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日本創成会議の「東京の高齢者は地方に行け」提案に反論する [サステイナブルな問題]

「地方消滅」などで物議を醸した増田寛也元総務相が座長の民間有識者でつくる日本創成会議が、またまたとんでも提案をしている。それは、「東京の高齢者は地方に行け」という平成版「姥捨山政策」の提案である。

いやはや。この創成会議は、6月4日に「東京など1都3県で高齢化が進行し、介護施設が2025年に13万人分不足する」との推計結果を発表した。そして、ご丁寧にも、施設や人材面で医療や介護の受け入れ機能が整っている全国41地域を移住先の候補地として示して、「高齢者はとっとと都会から地方に行け」と言い放ったのである。

以下、日本経済新聞のホームページの記事を引用する。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS04H2N_U5A600C1000000/

 創成会議は「東京圏高齢化危機回避戦略」と題する提言をまとめた。全国896の市区町村が人口減少によって出産年齢人口の女性が激減する「消滅可能性都市」であるとした昨年のリポートに次ぐ第2弾。
 東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県では、今後10年間で75歳以上の後期高齢者が175万人増える。この結果、医療や介護に対応できなくなり、高齢者が病院や施設を奪い合う構図になると予測した。解決策として移住のほか、外国人介護士の受け入れ、大規模団地の再生、空き家の活用などを提案した。
 移住候補地は函館、青森、富山、福井、岡山、松山、北九州など一定以上の生活機能を満たした都市部が中心。過疎地域は生活の利便性を考え、移住先候補から除いたという。観光地としても有名な別府や宮古島なども入っている。

引用終わり

 確かに、関東1都3県や京阪神においては今後、後期高齢者が増えていく。医療需要が大幅に向上するのは確かだ。10年後には8万床不足するという推計もある。
 しかし、病室が足りないから地方に行けばいい、というか、地方に追いやる、という考えはあまりにも短絡的ではないだろうか。なぜなら、高齢者が豊かな老後の生活を送るのは、病室だけが必要な訳ではないからだ。それまで生活してきた社会ネットワーク、その土地への愛着、馴染みある空間環境の居心地のよさ(周辺の環境は自我の延長である)などと訣別してまで、病室が優先されるとは到底思えない。
 限界集落的な山村に生活される高齢者を、都会に住んでいる子供が呼び寄せて一緒に暮らし始めると、山村に残った高齢者よりも早く亡くなられるという。山村よりも都会の方が医療環境ははるかに充実しているにも関わらずだ。この話を私は群馬県のある限界集落的で生活することを選んだ高齢者の人達にグループ・インタビューした時に聞いた。それまでの村の社会的ネットワークを失い、子供以外に知り合いもいなければ、またまったく不案内な土地で暮らすことは生きる希望を失わせるのだ。病院が近くにあれば高齢者は幸せになるわけではないし、長生きできる訳ではない。「まだ長生きしたいから、この村に残るんだよ」と冗談めかして発言された、この言葉が印象に残っている。この村には医者も病院もない(歯医者はある)。この場合の都会は高崎市であった。
 さて、この創成会議は、高齢者移住の候補地域までもご丁寧に発表してくれている。それらは以下の通り(地名は地域の中心都市。かっこ内は介護施設の追加整備で受け入れ可能になる準候補地域)である。
【北海道】室蘭市、函館市、旭川市、帯広市、釧路市、(北見市)
【東北】青森市、弘前市、秋田市、山形市、(盛岡市)
【中部】上越市、富山市、高岡市、福井市、(金沢市)
【近畿】福知山市、和歌山市
【中国】岡山市、鳥取市、米子市、松江市、宇部市、(山口市、下関市)
【四国】高松市、坂出市、三豊市、徳島市、新居浜市、松山市、高知市
【九州・沖縄】北九州市、大牟田市、鳥栖市、別府市、八代市、宮古島市、(熊本市、長崎市、鹿児島市)
 これらの都市のほとんどが公共交通を有していない自動車型都市である。高松市や高知市、松山市、函館市などあるじゃないか、と言われるかもしれないが、それらの都市も自動車優先の土地利用がなされているところがほとんどであり、さらに函館や大牟田のように急速な人口減少が進んでいる地域である。
 私が高齢者であれば、自動車が運転できなくなった時点で、むしろ買い物難民となってしまうことを避けるために、泣く泣く引っ越さなくてはいけないような都市である。現在、広島とか仙台とかでみられている現象は、郊外に家を持っていた団塊の世代の人達が、都心のマンションに引っ越しているということだ。私の広島の叔母もそうだが、自動車が運転できなくなる前にどうにかしなくてはと思って、郊外の家を売って自動車がなくても生活できる都心へ引っ越した。広島や仙台など100万人クラスの都市であれば、まだ高齢者が生活できる人口密度と公共交通、安全に歩ける環境が維持できている。しかし、上記の都市は、そのような高齢者が生活できるような都市環境がもはや存在しない。強いていえば、北九州市や松山市か。いや、しかし小倉駅周辺でも高齢者が徒歩環境だけで生活できていけるであろうか。まあ、北九州市は行政的には100万都市であるが、実質的には50万都市であるから、相当、厳しいものがあるだろう。
 高齢者が豊かなシルバー・ライフを送ろうと思うのであれば、日本では東京23区が圧倒的にその条件を満たしている。その次は大阪や京都であろうか。本来的には東京は江戸時代から独身男性の都市であったが、その後、あまりにも不公平にも東京に偏重して資本を投入してきた結果、東京が日本で圧倒的に住みやすい都市になってしまったのである。確かに、地方から若者を引き寄せてきた東京が、この若者が高齢化したことによって、大変な状況になるというのは分からなくもない。しかし、無節操な東京偏重政策は、地方を衰退させてしまい、まったくもって縁のない高齢者が住むには、住み勝手の悪いところにしてしまったのである。いや、断定するのはよくない。農作業などが趣味の高齢者には、それほどは悪くないかもしれない。ただ、人口当たりの病床が多いというだけで、東京の高齢者を地方に行け、という単眼的で、また情に欠如したことを平気で言い放てる、この日本創成会議の無慈悲と無見識に一言いいたいのだ。
 というか、医療面でも実は東京は充実しており、その点からも高齢者は東京にしがみつくべきではないかと思う。量の面では確かに大幅に劣っているが、質の面では、まったくもって地方都市とは比較できないほど優れているからだ。私は二度、大手術をしているが、両方とも東京の病院である。比較的、難しい手術であったがまったくもって上手く施術してくれた。このような腕のある先生も地方都市にいるかもしれないが、それは確率論的には低いであろうし、本当に優れた腕をもっている先生は東京に集中していると思われる。私の以前の主治医は、わざわざ地方都市から飛行機で患者がやってきていた。逆のような行動をする人もいるかもしれないが、圧倒的に少数であろう。医療は床だけで判断するものではない。むしろ、介護をされないように日々、しっかりと歩き、体調管理をすることが重要だろう。そして、日々、しっかりと歩くというような都市環境が備わっているのは、実は東京や大阪、京都なのである。
 目先の道路整備という巨大な予算に惑わされ、地方都市中に道路を張り巡らした結果、地方都市は高齢者にとって極めて優しくない、不便な都市環境へと変容してしまった。そして、そのような政策を推進させてきた地方の政治家や有力者だけでなく行政職員も、子供が優秀であればあるほど、東京へと送り出す。地方が外れクジであるような政策をすすめてきた結果が、今のような東京偏重の状況をもたらしたのであり、高齢者が地方に行け、というのは、東京の発展の妨げになるから地方に追いやろうという意図が見え見えである。さすがに地方も高齢者もそんなに馬鹿じゃないだろう。
 そもそも、大学でさえ、人口比率を上回る大学生が東京周辺に集中している。いや、塩爺が都心での大学の増床を許可するよう働きかけた結果、本来、それほど大都市にある必要がない大学でさえ、ひたすら都心志向になってしまっている。厚木の山奥に青学のキャンパスがあった時は、地方の国立大学に進学していた地方の若者も、青山にある青学、淵野辺の麓に降りてきた青学であれば、青学に来るであろう。若者をどんどん大都市に送り込むような環境整備をして、高齢者は地方へ、というのは、地方をあまりにも馬鹿にしているのではないだろうか。
 これは、つまり、高齢者をも、地方をも馬鹿にしている、本当にろくでもない提言であると思うのである。病床がたとえ不足していても高齢者は東京に住み続けるであろうし、そうすべきである。また、病床が不足しているという状況において、政府がへんな横槍を入れずに市場を適当に機能させれば、どうにかして増やすでしょう。それが、市場経済のいいところである。
 もし、私の言っていることに不愉快を覚えたら、日本創成会議こそ、東京都渋谷区などではなく、青森とか富山とかに移転すべきであろう。インターネットがこれだけ普及している今、別に渋谷区にオフィスを構えなくてもいいだろう。高所から偉そうに言うな、というか、なんでこんな人達の言うことをまともに聞くのだろう。豊島区長さん?
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豊島区役所の新庁舎のバブル具合が笑える、というか笑えない [サステイナブルな問題]

