ドイツの肉製品はすぐ腐る [ドイツ便り]
ドイツの肉製品はあっという間に腐る。これはどうも保存料などを入れていないからだそうだ。日本のハムとかは腐らないよ、というと驚いていた。肉屋はそばにあるので、パンのように毎日でも買いに行ける。実際、多くの人が毎日とは言わないでも、二日に一度くらいのペースで買いに行っているようだ。私もそうしている。ということで、肉は新鮮なのだ。だから美味しい。そういうのは豊かだなと感じるのと同時に、腐ったものを食べたら命に関わる。ここらへんの見極めをドイツ人はどうやっているのかは、こういうブログを書いているにも関わらず不明である。当然、腐った肉を食べて身体を壊しても、そこらへんは食べた方の責任になるのであろう。日本の賞味期限の偽装事件などが大事件になったりするのと比べると、ドイツは消費者がまったく甘やかされていないなと思うのと同時に、しかし、その結果、美味しい肉が食べられる幸せを享受できているのだなと思ったりもする。どちらが真に幸せなのかと問われれば、私はドイツの消費者の方が幸せであると思う。

(私の家の近所の肉屋)

(私の家の近所の肉屋)
ドイツの自動販売機はお釣りを出さないことがあるので要注意だ! [ドイツ便り]
ドイツの自動販売機はお釣りを出さないことが多い。壊れている場合が多いが、そもそも出さないという前提のものもある。例えば、デュッセルドルフの市役所内に置かれている写真撮影機がそうだ。お釣りは出さないよ、ということがドイツ語で書かれている。私はこれに気づかずにコインを多めに入れたら、1ユーロのお釣りが出てこなかった。その事実に驚いた後に、ドイツ語の注意書きを読んで諦めた。しかし、諦めきれない人も見かけた。当然、外国人で、おそらくビザの申請に来たドイツの滞在期間も短い人だと思われるが、一生懸命市役所の職員に文句を言っていた。ドイツの厳しさの洗礼を受けているその姿をみて、私はちょっと自分の昔を見ているような懐かしい気分になった。無駄なのになあ、と同情しつつも、突き放して見ている自分に気づき、徐々にドイツ人的になっているのかとはっと思ったりもした。
さて、お釣りをくれないのは何も機械だけではない。デュッセルドルフのアルトシュタットのウェリゲのビアガーデンでは、駅弁のようにピクルスやタルタル(生肉を刀叩きしたものをパンにのせた料理)を客席に売りに来るが、彼らもお釣りをくれない。ということで、お釣りが少ない時はまだいいが、多いときは注文しないことが重要だ。私も合計で2ユーロ80セントくらいのピクルスに5ユーロ支払ったが、お釣りを貰えなかった。最初は抗議をしたが、すぐ諦めた。詐欺にあったと思い諦め、ピクルスが5ユーロだったと思って食べることにした。
とにかく、ドイツに来たら、人間はもちろんだが機械でさえ信用してはいけない。私の知人は銀行のキャッシュマシーンにまで騙されそうになった(知人がキャッシュマシーンで口座から現金を引き落としたのだが、キャッシュは出てこなかった。これを異常なのではないかと察した知人が抗議をして調べてもらったら、口座上ではお金は引き落とされていた。これは、知人がおかしいと思ったので問題は回避できたのだが、異常ではなく単なる機械の故障であると思ってしまっていたら口座から引き落とした分だけお金が減らされているところであった)。なるべくお釣りをもらわないよう、コインはもちろん、紙幣でも細かいものを準備しておくことが必要だと思われる。そして、お釣りは出さないよ、という注意書きが機械に書かれているかどうかはチェックしよう。それにしても、人間もそうだが機械も信用できない国は気疲れが多い。
さて、お釣りをくれないのは何も機械だけではない。デュッセルドルフのアルトシュタットのウェリゲのビアガーデンでは、駅弁のようにピクルスやタルタル(生肉を刀叩きしたものをパンにのせた料理)を客席に売りに来るが、彼らもお釣りをくれない。ということで、お釣りが少ない時はまだいいが、多いときは注文しないことが重要だ。私も合計で2ユーロ80セントくらいのピクルスに5ユーロ支払ったが、お釣りを貰えなかった。最初は抗議をしたが、すぐ諦めた。詐欺にあったと思い諦め、ピクルスが5ユーロだったと思って食べることにした。
とにかく、ドイツに来たら、人間はもちろんだが機械でさえ信用してはいけない。私の知人は銀行のキャッシュマシーンにまで騙されそうになった(知人がキャッシュマシーンで口座から現金を引き落としたのだが、キャッシュは出てこなかった。これを異常なのではないかと察した知人が抗議をして調べてもらったら、口座上ではお金は引き落とされていた。これは、知人がおかしいと思ったので問題は回避できたのだが、異常ではなく単なる機械の故障であると思ってしまっていたら口座から引き落とした分だけお金が減らされているところであった)。なるべくお釣りをもらわないよう、コインはもちろん、紙幣でも細かいものを準備しておくことが必要だと思われる。そして、お釣りは出さないよ、という注意書きが機械に書かれているかどうかはチェックしよう。それにしても、人間もそうだが機械も信用できない国は気疲れが多い。
デュッセル川の謎?が解明した [ドイツ便り]
デュッセル川はデュッセルドルフの東側にあるヴルフラスの町の泉を水源とするわずか40キロメートルの川である。私の家のそばにあるホフガルテンを流れる小川やケーニッヒ・アレーの運河もデュッセル川であるということを本で読んだ。しかし、それを日本人の知人に言うと、笑い飛ばされ、「違いますよ、南のフォルクスガルテンを流れているのがデュッセル川ですよ」と言われる。この日本人の知人は確信として言っている感じがしたので、そのまま信じたのだが、しかしドイツの本がデタラメを書くとも思えない。ということで、調べてみたらデュッセル川は途中で二本の川に分岐し、南側のものはフォルクスガルテンを流れ、北側のものはホフガルテンを流れて、ライン川に流れ込むことが判明した。この二つに分岐した川はケーニッヒ・アレーの運河で繋がるが、ともに違う河口でライン川に流れ込むことも分かった。ということで本は正しかったが、同時に、日本人の知人の指摘も正しいことが分かり、個人的な謎が解明できた。大したことではないのだが、個人的にはすっきりしたことなので、ここに開陳させていただく。

(初夏のケーニッヒ・アレーの運河。これもデュッセル川)

(ホフガルテンを流れるデュッセル川の冬の夜景)

(初夏のケーニッヒ・アレーの運河。これもデュッセル川)

(ホフガルテンを流れるデュッセル川の冬の夜景)
ベルリンのペルガモン博物館に入るのに1時間近く待つ [ドイツ便り]
ベルリンの世界遺産博物館島にあるペルガモン博物館を訪れる。イースターの土曜日で人出が多かったこともあるが、入るまでに行列で1時間近く待たされた。なぜ、こんなに長い行列ができたかというと二つある窓口の一つが閉鎖されていたからだと思われる。加えて、これだけ並んでいてもちんたらと一つしかない窓口が仕事をしているからだ。日本だと、これだけ行列が長いとどうにか早く処理しようと最大限の努力をしたりする場合が多いと思われるが、ドイツでは他人がいくら時間を無駄にしようが、機会費用を損失しようが痛くも痒くも感じない。これは、もう1年のドイツ生活からよく分かっていることだが、それでも腹立たしい。後ろにいたイタリア人が、「明日の券を買えるか」と私に聞いてきたので「そこの係員に聞けば」と答えると、「そうしたら、ここに並べと言われたのだ」と言う。単に質問をするために1時間もの行列に並ばせるか、と他人事ながら立腹し、「本当にドイツのサービスは最低だ」と言ったら、このイタリア人は「いや、イタリアに来ればもっと酷いサービスが経験できる」と答えた。まあ、そうなのかもしれないが、それにしてもこの効率の悪さは何だと思わずにはいられない。

(ペルガモン博物館の前に出来た長蛇の列。しかし、その原因は人出の多さというよりかは窓口の処理の効率の悪さ)
しかし、これだけ効率が悪いのにヨーロッパでは優等生である。日本はどこかでよほど酷く搾取されているのか、どこかによほど非効率的な要素を抱えているのではないだろうか。ドイツで1年生活すると、日本の長所が多く見えてくる一方で、なぜ、それなのに対等の勝負をさせられているのか、とまた不可思議な点も多く出てくる。対等の勝負どころか、少なくともオリンピックではこの非効率な国に圧倒的に負けているし、ワールドカップでもまったく歯が立たない。何か狐に騙されたような気分である。

