地域政策に関して考える [地域興し]
新しく奉職した大学では「都市・地域政策総論」という講義を担当することになった。これまでも前任校で「都市政策論」という講義を担当していたので楽勝だろうと思っていたのだが、都市政策だけではなく地域政策とも講義名で掲げられているので、地域政策論も多少は教えなくてはならない。そこで、講義資料をまとめ始めて、はたと気づいたのは、地域政策って何じゃらほい、ということである。日本は基本的には国土政策で地域政策まで網羅している。アメリカやドイツの連邦制を有している国においては、しっかりとした地域政策もあり得るが、日本において地域政策って「首都圏整備計画」のようなものだろうか。しかし、これも中央政府がつくっている。中央政府がつくっている広域計画は、アメリカのTVAを含めて地域政策で括ることは難しいよな、ということで自分で考えても分からないので教科書的なものを注文した。
その名も『地域政策』という中央経済社から出ている本と『地域政策を考える』という勁草書房が出している高崎経済大学付属地域政策研究センターが編集したものである。後者は地域政策学部というファカルティまで擁しているので、参考なるだろうと思ったのである。
さて、しかし、何ということであろうか。これらの本を読んでもほとんど役に立たなかったのである。前書は、「地域経済、地域政策、国土計画を学ぶ初歩の初歩、最初の1冊として、本書を活用していただければと思います」と書いているにもかかわらず、地域経済の勉強になっても地域政策の参考にはほとんどならなかったからである。というのも、「地域政策とは」という章を開くと、いきなり「地域政策とは何かを定義することは、簡単ではありません。地域政策という本をかいておきな柄、それはないだろうと思われるでしょう。」などと書いてある(96ページ)。それはないだろう!それが知りたくて購入したのだから。そして、その数ページ後に「歴史的にみると、地域を意識した政策を実施した背景には①民族問題、②問題地域の発生、③新しい領土の開発問題がありました。」と書いている。これは、地域政策とは何じゃラホイ、と思っている私でもずれているということが分かる。こりゃ、駄目だ、ということで後者の本を読むことにした。
しかし、これも序文を読んでがっくりと来た。そこではこう書かれていたのである。
「(前略)地域間格差の解消を目指す古典的な地域政策から、広域ブロックごとに発展を目指す新たな地域政策が模索されるようになった。そのために地方自らが策定する地域産業政策に大きな権限と財源を与え、自律的に企業誘致を戦略的に展開し、立地に関する行政サービスをワンストップで行うことが求められている。
さらに、今後に向けては、多重・多層型パートナーシップの形成による自律型経済システム創造を目指して、個々の主体では対応できない事態への機動的即応、波及的なインパクトを含む相乗効果の発揮が期待される」(pp.3-4)。
この文章で言っていることは正しいかもしれないが、その語尾に注目してもらいたい。「求められている」「期待される」である。つまり、そのような地域政策が求められていたり、期待されていたりするが、現実の日本においてはほとんど為されていない、ということだ。
また、同じ序文では次のようにも書かれている。
「地域政策学のアプローチは、多面的に地域を考え、内発的な地域づくりに参画していく地域における官民諸分野の人材の養成と、その人材を活かすことのできる地域社会システムの構築と、地域政策に関わる総合的な視野を持った学問体系の形成によって達成されるものである。」
この文章自体は、しっかりとした問題意識を有しており、地域の課題を直視し、その解決法を考えようとの提案であり、それについての異論はない。しかし、「考え」、「養成」といった動詞が使われている内容は取り組めるが、「構築」というのはそうそうできるものではない。というかハードルが高すぎるとも思われる。そもそも、地域社会システムが構築されて始めて、その地域政策が意味を持つのであって、そのようなシステムが構築されるような制度がない現状において地域政策を論じることに虚しさを覚えるのは私だけではないであろう。これが地域「政策」でなければ、まだ希望が持てる。例えば、地域「活性化策」とか、地域「再生策」、もしくは地域「方策」でもいい。しかし、「政策」といった時点で、その主体というか主語は、政府もしくは行政体に限定されてしまう。そして、そのような地域政策をしっかりと遂行できる行政体があるようでない状況下で、そのようなことを論じるのは違和感を覚えてしまうのである。
これらの本からも分かったことは、都市政策(自治体政策)と地域政策がごちゃ混ぜになっているということである。敢えて、講義を進めるうえでは、実はごちゃ混ぜにしてしまって議論を進めるというのは好都合である。ただし、それでは学生もこんがらがるだけだ。したがって、私がここで勝手に地域政策についての仮説を設定する。
それは、自治体だけでは解決できない公害問題などを含む環境問題、交通問題など複数の広域的自治体で対応しなくてはならない政策的課題に対して、広域的に関係する自治体が連携することで、策定される政策のことを「地域政策」とする。これだと、アメリカでいうところのRegional Policyともほぼ合致する。そして、その政策を遂行する組織のイメージとしては、アメリカであれば、ポートランド広域都市圏のMetroやミネアポリス・セントポール大都市圏のメトロポリタン・カウンシル、サンフランシスコ大都市圏のSCAGなどであるし、ドイツであればルール地方のルール・リージョナル・アソシエーション(Regionalverband Ruhr)などになるだろう。
