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『ぼくの瀬戸内海案内』 [書評]

先月、他界された大林宣彦監督が若者向けに著した本。彼の作品を紹介しつつ、瀬戸内海の風土の素晴らしさ、方言の豊かさ、などを語っていく。豊かに生きることとはどういうことなのか、豊穣なる人生を送るための心構えはどうすればいいかのか、など若者が悩みそうなことがらへの監督からの示唆溢れるメッセージが本書には詰まっている。私は恥ずかしいが、彼の映画作品をほとんど見ていないのだが、是非とも鑑賞しなくてはいけないな、という気持ちにさせられた。私も十代の時にこの本を手にしていればよかったのにと思わずにはいられない。あと、映画も観ておけばよかった。

ぼくの瀬戸内海案内 (岩波ジュニア新書)

ぼくの瀬戸内海案内 (岩波ジュニア新書)

  • 作者: 大林 宣彦
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/09/20
  • メディア: 新書



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宮台慎治の『まぼろしの郊外』 [書評]

今更ながらだが、宮台慎治の『まぼろしの郊外』を読む。郊外論の研究をしようと誘われたのだが、今更、郊外ってどうよ、と思ったりしたので、積ん読状態であったこの本を読んだのである。さて、この文庫本は『まろしの郊外』というタイトルであるが、大きく二つの内容に分類でき、前半は「テレクラ少女論」がほとんどで、あまり郊外論的ではない。いや、この「テレクラ少女」の背景に郊外的な課題があるのはもちろんなのだが、どちらかというと郊外というよりかは、東京vs.地方都市(青森)といった構図で語られていた。そして、彼の論では地方都市は東京に比べて、売春女子高生という点では「郊外化」していない。ふうむ、都心と郊外を対比するというのは定義からして当然だが、彼の論的には東京がすでに郊外なのかもしれない。というか、全体的に郊外化しているということか。
 後半は「現代の諸像」ということでインターネットのマイナスの側面、恋文の意味の喪失、差別論、オウム信者の「良心」などが語られる。これらも郊外的な現象ではあるかもしれないが、必ずしも郊外という概念に収まらないし、郊外を形作る要素でもなく、現代社会を分析する一つの視座を提供する現像である。そして、最後に「酒鬼薔薇聖斗のニュータウン」というエッセイがあり、これは相当、読み応えのある密度の高い郊外論である。
 などと書いたら、私のこの浅薄さを予め察したかのように「あとがき」には次のように書いてあった。
「(前略)したがって『まぼろしの郊外』と題される理由は自明であろう。成熟した近代において、(1)幻想の共有度合いが低下するとともに(2)社会の不透明さが増大し(3)実存を脅かされた人々が非自明的な幻想に固執する、という動きを代表する空間こそが「郊外」であるからだ」。
 ううむ、つまり「郊外」を論じる本ではなく、社会の「郊外化」を論じる本であったということですか。すなわち「郊外」を何かが分かっていないと、よく見えてこない本でもある。とはいえ、流石、そのフィールドワーク、透徹な論理力はすさまじく、その思考には引き込まれる。
 

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「日本語の教室」大野晋 [書評]

新書でありながら、言語に関して深く考えさせられる内容が含まれている。これまで受けた質問に回答する形となった第一部と、「日本語と日本の文明、その過去と将来」について、言語学者から考察した日本人の論理的思考の弱点、そして日本のこれから行くべき道を論じている。たいへん、示唆に富んでいる。
「言語能力と事実の認識力とには関係性がある」、「人間は母語によって思考する。母語の習得の精密化、深化をはかることなくして、何で文明に立ち向かうことができよう。」といった指摘はもちろんだが、湯川秀樹が日本、中国の古典を実によく読んで消化しており、言語的にも日本語について緻密な理解力を持っていたことを挙げ、思考の底の部分で言語の力と物理学の構想力が通じていたのであろう、などという洞察も大変、参考になる。理系・文系といったあたかも血液型のように人の能力を判断するという世界的にも恐ろしく奇異な慣習がある日本人に猛省を促すような指摘であると思われる。理系と文系との能力は、論理的な思考をするうえでは極めて共振する。また、「日本語がよくできない日本人は、アメリカに滞在しても英語ができるようにならない」といった例も外国語教育のあり方について再考させられる。
多くの知見が得られる良書である。


日本語の教室 (岩波新書)

日本語の教室 (岩波新書)

  • 作者: 大野 晋
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2002/09/20
  • メディア: 新書



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それゆけ! 論理さん [書評]

野矢茂樹が監修して、高校の国語の先生が漫画を書いた論理本。これは、とても分かりやすく、とても読みやすく、そして楽しい。こんな楽しい本で論理学が学べられるなんて、今の高校生は恵まれているなあ。漫画はとても漫画家じゃない人が描いたとは思えないほど上手く、そして何より四コマとかが面白い。漫画家とそうじゃない人の差は、絵の上手下手より、漫画というメディアで面白い話をつくれるかどうかだと思っているのだが、この作者は相当、優れたユーモアセンスがあるのではないかと思われる。論理学が難しいと考えている人は是非とも手にとるといいと思う。文句なしの5つ星。


大人のための学習マンガ それゆけ!  論理さん (単行本)

大人のための学習マンガ それゆけ! 論理さん (単行本)

  • 作者: 仲島 ひとみ
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2018/10/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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『論理的に解く力をつけよう』 [書評]

論理的思考を学生に教えるために、そのための優しい本をいろいろと物色しているのだが、この本はまったく役に立たないどころか、論理的思考の意義さえ疑わせるような駄本であった。そもそも、論理というのは言語によって構築される。しかし、この本の日本語はよく分からない。というか、問題がいろいろと提示されているのだが、その問題の趣旨が書かれている日本語を理解するのが結構、難儀なのだ。もう少し、言うと、もっと論理的に分かりやすく問題の趣旨を理解できるような日本語で書ける筈だと思うのだが、そのような論理性をあまり意識していない日本語なのだ。さらにいえば、その解説が論理的な日本語で書かれていない。いや、集中して読めば理解できない訳ではない。ただ、「論理的に」と言っている本で、論理的とはいえない解説をされてもなあ。
 また、その問題も「論理的に解く力」をつけるのに適切なものとは到底、言えない。実際、解答案も、もっと簡単にできるじゃない、とすぐ気づくようなものもあり、ちょっとしたクイズ本としてもこの本は使えない。私は、相当の駄本でも頑張って最後まで読むようにしていたのだが、この本は198頁のうち133頁で挫折して、本棚のスペースも無駄なのでゴミ箱に捨てた。いや、ブックオフに売ってもいいが、他人がこの本を読んで時間を無駄にするのも社会の損失かと思い、捨てました。
 失礼だが、この人の授業はつまらないだろうなあ。東京工業大学の先生ということなので、学生は飛びきり頭がいいかと思うが、それでもついていくのが大変な学生は多いのではないだろうか。よく考えれば、一応、東京大学の工学部を出ている私でも、ついていくのを諦めたからな。そして、これは「岩波ジュニア新書」である。中学生、高校生向けの本なのでしょう。なぜ、岩波の編集者がしっかりと直せなかったのか。この点はちょっと不思議である。

