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養老鉄道を廃線にしようとする愚かな考えを糾弾したい(1) [サステイナブルな問題]

 養老鉄道についてちょっと勉強する機会があった。
 養老鉄道という三重県桑名市と岐阜県大垣市、そして岐阜県揖斐川町とを結ぶ延長57.5キロメートルの鉄道路線がある。駅数は27駅であり、沿線自治体は7市町村。養老鉄道を経営するのは養老鉄道株式会社。本社は岐阜県大垣市にある。株主は近畿日本鉄道株式会社であり、完全な近鉄の子会社だ。
 この養老鉄道を「公有民営方式」か「廃線」の二者択一を近鉄は大垣市に昨年、申し出た(2015年8月23日中日新聞)。近鉄と県、沿線の7市町村の話し合いが続くが、具体的な解決策は見出せていない。
 公有民営方式というのは、車両は線路などを自治体が保有するが、経営は鉄道街者側が行うという方式である。現在、年間収入が10億円、年間支出が19億円で赤字額9億円のうち近鉄が6億円、自治体が3億円負担している。中日新聞は公有民営方式にすると、「沿線市町の負担額が大幅に増えるなど課題も多い」としているが、鉄道を保全しようとするなら、沿線市町が負担するのは極めて当然のことだと思う。一方、近鉄が6億円の赤字を負担し続けることはおかしい。もし、養老鉄道を保全したいのであれば、自治体がそれ相応の負担をするべきである。
 さて、その理由を述べる前に幾つか、鉄道の世界的というか先進国の常識を整理する。
 基本的に鉄道の運行経費を運賃収入で賄えると考えていることは、まったく間違っている。日本は奇跡的に、山手線や中央線、関東関西の大都市圏の私鉄で、鉄道事業が黒字を出しているが、これは世界的には奇跡としかいえない現象である。私はカリフォルニア大学バークレイ校の大学院で世界的に著名な交通計画の専門家であるRobert Cervero氏の交通計画の講義を受けていたことがあるが、彼が「公共交通が黒字であることはあり得ない」と言ったので、「先生、それは間違っています」と発言をし、その時、先生は「何を言ってるんだ、ワッハッハッ」と笑い飛ばしたのだが、さすが世界的に著名なだけあって、講義後、私を呼び出して「お前の言っていたことは本当か」と聞いてきたので、「本当です」と私は頬を膨らませて答えたら、「ちょっと私の研究助手をしてくれ」と言ってきた。お金に困っていた私は喜んで、彼のオファーを受け、「縦の物を横にする」作業をした。彼はその後、私の調査結果を踏まえて、『Transit Metropolis』や『Transit Villages in 21st Century』といった著書で東京の交通計画のことを記述する。もちろん、私への謝辞もしっかりと書いてもらっている。ちなみに、数年後、同じバークレイに留学をした日本人から、「Cervero先生は日本の交通のことに私等日本人留学生より詳しいんです」と私に述べたりしたが、なんてことはない、それは私が入れ知恵をしたからである。いや、話が長くなってしまったが、言いたいことは公共交通で黒字経営を強要するような考え自体が世界的にみると本当に異常である、ということが言いたかっただけだ。
 ちなみに日本人が大好きなフライブルクのトラムも大体運賃収入では5割程度しか回収できないし、これは私が取材をしたから確かだがシュツットガルトでさえ3割しか回収できていない。同じように自分が調べたアメリカのポートランドのトラムは1割である。まあ、ポートランドは1995年に調べたので、その後、ネットワークも拡張したので、この数字は多少、よくなったかもしれない。
 それに比して、例えば日経新聞がこっぴどくその赤字を以前、批判していた多摩都市モノレールは8割を回収できていた。
 日本の公共交通は世界的には信じられないくらい優等生なのである。
 このように先進国では、公共交通は赤字であるというのが前提であるので、当然、そのインフラ整備・インフラ管理は補助を受ける。そして、上下分離も積極的に進められている。アメリカはISTEAとそれを引き継いだTEA21という法律のもと、その基盤整備には連邦政府の道路予算からの補助を受けることが可能となった。しかし、運営費での補助はされないことから、その運営費の赤字分はその整備を考えている自治体が住民投票で、赤字を補填するために消費税を上げることの是非を判断した。ダラス市などは、住民投票でそれを是として、DARTが整備されたのである。
