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観光客で溢れかえったイグアスの滝を訪れる [地球探訪記]

 イグアスの滝を訪れる。これで4回目だ。最初に訪れたのはおそらく1999年頃か。仕事でシウダ・デ・エスタまで行き、ついでに寄ったのである。さっと見てさっと帰った。その次は2012年。そして2013年。そして今年である。4回すべてブラジル側というワンパターンである。
 さて、しかし今回はカーナバルの休日の日曜日、しかも前日は雨であったこともあってか、イグアスを見に来た観光客の多くがイグアスの滝に集中してきたからだろうか。大変の混み具合であった。そもそも、クリチバからは夜行バスで移動。フォス・ド・イグアスの長距離バス・ターミナルに着いたのは8:15頃であった。そこから市内バスに乗り換えて、都心のターミナルまで30分。ここまでは問題なし。しかし、都心のターミナルからイグアス国立公園の入り口まで、本来なら15分ぐらいで行けるところに1時間30分ほどかかった。これは、イグアス公園まで行く道路が観光客で大渋滞をしていたためである。バス内も通勤電車並みの混み具合。一つ前の停留所で降りて歩いた方がずっと早かった。この混雑は、イグアス国立公園の入り口まで続く。そもそもチケットを購入するのに長蛇の列。チケットを買った後も、これまた長蛇の列。この長蛇の列は、入り口から滝までのバスの容量が圧倒的に少ないためである。バスの待ち行列が、入り口の行列をつくっている。我々は、この日の17時の飛行機で戻るため、最初は余裕があると踏んでいたが、あまりの混み具合に心配し始める。結局、イグアス国立公園の入り口の長蛇の列をくぐり抜けるのに1時間30分。国立公園の入り口を通った時は12時を過ぎていた。
 滝壺までボートで行くサファリ・ツアーを予約してしまったので、急いでこのサファリ・ツアーへと向かう。幸い、サファリ・ツアーは行列が出来ていなかった。サファリ・ツアーでは滝の真下まで行く。ずぶ濡れになる。特に、今回は雨の降った直後というので、4回来た中では最も水量が多く、怖いぐらいの迫力である。
 さて、しかしこのサファリ・ツアーから戻ると、もう14時30分を回ってしまった。超急ぎでバスでイグアスの滝の悪魔ののど笛のところへと向かう。さて、ここも大混雑。特にエレベーターの混雑ぶりはひどい。どうにか下まで降りるが、とても、先端まではいけないので途中ではしょり、記念撮影だけをどうにかする。帰りはエレベーターを避け、遠回りではあるが歩いて上まで行く。入り口へと戻るバス停でも長蛇の列。これは万事休すかと思ったが、入り口ではすぐにタクシーを拾うことができ、空港への道がガラガラだったので無事、時間前に着くことができた。ハラハラのイグアスの滝への訪問となったが、やはりブラジルは余裕をもって行動しないといけないなということを痛切に知る。
 
アーバン・ダイアリー.jpg
(とりあえず記念撮影)

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日本航空のサービス劣化は不味いんじゃないのか? [地球探訪記]

 エミレーツでドバイ経由でサンパウロまで飛んだ。羽田空港からだ。この羽田空港のカウンターで、ここは本当に日本か?と疑うほどひどい対応を受けた。このカウンターの職員は日本航空の従業員だったのだが、まず手荷物が二つだと一つは乗務員に捨てられる覚悟をしろ、と言ってきた。私はどれほど国際線に乗ったか分からないが、ここまで出鱈目を言われたのは初めてだ。無視して入ったら、案の定、何の指摘も受けなかった。
 それにしても、日本航空のこのサービスの劣化は本当にまずいんじゃあないのか。まあ、前からそれほど評価をした訳でもないが、サービスだけは全日空には足下にも及ばなくても、他国の航空会社とは差別化ができていたと思っていた。今回の件で、もはや他国の航空会社並みのサービスの悪さに墜ちたのか、と他人事ながら本当、心配になる。

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志賀高原プリンスホテルに泊まり、そのあまりの劣悪なサービスぶりに堤一族に敵意さえ覚える [地球探訪記]

 正月にスキーに行くことにした。直前で決めたこともあり、思い切って値段は高いが、志賀高原プリンスホテルに泊まることにした。志賀高原プリンスホテルには東館、南館、西館とある。我々が泊まったのは、一番料金が安い西館。安いといっても、家族4人で二室を使ったので一泊5万円程度である。三泊で15万円。こうやって書いていても、その高さに嫌になってしまうくらいである。さて、しかし、一泊5万円も払えば、それなりのサービスが受けられると思うのは普通かと思う。私は、志賀高原に来たのはおそらく大学以来である。ということは、28年ぶりくらいか。いや、もっと前かもしれない。まあ、その時は志賀高原プリンスホテルというのは憧れであった。焼額ゲレンデは志賀高原でも最も奥にあり、その雪質のよさは志賀高原の中でも一番ぐらいだ。ただ、そのゲレンデ前には志賀高原プリンスホテルしかなく、学生であった私は一ノ瀬とかに宿泊して、そこからバスで焼額に行ったものである。志賀高原プリンスホテルに泊まれれば便利でいいのにな、とそこで宿泊している富裕層の人々を羨ましく思っていた。
 そのような過去のある私としては、志賀高原プリンスホテルに泊まるのは若い時の夢の実現ともいえる。そのためのお金も清水の舞台から飛び降りる気分で支払った。さて、それなりのサービスが受けられるかと思っていたら、その思いは、着いた日の夕食で見事に砕かれた。
 西館では夕食が取れるところが二つしかない。中華料理レストランとハーフ・バイキングとよばれるウエストサイド・レストランである。中華レストランもウエストサイド・レストランも料金は4150円である。4150円は高いが、それでも、それなりの値段に見合う料理が出るだろうと思い、ウエストサイド・レストランに入ると、そこは、なんか祭りのイベント会場のようなチープなつくりの場所であり、出てくる料理も輪に掛けたチープなものであった。というか、今日日、ファミリーレストランでもこんなにチープな料理は出てこない。1000円のバイキングならまだしも分かるが、4150円というのは暴力的なぼったくりではないか。しかも、このレストランは完全にセルフ・サービスであった。カフェテリア形式であり配膳をセルフであるのは分かるが、下膳までセルフサービスにさせて4150円というのは横暴過ぎるであろう。しかも、ドリンクは水だけが無料。もう、正月早々、腹が立ってしょうがない。
 悪夢は次の日にも続く。私以外の家族はレンタルスキーをしたのだが、それがなんと一日5000円。二日借りるので一万円。こんな値段を払うのであれば、買っておけばよかったと思う。しかも、レンタルスキーの対応も学生アルバイトのようなものがするので、全然、サービスがなっていない。
 まあ、ということで、プリンスホテルのサービスがある意味、とてつもなく前近代的というか、コトラーでいえば、3バージョンのうち初期のバージョン1。つまり、生産者の視点でのマーケティングしかされていない(ちなみにバージョン2は消費者の視点、バージョン3は社会の視点である)。2015年にこんな商売をやっていて、よく成り立っているなとほとほど感心する。というか、国民の財産である国立公園をこのような一企業の利益追求のみで使うことがよく許されたものだ。利益を追求するなとは言わないが、もう少し、国民の財産を私有化させてもらっているのだから、国民に還元するような配慮があって然るべきだし、国も規制をするべきであると強く思う。この点に関しては、アメリカの国立公園を少しは見直すべきであろう。アメリカではカリフォルニアのシエラネバダにあるミネラル・キングがディズニーによってスキー場開発されそうな時、セコイア国立公園にその地を指定し、ディズニーの開発計画を阻止するが、日本では国立公園であっても、平気で開発ができてしまうという、もう何がなにやら分からないことが起きているのだ。いや、それでも、国民にそのような国立公園のレジャー的効用を与えるために、それなりの維持費を徴収するというのであれば、私も納得するし、多少の利益を取っても文句も言わない。
 しかし、この志賀高原は他のスキー場に比べても遙かにコストが高いだけでなく、サービスも悪いという、もう最悪の状況になってしまっている。せっかく、志賀高原という素晴らしい雪質と素晴らしい環境を有した資源が、このような私企業が暴利を貪るために使用されていることは心底、残念である。私は、あまり西武というか堤康二郎、堤義明的な西武を好きではなかったが、今回の志賀プリンス滞在で、敵意さえ覚えるようになった。今後、西武ライオンズも応援しないし、西武園にも行かないようにするし、堤義明的な西武にはお金を一円も払わないような生活をしようと年の初めに思った次第である。
 しかし、焼額の雪質とゲレンデは素晴らしい。今度、来る時は奥志賀のホテルか一ノ瀬のホテルに泊まって来よう。それにしても、本当に、もったいなく残念な話であると思う。
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トラブル続きの中、無事、クリチバに到着する [地球探訪記]

アメリカン航空でサンパウロへ。トラブル続きだ。成田空港で旅行代理店が発券したダラス−サンパウロの便だけがなぜか1日遅れ。「ダラスで一泊するのですか」と空港のカウンターで尋ねられて初めて気づく。メイルでの券の確認は、当日の便だったので発券するときに間違えたのであろう。サンパウロからクリチバの航空券は1日遅れでないので、これはどうにか訂正しないとまずい。旅行代理店に電話をして、急いで新しい券を切ってもらう。この手続きに1時間ぐらいかかったがぎりぎり間に合った。しかし、私がちょっとでも遅く空港に着いたらどう対応できたのであろうか。ゾッとする。また、今日は機内食が人間の食べ物とは思えないアメリカン航空なので、ラウンジで腹ごしらえをして、機内食をパスしようと思っていたのだが、それをする時間もなくなってしまった。とはいえ、とりあえずダラスに向かう。ダラスではサンパウロ便が2時間ちかく遅れる。到着時間も遅れ、次のサンパウロ-クリチバ便まで55分しか時間がない。グランド・スタッフにどうにかできないかと尋ねても、荷物を取らないとどうにもならないと言う。まさに、取りつく島もない状況。「飛行機に乗れないということだな」と嫌味を言って、とりあえずカスタムに向かう。カスタムはただ奇跡的に空いていた。これは、どうにかなるかもと思ったら、私の担当者が指導者付きのトレイニーで、やたらに時間がかかる。万事休すとも思うが諦めずに荷物を取って、乗り継ぎ便のカウンターへ。ここで、もう時間がぎりぎりだ、と交渉すると列を飛ばしてチェックインさせてくれた。ということで、国際便から国内線の乗り継ぎを55分でするという、私の経験からも信じられない短時間でどうにかやり遂げた。いろいろとトラブルが重なったが、どうにかクリチバに到着した。
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ヒースロー空港ほど酷い空港は寡聞にして知らない [地球探訪記]

ヒースロー空港は嫌いだ。あまりにも嫌いなので、ロンドンにも行きたくないくらいだ。したがって、ドイツから入るときはスタンステッド空港を利用したくらいだ。とはいえ、帰りは残念ながらヒースロー空港を使わざるを得ない。ヒースロー空港を嫌いな点はいくつかある。まず、ターミナルが5つあるので、どこから出発するのかをしっかりと事前に知っておかなくてはならない。普通の空港だと航空会社によってターミナルは決まっている。例えば、成田空港だと全日空はターミナル1で日本航空はターミナル2であり、これは、もうずっと変わっていない。しかし、ヒースロー空港はしょっちゅう変わる。したがって、油断をしていると違うターミナルに行ってしまう。

また、ターミナル内はショッピングセンターのようになって、まっすぐ歩けない。ゲートに急いで向かおうとするとき、この空間構造は大変いらだたしい。

さて、しかし最悪なのは、往々にして出発ゲートが出発1時間前でも分からないことである。そのくせに、20分前までにゲートに行かないと乗せてもらえないことである。さらに、ターミナルがでかいので、場合によってはゲートが分かった瞬間に小走りで行かないといけない。子供や高齢者はしっかりとチェックをしても間に合わない場合もあるのではないかと思う。本当、ここまでサービスが悪い国際空港は寡聞にして知らない。

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ロンドンのタクシーのオヤジ [地球探訪記]