 父親の除籍謄本を入手する必要があったので豊島区役所を訪れる。ちょうど、2週間前の5月7日に豊島区役所は、なんと地下3階+地上49階の建物へと移転していた。豊島区役所は増田元総務相が率いるグループに消滅自治体と宣告された自治体である。まあ、その出鱈目な予測の荒唐無稽さには、思わずエイプリル・フールかどっきりかとさえ思わされたのが、どうも増田元総務相は真剣にそのような予測をしたらしい。
 まあ、モデルを盲信すると変な結論が出るという典型的な事例で、呆れ返るしかないなと思っていたら、なんと当の豊島区が慌てているので、二度驚いた、というか呆れ果ててしまった。豊島区が消滅する可能性はゼロではないかもしれないが、それは東京が消滅するぐらいの状況になった場合であり、とりあえず清瀬市、和光市、鳩ヶ谷市、川口市などがすべて消滅した後で考えればいいことである。というか、23区で考えても練馬区、板橋区よりもずっといいんじゃないかな。豊島区が空き家だらけになったら、私が清瀬市に住んでいたら確実に引っ越すね。交通利便性がはるかにいいし、清瀬と違って自動車なしで生活できる。ちょっと考えれば当たり前のことであるのに、まあ豊島区長は慌ててしまって本当に情けない。と思っていたら、こんな49階の建物をつくっちゃったりしていて、本気で消滅すると心配しているなら、こんな高い建物つくるなよな。こういう無駄なことをしていたら、区民に愛想を尽かされるかもしれない。もし、そういうことで豊島区から人々が逃げていくのであれば、それは区政に問題があるからであって、経済的、地理的要因で豊島区から人が逃げだすことはまずない。
 私は本籍が豊島区で、豊島区生まれで豊島区育ちである。高校も隣の区の文京区にある。長女は豊島区の中高一貫の学校に通った。母親は今でも豊島区に住んでいる。まあ、そういう生い立ちであるが、豊島区は嫌いだ。結婚してからは豊島区に戻る気持ちはほとんどない。結婚してからは、杉並区とか目黒区に住んでいるが、そちらの方が断然いいと思う。住んだことはないが世田谷区の方がいいと思う。そういう私の行動から考えても、豊島区がベストであるとは思っていない。ただし、例えば江戸川区や葛飾区、足立区、江東区に住むよりかは豊島区の方がいいと思うし、川口市とか越谷市とか草加市なんかに比べたら、はるかにいい。つまり、豊島区が消滅する時は、ほとんど東京が都市として崩壊した時である。逆に、そのような事態になるのであれば、豊島区が自治体で頑張ってもどうにもならないことである。まあ、もちろん、そういうことは分かっていて、マスコミに注目された機会をうまく使って、プロモーションするような行動をしているのだな、と肯定的に捉えられることも可能だが、そういうプロモーションをしたいのであれば、この49階の高層ビルの市庁舎を建設するのは外しすぎている。
 その後、私は父親の本籍が豊島区ではなく北区であることが分かり、北区の区役所に行ったのだが、北区の区役所の方がずっと貧相で、生活者の視点に立っていてとても好印象を覚えた。私が豊島区と北区の区境に住むことがあったら、北区側に住むかもしれない。まあ、消滅都市というまったく出鱈目な根拠レスの指摘に慌てた時点で、もう豊島区行政は失格に近いが、さらにこの高層のバブリーな市庁舎を建てた事実を確認して、その駄目さ加減を再確認した。

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「石見タイムズ」の小島清文主筆兼編集長の文章から、憲法の重みを考える [サステイナブルな問題]

5月3日の東京新聞の記事に、既に廃刊となってしまった「石見タイムズ」の復刻版が京都の出版社から出されたことが紹介された。この「石見タイムズ」は島根県浜田市の地方紙で1947年に創刊されたのだが、小島清文主筆兼編集長の文章がなかなか重くて、勉強になる。いくつか、東京新聞の記事をさらに要約する形になるが紹介したい。

「民主主義の健全なる発達は個人の教養なくしては望めないし、自らの属する小社会からの改善からはじめなければならない」
 ううむ、本当だ。民主主義を守るためにも、こういうところでしっかりとしないと。

「戦争は(中略)国民を塗炭の苦しみに陥れるだけであって、なんの解決の役にも立たないことを骨の髄まで知らされたのであり、日本国憲法は、戦勝国のいわば文学的体験に基づく平和理念とは全く異質の、敗戦国なるが故に学んだ人類の英知と苦悩から生まれた血肉の結晶である」。

「権力者がいう「愛国心」の「国」は往々にして、彼らの地位を保障し、利益を生み出す組織のことである。そんな「愛国心」は、一般庶民が抱く祖国への愛と字面は同じでも、似て非なるものと言わざるを得ない。」

「主権を自覚しない傍観者ばかりでは、権力者の手中で国は亡びの道を歩む」

「戦争というのは知らないうちに、遠くの方からだんだん近づいてくる。気がついた時は、目の前で、自分のことになっている」

権力を縛るのが憲法である。権力を暴走させない近代の知恵が憲法なのである。権力を握ったものが、その憲法を嫌がり、変えたがるというのは、それだけ、この憲法が独裁者から国民を守っていることに他ならない。安倍首相がやろうとしているのは、立憲主義の否定に他ならない。小島氏の意見に、今こそしっかりと傾聴することが求められる。

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憲法記念日に憲法のことをちょっと考える [サステイナブルな問題]

 5月3日、今日は憲法記念日である。1948年に「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」として祝日に指定された。さて、しかし、この日本国憲法、風前の灯火のような感がないわけでもない。憲法は言うまでもなく、我々、一般人を政府から守ってくれる、非常に有り難い楯のようなものだ。その憲法を政府が外そうとしている。まあ、泥棒が入れないように鍵をかけられるようにしている扉を、泥棒が鍵を取り外そうとしているような状況だ。なぜ、こんなことになったのか。選挙で、泥棒に政治を託してしまったからだ。しかも、この泥棒は私が首相になったら、鍵を取り外しますよ、と言っているのに、多くの人が選挙で、この泥棒組合に票を入れてしまった。
 この状況は何と説明していいのか分からなく、私は混乱状態にずっと陥っている。もしかしたら、票を入れた人達も泥棒なのであろうか。彼らは、改憲をして戦争ができる国になっても、自分達は戦争しないで済む人達なのだろうか。戦争は儲かるからな。しかし、自国民だけでなく他国民までも犠牲にしてまで、そんなにお金が欲しいのだろうか。というか、そんなに泥棒組合の人達は日本に多いのか。私の友人で泥棒組合に所属している人がいる。ある企業の社長である。こういう人が、自民党を支持するのは分からないでもない。企業を持続させるためには、少なくとも短期的には自民党の経済政策はプラスになるからだ。しかし、そういう人はマイノリティだと思うのだけど、自民党の経済政策などによって多くの犠牲を強いられることになる(自民党の経済政策は貧富の格差をもたらすが、多くの人は今より貧しくなるからだ)のだが、そういうことももしかしたら分からないのだろうか。
 法政大学の山口教授はこの状況を次のように記している。
「全体主義の1つの特徴は、為政者が自分の都合のよいように言葉をねじ曲げて、国民からの異議申し立てや批判を無意味化する点にある。今の日本の為政者は平和とは戦争のことであり、自由とは為政者の指図に従うことと思っているようだ。」
 泥棒が、国民の資源や財産(それは命や自由なども含まれる)を奪おうとしているとき、その泥棒に扉の鍵を渡そうとするのは、お人好しにもほどがあると思う。少なくとも、私は絶対渡したくないのに、なんで渡すんだ。 
 前述した山口教授とは次のようにも書いている。
「憲法とは、人間がさまざまな愚行や失敗を経てたどり着いた文明そのものである。人間が人間らしく生きるためのルールである。我々が人間でありたいと思うなら、今改憲を許してはならない」
 まさに、その通りである。もしかしたら、人間でありたいと思わない人が多くいるのかもしれない。しかし、今の政治のあり方だと、人間でありたい人も巻き添えを食らってしまう。これは原発とかも同じことなのだが、多数決の暴力かなと思う。
 さて、憲法に関してだが、首都大学の木村先生が鋭いことを言っているので最後に紹介したい 
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=114105)。

 憲法とは、私たちがこういう国家をつくりたい、という目標や理念を実現するための具体的な制度を定めたものです。
 本来、憲法改正は国民の間で今の憲法のこの条項を変えたい、という気持ちや理念が広く共有されて出来上がっていくものです。今の状況で(国民に)そういう気持ちがあるのかというと、到底ないと思います。
安倍晋三首相は改憲に意欲的だと言われますが、なぜ改憲が必要なのか理由が分かりません。どんな人たちがこういう改正をしてほしいという声があるのだと丁寧に説明できなければ、説得力はなく、今の状況では個人の趣味で言っているだけにしか聞こえません。
 「押しつけ憲法」との指摘がありますが、果たしてそうでしょうか。今の憲法は、日本の国家体制を明治憲法の時よりもっと民主主義的にしろという連合国総司令部(GHQ)からの要求を日本側が自発的にのんでそれに基づいてつくられたものです。GHQが提案したものに対して日本側も要望を入れて、二つの主体が交渉してつくったものです。
 日本国憲法に正統性がないとするなら、1952年のサンフランシスコ講和条約発効で日本が独立を果たした時、今の憲法を破棄するという選択もあったはずです。でもそうはしていません。むしろ、その憲法に従って選挙をしたり天皇陛下が在位しています。
 もし安倍首相が日本国憲法に正統性がないと感じるのなら選挙には出るべきではないし、首相を認証する天皇陛下に対し、(今の)天皇には正統性はないと言わなければいけません。でも、そこまでの覚悟は感じられないし、そうした主張はまったくしていません。
 いわば、おいしく食べているものを、これは押し売りされたものだと言っているような状況です。押し売りされたと言っている割には随分おいしく食べているなという感じがします。

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1996年の都市計画学会誌では既に「縮小都市」の特集が組まれていたという卓見に感心する [サステイナブルな問題]

