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魚らんラボの活動報告とユルドルに関して [地域興し]

私がゼミ生と行っている魚らんラボの活動を台北で開催されていた環太平洋コミュニティ・デザイン会議で報告した。内容的には、魚らんラボでの日常的な活動である魚ラボ通信の発行、魚ラボセミナーの開催などに加え、ユルキャラ・コンテスト、ユルドル・プロジェクト、ユルカフェなどの報告をした。さて、魚ラボでの日常的な活動に関しては理解してもらえたようだが、ユルキャラはよく理解できなかったようだ。まあ、よく考えればユルキャラというコンセプト自体、相当、文化的には洗練されているというか捻っているからなあ。さらに、ユルドルはまったく理解不能のようであった。そのような発表をしている私自身が珍獣のように見られているような気になった。これは、アメリカ人もそうだが、香港で教えている日本人も理解ができないようであった。唯一、反応したのは国立台湾大学の先生で、彼女は、そのアプローチに何かポテンシャルのようなものを感じたらしく、報告後、飲みに行った時、その話で盛り上がった。しかし、この彼女も私の戦略性をどの程度理解したかは心許ない。

しかし、よく考えると、私自身もそのような活動が、街づくり、地域づくりに関係できるのかは自信を持っていないところがあった。そのような、ちょっと悩ましい気持ちのまま、帰国便の飛行機で「あまちゃん」を見た。ちなみに、私はあまちゃんを見たのは初めてだった。能年玲奈、小泉今日子となかなか役者も揃っており、ストーリーも楽しい。これなら、売れるのも納得だな、と思っていたら、この舞台となっている三陸の町に観光客を呼び込むために、アイドル戦略を採っているという話になった。なんだなんだ、私がやろうとしていることと同じじゃあないか。それどころか、あまちゃんのパクリと誤解されるぐらい同じだ。ということで、私のやり方は全然、オリジナリティがあるどころか、もうみんな知っているようなアプローチであることが分かった(そもそも、このユルドル企画も香川大学のボンサイ・ガールズをヒントにしている)。とはいえ、あまちゃんはフィクションで、私は現実社会でやろうとしているところがちょっと違うのだが。

ユルドルのホームページは下記でご覧になれます。
http://yurudoruskm.wix.com/yurudoru

タグ:ユルドル
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金毘羅山を訪れ、そのオーセンティシティの欠如に愕然とする [地域興し]

江戸時代に人々は一生に一度でいいから金毘羅山にお参りしたいと考えていたそうだ。金毘羅参りと伊勢参りは、人生のクライマックスとして捉えられていたようだ。さて、そんなに素晴らしいものであるならば、ちょっと高松まで来ているので寄るべきであろう、ということで金毘羅山を訪れた。琴電で一時間もしないで瓦町から琴電琴平に行くことができた。

琴電琴平駅から参道の入り口までは200メートルぐらい歩く。駅の前を流れる川沿いに歩くと、衝撃的なものが目に入った。ソープランドである。それも、見るからに場末感がする。果たして、どういう客がここに入るのか、分からないが、聖なる空間である金毘羅神社へのリスペクトを地元の人々がまったく抱いていないことだけは分かった。もちろん、聖なる空間と俗なる空間というのは表裏一体であるので、それが近くにあるのはむしろ自然ともいえるかもしれないが、それにしてももう少し隠すというか、風情を出すことができないのか。天王寺の飛田のようなデザインの統一でもよい。

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(琴平駅から参道に行く途中で出現するソープランド街)

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(これらの存在が琴平という観光地に与えるダメージは相当、大きいのではないかと思われるがどうだろうか)

さて、参道の入り口には、もう50年以上前につくられたかのような喫茶店、シャッターが下ろされて何年経ったかと思わせるようなレストランなどがあり、いろいろと商売も厳しいのかなと思わせられる。それでいて一方では、「中野うどん教室」がこの表参道に数軒、店舗を持っており、多くの観光客で賑わっていたりする。

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(随分と衰退した感じのする商店街)

金毘羅山は階段が有名だ。階段は結構、高さが統一されていなくて、さらに段差が結構あるので、上るのは大変だ。また、この階段のある階段の両脇にお土産屋が並ぶ。ここで驚いたのは、これらお土産屋の半分くらいは、もう本当に下らないものを売っているという事実である。こどものための銃のおもちゃとか巨大な招き猫とか、まったくもって金毘羅山と関係ないものが売っている。そもそも、これから階段を上る人は、そうでなくても荷物を減らしたいから買うことはないだろうし、下りであっても、重い荷物を持って階段を下りると膝を痛めるので持ちたくないだろうから、本当、どういう動機づけがあって、これらのお土産を買うのか、私は想像もできない。金毘羅山に上って、もう人生やり残したことがなくなった気分になって参拝者が散財する気持ちを持つことを期待でもしているのだろうか。しかし、今時ソープランド、おもちゃのピストルや巨大な観光旅館などを見て、喜ぶような人がいるのだろうか。というよりか、興醒めしないような人がどの程度いるのだろうか。

それだけでなく、もう全般的に有り難みを感じるような演出がされていない。なんというか、畏敬を感じさせないのだ。宗教的建築、宗教的空間が持つ人々を畏怖させるようなそういう演出的な工夫が極めて希薄である。それは、空間的な演出の欠如、というかルーズさがもたらすマイナスの効果であろう。

例えば伊勢神宮に行くと、まったくもって無宗教の私でさえ感じ入るものがある。五十鈴川の流れをみると、身が引き締まる。これは外国人もそうではないかと思うのだ。そして、内宮、外宮はまさにそこが聖なるランドスケープであることが理解できるような空間演出が為されている。同じことは東照宮や明治時代以降につくられた明治神宮、さらに高尾山でもそうである。こういう配慮は、古今東西、宗教的空間が観光地として競争力を持つためには不可欠な要素であり、ポタラ宮やケルン大聖堂、アーヘン大聖堂などの集客力が高い宗教施設が必ず満たしている要素である。それは、そこが現実空間とは異なる空間へと移行したかのような幻想を抱かせるような工夫である。

それを考えると、この金毘羅山。期待しないで時間があったから訪れただけなので別にそれほど失望もしないが、これが何か期待をしてわざわざ来たとしたらがっかりしたと思う。大変、失礼なことを言えば、神道とかいっても、所詮、生きていた人が死んで神様として奉られるような宗教で、その神様になった人は当時の権力を握っていた人達で、神様が当時の政治的力関係によって恣意的に決まるような宗教なんだよねえ、ということに考えをよぎらすようなだらしない空気をここはまとっているのである。いや、まあ、そうなんだけど、それを敢えて隠すというか口外しないぐらいの気配りがあってもいいと思うのだけれども、ここはそういう配慮も感じさせてくれない。これで、有り難がれといっても無理だよなあ、と思う。

すなわち、ソープランドにしろ、おもちゃの銃のピストルや巨大な招き猫を売っているお土産屋は、この金毘羅山という伝統があり、ストーリーもある観光施設の魅力に少しでも寄与しようというような自覚はまったく皆無で、むしろ、少しでも楽に金を儲けようという意識だけで商売をしているように邪推されるのである。そして、残念ながら儲けることに関しても知恵を巡らしたりするのではなく、あまり考えもせずにソープは儲かるだろう、下らないガキのおもちゃであれば利益率が高いだろう、といった発想でのみ商売をしているのではないかとさえ思う。そこには、伊勢神宮の参道としておかげ横町をつくろうとした情熱や、鎌倉での景観形成の官民の努力、鞆の浦における伝統建築を保全するための熱意などとはまったく無縁の世界があるように思える。あくまでも寄生虫のような印象を受ける。そして、その寄生している親主も別にそれほどしっかりしていない。脛がそれほど太くない印象を受ける。その結果、宗教的な空間が有するべき聖なるランドスケープではなく、世俗的な消費のランドスケープが展開してしまっているのである。そして、それはここに来る人が期待しているランドスケープとはまったく違ったものなのではないかと思ったりするのである。それとも、それは私の誤解にしか過ぎないのか。

なんでこんなことが起きるのか、というと、やはりこの香川というところが大変、豊かで別に頑張らなくても飢え死にするようなことがないという地理的条件に負うのではないか。そういう場所であるから、まあ、宗教もなんちゃって宗教でも許されるのかもしれない。お金を落とすのは地元の人達じゃないし。確かにルールや規制というのは鬱陶しいものかもしれない。しかし、まちづくりや空間づくりにおいては、このルールや規制をもってして、ある程度、将来の方向性を形作ることが必要であろう。そういうルールを軽視して、また人々の意識が低い場合は、素晴らしい観光ポテンシャルを有しても人々を真に魅了するものができないな、というのが金毘羅山を訪れて、非常によく理解できた。理解は出来たがちょっと残念な気持ちにもなる。

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(なんでこんなおもちゃが売られているのだろうか)

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(景観的な配慮がまったくない看板群)

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(こういう参詣客をバカにしたようなおみくじを今でもやっている)

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(このコピーも、なんか地元のマーケティング・コンサルタントを雇ったような陳腐さである)

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(宗教には常にエンタテイメント的要素がつきまとったが、ここまでいくと有り難みがかえって減衰する)
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世田谷ボロ市を訪れる [地域興し]

世田谷ボロ市を訪れる。ボロ市は毎年12月と1月の15日、16日に開催される。曜日ではなく日にちで開催日を決めるのは、なかなか賢明であると思われるが、土曜・日曜と重なると相当、混む。ということで1月15日に訪れた。

世田谷ボロ市は世田谷線の世田谷駅か上町駅かが最寄り駅である。この世田谷線で行くというのが、風情があってなかなかいい。世田谷線は昔の緑色の芋虫のような玉電の車両がなくなり、現在はなんかステンレスの塊のようなつまらない意匠のものになってしまったのが残念だが、それでも地下鉄やバスではなく、この路面電車に揺られて向かうというのがわくわく感を演出させてくれる。車窓も世田谷のごちゃごちゃした住宅街というところが嬉しい。

さて、ボロ市を主催しているのは、地元の町会と商店会を中心に結成されているせたがやボロ市保存会。世田谷通りと平行して走る代官屋敷のあるボロ市通りを中心に展開されている。この代官屋敷が中心になっているのもボロ市の魅力である。というのも、この代官屋敷こそ江戸時代における世田谷領の中心であっただけでなく、現在の建物も1737年に建築された茅葺・寄棟造の主屋、そして1753年に建築された表門も茅葺・寄棟造であるなど、江戸時代における世田谷を現在に伝える重要な役割を担っているからである。ちなみに、これらは国指定の重要文化財となっている。

ボロ市自体も市場としての歴史は1578年、小田原城主の北条氏政がここに楽市を開いたことがきっかけとなっている。すなわち、代官屋敷よりさらに古い400年の歴史を有していることになる。しかし、ボロ市は現在では普通の露天市とさほど違いはない。その歴史の長さを露天から想像することは難しいであろう。そのような状況であるために、この代官屋敷という建物があることは非常に効果的であると思うのだ。代官屋敷の前に露天が並ぶ光景をみると、江戸時代に世田谷の農家の人達が、古着や農機具、農産物をここに持ってきて売っていたという情景が朧気ながらも目に浮かべられるからだ。代官屋敷に隣接して郷土資料館があることも、そういう理解を深めるうえでは極めて効果的であると思われる。

ボロ市で売られているものをザッと見たのだが、洋服や骨董品、植木、台所用具などが多い。もちろん、ボロとしか思えないようなアンティークを売っている店もある。700店ぐらいが出店しているそうだが、なかなかの数である。