リバプール駅からホテルまでタクシーに乗る。トランクが二つだったので、さすがにバリアだらけのロンドンの地下鉄に乗る気もなかったからだ。さて、タクシーの運転手がどこから来たのか、と尋ねたので「日本」と答えたら、「Welcome to civilization」。まあ、10年前だったら「何を言ってるんだ」と答えていたかもしれないが、今の日本の状況だと文化的とも言えないからな。苦笑するしかない。また、「日本のタクシーの運転手より、俺の方がずっと運転がうまいだろう」とも言ってきたので、「おしゃべりは上手い」とお世辞を言ったら「そうだろう、そうだろう」と機嫌がよさそうであった。この運転手は、隣の若者運転手に信号待ちの時に説教までしていた。左折レーンだ、そこは、みたいな感じの説教だ。まあ、ちょっと五月蠅いが、こういうオヤジが意外と街を賑やかに生きたものにするのかもしれない。
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スタンステッド空港を利用した [地球探訪記]

デュッセルドルフ空港からは、スタンステッド空港に移動。これは、基本的にそちらの方が、航空券が安いということもあるが、何より、ヒースロー空港には昨年、酷い目にあったので、極力利用したくないというのがある。ということでスタンステッド空港を代わりに利用したのだが、入管手続きに50分間かかった。私はちなみに並び始めてからストップウォッチで計測し始めたので、これは正確な数字だ。正確には50分03秒であった。日曜日のおおよそ午後1時からEU以外のパスポートにて待ち始めてからの待ち時間だ。処理していた検査官は3名。途中、4名に増えたら急に行列が進むようになった。

スタンステッドからはスタンステッド・エキスプレスでリバプール駅まで向かう。23ポンド40セントであった。ヒースロー空港が嫌いなので使ったスタンステッド空港であったが、こちらも残念なことに不便であった。残念。

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ミュンヘンに来てから調子が悪い [地球探訪記]

ミュンヘンに着いてから調子が悪い。まず、ミュンヘンに到着するちょっと前から悪寒がし始めた。取材の約束が16時だったのだが、13時に駅に着いたので、急いでホテルにチェックインして1時間ほど仮眠をする。その前に、ビタミンを少しでも取ろうとオレンジ・ジュースの100%ものと水を大量に購入する。ふとんをかけても悪寒がする。嫌な予兆がする。お腹も下っている。さて、目覚ましで仮眠から起こされるが、寝起きが悪い。睡眠していない訳ではないのだが、全然、目が覚めないのだ。とはいえ、トーマス・ジーバーツとの取材である。そのために、わざわざライプチッヒからミュンヘンに来ているのだ。力を振り絞って、ジーバーツ氏の自宅へと向かう。一瞬、タクシーで行こうかとも思ったが、地下鉄で行く。地下鉄に乗った後、ジーバーツ氏に電話で連絡し、駅まで迎えにきてもらう。駅に着いても、相当だるい。熱があるのか。ただ、自分ではちょっと分からない。

ジーバーツ氏は私と会うと、嬉しそうに肩を叩く。私も嬉しくなり、気力が漲る。どうにかできるかもしれない。駅から彼の家までは5分ぐらいであった。彼の家はごく普通の60年代につくられたアパートで、ピアノとチェロが置かれていたり、家具はとてもお洒落ではあったりしたが、ドイツを代表する都市計画研究者としては、その質素さは意外である。

さて、ということで取材を始めさせてもらう。私もどうにか大丈夫かなと思っていたのだが、彼が出してくれたお茶を飲んだ時あたりから、お腹の調子が悪くない、悪寒がしてくる。冷や汗が額に出てくるのが分かる。ちょっと取材をする状態としては、最悪だ。話は面白い。それは、ドイツを代表する都市計画の知性だ。面白くない筈はない。しかし、私は冷や汗が出るのや、身体の調子が悪いのを調整するためか、あくびが出てしまう。ジーバーツ氏は、私があくびをするのを怪訝そうに見ている。しまった。しかし、身体はコントロールが効かない。40分弱ぐらいの取材をさせてもらって、どうにか怪しいとまでは思われないように振る舞って、地下鉄でホテルに戻る。地下鉄に乗っている時も、悪寒は続き、吐き気もした。いっそ、吐いた方が楽になるのではと思わせられるほど気分は悪い。

ホテルに着いたら、すぐ寝た。次に起きたら朝の2時であった。しばらくうだうだしていたが、また寝た。今度、起きたら朝の8時であった。相変わらず、調子が悪い。ミュンヘンではイーゲル川の再生が非常に興味深いプロジェクトであり、それを見に行きたいと思ったが、天気が悪いこともあり、また、ミュンヘンではホテルでも駅でもまったくインターネットにアクセスできないためにもう移動することにした。ミュンヘン駅の前のニュンベルグ駅では、しっかりとTelekomのインターネットにアクセスできたのに不思議だ。

ミュンヘンは以前から私にとっては鬼門なのである。どうも上手くいかないのだ。ということで、さっさと去ることにした。

タグ:ミュンヘン
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ルワンダの首都キガリを訪れての個人的感想 [地球探訪記]

 ルワンダの首都キガリにいる。21世紀はアフリカの時代と呼ばれている。暗黒大陸とよばれていたアフリカは、今は成長大陸である。しかし、その実態は、日本人はあまり知らないのではないだろうか。私自身、アフリカは未知の大陸であったし、特に縁もなかった。
 アフリカと関係がなかった私だが、ある一つの出会いが、私をここアフリカに来させるきっかけとなる。私は2007年に、「アメリカ中小都市のまちづくり」という本を上梓する。これは、アメリカの中小都市で、素晴らしくまちづくりに成功した5つの事例を紹介した本なのだが、その一つ、ボルダーという都市を取材している時に、ある建築家と親しくなる。「コロラドの生きる伝説(リビング・レジェンド)」とも形容されるカール・ワージントンである。同氏は、ボルダーの中心道路であるパール・ストリートから自動車を排除して、衰退していた中心市街地を見事に再生したことや、デンバー郊外にテクノロジカル・センターを計画したことなどで知られている。
 1994年のジェノサイドの傷跡もまだ癒えていない2000年に大統領になり、また2003年にはジェノサイド後、初めての総選挙で当選したポール・カガメ大統領は、国をどのように再生したらいいかを模索する。そこで、デンバーのテクノロジー・センターを視察しに渡米し、ワージントンと面会するのである。カガメ大統領は、パール・ストリートやワージントンがその実践に力を尽くしたボルダーのグリーンベルトなどに大いなる感銘を受け、首都キガリの将来構想をワージントンに託すのであった。
 そして、ワージントンはキガリの都市の将来像をマスタープランとしてまとめるのである。私は、幸運にもマスタープランをつくり始めてから、それが完成するまでのプロセスをワージントンから段階的にリアルタイムで教えてもらうことができた。さて、そして同氏が作成したマスタープランは、マスターピース(傑作)と呼ぶにふさわしいものであった。トポグラフィーを意識して、ウェットランドやヒルサイドといったランドスケープを保全しつつ、21世紀の都市にふさわしい機能を備えた都市を、そのマスタープランは描いていた。近隣住区理論を彷彿させるようなノードによって、都市の階層を都市機能ごとに配置する分散型都市。それは、丘陵地という難しい条件を逆手に取り、世界でもユニークな個性を放つ100万都市の誕生でもあった。
 このマスタープランは、アメリカ都市計画学会のダニエル・バーナム賞(2009年)を始めとして、多くの大きな賞を受賞することになる。このマスタープランが描いた都市が、その後、どのように変遷しているのか。それを知るために、はるばるとルワンダにまで私は足を運んだのである。
 さて、初めて訪れたキガリは驚きの連続であった。これは、私がアフリカのことに無知であったことの裏返しでもあったのだが、まず、まったく暑くなく、避暑地のように涼しい。風が吹くと、快適そのものだ。熱中症で人が倒れるような暑さの東京から来たこともあってか、この冷房がいらない涼しさは有り難い。赤道直下でアフリカ、というとさぞかし暑いだろうと覚悟していたのだが、まさに拍子抜けをした。そして、街中が綺麗であり、また、街並みも新興住宅地はあたかも南仏か南カリフォルニアのようであったことに驚いた。さらに街中にはごみが落ちていない。ごみ一つ落ちていないと思わず書きたくなるぐらい、ごみがない。そしてごみが落ちていないことと関係があるのかもしれないが、東南アジアやインドなどの都市に行くと必ず直面する、鼻がひん曲がるような臭いが漂っていない。さらには、ほとんどの人が英語を話す。守衛とか、新聞売りとかの人が英語を話すのである。もちろん、話さない人もいるが、日本や諸外国に比べてもはるかにしっかりとした英語を話す人が多いので驚いた。これは、この国はつい最近まで、フランス語を公用語としていたからである。公用語を英語に変えてから、数年しか経っていないのに、この対応力は何なんだろうと思う。そして、人々の服装がお洒落であることだ。特に女性の洋服は美しい。色彩的な感覚が発達しているのであろう。アメリカはもちろん、日本よりもお洒落である。
 そして、肝心のマスタープラン。これは、当初、カール・ワージントンが描いたものから若干、変遷されていた。例えば、新しく計画されていた新しい都心センターは白紙に戻され、これは都心センターガから将来のノードの一つに格下げされていた。その理由を聞くと、新しい都心センターを創るのにはお金がかかり過ぎること、そして、都心センターをまだ強化する余地があるという判断からだそうだ。しかし、せっかくアメリカ都市計画学会の最高の賞ともいわれたダニエル・バーナム賞受賞のプランが実現されないのは、事情は分かるがちょっと残念である。
 キガリは、もう都市中が普請中という感じで、槌音が絶えない。土曜日、日曜日でも現場では土方の人達が働いている。ルワンダはアフリカの奇跡と称されるが、それが納得できるような経済的発展と、そして街や人の美しさである。 
 日本では、アフリカというとエボラ熱、武装ゲリラ、犯罪都市、マラリアといったイメージで捉えられているが、私が訪れたキガリは、そのようなイメージと180度違うものであった。清潔で、治安もよく、人々も真面目で誠実、そしてマラリアもなく快適な気候の、むしろ楽園というような形容詞がふさわしいような都市である。
 百聞は一見にしかず、という言葉を改めて、強く実感した。

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ルワンダにはマラリア蚊はいない! [地球探訪記]

 ルワンダに行くには、黄熱病の予防接種をしなくてはならない。そこで、予防接種をしにいった。さて、すると黄熱病以外にも、マラリアや狂犬病、A型肝炎などにも対応しておいた方がいいと言う。医者は、「黄熱病があるところは、他の伝染病もあるので、予防注射をした方がいいです」と言う。私は、一瞬、医者がそういうのであれば、した方がいいかなと思ったが止めた。これは、お金がもったいないというのもあるが、予防措置の方が身体に悪いこともあったりするからだ。マラリアがまさにそうである。
 とはいえ不安がない訳ではなかった。私は、大量の蚊取り線香と携帯用のベープ・マット、そして蚊よけの液体スプレー、そして防虫シールを持って行った。洋服も長袖が基本である。
 さて、しかし、なんとルワンダ、というかキガリにはマラリアはほとんどいなかった。以前はいたそうだが、撲滅したそうである。こちらに7年間も住んでいる日本人の方もマラリアの対応をしたことはないそうだ。
 蚊がいない訳ではない。しかし、マラリアもデングも心配しなくてよいそうだ。いやあ、本当に見ると聞くとは大違いである。

タグ: ルワンダ
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キガリのオートバイ・タクシー [地球探訪記]

