岩手山のお鉢まで登って、強風で登頂を断念する [日本百名山]
前日の八甲田山への挑戦は、雨に行く手をふさがれ、諦めた。その後、紫波町のオガールインに泊まったのだが雨は止み、見事な夕焼けであった。朝、起きたら雨も上がっている。予報では岩手山は午前中は雨だが、正午には雨は上がるということで、これはいけるぞ、と勇んでオガールインを4時30分頃に発ち、岩手山の登山口である馬返しに向かう。馬返しに着いたのは6時前。既に、数台の車が駐車場に停まっている。登山口では雨は降っていない。
ということで非常に楽観的な気持ちで登山を開始する。登山の最初は、ブナやミズナラなどの広葉樹の森の中である。0.5合というところで新道と旧道とに分離する。ここは左手の旧道を取る。旧道は谷の脇を通っていく。谷をみると雨が結構、降っている。これはアカン、と思うが幸い、登山道は森の中なので雨には濡れずに済む。さて、ほぼゆるやかな階段を上るぐらいの傾斜で登山道は高さを稼いでいく。新道と旧道は合流し、さらに2.5合というところでまた新道と旧道とが分離している。旧道は木が茂っていない。この雨だと厳しいと判断し、ここも新道を選ぶ。それ以降は、延々と広葉樹の森の中を歩いて行く。斜度はきつく、火山であることもあり礫も多い。決して楽ではないが、ゆっくりと歩幅を狭くして、一歩一歩確かめるように歩いて行くと、どうにか7合目の新道と旧道の合流点に着く。ここらへんからは見事な北上盆地が見られるのだが、それに気づくのは帰路。上りは、霧雨の中、視界もほとんど得られない中、苦行に耐えるようにただ歩いて行くのみであった。
7合目からちょっと行くと8合目に着く。ここには避難小屋が設置されており、管理人も常駐している。8合目は霧が深く、また雨も止みそうにもないので、この避難小屋で昼食を取ることにする。天気が悪かったのでガスバーナーを持ってこず、今回は珈琲とカップヌードルを諦めたのだが、この避難小屋では両方とも入手することができる。ということで、ガスバーナーを持ってこなくても、カップヌードルでの昼食を取ることができた。さて、昼食を取っても天候は依然として芳しくない。正午には晴れるということなので、正午ちょうどに山頂に到着できるように、この避難小屋で1時間ほど待つことにした。避難小屋にはトイレもついており、岩手山の山頂へのアタックするうえでは大変有り難い存在だ。私は、ここで濡れた服を乾かしていたのだが、1時間では乾かなかったので、他の重い荷物とともに山頂に行っている間は、ここに置かせてもらった。
11時15分に小屋を出発し、山頂へ向かう。9合目に着くと、鬼カ城と呼ばれる巨岩が現れる。しかし、濃霧でまるで幽霊城のように見える。9合目から外輪山には二つのルートがあるのだが、避難小屋の管理人が遠回りでも右手のルートがいいと教えてくれたのでその通り、右手のルートを行く。歩きやすいと言われた右手のルートであるが、斜度はそれでもきつくて、ジグザグで歩いて行かないととても登れない。また、砂礫は歩きづらい。これより歩きにくい左手のルートはどんだけと思う。さて、とはいえ、踏ん張って歩いていると外輪山に着く。ただ、外輪山はとてつもない暴風で、今にも飛ばされそうである。そして、手がかじかんでいて寒い。気温はそれほど寒くはないのだが、暴風によって体感温度は相当低い。6時間近く歩いて、山頂はあと20分ぐらいで到着できるのだが、これはリスクが高すぎるのと、頂上にたとえ登れてもまったく景色も見られないだろうと判断して、ここで踵を返す。いわゆる「勇気ある撤退」というやつである。
9合目まで登ると、行きよりは鬼カ城はその輪郭をくっきりと現している。8合目に戻って、登頂を断念したことを管理人に告げると、我々より先に入っていた登山者が低体温症になってしまって大変だったということを我々に話す。どうも、手はかじかみ、口はガタガタ震えて、もう身体がコントロールできないような状態になってしまったそうだ。この登山者はレインギアではなく、普通のカッパを着て、また速乾性の高いスポーツシャツを着ていた。速乾性の高いスポーツシャツは乾かすのは早いが、常に雨に降られて濡れているような状況にあると、濡れタオルを着ているようなものなので体温をむしろ奪ってしまう。8月に低体温症というのは、トムラウシでの惨劇などで起こりうることは知ってはいたが、いざ、目の前の人がその寸前だったという話を聞くと、改めて登山の恐ろしさを知る。この人は、避難小屋があったので、身体を温め直すことができて、大事に至らなくて済んだが、もし避難小屋がなかったら、本当、命の危険に直面することになったであろう。「勇気ある撤退」は賢明だったな、と思うと同時に、登山のリスク管理の大切さを再確認する。
さて、置かせてもらった荷物をパッキングし、下山を開始する。雨は途中まで降っていたが、新道と旧道とが分離する7合目ぐらいから、下界への視界が時折開け、素晴らしい展望を楽しませてくれた。今回の登山のハイライトはこれぐらいであったが、イーハトーブと言う名称がなんかしっくりと来るような北上盆地の美しいランドスケープを望むことができたことは、岩手山登山の収穫であった。
礫の登山道は、上りよりむしろ下りの方が難しいくらいである。浮き石もあるので、捻挫に気をつけつつ注意深く降りていく。帰りも2.5合までは新道を選ぶ。
登山口に着いた時は16時を回っていた。ほぼ10時間という長丁場の登山であった。今回は岩手山頂には到達できなかったが、個人的には10時間という長丁場の登山は羅臼岳以来であり、ゆっくりと丁寧に登ったことで太股、脹ら脛とが攣りそうになることもなく、膝にも痛みを感じずに登って降りることができたのは自信に繋がった。いつか、登ってやるぞ、という決意とともに岩手山を後にする。
(馬返しの駐車場)
(馬返しの登山口)
(登山口からの岩手山。山の稜線が見れたので、結構、楽観的な気持ちになってしまった)
(一合目ぐらいでもう雨が降っていた)
(八合目の避難小屋は管理人も常駐しており、寝ることもできる)
(避難小屋ではカップヌードルも300円で購入することができる。これは便利)
(霧の中の八合目避難小屋)
(お鉢のところまでたどり着くと、待っていたのは視界ゼロに近い濃霧と凄まじい暴風)
(鬼カ城は下山時にはその姿が見えてきた)
(下山時に見えた北上盆地の美しいランドスケープ)
(盛岡市が美しい風土の中につくられたコンパクトな都市であることがこの写真からは伺える)
ということで非常に楽観的な気持ちで登山を開始する。登山の最初は、ブナやミズナラなどの広葉樹の森の中である。0.5合というところで新道と旧道とに分離する。ここは左手の旧道を取る。旧道は谷の脇を通っていく。谷をみると雨が結構、降っている。これはアカン、と思うが幸い、登山道は森の中なので雨には濡れずに済む。さて、ほぼゆるやかな階段を上るぐらいの傾斜で登山道は高さを稼いでいく。新道と旧道は合流し、さらに2.5合というところでまた新道と旧道とが分離している。旧道は木が茂っていない。この雨だと厳しいと判断し、ここも新道を選ぶ。それ以降は、延々と広葉樹の森の中を歩いて行く。斜度はきつく、火山であることもあり礫も多い。決して楽ではないが、ゆっくりと歩幅を狭くして、一歩一歩確かめるように歩いて行くと、どうにか7合目の新道と旧道の合流点に着く。ここらへんからは見事な北上盆地が見られるのだが、それに気づくのは帰路。上りは、霧雨の中、視界もほとんど得られない中、苦行に耐えるようにただ歩いて行くのみであった。
7合目からちょっと行くと8合目に着く。ここには避難小屋が設置されており、管理人も常駐している。8合目は霧が深く、また雨も止みそうにもないので、この避難小屋で昼食を取ることにする。天気が悪かったのでガスバーナーを持ってこず、今回は珈琲とカップヌードルを諦めたのだが、この避難小屋では両方とも入手することができる。ということで、ガスバーナーを持ってこなくても、カップヌードルでの昼食を取ることができた。さて、昼食を取っても天候は依然として芳しくない。正午には晴れるということなので、正午ちょうどに山頂に到着できるように、この避難小屋で1時間ほど待つことにした。避難小屋にはトイレもついており、岩手山の山頂へのアタックするうえでは大変有り難い存在だ。私は、ここで濡れた服を乾かしていたのだが、1時間では乾かなかったので、他の重い荷物とともに山頂に行っている間は、ここに置かせてもらった。
11時15分に小屋を出発し、山頂へ向かう。9合目に着くと、鬼カ城と呼ばれる巨岩が現れる。しかし、濃霧でまるで幽霊城のように見える。9合目から外輪山には二つのルートがあるのだが、避難小屋の管理人が遠回りでも右手のルートがいいと教えてくれたのでその通り、右手のルートを行く。歩きやすいと言われた右手のルートであるが、斜度はそれでもきつくて、ジグザグで歩いて行かないととても登れない。また、砂礫は歩きづらい。これより歩きにくい左手のルートはどんだけと思う。さて、とはいえ、踏ん張って歩いていると外輪山に着く。ただ、外輪山はとてつもない暴風で、今にも飛ばされそうである。そして、手がかじかんでいて寒い。気温はそれほど寒くはないのだが、暴風によって体感温度は相当低い。6時間近く歩いて、山頂はあと20分ぐらいで到着できるのだが、これはリスクが高すぎるのと、頂上にたとえ登れてもまったく景色も見られないだろうと判断して、ここで踵を返す。いわゆる「勇気ある撤退」というやつである。
9合目まで登ると、行きよりは鬼カ城はその輪郭をくっきりと現している。8合目に戻って、登頂を断念したことを管理人に告げると、我々より先に入っていた登山者が低体温症になってしまって大変だったということを我々に話す。どうも、手はかじかみ、口はガタガタ震えて、もう身体がコントロールできないような状態になってしまったそうだ。この登山者はレインギアではなく、普通のカッパを着て、また速乾性の高いスポーツシャツを着ていた。速乾性の高いスポーツシャツは乾かすのは早いが、常に雨に降られて濡れているような状況にあると、濡れタオルを着ているようなものなので体温をむしろ奪ってしまう。8月に低体温症というのは、トムラウシでの惨劇などで起こりうることは知ってはいたが、いざ、目の前の人がその寸前だったという話を聞くと、改めて登山の恐ろしさを知る。この人は、避難小屋があったので、身体を温め直すことができて、大事に至らなくて済んだが、もし避難小屋がなかったら、本当、命の危険に直面することになったであろう。「勇気ある撤退」は賢明だったな、と思うと同時に、登山のリスク管理の大切さを再確認する。
さて、置かせてもらった荷物をパッキングし、下山を開始する。雨は途中まで降っていたが、新道と旧道とが分離する7合目ぐらいから、下界への視界が時折開け、素晴らしい展望を楽しませてくれた。今回の登山のハイライトはこれぐらいであったが、イーハトーブと言う名称がなんかしっくりと来るような北上盆地の美しいランドスケープを望むことができたことは、岩手山登山の収穫であった。
礫の登山道は、上りよりむしろ下りの方が難しいくらいである。浮き石もあるので、捻挫に気をつけつつ注意深く降りていく。帰りも2.5合までは新道を選ぶ。
登山口に着いた時は16時を回っていた。ほぼ10時間という長丁場の登山であった。今回は岩手山頂には到達できなかったが、個人的には10時間という長丁場の登山は羅臼岳以来であり、ゆっくりと丁寧に登ったことで太股、脹ら脛とが攣りそうになることもなく、膝にも痛みを感じずに登って降りることができたのは自信に繋がった。いつか、登ってやるぞ、という決意とともに岩手山を後にする。
(馬返しの駐車場)
(馬返しの登山口)
(登山口からの岩手山。山の稜線が見れたので、結構、楽観的な気持ちになってしまった)
(一合目ぐらいでもう雨が降っていた)
(八合目の避難小屋は管理人も常駐しており、寝ることもできる)
(避難小屋ではカップヌードルも300円で購入することができる。これは便利)
(霧の中の八合目避難小屋)
(お鉢のところまでたどり着くと、待っていたのは視界ゼロに近い濃霧と凄まじい暴風)
(鬼カ城は下山時にはその姿が見えてきた)
(下山時に見えた北上盆地の美しいランドスケープ)
(盛岡市が美しい風土の中につくられたコンパクトな都市であることがこの写真からは伺える)
雨で八甲田山登山を断念する [日本百名山]
八甲田山に登山するために酸ヶ湯温泉に宿泊した。前日は雨が降っていたのと予報では雨だったので、ほとんど期待せずに熟睡をしていたら、起きたら雨は止んでいた。予報では、10時頃からまた雨が降るということなので、6時30分に朝食を取るとそそくさと準備をして、さすがに酸ヶ湯温泉から登るのは無理と判断して、レンタカーで八甲田山ロープウェイの乗り場まで行く。八甲田山ロープウェイの営業時間は8時からである。始発のロープウェイで上まで行く。ロープウェイの途中までは視界も開けていたが、途中から雲の上。上の山頂公園駅に着くと、雨はもう結構、降っていた。大岳まで行くのはとても難しそうだったので、とりあえず赤倉岳を目指す。レインギアをしっかりと着て、傘をさして歩き始める。山頂公園は観光客向けの田茂萢湿原を巡る60分のハイキングコースがある。このコースは木道が敷かれており、雨の中でも歩きやすい。このハイキングコースと赤倉岳の登山ルートが分岐する上毛無岱分岐点からは、登山道も狭まり泥濘んだ道となる。ここを5分ほど歩いたところで、雨が酷くなったことに加え、濃霧で視界もほとんど得られないことから、それ以上先に行くことを断念。Uターンして、ロープウェイの山頂駅に戻る。八甲田山は結構、東京からは遠いので断念したのは残念だが、まあ、山がなくなる訳ではないので、またいつか来ることを誓いつつ、八甲田山を後にする。
(ロープウェイから前嶽を望む。このくらいの高さだとまだ眺望が得られる)
(ロープウェイから下界を望む)
(ロープウェイから前嶽を望む。このくらいの高さだとまだ眺望が得られる)
(ロープウェイから下界を望む)
至仏山(日本百名山32座登頂) [日本百名山]
昨年の10月に至仏山に登るために鳩待山荘を予約しておいた。しかし、8月下旬にアイスランドで足首をひどく捻挫したため、宿まで行って泊まったのだが、結局、とても登れそうもないので、尾瀬ヶ原にだけ行って至仏山には登らなかった。ということで、大変、後ろ髪を引かれていた至仏山であったので、この週末にチャレンジをした。幸い、ゼミの卒業生が二人付き合ってくれた。11時に東京を自家用車で出発する。鳩待山荘へは自家用車のアクセスが禁止されていたので、戸倉の駐車場にて車を停めて、そこから乗り合いタクシーにて鳩待山荘にまで向かう。バスもタクシーも同じ料金で一人980円である。ちなみに戸倉の駐車場は一日1000円であった。
鳩待山荘に到着したのは16時ちょっと過ぎぐらいであった。隣のお土産屋さんで、地酒の水芭蕉の純米吟醸を仕入れ、17時30分の夕食の前から一献傾ける。夕食では生ビールを注文し、食事をした後も、卒業生と残りの酒を飲み明かす。3人とも飲兵衛なので、早いピッチで飲み終わり、20時頃には就寝。朝の4時頃に目を覚まし、朝食はおにぎりにしてもらい、4時50分には鳩待山荘を発つ。そのまま至仏山に登るコースもあったが、卒業生は二人とも尾瀬ヶ原に行ったことがない、ということなので山の鼻経由のルートを取ることにした。
山の鼻の標高は1409メートル。鳩待山荘が1591メートルなので、180メートルちょっと下りることになる。これは、ちょっと勿体ない。しかし、山の鼻はちょうど朝靄が晴れるような状態で、その尾瀬ヶ原の美しさをみたら、勿体ないという気持ちは吹っ飛んだ。ちょっとコースタイムの50分より時間がかかり1時間ほどかかったので着いたのは6時ぐらいであった。ここで朝食のおむすびを食べ、またお土産屋がもう開業していたので温かい缶コーヒーを買う(なんと、250円)。
腹拵えをして出発したのは6時30分。ここから至仏山の山頂2228メートルまで、820メートル登らなくてはならない。とはいえ、820メートルといったらそれほど大したことはないだろうと高をくくったら、ほとんど階段を永遠に上って行くような感じで、相当厳しかった。とはいえ、その厳しさを知るのはずっと後の話である。
山の鼻を出て、ちょっとだけ尾瀬ヶ原の湿原を横切り、至仏山の登山口という看板とともに、坂道となる。登山道はしっかりと整備されていて歩きやすいが、斜度はなかなかのものだ。ただ、30分ぐらい登ると、燧ヶ岳の山容を背景とする尾瀬ヶ原がばっちりと見え、高さを稼ぐことの喜びを感じる。1時間15分ぐらい歩くと、森林限界に到達し、それとともに登山道も滑りやすい蛇紋岩を這っていくような感じになる。そして、永遠に続くかのような階段に出る。私の頭に、レッド・ツェッペリンの佳曲『天国への階段』のイントロが流れる。ここは、どうも高天が原と呼ばれるワイルドフラワーの名所らしい。しかし、もう疲労困憊の私はワイルドフラワーを愛でる余裕はない。脹ら脛がぴきぴきと言い始め、攣るのだけは回避しなくてはと、騙し騙し登っていき、ちょっともう限界かも、と思ったら山頂に着いた。山頂に着いたのは8時50分。2時間20分ということで、コースタイムより5分ほど余計に時間がかかったが、悪くないペースである。
山頂ではお湯を沸かしてドリップ式の珈琲を飲みたいところなのだが、私が鍋を忘れてしまったので、簡単な軽食だけをここで食べる。山頂からはまさに360度の素晴らしい展望を得ることができる。天気も晴れていたこともあり、尾瀬ヶ原や燧ヶ岳はもちろんのこと、日光白根山や谷川岳が展望できる。
9時15分頃には下山を開始する。蛇紋岩は滑りやすいとガイドブックなどでも随分と書かれていたので、慎重に下りていく。確かに、黒光りしているような岩は、面白いようにつるつると滑る。私は3人のチームの中で、最後尾を歩いていたので、先を行く卒業生達が「つるつる警報」を出してくれたので、まったく滑らずに済んだが、先頭を行く卒業生はつるりんと滑ってしまった。幸い、怪我とかはなかったが、蛇紋岩、なかなか厄介である。
さて、せっかく下がっていったのだが、小至仏山では再び登らなくてはならない。この登りは疲れたからだにはなかなか楽ではない。が、踏ん張って9時54分には小至仏山の山頂に立つ。これはコースタイムの20分よりも10分も余計にかかったが、これ以上のペースで歩くと蛇紋岩で滑ってしまったであろう。これは、コースタイムが早すぎるのではないかと思ったりもする。ここらへんの蛇紋岩からはワイルドフラワーが多く自生しており、ちょっと余裕があり、上りと違って愛でる余裕も出てくる。小至仏山から20分ぐらい歩いたところに素晴らしい湿原が出現。さすが尾瀬は魅力溢れる土地だなというのを実感しつつ、鳩待峠に急ぐ。鳩待峠は下りルートからよく見えるのだが、なかなか歩いても近づかない。比較的早いペースで歩いたつもりだったが、到着したのは11時20分。ほぼ至仏山山頂を出てから2時間経っての帰着であった。
鳩待山荘に置かせてもらっていた荷物を受け取り、11時50分発の乗り合いバスで戸倉の駐車場まで戻る。鳩待山荘でお薦めといわれた「ほっこり湯」というサービスが偉いぶっきらぼうで全然ほっこりしていない温泉で汗を流し、着替えをし、帰りには沼田市の池田というえらく美味しい蕎麦屋で十割そばを食べて、東京に戻る。日曜日ということで関越自動車道の渋滞に巻き込まれたこともあり、東京には19時頃に到着。
(鳩待山荘を早朝に出発)
(朝靄の中を山の鼻に向かって歩いて行く)
(山の鼻で朝食を取る)
(朝靄が晴れて朝日が差し込み、幻想的な美しさを見せる尾瀬ヶ原)
(早朝の尾瀬ヶ原を気持ちよく歩く)
(至仏山への登山道は急だが、ある程度歩くと、燧ヶ岳と尾瀬ヶ原の素晴らしい展望が得られる。これは至仏山登山の醍醐味であろう)
(登山道には尾瀬ヶ原を展望するベンチがところどころに設置されている)
(樹林限界を超えると、蛇紋岩のガレを這い上がるようにのぼっていく)
(たまに階段が設置されているが、もう永遠に続くかのような長さにあまり嬉しくなれない。「天国への階段」のメロディーが頭の中に響く)
(登山道を振り返ると、この絶景)
(至仏山の山頂)
(山頂は広くはないが、ちょっと休めるようなスペースがある。岩木山とか蓼科山のような岩でごつごつしていないのは有り難い)
(至仏山から西を望む。山頂からは360度の絶景が得られる)
(下山開始。最初は小至仏山へと向かう)
(小至仏山への下山道から振り返る至仏山の西側は、東側の端正な容姿とは異なり、極めてごつごつといかつい風貌を晒している)
(至仏山は花の山として有名だが、りんどうなどのワイルドフラワーがあちこちに咲いており、目を楽しませてくれる。ただ、個人的には上っていた時はそのような花を愛でる余裕はゼロであった)
(小至仏山の山頂。ここからも素晴らしい展望が得られる)
(オヤマ沢田代という美しい湿原が忽然として現れる)
(鳩待山荘に戻ってきたのは11時20分。ということで午前中に戻ってこられたのはよかった。前泊登山の魅力はこれだ。)
鳩待山荘に到着したのは16時ちょっと過ぎぐらいであった。隣のお土産屋さんで、地酒の水芭蕉の純米吟醸を仕入れ、17時30分の夕食の前から一献傾ける。夕食では生ビールを注文し、食事をした後も、卒業生と残りの酒を飲み明かす。3人とも飲兵衛なので、早いピッチで飲み終わり、20時頃には就寝。朝の4時頃に目を覚まし、朝食はおにぎりにしてもらい、4時50分には鳩待山荘を発つ。そのまま至仏山に登るコースもあったが、卒業生は二人とも尾瀬ヶ原に行ったことがない、ということなので山の鼻経由のルートを取ることにした。
山の鼻の標高は1409メートル。鳩待山荘が1591メートルなので、180メートルちょっと下りることになる。これは、ちょっと勿体ない。しかし、山の鼻はちょうど朝靄が晴れるような状態で、その尾瀬ヶ原の美しさをみたら、勿体ないという気持ちは吹っ飛んだ。ちょっとコースタイムの50分より時間がかかり1時間ほどかかったので着いたのは6時ぐらいであった。ここで朝食のおむすびを食べ、またお土産屋がもう開業していたので温かい缶コーヒーを買う(なんと、250円)。
腹拵えをして出発したのは6時30分。ここから至仏山の山頂2228メートルまで、820メートル登らなくてはならない。とはいえ、820メートルといったらそれほど大したことはないだろうと高をくくったら、ほとんど階段を永遠に上って行くような感じで、相当厳しかった。とはいえ、その厳しさを知るのはずっと後の話である。
山の鼻を出て、ちょっとだけ尾瀬ヶ原の湿原を横切り、至仏山の登山口という看板とともに、坂道となる。登山道はしっかりと整備されていて歩きやすいが、斜度はなかなかのものだ。ただ、30分ぐらい登ると、燧ヶ岳の山容を背景とする尾瀬ヶ原がばっちりと見え、高さを稼ぐことの喜びを感じる。1時間15分ぐらい歩くと、森林限界に到達し、それとともに登山道も滑りやすい蛇紋岩を這っていくような感じになる。そして、永遠に続くかのような階段に出る。私の頭に、レッド・ツェッペリンの佳曲『天国への階段』のイントロが流れる。ここは、どうも高天が原と呼ばれるワイルドフラワーの名所らしい。しかし、もう疲労困憊の私はワイルドフラワーを愛でる余裕はない。脹ら脛がぴきぴきと言い始め、攣るのだけは回避しなくてはと、騙し騙し登っていき、ちょっともう限界かも、と思ったら山頂に着いた。山頂に着いたのは8時50分。2時間20分ということで、コースタイムより5分ほど余計に時間がかかったが、悪くないペースである。
山頂ではお湯を沸かしてドリップ式の珈琲を飲みたいところなのだが、私が鍋を忘れてしまったので、簡単な軽食だけをここで食べる。山頂からはまさに360度の素晴らしい展望を得ることができる。天気も晴れていたこともあり、尾瀬ヶ原や燧ヶ岳はもちろんのこと、日光白根山や谷川岳が展望できる。
9時15分頃には下山を開始する。蛇紋岩は滑りやすいとガイドブックなどでも随分と書かれていたので、慎重に下りていく。確かに、黒光りしているような岩は、面白いようにつるつると滑る。私は3人のチームの中で、最後尾を歩いていたので、先を行く卒業生達が「つるつる警報」を出してくれたので、まったく滑らずに済んだが、先頭を行く卒業生はつるりんと滑ってしまった。幸い、怪我とかはなかったが、蛇紋岩、なかなか厄介である。
さて、せっかく下がっていったのだが、小至仏山では再び登らなくてはならない。この登りは疲れたからだにはなかなか楽ではない。が、踏ん張って9時54分には小至仏山の山頂に立つ。これはコースタイムの20分よりも10分も余計にかかったが、これ以上のペースで歩くと蛇紋岩で滑ってしまったであろう。これは、コースタイムが早すぎるのではないかと思ったりもする。ここらへんの蛇紋岩からはワイルドフラワーが多く自生しており、ちょっと余裕があり、上りと違って愛でる余裕も出てくる。小至仏山から20分ぐらい歩いたところに素晴らしい湿原が出現。さすが尾瀬は魅力溢れる土地だなというのを実感しつつ、鳩待峠に急ぐ。鳩待峠は下りルートからよく見えるのだが、なかなか歩いても近づかない。比較的早いペースで歩いたつもりだったが、到着したのは11時20分。ほぼ至仏山山頂を出てから2時間経っての帰着であった。
