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フィンランドと日本、どちらが森林の国土に占める割合が高い? [グローバルな問題]

フィンランドの大学で講義をした。「日本の都市」がそのテーマであるが、多くの学生が日本を訪れたことがないので、さわりに日本とフィンランドの比較クイズをした。まず、国土。これは多くの学生がフィンランドの方が大きいとの意見だったが実は日本の方が大きい。その差はそれほどではないが、日本の国土面積はフィンランドやドイツよりも大きいのである。その後、人口などについて聞いた後、森林の国土に占める割合。これは、もう100%の学生がフィンランドと回答した。確かにフィンランドの方が多いのだが、実は数字は相当、競っている。というのもフィンランド73%に対して、日本は68%であるからだ。この数字をみても、いかに日本が森林国であるかが分かる。まあ、そういうイメージをもたれてはいないが。学生達も結構、驚いてくれて愉快だったので、このブログでも共有させてもらう。日本人はそんなに驚かないかもしれないが。

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フィンランドでは戦前は英語ではなく、ドイツ語を学校で教えていた [グローバルな問題]

フィンランドの言語教育はフィンランド語とスウェーデン語が中核を位置する。そして、外国語は英語であるが、戦前まではドイツ語だったそうだ。まあ、フィンランドはあまり知られてないが第二次世界大戦では枢軸国サイドだったということもある。したがって、私の親ぐらいの年齢だと、英語はできないけどドイツ語はできるらしい。ちょっと驚きである。しかし、第二次世界大戦前は、アメリカでもドイツ語は準公用語扱いされていて、結構、幅を利かせていたのに随分と後退したものだ。敗戦の影響は大きいな、と思わされる。

フィンランドは第二次世界大戦前、ドイツとソ連のどちらかを選ぶという、もう「カレー味のうんこ」か「うんこ味のカレー」のような究極な選択を迫られた。厳しいよなあ、これは。どっちも嫌だけど、やはりドイツとソ連だとドイツを選んでしまう気がする。まあ、ユダヤ人大虐殺はドン引きだけど、ソ連も基本、同じことをスターリンはやっているからな。まだ、文化面の功績とかいう点からでも、ドイツという国を信頼してしまうのは致し方ないような気がする。

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梁思成が京都と奈良を空爆させないよう米軍に進言したことの真偽について考察する [都市デザイン]

軍事的重要性が少なかった奈良はともかく、京都が第二次世界大戦に空爆を免れた理由は諸説ある。中国では梁思成の進言による、という説が一般化しており、建築を勉強している中国人はほとんどそれを知っている。一方で日本人に、それがあまり知られていないのは、その明確な根拠がないことからのようだ。ただ、おそらく私の勝手な解釈だが、梁思成の中国での古都保全の功績などを考え見ると、それが敵国のものであっても、それは人類の資産であるから守るべきだとは思っていたと推察されるし、それがアメリカの判断に影響を及ぼしたかどうかは分からないが、進言する機会があったらしていたのではないか、と思われる。1947年に招聘されて国際連合本部ビルの設計に参加したことなどを考えると、アメリカ側も一目置くような人物であったことは間違いない。

歴史的史実の根拠が薄いということで、この話は日本人に知られていない。一方で、中国人の建築系の人々にとっては常識となっている。それを対日世論工作だと批判している日本人達もいるが、これだけ日本人に知られていなければ、対日世論工作としては失敗だな、と思うのと同時に、この日本人と中国人とのギャップの大きさは考えものだなと思う。私は、梁思成の思想そのものは建築物の保全という点で素晴らしいものがあると思っている。そして、梁思成はおそらく、当時のアメリカ人の誰よりも、京都の都市資産の価値を認識していた(原爆の京都投下を回避させたヘンリー・スティムソンよりも、客観的に価値を理解していたと思われる。スティムソンは個人的な思い入れが強かった)と思われる。そうであれば、その進言が米軍の判断の影響に及ぼしたかはともかくとして、そのような考えは有り難いことであった、と受け入れてもいいのではないかと思うのである。それを頑なに史実的根拠がない、と真っ向否定するのも大人げなさ過ぎるのではないか。

ヨーロッパに住んでいると、基本、切羽詰まった時に信頼できるのは韓国や中国といった隣国人だな、ということを強く感じさせられる。アメリカに住んでいた時もそうだ。ヨーロッパの方が東アジアの同胞より、より理解できると思うのは、個別レベルではあってもグループ・レベルで考えると幻想であると思う。それは価値観や文化の違いである。したがって、梁思成の思想を我々はもっと共有できる筈だし、それを対日世論工作などといった穿った見方で捉えるのは情けないと思う。