 キガリのタクシーの使い勝手の悪さはなかなかのものだ。そこで、辟易とした我々は、オートバイ・タクシーを利用することにした。オートバイ・タクシーは、オートバイの後部座席に乗るというもので、街中はどこでも見かけることができる。運転手はほとんどが若い男性で、乗るときにヘルメットを被らなくてはならない。このヘルメットは結構、不潔らしいので、帽子をしていることが重要だが、私はいつも帽子をしているので、その点は大丈夫だ。
 料金交渉をしなくてはならないのは、車のタクシーと同じだが、大抵500ルワンダ・フランで交渉が成立する。80円くらいか。唯一気になる点は、危ないことだ。キガリ市内は坂道が多く、また未舗装の道路も多い。さらには、舗装されている道路には、ハンプがあったりして、その際にちょっと落ちそうになる。運転手のベルトを掴む場合が多いが、私は、何となく照れくさいので、オートバイの後ろの取っ手を掴んでいるが、急カーブとかだと落車するかもしれない。
 とはいえ、慣れれば車のタクシーよりかはずっと使い勝手はいいと思う。ただ、100万都市において、このようなオートバイ・タクシーが普及している状況は問題だ。抜本的に交通計画を考え直さなくては近代都市にはなれないように思う。

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キガリのタクシー [地球探訪記]

 キガリでは、発見と驚きの多い、充実した日々を過ごしているが、一つだけ私に大きなストレスを与えているのが、タクシーに乗るたびにする値段の交渉である。キガリのタクシーはメーターがついていない。従って、タクシーの運転手に行き先を告げ、その後、値段の交渉をするのだが、これが面倒くさい。そもそも英語しかしゃべれないとふっかけられる。ホテルのタクシーなどは尚更である。最初は相場が分からないので、ほとんどのタクシーの言い値を素直に支払っていた。しかし、数日経つと、タクシーによって値段に随分と開きがあることも分かった。幸い、タクシー同士はあまり協働していないようで、両方を値切らし、安い方に乗るというような方法や、また、一度、ぼったくったタクシー運転手には二度と乗らない、などの対抗手段を駆使するようにしたら、まあ、納得いくような値段で、タクシーで移動できるようになった。しかし、それにしても、タクシーに乗るたびに、この交渉はストレスが溜まる。メーターをつける動きもあるようだが、本当、メーターを早くつけて欲しいと強く思う。他の公共交通手段は、オートバイ・タクシーしかないので尚更だ(バスがあるが、ほとんどどう利用していいかも分からないので、私の現状の選択肢はタクシーとオートバイ・タクシーしかないのだ)。

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ウガンダにて、なんちゃって野生ゴリラ・トレッキング・ツアーに参加する [地球探訪記]

 ルワンダの観光の目玉は、野生ゴリラを観るためのトレッキング・ツアーである。しかし、そのためには2泊3日しなくてはならず、我々のタイトなスケジュールに入れ込むのは無理なので泣く泣く断念した。
 さて、しかし、後発組を迎えに行った飛行場である事件が起きた。飛行場の待合い場(待合い室のような立派なものはない)で後発組を待っていた我々にある旅行代理店風の男が話しかけてきた。そこでゴジラ・ツアーという言葉を耳にした先発組のメンバーの一人が反応する。そして、遠くにいた私が呼ばれた。この話しかけてきた男によれば、野生ゴリラのトレッキング・ツアーを日帰りで行うことができると言う。しかも、我々が唯一、自由に動ける明日にすることができると言うではないか。これは、千載一遇のチャンスであると思い、細かく話を聞く。すると、朝の6時30分にホテルに迎えに行けば、余裕でゴリラがみれるトレッキングを組めると言うではないか。私が事前に調べていた情報とは随分と異なるが、値段は国立公園に払うために一人あたり600ドル。さらには、交通費で一人あたり100ドルの合計500ドル(我々のメンバーは5人いた)を請求してきた。我々は、一人あたり100ドルで合計500ドルはおかしいだろう、ということで一人あたり60ドルにまでまけさせる。
 ということで、ちょっと怪しい感じもしたが、野生のゴリラが見えるのも下手したら一生で一度かもしれないと考え、この話に乗った。さて、しかし、こちらに来た知り合いの日本人にこの話をすると、「ルワンダでは事前にパーミッションの振り込みがなければ、絶対にゴリラ・ツアーには参加できない」と教えてくれる。どうも、滅茶苦茶怪しいと思ったが、まあ、裏ルートがあるのかもしれないし、まあ、外れたら外れたで、その時は交渉し直そう、殺されるまではないだろう、と考え、そのまま決行することにした。
 さて、翌日、朝の5時にホテルの電話が鳴る。出ると、この旅行代理店の男、ヒラリーであった。「朝の6時30分じゃないのか?」というと、ウガンダ時間だともう6時だと言う。なんで、ウガンダ時間なのかはすぐには分からなかったが、どうもゴリラ・トレッキングに行く目的先がウガンダであることが分かった。ということで、皆に急いで連絡し、5時40分にロビーに集合して出かけることにした。
 ルガンダでは無理だが、ウガンダでは可能なのかもしれない。そう考えると筋は通っていると思い、ちょっと安心する。車は、ルガンダの田舎の風景の中をしばらく走っていく。そして、ウガンダとの国境を越える。ウガンダとの国境越えをするのには、まずルガンダを出国しなくてはならない。これは、それほど難しくない。次のウガンダの出国ではビザ代で50ドル要求される。しかし、比較的、好意的であった。思ったよりも楽にウガンダに入国できる。
 ウガンダはルワンダに比べると、あたかもタイムスリップしたかのように発展から取り残されるような印象を覚える。道路は悪路となり、農地も荒んでいる。そして、何より驚いたのは、車の通行が左右、逆になることである。ちょっとボケッとしていると逆側を通行するのではないだろうか。しばらく行くとカバレという町に着く。ルワンダの町よりずっと汚い感じだ。朝食を食べることにするが、ウガンダ・シリングがないので注文できない。しょうがないので、両替に行く。日曜日なので銀行はすべて閉店。お酒を売っている万屋のような闇両替所で交換する。おそらくレートは滅茶苦茶悪いのではないかと思われる。朝食はサモサとコーヒー、というかミルクにインスタント・コーヒーを入れただけのカフェオレもどき。
 さて朝食を食べた後、途中でガイドという男を乗せる。このガイドの格好が、およそガイドっぽくない。ただのグレイのパーカーと野球帽を被っている。怪しい。しかし、このガイドはゴリラ・トレッキングの注意事項を説明始めている。私は、ブウィンディ原生国立公園にはゴリラが何頭いるのか、とガイドブックで答えを知っている質問をぶつける。ガイドは正解を述べるので、ちょっと安心する。まあ、偽物だとしても、ある程度、誠実な偽物であろう。
 さて、車は一路、ゴリラ・トレッキングのブウィンディ原生国立公園に向かうのかと思いきや、ブニョニ湖などに寄る。よく分からない。また、国立公園に向かうのに随分とゆっくりと走る。何か怪しい。怪しいといえば、まだ車窓には段々畑が続く。こんなに人里が近い所にゴリラがいる筈はない。時計はもう12時を回っている。一体、いつになったらゴリラが生息する森に到達できるのか。不安は募る。その不安に拍車をかけるようにガイドがウィスキーを飲み始める。これから、野生動物と遭遇するかもしれないのにウィスキーを飲むガイドがいるのか。我々の不信を感じ取ったのか、このガイドはガイドの免許証を見せる。しかし、写真を撮ろうとしたら、「駄目駄目」と言って急いで隠してしまった。おそらく期限切れなのであろう。これはもう、ほとんど詐欺であり、我々は被害者であるなということにほぼ確信を持つ。とはいえ、もうこうなったら毒を食らわば皿までの気分になって、覚悟を決める。ただ、看板はあと20キロメートルでブウィンディ原生国立公園だ、などと書いてある。なんとなく納得はできないが、違う方角に行ってはいない。
 さて、しかし、20キロメートルぐらい走ると、確かにブウィンディ原生国立公園に着いた。すると、それまで段々畑だったところが、これを境として原生林になっていた。つまり、ここを国立公園に指定しなければ、ゴリラが生息している場所も段々畑にされてしまっていたということだ。開発意欲の凄まじさを知る。
 国立公園にはゲートがあるのだが、そこのゲート番と、我々を率いているグループとはどうも通じているらしく、なんか目配せをしつつゲートを開けてくれた。ゲートをくぐると、これまでの段々畑の風景とはまったく異なる森林が周囲を囲む。ようやくそれなりの雰囲気になってきた。とはいえ、それまで人里だったのだ。ゴリラが住む場所は、相当、離れているのではないかと思っていたが、ゲートを過ぎて15分間ぐらい走ったところで車は停まる。車が停まると、このなんちゃってガイドが、お金を要求してくる。ボスに一人600ドルを支払わなくてはならないので出せ、という。我々は5人分のお金を手元に持っていたが、ここですべて払ったらゴリラが見れないどころか、無事、ホテルに届けられることもないかもしれないと思い、「大金なのでホテルの部屋に置いてある。ホテルで支払う積もりだった」という。すると、それを聞いた運転手とガイドが相当、ムッとし始めた。皆、そんな訳はないだろう、と言う。そこで、何人かは払うようにして、全体の6割の1800ドルほど相手に渡す。これで、しかし、彼らとしては全額を回収しようとするとホテルまで行かなくてはならないし、ゴリラを見せなかったら残りを支払わないような交渉余地を我々としても残すことができた。

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(ゴリラが棲む森)

 車から降りて、森林をちょっと入ると男が待っていた。どうも、仲間らしい。ということで、ジミーというガイドとムハスという、待っていた男とで森に入っていく。森に入った直後に、ガイドに記念撮影をしようと提案すると、ゴリラを観た後にしてくれ、と拒まれる。私は何かあった時に、証拠写真として顔を撮影しようと考えていたので、この拒否で余計、疑いを深くする。というか、この時点でほぼ真っ黒だなと確信する。しかし、ここで文句を言ってもしょうがない。金を取るまでは、我々にも手出しもしないだろう。この時点では、ホテルに無事、帰れればといいと覚悟する。トレイルは比較的、歩きやすく平坦である。酔っ払っていてゴリラの群れをこの森の中で見つけることができるのだろうか。私は、このなんちゃってガイドが見つけられない時に、どんな言い訳をするのか。そちらの方にむしろ関心を移していた。ゴリラと出会えることはもはや、半分以上諦めていた。しかし、ある程度歩いて行った後、このジミーという酔っ払いガイドはゴリラの群れを見つけたらしく、トレイルから離れて藪の中を歩き始めていく。藪の中は、シダとイバラ。ゴリラ・ツアーに行く予定がなかった私は、ビジネス・シューズでこの森に入ってしまったので歩きにくいことこの上ない。トレイルは問題がなかったのだが、トレイルを離れると滑る、滑る。滑るのを止めるために、シダを掴むのだが、たまに間違ってイバラを掴んでしまう。その痛さといったら半端でない。思わず「痛い」と叫んでしまう。手から血が出ている。あまりの難儀に、引き返したいとも思うが、引き返すことも困難なので、仕方なく前に進んでいく。アル中ガイドは、しかし、どこに行くかは分かっているような足取りである。しばらく行くと、ガイドが立ち止まり、あそこにゴリラがいるという。ガイドが指さす方向をみると、確かに木の上に、黒いものが乗っかっている。そして、その黒い物体はゆらゆらと木を揺らしている。ゴリラだ!
 なんと、いい加減なガイドであったと見限っていたのだが、現実にゴリラと遭遇することができた。さらに、このゴリラのいる方に向かっていく。目撃したゴリラのすぐ下まで行くと、そこにはシルバーバックと呼ばれるゴリラのボス、そして雌ゴリラ、子供がいた。我々を目撃しても、まったく動じない。観光客に馴れているのかもしれない。ゴリラには7メートル以上近づいてはいけないというルールがあるのだが、7メートルって結構近い。目の前にいるという印象だ。ゴリラは我々の存在に気づいてはいるが、無視して、わらびを巨大にしたようなシダを食べている。シルバーバックは流石に凄い貫禄である。圧倒的な存在感に、攻撃してくるような兆しがまったくないにも関わらず、思わず、後ずさりしてしまいそうだ。子供のゴリラが可愛い。写真をばしばしと撮影してしまう。シャッター音にも特に反応はしないが、ちょっと人々に注目されていることの居心地が悪いのか、徐々に我々から遠ざかっていく。しかし、逃げるという感じではない。ゆっくりと距離を離していくという感じである。

