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増田寛也編著の『地方消滅』 [書評]

増田寛也編著の『地方消滅』をようやく読んだ。何、今さら、と指摘されると答えに窮する。新書で、あっという間に読めるのに、今まで読まなかったのは、単につまらなさそう、というのと、読むと苛立つだろうな、というのが予見されたからである。ちょっと、このところ苛立つ余裕もないほど忙しいような状況だったということもある。最近、その状況が少し、変化したので、一気に読んだ。そして、やはり苛立った。その苛立ちの理由を整理しなくてはならないが、大きく4つあると思う。
 まず、この「地方消滅」というタイトルに苛立つ。そもそも、地方は「消滅」するのか。「消滅」という定義はどのようにされているのか。ある集落が消滅するということはあり得る。例えば、軍艦島と呼ばれた端島。ここは最盛期には5000人はいたが、今で誰も住まない廃墟になっている。あまりにも見事な廃墟になっているので、世界遺産になった。そして、旧阿寒町の雄別炭鉱。ここは隣町と含めて12000人ぐらいは住んでいたが、今は500人にまで減った。ある意味、消滅といってもいいかもしれない。さて、しかし、それで「地方」が消滅するとは言わない。福島原発の双葉町のようなケースであれば、消滅といってもいいかもしれない。チェルノブイリの周辺も消滅した地方かもしれない。しかし、軍艦島も雄別炭鉱も石炭という産業が興って人が集まり、それがなくなったので去っていったのである。それほど悲惨な事態であるとは思わない。夕張は石炭産業がなくなり、最盛期に比べれば9割の人が減ったが、メロン農家は豊かであるし、これらの農家は今後も夕張で暮らしていくであろう。夕張は「消滅」しなかったのである。大きく人口は減少したが「消滅」ではない。この本の巻末には多くの消滅可能性都市が上げられているが、それらのほとんどは、人口は減らしても消滅はしないであろう。集落はなくなっても、農業などの一次産業を行うことができれば(そういう点では双葉町は致命的である)、人は住む。また、現在はカナダやインドネシアからの輸入材に押されてしまっているが、林業も完全に日本が放棄することにはならないだろう。日本の7割は森なのである。
 次に、この「地方消滅」都市を選ぶうえでの計算の仕方が納得できない。この本では20~39歳の女性の流出を気にしているが、この子供を産む世代が出て行っても、その後、戻ってくれば人口は減らないのである。このことを考えないから豊島区を消滅可能性都市に挙げるなどのトンチンカンな結果を出してしまうのである。つまり、その自治体で子供を産まなくても、他で里帰りのようにして産み、40歳以降に子供連れで戻ってきたりすれば、その自治体は消滅しないのだ。それなのに、それを受けて豊島区がパニックになって、緊急対策本部をつくったりするなどは、ドタバタ劇を見るようで、本当に苛立ってしまうのである。
 3つめは、「地域が活きる6モデル」という章があるのだが、そのモデルを選出するうえで20~39歳の女性人口の変化率をみている点である。変化率というのは、それ以前と大きく地域特性が変わっていれば上がるし、どんなにいい事例でも前からやっていると変化率は変わらない。重要なのは「変化率」ではなくて、絶対数である!と憤怒していたら、なんと、その後の増田氏と藻谷氏との対談で、まさに同じことを藻谷氏は指摘していた。
「マクロ経済学は基本的に率ではなく絶対数というのが、日本を除く世界の共通認識です」(p.149)。
 その発言を受けて、増田氏はまさにその通り、というようなことを述べていたが、この本の内容は絶対数ではなくて率を見過ぎている。
 そして、最後に思うのは、人間は地域や国のために生きているのではなく、自分の幸せを最大限にすることを目的として生きているということである。したがって、例えば北海道の猿払村のように東京より給料が高い仕事があれば、中学卒業して村を出ても(高校がないので)、また高校を卒業したら戻るのである。夕張のメロン農家だって、世帯年収が高いので皆、やっているのである。まあ、増田氏はこの本の中では、生き方を押しつけることができないというのを対談で述べており、それほど傲慢ではない印象は受けるが、それでも地方に人間を定住することをあまりにも是として捉えすぎていると思うのである。人間と地域のどちらが大切かといえば、それは人間であり、同じことを私は国にも言えると思う。そのように考えると、逆に人が豊かになる地域や国づくりが見えてくるのではないだろうか。極端な言い方になってしまうかもしれないが、人を豊かにしない地域や国はなくなってもいいのである。そのような地方は人に見放されたからだ。といいつつ、私はすべての人に見放されるような地方や土地は日本にはほとんどないと思う。日本の国土は、それだけ恵まれているし、美しく豊かであるとは思っている。そのような美しさや豊かさを大切にしようとしたら、原発の再稼働はとてもできないと思うのである。根源的な地方の豊かさを追求し、その土地の豊かさを軸に置いた産業で地方の経済を回せば、地方が消滅するなどということはあり得ないと思う。
 このブログで書いたことは納得できない人もいるかもしれないが、残りの人生を使って、このような論を発展させていければと思う。

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