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ダナンという都市のつまらなさの背景を考察する [都市デザイン]

ダナンは人口規模からすると、ベトナム第五の都市である(2022年)。私はホーチミンとハノイを訪れたことがあるが、それらの都市が擁する混乱や無秩序はなく、整序だった印象を受ける。道路は広幅員で、一方通行であり、渋滞もあまり見られない。歩くのは暑いのと、都市スケールがヒューマン・スケールを逸脱して大きいので、なかなか辛いが、ハノイのように危険を感じることは少ない。また、都市の歴史のようなものが感じられない。都市の「魂」のようなものが、ちょっと歩いただけだが、感じられない。そして、そのせいか、とてもつまらない都市のように感じる。ベトナム版のシンガポールみたいな感じだ。なんで、こんなニュータウンのようなアイデンティティが感じられない都市なのか。
 そこで人口の推移を見てみた。ダナンは1950年には63000人しか住んでいなかった。現在は119万人なので、この70年ちょっとで19倍ほど人口が増加したことが分かる。都市としては急激に膨張したことが分かる。すなわち、大都市としての歴史をハノイやホーチミンのように有していなかったのである。日本の政令都市でいえば、千葉市のようなものだろうか。ただ、その千葉市でも1950年には13万人以上の人口を擁していた。そのような背景から、大規模な道路などを新都市のようなノリで整備することができたのであろう。
 都市を都市たらしめている大きな要因は、人口規模である。しかし、人口規模が大きくなれば、都市になる訳ではない。そこには人口が集積することによっての交流、情報の交換などによって新たな価値を生み出すことが必要となる。そして、そのためには時間の積み重ねが不可欠である。ダナンにはこの時間の積み重ねが圧倒的に少ないのではないか。それが、この都市のつまらなさの背景にあるのではないか、と考察した。
 

タグ:ダナン
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ダナンは韓国人にとって、ドイツ人のマジョルカ島のような場所になっているようだ [都市デザイン]

ダナンに来ている。ダナンには多くのハングル語がみられる。多くの店がハングル語の看板を掲げており、韓国人向けの焼き肉屋店のようなお店も多い。なんで、こんなにハングル語が氾濫しているのか。学会で一緒になった韓国人の先生に尋ねてみた。すると、韓国人にとってダナンを始めとしたベトナム全般の観光地が人気となっているようだ。ここ10年間ぐらいのことらしい。どうも、韓国人からすると、ベトナム人とは気性が合うようで、とても居心地がいいらしい。それは、多くのドイツ人がスペインのマジョルカ島に行くようなものですね、と言うと、そうそう、と反応した。
 韓国人とベトナム人の気性が合うというのは、ちょっと新鮮な意見ではあるが、日本人にとっての沖縄、サイパン、グアムのようなものなのかもしれない。韓国には、そういう亜熱帯のリゾートはないので、ダナンは需要に合うのかもしれない。とはいえ、ダナンも10年前はこんなに韓国人にとっての人気リゾートになるとは思わなかったであろう。まあ、ニセコもちょっと前までは、今のようにオーストラリア人に人気が出るとは思わなかったであろうから、ここらへんの観光の国際マーケットは結構、興味深い。

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ハノイの旧市街地を訪れる [都市デザイン]

ハノイに来ている。というか、本当の用事は翌日にダナンである学会の参加なのだが、その前にハノイの都市計画を調べに一日滞在できるようにスケジュールをセッティングしたのである。日本の都市計画学会を通じて、ベトナムの都市計画学会にアポの依頼をしたのだが、ガン無視された。私は結構、司会等の仕事もするのだが、腹が立ったのでドタキャンをしたいくらいの気分である(いや、出来ませんと返事をくれるだけでもいいのだが)。とはいえ、日程は抑えてしまったので、とりあえず旧市街地に行く。ハノイは初めてだ。ホーチミンには二回ほど行ったことがあるので、そことの違いとかも感じられるかなと期待もしていた。
 さて、ハノイはオートバイに溢れていた。そして自動車も多い。正直言って、カオス状態である。これはホーチミンでも経験済みだが、もう20年以上も経っているのだが、相変わらずのオートバイの氾濫状況にちょっとびびる。旧市街地は道路幅が狭く、立派な街路樹が都市の森のような状況をつくっており、とてもアーバニティに溢れている。とても空間的にはヒューマン・スケールで素晴らしい。しかし、歩くための空間がなく、歩くのに本当に一苦労する。歩道はあるのだが、歩道空間はお店の売り物が置かれていたり、カフェのイートインのための椅子や机が置いてあったりする。そして、それらが置かれていないところはほとんど隙間がないようにオートバイが置かれている。結果、車道を歩かなくてはならない。歩道が歩道として利用されていないのだ(一部、例外的に歩けるところもある)。せっかくのアーバニティ溢れる素晴らしいヒューマン・スケールの空間がまったく台無しだ。というか、台無しだけならいいが、いつオートバイや自動車にはねられるかもしれなく、命が危ない。基本、河のようにオートバイは常に流れているので、この狭い道を横断することが命がけになる。さらに、一方通行のような気もするのだが、自動車はともかくそれを無視するオートバイが多い。交差点には信号がないのだが、たまにある。信号もいわゆる日本の左折(こちらでは右折になる)はどうも信号を無視していいのか、またそもそもオートバイは信号無視も多いので、それほど役には立たないが、それでもあった方が安心する。信号が有り難いと思ったのは生まれて初めてかも知れない。
旧市街地は「ハノイ36通り」とも呼ばれている。ここは、ハノイに都がおかれていた11〜19世紀にかけて商業地区として栄え、空間的にも機能的にも今日まで伝えている。同じ職種の工房や店舗が通りごとに集まり、通りごとにその性格が異なっていて興味深い。例えば、トゥオックバック通りは金物、ハンティエック通りはブリキ製品、ランオン通りは漢方薬などである。集積の経済の効果を経験的にもしっかりと理解していたということだろうか。この地区は都市計画的にも、保存地域に指定されており、許可無く取り壊しや建替ができない。これが、個性的な街並みを維持できている大きな要因であろう。
空間的にも、その豊穣なアイデンティティの維持といった点からも素晴らしい場所であるにも関わらず、モビリティのコントロール、特に歩行者の動線をしっかりと確保できていないことで、その魅力が十二分に発揮できていない。これらハノイ36地区から自動車をほぼ撤退させ、オートバイが通れる道を限定し、そして、それ以外を歩行者空間地区にすれば、この地区は素晴らしい空間としてさらに魅力を発現するだろう。それこそ、コペンハーゲンのストロイエに双肩するような都市空間になれる(もしかしたら上回れる)ようなポテンシャルを有していると感じる。それだけに、現行の状況はとてももったいないと思う。

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<歩道はあるけど、そこはオートバイが駐輪されていたり、お店の延長の机や椅子で人々が食事をしたりして歩けない。結局、危険を冒しながら車道を歩かなくてはいけない>

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トランクルームは上手く使うとなかなか便利だ [都市デザイン]

トランクルームを初めて使ってみた。それまでは、トランクルームを使わなくてはいけないほど物を買うなよな、みたいな気持ちだったのだが、秋からベルリンに一年ほど行くことになり、急遽、京都で借りていた賃貸長屋から引っ越すことになった。家具を置くための算段をしていて、同僚や研究室の学生の家に置かせてもらおうかと考えたが、なかなかそれも迷惑をかけることになるな、と思い、トランクルームを使った方がいいだろうと判断したのだ。
 さて、トランクルームもいろいろとあることが分かった。京都を縄張りに営業している某不動産会社のトランクルームが自分の賃貸長屋の目の前にあるので、そこを借りようとして電話で問い合わせをしたら、申込書を送って欲しいと言う。面倒臭いな、と思いつつ申込書を記入しようとしたら、保証人の情報まで要求してくる。たかが、月1万円もしないようなトランクルームの契約に保証人を要求してくることや、電話で連絡してから申込書がメイルで送られるのが遅かったので、全国展開しているハローストレージの在庫をネットで調べたら、やはり賃貸長屋のすぐそばにあった。しかも、これはそのままネットで契約を結べることが分かり、遥かに簡単な手続きで済むのでそこを予約した。予約した日の前日には鍵が宅急便で届く。1畳ちょっとではあるが、ベッドのマットレス、ベッド、冷蔵庫、食器棚と布団類をすべて入れ込むことができた。屋内であり、環境もそれほど悪くなさそうだ。
 ということで、なかなか使い勝手がよさそうで今のところ満足である。東京の実家も荷物が多く、どう処分するか考えなくてはいけなかったのだが、これもとりあえずトランクルームに入れることを前向きに検討したいと考えている。いやあ、思ったより便利な土地の使い方かもしれない。

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都市の魅力と『パタン・ランゲージ』 [都市デザイン]

1980年代頃、都市の論客として巨大な存在感を示したクリストファー・アレキザンダー。彼は『パタン・ランゲージ』という概念を提示し、「都市はツリーではない」という名言を広げます。私は1993年から3年間、カリフォルニア大学のバークレイ校に留学しますが、バークレイ校に惹かれた理由の一つとして、クリストファー・アレキザンダーがいたことが挙げられます。彼のゼミにも応募して、無事、入り込むことができますが、3回だけ開講すると、個人の都合で勝手に中止されました。まあ、そのことを書くと、話が進まないので、それはまたの機会に置いておきたいと思いますが、このクリストファー・アレキサンダーはパタン・ランゲージにおいて、「都市の魔力(マジック)」という言葉を用いて、都市の魅力を論じています。彼によれば、「都市の魔力」を生むのに必要なものは、大学、美術館、図書館、動物園、交響楽団、日刊紙、AM/FM放送局、高級宝石店、毛皮店、流行に強いブティック、などを挙げています。
 これを読んだ方は、このリストに対してどう思いますか?ちょっとは納得するけど、あまり納得しないのではないでしょうか。凄く魅力に寄与するなというのを+++、そこそこ寄与するかなというのは++、まあ、無いよりはましかなは+と評価すると、+++であるのは「大学」ぐらいかな。++としては「美術館」「図書館」「動物園」「日刊紙」はそうは評価できると思いますが、他のほとんどは+。というか、個人的には「交響楽団」「高級宝石店」「毛皮店」はいらない。
 じゃあ、何が魅力として必要なのかを考えると、もうこれは圧倒的に「飲み屋」、それも「いい飲み屋」です。美味い寿司屋があると嬉しい。あと、いい酒屋、珈琲豆焙煎店、豆腐屋、コンフェクショナリー。スーパーと差別化できるクオリティの、肉屋、魚屋、八百屋。銀行と郵便局は近くにあった方がいい。金物屋や園芸店、文房具店、本屋もあるといいです。さらにライブハウスがあると嬉しい。交響楽団はいらないけど、いい箱があると有り難い。レンタル・スタジオがあるといい。また、コミュニティが集えて、ちょっとした会合などができるようなカフェ、もしくは市民菜園みたいなものがあるといい。同じ趣味を持つ人が集い、交流できるような場があるといい。それと快適な散歩ができる緑道や公園などもあると有り難い。
 それと余裕があれば、プロスポーツ・チームがあるといいかもしれない。個人的にはそういうところには滅多に行かないが、その都市での話題づくりにもなるし、気持ちが一つになりやすい。
 ということで、クリストファー・アレキザンダーと自分とで随分と都市の見方が違うことに気がつきました。クリストファー・アレキザンダーは一般的な都市づくりの「言語」として「パターン・ランゲージ」を提唱して、それはそれで興味深い指摘だったかとは思いますが、彼の使う言語は「アレキザンダー語」であって、普遍的ではないことがこの一事例でも理解できます。このアレキザンダー語が普遍的な言語でないのと同様に、建築も都市もその場所、時間、そこで息づく人々によって異なり、そこに普遍的な一般性はない。アプローチとしては興味深いものがあるが、民主的なアプローチが必ずしも万人に受け入れられる魅力的な都市をつくれる訳ではないことも、この一例は示唆していると思います。
 むしろ、ドイツのIBAのエムシャー・パークのようなアプローチの方が有効ではないのか、と思います。つまり、設問を提示して、それを多くの人が市民参加的なワークショップではなく、それぞれが思考を深化させることで解決を見出すというプロセスです。
最近、『パタン・ランゲージ』を高く評価する私よりずっと若い都市デザインの研究者と話をして、ちょっと違和感を覚えたので、少し、考えをまとめてみました。

