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金沢に来て、地方の危機を再考察する [地域興し]

 最近、地方に来ると、地方の危機を強く感じる。人口減少や高齢化、自動車への過度への依存がもたらした買物難民など、多くの人々が指摘する地方の危機以外に、私が地方に来るたびに実感するのは、付加価値を創出する能力の欠如である。
 ひと昔前であれば、東京から地方へ旅行する大きな魅力は、東京では入手がなかなか難しい食べ物を味わったり、また、その地方固有の生活文化などに触れられたりすることであった。このような地方が東京と異なることによって相対的に生じる魅力こそは、地方のアイデンティティであり個性であった。特に食文化は伝統的には、その地のものを消費していたので、地域・風土が違えば、当然、東京とは違ったものが食べられ、それは地方にとって貴重な観光資源でもあった。
 さて、しかし、最近は大阪、京都、福岡といった大都市や一部の地域(例えば讃岐うどんの香川県)を除けば、地方に行って東京より美味しいものに出会える確率は極めて低くなってしまっている。こういうことを書くと、いや、コスパが違うでしょう、と異論を唱える人も出てくるかもしれないが、コスパにおいても東京より優れた料理と出会える確率は相当、低くなってしまっている。
 これは一年前に宮崎を訪れた時にも感じたが、半年前に北海道を訪れた時にも痛感した。この地の人達は観光客相手に、地の美味しいものを出しているような気分になっているのかもしれないが、悪いけど東京では我々は往々にして、これらのものよりも遙かに美味しく、そしてそれらを安い値段で楽しめている。観光地に来ているというボーナス効果を加えても有り難がることができない場合がほとんどだ。それにも関わらず、地方においてはそのような自覚がない。「東京からわざわざ来たんだったら、○○を食べないと」と言われて注文しても、ほおっと感心するようなものを食べられる確率は低い。しかし、愛想で「流石ですね」などと言ってしまう自分もいる。客に愛想を言っているのではなく、客が愛想を言っているというのが地方の特産品などで売り出している食堂の実態ではないかと私は捉えている。
 名古屋などはグルメ観光を高らかに謳って、観光プロモーションを展開しているが、名古屋にわざわざ食べに行かなくてはいけないような食べ物はない。いや、名古屋にいたら食べますよ、櫃まぶし。しかし、鰻自体は名古屋以外でも美味しいものが食べられる。きしめん、味噌カツ、コーチンで人が名古屋に来るだけの価値はない。そして、確かに相当、美味しいお店は櫃まぶしに関しては少なくとも名古屋に存在することを認めるが、名古屋の鰻屋がどこもクオリティが高いかというとそんなことは決してない。というか、そういう店は名古屋に住んでいても予約を取るのが(名古屋の櫃まぶしの名店は予約を受け付けない店も多い)困難である。つまり、名古屋にわざわざ櫃まぶしを食べにいくだけの価値がある店はごく少数ということである。それなのに、名古屋に行けばうまい櫃まぶしが食べられるかのように宣伝するのは嘘である。こういうプロモーションをしていると、いわゆる「観光地にうまいものなし」を名古屋という地域が証明することになり、逆にイメージを悪くするように思うのだがどうであろうか。
 まあ、似たようなことは東京の月島のもんじゃ、とか横浜の中華街でも言えることなのだが、これらは、それなりに町自体がテーマパークのようになっているのと、誰ももんじゃに味を期待しないことと、中華街は中国人っぽい人達が料理をつくっている、ということで味以外の要素を提供していることが、名古屋全体のグルメ・プロモーションと大いに異なる点である。
 さて、話が随分と横道にそれてしまったが、金沢である。金沢は、このようなひねくれた考えを持っている私をもってしても、「美味い物が喰えるのではないか」と期待させるオーセンティシティを有している。なんといっても加賀百万石である。ということで、昼に近江市場を訪れ、食べログまでチェックして、3.5点以上のお寿司屋さんに入った。そこでランチであるが奮発して、2700円の海鮮丼を注文した。さて、海鮮丼はおどろくほど早く来た。北海道のウニ、蟹、甘エビ、カンパチ、まぐろ、イカ、タコなどが入っている。しかし、どこか新鮮のように見えない。切った後、ちょっと時間が経っているかのような印象を受ける。