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百田尚樹氏の「私も言論人。言論は自由であるべきだ」との開き直りを考察する [サステイナブルな問題]

 作家の百田尚樹氏は「沖縄の2紙(沖縄タイムスと琉球新報)はつぶれたらいい」との発言について、「私も言論人。言論は自由であるべきだ」と沖縄タイムスの電話取材に対して、開き直って回答している(http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=121683)。
 「言論は自由だ」はいいが、それなら「沖縄の2紙」の言論も自由であるべきだ。それを「つぶれたらいい」と言うことは、自分の言論の自由さは確保しておいて、他人は許さない、という極めて自己中心的な人格だなということが推察される。しかも、「沖縄の新聞をしっかりと読んだことはないが」と、ろくに読んだこともないことも白状している。ろくに読んだこともないのに「つぶれろ」とは、ちょっと危ないものさえ感じる。
 さて、しかし「言論は自由だ」はいいが、彼の主張が間違いだらけであると報告しているのが沖縄タイムスの6月27日の記事である(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150627-00000010-okinawat-oki)。
 この記事によれば、百田氏が「普天間飛行場はもと田んぼ」と言ったが、戦前は9千人以上の人が生活していたし、「地主の年収は何千万円」と言ったが、実態は100万円未満が半数を超えていた。作家という職業柄、こういう「出鱈目」を平気で述べるのは問題があるのではないだろうか。南京虐殺もない、などと主張しているが、おそらくろくに調べもしないで言っているのであろう。彼の小説『殉愛』も、内容に嘘があると訴えられているが、おそらく嘘があるのだろうということが、今回の発言からも推察できる。間違ったことを言うのは、「言論の自由」では必ずしもないであろう。
 また、この件での批判に逆上しているらしく、「私が本当につぶれてほしいと思っているのは、朝日新聞と毎日新聞と東京新聞」とツィッターに投稿しているらしい。しかし、自分と違う意見(しかも、私的にはこられの意見の方がずっとまともである)を言うマスコミに「つぶれろ」というのは随分と偏狭な考えの持ち主だ。マスコミでさえ潰したくなるのであるから、個人レベルであったら平気で潰しにかかるであろう。
 百田尚樹氏は小説もエッセイも読んだことがないが、彼こそ「つぶれたらいい」。百田流の「言論の自由」の解釈によれば、こういう発言を私がすることも「自由」ということであろう。しかし、なぜ安倍さんはこんな人を重宝しているのだろうか。類は類を呼ぶ。安倍さんの周辺は、むしろ安倍さんがうまく隠している危険なキャラクターをあぶり出しているような印象を受ける。

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