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成都を訪れる [地球探訪記]

成都を訪れる。生まれて初めてである。というか、中国はそもそもチベットと香港以外には空港でのトランジット以外では来たことがなかったのだが3月に南京を訪れ、その3ヶ月後には成都に来ている。大学を変えてから中国が急に身近になっている。
 なぜ、これまで中国に来なかったのかというと避けてきたからである。人生は短いし、私はフィールド研究の対象をブラジルのクリチバ、ドイツの縮小都市と留学をしていたアメリカ合衆国に絞っており、それでも拡散して専門性が全然、高められていないのに敢えて、広大なる未知の土地、しかも多くの日本人が既にクビを突っ込んでおり、さらにまったく中国語が分からない自分がやる必要性は社会的に皆無だなと思っていたからである。知り合いの先生で、あちらこちらの国の調査を食い散らかしてやっており、世間的には専門家とみられていても、専門家からみると何も分かっていないじゃないという人もいるので、こういう人になってはあかんなと反面教師に捉えていたこともある。こういう先生はもちろん、中国にも手を出している。
 とはいえ、いろいろな縁があり、研究生活も残り15年間を切った今、なんと中国と関係性を持つような状況になってしまっているのである。さて、しかし、これもちょっと肯定的に捉えようとしている自分もいる。もう、人生もそれほど長くないので、都市計画を研究するものとしてやはり、中国を全然知らないのも不味いだろうという気分にもようやくなってきたからである。
 さて、それで成都である。まだ三日間しかおらず、昼はほとんど市内の四川大学のキャンパスにいるだけではあるが、まず巨大なニュータウンのようで驚いた。これは、昔の都市の痕跡をほとんど一掃したということだろうか。スクラップ・アンド・ビルドを凄いスケールでやったのではないかという印象を受ける。どうも、旧市街地も保全されているそうで、そこはヒューマン・スケールの都市空間が維持されているようなのだが、まだそこを見ていないので、現時点の印象は、もう千里ニュータウンをそのまま2倍に縮小したかのような規模の都市となっている。100メートルは幅があるかと思われる大通りは上部に高速道路が走っており、その交通量は凄まじい。自動車だけでなくオートバイ、自転車も凄い量で、朝のラッシュアワーの自転車の交通量はコペンハーゲンも凌いでいる印象だ。
 商業施設は充実しており、ショッピングセンターやデパートはほとんど台北やソウルなどと遜色がないくらいだ。イオン・モールよりは洗練されているが、大丸ほどはお洒落ではないという位置づけであろうか。
 また、標高500メートルということで、涼しいのではと期待していたのだが、なんと昨日の気温は34度。京都より暑いじゃないか!学生を連れてきたのだが、京都より涼しいよ、と適当なことを言っていたので嘘つきになってしまった。
 都心部には錦江という川が流れているのだが、ドブのような臭いを放っている。急激な都市化に伴う公害は、大気汚染だけではないということに気づかされる。
 あと、飲食店が多く、食い道楽の都市なのではないかと推察する。これまで、火鍋と四川料理のお店、それに餃子屋に入ったが、火鍋や四川料理のお店はさすが本場は驚くほど美味しく、日本の美味しいと言われる四川料理のお店が大したことがないということを認識する。ちょっと人類の創造力に脱帽したくなるような美味しさである。ただし、辛さはなかなか強烈だが(とはいえ、店の人にはマイルドとお願いしている)。
 最後に成都のシンボルはパンダのようで、街中のあちこちにパンダの看板を見かける。西に車で数時間ほど行くと、パンダの生息地もあるそうで、なんかそういう話はロマンがあって個人的にとても好きだ。その地域に対してのイマジネーションを膨らませる。パンダというと竹だが、竹の植物園もあったりもして、そこもちょっと訪れたが、これは正直、期待外れだった。私でも、この植物園よりいい設計ができるような気さえした。
 ということで、まだ成都の0.1%も知っていないだろうが、とりあえず第一印象ということでメモ書きのような書き殴りをさせてもらうことをお許しいただきたい。

タグ:成都
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鶴岡からもっとも早く帰京する方法 [地球探訪記]

鶴岡から帰京するうえで、私はレンタカーで奥羽本線の新庄駅まで行き、そこから山形新幹線で東京まで行くのが最短であろうと勝手に考えていた。しかし、実は、羽越本線の特急に乗って新潟経由で戻る方が早いことを鶴岡の人に聞いて知った。鶴岡からレンタカーで新庄駅まで行くのに1時間かかるので、もう圧倒的に羽越本線、上越新幹線の方が早い。やられた、というか意表を突かれた。悔しいので備忘録として、またもしかしたら、この情報が参考になる人もいるかもしれないので、ここに記しておく。

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ニューヨークはもうマンハッタンのホテルは高すぎて泊まれない [地球探訪記]

ニューヨークに一週間ほど滞在した。最初は、マンハッタンのホテルにチェックインした。ペン・ステーションのそばでガーメント・ディストリクトにあるホテルだ。ここのホテルは一泊2万円ぐらいなので、マンハッタンにあるには相当、割安なのでこれはお買い得かと思ってここを予約した。しかし、実際行くと、もう想像を絶するボロ宿で、床はなんとコンクリートそのままむき出しであった。私は、アフリカでもパラグアイでもスラヴェシ島でもパキスタンでも泊まったことがあるが(これらはしかし、仕事で行っていたので比較的よいホテルには泊まっていたが)、こんな床がコンクリのホテルは生まれて初めてであった。ベッドの下のところだけ、ぼろ切れが置かれているな、と思ったのだが、よく見たら、擦り切れまくった絨毯であった。安かろう、悪かろうということなのかもしれないが、こんな壮絶なホテルの部屋があるとは驚きである。いや、この部屋、ベッドで横になっている以外は靴がまじで脱げない。
 あまりにも酷いので、途中からイースト・リバーを越えてブルックリンのフルトン・モールのそばにあるホテルに移った。ここは値段はほぼ同じで一泊2万円ぐらいであったが、床はしっかりと人間が居住するような床でサービスもすこぶるよかった。何より、ガーメント・ディストリクトよりもフルトン・モール周辺の方が食事どころも遙かによくて、しかもリーズナブルである。マンハッタンにも地下鉄に乗ればすぐに行けるし、JFK空港にはアトランティック・ターミナルからロング・アイランド鉄道に乗れば3駅、20分ちょっとで着く。まあ本数は20分に1本(日曜日だったからかもしれない)と少ないが、それでも便利である。こりゃ、マンハッタンのホテルに泊まる必要はないな。
 などと書きつつ、最近、マンハッタンに泊まったのは他の人と一緒の時と、ニューヨーク市立大学に呼ばれて宿代を支払ってもらった時だけだということに気づいた。いや、20代の時はシェラトン・ホテルに泊まっていた。ウディ・アレンが映画(おそらく「ハンナとその姉妹」だったと思う)で不倫に使っていたホテルである。それから、ちょっとホテル代が高くなったこともあり、ホリデイインとかコートヤード・マリオットとホテルのクラスは下がっていたが、それでもマンハッタンに泊まっていた。
 しかし、おそらく会社を辞めた頃だから2003年頃ぐらいから、マンハッタンのホテルだと高すぎるので、フラッシングのシェラトンに泊まるようになった。当時、ここだと68ドルとかで泊まれたからだ。とはいえ、それが最近では250ドルぐらいになってしまった。ということで、今回は困ったな、ということでより安いマンハッタンの200ドルのホテルに泊まったら酷い目に遭った訳である。
 まあ、シェラトンと比べると、私が泊まったブルックリンのフルトン・モールそばのEven Hotelはちょっと劣るかもしれないが、これは値段でいえば50ドル分ぐらいの劣り具合であり、周辺の店やマンハッタンへのアクセスの良さを考えると、これからはブルックリンのホテルに泊まろうかなと帰国便を待つJFK空港で思ったりしている。

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ジャクソン・ハイツを訪れ、大いにたまげる [地球探訪記]

クイーンズにあるジャクソン・ハイツを訪れた。私はマンハッタンのホテルが高くなってから、フラッシングのシェラトンを常宿にしていたことがある。当時は、1泊100ドル以下、60ドルから70ドルぐらいで泊まれたからだ。今は、ここでも300ドル近く取るようになったので泊まることを止めてしまったが。それはともかくとして、フラッシングに泊まって地下鉄7号線でマンハッタンに通うということをしていたので、ジャクソン・ハイツはしょっちゅう通過していた。しかし、降りることはしなかった。
 昨年、巨匠ワイズマンによる映画『ジャクソン・ハイツ』を見た。なかなか内容が濃い映画で、私は映画のトークショーにも渋谷、出町座と二回も出演した。しかし、ジャクソン・ハイツを訪れたことはなかったので、ブルックリンに来ているこの機会をうまく使って訪れた。
 ジャクソン・ハイツは人口10万8千人のクイーンズのネイバーフッドである。住民の56%がヒスパニックでアジア系が22%、白人が17%、そしてアフリカ系は2%しかいないという面白い住民構成をしているネイバーフッドである。
 ジャクソン・ハイツは20世紀前半にエベネザー・ハワードの田園都市の影響を受け、マンハッタンの高密度を回避したい中流から上流階級の人達を対象に、エドワード・マクダウガルのクイーンズボロ会社によって1917年の7号線(フラッシング線)の開通に合わせる形で1916年から区画整理がされた。つくられた住宅は、アングロ・サクソンのプロテスタントのみに提供され、ユダヤ人、アフリカ系アメリカ人、ギリシャ人、イタリア人は排斥された。
 住民の構成が変わったのは大恐慌の後の1930年頃からである。マンハッタンの劇場関係者の同性愛者がここに住みつくようになり、マンハッタンの外では最大の同性愛者地区を形成する。ユダヤ人も1940年頃からは住むことが許可され、1950年以降はコロンビアの中流階層が母国の犯罪から逃れるように資本を持ってやってきて、ここにコミュニティをつくることになる。一方、ロング・アイランドの郊外開発が進む1960年以降は、ここに住みついていた白人層が、そちらの方に移住するようになる。いわゆるホワイト・フライトのような現象だ。1965年に移民改善法が成立し、家族を呼ぶことができるようになるとラテン・アメリカやインドの専門家達が、こぞって家族を呼び、ジャクソン・ハイツに居を構えるようになる。
 1970年代半ばになると、ルーズベルト・アベニューがジャクソン・ハイツの商業センターになり、また組織的犯罪の拠点として全国レベルでの関心を呼ぶようになる。1970年代後半には、1年間で9人の殺害事件がここで起きる。1990年にプエルトリコ人の同性愛者であるフリオ・リベラがヘイト・クライムの被害者として殺害されると、大きなデモ活動が起き、それが今にも続くクイーンズ・プライド・パレードが始まるきっかけとなる。
 1990年以降ニューヨーク市の治安が回復すると、ジャクソンハイツのコロンビアのコカイン関係の犯罪も減少していき、現在の多様な人々が住むネイバーフッドになっていく。
 ジャクソン・ハイツのことをざっと整理すると、こんな感じになる。さて、ブルックリンのホテルからG号線と7号線を乗り継ぎ、82番街の駅で降りる。7号線はルーズベルト・アベニューの上を高架で走っているのだが、上を走っている時にはまったく気づかなかったような世界が駅を降りると展開している。いきなり、トウモロコシとシシカバブーを鉄板で温めながら売っている屋台が目の前に展開する。周りの店舗は、どぎつい原色の看板を立てており、それらの多くは英語ではない。スペイン語のものが多いが、アルファベットでないものもある。香港を彷彿させもするが、もっとさらに色彩はどぎつい感じがする。
 ここがニューヨークであるとはとても思えない。というか、アメリカ合衆国とはとても思えない。それじゃあ、中南米か、と言われると決してそうでもない。ラテン・アメリカとインドなどの南アジアのテイストが混在している。高架の地下鉄が頭の上を走っているので、むしろブレードランナーの世界を彷彿する。
 ここでは私はまったくの異邦人だ。この異邦人感覚は相当、強烈である。そして、ちょっと緊張もさせる。私はアフリカのルワンダや、マレーシアのスラヴェシ島、パナマやパラグアイなどにも行ったことがあるが、そのどこよりも緊張したかもしれない。いや、パラグアイのシウダ・デ・エステではここよりも緊張したとは思うが、一人で歩いているということもあり、なかなか強烈な刺激を五感が感じ取っている。そして、強烈なアーバニティに溢れている。そのアーバニティは弱肉強食的な雰囲気が強いようなものだが、ちょっと東京などでは感じられないアーバニティである。むしろ、大阪の難波あたりとは共通するところがあるかもしれない。
 いやはや、映画を観ては分からないジャクソン・ハイツの都市としての凄みを感じることができた。そして、夕食をここのラテン・アメリカ料理屋でしたのだが、ニューヨークに来て、初めて料金に見合うまともで満足できる料理を食べることができた。生活文化の質もここは、ニューヨークの他の地区よりは秀でているような気がする。強烈なオーセンティシティを感じる、オンリーワン的な街であった。大いにたまげた。


ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • メディア: DVD



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揚州の料理屋で素晴らしいガストロミー体験をする [地球探訪記]

南京に来ている。そこで、揚州出身の先生に実家のある揚州の料理屋に連れて行ってもらった。そこは、地元のお客さんを対象にやっている庶民的な料理屋で、揚州料理専門であったのだが、相当、美味しい食事体験をすることができた。
 お酒は老酒のような蒸留酒で46度という相当、強烈なものだったので時差ぼけがまだ取れていない私は遠慮がちに飲んだが、ガチョウの水煮(揚州では南京とちがってアヒルではなくガチョウを食べるらしい)、高菜と豆腐のようなものの炒め物、豚肉を蒸したもの、タケノコと豚の角煮とキクラゲのスープ、ニンニクの茎のようなものとベーコンを炒めたもの、川海老の煮物など、どれもが食材の美味しさを活かした美味しい料理であった。そして、締めは混ぜ麺と春菊と卵のスープ。
 私は日頃から、日本食が圧倒的に世界で一番美味しいと考えている傲慢な輩であるのだが、たまに思わず、その高慢ちきな鼻をへし折られる経験をする時がある。それはタイのイーサン地方で絶品のローストチキンを食べた時、デリーで本場のインドカレー食べた時、ブエノスアイレスでピカーニャのステーキを食べた時などがそうだが、そのような鼻をへし折られる経験をすると謙虚な気持ちになるのと同時に、ちょっと美味しいものに出会えた幸運に感謝する気持ちにもなる。今日は、そんな日であった。衝撃的な素晴らしいガストロミー体験であった。ちなみに、私は残念ながらフランスでは、このような経験を一度もしたことがない。
 
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<お店の外観>

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<店の前の街並みはこんな感じ>

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<ガチョウの塩水煮>

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<何かの野菜の茎とベーコンの炒めもの>

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<タケノコと豚の塩煮とキクラゲのスープ。絶品>

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<混ぜそば>

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<左がここの店主。真ん中にいるのは、我々をここに連れて行ってくれた大学教員>

タグ:揚州 料理
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南京を訪れる [地球探訪記]

大学の校務で南京を訪れる。南京は始めてである。というか、私は中国はチベットにしか、行ったことがなく、それ以外だと北京空港のそばでトランジットで1泊したぐらいなので実質的には初中国である。
 さて、南京に飛行機で着陸するちょっと前あたりから、何か空気に異臭が漂っているような気がしてきた。いや、機内に外気が入る筈はないのだが、なんか臭い。これは大気汚染のためかな、と思ったりもするのだが、偶然かどうかは不明だ。とはいえ、私が1970年代に住んでいたロスアンジェルスを彷彿させるように大気は汚染されている。
 南京国際空港は、関西国際空港より遙かに立派で風格があった。空港だけみれば、南京の方が大阪より遙かに先進的で進んでいるような印象を受ける。その後、同僚の先生の知り合いの中国の先生の車でホテルまで向かう。ホテルは南京の繁華街の中心にあるようで、周りは多くのレストランやお店が立地している。この商店街は最近、自動車の流入が禁止され、歩行者だけが歩くことができる。その空間は、森ビルが開発した六本木ヒルズのようであるが、民間の開発のマーケティング的いやらしさはそれほどなく、そこに立地している屋台は地域性をプンプンと発している。それでいて、空間デザインは洗練されている。日本の都市よりどちらかというと、アメリカの都市のそれと近い。サンタモニカのサード・アヴェニューみたいなイメージだ。
 この商店街にあるナイト・マーケット的な屋台で、鴨の血でつくられた豆腐、小籠包、雲呑スープなどを食す。紙の容器で出されてきた料理は、相当、観光客向けのチープなものだと思われるが、いや、なかなかいける。二週間ほど前にいたパリより味という観点ではレベルが高いと思わせる。
 その後、ちょっとした運河を巡るクルーズのような観光船に乗る。これは45分間、運河を周遊するものであるが、ほとんどディズニーランドのジャングル・クルーズのようなノリであった。とはいえ、初めて南京を訪れた私は結構、楽しめた。
 中国は初めてであったが、台湾には何回も足を運んだことがあるので、基本、台湾と似ている印象を受けた。もちろん、よりよく知れば違いが見えてくるのかもしれないが、戦後、つくられたと思われる建物などにも共通点が見られる。
 これまで主に研究的観点から、中国というパンドラの箱を開けたら、もう余生を考えると、絶対消化しきれないと避けていたところがあったが、来たらまた好奇心がむくむくと湧いてきた。本当、今、欲しいものは時間と集中力である。

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<21世紀になってから、この商店街からは自動車が排除された>

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<ちょうど提灯祭りがやられている時に訪れたようだ>

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<これは鶏肉ではなくアヒル肉を蒸したもの>

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<観光船の乗船場。ライトアップやネオンによって鮮やかに夜の街が照らされている>

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<運河を周遊する観光船からの光景。若干、テーマパーク感が強い>
タグ:南京
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シンガポールの物価は高い [地球探訪記]

シンガポールに来ている。スターバックスに入ったら、カフェラテのトールが660円くらいであった。これは、ダウンタウンの店だったのでもしかしたらちょっと高めであったかもしれないが、京都であれば399円だ。随分と高いな。お昼にシンガポール川沿いにあるお店に入る。ランチ・メニューを教えてくれ、と尋ねると、「ランチ・メニューは二人から」という恐ろしくいい加減な、日本人の観光客だから馬鹿にしているな的な対応をしたので、その店を出たのだが、そこで注文したペリアも5ドル(500円ぐらい)であった。これは、明らかに日本より物価が高い。高いが、料理は美味しい訳ではない。このような状況であったら、日本への観光客は本当、物価が安くて感動するだろう。この物価の差がアジアから多くの観光客を日本に呼び込んでいる要因ではないだろうか。バブルの時代には信じられないような状況に日本はある。すなわち、物価が安い国という位置づけである。ちなみに、これは日本国民にとっては信じられないくらい恵まれていることではないかと思う(海外旅行に行かなければ)。

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シンガポールのシャンギ国際空港で朝食を取る [地球探訪記]

シンガポールのシャンギ国際空港にて朝食を取る。注文したのはセット・メニューで8ドル。およそ800円ぐらいか。これは中華麺に魚団子、卵、ハム(なぜか)、キノコなどが入っており、小魚で出汁を取っている。私はマレーシアに一年間ぐらい住んでいたことがあるが、当時、この中華麺が好きであった。日本でも、たまにこのマレーシア・スタイルの麺に出会うことができるが美味しいと思う。さて、そういうものを期待していて注文したのだが、出てきた麺はインスタント・ラーメンのそれであった。何じゃこりゃ、と思いつつ、まあインスタント・ラーメンとかはつくるの便利だから、易きに流れてしまうのかなとも思ったりした。また、一方で、こういう麺を食べていたら、なんで東アジアや東南アジアの人が日本のラーメンを好きになるのかも理解できるような気がした。しかし、喜多方ラーメンなどを始めとして、ラーメンは明治以降、中国から持ち込まれたものなんだけどなあ。ものづくりに拘る風土、それをささえるマーケットが今の日本のラーメンの高いレベルをつくったのではないかと、シャンギ国際空港のインスタント・ラーメンの麺を食べながら考えた。

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(このヘンテコな朝食セットがシンガポール8ドル)

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オートバーンで三両ほど先を走っていたトラックが横転する [地球探訪記]

ライプツィヒからライプツィヒ・ハレ空港へバスでオートバーンで向かう途中、あと空港まで5キロぐらいのところで三両ほど先を走っていたトラックが横転した。幸い、運転席は横転しなかったので運転手は無事かと思うが、二車線のオートバーンの両方とも塞ぐことになってしまった。飛行機が出発する時刻までには、まだ3時間ぐらいはあったが、パトカーが来て現場検証して、それからトラックを移動させて他の車が通れるようになるには2時間以上はかかるであろう。これは万事休す、という状況になった。トランクを持って歩いていくには遠すぎる。ただ、不幸中の幸いだったのは300メートルぐらいのところでオートバーンと立体交差している道路があることだった。しかも、その道路はオートバーンと交差するところで階段もある。ということで、そこまでトランクを持って歩いて行き、タクシーを呼んでどうにか空港まで行くことができた。
 あと3分ぐらい早く走っていればまったく問題なく、空港に到着できただろうが、あと1分早く走っていれば横転に巻き込まれたかもしれない。そして、せっかくちゃんと空港に着いたのにフランクフルトへの接続便は30分ほど遅れて出発した。トランジットの時間がそもそも1時間と短かったのでハラハラさせられたが、幸いにして、通関が驚くほど早く、しかも荷物検査もなかったのでゲートが開く前に着くことができ、無事に日本に向かうことができた。
 まあ、激しい一日だったがどうにか切り抜けたな、と思っていたらビジネスクラスのリクライニング・シートの間に愛機のiPadを落とし、シートを動かして取ろうとしたら割れてしまった。これは痛恨だ。今回の旅行は出発時は、関西国際空港へ行く途中のバスで鞄のチャックが全破壊し、帰国時は「お友達」と呼んで、愛用していたiPadが壊れてしまった。まあ、激しい旅行ではあったが、どうにか戻ってくることができた。