結果的に、裁判で有罪になったとしても、自分を弁護してくれた隣人がいたら有り難いと思うであろう。無罪になったとしたら、その弁護が実際の判決に影響を与えた証拠はなかった、と主張するより、とりあえず弁護してくれて有難う、と言うだろう。裁判で弁護することができず、仲間うちの会話で、あいつは無実だと思う、と言ってくれただけでも有り難いことではないだろうか。

中国人の言い分も「京都を空爆から守った」というよりかは、梁思成は「京都や奈良を空爆するなと意見した」みたいな言い方をしている。これは、少なくとも、そう思っていたのであろうし、言っていたかもしれない。もちろん、相手が聞く耳を持たない、という可能性は高かったが、言ってくれたことは感謝してもいいのではないだろうか。

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タンペレを訪れる [地球探訪記]

ヘルシンキに宿泊しているのだが、日帰りでタンペレを訪れる。朝9時の列車で11時前に到着。列車代は22ユーロぐらいなので物価の割には安い。タンペレに訪れたのは、街を分断していた線路上に人工地盤を設置して、両側を結び、その上にノキア・スタジアムというホッケーなどが観戦できるスタジアムやらオフィス・ビルやらをつくるという開発をしたからだ。これは都市計画的に随分と賢いな、と思い、私が連載している「都市の鍼治療」の事例にふさわしいと思ったからなのだが、実際、見ると、それほど感心しなかった。線路上の開発ということでアクセスを著しく改善したことの効果は大きいが、そこが機能はともかくとして、空間として人を惹きつける魅力を伴ってないからだ。勿体ないなあ。私もわざわざ来た甲斐がなく、ちょっと勿体ないことをした。絶対、滑らない事例のように思えたからだ。ここらへんは報告書やウェブサイトと実態との乖離、ということで百聞は一見にしかずではある。まあ、行ったから理解できた、ということもあるのだが。

さて、しかし、都市自体は結構、興味深かった。フィンランドの都市はトゥルクを除くと、ほとんど歴史が浅い。そもそも、国の歴史が浅い。したがって、このタンペレも19世紀後半ぐらいからしか都市の歴史がなく、ちょっとニュータウン的な雰囲気が都市全体を覆っているのである。これは札幌とか旭川とかとも似ている。タンペレは「○○のマンチェスター」と形容される都市の一つであり、19世紀半ばから繊維産業で栄える。工場はまだ操業しているところもあるが、多くは操業を中止して、工場跡地は再開発されていたりする。そのうちの一つはフィンレイーといい、随分とイギリスっぽい名前だな、と思ったら創業者はスコットランド人であった。

そういう新しい都市ということであるが、しっかりとした都市のアメニティを高める工夫を都市デザイン的に頑張っていて、なんか応援したくなる。具体的には中央駅から伸びる大通りのトランジット・モール化、ウォーターフロントの公園整備(これは結構、昔からしているかもしれない)、それに前述した工場の跡地利用である。私はフィンレイーというところを訪れた。それなりに工場の建物をうまく再生利用しており、こういうブラウン・フィールドのリデザインは、もはやアイデアレベルではなく常套手段になっているのかな、との印象も受けた。

とはいえ、こうヨーロッパの都市の時間の積み重ねが生み出す、何年も寝かせたワインのような豊穣さが空間に欠けている。これは、まあ致し方ないことだが、それをどうやって都市デザインで克服させていくか。ここらへんが政策の肝かなと思ったりする。

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イスラム教徒の女性はイスラム教徒の男性としか結婚できない !? [グローバルな問題]

私はキリスト教系の大学に務め、現在では仏教系の大学に務めているが無宗教である。とはいえ、家のお墓があるので葬式は仏教で行うと思われる。あと、キリスト教系の大学と仏教系の大学に務めた経験からすると、仏教の方がよほどまともだな、とは思っている。さて、そんな罰当たりな私であるが、パキスタンに仕事で行った時、イスラム教はいいな、と思ったことがある。基本はキリスト教系の進化形であるし、その教えは学ぶところが多い。とはいえ、当時、既に奥さんがいて、どうもイスラム教徒はイスラム教徒かキリスト教徒としか結婚できない、という話を聞き、奥さんと離婚してまでの価値は全然ないな、と思い止まったことがある。
さて、しかし、そんな話を昨日、大学のイスラム教徒の秘書に話をすると、なんと女性はイスラム教徒としか結婚できないらしい。え!それは酷いな。男女差別である。おそらくモハメッドはそんなことはまったく言ってないと思うのだが、下手、イスラム教徒になって子供に迷惑をかけずに本当、よかったなと思った。私の子供は二人とも娘なので。

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韓国の合計特殊出生率0.7の衝撃 [グローバルな問題]