パタン・ランゲージ―環境設計の手引

パタン・ランゲージ―環境設計の手引

  • 出版社/メーカー: 鹿島出版会
  • 発売日: 1984/12/05
  • メディア: 単行本



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都市計画的には道路は川のように考えるべきだ [都市デザイン]

都市において川は空間を大きく分断する。その両岸を繋げるためには橋が必要である。道路も同じように空間を大きく分断する。大きな川がその分断する力が強いように、大きな道路も分断する力が強い。そのような橋の両側を繋げるために重要な役割を担うのが橋である。同じように道路の両側を繋げるためには橋のようなものが必要である。ただ、ここで川と道路の大きな違いは、川と岸は同じ高さではないので、川に架かる橋は地表とほぼ同じ高さで済むということだ。道路は、ほとんどの場合、地表と同じレベルにあるので、橋を架けようとするとその分、上り下りをしなくてはならない。これは、大変、不便であるだけでなく、体力的にも苦痛である。高齢者や怪我をしている人、乳母車を押す人にとってはとても辛い。
 ただ、川と違って、道路には信号というものを設置することができる。横断歩道という線を引けば、それを渡ることができる。これによって、道路の分断する力を和らげることができる。そして、これは都市の賑わいをもたらすうえでは極めて重要なのだ。なぜなら、都市の魅力は「集積の経済」によって、つくりだされるからであり、これは分断させずに集めれば集めるほどいいからである。下北沢や自由が丘に多くの商店が集まって賑わいが生み出せているのは、それを分断する致命的な大通りがないからだ。逆に明大前、中目黒とかがその利便性に比して今ひとつなのは、大通りによって分断されているからだ。私が住んでいる都立大学が隣の学芸大学に比べると、おそろしく今ひとつなのは急行停車駅かどうかという話ではなく、目黒通りという大通りによってその集積が分断されてしまっているからだ。
 さて、そのようなことを考えている時に名古屋を訪れる機会があった。金山駅や日比野駅の周辺をうろうろとしたのだが、ここらへんは高速道路のような大通りが街を分断している。そして、500メートルぐらいこれらの通りが横断できないようにしている。なんて、人に優しくない都市なのだろう。日本の都市は比較的、人に優しいのだが、この不親切さはヨーロッパでも寡聞にして見たことがない。ブラジリアとかアメリカの都市だとあったりするが、公共交通がこれだけ発達している名古屋のような都市で、この酷さは驚いた。これじゃあ、歩きたくても自動車に乗るしかない。高齢者には本当、辛い都市なのではないだろうか。私はこの都市には住みたくない。

タグ:名古屋 道路
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レルネルさんと車 [都市デザイン]

クリチバ市の元市長であったレルネルさんは、いろいろと自動車について興味深い発言をされてきた。「自動車は都市のコレステロールである」、「自動車は姑のようなものだ。やっかいだが縁を切る訳にはいかず、付き合っていかなくてはならない」などである。
 さて、しかし、BRTを発明したレルネルさんが、どのような自家用車を保有していたのかは今まで尋ねることもしなかったし、彼が自家用車の話をしたことは一度もない。ただ、バスのネットワークが充実しているとはいえ、ブラジルの都市、クリチバである。さすがに自動車を保有しているだろう。ということで、今回、彼の次女のイラーニャさんと話をする機会に恵まれたので、そこらへんを知ることができた。
 レルネルさんの自家用車はアルファ・ロメオ。おお、やはり腐っても市長、州知事だ。高級車に乗っていたのだな、と思ったら、イラーニャさんが、そのニックネームは「腐敗物」(Rotten)と言うではないか。どうも、このレルネルさんのアルファ・ロメオは中古車らしくて、あまりの酷さに奥様が付けたニックネームだそうだ。アルファ・ロメオというと日本だと高級車というイメージだが、ブラジルだとそれほど有り難い車ではないのかもしれない。しかし、有機物でもない自動車なのに「腐敗物」という渾名が付けられるとは、どんな車なのか。ちょっと興味が湧く。
 ちなみに、そんな感じであるから、子供たちの車もおそろしく安い中古車しか買ってくれなかったそうだ。イラーニャさんは、お姉さんのお下がりをもらったので、もう本当に友達に見せるのが恥ずかしかったそうだ。しかし、そんなぼろ車なのに(というか、ぼろ車だからか)4回も盗難されたそうである。あまりにも盗難されるので、警察も4回目の盗難時は「まさか、また盗まれたんじゃないよな」とイラーニャさんの顔を見たら言ったそうである。さて、しかし、その話を私と一緒に聞いていたレルネルさんの市長時代に環境部長を務めた中村ひとしさんの長女のサンドラさんは「私は6回盗まれましたよ」と言ったので、またまた驚き。ちなみに中村ひとしさんも、レルネルさんも自動車は一度も盗まれていないので、盗まれ癖というのはあるかもしれない。
 サンドラさんは、一度は、友達の家に行き、自動車から降りようとしたら、自動車泥棒に銃口を頭に突きつけられて、車に戻れ、と言われたことがあるそうだ。彼女は強く拒否して抵抗し、友達のマンションの守衛が現れたすきをみて逃げ出し事なきを得たのだが(というか、その後、友達と一緒に自分の車に乗って逃走した泥棒グループを追いかけた)、なんかブラジルで生きることは日本と本当、危険度のレベルが半端ないなということを、こういうエピソードからも思い知らされる。
 まあ、話が逸れてしまったが、レルネルさんはやはり自動車をそんなに好きじゃないんだな、ということを知る。
 ちなみに、私も「自動車に乗らない贅沢」などと宣っていたが、京都に大学を移した時に生まれて初めて55歳で自動車を買った(それまでは父親が亡くなった時、彼の車を相続したりしたことはある)。ミニだ。まあ、ほとんど使わないが、バンドの練習(エフェクターが重いので)、京都と東京間で荷物を運ぶ時と、山登り、スキー(一年に一度行けるかどうかぐらいだが)では使っている。

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ジャイメ・レルネル氏の次女のイラーニャさんと故人を偲ぶ [都市デザイン]

ジャイメ・レルネルさんの事務所を訪れ、次女のイラーニャさんとお会いする。会うのは初めてである。中村ひとしさんの長女のサンドラさんに同行していただいた。ジャイメさんは2021年5月27日に亡くなられたのだが、亡くなられる半年ぐらい前から体調が優れなくなっていた。イラーニャさんに言わせると「病気のショッピング・センター」。コロナがきっかけで亡くなったというのは事実のようだが、コロナに罹患した後は一時期、回復したそうだ。ただ、腎臓にダメージが及んだようで、その悪化で亡くなられた。ただ、亡くなるまでは本当、眠ってばかりであり、亡くなる時も眠りながら永眠されたそうだ。敬愛している人の最期のお話を聞くのは悲しくて辛いが、一方で救われた気持ちにもなる。亡くなられて1年半が経ち、ようやく私もお送りすることができた気持ちになる。
 さて、せっかくの貴重な機会であったので、私が長年、疑問として抱いていた「なぜ、政治的なコネクションもないジャイメ・レルネル氏が34歳という若さで市長になれたのか」ということをイラーニャさんに尋ねてみた。その回答は次の通りである。
 ジャイメ・レルネル氏はパラナ大学の土木工学科を卒業するが、その後、同大学に建築学科ができる。そこで、建築学科に入り直すのだが、教員が不足していたため、学生をしながら教員をするようなことをしていた。そして、その頃、サンパウロの都市計画コンサルタントがクリチバ市のマスタープランを作成するので、それを手伝ってくれとジャイメ達にお願いする。そして、一緒にマスタープランを作成するのだが、内容が気にいらなかったジャイメ達は大幅に変えてしまう。そして、そのマスタープランの提案としてつくられたIPPUC(クリチバ都市計画研究所)の初代所長となる。
 そして、1971年にクリチバの市長にパラナ州知事によって任命されるのだが、その当時の市長は軍事政権下であり、あくまでもトップダウン。いつ首になってもいいような位置づけであった。イラーニャさんによれば、マスタープランの作成をし、IPPUCの所長であったジャイメを市長に任命するのは、市長の重みが軽い当時としては、それほど不思議ではないと言いつつ、このマスタープランを一緒に作成したレルネル氏より年輩のフォーティナイト氏は、この人事が随分と面白くなかったようだ。それから、ほぼ絶縁をして、レルネル氏と付き合うことはなかったと言う。このフォーティナイト氏は、自分が市長に任命されると確信していたそうで、レルネル氏が任命されたのは想定外であったそうである。なぜ、フォーティナイト氏ではなくて、レルネル氏なのか。それは、州知事との相性だったのではないか、というのがイラーニャさんの推察である。ちなみに州知事も任命制なので、こういう首長的ポストは現在とはまったく違う、ということのようである。
 他にも中村ひとしさんとの凸凹コンビの話、レルネルさんの日本での思い出話、ぼろい中古車しか買ってくれずに恥ずかしい思いをした話などをしてくれた。改めて、ジャイメ・レルネル氏と知り合ったことが自分の人生にとっていかに貴重で有り難いことであるかを確信するような一日であった。

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宇都宮のライトレールの反対派のタクシー運転手と話して考える [都市デザイン]