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TUMIのバッグは頑丈だが、チャックから壊れていく [地球探訪記]

朝の5時50分に大津市にある研修所のロビーに集合して、24名の団体を率いて、そこから関西国際空港へバスで向かう途中、よりによって私のTUMIのバックパックのチャックが壊れた。TUMIのバックパックはチャックによって鞄が四角形の一つの辺のみで繋がるようなデザインになっている。すなわち、チャックが壊れると、このバックパックはほぼ二つに完全に分離されてしまうので、もうバックパックとして背負うことは完璧に不可能になってしまうのだ。とはいえ、他にも肩掛けの荷物も持っているので、まさかバックパックを手で持って移動することもできない。これは万事休すの事態だ。しかも、私は引率者としての立場なので、勝手に行動することもできない。どうしようか、と思いつつ、とりあえずチェックインをした。幸い、ゲート集合時間まで30分ぐらい時間があり、何人かは両替をしなくてはならないので、私にも新しい鞄を物色する時間ができた。まだ午前9時ということで、店が開業しているか心配であったが、さすが関西国際空港。もうほとんどの店が開いていた。鞄というかスーツケース屋もあり、そこで似たような鞄を買うことにした。壊れたTUMIは同じ型のものを3代も使っていたのだが、いつもチャックが壊れるので4代目を買うのを躊躇したのと、とりあえず臨時用ということなので、比較的安いものを買うことにした。ちなみに、このお店の売り子のお姉さんのサービスはもう驚くほどよかった。買物をして感動を覚えるぐらいであった。
 TUMIは結構、私でなくても贔屓している人が多いと思う。防犯チョッキをつくっていた会社ということでそのつくりが頑丈というのが売りで、その点は確かにそうだと思うのだが、チャックが駄目だ。まあ、防犯チョッキにはそれほどチャックは関係ないかもしれないが、ちょっと私のTUMI贔屓も修正した方がいいかもしれないと今回の事件で思ったりした。
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イエテボリの空港から都心へはシャトルバスの利用が便利ではないだろうか [地球探訪記]

海外の都市に行っていつも悩ましいのが、空港から都心へのアクセスである。手っ取り早いのはレンタカーだが、大学関係の出張だとレンタカーを借りるのが面倒臭い。アメリカの都市でも出来れば公共交通で都内に入りたい。さて、しかし、公共交通も軌道系だとどこに行くのかがすぐ分かるが、バスだとなかなか厳しい。これは、空港とのシャトルバスでもそうだ。ホテルがバスの停留所のそばであればいいが、そうでなければもう重い荷物を抱えて、見ず知らずの都市で呆然とすることになる。昔、サラリーマンの頃はタクシーを使っていたが、大学の教員になってからは本当、滅多にタクシーは使わなくなった。
 さて、そこでイエテボリである。イエテボリは2009年にも来たことがあるので二回目になるのだが、その時はコペンハーゲンから鉄道で来たので空港を使うのは初めてである。なんとなく、北欧の都市であるので空港とは鉄軌道で結ばれているだろうと思っていたら、当てが外れた。とはいえ、タクシーは抵抗がある。ということで、シャトルバスというか空港バスに乗った。中央駅が終点であるということで、中央駅からホテルには歩いて行けることは事前に調べておいたからだ。
 さて、このシャトルバスだが、ほぼ15分置きに出発しており、車内は決して綺麗という訳でもないが、無料のネットに繋がったりするのは嬉しい。値段は105クローネで、これは日本円からすれば安くはないかもしれないが、こちらの物価を勘案すると安いと思われる。所要時間は40分弱。パンフレットだと30分弱と書いてあったりしているので要注意だ。都心行きは駅前で降ろしてくれたが、乗車する時は中央駅に隣接している長距離バスターミナルから出発する。このバスターミナルの入り口にあたるとこに切符売り場もある。イエテボリに行かれる人はこの情報を参考にしてもらえればと思い、ちょっと記事としてアップさせてもらう。

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成田空港発のフライトにぎりぎり乗ることに成功する [地球探訪記]

成田空港9時50分発のフライトに乗ることになった。フィンランド航空である。3月に自動車を購入したので、それで行こうと考えた。これは、自動車で行くのが時間的にも速いし、また重い荷物を持っていくには好都合であるからだ。さて、しかし、免許証が入っている名刺入れが見つからない。家捜しをしたのだが、全然出てこない。無免許運転をするのは流石に抵抗があったので、タクシーで品川まで行き、そこから成田エクスプレスで行こうと判断して、家を出る。しかし、家のそばを走るバス通りは、通常はタクシーがすぐ拾えるのだが、どうも拾えそうにない。これは、不味い事態だ、ということで都立大学の駅まで歩いて行く。まだ7時なので幸いそれほど混んでない。さて、東横線に取りあえず乗ってから、路線検索をした。すると、都立大学→中目黒→恵比寿→品川→成田空港(成田エクスプレス)を推奨してくる。ただ、これだと8時58分着になる。流石に一時間を切ってのチェックインは不味い。そこで、一つ前のをみると、都立大学→中目黒→上野→成田空港(新京成)が出てくる。これだと8時45分に着くので、ちょっとは早い。ぎりぎり一時間前に着くことができる。ただし、中目黒を7時11分発の日比谷線に乗らなくてはならない。これは万事休すか。しかし、この路線検索だと上野駅の乗り換え時間に13分ほど取っている。私が乗ることになる日比谷線は7時16分発なので5分ほど遅い。とはいえ、急いで乗り換えれば8分でどうにかなるだろうと思った。

さて、ただ日比谷線の上野駅から京成上野駅まではちょっと距離がある。失敗は出来ないということでネットで地図をみる。若干の不安がある。切符を購入する手間などを考えると8分というのは短いのではないか。できれば日暮里駅で乗り換えた方がスムーズなのではないか。しかし、日比谷線の上野駅からJRの上野駅に乗り換えて、さらに日比谷駅で乗り換えるとなると、これはもう間に合わないであろう。日比谷線は人形町とか八丁堀とかに寄るなど、上野駅に行くのに相当、遠回りをする。できれば日暮里駅、上野駅どちらに行くにしても日比谷線ではないルートを取った方がいいであろう。銀座線も日比谷線ほどではないが遠回りであるのと、何しろ駅数が多い。霞ヶ関駅か日比谷駅で降りてすぐタクシーが拾えればいいが、拾えなかった場合はもう観念しないといけない。

そこで路線検索には出てこないルートであったが、日比谷駅から有楽町駅まで歩くというルートを考える。これは日比谷(有楽町)から上野駅までの駅数が山手線の方がずっと少ないからである。乗り換えのロス、電車の待ち時間という要素はあるが、それでもここはギャンブルすべきでないかと考えた。なるべく前の車輌に移動して、トランクを持ったまま、日比谷駅から有楽町駅まで走った。これは55歳という年齢には相当キツかったが、どうにか7時39分の山手線に乗ることができた。有楽町から日暮里までは14分なので、これだと7時53分に着く。日暮里駅発は8時5分なので間に合うだろうとちょっとホッとする。日暮里駅でチケットを買うのに時間はかかるのが心配であったが、この日は比較的スムーズに購入することができた。念のために、成田空港のチェックインカウンターに電話をしようとしたのだが、成田空港の代表に電話をしても、そのような電話番号は教えないとのこと。フィンランド航空の東京事務所に連絡したらが、営業時間外という録音テープを聞かされるだけであった。

成田空港ではほぼぎりぎりであったが、ちょうど一時間前にチェックインができ、無事、荷物を預けることもできた。ということで、路線検索で間に合わなくても、いろいろと工夫をすれば、それよりも早い時間で目的地に到達することを今日は身をもって証明したような気分である。ということで、ブログに記させてもらう。





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紅葉の尾瀬に行く [地球探訪記]

 尾瀬を訪れる。至仏山に登ろうと思って、事前に計画を立てたのだが、8月中旬にアイスランドで捻挫した足が回復していない。ということで、至仏山の登山は断念したのだが、一緒に行こうと計画していた友人は登りたい、というので私も一緒に付き合って行くことにしたのである。宿泊したのは鳩待山荘である。鳩待山荘までは一般車両は通行禁止なので、その手前の戸倉で駐車をして、乗り合いバスに乗り換える。20分ぐらいで鳩待山荘のある鳩待峠に着く。鳩待山荘は、お風呂もあり、トイレも洋式の水洗があったりして快適だ。しかし、相部屋ではある。ただ、我々の部屋で泊まったのは我々だけであった。
 さて、夜にはちょっと雨が降ったりしたのだが、朝は晴れていた。山荘からも至仏山の柔らかな山容が見える。紅葉が美しい。至仏山に登りたい、という強い気持ちがむくむくと頭をもたげるが、足を考えるととても無理なので、尾瀬の西の拠点である山の鼻まで往復することにした。行き50分、帰り70分なので往復2時間のコースである。7時前ぐらいに出発をした。燃えるような色をしている林の中を緩やかに降りていく。登山道は整備されており、歩きやすい筈なのだが夜の雨で濡れているために木道は滑りやすい。私も3人ほど思いっきり、腰を打つように滑った人を目撃したし、自分自身も4回ほど腰は打たなかったが滑ってバランスを崩した。普通だったら大丈夫なのだが、捻挫をしているので、捻挫をしている足が滑ると痛む。
 さて、山の鼻に着くまではほとんど森の中で展望は得られなかったのだが、尾瀬沼の入り口、山の鼻に到着すると、雄大な展望が広がる。西南に至仏山、東北の燧ヶ岳という個性的な素晴らしい山容を誇る二つの山に見守られるように尾瀬沼は広がる。東北に歩けば燧ヶ岳、西南に歩けば至仏山がアイスポットとなる。自然のランドスケープ・アーキテクトは、人間の想像力を越えた素晴らしい風景をつくりあげる。ヨセミテやバンフ、イグアスの滝とかでも感じたりすることだが、本当、自然の造形力というのは凄まじいものがあり、人間はその前でただ呆然として心を震わすことぐらいしかできない。
 足はずきずきするが、35年ぶりの尾瀬であるので、自然研究路という1キロメートルの散策路と、ちょっとだけ東北の方に向かって歩いた。尾瀬の景色は本当に素晴らしく、登山はできずとも尾瀬に来てよかったとつくづく思う。
 尾瀬はその環境保全がしっかりとしていることでも日本有数であるが、なんといっても自動車を遮断させているところが素晴らしい。つまり、尾瀬を堪能するには、それなりの努力を訪れる人に課しているのだ。自動車が入れず、つい最近までは携帯電話も入らなかった。携帯電話が入ってしまったのは、ちょっと残念ではあるが、この機械文明に疲れた人のオアシスとしての尾瀬、というのは日本人にとっての聖域のような有り難い役割を有していると思うのである。
 もちろん、尾瀬に来るまでは自動車で来たりするのだが、その中核部分は、自動車は物理的に入れない。道路整備大国である日本において、このような場所があることは本当、有り難いし、それによって日本人は救われていると思う。
 尾瀬は毎年30万人が訪れるそうである。その環境負荷は大きなものがあるだろう。アメリカの国立公園のように入園者から一律1000円ぐらいを取るといいのではないだろうか。30万人訪れるので、年間3億円の予算になる。これで尾瀬の環境保全をしたり、他の国立公園の環境整備、例えば登山道の整備などにお金を使ったりするといいと思うのである。利益者負担という考えからしても、お金を徴収するのは理に適っていると考える。

