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ワルシャワからウッチに鉄道で行こうとして混乱する [地球探訪記]

ワルシャワからウッチに鉄道で行こうとして、とりあえず中央駅に行く。何しろ、日が暮れるのが早いので、ちょっとでも早くウッチに到着しようとして9時台の特急で行こうとしたのだ。ただ、どうもその列車は指定席券が必要で満席のようで早くても13時07分発のものしかない。と言われる。ウッチというのは大阪でいえば、和歌山とか姫路ぐらいのものである。そんなに待たないといけないのはおかしいんじゃないか、と問うと、二つ先の駅から乗れ、と言われる。ちょっとよく分からなかったが、これは大阪駅じゃなくて新大阪駅から乗れ、と言われているようなものかな、と思い、二つ先の○○駅まで行く。
 ここでチケットを買ったら9時58分発の列車のチケットを売ってくれた。さて、いろいろと整理はされていないのだが、なんか列車の運営主体が少なくとも3つあることが分かった。私が乗った列車はLKAという会社が運営しているもので、他にもIC(これは普通にポーランド国鉄か・・・ドイツだとIntercityの略ではあるので運営会社ではないのだが)とKMがある。おそらく上下分離をしているのであろう。いや、大外しをしていたら申し訳ないが。あと、てっきり始発かと思っていたが、始発ではなかった。始発ではないとすると、これは中央駅も通っているかと思うのだが、そうするとなぜ、中央駅の切符売り場では売ってくれなかったのだろう。ちなみに、この列車は全席指定ではなかったので、別に満席というようなことは無いはずである。列車もそこそこ空いていたし。なんか理由があるのだろうけど謎だ。
 列車は結構な高速で走って行き、ポーランドの牧歌的な田園風景の中を疾走していった。なかなか列車移動は快適であった。ウッチには時間通りに到着した。

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ポーランド人は交通規則を守る? [地球探訪記]

この一月ぐらいで、ポツナン、ブロツワフ、ワルシャワとポーランドを三回ほど訪れたが、そこで気づいたことは、どの都市も共通して自動車の運転が優しく、歩行者を優先させてくれる。横断歩道では、ほぼ自動車が止まる。これはドイツもそうだが、ドイツよりもさらにしっかりと歩行者の安全を考えてくれるような運転をしている印象を受ける。あと、歩行者がちゃんと信号を守る。信号無視をしているのは私ぐらいだ。これは、ドイツでもそうだが、ドイツとかだと、私につられて一緒に信号無視して渡る人がたまにいるので、ポーランドの方がより規則を守るような印象を受ける。まあ、少ないサンプル・サイズであるが、日本よりはずっと交通規則を守っているような気がする。

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ワルシャワ [地球探訪記]

ワルシャワに初めて来ている。ということで、ワルシャワのことを整理してみた。ワルシャワはポーランドの首都であり、同国最大の人口を擁する大都市。人口は186万人であるが、大都市圏だと310万人である。市域は517キロ平方メートル。東京都区部から足立区と江戸川区を除いたぐらいの面積である。18の地区から構成されている。ヴィスワ川が市内を流れる。
 ポーランドは国として長い歴史を有していることもあり、ポツナン、クラカウ、ブロツワフ、ダンツィヒなど歴史ある都市が多い。ワルシャワはそういう都市と比べると、遥かに歴史が浅い。そもそもは小さな漁村であり、その名前が文献に初めて載るのは1313年である。そして、大聖堂が建つなど徐々に都市としての様相を整えつつあったが、大きな転機となったのは16世紀にジグムント3世がポーランドの首都をクラカウからワルシャワに移転することを決めてからである。この移転はクラクフの王が居住していた城で大火災が起きたことが契機であり、当時、スウェーデン王も狙っていたジグムントはクラクフに比べて、よりスウェーデンに近く、また居住するのに適切な城郭のあったワルシャワに目を付けたのである。
 18世紀のワルシャワは、ポーランドの繁栄の恩恵を被り、「北のパリ」と呼ばれるほど文化・経済が発展していく。しかし、1795年にポーランドの土地はプロシア、ロシア、オーストリアに分割され、クラクフはオーストリア、ワルシャワやダンツィヒはプロシアに属することになる。ちなみに、今のベラルーシのミンスクなども分割前はポーランドの領土であった。その後、ナポレオンによってプロシア、ロシア、オーストリアが蹴散らされ、ワルシャワ公国の首都となる。しかし、1815年にナポレオンが敗走し、ワルシャワはロシア帝国の支配下に陥る。ただし、19世紀後半にはロシア人の市長ソクラテス・スターリンキヴィッツのもとに上水道・下水道が整備され、トラムの近代化、街灯の整備などが遂行され、ワルシャワは発展していく。その結果、1850年から1882年の期間にワルシャワの人口は134%も増加し、38万3000人の人口を擁することになる。この人口は1897年には62万6000人にまで膨れ上がる。これは、ロシアの中ではセイント・ピータースバーグ、モスクワに次ぐ多さであった。そして、第一次世界大戦終戦で、ドイツとオーストリアが敗戦国となったため、ポーランドは独立し、ワルシャワが再びポーランドの首都となる。
 ただし、1939年に再びドイツの侵攻を受け、ドイツの占領下に入る。そして、終戦も間近になってヒットラーはワルシャワの総破壊を命じ、その結果、ワルシャワの85%は破壊され、歴史地区や王宮もその犠牲となった。
 第二次世界大戦、ワルシャワはまさに廃墟から復活の道を歩み始める。住宅不足のためにプレハブ式の集合団地が多くつくられ、数少ない19世紀から戦災を回避できた建物群も社会主義の考えのもとに撤去された。石畳の道はアスファルト舗装され、道幅は大幅に広幅員となった。歴史ある通りもこの社会主義時代に再開発で随分と失われた。一方で、王宮や歴史地区は元の姿に限りなく戻すために、作り直していく。ここらへんの考え方は、社会主義的でなく、なぜそのように取り組んだのかは興味深い。
 ワルシャワの最初の地下鉄が通ったのは1995年と随分、最近である。その後、二本目が2015年に開業している。公共交通をどんどん発展させているのが、今のヨーロッパの都市である。日本は逆行している。この点は本当、面白い。
 ポーランドは2004年に欧州連合に加盟するが、それ以来、ワルシャワは経済発展を謳歌している。人口も1990年の166万人から2022年には186万人まで増えている。もちろん、この増加には、ロシア・ウクライナ戦争によるウクライナ難民の増加が寄与している。
 

タグ:ワルシャワ
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ワルシャワ行きの列車がキャンセルされた・・・がめげずに到着することができた [地球探訪記]

13時51分ベルリン中央駅のワルシャワ行きの列車が、出発10分前ぐらいに「キャンセル」のアナウンスがされた。10分前ですよ!ふざけてんなあ、と思ったけど、取りあえずキャンセル代をもらいにドイツ・バーンのインフォメーションセンターに行ったら、いや、コットブス行きの列車に乗って、フランクフルトで乗り換えればワルシャワ行けるよ、というので、え!そうなの!と思ったが、その列車の出発時間は1分後である。久しぶりに中央駅を本気で走りましたよ。エスカレーターのところも階段で走って登った。コットブス行きの列車は3分ぐらい遅れたので無事に乗れたのだけど、なんで特急列車のダイヤに後続の普通列車が追いつけるんだろう。って、まだフランクフルトに着いていないので、本当に追いつけるかも分かってないのですが。そもそも、コットブスに行くのにフランクフルト経由って、随分遠回りなんじゃないの?東京から高崎に行くのに、八王子経由で八高線で行くようなイメージなんだけど。あと、フランクフルトで乗り換えてワルシャワに行くというのは、東京から沼津まで東海道線で行って、そこで寝台特急「瀬戸」に乗り換えるようなイメージだ。こういうのって、普通のドイツ人でもすぐ分かるのかな?鉄道が普及している日本人でも難しいような気がするんだが。

などと考えているうちにフランクフルトに着いた。フランクフルトといってもオデールの方でマインの方ではない。ホームの隣にしっかりとワルシャワ行きの列車が待っていた。ということで、無事に乗ることができた。一応、指定席を確保しているのだが、そのまま指定の状況になっているのだろうか。まあ、これもそのうちすぐに分かる。