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 ガイドが「ベイビー」と言って指さした方向をみると、赤ん坊のゴリラが木を登っている。そのぎこちなく、不安定に登っていく姿は、どうにも母性愛をくすぐる。私に母性愛があるかどうかは不明だが、何ともいえず可愛い。このベイビー・ゴリラは、木の上の方の葉を食べた後、また降り始めるのだが、途中で手を滑らせたのか、落っこちてしまった。ガイドは、このベイビーがいる方向に我々を誘導していく。さて、すると、そこにはベイビーと母親ゴリラがいた。ベイビーは、ちょっとした好奇心を持って我々を逆に観察しているようだ。しかし、たいして興味を持っていない。興味はもっぱら食事だ。食事をしながらテレビを観るような感じで、我々の方をときたま観るような感じだ。

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(貫禄のシルバーバック)

 この森はゴリラのものだ。我々はお邪魔させていただいている、という気分になり、お行儀よくしなければという凛としたような気持ちにさせられる。ゴリラと時間を共有させていただく、という貴重な体験は、何か宗教的な厳かさえ感じられる。ここでは、ゴリラは単なる一ほ乳類ではなく、我々もその一要素にしか過ぎない生態系を象徴しているのだ。その生態系の絶対的な迫力に、その神々しさに、私は圧倒されてしまっている。

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 さて、もうゴリラとの時間もお腹一杯、十分に満足したので、帰路につく。この帰路がまたものすごい難路であった。道なき道、まさに言葉通りの茨の道を進む。いや、道ではなくて坂だ。急坂、しかも地面を踏むこともできず、シダの上を普通のビジネス・シューズで登っていく。つるつる滑り、それを支えようと手で草を握ると、その草がイバラだったりする。もう、疲労困憊でぼろぼろだ、と思ったら、ようやく行きにも通った道に出ることができた。ここからはもう楽ちんである。急に元気を回復して道路にまで戻る。さて、道路に出る直前になって、ムハスはここでお別れであるという怪しげなことを言う。チップをあげたければ、ここであげてくれ、と言う。我々の仲間は、ゴリラに出会えた感動と、このムハスは確かに我々が足を草に取られた時、随分と助けてくれたこともあり、結構、気前よくチップを渡す。このムハスは、我々と同じ車に乗らず、本当にここで別れる。しかし、記念撮影には応じてくれた。ただ、後で、この写真をみると、ほとんど二人のガイドは下を向いており、顔が分からないように撮影されていた。
 我々は道に出ようとすると、車が来るまで道に出ないでここで待て、と言われる。まあ、ここで確信したのは、我々が参加したゴリラ・ツアーは非合法のものだということだ。そして、少なくとも国立公園のゲートを管理している職員もグルであるということだ。場合によっては、こいつがボスかもしれない。そして、我々が支払う国立公園の管理代の600ドルは、国立公園に支払われずに、このグループに支払われるのだ。どうも気分はよくない。
 しかし、一方でこのウガンダ・ゴリラ・ツアーのおかげで、本来的には2泊3日かかると言われたツアーが日帰りでできてしまった。2泊3日だと、我々のタイトなスケジュールでは不可能であった。また、これはちょっと問題発言をしてしまうかもしれないが、ルワンダのゴリラ・ツアーはゴリラを保全するための費用として750ドルを請求される。これは、我々が、この非合法なゴリラ・ツアーに支払った600ドル+交通費一人60ドル+ガソリン代一人20ドル+ウガンダのビザ代50ドル+ルワンダのビザ代30ドルを合わせた760ドルとほぼ同額であるので、ゴリラを観るという点だけでは、ほぼ違いはない。すなわち、この非合法ゴリラ・ツアーが裏ビジネスとして成立する背景としては、ルワンダのゴリラ保全のための費用がべらぼうに高額であるということがある。もちろん、ルワンダのゴリラ・ツアーはしっかりとゴリラを保全するために使われ、ウガンダのゴリラ・ツアーは私腹を肥やすために使われるので、長期的にはウガンダのゴリラは絶滅してしまう可能性も高いので、ウガンダもルワンダのようなシステムをするか、もしくはルワンダのゴリラ・ツアーの費用を安くして、非合法ゴリラ・ツアーの旨味をなくすことが必要であろう。
 とはいえ、この日帰りという我々の要望に対応してくれたことで、我々がゴリラを観ることができたという事実もある。ちょっと複雑な気持ちである。
 さて、車は行きとは違い、猛スピードでキガリに向かう。キガリに着いたのは21時頃であった。約束通り、残りの1200ドルとガソリン代、交通費を支払うと、我々にこの話を持ってきた運転手は、破顔一笑となり、とても嬉しそうであった。私は、朝にはもうこのホテルにも戻ってくれないぐらいの覚悟もしていたので、おそらく「犯罪人」ではあるが、お互い、うまくビジネスが成立したのでちょっとほっとした。彼らとは二度と関わりたくないが、野生のゴリラを観られたことは、個人的には素晴らしい体験であった。
 
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『千と千尋の神隠し』の舞台のモデルとなった九份という街を訪れる [地球探訪記]

 学生達と台湾に来ている。これは、私が学生達とプロデュースしているパフォーマンス・ユニット『ユルドルSKM(商店街勝手に盛り上げ隊)』のパフォーマンスを台湾で披露することが主な目的だったのだが、3日間ほどそれをした後、オフ日が一日あったので、学生達が九份に行きたいというので行くことにした。
 私は結構、宮崎駿のファンであると自負していたのだが、恥ずかしいことに、『千と千尋の神隠し』の舞台のモデルが実在することを知らなかった。あの街は、天才による想像の産物だと思っていたので、それが存在していること、しかも台湾にあることというのはちょっと驚きであった。さらに、多くの学生がその事実を知っていた。どうも、テレビ番組で紹介されたことがあるらしい。私はテレビを観ないのだが、それを言い訳にするのも恥ずかしいぐらい知っておくべきことであった。宮崎駿のファンであると自負していたことが恥ずかしい。
 とはいえ、私がそれを想像の産物だと思ったことは必ずしも不自然ではないであろう。というのは、『千と千尋の神隠し』の油屋の舞台はランドスケープ的には異常だ。千が長大な階段を駆け落ちるシーンがあるが、あんな場所がこの世に存在するとはちょっと思いにくい。日本は世界的にみても、相当、急峻な地形が多いが、その日本でもあのような風景はないであろう。リオデジャネイロはちょっとそうかなとも思わせるが、それでも標高的には足りないような気がするし、グラナイトの岩壁と『千と千尋の神隠し』のいかにも湿度の高い亜熱帯な山とは雰囲気が違う。
 まあ、しかし、そのような場所があるのならば行くしかあるまい。台北からも近いという。拒む理由は何もないということで向かう。九份には、台北からはバスで行く。忠孝復興という太平洋そごうのある駅から、ローカル・バスに乗って行くのだ。忠孝復興の駅を降りると、日本人の観光客を狙った白タクの人達が多くいて声をかけてくる。我々はそれを拒み、しかし、バス乗り場を尋ねるとここだと教えてくれた。しかし、15分に1本は来るというバスが15分経っても来ない。なんなんだ、と思っているとバス停の前にあるセブンイレブンのおじさんが、そこで待っていても九份行きのバスは来ないよと教えてくれる。我々は、この3日間、素晴らしい人柄の台湾人ばかりと接していたので、日本人としてのコンプレックスさえ覚えてしまったくらいなので、台湾人にも悪い人がいることでちょっと安心する。とはいえ、随分と酷い奴らだ。
 バス停を移動すると、すぐバスは来た。滅茶苦茶、ぼろいバスで、バスは揺れまくる。スピードを落とせばいいのだろうが、がんがん飛ばす。バスはトンネルを越えると、随分とワインディングが激しい山道を登っていく。凄い勾配だ。海が美しい。リアス式海岸の美しい海だが、その海にこんなに急峻な山があるところは、日本でも珍しいのではないかと思う。房総半島よりも急で、熱海や箱根のような急峻さである。60分ちょっとでバスは九份に着く。
 そして、そこはまさに『千と千尋の神隠し』の舞台のような街であった。ほとんど45度のような階段がまっすぐと伸びていく。その周りには怪しげな屋台が建ち並ぶ。そして、油屋も実在した。『阿妹茶楼』という名のお茶屋さんだ。あの、映画でもお馴染みの怪しげなお面も飾られている。急坂の途中に立つこの茶楼、相当の存在感である。中に入ろうとしたが、お茶を注文しなくてはならず、よく考えたら、外からこの茶楼を見ることの方がずっといいことに気づき、入るのをやめる。
 こんな急坂のところに集落ができたのは、ここで金が採れたからだそうだ。そういえば、『千と千尋の神隠し』でも千が砂金を採らされる場面があった。いわゆるゴールド・タウンだったのだ。それで街が出来ていく。日本統治時代のことだ。しかし、第二次世界大戦後、金は採れなくなり、町は急速に寂れていくのだが、1989年に映画のロケ地に使われ、この町の風景が若者を中心に人気となり、多くの観光客が訪れるようになったそうだ。時代の変化から取り残された街並みが残ったことで、その街並みが観光地になったということらしい。これは、日本でも豊後高田の「昭和の町」とかとも相通じるし、日本の他の縮小都市も参考にできる事例なのではないだろうか。そして、さらに2001年の『千と千尋の神隠し』で、日本でも有名になったということだろうか。ちなみに宮崎駿サイドは、それを公式に否定しているのだが、例えば、映画の出だしで千尋の親が食べる食事なども、九份の屋台で出ているものとそっくりであったりする。まったく関係なく、ここまでそっくりというのはあまりにも不自然であるし、否定したことはちょっと残念である。
 この九份という街自体は、ほとんどドンキホーテとヒンズー教のお寺を混在させたような、ごちゃごちゃ加減なのだが、そのごちゃごちゃさが、一つのコンテクストを創り上げていくような調和を感じることができる。まさに、『千と千尋の神隠し』のような、混迷の中に統一感を覚えるような街並みである。
 九份は多くの日本人観光客もいたが、現地人と覚しき人も多くいた。相当、人気のある観光地のようだ。どことなく琴平の「こんぴらさん」への参道を彷彿させるが、琴平と違うのは最終目的地がないことだ。なんか、この急坂に発展した街並み自体が観光資源のようだ。
 九份には食事処が非常に多く、我々もいろいろと食事をした。その中でも、この地で有名といわれる芋圓は印象に残った。これは、かき氷にコンニャクのような白玉のような芋団子と小豆が入ったものなのだが、なかなか美味しかった。お勧めである。
 現在、九份は台湾の観光地の中でも目玉的位置づけを有しているようだ。私の友人の台湾人は、あそこは観光地然としているのでお勧めではないと言ったが、いやいやどうして、観光地然としている事実は否定しないが、それでも訪れる価値のある素晴らしいところだと思う。来てよかった。
 さて、ということで非常に充実した九份巡りが出来たのだが、台北に帰るのは苦労した。まず、九份のバス停は二つあるのだが、上のバス停でほぼ満席になるので下のバス停で待っていても、なかなかバスに乗れない。というか、しばらく乗れない。特に台北直行には乗れないので、身近の鉄道的に行くバスに乗って、そこから台北に向かわなくてはならない。上のバス停で待つことが肝要である。

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(九份の夕暮れ時のランドスケープ)

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(油屋のモデルとなった阿妹茶楼)

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(提灯がいい感じの雰囲気を醸し出している)

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(味わいのある坂道)

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(屋台で展示されている不気味なお面)

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(九份名物の芋団子)

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(急峻な斜面に家々が建ち並んでいる)

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(千と千尋の神隠しで、千尋の親が豚になる前に食べていたものと酷似している饅頭のようなもの)

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(九份の街並み)

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(九份の街並み)
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台湾の鉄道に初めて乗る [地球探訪記]

台湾に学会で来た。てっきり会場は台北市内になるかと思ったら、台北の郊外であった。とりあえず、何も調べずに松山空港に来たので呆然とする。せめて「地球の歩き方」でもあればよかったのだが買い忘れている。取りあえず、台北に住んでいる友人に電話して、迷子になったことを告げる。地下鉄で行くのは無理なところにあるようだ。鉄道に乗って、最寄り駅まで行き、そこからタクシーがいいだろうとのアドバイス。鉄道に乗ってといっても、空港からどういっていいかも分からない。ということを伝えると、松山空港から地下鉄に乗って、タイペイ・メイン・ステーションという駅まで行き、乗り換えろとの指示。