鳩待山荘に置かせてもらっていた荷物を受け取り、11時50分発の乗り合いバスで戸倉の駐車場まで戻る。鳩待山荘でお薦めといわれた「ほっこり湯」というサービスが偉いぶっきらぼうで全然ほっこりしていない温泉で汗を流し、着替えをし、帰りには沼田市の池田というえらく美味しい蕎麦屋で十割そばを食べて、東京に戻る。日曜日ということで関越自動車道の渋滞に巻き込まれたこともあり、東京には19時頃に到着。
(鳩待山荘を早朝に出発)
(朝靄の中を山の鼻に向かって歩いて行く)
(山の鼻で朝食を取る)
(朝靄が晴れて朝日が差し込み、幻想的な美しさを見せる尾瀬ヶ原)
(早朝の尾瀬ヶ原を気持ちよく歩く)
(至仏山への登山道は急だが、ある程度歩くと、燧ヶ岳と尾瀬ヶ原の素晴らしい展望が得られる。これは至仏山登山の醍醐味であろう)
(登山道には尾瀬ヶ原を展望するベンチがところどころに設置されている)
(樹林限界を超えると、蛇紋岩のガレを這い上がるようにのぼっていく)
(たまに階段が設置されているが、もう永遠に続くかのような長さにあまり嬉しくなれない。「天国への階段」のメロディーが頭の中に響く)
(登山道を振り返ると、この絶景)
(至仏山の山頂)
(山頂は広くはないが、ちょっと休めるようなスペースがある。岩木山とか蓼科山のような岩でごつごつしていないのは有り難い)
(至仏山から西を望む。山頂からは360度の絶景が得られる)
(下山開始。最初は小至仏山へと向かう)
(小至仏山への下山道から振り返る至仏山の西側は、東側の端正な容姿とは異なり、極めてごつごつといかつい風貌を晒している)
(至仏山は花の山として有名だが、りんどうなどのワイルドフラワーがあちこちに咲いており、目を楽しませてくれる。ただ、個人的には上っていた時はそのような花を愛でる余裕はゼロであった)
(小至仏山の山頂。ここからも素晴らしい展望が得られる)
(オヤマ沢田代という美しい湿原が忽然として現れる)
(鳩待山荘に戻ってきたのは11時20分。ということで午前中に戻ってこられたのはよかった。前泊登山の魅力はこれだ。)
岩木山(日本百名山31座登頂) [日本百名山]
弘前に家族旅行で来ていたので、ついでに岩木山登山にチャレンジした。岩木山は津軽岩木スカイラインという有料道路が走っており、これを使えば8合目まで行くことができ、さらにそこからリフトを使えば、9合目まで行くことができる。つまり、苦労もせずに1500メートルも確保できてしまうのだ。ということで、素人の妻と次女も登れるのではないか、と一緒に行ったのであった。津軽岩木スカイラインは、普通車の通行料が1800円と思いの外、高かった。そして、リフトは往復だが900円かかる。つまり、1500メートル登るのに一人1500円ほどかかるということだ。これは、1メートル1円ということになる。ということで、まったく筋肉を使わずに標高1500メートルほど得て9合目に着いたのだが、なんとリフトの終着駅から岩木山の山頂までは、急な岩場であった。リフトからはほぼ垂直のようにさえ見える。それを見て、妻は登ることを拒んだので、リフトの終着駅で待ってもらうことにして、次女と二人で登り始めた。標高差はわずか125メートルなのだが、大きな石がごろごろしている急坂は、両手を使って岩登りのように登っていかなくてはならない。なかなか技術的には大変だ。私は、甘く見てスニーカーを履いてきたのだが、登山靴でくればよかったとちょっと後悔する。とはいえ、25分で頂上に着いた。
頂上からの展望は素晴らしいの一言に尽きる。幸い、天気には恵まれて、日本海はもちろん、北海道の松前崎、白神山地の向こうの鳥海山、八甲田山、奥羽山脈の峰々と素晴らしき360度の展望を得ることができた。
下りは上りと同じか、それ以上に難しかった。ほとんど尻餅をついたような形で下りていったために、上りと同じぐらいの時間がかかった。ということで、往復で50分ほどかかった。ただし、難しいとはいえ、初心者の次女も問題なく登って降りてこられたので、注意をすれば初心者でも登れるルートであることは間違いない。その傾斜が急であること、さらに大きな岩を乗り越えなくてはいけないなど楽な登山とはいえないが、それでも、自動車とリフトを使ったこともあり、これまで登った百名山では最も楽に山頂に着くことができた。
(リフトの終着駅の9合目から岩木山を望む)
(日本海と津軽半島、そしてその先にある北海道を望む)
(山頂での記念写真)
(山頂から陸奥湾を望む)
頂上からの展望は素晴らしいの一言に尽きる。幸い、天気には恵まれて、日本海はもちろん、北海道の松前崎、白神山地の向こうの鳥海山、八甲田山、奥羽山脈の峰々と素晴らしき360度の展望を得ることができた。
下りは上りと同じか、それ以上に難しかった。ほとんど尻餅をついたような形で下りていったために、上りと同じぐらいの時間がかかった。ということで、往復で50分ほどかかった。ただし、難しいとはいえ、初心者の次女も問題なく登って降りてこられたので、注意をすれば初心者でも登れるルートであることは間違いない。その傾斜が急であること、さらに大きな岩を乗り越えなくてはいけないなど楽な登山とはいえないが、それでも、自動車とリフトを使ったこともあり、これまで登った百名山では最も楽に山頂に着くことができた。
(リフトの終着駅の9合目から岩木山を望む)
(日本海と津軽半島、そしてその先にある北海道を望む)
(山頂での記念写真)
(山頂から陸奥湾を望む)
蓼科山(日本百名山30座登頂) [日本百名山]
京都に職場があり、自宅が東京にある。普通は新幹線で移動しているのだが、荷物が多い時は自動車で移動している。ただ、東京から京都は一挙に行くのはちょっと辛い。ということで、中間で宿泊して帰ることが多い。どうせ宿泊するなら、ちょっと寄りたいところで泊まりたい。ということで、東京—京都間にある百名山にちょっと寄り道して登ろうということを考え、最初に選んだのが蓼科山である。ここで蓼科山にしたのは、楽に登れるだろうと考えたからである。というのも、私がバイブルのように参考にしている「大人の遠足ブック、日本百名山 山あるきガイド」では、蓼科山は体力☆、技術☆☆の評価が為されている(☆は5段階評価)。ちなみに筑波山でも体力☆☆、技術☆☆である。筑波山はそれほど大変ではない。ということで、蓼科山なら軽く登れるだろうと考えたからである。ただ、その考えには一抹の不安があった。というのも、私は高校一年生の時、高校の林間授業の一環で蓼科山に登ったことがあるのだが、結構、きついという記憶があったからである。ただ、高校生の時は柔だったのだろうと勝手に解釈して、行くことにした。
前日に諏訪インターチェンジのそばにあるホテルに泊まった。7時には宿を出る。目の前にマクドナルドがあるので、私的には非常に珍しいことなのだが、マクドナルドで食事を取ることにした。これは、山を登るためにはカロリーがたくさん必要であるからだ。さらに、昼ご飯と水を途中のコンビニで確保し、蓼科山の7合目まで車で行く。意外と諏訪インターチェンジからは遠くて、7合目に着いたのは8時頃であった。7合目で既に1906メートルの高さを稼いでいる。空気が薄い。私は高山病になりやすい質なので、これも注意しながら登ることになる。ちなみに天気は、素晴らしい快晴で、まさに登山日和であった。準備をして出発したのは8時10分。蓼科神社の鳥居を抜けて、登山は始まる。カラマツの平坦な道を歩いて行くと、途中からオオシラビソの林になる。朝の光にオオシラビソの緑が反射しているのが美しい。徐々に登山道は傾斜を増し、道路沿いの苔が美しい。標高は高いが、雨量が多い日本の山の美しいランドスケープを堪能しつつ、登っていく。ほぼ1時間後の9時16分に蓼科山荘のある将軍平に到着する。ここからは、まさに登山というよりかは岩登りという感じで、大きな石を両手で使って登っていくような感じで、結構、厳しい。鎖場もある。空気が薄いこともあり、息が上がる。この厳しさは高校時代の記憶と一致する。筑波山より体力が簡単という「大人の遠足ブック」の評価は間違っているだろう、と太ももの筋肉が悲鳴を上げている。技術も明らかに筑波山よりは☆が一つは多く評価されるべきだと思う。私はこういうレキを登っていくのが好きではないので、あまり楽しい気分になれないが、徐々に高度を増すと周りの素晴らしい光景が広がっていくので、それが疲れを吹っ飛ばせてくれる。
さて、山頂ヒュッテに到着したのは9時53分。その後は、露岩の中を山頂まで足下を注意しながら歩いて行く。山頂は岩だらけで、食事をするための空間も確保しにくい。蓼科山は離れた距離から見た目は女性的だが、近くに来るとぎざぎざの岩の上で、少なくともピクニックをする場所としては不適切だ。私は高校一年の時、蓼科山に登って、あまり登山が楽しいと思わなかったのだが、これは、この蓼科山の山頂に対していいイメージを持たなかったからかもしれない。その後、大学のワンダーフォーゲルの講義で妙高山を登った時には楽しいな、と思ったりしたので、初級者に蓼科山に登らすのはあまり得策ではないかと思ったりもした。
とはいえ、標高2530メートルからの360度の展望は素晴らしいの一言に尽きる。八ヶ岳の雄姿、さらには南アルプス、乗鞍岳、北アルプスと日本の素晴らしい山々を一望することができる。これは蓼科山登山の魅力であろう。おにぎりを二つ食べて、10時10分頃には下山を始める。蓼科ヒュッテから蓼科山荘までは、急登を降りて行かなくてはならない。注意深く、岩にとりつきながら降りていく。鎖場は登りでは鎖を使わなかったが、下りでは非常に役に立った。岩は尖っているので足下は不安定。私は、ちょっと捻ったりもしてしまった。捻挫はしなかったが、しっかりと足首をサポートするようにしておけばよかったと後悔する。10時45分には蓼科山荘に着く。ここでは挽き立ての珈琲が飲めるということで、ちょっと休憩をして珈琲を飲む。値段は500円。しっかりと豆を挽いてから、珈琲を淹れてくれるのでなかなか美味しい。蓼科山荘、蓼科山頂ヒュッテと珈琲、食事が提供されるので、蓼科登山にはガスを持って行く必要はないな、と思う。とはいえ、この岩だらけの登山は、もう一度行きたいとはあまり思わせない。10時55分には山荘を出て、下っていく。行きには寄らなかった天狗の露地に寄る。ここも岩がごろごろしていて足下に留意しなくてはならない。ここからは、蓼科山の雄姿を観ることができる。急坂を下りるには、膝が痛い。というので、ジグザグで降りていく。再び7合目の鳥居をくぐったのは11時55分、正午のちょっと前であった。
正直、蓼科山もなかなか厳しい登山であった。「楽に登れる百名山なし」とは、私が自分を慰めるためにつくった言葉であるが、まさにそれを実感させられた蓼科山登山であった。帰りは、蓼科山荘の主人が勧めてくれた白樺湖沿いにあるすずらん湯に寄る。このすずらん湯はよかった。そして、東京の自宅には16時ちょっと過ぎに着いた。蓼科山登山は厳しかったが、天候がよかったこともあり、そういう点ではいい一日を送ることができた。
(登山の始めは平坦な林の中を歩いて行く)
(45分ぐらい歩いたところで振り返ると、素晴らしい蓼科の光景が広がる)
(蓼科山荘を後にすると、登り坂はさらに厳しくなる)
(鎖場まで現れる)
(登り坂を振り返ると、将軍平から随分と標高を稼いでいるのを知る)
(蓼科山頂ヒュッテの直前までは、岩を抱きながら登っていくような感じになる。全然、簡単な山ではないような気がする)
(蓼科山頂ヒュッテ)
(野草が美しい)
(蓼科山頂)
(蓼科山頂は大きな岩がごろごろと転がっている)
(登りが厳しいということは、下りも厳しいということです)
(帰りは蓼科山荘で珈琲をいただきました)
(標高が高いこともあって、露に濡れる植物が美しい)
(天狗の露地からは蓼科山が展望できる)
前日に諏訪インターチェンジのそばにあるホテルに泊まった。7時には宿を出る。目の前にマクドナルドがあるので、私的には非常に珍しいことなのだが、マクドナルドで食事を取ることにした。これは、山を登るためにはカロリーがたくさん必要であるからだ。さらに、昼ご飯と水を途中のコンビニで確保し、蓼科山の7合目まで車で行く。意外と諏訪インターチェンジからは遠くて、7合目に着いたのは8時頃であった。7合目で既に1906メートルの高さを稼いでいる。空気が薄い。私は高山病になりやすい質なので、これも注意しながら登ることになる。ちなみに天気は、素晴らしい快晴で、まさに登山日和であった。準備をして出発したのは8時10分。蓼科神社の鳥居を抜けて、登山は始まる。カラマツの平坦な道を歩いて行くと、途中からオオシラビソの林になる。朝の光にオオシラビソの緑が反射しているのが美しい。徐々に登山道は傾斜を増し、道路沿いの苔が美しい。標高は高いが、雨量が多い日本の山の美しいランドスケープを堪能しつつ、登っていく。ほぼ1時間後の9時16分に蓼科山荘のある将軍平に到着する。ここからは、まさに登山というよりかは岩登りという感じで、大きな石を両手で使って登っていくような感じで、結構、厳しい。鎖場もある。空気が薄いこともあり、息が上がる。この厳しさは高校時代の記憶と一致する。筑波山より体力が簡単という「大人の遠足ブック」の評価は間違っているだろう、と太ももの筋肉が悲鳴を上げている。技術も明らかに筑波山よりは☆が一つは多く評価されるべきだと思う。私はこういうレキを登っていくのが好きではないので、あまり楽しい気分になれないが、徐々に高度を増すと周りの素晴らしい光景が広がっていくので、それが疲れを吹っ飛ばせてくれる。
さて、山頂ヒュッテに到着したのは9時53分。その後は、露岩の中を山頂まで足下を注意しながら歩いて行く。山頂は岩だらけで、食事をするための空間も確保しにくい。蓼科山は離れた距離から見た目は女性的だが、近くに来るとぎざぎざの岩の上で、少なくともピクニックをする場所としては不適切だ。私は高校一年の時、蓼科山に登って、あまり登山が楽しいと思わなかったのだが、これは、この蓼科山の山頂に対していいイメージを持たなかったからかもしれない。その後、大学のワンダーフォーゲルの講義で妙高山を登った時には楽しいな、と思ったりしたので、初級者に蓼科山に登らすのはあまり得策ではないかと思ったりもした。
とはいえ、標高2530メートルからの360度の展望は素晴らしいの一言に尽きる。八ヶ岳の雄姿、さらには南アルプス、乗鞍岳、北アルプスと日本の素晴らしい山々を一望することができる。これは蓼科山登山の魅力であろう。おにぎりを二つ食べて、10時10分頃には下山を始める。蓼科ヒュッテから蓼科山荘までは、急登を降りて行かなくてはならない。注意深く、岩にとりつきながら降りていく。鎖場は登りでは鎖を使わなかったが、下りでは非常に役に立った。岩は尖っているので足下は不安定。私は、ちょっと捻ったりもしてしまった。捻挫はしなかったが、しっかりと足首をサポートするようにしておけばよかったと後悔する。10時45分には蓼科山荘に着く。ここでは挽き立ての珈琲が飲めるということで、ちょっと休憩をして珈琲を飲む。値段は500円。しっかりと豆を挽いてから、珈琲を淹れてくれるのでなかなか美味しい。蓼科山荘、蓼科山頂ヒュッテと珈琲、食事が提供されるので、蓼科登山にはガスを持って行く必要はないな、と思う。とはいえ、この岩だらけの登山は、もう一度行きたいとはあまり思わせない。10時55分には山荘を出て、下っていく。行きには寄らなかった天狗の露地に寄る。ここも岩がごろごろしていて足下に留意しなくてはならない。ここからは、蓼科山の雄姿を観ることができる。急坂を下りるには、膝が痛い。というので、ジグザグで降りていく。再び7合目の鳥居をくぐったのは11時55分、正午のちょっと前であった。
正直、蓼科山もなかなか厳しい登山であった。「楽に登れる百名山なし」とは、私が自分を慰めるためにつくった言葉であるが、まさにそれを実感させられた蓼科山登山であった。帰りは、蓼科山荘の主人が勧めてくれた白樺湖沿いにあるすずらん湯に寄る。このすずらん湯はよかった。そして、東京の自宅には16時ちょっと過ぎに着いた。蓼科山登山は厳しかったが、天候がよかったこともあり、そういう点ではいい一日を送ることができた。
(登山の始めは平坦な林の中を歩いて行く)
(45分ぐらい歩いたところで振り返ると、素晴らしい蓼科の光景が広がる)
(蓼科山荘を後にすると、登り坂はさらに厳しくなる)
(鎖場まで現れる)
(登り坂を振り返ると、将軍平から随分と標高を稼いでいるのを知る)
(蓼科山頂ヒュッテの直前までは、岩を抱きながら登っていくような感じになる。全然、簡単な山ではないような気がする)
(蓼科山頂ヒュッテ)
(野草が美しい)
(蓼科山頂)
(蓼科山頂は大きな岩がごろごろと転がっている)
(登りが厳しいということは、下りも厳しいということです)
(帰りは蓼科山荘で珈琲をいただきました)
(標高が高いこともあって、露に濡れる植物が美しい)
(天狗の露地からは蓼科山が展望できる)
荒島岳(日本百名山29座登頂) [日本百名山]
長浜のホテルにチェックインし、元会社の同僚と翌日の天気をチェックする。元同僚は「てんきとくらす」という優れたアプリをみながら、翌日の14時頃には荒島岳の山頂は晴れそうだとする。ということで、せっかくここまで来たということもあり、朝の5時にロビー−集合という予定を立てる。
朝の5時に自動車に乗り込んで荒島岳に向かう。北陸自動車道は雨がパラパラと降っている。同僚は「てんきとくらす」によると荒島岳はEという。ちなみに、「てんきとくらす」の評価はA〜Cであり、Aは「登山に適切」、Bは「登山にやや適していない」、Cは「適していない」であり、Eという評価が何かもよく分からない。私は職業が大学教員なので、それから類推すると、登山を考えること自体、非常識というようなことか。どうも、その日の明け方は荒島岳には雪が降ったそうである。
とはいえ、荒島岳の登山口には向かった。荒島岳には大きく4つの登山ルートがある。最も人気があるのはJRの勝原駅を起点とする勝原コースである。ただし、これは非常に急登で厳しいという情報がウェブサイトに書かれていたので、中出(なかんで)コースを選んだ。これは、歩行距離は長いが、標高差もほぼ同じで、時間も10分ぐらい余計にかかるぐらいである。途中、コンビニで食料を購入する。中出コースの登山口の駐車場には7時ちょっと過ぎに着く。雨はパラパラとは降っているが、青空のようなものも見える。元同僚は、前線の雨雲が断続的に動いているが、そのうちなくなると指摘する。そして、14時頃には山頂も晴れそうだ、と言う。そのような状況なので8時30分まで逸る気持ちを抑えて、8時30分まで登山口の駐車場で仮眠を取ることにする。小雨が時折、車のフロントグラスに降る。その音を聞きつつ、前途多難かもしれないと思うが、とりあえず急いては事をし損じると自分に言い聞かせる。さて、とはいえ二人とも8時20分ぐらいにはいてもたってもいられない気持ちになり準備をし始めるような感じになる。念入りにチェックをすると、9時頃にはどうも空も明るくなってきた。ということで、登山を開始する。中出コースは途中までは林道を歩いて行く。そして、途中で分岐する。登りはまあまあきついが、驚くほどの急登ではなく、このコースを選んで正解だと思う。歩いて1時間30分ぐらい経つと、西側に雪山が見えてくる。なかなか美しいと思いつつ、あそこの山に雪が積もっているのであれば荒島岳の山頂も間違いなく雪が積もっているなと、不安な気持ちが首をもたげる。
(登山開始時の駐車場の様子。まだ空は曇っている)
(しばらく歩くと、素晴らしい山並みの展望を時折、見ることができる)
ここらへんからはブナの森の中を通っていくのだが、これが非常に気持ちよい。元同僚が言うには、このブナの森を目的にここに来る人もいるようなのだが、それも納得だ。改めて本州の風土の美しさをつくる重要な要素はブナの森であるなと思う。高度が上がるにつれて、雪が目立つようになり、遂に登山道が雪でみえなくなっているようなところも現れた。靴の足跡を辿って行くと、その靴跡をつけた人も道を間違えていたようで、どこにも行けなくなっている。後ろを歩いていた元同僚が、どうにか正しい道を見つけたので事なきを得たが、単独登山だと下手したら道に迷ったかもしれない。雪の怖さを思い知る。
(中出コースは素晴らしいブナ林の中を歩いて行く)
さて、2時間30分ぐらい経つと、小荒島岳との分岐点に到着する。この分岐点から1分で小荒島岳には行ける。私は体力もないため、10秒でも寄り道をするのを躊躇するタイプなのだが、元同僚は当然、行くでしょうという感じで向かっていく。私はしょうがないな、とついていったのだが、ここからは360度の展望だけでなく、荒島岳の素晴らしい山容を目の前にすることができる。今回の登山は、素晴らしい景色を十二分に堪能したが、小荒島岳からの展望が最も優れていた。荒島岳に登る人は是非ともここに登って欲しい。というか、ここにアクセスできるという事実だけで、勝原コースではなくて、中出コースを選ぶべきではないかと考えるくらいである。
(小荒島岳から見る荒島岳の見事な山容)
そこから勝原コースとの分岐点であるしゃくなげ平までは30分ちょっと。5月ということで、シャクナゲはもちろんのこと登山道沿いには白木蓮のような花も咲いていて楽しませてくれる。さて、しゃくなげ平から荒島岳の山頂までは1時間ぐらいだそうだが、途中、もちが壁という難所を通る。普通の状態でも雪が積もっていたらさらに大変だ、と戦々恐々とした気分で登り始める。ただ、幸い、もちが壁のロープがあるような急斜面では雪は積もってなく、雨が降った直後で泥濘んでおり、泥まみれにはなったが、どうにか登ることはできた。しかし、もちが壁の後に登山道が雪で完全に被われているところがあった。ここは下ってくる登山者達が異口同音に、「大変なところがある。とはいえ、アイゼンは必要はない」と言っていたところだ。この難所は、登山道が急に1メートルぐらい積もった雪に被われて壁のようになっており、その雪の部分にまではい登らなくてならないような状況になっていた。私よりも度胸がある元同僚がここを登ろうとしたら、足をひっかけ損ねて酷い状態で雪のない泥の道を滑ってしまった。私はそれをみて、これは雪というよりかは、泥の部分を歩くためにアイゼンが必要だと考え、ここでアイゼンを着ける。アイゼンを着け終わって顔を上げると元同僚の姿はなくなっていた。どうやったのかは分からないが、アイゼンを着けずに登ったようである。さて、私はアイゼンを着けたこともあり、滑らずにここをクリアすることができた。雪の壁の場所を通り過ぎても、しばらくアイゼンを着けて歩いていたが、結局、アイゼンが必要だったのはこの部分だけであった。
(シャクナゲ平を過ぎたところに生えていた白木蓮(だと思われる花))
(登山道の前に立ちはだかる雪の壁)
この難所を過ぎると、それほど苦労せずに荒島岳の山頂に登ることができた。時間は13時40分。登り始めてから4時間40分ちょっとである。さて、展望は素晴らしかったが、風が強いこともあり、降りてしゃくなげ平で食事をすることにする。下りでは、私だけでなく元同僚もアイゼンをつけて例の難所を通り抜けることにする。アイゼンをつけると、やはり雪の上での安定性は格段に向上する。
(山頂そばの登山道から見た白山の山々)
(山頂での証拠写真)
(山頂から能郷白山方面を望む)
(山頂から見た白山の山々)
(山頂から越前大野市街を望む)
下りはなかなか太股、足首、膝に来たが、幸い、痛みを伴うこともなく、無事に17時30分には駐車場に着くことができた。
その後、郡上を経由して、新東名で家路へと急いだが、結局、その日のうちには帰宅できず、家に着いた時は1時を回っていた。これは、荒島岳と伊吹山を登る順番を変えたからだが、伊吹山はともかく、荒島岳は素晴らしい登山を体験することができて、たいへんよかった。
(戻ったら駐車場には西日が差していた)
朝の5時に自動車に乗り込んで荒島岳に向かう。北陸自動車道は雨がパラパラと降っている。同僚は「てんきとくらす」によると荒島岳はEという。ちなみに、「てんきとくらす」の評価はA〜Cであり、Aは「登山に適切」、Bは「登山にやや適していない」、Cは「適していない」であり、Eという評価が何かもよく分からない。私は職業が大学教員なので、それから類推すると、登山を考えること自体、非常識というようなことか。どうも、その日の明け方は荒島岳には雪が降ったそうである。