ワルシャワ行きの列車はがら空き。多くの人が旅行をキャンセルしたと思われる。私は3人掛けの真ん中、後ろ向きというほぼ最悪の席であったが、それは、これがほぼ満席であった、ということを暗示している。ちなみに指定席はそのまま有効であった。6人掛けのボックス・シートに私とアゼルバイジャンからの若者の二人だけ。

ワルシャワまでは5時間30分かかるのと到着時間で19時30分と遅いので、食堂車で食事をする。ポーランドの列車の食堂車はどうもキッチンがついているようで、そこで調理をするので美味いのだ、という情報をドイツの知人から聞いたからだ。果たして、鶏料理を注文したが、なかなか悪くなかった。いや、食堂車ということを考えると、相当美味しいかもしれない。ビールを呑んでほろ酔い気分になって、アベルバイジャンの若者と話をしていたらワルシャワに無事、到着した。時間通りである。

ワルシャワには以前、2009年に当時、住んでいたデュッセルドルフから夜行列車で向かおうとしたことがある。そして中央駅で列車を待っている時、ちょっとホームにある時刻表をみていた瞬間に、スーツケースが消えていた。まさに「マジック」という感じであった。それで、もうその時はワルシャワに行くのは断念して、真夜中に警察署に行って盗難届を出したという苦い思い出がある。スーツケースの中には、交換用のレンズが入っていた。あと、スーツケース自体がいい値段をした。ということで、なかなか縁のないワルシャワであるが、今回も列車が運行中止になった時は「またか!」と思わせられた。ただし、ホテルのキャンセル料がかかるので、本当、頑張って行くようにしてよかった。

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埼玉県の「子どもだけで留守番禁止」条例改正案からみる、議員の馬鹿さ加減 [都市デザイン]

埼玉県が「子どもだけで留守番禁止」などを含む虐待禁止条例改正案を出したが、県知事宛に送られた1007件の意見のうち、1005件が反対であったなどの猛反発を受けて、それを取り下げた。この改正案では次のことがらを虐待としている。「子どもだけで公園で遊ばせる」「子どもだけでおつかいに行かせる」「高校生のきょうだいに子どもを預けて外出する」。ちなみに、ここで子どもと定義されているのは小学校3年生以下である。
 これらがなぜ、虐待であるかが分からない。「子どもだけで公園で遊ぶ」、というのは私の子ども時代の素晴らしいよい思い出である。缶蹴りとか鬼ごっことか、似たような年齢の子と公園で楽しんでいた。ここに親というか大人が入ってくると、随分と水を差されたような気分になったものである。そこでつくられたのは子どもだけの世界で、そこで私は随分と社会化されたと思う。ドラえもんでのび太やジャイアンが空き地で遊んでいるが、埼玉県の条例ができたら、ドラえもんの物語も成立しないな。
次の「子どもだけでおつかいに行かせる」というのも、素晴らしくワクワクした体験であった。いわゆる「初めてのおつかい」・・・私は家のそばのパン屋におそらく幼稚園の年長ぐらいの時に行ったと思うのだが、その時は「親から頼まれた」という事実に意気揚々として、無事に買い物が出来て褒められた時は、大いなる達成感を覚えた。こういうハードルを一つ一つクリアしていき、子どもは徐々に社会化していくのである。このような機会を政治家が奪うのはとんでもなくけしからんことだと強く思う。
 三番目の「高校生のきょうだいに子どもを預けて外出する」というのは、ちょっと何が悪いかは不明だが、アメリカなどでは高校生の一番のアルバイトはベイビー・シッターである。この条例ができたらベイビー・シッターも出来なくなってしまい、高校生が気軽にできるアルバイトがなくなる。あと、子どもは高校生ぐらいの準大人が大好きだ。これらのお兄さん、お姉さんから子どもが多くを学ぶというのは、例えば世田谷区のプレイ・パークなどをみても明らかである。これじゃあ、埼玉県じゃあプレイパークも出来ないな。
 このように上記の3点をみても、まったくもって子どもにとってマイナスな改正案であるが、実際、これらが施行されたら親、特に母親はたまったものじゃない。こんな条例が成立したら、まともに働けないし、子どもがさらに負担となる。子どもを産みたい気持ちをさらに削ぐような愚策である。少子化が問題となっている今、むしろ、母親(父親も含む)の負担を減らすような政策こそ進めなくてはいけないのに、まったく逆行している。
 このような改正案を出そうとしている議員が多い埼玉県は、とんでもない自治体だなと思うのと同時に、そもそも、なんでこんな改正案が出てきたのだろうか。
どうもそのきっかけは、「保育園バスなどの置き去り事故が相次いだ」ことを受けてだそうだが、そうであれば、なぜ置き去り事故が起きたのか、また置き去りについての罰則を強化させればいいだけである。なんで、そういう発想にならないのか。
 また、改正案は自民党県議団でプロジェクト・チームを設置しまとめたそうだが、この58人のうち女性は3人だけである。この団長の田村琢実というのが、どうも首謀者に近いようだが、彼には子どもはいない。そりゃ、そうだ。子どもがいたら、こんな改正案がおかしいことぐらいすぐ分かる。1971年のさいたま市生まれ、ということだから、1963年に池袋のそばで私がしたような子どもだけの公園遊び、みたいな経験には乏しかったのであろうか。こういう遊びは意外と都会の方ができたりするから。ベイビー・シッターのようなアルバイトも高校生時代にしてなかったのだろうな。
 ちなみに、私は小学校4年生からアメリカのロスアンジェルスで暮らしていたが、よく友達と一緒にお姉さんにベビーシッターをしてもらっていた。彼女には母親はアルバイト代を渡していたと思おう。4つぐらい上で、子供心になんかうれし恥ずかしいような気持ちになった。自分も中学校一年の時に、ベイビー・シッターのアルバイトをしていた。まあ、知り合いの子どもと一緒にテレビを見たり、トランプをしたりするようなものであったが。子供たちには慕われていたのと、小遣いが少しもらえたので嫌な体験ではなかった。もちろん、アメリカと日本では一緒に出来ないが、このプロジェクト・チームでは、アメリカでは子供たちで登下校をさせない、という発言があったそうなのでちょっと付け加えさせてもらった。また、アメリカでは子供たちだけで登下校する場合はある。私はロスアンジェルスの郊外というアメリカでも自動車化が進んでいるところに住んでいたけど、登下校は歩いてたし、友達もそうだった。友達が家まで迎えに来てくれていた。そして、そのような傾向は歩いて行ける範囲で住んでいる児童は今でもやっている。もちろん、当時でも自動車で送ってもらう子たちもいたけど、それが100%ではない。ただ、アメリカは治安が悪いので、私も結構な頻度でカツアゲ少年とは出会う。私も結構、会った。しかし、それをうまく回避するために知恵を使ったことはその後の人生で多少は約に立っているかとも思う。基本、学校と家の間を歩くと、道ばたの花とか木とかと親しめるし、周りの人たちも知ったりする。私が都市に興味を持たせてくれたのは、この時の経験が大きいと思う。本当、親が放っておいてくれて、そういう面では幸せであった。
 このように考えると、このプロジェクト・チームのメンバーは、おそらく相当、頭が悪いと思われる。つまり、何が欠けているかというと、問題(この場合は、置き去り事故)が起きたことを受けた後の背景・要因の分析、そして、それらを解決するために何をすればいいのかの政策論での検討、である。田村団長のコメントなどをみると、彼に欠けているのは、上記の分析・検討をするための頭脳だけでなく、周りの状況をしっかりと把握しようとする謙虚さ、であると思われる。ただ、彼はプーチンではない。彼は公正なる選挙で選ばれている県会議員である。そのように考えると、その責は埼玉県にある。ダサいの語源が埼玉であることを思い出すような改正案であった。まあ、却下されてよかった。これは、母親はもちろんであるが子どもにとっても、とてもよかった。というかジェイン・ジェイコブスの本とか、ヤン・ゲールの本とか、拙著(『若者のためのまちづくり』岩波書店)などを埼玉県民は読んで欲しい。


若者のためのまちづくり (岩波ジュニア新書)

若者のためのまちづくり (岩波ジュニア新書)

  • 作者: 服部 圭郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2013/08/22
  • メディア: 新書



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ベルリンのアパート管理会社との行き違い [ドイツ便り]