台北にはもう何回も来ているが、よく考えると、いつも誰かと一緒だったので、地下鉄に乗るのもほとんど初めてである。しかし、地下鉄は何回か乗ったことがあるので、どうにか対応できる。問題になるのは、台湾鉄道、すなわち日本でいうところのJR線である。

メイン・ステーションにはどうにか問題なく着くことが出来た。次に問題となるのは切符をいかに購入するかである。自販機で買おうとした。行きたい駅は漢字なので読める。しかし、どうも、これは紙幣では買えないようだ。コインか、もしくはプレペイド・カードのみのようだ。しょうがないので、長蛇の列ができているが窓口があるところで購入する。行き先は書いて示す。ここらへんは漢字国出身の強みだ。というのも私の発音がとても通じるとは思えないからだ。ということで無事、切符は購入することができた。指定席も買えた。切符には発車時刻も到着時刻も記されているのでとても便利。さて、しかし、ホームに着いた列車は混んでいた。指定席の場所までたどり着くのが大変。どうにかたどり着くと高校生と覚しき若者が座っている。私が困っていると、日本語をしゃべる人が助け船を出してくれて、この若者をのけてくれる。私は、感謝の言葉をかけてそこに座った。

さて、乗車時間は45分くらいである。列車はどうも急行らしく、結構、駅を飛ばしていく。随分と台湾も日が暮れるのが早いな、などと思っていたら急に明るくなった。トンネルに入っていただけらしい。さて、途中の駅で乗ってきた女性が私の座っている席は自分のものだからどけ、と言ってくる。私の券に英語で「No seat after….」と書いてあり、何なんだろう、これはと思っていたのだが、その意味が分かった。つまり、指定席は、この駅までということなのだろう。すかさずどく。さっき、助けてくれた女性がまた、どうしたんですか、と聞いてくれたので、事情を説明したら納得してくれた。随分と親切な人で、私が降りる駅の手前で「次の駅です」と教えてくれた。私も身構えてはいたが、安心して次の駅で降りる。

さて、中壢にまではどうにか着いた私であるが、そこからはタクシーで行くしかない。大学までは少なくても2kmはある。しかし、タクシーが全然、止まってくれない。というか、日本の駅にあるタクシー乗り場がない。どうやって止めるのか、その術も分からない。日本のように手を挙げても無視される一方だ。このままでは埒があかない。これではしょうがないと思って歩き始めたのだが、これが結構、遠かった。途中、ラブホ街を歩いたり、オートバイにはねられそうになりながらも歩く。歩道がないので相当、緊張する。しかし、ちょうど前を歩いた人がいたので、彼の後ろについて歩く。こうすれば、私より先に前の人が車かオートバイに轢かれるからだ。さて、しばらく歩いていたら自然が呼んだ。ということで、チキン料理屋に入って食事をすることにした。このとき、ちょうど携帯に電話がかかる。
先方の大学からだ。今、どこにいるのか、と言われたので歩いて向かっていると言ったら、なぜか驚かれた。大学まで行けるけどホテルには行けない、と言うと、大学の正門で待つからと言われる。そこで、大学の正門に行くと、すぐ見つけてもらい、大学内にあるホテルまで連れて行ってもらった。こちらの大学の方々には、歩いて大学に来た奴は初めてだとか言われた。まあ、確かに50歳にはきつかったかもしれないが、歩く以外に方法がなかったからしょうがないじゃないか。「何が問題だったんだ?」と言われたので、「私に問題があるんじゃなくて、問題があるのはタクシーだ」と答える。

でも、その後、こちらの先生に連れて行ってもらった料理屋で、牛肉と餃子のような料理を食べてビールを飲んだら、もう苦労は忘れてしまい、なんか幸せな気分になってしまっている自分がいる。台湾は人がよくて、本当、精神的には癒されます。交通面ではいらつきますが。

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ヒースロー空港は本当に酷い空港である [地球探訪記]

ヒースロー空港はフランクフルト空港、スキポール空港やヘルシンキ空港などの他のヨーロッパのハブ空港に比べてもずっと酷い空港ではないかと思う。私はシャルル・ド・ゴールもあまり好きではないのだが、それと比較しても酷い空港であると思う。ヒースロー空港を酷いものとしているのは、ゲートが直前まで不明であるということだ。そのためセキュリティを通過した後、だらだらと空港内で待っていなくてはならない。そのくせ、空港がばかでかいので、ゲートに行くのに下手したら15分くらい見なくてはならない。ゲートが表明されるのが40分前で、ゲートに行くのに15分。ゲートには30分前に到着していろ、とかいわれるとほとんど発狂しそうになる。イギリス人は引き算が出来ないのか、とも思わされる。しかも、セキュリティが厳しいので、荷物チェックを受けてしまった時のことを考えると、早めにセキュリティを通過しなくてはならないので空港には早く到着しなくてはとの強迫観念を受ける。また、セキュリティ・ゲートを通過する際に、航空券をスキャンするのだが、飛行機がキャンセルなどになった場合、このセキュリティ・ゲートを再び通過しなくてはならない。正確に流れれば問題がないのだろうが、何か事故等が起きると対応できない柔軟性のないシステムとなっているので、いつも不安がつきまとう。

それだけではない。たとえばセキュリティを通過した後、やたらタックス・フリーの店内の中を通らされる。まるで、武蔵小山のパル商店街の中を歩かされるような気分だ。いや、まだパル商店街の方が空間に余裕がある。デパートの中といった方が正確か。しかも直線ではなく、曲線で歩かされるので、まったく動線処理の効率性などを無視している。人を馬鹿にしてないと設計できないようなつくりとなっているのである。

そもそも、ターミナルが5つというのもおかしい。鉄道駅も複数ある。成田空港の2つでも大変なのに、5つというのはちょっと多すぎであろう。タクシーの運転手さえも、電話で事務所に連絡して確認するほど、しかもターミナルを使用する航空会社がころころ変わるそうだ。

このような酷い事態を考えると、もうヒースロー空港を利用しないことがもっとも賢明なのではないかと思う。ちょっと遠回りにはなるかもしれないが、パリからユーロスターで入った方がいいのではと思う自分がいる。私個人としては、頑張ってフランクフルトからケルン経由でイギリスに入った方がまだストレスが少ないかなと思うくらいである。

ただし、このヒースロー空港が酷すぎる、ということはどうもイギリス人も自覚しているらしく、テームズ川下流に新しい空港をつくる計画を検討しているようだ。この計画案もノーマン・フォスターらしいが、まあ、ここまで酷いことを考えるとつくった方がいいであろう。

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マンチェスターからロンドンへ向かう列車は超満席であった [地球探訪記]

マンチェスター13時15分発の列車でロンドンに向かった。列車はおそろしく混んでいたので、途中まで通路に座っていた。この混み具合は凄いものがある。昨晩もプレストンから普通列車でマンチェスターに向かったのだが、日本のラッシュには及ばないものも立錐の余地もないと形容したいほどの混み具合であった。駅に停まると、もう限界かもと思わせるほどで、隣の客とは随分と身体がぶつかりあったほどである。

このようにイギリスにおいて、列車が混んでいるというのは意外であった。イギリスに来て、例えばアメリカ人だけでなくドイツ人と比べても愛想がないなと思っていたのだが、この愛想の悪さはこの人が密集している中での生きていく知恵なのではないかとも考えたりする。

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イギリスというかスコットランドの鉄道でマイナーな駅で乗り換えようとしたら、結局、グラスゴーに行けと言われる [地球探訪記]

グラスゴーの南にあるニューラナークを訪れた。さて、次の行き先はマンチェスターなので、グラスゴーまで行くのも面倒くさいので、途中の特急停車駅であるマザーウェルという町で降りる。いや、別に電車でグラスゴーまで行ってもおそらく電車には間に合うのだろうが、列車内の検札で、なぜマンチェスターに行くのに反対方向のグラスゴーに乗っているのだ、などと難癖をつけられるのが嫌だったからである。もちろん、グラスゴー始発だと座れる確率が高くなるので、これはそれほど賢明ではなかったかもしれないが、コンピューターを充電したかったので降りた(そうして、こうやって喫茶店で充電をしながら、この記事を書いているわけです)。

さて、マザーウェルについたらホームが4つあるのだが、マンチェスター方面がどこに行くかは、列車予定表にも載ってなく(これはローカル線のみ載っている。おそらく、運営会社が異なるためであろう)、ちょっと途方に暮れたので駅員に尋ねてみた。さて、これが失敗の元であった。というか、駅員にこのような状況で尋ねることで失敗の元になるというのは、私の少ない経験でもスペインぐらいであり、まさかスコットランドでもそのような目に合うとは思わなかった。まあ、何があったかというと、彼は、ニューラナークからグラスゴーを経由しないでマンチェスターに行けるという行き方さえ想像できなかったようで、なんか私の切符を持っていろいろと周辺に尋ねたりしていたのだが、結局、「切符売り場のおじさんが忙しそうだったので、詳しくは聞けなかったので、とりあえずグラスゴーに行きなさい」と言ってきた。横にいたおじさんが、横やりを入れてくれて16:52のプレストン行きに乗ればいいんじゃないの、と言ってくれたが、まったく聞き耳を持たずにグラスゴーに行きなさいと言われる。

時間はちょうど16時であった。ここで一番早いグラスゴー行きは16時10分。ちょっとマザーウェルに52分に到着するプレストン行きに乗れるかどうかは非常に微妙である。また、やられたかと思ったが、自分で改札口に向かった。果たして、改札口のおじさんは忙しそうであったが、そのおじさんの上にあった電光掲示板では、「Preston 16:52 On Time Platform 1」と記されていた。何も、改札口のおじさんに確認しなくても、これだけで私でも状況は分かる。というか、私に対応してくれたおじさんは、本当にプロの駅員なのであろうか。逆に、どんな人生を歩んでいるのかと疑わせる。奥が深すぎるぞ、イギリス。

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エンジェル・オブ・ノースというイギリス最大の彫刻を見にいく [地球探訪記]

私を激しく、ニューキャッスルに向かわせたのは、ミレニアム・ブリッジを見たいというのもあったが、エンジェル・オブ・ノースを一目、見たいというのが強くあったからである。しかし、タイン川沿いのいわゆる新たにつくられた観光地のそばにあるミレニアム・ブリッジと違い、エンジェル・オブ・ノースはゲーツヘッドの中心から8マイルも離れたところにあった。これは、ゲーツヘッドの入り口につくられたから、しょうがないのだが、公共交通で行くのは相当、不便である。とはいえ、行かない訳にもいかないのでバスに乗っていくことにした。ちょうど、取材があった市役所の前にバス・ターミナルがある。

どのバスに乗るのかを探すのは大変だろうな、と思っていたら、なんとAngelと車体に描いてあるバスがきた。バスの運転手にエンジェル・オブ・ノースまで行くかというと、行くという。往復で2ポンド80セントである。喜び勇んで乗る。ちょっと、お釣りをくれないなどの運転手の意地悪もあったが、それも乗り越える。さて、8マイルといったら12キロぐらいだ。20分ぐらいかなと思ったが15分くらいでエンジェル・オブ・ノースが見えてきた。どこの停留所で降りたらいいかが躊躇される。エンジェル・オブ・ノースを横目に通り過ぎ、また、私がここに行くことを知っているのに、運転手はバスの次の停留所が掲載されている電光掲示板での情報を更新せず、猛スピードで停留所を通過しようとしたので、慌てて停めさせた。ちょっと歩くことになったが、致し方ない。

さて、このエンジェル・オブ・ノースであるが、イギリス最大の彫刻であり高さ20メートル、両翼部分が54メートルの鋼鉄製の天使である。作品が完成したのは1998年。総工費は100万ポンドであるが、ヘリテージ・ロッタリーと言われる宝くじでの収入でこれを賄うことになった。ちなみに、ミレニアム・ブリッジもこの宝くじによって資金を編み出している。