あと、このボロ市の名物としては代官餅がある。これは1975年からはじまったものだが、ボロ市の会場でのみ製造・販売されることもあり、ボロ市の名物となっている。実は私は、この代官餅を食べたことがない。今回は、週日ということもあり、それほど並ばずに購入できるのではないかと期待したのだが、30分は待つと言われて買うのを断念した。会議が控えているのと、流石に餅を買うのに30分間待つほどの余裕はないからである。

さて、ボロ市は最近では口コミやネットでの評判もあり、一日あたり20万人が訪れるそうである。外国人の姿も多く見かけた。確かにそこそこ面白いが、これは買いたいと私の物欲を刺激するようなものはほとんどなかった。この点は、同じボロ市でもロンドンのポートベロ・マーケットの方が優れていると思われる。何か商品の展示の仕方とか屋台のデザインがボロ市はお洒落でないのだ。そして、そのお洒落のなさが洗練されたという感じになっていないのがちょっと辛いなと思ったりもする。


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ゼミ生とともに営んでいた期間限定のコミュニティ・カフェが閉店を迎えた [地域興し]

ゼミ生とともに、大学のそばにある商店街高輪メリーロードにある空き店舗を借りてカフェを期間限定で営んでいたのだが、遂に閉店を迎えた。最初は12日間という短い期間での営業であったのだが、嬉しいことに商店会の方から続けて欲しいという依頼を受け、10日間ほど営業を延長させてもらえた。

さてさて、いろいろと本当に多くのことを学べたコミュニティ・カフェ経営であった。それらをここに、1)経営、2)仕事、3)コミュニティ資源、4)教育、5)広告(マーケティング)、6)メニュー、7)おでん鍋奉行、といった観点から整理してみたい。

1)まずは経営について。よく店舗稼業は、「ロケーション、ロケーション、ロケーション」と言われるが、確かにそうなのかもしれない、と思わせられた。何しろ、この高輪メリーロードは人通りが少ない。人通りが少なくてもお客が来るのは、そこが目的地でなくてはならない。カフェが目的地になるというのは、まずないことで、そういう点で、ちょっと無目的に寄るとか、カフェに行きたいなと思ってカフェを探したら、たまたまあったというような感じで訪れるお客さんはゼロではなかったが、相当少なかった。特に天候が悪いと、もう本当に客は来ない。
 あと、今回のコミュニティ・カフェでは遅い午前から14時ぐらいまでは、ホットドッグとコールスローなどの軽食とコーヒー、レイト・アフタヌーンはティー・タイムとして台湾の東方美人茶とこのお茶からつくったクッキー、そして夕方からはおでんと日本酒を提供したのだが、数日間、夕方の営業をやめたら本当に売上げが激減した。夕方からの営業をしない日の売上げは、4000円から9000円で一万円を上回る日は一度もなかった。これは、材料費等考えると、ほとんど利益が出ない。というか、テナント代を支払ったら赤字だ。このコミュニティ・カフェは誰も雇用していないので(ゼミ生は共同経営者)、損失はそれほど出ないが、これで人を雇用したら、そこで即アウトである。いやはや、カフェの経営の厳しさを思い知る。

2)次は仕事。私は高校生の時にアイスクリーム屋で働いていたことを除けば、飲食店で働いたことは皆無である。ということで、ほとんど初めての飲食店体験であったのだが、飲食店というのはなかなか楽しい仕事であることは分かった。というのも、私自身が料理好きであるのと、また食材とかに興味があるからだ。特に、今回はコーヒー豆と日本酒とおでんとかに拘り、急場しのぎで勉強したりしたのだが楽しかった。特におでんに関しては、3日に一度ぐらいのペースで築地市場に訪れ、場内でおでんの種や大根、かつお節などを仕入れてきた。築地市場に買い出しに行くのは楽しい。そして、来てくれた人に美味しいものを提供しようと努力し、お客さんが喜んでくれたりするのは大きな幸せである。これは、おそらく外食産業に向いている気質、というか少なくとも外食産業をすると楽しめる気質なのではないかと思われるが、自分がそういう性格であることを改めて発見したりして面白かった。
 なかには、このおでんは今ひとつだ、といって文句を言ってくるお客さんもいたりする。出汁を取るのは、かつお節を大量に使わなければ駄目よとかの文句も言ってくる。実際、我々は大量のかつお節(水に対して2%)を使っていたのだが、もう使っていないことを決めつけてくる。ここらへんはベテランだとうまく諭せるのであろうが、こちらは素人だ。ひたすら、有り難うございます、とお礼をいって聞かなくてはならない。というか、これが正しい態度であるかは分からないが、そういう対応をしてしまう自分がいた。ちょうど、私のいきつけの喫茶店のマスターがお客さんとして遊びに来てくれていて、そのやり取りについては、「ああいうお客さんを転がせてこそ一人前」と言われて、ああ、なかなか飲食業も厳しいなあ、と思ったものだが、生憎、そのお客さんは二度と来てくれなかった。本当におでんが今ひとつだと思ったのかもしれない。
 このように飲食業は、食事を提供するだけでなく、接客も重要な仕事であることを知った。会話上手、というか基本的には聞き上手でなくてはならない。私は職業柄、一方通行で話す場合が多いが、聞く訓練を随分とさせられた。これは、ちょっといい体験だったかもしれない。必然的にお客さんに興味を持つようになる。あまり、持ちすぎてもいけないのだろうが、お店にいる時はしっかりと話に傾ける。これって、ホステスの基本なのかもしれないが、そういう接客の側面が重要であることを随分と知る。

3)はコミュニティ資源であるが、カフェはコミュニティの広場、というか交流の場、憩いの場として、重要な価値を持つな、ということを改めて確信する。実際、このカフェで突っ立っていると、いろいろとコミュニティの情報がここに溜まってくる。昔の煙草屋のおばさんではないが、コミュニティの噂話などに随分と詳しくなってくる。なんか、コミュニティに渦巻いている情報が、出口を探して、ここに集まってくるようなイメージだ。また、そういうことで、ここに情報を収集したい人が来たりもする。まあ、我々がやっていたコミュニティにはそれほどの情報は集まらなかったが、長年、その土地に根付いたカフェはこういう機能を果たしているのであろう。私も例えば、週末でちょっとぶらっと散歩に来たお客さんとかには、周辺の商店の紹介などをする。「食事が美味しい喫茶店」や「豆大福で有名な松島屋の売り切れ情報」やコーヒー豆の焙煎屋などだ。そして、何より、カフェはちょっとした準公共空間でもある。マチの居間のようなものだ。こういう店があるマチとないマチとでは、なんかゆとりとか居心地のよさで違いができると思われる。カフェのゆるい空間によって、なんかマチに隙間がでて、その隙間を通じて、息苦しさや窮屈な何かが抜けていくような、そういう効果があると思われる。

4)の教育だが、実際、学生達が経営者の立場で、カフェに携わる機会などめったにないので、そういった点では、今回のカフェ経営で学生が得たことはとてつもなく大きかったと思われる。ただ、せっかくの経理の流れやマーケティング調査などをする絶好の機会であったのだが、カフェ運営に追われて、そのような情報をしっかりと収集できなかったことは返す返す、残念であった。ここらへんまで、経営者の立場でしっかりと行うことができれば、経営という勉強をするうえではとてつもなく貴重な機会であったと思われる。学生がしっかりと自覚しないと、良質なインターンシップだけで終わってしまう。ただ、これを改善しようと厳しく指導すると、学生はたちまち受身になってしまい、アルバイトと同じことになってしまう。学生が自ら、その機会が貴重であり、その機会をものにしようとする気概をもたなければ、時間と費用の投資を回収することは難しいかもしれない。まあ、費用は学生ではなく、私が自腹を切ったので、私の学生への教育投資の回収が悪いということですが。

5)の広告。1)で述べたように、カフェは人通りが少ない道路に面して立地している。ということで、このカフェの存在を人々に知ってもらわないと、誰も来ないことは予期できたので、広告をうった。具体的には、高輪1丁目〜4丁目にかけて新聞の折り込み広告を展開したのである。この折り込み広告代は3000部となり、およそ7000円程度。これだけであれば、問題がなかったのだが、印刷に印刷会社に頼んだので3万5千円程度かかった。これは、回収がほぼ不可能な値段であったが、一方で、周辺住民にまったく知られないで閉店を迎えるのはつまらないので思い切って売ってしまったのである。この経費を回収することはまったくなかったが、それでも、数人程度ではあったが、ちらし見たわよ、と言って訪れてくれたご近所の方がいたことは嬉しいことであった。印刷を白黒にするとか、ガリ版でするとか、そのような対応を今後、このような機会があったらするべきであったろう。見栄えのよさにちょっと気を取られたために、大きな赤字を出してしまったことはやはり失敗であったと言えよう。反省材料だ。

6)メニュー
メニューを考えるのは結構、楽しかった。まず、私のゼミはドイツのハライコ・ソーセージさんと長いお付き合いをさせていただいている。したがって、結構の量の注文にも対応してもらえる。また、ソーセージを美味しく焼くテクニックも多くのゼミ生は持っている。ということで、ホットドッグを出すということは簡単に決まった。ただ、ホットドッグだけだと寂しいので、コールスローを出すことにした。コールスローは私が結構、美味しいレシピを持っている。マヨネーズや砂糖を一切、使わず、白ワイン・ビネガーで浅漬けのようなコールスローなのだが、まあまあいける。砂糖を入れない代わりにレーズンで甘みをつける。これは、比較的簡単につくれるので、これを出すことにした。あと、午後の時間帯は、これまたゼミで手がけている台湾の東方美人茶のプロジェクトがあるので、これを出すことにした。また、商店街にとても美味しい珈琲豆の焙煎屋がある。そこは喫茶店ではないのだが、多くの人が珈琲を飲もうとして、そこに入る。そこで、ご主人に相談して、そういう誤解をした人はうちを紹介してください、と言ってもらい、ここから豆を仕入れることにした。ここの豆は本当に美味しくて、しかも高くない。サイさんというお店だ。そして、夜。借りたカフェはガスが使えない。電気コンロのみだ。この制約をうまく克服するためには、近くの喫茶店のマスターのアドバイスに従って、鍋物にすることにした。さて、何にするか。ボトフ、シチュー、カレーなどと学生と相談している中、私が「例えばおでん」と言ったら、「おでんがいい」と反応した学生がいて、私もこれはいけるかも、ということでおでんにした。幸い、築地の元場長が知り合いだったので、彼に築地の場内のおでん屋(つくごん)を紹介していただき、ここから種を仕入れることにした。がんもと厚揚げは、地元の豆腐屋である真水商店から仕入れた。大根は、ゼミ生の実家が農家だったので、最初はそこからいただいたが、その後、築地場内から仕入れることにした。築地市場には、そういうこともあって3日に一度は買い出しに行くことになったが、これは個人的には相当、楽しい経験であった。商品知識は随分とついたかもしれない。さて、あと夜という時間帯であることもあり、お酒を出そうと考えた。しかし、ビールとかワインとかいろいろと仕入れると不良在庫を抱えることになると考え、日本酒一本にした。急いで、日本酒入門という本を購入して読むことにした。それから分かったことは、純米酒しか出さないということである。醸造用アルコールが一切、入っていない日本酒だけ揃えることにした。日本酒は、ネットで、いい日本酒を揃えている酒屋さんから購入した。だっさい、ロ万、三重錦、などの一級品を揃えた。だっさいは、近くでだっさいを置いている店に出向き、基本的には買い占めた。買い占めたといっても、一人一本しか買えず、こちらは学生という人手はいたが、そもそもの在庫本数も少なかったが、3本は揃えることができた。ちなみに、だっさいはあっという間にはけた。このだっさいのブランド効果を知ったのも、カフェをやったからである。
 あとメニューを考えると同時に、価格を決めなくてはいけないのだが、これは学生は、大いに悩むことになる。値段を決めるのは相場と原価である。ただ、学生は自分で決めるというか、判断をすることがとても苦手だ。私がやるのは簡単だが、それじゃあ、面白くない。まあ、日が経つにつれて、学生達は新メニューをつくったり、それの値段を自分たちでも決めたりするのだが、最初は大変であった。おでん屋に各自、散らばって価格調査をし、また仕入れの原価から、ある程度、値段を決めることになったのだが、結局、おでんに関しては私が決めた。これは、私が買い出しなどもしてしまったからである。

