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2012年12月16日は歴史的な日として後世の人に記憶されているかもしれない [サステイナブルな問題]

選挙結果は、私が危惧していた通りに自公で300議席を越えることになった。民主党は大惨敗であるが、それにしても、4年前にあれだけ自民党の政策を批判しておいて、ちょっと民主党が駄目だからといって、他の党に票を入れるのならまだしも自民党に入れるというのは、何を人々は考えているのだろうか。それも、自民党が無責任にも推進していた原発によって、あれだけの大被害を起こしたのに、人々はそれに対する責任を追及しようと考えていないのであろうか。あの原発事故の責任は、民主党ではなく圧倒的に自民党にある。たまたま、事故が起きたのは民主党が政権を執っていた時ではあったが、あのような事故が起きる状況をつくりだしたのは自民党である。しかも、この事故は日本人だけでなく、他の国の人々にも迷惑をかけている。しかも、安倍、石原という東アジアにおいて北朝鮮に次いでの独裁者志向の強い人々を支持するとは、本当、日本は世界からどんどんと孤立化していくだけではないのか。

私はほとんど、ナチスが権力を握った時のユダヤ人のような将来への不安を抱いている。この年になって、日本を捨てるのは嫌だが、そういうことになるかもしれないなあと漠然と考えている。本当に残念である。しかし、安倍がこの日本の閉塞した状況を打破することは出来ない。また、前回と同様に「政権崩壊」するだけであろう。しかも、状況は前回、安倍が政権を執った時よりはるかに深刻で複雑だ。そして、一般的な国民が受けるダメージも民主党政権時よりはるかに大きなものとなるであろう。最初の1年ぐらいは、将来を考えない財政出動で多少は上向くかも知れないが、根本的な治療ではないため、すぐ瓦解するであろう。本当に、将来の危機のためにしっかりと能力、財力を蓄えておかないと悲惨なことになる。少なくとも、日本を脱出できるための準備を若いものはしっかりとするべきである。私は、この国の暗澹たる将来を案じて、身震いが止まらない。しかし、国は滅びても個人としては生き延びなくては。私は愛国精神は強いほうだとは思うが、心中してまで守ろうとは決して思わない。
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石原慎太郎は「憲法9条が国際的孤立化を進めた」というが、石原の存在自体が国際的な孤立を促している [サステイナブルな問題]

石原慎太郎は、テレビ番組で憲法9条を「日本を衰弱させて、孤立させた一番大きな要因。国民の意思まで低下させた憲法っていう醜悪な法律ですよ、私から言わせると。」と述べている。何を言っているんだ。石原が暴走して尖閣諸島問題を顕在化させてので、これまで「棚上げ」といった大人の対応をしていた中国との対立を深め、いたずらに日本の国際的孤立化を進めている。TIME誌にまで、日本が戦前の「ほとんどの世界を敵にまわした」という「孤立状態」に戻ることを危惧した記事を書かれる始末だ。石原こそが、日本を国際的に孤立化させる要因であり、石原というヒットラー的独裁者型の政治家によって、少なくとも東京都民の思考力は低下させられてしまったと私は思う。本当、国民はしっかりと考えて欲しい。考えないと我々日本人は滅亡するのではないか、と私は本気で憂えているのだ。今日は選挙日。
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安倍元総理、石原元都知事が改憲に拘る理由 [サステイナブルな問題]

改憲論が盛んである。特に、自民党の安倍元総理、石原元都知事が改憲に拘っている。なぜ、彼らはこんなに拘っているのか、不思議に思う人も少なくないであろう。これは、私が考えるに、現在の日本憲法、特に憲法九条は、彼らにとって極めて不都合であるからだろう。憲法というのは、国民だけでなく政治家をも規制する。すなわち、この平和憲法は、安倍や石原といった独裁者願望の強い政治家にとっては、何とも不都合なものなのである。なぜなら、この憲法は、そのような政治家から国民を守ってくれてもいるからだ。その我々を護ってくれている盾を取り外したい政治家が、一生懸命、この盾は不必要であるから外してしまおうと唆しているのである。間違っても、こんな甘言に騙されてはいけないと私は強く思うのであるが、どうも世間は、そういう風には捉えていないようである。恐ろしいことが起きそうな気がする。
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二世議員に投票することは、ある意味で特権階級の固定化、格差の拡大を定着させる行為である [サステイナブルな問題]

総中流社会と指摘されていた日本であるが、貧富の格差は広がり、しかも定着しつつある。そのような問題点を社会に知らしめた三浦展氏による『下流社会』が著されたのが2005年。それからも、この格差は広がりはしても、解消される気配も伺えない。このような貧富の格差が広がった大きな要因はバブル時代の地価高騰時において、土地の所有の有無が指摘されるが、それだけでなく、例えば富んだ階級層が、自分達の子供にも、そのような特権を引き継ぐようにしてきたことが要因である。それが、政治、芸能界、ビジネス、医者などの二世が多く生み出している理由である。さて、芸能界やビジネスなどは庶民の力ではどうにもならないが、唯一、我々が影響を及ぼすことのできるのが政治家の二世に対してである。単に政治家の二世、三世に票を投じなければいいだけである。日本と違って二世議員が極端に少ないドイツにおいては、もちろん同じ選挙区で二世が出馬してはいけないというルールがあるからだというのもあるが、二世議員が親のように立派な議員である保障はまったくない、ということを投票者の方がしっかりと認識していて、二世議員に投票することに慎重であるからだ、という話を知人のドイツ人から聞いたことがある。このドイツ人は、小泉、安部、福田、麻生と二世議員が連続して首相になった日本の状態をまったく理解できない、と私に言った後、そのような説明をしてくれた。

私も自民党が全然、駄目な理由は、多くの議員が二世議員であり、国民の痛みや苦しみを理解できない特権階級の人達であるからだと考えている。実際、民主党でも二世議員である鳩山元総理は、同様にだめだめであった。二世議員はアメリカでもブッシュ大統領というとんでもない事例がある。それに比して、菅元総理や、個人的には支援できないが、野田首相などのたたき上げの一世議員は腰が据わっていて、少なくとも政治家としては信頼できる。

我々が二世議員に投票することは、ある意味で特権階級の固定化、格差の拡大を定着させる行為であるとも言える。そのような状況を改変したいと思うのであれば、二世議員に投票しないで、より風通しのよい、柔軟性の富む社会をつくりあげるよう心がけるべきであると思う。いや、特権階級の人であれば、もちろん二世議員に投票するのはいいとは思いが、そうでない人は、この点を強く自覚した方がいい。「下々の人」発言をするような人が総理であって、いい社会が出来る訳がないのは自明であろう。
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民主党政権の3年間、指標をみると驚くことに自民党末期より状況は改善している [サステイナブルな問題]

 前回の衆院選で政権交代をしてから3年ちょっと。民主党政権で日本はぼろぼろになったとマスコミなどは批判しているが、幾つかの指標をみると、なかなか検討しているところもあって正直、驚いた。いくつか紹介しよう。

1)公共事業関係費:7.1兆円(2009年度)・・・4.6兆円(2012年度)
2)完全失業率:5.4%(09年7月)・・・4.2%(12年9月)
3)最低賃金:713円(09年度)・・・749円(12年度)
4)合計特殊出生率:1.37(08年)・・・1.39(11年)

 他にも、自殺者数も減り、保育所待機児童数も減るなど、この株安、円高、デフレといった経済状況が悪化している中、福祉面、子育て面では民主党時代において改善がみられているのが分かる。そして、何よりも顕著なのは公共事業関係費である。この公共事業関係費が削減できたのは、おもにいらない箱物事業が削減されたからであり、私が当初、民主党に期待していたダムや道路といった大物には結局、手がつけられなかったものが多かったが、それでも35%以上がカットされている。確かに復興予算という大規模な臨時予算がつけられてしまったが、これが自民党だったら現行の2倍近くの予算がつけられ、日本の財政は破綻してしまったのではないかと思われる。
 経済的な指標は、GDPこそ多少増加してはいるが、株価、為替、消費者物価指数は株安、円高、デフレと日本企業にとっては有り難くない結果となっている。しかし、これらの指標は例え、自民党政権でもどうにもすることができないようなものである。
 私は民主党に大いに失望し、絶望した一人である。しかし、それでもこうやって社会指標をみると、自民党よりはずっと国民に優しく、そして「コンクリートから人」は八ッ場ダムの事業継続など多くの支援者を落胆させてはくれたが、それでも公共事業費を35%もカットしたという事実は評価されていいのではないかと思われる。マニフェストで背伸びして、ぶち上げすぎたということがあったのかもしれない。私は次の選挙では民主党に票を入れることはないだろうが、それでも自民党よりはずっとましな政権であったということは、国民も認識していいのではないかと思われる。自民党に動かされているマスコミに踊らされて、結局、損をするのは我々国民である。