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(鳩待山荘から望んだ至仏山)

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(山の鼻から至仏山の方面を望む)

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(山の鼻から燧ヶ岳を望む)

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(至仏山の方面を山の鼻から望む)

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(至仏山の堂々とした山容)

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(10時頃には多くの人が鳩待峠から尾瀬へと向かっていた)
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カルガリーに初めて来る [地球探訪記]

 学会でカルガリーに来る。初めてである。同じアルバータ州にあるエドモントンには1990年頃に来たことがある。当時、脚光を浴びていたエドモントン・モールを視察に行ったのだ。取材もしたかと思う。当時は今と比べて、ネットもなかったので情報収集に四年がなかったのだ。しかし、アルバータ州の州都であるカルガリーは初めてである。
 カルガリーの印象は、道路がおそろしく広いことと、ロッキー山脈に1時間ぐらいで行けるところに位置しているのだが、大平原のミドル・オブ・ノーホエア(middle of nowhere)のようなところで、町も灰色とヴェージュ色といったあまりカラフルではない印象を受けている。ネヴァダ州やブラジリアなどに似ているのかな、と思ったりもするが、ネヴァダ州やブラジリアの方が茶系の色が多彩である。ジョージア・オキーフィーは東海岸からニューメキシコに移った理由を、色彩の貧しいところから色彩の豊かなところに行きたかったからだと言ったが、彼女はカルガリーにはいられなかっただろうなあ、と思ったりもする。何しろ、色彩的には単調でそういう意味では視覚的刺激には乏しい印象を受ける。
 そして、都心部はいきなりダラスのような感じの高層ビルが林立するような景観が展開している。カルガリーもダラスのように石油で豊かになった都市だ。そして、同じようにカウボーイ文化を引き継いでいる。まあ、都市としては感心しないな、というのが第一印象であるが、歩行者モールをつくったり、ライトレールを整備したり、魅力的にしようと努力していることはうかがえる。ここらへんもダラスと似ている。これから考えも変わるかもしれないが、とりあえず第一印象を記させてもらう。

タグ:カルガリー
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カルガリー空港から市内へとバスで移動する [地球探訪記]

 カルガリー空港から市内へと通常のバスで移動することにした。というのは、カナダの物価の高さに辟易していたからである。タクシーに乗るとおそらく50ドル以上がかかりそうだ。リムジンは15ドルでそれほど悪くはないが、なかなか来そうもないし、朝7時30分なので窓口が閉まっている(8時から開くそうだ)。ということで、普通のバスで行くことにした。これだと10ドルである。
 さて、乗車時は私以外には1人しか乗っていないので、これはど赤字だろうな、と思っていたのだが、実はこのバス、郊外の住宅地を縫っていく通勤・通学バス路線であったのだ。ということで、都心に近づくにつれ、どんどん人が乗ってくる。
 通勤・通学時間とものの見事に重なったようだ。徐々に大変な状況になってきて、立つ人も出てきた。今回、カルガリーに来た理由は学会に参加するためであり、余裕で間に合うかと思っていたが、もしかしたら遅刻するかもしれない。遅刻するコストを考えたのであれば、タクシーに乗ってもよかったかもしれない。とはいえ、カルガリーは昨年(2016年)、空港を大幅に拡張したのだが、アクセスを全然、計画していないのはいただけない。すぐそばまでライトレールが走っているのに、なぜ空港にまで繋げなかったのであろうか。もったいない。

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アイスランドのブルーラグーンを訪れる [地球探訪記]

アイスランドの大観光施設の一つとして、ブルーラグーンというものがある。これは、まあ巨大な温泉プールなのだが、アイスランドの観光パンフレットなどには必ず掲載されているような観光スポットなのである。マスト・シー的な観光地である。ということで、せっかくアイスランドに来ているのである。行くことを検討した。ここは予約制で、インターネットで予約ができるのであるが、ウェブサイトをみて驚いた。ほとんど売り切れであり、我々の滞在期間中で行けるのは翌日の夜の11時からのコースのみであった。ちなみに閉店するのは12時である。これは、まあ行かなくてもしょうがないかな、と思ったのだが、紅一点のツアー参加者が絶対行く、とそもそも行かないという選択肢がないような迫力をもって迫ってきたので、他の男性3名もそれじゃあ、ということで11時からのコースを予約して行くことにした。
 さて、このブルーラグーンであるが、べらぼうに高い。最も安いコースでも日本円で6100円ぐらいで、これはタオルもつかない。ただ、次のコースは8100円でタオルやパック・サービスがつくが、2000円の付加価値があるとはとても思えない。ということで、当然のごとく6100円コース。
 また、このブルーラグーンは勝手にレイキャビク市内にある施設であると思っていたら、なんとレイキャビクから車で40分ぐらいも離れた荒涼たる何もないところに存在していることが分かった。ほぼ空港と同じぐらいの距離である。レンタカーをしているからいいようなものの、タクシーで行ったら4人でも相当の金額になったのではないかと思われる。
 ともかく、夜の11時、8月のアイスランドでも流石に暗くなり、星も出始める頃、我々はブルーラグーンに着いた。そこは、暗闇を引き裂くかのように、施設から出る光が湯気をスクリーンに周囲を照らしている。
 さて、このブルーラグーンだが、感想を一言でいえば今ひとつである。ただ、ここで今ひとつと思うのは、私が日本人であるからであろう。それは、一言で表せばレジャー温泉。常磐ハワイアンセンターのようなものである。今ひとつの理由は幾つかあるが、まず温度が37度〜39度と温い。周囲の気温は8月でも夜の11時だと10度前後なので、相当身体を温めないとお湯から出られない。そして、何より気になるのは、この温泉は天然温泉ではなく、隣接する地熱発電所の熱で水を温めているだけという代物であることだ。そして、2日に一回はお湯を変えているそうだが、掛け流し温泉を楽しんでいる我々、日本人からすると、ちょっと今ひとつと思わざるを得ない。
 このお湯自体は、珪酸塩を多く含んでおり、そういう点ではちょっと温泉に入っているような効果がある訳だが、温泉文化的な観点からは、私は日本の方が圧倒的に優れているし、洗練されているような印象を受けた。まあ、ライバルというか比較対象になるのは常磐ハワイアンセンターであろうか。常磐ハワイアンセンターも炭鉱から出たお湯の二次的利用と雇用創出といった観点からつくられたことを考えても、それは似ていると思う。
 ちなみにブルーラグーンがつくられた経緯としては、ここに1976年につくられた地熱発電所から出た排水によってつくられたプールに1981年から、人が入り始め、その健康効果みたいなのが語られ初めて、人気を博し、1992年にブルーラグーン株式会社がつくられた、ということだそうだ。知り合いのアイスランド人は、とんでもないクレイジーな人が発想した、と批判的な意見を述べていた。
 とはいっても、このブルーラグーンは常磐ハワイアンセンターなんかよりも、遙かに人気があるように思われる。それは、アイスランドの数少ない観光地ということもあるだろうが、なんかマーケティングをうまくしているような気がしなくもない。日本の温泉なんかもインバウンドの観光客を集客するのに参考となるような点もあるかもしれない。

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アイスランドの観光の定番、ゴールデン・サークルをめぐる [地球探訪記]

アイスランドに来ている。事前にどこを訪問すべきか、ろくに調べることもなかったのだが、到着してどうもゴールデン・サークルというのが定番の観光ルートであることを知った。せっかく、高いお金を払ってレンタカーを借りていることもあるので、早速、ここに行くことにした。さて、このゴールデン・サークルというのは、シンクヴェトリル国立公園、グトルフォスの滝、ゲイシールの間欠泉のビッグ・スリーとケリズの溶岩湖などの観光地を円環状に周遊する観光ルートである。
 レイキャビクからこの円環を時計回りに巡ると、最初に訪れるのはシンクヴェトリル国立公園になる。アイスランドには国立公園が3つしかないので、これは大変貴重な自然環境であろうし、世界遺産にも指定されている。どんなに素晴らしいアイスランドの大自然が体験できるのか、と大変期待をして訪れた。駐車場には驚くほど多くの車が駐車しており、大人気観光スポットであることが分かる。
 シンクヴェトリル国立公園は、大西洋中央海嶺の割れ目が地表に唯一現れたところだそうだ。どんなに凄いランドスケープに遭遇できるのか。大変、期待したのだが、この割れ目はまったく大したものではなく、日本でいえば浅間山とか十勝岳の方がはるかに迫力はあった。地質学的には大変貴重で面白いのであろうが、ランドスケープとしてはそれほど人の心に訴えかけるものはない。その地質学的重要性があって初めて、その有り難みが分かるが、私は正直、がっかりした。もう少し、ゆっくりといろいろと見れば、面白いものがあったのかもしれないのだが、何しろ風が強くて寒い。とても、ゆっくりと見るような余裕もなく、そそくさと車に戻ってしまった。
 次に訪れたのは、グトルフォスの滝である。これは、クヴィータアゥ川がそのまま滝として32メートル落ちるので、なかなかの迫力ではあるが、イグアスの滝を4回ほど見ている私にとっては、それほど感銘を受けるものではない。しかし、見て損をするというものでは決してない。この滝には水力発電所がつくられる計画があったのだが、反対運動によって頓挫した。今、アイスランドは観光産業が非常に同国の経済にとって重要になっているのだが、グトルフォスの滝があるかどうかでは、観光客の満足度が随分と違ったであろう。最近の観光情報は、SNSが大きな役割を担っているが、そういう点では観光客の満足度はとても重要である。グトルフォスの滝を水力発電所にしなかったことは、国の命運を分かつような重要な岐路であったと思われる。
 そして、3カ所目はゲイシール。ゲイシールというのは、間欠泉の語源にもなった立派な間欠泉なのだそうだが、現在は活動を休止して、その隣のストロックル間欠泉が噴出しているだけだそうだ。ただ、このような間欠泉はヨーロッパでは極めて珍しいようだが、日本では別府温泉を始め、それほど珍しくない。日本に住んでいると温泉関係の地形は珍しくも何ともないが、世界的にみると珍しいのだな、ということがアイスランドの温泉観光地のしょぼさで気づいたりする。ちなみにアメリカのイエローストーン国立公園のオールド・フェイスフルやその一帯の方が、はるかにこのアイスランドのゲイシールより迫力があり、興味深い。別府温泉やイエローストーンをメイジャー・リーグレベルだとすると、ここは高校野球の都大会予選という感じだ。
 ゲイシールからはケリズの溶岩湖を訪れた。ここは、なぜか入場料を取られる。このような溶岩湖は、その美しさで知られているが、このケリズの溶岩湖も一見する価値はあると思う。ただ、オレゴン州のクレーター湖の鬼気迫るような美しい青とは比べようがない。ただ、せっかくゴールデン・サークルを巡っているなら足を伸ばした方がいいとは思う。
 ちなみに昼食は、ゲイシールの手前にあるエフスティ・ダルル農場でとった。ここはホテルとレストランが一緒になっているところで、我々は何の前情報もなく行ったのだが、なかなか食事は美味しくて感心した。特に羊はお勧めである。
 しっかりと事前に調べておらず、行き当たりばったりのゴールデン・サークルのツアーであったが、ここは死ぬまで絶対行くべきである、といった迫力のある自然とは出会えなかった。これは、ちょっと残念ではある。アイスランドに行く前に、イグアスの滝、イエローストーン国立公園、クレーター・レーク国立公園などに行くべきであろうと思う。とはいえ、行く価値がないとはまったく思っていない。その荒涼として、どこか凜とした風土・地形は私の記憶にしっかりと刻まれた。