7)おでんの鍋奉行
 これは、ちょっとおまけ的なことだが、おでん屋をして、おでんの鍋奉行の重要性を知った。私はサラリーマンの時から、神田のおでん屋である尾張屋が好きでよく通っていたのだが、ここのおかみさんは、おでん鍋をまるでオリバー・カーンがゴールを守るがごとく、守っている。ちょっとおでんの鍋から離れた時に、お客さんの注文があって、実の息子さんがおでんの鍋から商品を取り出したことがあるのだが、それを知った時、お客のいる前でも烈火のごとく、怒ったことがある。私は、普段、とても温厚なお母さんの、そのあまりの怒りように驚いたのだが、おでん屋で鍋奉行を経験して、このお母さんの気持ちがよく分かった。というのは、おでんの鍋奉行はとても難しい、というか、一人しか出来ないのである。なぜなら、おでんの種は、それぞれ鍋に入れておく時間が違う。例えば、東京揚げなら2分、はんぱんも4分程度、たこなら2時間といった具合だ。長いのは揚げ出しや大根で、これらは一夜置いておいた方がいい。そして、注文が来たら、出すのはもっとも長く鍋にいるものからである。種の置き方にはルールをつくったが、それでも、いろいろと一つ一つの種の状況を把握できるのは、鍋奉行だけだ。ということで、おでんの鍋奉行というのは、一人、このおでん鍋というミクロコスモスを支配している神のような存在であるということが分かった。今回のコミュニティ・カフェではシフトの関係で、私を含めて4人しか鍋奉行をさせないようにして、しかも、途中でシフト・チェンジをさせないようにした。まあ、この鍋奉行は結構、楽しい仕事であった。お客さんにお勧めするときも、リアルなコミュニケーションとなる。

 他にもいろいろと書きたいことがあるが、この記事ではこれくらいで。また、何か思いついたら書き足すこともあるかもしれない。しかし、いろいろと大変で、自腹も結構、切ったが、体験として得たものは大きなものがあった。ゼミ生もそうだが、自分も成長できた体験である。また、どこか機会があれば、是非ともチャレンジしてみたいと思う。

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(高輪メリーロードという旧東海道の高輪消防署のそばにコミュニティ・カフェはある)

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(コンセプトはゆるカフェ。ゆるいカフェを狙ったが、結局、私の厳しい監督のもと、学生達はまったくゆるくなれなかった)

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(たまにライブ・イベントをやったりした。この日はとても盛況。非常勤ブルースで有名な佐藤壮広先生に来てもらってギターの演奏をしてもらった。とても楽しい一日)

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(ゼミ生は、アルバイトではなく共同経営者の立場で、少なくとも3年生には関わらせた)

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(この日はゼミのOBとOGが集まってくれたので盛況だった)

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(お昼から夕方までは、高輪商店街の至宝ともいうべき珈琲豆の焙煎屋さんのサイさんから珈琲豆を仕入れて、注文してから挽いていたので、結構、美味しい珈琲を出せていたのではないかと思います)

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(つくごんさんの薩摩揚げ。ジャンボ。つくごんさんなので味は間違いない。コンビニのおでんばかり食べている学生には驚きの美味しさ)

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(築地市場であまりにも美味しそうなタコをみつけたので、一匹そのまま購入。刺身で食べたも絶品だったのですが、おでんに入れました)

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(コミュニティ・カフェをゼミでやるというのは、本当、5年越しの夢。しかし、私がやる気でもゼミ生がしっかりしていないと、すべてがうまくいかない。そういう中、田中(左)をゼミ長とする9期生は大変、しっかりしており、責任感も有していたこともあり、私のカフェをやるという気持ちを後押ししてくれた。この代がなければ、このコミュニティ・カフェは実現しなかったでしょう)

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(ベストセラー作家の三浦展さんも遊びにきてくれました)

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(そして迎えた最終日。天気も悪く、あまり盛り上がりませんでしたが、それでも数名の人が名残を惜しんで訪れてくれました)


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地域と大学のパートナーシップを考える [地域興し]

 香川大学経済学部にシンポジウムに呼ばれて講演をする。シンポジウムのテーマは「地域と大学のパートナーシップを考える」。愛知大学の鈴木誠先生が基調講演をして、松本大学の福島先生と私が事例研究を報告した。
 その冒頭で「全国の中でも先端的に地域と大学の連携に突き進んでいる取り組みをしている大学」という紹介を受ける。随分と過大評価をしてくれたもので、なんか恐縮である。特に、福島先生の「夢工房」の取り組みは、地域としっかりと根付き、その成果も立派なものであり、私の事例とは比較にならない。そもそも、明治学院大学の経済学部で私の取り組みを「先端的」であると思っている人は皆無だろう。なんせ、経済学部が行った「ビジネス・プラン・コンテスト」では、私が取り組んでいるプロジェクトは最初の一次審査でさえ通らないのだから。松本大学のように文科省のCOCプロジェクトを受注し、数千万円の単位で活動しているところとは雲泥の差がある。私のプロジェクトは、私の自腹を切って数万円単位で行われているのだ。
 しかも、オリジナリティも有していない。私が地域と取り組んでいるプロジェクトは、次のようなものだ。
・ 魚らんの研究拠点・交流拠点としての「魚らんラボ(通称:魚ラボ)」
・ 魚らんのゆるキャラ・コンテスト
・ 高輪メリーロードのユルカフェ
・ 門前仲町の桜祭り
・ 江東区の水彩フェスティバル
・ 特定地域をテーマとした雑誌「ハビタット通信」の発行
 これらの、ほとんどのアイデアはパクリものである。魚ラボは、関西学院大学の片寄研究室が三田市で取り組んでいた「本町ラボ」のまねだ。魚ラボでは、「魚らん通信」という壁新聞を月に2回のペースで発行しているが、これも「閑楽亭通信」のパクリである。
 ゆるキャラ・コンテストに関しては、具体的に他の大学で取り組んでいるのを知らないが、おそらくどこかはしているであろう。ユルカフェは、香川大学の古川先生のグーカフェのぱくりである。桜祭りなどの地域の祭りやフェスティバルといったイベントの協力は、多くの大学も実施していることで、新規性も何もない。
 しかも、パーマネントに取り組んでいるのは「魚ラボ」だけである。他は、期間限定のイベント的なものが中心である。
 唯一、あまり見たことがなく、結構、模倣が難しいのは「ハビタット通信」の発行であろう。これまで、幾つかの大学から賞賛を受け、是非とも実施したいので参考にさせて欲しいとの話も受けるが、実際、似たようなことをしたという話は聞いたことはない。これは、ハビタット通信を印刷するには25万円ほどかかるためであろう。この印刷費を捻出するのに、多くの人は大学か外部に資金を求める。そのハードルは高いものがある。私は、学園祭でソーセージを売って印刷代を捻出する。この仕組みをつくるのが難しいからだ。
 さて、しかし、この「ハビタット通信」は地域と大学のパートナーシップというものではない。「いわき特集」などを組んだことがあり、これは地域研究としてはその成果は評価できると考えられるが、まあ、それで何か事業が動くというものでもない。
 まあ、一方で言い訳にはなるが、大学側のサポートや大学側への信頼がなければ、先端的な取り組みはなかなかできないし、そのリスクは大きすぎる。ということで、いろいろと試みてはいるが、先端的なものは強いて言えば「ハビタット通信」ぐらいであろう。とはいえ、なんか先端的であると周りから見られているというのは、イメージ戦略的には失敗していないともいえる。そういう誤解は、学生には結構、やる気を喚起させたりもするからだ。って、裏事情をこんなところで暴露してたら、その効果も減衰してしまうな。

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ゼミ生と高輪でカフェを営業し、カフェ営業の厳しさと楽しさを知る [地域興し]

港区は高輪にある高輪メリーロードにてゼミ生達とカフェを営業している。先週の金曜日からで、12月10日までの期間限定である。朝から昼にかけては「ジャーマン・ブレックファスト」というコンセプトで、ドイツ直輸入のホットドッグ、午後は「台湾・ティータイム」というコンセプトで、台湾の東方美人茶、そしてこのお茶を使ったクッキー、ゼリー、プリンなどのデザートを提供している。そして、夕方から夜にかけては、築地で仕入れたおでんの種を中心としたおでん屋をやっている。

初日は土曜日で、まあご祝儀もかねた知人が訪れてくれたので、そこそこ繁盛したが、日曜日はガクッと減り、さらに月曜日は閑古鳥が鳴いた。カフェ営業の厳しさを身をもって知らされたのであるが、なんと火曜日の今日はイベントを企画したこともあったが満席。お客さんの注文、そして料理の提供に私を含めたスタッフはてんやわんや。大変、忙しい時間を過ごしたのだが、楽しかった。カフェ営業の醍醐味というか幸福を味わえた。ゼミ生もまだまだしっかりとチーム的に対応できてはいないが、それでもカフェをやってみてよかったと今日はつくづく思った。おそらく、ゼミ生もこの気持ちを共有してくれるのではないかとも思う。
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下北沢で台湾の東方美人茶の淹れ方体験というワークショップを行う [地域興し]

先週の日曜日の話であるが、下北沢で台湾の東方美人茶の淹れ方体験というワークショップをゼミ生が行った。私も駆けつけたのだが、300円の体験費を最初に設定したこともあって、ほとんどサクラの人しかお客さんが来なかった。もう、これは駄目だと思い、途中で無料にさせた。無料にしたら、さすがに数名はお客さんとして体験してくれたが、それでも多くの人々に無視された。ただで淹れたての超高級東方美人茶が飲め、しかも無料で中学直輸入の茶菓子が食べられても体験をしないのだ。これは、ちょっとショッキングである。この東方美人茶の試飲などは、これまでも幾つかのお祭りなどのイベントでさせてもらったが、ここまで相手にさせてもらえなかったのは初めて。これは、おそらく下北沢という街があまりにも刺激に溢れていて、無料で超高級東方美人茶が飲めても、その機会費用を換算するとお得ではないと考える人が多いということか。それとも、その価値をしっかりと伝えることが出来ていないだけなのか。いろいろ多くの課題を提供した下北沢の東方美人茶淹れ方体験プロジェクトであった。
タグ:下北沢
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下北沢はお茶の産地であった! [地域興し]