とはいえ、荒島岳の登山口には向かった。荒島岳には大きく4つの登山ルートがある。最も人気があるのはJRの勝原駅を起点とする勝原コースである。ただし、これは非常に急登で厳しいという情報がウェブサイトに書かれていたので、中出(なかんで)コースを選んだ。これは、歩行距離は長いが、標高差もほぼ同じで、時間も10分ぐらい余計にかかるぐらいである。途中、コンビニで食料を購入する。中出コースの登山口の駐車場には7時ちょっと過ぎに着く。雨はパラパラとは降っているが、青空のようなものも見える。元同僚は、前線の雨雲が断続的に動いているが、そのうちなくなると指摘する。そして、14時頃には山頂も晴れそうだ、と言う。そのような状況なので8時30分まで逸る気持ちを抑えて、8時30分まで登山口の駐車場で仮眠を取ることにする。小雨が時折、車のフロントグラスに降る。その音を聞きつつ、前途多難かもしれないと思うが、とりあえず急いては事をし損じると自分に言い聞かせる。さて、とはいえ二人とも8時20分ぐらいにはいてもたってもいられない気持ちになり準備をし始めるような感じになる。念入りにチェックをすると、9時頃にはどうも空も明るくなってきた。ということで、登山を開始する。中出コースは途中までは林道を歩いて行く。そして、途中で分岐する。登りはまあまあきついが、驚くほどの急登ではなく、このコースを選んで正解だと思う。歩いて1時間30分ぐらい経つと、西側に雪山が見えてくる。なかなか美しいと思いつつ、あそこの山に雪が積もっているのであれば荒島岳の山頂も間違いなく雪が積もっているなと、不安な気持ちが首をもたげる。
(登山開始時の駐車場の様子。まだ空は曇っている)
(しばらく歩くと、素晴らしい山並みの展望を時折、見ることができる)
ここらへんからはブナの森の中を通っていくのだが、これが非常に気持ちよい。元同僚が言うには、このブナの森を目的にここに来る人もいるようなのだが、それも納得だ。改めて本州の風土の美しさをつくる重要な要素はブナの森であるなと思う。高度が上がるにつれて、雪が目立つようになり、遂に登山道が雪でみえなくなっているようなところも現れた。靴の足跡を辿って行くと、その靴跡をつけた人も道を間違えていたようで、どこにも行けなくなっている。後ろを歩いていた元同僚が、どうにか正しい道を見つけたので事なきを得たが、単独登山だと下手したら道に迷ったかもしれない。雪の怖さを思い知る。
(中出コースは素晴らしいブナ林の中を歩いて行く)
さて、2時間30分ぐらい経つと、小荒島岳との分岐点に到着する。この分岐点から1分で小荒島岳には行ける。私は体力もないため、10秒でも寄り道をするのを躊躇するタイプなのだが、元同僚は当然、行くでしょうという感じで向かっていく。私はしょうがないな、とついていったのだが、ここからは360度の展望だけでなく、荒島岳の素晴らしい山容を目の前にすることができる。今回の登山は、素晴らしい景色を十二分に堪能したが、小荒島岳からの展望が最も優れていた。荒島岳に登る人は是非ともここに登って欲しい。というか、ここにアクセスできるという事実だけで、勝原コースではなくて、中出コースを選ぶべきではないかと考えるくらいである。
(小荒島岳から見る荒島岳の見事な山容)
そこから勝原コースとの分岐点であるしゃくなげ平までは30分ちょっと。5月ということで、シャクナゲはもちろんのこと登山道沿いには白木蓮のような花も咲いていて楽しませてくれる。さて、しゃくなげ平から荒島岳の山頂までは1時間ぐらいだそうだが、途中、もちが壁という難所を通る。普通の状態でも雪が積もっていたらさらに大変だ、と戦々恐々とした気分で登り始める。ただ、幸い、もちが壁のロープがあるような急斜面では雪は積もってなく、雨が降った直後で泥濘んでおり、泥まみれにはなったが、どうにか登ることはできた。しかし、もちが壁の後に登山道が雪で完全に被われているところがあった。ここは下ってくる登山者達が異口同音に、「大変なところがある。とはいえ、アイゼンは必要はない」と言っていたところだ。この難所は、登山道が急に1メートルぐらい積もった雪に被われて壁のようになっており、その雪の部分にまではい登らなくてならないような状況になっていた。私よりも度胸がある元同僚がここを登ろうとしたら、足をひっかけ損ねて酷い状態で雪のない泥の道を滑ってしまった。私はそれをみて、これは雪というよりかは、泥の部分を歩くためにアイゼンが必要だと考え、ここでアイゼンを着ける。アイゼンを着け終わって顔を上げると元同僚の姿はなくなっていた。どうやったのかは分からないが、アイゼンを着けずに登ったようである。さて、私はアイゼンを着けたこともあり、滑らずにここをクリアすることができた。雪の壁の場所を通り過ぎても、しばらくアイゼンを着けて歩いていたが、結局、アイゼンが必要だったのはこの部分だけであった。
(シャクナゲ平を過ぎたところに生えていた白木蓮(だと思われる花))
(登山道の前に立ちはだかる雪の壁)
この難所を過ぎると、それほど苦労せずに荒島岳の山頂に登ることができた。時間は13時40分。登り始めてから4時間40分ちょっとである。さて、展望は素晴らしかったが、風が強いこともあり、降りてしゃくなげ平で食事をすることにする。下りでは、私だけでなく元同僚もアイゼンをつけて例の難所を通り抜けることにする。アイゼンをつけると、やはり雪の上での安定性は格段に向上する。
(山頂そばの登山道から見た白山の山々)
(山頂での証拠写真)
(山頂から能郷白山方面を望む)
(山頂から見た白山の山々)
(山頂から越前大野市街を望む)
下りはなかなか太股、足首、膝に来たが、幸い、痛みを伴うこともなく、無事に17時30分には駐車場に着くことができた。
その後、郡上を経由して、新東名で家路へと急いだが、結局、その日のうちには帰宅できず、家に着いた時は1時を回っていた。これは、荒島岳と伊吹山を登る順番を変えたからだが、伊吹山はともかく、荒島岳は素晴らしい登山を体験することができて、たいへんよかった。
(戻ったら駐車場には西日が差していた)
伊吹山(日本百名山28座登頂) [日本百名山]
昨年の8月にアイスランドで捻挫をして以来、登山をしたのは一度だけである。それも吾妻山と大して難しい山ではなかった。捻挫をしてからほぼ9ヶ月。まだ本調子ではないが、五月の連休であり、これはチャンスということで荒島岳と伊吹山に5月3日と4日の二日連続でチャレンジすることにした。元会社の同僚に付き合ってもらった。
さて、初日は行程も長く、東京からも離れている荒島岳にチャレンジしようと計画し、越前大野にある旅館に宿を取ることにした。そこでお弁当をつくってもらい、朝の6時前に出発しようと思ったのだが、越前大野は雨が降っていた。翌日も雨がひどく、とても登山をするようなコンディションではない。ということで、荒島岳の登山は諦め、伊吹山も雨がひどいようなので、とりあえず比叡山にでも登山し、そのまま伊吹山登山の拠点として予約した長濱のホテルに行こうかと思い、眠りにつく。
3日はゆっくりと7時30分に食事を取り、宿は8時30分ごろに出発する。宿のおばさんも前日に荒島岳に登山した人が散々な目に遭ったという話をしてくれる。「今日はとても無理だろう、残念ですね」と慰められ、宿を後にする。さて、そして北陸自動車道で比叡山に向かう。彦根IC経由でのルートだ。10時頃、賤ヶ岳サービスエリアで休憩をすると、どうも天気は快方に向かっている。そして、なんと伊吹山の全容が姿をみせた。これは、比叡山ではなくて今日、伊吹山に登ってしまおうと相談し、そのまま長濱インターチェンジで降りて、伊吹山の登山口へ向かう。途中、コンビニで食料と水を購入する。
さて、伊吹山の登山口は10時40分頃に着く。駐車場に行くと、おばさんが我々に話しかけてきて500円で家の駐車場に停まらせてやる、と言ってくる。登山口のリフト乗り場の駐車場代も500円だったので、そのまま停まらせてもらう。500円を支払うとお煎餅と飴を二粒ほどくれた。さて、伊吹山はマイカーは通行禁止なのだが、タクシーであれば3合目まで行くことができる。久しぶりの登山で足首に不安があり、また、大きく出遅れていたこともあり、このおばさんにタクシーを呼んでもらうようにお願いする。15分くらいは待つよ、と言われたが、大丈夫と回答する。さて、しかし、タクシーは呼んだらあっという間に来た。どうも、他の客を3合目まで送ってきた帰りに電話を受けたようである。
タクシーは狭くてくねくねとした道路を上っていく。その途中、300円の有料駐車場が多くあることに気づく。さきほどの駐車場の煎餅と飴は、この200円差の埋め合わせかと思ったりもした。
3合目までは15分ぐらいで着いた。料金は2430円。高いといえば高いが、これで時間でいえば1時間30分、標高差で570メートルを稼いだと思えば安いものだ。二人で割ったので一人の負担は1200円ちょっとだし。さて、山頂にかかっている雲は気になるが、少なくとも雨は降っていない。3合目は2010年に閉業した伊吹山スキー場のゴンドラの山頂駅があったところである。2011年までは登山客のためにゴンドラは操業していたのだが、これも中止された。3合目にはスキー客のためのレストハウスの廃屋が二軒ほどあり、なんか寂寥感が漂う。
(三合目にあるスキー場のレストハウスの廃屋)
三合目を出発したのは11時ちょっと過ぎ。気持ちよく、この石灰岩の登っていく。三合目の標高は770メートル。山頂は1377メートル。およそ600メートルの登山である。木がほとんど生えていない登山道からは琵琶湖の素晴らしい景観を楽しむことができ、気持ちよい登山ができる。30分後には5合目に着く。ここには自販機があり、ベンチもある。ただし、自販機の飲料水のペットボトルは240円となかなかの値段だ。3合目から1時間弱で6合目。ここらへんから雨が降り始めたので、カメラをリュックにしまい、ひたすら登山に専念する。途中からは、ほとんど這うようにして岩山を登っていく。雨が降った後で泥は滑りやすくて注意が必要だ。山頂近くは雲に被われ、視界はほとんど得られない。
(五合目)
(五合目にある自販機。ペットボトルは240円)
(登山道から展望した琵琶湖の長浜の街並み)
(米原市方面の展望)
(山頂の周遊道路と合流する。山頂まではあと少しだ)
山頂に着いたのは三合目を出発してから2時間弱経った13時ちょっと前。伊吹山頂は歩いて30分ぐらいのところまで道路が通じていることもあり、山頂には結構の人がいた。そういうこともあり、山頂には多くのレストハウスがあり、わざわざ食事を持って登ってきたのがちょっと馬鹿らしい。山頂は視界がないのに加え、なかなか風も強く寒かったこともあり、レストハウスに入り、コンビニで買ったサンドイッチを頬張る。レストハウスには申し訳なかったのでお味噌汁を注文するが、店の人は気にしなくてもいいと言ってくれる。なかなか優しい店員であった。とはいえ、このレストハウス群は登山の詩情をまったく喪失させる。ここまで風情がない百名山もなかなか珍しい。筑波山並みの情緒がない山頂である。
(山頂での証拠写真。霧で視界はまったく得られない。そして、風が強く寒い)
(レストハウスで休憩する)
(レストハウスの外観。サービスはとてもよかった)
(山頂にあるレストハウス。山頂の風情はまったくなく、ちょっと脱力する)
「てんきとせいかつ」のアプリによれば15時ぐらいになると霧は晴れるという情報であったが、15時まで待っていると下山をすると17時30分になってしまう。流石にそれは遅すぎるだろうということと、レストハウスのおじさんが「これからは天気は悪くなる一方だ」と言うので13時30分には下山を開始した。しばらくは霧の中であったが、7合目ぐらいでまた視界が広がる。琵琶湖や関ヶ原、そして鈴鹿山脈の山容が美しい。登っている時にはそれほど気にはならなかったが、なかなか勾配はきつく、下りは結構足首に負担が大きい。足首を捻らないように気をつけて高度を下げていく。15時頃になると、伊吹山の山頂がくっきりと見える。ちょっと悔しい気持ちにもなるが、そのまま帰路を急ぐ。三合目に戻ったのが15時40分。伊吹山のずっしりとした山容が綺麗に見えて、悔しさが再びぶり返す。駐車場にもどったのは17時ちょっと前であった。駐車場のおばさんは、ブラシを貸してくれる靴を洗うといいよ、と言ってくれた。泥んこ遊びをしたように靴とズボンは泥だらけだったのだ大変助かった。200円の差額以上のサービスを得られたような気分であった。
(15時ぐらいには山頂が姿を現す)
(三合目に戻った時には、山頂だけでなく青空も見られた)
さて、初日は行程も長く、東京からも離れている荒島岳にチャレンジしようと計画し、越前大野にある旅館に宿を取ることにした。そこでお弁当をつくってもらい、朝の6時前に出発しようと思ったのだが、越前大野は雨が降っていた。翌日も雨がひどく、とても登山をするようなコンディションではない。ということで、荒島岳の登山は諦め、伊吹山も雨がひどいようなので、とりあえず比叡山にでも登山し、そのまま伊吹山登山の拠点として予約した長濱のホテルに行こうかと思い、眠りにつく。
3日はゆっくりと7時30分に食事を取り、宿は8時30分ごろに出発する。宿のおばさんも前日に荒島岳に登山した人が散々な目に遭ったという話をしてくれる。「今日はとても無理だろう、残念ですね」と慰められ、宿を後にする。さて、そして北陸自動車道で比叡山に向かう。彦根IC経由でのルートだ。10時頃、賤ヶ岳サービスエリアで休憩をすると、どうも天気は快方に向かっている。そして、なんと伊吹山の全容が姿をみせた。これは、比叡山ではなくて今日、伊吹山に登ってしまおうと相談し、そのまま長濱インターチェンジで降りて、伊吹山の登山口へ向かう。途中、コンビニで食料と水を購入する。
さて、伊吹山の登山口は10時40分頃に着く。駐車場に行くと、おばさんが我々に話しかけてきて500円で家の駐車場に停まらせてやる、と言ってくる。登山口のリフト乗り場の駐車場代も500円だったので、そのまま停まらせてもらう。500円を支払うとお煎餅と飴を二粒ほどくれた。さて、伊吹山はマイカーは通行禁止なのだが、タクシーであれば3合目まで行くことができる。久しぶりの登山で足首に不安があり、また、大きく出遅れていたこともあり、このおばさんにタクシーを呼んでもらうようにお願いする。15分くらいは待つよ、と言われたが、大丈夫と回答する。さて、しかし、タクシーは呼んだらあっという間に来た。どうも、他の客を3合目まで送ってきた帰りに電話を受けたようである。
タクシーは狭くてくねくねとした道路を上っていく。その途中、300円の有料駐車場が多くあることに気づく。さきほどの駐車場の煎餅と飴は、この200円差の埋め合わせかと思ったりもした。
3合目までは15分ぐらいで着いた。料金は2430円。高いといえば高いが、これで時間でいえば1時間30分、標高差で570メートルを稼いだと思えば安いものだ。二人で割ったので一人の負担は1200円ちょっとだし。さて、山頂にかかっている雲は気になるが、少なくとも雨は降っていない。3合目は2010年に閉業した伊吹山スキー場のゴンドラの山頂駅があったところである。2011年までは登山客のためにゴンドラは操業していたのだが、これも中止された。3合目にはスキー客のためのレストハウスの廃屋が二軒ほどあり、なんか寂寥感が漂う。
(三合目にあるスキー場のレストハウスの廃屋)
三合目を出発したのは11時ちょっと過ぎ。気持ちよく、この石灰岩の登っていく。三合目の標高は770メートル。山頂は1377メートル。およそ600メートルの登山である。木がほとんど生えていない登山道からは琵琶湖の素晴らしい景観を楽しむことができ、気持ちよい登山ができる。30分後には5合目に着く。ここには自販機があり、ベンチもある。ただし、自販機の飲料水のペットボトルは240円となかなかの値段だ。3合目から1時間弱で6合目。ここらへんから雨が降り始めたので、カメラをリュックにしまい、ひたすら登山に専念する。途中からは、ほとんど這うようにして岩山を登っていく。雨が降った後で泥は滑りやすくて注意が必要だ。山頂近くは雲に被われ、視界はほとんど得られない。
(五合目)
(五合目にある自販機。ペットボトルは240円)
(登山道から展望した琵琶湖の長浜の街並み)
(米原市方面の展望)
(山頂の周遊道路と合流する。山頂まではあと少しだ)
山頂に着いたのは三合目を出発してから2時間弱経った13時ちょっと前。伊吹山頂は歩いて30分ぐらいのところまで道路が通じていることもあり、山頂には結構の人がいた。そういうこともあり、山頂には多くのレストハウスがあり、わざわざ食事を持って登ってきたのがちょっと馬鹿らしい。山頂は視界がないのに加え、なかなか風も強く寒かったこともあり、レストハウスに入り、コンビニで買ったサンドイッチを頬張る。レストハウスには申し訳なかったのでお味噌汁を注文するが、店の人は気にしなくてもいいと言ってくれる。なかなか優しい店員であった。とはいえ、このレストハウス群は登山の詩情をまったく喪失させる。ここまで風情がない百名山もなかなか珍しい。筑波山並みの情緒がない山頂である。
(山頂での証拠写真。霧で視界はまったく得られない。そして、風が強く寒い)
(レストハウスで休憩する)
(レストハウスの外観。サービスはとてもよかった)
(山頂にあるレストハウス。山頂の風情はまったくなく、ちょっと脱力する)
「てんきとせいかつ」のアプリによれば15時ぐらいになると霧は晴れるという情報であったが、15時まで待っていると下山をすると17時30分になってしまう。流石にそれは遅すぎるだろうということと、レストハウスのおじさんが「これからは天気は悪くなる一方だ」と言うので13時30分には下山を開始した。しばらくは霧の中であったが、7合目ぐらいでまた視界が広がる。琵琶湖や関ヶ原、そして鈴鹿山脈の山容が美しい。登っている時にはそれほど気にはならなかったが、なかなか勾配はきつく、下りは結構足首に負担が大きい。足首を捻らないように気をつけて高度を下げていく。15時頃になると、伊吹山の山頂がくっきりと見える。ちょっと悔しい気持ちにもなるが、そのまま帰路を急ぐ。三合目に戻ったのが15時40分。伊吹山のずっしりとした山容が綺麗に見えて、悔しさが再びぶり返す。駐車場にもどったのは17時ちょっと前であった。駐車場のおばさんは、ブラシを貸してくれる靴を洗うといいよ、と言ってくれた。泥んこ遊びをしたように靴とズボンは泥だらけだったのだ大変助かった。200円の差額以上のサービスを得られたような気分であった。
(15時ぐらいには山頂が姿を現す)
(三合目に戻った時には、山頂だけでなく青空も見られた)
吾妻山(西吾妻山)に登る(日本百名山27座登頂) [日本百名山]
台風が近づいており、秋雨前線も展開している。登山をするにはまったくもって理想から遠い状況であったが、宿を予約していたので頑張ってゼミの卒業生の中君とともに東京を金曜日の朝に出発した。捻挫もまだ完治していなかったにも関わらずである。最初の目的地は蔵王山である。白石蔵王まで新幹線で行き、そこからレンタカーをして刈田岳へ向かった。刈田岳はすさまじい濃霧で、雨も降っており、とても登山をするような状況ではなかった。諦めて、金曜日の宿である白布温泉へと向かう。吾妻山の登山拠点である。白布温泉の宿泊地は中屋別館不動閣。昔から温泉旅館をしていたような老舗感のある旅館であるが、食事とかは地のものが中心で大変、好感が持てた。また温泉も掛け流しで、私の捻挫にも効いたような気がする。心持ち、足首の調子がよくなった気分である。
さて、土曜日は朝の7時に朝食を食べた後、チェックアウト。雨は降っていないが、霧は濃い。とはいえ、雨が降っていなければ登山はできるということで、思い切って決行する。まず向かったのは天元台ロープウェイの乗車口。ここに車を駐車する。ロープウェイは8時から運行をしていたが、我々はちょっと遅れたので8時20分のロープウェイに乗る。頂上には10分ちょっとぐらいで到着する。そこからはリフトを3本乗り継ぐのだが、このリフトはなかなか時間がかかる。全部で30分以上はかかったと思う。しかも3本目のリフトに乗った時に激しい雨が降り、我々は傘を差してそれを凌いだが、傘がなければ大変なことになっていた。また、傘を差していても膝のタイツの部分に氷雨が染み込み、足が寒くなる、という経験を初めてした。長ズボンをしてくればよかったと後悔する。さて、3本目のリフトの降り場の下でレインコートに着替え、出発する。雨が降っているので最初の30分ぐらいの登り坂は沢登りのようであった。かもしか展望台は何も展望もできず、そのままスルーをして行く。いろは沼池周辺は木道が続く。二週間前の尾瀬へのハイキングから、木道が滑りやすいことを経験から知っているので、注意深く進んでいく。11時ぐらいに梵天岩に着く。ここらへんから雨も上がり、濃霧で視界は狭いが登山的にはそれほど難ではない。それから30分ほど歩いて西吾妻山に到着する。コースタイムは15分間であるが、トレイルはほとんど雨で水たまりというか池のような状況になっていたこともあり時間がかかったからである。もちろん、捻挫をしていたので、いつもより注意深く進んだということもある。
山頂には11時40分に着いたが、視界はまったくなく、残念な山頂。下山後、聞いた話では「百名山で最も残念な山頂」という不名誉な称号もあるらしい。確かに、残念そうではある。ただ、そもそも濃霧なので、素晴らしい山頂からの展望があった方が悔しかったかもしれない。
私も中君もお腹が空いていないので、そそくさと下山を開始する。行きにスキップをした吾妻神社に帰りは寄ってお参り。私は捻挫の足をこれ以上、挫かないで下山できますようにとお願いする。そこでツアーの一団が来て、もう雨が降るのでここで食事にして下さい、とリーダーが皆に伝える。私は、このリーダーにこれから雨が降りますか、と尋ねると、これからは天気が悪くなる一方、と言うので、急いで下山をし始める。確かに風も徐々に強くなってきているような気がする。
さて、しかし、そこから1時間ちょっと歩き、いろは沼のところに来ると、なんとなく霧が晴れて展望も開けるような感じになっている。また、私も疲れからか捻挫をした左足の踏ん張りが効かなくなったこともあり、ここで食事をすることにした。食事はカップラーメンとドリップ式のインスタント・コーヒー。食事中に、さきほどのツアーの一団が我々を通り越していく。我々を見て、口々に「ここで食事をした方が温かそうね、雨も降っていないし」とか「雨の中で食事をさせられて大変だった」などと文句を言い始めた。気持ちは分からないでもないが、ベストの判断をしたと思っていたのに外れたリーダーの心中は複雑であろう。ベテランでも山の天気の予測は外れるということか。
食事をしている最中にどんどんと霧は晴れてくる。中吾妻山と思しき山の稜線も見えてくる。初めて、今回の登山で頑張って登ってよかった、と思えた瞬間である。裏磐梯の素晴らしい地形を見ることはできなかったが、ある程度の展望が得られたことで、疲れも飛ぶ。45分ほど休み、最後の下りに望む。捻挫をしている足には登りより下りの方がずっと危険である。ということで、ゆっくり、ゆっくりとストックを使いながら降りていく。リフトの駅の頂上に着いたのは14時30分過ぎ。大幅にコースタイムを上回る。ただ、リフトの駅の頂上からは雲海の上に奥羽山脈の一部が見える。なかなか素晴らしい光景だ。この光景を見れたことも、今回、無理をして登山をしたご褒美であろう。
そこから登りと同じように3つのリフトを乗り継いでロープウェイの頂上に着いたのは15時14分。ここはまだ濃霧で視野はほとんど得られないような状況にあった。ロープウェイで駐車場まで降りたのは15時30分。思ったより、なかなか長い登山になってしまった。
<ロープウェイからの車窓の山は紅葉で彩られていた>
<リフト乗り場は濃霧で被われていた>
<梵天岩からの展望。吾妻山が見られる筈だが、まったく見えない>
<吾妻山の山頂に着く>
<吾妻山の山頂と吾妻神社の間の湿地帯>
<吾妻神社から吾妻山を振り返るが、見えるのは霧のみ>
<いろは沼そばの湿地帯から中吾妻山の山稜を見る>
<いろは沼周辺の湿地帯は今回の登山のハイライトであった>
<リフトの頂上から山形県の山々を雲海の上に望む>
<リフトから紅葉する山々を観る>
<リフト乗り場は行きよりさらに濃い霧で覆われていた>
