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都市計画的には道路は川のように考えるべきだ [都市デザイン]

都市において川は空間を大きく分断する。その両岸を繋げるためには橋が必要である。道路も同じように空間を大きく分断する。大きな川がその分断する力が強いように、大きな道路も分断する力が強い。そのような橋の両側を繋げるために重要な役割を担うのが橋である。同じように道路の両側を繋げるためには橋のようなものが必要である。ただ、ここで川と道路の大きな違いは、川と岸は同じ高さではないので、川に架かる橋は地表とほぼ同じ高さで済むということだ。道路は、ほとんどの場合、地表と同じレベルにあるので、橋を架けようとするとその分、上り下りをしなくてはならない。これは、大変、不便であるだけでなく、体力的にも苦痛である。高齢者や怪我をしている人、乳母車を押す人にとってはとても辛い。
 ただ、川と違って、道路には信号というものを設置することができる。横断歩道という線を引けば、それを渡ることができる。これによって、道路の分断する力を和らげることができる。そして、これは都市の賑わいをもたらすうえでは極めて重要なのだ。なぜなら、都市の魅力は「集積の経済」によって、つくりだされるからであり、これは分断させずに集めれば集めるほどいいからである。下北沢や自由が丘に多くの商店が集まって賑わいが生み出せているのは、それを分断する致命的な大通りがないからだ。逆に明大前、中目黒とかがその利便性に比して今ひとつなのは、大通りによって分断されているからだ。私が住んでいる都立大学が隣の学芸大学に比べると、おそろしく今ひとつなのは急行停車駅かどうかという話ではなく、目黒通りという大通りによってその集積が分断されてしまっているからだ。
 さて、そのようなことを考えている時に名古屋を訪れる機会があった。金山駅や日比野駅の周辺をうろうろとしたのだが、ここらへんは高速道路のような大通りが街を分断している。そして、500メートルぐらいこれらの通りが横断できないようにしている。なんて、人に優しくない都市なのだろう。日本の都市は比較的、人に優しいのだが、この不親切さはヨーロッパでも寡聞にして見たことがない。ブラジリアとかアメリカの都市だとあったりするが、公共交通がこれだけ発達している名古屋のような都市で、この酷さは驚いた。これじゃあ、歩きたくても自動車に乗るしかない。高齢者には本当、辛い都市なのではないだろうか。私はこの都市には住みたくない。

タグ:名古屋 道路
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