 縁あって下北沢と関わるようになった。戦後すぐに計画された26メートル道路を下北沢の街中に整備するという愚行に反対し、その馬鹿さ加減を世間に吹聴してからのつきあいだが、もう8年近くになるかもしれない。そもそも、それ以前から下北沢はニアミスしていた。大学がすぐそばにあったからだが、私は圧倒的に下北沢ではなく渋谷でたむろしていた。今、思うと私が大学生の頃は1980年代だったので、下北沢が本当にサブカルチャー・ネイバーフッドとして注目される前の、こうさなぎが蝶になるような、おそらく相当、面白い胎動が下北沢ではみられたのであろうが、感性が鈍い私は、わかりやすい渋谷に行ってしまっていたのである。下北沢の飲み会でも、大手チェーンのようなところに入ったりしていて、全然、感心したことがない。大学時代、ロフトでライブをやったら出入り禁止になって、なんかうるさいなあ、とさえ思っていた。そこが、山下達郎のライブで有名なライブハウスであることさえ知らなかった。ちなみに、出入り禁止になった理由は、先輩達の暴動であって、私はただの傍観者であった。ともあれ、このように若い時代に下北沢とあまり関係性が持てなかったことは、今、振り返るととても残念だ。その後も下北沢から比較的近い、方南町や永福町に30代半ばからは住むようになっていた。方南町の家はともかく、永福町に住んでいた時は、下北沢を毎日、通っていたので、もっと使えばよかっただろうに、ただ通過していた。まあ、私は飲むときは青山の行きつけのバーに行っていたので、渋谷もほとんど通過駅であったので、下北沢を利用する必要性はなかった。
 さて、そういうニアミスだらけの私であったが、この頃は、下北沢と縁ができたこともあり、積極的に下北沢に行くようになっている。ゼミの飲み会もイベント的なものは、前は地元の飲み屋か目黒、五反田で済ませていたが、最近ではわざわざ下北沢まで行く。すると、下北沢はとても奥が深いので、行けば行くほど楽しくなってくる。ネットワークも広がり、ああ、こんな楽しい街のそばに住んでいたり、大学に通っていたりしていたのに知らなかったなんて、バカな俺、と後悔仕切りの気分になる。ああ、バカバカバカ。しかし、その若い頃の失態を補うかのように下北沢に通うようになっている。
 そのようなことをしていると、いろいろ貴重な人々と出会う。そのうちの一人が、日本茶専門店しもきた茶苑大山の大山さんである。その大山さんのところに京都文教大学でお茶の勉強をしている学生とうちのゼミ生、そして国立台湾大学の友人と彼女の学生達とで訪れる。国立台湾大学の学生も烏龍茶の勉強をしている。
 大山さんのところでは、いろいろとお茶に関する質問をする。特に国立台湾大学の友人が、いろいろと質問をする。なんか、相当、お茶に関して勉強しているらしく、細かいところを聞いている。それを、大山さんは嬉しそうに答えて下さる。京都文教大学の学生達も、とても刺激を受けているようだ。私も、大山さんとお話をすると、とても勉強になる。日本人だからお茶のことは知っているような気分でいたりしたのだが、まったく知らないことをここに来ると知る。いわゆる無知の知だ。そして、ここで提供していただくお茶は、本当に美味しい。こういう美味しいお茶は本当、めったに飲めない。ただ、料金は結構、高い。ちなみに大山さんは全国に9名しかいない茶師十段である。
 下北沢は、実はその昔、茶畑があった。ここのお茶は青山のお茶市場に出荷されたのだ。下北沢のそばに三軒茶屋という町があるが、このお茶屋で出されていたお茶も下北沢産のものだったのではないかと勝手に思ったりもしている。下北沢は、サブカルチャーの街、演劇の街、カレーの街、古着屋の街、カフェの街、作家の住む街などの側面があるが、実は「お茶の街」でもあったのだ。私は小田急が地下化した後にできたオープン・スペースに是非とも、お茶の木を植えたいなと思ったりもする。下北沢はお茶の村であったのだ。そして、そのDNAを微かに引き継いでいるのが、このしもきた茶苑大山なのではないだろうか。また、一つ、下北沢の魅力を知る。

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橋下徹の世田谷区発言 [地域興し]

堺市長選での橋下徹の演説を聴いた。威勢がよく、弁舌が巧みだ。さすが弁護士だけある。

http://www.youtube.com/watch?v=58g8g8_GRTM

ただし、内容的に気になる点が2つ。一つは世田谷区に関して。人口84万人の堺市を東京都世田谷区(同約89万人)にたとえ、「大阪市も東京でいえば3つの区くらい。それ程度の2つの市がバラバラのままでは、ますます東京の一人勝ちになる」と、丁寧に大阪都の必要性を訴えたのだが、むしろ世田谷区が区という自治体には収まりきらないほど大きいというのが実情であると思う。したがって区民の要望が具体化されない。というか、区民が多様すぎて、そもそも区民の要望を一括りにすることが無理に近い。それなのに、世田谷区の基本構想などに東京都がいろいろといちゃもんをつけてくる。下北沢の問題なども掘り下げれば、自治が機能していないことが問題なのだ。保坂区長のようなきわめて、市民よりの首長であっても難しいということを考えると、これはやはり私などは世田谷区は東京都より独立して市になるべきではないかと思ったりする。市になったら、ほとんど即政令指定都市だ。東京都で東京23区についで重要な自治体にすぐなる。八王子や立川などとは比較にならない。東京都があまりごちゃごちゃいうのであれば、多摩川が邪魔だが神奈川県世田谷市になってもいいのではないか。目黒区と一緒に巨大市というのもあり得る。そうすると目黒区民の私としてはオリンピックと関係がなくなるのでハッピーだ。どうでもいいが、オリンピックの費用6000億円を都民の人口で割ると一人あたり5万円。私はどうして、都民が5万円もの大金を払って、オリンピックを開催したいと思うのかがまったく理解できないのだが(観戦するにはまたお金を払う。要するに遊園地の入園料としての5万円だ)、まあそれはまた後で。何しろ橋下さんは、世田谷区が区なんだから堺市も区でいいだろう、と言いたかったのだろうが、実態としては、世田谷区のような100万人近い人口を擁する自治体が区であることの弊害の方がずっと大きいということだ。

もう一点は、演説の冒頭で、しきりに東京はオリンピックを開催できて、どんどん金も投資されて、差が出る、というようなことを述べていたが、このブログでも書いたことがあるが、大阪が本気でオリンピックを開催するよう努力していたら、きっと2020年は大阪でオリンピックが開催できていたことを自覚した方がいい。一度、適当に、やる気があるかないか見えないような形で立候補して、一度駄目だったらすぐ諦めてしまい、再挑戦もせずに、あまりにも潔いというか淡泊だ。まるでできの悪い高校生が慶応大学を記念受験するようなものだ。しかし、実際は、それほど出来も悪くなく、本気に勉強して、浪人さえすれば通っていたと思うのである。それが、一度そんなに受験勉強もせずに、落ちたら諦めてしまう。それは、非合理的に淡泊である。それにもかかわらず、東京が決まった後、大変だと騒ぎ立てるのは外している。2008年は北京と競合していて、どうみたって北京にあの状況下で勝てる訳がなかったであろう。2012年はパリ、ロンドン、ニューヨークという三つ巴の戦いで大阪が入る隙はなかったかもしれない。2016年は実は結構、いけたかもしれないが、南米初という錦の旗に負けたかもしれない。しかし、2020年は別だ。2020年まで立候補していたら勝てたであろう。マドリードは確か3回連続立候補しており、経済破綻さえなければほぼ間違いなく今回はマドリードであったと思われる。しかし、あのバブル経済崩壊ということと、リオの準備不足からやはり金がないところじゃないとな、ということで日本が選ばれた。というか、イスタンブールの直前での政治混乱も追い風になった。東京は単に漁夫の利を得ただけなのだ。しかし、それも立候補したからこそ得られた漁夫の利(不利)である。そういう努力をせず、東京がオリンピックの開催が決まった後、大変だと吠えても、こういうことをただの「負け犬の遠吠え」と言う。見苦しいし、情けない。私は大阪という都市が大好きだが、こんなことをしていたら将来は暗いであろう。チャレンジしなければ、何も得ることができない。



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香川大学の古川先生が手がけられている小豆島のカフェ「白鳥」プロジェクトを視察する [地域興し]

直島のぐぅ・カフェを訪れた翌日、古川先生が手がけられているもう一つのプロジェクト、小豆島のカフェ「白鳥」を訪れる。この「白鳥」は、昔坂手地区にあった軽喫茶を香川大学の学生達で再開させ、運営している喫茶店である。下記はそのフェイスブックである。
https://www.facebook.com/hakucho.sakate

昭和〜というレトロ感あふれる喫茶店は、今年の3月9日に再開する。土曜日と日曜日の営業ではあるが、食事は地元のお母さん達が腕をふるう。この点は、同じ古川先生が手がけられている学生が調理までするぐぅ・カフェとは違う。喫茶店はその地域コミュニティに交流する機会を提供する。交流というと大げさかもしれないが、とりあえず、同じ時間と同じ空間を共有するという可能性を提供することになる。そして、それらを運営する学生達は、コミュニティ・ビジネスのポテンシャルと課題を認識するチャンスを得るのと同時に、知らない人とのコミュニケーション能力を鍛える機会までも得ることができる。それは、お仕着せのマニュアルどおりに動くことを強いられるロボット・アルバイトとは異なる貴重な経験となるであろう。古川先生の学生達は、大変恵まれている。

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香川大学の「和Caféぐう」 [地域興し]

 瀬戸内海の直島でカフェを経営している学生達がいる。香川大学の古川先生が仕掛けた「和Caféぐう」である。直島は、20年前に現代芸術を活用した島興しをしたことで、世界的な脚光を集め、多くの観光客を集めるようになった。しかし、多くの観光客が来るようになったのはいいのだが、食事をする場所やカフェがない。そのような問題を島民から聞いた香川大学の古川先生が、ゼミ生に「誰かカフェとかやれば絶対、儲かると思うんだけどなあ」と言ったところ、ゼミ生が、「先生、そんなら自分達がやります」と言って、実際、島の一軒家を借りて、カフェを開始することにした。これが、直島の本村にある「和Caféぐう」というカフェが出来たことの発端である。2006年8月5日のことである。
 「和Caféぐう」は、古民家を借りて営業している。この古民家が何ともいえず良い味を出しているのだが、借りた時はもうぼろぼろの空き家で結構、掃除等苦労したらしい。この「ぐぅ」というネーミングであるが、「思いがけない出会い」の偶然の「ぐぅ」、「おもてなし」の待遇の「ぐぅ」、お腹が「ぐぅ」、環境に「Good」の「ぐぅ」の4つの意味が込められているそうである。和テイストが基本なのは、古民家というセッティングはやはり「和」だろうという考えがあるそうだ。
 「和Caféぐう」は、学生達がメニューを考え、学生達が調理し、学生達が接客をし、学生達が会計処理もし、学生達が看板をつくり、広報活動もするというカフェで、今ではしっかりと観光ガイドに他の食堂などと一緒に紹介されている。当初こそ、古川先生のゼミ生が主体で活動をしていたが、今ではむしろゼミ生はほとんどいなくて、他の有志の学生達によって運営されている。
 私が訪れた時には、もう7年間も経っていたこともあり、しっかりと学生達も組織化されており、きびきびと仕事をこなす学生達はもうプロはだしである。カフェではあるが、しっかりとした料理も用意されており、「ポークジンジャー」、地元の食材をつかった「いりこご飯」といったメニューもある。私は「ポークジンジャー」を注文したのだが、なかなかの味であり感心する。また、デザートも充実しており、「なごみ和ッフル」、「和パフェぐぅ」などもある。このカフェは2006年にオープンしてから、しっかりと赤字も出さずに経営されてきている。
 単にカフェを経営するというだけでなく、地域研究の拠点、島興しにも貢献できるよう「地域との交流イベント」、「観光ボランティア・ガイド」などの事業をも学生達は取り組んでいる。古川先生はあくまでも顧問として、このプロジェクトに関わっているようで、学生の相談には応じるが、基本的には、学生の主体に任せてプロジェクトを暖かく見守っているだけで、あまり干渉はしていない。
 想像していたより、はるかにしっかりとしたプロジェクトで大いに刺激を受けると同時に、積極的に応援していきたいという気持ちにさせられた。なかなか素晴らしいものをみせてもらった。