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『ティール組織』 [書評]

フレデリック・ラルーの『ティール組織』(原題はReinventing Organizations)を読む。これは、人類の組織の発達段階は、現在「進化型(ティール)」という新しいモデルを提示するまで進化しているという仮説のもと、実際、この「ティール型」の企業・組織などの事例を紹介し、その特徴、さらにはそのような組織の作り方までも提案している。上記の観点で、同書は3つの部から構成される。「歴史と進化」、「進化型組織の構造、慣行、文化」、「進化型組織を創造する」である。訳本でも500ページに及ぶ大作であるが、この『ティール組織』というモデルが新たに出現しており、それを実際、応用している組織があるというのは非常に興味深い。そして、このような組織が出現した背景には、成長の限界、地球資源の有限性、さらには組織管理の非人間化などがあるということだ。あまり明るい未来が展望しにくい現代人であるが、このような持続可能な組織モデルが創造され、量的ではない質的な豊かさに価値観が転換することで、人類はまだまだ滅亡しなくてもいいかもしれない、という楽観的な展望を抱くこともできる。
 私が働いている職場は、結構、ティール組織的なところがあり、それはホールネス(全体性)、自主経営、存在目的というブレイクスルーをそこそこクリアしていると思われる。全体性は自分の価値観と職場の価値観とにズレがないことである。これは、採用するうえで、組織の価値観と合う、もしくは合わせられる人を採るように留意しているからだと思う。あと自主経営は、大学の学部運営というのが本質的に具えている特徴であり、それをしっかりと私が所属している学部は維持している。これは、前任校とは随分と対照的である。なぜなら、前任校は学部長が独裁政治を遂行し、反対意見を力尽くで押さえるようなことをしていたからだ。そして、存在目的だが、これは組織のコンセプトを「チーム政策」と掲げ、しっかりとした大学教育を施すために、教員・職員だけでなく学生をもチームとして捉えて、その目的の遂行に邁進している。これが、結果的に学生の満足率82%に繋がっているかと思われる(前任校は26%であった)。私が経験した二つの大学の組織を比較すると、現在の職場は『ティール組織』的な条件を相当、クリアしている。それが、おそらく現在の職場がうまくいっている大きな理由の一つではないかと思ったりもする。この点に関しては、また研究をしていきたいと思っている。たいへん、興味深い視座を提供してくれた本である。

ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

  • 作者: フレデリック・ラルー
  • 出版社/メーカー: 英治出版
  • 発売日: 2018/01/24
  • メディア: 単行本



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小泉武栄『山の自然学』 [書評]

東京学芸大学名誉教授の小泉先生が1998年に著された岩波新書の『山の自然学』を読む。礼文島から屋久島まで、日本列島を連なる個性的であり、多様な山々の植生、地質、地形などを分かりやすく解説してくれている。私はへたれであるが登山をするので、この本に書いていることはとても興味深い。山を登ると、たまに驚くことがある。例えば、鳥取県の大山ではそのブナ林の明るさに心を打たれたことがある。その明るさの背景などをこの本は科学的に推察し、解説してくれる。自然の仕組みの複雑さと蓋然性に、驚くと同時に、生態系をしっかりと学ぶことの重要性を思い知らされる。
 本を読むと、これまでの山での体験が違う視点で捉え直すことができ、とても興味深いし、まだ行ったことのない山は是非とも近いうちにチャレンジしたいという気持ちにさせる。登山体験の幅を広げるような内容に溢れた本である。
 また、山の自然学の解説以外にも本書は重要な知見をもたらしてくれる。一つ目は、政府の無知による自然破壊の酷さである。引用させてもらう。
「上高地の自然をめぐっては、現状を維持しようとする環境庁と、洪水防止のために川を床固めし、堤防をつくりたいとする建設省のあいだで、長年にわたって“つばぜりあい”がおこなわれてきたが、結局、工事は行われることになってしまった。わたしの友人の岩田修二は『山とつきあう』のなかで、床固め工事に反対を表明し、ケショウヤナギなどの森林にとっては土木工事は害をなすばかりだとして、洪水に対してはホテルなどの嵩上げで対処すべきだと主張しているが、まったく同感である。」(p.167)
 二つ目は、日本において自然史についてのカリキュラムがまったく抜け落ちているとの指摘である。私事で恐縮だが、私は小学校4年生から中学校1年生までアメリカの現地校で教育を受けたので、いわゆる算数などの授業はとてもレベルが低い内容のものを教わっていたが、自然史というかエコロジーの授業は小学校高学年で受けていた。そういうこともあって、著書の考えがしっくりと入ってくるというのはあるかもしれない。
 二つの点は、今後、日本が改善しなくてはならない大きな政策的課題であろう。


山の自然学 (岩波新書)

山の自然学 (岩波新書)

  • 作者: 小泉 武栄
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1998/01/20
  • メディア: 新書



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柴田久『地方都市を公共空間から再生する』 [書評]

福岡大学で教鞭を執り、福岡の警固公園などの設計で知られるコミュニティ・デザインの手法にもとづくランドスケープ・デザインを手がける柴田久氏の実践的、そしてワークショップ型の市民関与型のプロジェクト指南書。実際の経験に基づく論考なので、説得力があるし、また景観的なセンスがしっかりしているのでためになる。というか、同じカリフォルニア大学バークレイ校の環境デザイン学部で学んでいる(柴田さんは客員教員という身ではあったが)ので、そもそも理念や考え方が私と類似しているからということもあるかもしれないが。加えて、文章が明瞭なので、滞りなく読めるが、内容は濃く、なかなか読み応えがある。公共空間を通じて、地域を活性化させる、というか、そこに住む人達を活性化することを考えている人にとっては益するところが多い図書であると考えられる。お薦めである。


地方都市を公共空間から再生する: 日常のにぎわいをうむデザインとマネジメント

地方都市を公共空間から再生する: 日常のにぎわいをうむデザインとマネジメント

  • 作者: 柴田 久
  • 出版社/メーカー: 学芸出版社
  • 発売日: 2017/11/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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ジョージ・オーウェル『1984』 [書評]

