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韓国人差別をする人たちの愚かさ [グローバルな問題]

最近、なんか韓国バッシングをするマスメディアが多くて、本当に辟易としている。SAPIOなどだ。こういう差別的な意見を恥ずかしげもなく堂々と主張する糞マスコミが跋扈しているのは、三流国の証拠でもあったりするので残念ではあるが、このような背景を分析することはそれなりに価値があるだろう。

弱者やよそ者を排除しようとするのは、いじめとまったく同じ構造なので、これは国レベルの「いじめ」である。このようないじめに対して、被差別者の痛みが分からない、というか想像できないことは、人として相当、社会的に洗練されていないと思う。韓国人への差別は、同朋としての日本人にも向けられる。まさに原発に被曝して、いきなり「弱者」になってしまった福島の人達に対しての姿勢がそうであり、なんかこの国は根源的に意地悪、というかいじめ体質なのではないかと思って悲しくなる。

ただし、日本が世界的な観点からみても、ジャイアン的にいじめっ子として振る舞えると思うのは大間違いだ。せいぜい、強がってみても「スネ夫」の位置づけ以上にはなれないであろう。

私は小学生時代、アメリカのロスアンジェルスで過ごした。その頃、多くの日本人はアメリカの小学校ではいじめられたと思うが、私もいじめにあった。理由は「日本人」であるというよりかは、「東アジア人」であるためであった。「東アジア人」は、ベトナム戦争の影響もあるが劣等民族として当時のアメリカにおいては捉えられていたと思う。ベトナム戦争の時は、「アジア人は果たして人間か」というのが例えば、一部の地域では真剣に議論されていた(アイオワ州のラジオ番組では、これに関して視聴者による真剣な議論が交わされた)。これは、人間でなければ戦争で殺しても問題がないだろう、という理屈をつくりたかったためで、同じモンゴロイドであるアメリカ・インディアンを動物と同様に殺戮しまくった歴史がある国だけあって、私は心底、アメリカに対して怖い思いを抱いた。怖い思いといえば、それから20年ぐらい経って、私はアメリカの大学院に行くのだが、そこでカンボジア人の同級生が、「絶対、南部の州には行かない」というので、どうしてかと尋ねると、「お前は映画『イージー・ライダー』を観たことがないのか。有色人種は無差別殺人の対象になるのだぞ」と言ったので、私は時代錯誤だ、と笑い返したが、そのような被害者意識を持つ彼の気持ちも分からないでもない。

アメリカ人からすれば中国人、日本人、韓国人の違いなどほとんど分からない。十把一絡げである。我々、日本人がデンマーク人とスウェーデン人とノルウェー人の違いがよく分からないのと同じようなものだ。必然的に、アメリカにおいては、同じ東アジア人と同朋的な気持ちになって、東アジア人とは仲良くなる傾向が強かった。私は、小学校の高学年になってリトル・リーグで野球をするようになって、結構、活躍したこともあり、いじめられる立場からは比較的、人気ものになったので(今、思えば人生において一番、人気者であったかもしれない)、結構、白色人種の友人が増えたが、そのようにならなかった私の友達のアメリカ生まれの中国系アメリカ人は、今でも久しぶり(例えば、私が遊びにロスアンジェルスに行った時など)に集う小学生時代の友達のほとんどがアジア系である。ちなみに、彼はドイツ系アメリカ人のゴージャスな美女と結婚したが、数年後に離婚し、莫大な慰謝料を請求された。今では日系ブラジル人と再婚している。

このような人生を送ったものとしては、なんか日本人が韓国人を苛めたり、対立を深めたりするのは、他国の利益にはなっても、日本人にとっては何もいいことはないと思うのである。私としては、そもそも、この苛めの空気が国中に充満していることが不快このうえない。苛めをすることは本人の人格を大きく貶めるだけでなく、それを許容するコミュニティ・社会を脆弱にさせていく。SAPIOは売れているそうだが、こういう雑誌を買うということが、グローバルな観点からは恥ずかしいし、また賢明でもないということの自覚を促したい。

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