(ペルガモン博物館の前に出来た長蛇の列。しかし、その原因は人出の多さというよりかは窓口の処理の効率の悪さ)
しかし、これだけ効率が悪いのにヨーロッパでは優等生である。日本はどこかでよほど酷く搾取されているのか、どこかによほど非効率的な要素を抱えているのではないだろうか。ドイツで1年生活すると、日本の長所が多く見えてくる一方で、なぜ、それなのに対等の勝負をさせられているのか、とまた不可思議な点も多く出てくる。対等の勝負どころか、少なくともオリンピックではこの非効率な国に圧倒的に負けているし、ワールドカップでもまったく歯が立たない。何か狐に騙されたような気分である。
ドイツ人は食い放題が好き? [ドイツ便り]
ドイツ人の友人とスペインへ旅行をする。同じホテルに二泊する。朝食はバイキングで12ユーロぐらいであった。最初の日はここで朝食を取った。これが酷い代物で、野菜はゼロ、ハム、チーズ、ソーセージはドイツより遙かに酷いレベルの代物であった。ハモンがあったので多少期待して口に入れたが、おそろしく油っぽくて、相当の安物を使っていると思われた。ケーキも置かれていたが、チーズ・ケーキなど思わず戻しそうになるほど不味かった。このバイキングで食べられるものはオレンジ・ジュースとコーヒーだけだと思われた。スペインの料理文化は結構、しっかりとしているのは知っていたので、これは外国人観光客だからと舐めきった料理を置いているからだと思われた。ちなみに、ホテルはアメリカ系のホテル・チェーンに買収されたところであった(別に隠す必要もないので明らかにするとベスト・ウェスタン系)。
二日目の朝食は、流石にここで食べるのは酷いと思ったので、友人にカフェでコーヒーと軽くパンでも食べようと提案する。友人はそこで不満そうな顔をしたが、私の提案にのってくれた。さて、展望が開けたオープン・カフェがあったのでそこで食べることにして、コーヒーとサンドイッチを2つほど頼む。4ユーロ50セントであった。このサンドイッチは小さかったが、海老とキュウリが入っていたりして、私はその味に非常に満足した。コーヒーもホテルのものよりは美味しかった。さて、しかし、この朝食に友人が不愉快千万といった対応をしたので驚いた。最初はなぜ不愉快かも分からなかったのだが、こんなちっぽけなものに4ユーロ50セントも払ったことが悔しくてしょうがないということであった。ホテルで食べれば12ユーロで食い放題が出来たのに、悔やみきれない、ということであった。私はちょっと申し訳ないなとは思ったが、とてもあの朝食に12ユーロも払えないし、払ったとしてもオレンジ・ジュースとコーヒーとトーストくらいしか食べられないので、コストパフォーマンス的にはすこぶる悪いので彼の不満は共有できなかったのだが、その考えの違いは面白いと感じた。友人の家にはたびたび泊まらせてもらっていたので、彼が朝食をたくさん食べないことは知っていた。したがって、彼が不愉快になったのは、朝食の量の少なさではなくて、食い放題の機会を逸したことであることは明らかだ。それが、例え不味くても、この食い放題というのはとても彼にとっては魅力的なメニューであったのだ。
よくドイツ人は味よりも量、と言われる。私はドイツ料理も結構、味がよかったりするので、それはどうなんだろうと思ったりしていたが、ちょっとした事件で、本当に量が大切なんだなということを知った。取りあえず、味よりも量。食い放題のようなことに大きな価値を置いているのだな、ということを一人のサンプルからではあるが、そういう仮説を立てるには説得力のある体験をした。とりあえず、彼が日本に来ても高くて美味しい寿司屋ではなくて、安くてもたくさん食べられる寿司屋に連れて行くことにしようと心に固く決意する。
二日目の朝食は、流石にここで食べるのは酷いと思ったので、友人にカフェでコーヒーと軽くパンでも食べようと提案する。友人はそこで不満そうな顔をしたが、私の提案にのってくれた。さて、展望が開けたオープン・カフェがあったのでそこで食べることにして、コーヒーとサンドイッチを2つほど頼む。4ユーロ50セントであった。このサンドイッチは小さかったが、海老とキュウリが入っていたりして、私はその味に非常に満足した。コーヒーもホテルのものよりは美味しかった。さて、しかし、この朝食に友人が不愉快千万といった対応をしたので驚いた。最初はなぜ不愉快かも分からなかったのだが、こんなちっぽけなものに4ユーロ50セントも払ったことが悔しくてしょうがないということであった。ホテルで食べれば12ユーロで食い放題が出来たのに、悔やみきれない、ということであった。私はちょっと申し訳ないなとは思ったが、とてもあの朝食に12ユーロも払えないし、払ったとしてもオレンジ・ジュースとコーヒーとトーストくらいしか食べられないので、コストパフォーマンス的にはすこぶる悪いので彼の不満は共有できなかったのだが、その考えの違いは面白いと感じた。友人の家にはたびたび泊まらせてもらっていたので、彼が朝食をたくさん食べないことは知っていた。したがって、彼が不愉快になったのは、朝食の量の少なさではなくて、食い放題の機会を逸したことであることは明らかだ。それが、例え不味くても、この食い放題というのはとても彼にとっては魅力的なメニューであったのだ。
よくドイツ人は味よりも量、と言われる。私はドイツ料理も結構、味がよかったりするので、それはどうなんだろうと思ったりしていたが、ちょっとした事件で、本当に量が大切なんだなということを知った。取りあえず、味よりも量。食い放題のようなことに大きな価値を置いているのだな、ということを一人のサンプルからではあるが、そういう仮説を立てるには説得力のある体験をした。とりあえず、彼が日本に来ても高くて美味しい寿司屋ではなくて、安くてもたくさん食べられる寿司屋に連れて行くことにしようと心に固く決意する。
多くのドイツ人がスペインに旅行する理由 [ドイツ便り]
ドイツ人はスペイン好きだ。マジョルカ島は、ドイツ語でほとんどの用事が済むそうで、スペインではなくてほとんどドイツだとまで言われる。ゲーテのドイツ語学校にも観光業をしているスペイン人が多くドイツ語を学びに来ていた。知り合いのドイツ人も休みになるとスペインに行く場合が多い。
さて、なぜスペインなのか。もちろん暗くて寒いドイツ人にとってはスペインが魅力に映るからというのも大きな理由なのだろうが、それだけではなくて、第二次世界大戦後、ドイツは周辺諸国に嫌われていたので、同盟国であったイタリアやファシスト政権であったスペインなど、ドイツ人アレルギーが少ない国を好んで訪れたことが要因の一つであったようだ。特に、スペインはドイツ人を強く魅了する何かが加えてあったのだろう。ドイツ人のお気に入りの旅行先として戦後からEUに加盟するまで、スペインは不動の地位を築きあげたのである。
さて、なぜスペインなのか。もちろん暗くて寒いドイツ人にとってはスペインが魅力に映るからというのも大きな理由なのだろうが、それだけではなくて、第二次世界大戦後、ドイツは周辺諸国に嫌われていたので、同盟国であったイタリアやファシスト政権であったスペインなど、ドイツ人アレルギーが少ない国を好んで訪れたことが要因の一つであったようだ。特に、スペインはドイツ人を強く魅了する何かが加えてあったのだろう。ドイツ人のお気に入りの旅行先として戦後からEUに加盟するまで、スペインは不動の地位を築きあげたのである。
デュッセルドルフといえばアルトビール [ドイツ便り]
デュッセルドルフといえばアルトビール。上面発酵のビールである。120年ほど前にこの地に来たので、実はそれほどの歴史はない。冷蔵庫が発明される前は、ビールを腐らせないためにハーブを入れてみたりなどと、いろいろと工夫をしていたそうだ。しかし、冷蔵庫が発明されて、そんなことはする必要がなくなり、我々は美味しいビールを楽しめるようになったのである。
私は、デュッセルドルフに住んでいるからかもしれないが、このアルトビールが好きである。ドイツといえばビールで、ビールといえばピルスであるが、私はこのデュッセルドルフのアルトビールが仕事場のあるドルトムントのピルスなどより美味しいと思う。唯一、オクトーバーフェスで飲んだミュンヘンのピルスは美味しかったと思ったが、それ以外のドイツの都市では、やはりアルトビールが美味しいように感じるのである。これは、飲みにいくところが醸造所隣接のビアガーデンにほぼ決まっているので、新鮮であるからだけかもしれない。
さて、このデュッセルドルフにはディーベルス、フランケンハイム、シューマッハー、ヒュックセン、シュロッサー、ウェリゲ、ハネンの7つのビール醸造所がある。私はハネンはなぜか飲んだことがないが、他は飲んだ。一番、売れているのはディーベルス、次いでフランケンハイムであるが、私が好きなのはヒュックセン、そしてウェリゲか。といっても、ヒュックセンそしてウェリゲはアルトシュタットの醸造書で雰囲気がいいので美味しく感じているだけなのかもしれない。ビールを飲みにいくのであれば、アルトシュタットのヒュックセンもしくはウェリゲの醸造所に足を運ぶ。いくつかの試みを通じて、他を試そうという気持ちはなくなっている。酒飲み文化は日本が断トツに世界で最も洗練されていて素晴らしいと思っているが、ここビールの飲み文化もそれなりに気に入っている。特にタルタルやピクルス、チーズをつまみに200ミリリットルのガラスに入ったビールを飲み干していくのは快感だ。ちなみに、ビールのお代わりは黙ってどんどんんと持ってくる。なので、もう要らない時はしっかりと意思表示をすることが必要だ。

(アルトシュタットにあるウェリゲのビール醸造所に隣接するビアガーデンの店構え)

(ビアガーデンのつまみの例。塩ゆで玉子と生挽肉(タルタル))

(アルトシュタットにあるツム・シュロッセルのビールとつまみのチーズ。見た目は粗野だが味はよい)
ドイツは食事が不味いとか言われているが、このビール醸造所のビアガーデンで夕食を取るのはなかなか素晴らしい。日本の酒飲み文化は素晴らしいと書いたが、日本のビール飲み文化(例えばライオンでビールを飲んだりすること)に比べても、このドイツのビール飲み文化は優れていると思う。これはドイツを去ったら、懐かしく思うドイツの良き思い出になるだろう。
私は、デュッセルドルフに住んでいるからかもしれないが、このアルトビールが好きである。ドイツといえばビールで、ビールといえばピルスであるが、私はこのデュッセルドルフのアルトビールが仕事場のあるドルトムントのピルスなどより美味しいと思う。唯一、オクトーバーフェスで飲んだミュンヘンのピルスは美味しかったと思ったが、それ以外のドイツの都市では、やはりアルトビールが美味しいように感じるのである。これは、飲みにいくところが醸造所隣接のビアガーデンにほぼ決まっているので、新鮮であるからだけかもしれない。
さて、このデュッセルドルフにはディーベルス、フランケンハイム、シューマッハー、ヒュックセン、シュロッサー、ウェリゲ、ハネンの7つのビール醸造所がある。私はハネンはなぜか飲んだことがないが、他は飲んだ。一番、売れているのはディーベルス、次いでフランケンハイムであるが、私が好きなのはヒュックセン、そしてウェリゲか。といっても、ヒュックセンそしてウェリゲはアルトシュタットの醸造書で雰囲気がいいので美味しく感じているだけなのかもしれない。ビールを飲みにいくのであれば、アルトシュタットのヒュックセンもしくはウェリゲの醸造所に足を運ぶ。いくつかの試みを通じて、他を試そうという気持ちはなくなっている。酒飲み文化は日本が断トツに世界で最も洗練されていて素晴らしいと思っているが、ここビールの飲み文化もそれなりに気に入っている。特にタルタルやピクルス、チーズをつまみに200ミリリットルのガラスに入ったビールを飲み干していくのは快感だ。ちなみに、ビールのお代わりは黙ってどんどんんと持ってくる。なので、もう要らない時はしっかりと意思表示をすることが必要だ。

(アルトシュタットにあるウェリゲのビール醸造所に隣接するビアガーデンの店構え)

(ビアガーデンのつまみの例。塩ゆで玉子と生挽肉(タルタル))

(アルトシュタットにあるツム・シュロッセルのビールとつまみのチーズ。見た目は粗野だが味はよい)
ドイツは食事が不味いとか言われているが、このビール醸造所のビアガーデンで夕食を取るのはなかなか素晴らしい。日本の酒飲み文化は素晴らしいと書いたが、日本のビール飲み文化(例えばライオンでビールを飲んだりすること)に比べても、このドイツのビール飲み文化は優れていると思う。これはドイツを去ったら、懐かしく思うドイツの良き思い出になるだろう。
ドイツ人は席を譲らない [ドイツ便り]
ヨーロッパでの日本人観光客のお行儀の悪さを指摘するジャーナリストは多い。『地球の歩き方』などでもたまに書かれたりする。しかし、ドイツ人も相当お行儀悪いと思う時もある。特に列車では自分の荷物を横の席において、人を座らせないというのはよくやる。日本人でもそういう人はいるが、割合的には遙かにドイツ人の方が譲らないと思う。そういうことには慣れている私でも、カッセルからハーゲンに向かう急行列車では愕然とした。というのは、4人掛けの椅子の3つを自分のスーツケースで独占している20代の女の子がいたからである。トランクを引きずる私は、あまりの馬鹿らしさに断りもしないで、そのトランクをのけて空けた椅子に座った。しかし、その女性は私に何も言わないどころか、なんで私のトランクを勝手に動かすのよ、みたいな感じでこちらを見ている。周辺には私以外にも立っている人がいる。こういうことを日本人がすると、得意気に弾劾する日本人が多くいるので、ドイツ人もそういうお行儀が悪いものがいることをここに報告しておく。別に日本人が取り立ててお行儀悪い訳ではなく、どこの国にもお行儀がいい人間がいれば悪い人間もいる。ドイツ語で嫌みが言えればよかったのだが、そのような語学力がないのが残念だ。

(4席を独占していたおねえさん。トランク二つと荷物が多くて大変なのは分かるが、立っている人も多い中、その面の皮は相当厚い。1席は私が荷物をどかして座った。私もトランク一つと結構、大変なのだし3時間近くも乗るのだ。遠慮はしていられない。写真を撮るのは失礼なのは分かっているが、敢えて撮った)。