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世の中にはマスゴミが多いが、その最たるものは産経新聞だと思われる [サステイナブルな問題]

原発事故以降、原発反対の世論を押さえ込むことが必要となった電力会社を筆頭にした産業界、そして原発を利用するからこそ権力を手に出来る霞ヶ関の官僚などのニーズを汲んで、世論を誘導しようとする報道を大手マスコミが率先するように垂れ流している。もちろん、大手マスコミにも温度差があるが、iPSの誤報や尼崎鬼女の人違い写真報道などをして自ら墓穴を掘った読売新聞と産経新聞は特に、一般国民を馬鹿にしたようないい加減な報道が為されている。例えば、今日の産経新聞のこの原発ネタにはもう呆れかえるしかない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121105-00000092-san-soci

こういう記事を書くからには、もし大飯原発の断層がずれて大飯原発の事故が起きたら、切腹するぐらいの覚悟をもってもらいたい。こいつらは、先の大戦でも大本営発表の糞情報を国民に垂れ流しておきながら、また同じことを繰り返している。しかし、産経新聞が描く日本国の将来像とかはどういうものがあるのだろうか。何を目指しているのかさえ私には分からない。そもそも、このような新聞を読んでいる人がいることが分からない。私は、以前、産経新聞系の雑誌に連載を持っていたが、その担当者の人間的な下品さに驚いたことがある。これは、しかし、あくまでも個人の資質なのだろうと捉えていたが、もしかしたら組織の体質からして、そういう体質なのかもしれない。というようなことを、この下品な記事を読んで思ったりもする。

タグ:産経新聞
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ガルツヴァイラーの褐炭の露天掘り炭鉱を視察する [サステイナブルな問題]

メンヒェングラートバッハとケルンの中間にあるガルツヴァイラーの褐炭の露天掘り炭鉱を視察した。48平方キロメートルという大規模な掘削を行っている。これは、ほぼ練馬区と同じ面積である。練馬区と同じ広さで褐炭を露天掘りで行っているということが凄いのか、凄くないのか。ただ、その端に立って、この炭鉱を展望すると、くらくらするほど大きいことが分かる。ここは、褐炭を2045年まで掘り続けることになっている。この掘削のために、そこで生活していた住民は撤去させられ、また、そこを通っていたオートバーンも壊された。エネルギーを使うということが、環境にどういう影響を及ぼすかがよく理解できる光景である。省エネしなくちゃ、という気持ちにさせられる。

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ドイツの再生可能エネルギーのみで電力供給しているナチュアシュトロムを訪れる [サステイナブルな問題]

 デュッセルドルフにあるナチュアシュトロムのオフィスを訪れる。ドイツで再生可能エネルギーのみで電力供給をしている唯一の電気会社である。ドイツの電力自由化がされた1998年に設立。これ以前は法律的に不可能であった。既存の電力会社とは完全に独立されている。株式会社ではあるが、あくまで利益を目的としたものではなく、再生可能エネルギーの普及を目的としている。ナチュアシュトロムは、ベルリン、ゼンフテンベルク、ゲッティンゲン、フォーシュハイム、フライブルク、ヴァーレンホースト、デュッセルドルフにオフィスがある。デュッセルドルフは顧客サービス、マーケティングの業務を行っている。フライブルクでは太陽光エネルギー、ヴァーレンホーストとゼンフテンベルクでは風力エネルギー、ゲッティンゲンは木材ヒーター、フォーシュハイムではバイオマス・エネルギーなどを研究している。ベルリンでは、印刷などの業務をしている。
 2007年から顧客が急増している。これは、国連で地球温暖化の対策をしなくてはならないと発表されてからである。そして、特に2011年からの1年間で2倍になっており、現在は22万の顧客を対象としている。2011年に増加したのは、福島第一原発事故が機会となっている。これは事故というよりかは、メルケル政権がこの事故をきっかけに脱原発に転換したからである。ナチュアシュトロムの顧客満足度は、ドイツの四大電力会社に比しても高い。電気自体がどこから来ているかの認証ラベルが欧州連合では明記されているが、その電気がどのように発電されているかは不明である。ナチュアシュトロムは、その認証ラベルに依存せずに、どのように発電されているかまでもしっかりと明記している。
 3000kWhの電力代は、年間で795ユーロであり、これは一般的なドイツの電力市場の平均値である840ユーロよりずっと安い。日本では再生可能エネルギー電力は高いというイメージがあるが、そういうことはドイツにおいては少なくとも違うということが分かる。
 ドイツ電力市場は、発電、販売、送電の3つから構成されるが、ナチュアシュトロムは発電、販売のみを行っている。ドイツには発送電を管理している機関がある。そして、どこかが風力発電をつくった会社が、送電会社を利用して送電しようとした場合、他の発電会社と価格に違いを設けてはいけないという法律があるので、ナチュアシュトロムは送電に関しては他の会社に依存している。そして、ナチュアシュトロムのような電力会社が存在しているために、ドイツの電力市場の勢力図は大きく変貌している。2000年には4500億円であったが再生可能エネルギーの投資額は、現在は2兆7000億円にまで増加している。そして、2010年までのデータではあるが、これらの再生可能エネルギーに投資した内訳の40%が個人であり、11%が農家である。一方で4大電力会社は6.5%のみであり、ほとんど大規模電力会社には再生可能エネルギーに投資していないことが分かる。ドイツにおいて、再生可能エネルギーを推進する重要な担い手は個人であり、これは日本においてもおそらく同様であり、それらの投資ニーズをしっかりと受け止める組織、企業が求められることが分かる。
 ドイツに来て、いろいろとエネルギー関連の話を聞くと、ドイツにおいてなぜ脱原発の将来シナリオが具体的に展望できるかというと、ナチュアシュトロムのような脱原発を具体化させる組織が存在しているからだということが分かる。もちろん、このような組織が存在できるためには電力自由化という法律が制定されることが必要であったし、 それを支援し顧客となるための市場の理解が必要ではあった。
 このようなナチュアシュトロムのような企業が存在することもあって、ドイツにおいて電力に占める再生可能エネルギーは1998年まではわずか5%で、それらの大部分は水力であったにも関わらず、2011年では既に20%を越えるほど増加した。特に2010年は17%であったので、2010年から2011年の増加率は大きい。2012年の増加率はさらに高くなっているのではないかと思われる。そして、再生可能エネルギーの関連雇用数も1998年には6万7千人程度であったのだが、2010年では36万7千人と6倍弱ほど増えている。さらには、2020年には50万人くらいもの雇用が創出されることが推測されている。また、これらの雇用が創出されるのは大都市ではなく地方都市や地方部であったりする。そういう点では、地方と中央との格差も是正することが期待できる新しい産業でもあるのだ。
 日本も、いたずらに原発を止めると電力代が2倍になるといったいい加減な情報を、マスコミを使って流しているような愚策に拘泥することを一刻も早く止め、ドイツのナチュアシュトロムのような再生可能エネルギーを促進させる組織体もしくは企業が設立されることを願う。

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ゆとり教育の推進者であった元文部省官僚の寺脇研が『ロマンポルノの時代』を著した愚 [サステイナブルな問題]

ゆとり教育の推進者であった元文部省官僚の寺脇研が光文社から新書を出した。そのタイトルは『ロマンポルノの時代』である。彼は、当時の文部省の考えを代弁するスポークスマンとしてメディアに頻出し、ゆとり教育の意義を雄弁に語っていた、まさに「ミスターゆとり教育」のような男である。