そのような主体が策定するのが地域政策であり、それは自治体が策定する自治体政策(都市政策)とは一線を画すべきであると思うのである。
少なくとも、私はそのような理解で講義を進めていきたいと思っているし、そのうち、そのような地域政策論の考えをまとめたいとも思っている。ということで、講義を受けることになる学生から質問が来る前に自分のスタンスをここで明らかにしておく。
その名も『地域政策』という中央経済社から出ている本と『地域政策を考える』という勁草書房が出している高崎経済大学付属地域政策研究センターが編集したものである。後者は地域政策学部というファカルティまで擁しているので、参考なるだろうと思ったのである。
さて、しかし、何ということであろうか。これらの本を読んでもほとんど役に立たなかったのである。前書は、「地域経済、地域政策、国土計画を学ぶ初歩の初歩、最初の1冊として、本書を活用していただければと思います」と書いているにもかかわらず、地域経済の勉強になっても地域政策の参考にはほとんどならなかったからである。というのも、「地域政策とは」という章を開くと、いきなり「地域政策とは何かを定義することは、簡単ではありません。地域政策という本をかいておきな柄、それはないだろうと思われるでしょう。」などと書いてある(96ページ)。それはないだろう!それが知りたくて購入したのだから。そして、その数ページ後に「歴史的にみると、地域を意識した政策を実施した背景には①民族問題、②問題地域の発生、③新しい領土の開発問題がありました。」と書いている。これは、地域政策とは何じゃラホイ、と思っている私でもずれているということが分かる。こりゃ、駄目だ、ということで後者の本を読むことにした。
しかし、これも序文を読んでがっくりと来た。そこではこう書かれていたのである。
「(前略)地域間格差の解消を目指す古典的な地域政策から、広域ブロックごとに発展を目指す新たな地域政策が模索されるようになった。そのために地方自らが策定する地域産業政策に大きな権限と財源を与え、自律的に企業誘致を戦略的に展開し、立地に関する行政サービスをワンストップで行うことが求められている。
さらに、今後に向けては、多重・多層型パートナーシップの形成による自律型経済システム創造を目指して、個々の主体では対応できない事態への機動的即応、波及的なインパクトを含む相乗効果の発揮が期待される」(pp.3-4)。
この文章で言っていることは正しいかもしれないが、その語尾に注目してもらいたい。「求められている」「期待される」である。つまり、そのような地域政策が求められていたり、期待されていたりするが、現実の日本においてはほとんど為されていない、ということだ。
また、同じ序文では次のようにも書かれている。
「地域政策学のアプローチは、多面的に地域を考え、内発的な地域づくりに参画していく地域における官民諸分野の人材の養成と、その人材を活かすことのできる地域社会システムの構築と、地域政策に関わる総合的な視野を持った学問体系の形成によって達成されるものである。」
この文章自体は、しっかりとした問題意識を有しており、地域の課題を直視し、その解決法を考えようとの提案であり、それについての異論はない。しかし、「考え」、「養成」といった動詞が使われている内容は取り組めるが、「構築」というのはそうそうできるものではない。というかハードルが高すぎるとも思われる。そもそも、地域社会システムが構築されて始めて、その地域政策が意味を持つのであって、そのようなシステムが構築されるような制度がない現状において地域政策を論じることに虚しさを覚えるのは私だけではないであろう。これが地域「政策」でなければ、まだ希望が持てる。例えば、地域「活性化策」とか、地域「再生策」、もしくは地域「方策」でもいい。しかし、「政策」といった時点で、その主体というか主語は、政府もしくは行政体に限定されてしまう。そして、そのような地域政策をしっかりと遂行できる行政体があるようでない状況下で、そのようなことを論じるのは違和感を覚えてしまうのである。
これらの本からも分かったことは、都市政策(自治体政策)と地域政策がごちゃ混ぜになっているということである。敢えて、講義を進めるうえでは、実はごちゃ混ぜにしてしまって議論を進めるというのは好都合である。ただし、それでは学生もこんがらがるだけだ。したがって、私がここで勝手に地域政策についての仮説を設定する。
それは、自治体だけでは解決できない公害問題などを含む環境問題、交通問題など複数の広域的自治体で対応しなくてはならない政策的課題に対して、広域的に関係する自治体が連携することで、策定される政策のことを「地域政策」とする。これだと、アメリカでいうところのRegional Policyともほぼ合致する。そして、その政策を遂行する組織のイメージとしては、アメリカであれば、ポートランド広域都市圏のMetroやミネアポリス・セントポール大都市圏のメトロポリタン・カウンシル、サンフランシスコ大都市圏のSCAGなどであるし、ドイツであればルール地方のルール・リージョナル・アソシエーション(Regionalverband Ruhr)などになるだろう。
そのような主体が策定するのが地域政策であり、それは自治体が策定する自治体政策(都市政策)とは一線を画すべきであると思うのである。
少なくとも、私はそのような理解で講義を進めていきたいと思っているし、そのうち、そのような地域政策論の考えをまとめたいとも思っている。ということで、講義を受けることになる学生から質問が来る前に自分のスタンスをここで明らかにしておく。
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