宇都宮での飲み会の後、JR駅のそばにあるホテルまでタクシーで戻る。タクシーの運転手さんに「来年、いよいよライトレールが開通しますね」と話しかけると、「あんなものが開通して喜んでいる市民はほとんどいない」と言う。そして、畳みかけるように「船田さんも責任取らないとな」という。そこで、「船田さんって、作新学院の船田さんですか」というと、「そうですよ。作新学院までライトレールを延ばすなんて、アホなことを言っている」とだんだんエキサイトしてくる。「でも、ライトレールができるとやっぱ便利なんじゃないですか」と尋ねると、「俺は北側に住んでいるのでまったく利用しない」と答える。そして、「もっと福祉とか教育とかに税金を使うべきだ」と言う。

都市計画学会の大会では、ほとんどみんながライトレール支持派であるので、そういう反対派の市民の声を聞いたのはちょっと新鮮であった。しかし、それにしても公共交通への理解がここまで低いというのは残念である。まあ、タクシーの運転手さんなので、公共交通の利便性が高くなると仕事が減るかもしれないので、そこはちょっと一般市民とは立場は違うかもしれないが、ライトレールによって自動車からモード転換が起これば、道路渋滞は緩和される。これは、自動車利用者にとってもプラスで、北側に住んでいてライトレールを使わない市民にもメリットにはなる。ポートランドがライトレールを整備する時は、都心部の東側の道路渋滞の緩和を強く訴えていた。渋滞緩和はタクシー運転手さんにはプラスになると思うのだが、違うのか?少なくとも利用者にはプラスになるので、利用者も増えると思うのだが、ここらへんは私が間違っているかもしれない。特にある時間帯に交通需要が集中する大学などの学校機関にライトレールを整備することは、理に適ってはいる。特に大学生の多くはまだマイカーなどを所有していないので、公共交通に依存する確率が高いので有り難いだろう。地方大学は圧倒的に東京などの大学に比べると競争力を失っているので、こういう通学の利便性が高くなることで、少しでも学生を地元に残すことができれば、地域にとってはプラスになると思うのだが、どうだろうか。

とはいえ、鉄道系はネットワーク化して始めて利便性が高まり、利用者も増えていく。大赤字であるとはいえ、ポートランドは空港とか結ぶ路線も整備するなど、ネットワーク化を進めることができたので、多少、利便性も高まって利用者も増えている。宇都宮市はポートランドとほぼ同規模の人口を有している。それこそ北側とかにもネットワーク化を進めるべきであろう。宇都宮動物園まで結ぶ路線なども考えるなどしてもいいかもしれない。

これは東京の地下鉄で銀座線だけしか走っていなければ、あまり人が利用しないということと同じだ。ネットワーク化するところまで持って行ければ、それなりに社会基盤としての有用性を持つようになると思われる。ただ、そのためには現行のような高規格(おそらく、世界で一番高規格なライトレール)ではなく、もっと安くつくるようにして、そして、丁寧にその有用性をこのタクシー運転手のような反対派に説明していくことが必要となるであろう。とはいえ、ポイントは高齢者ではなく若者だ。若者に支持者を増やしていくことが何より重要だと思われる。

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宇都宮のライトレール関係のシンポジウムに出席して、その将来に不安を覚える [都市デザイン]

宇都宮のライトレールが来年、開業する。宇都宮駅の東口の再開発事業も先月、まちびらきをした。ということで、宇都宮は盛り上がっていて、都市計画学会の大会も宇都宮市で開催される。そして、大会の初日にシンポジウムが開催された。基調講演の古池弘隆先生は、流石、その深い知識、まちづくりのそれまでの長年にわたるコミットメントから、大変、いいお話を聞くことができた。古池先生、もう82歳とかだと思うが、まったく衰えを感じさせず、その説得力のある話には引き込まれた。そして、古池先生なくして宇都宮にライトレールがつくられることはなかっただろう、ということを改めて確認した。
 しかし、その後のパネル・ディスカッションは非常に今ひとつであった。学者代表のシビック・プライドの伊藤香織先生はさすがしっかりとしていたが、パネリストの役人などがあまりにも無能で軽薄であったのはあきれ果てた。もう、「豊かな地方の生活」「モビリティの充実」などクリシェのオンパレードで、その事業に対しての責任感が皆無で、こういう奴らが地方都市を駄目にするんだな、ということを改めて知る。いつから、こんなに役人は無能になったのか。こういう奴らが都市政策を担っていたら、上手くいく訳はないな、とこのままでは日本の将来が暗いなと思う。
 宇都宮ライトレールには素晴らしい点はあり、それなりに評価に値するところはあるが、問題も多い。まず、恐ろしいほど高規格であるということだ。税金の無駄遣いと指摘されて、その実現も危ぶまれた事業であるのに、なぜ、こんなに立派なものをつくってしまったのか。国からの補助金があったとしても、半分は地元も負担しなくてはならない。せめて東京都の都電ぐらいのチープな規格でつくることはできなかったのであろうか。あと、交通計画と土地利用計画など他の施策との整合性がしっかりと取られているのかが不安に思う。
 宇都宮ライトレールが具体化できたのは、2016年にその推進派である現職の市長が市長選で、僅差で勝ったからである。反対派はこんなものにお金を使わずに福祉・教育・医療に使うべきだと主張したようである。しかし、ヨーロッパやブラジルのクリチバでは公共交通は福祉施策である。自動車が持てない人、自動車の免許が取れない若者、さらには高齢になって自動車の運転に不安な人に「アクセシビリティ」という生活の質と直結する公共サービスを提供するのは、福祉政策そのものに近い。しかも、反対派を支持したのは高齢者ということだから、それはまったくもって市役所がそういう理解もできていないことを反映している。
 あとライトレールは「赤字ではない」といった反対派に対抗したビラを配ったりしたが、赤字にならない訳はないだろう。公共交通はそもそも赤字である。赤字じゃない国は日本ぐらいだ。日本人が大好きなポートランドのライトレールなんて、ランニング・コストの8割が赤字である。日本では絶対、受け入れられないレベルでの赤字である。
 ライトレールをつぶそうと考えていたちょっと前の栃木県知事は、渋滞を解消するなら鬼怒川に橋をあと3本ぐらい架ければいいと言ったそうだが、橋は悪いけど、超絶赤字事業である。通行料を取れば別だが、そうでなければ収入がないので赤字だ。赤字事業だから止めろ、というのであれば、道路もつくれなくなってしまう。
宇都宮ライトレール株式会社の社長が、最後にマイクを握ってこの二人の役人に向かって「ライトレールが走れば上手くいく訳じゃないんです。市街地調整区域のままじゃあ、誰も利用しないんです」と叫ぶように訴えたのは印象的であった。しかし、この役人達には、その魂の叫びは届かないような気もする。宇都宮にライトレールが走るのは、非常に喜ばしいし、宇都宮市にとってもプラスになるとは思うが、これは栃木県の役人が「成功事例として他の都市の模範になれるといい」といったようなことにはならないと思う。成功事例にするには、宇都宮ライトレール株式会社がそれこそ必死に頑張っているのを、栃木県や宇都宮市役所の職員が全力で支援することが必要だが、今日のパネル・ディスカッションでの話のレベルの低さ、コミットメントの気持ちの無さ、からは難しいであろう。一点、役人は異動があるので、それだけが救いの種かもしれない。


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「15分間都市(15 minute City)」は怪しい [都市デザイン]

 コロナで移動制限がされた際、注目されたのが「15分間都市(15 minute City)」というコンセプトである。これは、パリのアンヌ・イダルゴ市長が政策として採用したことで広く知られることになったが、これは自宅から徒歩・自転車で15分以内にアクセスできるところに仕事場、学校、小売店、アウトドア・レジャー、コミュニティ活動、病院、レストランなどが立地していること、すなわち、自宅から15分以内で日常生活に必要な用が足せるという都市環境のことを指している。このコンセプトを提唱したのはソルボンヌ大学のカーロス・モレノ教授である。
 自宅が都市計画の中心として位置づけられるのは、興味深い発想である。というのは、自宅はほとんど無数にあるために、これを計画するのは従来とは異なる考え方が求められる。つまり、学校、小売店、公園ごとに15分以内でほとんどの住宅をカバーするように設置することが求められる。これを都市計画で実践させるためには、学校や公園はともかく、小売店、コミュニティ活動の立地を計画的にコントロールすることが必要となる。そんな社会主義的な都市計画を本当に、我々は求めているのだろうか。そもそも、これってニュータウン計画の基本であり、まったく真新しくもない。そして、多くのニュータウンのコミュニティ・センターの小売店や銭湯(千里ニュータウンの場合だが)は閑古鳥が鳴いている。イギリスのニュータウンであるスティーブニッジやハーロー・ニュータウンでも近隣センターはシャッターが降りていて、薄ら寒い印象を与える。
 このような事態が生じたのは、人々が自動車で移動するようになったからだ。逆にいえば、自動車を持たない生活が選択できるような人が住んでいるところは、ほぼ「15分間都市」の条件を有している。東京23区はほとんどの場所がその条件を満たしている。私は目黒区に自宅があるが、まったく歩いてほとんどの用事が済む。公園も駒沢公園がすぐそばにあるので、気晴らしにはいい。それで済まないのは楽器屋ぐらいであるが、これは電車で渋谷に行くのが便利だからであって、歩いて行く範囲に楽器屋がない訳ではない。あと映画館やライブハウスなどは15分だとちょっと厳しい。
 仕事場のある京都市の中京区でもほとんど歩いて用事が足せる。ここは楽器屋も歩ける範囲にある。というか、ここはデパートも15分圏内なのでしごく便利である。ちなみに、ここでは映画館は小さいものだが15分圏内にある。
 さて、パリには住んだことがないので、なんとも言えないが、京都や東京のようなレベルには達してない気がする。いや、モンマルトル周辺とかだとできるかなとも思うが、東京の目黒区(自由が丘のそば)が劣るとはまったく思わない。ドイツのデュッセルドルフには住んだことがあって、ここも旧市街地のそばに住んでいたので、相当、便利ではあったが、東京や京都の足下には及ばない。というのは、そもそも流通が日本はおそろしく発達しているので、家の周辺に本当に物が溢れているのだ。これは、パリとかでもまったく足下にも及ばない。おそらく東京の都市が15分圏内を考えた時、公園が大きなネックになるかと思うが、私の場合、駒沢公園があるので、その条件がクリアできているというのはあるかもしれない。京都の家は御所がすぐそばにあるので、それでこの条件をクリアできている。
 サンフランシスコの近郊のバークレイに住んでいたこともあるが、ここは15分圏内ではほとんど用を足せない。クルマは必須に近い。ロスアンジェルスに住んでいたこともあり、ロスアンジェルスの場合は、最も歩行者に優しいと指摘されるサウス・パサデナ市に住んでいたが、それでも15分圏内ではほとんど何もできない。
 いや、何をつらつらと書いているのかと思われるかもしれないが、それは日本の大都市がいかに「15分間都市」として優れているかを理解してもらいたくて書いたのである。パリが参考にしなくてはいけないのは東京や京都であって、逆ではない。最近、なんか日本人の中で「15分間都市」が盛り上がっているので冷や水をかける意味で、徒然に書かさせてもらった。
タグ:15分間都市
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大阪の沈滞は長期的なマクロの交通戦略がないことが要因である [都市デザイン]

