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北京ではどうも金持ちでも安全な食材を入手することが困難なようだ [サステイナブルな問題]

まちカレに台湾の友人の研究室を招待した。友人の学生も発表をし、当日は、結構受け、お互い有意義な時間を過ごせたと思う。さて、私の台湾の友人は結構、中国に行く。私は、中国はチベットくらいにしか行ったことがないので、中国はよく分からないので、彼女の中国話はとても興味深い。友人が言うことには、中国の食べ物はすべて偽物であると言う。うずらの卵でさえ、鶏の卵からつくるらしい。彼女の大学時代の友人は企業を興し、大変成功し、北京に大邸宅を住んで生活しているのだが、この友人の奥様と周りのセレブの奥様達の会話はどこであれば安全な野菜、安全な肉が入手できるのか、ということばかりらしい。つまり、北京では、どんなに金持ちでも、安全な食材を入手することが困難なんだ、という話をしてくれた。へえ、そんなに酷いのか。

なんか、こういう話を聞くと、本当、安全な食料が重要であるということを思い知る。どんなに市場経済を発達させ、資本主義を拡大させても、安全な食糧が提供できるシステムを組み込めないと、本当の豊かさは得られない。日本もそうだ。どんなにエネルギーが必要だといって原子力発電を推進したとしても、その犠牲で土壌が放射能で汚染されて、放射能まみれの食糧を採らざるをえなくなったら、相当の金持ちでも犠牲者になってしまう。フクシマの原発事故が奇跡的にもっとも東に位置する原発で起きたという不幸中の幸から、しっかりと学ばないとこの国の未来はないであろう。そして、それは北京をはじめとした中国にもいえることだ。日本といい、中国といい、次代を担うべき民族ではないのかもしれない。

タグ:安全 食材 北京
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下北沢の金子ボクシングジムを訪れる [サステイナブルな問題]

学生達と下北沢の金子ボクシングジムを訪れ、世界チャンピオンも育てた金子会長のお話を聞く。ボクシング・ジムなんて入ったことがないので、学生はもちろんのこと私もちょっとわくわくする。ただ、やたら汗臭い。この汗臭さは相当、強烈だ。金子会長は、我々を聖なるリングに上がらせてもらっただけでなく、サンドバッグなども叩かせてもらった。傍で見ていると簡単そうなトレーニングだが、実際やると相当難しい。

私は金子会長に才能の見抜き方みたいなことでお話をうかがった。世界チャンピオンの清水氏は、恐がりであることと、間の取り方が絶妙にうまい、つまり目がいいことが図抜けていたと述べていた。しかし、後は努力だそうだ。金子会長は「こつこつが勝(かつ)こつ」というのが座右の銘だそうだが、、こつこつ小さいものを積み上げていくことで、ようやく勝利を得ることができるということだそうだ。語呂もいいし、なかなかいい言葉である。結局、努力に勝る近道はないということか。こういう話を20歳前後で聞けた学生達はラッキーである。

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(聖なるリングで記念撮影)

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(金子会長のお話に聞き入る学生達)
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リニアについて適当に考察する [サステイナブルな問題]

 JR東海が、東京と名古屋を40分で結ぶリニアモーターカーの最終案を発表した。ほぼ直線だ。全都県に駅を一つずつつくるという、相変わらずの自民党的な整備案ではあるが、まあ、これらの停車駅は、新幹線が通るぐらいの影響は享受されるであろう。まあ、それがプラスかマイナスかは分からないが、おそらく、その影響の大小は運賃によって異なるであろう。たとえば、新幹線並みの運賃で乗車できるようであれば、甲府市、飯田市などからリニア通勤する人が増えるであろう。そういう意味では、名古屋から通勤する人も増えるかもしれないし、逆に東京に住んで名古屋に通うという人は現状より遙かに増えるであろう。しかし、それも運賃による。運賃が高ければ、東京湾横断道路のように利用者が限定されるという事態も想定される。
 さて、もう一つ気になるのは、交通手段の速度4倍の法則である。これは、既存の交通手段の4倍の速度のものは普及するが、2倍程度だと普及はしないという経験則だ。ちょっと具体例で説明したい。
*徒歩の速度は、大体時速3キロぐらいである(不動産業界は距離を短くしたいので時速4.8キロにしているが、これほど普通、速く歩かない)。
*自転車の速度は、速いと18キロぐらいだったりするが、ママチャリだと大体12キロぐらいである。
*次に自動車だが、これは一般道路だと時速40キロぐらいであるが、まあ国道等だと48キロぐらいでは走行できる。高速道路だと100キロぐらいだ。
*列車も地下鉄だと30キロ、JRの普通・快速列車だと30キロから90キロ。新幹線だと200キロぐらいになる。
*飛行機だと時速800キロ程度である。
 このように現在、多く利用されている交通手段である徒歩、自転車、自動車(地下鉄・普通列車)、新幹線、飛行機は、3:12:48:192:768というように、距離が4倍になると遅い交通手段と競合しないで、新たなる交通マーケットを確保できるということが理解できるかと思われる。
 これは、なぜコンコルドが失敗したのかや、バスや路面電車の利用率が低いのか、ということを説明することにも使えるし、キックボードが自転車のように普及しないことも説明できるかもしれない。いや、説明するというほどの論理的バックグランドがあるわけではなく、ただの経験論であるにすぎないのだが、たとえば、飛行機より速い交通手段を普及させようとしたら、一挙に4倍は速くならないとなかなか市場を獲得できないのではないかとも推察したりもする。
 さて、そしてそのような経験則で、このリニアを考えると、時速500キロというのがいかにも中途半端である。飛行機並みであれば、結構、利用者も増えたかもしれないが、現行の新幹線の2倍程度。品川駅で地下40メートルをもぐらなくてはならないこと(これに9分はかかるらしい)や、ほとんど地下鉄状況で景色も見られないことなどを考えると、敢えてリニアを使う必然性があるのか。いや、これは本当に運賃によるが、運賃が1.5倍程度であっても新幹線を使うような気がする。もちろん、相模原市の人は名古屋に行くのに新幹線よりリニアを使うかもしれないが、私のように品川駅より新横浜駅の方が近いものは、新幹線を使い続けるであろう。そもそも、新横浜から名古屋まで行く間は、コンピューターで仕事をしているので、ほとんど時間を無駄にしたと思ったことや、退屈だなと思ったことはない。
 東京ー名古屋間の現行の2時間が1時間に短縮する効果は、たとえば東京ー大阪間を6時間30分から3時間10分に短縮した新幹線の効果に比べてもそれほど大きくないであろう。3時間以上の短縮と1時間の短縮とでは、割合は同じかもしれないが、その効果には相当、大きな差があるように思われる。
 最近、どうも新しいニュースに関しては、何につけ難癖をつけているような気がして我ながら嫌らしいとは思うが、どうもオリンピックといいリニアといい、世間が盛り上がっている事柄に関して、否定的な見解を持ってしまう。




タグ:リニア
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ドイツの再生可能エネルギーでの自給率120%の地域を訪れる [サステイナブルな問題]

 ドイツに来ている。エネルギー自立地域の状況を知るためだ。そのためにリューネブルク地方にあるレーテムを中心としたアラー・ライネ盆地を学生たちと訪れた。ノルドライン・ヴェストファーレン・エコセンターの永井さんに引率してもらう。レーテムは、ハノーファーとブレーメンの中間に位置する。ちょっと、ブレーメン寄りであるが、私が地元のサッカーファンはどこを応援しているかと尋ねるとブレーメンとハノーファーはほぼ同数で、ハンブルクのファンも少々いるとのこと。地理的にはブレーメンが近くても、経済的にはハノーファーとの繋がりも強いようだ。これは、交通ネットワークの利便性がハノーファーの方が高いからであろう。
 レーテムの町役場で、町長のヒューゲさんに話を聞く。ところで、このヒューゲさん、自立エネルギーで町おこし、といったテーマでの取材依頼が多く、結構、断っているそうなのだが、町長は日本を訪れたこともある日本びいきなので、我々は日本から来たということで、わざわざ時間をつくってくれたそうだ。ドイツでも、アラー・ライネ盆地は先進的な事例であるということか。

 レーテムの町は人口が5000人にも及ばない農業が中心産業の田舎町である。面積は106平方キロメートルであるから、世田谷区の2倍くらいの大きさである。レーテムを中心とした8つの自治体から構成されるアラー・ライネ地方は765平方キロメートルの広さ。東京都23区よりも大きい。ここが、90年代後半頃から、広域的な地域活性化に取り組むことになった時、注目したのがエネルギーである。広域地域を再生可能エネルギーで100%以上カバーするという目的を掲げ、協働することにしたのである。そのために、使っているエネルギーの消費量を減らし、使用するエネルギーは再生可能エネルギーで供給するようにした。
 取り組みは96年に再生可能エネルギーを普及させるグループが設立されたことから始まる。その後、1998年から風力発電、2001年から太陽光発電を普及させるグループが設立され、2005年からは再生可能エネルギーの重要なポイント44カ所を自転車でめぐる観光ルートも整備した。2006年には街灯を省エネのものに換えることで40%ほど使用エネルギーを削減。2008年からは地域内にある114の公共施設を省エネ化することにした。2010年からは、それまでのコミュニティ・レベルではなく、地域全体でも、どうやったら100%再生可能エネルギーを具体化できるかのディスカッションを市民も入れて検討し始めた。
 このような取り組みの結果、アラー・ライネ盆地では、再生可能エネルギーで次のように発電できている。
*水力: 28.6(GwH)
*風力:189.5(〃)
*バイオガス:112.3(〃)
*太陽光:14.7(〃)
 これらの合計は345.1(GwH)である。一方で、同地域で利用しているエネルギーは273.5(GwH)。したがって再生可能エネルギーでの発電が実際の消費電力を26.2%も上回っていることになる。つまり、アラー・ライネ盆地は100%地域ではなく、126.2%とエネルギーを自立しているだけでなくて、実際の消費より多く発電することができているのである。