ジョージ・オーウェルの『1984』をようやく読破した。彼の『アニマル・ファーム』は高校時代に読み、大変、感銘を覚えたことや、デビッド・ボウイの佳曲『1984』とかも好きだったので、読んでおけばよかったのだが、これまで読み損ねていた小節である。さて、今回、なぜわざわざ読もうかと思ったのかというと、それはトランプが大統領になった直後、アメリカでこの本がベストセラーになったからである。
 さて、『1984』で描かれる世界は真実を伝える術がなく、権力側が自分達の都合がいいように現在の情報だけではなく過去の情報まで編集してしまう。マスコミをフェイク・ニュースと呼び、「国民の敵」とまで言い放つトランプとその支持者はまさに『1984』をつくりあげようとしている勢いであるが、彼がこのような動きを見せるようになったのは当選してから数ヶ月経ってからである。『1984』は当選直後にベスト・セラーになったので、アメリカ人の多くは、真実を歪めて自分の都合のいい情報を流そうとするトランプの危険性を選挙直後に気づいていたということだろうか。私はトランプの大統領当選を極めて大きな危険を孕んでいるなと当選当時から捉えていたが、『1984』を読んだ今であっても、さすがにこのフィクションで描かれる世界のような事態になるだろうとは当時でも到底、思っていなかった。そのように考えると、アメリカ人にも相当、鋭い人達がいるな。
 しかし、鈍い私でも現在は違う見方をしている。トランプが「史上最高の経済成長率」、「リンカーン以来の傑出した大統領」、「プエルトリコのハリケーンでは非常に適切な災害後対策をした」などの出鱈目を言い続け、その嘘を指摘するマスコミをフェイク・ニュースと言い放つトランプは、まさに『1984』の悪夢を彷彿させるし、さらに彼の「嘘」を支持し、「真実」を駆逐しようとする人々の狂気は、人間がいかに醜悪で弱い存在であることを思い知らされる。
 『1984』では、次のような文章がある。
「もし彼が床から浮かぶと思い、そして同時にわたしも彼の浮かんでいるのが見えると思うなら、そのときにはそれが現実に起きていることになる」
 トランプの支持者はまさにそのような精神状況にあるのだろうし、第二次世界大戦に突入する前の日本人もそのような状況にあったのかもしれない。どちらにしろ、この3割近くの国民がロシアによる集団心理操作によって真実が見えなくなってしまったアメリカの行く末には恐ろしい結末が待っていそうだし、その影響は日本も免れないであろう。というか、最近の安倍総理の経済統計指標を変えて経済成長を実施よりしているように見せるせこさとか、もりかけ問題での厚顔無恥にも嘘を言い放つところとか、ミニ・トランプ化していないか。対岸の火事ではなくなる可能性も低くはない。

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吉本ばなな『下北沢について』 [書評]

吉本ばななの『下北沢について』を読んだ。さすが、作家だけあって鋭い感性と観察力をもってして下北沢の本質的な魅力、価値に気づき、それを彼女の皮膚感覚によって表現している。ジェイン・ジェイコブスが『アメリカ大都市の死と生』で、マンハッタンのグリニッチ・ビレッジやボストンのノースエンドなどで発見したのと同様な都市の根源的な魅力を、吉本ばななは下北沢を観察することで見出している。ちょっと幾つか印象に残った文章を引用させてもらう。
「下北沢のにぎわいは若い人が未来を作るためのものであって、地に足の着いた生活の買物のための大人のにぎわいではなかった」(p.12)
「しかし、子どもができてみると、どこに行くにもその大きな通りを越えなくてはならない生活の規模が自分にとって大きすぎるように思えてきた。赤ちゃんを連れて大きな通りを毎日ベビーカーであるいは抱っこであわてて渡り、スーパーに行く日々。
 一見とても便利だし、もともと車で移動することの多い土地の人にはなんでもないことなのだろうけれど、なんでもかんでもすぐそばにあって徒歩か自転車ですんでしまう下町で育った私にとって、持っていた体の感覚にその暮らしが合わなかったのだろう。
(中略)子どもが小さい頃くらいは自分が育ったような商店街のあるところで暮らしたいな・・・と思った私は、下北沢南口にほど近い代沢のはずれに引っ越すことを決意した。
 すぐそばが商店街なわけではなかったが、子どもを連れて歩いていける範囲に商店街があり、そこには基本的に車が入ってこないというのがいちばんよかったところだった」(pp.23-24)
「それは上馬ではできない経験だった。なんといっても昼間人がいない街だったからだ。
 下北沢は昼間も人が歩いているし、夜になっても人が絶えることはない」(p.30)
「画一的な接客はつまらない。同じような感じのお店にばかり行ったってなにも空気が動かない、自分の中の子供が退屈してしまう」(p.41)
「でも、きっとお店の命を生かそうとしなかった力があったんだろうなと思う。あれほど確かに生きているものがあることがこわくなって、とにかく殺してしまう、そういう力が現代にはいっぱい満ちている。子供の持っている力も、アートの力も、日々殺され続けている。その弊害で実際に人間が殺され続けたりもしているんだと思う」(p.97)
 このような感性は流石、作家だ。とはいえ、ちょっと勘に頼りすぎる、というか直感に基づきすぎていて、そういう魅力はもう少し、都市の生態系とか、街の経済から説明できるのだけどな、と思ったりもするが。私はそういう研究をしているから知っているだけであって、素人でここまで見抜く眼力はやはり大したものである。
 とはいえ、この本に対して、二点ほど極めて個人的な不満がある。一つは、これだけ下北沢の個店の素晴らしさを弁舌鋭く語っているのに「いろいろな人と待ち合わせをした南口駅前のスターバックスも、ドトールももうない」(p.48)って、スタバとドトールというアンチ下北沢のお店をよく使っているという矛盾を暴露していることだ。あと、この本の表紙のデザインが道路だらけということである。自動車が走れる道路がほとんどないということが、下北沢の空間的な魅力であるのに、この表紙のデザインはまるで国土交通省道路局のパンフレットのように道路だらけである。このイラストレーターは果たして、この本を読んだのであろうか。この二点が、ちょっと玉に瑕で残念であったが、「もしもし下北沢」に比べると、ずっといい読後感が得られた本であった。


下北沢について

下北沢について

  • 作者: 吉本 ばなな
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2016/09/23
  • メディア: 単行本



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『小さな革命・東ドイツ市民の体験』 [書評]