(4席を独占していたおねえさん。トランク二つと荷物が多くて大変なのは分かるが、立っている人も多い中、その面の皮は相当厚い。1席は私が荷物をどかして座った。私もトランク一つと結構、大変なのだし3時間近くも乗るのだ。遠慮はしていられない。写真を撮るのは失礼なのは分かっているが、敢えて撮った)。
ドイツ鉄道のいい加減さをしつこく告発する [ドイツ便り]
ベルリンでポツダム行きの鉄道に乗った時のことである。普通のリージョナル・バーン、日本でいえば東海道線とか横須賀線のようなイメージの列車である。これに乗って、車内の路線図でポツダムまでどれくらい駅に停まるのかをチェックしようと見ていたのだが、よく分からない。ベルリンは結構、来ているし、職業柄、地図は読み慣れているので、どうして分からないのか自分でも不思議だったのだがよく分からない。中央駅はあるが、なぜツォー駅やオスト駅は書かれていないのだろうか。横須賀線は横浜には停まるが、最近は川崎に停まらなくなったので、そういうルート変更がなされたのか。などと推測していたのだが、相変わらず分からない。というか、中央駅以外で私の記憶に残っているベルリンの駅名がないのである。そこで、ふと気づき、路線図の片隅にある文字を読むと、なんとシュツットガルト広域圏交通システム、のようなことが書かれているではないか。なんと適当な。呆れると同時に、自分が地図をよく読み取れなかった理由も知って安心する。とはいえ、私のような列車オタク的な人間で、都市計画をやっていて地図等を読み取れたから、早めに気づいたようなものの、地図を読むことに自信のない人であったら、この地図をみることで相当混乱を来すであろう。知らない都市を訪れると何しろ地図が頼りになる。特に言葉があまり通じないなら尚更である。その地図がしかし、こんなに適当なのがドイツなのである。フンボルトが泣いているぞ。
最近、アンチ・ドイツ鉄道の記事が多くなっているような気がする。ドイツに関心がない人にとってはどうでもいいことかもしれない。その点、お許しいただきたい。
最近、アンチ・ドイツ鉄道の記事が多くなっているような気がする。ドイツに関心がない人にとってはどうでもいいことかもしれない。その点、お許しいただきたい。
タグ:ドイツ鉄道
ドイツのおばさんの非礼に呆れる [ドイツ便り]
さて、ドイツ生活1年で、さぞかしドイツへの愛着が強まってきているだろうと思いきや、結構、この頃、ドイツの嫌な面が目に付くようになっている。ドイツ鉄道やレストラン等でのサービスの悪さは以前、書いた。これらの劣悪なるサービス提供者の多くはおばさんである。だから、そもそもおばさんへのイメージは悪かった。しかし、最近ではいわゆる普通というか一般人のおばさんの非礼に呆れさせられている。例えば、ドイツ鉄道の窓口で多くの人が待っている中を、体当たりをして道をこじあけたおばさん。このおばさんは小柄で見かけも上品なので、そんな非礼なことをするように全く思えなかったので、大いに驚く。また、最近では本屋のレジで並んでいたら、いきなり割り込んできたおばさんがいた。このおばさんも意地悪そうな顔をしてはいたが、そんな下品なことをするようには思われない風貌をしていたので驚いた。
まあオバタリアンは日本にもいるので、とかくそれがドイツの現象かどうかは不明である。そもそも、どこの国にもある一定の割合で勝手な恥知らずなおばさんは存在しているのかもしれない。でも、少なくとも、ドイツのおばさんの中にもオバタリアンがいることだけは明らかである。まあ、優しいおばさんだけの国などこの世界には存在しないのかもしれない。そうそう、私の上司の学部長はおばさんである。しかし、彼女はとてもネットである。だから、一般論化している訳では決してないことをここで断っておく。
まあオバタリアンは日本にもいるので、とかくそれがドイツの現象かどうかは不明である。そもそも、どこの国にもある一定の割合で勝手な恥知らずなおばさんは存在しているのかもしれない。でも、少なくとも、ドイツのおばさんの中にもオバタリアンがいることだけは明らかである。まあ、優しいおばさんだけの国などこの世界には存在しないのかもしれない。そうそう、私の上司の学部長はおばさんである。しかし、彼女はとてもネットである。だから、一般論化している訳では決してないことをここで断っておく。
ドイツの劣悪なサービス環境には慣れることはないかもしれない [ドイツ便り]
ドイツにはサービスがないと言われる。これは、フランス人はスケベ、ブラジル人は陽気、日本人はくそ真面目(最近はそうではないけどなあ)、などといった紋切り型の偏狭な見方であろうと思っていたのだが、ドイツ生活が1年近く経ち、本当にサービスは劣悪であると感じつつある。特にこの3日間ほどは酷い目に合っている。
まずはドイチェ・バーンことドイツ鉄道。遅れるのは当たり前のドイツ鉄道だが、デュッセルドルフからベルリンまで乗ったら、到着したのは時刻表より84分も後。しかも、中央駅には行かないで南駅に行くとのこと。馬鹿にするなよ、とも思ったがじたばたしないで、東京でいえば立川駅に当たるスパンダール駅で降りる。さて、早速、サービス・ポイントに行って、遅延証明書をもらうために並ぶ。興味深いことは、遅延証明書をもらうために並んでいる人は私しかいなかったことで、もらう際にはいろいろとコンピューターをいじくって時間を確認していた。しかも、いやいやと。とりあえず、しかし遅延証明書はもらい、その日はもう切符売り場の窓口が閉まっていたので、翌日、払い戻しを受け取りに中央駅に行き、10分くらい並んでキップ等をみせると、申請用紙を渡してきて、これを記入してから来なとおとといおいでのような対応を受ける。それなら、サービス・ポイントがくれればいいのに、と思ったが、まあこの二度三度と出直しをさせるのはドイツ鉄道の手であるから負けるものかと思う。たかだか25ユーロの話であるが、このドイツ鉄道のサービスの悪さを罰する必要があると思うからだ。
帰りのベルリンーデュッセルドルフの新幹線は滅茶苦茶混んでいて、座れなかった。仕方なくトランクを通路に置いて座っていたのだが、そこで車掌がやってきてどいてくれ、と行ったので通れるように横になったら、「立て」と言う。Aufstehen!って、ちょっとお前は何様かと驚く。流石に腹が立って、「Deutsche Bahn」と嫌な声でつぶやくと、周りの客がくすくすと笑う。すると、この女性車掌が私の方に、喧嘩をふっかけるような目つきで睨み付けたのである。別に私はただ企業名を言っただけである。本当に呆れる。サービス業の意識はゼロだね、この人達。
さて、その後、デュッセルドルフに戻り、大学へと向かう。なんとドルトムント駅から三駅離れている大学駅まで行く普通列車がキャンセルとなっていた。仕方なく、次の列車を待っていると、次の列車も案内板に表示が出ると同時にキャンセルになっている。最初からキャンセルになることが分かっているなら、予め伝えろよな、と呆れる。これには周りのドイツ人も大落胆である。その次の列車はキャンセルにはなってなかったのだが、とても信用できないというか、信用すると馬鹿を見そうなので、地下鉄で行く。地下鉄だと大学まで30分以上は歩くが、そちらの方がよほどましだ。生憎、天気はさほど悪くない。さて、大学にもっとも近い地下鉄駅を降りると、滅多に来ないバスがちょうど来たので飛び乗る。まあ、それでも通常1時間ちょっとで来られるのに2時間以上はかかった。ちきしょう、ドイツ鉄道。地下鉄代くらいは返せ!と思うが、同僚は無理だと思うとの一言。こんな思いをするなら、自動車に乗ろうと強く思う。例え、『道路整備事業の大罪』という本を書き、自動車を持たない贅沢などのコピーを考えた私であっても、ドイツでは自動車を持たなくドイツ鉄道を使う不愉快さが贅沢気分を台無しにする。少なくとも、旅行は飛行機かレンタカーをしようという気分に偏りつつある。
最近はドイツ鉄道だけではない。私の大好物ともいえるバームクーヘンの名店「ハイネマン」のウェイターも、料金の支払いに5分以上待たされたあげく、チップをあげたのに、お釣りを放り投げるように返されて、せっかくの食事を楽しんだ気分が台無しになった。私はハイネマンのファンだったが、さすがにこの態度を我慢するくらいなら二度と行かないと強く思った次第である(とはいえ、バームクーヘンを買いには来るだろうが)。
まずはドイチェ・バーンことドイツ鉄道。遅れるのは当たり前のドイツ鉄道だが、デュッセルドルフからベルリンまで乗ったら、到着したのは時刻表より84分も後。しかも、中央駅には行かないで南駅に行くとのこと。馬鹿にするなよ、とも思ったがじたばたしないで、東京でいえば立川駅に当たるスパンダール駅で降りる。さて、早速、サービス・ポイントに行って、遅延証明書をもらうために並ぶ。興味深いことは、遅延証明書をもらうために並んでいる人は私しかいなかったことで、もらう際にはいろいろとコンピューターをいじくって時間を確認していた。しかも、いやいやと。とりあえず、しかし遅延証明書はもらい、その日はもう切符売り場の窓口が閉まっていたので、翌日、払い戻しを受け取りに中央駅に行き、10分くらい並んでキップ等をみせると、申請用紙を渡してきて、これを記入してから来なとおとといおいでのような対応を受ける。それなら、サービス・ポイントがくれればいいのに、と思ったが、まあこの二度三度と出直しをさせるのはドイツ鉄道の手であるから負けるものかと思う。たかだか25ユーロの話であるが、このドイツ鉄道のサービスの悪さを罰する必要があると思うからだ。
帰りのベルリンーデュッセルドルフの新幹線は滅茶苦茶混んでいて、座れなかった。仕方なくトランクを通路に置いて座っていたのだが、そこで車掌がやってきてどいてくれ、と行ったので通れるように横になったら、「立て」と言う。Aufstehen!って、ちょっとお前は何様かと驚く。流石に腹が立って、「Deutsche Bahn」と嫌な声でつぶやくと、周りの客がくすくすと笑う。すると、この女性車掌が私の方に、喧嘩をふっかけるような目つきで睨み付けたのである。別に私はただ企業名を言っただけである。本当に呆れる。サービス業の意識はゼロだね、この人達。
さて、その後、デュッセルドルフに戻り、大学へと向かう。なんとドルトムント駅から三駅離れている大学駅まで行く普通列車がキャンセルとなっていた。仕方なく、次の列車を待っていると、次の列車も案内板に表示が出ると同時にキャンセルになっている。最初からキャンセルになることが分かっているなら、予め伝えろよな、と呆れる。これには周りのドイツ人も大落胆である。その次の列車はキャンセルにはなってなかったのだが、とても信用できないというか、信用すると馬鹿を見そうなので、地下鉄で行く。地下鉄だと大学まで30分以上は歩くが、そちらの方がよほどましだ。生憎、天気はさほど悪くない。さて、大学にもっとも近い地下鉄駅を降りると、滅多に来ないバスがちょうど来たので飛び乗る。まあ、それでも通常1時間ちょっとで来られるのに2時間以上はかかった。ちきしょう、ドイツ鉄道。地下鉄代くらいは返せ!と思うが、同僚は無理だと思うとの一言。こんな思いをするなら、自動車に乗ろうと強く思う。例え、『道路整備事業の大罪』という本を書き、自動車を持たない贅沢などのコピーを考えた私であっても、ドイツでは自動車を持たなくドイツ鉄道を使う不愉快さが贅沢気分を台無しにする。少なくとも、旅行は飛行機かレンタカーをしようという気分に偏りつつある。
最近はドイツ鉄道だけではない。私の大好物ともいえるバームクーヘンの名店「ハイネマン」のウェイターも、料金の支払いに5分以上待たされたあげく、チップをあげたのに、お釣りを放り投げるように返されて、せっかくの食事を楽しんだ気分が台無しになった。私はハイネマンのファンだったが、さすがにこの態度を我慢するくらいなら二度と行かないと強く思った次第である(とはいえ、バームクーヘンを買いには来るだろうが)。
ドイツの隣近所のいざこざ事情 [ドイツ便り]
このブログでは書いていないが、隣人とトラブルがあった。このブログに書くとまた何か起きそうで、帰国してからまとめようと思っているが、今日は友人の市役所の職員が仲介者として関わった隣人同士のトラブルに関して紹介してみたい。
友人はある市役所の都市計画課に勤務している都市計画家である。さて、彼がある市民から苦情を受ける。「隣の家のフェンスはBプランに違反しているから、チェックをして欲しい」。友人は早速チェックをしにいった。確かに20センチほどフェンスが建築線から道にはみ出している。これはルール違反だ。しかし、友人はこの市民に言った。「ここで市役所としては是正するよう勧告することはできますが、隣人としてそこまでやりますか。隣人との関係は険悪になりますよ。たまには隣人に助けを求めることもあるんじゃないですか」。しかし、この苦情を言ってきた人は、「嫌、隣人は嫌いだからちゃんと勧告してくれ」。私の友人は仕方なく、市役所として是正勧告をこの苦情を言った市民の隣人に送ることにした。
ちなみに苦情を言った人は、その地元の企業で結構、出世した人。苦情を言われた人は警察官。警察官と喧嘩するかね。とはいえ、20センチのフェンスぐらい見過ごせない心の狭さにはちょっと驚く。もちろん、前から仲は悪かったらしく、フェンスの家の子供が庭でサッカーをしていて、たまにこの苦情を言っている人の家の庭にボールが入ってくることがあったらしい。苦情を言った人は私の友人と同じ町の出身だったのだが、友人は「それは一切関係ありませんから期待しないでください」と釘を刺したようだ。
日本でも騒音おばさんがいたりするから、何とも言えないところがあるが、ドイツ人がみんないい人であることは全くない。当たり前だが。
友人はある市役所の都市計画課に勤務している都市計画家である。さて、彼がある市民から苦情を受ける。「隣の家のフェンスはBプランに違反しているから、チェックをして欲しい」。友人は早速チェックをしにいった。確かに20センチほどフェンスが建築線から道にはみ出している。これはルール違反だ。しかし、友人はこの市民に言った。「ここで市役所としては是正するよう勧告することはできますが、隣人としてそこまでやりますか。隣人との関係は険悪になりますよ。たまには隣人に助けを求めることもあるんじゃないですか」。しかし、この苦情を言ってきた人は、「嫌、隣人は嫌いだからちゃんと勧告してくれ」。私の友人は仕方なく、市役所として是正勧告をこの苦情を言った市民の隣人に送ることにした。
ちなみに苦情を言った人は、その地元の企業で結構、出世した人。苦情を言われた人は警察官。警察官と喧嘩するかね。とはいえ、20センチのフェンスぐらい見過ごせない心の狭さにはちょっと驚く。もちろん、前から仲は悪かったらしく、フェンスの家の子供が庭でサッカーをしていて、たまにこの苦情を言っている人の家の庭にボールが入ってくることがあったらしい。苦情を言った人は私の友人と同じ町の出身だったのだが、友人は「それは一切関係ありませんから期待しないでください」と釘を刺したようだ。
日本でも騒音おばさんがいたりするから、何とも言えないところがあるが、ドイツ人がみんないい人であることは全くない。当たり前だが。
タグ:ドイツ人
デュッセルドルフ市立博物館の「エコロジカル都市」の企画展は凄く今ひとつ [ドイツ便り]
アルトシュタットにあるデュッセルドルフ市立博物館に行く。「エコロジカル都市」の企画展が行われているからである。さて、この市立博物館は1874年に設立された。常設展はデュッセルドルフの都市の歴史に関する展示が為されている。これは無料で、豊富な古地図などがあり、解説も豊富で大変興味深かった。さて、一方の企画展は有料で3ユーロ取られた。それは気にしなかったのだが、肝心の企画の内容はお粗末なものであった。そもそも、「エコロジカル都市」と謳っているのだから、世界中はともかく、ドイツの環境都市を展示しているのかと思ったら、デュッセルドルフの展示であった。しかも、展示内容は少なすぎ。大気汚染管理、水質管理、洪水管理と最近の都市開発プロジェクトが展示されていた。写真撮影も禁止で、資料もない訳ではないが、市役所で手に入るものだけというお粗末なものであった。このお粗末な展示に比して、結構、大々的にポスターやパンフレットが街中に貼ってある。次女も小学校でパンフレットをもらってきていた。こんな宣伝をする前に、展示内容をもうちょっと充実させた方がいいだろう。ちなみに、私が行ったのは土曜日であったが、企画展の閲覧者は私一人であった(常設展は数名いた)。企画展には監視人が2人配置されていたのだが、まったくの無駄というものであろう。期待をしていっただけに馬鹿を見る。とはいえ、博物館の資料館では結構、貴重な資料を手に入れることができたし、常設展はデュッセルドルフ住民であれば見る価値はあると思われる。