 ドイツには、2009年にドルトムント工科大学で客員教授を1年務めて以来、毎年、訪問している。福島の事故以前からもそうであったが、事故以降は加速度的に、再生可能エネルギーの普及に力が入れられ、そのポテンシャルがきわめて肯定的に人々に捉えられていることが、ドイツにくるとよく理解できる。日本ではドイツの脱原発の流れは、いろいろと問題があるといった紹介記事が掲載されていたりするが、そのような日本での報道と現場とでは大きな隔たりがある。ドイツの国民の82%が再生可能エネルギーを進めて、脱原発を進めるべきであると考えている、ということがどういうことなのかが、ドイツに来るとしっかりと理解できる。私が引率した学生も、デュッセルドルフ大学の学生などとエネルギー・シフトに関しての簡単なディスカッションをしたりしたが、日本の学生が、政府の脱原発に関して国民は納得していないのではないか、といった質問に対して「失礼すぎるでしょう」とドイツ学生がやり返す場面もあったりした。実際、私もドイツの原発従業員と話をした機会があるが、彼らはドイツ政府を責めるのではなく、原発事故を起こした日本を責めていた。彼らに失業の危機をもたらしたのは、ドイツ政府ではなく、日本なのだ。そういうことは、ドイツ人と話をすると分かるが、日本だと歪曲されて捉えている。そういう総合的な理解ができるので現地視察や現地の人の意見などを聞くことが重要であると思う。特に、現在のように日本のマスコミがほとんど信頼できない状況ではなおさらだ。

 ドイツでは、もはや4つの巨大なる電力会社が電気を提供するという時代は完全に過去のものになってしまった。現在は、市場の構造的にも技術的にも、エネルギーを地域、そして人々が勝手につくることができるようになっているのだ。これこそが、エネルギー効率といったレベルではなく、再生可能エネルギーが有する大きなポテンシャルなのである。それは、地域の自立、地域の自治権をも獲得させる大きな武器になるのだ。これを地方分権のドイツの地方は理解している。そして、おそらく日本の中央政府や大手電力会社が再生可能エネルギーを嫌う最大の理由はここにあるのではないかとも思う。具体的には、再生可能エネルギーが普及すると、地域には次のメリットを享受することができる。
1) 雇用促進
2) エネルギーのもととなる太陽や風力は、無料に近いので、再生可能エネルギーは今後の技術の発達によって、現行よりエネルギー代を安くすることにつながる。
3) 借地料や買取制度などがあるので、地域住民が収入を得ることができる。農業や林業が盛んな地域では大変、有利な状況を生み出す。
4) 地域内で再生可能エネルギーに取り組む個人、法人が増えることで、お金が増える。
5) 地域に落ちるお金が増える。

 さて、このレーテムは人口が4700人にしか過ぎないが、レーテムを中心としたアラー・ライネ盆地の広域人口は75000人。ドイツでは再生可能エネルギーでの自給率100%、すなわちエネルギー自立型の自治体は既に少なくないが、このアラー・ライネ盆地のように、人口が75000人規模での再生可能エネルギー自給率100%以上というのは珍しい。
 今後の課題としては、このように電気の部分ではもう100%は自給できているが、温熱そして交通面ではまだ100%には達していないので、これらの点を改善させていくことがポイントとなるそうだが、再生可能エネルギーに大いなるポテンシャルを確信させるような事例である。

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(レーテムのバイオガス発電をしている農家に話を聞く)

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(レーテムの農家のバイオガス発電装置)

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デュッセルドルフの新しくできたアルト・ビール屋で国の強靱性は地方が彩る多様性に基づくことを再確認する [サステイナブルな問題]

デュッセルドルフはアルト・ビールが有名である。アルト・ビールはそのまま訳すと「古いビール」。上面発酵でつくられるビールで、その後、発明された下面発酵のラガーにほぼ駆逐されるのだが、デュッセルドルフとケルンでは、まだこちらがメジャーとして位置づけられている。私は、デュッセルドルフに住んでいたことがあるので、ドイツのビールでもこのデュッセルドルフのアルト・ビールが一番、好きである。

さて、デュッセルドルフにおいてアルト・ビールを醸造している有名どころとしては、シューマッハー、フックセン、エーリゲ、シュルッセルあたりが挙げられる。私はこれらのビールを醸造所まで行って飲むのが好きなのであるが、今回、デュッセルドルフ大学の博士課程の学生が、新しくできたアルト・ビール醸造所で飲もうといって連れて行ってくれたのがキュルツァー・ビールである。キュルツァー・ビールの醸造所は、旧市街地のアルトシュタットにあり、2010年9月に開業した。私はデュッセルドルフを2010年3月に離れているので、その後につくられたアルト・ビール屋である。アルトといっているのに新しいというところがおもしろい。

さて、飲んでみると、濃厚な味わいでガツンとくる。しかし、ひつこくなく何杯でもいけそうな感じだ。濃厚でインパクトがあるのに、ひつこくない。というか、私が好きなだけなのかもしれない。

感心するのは、このように地元名物の新しい店が出来ることである。食のグローバル化が進んでいるからこそ、拡張する地元産品ということもあるかもしれない。日本の地方都市も、地方名物をしっかりとブランディングして、新たな起業家を育てて、地方経済を活性化させることができるのではないかと考えたりする。ドイツは地方分権化されていることもあるが、地方がそれぞれの個性をしっかりと有しており、また、その地方の個性を強化させるような動きがみられる。結果、国自体も多様性を有することができ、その多様性が国に活力と柔軟性、そして最近の言葉でいえば、強靱性を獲得させることにつながると思われる。自民党政権や藤井某教授が主張するように、中央集権が国の強靱性を高めるのではない。むしろ、各地域がしっかりと個性を発揮させて多様性を維持することこそが、国の強靱性を獲得することに繋がるのである。というようなことを、デュッセルドルフの新たに開業したアルト・ビール屋は私に教えてくれる。ちょっと我田引水に聞こえたかもしれませんが、それは私が舌足らずだからです。

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鞆の浦を訪れ、その瀬戸内海の風光明媚な景色に感動する [サステイナブルな問題]

鞆の浦を訪れる。架橋問題が決着をしていない2008年に訪れて以来だから5年ぶりである。さて、前回、訪れた時は曇りであったが今回は晴天であった。夏の晴天での瀬戸内海、というか鞆の浦の美しさは格別のものがある。日本という島国ならではの国土の美しさを再確認させられる。

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鞆の浦が映画「ポニョ」の舞台であることはよく知られているが、そこでポニョが住みこむ家族の家のモデルのような建物をみつけた。実際、映画の家はもう少しモダンな建て売りっぽいところがあるが、イメージ的にはポニョの世界観とぴったりであるような印象を受ける。

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映画の「ポニョ」では、鞆の浦の海に結構、ごみが溢れていたが、実際の海はもう少し、綺麗にも思えた。学生を連れて行ったのだが、男子学生達は中学生のように喜んで泳いでいた。

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丘の上から鞆の浦の港をみると、本当にここに橋がつくられなくてよかったと改めて思う。橋がつくられたら、鞆の浦の場所としての価値が大きく減じられたであろう。そして、地元でヒアリングをしていく過程で、それこそが橋をつくろうとした一つの理由であることも見えてきた。こんな馬鹿なことをどうしてしようとしたのか、と不思議に思っていたが、意外と不思議ではなかったのである。まあ、それはともかくとして、世界遺産候補でもある鞆の浦の貴重な資源が保全されたのは一日本人として、というよりかは一人類として喜ばしいことである。

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川内村の獏原人村の満月祭を訪れる [サステイナブルな問題]

福島県川内村の山中に獏原人村というコミューンがある。このコミューンは、夏の満月の日を中心に満月祭というのを開催しているのだが、その二日目に訪れたのだ。獏原人村は、1977年頃、マサイさんが仲間達と理想郷を目指して、この福島の山奥に住みついてつくったコミューンである。こんなオーストラリアのクリスタル・ウォーターや、カリフォルニアのクリアレークのような場所が福島にあったなんて驚きだ。私がこのコミューンを初めて訪れたのは去年の5月で、その時に満月祭のことを知って、去年も参加したかったのだが、ちょっと仲間のスケジュールが合わず、今年はバンド仲間とともに参加したのである。

マサイさん達は、ここで畑をやって、田んぼをやって、そして鶏を500羽ほど飼っていて、その卵を売って生計をたてているそうだ。あと、勝手な推測かもしれないが、この満月祭もちょっとはプラスになっているんじゃあないかな、とも思ったりする。もし、そうであるなら、満月祭に参加するだけで、獏原人村を支援していることになるかもしれない。そう思うと、ちょっと嬉しい。

満月祭を訪れた人は、日本のどこにこんな人達がいるのか、といった風情の人が多く、皆、ロン毛で髪の毛を後ろに結んでいて、なぜか男性は上半身裸で、女性はサリーのようなものをまとって、まあ、一言でいえばヒッピー達であった。テントにおいてある旗のようなものもグレートフル・デッドのものだったりして、この人達にとってはデッドの存在が大きいのだろうなあ、と思う。

