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ニュルンベルクのクリスマス・マルクトに行き、ちょっとがっかりする [地球探訪記]

ドイツはクリスマス・マルクトが有名である。どうも、三大どころはドレスデン、エアフルト、ニュルンベルクのようだ。それにしてもニュンベルクは何で有名なのであろうか。
ニュルンベルクのクリスマス・マルクト(クリストキンドルスマルクト)がいつ頃から始まったのか、については随分と研究が積み重ねられているようだが、現時点でも不明である。ただ、針葉樹の箱があり、そこには1628年のクリスマス・マルクトにエルブシンさんが、ハーシュデーフェリンさん宛に送ったと書かれていて、これが最古の証拠となっている。歴史家は1610年から1639年ぐらいの間に広場にて週ごとに開催されるようになった伝統的な市場にその源があると考えており、そこからクリスマスのための市場として独特 なものになったのであろうと推測している。
 結構、昔から人気があったそうなのだが、19世紀の終わりにはまったく賑わいはなくなってしまったそうである。それが復活したのは1930年代で、ナチス政権下で「歴史的な資源」であると大々的にプロモーションされたことで、また知名度と人気が上がったそうである。確かに、クリスマス・マルクトはドイツ的なイベントであるかなと思われる。ナチスになって有名になったが、第二次世界大戦、そしてその後の1948年までは開催されなかった。
 その開始日は12月4日であったのだが、観光客が多くなったので1973年から12月1日に変更されている。1970年代から多くの観光客を集客させていたのだ。会場となっているのは、ニュルンベルクの旧市街地の中心広場とそこに隣接する道路や広場などである。年間の訪問客は約200万人で、これを開催期間の25日間(最終日はクリスマス・イブの24日)で割ると、なんと一日当たり8万人。これはディズニーランドよりも多い数字(東京ディズニーランドは5万人以下)であり、その集客力には驚く。
 さて、このニュルンベルクのクリスマス・マルクトに実際、訪れる。12月22日と、千秋楽の二日前の金曜日ということで相当、混んでいるかなと思ったのだが、駅前のホテルは結構、安い値段で泊まることができたので、遠くからの観光客がそうそう多いという訳ではなさそうだ。とはいえ、ホテルでは多くの中国人、韓国人のお客さんがいて、また、街中に出ると日本語が多く聞こえた。
 実際のクリスマス・マルクトも雨が降っていたこともあり、旧市街地や共通した紅白の模様が施されたクラシックな屋台群もそれほど魅力あるようには移らなかった。屋台群は食事だけでなく、クリスマス関連のものを販売している小売店も多いのが興味深かった。こういうものを土産として買いたい人がいるのか、若干、訝しい気持ちにもなるが、逆に、これらの店がこのクリスマス・マルクトの伝統のようなものを感じさせる。
 中央広場の教会の前にはステージも設置されていて、そこでは家族と思しき人達がクリスマスの歌を合奏していた。玄人ではなくて素人みたいな感じであり、そういう素人感、マーケティングがされていない感じ(逆に裏をかいたマーケティングをしている可能性もあるが)は、地元の人には有り難いが、わざわざ海外から来た人にはそれほど有り難いものではないだろう。
 あと、このニュルンベルクはどうも姉妹都市の屋台も出ているようで、それらが地元料理を提供したりしているのだが、これも地元の人には有り難いが、海外からの観光客には有り難くない。また、閉店時間が20時。これはいくら何でも早すぎるのではないか。法律に引っかかるというところはあるのかもしれないが、こういうお祭りでは例外を設けてもいいのではないかと思ったりもする。
 ということで、それなりにドイツらしさを感じられるクリスマス・マルクトではあるし、ベルリンから一泊二日で来るなら、少なくとも一回ぐらいはいいかなと思うが、海外からわざわざ、これだけのために来るほどの価値はあるとは思えない。あと、より遊園地的な要素が強いが、エアフルトのクリスマス・マルクトの方が個人的には好きである。まあ、街自体がニュルンベルクよりエアフルトの方が好きというのもあるかもしれないが。

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【クリスマス・マルクトの光のサイン】

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【中央駅からクリスマス・マルクトまで向かう道のライティング】

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【教会前に設置されたステージ】

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【伝統を感じさせるような屋台】


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