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(シンクヴェトリル国立公園は地質学的には希有で保全すべき対象であるだろうが、それが景勝地として特別に優れているとは思えなかった)

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(シンクヴェトリル国立公園のそばで現れた雨雲に虹が架かっていた)

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(グトルフォスの滝はなかなかの迫力である。おそらくヨーロッパ一かもしれない。ただ、世界的にみると、それほど大したことはない)

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(グトルフォスの滝をちょっと行くと氷河をみられる。今回の旅行では、これが最も氷河に近づいた瞬間であった)

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(ゲイシール地区で、間欠泉が出るのを待っている観光客)

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(間欠泉はそれほど迫力はなく、イエローストーン国立公園のオールド・フェイスフルなどを挙げるまでもなく別府温泉のものに比べてもしょぼい)

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(ケリズの溶岩湖は、規模も小さいが、その青さはちょっと見る価値があると思う)
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パリのシャルルドゴール空港で再び、酷い目に遭う(というか、半分は自分のせいですが) [地球探訪記]

パリのシャルルドゴール空港は私にとって、これまで鬼門となってきた空港で、本当にいい思い出は一つもありません。フランス語で私が対応できないことなどがあると思いますが、職員や店員、そして空港の建物自体が不親切というか意地悪な気さえします。今回も酷い目、というか不愉快な目に遭いました。まあ、半分は私のせいなのですが。ちょっと備忘録も兼ねて、また、シャルルドゴール空港を利用する人の参考になるかもしれないので、ここに記させて下さい。
 オスロからパリ経由で東京に帰国するのですが、乗り継ぎに6時間ぐらいあります。オスロからターミナル1に飛行機は着陸しました。自分の飛行機がどのターミナルかは不明ですが、ゲートは51と書いてあります。そこで、ゲート51の飛行機を出発便掲示板でみると、どうもターミナル3のような気がします。ということで、ターミナル3にまでシャトルで行きました。シャルルドゴール空港はあまりにも大きいので、このようなシャトルに乗らないととてもじゃないですが移動はできません。さて、ターミナル1からターミナル3まではシャトルで5つも駅に停まります。遠すぎだろう。
 さて、ターミナル3に着くと、また出発便掲示板がありました。ターミナル1とは違い、丁寧に遅い便まで見ることができます。そこでチェックをするとなんと、ターミナル1出発であることが分かりました。そこで、またシャトルに乗ってターミナル1に戻ります。
 ターミナル1に入る時に、お兄さん二人に搭乗券のチェックをされます。今回はオンライン・チェックインですので、iPhoneを見せます。それをお兄さんはチェックをしたのですが、日本語ですのでよく分かりません。というか、そもそも日本語で国際線のオンライン・チェックインをした私も馬鹿ですが、それをする全日空も想像力が欠けています。二度としないと思いましたが、とりあえずここはクリアしなくてはなりません。お兄さんは他の同僚にもチェックしてもらい、ローマ字の記号(CDGとかHNDとか)からどうも東京行きらしいと理解して、通してもらいました。
 さて、通関は無事に通ったのですが、次は荷物チェックです。荷物チェックでは、今度はiPhoneのモバイル搭乗券がiPhoneから消えています。後でメイルのゴミ箱に入っていたことが分かったのですが、チケットなかったら入れません。チケットなければ入れない、と言われても何も答えられません。まさか、ゴミ箱に入っているとは思わないので、こちらも狐に化かされたような気分です。しょうがないので、コンピューターを出して、コンピューターのメイルから入れさせてもらいましたが、コンピューターのバーコードをスキャンしているのは、どうみても格好悪いです。ここでも二度とオンライン・チェッキングはしないと思いました。
 さて、どうにか荷物チェックを過ぎて、iPhoneを確かめると、前述したようにごみ箱に入っていました。リトリーブしようとしたのですが、肝心のファイルが読み込めません。ネット環境が悪いからです。本当に信じられないよなあ。まあ、オンライン・ブッキングをしようとした私が悪いのですが、こんな危ない制度は導入しない方がいいです。携帯の電源がなくなったりしてもアウトです。個人的には使わなければいいだけなのでしょうが。
 荷物チェックを抜けて、ラウンジに向かおうとすると、なんとラウンジは通関の後、荷物チェックの前であることが発覚しました。通関を抜けた後、どこにも見つからなかったので、そのまま荷物チェックに向かったのですが、分かりにくいところにエレベーターがあったようです。また、戻ろうかとも思ったのですが、荷物チェックでのやり取りをもう一度やるのは嫌なので、そのままロビーで5時間潰すことにしました。幸い、電源があるのでコンピューター仕事はできます。
 ただ、やはり水分が欲しい。ということで、水をそばにある店で買おうとすると、なんと、搭乗券を見せろと言われました。そもそもコンピューターが入った鞄は椅子に置いているので、わざわざ取りに行くのもちょっと面倒です。ということで、携帯で見せようとすると、相変わらず、リトリーブできていません。くるくる回りっぱなしです。というか、このお店のおばさんは、バーコードが読める訳でもないし、この日本語チケットを理解できるのか。
 しょうがないので、そばにある喫茶店でサン・ペリグリノを注文したら、別にチケットを見せなくても買うことができました。そうすると、最初の店のおばさんは何をもってして、水を買うのにチケットを見せろ、と言ったのでしょうか。これは、単なる意地悪以上の何ものでもないでしょう。こういう経験は悪いけど、ドイツでもないとはいわないけど、フランスで一番するような気がします。このおばさんはルペン支持者なんじゃないかな、という失礼な思いが頭をよぎりました。
 ということで、快適にラウンジで仕事をするという目論みが見事に外れ、ロビーで仕事をしているのですが、このロビーの机と椅子が妙に距離が離れていて、しかも固定されていて動かせないので、肩が凝ります。
 国際空港のホスピタリティでその国のイメージは結構、形成されてしまうのではないでしょうか。私はフランスは実際より悪い印象を抱いているような気がするのですが、その大きな理由は、シャルルドゴール空港が負うところが大きいと思います。あと、オンライン・チケットは何もいいことがないことを改めて知りました。
 

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アイスランドでのお土産物は空港で買うべきである [地球探訪記]

アイスランドは物価が高い。そういう意味では、お土産とかを買う気力も起きないのだが、物欲を刺激するようなものは売っている。それは、「ここだけ感」のあるものだ。具体的には羊毛グッズである。羊毛グッズが例えばニュージーランドに比べて優れているかも疑わしいのだが、荒涼とした土地に放牧されていた羊をたくさん見たこともあって、羊毛セーターを家族の土産に買うことにした。大体2万円ぐらいである。都心のお店で買い、空港に行って行列に並び14.5%の税金の返金をしてもらい、空港内に入ったら、私がお土産を買った二つのお店が営業しており、しかも、私が買った値段(税を引いた後)よりも安く、かつ、品揃えも優れていた。お店の人にその事実を言うと、「この店は正規価格から20%〜40%割り引いているからね。レイキャビクで買うと14.5%しか安くならないから、ここで買った方が全然、得ね」と応じた。早く言ってよ。ということで、もう二度と来ない確率が高いが、アイスランドの土産物を買うのであれば、国際空港内が最適でしょう。クローネでの支払いも認めてくれるので、そういう意味でも理想的である。

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生まれて初めてオーロラを見る [地球探訪記]

 朝早く、同行していた知人が空港に行かなくてはならないので、レンタカーをしていた私は宿からバスターミナルまで迎えに行くことにした。それで待ち合わせをした時間は午前3時30分。ちょっと早めに行き、車を宿の外で停めて外に出る。若干、待ち合わせ時間に早かったので、そばのハットルグリムス教会前の広場に歩いて上を見上げると、空の一部がカーテンのように光っている。これはオーロラだ!8月20日という夏にオーロラが見られるとは思わなかったので、この予期しないプレゼントのような出会いに驚く。ただ、オーロラはよく写真や映像などで見るような緑とかではなく、白色に若干、黄色が入っているような色で、あまり美しいという感じではなかった。オーロラとの出会いが偶然だったので感動したが、期待してわざわざ遠くまで行って見えたこのオーロラだとちょっと落胆するかもしれない、と思ったりもした。
 写真を撮らなくてはと、あわてて車に戻り、カメラを取り出し、上を見上げると、なんとオーロラが薄くなっている。えっと思って、急いでレンズを望遠に替えて撮影しようとすると、ほとんどオーロラの存在が分からないほどになっていた。オーロラってあっという間に消滅するものなんだ。これは驚きだ。色が今ひとつだな、などと失礼なことを思ってしまったので、さっさと消えてしまったのかもしれない。見えたことは嬉しかったが、撮影できなかったことは残念。とはいえ、オーロラを見たというのは、なんか大収穫をした気分である。知人がこんな早い時間の飛行機を予約しなかったら、このような出会いがなかったかと思うと、本当、ラッキーであったと思う。そして、荷物をバスターミナルまで運ぶという約束をしてよかったなとも思った。これこそ、早起きは三文の得である。