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(和カフェぐぅの看板)

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(和カフェぐぅの玄関)

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(和カフェぐぅの看板料理の一つ、ポークジンジャー)

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(厨房にお邪魔させてもらう)

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(香川大学の学生と私のゼミ生達との記念写真)
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直島を訪れる [地域興し]

 香川県にある人口3千人強の直島。この直島はアメリカの旅行雑誌Travellersに世界で訪れるべき7観光地の一つとして紹介されたことがある。その効果なのかどうか。多くの海外の観光客が訪れる日本の数少ないMust See観光地である。私のイメージは、直島はベネッセの島。さらには、安藤忠雄がベネッセのために設計した美術館のある島というものである。そんなに悪くはないのだろうが、世界で訪れるべき観光地として、日本で唯一選ばれるようなものではないだろうと思っていた。しかし、私の友人であるチェコ人は、直島を絶賛する。彼は母親をはじめとして、彼のヨーロッパの知り合いを日本に連れてくると、必ず直島に連れて行く。東京を素通りしても直島に連れて行く。というか、日本で3日間しか滞在できないような場合でも、東京ではなく京都までパスして直島にとりあえず行かせる。この彼の行動を私はとても奇異であると思っていた。
 しかし、もしかしたら、私だけが知らなくて、本当はTravellersやチェコの友人の方がよく知っているのではないか、という疑念もなかった訳ではないので、機会をみつけて訪れたのである。というか、本当は香川大学の古川先生が学生達と運営しているカフェを見るのが目的なのだが、そのカフェが直島にあったので訪れたのである。
 さて、直島は高松からアプローチした。岡山の宇野からもアプローチできるのだが、高松にいたので、高松から。フェリーは50分くらい。古川先生らと一緒に乗っていたので、おしゃべりをしていると50分はあっという間である。直島のフェリー乗り場にはいきなり、草間彌生の赤カボチャ。テントウムシの遺伝子を入れたカボチャのような風情でインパクトがある。

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(草間彌生の赤カボチャ)

 直島は20年くらい前から、アートによる島興しのような試みをしてきている。そもそものきっかけはリゾート・ブームの90年前後に藤田観光が島の南端にリゾート開発をしようと土地を購入したのがきっかけである。しかし、リゾート・バブルがはじけて、開発は頓挫。というか、何でこんなところでリゾート事業が成立すると思えたのか、改めて不思議なことであるが、将来構想のない土地だけが残り、それを地元の大企業であるベネッセが買い取ったのである。ベネッセの社長と、直島の町長さんはお友達であったようである。
 そういうことで、ベネッセがリゾート開発をするのであるが、藤田観光とベネッセの大きな違いは、ベネッセは直島という資源に依存することなく、まったくもって島との関連性のないアートという付加価値をこのリゾートに付け加えたことである。それは、直島という土地性を無視した方法論であり、自然型リゾートというよりかは都市型リゾートの開発手法であったが、これがうまくいく。まず、安藤忠雄という日本建築界のスーパースターにホテル兼美術館の設計を依頼する。そして、島全体をミュージアム化するという戦略を立てる。この戦略自体はベネッセが考えたのか、町長が考えたのか、誰が考えたのかは私は不明であるのだが、まあ、そういう地域戦略を策定したのである。
 そして、それがうまく行く。なぜ、うまく行ったのかを分析するほど、私には情報も知見もないのであるが、一つ分かったことは、圧倒的なアートの量的多さであろう。どこにいってもアートという感じである。また、もう一つは、この直島がアートをインストレーションするうえでは極めて背景として優れていたことであろう。海賊の島、直島は豊かであったことはしっかりとつくられた家々から伺うことができる。そして、プレハブ的な現代建築が少なく、長閑で美しい町並みを維持していたことが、現代芸術と興味深いハーモニー、少なくとも欧米人からすると刺激的な調和を生み出したことが、ここを魅力的にした要因なのではないかとも思ったりする。
 私も結構、面白く来た甲斐はあったかなと思わされた。とはいえ、日本を代表する観光地かというとそれはまったく思わない。京都の寺や、礼文島や知床、摩周湖などの北海道の自然、妻籠や高山などの方がよほど訪れる価値はあるでしょう。しかし、直島の本当の魅力はベネッセハウスにあるようで、ここに滞在していない私は本当の評価はできないのだ。まあ、宿泊費は最低でも2.5万円ということだそうだから、金持ちのための観光地であるということは確かなようだ。金持ちになったら、私もここの真の価値が分かるかもしれない。

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下町はよさこいが嫌い!? [地域興し]

よさこいはなかなかの人気だ。そのダイナミックな動き、激しい音楽に一糸乱れぬようにグループが連動する踊りは、世界的にもなかなかのレベルにあると個人的に思っている。少なくとも、ブラジルのサンバよりよっぽど高度だし、迫力もあると思う(サンバは一部の女性のボディーの迫力に注目されすぎる嫌いがあるが、全体をみればそれほどの迫力はない)。

このよさこいであるが、実は下町ではそれほど受けていないないらしい。下町でよさこいの演舞をすると、結構クレームがくるらしい。一応、音楽がうるさいということが表向きの苦情の理由だそうだが、よさこいより大きな音を出している和太鼓ではクレームが来ない。なぜ、よさこいだと苦情がくるのか、その背景を探ると、なんで下町という江戸時代からの祭りの伝統があるところで、よその祭りをわざわざやらなくてはならないのだ、という地元のプライドゆえの反発心があることが見えてくるそうだ。よさこいは確かに高知発祥の祭りであり、しかも歴史は浅い。よさこい祭りは都内でも池袋や原宿では受け入れられているが、なかなか下町では受け入れられないのは、そのような地域のプライドの反発心があるからだそうだ。

この話を聞いた私は、「でも浅草はサンバですよね」と尋ねると、サンバは外国だから、それほど反発がなかったようである。個人的にちょっと面白いなと思ったので、ここに記します。
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白金高輪というセンスがまったくない駅名がつけられた背景を知る [地域興し]

南北線と三田線の駅で「白金高輪」という駅がある。私は、この駅名が好きになれない。まず、白金か高輪かがはっきりしない。しかも、白金は白金台、高輪は高輪台という駅名が既にあり、たいへん中途半端な印象を与える。なんで、こんなセンスの悪いネーミングをしていたか以前から疑問を抱いていたのだが、ふとしたことでその疑問が晴れた。そもそも「白金高輪」は清正公前であった。しかし、清正公前に計画されていた駅が北側にシフトされたことと、清正公が自らの名前を駅名として使うことに反対したため、新しく駅名を考えることにした。そこで、出てきたのが「魚らん坂」である。これは、いい名前である。まず、地域性がよく分かるし、なんかインパクトがある。「魚らん坂」という名前は江戸時代からある。こうアイデンティティがしっかりとした、歴史もあって由緒もあるオーセンティックな名前であると思う。しかし、この名前をメトロは却下する。メトロの職員は「そんな名前はメジャーでないし、人も来ない」と魚らん坂を推奨している人達に言い放ったそうである。代わりに、知名度がある白金と高輪をくっつけた駅名にしたそうである。

私はこのメトロの職員の話を聞いて、本当に呆れた。「魚らん坂」というような個性的な名前を使うことで、よりメトロがネットワークする東京の豊かな地域性が表れるのに、それを「そんな名前はメジャーではない」と自らの浅薄なる知識を棚上げして却下し、さらには記号的なつまらない「白金高輪」というネーミングにしてしまったセンスの悪さと傲慢さに呆れかえった。最近、メトロの駅名のセンスは本当にださくて東京を分かっていないと思わせるものが多い。「清澄白河」、「赤羽岩淵」、「西早稲田」、「東新宿」などである。「半蔵門」、「乃木坂」、「新富町」、「水天宮前」といった地域は、地下鉄の駅名になったことでより広く人々にその存在を知らしめたという効果が大きいはずだ。「麻布十番」だってそうである。「白金高輪」というイメージが喚起しにくい名前ではなく、「魚らん坂」という名前にすることで、むしろ人々はその地域に興味を持つことにつながっていたであろう。「魚らん坂」という名称には言霊が宿っているのである。「清澄白河」は「清澄庭園」であるべきだったし、「赤羽岩淵」は単に「岩渕町」にした方がよかったと思われるし、「西早稲田」は「学習院大学」にするべきだと思うし、「東新宿」はちょっと難しいが、「戸山公園」とかにした方がいいと思う。そちらの方が、西とか東とかを適当につけるより、むしろ、その場所の地霊のようなものを表現しているし、そして、その地霊を感じさせることができる名称をつけることで、東京という街が有するセンス・オブ・プレイスが表出してくるように思うのである。

しかし、そういうことを思っても、そのような感性を持たないメトロの職員や公務員が、いい加減な名前をつけることで、その地域の命のようなものを風化させていくのである。とても残念である、多少の憤りも覚える。
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カッセルのドキュメンタを訪れる [地域興し]

 カッセルのドキュメンタを訪れる。このドキュメンタは5年に1度の芸術祭で、街中で現代芸術が展示されている。これは、1955年に開始され、今回は13回目。最初は、連邦庭園展の一部として開始されたのだが、その後は、庭園展とは独立し、一貫してカッセルで行われるようになっている。このドキュメンタは、チューリッヒ芸術大学のシェンカー教授と話をした時、ナチスに洗脳されたドイツ人に、アメリカそしてイギリスなどの連邦側の芸術に親しませ、ナチスの文化的暗黒時代から解放させるという意図も込められていたと教えられた。いやはや、すごい戦略性があったイベントであったことを知るのと同時に芸術の力の凄まじさを知る。第一回目は、ピカソやカンジンスキーの作品が展示されていたそうで、いやはや、そのインパクトは相当のものがあったと思われる。このドキュメンタは100日間の展示と期間が限定されているが、一部は恒久的にそこに設置されるものもあるようだ。このドキュメンタはベニスのビエンナーレ、バーゼルのアート・バーゼル、ミュンスターの彫刻プロジェクトとともに四大世界芸術祭として位置づけられている。初回の訪問客は13万人だったが、毎年徐々に増えていき絵、12回目は75万人を越えるまでになった。そのうちの3分の1が外国人であったそうなので、凄まじい都市活性化プロジェクトである。その予算は25億円程度であるが、それらはカッセル市、ヘッセン州、そしてドイツ連邦政府から出されている。不足分は民間スポンサー、寄附、そしてチケットの売り上げによって賄われている。
 さて、13回目のドキュメンタであるが、300人のアーティストが参加したそうである。中央駅を中心にアートが展示されているが、特に連邦庭園展が開催された城公園において多くの作品が展示されていた。駆け足でみたが、一番、チケット代(20ユーロ)の元を取ったな、と個人的に思ったのは、通常の芸術作品が展示されていた美術館であった。確かに興味深い試みであるし、都市観光を活性化させるためにアートを用いる手法としても優れているとは思うが、芸術作品だけをみれば、ニューヨークの現代美術館や、パリのルーブル美術館、マドリッドのソフィア王妃美術館を訪れた方がずっと深い感銘を覚えると思われる。まあ、これは私が芸術鑑賞者としては初級者であるからかもしれないが、城庭園を含めても、この都市の最高の芸術作品は、18世紀初頭につくられたヘラクレス公園であると思ってしまった。

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(ヘラクレス公園からカッセル市を望む)

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(屋外展示)

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(室内展示もある)
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カッセルほどサービスが酷いドイツの都市はないかもしれない [地域興し]

