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日本創成会議の「東京の高齢者は地方に行け」提案に反論する [サステイナブルな問題]

「地方消滅」などで物議を醸した増田寛也元総務相が座長の民間有識者でつくる日本創成会議が、またまたとんでも提案をしている。それは、「東京の高齢者は地方に行け」という平成版「姥捨山政策」の提案である。

いやはや。この創成会議は、6月4日に「東京など1都3県で高齢化が進行し、介護施設が2025年に13万人分不足する」との推計結果を発表した。そして、ご丁寧にも、施設や人材面で医療や介護の受け入れ機能が整っている全国41地域を移住先の候補地として示して、「高齢者はとっとと都会から地方に行け」と言い放ったのである。

以下、日本経済新聞のホームページの記事を引用する。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS04H2N_U5A600C1000000/

 創成会議は「東京圏高齢化危機回避戦略」と題する提言をまとめた。全国896の市区町村が人口減少によって出産年齢人口の女性が激減する「消滅可能性都市」であるとした昨年のリポートに次ぐ第2弾。
 東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県では、今後10年間で75歳以上の後期高齢者が175万人増える。この結果、医療や介護に対応できなくなり、高齢者が病院や施設を奪い合う構図になると予測した。解決策として移住のほか、外国人介護士の受け入れ、大規模団地の再生、空き家の活用などを提案した。
 移住候補地は函館、青森、富山、福井、岡山、松山、北九州など一定以上の生活機能を満たした都市部が中心。過疎地域は生活の利便性を考え、移住先候補から除いたという。観光地としても有名な別府や宮古島なども入っている。

