SSブログ

アメリカのことを悪く言う若者と話をして、逆にアメリカのいい点を思い出す [グローバルな問題]

スウェーデンの若者の投票率は80%近く。それに比べて日本は30%にも満たないぐらいだ。この違いは何なのか、ということでスウェーデンに留学をしていた若者を招いてトーク・セッションを行った。そこで、セカンド・チャンスの話が出たので、私もアメリカのようにホームレスでも頑張れば大学院に行けるようなセカンド・チャンスの機会を社会が設けた方がいいかもしれない、といった発言をした。この私の発言を聞いた、このスウェーデンに留学をしていた若者は、「アメリカのような格差社会はけしからん。あなたが言うことは60年代のアメリカで今のアメリカではない」と凄い勢いで息巻いた。私は60年代生まれなので、私の知っているホームレスが大学院にいった事例(私は直接、この元ホームレスの女性と話をしている)は90年代後半の話だ。そんなに昔ではない。私は、ちょっとこの若者のアメリカに対しての極めて偏った考えと、その考えを堂々と主張する厚顔無恥さに鼻白む思いをしたのだが、このようなアメリカへの偏見というのは、日本人でもある層には比較的広まっているのではないかとも考えたりもした。

アメリカは弱肉強食の厳しい世界であり、その弊害はとても多いと思う。しかし、一方で、公平ではないとの指摘もあるが、公平な側面もある。少なくとも、敗者には厳しいという点は確かにあるが、勝者に対しては、日本なんかよりもはるかに公平だ。また、機会の不平等という側面も指摘されるが、才能のある者に対しては、日本よりもはるかに理解と支援がある。まあ、それはそれで問題がないとは思わないが、あともう一つの利点は、セカンド・チャンスの機会がたくさん与えられるということだ。すなわち、敗者復活戦がしやすいのだ。これは、私のアメリカでの大学院での指導教官であった半分イタリア系のアメリカ人の先生も、「イタリアをはじめとしたヨーロッパ諸国に比べて、アメリカが優れた点」として評価しており、私もそうだなと納得しているアメリカの利点だ。私自身、アメリカの大学院に行ったからこそ、今の自分がいる。大学の教員の職を得て、研究稼業をしていられるのも、アメリカの大学院が、私にセカンド・チャンスを与えてくれたからであって、日本の大学院に進学しようとしたら、今のような生活が出来ていたか、極めて心許ない。少なくとも、アメリカの大学院のカリキュラムは、私のちっぽけかもしれないが、才能を拡張させる機会を提供してくれた。私は日本の大学時代は、東京大学という世間の評判のよい大学に行ったにも関わらず、ほとんど自分の能力を高めるような機会を自らのものとすることはできず、ほとんど落ちこぼれのような状態で社会に出た。社会に出た後、これでは不味い、と思って、どうにか這い上がろうと考えたが、日本の社会のフレームワークでは極めて厳しそうだったので、アメリカに助けを求めたら、救ってもらったようなところがある。

小学校と中学校の一部もアメリカで現地校に通っていたが、日本の窮屈な制度(これは学校だけでなく、同級生といったコミュニティも含めてそうである)には本当に辟易としており、今でも日本に帰国せずに、アメリカの中学校にそのまま通っていれば人生、もっと充実していただろうにな、と思うところがあるぐらいだ。そういう経験をした自分からすると、例えば、マイカル・ムアーの映画が指摘するようなアメリカの社会の悪い側面ばかりを取り上げて、アメリカはろくでもない国だと人の意見もろくに理解しようとせずに一刀両断する若者の視野の狭さは、もったいないなと思ったりする。

私もアメリカはおそらく人類を滅ぼすことになるだろうな、と悲観的に思ったりもするが、この人の才能とか人の可能性を評価しようとする姿勢は、日本やヨーロッパよりもむしろ優れている側面であると考えたりもする。少なくとも、大学においては、個人レベルではともかく、組織レベルでは、日本よりは優れていると思う。そして、この若者との対話で、私は、いろいろとアメリカのことを悪く言う側面もあるが、アメリカに救われ、アメリカのおかげで多少は自己実現をする機会を与えられていたことに気がついた。まあ、アメリカにもいろいろと悪い面も多いが、すべてが悪いという訳ではない。
nice!(1) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1