関西国際空港からミュンヘンにまで飛ぼうとルフトハンザのチケットを購入したら、9月からその便は運休になったとの連絡があった。仕方がないので、伊丹空港から羽田空港まで前日に飛び、羽田空港そばのビジネスホテルに泊まり、羽田発のフランクフルト行きの便に乗ることになった。これによって、時間にして18時間ぐらい余計にかかることになった。しかもビジネスホテル代まで余計にかかる。

大阪を中核とする関西大都市圏は、1000万人以上の人口を擁し、地球規模でみても巨大な都市圏である。アメリカ合衆国だとそれに匹敵するのはニューヨーク大都市圏しかなく、ヨーロッパでもロンドンがかろうじてそれと比較できるぐらいである。いや、とんでもなく巨大な都市圏なのだ。しかも、落ちぶれてはいるが国別にみても経済力は3位の日本で1000万人以上を擁する大都市圏なのだ。なんで、ドイツに飛ぶ直行便がないんだ。こんなおかしなことがあっていいのか。

その一つの理由は、関西国際空港が不便だということが挙げられる。それに比して羽田空港は便利だ。もし、これが羽田空港ではなく成田空港であったら、ルフトハンザもわざわざ運休して成田空港だけにするようなことはしなかったと思うのだ。国内便でのアクセスが悪いから、この便の需要を大きく下げると思うだろうから。それに比して、羽田空港は国内ハブ空港としても日本で最も優れている。そりゃ、羽田から飛ばせれば羽田から飛ばすよな。

しかし、そもそもこれだけ一極集中している東京の23区内にある空港をハブ空港とさせる計画とはなんなのだろう、と思う。というか、成田にしろ、関空にしろ、中部セントラルにしろ、国際空港は皆、都心から遠くに整備したが、これだと国内ハブ空港として機能させるだけの需要が確保できないので、羽田空港のような国内ハブ空港として利便性が高いところに国際空港を整備すると、そこに国際路線が集中するのは当たり前だ。

さて、そういう風に考えると、つくづく関西国際空港を整備した計画というのは戦略性に劣っていたと思われる。羽田空港に対抗しようとしたら大阪湾の大阪都心寄りにそういう空港を整備することを真剣に考えるべきだったのである。関西国際空港、あまりにも遠いし、タンカーが橋にぶつかるだけでアクセスができなくなってしまう。使い勝手が悪すぎる。大阪圏を浮上させるどころか、足を引っ張ってしまっている。リンクウタウンもまったく、掛け声だけで終わってしまったし。伊丹空港は立地的にいろいろと制約があるというなら、京都や奈良からは遠すぎるが神戸空港を国際空港にした方がまだ関空よりはいいのではないだろうか。少なくとも神戸都市圏という100万人以上のマーケットへの近接性はある。

というか、神戸空港、伊丹空港、関西国際空港と3つも空港があるが、どれも帯に短し、たすきに長しで、しかも足を引っ張り合っている。大阪に必要なのは国内ハブ機能に優れた国際空港である。こういうことは、もっと計画を立てる時にしっかりと検討すべきことなのである。同様に、新幹線も新大阪駅ではなく、大阪駅に持ってくるべきことなのである。これは、東北新幹線に例えれば、上野駅で新幹線が止まっているようなものだ。これを東京駅まで延伸することに、当時、JR東日本で反対した人とかいなかったと思う。淀川の下を通すのがお金がかかりすぎるとかいうJR西日本の社員に会ったことがあるが、北陸新幹線で小浜から京都間であれだけトンネルを掘っている会社が言うことじゃあないな、と思う。

国際空港の立地、とか新幹線を中央駅に持ってくる、など都市の未来を決定づける判断を大阪は戦後、ことごとく誤ってきたと思う。リニアは絶対、大阪駅に持ってこさせるべきなのだ。もし、JR東海が嫌だというなら、新大阪駅に開発させないぐらいの強気な姿勢を取っていいと思うぐらいである。その代わり、多少は大阪も費用負担はしなくてはいけないかもしれないが。というか、東京によって、大阪が浮上するような機会をことごとく潰されてきたようにも思う。というようなことを、なんで私は今、羽田空港そばの貧相なビジネスホテルに金を払ってまで泊まらされているのか、という苛立ちとともに考えた。

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長崎市の都市計画について考察する [都市デザイン]

長崎市のまちづくり部長の講演を聞く。「長崎市の現状と未来」というような話であった。長崎市は個人的には都市計画が大変、上手いと思っていたので、そのトップがどのように長崎の都市計画を考えているかは興味津々であった。さて、しかし、都市計画のトップが話したプロジェクトはほとんどすべてが箱物というか大規模プロジェクトであった。
私は「都市の鍼治療」というクリチバ市のジャイメ・レルネル氏の考えを具体化させたようなプロジェクトの事例を紹介するウェブサイト(http://www.hilife.or.jp/cities/)に連載記事を掲載しているが、長崎市は結構、そのネタとなるようなものが多く、実際、紹介しているものも数点ある。ただ、私が興味深いというプロジェクトでまちづくり部長が紹介したものは「水辺の森公園」だけであった。しかも、これは長崎市としてはホテルなどを整備する計画を策定していたのだが、バブルが崩壊してしかたなく公園にしたと説明された。加えて、それが一番市民から評価されているのは「皮肉です」とまで言っていた。いや、これは皮肉ではなくて、この大規模箱物プロジェクトという路線を大きく変更すべきだと反省するようなことであろう。この経験を踏まえて、路線を変更しました、というなら話は分かるが、単なる予測のズレと捉えているのであれば、将来的にも同じ過ちを繰り返す。ということで、実際、新しいプロジェクトとして紹介されたのも巨大な都市開発プロジェクトであった。2022年にこういう話をする、ということ自体、ちょっと驚いたが、それが、私が都市計画の優等生である長崎市の都市計画のトップがしたというのは、本当に驚きである。
これら紹介されたプロジェクトは「水辺の森公園」を除くとすべて、その長崎市のアイデンティティが希薄である。それらは経済ベースでの発想に基づいており、市民の生活を豊かにするという考えが弱い。また、市民の空間への需要を「機能」という限定された物差しで評価しており、本来的には「機能」だけでは評価しにくい「デザイン的な質」、「場所の性質(アイデンティティ)」みたいなことを反映させることが重要だ。そのようなことをすることで、場の価値は初めて特別なものになるのだが、そのような意識を持っているとは講演からはまったく伺えなかった。
「水辺の森公園」は、上山良子という土地の声などを聞くのに極めて長けたランドスケープ・アーキテクトが設計した。彼女はさすがローレンス・ハルプリンに師事したことだけあって、長崎港の場所の声を見事、空間に表現することに成功している。
といいつつ、長崎市は都市デザインには力が入っていて、それらは素晴らしい成果をもたらしている。稲佐山、出島などのプロジェクトは日本でも最先端の優れた事例であると思われる。これは市長がしっかりとその大切さを理解しており、景観専門監を設置しているからであろう。
とはいえ、これだけ素晴らしい都市計画を展開しているのであるから、まちづくり部長は相当、イケてるのだろうな、と期待していたら、その期待は大きく裏切られた。一方、まちづくり部長が今ひとつでもいい都市計画が進められる、というのは面白い発見であった。市長の都市計画に果たす役割の大きさを改めて知る。
 

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大阪駅になぜ新幹線はこないのか理解できない [都市デザイン]

関西で仕事をするようになって、つくづく不思議に思うのは、大阪駅に新幹線が延伸されていないことである。新大阪駅から大阪駅までわずか3.5キロメートル。線形的にも大阪駅に入ることは、まったく問題がない。東京側(東側)からもそうだが、神戸側(西側)でも問題がない。というか、西側は新大阪駅に接続すると不自然に90度ぐらい曲がる。しかも新大阪駅が終点の新幹線が多いので、それらの列車を新大阪で停車させるよりも、大阪駅まで伸ばした方が、停車時間も長く取れるし、利便性も高くなるだろう。何より、大阪の人には便利だ。大阪には阪急、阪神のターミナルもあるし、阪和線との接続もいい。新大阪駅は東京でいうと上野駅みたいな感じで、不便である。
 大阪駅周辺に土地がない、というような事情があれば分かるが、どでかい空き地がある。ここをなぜ、新幹線、リニアのターミナルにできないのか。東京であれば100%するであろう。というか、実際、すべての新幹線は東京を発着駅としている。その利便性の高さと都市としての象徴としての新幹線を、東京の人はよく理解しているのだ。それはJR的にも利益をもたらすであろう。東京は、東京駅をすべての新幹線の発着駅にするだけでなく、周辺の駅もほぼすべて停車させている。上野駅は通過するものも数本あるが、品川駅だけでなく、大宮駅、新横浜駅までもすべての新幹線を停車させている。東京に近づくと、すべての新幹線はこだまのようになるのだ。速さを利便性で犠牲にしている。
 大阪が首都であれば、まず間違いなく、新幹線は大阪駅に止めるようにするだろう。それは、新幹線が大阪の発展に寄与することをよく理解しているからだ。そして、JR東日本であれば、おそらくそういう判断をするであろう。JR西日本は、そういう経営センスが残念ながら欠けているとしか思えない。まあ、みずほのデザインの格好悪さをみても、そういうセンスがないことはよく分かる。
 この大阪駅に新幹線を延伸させないのは、もう東京の政治家や官僚達のいじめなのではないかとさえ思うのだが、大阪駅になぜ新幹線を延伸しないのかを、以前、知り合いのJR西日本の社員に問いただしたことがある。その答えが「淀川を越えるのにお金がかかりすぎる」ということであった。はああ。リニア新幹線は品川駅から神奈川駅まで33キロもトンネルを掘るんだぞ。というか、JR西日本でも北陸新幹線で京都駅から小浜駅まで60キロ弱がトンネルだ。大阪駅から新大阪駅までわずか3.5キロメートルだ。というか、現行のJRの路線の上部を走らせればいいだけだろう。東京―上野間のように。
 大阪駅に新幹線を持ってくるのは、都市計画の基本中の基本のようなもので、それを実行しないことの合理的説明はできない。というか、それによって、大阪の経済も劇的に改善される。まあ、経済的に浮揚することをしたくないなら別だが、こんな簡単なことは、するべきであろう。というか、あれだけの広大な土地が駅前にあって出来ないのであれば、それは100年ぐらいは呪われるぐらいの致命的な判断ミスとなる。JR西日本がやりたくないなら、大阪市や大阪府がやるべきようなことかとさえ思う。