さて、土曜日は朝の7時に朝食を食べた後、チェックアウト。雨は降っていないが、霧は濃い。とはいえ、雨が降っていなければ登山はできるということで、思い切って決行する。まず向かったのは天元台ロープウェイの乗車口。ここに車を駐車する。ロープウェイは8時から運行をしていたが、我々はちょっと遅れたので8時20分のロープウェイに乗る。頂上には10分ちょっとぐらいで到着する。そこからはリフトを3本乗り継ぐのだが、このリフトはなかなか時間がかかる。全部で30分以上はかかったと思う。しかも3本目のリフトに乗った時に激しい雨が降り、我々は傘を差してそれを凌いだが、傘がなければ大変なことになっていた。また、傘を差していても膝のタイツの部分に氷雨が染み込み、足が寒くなる、という経験を初めてした。長ズボンをしてくればよかったと後悔する。さて、3本目のリフトの降り場の下でレインコートに着替え、出発する。雨が降っているので最初の30分ぐらいの登り坂は沢登りのようであった。かもしか展望台は何も展望もできず、そのままスルーをして行く。いろは沼池周辺は木道が続く。二週間前の尾瀬へのハイキングから、木道が滑りやすいことを経験から知っているので、注意深く進んでいく。11時ぐらいに梵天岩に着く。ここらへんから雨も上がり、濃霧で視界は狭いが登山的にはそれほど難ではない。それから30分ほど歩いて西吾妻山に到着する。コースタイムは15分間であるが、トレイルはほとんど雨で水たまりというか池のような状況になっていたこともあり時間がかかったからである。もちろん、捻挫をしていたので、いつもより注意深く進んだということもある。
山頂には11時40分に着いたが、視界はまったくなく、残念な山頂。下山後、聞いた話では「百名山で最も残念な山頂」という不名誉な称号もあるらしい。確かに、残念そうではある。ただ、そもそも濃霧なので、素晴らしい山頂からの展望があった方が悔しかったかもしれない。
私も中君もお腹が空いていないので、そそくさと下山を開始する。行きにスキップをした吾妻神社に帰りは寄ってお参り。私は捻挫の足をこれ以上、挫かないで下山できますようにとお願いする。そこでツアーの一団が来て、もう雨が降るのでここで食事にして下さい、とリーダーが皆に伝える。私は、このリーダーにこれから雨が降りますか、と尋ねると、これからは天気が悪くなる一方、と言うので、急いで下山をし始める。確かに風も徐々に強くなってきているような気がする。
さて、しかし、そこから1時間ちょっと歩き、いろは沼のところに来ると、なんとなく霧が晴れて展望も開けるような感じになっている。また、私も疲れからか捻挫をした左足の踏ん張りが効かなくなったこともあり、ここで食事をすることにした。食事はカップラーメンとドリップ式のインスタント・コーヒー。食事中に、さきほどのツアーの一団が我々を通り越していく。我々を見て、口々に「ここで食事をした方が温かそうね、雨も降っていないし」とか「雨の中で食事をさせられて大変だった」などと文句を言い始めた。気持ちは分からないでもないが、ベストの判断をしたと思っていたのに外れたリーダーの心中は複雑であろう。ベテランでも山の天気の予測は外れるということか。
食事をしている最中にどんどんと霧は晴れてくる。中吾妻山と思しき山の稜線も見えてくる。初めて、今回の登山で頑張って登ってよかった、と思えた瞬間である。裏磐梯の素晴らしい地形を見ることはできなかったが、ある程度の展望が得られたことで、疲れも飛ぶ。45分ほど休み、最後の下りに望む。捻挫をしている足には登りより下りの方がずっと危険である。ということで、ゆっくり、ゆっくりとストックを使いながら降りていく。リフトの駅の頂上に着いたのは14時30分過ぎ。大幅にコースタイムを上回る。ただ、リフトの駅の頂上からは雲海の上に奥羽山脈の一部が見える。なかなか素晴らしい光景だ。この光景を見れたことも、今回、無理をして登山をしたご褒美であろう。
そこから登りと同じように3つのリフトを乗り継いでロープウェイの頂上に着いたのは15時14分。ここはまだ濃霧で視野はほとんど得られないような状況にあった。ロープウェイで駐車場まで降りたのは15時30分。思ったより、なかなか長い登山になってしまった。
<ロープウェイからの車窓の山は紅葉で彩られていた>
<リフト乗り場は濃霧で被われていた>
<梵天岩からの展望。吾妻山が見られる筈だが、まったく見えない>
<吾妻山の山頂に着く>
<吾妻山の山頂と吾妻神社の間の湿地帯>
<吾妻神社から吾妻山を振り返るが、見えるのは霧のみ>
<いろは沼そばの湿地帯から中吾妻山の山稜を見る>
<いろは沼周辺の湿地帯は今回の登山のハイライトであった>
<リフトの頂上から山形県の山々を雲海の上に望む>
<リフトから紅葉する山々を観る>
<リフト乗り場は行きよりさらに濃い霧で覆われていた>
金峰山登頂を六年越しで果たす(日本百名山26座登頂) [日本百名山]
百名山を登るという無茶な計画を策定したのが六年前の五月。最初に狙ったのが瑞牆山と金峰山であった(http://urban-diary.blog.so-net.ne.jp/2011-05-11)。しかし、金峰山は雪のためあえなく登れなく断念する。それから常に金峰山へのリベンジを考えていたのだが、遂にその機会が訪れた。6時30分に二子玉川駅で大学の卒業生と合流。彼の運転する車で金峰山に向かう。五月は瑞牆山荘から金峰山にチャレンジしたが、今回はより簡単な大弛峠からチャレンジすることにした。ただ、計算外だったのは、勝沼インターチェンジから大弛峠までに大変時間がかかったことである。およそ1時間かかった。そこで、想定では遅くとも10時ぐらいから登り始められるのかと思っていたのだが、11時スタートとなった。大弛峠の標高は2,360mであり、自動車車両が通行できる日本最高所の車道峠であるそうだ。駐車場には30台くらいは駐車できるが、我々が11時ちょっと前に到着した時は、既に駐車場から結構、離れた場所にまで側道に30台程度は駐車されていた。
小雨が降っており、これはちょっと厳しい登山になるのではと覚悟をしたのだが、標高が高いこともあり、小雨は降っているが凜とした森の空気の中、気持ちよく歩き始めることができた。コースタイムでは最初の1時間で朝日岳山頂、そしてさらに1時間ちょっと歩くと金峰山に到達する。基本、尾根道なのでそれほどはキツくないはずだが、最初はいきなりなかなかの急坂。しかし、それはガイドブックに書かれていたので想定済みなので、ただもくもくと高さを稼ぐ。ある程度、登ると平坦な道になる。快適な気分だ。青森トドマツ、ダケカンバの森の中を歩いていると、同行した若者は「こんな空気はヨセミテ以来です。こういう空気を日本で味わえるとは」と言う。確かに、アメリカの国立公園の森を彷彿させるような爽快な気分である。これは、最近の百名山登山では大山でも味わえたが、安達太良山や両神山では感じられなかったことである。一つの理由は標高があるということだろうが、もう一つの理由はアオモリトドマツ等の森の樹木が発するフィトンチッドが、例えば杉に比べて癒やし効果が高いということがあるのではないだろうか。いや、適当な推測ですが。
大弛峠に行く途中は濃霧が覆っていたが、この登山道は濃霧の上であったので視界は悪くない。小雨も気にならない程度だ、とちょっと前向きな気持ちになってきたら、木の狭間から富士山が見えた。今日は富士山を見ることはできないだろうと悲観的な気分になっていたので、テンションは一気に高まる。朝日岳の前の岩稜帯でちょっと休憩して、写真を撮影したりもする。八ヶ岳こそ雲で見えなかったが、富士山、甲武信岳は綺麗に展望できる。そして、そこからまた朝日岳への急坂を登る。標高が高いこともあり、息は上がる。ちょっと、目の前が暗くなりそうになり、高山病を意識する。昨年秋、八ヶ岳で高山病になったので、この程度の標高でも私は油断できないのだ。ということで、あまり無理をしないよう、呼吸を整えるように気をつける。
朝日岳には12時20分に着く。標高は2579メートル。金峰山より20メートルだけ低い。朝日岳からは金峰山の雄姿がはっきりと見える。五丈岩が独特の存在感を放っている。ここで、小雨のため鞄に入れていたカメラを外に取り出す。そこから、坂を下り、鉄山を迂回して歩いて行くと、徐々に樹木が灌木となっていく。7月中旬であるのに、シャクナゲがまだ咲いている。寒いからであろう。実際、今日の気温も15度くらいである。シャクナゲはピンク色ではなく、白色であった。金峰山が近づくと、礫の中を歩いて行くことになる。山頂近くでは、礫は岩になり、岩の中をくぐり抜けていく感じになる。頂上が見えなかったこともあり、山頂は突然、現れた。目の前に五丈岩が屹立している。五丈岩はちょっとした地震で崩れ落ちそうな、岩が積み上げられたようなものである。どうやって自然につくられたのか、不思議な気分になったが、どうも2000年以上前に人工的につくられたものであるそうだ。こんな大自然の中、誰がこのピラミッドのようなものをつくったのか。どちらにしても壮大なミステリーである。
金峰山の頂上からはまさに絶景が楽しめる。特に印象的なのは富士山であるが、瑞牆山も相当なものだ。北にある小川山に比べて標高は低いこともあり、山としての存在感はそれほどでもないが、その花崗岩の岩峰が林立する姿は、一際目立つし、自然の造形美に感嘆させられる。あと、瑞牆山荘から金峰山へと至る登山道は、まるでノコギリの歯のように凸凹している尾根道なのだが、個人的には、その長く引くように伸びる登山道が、両側を断崖絶壁に挟まれたか細い糸のように見え、そこを歩いている人が綱渡りをしている蟻のようで、思わず息を呑んだ。このコースは、6年前に歩こうとしたところだし、ガイドブック的には決して難しくはない筈なのだが、金峰山の頂上からみると、それは恐ろしく危険に富んだ決死の登山路のように見える。いやはや、日本の山は本当に険しいことを改めて思い知る。
五丈岩の下で昼ご飯にしようかとも思ったが、もう既に13時30分頃だったので、山頂の岩の隙間でお湯を沸かす。そこで昼食のサンドイッチと珈琲を飲む。食事中に雨がまた降り始め、さらには霧が西側からのぼってきたために急いで身支度をして下山をし始める。
下山は結構、ハイペースで私の登山経験ではあまりないことだが、抜かされることなく、逆に数パーティを抜いた。いや、別にこのようなことを敢えて記す必要もないのだが、個人的には登山の経験回数が増えるにつれ、私もようやく人並みのペースになりつつあるのかな、と今後の登山に明るい展望が得られたので記させてもらった。
ということで、一度だけ休んだだけで一挙に下山をした。大弛峠の駐車場に着いたのは15時50分。16時ちょっと前で、往復で5時間弱。濃霧の中を大弛峠に車で向かった時は、まったく期待できず、むしろ登山を中止した方が賢明ではないかと思ったぐらいであったが、期せずして相当、いい登山をすることができた。これは金峰山が、そもそも素晴らしいということが大きな理由であるかと思う。私は登山が結構、辛いので、登った後に再訪したいという気持ちになることはあまりないのだが、この金峰山は是非とも再訪したいと思った。もちろん、日帰りで行けるというアクセスの良さというのもあるかもしれないが、何しろ茹だるような東京の暑さからは開放されるし、ここの登山は気持ちよいからだ。
(期せずして富士山が見えた。思わず気持ちが高揚する)
(朝日岳からは金峰山が展望できた)
(シャクナゲが目を楽しませてくれる)
(金峯山頂からの富士山の展望)
(五丈岩)
(瑞牆山の素晴らしい展望も得られる)
(瑞牆山荘からの登山道の険しさに驚く)
(瑞牆山方面の展望も素晴らしい)
(帰路はより輪郭がはっきりした富士山を展望することができた)
小雨が降っており、これはちょっと厳しい登山になるのではと覚悟をしたのだが、標高が高いこともあり、小雨は降っているが凜とした森の空気の中、気持ちよく歩き始めることができた。コースタイムでは最初の1時間で朝日岳山頂、そしてさらに1時間ちょっと歩くと金峰山に到達する。基本、尾根道なのでそれほどはキツくないはずだが、最初はいきなりなかなかの急坂。しかし、それはガイドブックに書かれていたので想定済みなので、ただもくもくと高さを稼ぐ。ある程度、登ると平坦な道になる。快適な気分だ。青森トドマツ、ダケカンバの森の中を歩いていると、同行した若者は「こんな空気はヨセミテ以来です。こういう空気を日本で味わえるとは」と言う。確かに、アメリカの国立公園の森を彷彿させるような爽快な気分である。これは、最近の百名山登山では大山でも味わえたが、安達太良山や両神山では感じられなかったことである。一つの理由は標高があるということだろうが、もう一つの理由はアオモリトドマツ等の森の樹木が発するフィトンチッドが、例えば杉に比べて癒やし効果が高いということがあるのではないだろうか。いや、適当な推測ですが。
大弛峠に行く途中は濃霧が覆っていたが、この登山道は濃霧の上であったので視界は悪くない。小雨も気にならない程度だ、とちょっと前向きな気持ちになってきたら、木の狭間から富士山が見えた。今日は富士山を見ることはできないだろうと悲観的な気分になっていたので、テンションは一気に高まる。朝日岳の前の岩稜帯でちょっと休憩して、写真を撮影したりもする。八ヶ岳こそ雲で見えなかったが、富士山、甲武信岳は綺麗に展望できる。そして、そこからまた朝日岳への急坂を登る。標高が高いこともあり、息は上がる。ちょっと、目の前が暗くなりそうになり、高山病を意識する。昨年秋、八ヶ岳で高山病になったので、この程度の標高でも私は油断できないのだ。ということで、あまり無理をしないよう、呼吸を整えるように気をつける。
朝日岳には12時20分に着く。標高は2579メートル。金峰山より20メートルだけ低い。朝日岳からは金峰山の雄姿がはっきりと見える。五丈岩が独特の存在感を放っている。ここで、小雨のため鞄に入れていたカメラを外に取り出す。そこから、坂を下り、鉄山を迂回して歩いて行くと、徐々に樹木が灌木となっていく。7月中旬であるのに、シャクナゲがまだ咲いている。寒いからであろう。実際、今日の気温も15度くらいである。シャクナゲはピンク色ではなく、白色であった。金峰山が近づくと、礫の中を歩いて行くことになる。山頂近くでは、礫は岩になり、岩の中をくぐり抜けていく感じになる。頂上が見えなかったこともあり、山頂は突然、現れた。目の前に五丈岩が屹立している。五丈岩はちょっとした地震で崩れ落ちそうな、岩が積み上げられたようなものである。どうやって自然につくられたのか、不思議な気分になったが、どうも2000年以上前に人工的につくられたものであるそうだ。こんな大自然の中、誰がこのピラミッドのようなものをつくったのか。どちらにしても壮大なミステリーである。
金峰山の頂上からはまさに絶景が楽しめる。特に印象的なのは富士山であるが、瑞牆山も相当なものだ。北にある小川山に比べて標高は低いこともあり、山としての存在感はそれほどでもないが、その花崗岩の岩峰が林立する姿は、一際目立つし、自然の造形美に感嘆させられる。あと、瑞牆山荘から金峰山へと至る登山道は、まるでノコギリの歯のように凸凹している尾根道なのだが、個人的には、その長く引くように伸びる登山道が、両側を断崖絶壁に挟まれたか細い糸のように見え、そこを歩いている人が綱渡りをしている蟻のようで、思わず息を呑んだ。このコースは、6年前に歩こうとしたところだし、ガイドブック的には決して難しくはない筈なのだが、金峰山の頂上からみると、それは恐ろしく危険に富んだ決死の登山路のように見える。いやはや、日本の山は本当に険しいことを改めて思い知る。
五丈岩の下で昼ご飯にしようかとも思ったが、もう既に13時30分頃だったので、山頂の岩の隙間でお湯を沸かす。そこで昼食のサンドイッチと珈琲を飲む。食事中に雨がまた降り始め、さらには霧が西側からのぼってきたために急いで身支度をして下山をし始める。
下山は結構、ハイペースで私の登山経験ではあまりないことだが、抜かされることなく、逆に数パーティを抜いた。いや、別にこのようなことを敢えて記す必要もないのだが、個人的には登山の経験回数が増えるにつれ、私もようやく人並みのペースになりつつあるのかな、と今後の登山に明るい展望が得られたので記させてもらった。
ということで、一度だけ休んだだけで一挙に下山をした。大弛峠の駐車場に着いたのは15時50分。16時ちょっと前で、往復で5時間弱。濃霧の中を大弛峠に車で向かった時は、まったく期待できず、むしろ登山を中止した方が賢明ではないかと思ったぐらいであったが、期せずして相当、いい登山をすることができた。これは金峰山が、そもそも素晴らしいということが大きな理由であるかと思う。私は登山が結構、辛いので、登った後に再訪したいという気持ちになることはあまりないのだが、この金峰山は是非とも再訪したいと思った。もちろん、日帰りで行けるというアクセスの良さというのもあるかもしれないが、何しろ茹だるような東京の暑さからは開放されるし、ここの登山は気持ちよいからだ。
(期せずして富士山が見えた。思わず気持ちが高揚する)
(朝日岳からは金峰山が展望できた)
(シャクナゲが目を楽しませてくれる)
(金峯山頂からの富士山の展望)
(五丈岩)
(瑞牆山の素晴らしい展望も得られる)
(瑞牆山荘からの登山道の険しさに驚く)
(瑞牆山方面の展望も素晴らしい)
(帰路はより輪郭がはっきりした富士山を展望することができた)
安達太良山(日本百名山25座登頂) [日本百名山]
安達太良山に登る。その前日にゼミの卒業生達と磐梯山に登る予定だったので、安達太良山の麓の岳温泉の宿を予約し、一挙に二つの山を登頂しようと目論んでいた。ただ、磐梯山は雨の予報であり、行く直前にキャンセルした。実際、当日は、午前中は土砂降りの雨だったようで行かなくて正解だったのだが、私は宿を予約していたこともあり、一人で夕方に岳温泉に向かった。17時まで大学で仕事をし、そこから東北新幹線で郡山に向かい、郡山でレンタカーをして岳温泉には21時ちょっと前に着いた。
予約をした旅館は、山小屋に毛が生えたようなものをイメージしていたのだが、大規模で豪華な温泉旅館であった。ちょっと外した気分ではある。
翌日は8時30分に始発のゴンドラに乗ることを計画する。これだと登山時に1時間30分は節約できるからだ。ということで7時に朝食を取り、8時過ぎにチェックアウトをしてゴンドラ駅に向かう。旅館から奥岳のゴンドラ駅までは自動車で10分ほどであった。奥岳には広大な駐車場があった。さて、しかし、なんとゴンドラは強風で運行中止であった。しばらく待ったら運行が再開されるかもしれないと思ったが、受付には誰もいないので奥岳から登山を開始する。山頂は雲で見えなかったが、それまでのルートははっきりと見える。
登山開始は8:45。30分ほどスキー場のゲレンデを登っていく。そして、ゲレンデのリフトの降り口から急坂になる。昨日の雨のせいか、道は泥濘んでいて極めて歩きにくい。薬師岳にはおよそ1時間ほどで着いたが、そこまでのルートは水たまりや泥濘みのせいで、まったく快適ではない楽しくない登山であった。というか、もう少し、登山道を整備できないものか。自動車が走る道路ばかりを不必要に整備し続けるのではなく、こういう登山道にも少しは投資をするべきであろう。そうでなくても、百名山は潜在的には観光資源としてのポテンシャルが高い。登山道をしっかりと整備すれば、登山が快適になり、内外の観光客が増えるであろう。そして、高齢化が進む中、登山が多くなされるようになれば高齢者も元気になり、医療福祉に振り向けられる税金が減るのではないだろうか。などとぶつぶつ考えながら、高度を上げていった。
薬師岳はゴンドラの上部駅がそばにあり、そこから二本松市方面の展望は素晴らしかった。ただ、安達太良山の方はなんか禍々しい雲が覆っている。この薬師岳には、高村光太郎夫人である高村智恵子の「この上の空がほんとうの空です」という一句の碑があるのだが、上の空はグレーの陰鬱な雲に覆われていた。薬師岳からはゴンドラの駅からの登山道と合流し、そこからは素晴らしく歩きやすい木道が続く。
さらに1時間ほど歩くと、礫が続く急坂になり、雲の中に入り、視界は悪くなる。頭上をもの凄い勢いで風が吹き荒れ、ちょっと恐怖さえ覚える。そして、そこから数分で安達太良山の頂上のでっぱりの手前まで来る。安達太良山の頂上は乳首と呼ばれているそうだが、確かにそのような形状をしている。ただ、この最後の部分はなかなかの崖で、しっかりと三点支持の要領で登っていく。頂上に着いたのは10時55分。360度の素晴らしい展望ということだが、まったく何も見えない。そして、下から吹き上げる凄まじい風。ということでそそくさと下山を始める。先日の大山では上りが調子よかったので、いい気になって下ったら膝を痛めたので、今回はいい気になる気持ちを抑えてゆっくりと降りていく。11時40分には薬師岳に戻る。そして、泥濘みだらけの登山道を下山していく。上りよりさらに、その泥濘みに不快な気持ちを抱く。泥濘みのせいか、羽虫のような虫も多く、本当に鬱陶しい。初めての百名山でここを登ったら、登山を今のようにしていなかったかもしれないとさえ思う。ただ、つまらない私の気持ちをなだめるかのように、シャクナゲなどの花が目を楽しませてくれる。この野生植物は安達太良山の魅力かもしれない。
そして登山口に着いたのが12時54分。ほぼ4時間ちょっとで往復することができた。とはいえ、ゴンドラが運転しているなら、是非ともゴンドラを使うべきだと思う。登山口から薬師岳までのルートにはまったくの魅力はなかった。
ということで、25座目の百名山登頂になったのだが、おもに天気のせいではあったが最も今ひとつな登山であった。ただ膝は痛くない。ということで、登山口にあった安達太良渓谷自然遊歩道というのがあったの歩いてみた。そしたら、これが安達太良登山よりも遙かに自然美に溢れて、また登山道もしっかりと整備されていたものであった。西沢渓谷ほどではないが、これだけ簡単にアプローチできることを考えると、これはなかなか素晴らしい渓谷美である。ということで、ちょっとささくれていた私の気持ちは随分と慰められた。レンタカーに戻ってエンジンを入れたら雨が降ってきた。
<ゴンドラは運行休止。これで往復2時間以上は余計にかかることになった>
<スタート地点はスキー場>
<ひどい泥濘みの中を登っていく>
<薬師岳からは二本松市方面の素晴らしい展望が得られるが、この登山で唯一、雄大な景観が楽しめたのはここだけであった>
<薬師岳の碑>
<高村智恵子の句>
<薬師岳からしばらくはしっかりと整備された快適な登山道を登っていく>
<山頂に近づくと坂も急になる>
<乳首とよばれる山頂の下にまでくる>
<山頂>
<山頂からの展望は皆無>
<下りの泥濘み。足を滑らせ、尻餅をつく>
<ささくれる私の気持ちを慰めてくれたのは、野生の花々であった>
<なんだかなあ、と言う私の思いを吹き飛ばしてくれたあだたら渓谷自然遊歩道の素晴らしい渓谷美>
予約をした旅館は、山小屋に毛が生えたようなものをイメージしていたのだが、大規模で豪華な温泉旅館であった。ちょっと外した気分ではある。
翌日は8時30分に始発のゴンドラに乗ることを計画する。これだと登山時に1時間30分は節約できるからだ。ということで7時に朝食を取り、8時過ぎにチェックアウトをしてゴンドラ駅に向かう。旅館から奥岳のゴンドラ駅までは自動車で10分ほどであった。奥岳には広大な駐車場があった。さて、しかし、なんとゴンドラは強風で運行中止であった。しばらく待ったら運行が再開されるかもしれないと思ったが、受付には誰もいないので奥岳から登山を開始する。山頂は雲で見えなかったが、それまでのルートははっきりと見える。
登山開始は8:45。30分ほどスキー場のゲレンデを登っていく。そして、ゲレンデのリフトの降り口から急坂になる。昨日の雨のせいか、道は泥濘んでいて極めて歩きにくい。薬師岳にはおよそ1時間ほどで着いたが、そこまでのルートは水たまりや泥濘みのせいで、まったく快適ではない楽しくない登山であった。というか、もう少し、登山道を整備できないものか。自動車が走る道路ばかりを不必要に整備し続けるのではなく、こういう登山道にも少しは投資をするべきであろう。そうでなくても、百名山は潜在的には観光資源としてのポテンシャルが高い。登山道をしっかりと整備すれば、登山が快適になり、内外の観光客が増えるであろう。そして、高齢化が進む中、登山が多くなされるようになれば高齢者も元気になり、医療福祉に振り向けられる税金が減るのではないだろうか。などとぶつぶつ考えながら、高度を上げていった。
薬師岳はゴンドラの上部駅がそばにあり、そこから二本松市方面の展望は素晴らしかった。ただ、安達太良山の方はなんか禍々しい雲が覆っている。この薬師岳には、高村光太郎夫人である高村智恵子の「この上の空がほんとうの空です」という一句の碑があるのだが、上の空はグレーの陰鬱な雲に覆われていた。薬師岳からはゴンドラの駅からの登山道と合流し、そこからは素晴らしく歩きやすい木道が続く。