ベルリンのアパート管理会社がいつまでも居住証明書を発行してくれない。これがないと住民登録できなく、住民登録できないと銀行口座も開けないし、保険にも入れない。いろいろと不便だし、そもそも入国してから2ヶ月以内にしないといけないものなのだ。既に市役所とはアポも11月中旬に入っている。アパート管理会社には、大学の同僚や秘書にもお願いして、書類をメイルで請求しているのだが、まったく埒があかない。電話をしてもらっても、電話にも出ない。メイルもなんかたらい回しにされて、しかもたらい回し先の担当の名前も連絡先も教えない。なんなんだ、この状況は。
 もう、しょうがないので大学の事務に苦情を言ってもらったら流石にビビって、もう既に渡している、と言う。いや、渡してもらってないから、ということも同僚や秘書、そして大学の事務の方々と共有して交渉したら、どうも、アパートの管理人が私に渡し忘れていたことが発覚した。もう、25日もこの管理人は書類をどっかに放っておいたのだ。めちゃくちゃ、けしからんな、と思ったのだが、わびの言葉は一言も無し。とはいえ、問題は一件落着です。とはいえ、これははじめの一歩にしか過ぎませんが、いろいろと大変です。
 こんな仕事が出来ない国と比べて、人口当たりのGDPが2/3の日本って何なんだろう、と痛切に感じますね。ただ、圧倒的に政治家のレベルは、日本は低いと思います。国のことより、自分、そして自分の選挙基盤のことばかり考えているからね。この経済がグローバル化している中、そういう発想だけで政治をしていたら、どんなに国民が優秀で頑張っていても、国の競争には負けることが、ドイツにいると痛切に感じます。
 

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ポツダムを訪れる [都市デザイン]

ドイツに来て4回目の日曜日。起床すると雨だったので、これはどこにも行けないな、と思っていたのだが、お昼頃から雨が止み、晴天ではないが、そこそこ明るいのでポツダムに行く。ポツダムは住んでいるアパートからシャーロッテンブルク駅まで地下鉄に行き、そこからSバーンに乗れば一本で行ける。私は、ベルリンの市内公共交通のAB区間の一ヶ月チケットを持っているので無料で行けるかと思ったのだが、ポツダムはC区間であった。その手前のヴァナゼーまではB区間だったのでちょっと残念だ。ポツダムまでは片道3.80ユーロであった。電車は10分おきぐらいに来るのだが、通勤時間並みに混んでいた。みんな、日曜日は森にハイキングに行ったり、ポツダムに遊びに行ったりするのだということを知る。
 郊外鉄道であるSバーンはベルリンの郊外住宅地であるグリュネヴァルトを過ぎると広大な森の中を走って行く。アウトバーンが並行に走っていて、しばらく駅もない。これは、ちょっとしたグリーンベルトのようなものかもしれない。
 さて、ポツダムは極めて変わった都市である。というのも、ベルリンという大都市の郊外都市として位置づけられているにも関わらず、ブランデンブルク州の州都であるからだ。州都であるのに、隣にベルリン州があってベルリン市があるために、なんか存在感が薄い。ちなみにポツダム市の人口は18万人ぐらいで、ベルリンの10分の1にも満たない。そのくせ、ブランデンブルク州では人口が一番多いのだ(というか、ブランデンブルク州の都市、小さすぎないか)。さらにプロシアの都であり、王宮は世界遺産に指定されている。都市としての歴史も1000年以上あり、新参者のベルリンに比べると古参である。そういう意味では、むしろベルリンより格が高い。地理的にもまったく平坦な湿地跡につくったベルリンに比べると、多少、丘陵があったりして、そういう意味でも豊かである。
 ポツダムに訪れるのはおそらく4回目である。2006年と2011年に訪れた時の写真は、私の写真ストックにあるのだが、もう一回、雨の中、ブランデンブルク州の役所に取材に訪れた時がある。このときは、ベルリンから慌てて自動車で往復したのと、また、雨が降っていたので写真をまったく撮影しなかったように覚えている。さて、ポツダムはいいイメージがまったくない。東ドイツ時代に建てられた集合住宅のプラッテンバウがポツポツと建っていて都市のオリエンテーションも分かりにくく、なんか陰鬱なイメージを抱いていた。もちろん、サンスーシ宮殿は流石にゴージャスだとは思ったが、それ以外にはいいイメージがなかった。今回、中央駅に訪れて驚いたのは、おそらく10年以上ぶりということもあるかもしれないが、相当、改善されている、というか見違えるようによくなっていた。前回、訪れた時に工事中であったものが、結構、具体化されたという感じであろうか。特に聖ニコライ教会の周辺のアルト・マルクト辺りは見違えるようである。トラムも東ドイツ時代のものが随分とアップグレードされたようで、都市に彩りを与えている。
 思っていたより随分と興味深く、今回は偵察という感じであったが、これからもう少し、しっかりと調査をしたいと思わせられた。今ひとつであったものを、都市デザイン、都市計画の力で改善させていく。この点においては、ドイツは優れているとつくづく思っていたが、それを強烈に再確認させてくれたポツダム訪問であった。

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ドイツの卵の不思議 [グローバルな問題]

ドイツの卵は美味しくない。いや、日本の卵はほとんど世界で一番美味しいので(唯一の例外はウェールズの卵。この記事を参照してくださいhttps://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2017-08-11)、その卵と比較するのは可哀想かな、という気もしない訳ではない。ただ、値段も6個で200円ぐらい(高いのだと350円ぐらいもする)と、結構、いい値段を取っている。何が違うのだろう。まず、気づくのは冷蔵庫に入れてないということだ。常温のところに置かれている。日本だと冷蔵庫に入っているので、これはちょっと気になる。いや、その日に売れればいいかもしれないが、売れなかった場合は、結構、傷みが早いのでは。いや、もしかしたらそもそも入れる必要がないのか。あと、黄身の色がレモンのような黄色であることだ。赤色の色素がまったく入っていないような黄色である。これは、高い卵でもそうだった。何が違うのだろう、鶏が違うのであろうか。まあ、まったく答えが分からない記事を書いてしまったが、問題提起ということで。

タグ:ドイツ
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子供の潰し方(無用なプレッシャーを与える) [教育論]

子供を育てるのは難しい。まあ、勝手に育つ、というのはあるかもしれないが、それなりに親の役割というものもあるだろう。親の役割の一つとしては、子供が育つためにいい環境を提供する、というものが挙げられる。例えば、小学校でいじめられるような環境にあったりした場合は、せっせと転校するなどして、子供が安心して暮らしたりするようにすることは重要な役割だと思われる。進学校だったり、有名校だったりに通っていて、子供がいじめられたり、いじけていたりしているのに、敢えて通わせ続けたりするのは愚の骨頂である。親の見栄のようなものを子供で満たそうとするのは厳に慎まないといけないと思う。
 まあ、そのような場合を除けば、そんなに親は頑張らなくてもいいかと思うが、もう一つ、無用なプレッシャーを与える、ということも避けた方がいいし、慎むべきことだと思う。極めて私事で恐縮だが、私の次女は弁護士に向いている性格をしていると思っている。実際、私自身ももめ事があったりすると次女に相談するが、私の妻などは就職相談までして、実際の志望書までも次女に書いてもらったりしている(そして、通ったりしている)。これは、次女が高校生ぐらいの時からそうだ。私も高校一年生の時ぐらいから、「お前は弁護士をやると、結構、顧客から感謝されて、いいと思うよ」みたいなことを言ったりしていたのだが、音楽をやりたい、ということで芸大に行ってしまった。まあ、それはそれで本人の判断でいいのだが、その話を高校時代の友人(といってももう還暦でお孫さんもいる)にしたら、「弁護士の試験はとても大変だから、相当、勉強させないと駄目よ」と言われた。いや、試験は大変かもしれないが、本人が弁護士になりたいと思わなければ、そんなことを言っても全く無駄だし、私が次女に言うようなことではない。しかし、おそらく彼女は子供にそういうことを言って育ててきたんだろうな、と思った。そして、そういう無用なプレッシャーを与える、ことはほとんど子供にとって百害あって一利なし、ということに気づいていないのだろうな(おばあちゃんになってまでも)と思ったりもした。
 私自身を振り返っても似たような経験がある。私は小学校に入る前ぐらいからバイオリンをやっていた。小学校5年生ぐらいの時は、結構な高級ホテルのロビーで四重奏とかを演奏したり、子供オーケストラのコンサート・マスターを務めていたりして、それなりにやれていた。しかし、母親の無用なプレッシャーに潰された。一つは、「ヴィブラートはとても難しいから、しっかりと練習をしてやらないと悪い癖ができる」というのと、もう一つは小学校6年生ぐらいの時に買ってもらったヴァイオリンが「100万円ぐらいする高価なヴァイオリンなので、死に物狂いでもうやらないとね」というものであった。素直だった小学生の私は、ヴィブラート恐怖症になってしまい、苦手意識が根付いてしまった。そして、母親の100万円という、今から思えば真っ赤な嘘(おそらく30万円ぐらいであったと思われる。ちなみに母親は病的な嘘つきであることがその後、判明するが、当時はまったく信じていた)によって、その100万円のプレッシャーに押しつぶされて、結局、中学に入ってしっかりとヴァイオリンに取り組むことを放棄してしまった。今から思うと、本当に勿体ないことをした。
 まあ、このような体験を振り返っても、子供に無用なプレッシャーを与えることはほとんどマイナスだと思う。子供は生来、ポジティブに生きようとする生き物である。それは、生きること自体、本来は楽しいことであるからだ。それを無用なプレッシャーを親が与えることで可能性をむしろ削ぐ。場合によっては潰してしまう。
 私の知り合いの弁護士は、皆、弁護士になろう、と自分が思ったからなっている人ばかりである。親が仕事として向いていると思って、勉強しろ!と言っても、そういうのは中学受験でも効果がない。親の役割としては、むしろそのようなプレッシャーを与えないようにすることこそが重要なのではないだろうか。ただ、プレッシャーを与えるのが好きな人はいるんだよね。そういう人は、親切心で言っていたりするので、なかなか質が悪い。流石に、私はそういうことを言われてもほとんど無視をするようになれたが、結構、若い時はそのような意見がマイナスに作用したことがあっても、プラスに作用したことはまずない。まあ、これは多少、私の性格も関係したかもしれないが。