東京都市大学のイム先生の講演会に参加する。なんと、韓国の合計特殊出生率は0.7であるらしい。これは、現在のウクライナより低いぐらいである。驚きだ。日本の合計特殊出生率も随分と低いが、この深刻さは比較にならない。そもそも2001年からは1.4を上回ることはない。ソウルに注目すると、さらに低く、2022年には0.59になっている。これは、世界でも最低水準であろう。
 なぜ、低いのか。雇用の不安定、教育費の負担、助成の仕事と家庭の両立困難、個人的価値観の変化、住宅費の高騰、などが要因と考えられる。イム先生の研究からは、ソウルにおいては「教育費・養育費の高さ」が大きな要因であることが考察される。これに加えて「住宅価格が高い」ことも加わる。つまり、経済的な問題で負担を抱えることが子供を産まない大きな理由であると考えられる。
 韓国政府も手を拱いている訳ではない。育児給付金をそれまでの4倍の額を提供するようにしたりしている。この成果が出るのか、出ないのか。これは、今後、明らかになるだろう。
 さて、しかし、それにしても合計特殊出生率0.7は大変な事態である。少子化問題の人類の最先端に韓国は立っている。とはいえ、マクロでみれば人類は増えすぎている。それの調整を考えなくてはいけないので、人口が減っていることは好ましい事態として捉えられるが、ミクロ、すなわち国レベルで考えるといろいろと問題が生じる。今、合計特殊出生率0.7の凄さを知るために非常に簡単な計算をしてみる。男性と女性の人口が同じと考え、平均寿命が80歳、女性が平均30歳で子供を0.7人産むと仮定すると、ある年に生まれた100の人口は、この人達が死亡した100年後には80ちょっとの数字になり、さらにその子どもたちがほぼ亡くなった130年後には20ぐらいになってしまう。孫達が亡くなる時の150年後ぐらいには6ぐらいで、これは150年で人口が94%ほど減少してしまうということだ。100万人の人口だったら150年後に6万人、1億人だったら600万人ということだ。もちろん、150年間、こんなに合計特殊出生率が一貫して低いということは考えられないが、年金制度は大幅な改革が必要であることは間違いないだろう。
 いやいや、日本の少子高齢化などが吹っ飛ぶような状況に改めて愕然とした。

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ドイツの田園都市ヘレラウを訪れる [都市デザイン]

ドイツ鉄道乗り放題チケットが今日で最終日になったので、どこに行こうかと考え、ドレスデンの田園都市ヘレラウに行くことにしました。ヘレラウは以前、ドイツ人の友人に連れて行ってもらったのですが、ただ連れられていったのであまり問題意識もなく歩いていただけでした。そのくせ、大学で「田園都市」の講義をした後、世界中に影響を及ぼした事例としてヘレラウのスライドを使ったりしていましたけど。ヘレラウは世界遺産登録を目指して運動しているのですが、今年も落ちました。ヘレラウには博物館(といっても随分と小さいですが)があり、そこの受付の人に気になることを聞いたら、随分と丁寧にいろいろと教えてくれました。
 ヘレラウは当時の著名な建築家達が集まって家々を設計したのですが、その中でも4名が設計したものはドイツのデンクマール(記念碑)保全の対象になっているので、住んでいる人が改修する際には、ドレスデン市に問い合わせをしなくていけないようです。そして、新築の場合は特になく、ドレスデン市の他の地域と同じように通常のFプラン(土地利用計画)とBプラン(建築計画)には従わなくてはならないようです。実際、街中に出てみると、ヘレラウのデザイン・コンセプトと違うデザインの住宅が多くつくられていました。
 ヘレラウの街並みは、基本、ドイツのユーゲントシュティル運動の中核的メンバーであったリヒャルト・リーメルシュミットの意匠がその基調となっていますが、他の建築家も設計しているので単調にはならない。他の建築家も基本、リーメルシュミットと調和するようなコンセプトのデザインで設計していますが、いい意味で個性が出ているので、調和のある中での多様性のようなものが感じられます。また、通りごとにその担当が分かれていたようで、通りが個性を持つようになっています。
 ヘレラウはカール・シュミットという実業家が工場をつくる際に、ドレスデンの郊外のヘレラウという牧草地の北側を選び、その周辺に工場で働く人達のために住宅をつくることを考えたことで実現しました。ちょうど、イギリスでエベネザー・ハワードが田園都市という考えを発表し、実際、レッチワースという田園都市を1903年から建設し始めました。この田園都市というコンセプトはあっという間に世界中に影響を与え、日本でも関東の田園調布や関西の千里山などに似たようなコンセプトの住宅がつくられたりしますが、ドイツも例外ではなかったのです。シュミットは田園都市のコンセプトに感銘し、それを模倣した。当時のドイツでは社会改革運動が盛り上がっており、その考えも反映させることにしたのです。
 ヘレラウの中心は市場広場です。ただ、ここは駐車場として使われていて、シンボルとしての中心性は弱かったです。非常にもったいない。ただ、道路が直線ではなく地形に沿って緩やかに曲線していることや、庭が広く、また公共の緑も結構、つくられており、非常に住環境は優れているなと感じました。工場はもう操業していませんが、建物は綺麗に保存されており、レストランなどがテナントとして入っていました。私が訪れた時、ちょうど結婚式をあげていました。ある意味、こちらの工場の方が市場広場より、人々が愛着をもつ空間なのかもしれません。
 ヘレラウは田園都市の周辺をも含んだ近隣地区でおおよそ人口が6千人強です。レッチワースの人口が3万4千人ですので、規模では随分と小さいです。レッチワースはしっかりとした鉄道駅もあるし、商店街も相当、しっかりしているのに比べて、ヘレラウは必要最小限の商店・サービスしか提供されていないような印象を受けました。ただ、トラムが走っており、ドレスデンの都心部まで30分で行けます。田園都市のコンセプトの人口規模はハワードは、3万2千人ぐらいとしていたので、レッチワースはほぼそのコンセプト通りです。それに比して、ちょっとヘレラウは小さいですね。とはいえ、住宅の並びの美しさは本家を上回ると思いました。