 私の手元に日本都市計画学会の学会誌「都市計画」の1996年のno.199号がある。この号は「人口減少・家族変動下の都市・地域計画」が特集であり、担当は人口学の権威である慶應大学の大江守之先生である。さすが、大江先生は目の付けどころが優れている。1996年というバブルの余韻がまだ残っている中、人口減少についてすでに警鐘を鳴らしているのである。 
 「編集にあたって」に担当者の立場で次のように記している。

「2010年前後に日本の総人口はピークを迎え、以後減少に転じる。1985年から1990年の間に全市町村の60%が既に人口減少に直面しており、2010年に向けてその割合は上昇すると予想される。(中略)
 これまで、人口・家族(世帯)は、都市・地域計画を策定する上で不可欠な前提と考えられてきたが、それは主に増加する人口や世帯数の将来動向を見通し、それに対応するための市街地整備や都市施設整備を計画に盛り込むという文脈においてであった。しかし、人口が減少局面を迎え、また人口構造変化や家族変動が都市のあり方を規程する時代に入りつつある現在、都市・地域計画の枠組み自体を最高することが必要になってきている。」

 素晴らしい卓見である。この号が出てからほぼ20年。私が旧東ドイツの縮小都市政策を知ったのが2002年であるから、それからも13年近く。最近では増田元総務相の「消滅自治体」というスキャンダラスな本によって、急に慌てふためくように人口縮小が取り沙汰されるようになってきているが、人口の専門家からすると、もう20年以上前からこのような事態が生じることはわかりきっていたのだ。ところで、その人口の専門家でも日本の総人口のピークは2010年前後と楽観的であった。実際は、日本の人口のピークは2004年に迎えることになる。

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若者はみんなが思っているより無気力である [サステイナブルな問題]

 前回の衆議院選挙で若者の投票率の低さが話題になった。そこで、その投票率の低さは、自分達が投票したい候補がいないからだとか、どの政治家も似たようなものといった諦観が、その背景にあるといった分析をマスコミや評論家などはしていた。もちろん、そういった点もあったかと思う。しかし、事態はそのような説明で片付けられるようなものではないと思う。というのは、多くの若者はおそろしく無気力になっているからだ。一応、社会生活はしているが、民主主義的には引き籠もり状況になっている。したがって、私は仮に「明日の選挙の投票率が50%以下であったら、日本人は全滅する」と言ったとしても20代の投票率はせいぜい70%に届くか届かないぐらいではないかと思う。仮に「明日、投票しないと死刑にするぞ」と言われたとしても100%には届かないであろう。殺される直前には少しびびるかもしれないが、死をも超克できるぐらいの諦観、というか無気力さに囚われている若者は少なくないと思う。
 私が奉職する大学は、比較的、まだそれほど無気力ではないが、それでも「雨が降ると休講になる」という噂のゼミが定員10名のところ20名も応募した。このような場合、選抜することも難しいとは思うが(やる気の少しでもある学生を落とした方がいいのか、やはりやる気のある学生を取った方がいいのか)、もう自らが大学のゼミを全否定している。そこまで否定しても、大卒の肩書きが欲しいのだろうが、もう少し、実質的というか身のある大学生活を送ってもらいたいな、と否定された側としては思ったりもする。
 私は仕事柄、若者と日々接している。世間の若者分析は、まだまだ全然、甘いと思ったりする。もっと、若者は深刻に、無気力ながら民主主義を否定しているのである。

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元築地場長の話を聞いて、いろいろと外食に関する知識を得る。 [サステイナブルな問題]

元築地場長の方にゼミに来てもらう。そして、「食」をめぐるいろいろな話を聞く。大変、面白い。幾つか、特に強い印象を覚えたことを、私の理解のもとに、ここに紹介したい。文責は私にある。

セブンイレブンのチルド弁当というのが人気らしい。私は食べたことがないのだが、「半熟卵」が入っているらしい。普通であれば、卵は二時間ぐらいで腐ってしまう。しかし、このチルド弁当の半熟卵はなかなか腐らない。これは、食品添加物を与えることによって、半熟卵を長時間、保存させることに成功しているからだ。その食品添加物は、石油である。ゲッ。

セブンイレブンのおにぎり。これを水に入れると油が浮かんでくる。これは、油が入っているからだ。コンビニのものを食べていると、味覚障害になるらしい。最近、辛いものが流行っているのは、この味覚障害が普及しているからだ、ということらしい。

牛角の肉は、ほとんどが切れ肉を糊で固めたものである。まあ、これはフォルクスとかも同じであろう。ケンタッキーのチキン・ナゲットもそんなものであろう。マックのパテは100%牛肉であることは確かだが、糊だらけである。マックのフレンチ・ポテトは、ほとんど粉の塊である。

中国からの輸入ものは、ほとんどというか100%がポスト・ハーベストである。

コンビニのおでん。あんなに汚いものはないそうだ。コンビニのおでんのつゆは、まったく変えていない。それを飲むのは、相当危ないそうだ。

食品の中でも特に怖いのがベビー・フード。これは添加物の塊だそうだ。これを食べていると、子供がおかしくなるのは当然であるそうだ。

この方は、活き作りの魚は絶対食べないそうである。というのは、活き作りが入っている水槽は、抗生物質などが入りまくっていて恐ろしく危ないそうである。通常の食品であれば、とてもそんな危ないものに浸していないのだが、生きている魚は、食品でないので法律的に問題がないそうだ。

養殖のぶりは、抗生物質漬けなので、風邪をひくと効くそうである。薬代わりになるらしい。天然物は高いので難しいが、養殖は安全ではないそうだ。

スーパーのバックヤード。食堂であろうが、スーパーであろうが、ゴミ箱をみると全てが分かる。浅草の有名な天ぷら店。国内産と謳っているが、ゴミ箱をみれば冷凍。逆に一流のホテルやレストランはゴミ箱が綺麗。

それなら、どうすればいいのか。これは、外食しないで自炊をする、というしかない。外食は「安くてうまいものはない」。これを肝に銘じて、覚悟をして外食することが重要なのかもしれない。Eat at Your Own Riskである。

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殺人都市カラカスで50年間殺されずに生き延びる確率 [サステイナブルな問題]

カラカスの年間殺人件数は10万人あたり134人である。これは100人あたりでみると0.134人であり、毎年746人に1人が殺される計算になる。カラカスに住んでいる人のサバイバル率はどのように計算できるのであろうか。

1年目に殺される確率は0.134%である。生き残る確率は99.87%だ。
2年目に殺される確率も0.134%である。2年目まで生き残る確率は99.73%だ。
このように計算していくと、10年目まで生き残る確率は98.53%。68人に1人ぐらいの割合で10年以内に人が殺されるということだ。

20年目まで生き残る確率は97.19%。これは、36人に1人ぐらいの割合で人が死ぬということだ。中学の同窓会を35歳の時に行うと、まず1人が殺されているという計算だ。

30年目まで生き残る確率は95.85%。これは、24人に1人ぐらいの割合で人が死ぬということだ。相当、高い。

40年目まで生き残る確率は94. 5%。これだと殺されているのは、18人に1人という割合だ。

さらに50年目まで生き残る確率は93.17%。これだと15人に1人という割合だ。カラカスで50年間、殺されずに生き延びられるというのは、結構、大変なことであることを知る。

できれば住みたくない。ちなみに、アメリカで一番、治安の悪いデトロイトで殺人に50年間合わずに生き残れる確率は97.45%。これだと、50年以内に殺されるのは39人に1人という割合で、カラカスより遙かに安全だ。ちなみに日本は、殺人件数が少なく、10万人当たり1.10。これは殺人に50年間合わずに生き残れる確率は99.95%という高率になり、50年以内に殺されるのは2000人に1人という割合になる。15人に1人と比べると偉い違いである。

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ライプチッヒの環境研究所の研究員達からドイツの縮小都市の動向をうかがう [サステイナブルな問題]