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『石の花』 [書評]

これは凄すぎる漫画だ。こんな漫画が存在したことを今まで知らずに生きていた、というのが恥ずかしいくらいである。キング・クリムゾンのデビュー・アルバムを知らずに生きていたのが恥ずかしいのと同じぐらいのレベルであろう。その画力の凄さ、そして戦争という重いテーマを多面的に捉える秀でた構想力、そして読者をその世界に引きずり込むストーリー展開の面白さ。個人的には手塚治虫の『火の鳥』、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』と同じくらいのレベルの傑作、すなわち大傑作であると思う。特に、ウクライナで戦争が起きている今、この作品は読むべきである。本作品の素晴らしいところは、戦争を白黒の二元論で捉えていないことである。そこには戦争によってあからさまにされる人間の醜悪さ、気高さ、そして弱さと強さが描かれている。そして、それを通じて読者は戦争の悲惨さ、非情さを知るのである。第二次世界大戦のヨーロッパが舞台であるが、実は日本も同時代にまさにそのような戦争を侵略側としてアジアで展開していた。対岸の火事ではなかった、ということを意識して読むと、またいろいろと考えさせてくれる作品である。漫画という媒体の可能性の広さをも改めて知らしめるような驚愕の作品。死ぬ前に読むべきような大傑作であり、死ぬ前にしっかりと読めてよかった。


石の花(KADOKAWA版) 1 (青騎士コミックス)

石の花(KADOKAWA版) 1 (青騎士コミックス)

  • 作者: 坂口 尚
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2022/01/20
  • メディア: Kindle版





石の花 2 (青騎士コミックス)

石の花 2 (青騎士コミックス)

  • 作者: 坂口 尚
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2022/01/20
  • メディア: コミック




石の花 3 (青騎士コミックス)

石の花 3 (青騎士コミックス)

  • 作者: 坂口 尚
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2022/01/20
  • メディア: コミック




石の花 4 (青騎士コミックス)

石の花 4 (青騎士コミックス)

  • 作者: 坂口 尚
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2022/02/19
  • メディア: コミック




石の花 5 (青騎士コミックス)

石の花 5 (青騎士コミックス)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2022/02/19
  • メディア: コミック



タグ:『石の花』
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大都市圏の人口減少(2000-2014) [グローバルな問題]

世界の大都市圏の人口減少のランキングがどうなっているのか。2000年から2014年のデータでみてみると次のような結果となった。1位はニューオリンズの13.9%。これは2005年のカタリナ・ハリケーンによる自然災害の影響が大きいであろう。ルイジアナ州だけで1577人の死者を出したこのハリケーンは、ニューオリンズの都市を水没させ、その復興には長い時間がかかった。2位はボーフムである(12.2%)。ドイツのルール工業地帯のどちらかというと優等生のイメージのある都市だ。総合大学もあるし、小野伸二が在籍していたブンデス・リーガのチームもある。ただ、エッセンとドルトムントというより大きな都市に挟まれ、いろいろと難しいところもあるのかもしれない。それにしても、ちょっと意外な結果である。3位は韓国の昌原市(11.9%)である。人口は100万ちょっとで、韓国で11番目の人口を擁する都市だ。1970年代に韓国最初の計画都市として建設された。オーストラリアのキャンベルをモデルとしてつくられたのだが、キャンベルより遥かに大きな都市へと成長している。しかし、主要産業である造船業などが不振となり、韓国政府は産業・雇用危機地域に指定した。といっても、それは2018年の話だから、今のデータはもっと深刻かもしれない。そして4位がドイツのザールブリュッケン市(10.5%)。これは人口20万人にも満たない小都市なので、大都市圏人口という定義が果たして当て嵌まるのか疑問だが(そういう意味ではボーフムも同様である)、ここにランクインしている。そして5位がクリーブランド(9.4%)。この出所はOECDの研究者(Tamara Krawchenko, Jaromir Hainc)のペーパーなので、おそらく正しいとは思うのだが、若干、本当かなと思わせるところもある。データもとはOECDのホームページに公開されているので、今度、自分でも調べてみよう。

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都市デザインは問題解決のための手段である [都市デザイン]

ドイツのベルリン工科大学の客員教授として10月途中から働いている。同僚は結構、無愛想で教員で私に親しく話しかけるのは、私を招待してくれた教員を除くと二人しかいない。二人ともベルリン出身ではなくて、ノルトラインヴェストファーレン州からベルリンに赴任してきている。偶然かもしれないし、そうでないかもしれない。そのうちの一人は、今年度(10月)から教員として講義を受け持つようになった若いドイツ女性である。金髪で碧眼の目をしているところはドイツ人っぽいが、一般的なドイツ女性らしく肩幅は広くなく、そういう点では柔らかい好印象を与える女性だ。その彼女が、ちょうど今日、初めての講義をしたらしくて、興奮していた。
 そこでいろいろと先輩面をして話したのだが、「学生は早くデザインをしたくてむずむずしているけど、私はいろいろと制度面を教えなくてはいけない。その重要さをどうやったら伝えたらいいのか難しい」というので、「都市デザインは都市を創造するのではなくて、都市の問題を解決することだというのを教え込むのが必要だと思うよ」と言ったら、納得して「今度、そう言ってみる」と嬉しそうにしていた。まあ、ここらへんはドイツ人も日本人も共通にみられる課題であるが、デザインというと、みな自分の創造性に任せて勝手に絵が描けると思っている場合が多いが、建築ではなく都市を対象とした場合、それはあくまでも問題解決のための手段にしか過ぎない(いや、本当は建築もそうなんですけどね)。つまり、何が問題であるかを調査し、その問題点をしっかりと分析し、その解決手法をデザインする、という3段階の能力が必要なのだ。ここらへんは学生だけでなく、日本だと政治家とかも分かってなかったりするので、それは、自分のような人間の発信力が不足しているからだと責任を感じたりもする。
 まあ、今日は年寄りの客員教授として、少しは貢献できたかなと思ったりもしている。

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『蟻の兵隊』 [映画批評]

日中戦争時の日本の暗部を抉り出したルポルタージュ。日本は侵略戦争の歴史を隠蔽しようとして今日に至っている。私もそういう事実は知っているつもりであったが、この映画を観て、自分がいかにその実態をいかに理解していないかを思い知らされた。戦争がいかに悲惨であるのか。そして、このルポルタージュは戦争を侵略する側の痛みの方が、長期的には侵略される側より遥かに悲惨であることを分からせる。そして、戦争に行ったら、どんなに酷い目に遭わされたとしても、国の都合が悪ければ救ってくれず、トカゲの尻尾切りのように捨てられる。映像撮影や構成とかは、素人的であるが、このような貴重なコンテンツを映像に収めてくれたことは大変有り難い。ウクライナ戦争が起きている今こそ、観るべき映画であろう。日本人は、このような歴史の延長線上に生きていることを知っておくのは、国際的な関係をしっかりと構築しようと考えている人には必要不可欠であると思われる。特に、アジアの近隣とは。