「ゆとり教育」という政策は、その愚からしさから、歴史的なイベントとして位置づけられるであろうと私は考えている。したがって、今の中学生や高校生が、日本史で「生類憐れみの令」を覚えさせられるのと同様に、将来の中学生や高校生も「ゆとり教育」のことも勉強することにさせられると思われるのである。国際的競争力を失し、その後の日本の迷走の契機となった天下の愚策として。そして、綱吉そしてその母、桂昌院が「生類憐れみの令」という愚策の発案者として、その後の受験生に「何て阿呆な奴がいたんだ」と頭を抱えさせつつ、その名前を覚えさせられたのと同様に、寺脇研も「ゆとり教育」という愚策の推進者として、歴史に名を残し、100年後、200年後の日本人受験生が、頭を抱えながらも試験だけのために記憶するような人物となると思うのである。すなわち、寺脇研は歴史に堂々と名前を残すことになっているのである。しかし、その本人は、あまり、自分がそのような歴史に名前を残すような失策をしでかしたという自覚をしてないように思われる。そうでなければ、『ロマンポルノの時代』などを著し、さらに「ろくでもない奴」とイメージされるような行為はしないと思うからである。100年後の代々木ゼミナールの日本史の講義の状況が目に浮かぶ。
「ゆとり教育を推進した、ろくでもない役人の名前は寺脇研。この名前は試験に出るから覚えておけ。彼は、自分はゆとりと言いながら、ラ・サール中学校という進学校に首席合格し、現役で東京大学に入学、法学部に進学したんだ。彼がゆとり教育に拘ったのは、高校時代、映画を観ることを親から禁止され、その厳しい教育パパへの復讐だと捉える人もいる。そして、彼は、その後、高校時代には観たかったのに観れなかったポルノ映画をたくさん観て、ポルノ映画を大学教授として研究し、本まで出したんだよ。そのタイトルが『ロマンポルノの時代』なんだ。ゆとり教育で、ろくに勉強させない若者を量出し、しかも大学に来た学生達には、ポルノ映画の講義を聞かされるなんて、そんなゆとり、誰も欲しくないよね。当時の日本人はよくこんな愚策を許したものだ。その後、日本は国際競争力ががた落ちになって、それまではアジアの経済を牽引していたのが、韓国だけでなく中国の後塵までを拝するようになったんだ。今の日本からだと、中国より経済力があったなんて想像できないだろうけどね。このことから分かるように、勉強しないで、ポルノ映画ばかり観ていたら、国力はなくなる。こんな当たり前のことを、当時の文科省や寺脇研は分からなかったのだろうか。一説には、エリートと非エリートとに社会構成を分けようとした施策なのではないかという人もいるけど、この点に関してはまだ歴史家の見解も統一されていないんだ。まあ、最低限、「ゆとり教育」と寺脇研の名前は覚えておくように。」

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ピンク・スライムの話 [サステイナブルな問題]

ピンク・スライムを知っていますか?それは、かつてはドッグフードや調理用油にしか使われなかった切り落とし肉が、殺菌のためアンモニア処理され、水増し用の材料として多くのひき肉に混ぜられたものです。これらは、ファストフードのハンバーグはもちろんのこと、アメリカではスーパーの店頭に並ぶ牛肉にも混ぜられ、給食にも使われているそうです。これらが入った肉は腐らないと言われています。しかも、農務省は、これらを表示する義務はないとしているそうです。いやあ、セシウムも怖いですが、このピンク・スライムも怖いですね。こういうのを発展とか進歩とか言うのでしょうか。

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経済学者である林周二東大教授が提唱した「大衆の浪費を刺激する10の戦略」 [サステイナブルな問題]

東京大学名誉教授である経済学者の林周二先生が1962年の中公新書から出した「流通革命」において提唱した「大衆の浪費を刺激する10の戦略」をここで紹介したい。

1)捨てさせる(100円ライターや1000円時計など)
2)無駄使いさせる(大きめの角砂糖やちょっと押しただけでスーッと出て、もとに戻らないエアゾール式容器など)
3)贈り物にさせる(ヴァレンタインデーセールや父の日セールなど)
4)蓄えさせる(洋酒ビンや全集本など)
5)抱き合わせ商品にする(カメラの速写ケースなど)
6)きっかけを与える(読書週間や虫歯予防デーなど)
7)単能化させる(専用ビタミン剤や、七色ウィークパンティなど)
8)セカンドとして持たせる(セカンドハウスやセカンドカーなど)
9)予備を持たせる(タイヤ、電球などのスペア性のものやフィルムなどストック性のもの)
10)旧式にさせる(まだ使えても旧式だと思わせる)

消費者支配のための、これはマニュアルであるのだな。なかなか恐ろしい。
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シアトルの下北沢ともいえる「キャピトル・ヒル」でもジェントリケーションが進んでいる [サステイナブルな問題]

 キャピトル・ヒルという地区がシアトルのダウンタウンの東側の丘陵地帯にある。学会で偶然、知り合ったワシントン大学の大学院に通っている台湾人の留学生が、私の下北沢の発表に興味を持ってくれて、シアトルの下北沢に連れて行ってあげるというので誘いに乗る。彼女は、知り合いの台湾人の留学生一人と、大学院の同窓のアメリカ人を連れてくる。
 このキャピトル・ヒルは、もとは自動車のディーラーが多く立地していたような場所なのだが、都心に近いこともあってか、徐々にレストランなどに置き換わっていく。そして、金のないアーティストやヒッピー、そしてゲイ達がここに引き寄せられ、ユニークなネイバーフッドへと成長していったのである。サンフランシスコでいえばヘイト・ディストリクト、ニューヨークでいえばイースト・ビレッジ、最近はウィリアムスバーグといった感じの地区であろう。

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(多くの歩行者で溢れるキャピトル・ヒル地区。いや、そりゃ東京に比べれば多くはないですが。相対的にアメリカの都市として考えると多いのです)

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(キャピトル・ヒルで我々が入ったタパス。ワインもビールもすべてアメリカ以外のものしか置いていない。アメリカ以外というのが、トレンディなんでしょうね)

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(再開発の対象となっているバウハウス・カフェ。確かに雰囲気は独特でいい)

 さて、そして、このキャピトル・ヒルも、ニューヨークのイースト・ビレッジと同様に、そのカウンター・カルチャー的なユニークさがかえってその地価を高め、不動産投資の魅力を持つようになってしまっている。そして、イースト・ビレッジと同様に、デベロッパーが開発をしようと土地を購入しようとしている。キャピトル・ヒルの場合は、その購入予定の一画にバウハウスという名のカフェがあったために、結構、人々の関心を集めているのだ。このバウハウスにも連れて行ってもらったが、そこは、本屋のような体裁(実際、本が置かれているのだが、本棚が高くてとても本は取れないので、これは実質的にはただのオブジェであろう)をしているカフェで、多くの人達はコンピューターを睨んでいるなどして、サード・プレイス的に使っていた。まあ、悪くない場所だが、これはどうもキャピトル・ヒルの象徴的なランドマークであるようなのだ。「キャピトル・ヒルの居間」などと呼ばれているらしい。デベロッパーはここの区画に7階建てのビルを計画しているらしい。私の大学のそばのビルはもう30階建てがざらなので、7階なら可愛いもんだなと思ったりするが、キャピトル・ヒルの住民にとってはとんでもないことらしい。というのは、7階というのもけしからんのだが、このデベロッパーはマディソン・デベロップメント・グループという会社なのだが、ホーム・ディポやコストコ、セーフウエイ、LAフィットネスといったナショナル・チェーンを主要顧客にしているため、そのままの開発だとこの地区のアイデンティティを壊す可能性もあるからだ。
 市役所は古い建物を保存しようとしているのだが、経済的な成長が保全より開発を促しているようだ。ここらへんの話もイースト・ビレッジとまったく同じで興味深い。
 そして、確かに下北沢とも類似点が多い。私がチェックしたウェブサイトの記事では、この街区にある古い建物の修復をいくつか手がけたリズ・ダン氏が「楽観的なデベロッパー、投資家は、「ホット」な地区をみつけると、簡単に投資回収ができると考えるが、この地区の価値を創造しているのは「注意深い修復事業、そして地元のテナントの創造的なビジネス」である」と述べている。 そして、新たな開発によって消去されてしまうコミュニティのアイデンティティやユニークさは、ほとんど二度と戻らないと前述したダン氏は述べている。
 これは実はまさに下北沢にも言えることだ。下北沢は、都内でも吉祥寺、高円寺などとともにカウンター・カルチャーの聖地であると捉えられている。特に、演劇、インディーズ・ミュージックの点で、そのことは指摘できる。加えて多くのローカルなカフェ、そしてローカル(一部はチェーン)の古着屋が数多く立地し、その結果、広範囲の集客力を有している。
 しかし、それを単に井の頭線と小田急線の結節点である交通の利便性の高さに起因すると考え、その集客力の大本であるローカルのテナントを排除し、ナショナル・チェーンにおいて入れ替え、より土地当たりの売り上げを増やそうと考えているのが、下北沢の26メートル道路計画の背後に見え隠れする。その証拠に、最近では、下北沢に店舗を構えるテナントの多くは利益を出していないのに、テナント代が高くて、多くの個人オーナー店は青息吐息である。これは地主がテナント代を強きになって下げるどころか上げたりするからであるが、集客力の大本である個人オーナー店を排除して何を考えているのだろうか。ユニクロで買い物をするため、スタバでコーヒーを飲むためにわざわざ多くの人が下北沢に来ている訳でないことがなぜ、分からないのであろう。と思ったりしていたので、似たようなことがシアトルで展開していることに、グローバリゼーションという巨大なる経済の動きを感じ取ったりもしたのと同様に、下北沢で起きていることは日本だけの問題ではない普遍的な問題であることにも気づかされた。
 まあ、そういうことだから私の学会での「下北沢」の研究発表も予想外に受けたわけであるなと知る。

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(キャピトル・ヒルから観るスペース・ニードル)
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本を読むのに何でエネルギーを遣う必要があるのか、と電子書籍の普及に対して思う [サステイナブルな問題]