ドイツ在住のフリージャーナリストによる本。30人程度の知人への取材から、歴史を再構築しようとする試み。東西ドイツ再統一前後において、東ドイツ市民がどのようにそれを受け止めたのか。また、統一後、西ドイツに「併合」された形で変革が進んできた過程をどのように受け入れたのかが、ある程度、みえる本ではある。ただ、取材をもとに歴史を再構築しようとしている試みは、読み応えはあるが、どうしても著者による主観に基づく見方という印象は拭えない。いや、それが悪いと言っている訳ではなく、私も読みながら、いろいろと新たな視座を獲得できたので悪くはないのだが、歴史書的な重みはない。そういうことを踏まえて読めば、東ドイツというこれまで日陰者であった人達の考えなどが分かって興味深い。


小さな革命・東ドイツ市民の体験―統一のプロセスと戦後の二つの和解

小さな革命・東ドイツ市民の体験―統一のプロセスと戦後の二つの和解

  • 作者: ふくもと まさお
  • 出版社/メーカー: 言叢社
  • 発売日: 2015/08/03
  • メディア: 単行本



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宇沢弘文『ゆたかな国をつくる』 [書評]

 日本の戦後の混迷をもたらした最大の要因は官僚が公益をないがしろにして暴走したからだ、という著者の考えをまとめた本。そして、その結果、どのような悲惨な結果を日本にもたらしているのかということを、水俣病をはじめとした公害、荒廃する教育、絶望的な状況にある農業などの事例を紹介しつつ論じている。そして、この諸悪の根源である官僚専権をいかに克服して、真の意味でゆたかな、住みやすい、そして文化的水準の高い国をつくればいいのかを、断片的ではあるが述べている。
 20世紀の日本を代表する経済学者、宇沢弘文氏の本であることもあり、当然、論理的で(一部、事実誤認と思われる箇所がないわけではない)、すこぶる説得力はあるのだが、この本が出された1999年から20年近く経って、日本はより悲惨な状況になっている。現在の日本の状況をみたら、宇沢先生も憤死してしまうのではないか、と本書を読んで思ったりした。官僚専権という点からみても、財務省の佐川宣寿氏の公文書改ざん事件などは、宇沢先生の想像の外にあるのではないだろうか。当然、福島原発の事故なども彼からすれば卒倒するほどの出鱈目さ加減であろう。ということで、本書で書かれた状況から20年、日本はさらに泥沼状態に喘いでいて、そして、20年前に比べても状況を打破する光明さえ見えない。
 ということに気づき、暗澹たる気持ちになってしまった。


ゆたかな国をつくる―官僚専権を超えて

ゆたかな国をつくる―官僚専権を超えて

  • 作者: 宇沢 弘文
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1999/03/05
  • メディア: 単行本



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「規制」を変えれば電気も足りる [書評]

もと経産省の役人が、日本を駄目にする役所がつくる「馬鹿なルール」を多面的に紹介する。日本がなぜ迷走するのか、なぜ非合理的なことが罷り通るのか。その根源的な背景がよく分かる。日本人であれば、是非とも一読をお勧めする。目から鱗が落ちるとは、まさにこの新書の読後感を表現している言葉である。それにしても、本当、お役人は何で仕事をしているのであろうか?。いらない規制で雁字搦めにしつつ、規制すべきことはまったく規制されていない、というこの三流国に果たして未来はあるのか。ちょっと暗くはなるが、どこを改善すべきか、ということも見えてくる。トンネルの先の光はわずかではあるが、見えない訳ではない。必読である。


「規制」を変えれば電気も足りる (小学館101新書)

「規制」を変えれば電気も足りる (小学館101新書)

  • 作者: 原 英史
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2011/08/01
  • メディア: 新書



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現代語訳福翁自伝 [書評]

本書は、1898年、福沢諭吉が65歳の時に著したエッセイを齋藤孝が現代語訳をしたものである。明治維新前後を生きた稀代の思想家である福沢諭吉の考え方が読み取れて、たいへん興味深い。読んでいて気づいたのだが、職業的には私も福沢諭吉氏と似ている。いや、そのように論じることで批判の総攻撃を受けそうだし、その成果は天と地ほどあるかもしれないが、大学で教鞭を執っているし、本も著せば、翻訳もするし、講演もする。もちろん、野球選手でいえば福沢諭吉はイチローで、私は一応、プロ野球には所属しているが、打者でいえば打率2割前後、投手で言えば防御率5ぐらいのペーペーであるが、やっていることは似ている。ということで、この本の最後の文章をこれからの人生の指針にしようと思ったりもした。こういうことを書いて、人に伝えようとしている時点で、もう福沢諭吉とはエラい差のある小物であることを晒しているようなものだが、備忘録も兼ねてということで許していただければ有り難い。

「(前略)さて自分にできる仕事は三寸の舌、一本の筆より他に何もないから、身体の健康を頼みにしてひたすら塾の仕事を勉め、また筆を弄んで、種々様々の事を書き散らしたのが『西洋事情』以後の著訳です。一方には大勢の学生を教育し、また演説などして思うところを伝え、また一方には著者翻訳、ずいぶん忙しいことでしたが、これもごくわずかながら自分でやれることをやったものです。」


現代語訳 福翁自伝 (ちくま新書)

現代語訳 福翁自伝 (ちくま新書)

  • 作者: 福澤 諭吉
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2011/07/07
  • メディア: 新書



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『ワーク・シフト』リンダ・グラットン [書評]

イギリス人のビジネス評論家であり、ビジネス・スクールの大学教授であるリンダ・グラットンの2011年の著書。2025年の働く環境を豊富なデータから予測し、そのような状況変化にどのように対応すべきかのアドバイスをしている。経済のグローバル化、インターネットやSNSの発展、テクノロジーの進化による環境変化は、仕事の内容、仕事の方法、仕事をする意味や価値などを大きく変化させていく。そして、自分としっかりと対峙し、仕事を主体的に、人生を豊かなにするために選択していくことの重要性を説いている。時代がどのように変化しているかを多くのデータ、事例としっかりとした分析とから描き出している大変、読み応えのある本である。2013年にビジネス書大賞を受賞したのも納得する。多くの若者に読んでもらいたい。


ワーク・シフト ─孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>

ワーク・シフト ─孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>

  • 出版社/メーカー: プレジデント社
  • 発売日: 2012/07/31
  • メディア: Kindle版



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『まちづくりの経済学』 [書評]