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スプロールしてしまった地方都市の商店街を再生させることの難しさ [都市デザイン]

泉町商店街という場所が宇都宮にある。昔は夜になると、行き交う人が肩をぶつけないで歩くのさえ難しいぐらい人が溢れていたところだそうだ。しかし、今では元気がなくなっているそうだ。お店をやっている人たちもあまり元気がないそうだ。このような状況をもたらしたのは、自動車だ。いや、自動車というか、自動車社会に対応して、都市を大きく改造したからだ。自動車社会は、自動車が普及する以前の商店街とは相性が悪い。イオンとかのショッピング・モールと相性がよいのだ。泉町商店街は、そのような状況に対応としてか、駐車場が多くつくられている。特に西側の本郷町通りとの交差点のそばだと、ほとんどが駐車場として使われている。そんな中にポツネンと「蔵」というそばの名店があったりするのだが、それは駐車場という海に囲まれた小島のような印象である。自動車社会にお客を呼ぶためには駐車場が必要だ、という発想は分かる。しかし、潰れた後のお店を駐車場にするのは賢明ではない。というのは、お店には人がいくが駐車場にはそこを目的として人は行かないからだ。しかも、商店街の魅力は集積の魅力である。いくつかの磁力のあるお店が人を引きつけ、それによって周辺のそれほど磁力のないお店も潤う。また、いくつかの用事をワンストップで片付けられると楽だ。まあ、ワンストップという点からだとショッピング・モールと競合するのは難しいが、それでもその差がそれほど大きくないというのは魅力であろう。泉町商店街の場合は、例えばせっかく「蔵」のような磁力があるお店が残っても(磁力があるので潰れず残れたのだろうが)、その波及効果を受けることがほとんどない。というか、ここまで縮小したら、一度、お店を移動して全体の規模は小さくしても集積を維持するべきであろう。ぽつねんと店舗が駐車場の中に散らばっていても魅力はない。そして、何より歩いていてつまらない。下北沢の北口とか吉祥寺、高円寺とかもそうだし、大阪の天満町や中崎町、京都の先斗町や三条とかも歩いて何より楽しい。この楽しさを自動車の利便性のために失ってしまったのはもったいない。駐車場の中を歩いていても全然、楽しくない。地元の人たちは活性化に頑張っているみたいだが、その根源である自動車社会を変えないことには、地方都市のこのような商店街が再生することは不可能に近いであろう。それは、宇都宮市ぐらいの都市規模であっても難しい。いや、宇都宮市ぐらいの人口規模があったら可能だろうが、自動車の利便性のためにここまで郊外にスプロールしてしまった都市においては極めて難しい。
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マンボウあけの下北沢を訪れる [都市デザイン]

マンボウがあけたので下北沢を訪れる。平日ではあったが、春休み中ということもあって若者が多かった。さて、コロナの影響がどのように土地利用に変化があったのかをざっと観察したのだが、明らかに古着屋が増えている。飲食店は減っているような印象を受ける。下北沢は北口と南口で雰囲気が大きく変わるが、個店が多いのは北口だ。その北口には幅員26メートルの大通り補助54号線が計画されているところは歯抜け状態になっている。それまでのグリッドの方向性と違って、あたかもベルリンのユダヤ博物館のような斜めのスリットのような切り口が痛々しい。ユダヤ博物館を設計したリーベスキントは、歴史の痛々しさを表現するために敢えてあのようなデザインにしたのだが、ここ下北沢は勝手に、そのような断絶と偏った価値観の押しつけが空間デザインにて表出されている。この道路が、まさに反民主主義的な無慈悲で無情な計画であることがよく分かる。ということで写真を撮影しておいた。
 


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Get Back (第三話) [都市デザイン]

ゲット・バックのドキュメンタリーの第三話。第一話ではビートルズのメンバーの不和を描き、すわジョージ・ハリソン脱退か!とハラハラさせて終わり、第二話ではジョージが戻ってきて、なんかいい感じにセッション進んでいるな、と安心させ、第三話ではアップル・スタジオの屋根でのライブ・レコーディングという大団円へ向けて事態が加速するという流れで、ビートルズの名曲が原型から徐々に形になっていくのが見ていてとても楽しく、引き込まれる。特にジョージのオールド・ブラウン・シューや、サムシングの原型を提示すると、皆がそれに反応してアイデアを付け足していくところは、ビートルズのメンバーのアレンジ力のすさまじさを改めて思い知らされる。あと、リンゴがオクトパス・ガーデンのアイデアを披露した時の、皆のポジティブな反応がいい。特にジョージの真摯なアドバイスは見ていて感動的だ。本当、創造集団としてとても優れていたんだな、ということが分かる。ジョンもゲット・バックのギター・ソロとか本当、秀逸だ。ギターは相当、下手だけど。ギターが下手というとジョージもそうで、アイ・ガット・ア・フィーリングのギター・ソロとか、メロディは素晴らしいのだけどビブラートにそんなに力、入れんなよ、とアドバイスをしたくなる。いや、本当、余計なお世話だけど。最近、セッションで一緒になったギタリストが、本当に左手に力が入っていて、これじゃあ上手く弾けないよ、と思ったが、ジョージもそんな感じである。

とはいえ、この映画で一番、見直したのはジョージである。サムシングを作曲するぐらいだからメロディ・センスは飛び抜けていいのは分かっていたが、ギターのバッキングやソロはいい。そして、オールド・ブラウン・シューとかも弾けないピアノであんな名曲をつくってしまうから、ポールとジョンの影に隠れていたが、ビートルズにとって不可欠な功労者であったのだろう。ただ、ジョージが「僕は曲が今、どんどん浮かんでくるんだけど発表する機会がないからソロ・アルバムを出したいんだ」と発言したのは、非常に予言的ではあったが、そういう気持ちにジョージがなるのは分かる。それまでも、ずいぶんと曲はつくってきただろうが、ポールとジョンにずいぶんと駄目だしをされていて我慢をしていたのだろう。サムシングやヒア・カムズ・ア・サン、アイ・ミー・マインとかの曲が頭にどんどんと浮かび始めたら、もう自分の思う通りにやらせて欲しい、と思う気持ちはよく分かる。まあ、この点でもビートルズを機能させていたバランスが崩れ始めていたんだろう。ハリソンはビートルズを辞めた後、「All Things Must Pass」を発表するがなんと三枚組であった。どんだけ、在庫にためていたんだ!という感じである。

第三話は、もちろん屋上でのライブがクライマックスであることは間違いないのだが、前半はリンダの連れ子のヘザーがアップル・スタジオでふざけ回るのだが、そのお茶目な姿は何とも心を揺さぶる。これはほとんど仏頂面(みんながレコーディングしたものを聞いている時も一人、ほとんど表情を変えない)のオノ・ヨーコとはめちゃくちゃ好対照だ。

あと、ジョンも本当、コメディアンのように茶化しまくっていて、少しは真面目に取り組めよ!と言いたくもなるが、それでもあんな曲をつくったりできるということは天才ということか。とはいえ、ポール、本当孤軍奮闘で、ポールがいなければゲット・バックというアルバムが出てこなかったことはよく理解できた。ポール、偉いよ、あんたは。これまでも尊敬していたけど、さらに尊敬の気持ちが強くなった。
 

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下北沢のジャズ喫茶「マサコ」の凄さ [都市デザイン]

下北沢でNHKの取材を受けることになったのだが、早く来すぎたのでジャズ喫茶「マサコ」で時間潰しをした。下北沢にはまさにレジェンドと呼ばれるような特別な店が多いが、「マサコ」はまさにそのようなお店の一つである。開業したのは1953年。ようやく、戦後の混乱が収まりつつあるような時であった。初代オーナーの奥田政子は、銀座でダンサーをやっていたのだが、ジャズ好きが高じて下北沢でジャズ喫茶を開くことにしたのだ。その後、ここに高校生ながら通っていた福島信吉が、共同経営者となり、初代オーナーが60歳でなくなった後、オーナーとなる。しかし、地上げにあって2009年に惜しまれて閉店する。
 その「マサコ」が復活した。以前の「マサコ」とは場所は違うが、北口の雑居ビルの二階に2020年5月に、常連客その後スタッフをしていたmoe氏によって開業したのである。ということで、そこで時間潰しをしていた。16時30分が約束時間だったのだが、結果的に取材スタッフが現れたのは17時を回っていた。しかし、それがよかった。というのは、「マサコ」が流していたレコードが凄まじかったからだ。それは、ディストーションによって歪んだ音のギターがただ一本だけでひたすら弾くものだったのだが、こんなギターがあるのか!というような凄まじい演奏だったからだ。こんなギタリストがこの世にいるのか、ぐらいの衝撃を受けた。ジミヘン並みの凄さであるが、ジミヘンとの違いはこれまで聞いたことがなかったことである。そこで、moe氏に聞くと「高柳昌行」。もしかしたら有名なギタリストなのかもしれないが、私は知らなかった。早速、アマゾンでCDを購入した。
 いやはや、ジャズ喫茶「マサコ」のおかげで、私は一つ賢くなったというか、アホから一歩だけ前進した。こういうことは、学校ではなかなか教えてくれない。そういう情報や知識を持っている友人を持っていない奴でも下北沢の「マサコ」のようなお店に来ると、ちょっとだけ賢くなれる。これが、ジャズ喫茶「マサコ」のようなお店の凄さであり、そういう店が多くあるのが下北沢という街の魅力である。ということを改めて知る。
 この日のNHKの取材は「下北沢という街の魅力」についてのコメントを話したのだが、「マサコ」で刺激を受けた私は、まあまあ上手いコメントができたのではないか、と勝手に思っている。

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ケビン・リンチのグッド・シティ・フォーム [都市デザイン]

ケビン・リンチのグッド・シティ・フォーム。フォームというと形態論であると思いがちであるが、リンチのいうフォームは姿勢的な意味合いをもった都市の「あり方論」である。リンチの文章は面白く、難読である。これは、リンチが最初に自説の反論を一つずつ潰していき、そして最後に自分の主張をするというスタイルを取っているからだ。そのため、しっかりとした読解をしないと、リンチが主張するのと真逆の理解をしてしまう危険性がある。また、ちょっと饒舌でもある。若干、脱線とまでは言わないが寄り道をする癖があるので、そのまま直訳をしていると迷走してしまう。そういう意味では、一人で読むというよりかは輪読なので一歩一歩、理解してから前進するといった読み方をするのが望ましいであろう。
 リンチは驚異的な知識の持ち主であり、都市デザインの百科事典のように博学である。そのため、その書は多面的な視点を読者に提供してくれる。しかし、その多面性ゆえに、何か解を求めている読者にとっては分かりにくい。読者が自分で考えることを要求するので、受動的な読書姿勢では、莫大な情報が入ってくるだけで、それを咀嚼もできなければ、リンチが何を言おうとしているかも見えなくなる。また、リンチの主張が強い訳でもない。リンチは原理論者からはほど遠く、歴史の相対性、都市規模の相対性、都市成長・衰退の相対性と、「相対的」に捉えることの必要を説いており、画一的な価値観を共有することの危険性を訴える。
 絶対的な正解はない、ということを数多くの論説を紹介することで我々に理解させようとする。そして、その姿勢は読者を謙虚にさせる。都市デザインを学ぶ学生、実践するプラクティショナーはまさに必読の本である。ジェイン・ジェイコブスよりこの碩学の研究者、実践者の本を読むことを優先すべきであると強く考える。