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【リーメルシュミットが設計した住宅群】

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【工場は現在、テナントとしてレストランなどが入っている】

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【ヘレラウの象徴でもあるフェスティバル・ホール】
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ドイツ人でも鉄道飛び込みの自殺はする [ドイツ便り]

東京や大阪とかでは鉄道への飛び込み自殺が多い。どこかで、それは日本的な病である、みたいな記事を読んだことがある。それは異常だ、ということで、そうなのかな、と思っていたりした。さて、しかし、ドイツでも仕事や人生で悩み、精神を病んでいる人は多い。実は私の友人も精神病になってしまった。彼の場合は家庭にも恵まれていて、仕事も大学教員として実績等もたくさんつくっていたので、その原因を探るのは難しいのだが、彼との話をもとに私が考察すると、コロナでのダメージは大きかったようだ。コロナでの抑圧された生活の後の開放感が躁病の引き金になってしまったような気がする(彼の病気は躁病である)。
 さて、そして、そのように精神を病んでいる人は自殺を往々にするのだが、鉄道への飛び込み自殺とかもあるらしい。魔が差してしまったのであろう。ただ、そういう点では日本人だけが異常という訳ではないような気がする。私の別の友人は管理職として22人の部下を抱えていたが、そのうち5人が精神を正式に病んでいたそうだ。まあ、なかなかドイツで仕事をするのも大変だな、という気がするのと同時に、ドイツの官僚制は日本と比べても酷いので、まあ、これはストレス抱えるな、と思わなくもない。
 ドイツでは日本の「過労死」はギャグであり、到底、信じられないと言う。まあ、私も過労死はしないタイプだと思うのだが、それは責任感がそれほどないからだ。死んでまで忠誠をつく価値のある組織に所属したことがないからだとも言えるが、過労死は、日本人の組織に対する忠誠心、責任感に基づいている。個人を犠牲にするのはおかしい、という考え方には共感するが、この組織への忠誠度や責任感はある意味、日本の美徳の裏返しでもある。ドイツでは過労死になるほどは働かないが、それは組織への忠誠心や責任感が希薄であるからだ。それは、悪いことだとは思わないが、逆をいえば、ちょっとコミュニティ的なものへの帰属感の薄さにも繋がる。そのような中、仕事をしていくうえではいろいろとストレスが多い。このストレスを個人でため込むことが、精神的病に繋がるのではないか。
 日本がいいとは思わないが、ドイツでもいろいろと仕事環境などで課題があることが分かる。

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ドイツ人のサービスすることへの嫌悪について、ちょっと意見を述べてみた [ドイツ便り]