置き引きされたドイツだが、それでもイタリアよりは治安がいいようだ [ドイツ便り]
ドイツで置き引きされた身としては、こういうことを言うのは憚れるが、それでもイタリアよりは治安がいいようだ。イタリア人の友人が警察官のお兄さんとデュッセルドルフを訪れたので、共通の友人の日本人と一緒に夕食をしにいった。二軒目でバーに行ったのだが、そこではビールが来てもお金を即座に払わないことで、そのお兄さんは随分と驚いていた。ドイツのバーは店を出る時にお金をまとめて支払う。これは日本でもほとんどのお店がそういうシステムをとっていると思われる。しかし、イタリアでは、こういうシステムにしたら、皆、食い逃げならぬ飲み逃げをするので、あり得ないとこのお兄さんは指摘する。警察官の話であるから、説得力がある。ということで、イタリア人の彼は、ドイツは治安がいいんだなあ、と感心をしていた。置き引きされた身としては、ちょっとそれほどでもないんじゃないかと思ったりするが。
デュッセルドルフに春が来た [ドイツ便り]
2週間前にカーニバルが行われた時は、春の訪れを告げるお祭りにしては随分と気が早いなと思ったりしたが、今日は7度まで気温も上がり、街中の雪はすっかり溶け、ホフガルテンにも緑色に染まりつつある。もうすっかり春だ。ドイツの冬は寒くて暗くて嫌だ、嫌だと来る前に言われて随分と覚悟していたのだが、実際、体験してみるとそれほど大したことはなかった。とはいえ、これはデュッセルドルフというドイツでも最も暖かい地域にて暮らしていたからかもしれない。

(ホフガルテンにも春が訪れた)