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マサイさんは、本当、仙人のような感じの優しく、何でも受け入れる、という感じの人で、我々のバンドの演奏の申し出もいいよ、いいよ、という感じでイージーに承諾してくれたので、とことことやってきたのだけど、蓋を開けてみたら、なんと、我々以外はほとんどがプロであった。我々の前に演奏したバンドは、ギターとボーカルとドラムというベースがない構成であったのだが、ドラムの上手さが半端ではない。いや、派手なことは一切しないのだが、リズム・キープとグルーブの出し方が上手いのだ。ミキサーの人に、このドラムの人は尋常じゃなくて上手いですね、と言うと、「だって、プロだよ」との返事。これで、結構、あがった我々は、準備をしていた椎名林檎のコピー曲ではなく、オリジナルを最初の二曲にぶつけることを急遽、決めた。オリジナルの曲は、どうにか、そこそこ受けたのでよかったのだが、その後、私が楽屋で一人片付けをしていたら、ふらっと男の人が一人で入ってきた。もう、なんか強烈な存在感を放っているのを感じる。「どうも知久といいます」と挨拶した彼の顔をみると、なんとたまの知久寿焼が、マンドリンを持って立っていた。ちょうど土砂降りの雨が降ってきて、二人だけ楽屋で雨宿りをすることになる。いやあ、超緊張したなあ。とはいえ、ちょっとお話をすることができた。いや、「雨、酷い降りですね」とか「なかなか止みませんね」とかいう会話だけでしたが。それにしても、我々は図らずもたまの知久さんの前座をしてしまった訳である。

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(満月祭の様子)

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(舞台の様子)

まあ、そんなこんなで貴重な経験をすることができたのだが、出演する1時間ぐらい前までは、久しぶりに本当にボーッとすることができた。ピクニックして、ビニール・シートの上で昼寝をしたりして。いろいろと日々、追われすぎているからこそ、このようなリトリートをすることが必要なのだな、とも思ったりもした。獏原人村のようなところを知ると、本当に、肩の力が抜けて、「そんなに急いでどこ行くの?」という気持ちになれる。とても、その存在が有り難いなと感じると同時に、このようなコミューンの放射能値が0.40マイクロシーベルトであるという事実に、本当にやるせない気持ちになる。原発推進派とはまったくもって正反対に位置する、このようなコミューンが放射能汚染されているという理不尽さに、私は呆然とするような喪失感を覚えるのである。まあ、同様のことは飯舘村のパーマカルチャーを実践していた農家の方々にも言えるのであるが。

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ロンドンの不動産価格の年間上昇率は8% [サステイナブルな問題]

ロンドンは不動産バブルの状況にある。この背景としては、一つは、圧倒的な需要に対しての住宅不足がある。ロンドンの大学に通う学生も、皆、市内に住めないので郊外から通っているような状況にある。もう一つは、凄まじいほどの海外からの不動産投機があることだ。例えば、テート・モダン美術館の裏側につくられたリチャード・ロジャースのお洒落な集合住宅の半分はマレーシア人に買われているそうだ。中国人やロシア人なら分からないでもないが、マレーシア人というのが驚きだ。というのもマレーシアというのは人口的にも極めて小国であり、産業的な強さはほとんどなく、外資頼りで成長してきた国であるからだ。どこに、ロンドンにこれだけ不動産投機できる人がいるのであろうか。

ちょっと前までは、ロンドンの中でもスラム的な位置づけであったテームズ川南のサザーク区が、前述したテート・モダン、ミレニアム・ブリッジの架橋、ロンドン・ブリッジ駅の再開発、市役所の建て替えなどから、お洒落な地区になっている。まあ、お洒落な地区とはいっても、テームズ川沿いだけにまだ限られているが、それでもロンドン市が建設した社会住宅の前に新たに新築された集合住宅が120万ポンド(2億円弱)するというのは、あまりにも大きな価格差である。ある意味では、富裕層と貧困層が同居する理想的なミックスド・ユースといえなくもないが、これら社会住宅が開発候補地として白羽の矢が立ったりすると問題だ。ジェントリフィケーションが徐々に進んでいくことは、ある意味で都市再開発がうまくいっている証拠でもあるので何とも難しいところがある。ただし、そのような住宅の高騰が、マレーシアなどの外資による投機だけで起きているとしたら、本質がずれてしまう。開発利益を開発側に還元させるようなスキームが求められるであろう。

さて、もう一点気になることは、不動産価格の年間上昇率の高さである。なんと現在は8%であるそうだ。ほとんどの金融商品より高い上昇率だ。ただ、現地の人に「これはバブルですね」と言うと、「バブルだけど破裂していない」との答え。いや、これは絶対、破裂するでしょう。と言おうとして口をつぐんだ。ちょっと余計な御世話かなと思ったからだ。

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国の借金が初めて1000兆円を突破 [サステイナブルな問題]

国の借金が初めて1000兆円を突破した。アベノミクスで浮かれているが、実態はこんなものだ。社会保障費が増えたことが大きな要因の一つだが、もう一つは公共投資が増えているからだ。と、財務省も指摘している。

http://www.zaisei.mof.go.jp/theme/theme3/

道路や原発などの公共投資を増やしていき、地方に金をばらまき、その金で票田を買っている自民党政府が返り咲いたことで、このような事態は予期できたが、しかし、1000兆円という数字を目の前にすると、本当にくらくらする。まあ、しかし、この事態は国民が選択したことであるので、すべてのつけが国民に回ってきても文句はいえまい。とはいえ、選挙権がない若者がこれらのつけを回されることを考えると、本当、この国の高齢者はろくでもないなと思わざるを得ない。
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イギリスは公共交通関係者が、公共交通ということを理解しなさ過ぎているのではないだろうか。 [サステイナブルな問題]

ブリティッシュ・エアウェイズの悪夢が醒めやらない中、ニューキャッスルでバスに乗った。これは、ニューキャッスルの隣町であるゲーツヘッドにあるエンジェル・オブ・ノースというイギリス最大の彫刻を見たいと思ったからである。これは、ゲーツヘッドの都心からも12キロメートルも離れたところにあるので、バスで行くしか方法はないのだ。

さて、バスに乗るとき、エンジェル・オブ・ノースに行くか、というと行くという。幾らか、というと「往復か」と聞くので、「往復だ」というと2ポンド80セントだという。さて、そこで10ポンド紙幣を出したら、お釣りを返そうとしない。なんでだろう、と訝しんでいたらぶつぶつ言っている。ちょっと聞こえないので、「え!何?」と言うと、「プリーズ」と言っていたのだ。流石に、私は苦笑しながらも「プリーズ」と言ったら、お釣りを返してくれたが、そもそもお釣りを返すのは運転手の義務ではないのか。というか、私が「プリーズ」と言うかどうかと関係なく、お釣りを返さなかったら泥棒ではないのか。いや、もしかしたらそういうルールがこのイギリスにはあるのかもしれない。公務員天国の英国病がまだのさばっているかもしれないからだ。

ちなみに、このバスには行き先が車内の電光掲示板にて知らされるのだが、エンジェル・オブ・ノースの停留所が近づいても、この電光掲示板を替えなかった。これは、もしかしたらコンピューターで勝手に作動するようにシステムが組まれていて、システムが壊れているのかもしれないが、エンジェル・オブ・ノースが見えてきたときに、この運転手は怪しいと私は思っていたので、ストップ・ボタンを押したが、そうしなかったら、この運転手は平気でこの停留所をパスしていたであろう。私がエンジェル・オブ・ノースに行くということを認識していたとしてもだ。

このケースにしろ、ブリティッシュ・エアウェイズのケースにしろ、サービスのなさというよりか、サービス業に従事している人達の積極的な悪意をこのイギリスでは感じ取ってしまう。このような意地悪なメンタリティは、多少、アメリカでもない訳ではないが、すぐ訴えられてしまうアメリカでは我慢をしている。特に、公共交通という「公」の業務に従事している人が意地悪であると、本当に社会がうまくまわらなくて大変である。これは、巨大なるイギリスの病であると思われる。私は、まだ不愉快な思いをしていないが、キングス・クロス駅で大きな荷物が改札を通らなくて、大きな声で助けを求めていたお客を、そばにいた従業員が完璧に無視した。聞こえないということはありえないので、もう、これは悪意以外の何ものでもないと思われる。

私は、ドイツで生活していた時、ドイツ人の公共交通におけるサービス精神の悪さに呆れかえったことが幾度もあったが、それは、どちらかというと規則を頑なに守るための融通の無さに起因していると思われる場合が多かった。ここ、イギリスではそれだけではなく、積極的な意地悪、悪意を感じてしまうのである。私がイギリスで生活したら、間違いなく、自動車を購入してしまう気がする。ドイツでは、それでも自動車なしで暮らしていた私がである。公共に携わる人達の意地悪や悪意は、社会をサステイナブルでない方向に向かわせる。

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憲法9条の改憲を安倍政権が積極的になっている(おそらく)本当の理由 [サステイナブルな問題]

憲法9条の改正に関して、私は安倍政権が積極的になっていることがよく分からなかった。稲田議員などの超右翼の政治家はもとより、石原慎太郎のような右翼政治家が憲法9条を改正したいというのは分かる。彼らは、戦前のロマンシズムに未だ拘泥しているのである。街頭右翼と似たようなメンタリティであろう。

さて、しかし安倍政権はなぜ憲法9条を改正したがるのであろうか。この説明で、私が聞いた中で、今のところもっとも説得力があるのはアメリカの圧力を受けているからというものである。こういうと、ちょっと訝しがる人達も多いであろう。というのは、憲法9条はアメリカから押しつけられたものであり、憲法というのは自らがつくるものであることが望ましいというのが、憲法改正論の人達の主張であるからだ。それじゃあ、アメリカ的に憲法9条のどこが不都合なのだろうか。