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レイキャビクに行ってレンタカーが借りられず、困る [地球探訪記]

 アイスランドのレイキャビクに来た。日本を発って、絶対、レンタカーをしないと不味いことに気づく。気づいたが国際免許の期限が切れているので遅い。ただ、私はEUの免許を持っているので借りられるかもしれない。借りられるかもしれないが、借りられないかもしれないので予約はしなかった。おそらく、借りるのは結構、難しいかもしれないなと思ったが、それほど深刻には考えていなかった。
 最初は空港内にカウンターのあったAvis, Europcar, Hertzに尋ねるが、全滅。ただ、Hertzでも「全くない」と言われた時、ガクッと落胆したのを見かねたのか、空港外に20ぐらいレンタカー屋があるから、そこに行くといいと言ってくれた。他に選択肢もないので、そこまで歩いて行く。空港を出ると、凄まじい寒気を含んだ風が吹いており、すぐにウィンドブレーカーを羽織る。ウィンドブレーカーという言葉がよく理解できるような風の強さである。
 さて、空港の利用者用の駐車場を過ぎたところに掘っ建て小屋が集まったような一画があり、それはすべてレンタカー屋であった。最初に入ったところはアウト。隣に行け、と言われて行くと、ここは全部、出てしまっているけど21時30分になれば確保できるかも、という。時計はまだ19時を指している。とはいえ、他に選択肢もないので、とりあえずそれを予約する。ただ、そこのレンタカー屋も2時間待っているのも何だから、他も当たってみればと言う。そこで、他も行く。その後、最初に入ったところは前の客(東アジア系。中国人かもしれないが日本人かもしれない)が事故ったので、その事故処理であれこれと交渉している。これはもう待っていると大変なことになると思って、隣の店に行くがないと断られる。そこで、また東アジア系のお客が事故後の交渉をしていた店に戻る。しばらく待つと、ようやく問題が落ち着いたようで私の対応をしてくれる。しかし、対応をしてくれる、と言っても「ない」と言われるだけなのだが。そこで、次の店に行くと、「あるかも」と言われていろいろと調べてくれてどうにか借りる車を確保することができた。20時ちょっと過ぎぐらいだったので、1時間30分ぐらい早く借りることができた。しかし、5日間で840ユーロ。21時30分まで待てば600ユーロぐらいなので、ちょっと迷ったが、レイキャビクは宿代もばか高いので、人生初めてのairbnbをすることになっており、そこには19時に着くだろうと言っていたので、840ユーロのを借りることにした。ただ、値段は高いだけあって4WDで、保険もフルカバー、ガソリンもプリペイドであった。まあ、これだけ売り手市場であれば、もう高いも安いもない、というのが実情であろう。
 ということで、なんとか車を借りることができたが、レンタカーを借りるのにこんなに苦労したのは、オーストラリアのフレイザー島を訪れた時以来である(http://urban-diary.blog.so-net.ne.jp/2008-08-21)。あの時も、随分と高いレンタカー代を背に腹はかえられずに借りたことを思い出した。

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ベルゲン急行に乗って、ベルゲンに行って戻ってくる [地球探訪記]

 ノルウェーのオスロに来ている。せっかく来ているので、頑張って世界遺産都市ベルゲンにまで行くことにした。ベルゲンまでは鉄道で結ばれているはずだ。ノルウェー第一の都市オスロと第二の都市ベルゲンを結ぶ列車である、おそらく特急列車で3時間ぐらいで行けるだろうと勝手に思っていたら、なんと片道6時間以上もかかることが分かった。しかし、逆に6時間以上もかかるということで夜行列車が走っている。それで、夜行列車でベルゲンまで向かい、そこで午後遅くまで過ごして、オスロに戻る最終列車で帰ればいいかということで、同行している大学の先生と二人で行くことにした。
 夜行列車と帰りの指定席は同行している先生が日本からインターネットで購入してくれた。寝台列車が22,100円、帰りは15,500で、合計37,600円である。寝台列車の方が6600円ほど高いが、これはオスロのどんなぼろホテルよりさらに安いであろう。ということで、この移動パターンは経済的でさえある。-
 さて、列車はオスロ駅を23:25に出る。我々は22時頃に駅に着いたのだが、もう駅内にあるスターバックスなどは閉まっていたので、しょうがなくセブン・イレブンで珈琲を購入して、駅構内で時間をつぶした。ただ、列車自体は23時前から車内に入ることができた。ただ、寝台列車内の鍵が閉まっている。どうすればいいのか、と思っていたら「車掌は車内食堂にいるから、鍵を取りに来るよう」と扉に書かれていた。ということで、車内食堂に行き、鍵をもらった。寝台車は上下の二人用ベッドであり、比較的快適である。列車は時間通りに走り始め、私はiPadなどをいじっていたが、そのうち眠くなって寝て起きるともう5時過ぎで外は明るくなっていた。花崗岩を氷河が抉ったU字型の渓谷に沿って、列車は走っていく。ンネルが多く、いかにも山岳地帯を走っているという感じだ。社内食堂に行き、珈琲を注文すると、なんと自販機であった。社内食堂の窓はそれほど大きくはないが、それでも寝台車からの車窓よりは優れているので、そこで終点まで座っている。
 ベルゲンに着いたのは6時50分。駅に到着すると、いきなり夕立のような雨に見舞われたので駅でしばらやく雨宿りをする。雨が止んだら、とりあえず港の方に歩いて行き、魚市場やブリッゲンなどを訪れる。時間が早いので誰もいない。そこで、『地球の歩き方』に「ベルゲンに来たなら絶対に登りたいのがフロイエン山だ」と書かれていたフロイセン山へ行くケーブルカーの入り口まで向かう。8時からということで、ちょっと待てばすぐ乗れたが、小腹が空いたので、入り口そばにある「Gutbrød」という、おそらくgood breadのような名前のパン屋に入る。ここは、しっかりとパンを焼いているようで、そこでの手作りサンドイッチを食べる。このパン屋は若い女性3人で切り盛りをしているらしく、珈琲もしっかりと豆から挽いていてサンドイッチだけでなく珈琲も美味しい。さて、腹ごしらえをした後、ケーブルカーに乗る。一台だけやり過ごして乗ることができたが、これは一時間後に我々が戻った時には、驚くほどの長蛇の列ができていた。あまり自覚がなかったが、ここは大変な観光地のようだ。早めに来たことは大正解であった。そして、その頂上からの展望はなかなかのものであった。フィヨルドの地形の狭い平地にベルゲンの都市がつくられたことがよく理解できる。また、驚いたのは都心部に三方向から高速道路が入ってきているが、都心部の島に入るとすぐ地下に潜って、地上には出てこないということだ。そういうことも都市を展望することで気づけた。後で、いつ頃、このような措置を採ったのかと聞くと、南側の高速道路が整備されたのは1964年。そして、北側の高速道路のトンネルが通ったのが30年ぐらい前。そして、南側の高速道路が橋を渡った後、都心部で地中に入る工事が行われたのが25年ぐらい前ということであった。25年前といえば、1992年ぐらいである。デュッセルドルフが高速道路を地下化して、その上部空間を整備してラインプロムナードをつくったのが1995年。それよりも早く、高速道路の都心部での地下化を実現させているのである。まあ、これだけ土地がなければ、高速道路を地上に走らせるのは例え、高架であってももったいなさ過ぎる。この時期の賢明な判断が、今のベルゲンの美しさをつくっていると考えられる。
 さて、高所からの都市景観を楽しんだ後、ケーブルカーで下り、その後、世界遺産のブリッゲンに行く。10時ぐらいになっていたが、7時過ぎには誰もいなかった空間には人が溢れていたし、もう店も開店していた。ブリッゲンは、13世紀から16世紀にドイツのハンザ商人によって建てられた木造家屋群である。建物はすべて木で出来ており、たびたび火災で焼けたが、そのたびに同じように復元・修復してきて、現在にも中世の街並みを伝えている。感心するのは世界遺産に指定されていても、しっかりと現代的な利用をしているからである。過去の歴史建築物ではなく、それをしっかりと保全しつつも現在のベルゲンにとっても有用な使われ方をしている。このような積極的な歴史建築物活用が、結局、費用対効果が高く、それを保全できるベストのアプローチなのではないかと思ったりもする。
 その後、対岸に行き、山々を背景とした素晴らしいブリッゲンの写真を撮影し、せっかくなのでフィヨルド・ツアーに行く。ただし、ちゃんとしたフィヨルド・ツアーは最短でも3時間コースであり、我々が行った時には既に14時発のものしかなかった。帰りの電車は15:59発なのでこれは無理。ということで12時発の1時間30分コースのなんちゃってフィヨルド・ツアーに参加することにした。これは、299クローネであり、ベルゲンの郊外を巡るだけのツアーであり、よく観光ガイドに載っているような風光明媚なフィヨルドとはまったく異なる、寿司でいえば「のり巻き」のようなものであったが。まあ、ベルゲンのランドスケープを多少は理解することができた。
 その後、魚市場に隣接したレストランで食事をする。その後、トラムにでも乗って、ベルゲンの南の郊外を視察しようかとも考えていたが、このレストランのサービスが遅いこと、ワインが比較的、美味しかったこと、さらに料理も悪くなく雰囲気もよいので、結局ここで2時間ほど過ごして、ほろ酔い加減になって駅へと戻った。
 帰りの列車はコンフォートといって一等車に乗車する。これは、席のスペースがちょっと広いことに加え、珈琲等が飲み放題である。とはいえ、珈琲は機械のそれであり、二杯ぐらい飲むともう結構、というような代物であった。行きは夜行であったので景色はほとんど楽しめなかったが、帰りはフィヨルドの雄大な景色を両側に見ながら移動していく。そして、ベルゲン駅を発車してから2時間ぐらい経った18:18に沿線最高所(1222メートル)のフィンセという駅に到着する。フィンセの周辺にはなかなかの氷河をみることができる。これはわざわざ乗るのに値する景色である。ただ、フィンセを通り過ぎてからしばらく経つと、若干、景色には飽きてくる。列車がオスロ駅に着いたのは22:35。到着した時にはちょっとグロッキーのような感じにはなっていたが、素晴らしい鉄道旅行であった。

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(オスロ駅の発車掲示板)

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(オスロ駅のベルゲン急行の発車ホーム)

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(ベルゲン急行の食堂車)

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(ベルゲン急行の車窓)

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(ベルゲン急行の食堂車)

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(ベルゲン駅に近づいたところの車窓)

