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エリート学生は、その立場を有効に使って、地域・コミュニティづくりに取り組んでもらいたい [サステイナブルな問題]

鞆の浦の「鞆まちづくり工房代表」の松居秀子さんがお話をするというので、聞きに行く。鞆の浦の架橋計画は、私も拙著『道路整備事業の大罪』で紹介したが、その後、一応中止になり、歴史的景観は守られた。しかし、古い町並をどう維持し、いきいきとした町にしていくか、という大きな課題は未だに残る。ということで、話を聞きに行ったのである。

松居さんのお話は、相変わらず気負いはないのだが、その実行力には舌を巻く。どんどんと古い民家等を購入することで、町の衰退を防ぐという手法は、ドンキホーテ的とも思えるが、効果はある。まあ、賢い方法を考えているうちに町は衰退してしまうので、この松居さんのアプローチは学ぶことが多い。

さて、しかし、ここで書きたいのは松居さんのことではない。ここで書きたいことは、この場にいたある東大の建築の大学院生に関してである。この大学院生は、非常にまじめで、現状の鞆の浦の開発優先のあり方に心を痛めていた。松居さんのようなアプローチに協力したいと真剣に考えているようであった。私は、そこで本当に鞆の浦をよくしたいのであれば、広島県に行くとか、国土交通省に行くとか、福山市に行くべきであるとアドバイスした。なぜなら、民主主義国家ではない日本においては、彼らが基本的に都市の開発の方向性を決定するからである。一昨日のブログにも書いたが、小平市の極めて貴重な雑木林を潰してつくる都道に関して、その是非を問う住民投票が決定されることになった。

しかし、例え、この住民投票で、都道は不必要であるとの結果が得られたとしても東京都はただ無視すればいいだけなのだ。要するに、これほど、日本という国においては、住民の民意が政治に反映されることは少ない。特に開発といった問題ではそうだ。それであれば、せっかく東大の大学院にまで行っているのだから、権力側の立場で、住民主体のまちづくりを進めるように働きかければいいのである。いや、それは相当、大変なことであろう。とはいえ、住民サイドに立って、どうにか世の中を変えようとしても、それこそ焼け石に水であるし、東大の大学院に入るだけのエリートの道を進んできたものの責任として、しっかりとエリートとしての立場から、世の中を変えようとして欲しいのである。住民主体のまちづくりに関わろうとしても、そのうち食えなくなって、しょうがなく大学の先生になるのが関の山である。そして、私のように、負け犬の遠吠え、のような本を書くぐらいで、実際の世の中にはまったく影響を及ぼせないような虚しい人生を送るだけである。この頃は、その本でさえ、出版社が相手にしなくなって出せなくなってしまっているような状態だ。

まあ、この大学院生は、私ほどは落ちぶれないという自負があるのかもしれない。そうかもしれないが、まあ、住民側のNPOとかで働いていても、そのうちゴールが大学の先生になることに変わってしまう気がするのである。それは、そういう人達を多く見てきたからだ。しっかりとした問題意識を持った、住民の視点から都市や地域問題を捉えられる人が、行政でもっともっと働いてくれなければ、日本の地域やコミュニティがよくなることはない。私は若い頃、そのような殊勝な考えを持っていなかったが、せっかく、就職する前からそういう問題意識を有しているのであれば、そのエリート的立場を最大限に使ってもらいたいのだ。これ以上、負け犬の遠吠え的な大学教員は、地域にとっては必要ないのである。
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