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私が、なぜ、このエンジェル・オブ・ノースに惹かれたかというと、それは、私が若き日に愛聴したジェネシスの「Watcher of the Skies」の佳曲のテーマであるウォッチャーをやたら、この彫刻が彷彿させるからである。この間、川崎に観に行ったスティーブ・ハケットのコンサートでも一曲目でやっていた曲である。ということで、見に来たわけなのだが、実際、実物を見てもなかなかの迫力で、その空間を支配する存在力は尋常ではないなと感じた。これがつくられた当時は、いろいろと賛否両論が出たそうだが、なんか、この地域のアイデンティティを強烈に表現させたという点からは、大きく評価できるのではないだろうか。少なくともゲーツヘッドという常に、ニューキャッスルの影に隠れてしまう地域のブランド戦略としては秀逸であったと思われる。まあ、実際はニューキャッスルの地域ブランドとして認知される側面の方が多いかも知れないが、イングランドの北西部の名所を手っ取り早くつくりだしたという点からは貢献度が大きいと思われる。実際、これは個人的な意見かもしれないが、なかなか素晴らしいインステレ−ションであるとも思うし。

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ダブリンのバスの乗り方 [地球探訪記]

ダブリンではホテルから学会まで距離があること、また都心へも歩いて行けないことはないのだがちょっと距離があるのでバスをよく利用した。さて、しかし、このダブリンのバス、大変に使い勝手が悪いのである。いや、運行頻度は結構よく、そういった交通サービスといった観点からは優れているのだが、料金のシステムが悪いのである。まず、バスに乗るとき、お札は受け取ってくれない。したがってコインがないと乗れないのであるが、このコインで支払ってもお釣りは戻ってこないのである。じゃあ、お釣りはどうなるのか、というと基本的にレシートの形で戻ってくる。このレシートを市内に一箇所しかないダブリン・バスの事務所で現金に換えてもらうのだ。しかも5セントとか10セントぐらいであるとレシートもくれない場合もある。随分と乱暴なシステムだ。私は初めてバスに乗ったとき、2ユーロ15セントであったのだが、3ユーロも支払ってしまったので、85セントのレシートをもらい結構、損した気分になった。このお釣りを取り戻すために事務所に行く人は少ないようで、それらは寄附されているそうだが、地元の人も「本当かどうか怪しいものだ」と言っていたので、そういうことかもしれない。また、事情をより複雑にしているのは、行き先によって料金が異なるということである。2ユーロ15セントであったり、2ユーロ40セントだったり、料金体系がよく分からないのである。これは、つまり、事前にどの程度、料金が請求されるかが分からないということである。常にコインを十二分に用意してからでないとバスに乗りにくいのだ。これは、とても不便であり、この不便さだけでも、自動車に乗る人も多いのではないかと思われる。

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(バスは二階建て)

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(車内の様子)

さて、ダブリンでは最近、ライトレールが整備された。このライトレールはホテルから400メートルぐらいに離れたところに駅があるのでバスのようには便利ではないが、しかし、どこを走るかが事前に分かるので私のように土地勘がないものにとってはとても有り難い。ということで、ライトレールも利用したのだが、このライトレールは日本の鉄道のように事前に券を購入する。初めてライトレールに乗った時は、ライトレールの一日券を6ユーロで購入したのだが、バスとライトレール共有の一日券も8ユーロ50セントで入手できることを知り、次の日はこれを購入した。これさえあれば、バスのお釣りはレシートで攻撃も回避できるのでとても便利である。とはいえ、これに気づいたのはダブリン最後の日であったのが残念である。

あと、最後の日で時間もないというにも関わらず、上述した、もらい損ねたお釣りを受け取るためにオコネル通りのバスの事務所を訪れてみた。実際、自分でそれが出来るかどうか試してみたかったということもある。さて、このバスの事務所に行き、85セントと5セントのレシートを見せて、「どこに行けばお釣り分を返してもらえるのですか」と尋ねると、そのまま黙って90セントを渡してくれた。この無言というのが、どうもお役人はどこの国でも・・という気持ちにさせたが、損した気分は吹っ飛んだ。とはいえ、この一分一秒が貴重なダブリンにて、90セントの機会費用に見合ったかというと自信はないが。

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(オコネル通りにあるダブリン・バスの事務所。ここでしかお釣りの返金はされないようだ)
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ギネス・ビールのストア・ハウスを訪れる [地球探訪記]

ダブリンの代表的な企業として、ギネス・ビールが挙げられる。ギネス・ビールはなんと26ヘクタールというちょっと驚くほどの醸造所を都心のそばに擁している。流石に都心から歩いていくのは難しいが、トラムにちょっと乗っていったところ、ヒューストン駅のそばにある。ヒューストン駅の周辺も醸造所であり、もうトラムを降りたところから、甘酸っぱいような匂いが周辺の空気に充満している。こりゃあ、凄い強烈だ。さて、トラム駅から歩いて5分ぐらいのところにギネス・ビールのストア・ハウスはある。実は昨晩も訪れたのだが、19時に閉まってしまうので入れなかった。私はてっきり、ドイツの醸造所にあるビア・ガーデンのようなものを想像していたのだが、実態は、どちらかというと恵比寿にあるヱビスビールの記念館のような博物館のようなものであったのだ。昨晩、失敗したので素直に諦めればいいのにと自分でも思うが、無意識でギネス・ビールが好きなのかもしれない。懲りずに、しかもダブリン最後の日であるにも関わらず、足を伸ばしたのである。

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(ギネス・ストアハウスの入り口。結構、都心から離れているので、交通は不便。私はトラムで行った)。

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(午後3時頃には結構、長蛇の列が出来ていた。ちなみに9時30分開場である)。

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(施設内の展示)

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(施設内の展示)

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(ショップも充実している)

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(7階最上階はダブリン市内を展望しつつ、ギネス・ビールを楽しむことができる)

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(7階で入れてもらったビールには、カプチーノに見られるような模様を泡で描いてもらった)

さて、その中であるが、私が想定していたよりさらにテーマ・パークのような施設であった。入場料は16.50ユーロである。ちょっと高いと思われるかもしれないが、1パイント(570ml) のギネス・ビール代も入っていることを考えると、それほど悪くないと思われる。この建物は7階建てであり、グラウンド・フロアはお土産屋であり、1階と2階は醸造過程の展示施設になっている。3階は、ちょっとしたカフェ。4階は広告に関する展示と正しい注ぎ方を教えるバーが設けられており、5階にはレストランが入っている。7階はダブリン市内の360度の展望が得られるビール・バーであり、4階か7階で入場券と交換でビールを飲むことができる。私は7階のビール・バーでギネスを飲むことにする。注文すると、8割ぐらい入れた後、2分ほど待てと言われる。確かに、注いだ直後は濁っているような状態であったビールが2分ほどすると綺麗な黒褐色になっていく。最後に泡を付け足して出される。なんと、クローバーの模様まで泡でつくってもらう。こういうサービスは、ちょっとヨーロッパでは珍しいような気がする。

さて、ダブリンの美しい展望を見ているからか、昼から飲んでいるか、さらには作りたてを飲んでいるような気分にさせられているからか分からないが、ギネスのスタウトは美味しいと素直に思う。前から好きではあったが、やはりダブリンの、ギネスの工場を上から見下ろしながら飲むギネス・スタウトは格別な感がする。わざわざ二回も足を運んだ甲斐があるというものだ。いい気分になったので5階の食堂で遅い昼食を取った。サーモン・ペーストとサラダとギネス・パンを注文したのだが、このギネス・パンというのも美味しかった。もしかしたらイギリスと違って、アイルランドは料理が美味しいのかもしれない。ウィスキーもイギリス人と違ってつくれるし。さて、食事を摂りながらもまたギネスを注文してしまったら、結構、ほろ酔い気分になってしまった。ほろ酔い気分も手伝って、思わず、グランド・フロアのお土産屋で、しらふであったら買わないようなお土産を多少、大量に買ってしまった。これも計算に入っていたとしたら、ギネス、なかなかの商売上手である。
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ダブリンのテンプル・バーでヴァン・モリソンのBrown Eyed Girlの弾き語りを聴いて、つくづくアイルランドに来たんだなあと思う [地球探訪記]

ブリティッシュ・エアウェイズの度重なる妨害にもめげず、ダブリンに到着することができた。荷物は案の定、届いていなかったが、ホテルにチェックインをして早速、街中を歩くことにする。テンプル・バー周辺は、多くの人々で溢れており、とてもアーバンな感じのする空間である。あと、やたら飲み屋が多い。昼から多くの人が飲んでおり、楽しげな空気に包まれている。

さて、私も早速、そのような飲み屋の一つに入ってみる。観光客の特権として、最も観光スポットらしきテンプル・バーに入る。テンプル・バーは、なかなか店内は広く、また中心にステージがあって常に音楽が演奏されているようだ。私が入った時には、中年の親爺さんがギターをじゃかじゃか弾いていた。コードはほとんどがオープンのGとかDとかAmなどで、そちらの方は今ひとつかなと思っていたら、いきなりヴァン・モリソンのBrown Eyed Girlを歌い始めた。Brown Eyed Girlは、これまで数多出たロック・シングルスの中でも歴代ベスト100(2000年のローリング・ストーンズ誌では歴代21位に評価されている)には入るような佳曲であり、おそらく世界中のこのようなパブの生演奏で歌われているのだろうが、このダブリン(正確にはヴァン・モリソンはベルファスト出身なのだが)のテンプル・バーで歌われるのがとても「正しい」ような気分になった。そして、その歌を聴きながら、自分がつくづくアイルランドに来ているのだなあ、という気持ちにさせられた。ちなみに、ここで歌われるのがU2のI Still Haven’t Found I am Looking For でもThin LizzyのThe Boys are Back in TownでもCranberriesのDreamsでもいいのだ。これらの曲には、なんかアイルランド魂というかアイデンティティが宿っているように感じる。その哀愁が漂うようメロディーの中に秘められた魂的なものを、アイルランドで聴くとより強く感じやすいような気がする。気のせいかもしれないが。

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ブリティッシュ・エアウェイズの悪夢は続く [地球探訪記]

ブリティッシュ・エアウェイズがダブリン便をキャンセルしたので、仕方なくヒースロー空港のそばで宿を取って一日を過ごした。ブッキング・コムがファビュラスと評価しただけあって、1万円ちかくとロンドン周辺では破格の安さ(ロンドンだと平気で3万円とか5万円とかするからな)であるにも関わらず、快適な宿であった。タクシー代こそ往路は40ポンド、復路は30ポンド(うち2ポンドはチップ)と高かったが、それでもここに泊まったのは正解ではあった。タクシー代とホテル代は、ブリティッシュ・エアウェイズに領収証を送ると返金されるという手紙を受け取っているが、これまでの経緯を考えると、彼らに日本の私の銀行口座に返金させることは相当、大変そうだ。それを考えると、最悪、自腹の事態も考えて安く抑えておいた方がよい。

さて、無事に空港に着き、ようやく安堵すると、またもや直前に飛行機がキャンセルになった。この空港に向かう途中、タクシーの運転手が、クルー不足だといっても、スタンドバイがいるだろうから、オーストラリア便のようなドル箱路線はキャンセルにしない。ダブリン便だからキャンセルされたんだね、との言葉が脳裏をよぎる。一度ならず二度までも。しかし、今回は空港の通関内のブリティッシュ・エアウェイズの窓口でうまく相談できたので、エアリンガスの便を抑えてくれた。出発もほぼ同時刻。よしよし、と思ってゲートに向かうと、そのゲートでお前は写真を撮っていないだろう、と言われる。写真なら通関する時、撮ったというと、それならシールを持っているだろう、と言われる。シールは持っていない。というか、写真の情報はチケットのバーコードに記入されているのだが、新しくエアリンガスの便に代えた時、ブリティッシュ・エアウェイズの担当者は古いチケットを私に返却しないというか、その場で破ってしまったので、そのバーコードの情報が失われていたのである。もう一度、撮りに行かなくては駄目だと言われたが、そうすると出発時間に間に合わない。とはいえ、このおばさんは交渉は効かないと思い、ここは退散して並び直す。ゲートの担当者は4名。このおばさんにもう一度会ったらおしまいなので、他の人に当たってくれと願っていたら、うまく違う人に当たった。この担当者のおじさんも同じことを言ったが、今度は私の事情を理解してくれて、ちょっと余計な検査はされたが無事、通ることができた。しかし、間一髪とはまさにこのことだ。イギリスで生きることの理不尽な難しさ、というかただの理不尽ではあるが、を思い切り痛感する。恐るべき国である。

