に収納していた方が使い勝手はいいかもしれない。市民の図書館として、この武雄図書館は遙かに市民のニーズに合致しているかもしれない。しかも、武雄市のような5万人程度のマーケットしかない都市では、民間はこのようなニーズに対応しない。そこで公共が、それを補うというのは悪くないかもしれない。
 公立図書館の多くは、官営図書館になってしまっている。したがって、公共サービスといった意識は、皆無であるし、仮に職員が持ったりすると、組織から弾劾される。結果、誰も利用しないような公立図書館だらけになってしまう。そのような状況に風穴を開けた、という点ではこの武雄図書館は結構、興味深い事例であるし、この武雄というまったくもって魅力が感じられない中途半端な都市には、一服の清涼剤のような場所となっている。私が高校生で武雄に住んでいたら、この図書館によって救われたかもしれない。そういう場所を、民間がつくれなければ公共がつくるという発想はそれほど間違っていないように思うし、私は訪れる前より遙かにポジティブな気分でこれを評価したいと考えた。そもそも、公共図書館がしっかりとしていれば、カルチュア・コンビニエンス・クラブが指定管理者になるような事態も起きなかった筈である。日経新聞は「本が泣いている」と批判したようだが、そもそも、利用率が市民の2割以下の図書館に置かれている本こそ「泣いている」と私は考えるようになった。実際、現地に行くと、大きく考え方が変わるということを実感した武雄図書館の視察であった。
 
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長良川鉄道に乗る [地域興し]

 長良川鉄道で郡上八幡から美濃太田まで行く。約1時間20分。列車は長良川沿いの渓谷を単線でゆっくりと走っていく。沿線の光景は素晴らしい。どこが素晴らしいかというと、その地域風土が感じられる街並み、自然景観が残っていること、特に長良川の水の流れが素場らしい。このような景観は山陰地方などにはまだ残っている印象を受けるが、北海道には皆無であるし、意外と東北地方にも少ない印象を受ける(津軽半島などは行ったことがないので、この点は間違っているかもしれない)。ここらへんは、地域としての豊かさの違いとも関係があるかもしれないが、郡上や丹波のように養蚕などで豊かな地域経済を謳歌し、かつ戦後の経済発展の周縁部に位置していた地域は、素場らしい風土を維持できているところが少なくないような気がする。
 長良川鉄道のペースはとてもゆっくりで急いでいる人にはじれったいところもあるかもしれない。しかし、並走する国道を走る車よりは速いスピードで走っていく。そのアンダンテぐらいのテンポは、この山間の風土にはちょうどよい。
 郡上八幡へは行きには高速バスで岐阜から行った。高速道路はトンネルも多く、ほとんど車窓を楽しめない。地域風土や街並みから分断され、全然、楽しめない。寝るには都合がいいかもしれないが、旅行の移動という楽しみがほとんどない。それに比べて、この長良川鉄道はディズニーランドのグレート・ウェスタン・レイルロードに乗っているような静かなわくわく感がある。険しい山間では、目の前に突然、小さい滝が見えたりする。毎日、通勤や通学で使っている人には退屈かもしれないが、初めて乗った私はちょっとした感動の景色が展開する。最近はドイツのローカル線ばかり乗っていて、日本のローカル線に乗る機会が少ないのだが、しっかりと日本にも素場らしいローカル線が走っていることを再確認して嬉しい限りである。
 長良川鉄道の経営もおそらく相当、厳しいと思われる。ただ、この鉄道があることで、美濃太田と繋がっている。そして美濃太田でJRに乗り換えれば、全国と繋がることができる。この安心感が地域に与える影響はとても強いものがあると思われるのだ。これは、道路が与える安心感とは別のものである。道路は移動するうえでは必要条件ではあるが、十分条件ではない。道路で移動するためには、自動車運転免許証が必要であるし、自動車が必要であるし、また運転技術をするために十分な身体的状況(眠くないなど)が求められる。それに対して、電車は小銭が少々あれば乗ることができる。駅に行かなくてはならないというハードルはあるが、駅まで行ければあとはどうにかなる。この安心感、さらに地域の顔として、シンボルとしての駅の果たす役割も大きいと思われる。北海道の足寄駅が、鉄道を廃線にした後も、その駅舎を町のランドマークとして利用していることなどは、鉄道は廃線にできても、駅を撤去することは喪失感の大きさから抵抗があったのだろうと推察できる。もう駅としての役割を果たす必要がなくなってもである。
 このように考えると、長良川鉄道は、この地域において極めて重要な役割を担っていることが分かる。