最近、暖かくなってきたせいか、蛇口からでる水が臭う。歯を磨く時に、濯ぐのにも抵抗がある。これは不味いなと思い、浄水器を買いに行くことにした。ということで、ロスマンというドラッグ・ストアに買いに行った。見当たらないので店員に「浄水器を置いてあるのか」と尋ねると、「ある」と言う。ただ、場所は教えてくれない。しばらく、物欲しげな顔をして見ていると、うざそうな顔をして「あっちだ」と方向を教えてくれた。それ以上は、私をしかとして棚に売り物を陳列し始めた。ということで、とりあえず指された方向に行ったが全然、分からない。しょうがないので、他の店員を探して「浄水器の場所を教えて欲しい」というと、また「あっちだ」と方向しか教えてくれない。「もうちょっと教えて欲しい」と尋ねると「ゴミ袋の隣だ」と言う。いや、ゴミ袋もどこにあるのかが分からないのだけど。ただ、とりあえず、浄水器よりゴミ袋の方が見つけやすいかな、と思い、言われた方向のところに行くと、果たしてゴミ袋は見つけることができた。そして、それの周辺を見回したらようやく見つけることができた。レジに行くと長蛇の列ができていたが、自動精算の機械があったので、そちらで精算して店を出た。機械はとても快適であった。
 それにしても、ドイツあるあると言えばそうだが、このサービスの無さは驚きだ。もしかしたら、店員はお店との契約内容に、お客に売っているものの場所を教えること、というのが入っていないのかもしれない。店員の仕事というのは、商品を棚に並べることとレジを打つことだけなのかもしれない。しかし、そもそも困っている人を助けてあげる、ということがあたかも損のように捉える、このエゴイスティックな感覚は何なんだろう。私はたまたま見つけられたからここで買ったが、独力で浄水器を見つけられなかったら買わずに店を出たであろう。それは販売機会の損失なのではないのか。いや、店が潰れても自分達はただの従業員なのでいいという考えなのかもしれない。
 といいつつ、ドイツは国全体では極めて寛容で他国に優しい政策を行う。貧困者や失業者にも手厚く、資本主義的ではない。このマクロとしての国とミクロとしての人の違いは何なのだろうか。と書きつつ、個人的には非常に優しくて、性格がいいドイツ人を多く知っている。彼らは、そこらへんの日本人よりずっと優しかったりする。それなのに、仕事になるとそういう感覚を持たないのはどうしてなのか。そういえば、私が所属するベルリン工科大学の先生達も、公私を極めて分けて、私に対してコミュニケーションするのは、前からの友人と秘書と同じ研究室の若手先生ぐらいである。これはドイツ・パラドックスだな。
 公私を別、という考え方を悪いとまでは言わないが、仕事が嫌い、というか仕事にやり甲斐を見出さないという価値観に対しては、私はとても抵抗があるので、その点は受け入れられない。そんなにサービスするのが嫌なら、サービス業で働かなければいいと思うからだ。しかし、お金をもらって、人のためになるとか人がちょっといい気持ちになれるというサービス業ってそんなに悪い仕事だと思わないんだけどな。仕事に面白みややり甲斐を見出せない、というのは自分に問題があるんじゃないだろうか。

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ラウシャというチューリンギアの森の中にある町を訪れる [ドイツ便り]

チューリンゲン州の南にチューリンギアの森は広がる。それは北西端のアイゼナハから南端のゾンネベルクに及ぶ2200平方キロメートルぐらいの広大な森である。チューリンギアの森は山の高さこそ800メートル前後と高尾山ぐらいのものであるが、そこから展望する景色は北海道をも上回る雄大さで、なかなか見応えがある。
 さて、そんなチューリンギアの森の中にあるラウシャという町を訪れた。チューリンギアの森の中心的都市であるザールフェルトから24キロメートルほど南西にこの町はあるのだが、最近、ザールフェルトから直通で走っている列車が廃線になってバスが代行することになったので、バスでザールフェルトからノイハウスまで行き、そこから列車に乗り換えて3駅ほど行かなくてはならない。ザールフェルトからノイハウスまで列車では30分ぐらいで行けたところが1時間もかかるようになった。
 ライプツィヒに8時50分発の列車に乗って2時間かけてザールフェルトまで行き、バスと鉄道を乗り継いで町に着いた時には12時30分を過ぎていた。なかなか遠い。
 さて、その人口であるが3188人(2022年末)。最盛期は二つの大戦の狭間頃で、当時の人口は8000人ぐらいいたそうだ。1995年にも人口は4459人いたので、それからの減少もなかなか大きい。この20年間ぐらいの人口動態をみると、一貫して自然減ではあるものの、最近は社会増もみられており、5年前にこの町にベルリンから移住をした人にも話を聞けたりもした。
 この町はガラス工業が盛んであり、ガラス・ファイバーが発明された町でもあるそうだ。また、このガラスを使ったクリスマス・ツリーのデコレーションのガラス細工でも有名であり、街中にはガラス博物館があり、また、クリスマス・ツリーのデコレーションのガラス細工のお店が多くある。このクリスマス・ツリーのデコレーションのガラス細工もラウシェン発らしい。ただし、個人的には、このデコレーションのガラス細工は収集癖があるぐらいなので大変、興味が惹かれたが、それほど物欲を刺激されるものはなかった。結果、何も買わずに帰路につくことになる。個人的にはガラス細工というとボヘミアン・グラスやベネチアン・グラスや北欧のグラスは知っていたが、当然、ドイツにもこのようなガラス都市があるのは、よく考えれば当たり前のことだが知らなかった。
この町が初めて記録に表されたのは1366年。ガラス製造が始まるのは1597年である。ガラスをつくるのには水が綺麗であること、さらに土が必要であること、さらには炭酸カリウムや木材が必要であるのだが、ラウシャはそれらの条件を備えていた。ガラス産業を興したのはミュラー家とグライナー家である。この二つの家が、ラウシャのガラス製造を今日まで引き継いでいる。
実際、訪れてみるとラウシャ川が削りとった細い谷を中心に広がる街並みは相当、美しい。家々は基本、スレート葺きの建物であり、つい最近まではデザイン規制もされていたが、それが最近は撤廃された。その理由は、スレートが高額になって容易に購入できなくなったことが理由のそうだ。市長もこのスレート葺きにしたいそうだが、なかなかコスト的に厳しくて出来ていないそうだ。
ラウシャは財政的にも厳しく、財政破綻もしたことがあったそうだ。とはいえ、人口は、自然減は致し方ないが社会増は大きな希望である。市長はウクライナ難民の受け入れにも積極的で、街中でもそのような難民の人達を見かけた。あと、この町には地霊のようなものが宿っている。そういう町は消滅することはない。適当な経済学者や役人が得意になって「消滅する自治体」とか言っているが、そこに住んでいる女性が子供をどれくらい産むか、みたいな適当な法則で、場所の将来は予測できない。そういうことを改めて感じさせるような町であった。