 今年の7月に横浜国立大学であった社会学会のワーキング・ショップで知り合ったドイツの研究者達と会いにライプチッヒに来た。私はほとんど知られていないが2002年頃からドイツの縮小政策の研究を細々と続けている。最初は気合いが入っており、大林の研究資金も獲得できたりしたので、アイゼンヒュッテンシュタット、コットブス、ザクセン・アンハルト州の縮小政策を論文でまとめたりしていた。その後、2009年にはドルトムント工科大学の客員教授でさらにその仕事をまとめようと考えたりしていたのだが、それから帰国して、なぜか失速している。忙しいからかもしれない。岩波ジュニア新書や中村ひとしさんの本をまとめたりしていたからかもしれない。まあ、そんなことだが相変わらず関心は持っている。
 さて、そんな私なので、ドイツの縮小政策研究者との話は面白いし、話も弾む。人口が縮小するうえでの大きな要因は、人口構成である。人口構成による問題であるという考えがある。これはドイツでもそうだが、日本ではより顕著である。この人口構成のいびつさを解消する方法は移民政策である。まあ、これを進めるべきであると個人的には強く思うし、日本の経済力であれば、今ならまだ間に合うが、迅速に対応しないと、経済力もすぼみ、日本に移民したいという人がいなくなる可能性も高い。そうすると、経済的には相当、じり貧になる。そういう覚悟があるならいいが、なければ移民政策を取るべきであろう。私は最近、日本のガラパゴス化が気になるので、そういう点からも移民政策には肯定的な意見を有している。
 さて、移民という点から面白い話を聞いた。現在、スペインは大不況のようだ。失業率が25%とかいうとんでもない数字らしい。そして、ドイツに出稼ぎに来ている。面白いのはベルリンとかライプチッヒに出稼ぎに来ているスペイン人が多くいるということだ。普通、ハンブルクとかミュンヘンとかデュッセルドルフとかに行くでしょう。なぜ、ベルリンやライプチッヒなのだろうか。会談している人がちょうど研究をしたそうなのだが、それによると、ライプチッヒに来る移民の70%が、ライプチッヒはいい都市であるからだと回答したそうだ。ベルリンなら分かるけど、ライプチッヒとはねえ。
 最近では出稼ぎの若者は都市を選ぶ。単に仕事をするだけでなく、いろいろと楽しみたいのだ。仕事+楽しみ。そういう考えからだと、ライプチッヒはいい都市というイメージがあるようだ。興味深い。そのうち、中国人研修生という名前の日本への出稼ぎも都市や場所を選ぶことになりそうだ。それって、さらに山間の村は不利になるということか。
 もう一つ、興味深かったのは、ドイツにおいても縮小が問題として認識されたのは、ようやく2000年頃からであったということだ。それまでは、失業が問題であった。縮小が経済的な問題であるとは、2000年頃までは、あまり問題にならなかった。雇用があれば、流出は減る。そういう認識であったのだ。
 縮小のポイントは、郊外化、雇用を求めての流出、低い合計特殊出生率であった。
 さらに、私はほとんど関心を持っていないアメリカの縮小都市に関してだが、2003年前だと縮小の話はほとんどタブーであった。レガシー・シティとか、シティ・イン・トラディションとか、シティス・レグローイング・スモーラー(Cities regrowing smaller)などといったほとんどギャグのような形容がなされていた。これは、縮小ということを考えたくもないからだ。
 東京の縮小に関しても、彼らは興味深いスタンスを持っている。東京ははるかに人口密度が高く、人口も巨大過ぎるので、人口縮小は福音であろうということだ。彼らは以前、イタリアの縮小都市を研究する際、最初、ナポリを事例として選んだのだが、ナポリは人口密度が高すぎるので縮小がプラスになることも多く、結果、ジェノバにしたそうだ。まあ、ドイツ的な観点から考えれば東京などの大都市の縮小はそれほど問題にはならないということだろう。確かに、問題なのは村落などである。村落の縮小研究は、この環境研究所ではあまりされていない。Shrinking Cityということで、都市の縮小が旧東ドイツでは大きな課題であるからだ。
 さて、ドイツの経済は本当に最近、好調なのだなということも確認できた。ライプチッヒはドイツの平均よりは悪いが、それでも失業率は2004年の時は20%(ドイツの平均は9%)、現在は10%以下(ドイツの平均は6%)。ライプチッヒはBMWの工場が再統一からそれほど時間が経たない中、進出をしたが、その後、ポルシェの工場も立地した。そして、何より、旧東ドイツの崩壊を結果的に導いたデモを実施した「自由都市」ライプチッヒというイメージは若者にはとてもポジティブだ。仕事がないにも関わらず、スペインなどから現在、多くの出稼ぎ若者を惹きつけているのは、このライプチッヒという都市の魅力なのではないかと思われる。
 そういう私も実は、ライプチッヒは相当、好きである。ベルリンも好きだが、こう何か可能性を感じさせるような自由な空気が流れている。そのような空気は例えば、私が一年ほど住んでいたデュッセルドルフには感じられない。ミュンヘンとかフランクフルトもそうである。なんか、ライプチッヒやベルリンには隙がある。この隙は、実は、若者にとって大きな魅力なのではないだろうか。
 一方で、他の都市に聞くと、コットブス、ツィッカオー、ゲラあたりは縮小していく一方であるという。私は、コットブスは人口減少に歯止めが生じているという記事を読んでいたのでちょっと意外だ。ゲラは大学がないのが致命的なようだ。ちなみにハレも2008年頃からライプチッヒのように人口が増加し始めているようだ。ふうむ、どうも縮小していた都市も一部はそのトレンドが変転してつつあるようだ。その理由を明らかにできれば、日本の縮小都市の参考にもなるであろう。

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なぜ日本人は自転車に乗るか [サステイナブルな問題]

「なぜ日本人は自転車に乗るか」という質問をある新聞記者からされた。私の回答は、「それは日本の多くの都市の特性から、それが、一番、便利で費用も安く、経済的合理性が高いから」というものである。簡単だ。多くの自転車苛め政策というデメリットを勘案しても、自転車に乗ることが経済的に合理的であるからだ。
 それでは、日本の多くの都市の特性とは何であろうか。
・それは可住地面積における人口密度・建築密度が著しく高く、逆に道路面積比率が低いこと。
・そのため、商店街、学校、駅などが自転車移動圏に立地集積していること。
・この土地利用密度が高い都市においては、自転車のように小さな面積しか必要としない乗り物は、自動車に比べて、遙かに合理的であること。
(駐車場1台分で自転車は15台くらい駐輪できます)
・電車や地下鉄などの公共交通が極めて発達しており、それらのアクセス交通手段として自転車は極めて適していること、
などが挙げられる。

これらに加えて、
・ママチャリのように、生活移動に極めて適した自転車が、安価に提供されていること。
・電動自転車など、自転車の弱点を補う工夫がされているものも市場に提供されていること(私が住んでいたドイツではヤマハの電動自転車は人々の垂涎の商品でした)
・子供から自転車に乗る機会が多く提供されるなど、自転車文化が定着している。
ことなども理由として挙げられる。
 例えば、自動車1台あたりだいたい20〜25㎡ほどの面積を必要とする。東京都23区の世帯数は449万である。今、一世帯が一台車を持つとすると、その駐車場の面積は8980〜11225ヘクタール、90〜112平方キロとなる。23区の面積は621平方キロなので、駐車場だけでもう2割弱の面積を取られてしまう。しかも、自動車は移動しなくてはならないので、その際には車間距離などを配慮し、それが渋滞をしないで移動させようとしたら、東京のほとんどを道路にしなくてはならなくなる。実際、ロスアンジェルスのような都市では自動車のために土地の6割ぐらいを使用しているが、ロスアンジェルスは東京よりずっと少ない人口である。このように自動車のための土地利用をしたことで、ロスの人口密度は東京の144人(ヘクタール)に対して32人とほぼ4分の1になってしまっている。東京のような高密度な都市には自動車は極めて不適切な乗り物なのだ。
 一方で東京は世界に冠たる公共交通が充実した都市である。地下鉄の利用者は世界で、ダントツで一番だ。そして、この地下鉄や郊外鉄道という公共交通のノードである駅は、歩くのにはちょっと離れているけど、自動車は駐車場もないし、近すぎる。ということで、自転車が一番適しているというところに住んでいる人が多い。つまり、駅へアクセスするのには、自転車が最も適しているのだ。自転車は、日本の多くの都市にとって、大変利用勝手のよい乗り物なのである。自転車の利用を罰するような施策を実施しているので、人々がそれほど利用していないだけで、本来的には多くの人が利用したがっている日本の都市において理想的な交通手段なのである。
 しかし、日本政府は、自転車利用を止めさせようとするような、意地悪な政策ばかりを進めてきた。イギリスなどの自転車後進国が自転車普及に力を入れているのとはまさに対照的である。
 実際、自転車の利用を促進し、利用しやすい環境を創造すれば、多くの人が自転車を利用することになり、人々の豊かさは向上するであろう。また、それは移動エネルギーの削減や、自動車移動によって排出される排気ガスだけでなく、二酸化炭素の削減にも繋がり、個人の豊かさだけでなく、社会の豊かさにも繋がると思われる。
 多くの国が自転車利用を向上させることのメリットに気づいて、その促進政策を展開している中、日本はまったく違う方向を向いている。ガラパゴス現象の一事例である。アメリカのカルチュラル・ランドスケープの大家であるチェスター・リーブスが、その現象を極めて奇異に感じて書いたものが、私が翻訳した本である(『世界が賞賛する日本の町の秘密』)。
 日本の多くの都市においては、自転車利用を促進させる政策を進めることが、
そこに住む人々だけでなく、地域社会にとっても、そして環境にとっても望ましいと考えられる。一刻も早く、政策を転換させることが求められる所以である。

タグ:自転車
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キガリのジェノサイド・メモリアルを訪れる [サステイナブルな問題]

