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飯舘村のパーマカルチャー農家である村上真平さんの話をまた聞かせてもらう [サステイナブルな問題]

飯舘村でエコビレッジづくりをされていたパーマカルチャー農家、村上真平さんに私の大学の講義に講師として来ていただき、いろいろと話をしていただいた。村上さんの話を聞くのはこれで二度目。初めてお話を聞かせてもらった時、感銘を受け、私の大学の講義に来ていただいたのである。幾つか、感銘を受けたお話を箇条書きにさせていただく。

1)貧しい国々があるということは、豊かに成りすぎる国があるということだ。これは分配の問題である。発展途上国という呼ばれる国々は、植民地時代からずっと搾取されてきた。TPPとか国際ルールで進んでいるように思えるが、そういう国際ルールは先進国によってつくられていて、それらは発展途上国という国々からすれば不条理である。植民地時代は軍隊が強いところが総てをとってもいい、ということになっているが、現在は経済が強いところがコントロールをする。

2)今の社会は経済性が善であり、経済性がないものは悪であるというような考えである。タイの農村は経済性を優先したことで、すべて禿げ山となって、すべて裸になって焼け焦げた風景を見たことがあるそうだ。

3)生きていくうえで必要なものは、水、空気、食料、家、衣服である。金がないと生きていけないというが、金がなくてもこの5つがあれば生きていくことができる。飯舘村は地震でもまったく大丈夫であった。地震は上記の5つに被害をもたらすことは、修復可能な家以外はほとんどなかった。
 飯舘村は震災が起きた後も、米の備蓄は、2年くらいはある。保存食も十二分にある。水もある。隣の自治体で津波の被災を受けた南相馬市、相馬市などを援助する準備もできているとさえ考えた。エコビレッジである飯舘村は災害においても持続可能性を維持することができたのである。
 しかし、フクシマの原発事故で、食料、水、空気が汚された。これらが汚されたら生きていくことは、もはやできない。飯舘村だけでなく、フクシマ原発周辺で150万人が放射能管理区域に住んでいる。これをどう捉えるのか。恐ろしいことが起きている。

 上記以外にも貴重なお話をしていただいたのだが、私の印象に強く残ったのは以上の話であった。
 フクシマ原発の事故以来、煮えたぎるような怒りは徐々に風化され、諦めにも似たような気分になっていたが、村上さんのお話を聞いて怒りを新たにした。最近では左翼系だけでなく、右翼系も反原発に動いているらしい。国土がなくなったら神国も何もなくなってしまう。神国を汚す原発を撤廃というのは、右翼も許せないことなのであろう。原発推進派はまさに母国をも陵辱することも恥ともしない金の亡者ということであろうか。国土が、人が住めないような状況になって、エネルギーの不足も地球温暖化もない。原発推進者は村上さんを始めとした飯舘村の被害者の人達の目を直視して、原発推進とそれでも言えるのであろうか。

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