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(ベルゲン駅の到着ホーム)

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(ベルゲン駅に到着したベルゲン急行)

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(ベルゲンはハンザ都市であったこともあり、昔、経済的な栄華を享受した趣きを街並みに感じることができる)

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(世界遺産のブリッゲン)

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(Gutbrøtというパン屋で朝食を取る)

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(フロイセン山からのベルゲンへの展望)

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(魚市場)

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(魚市場での食事・・鱈料理)

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(ベルゲンから出ている90分コースのフィヨルド・フェリーからみられるフィヨルド)

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(帰りのベルゲン急行から得られる車窓)

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(フィンセ駅周辺からみられる氷河)
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ウェールズのランドスケープは美しい [地球探訪記]

 イギリスはおそらく10回以上は訪れていると思う。行く時はほとんどが大都市であるし、イングランドであるので、あまりランドスケープが美しいと思ったことはない。ただ、鉄道で移動することが多いので、例えばマンチェスターからカーライルの車窓に展開する湖水地方のランドスケープや、ニューキャッスルからエジンバラへと展開する北東の海岸沿いなどはなかなか息を呑むような風景であるよな、と感心したりした。ただ、これまでのイギリス訪で本当に感動したのは、レンタカーでエジンバラからインバネス、ネス湖、とスコットランドを周遊した時で、このときは「緑の惑星」という感じで、地球の景色とは思えないような雄大なランドスケープに圧倒された。
 さて、しかし、今回はウェールズのアングルシー島に4日間ほど滞在したのだが、このアングルシー島やスノーデン国立公園といったウェールズの風景はまさに絶景であり、ドイツやフランスなどでもアルプス山脈でしか出会えないような自然の造形美と遭遇し、驚いた。アングルシー島を西に行くと、サウス・スタックとよばれる海に面した絶壁があるのだが、ドーバー海峡などに比べてはるかに迫力があり、また、ちょうどワイルドフラワーが咲き乱れて、自然の絨毯のように地面が美しく被われており、その景色は絶景慣れしている私にとっても、驚くようなものであった。
 さらにアングルシー島から南に行ったところに、スノーデン国立公園があるのだが、そこの風景はある意味、チベットよりも壮大であった。標高1300メートル程度の山なのだが、海面から隆起しているような山なので、実際の数字よりはるかに高く見える。存在感に溢れる山なのだが、今回の滞在期間中もほとんど雲に隠れていて、その姿が見えたのは3日目だけであった。その雄姿は、前述したサウス・スタックから見えたのだが、紺碧の海と絶壁の岩を前景に聳えるスノーデンの山々は神々しささえ覚える。この光景は、例えば海岸美で有名なアメリカのオレゴン・コーストやオーストラリアのヴィクトリア州の南部の海岸をも上回ると思うのだ。その素晴らしさに比して、知名度があまり高くないと思うのだ。日本では強いていえば礼文島を彷彿させるが、礼文島よりアングルシー島のワイルドフラワーの方が迫力に溢れている。ヨーロッパという風土の中でも傑出した美しいランドスケープをウェールズは擁していると思われる。

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(サウス・スタックからみたスノーデン)

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(サウス・スタックのカラフルな絨毯のように咲くワイルドフラワー)

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(サウス・スタックの驚くほど美しいランドスケープ)

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(スノーデン国立公園の渓谷美)

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(スノーデン国立公園のランドスケープ)
 

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パリのシャルル・ド・ゴール空港からTGVとユーロスターを乗り継いでロンドンへと行く [地球探訪記]

 パリのシャルル・ド・ゴール空港からTGVとユーロスターを乗り継いでロンドンへと行く。全日に券を買っていたので、安心して当日、空港へ赴く。ちなみに料金は3万円ぐらいであった。随分と高い。もちろん2等である。いつもユーレイルパスなどで移動しているから値段が高く感じるのかもしれない。
 シャルル・ド・ゴール空港では、なかなか出発ホームが掲示されない。駅員に尋ねると20分前じゃないと分からないと言う。TGVといったら新幹線のようなものだ。どのホームに入らないかが20分前にならないと分からないというのは驚きだ。ちなみに5分遅刻でTGVはホームに入ってきた。よく、TGVは日本の新幹線よりも速い、と言われるが、どんなに速くても時間通りに走れなければ意味がない、と私はTGVに乗るたびに思う。まあ、遅れるのは想定内である。
 さて、想定内でなかったのはリール駅でユーロスターに乗り換えるのが面倒だということだ。乗り換え時間は30分ぐらいあったのだが、10分ほど遅れたためか、ロンドン行きの人は急いで下さい、と言う。なんか、おかしいな、と思いつつリールの駅を降りると、通関と荷物検査をしなくてはならないことに気づいた。通関はユーロとイギリスと二ヶ国しなくてはならない。しかも、通関のお兄さんが最近の空港の通関では考えられないほどゆっくりと仕事をする。これは、列車に乗れないかもしれない、というお客の不安をあえて煽っているのではないか。私のパスポートなどは比較的、面白いのでまるで喫茶店で客が、することがないので雑誌をめくっているような気怠さで私のパスポートをぺらぺらと見ている。私は時間的に大丈夫だからいいけど、後ろで並んでいる客はさぞかしいらいらしているだろうなあ。
 とはいえ、ユーロスターには無事に乗れた。あとチケットでは35分ぐらいしかかからない感じで、これは素晴らしいと思ったが、どうも時差があって実際の乗車時間は1時間35分ぐらいであった。とはいえ、乗り換えを含めてもパリから3時間以内で到着できる。近い!
 ユーロスターはヴィクトリア駅からは乗ったことがあるが、セント・パンクラス駅に着くのに乗るのは初めてである。

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(シャルル・ド・ゴール空港駅)

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(セント・パンクラス駅)

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島根と鳥取でいろいろと考える [地球探訪記]

 3泊4日で島根と鳥取を訪れた。最初の2日はセミナーに参加したのだが、3日目は午前中には足立美術館に行き、午後には鳥取県の江府であいきょうの安達社長を訪れ、たいへん貴重な話を聞くことができた。そして4日目は午前は大山に登り、午後は境港に行き、水木しげるロードを視察し、美保の関を訪れ、さらに出雲で蕎麦を食べようとしたため、地方の自動車社会の非効率を身をもって体験することができた。この4日間で、随分と学ぶことができたのではないかと思う。それらに関して一挙に書くのは大変であるのと、読む方も大変であると思われるので、適宜、分割してこのブログでもまとめていきたいと思う。それらは、次のようなことである。
・出雲市のあるシャッター商店街で生き残ったのは、菓子屋、蕎麦屋、麹屋といった自分の店でものをつくっているところと病院
・出雲市の中心市街地はほとんど道路と駐車場。それにも関わらず、これらの駐車場の利用が制限されているので、駐車場はあっても使えない、という馬鹿げた事態が生じている。
・水木しげるロードはせっかく、ボトムアップで成功しているのに行政は道路を拡幅することでそれを台無しにしようとしている。まさに愚策中の愚策とはこのことではないだろうか。
・境港で一番、評価が高いお寿司屋さんに行くが、たいへん今ひとつであった。外食のレベルがコスパを含めて、地方と東京との格差が本当に大きくなっていると思う。地方で美味しいグルメなどというのは、京都や大阪や一部を除くともはや幻想なのではないだろうか。
・景観をつくるのは屋根、と看破したのは伊藤滋先生だが、日本の風土に合った景観をつくる屋根は瓦であると思う
・山陰地方は日本でおそらく最も景観が美しい地域なのではないだろうか。それをどんどんと壊そうとしているのが、土木行政が邁進している道路事業という悲劇。
・足立美術館の庭園が美しいのは、借景である周辺の山々が美しいからである。
・足立美術館はちょっとぼったくり商法なのではないだろうか。
・あいきょうの安達社長は素晴らしい。こういう人が地方の衰退を阻止しているのだが、個人の力だと限界がある。それを補完できるのは行政だけだが、その行政が期待できない。しかし、ここで行政が対応できないと地方は本当に消滅してしまうであろう。
・あいきょうの移動販売の魚の方が、農協の魚より遙かに新鮮であるという不思議。というか、農協コープは競争力がなさすぎるのかもしれない。
・過疎集落において必要なものは買い物の場であると同時に、コミュニティが出会える広場のような機会。これはオンライン・ショッピングでは決して提供することはできない、という話。
・大山の大自然は本当に素晴らしい。日本にもこのようなしっかりとした国立公園と豊かな生態系保全の仕組みがあることに大変、感銘を受ける。
・大山の登山は快晴に恵まれ、ちょっと忘れられないような感動を覚えた。
・工務店の人達は、街をつくるうえで重要な役割を担える可能性を有している。
・動物園のマイクロ・クライメットをしっかりとデザインしたら、動物が元気に行動するようになって動物園の来場者も増えたといういい話。
・小泉八雲の偉大さを松江にて知る。
・松江の都市の質の高さに驚く。しかし、それを壊すような道路拡幅工事も進んでいる。
・オリジナルの天守閣が残っている都市は本当に幸いである。しかし、その松江でも天守閣は壊される風前の灯火であった。
 ということで、ざっと整理してみても18ぐらいのブログのネタになるようなことを徒然と思っている。なるべく文章にまとめるようにしたいところである。

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夜叉神峠を生まれて初めて訪れる [地球探訪記]

 水曜日からロンドンに行く予定であったのだが、流石に最近の仕事の多さで疲労が溜まり、体調が今ひとつであったのと、行かないことの損失がそれほど大きくないこともあり(行った方がいいことは明らかではあったが)、思い切ってキャンセルした。しかし、水曜日と木曜日と静養したら金曜日になって元気になったので、せっかくの梅雨の晴れ間ということもあったのでレンタカーをして夜叉神峠に行くことにした。
 夜叉神峠は高校一年生ぐらいから行きたいと思っていたのだが、これまでそういう機会がなかった。というか、そのような機会をつくろうと一所懸命に努力しなかったのかもしれない。実際、今日は思いつきで朝7時にレンタカーをして、夜叉神峠に向かったら家を出て3時間後には夜叉神峠登山口に着くことができた。
 さて、夜叉神峠登山口にはしっかりとした駐車場が整備されており、金曜日ということもあって、10時30分という遅い時間でも余裕で駐車することができた。簡単に着替えをして、登り始める。登山道は大変しっかりしているが、出だしはなかなかの急坂だ。体調が今ひとつであったこともあり、すぐに息が上がる。さて、登山道沿いには針葉樹のカラマツと広葉樹のミズナラやコナラが交互に現れる。新緑が美しい。クマザサを切り開いたような登山道をジグザグに進み、夜叉神峠には歩き始めてから1時間ぐらいで着いた。ここからは、白峰三山が展望できる筈だが、雲で出ており、私が観られたのは(おそらく)北岳のみであった。とはいえ、その展望は息を呑むような美しいものであり、来た甲斐はあったと十分思わせるものであった。30分ほど登ると高谷山に行けるので、そのまま行く。高谷山への登山道もよく整備されていて快適であった。高谷山からは北岳が展望できる。ただ、山頂は雲に覆われており、たまに山容の一部が見えるだけであった。天気は素晴らしかったが、南アルプスの展望にはそれほど恵まれなかった。今日はおにぎり弁当をつくってきたので、ここでそれを食べる。ハエが意外に多くいて、ちょっと紛らわしかったが、空気が美味しいので自分で握ったおにぎりでさえ美味しく思える。
 その後、そのまま下山をして駐車場に着いたのは13時ちょうどであった。休憩ありで往復2時間30分かかった。その後、芦安温泉のどこか日帰り温泉で汗を流そうとしたが、平日ということもあってどこも閉まっているようであったので、帰路の道沿いにあった白根温泉というところに寄る。そして、都立大学の自宅には16時30分頃に戻れていた。休日だとこうは行かないかもしれないが、平日に思いもかけず休みができたのを、上手く活用することで、高校一年の時から訪れたいと思っていた夜叉神峠にようやく来ることができた。38年ぶりの悲願達成である。というか、ちょっと頑張ればいつでも達成できた悲願であると思うのだが、これで死ぬ時に後悔することが一つ減ったかと思うと嬉しい気持ちである。