さらに1時間ほど歩くと、礫が続く急坂になり、雲の中に入り、視界は悪くなる。頭上をもの凄い勢いで風が吹き荒れ、ちょっと恐怖さえ覚える。そして、そこから数分で安達太良山の頂上のでっぱりの手前まで来る。安達太良山の頂上は乳首と呼ばれているそうだが、確かにそのような形状をしている。ただ、この最後の部分はなかなかの崖で、しっかりと三点支持の要領で登っていく。頂上に着いたのは10時55分。360度の素晴らしい展望ということだが、まったく何も見えない。そして、下から吹き上げる凄まじい風。ということでそそくさと下山を始める。先日の大山では上りが調子よかったので、いい気になって下ったら膝を痛めたので、今回はいい気になる気持ちを抑えてゆっくりと降りていく。11時40分には薬師岳に戻る。そして、泥濘みだらけの登山道を下山していく。上りよりさらに、その泥濘みに不快な気持ちを抱く。泥濘みのせいか、羽虫のような虫も多く、本当に鬱陶しい。初めての百名山でここを登ったら、登山を今のようにしていなかったかもしれないとさえ思う。ただ、つまらない私の気持ちをなだめるかのように、シャクナゲなどの花が目を楽しませてくれる。この野生植物は安達太良山の魅力かもしれない。
そして登山口に着いたのが12時54分。ほぼ4時間ちょっとで往復することができた。とはいえ、ゴンドラが運転しているなら、是非ともゴンドラを使うべきだと思う。登山口から薬師岳までのルートにはまったくの魅力はなかった。
ということで、25座目の百名山登頂になったのだが、おもに天気のせいではあったが最も今ひとつな登山であった。ただ膝は痛くない。ということで、登山口にあった安達太良渓谷自然遊歩道というのがあったの歩いてみた。そしたら、これが安達太良登山よりも遙かに自然美に溢れて、また登山道もしっかりと整備されていたものであった。西沢渓谷ほどではないが、これだけ簡単にアプローチできることを考えると、これはなかなか素晴らしい渓谷美である。ということで、ちょっとささくれていた私の気持ちは随分と慰められた。レンタカーに戻ってエンジンを入れたら雨が降ってきた。
<ゴンドラは運行休止。これで往復2時間以上は余計にかかることになった>
<スタート地点はスキー場>
<ひどい泥濘みの中を登っていく>
<薬師岳からは二本松市方面の素晴らしい展望が得られるが、この登山で唯一、雄大な景観が楽しめたのはここだけであった>
<薬師岳の碑>
<高村智恵子の句>
<薬師岳からしばらくはしっかりと整備された快適な登山道を登っていく>
<山頂に近づくと坂も急になる>
<乳首とよばれる山頂の下にまでくる>
<山頂>
<山頂からの展望は皆無>
<下りの泥濘み。足を滑らせ、尻餅をつく>
<ささくれる私の気持ちを慰めてくれたのは、野生の花々であった>
<なんだかなあ、と言う私の思いを吹き飛ばしてくれたあだたら渓谷自然遊歩道の素晴らしい渓谷美>
大山(日本百名山24座登頂) [日本百名山]
大山に登ることにする。単独登山である。宿泊したのは国民宿舎大山ビューハイツ。大山の夏登山口からは離れているが、この宿の有り難い点は、前日にチェックアウトさせてくれるので早朝、出発できることと、朝食をお弁当にしてくれることである。お弁当は夕食時に渡してもらった。さて、19時過ぎには夕食を終えて部屋に戻るのだが、その日は寝不足ということもあってすぐに寝てしまった。起きたら1時ちょっと過ぎ。多少、睡眠が不足はしているが、もう目はがんがんに冴えている。窓の外は月が明るく、大山の輪郭がはっきりと見える。雲一つない。これを見て、さらに目は覚め、もう無理して寝ようとすることもないと考え、溜まっている仕事をすることにした。そうしていたら、もう4時過ぎになってしまっている。窓の外をみるともう明るくなっている。これはいかん、と急いで準備をしてレンタカーで登山口にもっとも近い駐車場に行く。駐車場には10台弱ぐらいの車が既に駐車していた。朝の時間帯は寒い。登り始めるとすぐ暑くなることは分かっていても、この登り始めの寒さは意外なほどだ。速乾性のシャツに長袖、さらに念のために持ってきていたパーカーを羽織る。このパーカーがなければ寒過ぎたであろう。また、手袋も防寒用にする。ちょうど5時頃に登山を開始する。
駐車場に隣接している登山路のようなところを何も考えずに歩き始めようとすると、同じような駐車をしていた人が「そこは登山路じゃないですよ」と教えてくれた。いきなり、大きなミスをするところであった。登山口は、大山橋を西に少し歩いたところにあった。
登山開始からほとんど階段の連続である。大山周辺は西日本最大のブナ林だそうだが、ブナの緑がとても美しい。ここまで美しい森は滅多に見たことがないのではないだろうか。アメリカのワシントン州のオリンピック公園や、北カリフォルニアのレッドウッドの森に入ったような神聖なる森の世界に入ったかのようだ。厳かでありながら、どこか優しい。素晴らしい森であり、感動しつつ一歩一歩、標高を稼いでいく。しばらくは展望もなく、ひたすら森の中を登っていくという感じであるが、気持ちは充実している。四合目ぐらいで、日本海の青さが目に入る。そして、しばらく高度を上げると、米子市の美保の関が見える。目を見張るかのような美しさだ。日本という国土には、こんなにも美しい場所があるのか、と大袈裟でなく思わせる光景である。
そして1時間10分ぐらいで6号目に到着する。ここは、大山の凄まじい山容と日本海の絶景を展望できる。東の方では日本海に雲海が被さっている。この景観もなかなか素晴らしい。ぶよのような虫が6合目付近には多くいて、耳を咬まれたようで、その後、ずっと痒くて困った。後で虫除けスプレーをかけたら寄ってこなかったので、これをしておくといいであろう。6合目付近からもそのまま急坂は続く。まだ日が昇っていないので木陰の中を歩いて行けるが、もう少し、遅くなり太陽がそのまま照りつけると、相当、暑くなると思われる。
急坂ではあるが、時折、展望が開ける。その展望の素晴らしさに疲れは吹っ飛ぶ。ということもあり、標高をどんどん稼ぐことができる。八合目からは、登山路は木道になる。この沿道には、ダイセンキャラボクという常緑の低木が生えている。これらの高さは50cmから2mと低く、葉は針葉で先がとがっている。これらは鳥取の木としても指定されているようである。
さて木道になってあっという間に山頂に着くかと思ったが意外と時間がかかる。とはいえ、素晴らしい展望と山頂が見えていることもあり、足取りは軽い。木道を歩き始めてから20分で山頂に到着する。時間は7時17分である。山頂からは360度の展望が得られる。この日は雲一つなく、その展望はひたすら素晴らしい。体調は悪くない。おにぎりを食べて、この絶景を十分に楽しんだ後、下山し始める。
下山し始めた時は、体調が好調であったこともあり、ユートピア避難小屋まで足を伸ばそうかと思ったのだが、六合目頃には膝に疲れが来てしまい、とてもそれどころではなかった。これは、急坂であるにも関わらず、元気であったので勢いよく下山してしまったためであろう。六合目をちょっと降りると行者分かれという分岐点に着く。そこからは行きとは違う行者コースを降りる。行者コースは美しいブナ林の中を歩く、素晴らしい森林浴を味わえるコースで、また、大山の見事な北壁を望むことができる。それでいて夏登山口に比べると登山者はずっと少ない。ちょっと遠回りになるが、この道で降りてきて大正解であった。そして、9時30分過ぎに大神山神社奥宮に着き、10時ちょっと前に大山寺に到着する。
温泉に入ろうと考え、ガイドブックが勧めていた大山レークホテルまでの4キロの距離をレンタカーを飛ばすと、日帰り温泉のサービスはもう止めたそうである。それではどこに行けばいいかを尋ねると、豪園湯院がいいとのこと。ここは私がレンタカーを駐車していたところのそばだ。なんかえらく無駄骨だなと思いながら、再び大山の登山口の方まで戻ると豪園湯院は11時から開業だったので、ちょうど開業直後に入ることになった。ということで、それほど無駄骨ではなかったかもしれない。豪園湯院はなかなかいいお湯で、疲れも吹き飛んだ。
単独登山では最もチャレンジングな挑戦であったが、膝が痛くなったことを除けば、ほぼしっかりとやり遂げることができたのではないだろうか。ちょっとだけ自信となった。
(登山口の駐車場に到着する。4:48)
(登山口の駐車場の前にある道を登山道と間違えて登り始めそうになる)
(厳かな朝の空気の中を歩き始めていく)
(一合目。5:11)
(登山道はしっかりと階段として整備されている)
(二合目。5:17)
(三合目。5:41)
(徐々に朝日が森を照らし始める。5:44)
(四合目。5:51)
(四合目から後ろを振り返ると、息を呑むような日本海の絶景を観ることができる)
(五合目。6:03)
(日本海の絶景)
(六合目。6:18)
(朝日を浴びる大山の絶壁)
(六合目をちょっと登ったところから展望する日本海の絶景)
(七合目。6:33)
(米子市の展望)
(山頂へと最後のアプローチは木道が続く。6:57)
(木道の両側にはダイセンキャラボクが展開する)
(大山の頂上へ2時間ちょっとで着く。7:17)
(頂上から弥山の方を望む)
(頂上から美保の関を望む)
(素晴らしい景観の中を下山し始める。7:35)
(六合目に着く。8:22)
(行者コースを降り始める。8:39)
(行者コースのブナ林の木漏れ日の中を歩く)
(大山の素晴らしい北壁を展望する。9:12)
(行者コースの気持ちよい森の中を歩いて行く)
(大神山神社奥宮。9:44)
(大山寺。10:00)
駐車場に隣接している登山路のようなところを何も考えずに歩き始めようとすると、同じような駐車をしていた人が「そこは登山路じゃないですよ」と教えてくれた。いきなり、大きなミスをするところであった。登山口は、大山橋を西に少し歩いたところにあった。
登山開始からほとんど階段の連続である。大山周辺は西日本最大のブナ林だそうだが、ブナの緑がとても美しい。ここまで美しい森は滅多に見たことがないのではないだろうか。アメリカのワシントン州のオリンピック公園や、北カリフォルニアのレッドウッドの森に入ったような神聖なる森の世界に入ったかのようだ。厳かでありながら、どこか優しい。素晴らしい森であり、感動しつつ一歩一歩、標高を稼いでいく。しばらくは展望もなく、ひたすら森の中を登っていくという感じであるが、気持ちは充実している。四合目ぐらいで、日本海の青さが目に入る。そして、しばらく高度を上げると、米子市の美保の関が見える。目を見張るかのような美しさだ。日本という国土には、こんなにも美しい場所があるのか、と大袈裟でなく思わせる光景である。
そして1時間10分ぐらいで6号目に到着する。ここは、大山の凄まじい山容と日本海の絶景を展望できる。東の方では日本海に雲海が被さっている。この景観もなかなか素晴らしい。ぶよのような虫が6合目付近には多くいて、耳を咬まれたようで、その後、ずっと痒くて困った。後で虫除けスプレーをかけたら寄ってこなかったので、これをしておくといいであろう。6合目付近からもそのまま急坂は続く。まだ日が昇っていないので木陰の中を歩いて行けるが、もう少し、遅くなり太陽がそのまま照りつけると、相当、暑くなると思われる。
急坂ではあるが、時折、展望が開ける。その展望の素晴らしさに疲れは吹っ飛ぶ。ということもあり、標高をどんどん稼ぐことができる。八合目からは、登山路は木道になる。この沿道には、ダイセンキャラボクという常緑の低木が生えている。これらの高さは50cmから2mと低く、葉は針葉で先がとがっている。これらは鳥取の木としても指定されているようである。
さて木道になってあっという間に山頂に着くかと思ったが意外と時間がかかる。とはいえ、素晴らしい展望と山頂が見えていることもあり、足取りは軽い。木道を歩き始めてから20分で山頂に到着する。時間は7時17分である。山頂からは360度の展望が得られる。この日は雲一つなく、その展望はひたすら素晴らしい。体調は悪くない。おにぎりを食べて、この絶景を十分に楽しんだ後、下山し始める。
下山し始めた時は、体調が好調であったこともあり、ユートピア避難小屋まで足を伸ばそうかと思ったのだが、六合目頃には膝に疲れが来てしまい、とてもそれどころではなかった。これは、急坂であるにも関わらず、元気であったので勢いよく下山してしまったためであろう。六合目をちょっと降りると行者分かれという分岐点に着く。そこからは行きとは違う行者コースを降りる。行者コースは美しいブナ林の中を歩く、素晴らしい森林浴を味わえるコースで、また、大山の見事な北壁を望むことができる。それでいて夏登山口に比べると登山者はずっと少ない。ちょっと遠回りになるが、この道で降りてきて大正解であった。そして、9時30分過ぎに大神山神社奥宮に着き、10時ちょっと前に大山寺に到着する。
温泉に入ろうと考え、ガイドブックが勧めていた大山レークホテルまでの4キロの距離をレンタカーを飛ばすと、日帰り温泉のサービスはもう止めたそうである。それではどこに行けばいいかを尋ねると、豪園湯院がいいとのこと。ここは私がレンタカーを駐車していたところのそばだ。なんかえらく無駄骨だなと思いながら、再び大山の登山口の方まで戻ると豪園湯院は11時から開業だったので、ちょうど開業直後に入ることになった。ということで、それほど無駄骨ではなかったかもしれない。豪園湯院はなかなかいいお湯で、疲れも吹き飛んだ。
単独登山では最もチャレンジングな挑戦であったが、膝が痛くなったことを除けば、ほぼしっかりとやり遂げることができたのではないだろうか。ちょっとだけ自信となった。
(登山口の駐車場に到着する。4:48)
(登山口の駐車場の前にある道を登山道と間違えて登り始めそうになる)
(厳かな朝の空気の中を歩き始めていく)
(一合目。5:11)
(登山道はしっかりと階段として整備されている)
(二合目。5:17)
(三合目。5:41)
(徐々に朝日が森を照らし始める。5:44)
(四合目。5:51)
(四合目から後ろを振り返ると、息を呑むような日本海の絶景を観ることができる)
(五合目。6:03)
(日本海の絶景)
(六合目。6:18)
(朝日を浴びる大山の絶壁)
(六合目をちょっと登ったところから展望する日本海の絶景)
(七合目。6:33)
(米子市の展望)
(山頂へと最後のアプローチは木道が続く。6:57)
(木道の両側にはダイセンキャラボクが展開する)
(大山の頂上へ2時間ちょっとで着く。7:17)
(頂上から弥山の方を望む)
(頂上から美保の関を望む)
(素晴らしい景観の中を下山し始める。7:35)
(六合目に着く。8:22)
(行者コースを降り始める。8:39)
(行者コースのブナ林の木漏れ日の中を歩く)
(大山の素晴らしい北壁を展望する。9:12)
(行者コースの気持ちよい森の中を歩いて行く)
(大神山神社奥宮。9:44)
(大山寺。10:00)
両神山(日本百名山登頂23座) [日本百名山]
埼玉県の奥秩父山塊にある両神山に行く。埼玉県には百名山が3つあるが、そのうち2つは県境にある。県境ではなく、すべて埼玉県内にある百名山は両神山だけである。そういった点からも、両神山は「埼玉県の山」というシンボル的な意味合いも有する山であると思う。
5月中旬の土曜日、友人の車に乗せてもらい都立大学の家を13時に出た。花園インターチェンジを経由して両神山荘に着いたのはほぼ16時。3時間で着いてしまうので近いものである。早い風呂に入り、夕食は18時。食事は思いの外、豪勢で地の物が中心で鮎以外はすべて精進料理のようなベジタリアン志向であったが、好感が持てる。その後、部屋で多少、友人との旧交を温め、19時には寝る。起きたのは1時30分で、ちょっと早すぎだが、睡眠時間は確保している。ただし、この山荘はソフトバンクが繋がらないので、時間は持て余す。
布団を上げたのは4時30分。登山準備を開始し、パッキングが終了したのは5時15分。朝食は5時20分過ぎには準備されており、チェック・アウトを済ませ、昨晩お願いした昼食(500円)を受け取り、登山を開始したのは6時。ここまでは予定通りである。両神山は山岳信仰の霊峰である。というのが、登山口を上がって5分ぐらい経って鳥居をくぐらせられることで改めて思い出す。登山道には多くの石仏や石塔が置かれており、つい最近、設置されたと思しきものもあった。天気は曇りで、小雨がたまにぱらつく感じではあるが、レインコートを着るほどではない。登山道は急峻な谷の間を縫うように行く。道は狭く、ちょっと油断をすると滑落する危険さえある。行きはともかく、疲労が溜まった帰りには気をつけないといけないであろう。
会所という休憩所は6時35分に到着。それからは、渓流を徒渉しながら高度を上げていく。昨日までの雨で登山道は泥濘んでいる。上りはともかく下りはちょっと大変であろう。特に展望がない谷をずっと歩いて行くがブナやもみじなどからなる落葉樹林の森は美しく心も落ち着く。途中、いくつか鎖場があるが、滑りやすい岩に設置されており、どちらかというと上りではなく下りようである。8時30分頃に清滝小屋にようやく着く。ほぼコースタイム通りではある。ここのトイレは相当、清潔であり、登山者にとっては有り難い。
さて、ここからは急登が尾根に出るまで続く。鎖が大変というよりかは、泥濘みが難しい。つりそうな感じになったので、ちょっと休んで身体をほぐす。なかなか厳しい坂が続くが、どうにか両神神社には9時30分頃に着く。そこから尾根まで一挙に登ると、両神山頂は目前である。ここでストックをリュックにしまい込み、最後の鎖場。ロック・クラミングのような岩場を登るが、それほど難しくはなかった。山頂に着いたのはほぼ10時。両神山頂からは素晴らしい展望が得られるという話だったが、我々は白いガスしか見えなかった。とはいえ、雨が降らなかったことは不幸中の幸いだ。また、両神山はアカヤシオツツジが有名であるが、ちょっと満開には早かったが頂上でもこれらの可憐な花を見ることができた。昼食を食べるにはちょっとスペースが狭いことと、まだお腹も空いていないので、そのまま一挙に清滝山荘まで下る。この時、気をつけたにも関わらず泥濘みに足を取られ、尻餅をつく。この泥濘みを下るということで慎重になったこともあり、下りはコースタイムを大幅に上回り、下山したのは14時ちょっと前であった。
曇っていたために展望が得られなかったこと、また登山道が泥濘んでいて歩きにくかったなどの問題もあったが、奥秩父の大自然を体験できたことは意義のあることであった。機会があれば再びチャレンジしたいとも思わせられたが、まだ登っていない名山が多いので、それは先のことになるかもしれない。
(朝霧の中の両神山登山口周辺)
(両神山荘。山小屋ではなく民宿でした)
(清滝山荘までは、渓流に沿って谷を登っていく)
(美しいブナ林)
(山頂はあいにくガスで素晴らしいといわれる展望はまったく得られませんでした)
(山頂でのアカヤシオツツジ)
5月中旬の土曜日、友人の車に乗せてもらい都立大学の家を13時に出た。花園インターチェンジを経由して両神山荘に着いたのはほぼ16時。3時間で着いてしまうので近いものである。早い風呂に入り、夕食は18時。食事は思いの外、豪勢で地の物が中心で鮎以外はすべて精進料理のようなベジタリアン志向であったが、好感が持てる。その後、部屋で多少、友人との旧交を温め、19時には寝る。起きたのは1時30分で、ちょっと早すぎだが、睡眠時間は確保している。ただし、この山荘はソフトバンクが繋がらないので、時間は持て余す。
布団を上げたのは4時30分。登山準備を開始し、パッキングが終了したのは5時15分。朝食は5時20分過ぎには準備されており、チェック・アウトを済ませ、昨晩お願いした昼食(500円)を受け取り、登山を開始したのは6時。ここまでは予定通りである。両神山は山岳信仰の霊峰である。というのが、登山口を上がって5分ぐらい経って鳥居をくぐらせられることで改めて思い出す。登山道には多くの石仏や石塔が置かれており、つい最近、設置されたと思しきものもあった。天気は曇りで、小雨がたまにぱらつく感じではあるが、レインコートを着るほどではない。登山道は急峻な谷の間を縫うように行く。道は狭く、ちょっと油断をすると滑落する危険さえある。行きはともかく、疲労が溜まった帰りには気をつけないといけないであろう。
会所という休憩所は6時35分に到着。それからは、渓流を徒渉しながら高度を上げていく。昨日までの雨で登山道は泥濘んでいる。上りはともかく下りはちょっと大変であろう。特に展望がない谷をずっと歩いて行くがブナやもみじなどからなる落葉樹林の森は美しく心も落ち着く。途中、いくつか鎖場があるが、滑りやすい岩に設置されており、どちらかというと上りではなく下りようである。8時30分頃に清滝小屋にようやく着く。ほぼコースタイム通りではある。ここのトイレは相当、清潔であり、登山者にとっては有り難い。
さて、ここからは急登が尾根に出るまで続く。鎖が大変というよりかは、泥濘みが難しい。つりそうな感じになったので、ちょっと休んで身体をほぐす。なかなか厳しい坂が続くが、どうにか両神神社には9時30分頃に着く。そこから尾根まで一挙に登ると、両神山頂は目前である。ここでストックをリュックにしまい込み、最後の鎖場。ロック・クラミングのような岩場を登るが、それほど難しくはなかった。山頂に着いたのはほぼ10時。両神山頂からは素晴らしい展望が得られるという話だったが、我々は白いガスしか見えなかった。とはいえ、雨が降らなかったことは不幸中の幸いだ。また、両神山はアカヤシオツツジが有名であるが、ちょっと満開には早かったが頂上でもこれらの可憐な花を見ることができた。昼食を食べるにはちょっとスペースが狭いことと、まだお腹も空いていないので、そのまま一挙に清滝山荘まで下る。この時、気をつけたにも関わらず泥濘みに足を取られ、尻餅をつく。この泥濘みを下るということで慎重になったこともあり、下りはコースタイムを大幅に上回り、下山したのは14時ちょっと前であった。
曇っていたために展望が得られなかったこと、また登山道が泥濘んでいて歩きにくかったなどの問題もあったが、奥秩父の大自然を体験できたことは意義のあることであった。機会があれば再びチャレンジしたいとも思わせられたが、まだ登っていない名山が多いので、それは先のことになるかもしれない。
(朝霧の中の両神山登山口周辺)
(両神山荘。山小屋ではなく民宿でした)
(清滝山荘までは、渓流に沿って谷を登っていく)
(美しいブナ林)
(山頂はあいにくガスで素晴らしいといわれる展望はまったく得られませんでした)
(山頂でのアカヤシオツツジ)
タグ:両神山
筑波山(日本百名山登頂22座) [日本百名山]
ゴールデン・ウィークに筑波山にチャレンジする。朝、7時前に都立大学を出て、北千住でつくばエクスプレスに乗り換えた。その際、「筑波山ある切符」というものを購入したのだが、これはつくばエクスプレスだけでなく、「直行筑波山シャトルバス」にも乗れる。これで3050円。北千住からつくば駅までの往復で2060円。つくば駅から、筑波山のロープウェイの山麓駅のつつじヶ丘まで片道800円以上するので、これは大いに得する。お勧めだ。
(http://www.mir.co.jp/service/otoku/arukippu.html)
さて、つくばエクスプレスもつくば駅まで乗るのは初めての体験だったのだが、あっという間につくば駅に到着した。そこから筑波山の登山口のつつじヶ丘まで行く「直行筑波山シャトルバス」は30分間隔で運行している。結構、並んでいたがうまく9時30分発のバスに乗ることが出来た。これで10時30分にはつつじヶ丘に着くだろうと思っていたら、筑波山神社に向かう道が大渋滞。ほとんど歩くより遅いようなスピードになり、筑波神社口のバス停に着いたのは11時30分。これから、つつじヶ丘までも渋滞しているという話なので、これはたまらないと思い、予定を変えて筑波神社から登山を開始する。
なぜ、正統のルートではなく、つつじヶ丘から登ろうとしたかというと、睡眠不足であったからだ。通常であれば、こういう時は登山を避けるのだが、私は来週、両神山を登山する計画をしている。今シーズンの最初に両神山を登るのは流石にリスクが高い。そういうこともあって、今日は多少の無理をして筑波山にチャレンジしたのである。さて、しかし、つつじヶ丘からのルートに比べて、筑波神社からのルートは二つあるが、どちらもずっと厳しい。私は百名山にチャレンジをし始めてから、楽な百名山はない(強いていえば大菩薩峠は楽かもしれない)ということを思い知らされているが、標高877メートルという百名山で最も低いこの標高の筑波山も、筑波山神社から頂上までの標高差712メートルをほとんどケーブルカーに並行に登っていく。つまり、712メートルを階段で上るような登山なのだ。
筑波神社口のバス停で降りると、そこから筑波山神社まで歩いて行かなくてはならない。道路には歩道の幅がなく、ちょっと危険を感じる。筑波山神社はなかなか立派な拝殿であった。さて、神社を抜けて、ケーブルカーの入り口と登山道が分かれるところから、もう急坂が始まる。そして、急坂はほぼ一貫して続く。普通の階段より、ちょっとだけ緩やかなぐらいの斜度である。これは、きつい。とはいえ、90分間ほど歩くと御幸ヶ原という男体山と女体山を結ぶ展望が拡がる平坦な場所に着く。ここで、カロリーメイトと珈琲を飲み、時間もあまりないので男体山に挑む。10分ぐらいの上りなのだが、なかなか岩をよじ登る感じの急坂で決して楽ではない。この男体山からは南には霞ヶ関と水郷地帯が展望でき、なかなかの絶景である。この絶景が、筑波山の魅力であろう。