蟻の兵隊 [DVD]

蟻の兵隊 [DVD]

  • 出版社/メーカー: マクザム
  • 発売日: 2008/07/25
  • メディア: DVD



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ベルリンの都市イメージと実態との乖離 [都市デザイン]

日本から知人がベルリンに訪れてくれた。それでベルリン観光に出かける。ルートは連邦国会議事堂、ブランデンブルク門、ホロコースト記念碑、ポツダム広場、アレキサンダー広場(テレビ塔)、ハッケシェ・ヘーフェ、そしてビアガーデンである。さて、この知人は初めてベルリンを訪れたのだが、特にテレビ塔からの景色をみて、イメージと全然違う、という。イメージと違って、高い建物がない、そして小さい、さらに緑が多いという。
確かに知人の指摘のようにベルリンにはドイツの首都、ドイツ最大都市としての風格のようなものがちょっと欠けていると思う。まあ、基本プロシア王国の首都だし、第二次世界大戦で結構、爆撃で壊されているし、戦後から45年間は東ベルリン、西ベルリンと分断されていたので、120万人の都市と210万人が合併して300万以上に膨れ上がっただけなので、もともとの都市集積はそもそもそれほど大きくない。市町村合併して、統計上は人口が増えても、その人口規模に見合う都市の魅力がなかなか伴わない日本の都市(例えばいわき市、高山市、仙台市)などと同じような状況にあるのではと推察される。加えて、大都市圏でみてもポツダムぐらいしかある程度の人口を擁する都市がない。大都市圏だとドイツ国内では、ルール都市圏の方が遥かに人口規模は大きかったりする(ただ、ルール都市圏も個々の都市は小さいので、いわゆるメトロポリタン的な魅力には欠いている)。
ということで、この統計数字に比べてベルリンの都市的魅力が欠いていることを、この知人の発言を踏まえて改めて確認したわけである。

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川喜田二郎『発想法』 [書評]

1967年に出版された大ロング・ベストセラー。私が1988年に就職した新入社員研修でも「KJ法」の研修がされたが、どうも今でもやっているらしい。確かに創造的なアイデア、企画をグループで考えるうえでは極めて有効な方法であると思われる。その民主主義的なボトムアップ型のアプローチは、民主主義下での問題解決法としては相当、優れているのではないかと思う。さて、本著であるが、6章からなる。まず1章はフィールドスタティ(野外科学)の特徴や重要性を述べている。そして2章ではその方法と条件などが述べられる。そして、その計画技法としてのKJ法について3章では述べられる。ここまでは非常に密度が濃い有益な内容となっている。しかし、4章の「創造体験と自己変革」では、日本人とアメリカ人の情報処理の仕方の違いとか創造性の違いとか、男女の違いとかが延々とエッセイ的に述べられており、その根拠も著者の思い込みであり、読んでいてガクッとくる。これまで背筋を伸ばして読んでいたので尚更だ。そして次は「KJ法の応用とその効果」であるが、これはその前の章よりはいいが、それでも、事例を箇条書きのように述べているだけで、3章までの迫力がなくなっている。そして、むすびになるのだが、実は最も読み応えのあったものは初版から20年ぐらい経って付け加えられた「あとがき」である。この「あとがき」は非常に参考となる有益な著者の知見が語られている。間違いなく必読本ではあると思うが、4章が玉に瑕である。


発想法 改版 - 創造性開発のために (中公新書)

発想法 改版 - 創造性開発のために (中公新書)

  • 作者: 川喜田 二郎
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/06/20
  • メディア: 新書



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大脳生理学の観点からも10歳以下から受験勉強をさせるのは意味が無い [中学受験]

川喜田二郎の『発想法』(改訂版)を読んでいたら面白い文章に出くわした。それは、著者が東京大学の大脳生理学の時実教授から話を聞いた時の話である。時実教授によれば、子供が、「自分の住んでいる町の歴史的発展を理解するなどのように、時間的にみて鎖状に前から後へつながる意味での関係認知能力ができるのは、じつに十歳以後である」という。つまり、話すとか文章をつくるなどの読み書きのように、ものごとを鎖状に論理でつないで理解する認知能力は十歳以上にならないとできない。時実教授は「したがって十歳にならない子供に、いっしょうけんめいに歴史の説明をしたり、ものごとの鎖状発展のことを説明しているのはバカをみているのですよ」と語ったそうだが、これを読んで、そういう意味では、中学受験の勉強もどんなに早くても十歳以後がいいのだな、ということに気づく。いや、私は本当、小学校6年生からでいいぐらいに思っているのだが、まあ、それじゃあどうしても抵抗がある人もどんなに早くても小学校四年生以降がいいだろう。というのも、算数の計算問題や国語の漢字を除けば、中学受験の問題は、「時間的にみて鎖状に前から後へつながる意味での関係認知能力」を必要とするものが、ほとんどであると考えられるからである。因果関係の理解である。脳がそのような能力を持った時に、集中的に勉強する体力を整えておくためにも、中学受験の対策はできれば半年、よくて一年ぐらいにするのがいいと確信的に思っている。もちろん、受験対策以外の勉強は、子供が勉強したければどんどんやらせていればいいとは思う。

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2023-2024年度のウォリアーズは強いぞ! [スポーツ]

NBAのプレシーズンが展開している。これまでウォリアーズは4戦して全勝している。レイカーズに2勝、キングスに2勝と、同じパシフィック・ディビジョンのライバルからしっかりと勝ちを奪っている。しかも、レイカーズの2戦目、キングスの両試合とも接戦をものにしている。キングスの二戦目などは後半18点差を逆転しての勝利だ。もちろん、プレシーズンは所詮、プレシーズンではあるのであまり期待をするのも禁物だろうが、昨年のウォリアーズは5点差以内での勝敗は9勝38敗であった。これは勝率2割を切るという、とんでもない勝負弱さであったのだ。これに加えて、飛び抜けて多いターンオーバー数は昨年度のチームのケミストリーの悪さを示唆している。そのような状況を考えると、プレシーズンとはいえ、ウォリアーズの勝負強さは驚きだ。ジョナサン・プールというシュート力はあるが、バスケIQが低く、状況判断が悪い若手を手放して、NBAでも最も高いIQを持ち、状況判断に優れる超ベテランのクリス・ポールを取ったことの効果が大きく現れているのではないだろうか。また、3年目のジョナサン・カミンガ、モーゼス・ムーディの活躍も目を見張らす。特にジョナサン・カミンガは4試合のうち、3試合がチーム最多得点で、3試合目が終了した時点ではNBAでも最多得点であった。フリースローの数も多く、ウィギンズとともにウォリアーズでは貴重な運動能力で得点を取れる(ファールをもらいフリースローで得点する)選手になりつつある。そして二年目の生え抜きの選手はすべていなくなったが、ルーキーのブランデン・ポジームスキー(19番目)、トレイス・ジャクソン・デイビス(57番目)は相当、いい。ブランデンは既にダブル・ダブルを連発しているし、トレイス・ジャクソン・デイビスもなぜ、彼が57番目まで取られなかったのかが不思議なくらいである。昨年の2人のルーキーとはエラい違いだ。
新しく入ってきたダリオ・サリッチ、ルーディ・ゲイ等がどれぐらい貢献するかはまだ分からないところがあるが、昨年の勝負弱いウォリアーズの姿は時期尚早かもしれないが、プレシーズンの4試合からはまったく見えない。というか、ベスト8に残った昨年と比べると、ほとんどの点において上回っている印象を受ける。
さて、一方でどうもウォリアーズは相当、過小評価されている。ウエスタン・コンフェレンスでも優勝候補はサンズかナゲッツ、そして三番手としてレイカーズが挙げられているような状況だ。ESPNやNBAのスポーツ評論家の誰もがウォリアーズを挙げない。ダークホースとしてクリッパーズ、キングス、グリズリーズと十把一絡げ的に入れられているのがせいぜいの所だ。お前等の目は節穴か!という気分でプレシーズンの素晴らしい活躍ぶりをみているが、ここで、私はウォリアーズの優勝を予測したい。もちろん、怪我が起きたりすると、ウォリアーズが優勝できる確率はガクッと減るが、私はサンズやレイカーズより上に行くと思っている。まあ、ベスト4は間違いないだろう。ベスト4に行かないシナリオは、その前にナゲッツと対戦した時だけかな、と思っている。もちろん、ナゲッツとウォリアーズのどちらが勝つかといったら、私はウォリアーズを押す。それくらい、今年のウォリアーズは強いと思う。あまり注目されていないのも、追い風だ。とはいえ、レギュラーシーズンの試合は序盤から勝ち続けるので、昨年のナゲッツのように、すぐスポーツ評論家の意見も変わると思われるが。