Good City Form (The MIT Press)

Good City Form (The MIT Press)

  • 作者: Lynch, Kevin
  • 出版社/メーカー: The MIT Press
  • 発売日: 1984/02/23
  • メディア: ペーパーバック



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中崎町のコモン・カフェに何も考えずに行き、度肝を抜かれる [都市デザイン]

大阪の中崎町にゼミ生達と街歩きに訪れる。その後、12月に話題提供で話をしてくれとの依頼を受けたコモン・カフェにゼミ長と二人で顔を出す。あくまでも下見という軽い気分で訪れたのだ。その日は、ジャズ・セッションを行うということは知っていたが、おそらく素人に毛が生えた程度の、フィール・ライク・メイキング・ラブとかサニーとかのジャズのスタンダードを演奏するバンドが出ているのだろうぐらいの心構えで臨んだ。お客さんは10人ぐらいで、まあ、それほど人気もないのだろうな、と思っていたのだが、演奏が始まったらちょっと違う。ギターの音色とコードが普通ではない。ループを使っての演奏だが、もうどうやって計算しているのかも分からないテクニックを駆使している。ドラムのリズムが超絶タイトだ。なんと、素人どころか、バカテク・ミュージシャンである。平気で5拍子の曲にギターとベースがポリリズムのメロディを重ねてくる。なんで、こんなミュージシャンがこんな場末のカフェ(ライブハウスではない!)で演奏しているのか。狐に包まれたような気分になる。アンコールを含めて二時間ぐらいの演奏後、ちょっと放心したのだが、ギタリストと話をすることができた。そこで、あのピエール・モーレン率いるプログレ・バンドのゴングの元メンバーとも競演したり、フィル・コリンズが在籍していたブランドXのメンバーとも演奏したことのある超絶凄腕ギタリストだということが判明した。驚いたあ。思わず、握手をさせてもらった。なんでこんなミュージシャンがこんな場末のようなカフェで演奏しているのか。それは、このコモン・カフェというのは日替わり店長で運営されているのだが、この日は、30年以上もジャズのライブハウスを経営されていた方で、まだ、無名時代のミュージシャンの面倒をみていたことがあったので、それでその後プロとして羽ばたいたミュージシャンも演奏の依頼に応じてくれるからだそうだ。やっぱり、人は金じゃなくて縁で動くんだなあ、ということを改めて再確認。それにしても中崎町、奥が深すぎるだろう。久し振りに驚かされて、実に気持ちがいい夜を過ごせた。こういう発見は本当、嬉しい。これこそ都市の魅力だな。

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豊岡市のふれあい公設市場のおばちゃんとの対話から、中心市街地の蘇生策を考える [都市デザイン]

豊岡市の市役所のすぐそばに「ふれあい公設市場」がある。南北に約70メートルほどで、豊岡市の目抜き通りである大開通りと生田通りに面してた常設アーケードである。木造市場としては、日本で最も古いという指摘もあるそうだ。ここは2003年4月に市の助成を受けた豊岡商工会議所が、全店舗に庇をとりつけて「町家風」に改装した。この時、「公設市場」を「ふれあい公設市場」と改名している。

さて、9月のある金曜日のお昼頃に訪れた。大開通りのほとんどのお店がシャッターを閉めている。そういう中、まだ多少、画期のようなものを感じるのがこの「ふれあい公設市場」である。ということで中に引き込まれるように入る。商工会議所のデータだと14店がまだ営業しているとのことだ。そこで天ぷら屋さんをしているお店のおばさんにお話を聞く。

どのくらい営業されているのですか?
「私は二代目。ここに嫁に来てから、こちらで営業をしている。もう50年以上はしているかな。」

何時から営業しているのですか?
「コロッケをつくるのに5時に起きる。店に来るのは9時。9時から揚げ始める。店を閉めるのは大体14時頃か、売り切れたら。」

商店街は随分とシャッターが降りていますが、どうして?
「買物客が減ったというのもあるが、後継者がいない。後継者がいなくて、閉めてしまう。うちもそう。子供達はもうこのお店を継ぐ気持ちはない。誰かが買ってくれたり、借りてくれたらいいのだけど、買い手がいない。」

随分とお洒落ですが、人は来ないのですか?
「町家風に改装した当時は、結構、人が来た。写真を撮る人なども多くいた。しかし、コロナなどもあり、全然、人通りはなくなった。そのちょっと前からお店が随分と飲み屋へと変わっていった」

ここで、公設市場の他のお店を経営している人が話に入ってくる。この人はお喋りで、いろいろと話をしてくれる。

二階はどのように使われていますか?
「結構、住んでいる人も多い。私は通っているけど。飲み屋はお客さんのための座敷とかとして使っている。二階は結構、広い。」

商店街に来ていた人はどこで今、野菜などの買物をしているのですか。
「駅前のアイティとかに行っていると思う。随分と不便になった。」

商店街がこんなに元気がなくなったのはどうして?
「病院が移転したことが何よりも大きい。病院は大開通りの駅と反対側にあり、それによって多くの人がここらへんも歩いたりしていた。大開通りには駅から病院に行くバスに乗る人も多かった。この病院を移転させたことで、ここらへんから活気がなくなった。今、新しい病院のあたりはお店も増えて賑わっている。」

何が豊岡市の衰退をもたらしたのでしょう。
「一番、悪いのは今井(元市長)。彼の時代に急に悪くなった。病院を移転する計画を描いたのも今井。彼の政策で、中心市街地がガラガラとなった。しかし、その後の中貝も全然、ダメ」

中貝市長は評判がいいと思うのですが。
「マスコミに出ていたりするのでそう思われているかもしれない。コウノトリ、コウノトリといっても我々の生活とは全然、関係ない。今の市長はちょっとよく分からない。豊岡の人ではないし(豊岡市の人ではあるが旧日高郡ではある)」

お礼を述べて、コロッケを2個購入する。コロッケは一個120円。妙に甘い。砂糖が入っているのだろうか。それともジャガイモの甘さか。ジャガイモの甘さであれば、なかなか美味しいコロッケだ。おばちゃんの重ねた時間が、ちょっと沁みていると書いたら、感傷的に過ぎるだろうか。

なかなか、地方都市の活性化策の難しさを感じる対話というか取材であった。印象的だったのが、中心地から病院を郊外に移転したことがいけないという指摘である。一般のおばちゃんも鋭く、問題の要因を理解していると認識した。人口9万人ぐらいの都市で、中心市街地にある集客的施設を郊外に移転させると、中心市街地が衰退することを引き起こすだけだ。どうもこの病院跡地は、想定したよりもはるかに安い値段でしか売却することができず、そういう点でも大失敗だと思われるのだが、こういう政策を展開していた反省が、コンパクト・シティの重要性を認識させているのだろうか。そうであればいいのだが。大学もそうだが、郊外に移してしまった病院、市役所などを積極的に都心に回帰させるという政策を展開することで、地方都市の中心市街地を多少は活性化することができるのではないだろうか。死に瀕している地方都市の中心市街地は、本当に息の根が止まる前に、そこらへんに手をつけるべきではないか、ということを商店街のおばちゃん達とのお話から思ったりした。

おばちゃんのお話は動画撮影したいぐらいだったのですが、断られてしまったので、私の文章でのみ紹介させてもらう。

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ニュータウンにコミュニティ性を加えるための処方箋 [都市デザイン]

ニュータウンがつくられてから、早いところではもう50年以上が経つ。つまり、ニュータウンで生まれた人も、もう人によっては50歳を越えるということだ。これは、もうニュータウンともいえない。さて、ニュータウンはその地縁がない人達が寄せ集まって生活をするようになったため、コミュニティを新たに形成しなくてはならない。ただ、このコミュニティというのは聞こえはいいが煩わしい。家族でさえ煩わしいのであるから、他人と一緒にコミュニティをつくりあげるというのはなかなか言うは易く行うは難しだ。
 さて、しかし、コミュニティのネットワークが弱いと防災面や防犯面で脆弱である。それでは、どのようにすればいいのか。このことに関して、ランドスケープ・アーキテクトの祐乗坊さんのお話を聞かせて頂き、大変、示唆に富むことを仰っていたので、ここに共有させてもらう

「町を手垢で汚す」・・手垢を街につけることが重要。自分の記憶を街に織り込む。団地の空いているところに好きな花を植えるなどして、町のどっかに自分のアイデンティティを刷り込んでいく。そうすると、気になるところが増えていく。そういう意識をもって町に手垢をつけていかないと、縁も地縁もない町をふるさとにすることは出来ない。ニュータウンに住むということは、そのような自分の記憶を織り込むようなことを意識しないと、なかなかコミュニティ性をもたせることは難しい。

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新国立競技場をしっかりとつくれなかった国だから、オリンピックのダメダメ具合は必然であろう [都市デザイン]

オリンピックのダメダメ具合をみるにつけ、新国立競技場をしっかりとつくれないような国だから、この帰結は当然かなと思ったりする。当時、この競技場の案を却下するかどうかで世論が湧いていた頃、週刊ポストにこの件でのコメント依頼がきて、「東京オリンピックはこの競技場でやります、って招致活動したのだから、つくらないのは詐欺ですよね」ってコメントしたら「つくらないのは詐欺ですよね」のところだけ引用しようとしたので、その最終確認を東横線に乗っている時、携帯メイルで受け取って、急いで途中下車して、私のコメントはもう修正しなくていいから全文削除、私の名前を出さないでくれ、と言ったことがる。私はハディド案をつくるべきだと当時も思っているし、今も思っているが、流石に周囲の反対派のバッシングを受けるほどの覚悟はない。
 それはともかく、女性で最初のプリツカー賞受賞者で、ガウディ以来の創造性を有した建築家で、彼女の作品をボツにしたときにリチャード・ロジャースが「イギリスの至宝に何て失礼なことを日本はするんだ」とコメントしたのを覚えている。改めてコンペの講評文を掲載する。

「スポーツの躍動感を思わせるような、流線型の斬新なデザインである。極めてシンボリックな形態だが、背後には構造と内部の空間表現の見事な一致があり、都市空間とのつながりにおいても、シンプルで力強いアイデアが示されている。可動屋根も実現可能なアイディアで、文化利用時には祝祭性に富んだ空間演出が可能だ。(中略)また、橋梁ともいうべき象徴的なアーチ状主架構の実現は、現代日本の建設技術の枠を尽くすべき挑戦となるおのである。(中略)アプローチを含めた周辺環境との関係については、現況に即したかたちでの修正が今後必要であるが、強いインパクトをもって世界に日本の先進性を発信し、優れた建築・環境技術をアピールできるデザインであることを高く評価し、最優秀案とした。」