電子書籍が普及し始めている。古本屋で目当ての本を探すのに苦労した人などにとっては朗報であろう。しかし、文藝春秋も電子ブックの形式で売り出しているような状況になったりすると、ちょっと考えさせられてしまうことも少なくない。それは、本や雑誌を読むために、わざわざエネルギーを消費することもないだろうということだ。まあ、その消費エネルギーは大したことはないだろうし、本をつくるのにもエネルギーはかかると言われればその通りなのだが、それでも読むのに電気を浪費するというのは無駄なことだと思うのである。

さらに、これはエネルギーとは直接、関係ないかもしれないが私が気になるのは、飛行機の発着時においてである。飛行機の発着時においても、iPadで電子書籍を読み続ける人が多いことは結構、気になる。これに関しては日本人は比較的お行儀がよいが、アメリカ人はマナーがなっていない人が多すぎる。電気機器は電気を落とせとアナウンスされていても、まったく無視して、iPadで電子書籍を読んでいる。私が注意をしたりすると、平気で逆ギレされたりして、本当、アメリカ人は野蛮であるなと思わさせられる。私は飛行機の中では、普通に本を読んでいるので誰にも迷惑をかけていないのだが、なんで飛行機でもあえて電子書籍を周りの人達にまで迷惑をかけて読まなくてはいけないのか理解に苦しむ。本当、電子書籍はエネルギーを使うし、無駄な行為ではないかと思う。

電子書籍が好きな人は、一生懸命、「自炊」という行為で本を裁断してスキャニング(これもエネルギーを消費する)して、本が軽くなったと得意に吹聴したりするが、私ははっきりいって愚行そのものだなと思ったりする。私は、蔵書が多い。これはこれで問題だとは思うが、本の背表紙は私の記憶の外部装置である。本の背表紙をみながら思考をしたりする。これは、iPadのBookreaderや、コンピューターのウィンドウ機能では決して代替できないものだ。そして、私は本やCDやDVDに囲まれている空間によって癒されるのである。これは本屋やレコード屋でも感じられることで、確かにamazonで購入することは多いが、それでも時折、本屋やレコード屋に行くのは、そこで自分が想像もしなかった興味深い本や、以前、欲しかったけど購入し忘れたCDと出会ったりすることを楽しみにしているからだ。

まあ、物体としての本の価値、さらにはそれらを鑑賞することに電気エネルギーを使わないことを考えると、電子書籍はそんな有り難い存在ではないし、私的には古本など「物体としての本」が得られないもの、もしくは「物体としての本としての価値もないもの(例えば、週刊ポストや週刊マガジン)」を入手する以外に使い道は大してないなと思ったりする。
タグ:電子書籍
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残念だが、平均的な日本人の多くは将来の日本の課題を現時点で解決するような能力を持ち合わせていない [サステイナブルな問題]

ゼミ生と合宿に行く。現在3年生のゼミ生は、どうも買い出しを計画的に出来ないらしい。余計にお酒などを購入してしまい、飲みきれなくて困るそうだ。そして、最終日に4年生とかが無理をして飲んでしまう。さらには、なんと、その無理をしている4年生に「よく、そんなにお酒が飲めますねえ」などと言うそうだ。一回ならまだしも、夏合宿もそうだったので、まったくその失敗から学んでいないようなのだ。

さて、ここで言いたいことは、私のゼミ生の無計画性に関してではない。指摘したいことは、酒の買い出しでさえ計画的に出来ない人達が、将来の年金、財政問題、はたまた原子力発電所が出す放射性廃棄物などについて、思い巡らすことなど到底、無理だということだ。うちのゼミ生はそれほど賢くはないだろうが、それでも恐らく、平均的な日本人よりは分析力などがあると思われる。文系の学生でも経済学部に所属しているので、計画的な思考に関しては、比較的訓練されている筈だ。しかし、そのような学生でも、このような買い出しも計画的に出来ないという状況を踏まえると、信じたくないことかもしれないが、それが大方の日本人の計画的能力なのであろう。それが現実である。よく考えれば、私のゼミ生は、お酒の買い出しが計画的にできないだけでない。試験勉強もそうだが、卒論の研究計画などもまったくできない。

つまり、平均的な日本人の多くは、おそらく年金問題、財政破綻問題、さらにはエネルギー政策など、将来の日本の課題を現時点で解決するような能力を持ち合わせていないのだ。大変、残念だが、それは目を逸らしてはならない問題だ。そして、このようなことは全く本意ではないのだが、民主主義の敗北にも繋がるような事態なのではないかとも思ったりもする。民主主義的な解決方法に拘ると、消費税を10%上げるという極めて現実的な施策を党が打ち出しただけで離党するという将来の日本を担う責任が皆無のような国会議員が出てきてしまうのだ。そして、原発を翻すような力も一般大衆は持っていないのではないだろうか。「原発」国民投票の無関心さを知るにつけ、ちょっと絶望的な気分にさせられる。さらに石原慎太郎や橋下知事の人気の高さは、一般大衆が民主主義を自らの手でしっかりとコントロールできない時にファシストに依存してしまうという状況そのものだ。戦前のドイツを彷彿とさせる。過去の歴史は繰り返すのだろうか。

いやはや、ゼミ生が買い出しも計画的に出来ないという現状を目の当たりにして、私は怒るというか不平を言う前に、この国が抱えているとてつもない問題を知り、暗澹たる気持ちになって、言葉も失ってしまっているのだ。茫漠たる不安と無力感に襲われているのである。

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神保町の書泉グランデが様変わりをしていてショックを受ける [サステイナブルな問題]

私がおそらく人生で最も本を購入した本屋は神保町の書泉グランデであると思われる。それは、圧倒的に都市・建築系の書籍の在庫が充実していたからである。とりあえず、書泉グランデに行き、都市・建築系の本をチェックし、場合によっては環境もの、地理もの、歴史ものなどの本をチェックする。決して、ディスプレイがいい訳ではない。いや、むしろ雑然としていてドン・キホーテと相通じるようなところもあった。しかし、それがむしろ本が収まりきらない研究室を彷彿とさせ、私の好奇心を惹いていたのである。近くには、圧倒的な床面積を誇る三省堂、洗練された雰囲気が漂う東京堂書店などがあったが、私の足が向くのは決まって書泉グランデであった。大手町で10年ぐらい働いていたので、行くのも便利であった。

しかし、職場を白金台に移して、神保町も遠くなった。家も東京の南で借り、神保町や秋葉原に行く機会はどっと減った。書泉グランデもあまり行くこともなくなり、本屋自体へ訪れることも減った。まあ、通勤途上にろくな本屋がなくなったためでもあるが、結果、アマゾンで本を購入することが多くなってしまったのである。

とはいえ、本屋は、アマゾンなどとはまったく違った購入体験ができる。そもそも、アマゾンと違い、本屋は圧倒的に情報発信力がある。アマゾンは極めて主体的に本を探すことになるが、本屋では受け身でありながら、自分が興味を持っているものが何かを知ることができる。関心など持っていないと思ったテーマの本に興味を惹かれたり、また、自分が知らないことなども本の展示から知ることができたりするからである。

アマゾンもここらへんの欠点を補うために、「あなたへのお勧め商品」、「この商品を買った人は、この商品も買っています」などの情報を提供してくる。それらは、たまには役に立つこともあるが、本屋での圧倒的ディスプレイ量による情報発信に比べると、まだまだ今ひとつである。私はどれほど、書泉グランデで本の衝動買いをしたであろうか。そして、それらの衝動買いによって、自分の器をどれほど押し広げることができたであろうか。

そのような経験をさせてくれた書泉グランデが、模様替えをして、鉄道、ミリタリー、プロレス、漫画、精神世界などの、いわゆるオタク受けするジャンルにのみ特化した品揃えをするようになってしまったのは本当に残念。まあ、40歳代の後半である私は、もう押し広げるような器をも有していないかもしれないが、20代、そして30代の人々に、そのような機会が提供できなくなるのは残念なことである。

私は悔しくて、その足で東京堂に寄ったのだが、やはり書泉グランデと比べると質はともかく量において大いに劣る。返す返す、もったいなく残念なことであると思う。

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八ッ場ダムが建設再開したら民主党はお終いだろう [サステイナブルな問題]

民主党の選挙公約であった八ッ場ダムの建設凍結がどうも反故になりそうだ。私はこれまで基本的に民主党を支持してきた。3月11日の災害、そしてその後の原発事故の対応も決して評価できたものではなかったが、自民党が政権を握っていたら、より酷い状況になっていたであろうと考えていた。まあ、腐っても自民党よりまし、ということで民主党を支持していた。国家公務員の給与削減や年金問題への対応なども、民主党がしっかりしていないということよりかは自民党が足を引っ張って実現を阻んでいる、抵抗勢力は自民党であるという構図が明らかになり、私は民主党より野党である自民党のろくでもなさがより顕在化したと捉えていた。