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中国観光客をもっともてなしすれば、日本の地方経済も潤うかも [地域興し]

 北海道に行く。一泊目は阿寒湖で泊まった。ネットで検索して、夕食を取らなくてもよい、阿寒湖畔にある宿に泊まった。戦後のおそらく1960年代か70年代につくられたような団体観光客相手の古いホテルであった。おそろしくレトロなつくりで、その時代遅れ感は、懐かしいというよりかはちょっと嫌悪感を覚えさせるようなものであった。
 しかし、客は多い。今でもこんなホテルに泊まる人がいるんだな、と妙に感心をしていたら、これらのお客さんはほとんどが中国人であった。こんなおんぼろホテルに泊まってくれるなんて、とても有り難い人たちである。なぜ、こんなところに泊まるのか、私にはちょっと理解しにくいが、まだ消費が成熟していないからであろうか。バブル前の日本人と同じような消費成熟度なのかもしれない。
 ある意味で、日本の顧客だけを対象にやっていればとっくに潰れていたような旅館が中国観光客のおかげで持っているということだ。これは、地方経済にとっては大変、有り難いことであり、日本の10倍以上の人口を抱える中国市場をうまく取り込むことで日本の地方経済も潤うかもしれないな、と思ったりもする。これは、フランスとかがおそらく日本人観光客相手にやっている戦略とも通じるところかもしれない。例えば、フランスの建築家であるコルビジェが晩年につくったロンシャン教会という建物がドイツ国境近くにあるが、そこなどは訪問客の半分以上が日本人である。本当、うまく仕掛けたもんだよな、と思う。フランス人が日本人をうまく有り難がらせるといったしたたかさを日本の地方も学び、しっかりと中国人の人たちが日本に来てよかった、と思わせるような仕掛けを展開するべきであろう。
 気をつけなくてはならないことは、中国人の消費者達も、今は洗練されていない今ひとつの観光サービスでも有り難がっているかもしれないが、そのうち、日本人がそうであったように消費者として成熟していくことである。そういうことを考えると、今、生きながらえるチャンスをもらっている間に次の展開を模索するべきである。それが出来ないと、セカンド・チャンスはないと思われる。

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帯広のビジネスホテルに泊まったら、ラブホテルをリノベしたものであった [地域興し]

帯広のビジネスホテルに泊まった。あまり気にしないで安め、そしてインターネットがフリーアクセス、駐車場無料という条件で予約した。レンタカーで向かったのですが、結構、駅から離れていて、どうもビジネスホテルの立地としては今ひとつだな、と思っていたら、中に入ってもとラブホであることが判明した。部屋自体がだだっ広いのはいいが、風呂場が異様にでかい。しかも、アクリルの嫌らしい椅子まで置いてある。なんだかなあ。男一人で泊まるのには、いくら部屋が広いといってもなんか気まずいものがある。チェックアウトの時、いつリノベしたのか尋ねると、1年前の4月、すなわち1年3ヶ月前ということである。それにしても、ラブホテルというのは私の勝手なイメージであるが、相当美味しいビジネスであると思われる。そのようなビジネスをやっていたにも関わらず、ラブホからビジネスホテルに転業するというのはどういう背景があったのであろうか。しかも、ビジネスホテルの立地としても全然、優れていない場所であるにもかかわらず。ラブホのニーズというのがなくなっている、ということなのだろうか。それとも、帯広の経済がとても停滞しているのであろうか。しかし、マクロにしてもミクロにしても、何か大きな地殻変動が起きているような気がする。

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小豆島でオリーブ・オイルを買ったら、スペイン産であった [地域興し]

小豆島に行った。何かお土産を買おうと思って、オリーブ・オイルを購入した。500円と値段も手頃であった。小豆島といえば醤油、そしてオリーブだからだ。なかなかよい買い物をしたとご機嫌であった。さて、しかし、その後、このオリーブ・オイルはスペイン産であることが判明した。小豆島だからと思って買ったら、それは小豆島産ではなくてスペイン産であったのだ。これは、一種の詐欺ではなかろうか。

私が買いたかったのは、例え高くても、小豆島産のオリーブ・オイルであった。別にオリーブ・オイルが買いたくて購入した訳ではない。また、これはお土産用に買ったのだが、この事実を知って、お土産であげることを断念した。相手に失礼だからだ。