建築学科を出た先生による経済学の教科書的な本。前半はDCF法とCBA法について丁寧に解説しており、不動産経済学の教科書のような内容であり、地価に関する内容も含まれているが、後半部は「逆都市化」の話や、「高齢社会」の話なども出てきて、著者のまちづくりに対する熱い想いのようなものが書かれている。そして、著者がまちづくりの理想とする「美しいまち」は経済学者ではつくれないと最後に主張している点も参考になる。そして、その理由も書いている。しかし、まちづくりをするうえでは経済学の基礎を知らないと、経済学者が相手にしないので、この本を読むべきである、というようなことも書かれている。なかなか、そういう意味ではいい本ではないのだろうか。確かに、建築をしたりする人はあまり経済を勉強しないような印象を受ける。でも、経済学者はどう考えているか分からないが、経済学はそれほど難しくはない。いや、数式がうじゃうじゃ出てくるとなかなか分からなくなるが、基本的な考え方はそんなに難しくない。そのような経済コンプレックスを払拭して、まちづくりを考えていくうえの素養として経済学を学ぶうえでは、この本だけでは十分ではないかもしれないが、一つのきっかけにはなると思う。
 あと、この本が出されたのは2001年であるが、当時は確かにヨーロッパでもみられた逆都市化現象が、今ではまったく逆の再都市化現象がロンドンとかでもみられているのはちょっと驚きである。逆都市化論の何か前提に間違いがあったのだろうか。これは、私も時間があればチェックをしてみたい興味深いテーマである。


まちづくりの経済学―知っておきたい手法と考え方

まちづくりの経済学―知っておきたい手法と考え方

  • 作者: 井上 裕
  • 出版社/メーカー: 学芸出版社
  • 発売日: 2001/01/01
  • メディア: 単行本



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増田寛也編著の『地方消滅』 [書評]

増田寛也編著の『地方消滅』をようやく読んだ。何、今さら、と指摘されると答えに窮する。新書で、あっという間に読めるのに、今まで読まなかったのは、単につまらなさそう、というのと、読むと苛立つだろうな、というのが予見されたからである。ちょっと、このところ苛立つ余裕もないほど忙しいような状況だったということもある。最近、その状況が少し、変化したので、一気に読んだ。そして、やはり苛立った。その苛立ちの理由を整理しなくてはならないが、大きく4つあると思う。
 まず、この「地方消滅」というタイトルに苛立つ。そもそも、地方は「消滅」するのか。「消滅」という定義はどのようにされているのか。ある集落が消滅するということはあり得る。例えば、軍艦島と呼ばれた端島。ここは最盛期には5000人はいたが、今で誰も住まない廃墟になっている。あまりにも見事な廃墟になっているので、世界遺産になった。そして、旧阿寒町の雄別炭鉱。ここは隣町と含めて12000人ぐらいは住んでいたが、今は500人にまで減った。ある意味、消滅といってもいいかもしれない。さて、しかし、それで「地方」が消滅するとは言わない。福島原発の双葉町のようなケースであれば、消滅といってもいいかもしれない。チェルノブイリの周辺も消滅した地方かもしれない。しかし、軍艦島も雄別炭鉱も石炭という産業が興って人が集まり、それがなくなったので去っていったのである。それほど悲惨な事態であるとは思わない。夕張は石炭産業がなくなり、最盛期に比べれば9割の人が減ったが、メロン農家は豊かであるし、これらの農家は今後も夕張で暮らしていくであろう。夕張は「消滅」しなかったのである。大きく人口は減少したが「消滅」ではない。この本の巻末には多くの消滅可能性都市が上げられているが、それらのほとんどは、人口は減らしても消滅はしないであろう。集落はなくなっても、農業などの一次産業を行うことができれば(そういう点では双葉町は致命的である)、人は住む。また、現在はカナダやインドネシアからの輸入材に押されてしまっているが、林業も完全に日本が放棄することにはならないだろう。日本の7割は森なのである。
 次に、この「地方消滅」都市を選ぶうえでの計算の仕方が納得できない。この本では20~39歳の女性の流出を気にしているが、この子供を産む世代が出て行っても、その後、戻ってくれば人口は減らないのである。このことを考えないから豊島区を消滅可能性都市に挙げるなどのトンチンカンな結果を出してしまうのである。つまり、その自治体で子供を産まなくても、他で里帰りのようにして産み、40歳以降に子供連れで戻ってきたりすれば、その自治体は消滅しないのだ。それなのに、それを受けて豊島区がパニックになって、緊急対策本部をつくったりするなどは、ドタバタ劇を見るようで、本当に苛立ってしまうのである。
 3つめは、「地域が活きる6モデル」という章があるのだが、そのモデルを選出するうえで20~39歳の女性人口の変化率をみている点である。変化率というのは、それ以前と大きく地域特性が変わっていれば上がるし、どんなにいい事例でも前からやっていると変化率は変わらない。重要なのは「変化率」ではなくて、絶対数である!と憤怒していたら、なんと、その後の増田氏と藻谷氏との対談で、まさに同じことを藻谷氏は指摘していた。
「マクロ経済学は基本的に率ではなく絶対数というのが、日本を除く世界の共通認識です」(p.149)。
 その発言を受けて、増田氏はまさにその通り、というようなことを述べていたが、この本の内容は絶対数ではなくて率を見過ぎている。
 そして、最後に思うのは、人間は地域や国のために生きているのではなく、自分の幸せを最大限にすることを目的として生きているということである。したがって、例えば北海道の猿払村のように東京より給料が高い仕事があれば、中学卒業して村を出ても(高校がないので)、また高校を卒業したら戻るのである。夕張のメロン農家だって、世帯年収が高いので皆、やっているのである。まあ、増田氏はこの本の中では、生き方を押しつけることができないというのを対談で述べており、それほど傲慢ではない印象は受けるが、それでも地方に人間を定住することをあまりにも是として捉えすぎていると思うのである。人間と地域のどちらが大切かといえば、それは人間であり、同じことを私は国にも言えると思う。そのように考えると、逆に人が豊かになる地域や国づくりが見えてくるのではないだろうか。極端な言い方になってしまうかもしれないが、人を豊かにしない地域や国はなくなってもいいのである。そのような地方は人に見放されたからだ。といいつつ、私はすべての人に見放されるような地方や土地は日本にはほとんどないと思う。日本の国土は、それだけ恵まれているし、美しく豊かであるとは思っている。そのような美しさや豊かさを大切にしようとしたら、原発の再稼働はとてもできないと思うのである。根源的な地方の豊かさを追求し、その土地の豊かさを軸に置いた産業で地方の経済を回せば、地方が消滅するなどということはあり得ないと思う。
 このブログで書いたことは納得できない人もいるかもしれないが、残りの人生を使って、このような論を発展させていければと思う。