 ルワンダのおぞましい歴史として、1994年に起きた国民同士が殺しあう大虐殺がある。これは、以前の宗主国であるベルギー人が、支配をしやすくするために、ルワンダ人をフツ族とツチ族に分けて、ツチ族にフツ族を支配させる構造をつくりあげたことによって生じた悲劇である。
 ツチ族とフツ族を分類する方法は、1)牛を10頭以上持っていること、2)鼻が高いこと、といういい加減なものであった。一般的には顔立ちが違うという捉え方がされているが、それまで共存してきた人達を、こんないい加減な分類方法で二つに区分できる訳がない。
 そこでベルギー人は、身分証明書をつくり、それにフツ族とツチ族と明記することによって、曖昧な区分を明確化した。このどうでもいいようなことが、後の悲惨な事件を引き起こすのである。
 国民を二分することで、お互いが対立し始める。運動会で適当に、紅組と白組とのどちらかに帰属させることで、対抗意識を煽るのと同様なことが、国家単位で起きたのである。しかし、運動会と違うのは殺し合いをしたことである。其れを扇動したのはラジオであった。そして、フツ族側には、ご丁寧に人殺しのための斧が配布されたのである。まさに漫画デビルマンの最後のエピソードで起きたようなことが、実際、現実として起きたのである。
 この大虐殺で多数のツチ族とフツ穏健派が殺害された。その数は50万人から100万人の間、ルワンダ全国民の1割から2割と推測されている。そして、それらの死体を食べた犬たちは、人を獲物と捉えるようになり、人をみると襲うようになったために、大虐殺の後、まず人々が実施したことは犬の大量虐殺であったそうだ。人は殺され、そして、インフラはずたずたに破壊された。
 この一度は無に帰したような国を再生させるために、ルワンダ政府が実施したことは、この忌まわしい過去を忘れずに、次代へと引き継ぐよう、記憶を風化させないような記念施設をつくることであった。これらの施設は200箇所以上、現在ではあるが、それらの中心的なものがキガリ・ジェノサイド・メモリアルであり、虐殺から10年後の2004年につくられた。
 このジェノサイド・メモリアルを訪れる。入場料は無料であるが、カメラで撮影するとお金を取られる。展示は大きく二つから構成される。一つは、ルワンダのジェノサイドに関する展示。ルワンダの虐殺のことがよく理解できる。もう一つは、ルワンダ以外のこれまでの人類史における虐殺に関する展示である。ルワンダ虐殺の被害者の顔写真が、強烈な印象を残す。人間は、こんな狂気の沙汰を集団で行えるのか、ということを改めて理解する。
 さて、展示は悲惨だし、後味は悪いが、このような歴史を人間は繰り返してきた。おそらく、似たようなことは、これからも起こるかもしれないが、その確率を少しでも減らすためにも、このような施設を訪れ、自らの愚かしさを再認識するということは極めて重要なのではないだろうか。
 人類の負の遺産であることは確かであるが、そのような過去の過ちを忘れず、しっかりと次代に伝え、二度とそのようなことを起こさないように努めることが現在、生きている我々の義務であろう。
 そして、それは福島の原発事故を起こしてしまった日本人、第二次世界大戦で中国、韓国、そしてインドネシアやフィリピンの人々に多大なる犠牲を強いた戦争を進めた日本人も、過去の過ちを繰り返さないためにも、そして、周囲の人々に理解してもらうためにも、極めて重要なことなのではないかと思うのである。

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(ジェノサイド・メモリアルの入り口)

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(ルワンダは死んだ、と書かれた展示の説明文)

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(被害者の写真)
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ルワンダのコミュニティ再生手法、ウムガンダ [サステイナブルな問題]

 ルワンダに来て、キガリ市長を含めて、いろいろな人と話をする機会を得た。その中で、非常に興味深い「ウムガンダ」というプログラムがルワンダにはあることを知った。
 ルワンダのコミュニティは大虐殺によって、そのメンバー間の絆はずたずたにされた。その絆を再び、取り戻すのは、コミュニティの人達が自発的にする以外、方法はない。そのために、ルワンダの人々が採用したのは、伝統的にルワンダのコミュニティが行ってきたウムガンダという手法であった。
 ウムガンダはコミュニティ・メンバーが皆、強制的に行わされるコミュニティ・サービスのことである。ウムガンダ(Umuganda)という言葉の意味は、「共通の目的のために協働する」ということである。このウムガンダを、カガメ大統領は現代に再生するように考えたのである。具体的には、毎月、最終土曜日の午前8時から11時まで、18歳から65歳までの人々は、国土を再生するためのボランティア的な事業を、コミュニティ・ベースで実施することを義務化したのである。ウムガンダの時間帯は、いかなる店舗営業も禁止されており、自動車も走行が禁止されている(ただし、外国人は免除されており、自動車も運転することが許可されている)。
 このコンセプトは、連帯と共同生活とを意識したものである。ウムガンダの事業としては、道路掃除、草刈り、道路沿いの街路樹の剪定、公共施設の改修、社会的弱者のための住宅建設などがあげられる。また、プロの職人である人は、この日に限って、無料でサービスを提供したりもする。
ウムガンダは、ずたずたになり、信頼を失ったコミュニティに再び、コミュニティという名前のもとに人々を協働させる機会を提供することになった。ウムガンダは植民地時代以前から行われていた慣習であったが、植民地時代には廃れていった。
 ルワンダの文化的慣習は、お互いを助け合い、分かち合い、極めて平和なものであった。それが、大虐殺によって、破壊されてしまった。ウムガンダは昔の文化的慣習を再び呼び起こし、ルワンダという国を再生させるために、国民すべてを協働させることを可能にしている。それは、国民はルワンダという国の元、一つであり、また、平和と統一のために、すべての国民が貢献しなくてはならないことも自覚させる。それは、二分されてしまった国民をまた一つのものにするために大きな効果をもたらしている。
 また、ウムガンダではコミュニティ・ワークをした後、コミュニティでの話し合いが開催される。そこでは、コミュニティの人達が集まって、その問題を自由にコミュニティ・リーダーと語り合う。それは、コミュニティを民主的に運営していくための貴重な機会である。
 ウムガンダはルワンダの隣国では行われていない。そういう意味では、極めてルワンダ的な試みであるようだ。
 ウムガンダは、大虐殺という極めて大きな傷跡を負った国を再生するためには、有効な手段であることは間違いないが、問題がないわけではない。ウムガンダの条件は、全員ではなくて、家族のうちの一人が参加するというものである。しかし、家族によっては、全員が忙しく、参加ができない場合もある。参加しないと5000ルワンダ・フラン(800円相当)の罰金が課せられるが、自発的に参加するのではなく、強制的に参加させられるのでは、ウムガンダの本来的な意味を果たさないとも考えられる。ウムガンダは、素晴らしい試みであるとは思うが、そのコンセプトをしっかりと、理解させないと、長期的にはマンネリ化して、形骸化する危険も孕んでいると思われる。
 とはいえ、一度、破壊されてしまったコミュニティを再生させるための一つの極めて有効な手法であることは間違いない。虐殺といった大悲劇だけでなく、災害、公害、原発被害等で崩壊されたコミュニティを再生するうえでも参考になる事例なのではないかと思われる。

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ルワンダではプラスチック・バッグの利用が禁止されている [サステイナブルな問題]

 ルワンダではプラスチック・バッグをみかけない。スーパーとかで買い物をしても、紙袋である。おかしいな、と思っていたら、なんとプラスチック・バッグの利用そのものが禁止されていることを知った。2008年に法律的に、その製造、輸入、利用が禁止されたのである。もし、持っているのが見つかったら、200〜500ルワンダ・フランの罰金が科せられる。これは、プラスチック・バッグは環境に悪いからだそうだ。 
 ルワンダの首都、キガリを歩いていて驚くのは、町が綺麗なことである。これは、綺麗にするために多くの清掃員が、ディズニーランドのように掃除をしていることが大きいが、また、プラスチック・バッグのように、ごみとして汚い、またごみとして捨てやすいものを禁止していることも大きいのではないだろうか。
 ルワンダの首都キガリではクリーン、グリーン、セイフティを重要な政策目標として掲げているが、プラスチック・バッグの利用を禁止するなどは、簡単なようでいて相当、効果的な手段であると思われる。
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(ルワンダの道はごみが本当に落ちていない)

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縮小都市に関するドイツ、アメリカ、日本のワークショップに参加する [サステイナブルな問題]

 社会学の国際学会が横浜国立大学で行われる。したがって、社会学者が世界中から横浜を訪れている。私は、社会学が専門ではないのだが、学会の事前勉強会に呼ばれたので参加する。縮小都市がテーマの勉強会である。
 ドイツ人が5名、アメリカ人が1名、日本人が6名参加した。ドイツ人の研究者はほとんどがライプチッヒ派である。ライプチッヒは、東西ドイツが統一した後、人々の期待とは裏腹に人口が急激に縮小するという状況に直面する。そして、その縮小現象にあたふたと対応するのではなく、縮小を一早く、受け入れて、縮小を前提とした長期計画を策定する。それと同時に、人口が郊外の自治体へ流出することで都心が空洞化することを避けるために、周辺の自治体を合併してしまう。これは、ライプチッヒ市だけではどうにもならなかったことだが、ザクセン州を動かすことで実現させたのである。
 私はこれまで、アイゼンヒュッテンシュタットを中心にコットブス、ロストック、デッサウなどの縮小政策の研究をしてきたが、このライプチッヒが非常に優れた政策を展開していたことはよく知っていたし、取材も数回、行ってきた。ただ、論文等にまとめなかったのは他の人達もよく調査していたからである。
 しかし、改めて当事者達の話を聞くと、素晴らしい事例である。また、私も再整理しなくてはという思いを抱く。9月にドイツに行くので、せっかく知り合いも出来たので、また訪れてみよう。
 アメリカの発表も興味深いものであった。事例がクリーブランドということもあるが、なかなか、その縮小の実態は凄まじいものがある。アメリカでは15年以上前であれば、縮小計画を考えること自体が問題であった。現在はそうでもなくなっているようである。
 日本人も私を含めて発表した。私はちょっと猿払村や南牧村などの地方部の縮小に関する話などをしたのだが、興味深いのは、ドイツ人の先生が、これほど過密な状況であれば縮小は朗報ではないのか、と質問したことだ。
 そうですね。「ウサギ小屋」と馬鹿にされるような家に我々は住んでいるからな。しかし、東京などでみられる過度の集積が経済的効率性を高めているという側面もある。経済的効率性のために、狭い家にいそいそと住んでいるというのが日本人の実態だ。経済が豊かでも、生活の豊かさがなかなか感じられないのは、そのような経済優先のシステムに因るのかもしれない。

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アベノミクスがもたらしたのは、相対的貧困率の過去最悪という事実 [サステイナブルな問題]

7月15日の毎日新聞の記事から。

「厚生労働省は15日、2013年の「国民生活基礎調査」を公表した。お金の面で普通の暮らしが難しい人の割合を示す「相対的貧困率」(12年)は16.1%で、記録が残る1985年以降、過去最悪だった前回調査(09年、16%)より0.1ポイント悪化した。17歳以下の子どもの貧困率は前回を0.6ポイント上回る16.3%に達し、初めて全体の貧困率を上回った。」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140715-00000111-mai-soci

