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日本の農村はなぜ美しくないのか? [都市デザイン]

日本の農村が美しくない、ということで農林水産省はどうやったら美しい農村景観がつくれるかの政策を検討するうえで、なぜヨーロッパの農村が美しいのか、などの研究などをしていたそうだ。その話を聞いて、確かに日本の農村は美しくないよな、と思ったりもしたが、日本の農村景観は20世紀半ばぐらいまでは、世界でも最も美しい農村景観を有していた。それは、1964年にイギリスのランドスケープ・アーキテクトであるジェフリー・ジェリコーとスーザン・ジェリコーが著した『ランドスケープ・オブ・マン(Landscape of Man)』の写真を見ると明らかである(この本に関しては、このブログでも以前、簡単に書評らしきものを記している。https://urban-diary.blog.ss-blog.jp/2010-01-02)。この本は世界中の人がつくりあげたランドスケープを解説している素晴らしい大著であるのだが、世界中の農村景観の中でも最も私が、その美しさから感銘を覚えたのはなんと日本の農村景観である。
 つまり、日本の農村景観は、そもそもは美しかったのである。それを、戦後の経済成長下で醜悪にさせてしまったのであって、元々はヨーロッパの農村と比べてもまったく遜色がなかったのである。したがって、ヨーロッパの農村を研究することには、それなりに意味はあると思うが、ヨーロッパの農村の美しさの構成要素などを研究するのは、日本の農村を美しくするうえでは意味はないと思う。というよりかは、日本の農村がなぜ醜悪になったのか、なぜヨーロッパの農村は醜悪にならなかったのか、その背景となった政策や社会動向変化を比較研究することが重要なのではないか、と思うのである。
 基本、日本の農村を醜悪にさせたのは、公共施設や道路である。特に道路の問題は深刻だ。下にイギリス、ドイツ、日本の農村景観の道路の写真をアップするが、どうみても日本の農村の道路はオーバースペックで周囲と合わない。もちろん、日本でも大内宿などは道路からアスファルトを剥がして周囲の景観と合わせているので、日本人がそういうのに無関心ではないことは明らかだ。ただ、そういう工夫が大内宿などの特殊ケースに留まっているのが、欧州の農村などとの大きな違いであろう。日本の農村は美しくないのではなく、美しかったのを醜悪にしたのである。それは、昔の姿に戻した大内宿がその美しさを復活させたことからも明らかであろう。その点をしっかりと認識してもらい、間違っても、ヨーロッパ風の農村をつくるような愚を犯してほしくないものである。農村の美しさは、その風土の美しさである。風土をしっかりと理解することが、美しい農村をつくるうえでの最重要事項であると思われる。

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【ドイツ:バイエルン州南部の道路】

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【イギリス:ホーリーヘッドの道路】

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【日本:群馬県の上野村の道路】

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【日本:福島県の大内宿の道路(街並み)】
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