それは、憲法9条のおかげで、アメリカは日本の軍隊である自衛隊を、自分達の戦争に借り出したくても借り出せないからである。しかも、日本は軍備できないために、何かが起きた時には守ってやらなくてはならない、という約束までさせられている。そんなのは面倒見切れないと思うのは当然だし、また、ポチがいざ戦争などで役に立たないのは面白くない。アメリカは自らが押しつけた憲法9条で、日本にとんでもない特権を与えてしまった。これを撤廃したい、ということをポチの中でも従順度の高い自民党に命じているのだ、という説明である。これは、とても納得できる。そもそも、普天間をちょっと動かすといっただけで首相の首が飛んでしまうような国である。そんな国が、アメリカの意向に反した行動など出来る訳もない。それなのに軍備、軍備とかしましいのは、日本の防衛のためでも国益のためでもなく、単にアメリカのポチとして、少しは自分らも血ぐらい流せよな、というアメリカの要望に忠実に応じようとしているだけなのである。そして、ここで忠実に応じることで、ポチとしてのポジショニングは上がり、より日本という国をポチの王様としてコントロールできると考えているのであろう。

まあ、本当に憲法9条のおかげで、我々はまさにエヴァンゲリオンのATフィールドのように守られているのだな、ということを再認識する。これを取り外されたら、さらに日本の植民地化が進むであろう。日本の自立のため、などというのが、まったくの狂言であるというのは、よく考えれば明らかなのだ。しかし、ちょっとアメリカの圧力というのには気づかなかった。私もまだまだである。

まあ、要するに、ジャイアンであるアメリカは、スネ夫である日本に、「一緒に喧嘩に行こうぜ、お前が尖兵で行けよ」と命じたのに、スネ夫は「いやあ、ジャイアンとこないだ喧嘩して、こてんぱんにやられた時に「いかなる喧嘩も放棄します」と宣言したので、行けないんだよね」と答えられ続けて、心底面白くなくなっているのである。しかも、スネ夫はいざ、他の奴らから喧嘩を売られたら、自分では喧嘩ができないので、ジャイアンは守らなくてはいけないなどという約束までさせられているのである。そりゃあ、面白くないでしょう。でも、ここでスネ夫が「いかなる喧嘩も放棄します」宣言を撤回すれば、ジャイアンとしては、どんどんスネ夫に自分の代わりに喧嘩をさせることができる訳だ。しかも、喧嘩をするための道具も売り捌くことができる。アメリカには良いことづくめなのである。そして、日本国民には何も良いことがない。まあ、せいぜい、アメリカの世界支配を強化するために、他国人と殺し合いをさせられるぐらいだ。

さて、問題はこのような国の国民である価値がどの程度、あるかということである。そういうことを真剣に考えなくてはいけないほど、事態は深刻化していると思う。私はそれほど長生きしないであろうが、日本の若者には犬死にしないような道を提示してあげたいと思う。とはいえ、今日の衆院選では、若者は投票に行かず、また投票しても憲法改正を推進している人達を支援するのであろう。私は別にいい。もう、おそらく戦争に行かなくてもいい年齢になっているからだ。しかし、行かされるようになる若者たちは可哀想である。日本のためならともかく、アメリカのために犬死にするような状況に置かれるのは。とはいえ、若者がそのような道を選択したのであれば、それはそれでしょうがないことかもしれない。

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アベノミクスのおかげで、近くの豆腐屋が閉店した [サステイナブルな問題]

うちの近くにある豆腐屋が閉店となった。70年の歴史を有する豆腐屋で、私は大変、贔屓にしていた。そもそも、私は常に住むところを選ぶうえでは、豆腐屋があることを重視する。というのは、豆腐屋の豆腐の方が、スーパーの豆腐より遙かに美味しいからである。特に、最近では血糖値が高いので、豆腐の依存度が高くなったので、しっかりとした豆腐屋が近所にあることは、私のクオリティ・オブ・ライフにとってはとても重要なことなのだ。

その豆腐屋が閉店となった。理由は、円安で大豆が高くなったからだそうだ。もちろん、そろそろ辞めようという考えがあったのかもしれないが、今回のアベノミクスのせいで、円安になり、もう材料の大豆が高くて、いい潮時と考えたようなのだ。このように、アベノミクスは私には何一ついいことをしないで、ひたすら悪いことばっかりを増やしている。私は仕事柄、海外によく行くが、円安でもう大変だ。オランダのもっとも安い宿でも軽く2万円もする状況になってしまった。このまま、アベノミクスが邁進したら、円の価値はさらに下落し、さらにインフレになってしまったら、虎の子の貯金まで紙くずのようになってしまう。

私はもう出来れば早めに引退して、日本から脱出して生活しようというビジョンを持ちつつあるのだが、そのための資金である円貯金が泡のように価値を減らしてしまったら、もうどうしょうもない事態になる。かように、アベノミクスは我々の生活を苦しめるだけであるのに、どうも世間はそう思っていないようなのだ。不思議だ。というか、美味い豆腐が食えなくなったという事実一つとっても、このアベノミクスの虚構が見えてくると思うのだが、まあ、あまり人々は美味い豆腐に対して執着がないのかもしれないな。

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豊岡市のコウノトリを育む街づくり [サステイナブルな問題]

 兵庫県豊岡市を訪れる。ここでは、1997年からコウノトリを育むお米、ということで無農薬米、減農薬米などをつくっている。とはいえ、無農薬、減農薬に取り組んでいる田んぼは全体の1割にしか過ぎない。しかし、この無農薬米、減農薬米は地域ブランドとして成功している。ネーミング、コンセプトが優れているからだろうか。今では需要はあるが、供給が追いつかないために、農協が一生懸命、農協に卸してくれるよう農民にお願いしているような状況であるそうだ。まあ、こういう状況になると、無農薬ではないお米も「コウノトリのお米」として出したくなってくることは類推できる。そこらへんをしっかりと管理することが地域ブランドを守るためには重要になってくるだろう。
 さて、このコウノトリの保全運動であるが、思いの外、うまく行っているそうだ。放鳥してから現在、3代目の雛がかえっているのだが、22羽ほどいるそうだ。コウノトリは一つの巣で2キロ半径の縄張りのような空間が必要なので、そもそもそんなに生息させることは難しいので、そういう点からも、随分と成功しているといえよう。これは、コウノトリは豊岡市では生態系ピラミッドの頂点にあることや、やはり、コウノトリを守ろう、という住民の意識が高いからであろう。
 実際、豊岡市内ではコウノトリを結構、目撃することができる。コウノトリの巣では、親鳥も雛ももちろん目撃することができたが、飛行しているコウノトリや、田んぼで休んでいるコウノトリも目撃することができた。コウノトリは巨大であり、優雅である。また、子供を持ってくるという伝説は、なんか平和的である。市内にはコウノトリ神社があるのだが、結構、広範囲からお参りに来る人がいるそうだ。実際、コウノトリ神社には多くの願掛けの絵札が掛けられていた。
 ただ、地域にとって、コウノトリが復活したということは最初のハードルをクリアしたことであり、これからもコウノトリが生息できる環境を維持することが重要であろう。コウノトリが生息できるだけの環境の中で暮らせるように、人間が合わせていく。そのようなエコロジー的な生活を具体化させることができれば、豊岡市は世界に冠たる環境都市になるのではないか、と第三者ではあるが勝手に思ったりもした。

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(ひな鳥と親鳥)

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(飛行するコウノトリ)

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(田んぼにいるコウノトリ)
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北栄町の風力発電所を視察する [サステイナブルな問題]

鳥取県の倉吉市に隣接して北栄町という町がある。人口は約1万5千人。この町に風力発電が9基ほど設置されている。北栄町は2005年に北条町と大栄町とが合併してできた町なのだが、この旧北条町に風力発電所はある。北条砂丘風力発電所といい、東西に約4キロメートルの長さの回廊状に発電機は立地している。なかなかの光景だ。

約43億円しか予算がない自治体なのに、約28億円もかかる事業に取り組むことになったのは町長の強い思いからである。1997年に鳥取県の企業庁が風況調査をしたのだが、そこで毎秒5メートル以上の風が見込めるとの予測があったことに基づいて、市長は風力発電で行こうと思ったそうである。約28億円の事業費に関しては、NEDOからの補助金を7億円、あと公営企業債20.5億円を借金して調達した。事業期間は当初は15年間であったが、今では20年間にまで延長されている。風車は1500kWのもので、ドイツリパワー社のものである。現在は2000kWのものが主力になっているので、この北栄町のものは小ぶりである。

北栄町が風力発電に取り組む背景としては、次の4点が挙げられている。
1) エネルギーの地産地消、官許負荷のないエネルギーの推進
2) 民間、他自治体の地域エネルギー導入のモデルケース
3) 環境問題の普及啓発のシンボル
4) 町独自財源の充実

鳥取県は結構、電力自給率が高く12%である。ちなみに北栄町の風力発電による年間発電量は23900MWhで、これは一般家庭およそ6600戸分。北栄町全体では5136戸いるので、余裕で家庭の電力を補うことができる。とはいえ、実際は事業所は家庭よりはるかに電力を消費するので、全体ではまだ100%自立とはいえないような状況であるそうだ。

また、発電した電力はすべて中国電力株式会社に売電している。これは、自立させるには蓄電施設を設けたりしなくてはならないことや、技術者の確保が難しいからだそうだ。北栄町にはメーカー等がスマートグリッドの売り込みなどをしてくるそうだが、このような理由から、なかなか発電したものをそのまま消費するというシステムを構築することはできないようである。ちょっともったいない。

この風力発電を設置した2005年は売電価格が10円ちょっとであったので、なかなか黒字にすることが難しかったそうだが、現在は20円ちょっとなので利益が出ている。もちろん、将来的には修繕費用がかかること、また、自前で維持管理をすることができず、外注をしなくてはならないので、黒字を現在出していても油断はできないそうだ。

風力発電を設置することによって周辺の住民等から苦情が来るのではないかと、北栄町の職員の方に質問すると、一番風力発電から近くに住んでいる人も300メートル離れていて、しかも風上なので、多少、騒音の苦情は出てくるが、実際のデシベルではあまり問題がないとのこと。