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オリンピックと商業主義 [書評]

スポーツライター小川勝氏が、東京オリンピックが決まる前の2012年に出された新書。オリンピックがいかに商業主義に侵されていったのかが、資料から丁寧に分析されている。興味深かったのは、ロスアンジェルスの黒字化のポイントは商業主義を導入したのではなく、支出を抑制したからだ、と分析していることである。私もそうだが、一般的にモントリオールの大赤字を克服できたのは、ロスアンジェルスで商業主義の導入を許したから、商業主義の勝利だ、との印象を抱いていたのだが、むしろ超ケチケチの運営をしたからだ、ということを同書から学ぶことができた。ただ、一方で超ケチケチでやったこともあり、1984年のロスは何のレガシーも残っていないに等しい。
 また、商業主義の導入が極めてアメリカに有利なシステムで、それ以降のオリンピックを運営させることになったかということも本書を読むと分かる。IOCという怪しげな組織も、この本を読むとある程度見えてくる。
 同書はあとがきで、東京が夏季オリンピックに立候補していることを踏まえて、もし開始されたら「選手を第一に考え、なおかつ赤字を出さない」ことを提案している。ただ、2020年の東京オリンピックは、アメリカのテレビ局を意識して、8月に開催することが決定されている(1964年は10月に開催した)。新たな施設も、国立競技場を含めてつくり直しており、せっかくこのような本が開催決定以前に出されているにも関わらず、それが反映されていないのは残念というしかない。
 また、「オリンピックに期待すること」という国民へのアンケート調査が2012年6月に日本リサーチセンター調査が実施したが、トップは「経済効果が見込める」の73%であって、次点の「日本人選手の活躍を期待している」の40%を大きく引き離していた。
 しかし、本書を読んでも分かるように、多くのオリンピックは赤字であり、モントリオールのようにオリンピックで経済が失速して、衰退してしまった(ようやく最近、復活しつつあるがトロントにカナダ第一の座を譲って、その差はもう埋めようもなくなっている)都市があることが分かるように、オリンピックをやれば経済効果がでるというのはあまりにも早計であり、その楽観主義には驚くしかない。一部の経済学者も高らかに経済効果を謳っていたりするが、What have you been smoking? とそういう先生達には私は思わず、聞きたくなっている。

オリンピックと商業主義 (集英社新書)

オリンピックと商業主義 (集英社新書)

  • 作者: 小川 勝
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2012/06/15
  • メディア: 新書





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はだしのゲンはピカドンを忘れない [書評]

 『はだしのゲン』が少年ジャンプに連載された時、私は小学校高学年であった。きら星のように楽しい漫画群の中で、唯一、この漫画は気味が悪く、また画筆もあまり好きではなく、なんか楽しい少年ジャンプにそぐわない漫画だな、と当時は思ったりしていた。
 さて、しかし、この漫画のおかげで私は原爆の悲惨さや戦争の不条理を知ることになった。そして、それは今となっては私の人格形成というか戦争への見方などにも資することになった貴重で有り難い作品であると思っている。著者の中沢氏は奇跡的に原爆から助かったが、もし彼がこの時、亡くなっていたら、私の世代の戦争への理解はずっと疎いものになってしまったであろう。
 2013年8月、島根県松江市の教育委員会がこの『はだしのゲン』を市内の全小中学校に対し、児童に貸し出さないよう閉架扱いにすることを要請し、それにより、市内の小中学校49校のうちゲンを全巻保有していた39校全てが閉架措置を取ったという事件があった。
 これはちょっと不味い動きではないか、と思い私は慌てて『はだしのゲンはピカドンを忘れない』を購入した。なぜなら、私も「ピカドンを忘れない」ようにしないと不味いと思ったのと、下手したら『はだしのゲン』も発禁になるような状況になるかもしれないと思ったりしたからである。そして、中沢氏のエッセイを改めて読み、原爆がどのような被害をもたらすのかを再確認した。北朝鮮に核戦争をほのめかすアメリカ人にも本当、読んでもらいたい。
 さて、それにしても広島県に隣接する島根県でのこの事件は興味深い。それは、他人への苦しみ、他人への情がないからこそ出来る非情な行動だと思う。原爆の被害者はほとんどが罪のない人々であった。その死に様はむごく、それを子供達に読ませるのは不適切であると考えることよりも、そのようなむごい死に様を二度と将来の子供達にさせないような社会を構築することを、将来の日本を背負う子供達に教えることが重要であると考えるべきであろう。そして、『はだしのゲン』よりも、その悲惨さ、その虚しさを伝えられる作品を私は寡聞にして知らない。

はだしのゲンはピカドンを忘れない (岩波ブックレット NO. 7)

はだしのゲンはピカドンを忘れない (岩波ブックレット NO. 7)

  • 作者: 中沢 啓治
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1982/07/23
  • メディア: 単行本



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『目にあまる英語バカ』 [書評]

あまりにもストレートなタイトル、ふざけた表紙のデザインから、それほど期待もしないで読んだのだが、この本は興味深い。英語学習の根源的な問題点を見事に突いている。英語バカを揶揄してはいるが、英語を学ぶことを本質的に理解していない多くの人達への警鐘の本として、大変有益な示唆に富んでいる良書であると思う。また、なぜ日本人が英語を話せないか、という分析もとても鋭いと思われる。英語を学習することへ疑問を感じている人、英語がなかなか上手くならなくて悩んでいる人、英語コンプレックスにいたたまれない気持ちを抱いている人は、是非とも本書を読むといいと思われる。


目にあまる英語バカ

目にあまる英語バカ

  • 作者: 勢古 浩爾
  • 出版社/メーカー: 三五館
  • 発売日: 2007/03/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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『この世で一番おもしろいミクロ経済学』ヨラム・バウマン著 [書評]

本書は短時間でミクロ経済学を概観するにはうってつけだと思う。「この世で一番おもしろい」とは思わないが、要点を抑えており、余計なこともほとんど書かれてなく、漫画のような挿絵が多いので、イメージも得やすい。ミクロ経済学がつまらにと思っている人は、これを読むといいと思う。なかなか、ミクロ経済学って面白いと興味を持ってくれるのではないだろうか。あと、こういう本は日本語訳が今ひとつの場合が多いが、この本の訳者は相当、優れていると思われる。そういう点からもとても読みやすいと思う。


この世で一番おもしろいミクロ経済学――誰もが「合理的な人間」になれるかもしれない16講

この世で一番おもしろいミクロ経済学――誰もが「合理的な人間」になれるかもしれない16講

  • 作者: ヨラム・バウマン
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2011/11/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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岡崎京子『東方見聞録』 [書評]