さて、男体山から御幸ヶ原に戻り、次は女体山に向かう。男体山は871メートル、女体山は877メートル。ちょっとだけ女体山の方が高いが、筑波山を登頂したというには二つとも制覇しなくてはいけないような気がする。男体山と違って、女体山へのアプローチは緩やかであった。女体山は男体山に比べると、遙かに多くの人が狭い山頂にひしめき合っていて、ちょっと危険なぐらいであった。ここからは男体山の素晴らしい展望が得られる。また、ここから太平洋方面への光景も素晴らしい。
さて、その後は「おたつ石コース」というルートでつつじヶ丘に向かう。このおたつ石コースは、登ってくる客が数珠のように繋がっていて、ほとんど一歩も動けないぐらい混んでいる場所もあった。まるで、ディズニーランドのビッグ・サンダー・マウンテンの行列のようだ。私は降りる方なので、ある程度、自分のペースで歩いて行くことができたが、逆方向は凄いストレスではないか、と思う。というか、もう15時近いのに、なぜ、登り始めているのかが分からない。また、ほとんどの登山者は軽装で、私のように登山靴を履いている方が珍しかった。さらには犬や幼稚園児ぐらいの子供、さらにはリュックに赤ん坊を背負っている人もいたりして、筑波山の人気の凄さを思い知らされた。私は、この4年間に3回、登山をしているが、こんなに登山をしている人が多い山は初めてである。そして、登山者でない、レジャー感覚で登っている人がこんなに多い百名山も初めて知った。
また、つつじヶ丘に近づくと、つつじが群生しているところに出た。とはいえ、まだ蕾みが多く、つつじが満開状況になるのは1週間は早くきてしまったようである。
帰りはつつじヶ丘からバスに乗ったが、帰りは1時間でつくば駅に着くことができた。その後、行きと同じルートで帰宅すると戻ったのは18時30分ぐらいであった。あれだけの渋滞に遭遇したにも関わらず、公共交通を用いて12時間で往復できたというのはなかなかアクセスのよい百名山である。値段も安いし、そういう意味では財布にも時間にも優しい山であると言えるだろう。なぜ、もっと早く訪れなかったのだろうか、と少し後悔する。
とはいえ、「西の富士、東の筑波」というほどは立派ではないのは明らかである。しかし、この平坦な関東平野の東に唯一、地面から聳えるように立っているその姿は、その高さが低いにも関わらず感動的である。
あと、今回の経験から分かったのは、つつじヶ丘から女体山へは登るより、降りる方がずっといいのではないだろうか。筑波山神社のルートに比べると、標高差は少ないかもしれないが、登山者渋滞で、遅くなるならまだしも停止状態になるというのは、登山の楽しみをすべて奪うのに等しいような状況であると思われるからだ。
(バス停から筑波山神社までのアクセスは非常に今ひとつである)
(筑波山神社の拝殿はなかなか立派である)
(御幸ヶ原へコースの入り口)
(昼なお暗い杉林の中を歩いて行く)
(このような坂道をずっと登っていくという感じである)
(上と同じ)
(さらに坂は厳しくなる)
(また、さらに厳しくなって、まるで壁のようだ)
(御幸ヶ原に出る直前の階段)
(あと少しの辛抱である)
(男体山から女体山を展望する)
(男体山から南を展望する)
(男体山から北を展望する)
(女体山から太平洋側を展望する)
(女体山から男体山を展望する)
(つつじヶ丘から女体山への道は登山者で溢れていた)
(つつじヶ丘のそばではつつじが群生していた)
(http://www.mir.co.jp/service/otoku/arukippu.html)
さて、つくばエクスプレスもつくば駅まで乗るのは初めての体験だったのだが、あっという間につくば駅に到着した。そこから筑波山の登山口のつつじヶ丘まで行く「直行筑波山シャトルバス」は30分間隔で運行している。結構、並んでいたがうまく9時30分発のバスに乗ることが出来た。これで10時30分にはつつじヶ丘に着くだろうと思っていたら、筑波山神社に向かう道が大渋滞。ほとんど歩くより遅いようなスピードになり、筑波神社口のバス停に着いたのは11時30分。これから、つつじヶ丘までも渋滞しているという話なので、これはたまらないと思い、予定を変えて筑波神社から登山を開始する。
なぜ、正統のルートではなく、つつじヶ丘から登ろうとしたかというと、睡眠不足であったからだ。通常であれば、こういう時は登山を避けるのだが、私は来週、両神山を登山する計画をしている。今シーズンの最初に両神山を登るのは流石にリスクが高い。そういうこともあって、今日は多少の無理をして筑波山にチャレンジしたのである。さて、しかし、つつじヶ丘からのルートに比べて、筑波神社からのルートは二つあるが、どちらもずっと厳しい。私は百名山にチャレンジをし始めてから、楽な百名山はない(強いていえば大菩薩峠は楽かもしれない)ということを思い知らされているが、標高877メートルという百名山で最も低いこの標高の筑波山も、筑波山神社から頂上までの標高差712メートルをほとんどケーブルカーに並行に登っていく。つまり、712メートルを階段で上るような登山なのだ。
筑波神社口のバス停で降りると、そこから筑波山神社まで歩いて行かなくてはならない。道路には歩道の幅がなく、ちょっと危険を感じる。筑波山神社はなかなか立派な拝殿であった。さて、神社を抜けて、ケーブルカーの入り口と登山道が分かれるところから、もう急坂が始まる。そして、急坂はほぼ一貫して続く。普通の階段より、ちょっとだけ緩やかなぐらいの斜度である。これは、きつい。とはいえ、90分間ほど歩くと御幸ヶ原という男体山と女体山を結ぶ展望が拡がる平坦な場所に着く。ここで、カロリーメイトと珈琲を飲み、時間もあまりないので男体山に挑む。10分ぐらいの上りなのだが、なかなか岩をよじ登る感じの急坂で決して楽ではない。この男体山からは南には霞ヶ関と水郷地帯が展望でき、なかなかの絶景である。この絶景が、筑波山の魅力であろう。
さて、男体山から御幸ヶ原に戻り、次は女体山に向かう。男体山は871メートル、女体山は877メートル。ちょっとだけ女体山の方が高いが、筑波山を登頂したというには二つとも制覇しなくてはいけないような気がする。男体山と違って、女体山へのアプローチは緩やかであった。女体山は男体山に比べると、遙かに多くの人が狭い山頂にひしめき合っていて、ちょっと危険なぐらいであった。ここからは男体山の素晴らしい展望が得られる。また、ここから太平洋方面への光景も素晴らしい。
さて、その後は「おたつ石コース」というルートでつつじヶ丘に向かう。このおたつ石コースは、登ってくる客が数珠のように繋がっていて、ほとんど一歩も動けないぐらい混んでいる場所もあった。まるで、ディズニーランドのビッグ・サンダー・マウンテンの行列のようだ。私は降りる方なので、ある程度、自分のペースで歩いて行くことができたが、逆方向は凄いストレスではないか、と思う。というか、もう15時近いのに、なぜ、登り始めているのかが分からない。また、ほとんどの登山者は軽装で、私のように登山靴を履いている方が珍しかった。さらには犬や幼稚園児ぐらいの子供、さらにはリュックに赤ん坊を背負っている人もいたりして、筑波山の人気の凄さを思い知らされた。私は、この4年間に3回、登山をしているが、こんなに登山をしている人が多い山は初めてである。そして、登山者でない、レジャー感覚で登っている人がこんなに多い百名山も初めて知った。
また、つつじヶ丘に近づくと、つつじが群生しているところに出た。とはいえ、まだ蕾みが多く、つつじが満開状況になるのは1週間は早くきてしまったようである。
帰りはつつじヶ丘からバスに乗ったが、帰りは1時間でつくば駅に着くことができた。その後、行きと同じルートで帰宅すると戻ったのは18時30分ぐらいであった。あれだけの渋滞に遭遇したにも関わらず、公共交通を用いて12時間で往復できたというのはなかなかアクセスのよい百名山である。値段も安いし、そういう意味では財布にも時間にも優しい山であると言えるだろう。なぜ、もっと早く訪れなかったのだろうか、と少し後悔する。
とはいえ、「西の富士、東の筑波」というほどは立派ではないのは明らかである。しかし、この平坦な関東平野の東に唯一、地面から聳えるように立っているその姿は、その高さが低いにも関わらず感動的である。
あと、今回の経験から分かったのは、つつじヶ丘から女体山へは登るより、降りる方がずっといいのではないだろうか。筑波山神社のルートに比べると、標高差は少ないかもしれないが、登山者渋滞で、遅くなるならまだしも停止状態になるというのは、登山の楽しみをすべて奪うのに等しいような状況であると思われるからだ。
(バス停から筑波山神社までのアクセスは非常に今ひとつである)
(筑波山神社の拝殿はなかなか立派である)
(御幸ヶ原へコースの入り口)
(昼なお暗い杉林の中を歩いて行く)
(このような坂道をずっと登っていくという感じである)
(上と同じ)
(さらに坂は厳しくなる)
(また、さらに厳しくなって、まるで壁のようだ)
(御幸ヶ原に出る直前の階段)
(あと少しの辛抱である)
(男体山から女体山を展望する)
(男体山から南を展望する)
(男体山から北を展望する)
(女体山から太平洋側を展望する)
(女体山から男体山を展望する)
(つつじヶ丘から女体山への道は登山者で溢れていた)
(つつじヶ丘のそばではつつじが群生していた)
赤岳(日本百名山登頂21座)・・登山日2016年10月22日ー23日 [日本百名山]
八ヶ岳の赤岳にチャレンジすることにした。土曜日の朝4時30分頃、目黒区にある自宅にゼミの卒業生に自動車で迎えにきてもらい、そのまま美濃戸までむかう。朝ということもあり、ほぼ渋滞もなく、美濃戸に着いたのは8時頃。準備をして出発したのは8時30分頃である。美濃戸からは北沢と南沢と二つのアプローチがあるが、ここは南沢を取る。沢沿いの深い樹林帯を進んでいく。南沢の渓流が美しい。時折、周辺の山々が展望できる。紅葉している山肌が美しい。10時30分頃には河原が開け、横岳が目の前に見える。八ヶ岳に来たな、というのを実感する。ただし、河原に出ると猛烈な悪臭が漂っている。テントからの糞尿の臭いである。これはたまらない。とはいえ、他にルートもないので鼻をふさぎながらも登っていく。
(登山口の朝日に照らされたススキが美しい)
(南沢の深い森の中を歩いて行く)
(美しい渓谷に沿って行く)
(時折、姿を見せる紅葉に染まった山肌が美しい)
(行者小屋に近づくと河原が広がるが、同時にとんでもない悪臭が漂ってくる)
昼ご飯のスポットである行者小屋には11時頃に到着。出発地点から2時間30分ぐらいである。すでに、ここは標高2345メートルである。とはいえ、出発点の美濃戸が既に1700メートルはあるので、まだ650メートルぐらいしか登っていない。この小屋は、おでんとカレーが有名。ということで、おでんとカレーを両方注文する。カレーはインド・カレー、おでんは巾着、こんにゃく、大根、卵を注文。カレーは900円、おでんは550円也。カレーはトマトを随分と使ったような印象を受けるが、スパイスを上手く使っていて結構、美味しい。おでんもコンビニエンス・ストアのおでんよりは美味しいと思う(私は生まれて一度もコンビニエンス・ストアのおでんを食べたことがないので、これは想像でしかない)。珈琲は私が持参したインスタントのドリップ式のものを3人で分けて飲む。
(行者小屋)
(ここはおでんが有名らしい)
(私が食したのはインドカレー)
(行者小屋から望む横岳)
さて、ゆっくりと休憩もできたので、再び登り始める。大変急な傾斜を登らなくてはならないのだが、行者小屋を抜けてもしばらくは坂がなだらかなままだ。かえって、そのなだらかさに不安になる。その不安が相当、強くなってきた頃に、ようやく階段が出現した。とはいっても、私がイメージしたものより緩やかな普通の傾斜の階段である。こんなペースで、どうやって標高差を稼ぐのかと危惧は募るばかりだ。そしたら、遂に鎖の急坂が出現した。この鎖の急坂を登り終えると梯子に直面する。八ヶ岳はまさに屏風のような山塊であるが、これに登るには、この屏風をほとんどロック・クライミングの用に這い上がっていかなくてはならないのだ。標高が高いこともあって酸素が薄く、私の呼吸は激しくなる。呼吸が整わないまま、梯子と鎖で高度を上げていく。何か考えると、足が止まるので、無我の境地になってひたすら登っていく。すると可愛いお地蔵さんが目の前に現れた。地蔵の頭に着いたのだ。目の前に金峯山や瑞垣山、そしてその手前に紅葉で色づいた清里の高原が広がる。絶景だ。ここからは、我々の宿泊先である赤岳天望荘も目の前だ。赤岳天望荘に到着したのは13時20分。
(地蔵の頭が近づくと、坂もほとんど壁のように急になり梯子でしか登れない)
(地蔵の頭周辺の急坂を振り返ったところ)
(地蔵の頭に到着。あと少しで赤岳天望荘だ)
とりあえず、赤岳天望荘にチェックインをして荷物を置いて、赤岳へとチャレンジする。明日、登頂する予定であるが、明日は天気が崩れているかもしれない。若干曇り気味であり、風も強いが富士山は見える。赤岳は360度の絶景であるという。体力的には相当、バテもみられたが、水とカメラだけを持って登ることにした。赤岳までのルートは鎖場の連続であり、相当の急坂を登っていく。標高が高いこともあり、激しく息をしてしまい、ちょっと休んでも落ち着く気配がない。酸素が少ないので身体が過敏に反応しているのであろう。とはいえ、ここで登らなくては明日、悔やむことになるかもしれない、との危機意識から気力で高さを稼ぐことにする。さて、どうにか気力で頂上に登ると、まさにガイドブックに書かれたような360度の絶景がそこからは望むことができた。東には瑞牆山、金峰山、甲武信ヶ岳、北には浅間山、四阿山、横だけをはさんで蓼科山、さらに西を見れば北アルプス。この日は槍ヶ岳がしっかりとそのシルエットを見せていた。そしてその南には乗鞍岳と御嶽山。御嶽山はもの凄い存在感である。その手間には木曽駒ヶ岳を中心に据えた中央アルプス。南には南アルプスがそびえ立ち、仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、北岳がその堂々たる雄姿を見せている。登頂時刻は15時。
下りも相当の斜度なので気をつけなくてはならない。鎖をうまく使って降りていく。16時前には宿に戻る。
(富士山も素晴らしい雄姿を現した)
(赤岳の山頂が近づいてきた)
(赤岳山頂)
赤岳天望荘は、個人部屋もあり料金は1万2千円と高かったが、他人と泊まることと比較すると本当快適である。夕食は17時からであったが、ほぼ1時間爆睡する。後で振り返れば、この時点で既に高山病になっていたのかもしれない。夕食はバイキングで、それほど美味しくはないが、山小屋ではエネルギーになるものは何でも有り難い。とはいえ、ここで美味しいと思わなかったのは高山病ということかもしれない。夕食を取ったら、そそくさと寝る。
翌日、4時頃に起きる。9時間ぐらいは寝ているはずなのだが、全然、眠気が取れない。しかも頭痛もする。これはちょっと調子が相当、悪い。朝食は5時。まったく食欲がない。とはいえ、無理をして食べる。気持ちも悪いし、まさにこれは高山病の症状そのものである。これは、もう登れないかもしれないと絶望的な気分になる。
日の出は5時50分頃であった。曇りとの天気予報に反して、天候は素晴らしかった。食事後、これは滅多にないチャンスと思い、気持ち悪いのを我慢して、写真を撮影する。さて、しかしちょっと動いていたら気分が快復してきた。せっかくなので、頑張って昨日に続き赤岳に登る。7時頃に出発する。なぜか、登り始めたら気分の悪いのが払拭されて、むしろ昨日より好調なペースで登ることができた。7時45分頃には山頂に着くことができた。赤岳山頂からの展望は昨日よりさらに優れており、朝日を浴びた阿弥陀岳、横岳が美しい。遠く恵那山から御嶽山、乗鞍岳から槍ヶ岳までを遠望することができる。素晴らしい。
(赤岳天望荘からみる日の出時の富士山)
(金峰山周辺から日は昇ってきた)
(素晴らしい展望)
(周囲の山々も朝日で赤く映えているのが美しい)
(朝日を浴びた横岳)
(昨日に続いて今日も赤岳に挑戦)
(改めてすさまじい坂である)
(赤岳頂上から富士山を望む)
さて、これなら阿弥陀岳までチャレンジできるという気持ちになり、赤岳を下りて中岳経由で阿弥陀岳にチャレンジする。赤岳から中岳までは相当の急坂で、結構、注意を要する。鎖をうまく使って降りていく。中岳には9時15分頃に到着。中岳を越えると、阿弥陀岳と中岳道の分岐点に出る。ここで荷物やカメラを置いて、阿弥陀岳にチャレンジする。カメラを置いておくのは相当、躊躇したが、憂いのない状況でいかないととても登れないほどの急坂である。すべての力を出し切るような気力をもって望む。鎖場とガレという何とも難しい難所であるが、どうにか阿弥陀岳の上まで登ることができた。この阿弥陀岳からの展望も360度の素晴らしいものであった。天気も晴天であり、これまでの苦労が報われる。
(赤岳から阿弥陀岳を望む)
気をつけて坂を下り、分岐点に到着。分岐点を発ったのは11時頃。中岳道を降りていく。ちなみに中岳道は、梯子はおろか鎖もなく、非常に楽に降りていくことができた。行者小屋に着いたのは11時30分。しかし、ここはそのまま通り過ぎて、帰りは行きと違い赤岳鉱泉経由で北沢沿いに美濃戸に戻ることにする。これは、南沢は行者小屋を過ぎた後に前述したように強烈な悪臭がしていたからである。
(中岳道で降りていく)
赤岳鉱泉に着いたのは12時。赤岳鉱泉は行者小屋と比べても随分と清潔感のするいい感じの山小屋であった。行きと同じようにカレーを昼食で食べる。ほぼ同じコンセプトであり、おそらく同じレシピなのではないかと推察する。なんか炭酸ジュースが飲みたい気分になって、オレンジーナを注文したら400円もした。失敗だ。北沢は南沢に勝るとも劣らない渓谷美であり、急峻な坂を登るのとは違う楽しみを味わうことができた。このアルパインな環境が八ヶ岳の魅力なのだろう。美濃戸に戻ったのは14時20分であった。
(赤岳鉱泉)
(赤岳鉱泉でのカレー。行者小屋とほぼ同じ)
(北沢は南沢に劣らず美しい。北沢の方が乾いている印象)
(登山口の美濃戸に着いたのは14時ちょっと過ぎ)
生まれて初めて訪れた八ヶ岳であったが、大変素晴らしい体験ができた。また、高山病になりそうであったが、それでも八ヶ岳を登れたことは大いなる自信に繋がった。あと79座であるが、来年も今年と同様に8座ぐらいを達成したいという気持ちになった。
(登山口の朝日に照らされたススキが美しい)
(南沢の深い森の中を歩いて行く)
(美しい渓谷に沿って行く)
(時折、姿を見せる紅葉に染まった山肌が美しい)
(行者小屋に近づくと河原が広がるが、同時にとんでもない悪臭が漂ってくる)
昼ご飯のスポットである行者小屋には11時頃に到着。出発地点から2時間30分ぐらいである。すでに、ここは標高2345メートルである。とはいえ、出発点の美濃戸が既に1700メートルはあるので、まだ650メートルぐらいしか登っていない。この小屋は、おでんとカレーが有名。ということで、おでんとカレーを両方注文する。カレーはインド・カレー、おでんは巾着、こんにゃく、大根、卵を注文。カレーは900円、おでんは550円也。カレーはトマトを随分と使ったような印象を受けるが、スパイスを上手く使っていて結構、美味しい。おでんもコンビニエンス・ストアのおでんよりは美味しいと思う(私は生まれて一度もコンビニエンス・ストアのおでんを食べたことがないので、これは想像でしかない)。珈琲は私が持参したインスタントのドリップ式のものを3人で分けて飲む。
(行者小屋)
(ここはおでんが有名らしい)
(私が食したのはインドカレー)
(行者小屋から望む横岳)
さて、ゆっくりと休憩もできたので、再び登り始める。大変急な傾斜を登らなくてはならないのだが、行者小屋を抜けてもしばらくは坂がなだらかなままだ。かえって、そのなだらかさに不安になる。その不安が相当、強くなってきた頃に、ようやく階段が出現した。とはいっても、私がイメージしたものより緩やかな普通の傾斜の階段である。こんなペースで、どうやって標高差を稼ぐのかと危惧は募るばかりだ。そしたら、遂に鎖の急坂が出現した。この鎖の急坂を登り終えると梯子に直面する。八ヶ岳はまさに屏風のような山塊であるが、これに登るには、この屏風をほとんどロック・クライミングの用に這い上がっていかなくてはならないのだ。標高が高いこともあって酸素が薄く、私の呼吸は激しくなる。呼吸が整わないまま、梯子と鎖で高度を上げていく。何か考えると、足が止まるので、無我の境地になってひたすら登っていく。すると可愛いお地蔵さんが目の前に現れた。地蔵の頭に着いたのだ。目の前に金峯山や瑞垣山、そしてその手前に紅葉で色づいた清里の高原が広がる。絶景だ。ここからは、我々の宿泊先である赤岳天望荘も目の前だ。赤岳天望荘に到着したのは13時20分。
(地蔵の頭が近づくと、坂もほとんど壁のように急になり梯子でしか登れない)
(地蔵の頭周辺の急坂を振り返ったところ)
(地蔵の頭に到着。あと少しで赤岳天望荘だ)
とりあえず、赤岳天望荘にチェックインをして荷物を置いて、赤岳へとチャレンジする。明日、登頂する予定であるが、明日は天気が崩れているかもしれない。若干曇り気味であり、風も強いが富士山は見える。赤岳は360度の絶景であるという。体力的には相当、バテもみられたが、水とカメラだけを持って登ることにした。赤岳までのルートは鎖場の連続であり、相当の急坂を登っていく。標高が高いこともあり、激しく息をしてしまい、ちょっと休んでも落ち着く気配がない。酸素が少ないので身体が過敏に反応しているのであろう。とはいえ、ここで登らなくては明日、悔やむことになるかもしれない、との危機意識から気力で高さを稼ぐことにする。さて、どうにか気力で頂上に登ると、まさにガイドブックに書かれたような360度の絶景がそこからは望むことができた。東には瑞牆山、金峰山、甲武信ヶ岳、北には浅間山、四阿山、横だけをはさんで蓼科山、さらに西を見れば北アルプス。この日は槍ヶ岳がしっかりとそのシルエットを見せていた。そしてその南には乗鞍岳と御嶽山。御嶽山はもの凄い存在感である。その手間には木曽駒ヶ岳を中心に据えた中央アルプス。南には南アルプスがそびえ立ち、仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、北岳がその堂々たる雄姿を見せている。登頂時刻は15時。
下りも相当の斜度なので気をつけなくてはならない。鎖をうまく使って降りていく。16時前には宿に戻る。
(富士山も素晴らしい雄姿を現した)
(赤岳の山頂が近づいてきた)
(赤岳山頂)
赤岳天望荘は、個人部屋もあり料金は1万2千円と高かったが、他人と泊まることと比較すると本当快適である。夕食は17時からであったが、ほぼ1時間爆睡する。後で振り返れば、この時点で既に高山病になっていたのかもしれない。夕食はバイキングで、それほど美味しくはないが、山小屋ではエネルギーになるものは何でも有り難い。とはいえ、ここで美味しいと思わなかったのは高山病ということかもしれない。夕食を取ったら、そそくさと寝る。
翌日、4時頃に起きる。9時間ぐらいは寝ているはずなのだが、全然、眠気が取れない。しかも頭痛もする。これはちょっと調子が相当、悪い。朝食は5時。まったく食欲がない。とはいえ、無理をして食べる。気持ちも悪いし、まさにこれは高山病の症状そのものである。これは、もう登れないかもしれないと絶望的な気分になる。
日の出は5時50分頃であった。曇りとの天気予報に反して、天候は素晴らしかった。食事後、これは滅多にないチャンスと思い、気持ち悪いのを我慢して、写真を撮影する。さて、しかしちょっと動いていたら気分が快復してきた。せっかくなので、頑張って昨日に続き赤岳に登る。7時頃に出発する。なぜか、登り始めたら気分の悪いのが払拭されて、むしろ昨日より好調なペースで登ることができた。7時45分頃には山頂に着くことができた。赤岳山頂からの展望は昨日よりさらに優れており、朝日を浴びた阿弥陀岳、横岳が美しい。遠く恵那山から御嶽山、乗鞍岳から槍ヶ岳までを遠望することができる。素晴らしい。
(赤岳天望荘からみる日の出時の富士山)
(金峰山周辺から日は昇ってきた)
(素晴らしい展望)
(周囲の山々も朝日で赤く映えているのが美しい)
(朝日を浴びた横岳)
(昨日に続いて今日も赤岳に挑戦)
(改めてすさまじい坂である)
