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本を読むのに何でエネルギーを遣う必要があるのか、と電子書籍の普及に対して思う [サステイナブルな問題]

電子書籍が普及し始めている。古本屋で目当ての本を探すのに苦労した人などにとっては朗報であろう。しかし、文藝春秋も電子ブックの形式で売り出しているような状況になったりすると、ちょっと考えさせられてしまうことも少なくない。それは、本や雑誌を読むために、わざわざエネルギーを消費することもないだろうということだ。まあ、その消費エネルギーは大したことはないだろうし、本をつくるのにもエネルギーはかかると言われればその通りなのだが、それでも読むのに電気を浪費するというのは無駄なことだと思うのである。

さらに、これはエネルギーとは直接、関係ないかもしれないが私が気になるのは、飛行機の発着時においてである。飛行機の発着時においても、iPadで電子書籍を読み続ける人が多いことは結構、気になる。これに関しては日本人は比較的お行儀がよいが、アメリカ人はマナーがなっていない人が多すぎる。電気機器は電気を落とせとアナウンスされていても、まったく無視して、iPadで電子書籍を読んでいる。私が注意をしたりすると、平気で逆ギレされたりして、本当、アメリカ人は野蛮であるなと思わさせられる。私は飛行機の中では、普通に本を読んでいるので誰にも迷惑をかけていないのだが、なんで飛行機でもあえて電子書籍を周りの人達にまで迷惑をかけて読まなくてはいけないのか理解に苦しむ。本当、電子書籍はエネルギーを使うし、無駄な行為ではないかと思う。

電子書籍が好きな人は、一生懸命、「自炊」という行為で本を裁断してスキャニング(これもエネルギーを消費する)して、本が軽くなったと得意に吹聴したりするが、私ははっきりいって愚行そのものだなと思ったりする。私は、蔵書が多い。これはこれで問題だとは思うが、本の背表紙は私の記憶の外部装置である。本の背表紙をみながら思考をしたりする。これは、iPadのBookreaderや、コンピューターのウィンドウ機能では決して代替できないものだ。そして、私は本やCDやDVDに囲まれている空間によって癒されるのである。これは本屋やレコード屋でも感じられることで、確かにamazonで購入することは多いが、それでも時折、本屋やレコード屋に行くのは、そこで自分が想像もしなかった興味深い本や、以前、欲しかったけど購入し忘れたCDと出会ったりすることを楽しみにしているからだ。

まあ、物体としての本の価値、さらにはそれらを鑑賞することに電気エネルギーを使わないことを考えると、電子書籍はそんな有り難い存在ではないし、私的には古本など「物体としての本」が得られないもの、もしくは「物体としての本としての価値もないもの(例えば、週刊ポストや週刊マガジン)」を入手する以外に使い道は大してないなと思ったりする。
タグ:電子書籍
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