『ヤングサンデー』で1987年の創刊号から14号まで連載された作品。佐藤黄緑と山田吉太郎というハイ・ティーンのカップルが銀座・国会議事堂・中野・国立・原宿・江ノ島・井の頭公園・青山墓地・神田神保町などを訪れて、主に佐藤黄緑の視座を通して、町の様子が描かれている。岡崎京子のその後の作品にみられるような過激な描写はなく、ホノボノとした描写が続き、ちょっと心和む。とはいえ、『リバーズ・エッジ』で開花する東京を観る鋭さの萌芽がこの作品のあちこちに既に観察され、そういった観点からも興味深い作品であると思われる。


東方見聞録―市中恋愛観察学講座

東方見聞録―市中恋愛観察学講座

  • 作者: 岡崎 京子
  • 出版社/メーカー: 小学館クリエイティブ
  • 発売日: 2008/02
  • メディア: 単行本



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『呑めば、都』 [書評]

一橋大学教授でジャズ・ピアニストのマイク・モラスキーの東京居酒屋本。その日本酒への造詣の深さ、東京の街(ネイバーフッド)の歴史を精緻に調べるアカデミズム、さらには居酒屋への溢れんばかりの愛情が、行間からあふれ出ている。それは、居酒屋でなかば慣習化した注ぎすぎで、グラスから溢れ出る日本酒を彷彿とさせる。日本人より居酒屋と日本酒と、東京の街を愛するアメリカ人オタク研究者による珠玉のエッセイ。読むと無性に呑みに行きたくなります。


呑めば、都―居酒屋の東京

呑めば、都―居酒屋の東京

  • 作者: マイク モラスキー
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/10
  • メディア: 単行本



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『香港』倉田徹等 [書評]

2014年秋に起きた香港の雨傘運動の背景を理解するために、日本人と香港人の著者等は香港の歴史、そして文化等を分析することで、それを解読していく。そこから出てきたキーワードは、中国を常に意識することによって育まれてきた「自由」への希求である。それは、まず「生存する自由」であり、それから「儲ける自由」へと進化し、さらに「文化の自由」へと続くと著者は分析する。そして、雨傘運動が起きたのは、中国の台頭によってその「自由」が不安定になったことで、むしろ強く求められることになった「自己決定の自由」であると著者らは考察する。本書は、この中国という不自由な枠組みの中で、自由を希求して戦う香港人からすると、日本は民主政治の制度を持っていても、その政治的無関心から、その自由は「錆びつき、劣化」していると結びで述べている。「雨傘運動」、そしてその背景を解読するキーワードとして「自由」という概念を駆使して、香港の姿を浮き彫りにさせる興味深い本である。

香港 中国と向き合う自由都市 (岩波新書)

香港 中国と向き合う自由都市 (岩波新書)

  • 作者: 倉田 徹
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2015/12/19
  • メディア: 新書



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今井幸彦編『日本の過疎地帯』 [書評]

 1968年に出版された岩波新書。今井幸彦氏は共同通信者の社員であり1918年生まれ。1981年に鬼籍に入る。ほぼ50年前に書かれた本であるが、現在の日本が抱える人子減少問題を先取りしている。そして、この本において指摘されている過疎地域が抱える問題は、現在でもまったく解消されていないどころか深刻化し、さらに全国的に広がっている。作者は、この過疎という現象を病に例え、「なにか中世におけるペストのように思われてきた」と述べている。それはペストのように「人々はその原因も予防も、治療法も知らず、町の辻々に火をたいて空気が浄化されると思い、あるいは魔女の仕業だと罪もない何千何万という女性がつぎつぎに殺されたり・・(中略)。しかし、違っている点は、過疎とは、これをなんとしてでも食い止めなければならぬものなのかどうかさえわかっていないことだ。」
 その答えは50年近く経った今でも、分かっていない。ただ、1968年に起きた過疎現象の要因は、エネルギー革命による炭焼きの需要がなくなったことが、特に山間部では大きかった。また、農村はもちろんのこと山間部や奥地も市場経済が浸食し、ライフスタイルを都市型に変えたい欲望が芽生え、現金収入を得るために仕事をする必要性が高まったことも大きい。さらには、過疎現象と並行して、都心部では圧倒的な労働力不足という状況にあり、単に過疎地から押し出す力だけではなく、引っ張り出す力も強烈なものがあった。1960年代は日本という国土の人口配置がパラダイム・シフトをするように大きく変化をしていった時代であり、地方における国勢調査の人口減少の比率は「地方消滅」といわれ始めた2010年〜2015年よりもはるかに大きなものであった。
 『道路整備事業の大罪』という下品なタイトルの本を著した私が大変、興味を抱いたのは、著者達が道路を整備すると過疎化が加速するといった現象がみられることを既に観察していることである。ちょっと引用したい。「つまり道路が整備され交通量が増大するに従ってこれら沿道諸部落の過疎化が促進されたことは、先に滋賀県葛川地区でみてきた通りで、交通機関の“革命”と、沿岸都市部への時間的短縮にあるとみられる。」(p.114)
 私が拙著で指摘したような状況は既に1960年代にみられていたにも関わらず、その後も「限界集落を守る」ために道路を頑張って整備して、結果、集落から人がいなくなるということを日本の道路事業は積極的にやってきたわけである。それを、改めて指摘をした私の本も認めない人が多いが、そうやって地方部を、都市を中心とした市場システムに組み入れ、地方を殺してきたというのが、日本の道路行政である。そういうことが既に1968年に著されていた本書にて指摘されていたというのは発見であった。他にも過疎化がストップをした事例は、民間人がリーダーとして頑張ったところであって、役場が頑張っても空回りをするだけだ、などの興味深い指摘がされている。
 現在の日本は一部の地域だけでなく、全国レベルで人口減少が進んでいるような状況であるが、その現状をしっかりと分析するうえでも極めて貴重な視座を本書は提供してくれる。そして、著者はこれは日本の大問題であると指摘しているが、現在からみるとはるかに牧歌的に見えてしまうのは、それだけ現在の日本が危機的状況にあることの裏返しであろう。 


日本の過疎地帯 (1968年) (岩波新書)

日本の過疎地帯 (1968年) (岩波新書)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1968
  • メディア: 新書



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スケッチ全国町並み見学 [書評]