(ホフガルテンにも春が訪れた)
デュッセルドルフでは置き引きに注意しろ! [ドイツ便り]
先週、デュッセルドルフ中央駅で置き引きにあった私であるが、その後、情報を収集したらデュッセルドルフでもっとも多い犯罪が置き引きであることが分かった。日本の領事館でも、その昔、置き引きに注意しろとの通知を出していることも知った。しかも最も頻繁に起きるのが中央駅であるそうだ。日航ホテルのロビーでも起きたことがあるそうだ。どうも、組織的に遂行しているらしく、置き引きのプロ集団であるらしい。領事館の人の話を聞いたら、フランスやスペイン当たりから来ているそうだ。
今日、中央駅に行った。やられた私が言うのは何だが、意外とホームにて荷物から目を離している人が多いことに気づいた。確かに、このような状況だと置き引きが実行できるのではないかとも思われた。まあ、置き引きをされてないで注意しろと言われても効果はそれほどないと思われるが、確かに、犯罪がしやすい状況にあることは知った。
このようなことを書いても盗られたものは戻ってこないのであるが、他の人に注意を喚起して、私のような目に合わないことを願い、ここにアップする。ついでに在デュッセルドルフ日本総領事館の日本人犯罪被害状況の資料のサイトも紹介する。ちなみに今日、中央駅では「荷物から目を離さないように」となんと英語でアナウンスがされていた。もしかしたら私が盗られる以前から放送していたのかもしれないが、まあ、こういうアナウンスをするにはそれなりの背景があるということを改めて知る。
http://www.dus.emb-japan.go.jp/profile/japanisch/j_konsular/j_pdf/081103_hanzai.pdf
今日、中央駅に行った。やられた私が言うのは何だが、意外とホームにて荷物から目を離している人が多いことに気づいた。確かに、このような状況だと置き引きが実行できるのではないかとも思われた。まあ、置き引きをされてないで注意しろと言われても効果はそれほどないと思われるが、確かに、犯罪がしやすい状況にあることは知った。
このようなことを書いても盗られたものは戻ってこないのであるが、他の人に注意を喚起して、私のような目に合わないことを願い、ここにアップする。ついでに在デュッセルドルフ日本総領事館の日本人犯罪被害状況の資料のサイトも紹介する。ちなみに今日、中央駅では「荷物から目を離さないように」となんと英語でアナウンスがされていた。もしかしたら私が盗られる以前から放送していたのかもしれないが、まあ、こういうアナウンスをするにはそれなりの背景があるということを改めて知る。
http://www.dus.emb-japan.go.jp/profile/japanisch/j_konsular/j_pdf/081103_hanzai.pdf
コンビニのないドイツではガソリンスタンドがその代替機能を果たしている [ドイツ便り]
ドイツでは商店法が厳しいのでコンビニがない。夜とか日曜とかは中央駅などを除けばほとんど店が閉まっているので、結構大変である。さて、そんなドイツでもガソリンスタンドだけは日曜や夜でも開業しているところが多い。そして、このガソリンスタンドがコンビニ的にジュースや簡単なスナック、雑誌などを売っているのである。ドイツではガソリンスタンドの売り上げにおいて、ガソリンは25%しかもはや占めない。ということは実質的にはガソリンスタンドがドイツのコンビニであると言ってもいいのかもしれない。
しかし、このガソリンスタンドがコンビニと違うのは立地である。日本なんかだとコンビニは駅前とか駅のそばに立地している場合が多いと思う。もちろん、田舎とか郊外だと違うのだろうが、少なくとも大きな都市ではそうであろう。しかし、ガソリンスタンドは交通量の多い道路に立地する傾向が強い。これは日本でもドイツでも同じであろう。ということで、都心に住んでいて、自動車を所有していない私などは近くにガソリンスタンドがないので不便である。商店法の問題をガソリンスタンドに適用させないことは理解できるが、それならせめて通常の店舗に比べて消費税を高くするとか、ある程度、売ってよい商品を制限するなど工夫があってもいいかもしれないと考えたりする。
しかし、このガソリンスタンドがコンビニと違うのは立地である。日本なんかだとコンビニは駅前とか駅のそばに立地している場合が多いと思う。もちろん、田舎とか郊外だと違うのだろうが、少なくとも大きな都市ではそうであろう。しかし、ガソリンスタンドは交通量の多い道路に立地する傾向が強い。これは日本でもドイツでも同じであろう。ということで、都心に住んでいて、自動車を所有していない私などは近くにガソリンスタンドがないので不便である。商店法の問題をガソリンスタンドに適用させないことは理解できるが、それならせめて通常の店舗に比べて消費税を高くするとか、ある程度、売ってよい商品を制限するなど工夫があってもいいかもしれないと考えたりする。
デュッセルドルフ駅で荷物を置き引きされる [ドイツ便り]
夜行列車でワルシャワまで向かうために、デュッセルドルフ駅のホームで列車を待っていた。10分ほど前にホームに着き、寝台列車の停車場所をチェックしようと駅の掲示板を見るためにちょっと荷物から離れた。30秒も見ていなかったと思う。さて、荷物を取ろうと周りを見渡すと魔法のように消えているではないか。え!急いで周囲を見渡したが、私の荷物を持って去っている者は見当たらない。急いで隣にいたおばさんに荷物が取られたのだが誰か見なかったかと聞いたが、誰も見ていないという。まあ、私のドイツ語が今ひとつなので、しっかりと伝わったかどうかは自信がないが、荷物が盗られたことは理解してもらった。ホームをざっと見渡したが、私の荷物を持っている者は見当たらない。ちょっとパニックのような状態になる。しばらくすると、夜行列車が入ってきた。乗るかどうか迷ったが、ここは乗らないことにする。最初に話しかけたおばさんがちょっと怪しいと思ったが、列車に乗るときにチェックすると特に私の荷物は持っていないようであった。
列車が去った後、一通りホームをチェックしたが、それらしきものは見当たらなかった。仕方がないので、駅のサービス・センターで荷物が盗まれたことを言うと、つまらなそうな顔をしながら「警察に行け」と言われる。そこで、警察に行く。警察に行くと、とりあえず身分証明書を出せ、と言われたのでパスポートを出し、事情を説明する。ちなみに盗られたものはガラガラの鞄とカメラバッグであった。具体的に盗られたものをメモしろと言われたので次のように記す。
・ ガラガラの鞄(ポルシェ・デザイン)
・ ポーランドの観光ガイド2冊
・ スケッチブック
・ 筆箱と筆記用具
・ 洗面用具(電動髭剃り)
・ 靴下3足
・ 下着
・ Tシャツ3枚(ユニクロと椎名林檎とラジオヘッズ)
・ スェット・シャツ(ノース・フェイス)
・ フリース(ノース・フェイス)
・ カメラバッグ
・ カメラ(CANON EOS50D)
・ レンズ(CANON EF70-200mm F4L USM)
・ レンズ(CANON EF-S17-55mm F2.8 IS USM)
・ 替えのバッテリー
・ コンパクト・フラッシュ
とまあ、これが被害の実態であった。金額のことを書くのははしたないというか情けないが、鞄の方は鞄本体が一番高くて700ユーロくらいだったと思う。ミュンヘンで2005年8月に購入した。ちょっと横に長くて使い勝手は悪かったが、頑丈なつくりでまだまだ使えた。他は電動髭剃りがちょっともったいないくらいか。問題はカメラバッグの中身である。カメラ自体は1000ユーロとそれほど高くはなく、買って半年くらいだが、ちょっと調子が悪いのでそれほどもったいないとは思わないのだが、レンズはもったいない。望遠が買値で10万円前後、広角の方は13万円前後くらいしたと思う。購入してからともに4年も経っていないと思われる。広角の方は2006年5月の発売直後に買っているから4年は経っていない。まだまだ使えたので悔しい限りである。
警察では被害届け書を作成してもらいサインをした。とはいえ、これで何かできることはあるのかと聞くと、何もできないとの答え。まあ、当たり前だろう。盗難されたのだから。しかし、デュッセルドルフの中央駅で置き引きとかはあるのか、と聞くと、結構あるとのこと。ショックである。私は通勤でしょっちゅう中央駅を使っている。まさか置き引きをされるとは夢にも思わなかった。
これまで盗難された経験はほとんどない。大学時代にオーストラリアのユースホステルに泊まっていた時、財布から7万円盗られたことがある。同室の日本人旅行者がとても怪しく、一緒に行った友人は問い詰めようと言ってくれたのだが、お金を盗んだことを証明することは極めて難しい。これはしょうがなく諦めたのだが、他にはベトナムのホーチミンでおばさん達に取り囲まれているうちにレンズを盗まれたくらいである。ブラジルには10回以上行っているし、アメリカでも7年間暮らし、インドやインドネシアでもそのような目に合ったことがなかったのにドイツで置き引きとは。しかも、まさか使い慣れているデュッセルドルフで、本当に数秒間でものの見事にガラガラ鞄が盗られるとは想像すらしたことがなかった。ドイツでは列車に乗る時、皆、結構席から離れているところに平気で荷物を置く。成田エキスプレスと同じようなものなのだが、こういうことが出来るというのは、基本的に盗難される危険がないからなのである。もちろん、私の場合は列車内ではなく駅ということだったので、状況は違うがそれでも驚く。デュッセルドルフの中央駅でやられたというのも驚くが、やられて言うのも何だが、その手際のよさにも驚いた。どうやって盗られたかも皆目、検討がつかない。置き引きなどは間抜けがやられるものであると高をくくっていたのだが、まさか自分がやられるとは。しかもドイツで。以前、大学の同僚がミラノの空港で置き引きされたことがあり、その時、魔法にかけられたようだと言っていたのだが、正直、冷ややかに聞き流していたと思う。しかし、実際あってみると、本当に魔法のようであった。これは、本当、狐に化かされているような気分である。
まあ何を言っても自分を慰めることもできないが、以後、しっかりと荷物から手を離さないように注意するようにしようと思い、明日への糧とするしかないか。しかし、レンズが盗られたのは本当に悔しい。いっそ、キャノンのシステムを捨てて、ニコンに鞍替えでもするか。もうそうでも思わないと悔しくてやりきれない。
列車が去った後、一通りホームをチェックしたが、それらしきものは見当たらなかった。仕方がないので、駅のサービス・センターで荷物が盗まれたことを言うと、つまらなそうな顔をしながら「警察に行け」と言われる。そこで、警察に行く。警察に行くと、とりあえず身分証明書を出せ、と言われたのでパスポートを出し、事情を説明する。ちなみに盗られたものはガラガラの鞄とカメラバッグであった。具体的に盗られたものをメモしろと言われたので次のように記す。
・ ガラガラの鞄(ポルシェ・デザイン)
・ ポーランドの観光ガイド2冊
・ スケッチブック
・ 筆箱と筆記用具
・ 洗面用具(電動髭剃り)
・ 靴下3足
・ 下着
・ Tシャツ3枚(ユニクロと椎名林檎とラジオヘッズ)
・ スェット・シャツ(ノース・フェイス)
・ フリース(ノース・フェイス)
・ カメラバッグ
・ カメラ(CANON EOS50D)
・ レンズ(CANON EF70-200mm F4L USM)
・ レンズ(CANON EF-S17-55mm F2.8 IS USM)
・ 替えのバッテリー
・ コンパクト・フラッシュ
とまあ、これが被害の実態であった。金額のことを書くのははしたないというか情けないが、鞄の方は鞄本体が一番高くて700ユーロくらいだったと思う。ミュンヘンで2005年8月に購入した。ちょっと横に長くて使い勝手は悪かったが、頑丈なつくりでまだまだ使えた。他は電動髭剃りがちょっともったいないくらいか。問題はカメラバッグの中身である。カメラ自体は1000ユーロとそれほど高くはなく、買って半年くらいだが、ちょっと調子が悪いのでそれほどもったいないとは思わないのだが、レンズはもったいない。望遠が買値で10万円前後、広角の方は13万円前後くらいしたと思う。購入してからともに4年も経っていないと思われる。広角の方は2006年5月の発売直後に買っているから4年は経っていない。まだまだ使えたので悔しい限りである。
警察では被害届け書を作成してもらいサインをした。とはいえ、これで何かできることはあるのかと聞くと、何もできないとの答え。まあ、当たり前だろう。盗難されたのだから。しかし、デュッセルドルフの中央駅で置き引きとかはあるのか、と聞くと、結構あるとのこと。ショックである。私は通勤でしょっちゅう中央駅を使っている。まさか置き引きをされるとは夢にも思わなかった。
これまで盗難された経験はほとんどない。大学時代にオーストラリアのユースホステルに泊まっていた時、財布から7万円盗られたことがある。同室の日本人旅行者がとても怪しく、一緒に行った友人は問い詰めようと言ってくれたのだが、お金を盗んだことを証明することは極めて難しい。これはしょうがなく諦めたのだが、他にはベトナムのホーチミンでおばさん達に取り囲まれているうちにレンズを盗まれたくらいである。ブラジルには10回以上行っているし、アメリカでも7年間暮らし、インドやインドネシアでもそのような目に合ったことがなかったのにドイツで置き引きとは。しかも、まさか使い慣れているデュッセルドルフで、本当に数秒間でものの見事にガラガラ鞄が盗られるとは想像すらしたことがなかった。ドイツでは列車に乗る時、皆、結構席から離れているところに平気で荷物を置く。成田エキスプレスと同じようなものなのだが、こういうことが出来るというのは、基本的に盗難される危険がないからなのである。もちろん、私の場合は列車内ではなく駅ということだったので、状況は違うがそれでも驚く。デュッセルドルフの中央駅でやられたというのも驚くが、やられて言うのも何だが、その手際のよさにも驚いた。どうやって盗られたかも皆目、検討がつかない。置き引きなどは間抜けがやられるものであると高をくくっていたのだが、まさか自分がやられるとは。しかもドイツで。以前、大学の同僚がミラノの空港で置き引きされたことがあり、その時、魔法にかけられたようだと言っていたのだが、正直、冷ややかに聞き流していたと思う。しかし、実際あってみると、本当に魔法のようであった。これは、本当、狐に化かされているような気分である。
まあ何を言っても自分を慰めることもできないが、以後、しっかりと荷物から手を離さないように注意するようにしようと思い、明日への糧とするしかないか。しかし、レンズが盗られたのは本当に悔しい。いっそ、キャノンのシステムを捨てて、ニコンに鞍替えでもするか。もうそうでも思わないと悔しくてやりきれない。
デュッセルドルフのカーニバルのパレードを観に行く [ドイツ便り]
デュッセルドルフのカーニバルのハイライトのパレードが、ローゼンモンターグ(今年は2月15日)に行われたので見学に行く。パレードはトンハレを12時30分に出発し、ハインリッヒ・ハイネ・アレーを通り、アルトシュタットを練り歩き、ビルク駅まで行く。アルトシュタットの通過時間が13時と予定されていた。我々はこのパレードのルートのそばに住んでいるので、12時頃に家を出て、アルトシュタットに入る直前のホフ・ガーデンのところで待つ。時間的に早かったこともあって最前列を確保することができた。見学人もほとんどが派手に仮装をしていて、お祭り気分は高まる。
さて、パレードが始まる頃には4列くらいになっており、結構、人出は多かった。このパレードの特徴は、練り歩きながらおひねりをパレードしている人が投げるということだ。フロートの上から投げられる場合が多く、まさにお菓子やらティッシュやら花やらが空から降ってくる。我々はパレードが始まった直後の場所にいたこともあり、配る側も多少、スタート時の興奮状態にあり、まだ在庫も多く、気前がよいのか、非常に多くのお菓子等をゲットすることができた。ただ、これらを直接キャッチするのは難しく、多くが道に落ちる。しかも、午前中に雪がぱらついていたので道には水たまりがある。これは、ちょっと拾うには気が引けるが、隣のドイツ人の男の子は気にせず、次から次へと拾ってくれるので、我々は気が楽だった。パレード自体は結構、芸がなく、ブラスバンドとへなちょこ踊り、という感じだったが、フロートは強烈な風刺が効いていて、それは楽しめた。とはいえ、ドイツ風の下ネタジョークはちょっとついて行けなかった(例えば、男のむき出しの尻に、他の男性が顔を突っ込もうとしているものや、政治家だと思われる中年男性がカマを掘られているものなど)。知り合いの四国出身の日本人男性が、「準備をしないよさこい」と形容していたが、納得する。
とはいえ、ヘラウという叫び声とともに、お菓子を投げ、それをゲットするというパレードと観衆の関係はなかなか興味深く、面白い。日本のあまり元気がない地方都市などは、ちょっとお祭りとかも元気がなくなっているので、このような工夫をしてみるのも一興かも知れない。さて、このパレード、気負って写真も多く撮影したのだが、コンパクト・フラッシュが破壊されたらしく、写真が全部おじゃんになってしまっていた。ということで写真がアップできないのだが、今日のパレードの成果の写真をアップしておく。パレードは3時間ほど続いた。3時間でこれだけの収穫があるというのは、なかなかパフォーマンスがよかったのではないかと思われる。