(赤岳頂上から富士山を望む)
さて、これなら阿弥陀岳までチャレンジできるという気持ちになり、赤岳を下りて中岳経由で阿弥陀岳にチャレンジする。赤岳から中岳までは相当の急坂で、結構、注意を要する。鎖をうまく使って降りていく。中岳には9時15分頃に到着。中岳を越えると、阿弥陀岳と中岳道の分岐点に出る。ここで荷物やカメラを置いて、阿弥陀岳にチャレンジする。カメラを置いておくのは相当、躊躇したが、憂いのない状況でいかないととても登れないほどの急坂である。すべての力を出し切るような気力をもって望む。鎖場とガレという何とも難しい難所であるが、どうにか阿弥陀岳の上まで登ることができた。この阿弥陀岳からの展望も360度の素晴らしいものであった。天気も晴天であり、これまでの苦労が報われる。
(赤岳から阿弥陀岳を望む)
気をつけて坂を下り、分岐点に到着。分岐点を発ったのは11時頃。中岳道を降りていく。ちなみに中岳道は、梯子はおろか鎖もなく、非常に楽に降りていくことができた。行者小屋に着いたのは11時30分。しかし、ここはそのまま通り過ぎて、帰りは行きと違い赤岳鉱泉経由で北沢沿いに美濃戸に戻ることにする。これは、南沢は行者小屋を過ぎた後に前述したように強烈な悪臭がしていたからである。
(中岳道で降りていく)
赤岳鉱泉に着いたのは12時。赤岳鉱泉は行者小屋と比べても随分と清潔感のするいい感じの山小屋であった。行きと同じようにカレーを昼食で食べる。ほぼ同じコンセプトであり、おそらく同じレシピなのではないかと推察する。なんか炭酸ジュースが飲みたい気分になって、オレンジーナを注文したら400円もした。失敗だ。北沢は南沢に勝るとも劣らない渓谷美であり、急峻な坂を登るのとは違う楽しみを味わうことができた。このアルパインな環境が八ヶ岳の魅力なのだろう。美濃戸に戻ったのは14時20分であった。
(赤岳鉱泉)
(赤岳鉱泉でのカレー。行者小屋とほぼ同じ)
(北沢は南沢に劣らず美しい。北沢の方が乾いている印象)
(登山口の美濃戸に着いたのは14時ちょっと過ぎ)
生まれて初めて訪れた八ヶ岳であったが、大変素晴らしい体験ができた。また、高山病になりそうであったが、それでも八ヶ岳を登れたことは大いなる自信に繋がった。あと79座であるが、来年も今年と同様に8座ぐらいを達成したいという気持ちになった。
羅臼岳(日本百名山登頂20座) [日本百名山]
3日間で日本百名山を3座挑戦する、という無謀に近い企画を実践したのだが、今日は最後の3座目である。1座目は雌阿寒岳、2座目は斜里岳、そして3座目は羅臼岳と、日にちが遅くなるほど厳しさは増してくる。私の持っている本によれば距離にして、3時間30分、5時間20分、7時間10分、累積標高差にして812メートル、1028メートル、1443メートル、ヒグマとの遭遇率にして、ほとんど会わない、ときたま会う、しょっちゅう会う、とどんどんとレベルが高くなっている。しかも、斜里岳の下りで私の弱点である左膝を痛めてしまった。万全の状態でも危ないのに、どうなるのか不安でしょうがない。
さて、前泊したのは登山口の岩尾別温泉にある「地の涯(ちのはて)ホテル」である。ネーミング的にも、相当、レトロなログ風の宿を想定していたのだが、近代的な3階建ての宿泊施設でちょっと驚いた。私はおそらく25年ぐらい前にこの温泉に来たことがあり、表からも丸見えの露天風呂というおそろしく野趣溢れる環境に、決して高級感のしない宿が隣にあった(泊まってはいない)印象を持っていたからである。ちなみに、この野趣溢れる露天風呂に当時は、おそらくドイツ人と思われる若き男性達が入っており、その景観的インパクトが強烈に記憶に残っている。どうも、それからホテルは建て直しをしたらしい。ホテルに飾られていた昔の写真は2階建てで、もうちょっとこじんまりとしたものであったからである。私が見たホテルはこの昔のものであったのだろう。
ホテルの温泉で朝風呂にも入り、二日間の筋肉の疲れを取り、スパッツ、膝サポーター、膝のテーピング、さらにはストックという4重の構えで望む。朝食のお弁当をホテルの部屋で取り、朝の6時50分頃に出発する。ヒグマ対策もあり、今回は調理道具をすべて置いていく。食事は乾物系のみである。これは、また荷の重さを少しでも軽減させたいという意図もあった。しかし、出発してちょっと歩いて膝に痛みを覚える。もうこれはあかん、と思い、同行している仲間に私を置いて言ってくれと伝えようとしたが、彼らに私のことで気を遣わせるのも抵抗があったので、我慢して行けるところまで行こうと決心する。
登山ガイドでは、すぐに急坂、と書いてあったので相当、覚悟をしていたのだが、それほど急ではない坂を登っていく。これまで、大峰山や昨日の斜里岳のように、本当にきつい急坂を登ってきたので、これぐらいの坂だと急に覚えなくなってしまっているのかもしれない。40分ぐらい経つとオホーツク展望地。しかし、名称と異なり、ここではあまりオホーツクを展望できない。とはいえ、飛び抜けた晴天ということおあり、木々の合間から見えるオホーツクの青の美しさが疲れを飛ばしてくれる。海と空がグラデーションのように繋がっており、その境目が分からない。青という色のハーモニーの美しさは感動的だ。また、分厚いサポーターのおかげか、膝の痛みは消えないが、より痛くなるということはない。
オホーツク展望地からはしばらく緩やかな平らが続く。弥三吉水という水場でちょっと休憩(8時30分)。冷たい水で顔の汗を拭う。また歩き始める。ここは極楽平とよばれる平坦のルートで、本当に楽である。平坦な道だと膝の痛みもちょっと忘れる。ピーカンの天気なので暑さはきついが、ときおり吹いてくる風によって癒される。極楽平の次は仙人坂。この坂はなかなかきついが、昨日の斜里岳に比べれば大したことはない。ただ、頭上に木の枝が覆い被さり、足下の石ころに気を取られていると頭をぶつけ、猛烈に痛い。背が高い人は、ここを抜けるのは相当、気を遣うであろう。さて、仙人坂を登り切ると銀冷水という水飲み場がある(10時到着)。命の泉のような美しい泉である。
さて、銀冷水を過ぎると大沢という沢をのぼっていく。とはいっても水は流れていない。ただ、ここには雪渓が残っており、そのためにアイゼンを今回は持って来ている。初アイゼンかと緊張したが、雪渓の横にしっかりと登山道は確保されていたために、アイゼンは必要としなかった。雪渓を横切り、振り返るとオホーツク海が美しい。さて、羅臼平に近づくと斜面も緩やかとなり、右手には素場らしい高原植物のお花畑が広がる。
そして羅臼平には11時頃に到着する。ここはまさに天上の楽園のような場所で、羅臼岳と三ツ峰山に囲まれながら、オホーツク海と太平洋が見渡せるという素場らしき一等地である。ここで昼食休みを30分ほど取り、フードロッカーに細かい荷物を預け、羅臼岳にチャレンジする。羅臼岳は優しいスロープの上にごつごつの岩の塊が乗っかっているような異様な形状をしている。12時頃に石清水を通り抜ける。ここから先は山登りというかはロック・クライビングのような状況になる。ストックを岩陰に隠して、両手を使って登っていく。途中で行き交った中年の男性が「これから山頂に行くの。風が強いよ」と言ったので、猛烈に反発心で燃え上がる。「あと30分ちょっとで山頂までなのに、これまで膝が痛いのを我慢してここまで来たのに帰れるか」と思うと、アドレナリンが出まくって、凄い勢いで登り始めた。ここは、相当の岩崖で高所恐怖症は怖じ気づくようなところで、私も軽度の高所恐怖症なので、何もなければ相当、怖がると思うのだが、このおじさんの言葉のお陰で、奮起した私はハイペースで登っていき、時折膝の痛みも感じたが、それにも打ち勝ち13時前には山頂に着いていた。山頂は岩だらけで、そのスペースも狭く、風も強かったが、そこからの360度の展望はすばらしい絶景であった。北には硫黄山をはじめとする知床連山と巨大なる雪渓、北東から東にかけては国後島の爺爺岳をはじめとした秀峰の雄姿、南は雲海と斜里岳などの山々、そして西はオホーツク海の眩いような青とその手前には知床五湖が広がっている。見飽きない絶景ではあったが、もう時間も遅いのと風も強いので13時15分には下山を始める。
心に余裕があるのと、また下山は登りに比べると筋力的には優しいので、高山植物を愛でながら降りていく。小さく健気に咲く美しい花々を見られることは、登山の大きな魅力の一つであろう。行きには無視をした石清水も飲む。この石清水の美味しさといったら飛び切りのものがある。羅臼岳登山は水場が多くあるのも魅力だ。重い水を全ルート分、持ち運ぶのはなかなかの労苦である。石清水を発ち、羅臼平にて荷物を回収したのが14時30分。その後は、膝が爆発することがないように、ゆっくりと丁寧に下山をし、18時過ぎに登山口に戻る。理想的には2時間ほど前に戻ってくるべきであり、出発時間が遅かったことを反省する。とはいえ、よく登れたものである。もの凄い達成感を覚えつつ、今後の百名山挑戦に大きな励みとなる登山となった。私のこの登山につきあってくれている卒業生達に感謝をしつつ、今日はゆっくりと休む。
(オホーツク展望地をちょっと行ったところからオホーツク海を展望する。空と海の境目が分からない)
(弥三吉水で顔の汗を拭う)
(銀冷水)
(大沢の雪渓)
(雪渓を通り過ぎた後、振り返るとオホーツク海が美しい)
(羅臼平直前の緩やかな坂には高原植物のお花畑が満開で、疲れる気持ちを慰めてくれる)
(羅臼平から望む羅臼岳。我々の挑戦を迎え撃つかのような圧迫感ある姿)
(頂上はほとんど岩を積み重ねてできあがったかのよう)
(硫黄山の知床連山の美しい山容が展望できるのも羅臼岳の魅力の一つであろう)
(羅臼岳山頂)
(登頂した証拠写真)
(そのうち余裕ができたら、高山植物の勉強もしよう)
(国後島の爺爺岳の雄姿もきれいに展望できた)
(石清水はどんなミネラル・ウォーターよりも美味しく感じられた)
さて、前泊したのは登山口の岩尾別温泉にある「地の涯(ちのはて)ホテル」である。ネーミング的にも、相当、レトロなログ風の宿を想定していたのだが、近代的な3階建ての宿泊施設でちょっと驚いた。私はおそらく25年ぐらい前にこの温泉に来たことがあり、表からも丸見えの露天風呂というおそろしく野趣溢れる環境に、決して高級感のしない宿が隣にあった(泊まってはいない)印象を持っていたからである。ちなみに、この野趣溢れる露天風呂に当時は、おそらくドイツ人と思われる若き男性達が入っており、その景観的インパクトが強烈に記憶に残っている。どうも、それからホテルは建て直しをしたらしい。ホテルに飾られていた昔の写真は2階建てで、もうちょっとこじんまりとしたものであったからである。私が見たホテルはこの昔のものであったのだろう。
ホテルの温泉で朝風呂にも入り、二日間の筋肉の疲れを取り、スパッツ、膝サポーター、膝のテーピング、さらにはストックという4重の構えで望む。朝食のお弁当をホテルの部屋で取り、朝の6時50分頃に出発する。ヒグマ対策もあり、今回は調理道具をすべて置いていく。食事は乾物系のみである。これは、また荷の重さを少しでも軽減させたいという意図もあった。しかし、出発してちょっと歩いて膝に痛みを覚える。もうこれはあかん、と思い、同行している仲間に私を置いて言ってくれと伝えようとしたが、彼らに私のことで気を遣わせるのも抵抗があったので、我慢して行けるところまで行こうと決心する。
登山ガイドでは、すぐに急坂、と書いてあったので相当、覚悟をしていたのだが、それほど急ではない坂を登っていく。これまで、大峰山や昨日の斜里岳のように、本当にきつい急坂を登ってきたので、これぐらいの坂だと急に覚えなくなってしまっているのかもしれない。40分ぐらい経つとオホーツク展望地。しかし、名称と異なり、ここではあまりオホーツクを展望できない。とはいえ、飛び抜けた晴天ということおあり、木々の合間から見えるオホーツクの青の美しさが疲れを飛ばしてくれる。海と空がグラデーションのように繋がっており、その境目が分からない。青という色のハーモニーの美しさは感動的だ。また、分厚いサポーターのおかげか、膝の痛みは消えないが、より痛くなるということはない。
オホーツク展望地からはしばらく緩やかな平らが続く。弥三吉水という水場でちょっと休憩(8時30分)。冷たい水で顔の汗を拭う。また歩き始める。ここは極楽平とよばれる平坦のルートで、本当に楽である。平坦な道だと膝の痛みもちょっと忘れる。ピーカンの天気なので暑さはきついが、ときおり吹いてくる風によって癒される。極楽平の次は仙人坂。この坂はなかなかきついが、昨日の斜里岳に比べれば大したことはない。ただ、頭上に木の枝が覆い被さり、足下の石ころに気を取られていると頭をぶつけ、猛烈に痛い。背が高い人は、ここを抜けるのは相当、気を遣うであろう。さて、仙人坂を登り切ると銀冷水という水飲み場がある(10時到着)。命の泉のような美しい泉である。
さて、銀冷水を過ぎると大沢という沢をのぼっていく。とはいっても水は流れていない。ただ、ここには雪渓が残っており、そのためにアイゼンを今回は持って来ている。初アイゼンかと緊張したが、雪渓の横にしっかりと登山道は確保されていたために、アイゼンは必要としなかった。雪渓を横切り、振り返るとオホーツク海が美しい。さて、羅臼平に近づくと斜面も緩やかとなり、右手には素場らしい高原植物のお花畑が広がる。
そして羅臼平には11時頃に到着する。ここはまさに天上の楽園のような場所で、羅臼岳と三ツ峰山に囲まれながら、オホーツク海と太平洋が見渡せるという素場らしき一等地である。ここで昼食休みを30分ほど取り、フードロッカーに細かい荷物を預け、羅臼岳にチャレンジする。羅臼岳は優しいスロープの上にごつごつの岩の塊が乗っかっているような異様な形状をしている。12時頃に石清水を通り抜ける。ここから先は山登りというかはロック・クライビングのような状況になる。ストックを岩陰に隠して、両手を使って登っていく。途中で行き交った中年の男性が「これから山頂に行くの。風が強いよ」と言ったので、猛烈に反発心で燃え上がる。「あと30分ちょっとで山頂までなのに、これまで膝が痛いのを我慢してここまで来たのに帰れるか」と思うと、アドレナリンが出まくって、凄い勢いで登り始めた。ここは、相当の岩崖で高所恐怖症は怖じ気づくようなところで、私も軽度の高所恐怖症なので、何もなければ相当、怖がると思うのだが、このおじさんの言葉のお陰で、奮起した私はハイペースで登っていき、時折膝の痛みも感じたが、それにも打ち勝ち13時前には山頂に着いていた。山頂は岩だらけで、そのスペースも狭く、風も強かったが、そこからの360度の展望はすばらしい絶景であった。北には硫黄山をはじめとする知床連山と巨大なる雪渓、北東から東にかけては国後島の爺爺岳をはじめとした秀峰の雄姿、南は雲海と斜里岳などの山々、そして西はオホーツク海の眩いような青とその手前には知床五湖が広がっている。見飽きない絶景ではあったが、もう時間も遅いのと風も強いので13時15分には下山を始める。
心に余裕があるのと、また下山は登りに比べると筋力的には優しいので、高山植物を愛でながら降りていく。小さく健気に咲く美しい花々を見られることは、登山の大きな魅力の一つであろう。行きには無視をした石清水も飲む。この石清水の美味しさといったら飛び切りのものがある。羅臼岳登山は水場が多くあるのも魅力だ。重い水を全ルート分、持ち運ぶのはなかなかの労苦である。石清水を発ち、羅臼平にて荷物を回収したのが14時30分。その後は、膝が爆発することがないように、ゆっくりと丁寧に下山をし、18時過ぎに登山口に戻る。理想的には2時間ほど前に戻ってくるべきであり、出発時間が遅かったことを反省する。とはいえ、よく登れたものである。もの凄い達成感を覚えつつ、今後の百名山挑戦に大きな励みとなる登山となった。私のこの登山につきあってくれている卒業生達に感謝をしつつ、今日はゆっくりと休む。
(オホーツク展望地をちょっと行ったところからオホーツク海を展望する。空と海の境目が分からない)
(弥三吉水で顔の汗を拭う)
(銀冷水)
(大沢の雪渓)
(雪渓を通り過ぎた後、振り返るとオホーツク海が美しい)
(羅臼平直前の緩やかな坂には高原植物のお花畑が満開で、疲れる気持ちを慰めてくれる)
(羅臼平から望む羅臼岳。我々の挑戦を迎え撃つかのような圧迫感ある姿)
(頂上はほとんど岩を積み重ねてできあがったかのよう)
(硫黄山の知床連山の美しい山容が展望できるのも羅臼岳の魅力の一つであろう)
(羅臼岳山頂)
(登頂した証拠写真)
(そのうち余裕ができたら、高山植物の勉強もしよう)
(国後島の爺爺岳の雄姿もきれいに展望できた)
(石清水はどんなミネラル・ウォーターよりも美味しく感じられた)
斜里岳(日本百名山登頂19座) [日本百名山]
斜里岳に挑戦する。前日は川場温泉に泊まったのだが、昼ご飯を購入するコンビニが6時オープンなので、6時ちょっと前に宿をチェックアウトして、コンビニでカップラーメン等を購入する。そして、登山口のある清岳荘に向かう。
清岳荘に到着したのは7時30分。既に駐車場は満車に近い。晴天で日曜日であるので、地元の登山家が多く訪れたのではないだろうか。トイレに行ったり、いろいろと準備をしていたりしたら、出発したのは8時頃。ちょっと予定より遅れる。
15分ぐらい旧道を歩いていくと、沢の登山道に入る。ここからは沢を右に左に渡りつつ、高さを稼いでいく。この日は比較的温度が高かったので、沢の涼しさ、マイナスイオン効果が身体に優しく、癒される。ただ、結構、ここは沢が深いので石を踏み外すと、足はずぶ濡れになる。私も2度ほどくるぶしほど水に浸かってしまった。
睡蓮の滝という美しい形状の滝に到着したのは9時。このような美しい滝を観ながら登っていく沢登りはアドベンチャー感覚で、スリリングであるが楽しい。これが斜里岳登山の醍醐味であろう。ただ、沢を左右に行ったり来たりするので、道に迷いやすい。基本、沢から外れることがないので、枝分かれするようにある獣道に入っていかないように注意することが必要である。
沢を抜けると上二股という下山ルートと合流し、それからはちょっと歩いてからは急坂になる。ただ、このガレ場を我慢して登りきり、馬の背という展望平につく。あとちょっとで斜里岳の山頂であるが、急坂にひるんだ我々は、この馬の背に食べ物等を置き、荷物を軽くして山頂に挑むことにする。山頂に到着したのは12時ちょうど。西側には翌日に挑戦する羅臼岳と雪渓の残る知床連山がみえる。東は摩周湖、南はオホーツク海、そして北は太平洋といった360度の雄大な展望を楽しみ、馬の背に戻る。馬の背では、昼ご飯。カップラーメンなどを食べ、十分に休憩した後、13時30分頃下山を開始。沢を下るのは危険なので、上二股から迂回ルートで降りるが、この迂回ルートはなかなかのくせ者で、熊見峠まで登っていく。なぜ、下山をするのに登るのか。その理不尽さに多少、怒りを覚えつつ、それでもその展望の良さに多少は、心が落ち着く。ただ、熊見峠からの下り坂はほとんど崖のように急である。落ちるようにして降りていくのだが、ここで私の弱点である左膝が痛み始める。ちょっといい気になって、下りの馬の背で膝サポーターを外したのが裏目に出た。これで、大いに下りの時間をかけることになってしまい同行者にも迷惑をかけた。途中でシップ薬を貼り、サポーターを着けることでどうにか下山をしたが、このようなアクシデントもあり、下山できたのは17時ちょっと前であった。
斜里岳にはどうにか登山することができたが、翌日の羅臼岳に大いなる不安を抱えながら、この日の宿泊先である岩尾別温泉に向かう。
(登山口の清岳荘)
(沢を右に左に渡りながら標高を稼いでいく)
(下二又を越えると、沢は滝となる。これは水蓮の滝)
(連続した滝を見ながら沢を渡渉して登っていくのはスリリングだが爽快な気分になる)
(急な坂を登ると馬の背に出る)
(馬の背から斜里岳を望む)
(斜里岳の頂上に立つ)
(斜里岳の山頂からの展望。摩周湖が見える)
(斜里岳の山頂からの展望。知床の連山、羅臼岳を望む)
清岳荘に到着したのは7時30分。既に駐車場は満車に近い。晴天で日曜日であるので、地元の登山家が多く訪れたのではないだろうか。トイレに行ったり、いろいろと準備をしていたりしたら、出発したのは8時頃。ちょっと予定より遅れる。
15分ぐらい旧道を歩いていくと、沢の登山道に入る。ここからは沢を右に左に渡りつつ、高さを稼いでいく。この日は比較的温度が高かったので、沢の涼しさ、マイナスイオン効果が身体に優しく、癒される。ただ、結構、ここは沢が深いので石を踏み外すと、足はずぶ濡れになる。私も2度ほどくるぶしほど水に浸かってしまった。
睡蓮の滝という美しい形状の滝に到着したのは9時。このような美しい滝を観ながら登っていく沢登りはアドベンチャー感覚で、スリリングであるが楽しい。これが斜里岳登山の醍醐味であろう。ただ、沢を左右に行ったり来たりするので、道に迷いやすい。基本、沢から外れることがないので、枝分かれするようにある獣道に入っていかないように注意することが必要である。
沢を抜けると上二股という下山ルートと合流し、それからはちょっと歩いてからは急坂になる。ただ、このガレ場を我慢して登りきり、馬の背という展望平につく。あとちょっとで斜里岳の山頂であるが、急坂にひるんだ我々は、この馬の背に食べ物等を置き、荷物を軽くして山頂に挑むことにする。山頂に到着したのは12時ちょうど。西側には翌日に挑戦する羅臼岳と雪渓の残る知床連山がみえる。東は摩周湖、南はオホーツク海、そして北は太平洋といった360度の雄大な展望を楽しみ、馬の背に戻る。馬の背では、昼ご飯。カップラーメンなどを食べ、十分に休憩した後、13時30分頃下山を開始。沢を下るのは危険なので、上二股から迂回ルートで降りるが、この迂回ルートはなかなかのくせ者で、熊見峠まで登っていく。なぜ、下山をするのに登るのか。その理不尽さに多少、怒りを覚えつつ、それでもその展望の良さに多少は、心が落ち着く。ただ、熊見峠からの下り坂はほとんど崖のように急である。落ちるようにして降りていくのだが、ここで私の弱点である左膝が痛み始める。ちょっといい気になって、下りの馬の背で膝サポーターを外したのが裏目に出た。これで、大いに下りの時間をかけることになってしまい同行者にも迷惑をかけた。途中でシップ薬を貼り、サポーターを着けることでどうにか下山をしたが、このようなアクシデントもあり、下山できたのは17時ちょっと前であった。
斜里岳にはどうにか登山することができたが、翌日の羅臼岳に大いなる不安を抱えながら、この日の宿泊先である岩尾別温泉に向かう。
(登山口の清岳荘)
(沢を右に左に渡りながら標高を稼いでいく)
(下二又を越えると、沢は滝となる。これは水蓮の滝)
(連続した滝を見ながら沢を渡渉して登っていくのはスリリングだが爽快な気分になる)
(急な坂を登ると馬の背に出る)
(馬の背から斜里岳を望む)
(斜里岳の頂上に立つ)
(斜里岳の山頂からの展望。摩周湖が見える)
(斜里岳の山頂からの展望。知床の連山、羅臼岳を望む)
雌阿寒岳(日本百名山登頂18座) [日本百名山]
雌阿寒岳に挑戦する。宿泊をしていた北見のホテルをレンタカーで8時前に発ち、仲間を女満別空港で9時頃にピックアップ。その後、コンビニなどに寄って、雌阿寒岳の登山口の野中温泉に到着したのが11時30分。登山を開始したのは11時45分と結構、遅くなってしまった。
登山開始は鬱蒼とした森の中。1合目に到着したのが12時ちょうど。クワガタムシなどにも遭遇。ちょっと子供心が刺激されて嬉しい気分。2合目に到着したのは12時11分。さらに20分ほど歩くと、展望が開けて、緑の絨毯のように広がる森が気持ちよい。さらに20分ほど行くと、低木のガレ場の急坂になる。神秘の湖、オンネトー湖も見られるようになり、それからしばらく我々の目を楽しませてくれる。5合目に着いたのが1時間後の13時。天気に恵まれたこともあって、素場らしい景色を左右に見つつ標高を稼ぐ。7合目に着いたのが13時25分。急坂を頑張って歩き、シリンダー・コーン状の阿寒富士と火口の赤沼がみられるところには13時52分に到着。ほぼ登り始めてから2時間ちょっとほど時間が経った。ここからはオンネトー湖がみられなくなる代わりに、左側に阿寒湖が展望できる。阿寒湖も湖面の色がグラデーションのように変化していて美しい。火口の外輪山を登り、山頂に到着したのは14時05分。2時間20分ほどかかった。
山頂からは青沼がみられる。青沼の狂気が感じられるような美しい青色に感銘を覚える。相当、美しい自然景観であり、登山をした苦労が報われる気分になる。ここでお湯を沸かし、アルファ米のご飯を食べる。アルファ米のご飯は熱湯を入れてかき混ぜて15分ほどチャックをして浸したままにして食べるインスタント食品である。はじめて食べたが、まあ登山飯ということで美味しく食べられた。1時間ほど休憩をして15時15分頃から下山を始める。
