SSブログ

憲法9条の改憲を安倍政権が積極的になっている(おそらく)本当の理由 [サステイナブルな問題]

憲法9条の改正に関して、私は安倍政権が積極的になっていることがよく分からなかった。稲田議員などの超右翼の政治家はもとより、石原慎太郎のような右翼政治家が憲法9条を改正したいというのは分かる。彼らは、戦前のロマンシズムに未だ拘泥しているのである。街頭右翼と似たようなメンタリティであろう。

さて、しかし安倍政権はなぜ憲法9条を改正したがるのであろうか。この説明で、私が聞いた中で、今のところもっとも説得力があるのはアメリカの圧力を受けているからというものである。こういうと、ちょっと訝しがる人達も多いであろう。というのは、憲法9条はアメリカから押しつけられたものであり、憲法というのは自らがつくるものであることが望ましいというのが、憲法改正論の人達の主張であるからだ。それじゃあ、アメリカ的に憲法9条のどこが不都合なのだろうか。

それは、憲法9条のおかげで、アメリカは日本の軍隊である自衛隊を、自分達の戦争に借り出したくても借り出せないからである。しかも、日本は軍備できないために、何かが起きた時には守ってやらなくてはならない、という約束までさせられている。そんなのは面倒見切れないと思うのは当然だし、また、ポチがいざ戦争などで役に立たないのは面白くない。アメリカは自らが押しつけた憲法9条で、日本にとんでもない特権を与えてしまった。これを撤廃したい、ということをポチの中でも従順度の高い自民党に命じているのだ、という説明である。これは、とても納得できる。そもそも、普天間をちょっと動かすといっただけで首相の首が飛んでしまうような国である。そんな国が、アメリカの意向に反した行動など出来る訳もない。それなのに軍備、軍備とかしましいのは、日本の防衛のためでも国益のためでもなく、単にアメリカのポチとして、少しは自分らも血ぐらい流せよな、というアメリカの要望に忠実に応じようとしているだけなのである。そして、ここで忠実に応じることで、ポチとしてのポジショニングは上がり、より日本という国をポチの王様としてコントロールできると考えているのであろう。

まあ、本当に憲法9条のおかげで、我々はまさにエヴァンゲリオンのATフィールドのように守られているのだな、ということを再認識する。これを取り外されたら、さらに日本の植民地化が進むであろう。日本の自立のため、などというのが、まったくの狂言であるというのは、よく考えれば明らかなのだ。しかし、ちょっとアメリカの圧力というのには気づかなかった。私もまだまだである。

まあ、要するに、ジャイアンであるアメリカは、スネ夫である日本に、「一緒に喧嘩に行こうぜ、お前が尖兵で行けよ」と命じたのに、スネ夫は「いやあ、ジャイアンとこないだ喧嘩して、こてんぱんにやられた時に「いかなる喧嘩も放棄します」と宣言したので、行けないんだよね」と答えられ続けて、心底面白くなくなっているのである。しかも、スネ夫はいざ、他の奴らから喧嘩を売られたら、自分では喧嘩ができないので、ジャイアンは守らなくてはいけないなどという約束までさせられているのである。そりゃあ、面白くないでしょう。でも、ここでスネ夫が「いかなる喧嘩も放棄します」宣言を撤回すれば、ジャイアンとしては、どんどんスネ夫に自分の代わりに喧嘩をさせることができる訳だ。しかも、喧嘩をするための道具も売り捌くことができる。アメリカには良いことづくめなのである。そして、日本国民には何も良いことがない。まあ、せいぜい、アメリカの世界支配を強化するために、他国人と殺し合いをさせられるぐらいだ。

さて、問題はこのような国の国民である価値がどの程度、あるかということである。そういうことを真剣に考えなくてはいけないほど、事態は深刻化していると思う。私はそれほど長生きしないであろうが、日本の若者には犬死にしないような道を提示してあげたいと思う。とはいえ、今日の衆院選では、若者は投票に行かず、また投票しても憲法改正を推進している人達を支援するのであろう。私は別にいい。もう、おそらく戦争に行かなくてもいい年齢になっているからだ。しかし、行かされるようになる若者たちは可哀想である。日本のためならともかく、アメリカのために犬死にするような状況に置かれるのは。とはいえ、若者がそのような道を選択したのであれば、それはそれでしょうがないことかもしれない。

nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0