なんで、こういう商売をするんだろうなあ。地産地消とかいう言葉が、本当に虚しく響く。こういう買い物をさせられた人が、小豆島のファンになることはないと思う。というか、小豆島のファンであった人でさえ、敬遠させるような行為であると思う。地域というブランドで商売をしようとする人は、この点をしっかり認識した方がいいと思うし、もし小豆島の人がこのブログを読んだら猛省してもらえればと思う。まあ、無視されるだけかもしれませんが・・・。

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(小豆島のオリーブのシンボルも泣いているぞ)
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ユルドルSKM(商店街勝手に盛り上げ隊) [地域興し]

しばらくブログを更新するのを怠っていました。これは、忙しかったからです。それでは、何に忙しかったかというと、アイドルならぬユルドルのレコーディングのプロデュースをしていたからです。そして、ようやく7月7日には、itunes、amazon.co.jpのデジタルレコードなどにてダウンロードができるようになり、本日はCDのジャケット・デザインなどをプレス屋に送ることができました。CDの方は今月の20日頃から販売ができるようになるかと思います。このCDは『いただきます』というタイトルの8曲入りのアルバムです。
 私自身は人生3回目のレコーディングですが、CDをリリースするのは初めてなのでちょっとわくわくしています。CDの発売に23万円強、レコーディングに20万円近く、またミキシングにも15万円ぐらいかかったので、本当、ある意味で道楽なのですが、ちょっと聴いた人が笑ったり、楽しんだりしてくれたら嬉しいですね。
 ちょっと関心を持ってくれた人は下記を参照してみて下さい。
http://www.tunecore.co.jp/artist?id=55006

 なお、このユルドルはその正式名称を「ユルドルSKM(商店街勝手に盛り上げ隊)」といって、商店街のイベントなどに呼ばれたら、そこに行って踊って歌って盛り上げる、ということを行っています。交通費を出してくれれば、どこにでも出向きますので、何かありましたら、yurudoruskm@gmail.comにまでご連絡下さい。よろしくお願い申し上げます。

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(CDの表紙)
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(CDの裏表紙)
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猿払村のリゾート・ホテル [地域興し]

猿払村にはリゾート・ホテルがある。平成元年に村が設立したリゾート・ホテルである。今は民間に払い下げられている。隣には道の駅も併設されているのだが、道の駅より先にリゾート・ホテルはつくられた。なぜ、こんなところにリゾート・ホテルとの私の問いに、「いや、ここらへんにはホテルがないんで、あってもいいんじゃないかと思って」との回答。滅茶苦茶いい加減である。さすが金の使い道に困る猿払村だけある。

しかし、リゾート・ホテルはそこがリゾートであって初めて成立するものであって、リゾートがないのにつくってもビジネスとして成立しない。ちなみに、横には広大な平原があるのだが、そこはキャンプ場であった。すさまじい風が吹く中、風を遮る低木一本もないところで、なんでキャンプをしなくてはならないのか。まあ、おそらくここをキャンプ場にしようと考えた人はキャンプをしたことがないんだろうな。これは、さすがに村長さんにお会いしたとき、あれじゃあ不味いっすよ、と言っておいた。これじゃあ、飛行場でキャンプをするようなものだ。

さて、案の定、このリゾート・ホテルはうまくいっていないようで、料金が高い(私は実は泊まった)。私は当初2泊する予定だったが、食事も相当、今ひとつのようだったので(実際、相当、今ひとつであった)、二泊目は稚内にした。稚内の方がずっとホテルはよく、料金も安く、周囲の環境もベターであった。このリゾート・ホテル周辺には本当、オホーツク海しか見るようなものがない。とはいえ、まあホテルがあれば、ツアーの宿泊先として組み込むことは可能かもしれない。鬼志別の周辺は、さらに何もないので、オホーツク海があるこちらの方がちょっとベターであるという思惑も働いたのかもしれない。しかし、それならサービスや食事などで特化するような工夫をすべきであったろう。私がこのホテルで食べたホタテカレーは、ホタテこそ美味しかったが、カレーは学食もしくは社食レベルのカレーであった。せめて何もなければ、もっとこのホテルに泊まってよかった、猿払村に来てよかったと思わせるような演出が必要であろう。