 ドキュメンタでカッセルを訪れたが、そこで我々を待っていたのは、ドイツの酷いサービスに慣れた私にも驚愕の酷いサービスであった。旧東ドイツでもこのような酷いサービスを見たことがない。まず、ドキュメンタのチケット売り場の若い女性。私が買おうとすると「クワイエット」と英語で言われる。声が大きくて気に障ったのかと思い、ちょっと静かにいうと、まるで犬に静かにしろと命令するように「クワイエット」とさらに大声で言われる。いや、何が何だか分からないと思ったら、どうも聞こえなかったらしい。なんだ「ラウダー」(louder)と言いたかったのか。まあ、これは英語が分からないだけだからどうでもいいのだが、次にチェコ人の友人が買おうとしたら、彼のお金の差し出し方が気に入らなかったらしく、「もっと丁寧にお金を出さないとチケットを売ってあげない」という馬鹿なことを言い出した。さすがに友人も切れて、「それじゃあ、責任者を呼んできてくれ」と言ったら、この若い女性は、「責任者と一緒に、ついでに警察も呼ぶわ」と言い放った。なんで、警察がここで出てくるのか分からない。チケットを買う行列はもう、50メートルくらいの長さになっている。この女性はどっかおかしいのではないか。近くにいた責任者というか、同僚らしきものが入ってきて、とりあえず友人はチケットを買うことができたが、彼女の仕事はしっかりとチケットを売ることであるのに、お客のお金の出し方が悪いというのでチケットを売らない、というのは想像できない振る舞いだ。というか、自分の立ち位置も分かっていない。こんな酷いサービスは、サービス不毛のドイツでも初めて遭遇した。
 また、ヘラクレスという観光地で昼食を取った時のサービスも酷かった。そのレストランは屋外にもテーブルがあるのだが、ウェイトレスは屋内と屋外をつなぐ扉を出たところで、客の番号を2回ほど呼んで、返事がないとまた屋内に戻ってしまう。これが1回ではない。というか、客が反応する方が稀だ。これは、屋外のテーブルが多く、広大であり、おそらく、この扉の遠くのテーブルでは声が聞こえないからだと思われる。私はこの扉の近くのテーブルに座っていたのだが、このウェイトレスはおそらく客にサービスするという意識はゼロなのだろう。とりあえず、屋外で番号を2回ほど呼べば、それで自分の仕事は終わったと思っているのかもしれない。確かにここは観光地なので、リピーターなどを意識する必要はないだろうが、それにしても酷い。
 これは夕食のレストランでもそうで、人数が多かったので、入る前に料理が出るのにどのくらい時間がかかるかと尋ねると、45分くらいだと回答した。それなら、電車には間に合うと思い、着席すると、注文が来るのに20分以上待たされた。そこで、料理はどれくらいで出るかと尋ねると1時間くらいとの回答。さすがに呆れて、その店は出たのだが、カッセル恐るべし。ドキュメンタのような国際芸術イベントをするような都市のソフト基盤をこの都市は全く有していないのではないだろうか。都市力として、特に観光都市を意識するのであれば、このサービス力みたいなものも勘案されるべきであると思われるのだが、カッセルはまったくそのような資格さえ有していない都市であると思われる。私はドイツが大好きであるが、このカッセルだけは、極めて後味が悪いものがあった。初めて訪れたドイツの都市がカッセルでなくて、本当によかった。

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ローマ時代の遺跡公園のあるクサンテンを訪れる [地域興し]

ノルドライン・ヴェストファーレン州の西端、オランダの国境に近いクサンテンを訪れる。ここには、世界最大規模の屋外型遺跡公園があるのに加え、中世風の美しい中心市街地もあり、なかなか観光地としては魅力的なところだ。デュースブルクから、ローカル鉄道に乗って50分程度。周囲のランドスケープはドイツというよりかはオランダ。クサンテンの町にも巨大なる風車が立っていたりする。クサンテンは、第二次世界大戦では85%以上が破壊されたので、その建物の多くは戦後、修復されたものであるが、それでも結構、味わいのある街並みだ。ここだけでも観光に来る価値はあるかとも思われるが、ここの目玉はなんといってもローマ時代の屋外遺跡公園である。ここは、なんとクサンテンのローマ時代の街並みを再現するために、遺跡を発掘し、復元を試みている。1975年に開園されたのだが、現在でも遺跡を発掘中である。というか、まだほとんどが発掘されてなく、2012年現在でも大風呂、コロシアム、寺院、裕福な住民の家、ぐらいしか復元されていない。最終的にここが復元されるには100年はかかるだろうと見られている。とはいえ、このドイツでもローマから遠く離れた北ドイツにて、こういう遺跡があるという事実でさえ、2000年前をイマジネーションさせるのだが、その遺跡を復元させる試みがされていることで、より強く想像力を刺激される。なかなか興味深い場所である。

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(市内にある風車)

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(市街地は歴史的街並みではないが、なかなか雰囲気はよい)

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(アンピシアター。ローマはもちろんのこと、リヨンとも比較にもなりませんが結構、雰囲気はあります)

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(寺院も一部、復元されています)
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台湾は坪林の烏龍茶 [地域興し]

台北からちょっと行ったところに坪林(ピンリン)と呼ばれる山間集落がある。ここは、台北の人にとっては絶好のハイキング・コースであるらしく、我々と同じバスには多くの中年ハイカーが同乗していた。この坪林は、またその急峻な地形を活かした烏龍茶畑がある。ここでゼミ生と国立台湾大学の学生とで協働して、ある有機農業栽培をしている烏龍茶の茶摘みをした。台湾の固有種の鳥として、ブルー・マグパイという鳥がいる。中国名では山娘という鳥なのだが、この鳥を保全するためにも有機農業を維持したいということで、台湾野鳥の会も、この烏龍茶の有機農業栽培を積極的に支援している。したがって、このプログラムは台湾野鳥の会のバックアップのもとに実現したのである。学生達は、茶摘みをした後、烏龍茶の発酵、そして袋詰み、パッケージのデザインを行い、最終日は国立台湾大学のキャンパス内で販売までもした。さて、そこで気づいたことの一つとして、台湾の烏龍茶(我々が販売したのは東方美人茶)は、本当に高く売られているということである。特に有機農業、手詰みだと相当の高級品なのである。また、台湾のビジネスマンが中国でビジネスの話をする時に持って行く手土産の一番人気がこの烏龍茶なのである。というのは、中国本土の烏龍茶は農薬まみれで一番茶どころか二番茶も危ないのでそのまま捨てるような状況にあるからだそうだ。それに比して、一番茶から飲める台湾の有機の烏龍茶は彼らからすると、大変有り難いもののようなのだ。いやあ、日本人とかだと一番茶が最も好まれるから、それを知らずに中国本土の烏龍茶を一番茶から飲んでいたら身体に随分と危険だ。でも、つくづく思うが、この坪林の烏龍茶はとても美味しい。利尿効果も強烈だし、便通もよくなるし、そして美味しく、なかなか素晴らしいお茶であると思う。

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シアトルの地元のギター屋に行き、いろいろと感心する [地域興し]

 シアトルの昔ながらの商業地区であるパイオニア・スクエアの一画にあるエメラルド・ギターという名前のギター屋を訪れる。ここはクラプトンやビリー・ギボンスなども顧客の店で、58歳のオーナーであるブーン氏にいろいろとギターや店の話などをしてもらう。この店では、日本のクロサワ楽器もしょっちゅう、ギターを物色に来るらしい。店においてある個性溢れるギターの数々の説明をしてもらう。私は、ギターの違いはまったく分からないので、とても勉強になる。私はギターの善し悪しが分からないんですよね、とオーナーに伝えると、にこやかに「クラプトンとかは本当によくギターの違いが本当によく分かるんだよね」と返答する。それは神だから当然でしょう。とはいえ、それは嫌みとかではなく、なんか私との会話を促すような感じでの返答であったので、これはプロの接客だと感心する。私は日本のギター屋では、こんな丁寧な接客をされたことがない。この店には、常連客みたいなのが多く出入りして、適当にギターを選んでは弾いている。そして店の人や客とギター論議を始める。ちょっとしたサロンみたいな感じだ。ただし、ギターの揃えはよくない。ちょっとマニアックな品揃えである。こういう店が、しかし、シアトルの音楽文化を支えているのだろう。グランジがシアトルで生まれたのは、こういうギター屋を含めて、それらを支える基盤がしっかりとあったためではないだろうか。チェーン店と比べて品揃えは悪いし、値段も高いかもしれないが、チェーン店にはない商品説明、そして客とのコミュニケーション。シアトルの昔ながらの商店街パイオニア・スクエアの個性(オーセンティシティ)を構築する素晴らしい店だ。
 その後、試しに郊外にあるショッピング・モールの中にあるギター屋チェーンであるギター・センターを訪れてみた。そこでは、あまりやる気がなさそうな従業員が、常套文句で接客してきた。ギターの数はとても多いし、値段も悪くはないのだが、こういうところでギターを購入していたら、ギターへの愛情もなかなか育まれないのではないかと思ったりもした。エメラルド・ギターのオーナーは40歳ぐらいまではバンドで演奏していたが、もうそれほどビッグにはなれないので、今後の人生をどうしようかと考えた時、音楽とギターが好きなのでギター屋を始めたそうなのだ。こういうこだわりがある人がギター屋をやっていることは社会そして地域の一つの財産であると思ったりした次第である。

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(店長のジェイ・ブーン氏と記念撮影をさせてもらう)
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いわき市に福島原発資料館 [地域興し]

 いわき市を訪れる。いわき市は統計上は人口が減少しているが、福島第一原発の被災地からの避難民が推定2万から3万人いると推測されており、また、福島第一原発の修復事業の拠点となっていることや震災からの復興事業などもあるために、震災前よりは中心市街地などは賑わっている。特に顕著なのが、飲み屋街である。いわき市はそもそも炭鉱が盛んであったこともあり、その人口規模に比して飲み屋が多い。しかし、私も震災前に訪れたことが少なからずあるが、炭鉱も閉じてから随分と時も経ち、往時の繁栄とは比較できないほどの寂れようであった。その飲み屋街が、震災前よりも随分と華やいでいるのだ。金曜日の夜、私が訪れたお洒落なバーは、満席とは言えないまでも相当数の客が入っていた。
 また、いわき市に逃げていた避難民は、補償金として一人当たり月額で10万円の補償金が入る。これらの補償金はいわき市にて消費されるので、いわき市の小売業は結構、潤っているのである。もちろん、この補償金は当座のものであるし、また、原発の修復事業は随分と長期にわたるかもしれないが、それでも現在ほど人手はいらないであろうから、今のうちに将来へのビジョンを再構築することが切実に求められる。
 いわき市は、今回のフクシマ原発事故で奇跡的に放射能があまり降下しなかった。結果、福島市や郡山市に比べて、放射能という観点からは生活できる状態にある。とはいえ、いわき市の漁港のすべてが、漁業を再開できるような状況にはない。口にする食べ物の安全性も、極めて怪しいような状況にある。最悪の事態を免れたことは確かであるし、経済的活況は人々を楽観的な気分にもさせるかもしれない。しかし、現時点での経済的活況は棚からぼた餅的なものであること、根源的な地域産業、特に漁業や農業は致命的なダメージを受けていることを考えると、長期的な雇用確保のためにも今、相当、知恵を絞らないといけないであろう。
 私は、自分が何ができるかも分からないのだが、このいわき市に福島原発事故資料館のようなものをつくれたらと思っているのである。福島原発事故はとんでもないマイナスであったが、そのマイナスをプラスに転換させるようなこととして、何が出来るのかと考えた末、この事故のアーカイブを今のうちに多く集めて、それを後生に伝えるような資料館をいわき市につくることを思いついたのである。福島原発の事故が人類に教えたことは、原発は事故を必然的に起こすということである。原発は機械である。機械は故障する。その機械を管理するのは人間である。人間は誤る。そのような状況で運転されている原発は、ある確率で事故を起こす。そして、その確率は、それまで考えていたよりおそらく随分と高そうであるということだ。それは、どういうことかというと、これからも世界各地で原発事故が起きるということである。そして原発事故が起きた時、有用な情報を蓄積して、検索できる資料館があれば、随分と役立つだけでなく、平時も世界中から観光客を集めるような施設になると思うのである。
 私は大学で留学生を対象とした講義を持っていたりするが、留学生の福島原発への関心はとても高いものがある。日本の学生などとは比べものにならない。彼らの好奇心や興味に応えるような施設がいわき市にあれば、いわき市への観光客は多くなると思うのである。
 なぜ、そのような施設がいわき市に立地するべきなのか。まず、福島原発の立地自治体である双葉町や広野町は当分、人が住めるようにはならない。それと、外国人も関心はあっても、そこまで近くには怖くて行きたいとは思わないと考えられる。そして、いわき市にはホテルを始め、繁華街もあるし、多くの都市機能を備えている。つまり、観光客へのサービスを既存の資源でしっかりと供給できる。いわき市は原発からは近からず遠からずという絶妙なポジションにあり、しかも観光サービスも提供できる、ということで、このような立地には極めて適切であると思うのである。
 ということで、是非とも、これが実現できたらなと思うのである。それは、日本だけでなく人類へも貢献するような施設になるであろうし、このとてつもないマイナスを少しはプラスにすることをいわき市もできるのではないかと勝手ながら考えるのである。