しかし、選挙公約であった八ッ場ダムの建設が再着工したら、私だけでなく多くの人の堪忍袋の緒が切れるであろう。八ッ場ダムを阻止できずに、政府主導の施策などできる訳がない。経産省は優秀だ。民主党ではなかなか手強すぎるところがあるかもしれない。さらに、国土交通省にまで舐められたら、もう今後の展望はない。話にならないだらしなさで、私の一票を撤回したいぐらいだ。

そして、このように思うのは私だけではないであろう。そして、このような既存の政党の駄目さ加減が、橋下知事のような危険なカリスマの人気を高めていき、まあ、明治維新のようにうまくいけばいいが、下手すると第二次世界大戦への突入といった危険な状況に日本を晒すことになる。などと書きつつ、既に、年金問題、肥大化する国家公務員の支配力、そして東日本を中心にばらまかれた放射能、などを考えると、もうこの国もお終いになるのかもしれないなあ。民主党が終いになるのはいいが、日本がお陀仏になるのは出来れば回避したい。
タグ:八ッ場ダム
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飯舘村のパーマカルチャー農家である村上真平さんの話をまた聞かせてもらう [サステイナブルな問題]

飯舘村でエコビレッジづくりをされていたパーマカルチャー農家、村上真平さんに私の大学の講義に講師として来ていただき、いろいろと話をしていただいた。村上さんの話を聞くのはこれで二度目。初めてお話を聞かせてもらった時、感銘を受け、私の大学の講義に来ていただいたのである。幾つか、感銘を受けたお話を箇条書きにさせていただく。

1)貧しい国々があるということは、豊かに成りすぎる国があるということだ。これは分配の問題である。発展途上国という呼ばれる国々は、植民地時代からずっと搾取されてきた。TPPとか国際ルールで進んでいるように思えるが、そういう国際ルールは先進国によってつくられていて、それらは発展途上国という国々からすれば不条理である。植民地時代は軍隊が強いところが総てをとってもいい、ということになっているが、現在は経済が強いところがコントロールをする。

2)今の社会は経済性が善であり、経済性がないものは悪であるというような考えである。タイの農村は経済性を優先したことで、すべて禿げ山となって、すべて裸になって焼け焦げた風景を見たことがあるそうだ。

3)生きていくうえで必要なものは、水、空気、食料、家、衣服である。金がないと生きていけないというが、金がなくてもこの5つがあれば生きていくことができる。飯舘村は地震でもまったく大丈夫であった。地震は上記の5つに被害をもたらすことは、修復可能な家以外はほとんどなかった。
 飯舘村は震災が起きた後も、米の備蓄は、2年くらいはある。保存食も十二分にある。水もある。隣の自治体で津波の被災を受けた南相馬市、相馬市などを援助する準備もできているとさえ考えた。エコビレッジである飯舘村は災害においても持続可能性を維持することができたのである。
 しかし、フクシマの原発事故で、食料、水、空気が汚された。これらが汚されたら生きていくことは、もはやできない。飯舘村だけでなく、フクシマ原発周辺で150万人が放射能管理区域に住んでいる。これをどう捉えるのか。恐ろしいことが起きている。

 上記以外にも貴重なお話をしていただいたのだが、私の印象に強く残ったのは以上の話であった。
 フクシマ原発の事故以来、煮えたぎるような怒りは徐々に風化され、諦めにも似たような気分になっていたが、村上さんのお話を聞いて怒りを新たにした。最近では左翼系だけでなく、右翼系も反原発に動いているらしい。国土がなくなったら神国も何もなくなってしまう。神国を汚す原発を撤廃というのは、右翼も許せないことなのであろう。原発推進派はまさに母国をも陵辱することも恥ともしない金の亡者ということであろうか。国土が、人が住めないような状況になって、エネルギーの不足も地球温暖化もない。原発推進者は村上さんを始めとした飯舘村の被害者の人達の目を直視して、原発推進とそれでも言えるのであろうか。

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TPPに加盟することに賛成する農家の話を聞く [サステイナブルな問題]

神奈川県の農家の方とお話をする。この方は地産地消に力を入れており、95%が直売。農協には5%しか卸さない、というか卸したくても直売でほとんど売れてしまうので卸したくても卸せないそうだ。この農家の方はTPPに賛成であると強く主張する。なんで反対するのか分からない、とのこと。実はこういう農家は多く存在する。この方も、他の農家の人からなぜTPPに賛成なのかと問い詰められ、理路整然にそれを賛成する理由を説明すると、多くが納得するそうだ。なんか、マスコミとかが報道しているのと実態は違うような気がする。この農家の方が私に話してくれたことを以下、箇条書きする。

・国内を豊かにするためには、よそから注文を取れるような国にしないと駄目。いいものをつくれば農業でも対抗できる。TPP賛成で、農家は被害を受けるというが、それは売れないものをつくっていることがいけない。農家自体が食べたくないようなものをつくっているのに、それを売っている。それじゃあ、人々は買わない。自分たちが住んでいる地域において、身体が欲しいものは海外の農家は分からない。これに関して、日本の農家ほど情報が理解できるものはいない。そこの土地に生まれ、そこの土地の旬のものを食べていれば、健康に差し支えない。それでずっと日本人は生きてきた。それをTPPが解禁になったからといって、他のものを買いますか。
・消費者は安いものからといって飛びつかない。今、ホウレンソウは一束50円で売られているが、それが安くなったからといって売れない。安いからといって腹一杯食べないのと同様。
・野沢菜は長野の雪の中で食べるから美味しい。それを関東に持ってきて食べても美味しくない。そういうのが旬の味である。
・農家が反対というよりかは、農業団体が反対している。農中金などの上から反対がしている。米がよそから入ってくると、米が暴落すると言われるので、農家の人はそれを呑み込む。TPPを農家が反対するのは、農協の中央会が反対して、トップ・ダウンで反対しているから。これに反対するといろいろと支障が生じる。したがって、反対できない。
・中国なんかは日本の米を輸入している。中国は日本の3倍くらいの値段で買っている。関税がなくなれば、それでも高いままで輸出することができる。中国の税金が減るだけという話だ。
・今でも、オランダから野菜が入ったり、ニュージーランドから果物が入っていたりする。しかし、それは旬の味がしない。旬のものでなければ、本来的には身体が欲しない。
・政治家が反対する理由を一生懸命つくっていた。自民党が政権を取るために、わーわー言っているだけだ。しかし、TPPの中身を誰も分かっていない。それよりも、もっと国会でやらなくてはいけないことは、大震災の復興の仕事をしなくてはいけない時に、総理大臣が外国人の献金とかで足を引っ張っている。震災を受けて、まる一ヶ月、民主党は震災地を歩き回ったが、自民党は何をしていたのだ。菅さんは震災後、寝ずに頑張っていた。むしろ、本当に仕事をしなかったのは自民党。自民党には本当に呆れた。
・日本の国の政治家は主導権を握りたくてしょうがないので、足を引っ張りあっている。国会は延長すればするほど、一日何億もかかる。これこそお金の無駄である。国会議員を3分の1に減らせばいい。
・TPPを反対する人もいるかもしれない。しかし、会社が利益を上げなくてどうするの。TPPに反対してどうする。金がない人に、買ってくれ、と言ったって売れない。金がある人をつくらなければ、農家だって困窮する。私なんて、すぐそう考えるよ。農家が日本経済の活性化と関係ないなんて、あり得ない。
・日本人はそんなバカな人間ではない。島国だから、昔からそれで生計をたてているじゃないか。アフリカなどは隣国に逃げられるが、日本はそういうことはできないじゃないか。日本人を信用しなきゃいけない。TPPぐらいでがたがたするな。
・原発は反対。島国だから逃げられないし、このままだと滅びてしまう。寒ければ服を着ればいい。クーラーなくても死なない。理に合わないことをやっていると腹が立つ。農業は合理的だから、理に合わない原発は腹が立つ。スイッチで止まらないものをつくるな。
・風力発電も問題がある。三浦の剣崎に風力発電があるけど、風が渦巻いて、下の畑の野菜が傷んでいる。農作物があるところではよくない。

そして、こう言って話しを終わらせた。「農家の人はバカのように見えるかもしれないけど、頭使うよ」。いや、本当に仰る通りである。日本の農家の底力と胆力の凄さを知った一日であった。TPPで農業が壊滅するのではなく、農水省や農協の権限が弱くなるというのが、本当の反対の理由なのではないかと思わせられた。

タグ:TPP
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リニモに乗る [サステイナブルな問題]

リニモに乗る。藤が丘から愛知万博跡地までだ。さて、リニアの乗り心地はいいということだったが、果たしてノリ心地は確かに優れていた。加速も優れているし、カーブも坂道もまったく問題なく走行し、これぞ未来の乗り物かと思わされた。しかし、私だけの問題かもしれないが、ネズミよけのようなキーンとする音が絶えずしているのである。これは、正直、耐え難い。このキーンとした音はむしろ加速して、走行音に遮断されることである程度、耐えられるのだが、停止したりするとまた気になってしまう。他の人があまり気にならないことがとても不思議だ。私にとっては、この音は拷問に近いものがある。