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ドイツの携帯電話を購入し、電話番号を開設する。 [ドイツ便り]

ドイツに一年間ほど済むうえで、気になるのは携帯電話代、そして、ネット代である。日本にいてもテザリングをしていると電話代が凄いことになる。海外では、どれだけ請求されるかが分からない。ということで、ドイツで携帯電話を購入し、ドイツでの電話番号を確保することを考えた。
 携帯電話の購入は簡単だ。ちょっと日本より高いのは気になるが、まあ、果物とアルコール飲料以外は鬼のように高いのでこれはしょうがない。問題はその後の電話番号の確保である。まずは通信事業者の選定である。ドイツの大手は、T-モバイル、ヴォーダフォン、それにO2である。他にも細々した小さな会社があるが、まあ、上記の3つから選ぶのが無難であろう。
 日本だと携帯各社(ドコモとかソフトバンクやauですね)と契約しなくてはならないが、ドイツでは必ずしも契約しなくてもよい。それじゃあ、どうするのかというとプリペイドSIMを購入するのだ。これは、上記の携帯会社三店舗のどれかで買うといい。ちなみに、スーパーマーケットとかでも、上記三者以外の会社のも含めて、SIMカードは売っているが、これらはカードを買っただけでは電話が使えるようにならず、アクティベートをさせなくてはいけない。自分でやれないこともないが、慣れてないと相当、面倒なので、大手の携帯会社のものを購入して、そこでアクティベートもしてもらうのがいい。
 私は同僚がO2推しだったので、O2に行ったのだが、なんとシステムがダウンしてしまっていた。そこで翌日、訪れるとまだダウンしたまま。翌週に行くと、今度はSIMカード自体が売り切れている、と言われる。なんだ、なんだO2。流石に酷すぎるな、と思い、若干、私の利用パターンだとO2のSIMカードがお得かなと思っていたのだが、このサービスの酷さはろくでもない、ということでT-モバイルのお店に入ったら、めちゃくちゃスムーズに携帯もアクティベートしてくれ、さらに携帯のセッティングまでしてくれて大変、助かった。O2とは雲泥の差である。なお、手続きにはパスポートとドイツの住所(これは特に免許証とか、そういう証明書は必要ありません)、それにメアドの情報が必要です。 
まあ、一年間しかいないので、出来れば解約とかが面倒臭そうな契約はしないに越したことはなく、このSIMカードでそこそこやっていけるのではと思っている。もし、またトラブったらこちらで共有したいと思います。

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ブロツワフの夕食 [地球探訪記]

ブロツワフの夕食は、これはポーランド料理だろうということで、市場広場のそばにあるコンスピラ(Konspira)に行く。ここは23時45分までやっているということで、他の多くの店が20時閉店であることを考えると嬉しい。さて、お店に行ったのは19時15分ぐらいだったのだが、15人ぐらいの行列ができていた。多少、躊躇したが本を持っていたのと、せっかくだからしっかりとしたポーランド料理を食べたいと思って列に並んだ。さて、前のカップルが二組ほど途中で脱落してくれたお陰で、それほど待たずに入ることができた。ただ、どうも一人で外食、というパターンがあまりないようで、「一人で座るところはないんだけど」と言われて、「展示物が置いてある机でよいか」とまさにガスマスクやコンピューターなどの展示物が置かれている机を指して、ちょっとこれは躊躇したが、まあいいや、と思ってそこに座る。どうも、お店に入って分かったのだが、ここはソ連共産主義に支配されていた時代の反共活動の歴史関連資料をも展示しているらしく、それ関係の展示のための机に座らせられたらしい。
 さて、机はひどいがサービスはそれほど悪くなく、500mlのビールと豚のネック・ステーキを注文した。それにピクルス、ジャガイモ、赤カブの煮物が出てくる。ソースはキノコソースである。さすが行列ができるだけあって、なかなか美味しい。というか、やはりドイツ料理よりは美味しいと思う。素材はほとんど同じだが、レシピがポーランドの方が、気が効いている。これは、以前からそう思っていたことだが、再確認する。
 なお、料金は2500円ぐらいか。支払いの時にポーランドではチップを取るのか、と尋ねたら、取るというので1割ぐらいでいいか、と言ったら嬉しそうに「いい」、と答えたので、ほぼドイツと同じ感覚でいいのかなと捉えた。

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<店の前には長蛇の列>

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<ネック・ステーキ。ドイツより美味しいと思う>
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ベルリン工科大学の学生の金銭事情 [ドイツ便り]

ベルリン工科大学の学部生と話しをした。授業料は学期で100ユーロ(1万6千円ぐらい)だそうだ。破格に安い!少し前までは300ユーロで、その代わりドイツ鉄道の域内フリーパスのようなものがついてきたのだが、ドイツ鉄道の運賃が値上げしたので止めたそうである。これに加えて、毎月500ユーロほど大学から支給されているので、大学の研究補助のようなアルバイトをするだけで、他にアルバイトをする必要もなく生活できるそうだ。恵まれているよなあ。勿論、ドイツには私立大学がほとんどなく、ほぼ公立大学ということもあるので、このような学費設定ができるのだが、人にお金をかけている。日本も、もう必要性がなくなった道路や、明らかに時代遅れになっている原子力発電所に拘泥してお金を使うよりも、人に投資した方がいいんじゃないかな。
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ポーランドのトイレ事情 [地球探訪記]

ヨーロッパの国に行くと、心配になるのはトイレである。というのも、トイレが有料である場合が多いからだ。なるべくホテルで済ませるのが好ましいが、そうでないと結構、苦労する。今回のブロツワフでも列車内のトイレが壊れていたので、駅でしようとしたら、ドイツと同じ有料であった。そのためにコインを両替するのは嫌だったが、クレジット・カードが使えたので、これは上手く回避する。さて、ブロツワフは10月中旬だと結構、冷えていて手袋なしでは厳しいくらいだ。つまり、トイレに行きたくなる頻度が高くなる。マーケット・ホールでちょっと自然に呼ばれたので、トイレに行くと、ここもコイン制だ。ここはクレジット・カードが使えない。これは不味いな、ということでトラムに二駅ほど乗って、ショッピング・センターに行く。ショッピング・センターであれば有料でもクレジット・カードが使えると思ったからである。さて、しかし、なんとショッピング・センターは無料であった。これじゃあ、人はマーケット・ホールでなくてショッピング・センターに買い物に行くな、と思う。街中を歩いていて公衆便所を見つけたが、これもコイン制であった。まあ、今回も前回もポーランドの一泊旅行では現地のお金を両替しなかったが、これからはしておいた方がいいな、とトイレの状況を考えて思わせられた。

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ドイツのサランラップは三流品以下 [ドイツ便り]

ドイツで生活をしていて、色々と戸惑います。ドイツには以前も住んでいたことがありますが、その時は奥さんと一緒だったので、生活全般のことは奥さんに任せていたので、自分ですることはありませんでした。そういうことで、結構、今回は新鮮なハプニングが多いです。その中で、やはりドイツと日本で商品のクオリティの違いとかで驚くことがあります。例えば、ドイツは流石に肉屋で売っている肉の質は高い。レバーペーストやソーセージとかは、本場ということもあって、これは流石に日本のデパートで売っているものよりもクオリティが高く美味しいですね。一方で、日本の方が全然いいものは、これは星の数ほどあると思いますが、凄い違いを感じるのはサランラップ(これは商標名ですね)です。私がドイツで購入したのはJa!という会社の商品なんですが、サランラップの伸び、そしてサランラップを切るところのカッターのような部分が本当に出来が悪く、不良品です。10倍の値段を払っても日本製のサランラップが欲しいです。是非ともドイツに輸出して欲しいものです。