さて、パレードが始まる頃には4列くらいになっており、結構、人出は多かった。このパレードの特徴は、練り歩きながらおひねりをパレードしている人が投げるということだ。フロートの上から投げられる場合が多く、まさにお菓子やらティッシュやら花やらが空から降ってくる。我々はパレードが始まった直後の場所にいたこともあり、配る側も多少、スタート時の興奮状態にあり、まだ在庫も多く、気前がよいのか、非常に多くのお菓子等をゲットすることができた。ただ、これらを直接キャッチするのは難しく、多くが道に落ちる。しかも、午前中に雪がぱらついていたので道には水たまりがある。これは、ちょっと拾うには気が引けるが、隣のドイツ人の男の子は気にせず、次から次へと拾ってくれるので、我々は気が楽だった。パレード自体は結構、芸がなく、ブラスバンドとへなちょこ踊り、という感じだったが、フロートは強烈な風刺が効いていて、それは楽しめた。とはいえ、ドイツ風の下ネタジョークはちょっとついて行けなかった(例えば、男のむき出しの尻に、他の男性が顔を突っ込もうとしているものや、政治家だと思われる中年男性がカマを掘られているものなど)。知り合いの四国出身の日本人男性が、「準備をしないよさこい」と形容していたが、納得する。
とはいえ、ヘラウという叫び声とともに、お菓子を投げ、それをゲットするというパレードと観衆の関係はなかなか興味深く、面白い。日本のあまり元気がない地方都市などは、ちょっとお祭りとかも元気がなくなっているので、このような工夫をしてみるのも一興かも知れない。さて、このパレード、気負って写真も多く撮影したのだが、コンパクト・フラッシュが破壊されたらしく、写真が全部おじゃんになってしまっていた。ということで写真がアップできないのだが、今日のパレードの成果の写真をアップしておく。パレードは3時間ほど続いた。3時間でこれだけの収穫があるというのは、なかなかパフォーマンスがよかったのではないかと思われる。

デュッセルドルフの高級住宅地カイザースベルトに散歩に行く [ドイツ便り]
デュッセルドルフの高級住宅地であるカイザースベルトに散歩に行く。自宅から地下鉄という名の路面電車で、一本で行ける。カイザースベルトは、バルバロッサ皇帝が1135年に砦をここに設けるのだが、これはデュッセルドルフが村として認められる以前のことであった。ということで、デュッセルドルフの歴史はここカイザースベルトから始まるという非常にデュッセルドルフ的には由緒ある場所なのである。ということで、デュッセルドルフの観光資源としてもアルトシュタット、ケーニッヒ・アレー、メディエンハーフェンに次いで郊外にあるにも関わらずベンラス城と双璧をなす重要なスポットなのだ。とはいえ、日本人がわざわざ足を延ばすような観光地ではない。あくまでドイツ人向け、というか市内の小学生の遠足のための観光地である。

さて、私が訪れたのは、この砦を見てみたいなというのもあったのだが、ドイツの高級住宅地はどのようなものか、というのを見たいというのもあった。実際訪れると、結構戸建て住宅はそれほどなく、テラスハウスのような集合住宅が多くあった。実際、家の中に入ると驚くのかもしれないが、外見的にはそれほど広大な住宅はあまり見られず、アメリカ人と違って、広さで贅沢を覚えるよりかは質で贅沢を楽しむ傾向があるのではと勝手に推察する。ただし街並みは落ち着いていていい。この公共性の豊かさみたいなものを追求する気持ちが結構ドイツでは強いのではないかと思う。もちろん、すべてのドイツ人がそういう志向ではないこともドイツ生活をしたことで理解しつつあるが、この公共性を豊かにしたいという人の割合が他の国に比して高いような気がする。そして、カイザースベルトの町としての公共性は豊かであるというのが歩いていると理解できる。落ち着いていて風情がある街並みである。


(カイザースベルトの落ち着いた街並み)
さて、なかなかいいものを見たなとは思ったが、私は自分の住んでいるペンペルフォルトの方が住み心地はいいだろうと感じた。これは何も私がカイザースベルトに住む金がないので僻んでいる訳では決してなく、カイザースベルトのような村のような住宅地では、匿名性もなく、外国人である私にとっては住みにくいだろうなと思ったのと同時に、このペンペルフォルトの雑多性、猥雑性が私にとってはすこぶる快適であることを改めて感じたからである。実際、カイザースベルトのカフェで出されたケーキやコーヒーは、ペンペルフォルトのカフェのレベルには遠く及ばない。カイザースベルトにはミシュランに載るようなフレンチ・レストランがあるが、ペンペルフォルトにはリーズナブルなビアガーデンがいくつもあるし、トルコ料理からスペイン料理、イタリアンなど多彩な食事を楽しむことができる。何しろ肉屋が大袈裟でなく10軒くらい徒歩圏にあるのが個人的には嬉しい(日本ではベジタリアンであったものの発言とは思えない)。本屋もでかいのだけで二軒はあるし、文房具屋も複数ある。消費環境もそうだが、近隣の住民も全員ではないが、干渉はしないが、それほど疎遠ではなく緩やかに繋がるような関係性が維持できている(一人、おかしいのがいるが)。これはやはり都市で生活することで享受できるメリットかなと思う。私がドイツ人であれば、そのように思わないでカイザースベルトでの生活も楽しめるかなとも思うが、残念ながら日本人なので、この人口密度が1ヘクタール100人を越えるペンペルフォルトでの生活の方が自分には向いているかなとも思ったりもした。まあ、私は根っからの都市というかアーバニティ好きなので、そう思うだけのかもしれない。

(私が愛するペンペルフォルトのノードストラッセの街並み)

さて、私が訪れたのは、この砦を見てみたいなというのもあったのだが、ドイツの高級住宅地はどのようなものか、というのを見たいというのもあった。実際訪れると、結構戸建て住宅はそれほどなく、テラスハウスのような集合住宅が多くあった。実際、家の中に入ると驚くのかもしれないが、外見的にはそれほど広大な住宅はあまり見られず、アメリカ人と違って、広さで贅沢を覚えるよりかは質で贅沢を楽しむ傾向があるのではと勝手に推察する。ただし街並みは落ち着いていていい。この公共性の豊かさみたいなものを追求する気持ちが結構ドイツでは強いのではないかと思う。もちろん、すべてのドイツ人がそういう志向ではないこともドイツ生活をしたことで理解しつつあるが、この公共性を豊かにしたいという人の割合が他の国に比して高いような気がする。そして、カイザースベルトの町としての公共性は豊かであるというのが歩いていると理解できる。落ち着いていて風情がある街並みである。


(カイザースベルトの落ち着いた街並み)
さて、なかなかいいものを見たなとは思ったが、私は自分の住んでいるペンペルフォルトの方が住み心地はいいだろうと感じた。これは何も私がカイザースベルトに住む金がないので僻んでいる訳では決してなく、カイザースベルトのような村のような住宅地では、匿名性もなく、外国人である私にとっては住みにくいだろうなと思ったのと同時に、このペンペルフォルトの雑多性、猥雑性が私にとってはすこぶる快適であることを改めて感じたからである。実際、カイザースベルトのカフェで出されたケーキやコーヒーは、ペンペルフォルトのカフェのレベルには遠く及ばない。カイザースベルトにはミシュランに載るようなフレンチ・レストランがあるが、ペンペルフォルトにはリーズナブルなビアガーデンがいくつもあるし、トルコ料理からスペイン料理、イタリアンなど多彩な食事を楽しむことができる。何しろ肉屋が大袈裟でなく10軒くらい徒歩圏にあるのが個人的には嬉しい(日本ではベジタリアンであったものの発言とは思えない)。本屋もでかいのだけで二軒はあるし、文房具屋も複数ある。消費環境もそうだが、近隣の住民も全員ではないが、干渉はしないが、それほど疎遠ではなく緩やかに繋がるような関係性が維持できている(一人、おかしいのがいるが)。これはやはり都市で生活することで享受できるメリットかなと思う。私がドイツ人であれば、そのように思わないでカイザースベルトでの生活も楽しめるかなとも思うが、残念ながら日本人なので、この人口密度が1ヘクタール100人を越えるペンペルフォルトでの生活の方が自分には向いているかなとも思ったりもした。まあ、私は根っからの都市というかアーバニティ好きなので、そう思うだけのかもしれない。

(私が愛するペンペルフォルトのノードストラッセの街並み)
デュッセルドルフのカーニバルは激しい [ドイツ便り]
デュッセルドルフはカーニバル。ということで日本人の友人とアルトシュタットに繰り出したら、まさに狂乱状態であった。街中に置かれたスピーカーからは大音量でダンス・ミュージックがかかっている。ほとんどのものが仮装しており、なかなか派手である。仮装をしていない人達のために、とりあえずその場しのぎ的の仮装衣装を売っている屋台なども出ている。ドイツなので皆、ビールをしこたま飲んでいるようで、しかもエコロジカルなのかどうか分からないがビールは瓶ビールなので、割れた硝子が路上に散乱している。この日は25セントのデポジットなどは全く人々の頭に入っていないのではないかと思われる。基本的には多くの世界中の祭りと同様に、軟派が積極的にあちらこちらで展開しているように見受けられた。興味深いのは、仮装をしてアルトシュタットに繰り出しているのが若者だけでなく、おじいちゃん、おばあちゃんといった世代の人達も多いことである。我々が入ったバーでも結構、歳のいった人達が多くいて、強烈な酒を煽っていた。さすがドイツ。

(街中は半狂乱の状態であった)


(皆、こんな感じで仮装をしている)
さて、まあカーニバルの雰囲気を多少囓ったので、帰路についたのだが、街中は硝子の破片とごみが散乱していて、いつもの美しい街並みのアルトシュタットはどこにいってしまったのであろうという感じであった。危険は感じないが、ここまで激しいとちょっと引ける。あとブラジルのカーニバルに比べて今ひとつだったのは音楽である。バーなどでもかかっていた音楽は、オクトーバーフェストのテントでもかかっていたドイツのフォークソング調の音楽をディスコビートに乗っけたような曲で、これはブラジルのサンバに比べると音楽的には遙かに劣る。ブラジルのカーニバルはやはり偉大であるなとドイツにいて思わせられた。とはいえ、まだデュッセルドルフのカーニバルのハイライトである薔薇の月曜日はまだ先である。これはちょっと楽しみにしている。



(この汚さからは、環境国家ドイツとはとても言えないなと思う)

(街中は半狂乱の状態であった)


(皆、こんな感じで仮装をしている)
さて、まあカーニバルの雰囲気を多少囓ったので、帰路についたのだが、街中は硝子の破片とごみが散乱していて、いつもの美しい街並みのアルトシュタットはどこにいってしまったのであろうという感じであった。危険は感じないが、ここまで激しいとちょっと引ける。あとブラジルのカーニバルに比べて今ひとつだったのは音楽である。バーなどでもかかっていた音楽は、オクトーバーフェストのテントでもかかっていたドイツのフォークソング調の音楽をディスコビートに乗っけたような曲で、これはブラジルのサンバに比べると音楽的には遙かに劣る。ブラジルのカーニバルはやはり偉大であるなとドイツにいて思わせられた。とはいえ、まだデュッセルドルフのカーニバルのハイライトである薔薇の月曜日はまだ先である。これはちょっと楽しみにしている。