とはいえ、これだけ豊かだとそういう努力するインセンティブも働かないのだろうな。まあ、それはそれでいいだろうが、そういうことを期待して、このホテルに来た人は残念であるかなとは思う。需要が常に存在するという、極めて恵まれたビジネスをしているから、需要を発掘する、需要をつくりあげるという気概に欠けているのかもしれない。もちろん、昔はそういう気概で、この村を豊かな村へと変貌させたのだろうが。失敗は成功のもとだが、逆も真なりなのではないだろうか。

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猿払村に、最近パン屋が開業して、大人気である [地域興し]

 猿払村に、最近パン屋が開業した。最近も最近、まだ一ヶ月も経っていない。
 猿払村には天北線という鉄道が走っていた。私も中学時代は鉄道好きだったので、随分と旅情をかき立てられた線路である。これは平成2年に国鉄がJRになったことを機に廃線となった。この天北線の駅が猿払村には幾つかあるのだが、その一つ、鬼志別駅跡地が、現在、バス・ターミナルになっている。
 そのバス・ターミナルのそばに焼きたてパンの店が開店したのである。こんな焼きたてパンが新たに開業する村というのも随分と珍しいのではないだろうか。ちなみに、この店舗は月曜日の15時ぐらいであったが、ひっきりなしに中年女性のお客さんが入ってきて繁盛しているという感じであった。私も、シャウエッセン、あんぱんを買う。そんなに特別に美味しいというパンでもないし、東京では繁盛するのは厳しいかな、と思わなくもないが、焼きたてであるということを考えると、こういうパン屋があるかないかで、随分と生活の豊かさが変わるかもしれないなと思ったりした。少なくとも、ちょっと先にある農協スーパーの大手パン製造会社の「腐らない」パンよりはずっとましである。
 この店は従業員も多い。朝と午後だと違うスタッフが働いている。二交代制なのかもしれない。たいてい5人ぐらいが働いているといった印象だ。そして、客だが大量に買っている。発泡スチロールの箱2つにパンを大量に買って積み込んでいる老夫婦に、何かパーティーでもあるんですか、と尋ねると、買い出しに来ているとのこと。なんと外に停めてあった車はトラックであった。さらに、この老夫婦は、薬屋でも買い出しをしていた。おそらく買い物難民のための対応策なんだろうけど、結構、事情は大変なんだな、ということを目の当たりにする。
 どこから来たのかを尋ねたのだが、私がここらへんの地理に疎いので、遠いのか近いのかも分からないが、「ここのパンは美味しいからね」と言う。私は、ここのパンが美味しいとは思わないが、スーパーやらが出来ても、焼きたてのパンはなかなか難しいし、作り手の顔はみえない。ここは、そういう意味で安心だ。
 話がちょっと飛ぶが、時間が余ったので隣町の浜頓別に行って話をしたおばさんも、この店のことを知っていた。なんでも地元の新聞にも紹介されたそうだ。このおばさんに浜頓別には焼きたてのパン屋はないんですか?と尋ねるとないとのこと。隣町のショッピングセンターである「サイジョウ」にまで行かないとないとのこと。ということで、まだこのおばさんは猿払村のパン屋に行ったことがないが、行ってみたいなあ、という。ちなみに、ここからパン屋までは30キロメートルの距離はある。東京から横浜ぐらいの距離だ。
 パン屋さんのご主人に話を聞く。東京で修行をしていたそうだ。お子さんは二人いるが、もう30歳を越えているので教育の心配はない。弟さんがこちらで大工をしていたこともあって、まあ実家に戻ってのんびりとしようと思って帰ってきたのに、忙しくてそれどころではなくなったとのこと。アポを取らさせてもらったのだが、話をしたくないとのオーラが強かったので、あまり話したくないことがあるのかもしれないと早々に切り上げた。ただ、話を通じて分かったことは、猿払村はお金持ちが多くて、お金の使い方に困るようなところである。こういうパン屋のように、ちょっとでも生活がよくできるような商品やサービスへの需要が凄まじく高くてビジネスが成立するということだ。
 私の住んでいる都立大学はすこぶるケーキ屋の質が高くて、とてつもないレベルでの競争が起きている。その結果、おそらく都内でも他の地区だったら余裕で顧客がついたようなレベルの高いケーキ屋が店を閉店させた。しかし、都立大学周辺の住民は困らない。一方で、このようなケーキ屋が猿払村に出店したら、もう半径50キロメートルぐらいの商圏を確保できるかもしれない。
 なんか、いい加減なマーケティングでは理解できないような商構造があることが今回、猿払村を訪れたことで気づかされた。人口とか、商圏などという指標を一律に当てはめられない地域の事情があることがよく分かった。
 そして、こういうことは中央政府の役人には分からない。一人、二人気づいた人間がいても、組織としては却下される。私は東京大学の土木工学科という役人養成機関を卒業しているので、多くの知人が中央政府の役人にいるので、このことはよく理解している。地方のためにも、そして多様性のある国家を築くためにも、地方分権が何より必要だなと思った。猿払村は政府の機関がなく、政府が放っておいた、というか放っておかれたので、自分達で課題を解決しようとしたところが、大きな成功の要因であると短い滞在であるが思わされた。
 ちょっと商業の話から離れてしまったが、地方においても小売業のポテンシャルがあることと、そして、そのような考察からも地方分権が必要であるということが改めて確かめられた。