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ブロツワフに行く [都市デザイン]

日曜日と月曜日にかけて隣国のブロツワフにまで行く。ブロツワフはポーランドの南西に位置し、人口67万人(2022年)のシレシア地方の中心都市であり、大都市圏だと100万人を越える。それは、オーデル川沿いに位置している。歴史的にブロツワフはシレシアの首都であり、都市としては1000年以上の歴史を有する。ベルリンなどよりもずっと古い。ただ、国は頻繁に変わり、ポーランド王国、ボヘミア王国、ハンガリー、ハプスブルク家、プロシア、そしてドイツと変遷した。そして1945年にはポーランドに属することになる。
ブロツワフは大学都市でもあり、学生数は13万人を越える。これはほぼ人口の2割だ。ブロツワフ大学はこれまでに9人のノーベル文学賞を輩出しており、その教育レベルの高さで知られている。ブロツワフは多くの歴史的ランドマークを擁しており、中央市場広場、ブロツワフ・オペラ座、大聖堂島、国立博物館、100周年ホールなどである。100周年ホールは世界遺産に指定されている。2016年には欧州文化首都にも選定されている。
歴史的には13世紀中頃にモンゴルの侵攻を受け、相当の破壊を被るが、モンゴルが去った後は、徐々にドイツ人が住むようになる。そして、13世紀以降はポーランドの重要な都市であるにも関わらず、ドイツの都市法が適用されるようになる。そして、1335年に350年間に及んだポーランド王国の同市における覇権は失われ、神聖ローマ帝国に属することになる。1387年にはハンザ同盟に所属する。15世紀にはハンガリー帝国に属することになり、1526年からはハプスブルク家の支配に入る。30年戦争ではスウェーデンとザクソンの支配下になる。1740年からはプロシアの支配下になり、反ナポレオン運動の中心都市となる。19世紀にはポーランドの独立運動の重要な拠点の一つとして位置づけられる。1871年にドイツ帝国が発足した時、ブロツワフは帝国内で6番目に大きな都市であった。1900年には既に42万人の人口を擁していたのである。当時の人口のうち98%がドイツ語をしゃべり、ポーランド語はわずか1.3%、残りの0.7%がバイリンガルであった。第二次世界大戦では、ドイツ側の極めて重要な防衛拠点となり、ソ連との激しい戦いの場となった。ドイツの大都市では、最後まで降伏しなかった都市で、結果、市街地の半分以上が破壊され、市民の死者数は8万人にも及んだ。そして、第二次世界大戦後のヤルタ会談で、再び、ブロツワフはポーランド領となることが決まり、本日に至る。
いやあ、なんか日本では信じられないような都市の話である。こうなると、もはや都市のアイデンティティの方が遥かに国のアイデンティティより重要となるであろう。というか、国のアイデンティティって何?みたいなことを強く考えさせられる。歴史に蹂躙された、と言えばそうなのだろうけど、それでも都市はずっと存続していく。都市としての独立性、自立性を強く考えさせられる都市だ。
さて、ベルリンからブロツワフには一日に一本だけ、直行便の特急列車が走っている。これはプシェミシルというウクライナ国境の町が終点の列車で、途中、クラカウやカトヴィッツなども通る。なかなか旅情溢れるが4時間以上かかるので、結構、退屈だ。ただ、ワイファイが通じるのでユーチューブで時間を潰すことができた。
ブロツワフ駅は、なんかアートヌーヴォー風の変わった意匠の駅である。市場広場はめちゃくちゃ規模が大きく、真ん中に市庁舎や建物が建っている。これは修復中であったがポツナンも同じような感じであった。ここらへんのスタイルなのであろうか。とはいえ、隣国のザクセンとかの広場とは違う。まあ、勉強不足なので適当なことは言えないが、ちょっとドイツ感はそれほどしない。ゲーリッツやコットブスなどとは共通点を感じるが。まあ、ここらへんはもう少し、勉強してから意見を述べたいと思う。
ホテルは95ユーロのところを予約したら、めちゃくちゃハイグレードであった。ドイツだと、もう100ユーロ以下はくそホテルという印象だったのだが、ここらへんは物価の違いを感じる。もう少し、安いホテルを予約しておけばよかったと反省する。

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<ブロツワフの素晴らしい市場広場>
タグ:ブロツワフ
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ポツナンの都市ノード [都市デザイン]

ポーランドのポツナンを訪れ、トラムの一日券を買って乗り回している。都市の実態を知るには安上がりで手っ取り早いと思ったからだ。さて、7号線というほぼ環状線のようなルートの路線に乗っていたのだが、気づいたのはラウンドアバウトがトラムにとっても重要な結節点というかノードになっているということだ。ノードは『都市のイメージ』を著したケビン・リンチも人々が都市をイメージするうえで重要な役割を担っていると指摘しているが、このノードはポツナンでは、おそらくランドアバウトになっているのではないかと推察する。実際、トラムは大通りと並行して走っている場合が多いので、ランドアバウトが乗換駅にもなるからだ。実際、ここの住民にポツナンのイメージ・マップを描いてもらったら、ラウンドアバウトを描写する人が多いような気がする。

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<ポツナン市東部にあるラウンドアバウト>
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ポツナンで餃子のような郷土料理「ピエロギ」を食す [地球探訪記]

ポツナンでの昼飯は、餃子のような郷土料理を食べた。結構、人気のあるお店で、店内が小さいということもあるが、相席で座らないと椅子がないような状況であった。ただ、ほとんどの客がポーランド語を話さず、拙い英語で会話をしていたので観光客に有名なお店かもしれない。ちなみに、お店の人は相当、流暢に英語をしゃべっていた。この料理はピエロギといい、まさに茹で餃子だ。ただ、皮は日本で食べる茹で餃子の方が美味しいと思う。中身はいろいろと異なり、私はほうれん草とフェタ・チーズ、マッシュルームとじゃがいも、鶏とターキーの3種類のものを注文した。サワー・クリームをトッピングで注文して、それにつけて食べた。なかなか悪くない。また、ここではサクランボの実がそのまま入っているチェリー・ソーダのようなものを注文したのだが、これは美味しかった。中央駅でもこれが売っていたら買おうと思っていたのだが、それは見つからなかった。また、機会があれば飲んでみたい味であった。改めて、ドイツよりポーランドの方が料理は美味しいな、ということを確認した。

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ポツナンで食器を購入する [地球探訪記]

ポツナンで、ポーランドの陶器屋を見つけた。ポツナンの「ハンドメイド」というブランドだ。ポーランドの陶器は有名だ。ちょっと女性っぽいというか可愛らしい意匠が施されている。私は基本、コスタ・ボダとか北欧系の食器が好きだが、現在、借りているアパートの食器が今ひとつなのと、北欧での食器を揃えると予算的に厳しいので、ポツナンで小さい皿、大きな皿、シリアル用のボール、それにマグカップを購入した。皆、同じデザインのものである。これで120ユーロちょい。2万円弱というところか。ちょっと前だったら現地で仕入れて日本で売ったら利益が出ただろうが、今だと厳しいかもしれない。

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ドイツについて3日目でクレジット・カードが使えなくなった [ドイツ便り]

ドイツについて3日目でクレジット・カードが使えなくなっていた。なんだ、なんだ。ということで、カード会社に連絡をすると、どうもカードの情報が漏れているらしく、オンラインで変な購入がなされているとのこと。家族のものに連絡しても、そのようなオンラインでの買物はしていない、ということでそのままブロックしてもらった。とはいえ、クレジット・カードが使えなくなるのは相当、厳しい。一応、再発行はしてもらったが、その送り先は日本の自宅である。オンラインでの買物はできるかもしれないが、店頭での買物やホテル等では使えないだろう。いや、ブッキング・コム等では事前支払いにすれば使えるか。まあ、幸い、これ以外のクレジット・カードが無いわけではないが、いやはやドイツ滞在3日目でこんな事件に遭うなんて、なかなか前途多難である。

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ベルリン中央駅から特急列車でポーランドのポツナンに向かう [地球探訪記]