引用終わり。

 アベノミクスとかで株価を上げて、いかにも経済が上向いているように演出してきた安倍政権だが、実態はこんなものだ。株をはじめとした金融資産を保有する資産家を利するような経済政策ばっかやってきたが、国民全体は貧しくなっている。そして、職のない貧困層は自衛隊に入って、日本から遠く離れた地でアメリカのために血を流す。ちょっと、あまりにもアホらしくないですか。

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岩手県の住田町を訪れる。 [サステイナブルな問題]

 岩手県の住田町を訪れる。ここは、陸前高田からちょっと山に入ったところにある町で、陸前高田や大船渡で被災した人達が住むための仮設住宅地が3つほど設けられた町である。
 もともとは宿場町として栄えたそうだ。町を気仙川が流れている。この気仙川に沿って、宿場町が成立するのだが、川側からみると豪勢な蔵が建ち並んでいる。宿場町というのは、随分と儲かったんだな、と妙なところで感心する。

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(気仙川から世田米の蔵を眺める。世田米というのはアイヌ語が語源らしい)

 住田町の人口は2005年〜2010年までに10%弱減少した。1970年には人口が1万人以上あったのだが、それからほぼ毎年500人ぐらい減っている。まあ、宿場町として発展したため、宿場町としての機能を失ったら町としての存在意義はなくなるので、他の産業を興すなりしなくてはならないのだが、町役場の人にお話を聞いたところ、特別な産業はないとのこと。しかし、ホームページをチェックすると「森林・林業日本一の町」を目指しているそうだ。
 さて、産業というか雇用がないと、住田町のように大都市のベッドタウンとして位置づけられない町村の将来は暗い。東京の魅力はいろいろな機会を与えてくれることだ。ただ、その機会を上回る収入が得られるような仕事が地方にあれば、多くの人々は東京ではなく地方を選ぶ。猿払村や長野県の川上村のように年収が4000万円、2500万円もらえるような仕事があれば、そちらを多くの人々は選ぶ。なぜなら、金銭はいろいろな機会を購入することを可能とするからだ。
 しかし、そのような収入が得られないようであれば、選択肢が多く、いろいろな機会も多い東京を人は選ぶことになるだろう。
 最近、ちょっとショックを受けた記事を読んだ。それは、福島県の広野町から避難した中学生が、なぜ広野町に町民が今でも戻らないか、その理由は「放射能が怖いというよりかは、避難先の方がずっと便利だから」と述べたことを紹介する記事であった。ショックであると同時に、そういうことなんだな、ということを理解もした。
 人々は、より効用の高いところに住もうとする。もちろん、郷土愛やらの心情も大きく左右するかもしれないが、そもそも原発を建設することを許可するような人々にそれほど強い郷土愛があるとは考えられない。より利便性の高い都市に引っ越せるのであれば引っ越したいというのが本音であろう。
 さて、話を住田町に戻す。住田町の平均年収はそれほど高くない。公務員だと520万円ぐらいだ。24歳で農業を始めた人は、売上げが400万円くらいだそうである。一方で、物価だが、例えば東京に比べるとガソリン代はずっと高い。しかも、自動車での移動距離は東京とは比べものにならないほど長いので、ガソリン代の出費は相当のものになるだろう。バスは不便このうえないので、ほとんど使い物にならない。さらにイオンのお陰で(ここらへんは震災後、イオンだらけになっている)、全国的に流通している低価格のトップ・バリューを買えるようになったが、これは逆にいえば、物価が東京などの大都市とほとんど同じであるということだ。住田町の方が東京より安いものを探すのは意外と困難である。居酒屋の料金もほとんど変わらない。住宅は明らかに安いが、それぐらいかもしれない。役場の人もそう言っていた。
 住田町を紹介してくれた私の東京出身の知人は、「お金では買えない豊かさ」を強調していて、私もそういうものがあるだろうな、と分からなくもないが、広野町の中学生が鋭く指摘したように、「便利さ」という効用は一度、手に入れるとなかなか手放したくないものだ。特に、アクセス関係の利便性、すなわちアクセシビリティは、ケビン・リンチも都市の魅力を構成する5大要素の一つであると指摘したが、まさにその通りであると思われる。
 このアクセシビリティという点で、地方は大いに劣っている。自動車でそれが改善されるかと期待して道路などを一生懸命整備してきたが、高齢者だらけの町、村でいくら自動車での移動を確保しても、それはあまり意味がない。
 住田町は施策として、お見合いなどをしているそうだが、問題は恋愛機会が欠如しているのではなく、そこの町に住みたいと思わせる理由が希薄であることだ。現在、町に唯一存在する住田高校が閉校の危機にある。これは県立高校なので町としてはどうにもならないかもしれないが、どんなに道路を一生懸命整備するより、このような高校を維持させることの方が、将来の町にとって必要である。というか、将来、町が存続していくためには必要である。この高校を廃止すれば、さらに人口流出は加速化していき、町は遠くない将来、消滅するかもしれない。岩手県はそういうことまでシミュレートして、高校の廃止を決断しようとしているのか。単なるバランス・シートだけを見て判断しているのであれば、県という行政機関が必要かどうかも疑いたくなる。
 など、いろいろと考えさせられた住田町の訪問であった。
タグ:住田町
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お金に関する話(1) [サステイナブルな問題]

 大阪市のあるNPOが手がけた都市デザインの成功事例を取材する。ウォーターフロントを再生した事例だ。このプロジェクトは東京も随分と熱い視線を浴びせているようで、取材依頼が多いそうだ。そこで、NPOとしても対応が難しいということで取材に係る費用を、国土交通省にも請求したら予算がないから払えないと拒んだらしい。ちなみにこの費用は1万円であった。私は、この国土交通省の対応に驚きましたよ。なんで、こんな取材費用までもが自腹を切れずして、国民の税金を使えないからといって取材をすることを断念するのであろうか。私は多少、研究費をもらっているし、少額ではあるが国民の税金から研究費をいただいている身ではあるが、その研究費で落とせない費用であったら自腹を切りますよ。NPOの人が、いちいち取材に対応して時間を割くことの機会損失を考えたら1万円という額は決して高くない。その情報が本当に欲しいのであれば、自分で払っても私は当然だと思うのだが、まあ、おそらくこの公務員は、そういう気持ちがほとんどないんだろうな。まあ、ないのはいいが、それなら大阪にまで国民の税金を使ってNPOの取材をしようなどということをそもそも考えないでもらいたい。外注すればいいだけの話だ。
 私は大学教員をする前は、会社員だったが接待費で落とせなかったら自腹を切って顧客と話をする機会をつくりだした。それは、会社のための仕事であったかもしれないが、その仕事を通じて自己実現などを意識していたからだと思う。必要な文献資料があって、それを会社の経費で落とせなかったら自分で支払った。会社の経費という枠組みで事業を展開しようとすると、どうしても新しいことができない。上司に理解がある場合ならいいが、理解がない場合は交渉する時間がもったいない。上司が悪いから仕事ができなかった、会社が経費で落としてくれなかったから営業がうまくいかなかった、という言い訳だらけのサラリーマン人生を送ることは情けないと思う。そういう人生を潔く受け入れられない自分が大人げないのかもしれないが、お金というのは将来を切り開く投資としても極めて有効に機能する。ただ、欲しいものと交換するただけがお金の役割ではないのだ。

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再稼働の最右翼、川内原発の近くの桜島が5月10日午後1時に爆発的噴火を起こした [サステイナブルな問題]

 2014年5月5日、相変わらず稼働している原発は日本ではゼロ。それだけど全然、日本は大丈夫。仙石由人は、「原発を停めたらロウソクで生活しなければならなくなる」と言い放ったが、私の大学は今日も誰もいない煌々と廊下に電気がついていた。ロウソクどころか、もうちょっと節電できないのか、と怒りさえ覚える今日この頃である。
 さて、そのような中、再稼働の最右翼は川内原発である。九州電力の書類の不備(というか、これらの多くは単純な記入漏れらしいので、敵ながらなんと間抜けとしかいいようがない。こういう単純な書類も書けないのに、なんで原発を安全に稼働できるのかは不思議だ。というか、出来ないんだろうな、安全に稼働させること)で夏の再稼働は間に合わないようだが、まあ秋には再稼働するだろう。
 そんな無責任な世の中に怒りを爆発させたのだろうか。桜島が5月10日午後1時に爆発的噴火を起こした。その噴煙は4500メートルで観測史上2位だそうだ。
 この桜島に最も近い原発が川内原発である。というか、原発の巨大噴火リスクがもっとも高いのが、川内原発である。この桜島以外にも、川内原発周辺には巨大噴火の痕跡がいくつも残り、火山学者の間では最も巨大噴火リスクが高いとされているそうだ。
 まあ、こういう馬鹿だらけの国民は早いところ滅亡した方が人類のためになるんじゃないかと思わずにはいられない。
 私?私の今の一番の夢は国外脱出である。

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黒田日銀総裁の発言に驚く。もしかして愚かなのか? [サステイナブルな問題]

4月3日の東京新聞で、黒田日銀総裁が、所定内給与が21ヶ月連続で減少していることに対して次のように述べていることが紹介されていた。

「賃金が上昇せずに、物価だけが上昇するということは普通は起こらない」。

物価が上昇しているのは、日銀の金融政策で円安が加速し、輸入品が高くなっているからだ。ガソリン、小麦、大豆、トウモロコシ、さらには最近では衣料はほとんどを中国から輸入している。賃金が上昇しなくても、物価が上昇しているのは円安、そして、賃金は上昇しなくても株価は上がっているので、富裕層の購買力は上昇しているからだ。