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猿払村の事例は、人口減少に悩む多くの自治体に知恵と勇気をもたらしてくれる [地域興し]

 猿払村に来ている。稚内市の東隣にある日本最北の村の一つである。
 最近、人口縮小が話題になっている。日本創成会議がふざけたとしかいいようのない「消滅自治体」の発表をしたのが先月頭である。豊島区のように、ほうっておけばいいのに慌てて対策を始めるなど、なんか、この縮小現象に対する世間の狼狽に、私はとても冷ややかな目でみているのである。なぜなら上智大学の鬼頭教授が指摘しているように、現在の人口縮小は、まさに1970年代に政府主導で出生率を下げるように努力してきた成果が実ったからであり、そもそも予期されたことである。というか、政策がうまくいってよかったと喜ぶべきなのに慌てふためいて困惑している。これは、長期的観点からすれば馬鹿でしょう。
 しかし、冷ややかな目でみているのも無責任だろう、ということで自治体の簡単なデータ分析をしてみた。人口縮小が日本にインパクトを与える点は、1)規模としての人口縮小、2)人口縮小のスピード、3)地域間格差の拡大、の3つが主に考えられる。世間が慌てているのは1)だが、これは前述したように、政策主導の成果であり、慌てることはない。というか、年金問題、規模としての経済縮小という問題はあるが、これはそれほど本質的な問題ではない。鬼頭教授は、「人口減少は現代文明の成熟が原因である」(『2100年、人口3分の1の日本』)と指摘しており、ある意味で必然的な結果ともいえる。現在の急速な人口減少は、政府主導であったかもしれないが、そもそも人口減少は世界的に先進国でみられる結果であり、イギリスやフランスが多少、減りに鈍りをみせているのは移民を大勢、受け入れているからである。ということで、これは対策を立てること自体、あまり賢明ではないし、一所懸命、出生率を上げようと声高に叫ぶ人達は近眼すぎる。2)は若干、問題だとは思う。これは、70年代の人口増加抑止策が効き過ぎた結果ではあるのだが、この変化の速さに対応するのは難しい面がある。とはいっても、策はある。生産年齢人口(特に若い)の移民を増やすことだ。まあ、その是非はここで検討しないし、私もそれほど関心を持っていない。私が関心を持っているのは3)である。現在の人口縮減は、自然減が大きな要因となっているが、地方にとっての人口縮小は社会減が大きな問題であった。この社会減をいかに抑えるのかは、地方が維持可能な経済社会を確立するうえでの大問題である。現在の日本政府は、ひたすら東京というもっとも持っている都市をさらに豊かにさせようと投資している。オリンピックの東京開催は、国家的にも東京的にも、惨憺たる大失敗であるということが今の時点で明らかだが、さらに下手すればカジノまでも東京につくろうという計画がある。私はカジノこそ、苫小牧のような打つ手がない地方の最後の救済策になるのではないかと思っているのだが、なぜ東京?アメリカのようなそれほど賢くない国でもラスベガスはネバダという何もないところにつくる。ニューヨークやサンフランシスコやシカゴにはつくらないでしょう。それは国家がバランスよく発展することが、国力を増強させるためには必要だからである。サッカーだって本田だけに、特別メニューや特別トレーニングなど特別待遇をさせてもチームは強くならないでしょう。今の日本政府は、そういう馬鹿なことを地方政策においてしていると思われるのだ。そんなことをしているので、地方には希望が持てずに、大量の若者が高校を卒業すると、東京に出てきて、また地方の大学を出ても就職するために東京に出てくるのだ。
 この地方から東京に出てくるという数字自体は、実は減少傾向にある。これは喜ばしいことでも何でもなく、ただ地方に送り出す若者がいなくなっていることに過ぎない。
 このように人口縮小がもたらす地域格差の拡大に関しては、私は関心を持っている。どのように、人口縮小のダメージを緩和できるか。都市デザイン的に何かできるのか、ということを研究テーマにしているのだ。