(この汚さからは、環境国家ドイツとはとても言えないなと思う)
デュッセルドルフはカーニバル [ドイツ便り]
今日からカーニバルである。次女の通う小学校でも、今日は仮装して行く。氷点下の極寒の中、児童達は仮装姿にジャケットなどを羽織って通学していく。面白そうなので次女に付いていき、ちょっと同級生の写真を撮らしてもらう。担任の先生もカボチャ姿で出迎え、「カーニバルは初めて。ちょっとクレイジーなのよ」と言った。印象的だったのは、キッスのジーン・シモンズに仮装した男の子である。まず100%、親の趣味であろう。ちょっと親の趣味の強制に可哀想な気もしたが、同級生からは人気者であった。とはいえ、ジーン・シモンズが分かる小学2年生はドイツにはほとんどいないと思われる。他には、動物系が多い。インディアンとか西部劇のガンマン系も結構多くいた。



さて、その後、大学に向かうためにデュッセルドルフ中央駅に行くと、なんと仮装をした大量の人々で溢れていた。カメラを持ってこなかったのが残念だが、相当の躁状態である。興味深いのは、何人かのグループで同じ仮装をすること。ホモ系の警察官とか、妖精とか、看護婦とかである。ユニフォームが好きなんだ なと知る。私は極めて協調性のない人間なので、このユニフォームを着たがるという気持ちがちょっと分からないが、皆、楽しそうである。また、今日はオフィスでは無礼講で、特の女性は好き勝手が出来るらしい。よくやるのが、ネクタイを鋏で切ってしまうというものだが、中央駅では、多分切られようのぼろネクタイが売られていた。この風習を知らずに、日本からやってきたビジネスマンがデュッセルドルフの支社で女性社員にネクタイを切られて、大ギレした話がある。まあ同情するが、キレたのは情けない。
その後、電車でドルトモントの中央駅に行ったのだが、ここではほとんどの人が仮装をしていなかった。一部、少しだけ見かけたが、圧倒的なマイノリティである。デュッセルドルフは、仮装をしていない方がマイノリティで居場所がないような気分にさせられたのだが、偉い違いである。特急で1時間も離れていないのに、ドルトモントとデュッセルドルフでは文化圏が違うことを知る。



さて、その後、大学に向かうためにデュッセルドルフ中央駅に行くと、なんと仮装をした大量の人々で溢れていた。カメラを持ってこなかったのが残念だが、相当の躁状態である。興味深いのは、何人かのグループで同じ仮装をすること。ホモ系の警察官とか、妖精とか、看護婦とかである。ユニフォームが好きなんだ なと知る。私は極めて協調性のない人間なので、このユニフォームを着たがるという気持ちがちょっと分からないが、皆、楽しそうである。また、今日はオフィスでは無礼講で、特の女性は好き勝手が出来るらしい。よくやるのが、ネクタイを鋏で切ってしまうというものだが、中央駅では、多分切られようのぼろネクタイが売られていた。この風習を知らずに、日本からやってきたビジネスマンがデュッセルドルフの支社で女性社員にネクタイを切られて、大ギレした話がある。まあ同情するが、キレたのは情けない。
その後、電車でドルトモントの中央駅に行ったのだが、ここではほとんどの人が仮装をしていなかった。一部、少しだけ見かけたが、圧倒的なマイノリティである。デュッセルドルフは、仮装をしていない方がマイノリティで居場所がないような気分にさせられたのだが、偉い違いである。特急で1時間も離れていないのに、ドルトモントとデュッセルドルフでは文化圏が違うことを知る。
デュッセルドルフの地下鉄で、終点で降り忘れる [ドイツ便り]
取材をする約束があるためにハムに行かなくてはならないために、デュッセルドルフ中央駅行きの地下鉄に乗った。資料を読んでいて、もうそろそろ終点の中央駅に着く頃だよなと周りをみたら、誰もいない。列車はゆっくりと止まる。なんと、降り忘れたのだ。日本だと丁寧に車掌とかが「終点ですよ」と行って降ろしてくれると思うが、ここ自己責任のドイツではそういうことはしない。この地下鉄の車庫でこれからどうすればいいのだろうと途方に暮れていたら、運転手が出てきた。運転手に、とりあえず謝ると「問題ない」と言う。え!と思っていると、「そのうち、また動くから車内で待っていればいい」と言って、自分は列車から降りてどこかへ去っていった。取材の時間にはもう間に合わないが、それより、いつになったら動くのだろうか。とはいえ、車内灯は幸い点いたままだったので、また資料を読み始める。すると10分もしないでまた動き始めた。今度は、資料を読むのを止めて、中央駅に着くのを待つ。中央駅が始発なのである。列車がホームに入ると、ホームで待っている乗客達は、私を訝しげに見ていた。当たり前であろう。さて、取材場所には30分ほど遅れて着いた。私はよく電車で本とかを読んでいると降り忘れることをしてしまうのだが、まさか終点の駅で降りないとは自分でも呆れてしまう。しかも、アポまでしているのに。
ドイツ鉄道が遅れたので払い戻しの手続きを行う [ドイツ便り]
コペンハーゲンからデュッセルドルフまでドイツ鉄道で帰ったのだが、いきなり始発駅のコペンハーゲンで40分くらい遅れた。その後、フェリーに乗る時も遅れたりして、結局、ハンブルクで乗り換えようと思った列車に乗り遅れてしまった。ハンブルク20時46分発の列車に乗ろうとしたのに、22時46分発の列車に乗ることになったのである。結局、デュッセルドルフに着いたのは午前2時30分であった。
さて、ドイツ鉄道は1時間以上遅れると払い戻しがされる。今回は2時間遅れであるのだが、車掌に問い合わせると、払い戻しの申請用紙を渡され、到着駅で遅れた証拠のスタンプを押せと車掌に言われる。しかし、2時過ぎでは当然、窓口はもう閉まっている。何、考えてんのか。同行した大学の同僚は怒り心頭だ。とはいえ、じたばたしてもしょうがないので従う。さて、デュッセルドルフ駅に着くと、窓口は閉まっていたのだが情報センターみたいな場所には人がいたので、とりあえずスタンプは押してもらう。そして、明後日、窓口に行く。窓口に行くと、こちらの想定に反してスムーズに事務処理をしてもらった。現金で旅費の50%が返ってきた。
さて、ドイツ鉄道は1時間以上遅れると払い戻しがされる。今回は2時間遅れであるのだが、車掌に問い合わせると、払い戻しの申請用紙を渡され、到着駅で遅れた証拠のスタンプを押せと車掌に言われる。しかし、2時過ぎでは当然、窓口はもう閉まっている。何、考えてんのか。同行した大学の同僚は怒り心頭だ。とはいえ、じたばたしてもしょうがないので従う。さて、デュッセルドルフ駅に着くと、窓口は閉まっていたのだが情報センターみたいな場所には人がいたので、とりあえずスタンプは押してもらう。そして、明後日、窓口に行く。窓口に行くと、こちらの想定に反してスムーズに事務処理をしてもらった。現金で旅費の50%が返ってきた。
ドイツにはアップル直営店が2店しかない! [ドイツ便り]
私は1990年からのアップル・ユーザーである。1990年の後半、日本の会社で働いていた時は、アップル・ユーザーであることで多くの嫌がらせを受けた。アップルで働かせてくれる部署を求めてジプシーのごとく異動を続けた。まさに異教徒のような迫害を受けたのである。これは何も会社に限ったことではなく、学会でも若きリーダー的先生に「アップルを駆逐することを目指している」などと嫌みを言われたものである。都市計画において重要なことは多様性であるので、そんなファッショなことを言ってもいいのかと思ったりもしつつも肩身の狭い思いをした。大学でもアップル・ユーザーは学部で一人であったが、そのうち若手の先生がアップル派になった。iPODのお陰である。
さて実は私が所属しているドルトムント工科大学の空間計画学部はアップルなのである。もう、アップルが主流でウィンドウズが異教徒という、プロテスタント教徒がアメリカに移住した時のような開放感を覚えているのだが、そのような環境は大学だけであることを知った。というのは、付属品を買わなくてはいけなくなったのだが、インターネットのアップルストアでは間に合わないので直営店で買いに行こうとしたら、なんと直営店はミュンヘンとハンブルクにしかないではないか。デュッセルドルフには流石にあるだろうと思っていたから意外であった。ベルリンかフランクフルトにはあるべきだろうし、デュッセルドルフかケルンのどちらかには開店すべきであろう。ショックである。とはいえ、付属品はドイツのヨドバシカメラともいうべきザターンで手に入れることができたので、そんな問題はなかったのだが、寂しい気分になる。
さて実は私が所属しているドルトムント工科大学の空間計画学部はアップルなのである。もう、アップルが主流でウィンドウズが異教徒という、プロテスタント教徒がアメリカに移住した時のような開放感を覚えているのだが、そのような環境は大学だけであることを知った。というのは、付属品を買わなくてはいけなくなったのだが、インターネットのアップルストアでは間に合わないので直営店で買いに行こうとしたら、なんと直営店はミュンヘンとハンブルクにしかないではないか。デュッセルドルフには流石にあるだろうと思っていたから意外であった。ベルリンかフランクフルトにはあるべきだろうし、デュッセルドルフかケルンのどちらかには開店すべきであろう。ショックである。とはいえ、付属品はドイツのヨドバシカメラともいうべきザターンで手に入れることができたので、そんな問題はなかったのだが、寂しい気分になる。
タグ:アップル直営店
サービス不毛の地、ドイツ [ドイツ便り]
ドイツはサービスが悪いと言われる。確かに悪い。特にデパートが悪い。サービスがなくて、値段が高くて誰が買うか、と私の同僚はけなす。まあ、確かにサービスは、スーパー等ではビニール袋を買わなくてはいけないが、デパートではくれるくらいか。
とはいえ、今日はなかなか凄い体験をした。デパートの上階にある電気器具売り場で、アダプターを買おうとした。アダプターを見せて、これを売っているかと言うと、ソフトウェアを売っているところで聞け、と言われる。ソフトウェアを売っているところに言って聞くと、携帯用プレイヤーのところで聞け、と言われる。携帯用プレイヤーのところに行くと、コンピューター売り場に行け、と言われる。コンピューター売り場に行って、ようやく目指したものを見つけてもらえた。しかし、ちょうど店を一周したのだが、このたらい回しは何なのだ。まあ、もう慣れたから怒りもしないが、本当、ドイツのサービスは酷いよねえ。探していたものが見つかったからいいものの、見つからなかったらフラストレーションが凄く溜まると思う。
しかし、最近ではこのサービス不毛さが、サステイナブルに繋がるのではないかと考えている。これは、こんなにサービスが悪いと消費する気も失せるからである。まあ、もしかしたらただドイツ贔屓になってきているだけかもしれない。
とはいえ、今日はなかなか凄い体験をした。デパートの上階にある電気器具売り場で、アダプターを買おうとした。アダプターを見せて、これを売っているかと言うと、ソフトウェアを売っているところで聞け、と言われる。ソフトウェアを売っているところに言って聞くと、携帯用プレイヤーのところで聞け、と言われる。携帯用プレイヤーのところに行くと、コンピューター売り場に行け、と言われる。コンピューター売り場に行って、ようやく目指したものを見つけてもらえた。しかし、ちょうど店を一周したのだが、このたらい回しは何なのだ。まあ、もう慣れたから怒りもしないが、本当、ドイツのサービスは酷いよねえ。探していたものが見つかったからいいものの、見つからなかったらフラストレーションが凄く溜まると思う。
しかし、最近ではこのサービス不毛さが、サステイナブルに繋がるのではないかと考えている。これは、こんなにサービスが悪いと消費する気も失せるからである。まあ、もしかしたらただドイツ贔屓になってきているだけかもしれない。
学部の忘年会を年明けにする [ドイツ便り]
私が所属している大学の学部の忘年会を年明けにした。なぜ、年明けにするのに「ジルベスター・パーティー」と名付けているのか。ジルベスターは大晦日の意味である。大晦日パーティーであるから、忘年会と訳すのは間違えているかもしれないが、どちらにしろ年が明ける前にすべきものであろう。年が明けたら新年会と言えばいいのに、なぜジルベスターと言うのだろうか。これはちょっと気になって、何人かの周囲のドイツ人に聞いたが、いやまあいいじゃない、みたいな返事が返ってきた。おそらく、正月というか新しい年を迎えるといったことへの意識が日本人と異なるのであろう。私はあまり典型的な日本人ではないと最近、悲しくも自覚させられつつあるが、それでも正月の位置づけはしっかりとしたいと思う。一年の計は元旦にあり、と思ったりするので、正月を迎えた後で大晦日パーティーなんて言語道断だと思う。まあ、大晦日パーティーといってもただの飲み会なので、とりたてて何かする訳ではないのだが、それであればこそなおさらノイレス・ヤーレ・パーティーにすればいいのにと思わずにはいられない。
雪が降るとドイツでは電車が混む [ドイツ便り]
雪が降った翌日、デュッセルドルフの路面電車は日本並みに混んでいた。これは、普段自動車で通勤している人達が路面電車を使ったためであろう。デュッセルドルフの路面電車はドアがスライド式ではなく、左右に開く。しかも内側に開くので、ドアが開くためのスペースを空けなくてはならない。ギュウギュウ詰めの状態でこのスペースを空けるのは大変だ。馬鹿な設計だと思う。
ドイツでは積雪した後、道路をどうやって除雪するのかと思っていたら、家の前の通りは放って置かれた。歩道は各家で自分の家の前の雪掻きをしていた。しかし、私の家族は誰もやらなかった。ここらへんがどういう役割になっているかは分からない。もしかしたら管理人の仕事なのかもしれない。ともかく、道路は雪掻きされていないので、自動車はほとんど出せないような状況である。いちおう、皆、ステッドレス・タイヤをはいているようだが、しかし、こんなに積もっていたらなかなか出られない。近所を歩いていたら、案の定、雪の中で立ち往生しているクルマがいた。どうするのかと思っていたら、ちょうどそばを走っていたクルマの運転手にお願いして、そのクルマで立ち往生しているクルマを直に押してもらって出してもらっていた。日本じゃまず考えられない光景である。バンパーとか凹んだのじゃないかと人ごとながら心配だし、押す方も多少ダメージがあるんじゃないか。まあ、ここらへんは適当だよね。