本書は全国各地の特徴的な町並みを有する52カ所を選び、著者の味わいのあるスケッチ画とともに、それらの町並みの紹介がなされている。東京や大阪などの大都市で生活をしていると、日本の都市景観・町並み景観は欧州などに比べると相当今ひとつであるなと劣等感に近い気持ちにさせられるが、本書で紹介されている町並みを知るにつけ、本来的には、日本人にも美しい町並みを創造することができる、また、そのために知恵を使うこともできる、ということに気づかされる。本書を読むと、早速、鉄道に乗って、これらの町を訪れたい衝動に駆られる。多くの若者に読んでもらいたい本である。


スケッチ 全国町並み見学 (岩波ジュニア新書)

スケッチ 全国町並み見学 (岩波ジュニア新書)

  • 作者: 片寄 俊秀
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1989/12/20
  • メディア: 新書



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『くまモン力』亀山早苗著 [書評]

くまモンの熱烈ファンによる、くまモンへの熱烈公開ラブレター的な内容と受け止めることもできる、くまモン絶賛本。しかし、どうして、筆者はこんなにくまモンを好きなのか、客観的に分析して、そこからくまモンの魅力を著者なりに整理している。私はくまモンのファンではないが、くまモンがどうしてこんなに人気があるのかを知りたくて、本書を購入したのだが、くまモンファンの気持ちは理解できたような気がする。


くまモン力 人を惹きつける愛と魅力の秘密

くまモン力 人を惹きつける愛と魅力の秘密

  • 作者: 亀山早苗
  • 出版社/メーカー: イースト・プレス
  • 発売日: 2014/01/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



タグ:くまもん力
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『私がくまもんの上司です』 [書評]

くまもんのことを知りたくて購入したのだが、くまもんの上司である蒲島熊本県知事の話が中心であった。くまもんのことも書いてあったが、本の全体の1/3程度である。実際、このような内容であることを事前に知っていたら買わなかったかと思うが、この蒲島知事は相当、ユニークな政治家であることが分かった。ということで、本自体の感想は、読んでも損でない、というかむしろ面白かった。また、くまもんの上司であるこの知事は、相当の切れ者である、ことも分かった。政治家の自伝書は眉に唾つけて読まなくてはいけないとは思うが、それを踏まえても面白い政治家で、私はちょっと興味を持ちました。

私がくまモンの上司です――ゆるキャラを営業部長に抜擢した「皿を割れ」精神

私がくまモンの上司です――ゆるキャラを営業部長に抜擢した「皿を割れ」精神

  • 作者: 蒲島 郁夫
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2014/03/14
  • メディア: 単行本



タグ:くまもん
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セブン・イレブンおでん部会 [書評]

 この本は読んでいるとイライラしてくる。まず、タイトルは「セブン・イレブンおでん部会」であるが、おでんの話は9章中、1章だけであった。看板に偽りありだ。基本、この本は、セブン・イレブンがいかに加工食品の商品開発に力を入れているか、ということを手放しで絶賛している。絶賛のオンパレードである。確かにセブン・イレブンはその商品をよくするために一生懸命、努力をしていることは本書からもよく伝わってくる。その企業体としての姿勢は素場らしいものがあるなとも感じる。
 しかし、セブン・イレブンというコンビニエンス・ストアが、そこまで加工食品の商品開発に力を入れる必然性が社会にあるのか、というか、コンビニエンス・ストアに美味しいおにぎり、おでん、パンなどを期待するという社会は圧倒的に非効率で食文化的には貧困な社会なのではないか、という思いを、本書を読めば読むほど、強く抱いてしまうのである。あまり強く思ってしまったので、最後まで読み通すのが苦痛であったぐらいである。
 おでんは、おでん屋がつくればいいのである。美味しいメロンパンはパン屋がつくればいいのである。美味しい蕎麦を食べたければ美味しい蕎麦屋に行けばいいのである。コンビニエンス・ストアが我々の消費生活を豊かにしているのは異論がない。私もよく使う。しかし、おでんもメロンパンも蕎麦もおにぎりも買わない。いや、絶望的にお腹が減った時は、おにぎりは買う時があるのと、登山をする時にもおにぎりを買ったりはする。しかし、それ以外は買わない。
 なぜなら、おでんはおでん屋の方が遙かに美味しいし、家でつくったものの方が美味しいし、蕎麦も遙かに蕎麦屋、もしくは家で茹でた方がはるかに美味しいからである。サンドイッチもそうである。私が家でさささっとつくったサンドイッチは、セブン・イレブンのサンドイッチよりはるかに美味しい。なぜ、冷やし中華を家でつくらないで、コンビニで買うのだろう。いや、外食で食べるから、という人がいるかもしれないが、そこらへんの中華料理屋で食べた方が絶対に美味しい。それは、料理を提供するという形態(注文してつくるのと、既製品としてつくられたもの)の圧倒的な越えられない差である。
 私はたまに他の郊外とかにある大学とかの会議や打ち合わせで、コンビニ弁当を食べざるを得ない時があるが、その時ほど食欲がなくなる時は滅多にない。そして、100%不味い。美味しいコンビニ弁当を食べたことは、サンプルは少ないが、一度もない。崎陽軒のしゅうまい弁当の方が遙かに美味しいと思う。
 まあ、他人がコンビニで何を買おうが構わないが、本書を読んで私が強く思ったのは、コンビニエンス・ストアが我々の消費生活を豊かにしようとすればするほど、我々の少なくとも食事のレベルは悪くなっているということである。
 最後にこの本は鈴木敏文会長と取材をしているが、この部分だけは読む価値がある。
最後まで苦痛をこらえて読んだことが、ちょっと報われた気分になった。 

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井堀利宏『大学4年間の経済学が10時間でざっと学べる』 [書評]

「1日で学べる」とかいう類の本はほとんどいい加減なのだが、本書は確かに10時間ぐらいの読書時間で、大学で教える経済学のエッセンスがざっと理解できる、という構成になっていて、「看板に偽りなし」と言えるのではないかと思われる。もちろん、何も知らないでこれを10時間でよんでも理解できないかとは思うが、ある程度の経済的な素養、教養があれば、さっと理解することができるであろう。もちろん、「コースの定理」とか、言葉は出てきても具体的には一切、説明がされていないような点は不十分だが、これは逆にいえば「コースの定理」は、内容はわからなくても、ざっと経済学を理解するというレベルでは言葉さえ知っておけばいいということなのかもしれない。おおまかに大学で教えるレベルの経済学を概観するのには、無駄がなく、エッセンスが凝縮されている良書であると思われた。

大学4年間の経済学が10時間でざっと学べる

大学4年間の経済学が10時間でざっと学べる

  • 作者: 井堀 利宏
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版
  • 発売日: 2015/04/12
  • メディア: 単行本



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