 ということで、自治体をいろいろと統計数字で整理していると、面白い自治体がみつかった。それが、今回訪れた猿払村なのである。猿払村は高齢化比率が22.4%と全道で4番目に低い。札幌市よりも低いのだ。人口ピラミッドをみても全国に比べて、高齢者が低いだけでなく、子供達も多い。この村には何かユニークなところがあるのではないか。ということで、村を訪れて村長さんともお話をすることにした。
 さて、実際、訪れたことで分かったことは、この猿払村、驚くほど金持ちであるということだ。猿払村の主産業はホタテである。ホタテの漁獲高は日本一である。ここのホタテは養殖ではなく、天然ものであり、さらに5年間育てているので、他産地と比べてずっと美味しい。最近では、中国や欧州へも高級ホタテとして輸出されている。ホタテ漁師というか、漁協の組合員は300人ほどいるが、これら組合員の年収は多い人だと4000万円ぐらいあるそうだ。
 猿払村には高校がない。したがって中学を卒業すると、稚内高校か浜頓別高校に通う。バス通学だが、稚内高校だと下宿する学生もいるそうだ。なかには、もう高校から札幌や旭川までも行ってしまう。これは、漁師は札幌や旭川にマンションを持っているから、そこに息子を住まわせて通わせられるからだ。しかし、多くの子供達が高校を卒業すると、猿払村に戻ってくる。その実態は、人口ピラミッドをみても明らかだ。
 村長さんは、なんでこんなに若者が戻ってくるように豊かなのですか?と尋ねると「一次産業がしっかりしている」からとの回答。これは、私の仮説とも一致。私は以前だが、『エコノミスト』に書いた原稿で、人口が減少しない人口5000人以下の自治体は「一次産業がしっかりとしている」という特徴があることを指摘したが、この猿払村もまさにその通りであった。一次産業は、その地域風土に則っている。ということで、他が模倣したくても模倣できない。それに、その地域に合ったものを通常、つくるし、そのような商品を開発する。あの人口縮小都市の代名詞でもある夕張市であっても、夕張メロン農家はしっかりと稼いで生活できているのだ。原発や炭鉱、工場など、その地域性と関係性のない、というか土地と関係のない産業に依存しているところ、まだ産業に多様性がなく、それらの産業への依存度が高いところほど、人口縮小は甚だしい。原発に関しては事故が起きる以前(すなわち2010年の国勢調査)のデータでの分析でも北海道泊村などの人口減少が甚だしいのは皮肉としか捉えられない。結局、地道にしっかりとしたその土地に合った産業を育てていくことが重要であることを、猿払村の成功は示唆しているのではないだろうか。
 この猿払村。しかし、その昔は主力産業すらないところで、ひたすらオホーツク海のものを取って売っていたが、ニシンが捕れなくなり、またホタテも捕れなくなり、貧乏をみたければ猿払村に行けとさえ、言われたのが、そこから一念発起。村の予算の半分を、ホタテを育てる(養殖ではない)ことに研究することに使い、猿払村村民の苦労と英知によって、ホタテを育てることに成功したのである。そして、現在では若い世代が漁業と、そして酪農に夢と希望を持って後継してくれる状況になっている。
 いい話である。ただし、猿払村の今後の展望はそれほど明るくはないとの印象を持った。というのは、漁協組合に入ることが極めて難しく、1世帯あたり一人しか引き継げないなどのギルド的なルールをつくったりしていることだ。競争の原理があまり働かず、既得権を守ることを考え始めた組織は、そのうち衰退していく。また、地元の道の駅で出される食事が、全然、美味しくない。輸出で食べていけるので、日本のマーケットを拡大しようとするような気概もないようだ。逆にいえば、その程度の組織であっても、しっかりと一次産業の競争力などを活用すれば、しっかりと地域は守れるということだ。猿払村は政府の機関など一切ない(自衛隊の演習場はある)ということも自立意識を高めたことに寄与したのかもしれない。どちらにしろ、猿払村の存在は、人口減少に悩む多くの自治体に知恵と勇気をもたらしてくれるのではないだろうか。