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ドイツの国土開発可能面積は年間30ヘクタール以下!という驚き [都市デザイン]

ドイツの国土開発は年間30ヘクタール以下と連邦政府によって規定されていることを知った。30ヘクタールといったら、東京ドーム 9個分ぐらいしかない。州政府での上限ではなく、国土全体での上限だそうだ。この30ヘクタールであるが、対象はグリーン・フィールドであり、工場跡地とか既に市街地となっているところは対象に入ってない。こんな規制があれば、郊外開発が進まないのも当たり前である。 

さて、ただ近年の住宅不足と住宅価格高騰は、流石にもっと開発させろ!という圧力を高めているが、多くの自治体はグリーン・フィールドに手をつけることには強い抵抗を覚えているそうだ。住民もグリーン・フィールドが減るのは大反対だ。それどころか、多くの人はこの30ヘクタールをゼロにしたいと考えているそうだ。例えば、大学生で都市計画とかを学んでいる人のほとんどは、これを増やすどころか、ゼロにしろ!と主張しているらしい。確かに住宅不足と賃貸高騰で大変な状況になっているベルリンでも、テンペルフォルト飛行場跡地に住宅をつくらず、そこを広大な公園とすることにした。テンペルフォルト飛行場はグリーン・フィールドではなくブラウン・フィールドとして計算されるので、ベルリン市にとってそこに住宅を整備しなかったことは、ちょっと違うのではないかと思わなくもないが、それだけオープン・スペースを大切にしているということの証左であろう。

このような規制があることが、ドイツではブラウン・フィールドの開発が盛んで、しかもそれを丁寧にしていることの背景にあることを知る。そして、なぜ郊外開発ができないのか。その土地供給のところで根本的に抑えていることを知る。こういうことをして、初めてコンパクト・シティが形成されるのであろう。日本のように市街化調整区域でも、例外規定をつかってどんどんと住宅開発できるような状況で、コンパクト・シティの旗をあげても無駄なのではないか。ドイツの30ヘクタールを上限とするグリーン・フィールドの開発規制は、なかなか厳しいなと個人的には思うが、そういう施策を支持する民意があって初めて郊外開発規制やコンパクト・シティが具体化できることを改めて知る。

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ブリストルの都市計画局長と話をして、イギリスの地方都市をめぐる問題が多少、理解できた [都市デザイン]