また、全国的には風力発電の技術者や自治体のネットワークはあまり構築されておらず、大学との連携もされていないそうである。そして、原発事故以降、問い合わせが増えたのではないかと尋ねると、全然、そんなことはなく、むしろ地球温暖化の問題が退行したので、人々の関心が減ったとのこと。そうだったのか。驚きである。というのも、風力発電は再生可能エネルギーの中でも最も安価であり、ドイツなどでのヒアリング結果からしても、もっとも有望であるからだ。日本は海洋国家であり、デンマークのような風力発電大国になり得るポテンシャルがあるように思えるのだが、なぜか関心をあまり持たれない。不思議だなあ、ということを北栄町に来て、改めて思う。

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太田市の太陽発電政策を視察してくる [サステイナブルな問題]

群馬県太田市は太陽光発電に力を入れており、昨年の9月には定例市議会において「太陽光発電推進のまち おおた」都市宣言に関する決議までしてしまった。ということで、太田市は太陽光発電の先進都市であると内外に発信すべく、都市宣言を昨年の12月に制定した。ちょっと長いが紹介させてもらいたい。

「太田市は、金山と八王子丘陵の緑を有し、豊かな自然環境のもとで歴史と文化に育まれてきました。
 また、本市は年間を通じて日照時間が多く、太陽の恵みを豊富に享受できることから、世界最大の太陽光発電団地「パルタウン城西の杜」や自治体単独では初となるメガソーラー「おおた太陽光発電所」などの施策を展開し、太陽光発電の推進に取り組んできました。
 地球温暖化対策や再生可能エネルギーへの転換などの課題に直面している今日、市民と一体となって太陽光発電の更なる導入を図り、クリーンエネルギーによる自然にやさしい都市を目指し、ここに「太陽光発電推進のまち おおた」を宣言します」

太陽光発電に力を入れている自治体は、太田市だけではないが、太田市は2012年から1500KWの「おおた太陽光発電所」が発電を開始し、自ら電気をつくる自治体となったのに加え、世界最大規模の太陽光発電団地である「パルタウン城西の杜」があることや、エコハウスのモデルハウスなどを建設しているところが、他の自治体と差別化できる点なのではないかと考えられる。「おおた太陽光発電所」より発電量の大きい自治体の施設がないわけではない。北海道稚内市の「稚内メガソーラー発電所」(5020KW)や新潟県阿賀野市の「新潟東部太陽光発電所」(2000KW)である。しかし、太田市はさらに二つのメガソーラー発電所を計画していることなど、さらに増強しようとしていることや、啓蒙教育に力を入れていることなど、太陽光発電推進のまち、と高らかに宣言したことなどを鑑みると、太陽光発電の先進都市と捉えても間違いないかと思われる。

ということで、太田市を訪れ、太田市の職員などにも取材をさせてもらった。そこで分かったことを以下、整理してみたい。

太田市が太陽光発電に取り組むようになったのは2001年からである。2010年までは市民向けで太陽光パネルの設置に際して、太田市の金券を提供していた。30万円に該当する金券を提供したのである。太陽光にしたのは、太田市の中で一番、期待できる再生可能エネルギーであったからだそうだ。風力は冬しか風が吹かないので不向きであり、中小水力も山がなくて難しい。減点法で太陽光が一番、向いていたのが太陽光にした理由だそうだ。

基本的に再生可能エネルギーに力を入れるようになったのは、トップの方針であるからである。市長が街づくりの中で「自分の使う電力は自分のところで作りたい」と考え、再生可能エネルギーを取り組んだものをしていきたいという思いが一番の理由であるそうだ。

太陽光発電所があることのメリット、デメリットであるが、メリットは注目されること。また、当初より売電収入が上がっているので、直接収入という部分でもメリットがあるそうだ。現時点では、発電した電気はすべて東京電力に買ってもらっている。これは、売った方が儲かるからだ。23円ぐらいで買って、42円ぐらいで売っているから、確実に儲かる仕組みになっている。専用線をつくる経費がかけられないので、全部、売電しているという事情もある。

太陽光パネルであるが、買わないで、リース契約による事業展開としている。20年間のトータルを考えると自己資金より高くなるかもしれないが、この方法だとリスクは少なくなる。福島原発事故の影響に関しては、原発に対しての反発とかよりかは、太田市が計画停電エリアになったことが大きいそうだ。また、太陽光のシステム価格は昔に比べると、安くなっているのも追い風となっている。

太田市の話を聞いていて、売電価格はそのうち安くなると推察されるので、今こそ事業展開すべきであることが理解できた。このまさに追い風が吹いている中、うまく太陽光発電を始め、再生可能エネルギーが離陸できるような環境が整っていければ望ましいと思うと同時に、太田市の先進的な試みをフォローする自治体が増えていくと日本のエネルギー事情もより自立的なものになるのではないかと考えた。

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(市北部にあるおおた太陽光発電所)

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(北部公園の駐車場に設置された太陽光パネル)
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小平市長は民主主義の敵だ! [サステイナブルな問題]

 東京都の道路計画の是非を問う東京都小平市の住民投票が16日に告示された。住民の直接請求に基づく住民投票は都内で初めてで、投票は26日。あと3日である。投票率が50%以上なら27日に開票する。50%未満の場合は不成立となって開票もされない。
 このルールは市長が勝手に決めた。そういう市長は投票率37・28%の選挙で当選した。市長のロジックでいえば、そもそも市長ではない偽市長である。この指摘に関して、市長は次のように述べている。
「人を選ぶ選挙と、市民の発議で問題を明確化した投票は性格が違う。選挙は非常に拘束力が強いが、住民投票はあまり制約がない」。住民投票にあまり制約がなければ、別に50%以上に縛る必要がないじゃないか。あまりの屁理屈ぶりに本当に呆れかえる。

 このような横暴な振る舞いをする小平市長である小林正則は、まさに民主主義の敵である。この敵の思うつぼにならないためにも小平市民は是非とも50%以上の投票をしてもらいたい。この小平市長が挑戦しているのは、道路計画ではなく民主主義そのものである。それにしても、こんな糞のような市長を選んでしまった小平市民の無念さはいかなるものか。というか、投票に行って下さい。小平市民ではない民主主義を維持してもらいたい我々のためにもお願いですから投票に行ってもらいたい。このような輩に屈することのダメージがどれほど大きいかを理解していただきたい。

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「アベノミクス」のきな臭さをしっかりと解説してくれる動画二本の紹介 [サステイナブルな問題]

安倍首相になってから、ほとんど浦沢直樹の漫画『20世紀少年』の友民党によって政治が行われているのではないか、とさえ錯覚してしまう私。特に怪しいのが「アベノミクス」である。円高是正、株価高騰は安倍首相のおかげというよりかは、アメリカの経済が好況なのと、ヨーロッパでのEU問題がある程度収束したことによる安心感、ということが大きいと思われるのだが、まあ、世間一般にはそうは思われていないようである。なんか、この「アベノミクス」のきな臭さをどう説明すればいいだろうと思っていたところ、なかなか説得力をもってそのいい加減さを指摘してくれる二人のエコノミストを見つけた。

一人は一橋大学の野口先生である。下記のユーチューブでの動画取材が参考になる。
http://www.youtube.com/watch?v=2D34Z7pbiks

もう一人は同志社大学で元三菱総研のエコノミストでもあった浜先生である。下記のユーチューブでの動画取材が参考になる。
http://www.youtube.com/watch?v=2CInH3eo10k

まあ、このお二方の意見を聞くだけで、何か、とてつもなく大変なことが起きそうな予感がする。野口先生が指摘するように「円」という通貨が信頼されなくなる、という最悪のシナリオさえ覚悟しておいた方がいいであろう。私は自民党は比較的、高齢者を優遇し、若者を蔑ろにするような政策を採る傾向があるなと読んでいたのだが、「円」という通貨の信頼が崩壊するとお金を定期預金等で貯め込んでいた高齢者がもっともダメージを受ける。これは、高齢者の人達にとっては、とてつもない悲劇になると思うのだ。もちろん、しっかりしている高齢者は「円」以外に投資をしたりしているだろうが、それでも「円」で貯金をするという傾向は強いような気がする。いやはや、本当に大変な時代になろうとしている。
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エリート学生は、その立場を有効に使って、地域・コミュニティづくりに取り組んでもらいたい [サステイナブルな問題]

鞆の浦の「鞆まちづくり工房代表」の松居秀子さんがお話をするというので、聞きに行く。鞆の浦の架橋計画は、私も拙著『道路整備事業の大罪』で紹介したが、その後、一応中止になり、歴史的景観は守られた。しかし、古い町並をどう維持し、いきいきとした町にしていくか、という大きな課題は未だに残る。ということで、話を聞きに行ったのである。

松居さんのお話は、相変わらず気負いはないのだが、その実行力には舌を巻く。どんどんと古い民家等を購入することで、町の衰退を防ぐという手法は、ドンキホーテ的とも思えるが、効果はある。まあ、賢い方法を考えているうちに町は衰退してしまうので、この松居さんのアプローチは学ぶことが多い。

さて、しかし、ここで書きたいのは松居さんのことではない。ここで書きたいことは、この場にいたある東大の建築の大学院生に関してである。この大学院生は、非常にまじめで、現状の鞆の浦の開発優先のあり方に心を痛めていた。松居さんのようなアプローチに協力したいと真剣に考えているようであった。私は、そこで本当に鞆の浦をよくしたいのであれば、広島県に行くとか、国土交通省に行くとか、福山市に行くべきであるとアドバイスした。なぜなら、民主主義国家ではない日本においては、彼らが基本的に都市の開発の方向性を決定するからである。一昨日のブログにも書いたが、小平市の極めて貴重な雑木林を潰してつくる都道に関して、その是非を問う住民投票が決定されることになった。