タグ:リニモ
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津波の被災地である亘理町、東松島市を訪れる [サステイナブルな問題]

東日本大震災での津波被災地である宮城県の亘理町そして東松島市を訪れる。これまで、津波被災地に行ったことはなく、今回が初めてである。ヴォランティアのツアーの参加者募集のメイリスが来たので、これは渡りに船と参加したのである。参加してみたら、なんと長寿研究会とかいう高齢者の人達のサークルであり、私は高齢者の中にぽつねんと一人、参加し被災地へヴォランティアに訪れたのであった。

さて、被災地に行かなくてはと思っていたのだが、これまで行けなかったのは理由がある。それは好奇心のような気持ちで現地に行ってはいけない、と自制する気持ちが強かったこともあるが、何より原発の被害の方が時間スパンでみると遙かに甚大であり、そのことを考えると何もやる気がなくなってしまっていたからである。フクシマの問題の解決の糸口さえ見えない中、震災地に行く気持ちが湧いてこなかったのである。被災者の子供を受け入れる施設の人の話では、宮城や岩手の津波の被害に遭った子ども達に比べて、福島の子ども達の方が遙かにトラウマを背負っているそうだ。福島のことを考えると、とても津波の被災地のことまで頭が回らないような状況であったのだ。

しかし、私のゼミ生が津波被災地に訪れ、「日本人は行かなくては駄目だ」と言うので、その通りだな、と思っていたところ、前述したメイリスが来たので参加したという次第だ。ちなみに、そのために、私はこれまで皆勤していたゼミ対抗のフットサル大会を欠席した。

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(上はすべて東松島市)

実際、訪れた被災地の状況は、災害から半年以上経ったにも関わらず、まだその爪痕が痛々しく残っており、その凄まじさを思い知らされた。特に常磐線のレールが津波に100メートルは流されたという話とその状況を見させられた時は唖然とさせられる。徹底的に津波はその町と、そこで営まれていた生活の基盤を押し流していった。家族と家と仕事をも失ったという中年男性には、どんな言葉もかけることができない。唯一、救いなのは子ども達の明るさである。しかし、それを言うと、こちらの人は、あの子ども達も凄まじく悲惨なものを見てしまい、トラウマは深いものがあると言う。

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(東松島市)

ほんの300キロメートルぐらいしか離れていないところで、こんなに壮絶なる経験をした人達がいることに、改めて衝撃を受けてしまう。とはいえ、この津波は天災である。恐ろしいほど悲惨ではあるが、受け入れることはできなくはない。しかし、フクシマは人災だ。この違いは大きすぎる。酷い言い方かもしれないが津波とは共存できる。しかし、原発とは決して共存できない。この災害をもってしても原発と袂を分かつことができないのは、福島の人達だけでなく、津波の被害者にも恐ろしく失礼であり無神経なことなのではないかとも感じる。

閑話休題。

被災地にとことこと訪れることは、津波の被害者の気に障るのではないかと思ったが、実際は歓迎してもらえた。ヴォランティアをすることで大いに癒されたのは私であった。ちょっと救われた気持ちになる。そして、一緒にヴォランティアをしていた長寿研究会の高齢者の人達の優しさ、人を助けようという純粋なる気持ちに、私もちょっと心を洗われたような気分になった。一緒にヴォランティアをした人達は私の母親と同じくらいの年齢である。ちなみに、私の母親は同時期、ネパール旅行をしていた。70を越えて、相変わらず、自分の快楽のためだけにお金を使うような母親に育てられた私は、高齢者に対して非常にネガティブなイメージを持っていたのだが、高齢者も母親のような人だけではないのだな、ということを知ることができたのは大いなる救いであった。

あと私がしたヴォランティアとはパラソル喫茶といって、仮設所で豚汁やコーヒーなどを差し上げるというものであった。私はコーヒーを煎れることは得意なので、それも楽しめたのであった。

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ノルトライン・ヴェストファーレン州のエコセンター所長の講演 [サステイナブルな問題]

ノルトライン・ヴェストファーレン州のエコセンター所長であるマンフレッド・ラウシェン氏の講演会を大学で開催する。ラウシェン所長は、日本滞在中は来日した今日しかないということで、無理矢理、時差ぼけの中での講演を依頼したにも関わらず、ボットロップのスマートシティ・プロジェクトやドイツにおける再生可能エネルギーの話などをしてくれた。ポスト・フクシマにおける日本がどうあるべきか、ドイツは多くのヒントを与えてくれると同時に、このフクシマ原発の危険性を我々に教えてくれ、そしてマスコミや政府の欺瞞性を暴いてくれているのがドイツのマスメディアであり、ドイツの科学者達である。少なくともフクシマ原発に関する情報においては、私は今、ドイツを日本より遙かに信頼している。そして、そのドイツにおいて再生可能エネルギーの普及に全力を挙げているのがラウシェン氏である。話が面白くない筈がない。ということで、とても充実した講演だった。
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ドイツの再生可能エネルギー供給会社は、フクシマ原発事故以降、顧客が倍増した [サステイナブルな問題]

ドイツの再生可能エネルギー供給会社Naturstromの話を聞く。Naturstromは、昨年、ドイツ政府が脱原発を止めて原発の運転期間を延長すると発表して以来、電話が鳴りっぱなしの状態になった。自分の家だけでも原発ではない電力を使いたいと思う人が増えたからだ。さらにフクシマ原発の事故以降、急激に顧客が増えた。これまで10万人の顧客がいたのだが、フクシマ原発の事故から半年で10万人ほど顧客が増えた。フクシマ原発の事故で、それ以前から既に増えた顧客がさらに倍増したのである。

私もドイツに住んでいたら、絶対Naturstromと契約していると思う。そう思っている人は私だけではない筈だ。ということで、日本には需要はあるのだが供給はされない。どうして、こうなるのか。

それは、ドイツでは法律でいろいろと再生可能エネルギーを普及するための支援をしているからであろう。発送電分離は当然であるが、さらに送電を管理している会社は、再生可能エネルギーによって生じる電気を優先的に購入しなくてはならない。

再生可能エネルギーを普及させるうえで問題となっていたのは、4つの大電力会社は大きなシステムで発電していて、規模の経済を発現させ安い電力を提供することができるため、そもそも普通の状況では、価格的には再生可能エネルギーでは市場競争すらできなかったことである。さらには、ドイツ国内の場合、引っ越してくると、その市に属している供給会社に自動的に登録される。そういう市は4つの電力会社の子会社である。生産コストが安いが、独占されているので、あまり電力価格は安くない。しかし、ちょっと電力会社を変更する手続きは面倒臭いので、変えない人が多かったことである。

そのような状況は最近では随分と改善しつつあり、再生可能エネルギーも、現在では規模の経済も発現しつつあり、技術開発も進んだこともあり、価格的にはほぼ大手電力会社のそれとほぼ同じとなっている。Naturstromのポリシーは国策を待たないことである。顧客は、一ワット当たり23セントくらい支払うが、そのうち2セントが将来投資。これは新たな設備への将来投資に振り分けられる。2セントは年間にすると数億円。それで将来設備をどんどん増やしたり、革新的な技術開発にも投資したりするようにしている。現在、再生可能エネルギーはドイツでは20%にまで及ぶようになっている。

ドイツでも再生可能エネルギー導入のうえで大きな障壁となるのは4つの電力会社である。再生可能エネルギーが増えるということは、これらの電力会社が損益を減らすことに繋がるので、再生可能エネルギーは今ひとつである、との評判を流したりする。

しかし、ドイツにおいては国民が脱原発を訴える政治家を支持することで、政策を変え、そして、消費者として再生可能エネルギーを積極的に購入、支持し、さらには将来への投資を通じて、脱原発を現実的なものへとさせていった。この話を聞いて、私はドイツにできて日本にできない訳がないと確信した。とはいえ、障壁は多く立ち塞がっているだろう。一つ一つ、壊していくしかない。

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ドイツのエコ・センターのラウシェン所長から再生可能エネルギーのお話を聞き、風力発電のポテンシャルに気づく! [サステイナブルな問題]

ドイツのエコ・センターのラウシェン所長に取材する機会を得る。そこで、地域のエネルギーの自立、そしてその有力な手段である再生可能エネルギーの話を聞く。ラウシェン所長は、地域でエネルギー自立は可能であるという。人口規模が小さいがバイエルン州では既に、エネルギー的に自立している地域があるという。もちろん、石炭などの化石エネルギーではなく、再生可能エネルギーでの自立である。ドイツでは、再生可能エネルギーの中でも特に風力発電に力を入れている。これは、価格面が一番の理由だそうだ。現在、ドイツでは発電量単位での価格は風力発電が一番安いのだそうだ。原子力は?との私の質問に、「何をバカなことを」と言わんばかりの表情をされて、「風力発電は当然だが、太陽光よりも高い、というか一番高い」と言った。