ブリストルの都市計画局長と話をすることができた。ブリストルはイギリス西南部にある人口46万人の都市である。その都市計画的な弱みは3つ。一つは公共交通機関が劣悪であるということ。人口46万人でバスだけ、というのはなかなか厳しく、ドイツでもそんな都市はないんじゃないだろうか。地方都市でトラムが整備されていない都市といえば、ドイツの北西部に集中しているが、アーヘンでも25万人、ミュンスターでも31万人。46万人でトラムも地下鉄も整備されていないのは、確かにドイツと比較すると、え!という感じである。結果、自動車の利用分担率は相当、高いようだ。もちろん、ブリストル市でもそのニーズはよく理解していて、20年ぐらい前に中央政府がトラム整備の補助金を出した時には、応募した。しかし、その時はノッティンガムが選ばれて、ブリストルは落とされた。ということで、依然として、これは大きな課題となっている。特に中央駅と都心部が離れていて、歩くのが厳しいといった都市構造的な特徴が問題をより深刻化させている。
 もう一つの問題は市域が狭いので、開発需要に対して土地の供給量が少なすぎること。これは、グリーンベルトの影響も大きい。グリーンベルトは戦後、指定されたのだが、そもそも市域が狭いのに加えて、グリーンベルトで開発できる土地がさらに限られている。必然的に高層ビルという選択肢が出てくるのだが、なかなか高層ビルに対しては抵抗がある。とはいえ、現在、24階建ての住宅を含めたミックスド・ユースの建物に開発許可を出した。状況は変わっていくかもしれない。グリーンベルトの先にある隣接自治体が住宅を供給してくれればいいのだが、そういう気にはならない。人口が増えることに対しての抵抗が強いそうだ。こういう点は日本とちょっと違うかもしれない。
 三つ目の問題は住宅のところでも述べた周辺自治体との調整である。ブリストルは隣接した自治体が大規模ショッピング・センターを郊外部につくったので、これによってブリストルの中心市街地は相当、ダメージを受けている。市域内であれば、そのような郊外開発を規制することができるが、隣の自治体だとお手上げである。
 ということで、なかなか日本と似たような都市問題を抱えていることを知ったが、グリーンベルトはロンドンのものが有名だが、ブリストルだけでなく、隣の小さな自治体もグリーンベルトを設けていることを知った。一般的にグリーンベルトは設けるもののようだ。なんか、整備するためのインセンティブがあるのかな?確かにドイツのような厳しい土地利用規制がない中、郊外開発を抑制させるためにはグリーンベルトは効くであろう。これをイギリスが、コンパクト・シティを提唱する背景の一つにあるのかもしれない。そもそも、最初からコンパクト・シティである、という点で。日本のように無理矢理、コンパクト化を図ろうとする(から、結局、出来ない)のとはちょっと状況が違うことことも理解した。あと、郊外的な位置づけにある自治体が人口を増やしたくない、というのも日本とは違う。人口が増えた方がいろいろとメリットがあるんじゃないですか?と尋ねても、「そうなんだけどね」という返事であった。ここらへんは日本とちょっと違う状況にあるような気がする。あと、EUから脱退しても、人口は増えているみたいだ。この背景はちょっと時間があれば調べたいところである。

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ブリストル・パークウェイとブリストル・テンプルミードの関係性に新大阪駅と大阪駅の関係性をみる [都市デザイン]

マンチェスターからブリストルまで鉄道で行く。ブリストルは港湾都市なので、東西に行く鉄道にとってブリストルの中心市街地に行くのは面倒だ。したがって、ブリストル・パークウェイという駅が郊外につくられていて、カーディフやバースに行く人はここで乗り換えることになる。同じ港湾都市である新大阪駅のようなものだろう。
 さて、違うのは、この特急はブリストル・パークウェイという駅で止まらず、しっかりとブリストル・テンプルミードという中心市街地の駅、大阪でいえば大阪駅まで列車を走らせている。いや、雷鳥もそうしているでしょう、と言われるとそうかもしれないが、イギリスは日本と違って新幹線が走っていない。圧倒的に多くの利用者の利便性を考えれば、少なくとも新大阪駅止まりの新幹線は大阪駅まで走らせるべきであろう。というか、本当ならば難波駅まで走らせたいぐらいである。いや、いっそのこと、そこからりんくうタウンを経由して和歌山駅まで走らせたいぐらいだ。
 これは全然、突飛な考えではない。もし、大阪が首都であればまず問答無用に近く、大阪駅に新幹線の乗り入れは実施されるような計画である。というか、駅の目の前にあれだけの広大な土地があったら、普通、そのように考えるのではないだろうか。豊臣秀吉だったら、間違いなく、そういう計画をするだろう。大阪市は市の人口規模だけを考えれば、それほどは大きくはないかもしれないが、大都市圏だとヨーロッパで随一、アメリカとでもニューヨーク大都市圏と競うぐらいの大都市なのである。その都市の中央駅に新幹線が入ってこないというのは、あまりにもおかしい。いや、何か、裏の事情があるのだろうが、それを知らないとまったく理解不能だ。
 ということをブリストルに来て、さらに思った次第である。

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日本が「新興国」なみになったとの比喩は、「新興国」に失礼だ。 [サステイナブルな問題]