 このような国際コンペで選ばれた作品も、政治的な絡みなどでボツにする。ハディドの作品はイギリス、ドイツ、イタリア、オーストリア、米国、アゼルバイジャン、シンガポール、中国、韓国の大都市で見学することができる。日本には一つも作品がない。磯崎新がその才能を発掘したにもかかわらずである。それは、日本がそのような建築作品をつくる舞台として覚悟を持てないからである。この覚悟の無さが、今回のオリンピックの低迷と通底している。それは、オリンピック大会組織委員会の武藤敏郎事務総長を始めとした中央政府の役人達が覚悟を持たない無責任体質でやっているからだ。上手くいく訳がない。そして、それはザハ・ハディドの新国立競技場を却下した時点である程度、予測できたことである。

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「都市は亀である」(The City is a Turtle) [都市デザイン]

ジャイメ・レルネル氏が2008年のサラトガ万博で、「サステイナブルな地球のための建築」という展示で寄稿した文章「都市は亀である」を訳したので、ここに共有する。

20世紀が都市化(アーバニゼーション)の世紀であったとしたら、21世紀は「都市の世紀」となるであろう。都市において、生活の質への対立が生じ、その結果によって地球環境や人間関係に決定的な影響を与えるであろう。都市における生活の質を高めるためには、環境との関係における次の3つの点に留意することが必要である。サステイナビリティ、モビリティ、そしてソリダリティである。
 およそ75%の資源は都市で消費されており、ほぼ同じ割合の二酸化炭素も都市で発生していると言われている。したがって、人類にとって持続可能な開発を行ううえで、都市をどうやって開発するかが極めて重要な比重を占めることとなる。そして、そのために建築分野が貢献できるところは少なくない。
 仕事場のそばで生活するか、仕事を家のそばに持ってくることは、持続可能性を測るうえでの試金石となる。自動車の利用を削減し、ごみを分別し、既存の都市施設に多様な機能を与え、保存を最大限にし、廃棄を最小にする。サステイナビリティとは、保存されたものから廃棄されたものの差という計算式なのだ。より多く保存し、より少なく廃棄すれば、よりサステイナブルになる。
 モビリティに関しては、すべての都市が、それぞれ有している交通モードごとに最大限に活用することが必要となる。それが地下にあろうと、地上にあろうとである。そのための鍵は、同じ空間に競合するシステムを有していないことや、都市が有するすべての交通手段を最も効率的に活用するということだ。地上の交通システムの方が、適切な施設(例えば、専用レーン、乗降口の高さが同じ先払いプラットフォーム、高頻度の運行など)を整えれば、地下交通システムより有利である。それは、地下交通システムとほぼ同じ交通量を捌きつつ、その費用はほとんどどのような都市でも負担できるし、またはるかに早く供給することができる。
 健康な都市とは、乗用者以外の快適な交通手段を提供できているところである。そこでは、エネルギーが無駄に使われておらず、道路や公園での歩行をしたくなるようなところだ。
 都市は連帯の避難所でもある。そこは、グローバリゼーションの過程がもたらす非人間的な状況から、人々を守ってくれる。それは、治外法権やアイデンティティを喪失させるようなグローバリゼーションの攻撃から我々を守ってくれる。一方で、最も過激な戦争は都市の縁辺部でおきている。それは、富裕層とゲットーとの対立である。都市は、その域内で異なる都市機能(収入、年齢、人種等)を包摂しなくてはならない。うまく混在させられるほど、都市はより人間的になる。社会的多様性は、共存においては最も重要な課題である。
 最後に、都市は多くの人の夢の集積である。この夢をつくるのはきわめて重要である。それがなければ、市民の本質的な参加は期待できない。したがって、都市の運命に責任を有するものは、分かりやすいしなりを描かなくてはいけない。そのシナリオは、多くの人が期待するもので、すべての年齢層にそれに寄与したいと思わせるようなものである。建築家は、アイデアを提案する専門家として、それに貢献することができる。

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ジャイメ・レルネル氏が逝去する [都市デザイン]

昨晩、大学院のオンライン講義をしている中、クリチバの中村ひとし氏からメイルが届いた。「ジャイメ・レルネル氏が逝去した」という内容だった。慟哭しそうになったが、講義中でもあり堪えた。享年83歳である。ジャイメ・レルネル氏は私にとって父のような存在である。亡き父より二つほど若かったが、父よりはるかに人間的に尊敬している。レルネル氏と話していると魂が浄化するような、人格がよくなるような気がする。世の中、そして自分のことが肯定的に捉えられるようになる。私は無宗教だが、それは宗教的な体験だ。こんな人は本当、滅多に出会ったことがない。敬愛する中村ひとし氏でも有していないカリスマのような強烈な存在感がある。
 ジャイメ・レルネル氏と初めて出会ったのは1997年である。当時はパラナ州知事であった。取材を御願いしたら15分だけ会ってやると言われる。結局、取材は1時間を超えた。私を認めてくれたのかな、と勝手に思っている。それからは、クリチバを訪れることはレルネル詣でと同義語になった。前任校の学生を引率して連れて行った時も、レルネル氏は学生達と一緒に会ってくれた。学生もレルネル氏の凄さは一瞬で理解できたようで、彼の前では皆、よい子になっていた。学生を連れていない時は、中村さんと一緒に彼と飲む機会があった。レルネル氏は都心部にあるマネコを始めとして、ただで飲ませてくれるお店が幾つかあって、それらに連れて行ってもらったし、自宅にも呼ばれたことがある。クリチバには正確にはもう覚えていないが、以前、数えた時15回ぐらいだったのを覚えているので、20回近く訪れたことがあるかとも思う。ただ、京都に職場を移してからは一度も行ってないので、もう3年間も御無沙汰していた。体調は決してよくないので、常に案じていたのだが、ついにその日が来てしまった。
 私はレルネル氏と出会えなかったら、まったく人間的にも仕事的にも違った道を歩んでいたと思う。そして、レルネル氏との出会いは私を真っ当な方向に常に軌道修正させてくれるようなものであった。レルネル氏、そして中村ひとし氏は、そういう意味で私の大恩人である。その一人に、もう二度と出会えないのかと思うと、猛烈に悲しい。
 

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コロナウィルスを火事と捉えると、ワクチンは消化器。日本は消化器を確保できず、ただ火が広がらないことを祈ってるようなものだ。 [都市デザイン]

日本のワクチン接種は欧米などに比べて、信じられないほど遅れている。12日現在、政府のまとめだが、国内で少なくとも1回接種した人は0.9%。国別にみるとセーシェルでは65.6%、ブータンで61.5%、イスラエルで61.4% 。イギリスでは47.2%、あのアメリカでさえ34.2%である(Our World in Data)。先進国で最も遅れているのがイタリアだがしれでの14.4%と日本のダメさ加減とは比較にならない。
 ワクチンは100%安全とはいえないが、コロナウィルスの拡散防止には覿面の効果を発揮している。それは、コロナウィルスを火事と例えると消化器のようなものであろう。鎮火できるかは100%ではないが、火事が広がっている現状では相当、効果的であろう。さて、日本はこの消化器を自国では生産できず、輸入をしなくてはいけないような状況であるが、交渉が下手なのでなかなか確保できない。しかも、消化器が日本の気候でうまく機能するかをチェックしなくてはいけないので、なかなかそれが日本に到着してもすぐに広められないような状況にある。
 しかし、火事は広まっているのである。欧米に比べると、日本のコロナウイルスの致死率は低い。これは、空気が乾燥していないので、火事があまり広まらないような状況なのかもしれない。しかし、確実にゆっくりではあるが広がっている。現状の日本はまさに神頼みのような状況になってしまっている。
 消化器を使いたくない人は使わなくてもいいが、消化器を使いたい人には一刻も早く回してもらいたい。自粛要請をするより、こちらの方が遙かに重要であろう。ただ、つくづく分かったのは原発事故の時もそうだが、日本政府は問題解決能力に劣っているということだ。問題の定義化、さらにはその問題への対処方法の考案、そして方法の遂行、という3つのレベルにおいて劣っている。情けない。

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東京駅の駅弁の変化を考察し、東京の一極集中の弊害に思いを馳せる [都市デザイン]

大学を出た後、コンサルタント会社に入ったこともあって何しろ国内出張が多かった。長野市、仙台市、大阪市、富山市、金沢市、福岡市などへ頻繁に出張に行った。顧客がいる場所に多くいくので結構、地域的には偏りがあるが、鉄道移動の場合が多く、不健康な話であるが駅弁を多く食べることになった。さて、そうするとどこの駅のどういう駅弁が美味しいのか、はたまた不味いのかを調べたくなってくる。特に、不味い駅弁を食べるともう出張自体が失敗したかのような後味の悪さを覚えてしまう。
 最近では使わないがサラリーマンの時に最もよく使ったのは東京駅であった。そして、この東京駅の駅弁は選択が難しい。というのは、東京駅はJRの子会社の駅弁屋がほぼ牛耳っていて、独占状態にあるからだ。そして、JRの子会社の駅弁はクオリティがほぼ間違いなく低い。これは、競合を排除し、その独占的地位にあぐらをかいてきたからであろう。美味しい駅弁を提供するインセンティブがないのである。
 ちょっと前までは、帝国ホテルの駅弁を購入することができ、これは値は張ったが驚くほど美味しかった。まだ、食堂車などが新幹線についていた時代の話である。コスパはよくないのだが、JRの子会社の駅弁は安くても不味くてコスパはさらに低かったこともあり、プチ贅沢な気分でよく買った。
 しかし、これはそのうち販売中止となってしまった。すると、本当に困ることになった。ただ、ホームに入る前であれば、崎陽軒などJR子会社ではない弁当屋の弁当を売るお店をみつけ、ほぼここで購入した。しかし、東京駅で崎陽軒の「しゅうまい弁当」も何だよなあとは思っていた。いや、「しゅうまい弁当」とても美味しいですけどね。
 そのうち、大丸デパートなどのお弁当が充実してきたこともあり、時間に余裕がある場合は、そこらへんで購入するようにした。しかし、これは山手線や中央線で東京駅に向かった時は一度、改札を出ないといけない。さらに丸ノ内線の東京駅で降りた時も、随分と歩かなくてはいけない。そういうこともあり、なかなか利用勝手は悪かった。
 そうしたら駅構内に随分と立派なグランスタができ、そこでは随分と多くの駅弁が売られることになった。すき焼きの今半、築地の寿司清、仙台の牛タンの利休、名古屋の地雷也の天むす屋、大阪のいなり寿司の豆狸、築地の卵サンドの松露サンドなどで、これらの駅弁は相当、グレードが高い。私はそこで「つばめグリル」のハンバーグ弁当(1600円)を購入したのだが、やはり冷たくはなっても腐っても鯛。さすがの美味しさであった。
 さて、東京駅の駅弁のクオリティがこの30年間ぐらいで随分と向上したことは喜ばしい一方で、ちょっと複雑な気持ちもある。それは、今半とかつばめグリル、松露サンドはまだしも、名古屋の天むす、仙台の牛タン、大阪のいなり寿司とかをわざわざ東京で買わなくてもいいだろう、と思ったりもする弁当が多く売られているからだ。何でもいいものは東京に集める、というような傾向はこの30年間で随分と強まっている。そして、その反作用として、地方の魅力が相対的にガクッと落ちている。そして、それはモノだけでなく人にもいえる。強力な磁石のように東京が人でもモノでも集めているが、そのような状況が国全体の魅力を高めているとは決して思えない。というのは日本の魅力はその地理的、文化的な多様性にあるからだ。地方に人やモノを還元することを考えず、一方的に東京が年貢のように吸い上げていくことばかりを考えていると、そのうち国が衰退するであろう。もう既に、その傾向は顕在化している。というのを、東京駅の駅弁の変化で思ったりした。