こんなことは、エコノミストでなくても簡単に分かることだ。小学生だって理解できるような簡単なロジックだ。なんで、日銀総裁になれるような人が、こんなことを述べたのか。俄には信じがたい。

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別府の龍巻地獄の間欠泉ほど惨めで虐げられたものは見たことがない [サステイナブルな問題]

別府を訪れる。とりあえず、どこに行けばいいか分からないので地獄めぐりに行った。この地獄めぐり自体、結構、いろいろと考えさせられることが多かったが、一番気になったのは龍巻地獄の間欠泉である。この間欠泉は、30メートルほど吹き上げるそうだが、3メートルぐらいの高さの蓋がされている。したがって、勢いよく吹き上がる間欠泉は3メートルで塞がれ、その豪勢さを我々は見ることができない。

間欠泉といえば、アメリカのイエローストーン国立公園にあるオールド・フェイスフルである。オールド・フェイスフルは高さ30〜50メートルまで吹き上がる。名前のように、律儀に定感覚で吹き上がる間欠泉は、イエローストーン国立公園というアメリカでも最も人気のある公園の象徴であり、同公園訪問のハイライトでもある。

龍巻地獄では、アナウンスでイエローストーン国立公園、アイスランドにも引けを取らない間欠泉であると伝えており、私もそうなのかな、と思ったりもするが、その凄さは封印されており、我々は知ることが出来ない。なんで、こんな馬鹿げたことをするのであろうか。この去勢されたかのような間欠泉を見て、私は本当、悲しくなると同時に、別府温泉というイエローストーンをも凌ぐかもしれないこの素晴らしい自然の宝を民間の営利目的で、エレファント・マンのように見世物にしている日本という国の愚かさというか、民度の低さを知った。非常に陰鬱とした気分にさせられた別府温泉の訪問であった。

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(蓋をされた何とも惨めな龍巻地獄)

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(同じ規模であるのに胸のすくような豪快な景観を見せるオールド・フェイスフル)
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アメリカのホームレスの多くは退役軍人であることを知る [サステイナブルな問題]

アメリカのニューヨークにいるホームレスは、ほとんどが退役軍人である。ベトナム戦争の後に、兵隊は故郷に戻る。しかし、そこには職がなかった。そこで、故郷の自治体がどういうことをしたかというと、ニューヨークへの片道バス切符を渡したのである。「ニューヨークに行けば職がある」と思ったからである。

さて、しかし、ニューヨークにも退役軍人が働けるような職はなかった。とはいえ、いまさら故郷に戻ることもできない。したがって、ホームレスになったのである。これが、ニューヨークに多くホームレスがいる理由である。

ということを、現在、参加している学会の先生から聞いた。

現在、若い人を中心に日本が戦争をしてもいいというような雰囲気になっているが、戦争をして一番、被害に遭うのは、戦争に行かされる若い人達である。戦死する確率が高いし、戻ってきても、仕事がなくホームレスになったりするのである。なんで、そんなに不幸せになりたがっているのか。ちょっと不思議な気分になる。

タグ:ホームレス
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マレーニの元町長さんであり、マレーニに地域通貨を導入したジル・ジョーダン女史の訃報に接する [サステイナブルな問題]

 マレーニの元町長さんであり、マレーニに地域通貨を導入したジル・ジョーダン女史が亡くなられていたことをインターネットの記事で知った。

http://www.sunshinecoastdaily.com.au/news/maleny-loses-a-friend/448231/

 私は彼女を2005年に訪ねた。そして取材をさせてもらった。その取材結果は、拙著「サステイナブルな未来をデザインする知恵」におさめるつもりだったのだが、頁数などの制約から入れることができなかった。代わりに、私が学生達と出版している雑誌「ハビタット通信」に収めさせてもらった。地域通貨とコミュニティによる統治といった概念を私に教えてくれた恩人である。

http://www.meijigakuin.ac.jp/~hattori/Habitat%20Correspondence/mokuji.pdf

 その後、2008年にも再訪するが、その時は既に彼女はマレーニから引っ越していて会うことはできなかった。父親の看病のために引っ越したのだが、その地で帰らぬ人となったのである。
 
 それ以来、全然、ご無沙汰してマレーニに行っていなかったら、ウェブサイトで彼女の訃報に接した。ここに心より故人の冥福をお祈りさせていただく。彼女と取材した時の写真をアップさせていただく。左がジルで、右が実姉のアン・ジュップである。

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京都の夜が暗くて感銘を受けた。さすが京都だ。 [サステイナブルな問題]

3月11日以降、私が気になってしょうがないのは東京の夜の明るさである。ベルリンやデュッセルドルフといったドイツの都市だけでなく、ニューヨークに比べても、原発事故後も遙かに明るい。この煌々たる不夜城のような都市。現時点でも原発を稼働させてなくても、東京はこんなに無駄に浪費する電力を有していることに愕然とする。私は大学の教員をしているが、同僚の電気点けっぱなしは驚くほどである。なんで、みんなこんなに電気を無駄に使っているのだろう。そして、原発を稼働しなくては大変なことになる、などと主張する都知事候補を当選させたりして、なんかみんな日本という国を潰そうと企んでいるのではないかと思ってしまうぐらいである。

そのような絶望的な気持ちを持っていた私であるが、京都の烏丸御池のそばのホテルに泊まって驚いた。烏丸御池といったら京都でも繁華街の中心のようなところである。それなのに、夜が暗いのだ。コンビニの明るさが異彩を放つような夜の闇に、私は、そうか、分かっている人達は分かっているのか。ということを理解して、感銘を覚えた。東京ではバカのように電力を浪費しているが、京都という日本のアイデンティティでもあり、守るものが多い都市においては、しっかりと電気の消費を節約しているのだ。よくよく考えたら、日本という国において守るべきものは、国家ではなく、日本という文化である。そして、その文化的なDNAを最も有しているのは、これは東京ではまったくなく京都である。東京がなくなっても日本は大丈夫だが、京都がなくなると相当、危ない。それはアイデンティティ喪失に繋がる。そのような、日本にとって極めて重要な場所においては、しっかりと節電をして、夜も暗くして、サステイナビリティを維持させているのだ。ということを理解した。私も早く、東京を脱出しなくてはならないな、という気持ちをさらに強くした。今は海外への脱出を考えているが、それが経済的に適わなければ、出来れば京都に引っ越したい。

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クルマ社会がいち早く訪れたアメリカにおいて、1961年にルイス・マンフォードが述べた指摘。 [サステイナブルな問題]

クルマ社会がいち早く訪れたアメリカにおいて、1961年にルイス・マンフォードが述べた指摘。

「現在の郊外体制のもとでは、あらゆる都市機能が自動車道路の例にしたがう。それはますます摩擦と欲求不満を募らせながら、空間を食い荒らし時間をつぶす。一方、自動車道度は、速度と伝達の範囲を増大するというもっともらしい口実のもとに実際はそれを妨害し、都市の断片を地域圏全体にでたらめにばらまくことによって、たやすく人々が集まったり出会ったりする可能性を失わせているのである」(『歴史の都市 明日の都市』、生田勉訳、1969年)

これは随分と鋭すぎる指摘である。マンフォードがタイムマシンで現在にきたとしたら、憤死してしまうだろうなあ。状況は、彼が指摘した時代よりはるかに悪化しているから。

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小泉首相は「晩節を汚した」と批判する自民党関係者はまったく誤解している [サステイナブルな問題]

 東京都知事選は舛添氏が当選した。このところ、私が投票すると必ず落ちるという、もう自分が貧乏神なのではないかと思うぐらいの状況なので、今回は妙に落胆していない。さて、ところで小泉首相は「晩節を汚した」と自民党関係者は批判しているらしい(下記、参照)が、私はむしろまったく逆なのではないかと思っている。

http://mainichi.jp/select/news/20140210k0000m010075000c.html

 小泉首相は脱原発を打ち出したことで、長期的にはたいへん優れた首相として、むしろ首相時代の汚点も打ち消すことができるような歴史的評価を得られるのではないかと考えている。なぜなら、それほど遠くないうちに原発事故がまた起きるからである。福島原発の事故の教訓は、原発事故が原発村の人が主張していたより遙かに高頻度で起こりえるということと、実際、事故が起きると若年層を中心に大きな健康被害が生じることだ。福島県の18歳以下の子供達は通常の100倍以上の甲状腺癌の被害者が出ている。
 人類はあと何回の原発事故に耐えられるのか。どこまで辛抱できるのか。私はよく見極められないが、ドイツ人はチェルノブイリと福島の2回で、これ以上は辛抱できず、脱原発を決断するのに至った。日本人は2回では無理なようだ。これは、世界で唯一の被爆国であることを考えると随分と辛抱強い。これは、第二次世界大戦での敗戦濃厚であっても諦め悪く、敗戦を受け入れることができなかったメンタリティが現代でも生きているということであろうか。あと2〜3回くらいの事故は踏ん張れそうだが、まあ、永久にしがみつくことはまず無理であろうし、しがみつこうとしたら日本人は永久にこの地球上から消え去るであろう。原発に対しては負けるが勝ち、ということに早く気づくべきであろう。気力で放射能には勝てない。
 まあ、おそらく人類的には、社会主義にあいかわらずしがみついている北朝鮮と同じように、空気が読めない国、民族として、原発に意固地に執着するおかしい国として世界から奇異な目で見られ、パロディ化され、そして孤立無援化していくのではないだろうか。
 本当に自覚しておいた方がいいと思うのは、日本は第二次世界大戦では、今の北朝鮮どころではないほどの世界の嫌われ者であり、孤立していたということだ。最近は、そうでなくても、靖国神社の参拝問題や慰安婦問題で、中国や韓国のメディア戦略によって、イギリスやアメリカまでもが、最近では「日本ってちょっとやっぱり分からないよね」みたいに思うようになりつつある中、まさにABCD包囲網的に「日本ってやっぱり変じゃない。苛めようよ」みたいな状況になっていることに気がつくべきであろう。
 そして、原発事故で世界に大迷惑をかけておきながら、それを反省していないような行動を取っている日本という国。あまり、空気が読めないでいると、そのうち、本当に強烈なバッシングを受けるようになりそうで怖い。とりあえず、いつでも日本を脱出できるようにしておかないと本当に不味いことになりそうだ。
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舛添氏は何をもってして「東京を世界一」にしようとしているのか [サステイナブルな問題]