水曜日から大学に顔を出さなくてはいけない、ということで、一泊二日でポーランドのポツナンに行くことにした。とはいえ、ベルリン中央駅を出発したのは16時ちょっと前なので、実質的には火曜日にポツナンを回ることになる。到着時間は18時30分ちょっと過ぎ。所要時間は2時間40分というところか。東京―大阪を新幹線で行くぐらいの行程だ。ポーランドは14年ぐらい前にデュッセルドルフに住んでいた時に、クラカウとアウシュビッツに行ったことがある。また、その時にワルシャワに夜行列車で行こうとして、デュッセルドルフ中央駅で時刻表を見ていたら、荷物を置き引きされて、結局、断念したことがある。カメラのレンズをいれたバッグを取られた。それ以来、ワルシャワには絶対、行かなくてはと思っていて、今回もワルシャワに行くことも考えたが、列車で片道5時間近くかかるということで、今回はポツナンだけにした。ポツナンはポーランド五番目の歴史ある都市ということで楽しみだ。
 列車は二等車。6人乗りのコンパートメントで指定席である。ベルリンから国境のオデール川まではパンケーキのように平らである。鉄道はベルリンの市街地はゆっくりとのろのろと走っていたが、市街地を抜けて森に入るとなかなかのスピードで走り始める。ベルリンの周辺は赤松が広がる。景色は単調である。
 小一時間ほどでフランクフルト(オデール)に着く。国境の町である。20年ほど前は結構、人口減少が激しかった都市だが、その後、ベルリンの再生とともに、ベルリンのベッドタウン的な位置づけでまた元気になってきた、という話を聞いたことがある。
 フランクフルトを過ぎ、ベルリンを発ってほぼ1時間でオデール川を越える。新幹線で渡る大井川や天竜川の方がはるかに迫力はある。川の流れは緩やかで、どんよりとして何か重い感じを見る者に与える。
 ポーランドに入っても相変わらず平らで松林が続く。たまに松の中に白樺が見えたりする。ポーランドに入って最初の停車駅はRzepinであった。ポーランド語なのでまったく発音が分からない。ただ駅舎の建築様式は明らかにドイツと違う。細かい煉瓦づくりの建物であり、煉瓦の色もサーモンピンクで、どことなくか弱さと繊細さのようなものを感じる。窓もドイツのように無骨だが機能的といった感じではなく、柔らかく隙間風とかを入れそうな印象を受ける。この駅のある街は大きいのか小さいのかが分からないが、ちょっと寂しい感じである。まあ都市ではなく町という感じである。人口は2万人ぐらいだろうか。
 車内放送もポーランド語になる。ただ森の様子はほとんどベルリン周辺と同じだ。ただ、道路がドイツと比べてずっと貧相になる。そして、踏切が増える。電線の鉄塔とかも貧相である。全般的にドイツの50年ぐらい前か、という印象だ。とはいえ、ここらへんは第二次世界大戦以前にはドイツ領土であったと思われる。ここらへんは、ちょっと勉強しないといけないな。
 次に停車した駅はSwibodzin。これもまったくどうやって発音していいかも分からない。ここも都市というよりかは町という感じである。都市的な施設などは見当たらない。森林が伐採された後に広大な農地がつくられたといったような景色の中を鉄道は走って行く。車窓としては、それほど面白くはないが、初めてのところなので興味は惹かれる。
ポーランドに入って三番目の停車駅はZbaszybek 。ここは多少は駅舎が立派であり、乗換駅でもあるようで、4階建てのビルが駅周辺にあったりする。工場と思しきものもあり、ここは都市的な産業がある程度、集積しているのであろう。
 だんだんとポツナンに近づくにつれ、太陽光発電をしているところが多くなってきた。まあ、ロシアに依存できなくなっているということも関係しているのかもしれない。
 そしてポツナンには時間通りに着く。周りは暗くなっているが、ベルリンと違って晴天である。



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ベルリンの公共交通事情(鉄道) [都市デザイン]

ベルリンは公共交通が相当、優れていると思う。まず、ネットワークが相当、細やかなのと駅間の距離が短いので、都心内であれば、どこでもほぼ地下鉄と鉄道で行くことができる。私は郊外というか近郊に住んでいるが、ここもしっかりと地下鉄駅が徒歩3分ぐらいのところにあるので非常に便利だ。さらに、運行頻度がよい。日中であれば4〜5分間隔で走っているので、ほとんど待つことでストレスを感じることはない。京都の京阪電鉄はもちろん、市営地下鉄よりも断然、便利である。駅間距離が短いので東京よりも使い勝手がよいかもしれない(スピードはその分、遅いがこれは都市規模がずっと小さいのでそれほどの問題とはならない)。このようなサービスが提供できるのは、採算度外視で赤字運営を前提としているからだ。とはいえ、それでも、料金は高い。初乗りが3.20ユーロである。大体500円ぐらいであろうか。これは円安といった問題もあるが、日本の初乗りに比べると相当、高く、一日4回ぐらい乗るともう2000円ぐらいになってしまう。これは堪らない、ということで一月チケットを購入した。これだと、ベルリンのAB地域(ほぼベルリン市の中心から近郊部)であれば、一ヶ月間どれだけ乗っても大丈夫だ。この料金が91ユーロ。大学での通学で一日あたり最低限6.40ユーロは支出するので、15日間大学に行けば元が取れる。結構、お得だし、何しろ、券売機でいちいちチケットを購入する手間が省けるのが何より、有り難い。ドイツの券売機はお札を受け入れなかったり、受け入れる機械でも5ユーロ札と10ユーロ札としか受け付けなかったりなどといろいろと不便だからである。あと、一度、購入すると、元を取ろうと公共交通を使うことになるので、出不精になるのを防ぐというような隠れた効果も期待できる。

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ベルリンで入居したアパートはジーメンズシュタットというジーメンズの企業団地であった [ドイツ便り]

10月6日にベルリンに到着する。これから一年弱というか11ヶ月ほど、ベルリン工科大学の客員教授として勤めることになったからだ。そこで、大学が斡旋してくれた業者を通じてアパートを借りた。場所はジーメンズダムという地下鉄7号線の駅のすぐそばにある団地群の建物の一つで、12階建てである。31㎡と相当、狭い。ベッドルーム兼リビングルーム、キッチンと洗面所+シャワールームという3室+玄関スペースという構成である。あとテラスもついている。日本人なのでバスタブは是非とも欲しかったが、そのような物件は残念ながらなかった。いや、高級ホテルでもバスタブがないドイツなので、ある程度は致し方ないが一年間、シャワーだけというのはなかなか厳しい。ただ、部屋の採光はよい。
 ベルリンは、20年前は空き家だらけで、ベルリン州立銀行も倒産したりして、本当、物価が安く、賃貸物件も安かったりしたが、今はまったく真逆。賃貸物件を探すのは難しく、見つけられたりしても馬鹿高かったりする。ということで、まあ致し方なく住むことになった訳だが、どうにかここで11ヶ月ほど生き延びていきたいと思っている。
 さて、この団地のある場所はその名前から分かるようにジーメンズが従業員向けにつくった企業団地であり、おそらく私が入っているところも昔はジーメンズの従業員(おそらく独身)が住んでいたところだと推察される。
 ジーメンズはベルリンのクロイツブルクが発祥だが、企業が大きくなるにつれ工場も拡大し、従業員も増えていき新たな大工場をつくる必要に迫られた。そこで、1897年にはベルリン郊外にあり当時は別の自治体であったシャーロッテンブルク地区の野っ原に土地を購入し、その二年後には工場が操業し始める。ジーメンズが購入した土地は212ヘクタールに及んだ。ここはジーメンズシュタット(ジーメンズの都市)と名付けられ、30年後の1930年頃にはここには65000人の従業員が働くことになる。
そして、ジーメンズは従業員のための団地を1905年からつくることになる。当初は、デベロッパーへ出資をするという役割に限定していたが、第一次世界大戦後の住宅不足に対応するためにジーメンズは1919年にジーメンズシュタット住宅会社(1922年にジーメンズ住宅会社に改名)を設立し、500戸数の住宅を提供することになる。これらはジーメンスシュタット住宅とよばれ、1930年代にはハイマート住宅が1000戸ほど賃貸用としてつくられた。
 ざっと調べたところは、こんな感じであるが、もう少し、ちゃんと調べて整理したいと思ったりもしている。その場合は、ブログではなく論文という形式で発表したいと思っているが。

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<団地の外観>

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<ベッドルーム兼リビングルーム>

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<ベッドルーム兼リビングルーム>

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<シャワー・・・とほほ>

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<キッチン>
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