しかし、例え、この住民投票で、都道は不必要であるとの結果が得られたとしても東京都はただ無視すればいいだけなのだ。要するに、これほど、日本という国においては、住民の民意が政治に反映されることは少ない。特に開発といった問題ではそうだ。それであれば、せっかく東大の大学院にまで行っているのだから、権力側の立場で、住民主体のまちづくりを進めるように働きかければいいのである。いや、それは相当、大変なことであろう。とはいえ、住民サイドに立って、どうにか世の中を変えようとしても、それこそ焼け石に水であるし、東大の大学院に入るだけのエリートの道を進んできたものの責任として、しっかりとエリートとしての立場から、世の中を変えようとして欲しいのである。住民主体のまちづくりに関わろうとしても、そのうち食えなくなって、しょうがなく大学の先生になるのが関の山である。そして、私のように、負け犬の遠吠え、のような本を書くぐらいで、実際の世の中にはまったく影響を及ぼせないような虚しい人生を送るだけである。この頃は、その本でさえ、出版社が相手にしなくなって出せなくなってしまっているような状態だ。

まあ、この大学院生は、私ほどは落ちぶれないという自負があるのかもしれない。そうかもしれないが、まあ、住民側のNPOとかで働いていても、そのうちゴールが大学の先生になることに変わってしまう気がするのである。それは、そういう人達を多く見てきたからだ。しっかりとした問題意識を持った、住民の視点から都市や地域問題を捉えられる人が、行政でもっともっと働いてくれなければ、日本の地域やコミュニティがよくなることはない。私は若い頃、そのような殊勝な考えを持っていなかったが、せっかく、就職する前からそういう問題意識を有しているのであれば、そのエリート的立場を最大限に使ってもらいたいのだ。これ以上、負け犬の遠吠え的な大学教員は、地域にとっては必要ないのである。
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都内自治体で初めての直接請求による住民投票が小平市で行われるのに報道しないマスコミ [サステイナブルな問題]

小平市内の残された雑木林を破壊する都道の計画に対して、市民グループが計画見直しの是非を問う住民投票条例案を求めていた問題で3月27日、条例案を同市議会は賛成多数で可決した。これは、都内自治体で直接請求による住民投票としては初めてのもので、東京都民にとっては画期的な大ニュースである。

しかし、このニュースを報道したのは毎日新聞で本日の東京新聞だけである。同グループの代表である水口和恵さんは、「この国の民主主義はどうなっているのか」という思いから住民投票をすることへと動き始めたのだが、まあ、この国には民主主義はないので、都やマスコミなどの対応はある程度、予期されていることではあったのだが、それにしても、左派的な位置づけを謳っていた朝日新聞の体たらくといったらない。もちろん、この住民投票で例え、道路計画を反対しても、都はそれをただ無視すればいいだけなので結局、道路はつくられるだろう。とはいえ、石原ではなく猪瀬になったので、100%つくられるというような絶望的な状況ではないとは思いたい。
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いわきの現状を知ることで、日本の現在の問題を知ることができる [サステイナブルな問題]

いわき市をゼミ生数名と訪れ、青年会議所の方々や地元の商店の方とお話をする。自民党の政策は、基本的に原発推進。そのためには、原発事故も極力、矮小化させ、警戒区域からの避難者の帰還を推し進めようとしている。そのような政策によって、「避難したい」という人達はより困難な状況に追いやられてしまっている。
http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20130323ddlk08040170000c.html)。

いわき市は、警戒区域からの避難者が多く避難した地域で、奇跡的に放射能の落下量が少なかった。加えて、セシウム137は半減期が30年だが、セシウム134は半減期が2年。あの事故から2年経った今、放射能量は随分と事故直後よりは少なくなっている。しかし、いわき市が抱える原発事故の問題は現在進行形である。しかも、事故直後と違ってテレビでもいわき市の状況はほとんど報道されず、多くの人がもう無関心になっている。

地元の和菓子屋を復興1年で立ち上げた82歳の方は、被災者には、震災後に2通りの対応がみられるという。1つは、自分の力でどうにか復興しようと考えるもの。もう1つは国や東京電力からの補償金をいかにもらうかと考えるもの。そして、後者の考えを持っていると、コミュニティは再興することは不可能に近いという。また、青年会議所の方も被災者の支援は必要であるが、ものをあげる支援は長期的には人を駄目にするとも指摘する。どっかで聞いたことがある話だなと思ったら、クリチバの中村ひとしさんが言っていたことと同じであった。ジャイメ・レルネルさんは、貧困者の支援として、彼らを社会に取り込もうとするが、レルネルさんのライバルのヘキオンさんは、貧困者にお金をあげる。そして、後者のアプローチをしていると貧困者はいつまでも自立できずに貧困のままでいる、という話だ。わたしの周りでも、やたら学生を甘やかそうとする先生がいる。ただ、そういうアプローチをしていると、その先生には本当にしっかりしていない学生ばかりが集まる。私とかは、そういうのは罪深いと思うが、当の本人は自己満足に浸っており、私のように厳しい指導をしたり、自立的に学生自身に考えさせるような指導をしたりするものはむしろ無責任だと思うようだ。まあ、相手にもしたくはないが。

閑話休題。

さて、お話は興味深いものが多かったが、特にいわきの中学生、高校生は熱い、ということが興味を惹いた。外部の人からも、何でこんなに一生懸命なんですか、といわれるそうだ。NHK交響楽団の人が慰問演奏をしたのだが、その時、コーラスを歌う彼らのエネルギーに圧倒して涙を流したそうである。これは、この子達は、大人が何かやってもどうにもならないことがあるんだ、自分達でどうにか未来を切り開いて行かなくてはならない、ということを小学生、中学生の時点で感じてしまったためであるそうだ。

親が泣いている姿。明日、どうする。津波の被害を受けてなくても、このままいわきで過ごしていてもいいのか。いろいろと葛藤があり、それを乗り越えての現在がある。逞しくて当たり前と言えば、そうだが、凄い鍛えられようだ。それは、外部のものからは伺え知れない苦労と苦難があったであろうが、それを乗り越えた彼ら、彼女らは、現代日本社会が抱えている閉塞感を打破させるエネルギーがある。

私がゼミ生をいわき市に連れて行ったり、いわき市をフィールドスタディしたりするのは、このエネルギーに触れたいと考えているからだ。間違って、自分達が何かしらいわき市に支援できるなどという奢った考えを抱いてはならない。これが学生に一番、理解してもらいたい点なのだが、そこらへんがまだ見えない学生もいるんだよねえ。まあ、じっくりと静観して、自分で理解するまで待つこととしよう。

以下、広告・・・

私のゼミ生がいわき市をフィールドスタディした結果をまとめたものが、ハビタット通信という雑誌として刊行されました。もし、ちょっと手に取って見てみようかなという方がいらっしゃいましたら、hattoriseminar@gmail.com までご連絡下さい。印刷代のほぼ原価である500円+80円の送料をいただければ、お分け致します。このブログを読んでいただいた方から注文があると、なんかとても楽しい気分になります。というのも、このような雑誌をつくっているのは、コミュニケーションを媒介するメディアとしての役割に期待しているからでもあるからです。ちなみに、この雑誌は、いわき市であれば「鹿島ブックセンター」そして「ヤマニ書房」には置かせていただいておりますので、そちらでもご購入できます。

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アメリカで気になるのは、使い捨てのプラスチックの食器類が多いこと [サステイナブルな問題]

アメリカで気になるのは、レストラン等の食器類が使い捨てのプラスチックであることだ。大学の学食でも、ホテルの無料供給される朝食時でも、またフード・コートでも、もうどこでも食器類はプラスチックである。銀食器がないのだ。銀食器は、シルバーウェアという英語を邦訳したものであるが、シルバーウェアは現在のアメリカではプラスチック・ウェアになってしまっている。テキサス大学のカフェテリアは環境を意識しているということで、何を意識しているのかと思ったら、なんと銀食器を使っていただけであった。しかし、確かにケンタッキー大学ではプラスチックであるから、多少は問題意識を有しているのかもしれない。それにしても、本当、この無駄だらけの社会システムは問題だ。アメリカという国が人類の将来を提示しないことだけは確信が持てる。しかし、原発事故を起こし、しかもその事故を顧みずに、同じ轍を踏もうとしている日本に将来があるかといえば、それもないだろうが。

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(しっかりとしたウェイトレスがいる店でもフォークはプラスチックであったりする)
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アメリカでは自動車が運転できなくなると、ほとんど監獄に入ったような状況になる [サステイナブルな問題]

知人であり、私が翻訳をした『世界が賞賛する日本の秘密』の著者であるチェスター・リーブス氏とアルバカーキーで会う。彼はサンタフェに住んでいるのだが、二日前に高速道路で事故を起こし、アルバカーキーの病院に搬送された。私は、いろいろとスケジュールが詰まっていたのと、自分のスケジュールもよく分からなかったので、彼にサンタフェからアルバカーキーまで来てもらうのも悪いし、逆に自分がサンタフェに行くのも時差があり厳しいので連絡をしなかった。しかし、彼の知り合いがこのブログを読んで、私がアメリカにいることを知り、彼の方から連絡があった。ということで、連絡をしたら、なんとアルバカーキーの病院にいるというではないか。そこで、打ち合わせがあったニューメキシコ大学の方々とは夕食を一緒にすることを遠慮し、夕方に都心にある病院を訪れる。