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<スタート地点となった夜叉神峠登山口の駐車場>

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<美しい広葉樹の中を歩いて行く>

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<夜叉神峠の看板>

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<夜叉神峠から白峰三山(おそらく北岳)を望む>

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<看板と南アルプスの山々>

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<夜叉神峠から高谷山への登山口から望む南アルプスの山々>

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<高谷山の山頂の看板>

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<高谷山から北岳?を望む>

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<甲府盆地を望む>

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<針葉樹のカラマツと広葉樹の森の中を下山する>

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<登山道沿いにシダが生い茂っていた>

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<登山道沿いにブーゲンビリアのような花が咲いていた(もちろんブーゲンビリアではない)>
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錦帯橋を訪れる [地球探訪記]

 大阪から福岡に移動するという、あまりないシチュエーション。これは、これまで見たくても見る機会がなかった岩国の錦帯橋に行こうと思い、あまり考えずに新大阪で岩国駅への切符を購入する。そして、新幹線にてネットで錦帯橋の場所を確認すると、岩国駅から5キロメートル弱離れていることを知る。むしろ、新岩国駅の方が近いぐらいである。しかも、岩国から福岡まで行くのに鉄道だと相当、時間がかかることを知る。というか、新岩国に停まる新幹線が少ないのだ。
 しかし、後の祭り的なところもあり、とりあえず岩国駅に向かう。広島駅で山陽本線に乗り換えて、岩国まで行く。ほぼ50分かかった。岩国駅前で急いで中華麺を昼ご飯で食べ、バスで錦帯橋まで行こうと考えたが、時間がもったいないのでタクシーを拾う。ただし、5キロメートルというのはなかなかの距離で、料金も1540円もした。
 また、岩国駅前は国道2号線が走っているのだが、今時珍しい2車線。車線数が多ければいいとはまったく思わないが渋滞をしている。なんか、いろいろな面で時間がかかって大変だ。
 さて、とはいえ錦帯橋は見ることができた。日本三名橋の一つである。全長は193.3メートル、釘が一本も使われていない木造のアーチ橋である。そのアーチの曲線の美しさは、なかなかのものである。1673年につくられたが、現在のものは1950年に台風で流出された後の1953年に復元されたものである。ミュンスターのプリンツィプル・マルクトのように、歴史的建築物・建造物を復元させることは、その都市のアイデンティティを次代に継承することに繋がる。そういった意味で、錦帯橋を次世代に残すために努めることは、極めて重要な施策になると思われる。実際、錦帯橋でも岩国駅でも新岩国駅でも多くの外国人観光客をみた。錦帯橋があるからこその岩国、といった側面はグローバリゼーションが進むにつれ、さらに重要になっていくと思われる。
 その後、新幹線に乗るために錦帯橋から1.5キロメートルほど離れた錦川鉄道の川西駅まで歩いて行き、そこから一駅乗り、新岩国駅まで行く。これは一駅ではあったが、距離は結構長かった。料金は230円であった。新岩国駅はどうも1時間に1本しか鉄道が停まらないようである。私も30分ほど待たされた。

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ベルリンで貴重な夜を過ごすのであれば、やはりクロイツベルクに行きたい [地球探訪記]

 エアフルト大学の知り合いが、ベルリンにも家を持っているのでベルリンに来れば、と言ってくれたので図々しくも一泊だけ居候させてもらう。貴重な一回しかないベルリンの夜。どこに行きたいかと言われたので、当然、クロイツベルク。ベルリンの下北沢のような街である。ここは80年代に高速道路の開発計画がつくられ、実際、遂行されそうになったのを住民のレベルで阻止することに成功する。実際、計画が実行されることが前提とされ建物が倒壊された後につくられた建物(クロイツベルク・マルクトの建物)もできたりしたのだが、道路自体の阻止には成功する。そして、駐車場なども幼稚園に変容されたりもしたのだ。ベルリンの中でも最も魅力的なクロイツベルクが今日あるのは、この道路建設に反対して、阻止した住民がいるからだと思う。
 今では東ベルリンと西ベルリンが統一されたが、まだ分離されていた頃のベルリンというのは特殊な都市であった。そこは、社会主義の中にポツンと島のように存在する資本主義、市場経済、民主主義の租界地区であった。そして、そのベルリンの中でも、ベルリンという体制に反旗を翻すほど民主主義的な地区がこのクロイツベルクであった。ベルリンにおける多様性、自由、オルタナティブ、サブカルチャーなどの概念が象徴化されたような地区がクロイツベルクである。今となっては、ルー・リードの『ベルリン』やボウイのベルリン3部作から、そのイメージを喚起させるぐらいしかできないが、極めて尖ったベルリンを担っていたのがクロイツベルクであろう。
 現在では、クロイツベルクの文化的なアイデンティティも随分とジェントリフィケーションされ、ドイツ語がしゃべれないアメリカ人がバーテンダーをするようなバーが増えてしまっていたりするが、それでも外国人の私なんかからすると十二分に刺激的であるし、都市的な楽しさに溢れている地区である。
 エアフルト大学の知り合いの好意のおかげで楽しいベルリンの一夜を過ごすことができた。

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(クロイツベルクで人気のアイスクリーム屋)

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(高速道路がつくられることを前提に建設されたクロイツベルク・マルクト)

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(駐車場はなんと幼稚園に転用された)

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(クロイツベルクのバー。この店もドイツ語が拙いアメリカ人がバーテンダーをしていた)


ベルリン

ベルリン

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: SMJ
  • 発売日: 2013/03/06
  • メディア: CD



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ツヴィカウでえせフンデルト・ヴァッッサーを発見する [地球探訪記]

 ツヴィカウの街に14時頃着き、ホテルにチェックインしたあと、とりあえず街歩きをすることにした。翌日に中央駅まで行かなくてはならないため、歩いて行くことにした。ホテルの人に、中央駅まで歩いて行きたいというと「止めておいた方いい」と言う。「治安が悪いのか?」と尋ねると、「いや、治安はまったくもっていいのだけど建物が今ひとつで景観が悪い」と答える。個人的には「それは大歓迎」と心の中で言い、とことこと歩いて行く。
 ツヴィカウの街中は結構、人が多くいて、縮小都市なのに街中に人が溢れるドイツの不思議、に関していろいろと考察する。さて、中心市街地の外にも、住宅街は拡がっており、確かに衰退はしているかもしれないが、それなりにある時期においては繁栄していたのだろうと思わせる立派な住宅が建っていた。
 さて、中央駅通り(Hauptbahnhof Strasse)という道を歩いていたら、ちょっと風変わりな建物に出くわした。そして、ちょっと建物の裏側をみたら、なんとフンデルトヴァッサー。フンデルトヴァッサーの作品はドイツには多いが、ツヴィカウにあるとは思わなかった。これはバーで飲んでいたら東京事変の浮雲が隣で飲んでいるような状況か(流石に椎名林檎ではない)。 滅茶苦茶、今日はついていると思い、写真を撮影しまくる。しかし、何かフンデルトヴァッサーにしては徹底していない。とりあえず真っ直ぐだし、何か正面のファサードは極めて謙虚。まあ、フンデルトヴァッサーも今ひとつの作品もあるのかもね、と思ってホテルに戻った。ホテルの受付に「フンデルトヴァッサーの家を見てきたんだけど」と言うと、「そうですか」と愛想笑いをしたので、やっぱりフンデルトヴァッサーか、と思ってネットで調べたら偽物のようだ。
 しかし、ここまで真似したら意匠権はどうなるんだろう、と俗物の私は思ったりした。逆にいえば、それだけの個性があるということでしょうね。フンデルトヴァッサーは気にしないでしょうが。

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久しぶりにドイツ鉄道に乗ったら、やっぱりやられた [地球探訪記]

 久しぶりにドイツ鉄道に乗ったら、やっぱりやられた。その日はチューリッヒからエアフルトまで移動しなくてはならないのだが、本来であれば一回乗り換えでいいはずであった。二つともICEなので、ある程度は安心していた。しかし、ベーゼル駅に止まると、この列車はもう走らないので後続の列車に乗り換えろと言われる。またかよ。といいつつ、まだフランクフルトでの乗り換えは可能な時間で着きそうだ。
 さて、そのフランクフルトであるが、どうもフランクフルト中央駅が工事中らしく、フランクフルト南駅がICEの始発になっているようで、そこで乗り換えなくてはいけないことを同乗の客に教わった。そこまではいいのだが、この二本目の列車も案の定、遅れてうまく接続できなかった。次の便に乗ろうとしたら時刻表は出鱈目!工事期間中のと、そうでないのと二つの時刻表が掲示されている。どうにもよく分からないので、ネットで検索したら、この二つの時刻表とはまったく違ったものが出てきた。何だ、何だ。しかも、エアフルト行きのICEは二時間に一本ぐらいの割合だ。そのような状況なので次の列車を乗り損ねるためには極力避けたいのだが、そもそも列車が遅れているのでダイヤが乱れまくっていて、もう何が何だか分からない。しかもホームが二つあるので、どちらに列車が来るかも分からない。茫然自失としていたら、反対側に止まっていた列車がライプツィヒ行きと記されている。そうか、ネットが正しいのか。ドイツ人を押しのけて飛び乗ったらどうにか乗ることができた。しかし、本当、ドイツ鉄道だけはドイツ人の正確さや生真面目さとは正反対の印象を与える。

タグ:ドイツ鉄道
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