タグ:東京駅 駅弁
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アメリカのコロナウィルス感染者数とトランプ支持者との関係を考察する [都市デザイン]

 アメリカはコロナ対策が後手後手に回り、2021年1月20日時点で感染者数は2481万人、死者数は41万人と国別の比較ではダントツで世界をリードしています。人口当たりでみても、感染者数は100万人当たり74702人と国別では7位です。トランプ政権の無策がこのような事態をもたらしたのは明らかですが、これを地域別にみると温度差がみられます。州別に人口当たりの2021年1月20日の感染者数をみると、人口当たりの感染者数が最も多いのはノース・ダコタ州で100万人当たり12万6000人。何と人口の12%がコロナに感染しています。逆にもっとも少ないのはヴァーモント州で同数字は1万6000人。ノース・ダコタ州の10分の1以下です。何がこのような違いを生じているのでしょうか。
 50州の人口当たりの感染者数と昨年11月の大統領選で共和党(トランプ)に投票した割合との相関係数を計算すると0.429になります。これは、比較的高い相関関係があると考えられます。2020年12月の人口当たりの感染者数との相関係数は0.418なので、この一ヶ月ちょっとでも、共和党を支持する割合の高かった州での感染率が高くなっていることが考察されます。ご存知のようにトランプは、コロナウイルスは「ただの風邪だ」「夏になれば不思議のように消えてしまう」などと吹聴し(ただ、実際はその危険性を知っていたことがジャーナリストのボブ・ウッドワードとの取材で明らかになりました)、「それらは民主党とマスコミが仕掛けた罠」だとまで言い放ちました。その結果、トランプの支持者達はマスクをすることを拒み、コロナウイルスの危険性を無視したことが、このような数字からも明らかになっています。
 ちなみにカリフォルニア州の郡別でも、コロナウィルス感染者数とトランプの投票した割合との相関係数を計算すると0.21とプラスではありますが低くなります。これは、州によってコロナウィルスに対する政策が大きく異なるので、同じ州民であればトランプ支持であろうがなかろうが、感染率はそれほど変わらなくなることが伺われます。
 さてさて、バイデン大統領は就任当日に、大統領令でコロナ対策をどんどん打ち出しています。ようやく、トランプのコロナウィルス感染者数の拡大という悪夢からアメリカ人も解放されることが期待されます。

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『大阪アースダイバー』 [都市デザイン]

東京地域を対象とした「アースダイバー」の大阪編。東京編も相当、面白かったが、この「大阪アースダイバー」の方が著者である中沢新一の分析力が研ぎ澄まされているとの読後感を覚える。大阪という都市は関東ものからするとなかなか分からないが、本書では大阪という地域を解析するうえでの貴重な切り口を提供してもらった気がする。エピローグで著者が書いているように「東京のセンスで大阪を見ようとすると、いろいろなものを見誤る」と捉えられる。そして、東京において成長によって生じた様々な齟齬を大阪では解消するような知恵を有しているとも思われる。ただ、肝心の大阪が東京的な眼鏡をしてしまって、迷走しているのは気になるが。


大阪アースダイバー

大阪アースダイバー

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/06/28
  • メディア: Kindle版



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シビック・プライドについてザッと考察する [都市デザイン]

自分がそのコミュニティに所属していることを「誇れる」ことがシビック・プライドであろう。それは、コミュニティへの愛着心、忠誠心へと繋がる。そのようなシビック・プライドを市民に抱いてもらう自治体運営は望ましいが、それを政策として実践させようとすると難しい。
 また、逆にそこに所属していることを「恥」と思わせたりすると、それはシビック・シェームとなる。そのような自治体運営をしていると、隙あらばそこから脱出したいという気持ちを住民(特に若者)に抱かせる。
 私の人生はノマドみたいなもので、豊島区、目黒区、ロスアンジェルス郊外のモンテベロ、サウスパサデナ、杉並区、サンフランシスコ郊外のアルバニー、バークレイ、ドイツのデュッセルドルフにて生活していた。目黒区でも3回引っ越しをしているし、杉並区でも2回引っ越しをしている。現在は京都で働くので、ほぼ週日は京都で暮らしている。
 これらのうち、一番長く住んでいたのは豊島区で生まれてから9歳になるまでと、さらに17歳から29歳ぐらいまでいた。合計すると21年だ。しかし、豊島区に対してのシビック・プライドはまったくない。愛着はゼロではないが、南池袋公園の整備など、マーケティング的な観点からコンセプトを導いたような表層的なプロジェクトを自慢する区政などにはむしろ嫌悪感を抱いている。本当に区のイメージをよくしたいなら、千川上水の暗渠をやめて、親水空間を整備するぐらいのことをして欲しい。
 それでは、どこが一番シビック・プライド的なものを感じるかというとバークレイであろう。ここは、自分が住むところを選んだというのもあるが、バークレイという都市が強烈なアイデンティティを発信していて、それが自分のそれと共振する自分がちょっと誇らしいというのがあるからだろう。というか、私自身の個性はバークレイに育まれている面が強い。ビフォア・バークレイとアフター・バークレイとでは、私の個性は相当、違う。
 もちろん、豊島区も私の個性に何かしら影響を与えていると思われるが、その影響を自分が好きでない、というのはあるかもしれない。豊島区で好きな場所を挙げろ、と言われると真剣に困る。苦し紛れに「サンシャインの水族館」を挙げるかな。それと、鬼子母神の界隈、とげ抜き地蔵へのアプローチ道路、学習院大学そばの目白通りぐらい。自分の住んでいた東長崎界隈で、ちょっと子供心に惹かれる場所は練馬区や板橋区、中野区、新宿区にあった。増田元岩手県知事に「消滅都市」として指摘されたときは、そんなことは起きえないと思ったが、別に消滅して寂しいと思うことは、住んだこともない新宿区や世田谷区ほどもない。シビック・プライドのようなものはないし、むしろ隠したい過去のようなものだ。
 バークレイにシビック・プライドを抱くのに対して、ロスアンジェルスの二都市には面白い感情を抱いている。これらは親の都合で住むことになったのだが、モンテベロ市はまったく思い入れがないが、サウス・パサデナ市にはある。これはモンテベロに住んでいた時の方が小さかったが、サウス・パサデナ市には中学時代にもいたので街を自分で相当、探検できたというのと、サウス・パサデナ市はロスアンジェルスでは極めて珍しく高速道路の建設に一貫した反対運動を続けていて、今でもそれを止めているというところに感心しているからだ。ロスアンジェルスの郊外都市としては珍しく、アーバン・ビレッジが形成されており、商店街もあるし、トラムも走っている。この都市で育ったことをまさに誇りとするところがあり、豊島区とは正反対の愛着を持っている。一方でモンテベロは、なんか金がないのに郊外住宅を求めた人達が住むようなところで、裏山はごみ捨て場だったし、いいイメージはないし、愛着もない。また、当時は日本人が珍しかったので、差別的扱いを受けていたということもある。アメリカ人を根本的に信頼できないのは、この時の経験があるような気もする。
 豊島区、杉並区、目黒区だと目黒区に一番、愛着を持っているかもしれないが、じゃあ、シビック・プライドを有しているかと問われると、どうかな。ただ、今、京都と東京とで二重生活をしていると、自分の日本人のアイデンティティ的なものは圧倒的に東京人であるということに気づかされる。というか、他の都市じゃあ受け入れてくれないであろう。良くも悪くも、東京人というアイデンティティから自分は逃れられない。
ただ、ここで東京人というが、私の東京人というのは、豊島区、杉並区、目黒区といった山手線のターミナルでいうと池袋、新宿、渋谷に限定されるような東京人である。東京23区の山手地区の環状7号線生活文化しか経験していない。東京という巨大都市のほんの一部分としか共鳴できないようなアイデンティティである。そのような自分が東京という都市にシビック・プライドを持つはずはない。ただ、何かノスタルジーというか哀愁のようなものは感じる。
あとデュッセルドルフは1年しか住んでいないが、ちょっと思い入れはある。これは、数多ある都市から自分が選んでそこに住んだというのがあるからだろう。シビック・プライドという点では「シビック」の方が怪しいので、有していないが、付き合ってなくてもデートをしたことのある女性ぐらいの親近感というか、思いは有している。
これら住んでいたところ以外に、シビック・プライド的な感情を有しているところとしては下北沢と港区がある。前者は、下北沢の道路反対運動でいろいろと私も活動させてもらったり、イベントにも参加さえてもらったり、さらに私が頻繁に飲みに行ったりするので多くの人的ネットワークがあるということが理由として挙げられる。港区はマスタープラン策定委員会の副委員長をしたり、短期間ではあったがカフェを経営させてもらったり、イベントには多く参加させてもらったことがあるからだ。ようするに街の運営とかに参画させてもらうことができた。このように、自分が街づくり的なことに関与すると愛着、そしてその関係性を誇りたいという気持ちになったりもする。
さて、もう勝手に徒然にシビック・プライドについて思ったところを書き殴ったが、ポイントを整理すると次のようになるだろう。
1) シビック・プライドを有するのは、自分のアイデンティティと共鳴するところが自分にとっても肯定的、誇れるような場合である。
2) 自分が能動的に都市を住むところとして選んだ時は、シビック・プライドが醸成しやすい
3) シビック・プライドを政策的に推進させるためには、市民達に能動的にそのまちづくりに関わらせるような仕掛けをすることが重要であろう。そういう点では、豊田市のトヨシバはうまくできているかなと思うのと同時に、豊島区の南池袋公園は全然、ダメだなと思う(空間設計は素晴らしいのだが)。 
  
 

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