都知事選に出馬している舛添氏。「五輪を成功させ、東京を世界一にする」と気勢を上げている。さて、しかし「世界一」とは一体、何をもってして世界一にしようとしているのか。都市は多様であり、それぞれの都市に、それぞれの良さがある。東京が客観的に世界一であると言いたいのであれば、分かりやすいのは人口、人口密度、面積、GDP・・・それぐらいであろうか。しかし、人口が多いということは果たしてよいことなのだろうか。人口密度も微妙な指標である。高ければ、それだけ都市の活力を反映させているかもしれないが、空間アメニティは削減される。公園や緑が多い都市の方がいいと思う人にとってはマイナスだ。そのように考えると、ある都市を「世界一にする」と言う時点で、何も都市のことが分かっていないなというころが露見されている。都知事に求められるのは、そこに住む都民が、東京はいい都市だ、という気分にさせてくれることだ。現状では、まったくそうは思えない。東京湾の放射能汚染は今年の夏ぐらいがピークだ。そういう都市が「世界一」を目指すのは、ちょっと外しているであろう。もっと、地に足をつけて、地道に日々、改善させていくよう努力をすることが求められているのだ。我々が求めているのは決して「世界一」の都市ではない。ただ、安全で、日々の暮らしがしっかりと維持できるような都市行政なのである。原発などといった危険なエネルギーに依存せずにも暮らせる、サステイナブルな生活を求めているだけなのだ。

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フランスの経済哲学者、セルジュ・ラトゥーシュの言葉 [サステイナブルな問題]

フランスの経済哲学者、セルジュ・ラトゥーシュの言葉を幾つか紹介したい。

「いまの消費社会は、成長経済によって支えられているが、その成長は人間のニーズを満たすための成長ではなく、成長をとめないための成長だ」

「この有限な惑星でかぎりなき成長がいつまでもつづくと信じているのは、単なる馬鹿とえせエコノミストだけだ。が、困ったことにいまは、えせエコノミストと馬鹿ばかりの世界になっている」

「もし幸福が消費の度合いによって決まるものなら、われわれはすでに十分幸福なはずです。マルクスの時代にくらべて26倍も消費しているのですから。しかし、人々がその頃よりも26倍幸福だと感じていることを示す調査結果は皆無です」

いい言葉だなあ。しかし、本当に、日本は「単なる馬鹿」と「えせエコノミスト」だらけだ。特に、原発を推進させようとしている輩は、何を考えているのかも分からない。そんなに原発は儲かるのか。軍事的目的で必要だと考えている奴がいたら、原発をターゲットにされることの危険性の方がよほど危ないという事実に気づいた方がいいだろう。いや、敵にターゲットにされる前に、地震で自爆してしまう状況を考えたら、軍事的にもむしろマイナスであろう。我々は、いい加減に目を覚ますべきだ。特に東京都民は。
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「原発をやめて電気料金が上がれば、倒産する中小企業が多いだろう」という出鱈目 [サステイナブルな問題]

東京都知事選で主要4候補が参加する討論会が2月1日に開かれた。なぜ、田母神氏が主要4候補に入るのか、この時点でこの国はおかしいのじゃないかと思わないでもないが、原発に関して「原発をやめて電気料金が上がれば、倒産する中小企業が多いだろう」との意見を述べていた。

まあ、これは田母神氏の特異性をうかがえるような意見ではなく、一般的な原発推進者がよく使うレトリックであるが、現在(1月31日)、動いている原子力発電所は一基もない(http://www.gengikyo.jp/db/fm/plantstatus.php?x=d)。
しかし、中小企業は倒産しているのか。別に電気料金の値上げで倒産していないだろう。むしろ、電力会社が電気料金を上げようとするのは、原発事故の処理のためであり、それに莫大なるお金を費やさなくてはならないからであるのと、自分たちの給料を下げたりしたくないからだろう。「原発を止める→電気料金が上がる」というロジックが正しくない。それに、中小企業が困るのは、むしろ電気料金の値上げより消費税増税ではないのだろうか。増税によって、消費に対してのマイナス効果が現れるのは明らかであるからだ。

私は3日前まで、病院に入院していた。9階の高さにあり、上野周辺の夜景がよく見えたのだが、真夜中でも煌々と不夜城のように明るい。これは、例えばマンハッタンやロンドンなどの都心と比べてもはるかに明るいのだ。なんて、東京とは、電気を無駄にしている都市なんだろうとつくづく思う。世田谷区長の保坂氏の『闘う区長』を最近、読んだのだが、原発事故後、盆踊りを節電をしながらやったら、「東電社員が商店街を回りながら「街灯をぜひつけてもらえませんか」と営業していた、という笑えない話も聞いた」(p.105)そうだ。

要するに電気は余っている。電気を無駄に浪費させようというのが東電の経営戦略であり、その無駄な電力をつくるのに原発を使いたいだけなのだ。忌野清志郎の叫び「電力は余っている、原発はいらねえ」(サマータイム・ブルース)をもっと多くの人々は耳を傾けるべきであろう。清志郎は事故が起きる前に叫んでいたのだが、事故が起きたらさらに「いらねえ」のだ。

何でこんな簡単なことが分からないのであろうか。本当、不思議。こんなことも分からないから、俺オレ詐欺のような政治家を当選させちゃうんだな。しかし、今度の都議会選でどうにか舵を元に戻さないと、本当、滝壺に落ちるような事態になってしまうのではないか、心配である。

闘う区長 (集英社新書)

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オリンピックを開催するというのは、権利ではなくて義務となっている [サステイナブルな問題]

渋谷学園渋谷中学・高校で講演をする。相手は中学生、高校生である。「若者のためのまちづくり」がテーマで、同名の拙著を出版してくれた岩波書店が企画した講演会である。

話は「まちとは何か?」ということで、「ディズニーランドは果たしてまちか?」という私の問いかけにいろいろな意見が出されてくる。上手い具合に、まちだという学生と、まちでないという学生とが意見を言い合い、とても活発なディスカッションが展開する。「(ディズニーランドは)規則があるとまちでないというのであれば、田園調布には住民協定があるからまちでないことになる」とか、「泊まるところがないなら、やはりまちでないだろう」、「いや、ホテルはある」とか、いやあ、なかなか知的で刺激的だ。残念ながら、私が教える大学のゼミでも、こんな風には活発な議論は展開しない。

さて、このように鋭い中学生・高校生であったのだが、講義の終わりの方で、何か質問があるかを尋ねたら、「オリンピックの新国立競技場がつくられる近所に住んでいるのですが、新しい競技場が出来ることをどうしても止めさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」と聞いてきた学生がいた。

ううむ、これは難しい質問だ。そこで私が回答したのは、「あのような建物がつくられることに反対したいのであれば、オリンピックを開催させたら駄目だ。オリンピックの開催に全力で反対しなくてはならない。今は、東京はオリンピックを開催するのが権利ではなく義務となっている。義務となっている以上、どこかに新国立競技場をつくらなくてはならないが、東京が出した企画案では現状の場所である。そして、あの場所において、あの案を決めた後で反対するのは、残念だけど後の祭りである。あの案を決めるような審査委員を選んだ時点で、もうあまり抗う術はない」というような回答をした。

私自身もあまり納得した回答ではない。繰り返すが、私は東京のオリンピックの開催に反対してきた。とんでもないことだ、と思っていた。しかし、開催することが決定した後、その個々のプロジェクトに反対することは間違っていると思う。むしろ、オリンピックを開催するのであれば、その開発効果を十二分に東京という都市が享受しなくては、大変な大赤字になると危惧している。そういうことで、新国立競技場の案にも賛成である。

しかし、そうはいっても、個々人のレベルであるとこの学生のように、恐ろしく不利益を受けてしまう。このような不利益が生じることを、オリンピックを賛成していた人達はどの程度、理解していたのであろうか。今さら返上する訳にもいかない。なんて東京は失敗をしてしまったのだろうか、と思わずにはいられない。それほど遠くない未來では、東京という都市はオリンピックで浮上し、オリンピックで沈む都市として評価されることになるのかもしれない。

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田母神俊雄のツイッター上での不愉快な発言 [サステイナブルな問題]

都知事選ラジオ番組アンケートで田母神俊雄が1位らしい。
http://rensai.jp/p/63359
これは、ほとんど気が狂っているような状況としか思えないが、国が滅びる時は得てして、そういうことなのかもしれないなとも思ったりもする。重要なことは国が滅びても個人は生き延びることかな、と思ったりもするが、とりあえず田母神氏のツイッターでの発言を紹介しておきたい。彼を支持する人は、自分たちには田母神氏の矛先が向かないと思っているのかもしれないが、それは大間違いだと思う。火の粉はちょっと油断をすると自分の方にも降ってくる。それにしてもツイッターを馬鹿発見器と表現した人は的を射ている。

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タグ:田母神俊雄
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