さて、一口食べると全然、美味しくない。これは、しまったと思うが後悔先に立たず。イカとかは固くなっており、刺身が不思議だと思うぐらい美味しくないのだ。美味しいと思われたのはイクラと甘エビぐらいであった。これは刺身を切ってから、時間が結構経ってしまったということであろう。味的には、東京の寿司屋のランチのちらしとは比較できないほど今ひとつであった。しかも、東京の私が食べる寿司屋のランチのちらしは1000円だが、これは2700円である。近江市場で新鮮なものが食べられると思った私は大きく失望をしたのである。この海鮮丼で食べログの評価が高いことはちょっとあり得ないので、このお店の握りは美味しいのかもしれない。握りであれば作り置きは出来ないと考えられるからである。その日の夕方、近江市場の二階で食べた居酒屋はなかなかよかったことから、金沢の刺身が不味い訳ではない(それでも東京と比べて特別とはいえない)ので、この店の問題であっただろう。ただし、翌日、金沢うどんを食べたが、これもそれほど特別ではなかった。すなわち、今回の金沢旅行では期待を膨らませていたが、あまり美味しいもの、少なくとも金沢に来て美味しいものが食べられてよかったな、と思えるような料理にはありつけなかったのである。
 もちろん、金沢には美味しい店が多くあり、美味しい料理も存在するであろう。ただ、観光化をしているからかもしれないが、それでも、この近江市場の海鮮丼はないと思うのである。こういうことで商売が出来るというのは、観光客相手だからということなのだろうが、そのうち酷いしっぺ返しを食らうのではないだろうか。特に、SNSがこれだけ発達した世の中において、こういうオーセンティックを期待している人達に、オーセンティックではない、というかちらし寿司としてもちょっと違うでしょう、というものを出していることは瞬く間に知られるからである。
 金沢はバーとかも結構、高くていい値段を取る。しかし、店の人は「東京じゃあ、こんな安い値段じゃ、このウィスキーは飲めないよね」とか言ったりするが、場所を選べば飲めたりする。そういうことを自覚しなさ過ぎだ。
 それでもまだ、観光客ビジネスは、東京にはない地元の美味しいものといった幻想、誤解で当分はやっていけるかもしれないが、そのようなぬるま湯的環境では、そもそもない付加価値を新しくつくるようなことは出来ないであろう。フリーライドをしている人ばかりになると金沢の魅力は、早晩喪失してしまうであろう。
 と言いつつ、金沢には付加価値を維持し、さらに次代に継承しようと頑張っている人達、外部から金沢において新たな付加価値を創出しようと挑戦しようとしている人達も多い。私は、金沢にある唯一の「麹屋」である高木商店で、「かぶらずし」と味噌を購入した。また、お麩の専門店である加賀麩「不室屋」でお麩を購入したりした。金に糸目をつけず、しっかりと良質なものを消費しようと調査をすれば、金沢であれば外さないだけの地方固有の価値を提供してくれるであろう。
 ただ、逆に捉えると、金沢であっても、相当調べないと、なかなかいい消費体験が出来ないということである。もちろん、東京だって適当に店に入ったりしていると酷い目にあうだろうが、東京は私にとっては観光地ではなくて生活都市だからね。いい店と悪い店とをよく知っているので、同じ観光地として捉えて比較して、東京にも不味い店があるじゃない?といった感じで緊張感を持たないでいると、本当、東京にすべてやられるような気がするのである。そして、東京に人・モノ・カネだけでなく、文化、個性といった面でも後塵を拝すると、グローバル経済下、そして人口が減少していく中で、地方は本当に大変なことになると思われるのである。これだけ、ユニークなコンテンツを有している金沢でもこんな状況なのだから、他の地方都市はさらに状況が深刻であることを改めて確認した次第である。
 また追記すると、金沢は25年前に比べるとずっとよくなっている。東山の茶屋街、主計町の街並みなど非常に改善されて魅力的になっている。しかし、よくなっていても、まだ根源的な面で東京とは差を埋められていないな、というのも再確認させられた。地方に頑張ってもらわないと日本の将来は暗い。どうにか、この状況を打破できるといいのだが。

タグ:地方の危機
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