さて、交通事故で車は大破してしまったそうだが、彼の身体は奇跡的に擦り傷程度で済んだようだ。彼は日本車で本当によかった、と言っていた。大怪我をしなかったのは不幸中の幸いではあったが、彼は当分、車には乗りたくないと言う。しかし、一方でアメリカで車を運転しないということは、ほとんど監獄に入ったような状況になるとも言って嘆く。公共交通がない訳ではないが、近くのパスは鉄道駅にまでも行くが、ちょうど鉄道が出発して10分後になって着くのでとても不便だという。というのも、この鉄道が一時間に一本も走らないほど頻度が少ないからだ。日本とは偉い違いだ、と落胆し、車を運転できないのであれば、日本に住みたいと半ば、本気で言う。

私はリーブス先生の意見はよく分かるが、実は、日本の地方都市はこのアルバカーキーとかと同じような状況になっている。これは、道路整備ばかりを政府が優先し過ぎるからだ。このように自動車偏重社会にすると、高齢者にとっては非常に不便、杉田聡に言わせれば「命に関わる」ような状況を強いられてしまうのだが、まあ、弱者には厳しいからな、日本も。とはいえ、高齢者にとっては本当、東京は有り難い街であるだろう。ついでにいうと、高齢者にとっては踏切は結構、優しいツールである。なぜなら、踏切があると自動車は高速で走行しにくいし、また踏切があることで自動車交通を敬遠させることができるからだ。下北沢が歩行者に優しいのは、信号がなく、踏切があったからだ。その踏切が先週、なくなってしまった。下北沢に流入する自動車は増えることであろう。そのデメリットはあまり鑑みられず、むしろ開かずの踏切が解消されることのメリットばかりが強調されすぎている嫌いがある。

自動車ばかりを便利にしても、それは自動車が利用できる人達に限られるので、高齢社会の日本において道路整備を推し進めているのは愚行であると、リーブス先生の話を聞いて改めて思う。

ところで、私はレンタカーをしているが、もうこのどこでも自動車で行かなくてはいけない環境には辟易としてくる。ホテルから夕食を取りに行くにも自動車で行かなくてはならない。本当に不便というか、疲れるところであると思う。

このことに関しては、リーブス先生が指摘するように、日本、特に東京は世界的にも秀でていると思われる。リーブス先生の考えに興味がある方は、私が翻訳した『世界が賞賛する日本の秘密』を是非とも読んでみて下さい。


世界が賞賛した日本の町の秘密 (新書y)

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  • 作者: チェスター・リーブス
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2011/12/06
  • メディア: 新書



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ドナルド・キーン先生じゃなくても、今の日本人に失望しないことは難しい [サステイナブルな問題]

 日本文化研究の大家であるドナルド・キーン先生が、次のような苦言を呈している(読売新聞3月9日)。
「日本人は力を合わせて東北の人を助けると思っていました。東京は(電気が)明るい。必要のない看板がたくさんある。東京だけではない。忘れているんじゃないか。まだやるべきことは、いっぱいあると思います。」
 本当だよねえ。私が奉職している大学も、いらない電気が煌々と点いている。私は、これらに気づくといちいち消しているが、消しているたびに、人々は原発事故をどう考えているのか、本当、不思議な気分になる。
 許し難いのは、福島からの原発被災者を帰還させ、定住させようとする自民党の政策である。まあ、しかし、東電からの寄付金額ナンバーワンの麻生が、副首相であるような政党を、皆が選挙で選んだのであるから、このような理不尽を福島の人々に押しつけているのは、ある意味で国民の総意なのであろう。もちろん、私は自民党に票を入れていないのだが、民主主義というシステムでは私もその責任を負うわけである。キーン先生じゃなくても、この国に失望しない人がいる方が不思議である。


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元禄時代は現在の日本と似ている? [サステイナブルな問題]

「むしろ浮華一瞬の人生に麻酔している人々こそ哀れに思った。ただ嘆かれるのは、国家の蝕まれてゆく相だった。元禄の人間は、元禄を享楽して死んでゆく。生まれてきた権利と云わせておいてもよい。—しかしこの国家は永遠のものだ、今生きつつあるわれらだけの生涯のものではない。しかも将軍家は、その司権を、至尊からおあずかりしているに過ぎない。建国以来のかがやきある皇土の、饐えた文化の黴を咲かせ、永遠の皇民に、われらの子孫に、亡国の禍根をのこして行っていいだろうか。短い自己の一生だけを存分に好き勝手に生きてしまったら、国土はそうなる他はない」

この文章は、吉川英治の小説「忠臣蔵」の一節である。江戸の元禄時代の刹那的な政と人々の生き様を嘆いているのであるが、これはまさに原発を推進させ、国債を発行しまくり次代に借金をつくりまくっている現在の日本の状況ではないか。しかし、元禄時代はその後、倒幕につながり、明治維新で国が様変わりした。そうすると、日本もちょっと先には大変革が起きえるかもしれない。そして、それは多くの日本人にとって受け入れがたいものになる予感がする。なんか、憂鬱になる。



新編忠臣蔵(一) (吉川英治歴史時代文庫)

新編忠臣蔵(一) (吉川英治歴史時代文庫)

  • 作者: 吉川 英治
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1990/10/04
  • メディア: 文庫




新編忠臣蔵(二) (吉川英治歴史時代文庫)

新編忠臣蔵(二) (吉川英治歴史時代文庫)

  • 作者: 吉川 英治
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1990/10/04
  • メディア: 文庫



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シェアハウスの共生の作法は、アジアとヨーロッパではちょっと違う [サステイナブルな問題]

シェアハウスのシンポジウムに参加する。そこで、パネル・ディスカッションのパネリストをされた『他人と暮らす若者達』の久保田裕之氏が大変、興味深い指摘をしたので紹介したい。彼は、大阪大学で教鞭をふるっている社会学の先生であると同時に、シェアハウス居住歴10年のシェアハウスのベテランでもある。彼は、シェアハウスで暮らすうえで台湾や韓国などのアジア系と、アメリカ人などの白人系とはシェアの捉え方が違うのではないか、という点を指摘した。簡単にいうと、アジア系は、シェアハウスで暮らす人達を友達や親類といった仲間といった傾向で捉えることでシェアをすることのに対し、白人系はお互いを個人として尊重し合うことでシェアを可能とする。また、白人系でもアングロ・サクソン系とラテン系とでは違い、ラテン系はむしろシェアハウスには否定的なイメージを持っているそうだ。シェアハウスをテーマとしたフランス映画の出演者が「そんなヒッピーのようなことはできない」といった発言を久保田氏は紹介した。面白い。

私もこの考えには非常に納得できるものがある。私はアメリカのバークレイで暮らしていた時、台湾人のネットワークに入れさせてもらった。このネットワークは、互助組織のようなもので、バークレイで教員をしていた先生を頂点に形成されている。そのお陰で私はバークレイでは彼らの家で泊まることが無料でできている。一方、彼らが東京に来ると、私の家、もしくは私の実家に無料で泊まることができる。私は台北の非常に高名な漢方医まで紹介してもらったことがある。この台湾人たちにとって、私はシェアをし合う仲間として受け入れられたのであろう。ヨーロッパも多少、共有するところがある。私もドイツに住んで、最初の2週間ぐらい、家が決まるまでは知り合いの家に居候をさせてもらった。ちなみに、私は日本人では残念ながら、そのようなコミュニティに所属していない。だから、おそらく一文無しになったらホームレスになるしかない、と思ったりもする。まあ、そういう不安を持っている人は私だけはないだろう。このような不安が高まると、宗教に嵌ったり、若ければ暴走族やギャングに入る一つのインセンティブになったりもするのかもしれない。そのような不安をある程度、緩和させる工夫として日本においてのシェアハウスもあるかな、と思ったりもする。

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シェアハウスで暮らすには、「共生の作法」のようなものが求められる [サステイナブルな問題]

シェアハウスのシンポジウムに出る。ミスキャストかとも思うが、パネル・ディスカッションのコーディネーターを務めた。『下流社会』の三浦展氏、『他人と暮らす若者達』の久保田裕之氏などの、その道の専門家をパネリストに迎えてのパネル・ディスカッションであったので、結構、大変であった。というか、そもそもコーディネーターや司会という仕事はそんなに得意ではない。結構、ひやひやものであった。

さて、それはともかく、内容的には結構、私が言うのはちょっとあれだが、面白かったと思う。現在、シェアハウスはワンルーム・マンションの市場の1%にも満たないがが、これから1割くらいにまでは増えるだろうとの話。『シェアハウスの恋人』というテレビドラマも今月、始まったことだし、ここしばらくは「シェアハウス」がトレンドになっていくであろう。

しかし、このシェアハウスで暮らすには、「共生の作法」のようなものが求められる。それは、他人と適当なる距離を置いて暮らす方法である。これから、圧倒的に単身世帯が増えていく。実は2005年から2010年の国勢調査をみると、25−29歳、30−34歳だと男女とも未婚率が減少しているので、若干、トレンドに変化がみえなくもないが、相変わらず35歳以上は、未婚率は上昇中である。そういう中、これからは単身世帯の高齢化も進んでいくであろう。高齢者で「看病してくれる人がいない」割合が高いのは、未婚高齢者である。これらの未婚高齢者は、健康に不安が生じたら、高齢者施設に入居することになるだろう。この高齢者施設は、いろいろと施設等を共有する。いわば、シェアハウス的な暮らしが求められるのである。そのような暮らしをするための作法は、シェアハウスでも求められていた「共生の作法」である。このような作法を習得しないまま、いきなり晩年期になって高齢者施設に入ろうとしても、相当の無理がある。施設サイドにとっても、そのような人が入居されると大変だ。

今後、高齢化が進み、高齢者施設の需要はますます高まっていく。そのような売り手市場の中、ほとんど家族と離れてからは単身世帯で生活してきた人は、なかなかこちらから要望しても、高齢者施設には住めなくなるような時代が来るかも知れない。そういうことを考えると、若い一時期において、シェアハウスで暮らす経験をしておくことは、老後に役立つようになるかもしれない。

