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エコロジカル・デモクラシーについて考える [サステイナブルな問題]

一般財団法人エコロジカル・デモクラシーの設立記念パーティーに参加した。こじんまりとした会かと思ったら、結構、多くの人が来ており、また数名の知人もいたりして、流石、東工大は違うと感心した。さて、エコロジカル・デモクラシーは私もバークレイで学んだランディ・へスターが提唱するコンセプトである。そのコンセプトというか思想を広く普及させるというのが、この財団法人の目的であるが、エコロジカル・デモクラシーをどう捉えるか、ということで明確なビジョンがないというか、そのコンセプトをしっかりと捉えられていないという印象を失礼ながら受けた。
 ただ、自分もいろいろとプレゼンテーションを聞きながら、考えを整理することができた。私は、ランディ・へスターの考えを雑誌に紹介したり(Bio City No.13)、本でも紹介したりした(『サステイナブルな未来をデザインする知恵』鹿島出版会)ので、まあよく理解している方であるとは思うのだが、エコロジカルとデモクラシーの関係性は、デモクラシーが機能していないとエコロジーは壊される、といった解釈をするのが妥当であると思われる。また、エコロジーがしっかりと維持されていても、デモクラシーが機能しているかというと、それはあまり関係がないと思われる。というのは、人間もエコロジーの部分でしかなく、その人間の社会形態であるデモクラシーもエコロジーの一要素にしか過ぎないからである。ただ、その人間はいわばエコロジーにとって癌細胞的に働く場合があり、そのような癌細胞的に人間社会が作動している状況においては、その社会はデモクラシーでないと考えられる。
 とはいえ、デモクラシーが何か、というとこれはなかなか難しい問題であり、環境を破壊しようという共通認識を社会構成要員が皆、合意すれば、デモクラシー社会でもエコロジカルではなくなる。ということは、むしろデモクラシーという概念の中に、環境倫理的なものを含まなくてはいけなくなる。そうすると、このエコロジカル・デモクラシーという思想においては、デモクラシーの再定義といった壮大な試みが求められるのであるが、パーティーでの説明では、むしろ環境に優しい、地域性や自然を意識したまちづくり、といった思想を矮小化した事例紹介がされたり、エコロジカルの対象として、セイクレッド・ランドスケープ(聖なるランドスケープ)の事例が含まれる説明をされたりして、方向性がしっかりとしていない印象を受けた。ちなみに、私はへスターの「聖なるランドスケープ」というゼミ講義を受講したりしたことがあり、へスターが空間デザインをするうえで、住民のそのような意識を重視するという試みを高く評価するものであるし、それはエコロジカル・デモクラシーという概念の中に含まれるものでもあると考えるが、あくまでソーシャル・エコロジーの範疇に入ることであり、エコロジカルとはまず、ヴァーナキュラーな生態系を先に意識しないと、少なくとも起動時においては議論が発散してまとまらなくなるであろう。ちなみに、へスターがヴァーナキュラーな生態系を意識した事例としては、ロスアンジェルスのワット地区周辺にあるオーガスタス・F・ホーキンス自然公園があり、それはこのホームページに紹介しているので、関心があれば参照してもらいたい(http://www.hilife.or.jp/cities/?p=794)。
 ヘスターのアプローチは常に市民参加である。したがって、デモクラシーがむしろ優先される、ただ、デモクラシーという条件をクリアした後に、エコロジカルなアプローチが加わると、よりコミュニティのアイデンティティが強化され、その場所に対してのコミュニティの帰属意識、スチュワードシップが高まる、ということで有効な方法論であると捉えていると思われるのである。前者のソーシャル・エコロジー的な事例にとらわれていたら、エコロジカル・デモクラシーという上位レベルのコンセプトが見えてこない。
 また、経済開発が環境を破壊するので、経済的なアプローチが悪いといったような説明もされていたが、環境を破壊することは極めて非経済である。原発がなぜ悪いのかというと、それが環境をあまりにも破壊するので、経済的にもまったく見合わないからである。少なくとも長期的にはまったく見合わないので、どこの保険会社も保険商品をつくらないのである。そのような認識の甘さも、ちょっと不安を覚えたところである。
 最後に私が、「Bio City No.13」で紹介した取材記事からヘスターの言葉を引用したい。
「私は公民権運動をサポートすることを目的として市民参加を始めたために、エコロジカルな運動をしていることを知ると奇異に感じる人も多い。しかし、私はエコロジーと公民権運動とは密接な関係があると思う(p.83)」
「コミュニティの人と知り合い、そして周辺の環境を理解することが、サステイナブルな社会をつくるためには不可欠であると思う。環境を知り、コミュニティの一員になれば、無責任は環境破壊はしなくなる。エコ・システムを理解していないから、人々は環境破壊するのである(p.83)」
「環境と社会的公正という視点を持つようになったのは、おそらく私が農家で育ったからだろう。周りの人はおしなべて貧乏だった。しかし、さらに貧乏にならないようにするためには、その土地をよく理解して、よく面倒をみてやることが重要だった(p.84)」
 この最後のコメントは環境と経済が肯定的な相乗関係にあることを示唆している。

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