ダブリン空港に着くと、案の定、私の荷物は同じ飛行機には乗せられていなかった。どこにいったのやら。とりあえず、私は明朝、ダブリン・シティ・カレッジと打ち合わせがあるので、今の格好ではさすがに相当、気まずい。ニオイも相当、してきているし。とはいえ、あの泥棒国家のようなイギリスから出国できたことでとても安堵している自分がいる。空港からホテルまではバスで移動したのだが、8ユーロとイギリスの6分の1だ。それにユーロだし。テンプル・バーでギネスを飲んで、カフェでサラダを食べていると、本当にリラックスしてくる。テンプル・バーでは弾き語りをしているバー付きのミュージシャンがヴァン・モリソンのブラウン・アイ・ガールを歌い始めて、つくづくイギリスから出国できた喜びが身体の奥からわき上がってくる。あとは、荷物を回収できるかどうかだが、なんか、回収できないような気がするなあ。今回は、海外旅行保険に入っておくべきだったかもしれない。と考え、海外旅行保険というか保険業もイギリス人が考えついたことに気づいた。あの野郎、何があっても自分達が儲けるというシステムをつくっているんだな。これは、もうエンガチョするしか逃げることができないような、ヤクザのような奴らであるな、ということに改めて気づかされる。


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ブリティッシュ・エアウェイズで想像を絶するほどの酷い目にあう [地球探訪記]

ダブリンに行くために全日空でロンドンまで向かう。ヒースロー空港で乗り換えようとしたら、出発のほとんど直前になって飛行機がキャンセルされた。その日の便はもうないので、明朝のチケットをとりあえず予約しなくてはならないのだが、そのために1時間ぐらいも並ばせられた。チケットはどうにか取れたが、荷物を取らなくてはならない。本来であれば、ダブリン空港まで行くはずだったのだが、どうも荷物はロンドンに置きっぱなしになっているようだ。さて、荷物を取りに行きたくても、荷物受取所には入ることはできない。そこで、若いブリティッシュ・エアウェイズの男性に相談したら、タグを渡してくれれば取ってくるようにすると言う。私はタグを渡したが、嫌な予感がしたので、急いで番号をメモしておく。彼は結構なハンサムで、時間がかかるからホテルの予約をしておいた方がいいと言う。ホテルの予約をしに一階の旅行センターに行くと、本当、長蛇の列がここでもできていた。これは、馬鹿らしいと思い、ブッキング・コムで空港のそばのホテルを予約する。さて、予約も済んだので元に戻ると、荷物はもちろんのことお兄さんもいなくなっている。おいおいおい、と思い、ブリティッシュ・エアウェイズのカウンターに戻って事情を説明すると、「そんな男はいない」とうそぶく。さらに、ほとんどのお客はここに一夜預けるといって帰っていたとまでほざく。私のすぐそこに、荷物を受け取った他のキャンセル客が歩いているのを見て、私は怒髪天を衝くほど怒りに震えた。「ふざけるのもいい加減にしろ!(Don’t give me all the bullshit!)」と叫ぶと、さらに挑発するようなことを言ってくる。私は持っている珈琲をこのインド系イギリス人の中年男にぶちかけてやろうかと思うほど怒っていたら、奥から、「何か問題があるのか」と中年のフランス系イギリス人のような男性が言ってきたので事情を説明したら、明日の便でダブリンまで送るように手配してくれた。まだまだ信用はできないが、とりあえずこれ以上は13時間のフライトから疲労困憊しているので、このおじさんを信用して、手ぶらでホテルに向かうことにした。

私はヒースロー空港から近くのホテルを予約したのだが、なんとタクシーでは40ポンドもかかった。なんか、本当に踏んだり蹴ったりの一日である。それにしても、ブリティッシュ・エアウェイズは勝手に飛行機をキャンセルして(理由は前日になんか中東かどっかの空港で大幅な遅延があったことでクルーに不足が生じたことが原因だそうだが)、しかもそれで困る客を、まさに客とも思わない態度。私は日本人だから、より対応がぞんざいであったことは確かだが、イギリス人の客達も相当、怒り心頭になっていた。ちなみにイギリス人は怒ると、そうでなくても無愛想なのに、さらに無愛想になることが分かった。ここらへんはちょっとアメリカ人と違うところかもしれない。まあ、でもこのブリティッシュ・エアウェイズのサービスの酷さはないね。ブリティッシュ・エアウェイズを選んだこちらが悪い、というような開き直りの態度。自分の勝手で不都合をさせられているのに、あかんべえをするような態度はちょっと通常のサービス業の範疇としては考えられない。私の人生の中でも、緊急時におけるニューギニア航空に勝るとも劣らない酷さだ。これが、ナショナル・フラッグの航空会社ということは、国の本質もそこにあるのだろう。所詮、海賊国家ということか。二度と乗るまいと決意したが、もう既に8月に予約を入れてしまっている。しまった。しかし、それ以降は決して、この飛行機には二度と乗るまいと決意をし、ここにも宣言をしておく。英国病の恐ろしさと奥深さもしった一日であった。

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城崎温泉を生まれて初めて訪れる [地球探訪記]

 城崎温泉という地名を知ったのは中学の頃である。志賀直哉の短編小説「城の崎にて」を読んだからだ。その小説の日本語の美しさに感銘を覚えた中学生の私は、いつか訪れてみたいと思っていた。しかし、そのチャンスは全然、なかったのである。今回も城崎温泉に行く目的はなかったのだが、豊岡市のコウノトリを育む街づくりを調べるためにやってきたら、城崎温泉がすぐそばにあったので、視察先に行く途中に通り過ぎることができた。ということで、城崎温泉自体に行った訳ではないのだが、その景色や場所は私がイメージしていたものと違っていたので興味深かった。小説から勝手に類推していた城崎温泉は日本海に面していると思っていた。そして、何かリアス式海岸風のところにあるように思っていたのだが、実際の城崎温泉は日本海には面しておらず、川沿いの温泉街であった。あと、深緑の印象であったのだが、訪れたのが初夏であったこともあり、新緑が眩しい、とても明るい感じの温泉街であった。とはいえ、川沿いの並木などは、私がイメージしていたものと似ていた。この川沿いを志賀直哉が歩いて思索したのであるな、と思うとちょっと感慨深い。
 あと、城崎温泉というよりか、ここ周辺地域に言えることであるが、極めて風光明媚なところであることに驚いた。天候が優れていたこともあるかもしれないが、日本の景色でこれほど感動したこともないかもしれないぐらい、美しく牧歌的な田園的な景観であった。イギリスの著名なランドスケープ・アーキテクトであるジェリコが著した「The Landscape of Man」という名著がある。この本で、私が強く感銘を覚えたのは、日本の景観の章であった。ジェリコが紹介する日本のランドスケープはとても美しく、現在のファスト風土はまったくもって異なるものであった。私は日本の地方を訪れると、いつも惨憺たる気持ちになる。これは、景観が醜悪であるからだ。最近、訪れた都市でも、群馬県の太田市、福島県の郡山市、いわき市、埼玉県熊谷市、香川県の高松市、岡山県の岡山市など、ろくな景観ではない。いや、自然景観は美しいのだが、人工的な景観があまりにも醜悪なのである。ところが、城崎温泉周辺は景観が美しいのである。似たような感想は、出雲市や松江市、中国山地の村などを訪れた時にもちょっと覚えた。山陰地方はもしかしたら、そういう日本の伝統的な美しい景観を維持できている珍しい場所なのではないかとも思ったりもする。それは、ある程度、豊かさもあったからではないかとも思う。いや、ただの無責任な印象論ではあるのだが、このような日本の景観で感銘を覚えたことは私にとって、とても嬉しいことであるので記させていただく。

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小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

  • 作者: 志賀 直哉
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/04
  • メディア: 文庫



The Landscape of Man: Shaping the Environment from Prehistory to the Present Day

The Landscape of Man: Shaping the Environment from Prehistory to the Present Day

  • 作者: Geoffrey Alan Jellicoe
  • 出版社/メーカー: Thames & Hudson
  • 発売日: 1995/04
  • メディア: ペーパーバック



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サンライズ瀬戸で高松まで向かう [地球探訪記]

高松に朝の9時頃に行かなくてはならなくなった。しかし、前日の20時30分頃まで東京で予定がある。最終列車で行くことはできるが、そうすると高松に到着するのは朝の1時過ぎ。また、早朝の飛行機で向かったとしても朝の10時頃になる。どうしようと考えていて思い浮かんだのが、サンライズ瀬戸である。これだと夜の10時に東京を発って高松には朝の7時22分に着く。絶妙のダイヤ設定である。

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(東京駅のホームに入るサンライズ瀬戸。写真を撮る人が多い)

ということで、サンライズ瀬戸で高松に向かった。B寝台だが、個室でとても快適だ。その昔のブルートレインとかだと、3段ベッドや2段ベッドで、周りの客に気を遣ったりしたが、この個室はまさに動くビジネス・ホテルという風情である。久しぶりに一人の時間が出来たので、思わず仕事をしてしまったが、インターネットも繋がり快適だ。日が変わる頃ぐらいに富士駅に着いた。その後、就寝する。

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(B寝台。個室で快適。だが下であってので、上にすればよかったと後悔)

さて、目が覚めて外を見たらちょうど大阪駅に着く頃であった。4時ちょっと過ぎであった。もう少し寝たかったが、外はもう明るくなっていることもあり、どうも目が覚めてしまったので、メイル・チェックなどをしていると、6時になって岡山駅に着く。これは、急がないとシャワーを浴びれなくなり、310円で購入したシャワー券が無駄になると慌てて、シャワー・ルームに向かう。4時過ぎにトイレに行ったときでも、シャワー・ルームには待ち行列が出来ていたので、これはもう駄目かなと思ったら、誰も待っていなかった。朝風呂の習慣のある人は少ないのかな、とちょっと不思議に思うが私的にはラッキーだ。ちなみに、このシャワー・ルームは6分間、シャワーが使える。シャンプーもあり、なかも清潔で、ヨーロッパの寝台列車にはないサービスで私は感動した。さすが、風呂文化の進んだ日本だけのことはある。ただ、車内で購入した200円の手ぬぐいは小さすぎで、これを使うことが分かっていればタオルを持参すればよかったと後悔する。

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(瀬戸大橋を渡る)

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(四国が近づいてきた)

高松駅には時間通り、無事に着いた。ちょっと睡眠時間は短かったが、快適な鉄道旅行であった。夜行バスのあのストレスに比べれば天国であるなと思う。

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(高松駅のホームに着いたサンライズ瀬戸)

さて、しかし、このように使い勝手のある夜行列車であるのだが、もう本当に少しだけしか走っていないことが分かった。九州方面に走る夜行列車は、私が中学生の時にはたくさんあったのに、今ではまったくない。中学二年の時に友達と十和田湖に行くために乗った「あけぼの」、中学三年の時に広島に住む叔母のところに行くために乗った「はやぶさ」。夜行列車の旅情はなかなか素晴らしいものがあったが、そういう体験がもうほとんど出来なくなったのはちょっと残念ではある(「あけぼの」はまだ運行しているようだ)。

多くの夜行列車が廃止された理由は、利用者減少が理由らしいが、瀬戸サンライズは満席であった。新たな需要を発掘することができるのではないかと思ったりもする。

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エル・モロ国定公園、エル・マルパイス国定公園を訪れる [地球探訪記]