円安が進み、財務省も日本銀行もマスコミも大慌てをしている。それまで円安を目指した政策を進めて、円安が具体化したら、急いで円を買うような税金の無駄遣いをしている。植田先生は結構、しっかりとしているのではないか、と期待したが、所詮、経済学者はこんなものなのだろうか。というか、経済学自体が本当に必要なのか、むしろメチャクチャ無駄な学問なのではないか、とまじに考えさせる政策失態である。
 それはともかくとして、このような事態を朝日新聞は「新興国並み」と記した(https://digital.asahi.com/articles/ASS4S4GVLS4SULFA003M.html)。新興国?それは、国際経済的に経済競争力がない状態から、徐々に競争力を持ち始めているような国のことを指す。つまり、新興国とは基本的に経済成長過程にある状況にある国であり、人口が成長し、それに伴って経済も成長しているような国を指す。日本のように人口も減少し、経済競争力が減っている国は決して「新興国」とは言わない。それは「衰退国」である。
 いや、この小見出しは経産省が「新興国に追いつかれる」と発言したことを紹介する記事のものなのだが、経産省は「新興国なみ」とは言ってないので、ここで朝日新聞のバイアスがかかったのではないか、と推察される。そうであれば、何か、問題の本質を全然、見誤っているのではないか。新興国の明日は明るい。いや、上がり下がりはあるかもしれないが、基本、明るい。日本の明日は暗い。もちろん、京都大学の森先生が指摘するように100年後に存在する都市は東京と福岡、というような事態には決してならない。いや、こういうことを書く時点で、またも経済学者はしょうがねえなあ、と思わなくはないが、ただ、そこまで酷くはならないが、新興国のような未来が待っていることはない。日本を「新興国なみ」と表現した朝日新聞は、全然、事態を理解していないと思われる。
 そうそう、この記事で知ったのだが、財政制度等審議会の会長代理が、あの「地方消滅」の著者であり、豊島区が消滅可能都市だと発表した増田寛也であることも驚き(ちなみに豊島区はこの10年間、自治体での人口増加率トップ5で、むしろ消滅どころか人口が増えすぎて問題になっている)。加えて、増田氏は、この自分の計算モデルの間違い(女性は子供を産んだ後、引っ越すということを計算に入れていない。子供をどこで産むかということに注目し過ぎているので、豊島区が消滅可能都市、世田谷区の将来も黄信号みたいな予測をしてしまう・・これに関しては時間があればしっかりとどこかで書いてみたい。さすがブログだときつい)を認めず、最近、言い訳をしているらしい。こんな奴が会長代理じゃあ、日本の経済がどうにかなる訳ないよな。はあ、植田さんが円買いをするなら、円を売るぐらいでしか自衛手段はないかもしれない。今、海外に住んでいるので、日本で暮らしているのとは違って、日々、削られる思いです。

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列車内のお行儀はドイツよりさらにイギリスの方が悪かった [ドイツ便り]

ロンドンからマンチェスターまで鉄道で移動した。車内には女子中学生か女子高校生のグループが乗っていた。おそらくマンチェスターからロンドンに友達とつるんで出かけたのであろう。結構、興奮していた感じであった。さて、別に子供なので興奮するのはいいのだが、お喋りだけではなくて、音楽をかけて歌い始めた。これは、誰かが止めるだろうと思っていたのだが、誰も止めなかった。これは日本でもドイツでもあり得ない事態である。日本も車掌が注意してくれるが、ドイツでも特急列車だと「何かあったら車掌にまで言ってください」とアナウンスを立前かもしれないがする。いや、イギリスでもするのかもしれないが、皆、許容していた。私も結構、腹が立っていたが、外国人という立場もあってわきまえていたが、誰か文句を言ってくれることを期待していた。まあ、イアフォンを持っていたので、それで音楽を聴いて気を逸らしたが。
また、私の列をはさんで隣にいたハイティーンか20歳ぐらいの女性は、やたら車内で化粧をし、その後、席をしばらく外して戻ってきたら、ボディコンというか、胸が強調されて、パンツは丸見えのような裾の短い洋服に着替えて戻ってきた。香水もプンプンと漂わせて、いや、これは志村軒の森下悠里よりセクシーだ。これはロンドンからマンチェスターに何か勝負をかけに来ているのか、それとも仕事か。なかなかの美人ではあったが、あの格好で列車に乗られるとちょっと迷惑かもしれない。いや、志村けんのように見て嬉しくないことはないかもしれないが、それでも公共空間には不適切である。せめて、終点のマンチェスターの駅で着替えることはできなかったのか。時間がなかったのかもしれない。
ということで、5日ほど前に「ドイツ人の列車内での態度が悪い」というブログ(https://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2024-04-30)をアップしたが、イギリス人はもっと悪いということで、記事を挙げさせてもらう。

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