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仕事を辞めたがる若者達 [サステイナブルな問題]

私も今の大学に奉職して10年以上が経つ。したがって、多くの学生が卒業して、社会に出て行くのを見てきた訳だが、最近もゼミ生でなかった卒業生が、話をしたいから会って欲しいと連絡をしてきた。こういう時は、ほとんど仕事への不平であり、そういう話は自分のゼミの先生にすればいいのだが、まあ、断るのも可哀想なので、ちょっと機会を設けて話を聞くと、やはり「仕事がつまらない」、「仕事を辞めたい」という内容であった。最近、30歳をもう過ぎた卒業生の動向を聞いたら、やはり「仕事がつまらないのでどうにか仕事を変えたい」と悩んでいたそうだ。この彼は、大手電機メーカーで、おもに法人の営業をしているのだが、仕事がワンパターンでつまらないそうである。こういうケースは多い。すなわち、自分が会社という組織においての一構成員であるという自覚を持てずに、あたかも仕事が自分を楽しませてくれる、自分を成長させてくれるはずであるという感覚で捉えていることに起因する問題である。仕事までも消費者意識丸出しで、くれくれタコラのようになってしまっている。この彼が、法人の営業をしているのは、おそらく、法人の営業ぐらいしか彼が出来る仕事がないからであろう。そのような事実になぜ、気づけないのであろうか。もし、本当に自分の能力が発揮されていない、そしてもらっている給料よりその能力が優れていると思っているのであれば、まあ転職市場にチャレンジしてもいいのではないか、と思われるのだが、こういう不平を言っている人に限って、なんかその置かれている立場にまったく同情できない自分がいる。

というか、私が学生の時から、ちょっといいものを持っているな、という学生は、例え、親に言われてコネでしょうがなく入った会社であっても、「結構、仕事は面白い」とポジティブに捉えていたりする。私は、金をもらっている以上、そうそう楽しい仕事がある筈はないとは思っている。仕事がそんなに楽しかったら、金をそれほど払われずにいても多くの人がやりたがるであろう。まあ、椎名林檎とかダルビッシュとかは自分が楽しいことをやっていても、お金をもらえるかもしれないが、それは特別な才能を持っている場合だけであろう。普通の仕事は、楽しくないからお金をもらえるのである。というか、自分にその価値がないので、お金をもらえる仕事がつまらない仕事しかない、とも言うことができるかもしれない。

まあ、そういう私ではあるが、実は今の仕事もそうだが、その前の会社勤めの時も、仕事を面白くないと思ったことはほとんどない。私は、前の会社でも委託研究という研究業務の仕事をしていたこともあり、研究することは結構、好きだったので仕事は内容的には全然、苦にならなかった。苦になるとしたら、嫌な上司とか嫌な同僚とか、社内の人間関係には苦労したり、嫌がらせを受けたりもしたが、まあ、仕事に関してはつまらないと思うことはなかった。営業ノルマはきつかったが、民間の研究職とかは自分のアイデアを売る仕事なので、周りというよりかは営業を取れないことは自分のせいであるという明瞭な因果関係があったので納得して仕事ができていた。確かに、管理職になって、管理の仕事をするのは嫌だったが、まあ、それはどの会社に入っても嫌なことであるから、そうそう会社に文句を言う筋合いのものではない。とはいえ、これが会社を辞めた大きな理由ではある。

大学の仕事は、まあ、嫌いではない研究を勝手に出来るし、研究費は以前に比べると大幅に少なくなったが、誰のためでもなく、自分のためにしているので、敵は自分の怠け心だけである。私は科研費を少額だがもらっているが、国民の税金で研究をさせてもらって、本当、有り難いことだと感謝している。あまり私の話に関心を持たない学生のために講義をするのは、ちょっと辛いかなと思う時もたまにあるが、全般的には楽しんでいる。会社時代は出版をすることにいろいろ規制が多く、私がいた頃は印税の95%が会社に帰属するなどのルールがあったが、今では私が印税の100%をもらえる。もちろん、私の本はあまり売れないので大した印税ではないが、95%取られたら、書く気も失せてしまう。

ということで仕事が嫌だと思ったことがないので、「仕事がつまらない」と私に相談に来る卒業生に何とアドバイスしていいかが分からない。しかし、確信しているのは、仕事の方でも、そんな人たちを「つまらなく」思っているということだ。「仕事がつまらない」と思う最大の理由は、自分がつまらないからなのではないか、と私は思う。少なくとも、自分が選んで入った会社であるので、その時点で自分にも問題があると自覚した方がいい。そうでなければ、仕事だけでなく、つまらない人生で終わることになると思う。

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公共事業費を自民党は増額させ、同じ轍を踏むようだ [サステイナブルな問題]

民主党が私的には不十分であったが、しっかりと削った公共事業費を自民党は増額させるそうだ。しかも増税をして財源を確保しての無駄遣いである。増税をして公共事業費を増額するというのは、発展途上国のように経済が成長している国においては有効かもしれないが、経済が成熟している国ではあり得ない選択である。他の先進国でもみられない愚策だ。このような愚策がなぜ、今でも進むかは呆然とするしかないが、国民が自民党を支持してしまったからどうにもならない。どうにもならないが、絶望的な気分にはなる。

産経新聞の記事(2012.12.29)から以下、引用。

 農林水産省は28日、平成24年度補正予算と25年度予算を合わせ、土地改良事業費を21年度当初予算の規模に戻すことを自民党農林部会で示した。同日の自民党国土交通部会でも、公共事業費を21年度並みの7兆1千億円水準に戻すことを前提に議論された。公共事業費は民主党時代に大幅削減されたが、経済再生の突破口として増額に向け動き出した。
 土地改良事業費は、自公政権時の21年度当初予算では5772億円だった。しかし、公共事業削減を進める民主党の方針によって、22~24年度は平均2129億円と約6割削減。自民党は政権公約で「攻めの農林水産業」を掲げており、農水省は24年度補正予算と25年度予算を合わせ6千億円規模とするもようだ。
 国交省でも、21年度当初予算の公共事業費は7兆1千億円だったが、24年度は4兆6千億円まで削られた。
 太田昭宏国土交通相は「額を先行させず、必要なものを積み上げる」と大幅な増額に前向きの姿勢を示している。

引用終わり

「攻めの農林水産業」というのは、コピーとしてはいいが、農林水産業で強化しなくてはならないのはソフトであってハードではない。「必要なものを積み上げる」と言ったって、本当に「必要」なものは、もう十二分にある高速道路ではない筈だ。相変わらず1960年代の成功の方程式から脱却できない自民党が、政権を握っていることは本当の「危機」だ。本当に、打つ手がなくなって戦争などと言い始める輩が出てくるような状況になってしまうのではないかと心配である。
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安倍内閣は「危機突破内閣」というが、本当の危機は安倍内閣そのものである [サステイナブルな問題]

安倍内閣は自ら「危機突破内閣」と名付けたらしい。何が、危機なのかと思ったら「デフレ脱却」らしい。不動産や株といった資産を有してないものからすれば、デフレよりインフレの方がずっと怖いし、危機だ。そもそも、国内的には人口も減少し、市場が縮小していく中、さらに国際競争力も減退していて海外の市場占有率も減少し、加えて、中国には好戦的な態度をすることで関係を悪化させ、中国という世界で最大の市場での競争力も減らして、何がデフレ脱却だと思う。というか、安倍内閣自体が「危機」である。自分を突破するというのは、一体どういうことか。勝手に自爆テロでもするということか。いや、そうしてくれると本当、有り難い。
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2012年12月16日は歴史的な日として後世の人に記憶されているかもしれない [サステイナブルな問題]

選挙結果は、私が危惧していた通りに自公で300議席を越えることになった。民主党は大惨敗であるが、それにしても、4年前にあれだけ自民党の政策を批判しておいて、ちょっと民主党が駄目だからといって、他の党に票を入れるのならまだしも自民党に入れるというのは、何を人々は考えているのだろうか。それも、自民党が無責任にも推進していた原発によって、あれだけの大被害を起こしたのに、人々はそれに対する責任を追及しようと考えていないのであろうか。あの原発事故の責任は、民主党ではなく圧倒的に自民党にある。たまたま、事故が起きたのは民主党が政権を執っていた時ではあったが、あのような事故が起きる状況をつくりだしたのは自民党である。しかも、この事故は日本人だけでなく、他の国の人々にも迷惑をかけている。しかも、安倍、石原という東アジアにおいて北朝鮮に次いでの独裁者志向の強い人々を支持するとは、本当、日本は世界からどんどんと孤立化していくだけではないのか。

私はほとんど、ナチスが権力を握った時のユダヤ人のような将来への不安を抱いている。この年になって、日本を捨てるのは嫌だが、そういうことになるかもしれないなあと漠然と考えている。本当に残念である。しかし、安倍がこの日本の閉塞した状況を打破することは出来ない。また、前回と同様に「政権崩壊」するだけであろう。しかも、状況は前回、安倍が政権を執った時よりはるかに深刻で複雑だ。そして、一般的な国民が受けるダメージも民主党政権時よりはるかに大きなものとなるであろう。最初の1年ぐらいは、将来を考えない財政出動で多少は上向くかも知れないが、根本的な治療ではないため、すぐ瓦解するであろう。本当に、将来の危機のためにしっかりと能力、財力を蓄えておかないと悲惨なことになる。少なくとも、日本を脱出できるための準備を若いものはしっかりとするべきである。私は、この国の暗澹たる将来を案じて、身震いが止まらない。しかし、国は滅びても個人としては生き延びなくては。私は愛国精神は強いほうだとは思うが、心中してまで守ろうとは決して思わない。
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