さてさて、そんな高い原子力の建設をなぜ日本は推進してきたのか。それは、原発がメチャクチャ高いためだ。こんな高いものをつくれば、建設費、工事費はもちろん、多額のお金がその地域にばらまかれる。ゼネコン、原発メーカーだけでなく、地方でもその危険を顧みずに原発を歓迎するのは、それがお金を落としてくれるからだ。それじゃあ、そのお金はどこから来るのかというと税金とバカ高い電気料からである。原発が55基もあっても、日本の電気料は高い。というか、原発が55基もあるから、日本の電気料が高いともいえよう。太陽光は難しい面もあるが、風力であれば、相当いけそうだ。

私は風力発電機が嫌いであった。それは私が巨大構造物恐怖症であるからだ。エアーズ・ロックやハーフ・ドームなどの巨大な自然を見ると爽快な気分になるのだが、巨大なガスタンクやらタワーなどが嫌いなのだ。新東京タワーも当然、嫌いだ。しかし、この風力発電機の可能性に気づいた後は、風力発電機の巨大さが、恐怖をもたらすものというよりかは頼もしいものへと思えてきた。日本ももっと風力発電機の可能性を追求していくべきであろう。風車の文化は乏しいかもしれないが、構造的には台風が来ても大丈夫なものがつくれるらしい。どんどん日本中に風力発電機を増やしていきたい。

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バイオマスに取り組むシュタインフルト地方を訪れる [サステイナブルな問題]

バイオマス・エネルギーを再生エネルギーの基幹として位置づけようと試みているシュタインフルト地方を訪れる。ミュンスターからさらに電車で1時間。オランダ国境に近いところである。最大の都市はライネ。その面積は1793キロ平方メートルと、香川県よりちょっと小さいくらいである。そこに人口44万人である。その土地のうち3分の2が農地である。

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(シュタインフルト地方はミュンスターラントの水郷地帯にある)

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(美しい街並みの街の中心部)

この地域ではエネルギーの輸出入をなるべく少なくして、エネルギーを購入するために地域外にお金が出ないように努めているそうだ。これは最近ではドイツ全般で共有している考え方であるが、その嚆矢となったのが、このクライス・シュタインフルトであった。そのために再生エネルギーに力を入れており、ドイツ全体の再生エネルギーが総エネルギーに占める割合は17%なのに、ここは36%まで達している。その割合は、太陽光5%、風力16%、バイオ7%、ごみ発電7%である。

さらには、電力の使用も減らしている。再生可能エネルギーを増やすのと同時に、使用エネルギーも減らす。もしかしたら、そうすることでエネルギーを他地域に輸出することさえできるかもしれないとも役所の人は期待している。暖房に関しては、自給自立は難しいかもしれないが、それ以外のエネルギー使用に関しては可能性があるかもしれないと考えているそうだ。

地域におけるエネルギーの自立。日本のようにエネルギー自給率が4%の国では想像もできないような取り組みのように思えるが、日本の方がドイツより太陽光、風力、バイオ、ごみ発電、すべてにおいて有利であるように思える。あと、節電は個人レベルでは得意である。現在のエネルギーの大量消費は、原子力発電を使っているので、電力が垂れ流しになっているので仕方なく消費しているだけである。なんか、シュタインフルトの取り組みを知ると、日本でもエネルギーの自立が可能なのではないかとさえ思えてくる。特に、地域レベルで取り組めば可能なのではないだろうか。少なくとも、今より外部(原発を含む)への依存度を減らすことは可能であろう。

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ドルトムントの風力発電機を見学する [サステイナブルな問題]

ドルトムントにあるエネルギー会社DEW21が所有する3基の風力発電機を見学した。風力発電機は、ドルトムントの北部にあるイケアの物流倉庫に隣接して建っている。交通は至極不便で、しょうがないのでタクシーで行き、タクシーにはそこで待機してもらうようにした。

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さて、この風力発電機であるが、1基で3000世帯の電力をまかなえるそうだ。1基のコストは2億円。技術的なことはよく把握できなかったのだが、高さは114メートル、羽の直径は70メートルだそうだ。

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一番の課題は、立地場所であり、人家から最低でも600メートルほど離れていないといけないそうだ。これは風力発電機が発する騒音や、夕日がこの風力発電機に当たりできる気持ち悪い影(ディスコ・エフェクトと呼ばれるらしい)などのためである。

ということで、立地場所を探すのが困難であったのだが、フクシマ原発の事故以来、世論の追い風もあり、真剣に探せばもっと立地できるであろうと立地箇所を現在、ドルトムント市役所とDEW21が検討しているそうだ。

原発政策を検討する経産省の「総合資源エネルギー調査会」の委員15名のうち12名が原発推進派であることに難色を示した鉢呂経産大臣を辞任に追い込む(http://gendai.net/articles/view/syakai/132655)ような、下らないことに未だ邁進している事故国である日本に比べ、ドイツでは他山の石ではないが、せっせと脱原発に突き進んでいる。

私は、ドイツが日本より優れているとはまったく思えない。しかし、根源的なところでドイツはしっかりとしている。一方、日本は政治や政府が駄目なために、表面的なサービスとか、個人レベルでの能力や、組織的な協働力といった日本人の優れた点が、すべて帳消しになってしまっている。ドイツにて、日本の駄目さ加減を改めて理解するが、それは日本人の私にとってはとても悔しいことである。

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ユニオン・スクエアのファーマーズ・マーケット [サステイナブルな問題]

ユニオン・スクエアのファーマーズ・マーケットを訪れ、ここを管理するBIDのジェニファー・フォーク代表理事に取材をし、また、ここに出店をしている人々、さらには顧客にも突撃取材を行う。ユニオン・スクエアのファーマーズ・マーケットはニューヨーク市最初のファーマーズ・マーケットである。それは、地産地消を目的としており、1976年に開始された。

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(月曜日は一番、人が少ないといわれるが、それでもファーマーズ・マーケットには多くの人で溢れていた)

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(座るところが欲しいというリクエストに応じて、最近整備されたばかりの椅子とテーブル)

ユニオン・スクエアは「針公園(麻薬を摂取するときに使われる針があちらこちらにおちていたので)」と呼ばれるほど一時期は治安が悪かったのだが、このファーマーズ・マーケット、さらに公園の管理を市役所からユニオン・スクエア・パートナーシップというBID(Business Improvement District)組織へと委ねることで状況は徐々に改善していく。

このファーマーズ・マーケットは、月曜日、水曜日、金曜日、土曜日の朝8時から午後6時まで開催されている。ここに出店できる人は、マンハッタンから200マイル以内で取れたものを、仲買人ではなく取った人が直接、販売するということが条件となっている。実際は販売されているものが取れた場所は、平均するとマンハッタンから90マイルの距離となっている。ピーク・シーズンともなれば、グリーンマーケットは週に25万人をも集客する。

このユニオン・スクエアでのファーマーズ・マーケットが成功したこともあり、現在では53カ所、そして230の農家、漁師などが参加している。ニューヨークというまさにコンクリートと鉄のジャングルのような大都市において、このように「食べ物」という、生きていくうえでの根源的な資源を安全に、しっかりと確保できるというチャンネルを構築できているということは感動的ですらある。これは、例えばアイダホのジャガイモ畑のレストランで、新鮮ではなく冷凍食品のフライド・ポテトを食べた経験のある私にとっては、もう驚愕することなのだ。すなわち、最も自然というか土からかけ離れているように思えるニューヨークの方が、アイダホのレストランよりも新鮮な食料にありつけるのである。

市場経済により流通の効率化が図られ、食文化や食の崩壊が最も進んでいると思われるアメリカにおいて、その経済をリードするニューヨークの足下においては、むしろローカルな農業や漁業を保全し、効率性を無視した地産地消のネットワークを構築しているのである。そして、このようなことが出来るからこそ、ニューヨークはアメリカにおいて特異な位置づけを確保しているのではないかと思われる。

私はニューヨークに何回か訪れているが、今回のニューヨーク訪問ほどニューヨークを見直したことはない。ハイライン、ブロードウェイの歩行者天国化、ブルックリン・ブリッジ・パーク・・・ニューヨークには絶望ではなく希望がある。そして、その希望を支えているのは、このファーマーズ・マーケットが象徴する自然、食料、地域との結びつきである。

そして、私が日本に絶望するのは、これら自然、食料が放射能に汚染されてしまったことである。放射能汚染された土地が希望を見出すことは極めて難しい。この希望を奪う原発をまた再開させようとするきな臭い動きが、みられ始めている。短期的な目先の利益に目がくらむ人達だ。しかし、日本が100年後、200年後にも人が住める土地を維持していくためにも、ここは極めて重要である。というのを、ユニオン・スクエアのファーマーズ・マーケットで認識する。