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長崎の観光地としてのとてつもないポテンシャルに感銘を受ける [地域興し]

長崎を訪れる。長崎は随分と久しぶりである。10年以上ぶりである。しかも、前回はあまり時間もなく、グラバー園や眼鏡橋などは訪れたが、それ以外はあまり見ることはできなかった。今回は、軍艦島を是非とも訪れたいと思ったのだが、当初想定した日は出航しなかったので、結局、長崎で3泊した。その結果、随分と長崎市を見ることができ、その都市の魅力、そしてそのポテンシャルに大いなる感銘を受けた。政令指定都市ではない県庁所在地クラスの都市で、これだけの観光ポテンシャルを有している都市は、日本広しといえども、それほど多くないであろう。個人的には、金沢市よりも日本人はもちろんのこと、外国人にとっても魅力があるのではないかと思われた。

長崎市の魅力は、コンパクトな都市の中に、このグラバー園や大浦天主堂、オランダ坂、眼鏡橋、出島、中華街などの観光コンテンツがてんこ盛りになっていることである。まさに、観光名所のちゃんぽん状態である(本当は、卓袱料理といいたいのだが、食べたことがないので言えない)。歩いて回れるが、ちょっと疲れた時は、路面電車に乗ればいい。これは、素晴らしい都市型観光地である。やはり、観光都市の魅力は歩けることである。マンハッタンがまさにそうだ。さらにマンハッタンと異なるところは、坂道が多いところだ。そして、坂道が多いために、多様な視座を観光客は得ることができ、この複雑な地形を有する都市がつくり出す景観を様々に楽しむことができる。そして、その複雑さは、ちょうど歩くぐらいのスピードでちょうどいい。

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(眼鏡橋)

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(グラバー亭)

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(オランダ坂の洋風建築)

また、観光スポットだけでなく、料理も多様で美味しいところが嬉しい。歩いて楽しく、食べて楽しい。しかも、軍艦島のようにヨーロッパであれば余裕で単体で世界遺産になるようなユニークで興味深い新たな観光資源も出来つつある。いやあ、これはなかなか素晴らしい都市で、私は今回の出張ですっかりと長崎ファンになってしまった。

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(観光通のそばの居酒屋で出された刺身とくじらのおばけ)
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青森の農家から林檎を送ってもらい、メチャクチャ落胆する [地域興し]

私の家のそばにはいい果物屋がない。イオン系で購入しない私は、しかたなくダイエーで買ったりしている。しかし、ダイエーの果物は品質が悪い。特に最近では産地を気にするので、なかなか美味しい果物を得ることができない。ということで、もうこれは自分で注文するしかない、ということで青森の農家から林檎を送ってもらうことにした。本当は福島の会津にとても美味しい林檎をつくる農家がいるのだが、流石に私はともかく、子供のことを考えると、今年は会津でも厳しい。これは風評被害ではない。1キログラム当たり500ベクレルというのは、あくまで暫定基準であって、この数字は少なくともベラルーシ並みの100ベクレルぐらいであるべきなのだ。500ベクレル以下であっても、100ベクレルを越える農産物は恐ろしくたくさんあるのは、農林省の資料からよく理解できる。閑話休題。とにかく、そういうことで青森の農家から林檎を購入することにしたのだが、青森の農家の知人がいない。したがって、インターネットでそれっぽいところを探すことにした。そして、まあ、比較的よさそうだな、というところを見つけ、電話をしてみる。対応はいい。これなら大丈夫なのではないか、と思い、注文する。「美味しかったらまたお願いしたいと思います」とメイルにも書いておいた。

さて、その林檎が翌週届けられる。わくわくしながら、箱を開けて驚いた。結構、傷んだり、形もいびつだったりする林檎が15キログラム分入っていたからである。え!と思いつつも、味は流石にいいだろうと思ったら、味も悪かった。値段を考えるとダイエーでの林檎の方が美味しいくらいである。

これは何なんだ。おそらく、傷んでいない林檎や、形もよくて味もよい林檎は農協などに卸されているのであろう。そして、農協に卸せない林檎を個人に送っているのではないか。しかし、それはマーケティングとして間違っているであろう。このような個人ベースで注文してくる顧客は、満足すればリピーターになる。ある程度の値上げをしても、その林檎に満足していたら、それでも注文するであろう。担当者の顔は見えても、顔が見えないマスのマーケットを対象とする農協を意識するよりも、その生産者の顔を見ている顧客の方を重視すべきではないだろうか。まったくよく分からない。少なくとも、私はこの農家に注文することは二度とない。こういうことをしていると、TPPの是非を議論することさえ馬鹿らしくなっている。まったく、ビジネスを分かっていない人が農業をやっているのであれば、TPPによって淘汰されることも致し方ないと思ったりする。

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横浜のジャズ・フェスティバルを訪れ、何でどこもかしこもジャズ・フェスティバルなのだろうと考える [地域興し]

横浜ではジャズ・フェスティバルが開催されている。日本最大級のジャズ・フェスティバルであるそうだ。さて、ジャズ・フェスティバルはなかなかいい試みだと思うし、嫌いではない。街中に音楽と人が溢れて、なんかいい感じだ。しかし、である。どうして、どこもかしこもジャズ・フェスティバルなのだろうか。お茶の水でも阿佐ヶ谷でも、仙台でも、もうどこもかしこもジャズ・フェスティバルである。日本人が皆、ジャズが好きであるならそれはそれでいい。しかし、ジャズのCDは売れないし、ジャズ・バーの多くはもう経営破綻の一歩手前のような状況だ。まあ、ジャズ・ファン層を拡大させるためのマーケティング活動であるとして捉えることもできるかもしれないが、実際は、どこかが(例えば阿佐ヶ谷だろうか)成功したから、猫も杓子もジャズ・フェスティバルというのが実態なのではないだろうか。

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オランダのハーレムを訪れた時、たまたま偶然であったが、プログレ・ロック・フェスティバルが開催されていた。無料で会場に入場できた。そこでは、おそらく地元の素人のおじさんプログレ・バンドが演奏をしていたのだが、私は猛烈に感動したのを覚えている。何もジャズだけが町興しの音楽ジャンルではないであろう。もっと創造的であるべきである。その創造的な思考プロセスがなければ、人は一時期は集められてもすぐ飽きられてしまうだろうし、その町にも何か財産となるようなものが蓄積されることもないと思われる。

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エッセン市のプロモーションビデオにはサッカーの画像が一切ない [地域興し]

ルール地方の雄であり、昨年、欧州文化首都に指定されたルール地方の拠点であるエッセン市を訪れる。そこで、エッセン市のプロモーションビデオを見る。

エッセンは人口こそはドルトムントよりは少ないが、地理的にも政治的にも経済的にもルール地方の中心である。数多くあるルール地方の産業遺産で唯一、世界遺産に指定されたツォルフェラインもエッセン市にある。負けているのはサッカーぐらいといってもいいかもしれない。

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(エッセンの世界遺産ツォルフェライン)

さて、そのエッセンのプロモーションビデオであるが、脱工業ということを強く意識していることが分かる。ルール地方の工業都市として、クルップの拠点であり、ドイツ経済を牽引した過去の栄光を捨て、新たなる都市イメージを形成しようと努力していることがうかがえる。

そして、そのキーワードとなるのが文化のようだ。同市にはアルバー・アアルトが設計したオペラハウスを始め、ルール地方最大のコンサート・ホール、1200人が収容できるドイツ最大の映画館や劇場などが多く建てられている。さらには、IBAエムシャーパークが成功したことが大きいのであろうが、2010年にはエッセンを中心としてルール地方が欧州文化首都として指名された。一昔前であれば、ルール地方が欧州文化首都に指名されることなど想像することも難しかったので、工業都市から文化都市への脱皮というのは、ある程度の成果が得られたのではないかとも思われる。ビルバオやマンチェスターとかの動きと同様だ。

さて、一方でサッカーの映像がまったくなかったことは大変興味深かった。スポーツ関連の映像は、ヨットぐらいであった。これがドルトムントのプロモーションビデオであれば3分の1はサッカーの映像となったであろう。サッカー博物館の誘致に成功するほどのサッカー都市である。都市のアイデンティティとしてサッカーを使うのはごく自然であると思われるのだ。

とはいえ、エッセンもサッカー大好きなドイツの都市である。市の職員にどうして、サッカーの映像がないのですか、と聞くと、同じルール地方にはブンデスリーガの1部にドルトムント、ゲルゼンキルヘンのチームがある。2部には昨期まで1部にいたボーフム、デュースブルクなどのチームがいる。それに比して、エッセンはついこのあいだまでは5部で、ようやく最近4部になったという恥ずかしい状況である。1950年代にはブンデスリーガの1部で優勝もしたこともあるのだが、サッカーのイメージは他のルール地方に比べて遙かに弱いのだ。と回答してもらった。

サッカーというスポーツも都市イメージの形成に重要な影響を及ぼすのであるな、ということを改めて感じた。また、エッセンのチームが強くなれないのは、スポンサーがドルトムントやゲルゼンキルヘン(シャルケ)などについてしまうためだそうだ。ということで、強くなるためには長い道のりのようである。

タグ:エッセン
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秋葉原でメイド・カフェが普及した理由 [地域興し]

秋葉原といえば、メイドがイコンのような状況になっている。これは、どういう経緯でなったのか、不思議であったのだが、その理由が分かった。神田の駅のそばに蔵・太平山という居酒屋があるのだが、ここは土・日が休日だったのだが、店長が新しくなった98年頃から、土・日も開店し、店長の知り合いの声優などにも来てもらい、コスプレ居酒屋にしたそうである。これが大変、人気となり(私はまったくもって知らなかったが)、そのうちマスメディアの取材も受ける。しかし、コスプレで着ている服などには著作権がある。ということで、メディアでは撮影されにくい。そこで、著作権がなくコスプレとしてもインパクトの強いメイドのユニフォームが注目されるようになり、メイド・カフェが展開するようになったそうである。