引用終わり

 確かに、関東1都3県や京阪神においては今後、後期高齢者が増えていく。医療需要が大幅に向上するのは確かだ。10年後には8万床不足するという推計もある。
 しかし、病室が足りないから地方に行けばいい、というか、地方に追いやる、という考えはあまりにも短絡的ではないだろうか。なぜなら、高齢者が豊かな老後の生活を送るのは、病室だけが必要な訳ではないからだ。それまで生活してきた社会ネットワーク、その土地への愛着、馴染みある空間環境の居心地のよさ(周辺の環境は自我の延長である)などと訣別してまで、病室が優先されるとは到底思えない。
 限界集落的な山村に生活される高齢者を、都会に住んでいる子供が呼び寄せて一緒に暮らし始めると、山村に残った高齢者よりも早く亡くなられるという。山村よりも都会の方が医療環境ははるかに充実しているにも関わらずだ。この話を私は群馬県のある限界集落的で生活することを選んだ高齢者の人達にグループ・インタビューした時に聞いた。それまでの村の社会的ネットワークを失い、子供以外に知り合いもいなければ、またまったく不案内な土地で暮らすことは生きる希望を失わせるのだ。病院が近くにあれば高齢者は幸せになるわけではないし、長生きできる訳ではない。「まだ長生きしたいから、この村に残るんだよ」と冗談めかして発言された、この言葉が印象に残っている。この村には医者も病院もない(歯医者はある)。この場合の都会は高崎市であった。
 さて、この創成会議は、高齢者移住の候補地域までもご丁寧に発表してくれている。それらは以下の通り(地名は地域の中心都市。かっこ内は介護施設の追加整備で受け入れ可能になる準候補地域)である。
【北海道】室蘭市、函館市、旭川市、帯広市、釧路市、(北見市)
【東北】青森市、弘前市、秋田市、山形市、(盛岡市)
【中部】上越市、富山市、高岡市、福井市、(金沢市)
【近畿】福知山市、和歌山市
【中国】岡山市、鳥取市、米子市、松江市、宇部市、(山口市、下関市)
【四国】高松市、坂出市、三豊市、徳島市、新居浜市、松山市、高知市
【九州・沖縄】北九州市、大牟田市、鳥栖市、別府市、八代市、宮古島市、(熊本市、長崎市、鹿児島市)
 これらの都市のほとんどが公共交通を有していない自動車型都市である。高松市や高知市、松山市、函館市などあるじゃないか、と言われるかもしれないが、それらの都市も自動車優先の土地利用がなされているところがほとんどであり、さらに函館や大牟田のように急速な人口減少が進んでいる地域である。
 私が高齢者であれば、自動車が運転できなくなった時点で、むしろ買い物難民となってしまうことを避けるために、泣く泣く引っ越さなくてはいけないような都市である。現在、広島とか仙台とかでみられている現象は、郊外に家を持っていた団塊の世代の人達が、都心のマンションに引っ越しているということだ。私の広島の叔母もそうだが、自動車が運転できなくなる前にどうにかしなくてはと思って、郊外の家を売って自動車がなくても生活できる都心へ引っ越した。広島や仙台など100万人クラスの都市であれば、まだ高齢者が生活できる人口密度と公共交通、安全に歩ける環境が維持できている。しかし、上記の都市は、そのような高齢者が生活できるような都市環境がもはや存在しない。強いていえば、北九州市や松山市か。いや、しかし小倉駅周辺でも高齢者が徒歩環境だけで生活できていけるであろうか。まあ、北九州市は行政的には100万都市であるが、実質的には50万都市であるから、相当、厳しいものがあるだろう。
 高齢者が豊かなシルバー・ライフを送ろうと思うのであれば、日本では東京23区が圧倒的にその条件を満たしている。その次は大阪や京都であろうか。本来的には東京は江戸時代から独身男性の都市であったが、その後、あまりにも不公平にも東京に偏重して資本を投入してきた結果、東京が日本で圧倒的に住みやすい都市になってしまったのである。確かに、地方から若者を引き寄せてきた東京が、この若者が高齢化したことによって、大変な状況になるというのは分からなくもない。しかし、無節操な東京偏重政策は、地方を衰退させてしまい、まったくもって縁のない高齢者が住むには、住み勝手の悪いところにしてしまったのである。いや、断定するのはよくない。農作業などが趣味の高齢者には、それほどは悪くないかもしれない。ただ、人口当たりの病床が多いというだけで、東京の高齢者を地方に行け、という単眼的で、また情に欠如したことを平気で言い放てる、この日本創成会議の無慈悲と無見識に一言いいたいのだ。
 というか、医療面でも実は東京は充実しており、その点からも高齢者は東京にしがみつくべきではないかと思う。量の面では確かに大幅に劣っているが、質の面では、まったくもって地方都市とは比較できないほど優れているからだ。私は二度、大手術をしているが、両方とも東京の病院である。比較的、難しい手術であったがまったくもって上手く施術してくれた。このような腕のある先生も地方都市にいるかもしれないが、それは確率論的には低いであろうし、本当に優れた腕をもっている先生は東京に集中していると思われる。私の以前の主治医は、わざわざ地方都市から飛行機で患者がやってきていた。逆のような行動をする人もいるかもしれないが、圧倒的に少数であろう。医療は床だけで判断するものではない。むしろ、介護をされないように日々、しっかりと歩き、体調管理をすることが重要だろう。そして、日々、しっかりと歩くというような都市環境が備わっているのは、実は東京や大阪、京都なのである。
 目先の道路整備という巨大な予算に惑わされ、地方都市中に道路を張り巡らした結果、地方都市は高齢者にとって極めて優しくない、不便な都市環境へと変容してしまった。そして、そのような政策を推進させてきた地方の政治家や有力者だけでなく行政職員も、子供が優秀であればあるほど、東京へと送り出す。地方が外れクジであるような政策をすすめてきた結果が、今のような東京偏重の状況をもたらしたのであり、高齢者が地方に行け、というのは、東京の発展の妨げになるから地方に追いやろうという意図が見え見えである。さすがに地方も高齢者もそんなに馬鹿じゃないだろう。
 そもそも、大学でさえ、人口比率を上回る大学生が東京周辺に集中している。いや、塩爺が都心での大学の増床を許可するよう働きかけた結果、本来、それほど大都市にある必要がない大学でさえ、ひたすら都心志向になってしまっている。厚木の山奥に青学のキャンパスがあった時は、地方の国立大学に進学していた地方の若者も、青山にある青学、淵野辺の麓に降りてきた青学であれば、青学に来るであろう。若者をどんどん大都市に送り込むような環境整備をして、高齢者は地方へ、というのは、地方をあまりにも馬鹿にしているのではないだろうか。
 これは、つまり、高齢者をも、地方をも馬鹿にしている、本当にろくでもない提言であると思うのである。病床がたとえ不足していても高齢者は東京に住み続けるであろうし、そうすべきである。また、病床が不足しているという状況において、政府がへんな横槍を入れずに市場を適当に機能させれば、どうにかして増やすでしょう。それが、市場経済のいいところである。
 もし、私の言っていることに不愉快を覚えたら、日本創成会議こそ、東京都渋谷区などではなく、青森とか富山とかに移転すべきであろう。インターネットがこれだけ普及している今、別に渋谷区にオフィスを構えなくてもいいだろう。高所から偉そうに言うな、というか、なんでこんな人達の言うことをまともに聞くのだろう。豊島区長さん?
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