ドイツでは積雪した後、道路をどうやって除雪するのかと思っていたら、家の前の通りは放って置かれた。歩道は各家で自分の家の前の雪掻きをしていた。しかし、私の家族は誰もやらなかった。ここらへんがどういう役割になっているかは分からない。もしかしたら管理人の仕事なのかもしれない。ともかく、道路は雪掻きされていないので、自動車はほとんど出せないような状況である。いちおう、皆、ステッドレス・タイヤをはいているようだが、しかし、こんなに積もっていたらなかなか出られない。近所を歩いていたら、案の定、雪の中で立ち往生しているクルマがいた。どうするのかと思っていたら、ちょうどそばを走っていたクルマの運転手にお願いして、そのクルマで立ち往生しているクルマを直に押してもらって出してもらっていた。日本じゃまず考えられない光景である。バンパーとか凹んだのじゃないかと人ごとながら心配だし、押す方も多少ダメージがあるんじゃないか。まあ、ここらへんは適当だよね。

ドイツのクリスマス [ドイツ便り]
ドイツというかヨーロッパで始めてのクリスマスを過ごす。とはいえ、何も特別なことはない。せいぜい鶏をオーブンで焼いて食事をするぐらいだ。さて、他のドイツ人はどうなのだろうか?クリスマス・イブは午前中まではデパートなど店もやっていた。しかし、23日は大混雑していたがイブの日はそれほどでもない。クリスマス・マルクトも23日でデュッセルドルフはおしまいであり、イブの日の街中はなんか閑散としている。多くの人がクリスマスは家族と暮らすのでフラットに住んでいる私の近所の人達は皆帰省しているようで、非常に静かである。クリスマス当日は休みで、しかも26日と27日が週末なので3連休となる。店はほとんど閉店になるようなので、買い出しをしておかないと飢え死にする。山籠もりをするような気分だ。

(ドルトムントのクリスマス・マルクト)

(ドルトムントのクリスマス・マルクトの巨大なクリスマス・ツリー)
クリスマスを迎えるまでは、街中はクリスマス・マルクトで華やいでいた。このクリスマス・マルクトはニュンベルクなど特定の都市において行われていたお祭りが全ドイツに広がっていたものである。まあ、ミュンヘンのオクトーバーフェストのようなものだが、オクトーバーフェストと違い、クリスマス・マルクトは今では、結構どこでもやっているような印象を受ける。このクリスマス・マルクト、実は多くの都市においては歴史が浅いのではないかというのが私の推測で、これはドイツの大学の同僚もそうだと思うと同意してくれたが、はっきりとしたことは現時点では不明だ。おそらく、郊外でのショッピング・センターの進出に平行して、中心市街地を活性化するためのツールとして活用されるようになったのではないかということだ。このクリスマス・マルクト、いろいろな都市のものを見てみたいと思ったのだが、なかなか時間がなく、結局、デュッセルドルフ、ドルトムント、ハーメルン、ボーフムのものしか見ることができなかった。しかもドルトムントとボーフムは通勤の帰りにちょっと寄ったという程度である。それゆえに、しっかりとしたことがほとんど何も書けないのだが、少ない情報から察すると、基本的には日本の縁日のようなものである。しかし、的屋が運営するのではなく行政や商店街がもっと深く関わっている。そして、どこもソーセージと熱ワインとフレンチ・フライとクレープ、マッシュルーム焼きなど出す物は結構ワンパターンというか似通っていた。なかにはボーフムの焼きそばもあったりしたが、焼きそばなど食べていたら、本当に日本の縁日と変わらない。とはいえ、この縁日とちょっと違うなと思うのは、クリスマスというコンセプトがいいことである。このクリスマスというコンセプトで括ると、なんか普通の縁日のようなものなのに、とてもいい感じになるのだ。コンテンツ勝ちなのだろうか。日本の商店街なども、このクリスマス・マルクトは多くのヒントを与えると思う。神社等でのお祭りより、このクリスマス・マルクトのような商店街活性化のツールとしてのイベントを展開させることを考えるのもありなのではと思った次第である。とはいえ、クリスマス・マルクトはまだまだよく分かっていない。面白いテーマだと思う。うちのゼミ生とかで誰かこのテーマで卒論を書いてくれるといいのだが。いないかなあ。

(デュッセルドルフのクリスマス・マルクト)

(デュッセルドルフのクリスマス・マルクト)

(ドルトムントのクリスマス・マルクト)

(ドルトムントのクリスマス・マルクトの巨大なクリスマス・ツリー)
クリスマスを迎えるまでは、街中はクリスマス・マルクトで華やいでいた。このクリスマス・マルクトはニュンベルクなど特定の都市において行われていたお祭りが全ドイツに広がっていたものである。まあ、ミュンヘンのオクトーバーフェストのようなものだが、オクトーバーフェストと違い、クリスマス・マルクトは今では、結構どこでもやっているような印象を受ける。このクリスマス・マルクト、実は多くの都市においては歴史が浅いのではないかというのが私の推測で、これはドイツの大学の同僚もそうだと思うと同意してくれたが、はっきりとしたことは現時点では不明だ。おそらく、郊外でのショッピング・センターの進出に平行して、中心市街地を活性化するためのツールとして活用されるようになったのではないかということだ。このクリスマス・マルクト、いろいろな都市のものを見てみたいと思ったのだが、なかなか時間がなく、結局、デュッセルドルフ、ドルトムント、ハーメルン、ボーフムのものしか見ることができなかった。しかもドルトムントとボーフムは通勤の帰りにちょっと寄ったという程度である。それゆえに、しっかりとしたことがほとんど何も書けないのだが、少ない情報から察すると、基本的には日本の縁日のようなものである。しかし、的屋が運営するのではなく行政や商店街がもっと深く関わっている。そして、どこもソーセージと熱ワインとフレンチ・フライとクレープ、マッシュルーム焼きなど出す物は結構ワンパターンというか似通っていた。なかにはボーフムの焼きそばもあったりしたが、焼きそばなど食べていたら、本当に日本の縁日と変わらない。とはいえ、この縁日とちょっと違うなと思うのは、クリスマスというコンセプトがいいことである。このクリスマスというコンセプトで括ると、なんか普通の縁日のようなものなのに、とてもいい感じになるのだ。コンテンツ勝ちなのだろうか。日本の商店街なども、このクリスマス・マルクトは多くのヒントを与えると思う。神社等でのお祭りより、このクリスマス・マルクトのような商店街活性化のツールとしてのイベントを展開させることを考えるのもありなのではと思った次第である。とはいえ、クリスマス・マルクトはまだまだよく分かっていない。面白いテーマだと思う。うちのゼミ生とかで誰かこのテーマで卒論を書いてくれるといいのだが。いないかなあ。

(デュッセルドルフのクリスマス・マルクト)

(デュッセルドルフのクリスマス・マルクト)
ドイツ鉄道は遺失物の競りをする!? [ドイツ便り]
中央駅でドイツ鉄道の遺失物の競りが行われていた。駅にひとだかりが出来ていて、何をしているのか最初はよく分からなかったが、どうも今年の遺失物を競りで売っているようであった。誰が着たか分からないようなジャケットとかが12ユーロで競り落とされている。帽子も10ユーロで競り落とされた。こういう感覚は分からないなあ。絶対的な物が不足しているのであるならともかく、今は圧倒的に供給過剰でデフレに悩まされているのではないのか。まあ、相当のリサイクルであるのは確かだし、合理的でもある。やることは納得がいくが、競り落とす値段がちょっと高いんじゃないのか。と最近は、もう半分ぐらいの衣服がユニクロ化している私は思ったりしてしまうのである。ユニクロだったらジーンズとかが2000円だからね。なんでどんな人が着たか分からないジャケットを触りもせずに見ただけで12ユーロで競り落とすのだろうか。
まあ、ただ競りは参加することで結構、エキサイティングだからまあ半分、ドイツ鉄道へのチャリティという意味合いもあるのかもしれない。しかし、今日もドイツ鉄道は50分も遅刻していたぞ!この競りで儲けた金は是非とも顧客に還元するようなサービス向上のために使ってもらいたいものだ。
さて、そんなドイツ鉄道ではあるが、こんなお洒落な車両塗装をしているのを見かけた。ということで、今日はクリスマスイブですね。クリスマス・カード代わりにこの写真を楽しんで下さい。

まあ、ただ競りは参加することで結構、エキサイティングだからまあ半分、ドイツ鉄道へのチャリティという意味合いもあるのかもしれない。しかし、今日もドイツ鉄道は50分も遅刻していたぞ!この競りで儲けた金は是非とも顧客に還元するようなサービス向上のために使ってもらいたいものだ。
さて、そんなドイツ鉄道ではあるが、こんなお洒落な車両塗装をしているのを見かけた。ということで、今日はクリスマスイブですね。クリスマス・カード代わりにこの写真を楽しんで下さい。