このユニオン・スクエアでのファーマーズ・マーケットでの取材等は、そのうち、公益法人ハイライフ研究所のホームページで公開される予定です。

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ブラジルに新幹線を整備しよう [サステイナブルな問題]

ブラジルは交通網が脆弱である。道路は一応、整備されており、通行料金も取ったりしているが、片道一車線のものが多く、あまり速度は出せないし、追い越しをするのが危険だ。そして、何より、これだけ国土が広いと自動車での移動は苦痛になる。鉄道で移動できればと思わずにはいられない。

しかし、鉄道網は道路網に比べても遙かに脆弱である。貨物はまだメルコスールが設立してからは多少、使われるようになっているが、旅客は一部の観光鉄道を除くと未だに脆弱の一言に尽きる。これは、軌道が4つあるなど、極めて使い勝手が悪いネットワークしか整備されていないからだ。

その一方で、ブラジルの大きな都市は、比較的回廊状に立地しているため、鉄道のようなリニアのネットワークが強みを発揮できる。例えば、リオ、サンパウロ、クリチバ、フロリアナポリス、ポルトアレグレを結んで新幹線とまでいわなくても高速鉄道が走行できる線路をしっかりと整備することの効果は極めて大きいと思われる。広幅員で整備水準の高い高速道路が縦横に走っているアメリカよりも遙かに、高速鉄道の整備効果は高いであろう。

日本はブラジルの新幹線整備計画を積極的に企画提案すべきである。誰もやらなければ、私が勝手にやりたいくらいだ。

タグ:ブラジル
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この国難において、政権打倒のことばかり考える自民党にうんざりする [サステイナブルな問題]

6月7日の朝日新聞の記事から引用

谷垣氏に近い議員は、当面は大連立を見送り、民主党の出方を見極めるべきだとの考えを示し、こう語った。
「大連立の条件をつり上げていけば、民主党は早晩立ち行かなくなって、10月くらいには選挙になるかもしれない」

引用終わり。

この国難において、大連立を取引材料とするだけで、民主党を瓦解させることばかり考えている自民党議員は、その間、被災地がどれほど救済を必要としているのかも想像できないのか。国会議員なんだから、民主党を立ち行かなくさせるよりも、この緊急事態をどうにかすることを優先しようと考えるべきなのではないだろうか。民主党より先に、国が立ち行かなくなっている状況を野党としても深刻に考えるべきであろう。自民党の駄目さ加減には本当、うんざりさせられる昨今である。
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節電気分はもう消え去ったのであろうか? [サステイナブルな問題]

最近は計画停電も遠のき、節電気分もなくなっているようだ。自由が丘の東急ストアを訪れたら、煌々と蛍光灯がつけられていて眩しすぎるくらいだ。そのエネルギーの無駄遣いに私はむしろ嫌悪感を覚えたのだが、明るいと売り上げも増えるのであろうか。しかし、エネルギー代は価格へと転嫁されるわけだから、あまり感心しない。その日の昼には、青山のお茶カフェに行ったのだが、ここは6月上旬であるにも関わらず、冷房がギンギンに効いていた。寒かったので、少し温度調節をして欲しい、とお願いしたくらいである。

それにしても、こういうエネルギーの無駄遣いが、原子力発電所に存在理由を与えているのに、何を考えているのだろうか。というか、これだけ被害が顕在化しているのに、フクシマ第一原発の事故の重大性を人々が軽視していることに驚く。これは世界的にみても、極めて不思議な現象であり、私は自分が日本人であるにも関わらず、薄気味悪い宇宙人のような人たちだなと思いつつある。これは、私が、海外生活が長い(とはいっても人生の20%くらいだが)からかもしれない。ちょっと日本人を客観的にみる癖ができてしまっているからかもしれない。とはいえ、私は、この放射能を恐れないで、なぜ人々は平気でいられるのか、ということや、省エネルギーに向かわないことや、原発を相変わらず支持している人たちがどうしているのか、などを外国人にまったく説明できない。他国の人であれば、宇宙人とか、頭がおかしいだけなんじゃないの、とか言っていられるが、自分の国の人がそうである場合、宇宙人とはいえないし、頭がおかしいで片付けられないからだ。だって、そう言っている自分もそうじゃない。

ただ、分かったのは、あまり人々はニュースやら新聞やらをみないということだ。そして、なぜか原爆の被害を受けたにも関わらず、今回の原発事故がいかに甚大な被害をもたらしたかということに想像力が働いていないことだ。失敗から学ばないと滅ぶ、ということも気にしていないということである。そして、またエネルギーを大量に無駄に消費して、それを背景に原発は増えていくのであろうか。私が外国人だったら、日本人は危なすぎて、殲滅作戦を考えるかもしれないくらいだ。レインボーマンの敵のように。いや、これは本当、皮肉とかでなくて、そう思うようになっている人間は世界に絶対、いるから。これは、海外生活が長く、小学校の時、日本人だからというだけでアメリカで苛められた経験があるからこそ、見えてくる側面であろう。本当、今、アメリカで小学校とかに通っている日本人は結構、苛められているであろう。日本の千葉だって、福島県民を苛めるくらいだからね!

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海外に呆れられている内閣不信任案提出 [サステイナブルな問題]

菅首相の内閣不信任案は否決された。しかし、この緊急時に内閣不信任案を提出するような愚行は、海外から厳しい評価が為されている(朝日新聞2011年6月3日)。

米外交問題評議会のシーラ・スミス上級研究員は「この非常時に、政治家達は本来、政策を競い合うべきだが、残念ながら真剣な政策論争は聞こえてこない」と指摘。「この種の権力闘争は、誰も幸福にしない。特に被災地の人たちのことを思うと悲しくなる。日本の人々は復興に向けて懸命な努力をしているのだから、よりふさわしい扱いを受けるべきだ」。

英シェフィールド大学のヒューゴ・ドブソン教授。「この時期の不信任案は最悪で、不幸なことだ。誰も勝者はいない。」

中国・精華大学国際問題研究所の劉江永教授。「国際社会が日本に期待するのは震災復興や原発事故の処理をきちんとやることだ。こんなことでは、中国の国民は『日本はおかしい』、『信頼できるのか』と思う」

一方、谷垣さん。「流星光底長蛇を逸す」。戦国時代の上杉謙信があと一歩で武田信玄を討ち取れなかった様を描いたという漢詩「川中島」の一節を引用した。この国難において、上杉謙信気取りだったのか、と唖然とする。原発の事故と震災で、自分達が守るべき、自分達を信託した人々が艱難辛苦を乗り越えようとしている時に、隣の大将を討ち取ろうとの戦ごっこ気分であったのだ。ちなみに、隣の大将は、腕は悪いし、ちょっと性格も今ひとつかもしれないが、この難題に取り組もうとしているのだ。そうでなくても、足下がふらついているのに、後ろからタックルするような卑怯な真似をしておいて、上杉謙信気取りなのか。改めて、国民のことなどまったく考えていない人なのだな、ということを確認する。そして、結局、一国会に一回しか使えない、ジョーカーの内閣不信任案を提出、否決されるという失態を演じ、自民党の無策ぶりを露呈した。石原幹事長も早期提出を押していたそうで、本当、この人もお気楽だ。自民党では唯一、まともに思えたのが石破政調会長で「小沢チルドレンが決起するという誤った情報に踊らされて高揚したのは間抜けなことだ」と言ったそうだが、本当、この国難において、国民の不評を買い、政争的にも失敗して、あまりにも間抜け過ぎる。とはいえ、国民のことなど考えていない、ということでは小沢さんも同様だ。小沢さんはちょっと期待していたので、本当に今回のことでは失望した。

しかし、つくづく思うのは二世議員の浮世離れ加減である。まあ、今回の件で多少はまともに対応したようにみえる石破さんも二世議員ではあるが、結局、この二世、三世という世間知らずの人たちが、勝手に、国政を牛耳って、好き勝手やってきたのである。それでも国がまわってきたのは、三流の政治でも生活できる一流の市井の人々、そして国際比較をすると相対的に一流の行政職員が昔はいたからである。しかし、このような国難においては、こんなお坊ちゃん、お嬢ちゃん政治家ではやっていけない。私は、これを機会に、二世議員は同選挙区から立候補できないというアメリカなどでは当然のルールを設けるべきだと思うのである。ドイツでも二世議員はほとんどいないが、これは国民が二世議員などろくでもないことを知っているからだ。二世議員がいなくなることによって、政治は格段に向上すると思われる。せめて、今回の政治家の馬鹿ワルツにつきあわされた国民としては、それぐらいの落とし前をつけさせるべきだと思うのだが、どうであろうか。

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