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アメリカでは自動車が運転できなくなると、ほとんど監獄に入ったような状況になる [サステイナブルな問題]

知人であり、私が翻訳をした『世界が賞賛する日本の秘密』の著者であるチェスター・リーブス氏とアルバカーキーで会う。彼はサンタフェに住んでいるのだが、二日前に高速道路で事故を起こし、アルバカーキーの病院に搬送された。私は、いろいろとスケジュールが詰まっていたのと、自分のスケジュールもよく分からなかったので、彼にサンタフェからアルバカーキーまで来てもらうのも悪いし、逆に自分がサンタフェに行くのも時差があり厳しいので連絡をしなかった。しかし、彼の知り合いがこのブログを読んで、私がアメリカにいることを知り、彼の方から連絡があった。ということで、連絡をしたら、なんとアルバカーキーの病院にいるというではないか。そこで、打ち合わせがあったニューメキシコ大学の方々とは夕食を一緒にすることを遠慮し、夕方に都心にある病院を訪れる。

さて、交通事故で車は大破してしまったそうだが、彼の身体は奇跡的に擦り傷程度で済んだようだ。彼は日本車で本当によかった、と言っていた。大怪我をしなかったのは不幸中の幸いではあったが、彼は当分、車には乗りたくないと言う。しかし、一方でアメリカで車を運転しないということは、ほとんど監獄に入ったような状況になるとも言って嘆く。公共交通がない訳ではないが、近くのパスは鉄道駅にまでも行くが、ちょうど鉄道が出発して10分後になって着くのでとても不便だという。というのも、この鉄道が一時間に一本も走らないほど頻度が少ないからだ。日本とは偉い違いだ、と落胆し、車を運転できないのであれば、日本に住みたいと半ば、本気で言う。

私はリーブス先生の意見はよく分かるが、実は、日本の地方都市はこのアルバカーキーとかと同じような状況になっている。これは、道路整備ばかりを政府が優先し過ぎるからだ。このように自動車偏重社会にすると、高齢者にとっては非常に不便、杉田聡に言わせれば「命に関わる」ような状況を強いられてしまうのだが、まあ、弱者には厳しいからな、日本も。とはいえ、高齢者にとっては本当、東京は有り難い街であるだろう。ついでにいうと、高齢者にとっては踏切は結構、優しいツールである。なぜなら、踏切があると自動車は高速で走行しにくいし、また踏切があることで自動車交通を敬遠させることができるからだ。下北沢が歩行者に優しいのは、信号がなく、踏切があったからだ。その踏切が先週、なくなってしまった。下北沢に流入する自動車は増えることであろう。そのデメリットはあまり鑑みられず、むしろ開かずの踏切が解消されることのメリットばかりが強調されすぎている嫌いがある。

自動車ばかりを便利にしても、それは自動車が利用できる人達に限られるので、高齢社会の日本において道路整備を推し進めているのは愚行であると、リーブス先生の話を聞いて改めて思う。

ところで、私はレンタカーをしているが、もうこのどこでも自動車で行かなくてはいけない環境には辟易としてくる。ホテルから夕食を取りに行くにも自動車で行かなくてはならない。本当に不便というか、疲れるところであると思う。

このことに関しては、リーブス先生が指摘するように、日本、特に東京は世界的にも秀でていると思われる。リーブス先生の考えに興味がある方は、私が翻訳した『世界が賞賛する日本の秘密』を是非とも読んでみて下さい。


世界が賞賛した日本の町の秘密 (新書y)

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  • 作者: チェスター・リーブス
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2011/12/06
  • メディア: 新書



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