アルバカーキーから二時間ちょっと西に40号を走ったところに、エル・マルパイス国定公園がある。そして、それからちょっと先に行くとエル・モロ国定公園がある。アメリカの国立公園フリークである私は、思い切ってそこまで足を伸ばすことにしたのである。さて、グランツという町で40号を降りるのだが、おあつらえ向きにビジター・センターがある。ちょっと情報や地図を入手するために、そこに寄ってみる。なかなかビジター・センターからの展望は素晴らしい。

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(ビジター・センターからの展望)

さて、しかしあまり人気のない場所なのか、ビジター・センターには私しかいなかった。ビジター・センターにはレンジャーが2名いる。私よりも年寄りのお爺さん2名だ。地図を入手するのと同時に、エル・マルパイス国定公園はどうやっていけばいいのか?と尋ねると目の前がそうだ、と答える。そうだったのか。道理でなかなか展望が美しい訳だ。とはいっても、ちょっと国定公園としては今ひとつかなと思わないでもない。

エル・モロ国定公園は大きな砂岩の塊の周辺だけを国定公園に指定した極めて面積的には小さな国定公園である。この巨大なる砂岩は、太古の昔から人々がここに落書きをしていた。1906年以降、この岩への落書きは禁止されているが、それまでのインディアンからスペイン入植者、そしてアメリカ人の落書きを博物館の展示のように見ることができる。そして1906年に、ここは国定公園に指定されるのだが、随分と古い国定公園である。

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(岩の下にあるプールが美しい)

とはいえ、この落書き、私はそんなに興味を惹かれなかった。それよりも、この砂岩は3キロぐらいで一周できるのだが、そこからは遙か彼方まで、ニューメキシコ州西部のランドスケープが展望できて、これはなかなか興味深かった。

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(エル・モロの上からの展望)

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(エル・モロの上からの展望)

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(サボテンの群落)

エル・モロ国定公園からの帰りにエル・マルパイス国定公園のナチュラル・ブリッジのところまで行く。高速道路から30キロちょっとで着く。エル・マルパイス国定公園は1987年に国定公園指定であるから新しい。このナチュラル・ブリッジは、なかなか大きく迫力がある。わざわざ来た甲斐があったな、と嬉しく思う。また、そこから高速道路に戻る途中に砂岩の絶壁があるのだが、ここからの展望は相当のものである。道が舗装されていないので車で行くのはちょっとだけ厄介だが、それでも行く価値があると思う。

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(ナチュラル・ブリッジ)

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(砂岩の絶壁からの絶景)

エル・モロ国定公園の年間訪問者は86万人、エル・マルパイス国定公園のそれは10万人。しかし、高速道路のアクセスのよさなどを考えると、エル・マルパイス国定公園の方にもっと人が訪れてもいいような印象も持つ。
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タオスの店でとんだ勘違いをする [地球探訪記]

タオスに行く。適当にスクエアに行き、お土産を物色しようとして入った一軒目のお店がよかった。アメリカ原住民が運営するパイプ屋なのだが、なかなかお洒落でなんと「モノマガジン」にも紹介されたような店であった。店長は、タオス・プエブロに住む原住民の方だが、Julia Roberts, Dennis Hopper, Suzan Sarandonも顧客だという。私はなぜか、Suzan Sarandon をSuzan Sontagと勝手に勘違いして「それは凄い!」と感動していた。店長はSarandonは背が低いがボインだと言っていた。哲学者にボインもくそもないだろうと私は訝しんでいたが、ここで自分の間違いに気づけばよかった。私は感動してパイプとインディアン・フルート、そして義理の兄である音楽家のCDを買ったが、店を出たあと、ロッキーホラー・ショーの女優の方ね、ということに気がついた。とんだ勘違いだ。とはいえ、パイプと笛を買ったことは全然、後悔していない。

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(店長)

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(店構え)
タグ:タオス
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タオスのスキー場を訪れ、感動的な滑走を体験する [地球探訪記]

タオスのスキー場を訪れた。タオスのスキー場は前から一度来たいと思っていたので、念願がようやく叶った。アルバカーキーを朝5時に出たので着いたのは8時前。タオスの街中を通り過ぎ、さらに20分ぐらい車を走らせる。外の気温は驚くぐらい低い。氷点下15度くらいである。運転に気をつける。

さて、タオスのスキー場は思ったよりもずっとこぢんまりとしていた。派手さはないが、洗練された雰囲気ではある。このスキー場が開発されたのは1955年。ドイツ人であるアーニー・ブレークが家族のためにスキー場をつくる夢を具体化させたのがこのタオス・スキー場である。

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とりあえず、まだリフトも動いていないこともあり、朝食をカフェのようなところで取る。ランチョス・フエボスとカフェ・ラテを注文したのだが、ランチョス・フエボスはメチャクチャ辛かった。朝から、こんな辛いものを食べるのか、と思うほどでアメリカでは相当、珍しい辛さであった。これは、やはりタオスという土地柄だからかと思ったりする。

スキー・ウェアは持ってきているので、スキーとスキー靴だけレンタルをする。レンタル代は48ドル。スキーリフトの一日券は77ドルであった。さて、スキー場に行くと、凄まじい斜面が目前にある。これを滑り降りるのかと思うと、ちょっと心配になる。しかし、リフト乗り場のところに「パニックしないで。今、あなたが見ているのはタオスのゲレンデの1%にしか過ぎません。初級者用のゲレンデもあります」と書かれた看板が置かれていた。確かに、この斜面をみただけで帰ってしまう客もいるかもしれない。

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さて、ほとんど一番乗りで、リフトで上のゲレンデまで向かう。タオス・スキー場にはリフトが6本(そのうち1本は連絡用)しかないが、110のトレイルがある。初級、中級、上級とバラエティに富んでいるが、超上級のコースがやたら多いのも特徴であろう。そして、標高もある。リフトの最高点は3200メートルだ。

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雪質はとてもいいが、圧雪されていないコブ斜面は恐ろしいほどのアイスバーンであった。このアイスバーンでコブ斜面、しかも急斜面はちょっと私には難しすぎるので、チャレンジしなかった。景色は絶景で息を呑む。天気がいいこともあるが、大自然の中を滑降していると本当に爽快な気分になる。これまでスキーをやっていてよかったなと思うぐらいだ。オーストラリア人を八方やニセコで多くみかけるが、私的には八方もニセコも、このタオスに比べれば二流である。このタオスの素晴らしいスキー経験の前では、八方もニセコも個人的には嫌いではないが、違うスキーであるとさえ思う。軟式テニスと硬式テニスぐらいの質の差があるのではないだろうか。私はそれほどスキーが上手くないが、スキーが上手い人はさらにそう思うのではないかと思う。今回は、一人であるということもあり、超上級にチャレンジしなかったのだが、超上級コースを滑ったら、さらにそのような思いを強くしたであろう。年齢のことを考えると、後回しにしない方がいいのだが、まあ、怪我でもしたら大変なので。

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ただし、これは何もタオスだけに限られたことではなく、ウィスラーやマウント・バチェラー、カークウッドなどのアメリカのスキー場でも感じたことである。そのダイナミックなゲレンデ、平らで距離の長い急斜面を滑り降りる爽快感などは、なかなか日本のスキー場では得られないものだと思う。私はまだヴェールやアスペンなどのアメリカの有名どころで滑ったことがないのだが、いつか滑ってみたいという思いをこのタオスに来たことでさらに強くした。

ただ、私は高山病になりやすい質なのに、そこで結構、過激な滑りをしたので、帰る時には結構、気持ちが悪くなってしまった。あと、あまりの寒さに足の指の神経がちょっと鈍くなった。これはすぐ温めたので大丈夫だったが、その点は気をつけた方がいいであろう。

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テキサスのアウトレット・モールを訪れ、その価値を考察する [地球探訪記]

テキサスのサンマルコというオースティンとサンアントニオの中間の都市にいる。さて、サンアントニオに戻ろうとすると、こちらの大学の人が、「ショッピングが好きならアウトレット・モールに行くといい。うちのメキシコ人の親戚達も連休時には喜んで車で来る」と言う。

私はショッピングが好きではないが、都市研究をしている身であるので、「チェック・イット・アウト」しに行った。さて、このサンマルコとのアウトレット・モールは、恐ろしいほど広くて、大きさだけでいえばテキサス級であった。テナントもコーチ、ギャップ、ナイキ、アン・テイラー、コール・ハーンなど、ちょっとしたアウトレット・モールなら揃えているブランドはもとより、あまり見かけないようなものまでが入っている。

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(広大な駐車場を擁している)

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(店舗数は多く、なんでも揃っているという印象)

ふうん、とコーチの店に入ってみる。そもそもアウトレットなので安いのだが、さらに50%引き、60%引きとかで販売している。私は、そういえば出張中に家内が誕生日を迎えたことを思い出し、滅多にしないブランドのバッグを買ってしまった。私は日頃から、家内にはブランドなどというのは記号に金を払っているようなもので馬鹿げていると言っていたので恐ろしい自己矛盾である。しかし、コーチの比較的、大きなバッグが1万5千円ぐらいで買えるのであれば安いものであろう。普通のバッグでも安いぐらいだ。というか、コーチって、基本的に大量生産しているから、原価は相当、安いということである。それを皆、有り難がって高いお金を出して買っているということだ。そのカラクリがばれてしまうという点で、アウトレットにテナントを出すことは間違いなのではないかとも思うが、しかし、それは私の読みが浅いだけであって、実際には、これでも相当、利益率が出せるくらい原価はさらに安いのかもしれない。

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(コーチはもしかしたら、相当安物なのではないだろうかとの疑惑も抱く)

さて、家内に金を使ったので、なんか自分のものも欲しくなったのでコール・ハーンに入る。私は、ほとんどの靴がコール・ハーンである。これは、もう20年近くそうであると思う。ブランドを買うのは馬鹿であると言っている私の自己矛盾がさらに顕在化されるが、コール・ハーンに関してはブランドへの信頼ということがある。少なくともナイキ・エアという画期的なコンセプトをビジネス・シューズに適応したということ、実際、それまでのビジネス・シューズとは当時は履き心地が革命的に違っていたことなどから、私はコール・ハーンをずっと履いているのだ。そのアウトレットということで、入ると、いやいや、大量の靴が結構、安く売っている。そもそも日本はアメリカよりも高いので、アメリカの値段、さらにアウトレットということで、割引率を2回かけたかのような割安感がする。とはいえ、トランクに入らないので2足だけ買うことにした。大体、1万2千円くらいか。日本だと3万円だから、安いといえば安い。

さてさて、まあ、私はたまたまサンマルコスにいて、そのついでに購入したので交通費はゼロであったが、ここにわざわざ来る価値があるのだろうか。私が節約したお金は靴で3万6千円、さらにバッグではまあ割引率だけを得したと考えると1万5千円で、まあ5万円くらいは浮いたかもしれないが、そもそも買わなくてもいいものを買ったという風に考えれば、損失である。さらに、ここに来るためのガソリン代、そして機会費用を考えると、なかなか馬鹿にならないであろう。サンアントニオからだと来るまで片道45分。往復で90分。ガソリン代は往復でも20ドルくらいで済む。機会費用をどのように換算するかにもよるが、まあどうしても買いたいものがあれば来る価値はあるだろう。しかし、これがメキシコだとしたら、どうだろうか。私は大いに疑問である。

ロスアンジェルスから車で3時間ぐらい走ったところのバーストーという町にロス周辺では最大のアウトレット・モールがあり、結構、ロスにきた観光客がわざわざ訪れたりするのだが、これだと往復6時間、ガソリン代も80ドルぐらいかかる。周辺にはろくな観光地もないことを考えると、このアウトレット・モールを最終目的地として行くことは、相当、無駄ではないかと思う。これは、ちょうどラスベガスからロスに帰る途中に位置しているので、ラスベガスで勝ったら寄るぐらいの位置づけのアウトレット・モールなのであろうが、結構、日本人観光客はわざわざここを目指して来るものもいるそうなので、それは間違っているのではないかと思ったりもする。

このように考えると、アウトレット・モールはあくまでも他に観光地とかに行く目的があって、たまたまそばに寄った時に訪れるぐらいの位置づけが正しいのではないかと、いい加減な考察をした次第である。行けば損をした気分にはならないかもしれないが、わざわざ行くほどの価値は有していないと思う。

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