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「消滅」指摘の豊島区が対策をするという愚 [地域興し]

 日本創成会議が豊島区を消滅自治体として5月上旬に報告した。そんな馬鹿な報告、誰も相手にしないだろうと思っていたら、当の豊島区は慌てて対策までし始めた。豊島区みたいな東京の中核に近く、利便性の高いところが消滅するわけがない。地価が下がれば、すぐ人は引っ越して住むようになる。アメリカの都市の中心みたいにスラム化したら、話は別かもしれないが、日本創成会議が指摘するように若い女性が少なくなったからといって豊島区が消滅することなどあり得ない。地方から東京に住み込む単身者には格好の住宅を供給するであろうし、郊外に住む高齢者達は、豊島区であれば自動車を利用しない生活のしやすい住環境を提供するので、すぐさま引っ越すであろう。豊島区には目白や千川などの飛び切りの高級住宅地ではないが良好な住宅地もある。ここなぞは、地価が下がったり、空き家になったらすぐさま膨大なる後背地の郊外から引っ越したがる人は数多もいるであろう。
 日本創成会議が豊島区が消滅するという予測を出したのは、その前提がしっかりしていないからである。というか東京等に社会流出する地方部においては仮説しても説得力を有していても、豊島区のようにそもそも目的地である自治体においては、このような予測は間違った結論を導きやすい。
 私が、しかし、今回の件で驚いたのは、こういういい加減な予測をしっかりと検証もしないで慌てて対策をしてしまう豊島区である。豊島区としては、馬鹿な予測だと相手にしなければいいのに、相手にして慌てて対策をすることで、自らネガティブ・キャンペーンをやっている。豊島区はちょっと頭が悪すぎる。これに関しては本当、心配であると豊島区出身で豊島区に本籍のある私は思う。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140529/k10014838541000.html
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魚らんラボの活動報告とユルドルに関して [地域興し]

私がゼミ生と行っている魚らんラボの活動を台北で開催されていた環太平洋コミュニティ・デザイン会議で報告した。内容的には、魚らんラボでの日常的な活動である魚ラボ通信の発行、魚ラボセミナーの開催などに加え、ユルキャラ・コンテスト、ユルドル・プロジェクト、ユルカフェなどの報告をした。さて、魚ラボでの日常的な活動に関しては理解してもらえたようだが、ユルキャラはよく理解できなかったようだ。まあ、よく考えればユルキャラというコンセプト自体、相当、文化的には洗練されているというか捻っているからなあ。さらに、ユルドルはまったく理解不能のようであった。そのような発表をしている私自身が珍獣のように見られているような気になった。これは、アメリカ人もそうだが、香港で教えている日本人も理解ができないようであった。唯一、反応したのは国立台湾大学の先生で、彼女は、そのアプローチに何かポテンシャルのようなものを感じたらしく、報告後、飲みに行った時、その話で盛り上がった。しかし、この彼女も私の戦略性をどの程度理解したかは心許ない。

しかし、よく考えると、私自身もそのような活動が、街づくり、地域づくりに関係できるのかは自信を持っていないところがあった。そのような、ちょっと悩ましい気持ちのまま、帰国便の飛行機で「あまちゃん」を見た。ちなみに、私はあまちゃんを見たのは初めてだった。能年玲奈、小泉今日子となかなか役者も揃っており、ストーリーも楽しい。これなら、売れるのも納得だな、と思っていたら、この舞台となっている三陸の町に観光客を呼び込むために、アイドル戦略を採っているという話になった。なんだなんだ、私がやろうとしていることと同じじゃあないか。それどころか、あまちゃんのパクリと誤解されるぐらい同じだ。ということで、私のやり方は全然、オリジナリティがあるどころか、もうみんな知っているようなアプローチであることが分かった(そもそも、このユルドル企画も香川大学のボンサイ・ガールズをヒントにしている)。とはいえ、あまちゃんはフィクションで、私は現実社会でやろうとしているところがちょっと違うのだが。

ユルドルのホームページは下記でご覧になれます。
http://yurudoruskm.wix.com/yurudoru

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