現在、秋葉原にはメイド喫茶が50〜60店ほどあるそうだ。私のゼミ生がスイス人とフランス人を連れて行ったところ、スイス人はなぜ、こんなところにお金を払うのか、と怒っていたそうだ。

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2009年の商業統計で東京の商店街の動向を調べてみた [地域興し]

2009年の商業統計で、東京都内の商店街の統計指標をチェックしてみる。これは3年ごとに実施されているものなのだが、3年前と比べると随分と数字に変化がみられる。全般的に事業所数、年間商品販売額などは減少傾向にあるが、商店街によって温度差がある。例えば、千歳烏山駅などは北側も南側も商店数、年間商品販売額などが増加傾向にある。一方、減っているのは下北沢で、ちょっと3年前の数字を間違えて入力したのかと思うほど減少している。3割近い減りようだ。これは小田急の地下化工事で周辺の商店が立ち退きしたことの影響も大きいのだろうが、ちょっと愕然とした減り方である。もちろん、これら統計でカバーできない商業活動も多いので、これを鵜呑みにはできないが、ショッキングではある。他でも武蔵小山の減少が激しい。武蔵小山はおそらく、駅の地下化の影響が大きいと思われる。駅の乗降客数は増えているのだが、それと同時に踏み切り撤廃などをし、自動車交通の利便性を高めたのが、商店主達の期待と裏腹に顧客が他に流出したのではないかと思われる。武蔵小山の商店街の顧客とかは、例えば、目黒通り沿いのダイエーや周辺のところに顧客が流れたことも考えられる。踏切もなくなって、行くのが便利になったからなあ。

まあ、大雑把な統計をチェックしただけなのでいい加減なことは言えないが、ちょっと商店街をめぐる状況には大きな変化がみられていることは確かなようだ。
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宮城蔵王は「蔵王」というブランドを使用しても果たしていいのだろうか、ちょっと疑問に思う [地域興し]

大晦日。普段、家庭をないがしろにしている私は、久しぶりに家族サービスで宮城蔵王に来ている。山形蔵王には学生時代、アルバイトをしていたりしてよく入っていたが、宮城蔵王は始めてである。宮城蔵王はゴンドラがあるが、コースはちょろく、滑走距離こそ長いが、あまりドラマチックな展開もなく、凡庸なスキー場である。山形蔵王と同じ名前をつけていいのか、とさえ思う。まあ、山形蔵王もスキー場の質はよくてもサービスの悪さとぼったくり体質でせっかくのブランドのポテンシャルを自ら落としまくっているので、ブランドでどうこう主張する資格はないだろうが、ううむ、宮城蔵王というのは微妙である。だって、宮城蔵王に行った人が、「蔵王にスキーに行ったけど、雪質も悪く、コースも単調でいまひとつだよねえ」、と周りに言ったら、それをきいた人が山形蔵王と誤解する可能性があるからだ。そういう風に考えると、山形蔵王の人は、蔵王というブランドの使用権をもうちょっと主張するべきだと思うのだがどうなのだろうか。もしかしたら過去にそういう対立もあったかもしれない。

こんなことを悪く書くくらいなら来なければいいじゃないか、と思われるかもしれないが、年末年始、空いている宿がここくらいしかなかったのである。そういう事実からもいまひとつであることは予想されていたわけであるが、まあ、いまひとつであった。ただし、低気圧がきて雪が降りまくっている。それは結構、ありがたいことであった。私はスキー暦が長いくせに深雪のすべりをマスターしていないので、ちょっと緩斜面の深雪で練習したりしていた。とはいえ、いまさら何をやっているんだろうねえ、と突っ込む私もいる。こういうことは若くしてマスターすべきで、そういう機会はたくさんあったのに、それを逸した自分に対して自己嫌悪する。

まあ、相変わらず自己嫌悪と自我アイデンティティの模索が続く、不惑の年をはるかに過ぎても、迷路から抜け出せていないような私ですが、来年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。奇特な読者の方々は、よいお年をお迎えください。
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サンマルク・カフェはお年寄りに人気!? [地域興し]

十条近辺ではお年寄りにはサンマルク・カフェが人気らしい。スターバックスでもドトールでもなく、サンマルク・カフェ。その鍵はどうもポイント・カードらしい。このポイント・カード、飲み物一杯の購入につきスタンプをひとつ押してもらえ、スタンプが5つたまるとホットまたはアイスのコーヒーか紅茶が無料でもらえるそうだ。お年寄りは、年金暮らしでお金に細かく、しかし珈琲は飲みたい。そのニーズに沿っているのが、サンマルク・カフェらしいのだ。

十条の商店街はスタンプ・カードが結構、人気である。まあ、いわゆる千歳烏山商店街のスタンプ・カードを真似たものであるが、そういうスタンプに馴れていることもサンマルク・カフェのスタンプ・カードに親しみをもちやすい背景にあるのかもしれない。

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水戸市で開催されたコミケの街づくりにおける効果を聞く [地域興し]

水戸市をゼミ生達と訪問して、水戸市で今年の3月に開催したコミケに関しての話を聞く。私はコミケというイベントが行われていることは知っていたが、その内容に関しては、まったくもって無知であった。したがって、それがどの程度の集客力を有しているかも不明であったので、二日間の開催で33万人も人を集めたことを知って大いに驚いた。

水戸市がコミケを開催する背景には、水戸市の中心市街地の衰退がある。実際、水戸市の中心市街地は相当の勢いで衰退している。駅前の商業ビルでさえテナントが入らず、中心市街地の目抜き通りでさえシャッターを降ろしていたり、空き店舗が多かったりする。県庁所在地であるとはとても思えない。水戸市は人口が縮小している訳ではないので、この中心市街地の衰退の主要因は郊外化が展開したからであると考えられるが、バイパスなどを整備し、大店法を廃止して郊外での商業開発などを可能とした為政者は、このような事態をもたらした罪を自覚すべきであろう。90年代後半の経産省の役人達や、道路行政を推し進めた国交省の役人達が、このような事態をもたらした主犯であろう。当時、あのような施策を推し進めれば、今のような事態になることはアメリカの都市などをしっかりと研究すれば明々白々であった。しかし、実際、その衰退ぶりを目の当たりにすると怒りが湧いてくる。

話を水戸市に戻そう。水戸市に水戸駅ができるのが明治22年。これは、今の常磐線ではなく、水戸と小山とを結ぶものであった。その後、常磐線もでき、また戦後は国道55バイパスが市の南側につくられる。そこにロードショップ型の店舗ができて、昭和60年代くらいに人々が都心から流れ出る。さらに平成に入ると、イオンなども出来る。その結果、都心部に人が集まらないようになる。そして、上述したような中心市街地は閑散としていき、空き店舗が埋まらないような事態になる。

そのような状況をどうにか改善しようと、コミケで町おこしを図ろうと有志が起ち上がる。今回、我々の案内をしてくれたその有志達のリーダーである須藤さんは、NHKのテレビ取材に対して「出来ることは何でもやらなければ、どうにもならない事態にまで来ている」といったような内容を述べていたが、とにかく街に刺激を与えたい、ということでコミケの開催に取り組むことになる。

まずは誘致活動ということで、誘致をするうえで企画書を作成する。ここで、企画書を郵送ではなくて持参する。これは、熱意が通じやすいということや、相手がどのような人なのか、また意見交換ができることなどが期待できたからであるが、結果的にこれが功を奏す。いろいろと主催者側の意見などを聞くことができ、誘致活動をするうえで有利な展開をできることになったからである。そして結果的に誘致を勝ち取る。

さて、NHKでの特集番組なども見せてもらい、その実態を知ったのだが、何しろコミケの集客力の凄さに驚く。そして、そのファンの顧客としての誠実さにも驚く。オタク凄い。しかも、お行儀がよく、マナーを守る。一般的にオタクというと、あまり肯定的なイメージを抱いていなかったが、彼らをターゲットとするコミケ・マーケットは相当、ビジネスとしては優れていることを知る。特に街のイベントとしては、その集客力の高さ、金の使いっぷりのよさから、相当優れた顧客であろう。オタクこそが日本経済の救世主なのではないか、と思うくらいである。いや、今さらこんなことに気づいていると思っているのは私だけだって、既に皆知っていることなのかもしれないが。

人が来ないと街はどうにもならない。どんなに素晴らしい建築物が建っていても、どんなに立派な道路が整備されたとしても、そこに人がいなければ都市は魅力がない。逆にいえば、人さえたくさんいれば、建築が悪かろうが、都市デザインが今ひとつであろうが、どうにかなるかもしれないと思わせる。何しろ人がマチを活性化する。衰退している中心市街地を持つ都市は、この人を呼び込むための施策を展開するべきだ。方法論は大雑把に二つ。一つは中心市街地の魅力を高めること、もう一つは郊外など中心市街地と競合する地区における集客施設をなくしていくこと。後者ができず、前者だけで頑張るのは水戸レベルの都市でもまったく無理であることは、水戸をみれば分かる。人口が100万以下の都市では、中心市街地が必要であると思うのであれば、都市成長管理をしたりして郊外開発規制をしたり、また既存の郊外開発に対しては郊外税などを設定するなどして、徐々に中心市街地に人々を呼び込むようにするべきであろう。また、郊外開発を誘因した大きな要因はモータリゼーションである。モータリゼーションに対しても甘やかさない政策を展開させていくことが求められる。

コミケを実現させた水戸市役所の職員で、水戸市政策研究会の代表の須藤さんは「まちが楽しければ人が来る」と言う。そして、コミケの次に考えているのはLRT。これは電車を走らせたいというよりかは、都市構造を転換したいからである。須藤さん、とても問題点をしっかりと把握されている、と僭越ながら感心した次第である。

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合羽橋商店街を訪れる [地域興し]

浅草の合羽橋商店街を訪れる。おもにプロを対象とした問屋が集積している商店街である。1912年頃につくられたと推察され、それ以前は、入谷の田んぼに水を引くための水路が敷かれていたそうだ。今でも川は下を流れている。その川に蓋がされ、その上を路面電車が走り、商店街が形成されるようになった。

大正12年頃には、合羽橋に行けば商売道具が揃うと言われていた。廃品回収が発端。戦後のどさくさで食材の加工品、食料そのものを売ったりするようになった。食にかかわる材料や道具を扱い、戦後の発展とともに、今日に至っている。商店街の最盛期は昭和30年代〜40年代。

この商店街の特徴は、消費財を売っているのではなく生産財を売っているところにある。卸売りの商店街ということだ。最盛期のころは、プロの客に売っていたが、最近はテレビとかで紹介されていることもあり、一般の客が増えているという現象がみられるようになった。売れないより売れた方がいいということで、一般消費者が好むようにシフトしている傾向がある。

広域的な専門店街として似た商店街としては、大阪の千日前が挙げられる。最近ではネットの注文も多く、製菓製パン関係などの売り上げが増えているそうだ。店舗は170。最盛期は10軒のお店を1人の顧客を共有していた。しかし、今では独占している。東急ハンズなどがライバルのようだ。

このような話を聞いた後、合羽橋を歩く。包丁屋、食品サンプル屋、提灯屋、看板屋など興味を惹く店が多くある。思わず、古美術商で手拭いや麻雀パイを加工したストラップ、食品サンプル屋がつくっているストラップなどを購入してしまう。なかなか、物欲を刺激する商店街である。東急ハンズがライバルということであるが、ワンストップで一度、東急ハンズというフィルターが入ってしまっている品揃えに比べて、ここ合羽橋はモノ探しという楽しみが味わえる。包丁などは絶対、ここで購入しようと決意を強くして街を後にした。

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