 そもそも、公共交通は黒字経営を期待されているが、同じ社会基盤である道路は100%赤字の公共事業である。赤字事業であるのが前提であるから、いらない道路がどんどんつくられるのに対し、赤字を出すことが許されない鉄道事業が、地域が必要であると切に願っているのに廃線にするというのは、公共政策として根本的に間違っているのではないか。というか、鉄道という圧倒的な社会基盤を公共政策の範疇に組み入れられていない現状がおかしいのではないだろうか。
 養老鉄道はその利用者が随分と減っているとはいえ、その年間利用者は600万人を越える。一日当たり2万人弱が利用しているのである。これが廃線になった場合の社会的損益の甚大さを考えれば、それを税金で負担することなどある意味で当たり前であると思われるのだが、そのような当たり前であると思われることが当たり前にいかない。まあ、当たり前だと思われることが当たり前に行われないというのは、現在の日本社会の特徴であるので、まあ、またかという感じだが、何が養老鉄道の問題を複雑化させているのであろうか。
 大雑把ではあるし、多少、無責任かもしれないが、次の3点がネックになっていると思われる。
1)7市町村の温度差:自治体によって、養老鉄道を存続させようという意志の強弱の違いがある。特に重要な結節点である大垣駅を抱える大垣市が積極的ではない。養老鉄道がいかに大垣市にとって重要であるか、ということが理解できていないのは残念至極であるが、まあ、そのような状況であるらしい。養老鉄道の大垣市における重要性については、また後日、このブログに記したいと思うが、沿線自治体の足並みが揃っていないのが、大きなネックである。
2)近鉄のえぐさ:近鉄は公有民営方式を主張している。赤字であれば、沿線自治体等に完全譲渡すればいいのだが、それはどうも嫌らしい。しかし、養老鉄道株式会社という近鉄子会社の社長は、近鉄のお偉いさんで、養老鉄道ではなく近鉄に常に目が向いている。養老鉄道のような地方鉄道は、地域を向いて、地域の利用者のことを考えて運営すべきである。赤字を負担するのは嫌なのはよく理解できるし、負担する必要もない。それなりの妥当な価格で、完全譲渡をし、近鉄という会社ではなく、沿線の自治体を見て、経営する会社を新設すべきであるのに、それをさせてくれない。この会社のえぐさが、養老鉄道の真の再生を妨げていると思われる。
3)社会基盤としての鉄道の過小評価:これは、別に養老鉄道だけでなく、日本全体にいえることだが、社会基盤としての鉄道があまりにも過小評価されている。先月、ユーロレイルでヨーロッパを移動した。特に、私の研究テーマであるドイツの人口縮小都市をめぐったのだが、人口1万人程度のところであれば、すべて鉄道でアクセスすることができる。しかも、結構、しっかりとネットワーク化されている。最近のドイツの鉄道は、人口縮小地域においても新規参入が増えている。ドイツ鉄道のサービスの悪さ、という点をついたサービス水準の高い鉄道運営で、新たなマーケットを獲得している事例もある。そのうち、調べてみようと思っているが、北海道は鉄道を廃線にしたところほど、その衰退が激しい印象を受ける。高齢化が進展していく中、自動車に過度に依存した地域の衰退は必至ではないだろうか。本当に地方は鉄道を廃止する覚悟があるのか。大垣市のように鉄道の結節点であるがゆえに、人々を集客し、それなりの商業発展をしてきた都市が、その結節点という優位性を放棄する覚悟が本当にあるのだろうか。ビジネスホテルの営業という点からは随分とマイナスになるということに皆、気づかないのだろうか。
 この3つのネックは、すべて養老鉄道に起因する問題ではなく、政治的な問題だったり、企業のエゴイスティックな企業風土の問題だったり、または人々の勉強不足による誤解であったりしている。そのような問題で養老鉄道が廃線になるというのは不合理であり、不条理である。これが廃線になることは、沿線地域だけでなく、日本社会にとっても大きな損失になることに気づいた。養老鉄道に関して、ちょっと勉強をしたいと考えており、また仮説等をこのブログで発表したいと思っている。

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