ここからは、阿寒富士の登山口を経て、オンネトー湖のキャンプ場へ向かうルートを取る。山頂から阿寒富士の登山口までは、噴煙がたっており、そのガスは有毒であるために、急いで通り過ぎないといけない。しかし、相当のガレ場なのでストックがないと降りにくい。ストックはある意味で必須である。とはいえ、降り始めこそ強烈な硫黄臭がしたが、ちょっと通り過ぎるとそのような臭いもしなくなったので、落ち着いて降りていく。オンネトーを観つつ、オンネトーを目指して歩いて行くのは気分がよい。
オンネトーのキャンプ場に着いたのは17時過ぎ。自動車を駐車した野中温泉まではさらに1時間。ちょっと疲れていたので、体力のある若い男性の中君に一人で自動車を取りにいってもらい、その間、我々はオンネトーの展望所にて彼を待っていた。
私は4度目のオンネトーであったが、今回ほどオンネトー周辺の自然を満喫できたことはなかった。登山をすることで、その自然環境を身体をもって知ることができる有り難みを実感する。
(登山口の入り口)
(くわがた)
(オンネトーを観つつ、登っていきます)
(オンネトーの色は神秘的です)
(阿寒湖も展望できます)
(赤沼。山頂はもう少し)
(山頂からは雄大な展望が得られます)
(山頂)
(青沼)
(阿寒富士)
登山開始は鬱蒼とした森の中。1合目に到着したのが12時ちょうど。クワガタムシなどにも遭遇。ちょっと子供心が刺激されて嬉しい気分。2合目に到着したのは12時11分。さらに20分ほど歩くと、展望が開けて、緑の絨毯のように広がる森が気持ちよい。さらに20分ほど行くと、低木のガレ場の急坂になる。神秘の湖、オンネトー湖も見られるようになり、それからしばらく我々の目を楽しませてくれる。5合目に着いたのが1時間後の13時。天気に恵まれたこともあって、素場らしい景色を左右に見つつ標高を稼ぐ。7合目に着いたのが13時25分。急坂を頑張って歩き、シリンダー・コーン状の阿寒富士と火口の赤沼がみられるところには13時52分に到着。ほぼ登り始めてから2時間ちょっとほど時間が経った。ここからはオンネトー湖がみられなくなる代わりに、左側に阿寒湖が展望できる。阿寒湖も湖面の色がグラデーションのように変化していて美しい。火口の外輪山を登り、山頂に到着したのは14時05分。2時間20分ほどかかった。
山頂からは青沼がみられる。青沼の狂気が感じられるような美しい青色に感銘を覚える。相当、美しい自然景観であり、登山をした苦労が報われる気分になる。ここでお湯を沸かし、アルファ米のご飯を食べる。アルファ米のご飯は熱湯を入れてかき混ぜて15分ほどチャックをして浸したままにして食べるインスタント食品である。はじめて食べたが、まあ登山飯ということで美味しく食べられた。1時間ほど休憩をして15時15分頃から下山を始める。
ここからは、阿寒富士の登山口を経て、オンネトー湖のキャンプ場へ向かうルートを取る。山頂から阿寒富士の登山口までは、噴煙がたっており、そのガスは有毒であるために、急いで通り過ぎないといけない。しかし、相当のガレ場なのでストックがないと降りにくい。ストックはある意味で必須である。とはいえ、降り始めこそ強烈な硫黄臭がしたが、ちょっと通り過ぎるとそのような臭いもしなくなったので、落ち着いて降りていく。オンネトーを観つつ、オンネトーを目指して歩いて行くのは気分がよい。
オンネトーのキャンプ場に着いたのは17時過ぎ。自動車を駐車した野中温泉まではさらに1時間。ちょっと疲れていたので、体力のある若い男性の中君に一人で自動車を取りにいってもらい、その間、我々はオンネトーの展望所にて彼を待っていた。
私は4度目のオンネトーであったが、今回ほどオンネトー周辺の自然を満喫できたことはなかった。登山をすることで、その自然環境を身体をもって知ることができる有り難みを実感する。
(登山口の入り口)
(くわがた)
(オンネトーを観つつ、登っていきます)
(オンネトーの色は神秘的です)
(阿寒湖も展望できます)
(赤沼。山頂はもう少し)
(山頂からは雄大な展望が得られます)
(山頂)
(青沼)
(阿寒富士)
木曽駒ヶ岳(日本百名山登頂17座) [日本百名山]
日本百名山の木曽駒ヶ岳へチャレンジする。朝8時30分に自由ヶ丘をレンタカーで発ち、菅の台バスセンター13時過ぎに到着する。昼ご飯を近くの蕎麦屋さんで食べて、13時45分のバスで駒ヶ岳ロープウェイの乗り場へ向かう。そして、14時30分のロープウェイで千畳敷へ向かう。千畳敷は雨が降っており、千畳敷カールの周辺はガスでほとんど見られない。とはいえ、この日は八丁坂を越えた宝剣山荘にまでたどり着かなければならない。ということで、雨の中を登り始める。距離は1キロ少しだが、標高差は200メートル。急峻な上り坂は雨が降っているとさらに厳しい。私は途中で脹ら脛をつってしまい、バランスを崩してしまった。準備運動をしなかったとはいえ、これはなかなかの失態でショックは隠せない。とはいえ、残りは慎重に歩き、千畳敷のロープウェイ駅から45分ぐらいで宝剣山荘に到着する。15時40分である。
宝剣山荘はあまり綺麗な感じのしない山小屋であった。しかし、ここまで来ると、翌日は早朝に木曽駒ヶ岳に登頂することができる。とはいえ、雨は相変わらず激しく窓を叩いている。なんだかなあ、と思いつつ、濡れたレインコートや靴を乾かし、夕食までの時間を潰す。17時30分に夕食を取る。夕食は、魚のフライと鳥の唐揚げなどがおかずであった。その後、凄まじい睡魔に襲われ、18時30分頃にはもう寝てしまう。そして、起きたらもう窓は明るかった。時計を見ると4時ちょうどぐらいである。雨はもう止んでいる。そして、空は徐々にオレンジを帯びてきている。日の出は4時40分である。これは日の出が見えると思い、慌てて起きて持っていた服を全部着込んでカメラを担いで外に出る。
南アルプスをバックに空が徐々に明るくなってくる。伊那谷は雲海で被われており、息を呑むような美しさである。昨晩、雨の中、八丁坂を登ってきた苦労が報われる。また、わざわざ一眼レフを持って来た甲斐もあったというものだ。そこで、この素場らしい日の出の写真を、色温度を変えて何枚も撮影する。こういうシャッターチャンスの時にこそ、写真撮影のための知識が問われるのだが、いつもそのような機会に恵まれた時に急いでどうすればいいかを考えてしまう。なかなかいい写真を私が撮れない要因である。
さて、小一時間ほど素場らしい写真を撮影する時間と、朝焼けに映える中岳、宝剣山を堪能して山荘に戻る。荷物を整理し、5時30分から朝食を取る。朝食はソーセージ、紅鮭、卵焼き、キャベツ、海苔、お味噌汁などだ。朝食を取って6時には山荘を発ち、木曽駒ヶ岳へと向かう。その前に中岳に登らなくてはならない。中岳への登山道は岩だらけのガレ場。なかなか厳しかったが、6時15分には中岳に登頂。ここからの宝剣山の展望が素場らしい。一度、中岳を下りて、そこからまた木曽駒ヶ岳の山頂にチャレンジする。この登山道もガレ場である。手袋をつけ、岩登りのような感じで登っていくと6時45分には山頂につくことができた。ここからは木曽御岳、乗鞍岳、北アルプス群、八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳をはじめとする北アルプスの秀峰が見渡せる。360度の素場らしい絶景に大いに感動する。さて、その後、そのまま帰路につくのはもったいないので馬の背と呼ばれる尾根道を行き、中央アルプス唯一の氷河湖である濃ヶ池へ行く。尾根道は高山植物が咲き乱れ、御嶽山、北アルプス、八ヶ岳、南アルプスを展望しながら歩いていると、まるで天上の楽園にいるかのようである。濃ヶ池へ着いたのは8時30分。濃ヶ池には宝剣山が逆さに映り、なかなか雄大な景色である。その後、雪渓を横目にしつつ、再び険しいガレ場を登り、宝剣山荘に戻る。宝剣山荘に戻ったのは10時40分頃。そこで昼ご飯のカップヌードルを食し、11時30分には千畳敷を降りていく。改めて千畳敷の急坂を実感しつつ、膝を痛めないように注意して降りる。ロープウェイの駅に着いたのは12時10分頃。そして、ロープウェイ、バスと乗り継いで、駒ヶ根のバスターミナルの比較的そばにある温泉で汗を流し、帰路につく。
素場らしい天候に恵まれ、感動的な時間を過ごすことができた。こういう経験をすると山登りに、さらにはまってしまう。
(息を呑むように美しい宝剣山荘から望む日の出)
(南アルプスの稜線が徐々にオレンジ色を帯びていく)
(伊那谷が雲海で被われているのも、神秘的な神々しい日の出の演出に一役買っている)
(西側をみると御嶽山が雲海の中で突き抜けて、その存在感を主張しているかのようだ)
(朝焼けに映える宝剣山)
(中岳から宝剣山と宝剣山荘を望む)
(木曽駒ヶ岳に登頂しました)
(駒ヶ岳の山頂から富士山を望む)
(駒ヶ岳の山頂から空木岳方面を望む)
(馬の背から振り返り、木曽駒ヶ岳を望む。左後ろに見えるのは宝剣山)
(馬の背の道沿いには様々な高山植物が、まるで美しさを競うように咲いている)
(馬の背の道沿いの岩肌に咲く高山植物はまるでロック・ガーデンのよう。後ろに見えるのは御嶽山)
(天上の楽園のような馬の背の道を歩いて行く)
(濃ヶ池には宝剣山が逆さに映っており、その雄大な景観に感動する)
(濃ヶ池から宝剣山荘へと戻る道沿いには雪渓が見られた)
(千畳敷から宝剣山荘へと至る八丁坂はまるでラッシュアワーのように混んでいた)
(千畳カールをロープウェイの駅そばから望む。宝剣山の存在感がすごい)
(昨日、雨が降った時はどうしようと思ったが、無事、晴れて、素場らしい登山を楽しめました)
宝剣山荘はあまり綺麗な感じのしない山小屋であった。しかし、ここまで来ると、翌日は早朝に木曽駒ヶ岳に登頂することができる。とはいえ、雨は相変わらず激しく窓を叩いている。なんだかなあ、と思いつつ、濡れたレインコートや靴を乾かし、夕食までの時間を潰す。17時30分に夕食を取る。夕食は、魚のフライと鳥の唐揚げなどがおかずであった。その後、凄まじい睡魔に襲われ、18時30分頃にはもう寝てしまう。そして、起きたらもう窓は明るかった。時計を見ると4時ちょうどぐらいである。雨はもう止んでいる。そして、空は徐々にオレンジを帯びてきている。日の出は4時40分である。これは日の出が見えると思い、慌てて起きて持っていた服を全部着込んでカメラを担いで外に出る。
南アルプスをバックに空が徐々に明るくなってくる。伊那谷は雲海で被われており、息を呑むような美しさである。昨晩、雨の中、八丁坂を登ってきた苦労が報われる。また、わざわざ一眼レフを持って来た甲斐もあったというものだ。そこで、この素場らしい日の出の写真を、色温度を変えて何枚も撮影する。こういうシャッターチャンスの時にこそ、写真撮影のための知識が問われるのだが、いつもそのような機会に恵まれた時に急いでどうすればいいかを考えてしまう。なかなかいい写真を私が撮れない要因である。
さて、小一時間ほど素場らしい写真を撮影する時間と、朝焼けに映える中岳、宝剣山を堪能して山荘に戻る。荷物を整理し、5時30分から朝食を取る。朝食はソーセージ、紅鮭、卵焼き、キャベツ、海苔、お味噌汁などだ。朝食を取って6時には山荘を発ち、木曽駒ヶ岳へと向かう。その前に中岳に登らなくてはならない。中岳への登山道は岩だらけのガレ場。なかなか厳しかったが、6時15分には中岳に登頂。ここからの宝剣山の展望が素場らしい。一度、中岳を下りて、そこからまた木曽駒ヶ岳の山頂にチャレンジする。この登山道もガレ場である。手袋をつけ、岩登りのような感じで登っていくと6時45分には山頂につくことができた。ここからは木曽御岳、乗鞍岳、北アルプス群、八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳をはじめとする北アルプスの秀峰が見渡せる。360度の素場らしい絶景に大いに感動する。さて、その後、そのまま帰路につくのはもったいないので馬の背と呼ばれる尾根道を行き、中央アルプス唯一の氷河湖である濃ヶ池へ行く。尾根道は高山植物が咲き乱れ、御嶽山、北アルプス、八ヶ岳、南アルプスを展望しながら歩いていると、まるで天上の楽園にいるかのようである。濃ヶ池へ着いたのは8時30分。濃ヶ池には宝剣山が逆さに映り、なかなか雄大な景色である。その後、雪渓を横目にしつつ、再び険しいガレ場を登り、宝剣山荘に戻る。宝剣山荘に戻ったのは10時40分頃。そこで昼ご飯のカップヌードルを食し、11時30分には千畳敷を降りていく。改めて千畳敷の急坂を実感しつつ、膝を痛めないように注意して降りる。ロープウェイの駅に着いたのは12時10分頃。そして、ロープウェイ、バスと乗り継いで、駒ヶ根のバスターミナルの比較的そばにある温泉で汗を流し、帰路につく。
素場らしい天候に恵まれ、感動的な時間を過ごすことができた。こういう経験をすると山登りに、さらにはまってしまう。
(息を呑むように美しい宝剣山荘から望む日の出)
(南アルプスの稜線が徐々にオレンジ色を帯びていく)
(伊那谷が雲海で被われているのも、神秘的な神々しい日の出の演出に一役買っている)
(西側をみると御嶽山が雲海の中で突き抜けて、その存在感を主張しているかのようだ)
(朝焼けに映える宝剣山)
(中岳から宝剣山と宝剣山荘を望む)
(木曽駒ヶ岳に登頂しました)
(駒ヶ岳の山頂から富士山を望む)
(駒ヶ岳の山頂から空木岳方面を望む)
(馬の背から振り返り、木曽駒ヶ岳を望む。左後ろに見えるのは宝剣山)
(馬の背の道沿いには様々な高山植物が、まるで美しさを競うように咲いている)
(馬の背の道沿いの岩肌に咲く高山植物はまるでロック・ガーデンのよう。後ろに見えるのは御嶽山)
(天上の楽園のような馬の背の道を歩いて行く)
(濃ヶ池には宝剣山が逆さに映っており、その雄大な景観に感動する)
(濃ヶ池から宝剣山荘へと戻る道沿いには雪渓が見られた)
(千畳敷から宝剣山荘へと至る八丁坂はまるでラッシュアワーのように混んでいた)
(千畳カールをロープウェイの駅そばから望む。宝剣山の存在感がすごい)
(昨日、雨が降った時はどうしようと思ったが、無事、晴れて、素場らしい登山を楽しめました)
四阿山(日本百名山登頂16座) [日本百名山]
日本百名山の四阿山への日帰り登山をチャレンジする。05:56に都立大学駅発の電車に乗り、大宮で新幹線。08:27に上田駅に到着し、上田駅そばの日産レンタカーで自動車を借り、その後、セブンイレブンで昼食を購入し、菅平牧場へ向かう。菅平牧場の入り口では入場料を一人当たり200円ほど取られる。到着したのは10時ちょっと過ぎ。日産レンタカーは8時30分開業なので、四阿山の登山口に着くには、これがおそらくもっとも早い時間であろう。とはいえ、登山口そばの菅平牧場の駐車場は平日であるにも関わらず既に結構、混んでいた。
また、天気予報は雨40%であったが、駐車場からは四阿山まで展望できる。快晴とまではいえないが、いい具合で日は照っている。出発時間は10:15。つつじの花が咲き誇る白樺と熊笹の森の中を歩いて行く。快適だ。高原らしい気持ちよい気候の中、歩を進めていくが徐々に坂は急になっていく。中四阿に着いたのは12:00頃。根古岳の展望が素場らしい。
さて、特別に急という訳ではないが、延々と続く坂道に、2時間ぐらいしか寝なかったこともあって根古岳との分岐点が近づいた辺りで、肉離れを起こしそうになる。一生懸命、肉離れをしそうな足を宥めつつ登っていったこともあり、途中からペースは大幅にダウンする。天候も頂上が近づくにつれガスの濃度が濃くなり、視界も悪くなる。
途中でゆっくりとなったために、四阿山に辿り着いたのは13:15。生憎、展望は限定的である。ここで昼ご飯。いつも同行しているゼミの卒業生が今回は来られなかったので、私が初めてガスボンベで湯を沸かす。実際やってみれば簡単であったが、最初ということもあって緊張する。カップ麺とおにぎり、魚肉ソーセージなどを食べ、ドリップ式のコーヒーを入れたりしていると1時間があっという間に経ってしまった。頂上で記念写真を撮影した時は、もうガスで被われていて、展望はないに等しい。
14:15に出発。ガスとともに気温も急激に低下し、手袋をしないと寒いぐらいである。こういうのが山の怖いところだ。帰路は、足も全然、痛くなく、結構、いいペースで歩いて降りることができたのだが15:30頃から雨が降り出し、最後はほぼ雨の中を歩いて帰ることになる。雨だと疲労は増す。駐車場に到着したのは16:15であった。昼食の休憩の一時間を含んで、ほぼ6時間の登山であった。
四阿山はちょうどつづじが満開に近く、午前中は天気もよく大変快適な旅であった。
(登山口の入り口)
(登山口から四阿山を望む)
(つつじは満開でした)
(時々、四阿山が姿を現します)
(中四阿)
(頂上に登った時は、周辺はガスで被われていました)
(登頂での記念撮影)
また、天気予報は雨40%であったが、駐車場からは四阿山まで展望できる。快晴とまではいえないが、いい具合で日は照っている。出発時間は10:15。つつじの花が咲き誇る白樺と熊笹の森の中を歩いて行く。快適だ。高原らしい気持ちよい気候の中、歩を進めていくが徐々に坂は急になっていく。中四阿に着いたのは12:00頃。根古岳の展望が素場らしい。
さて、特別に急という訳ではないが、延々と続く坂道に、2時間ぐらいしか寝なかったこともあって根古岳との分岐点が近づいた辺りで、肉離れを起こしそうになる。一生懸命、肉離れをしそうな足を宥めつつ登っていったこともあり、途中からペースは大幅にダウンする。天候も頂上が近づくにつれガスの濃度が濃くなり、視界も悪くなる。
途中でゆっくりとなったために、四阿山に辿り着いたのは13:15。生憎、展望は限定的である。ここで昼ご飯。いつも同行しているゼミの卒業生が今回は来られなかったので、私が初めてガスボンベで湯を沸かす。実際やってみれば簡単であったが、最初ということもあって緊張する。カップ麺とおにぎり、魚肉ソーセージなどを食べ、ドリップ式のコーヒーを入れたりしていると1時間があっという間に経ってしまった。頂上で記念写真を撮影した時は、もうガスで被われていて、展望はないに等しい。
14:15に出発。ガスとともに気温も急激に低下し、手袋をしないと寒いぐらいである。こういうのが山の怖いところだ。帰路は、足も全然、痛くなく、結構、いいペースで歩いて降りることができたのだが15:30頃から雨が降り出し、最後はほぼ雨の中を歩いて帰ることになる。雨だと疲労は増す。駐車場に到着したのは16:15であった。昼食の休憩の一時間を含んで、ほぼ6時間の登山であった。
四阿山はちょうどつづじが満開に近く、午前中は天気もよく大変快適な旅であった。
(登山口の入り口)
(登山口から四阿山を望む)
(つつじは満開でした)
(時々、四阿山が姿を現します)
(中四阿)
(頂上に登った時は、周辺はガスで被われていました)
(登頂での記念撮影)
大峰山(八経ヶ岳)に登る(日本百名山15座登頂) [日本百名山]
大峰山(八経ヶ岳)にチャレンジする。大台ヶ原の宿を4時30分に出て、大峰山の登山口である行者還トンネル西口へと向かう。4時30分には、もう明るくなっており、もう少し早く出てもよかったかもしれない、とちょっと後悔する。峠茶屋に出て国道169号で天カ瀬までは道路がスムーズだったのだが、天カ瀬から国道309号に入ると驚くほどの狭く、くねくねの道路の山道になる。渓谷は驚くほど美しく、これだけでもここに来た甲斐があると思われる。ただ、天カ瀬から行者還トンネルまでは距離は短くみえるが、時間は結構かかるので、この点は車で行く場合は留意した方がいいと思われる。
さて、それでも6時頃には行者還トンネル西口に着いたのだが、既に20台の駐車場は埋まっていた。これは大変だ!と思ったが、20台以上の駐車場スペースがつくられていたので、問題なく駐車できた。とはいえ、あと30分遅かったら満車になっていたかもしれない。雲一つない晴天であるということもあるかもしれないが、自動車で来る場合は、この駐車場の少なさは注意しておいた方がいいだろう。
行者還トンネルを出発したのは6:15。行者還トンネルからはいきなり急坂を登ることになる。これは事前に調べておいたのだが、それにしてもきつい。また、悪いことに坂を上りはじめる前におおきな咳をしたら腰を痛めてしまった。いきなり、大きなハンディを背負ったままで登ることになる。この急坂は、世界遺産の熊野古道の奥駈道と合流するまで続く。これを登るのに1時間はかかった。奥駈道出合いからの展望は素場らしくて、このきつい坂を登りきったご褒美をもらったような気分になる。奥駈道出合いは7:22。
さて、奥駈道は尾根道でアップ・ダウンもそれほど激しくなく、どんどんと距離を稼ぐことができた。弁天の森などを経て、聖宝の宿跡に着く(8:45)。ここから弥山小屋までは、また急坂になる。ただ、行者還トンネルから奥駈道出合いまでの坂に比べるとずっと優しい。途中、鹿の害から守るための柵の中を歩いたりして、標高を稼いでいく。登山道からの展望は素場らしく、天気がよかったこともあるが、気持ちよく登っていくことができる。ただし、息は上がる。弥山小屋まで登りきったのは9:25。ここでリュックを置いてカメラと水だけを担いで、八経ヶ岳へと向かう。八経ヶ岳へ着いたのは9:55。近畿最高峰で標高は1915メートルである。熊野灘まで見渡せる、まさに360度の大絶景である。十二分に絶景を楽しんだ後、また弥山小屋にも戻り、そこで昼食。昼食はカップヌードル。十二分に休息を取った後、11:40に弥山小屋を発つ。帰りは結構、スムーズに奥駈道出合いまで戻る。奥駈道出合いに着いたのは13:20。その後、駐車場まで急坂を降りていく。下りも厳しく、ここを登って来られたことが不思議なくらいである。駐車場に着いたのは14:20。休息時間を含めて、ほぼ8時間の行程であった。
なかなかハードであったが、晴天であることと、その景色が素晴らしいこともあり、とても楽しめる登山であった。
(奥駈道出合いから弥山小屋に至る尾根道からの素場らしい展望)
(弥山小屋から八経ヶ岳を望む)
(八経ヶ岳からの素場らしい展望ー南を望む)
(八経ヶ岳からの素場らしい展望ー北を望む)
(八経ヶ岳の看板)
(芽が顔を出し始めている)
(素場らしい苔の絨毯)
さて、それでも6時頃には行者還トンネル西口に着いたのだが、既に20台の駐車場は埋まっていた。これは大変だ!と思ったが、20台以上の駐車場スペースがつくられていたので、問題なく駐車できた。とはいえ、あと30分遅かったら満車になっていたかもしれない。雲一つない晴天であるということもあるかもしれないが、自動車で来る場合は、この駐車場の少なさは注意しておいた方がいいだろう。
行者還トンネルを出発したのは6:15。行者還トンネルからはいきなり急坂を登ることになる。これは事前に調べておいたのだが、それにしてもきつい。また、悪いことに坂を上りはじめる前におおきな咳をしたら腰を痛めてしまった。いきなり、大きなハンディを背負ったままで登ることになる。この急坂は、世界遺産の熊野古道の奥駈道と合流するまで続く。これを登るのに1時間はかかった。奥駈道出合いからの展望は素場らしくて、このきつい坂を登りきったご褒美をもらったような気分になる。奥駈道出合いは7:22。
さて、奥駈道は尾根道でアップ・ダウンもそれほど激しくなく、どんどんと距離を稼ぐことができた。弁天の森などを経て、聖宝の宿跡に着く(8:45)。ここから弥山小屋までは、また急坂になる。ただ、行者還トンネルから奥駈道出合いまでの坂に比べるとずっと優しい。途中、鹿の害から守るための柵の中を歩いたりして、標高を稼いでいく。登山道からの展望は素場らしく、天気がよかったこともあるが、気持ちよく登っていくことができる。ただし、息は上がる。弥山小屋まで登りきったのは9:25。ここでリュックを置いてカメラと水だけを担いで、八経ヶ岳へと向かう。八経ヶ岳へ着いたのは9:55。近畿最高峰で標高は1915メートルである。熊野灘まで見渡せる、まさに360度の大絶景である。十二分に絶景を楽しんだ後、また弥山小屋にも戻り、そこで昼食。昼食はカップヌードル。十二分に休息を取った後、11:40に弥山小屋を発つ。帰りは結構、スムーズに奥駈道出合いまで戻る。奥駈道出合いに着いたのは13:20。その後、駐車場まで急坂を降りていく。下りも厳しく、ここを登って来られたことが不思議なくらいである。駐車場に着いたのは14:20。休息時間を含めて、ほぼ8時間の行程であった。
なかなかハードであったが、晴天であることと、その景色が素晴らしいこともあり、とても楽しめる登山であった。
(奥駈道出合いから弥山小屋に至る尾根道からの素場らしい展望)
(弥山小屋から八経ヶ岳を望む)
(八経ヶ岳からの素場らしい展望ー南を望む)
(八経ヶ岳からの素場らしい展望ー北を望む)
(八経ヶ岳の看板)
(芽が顔を出し始めている)
(素場らしい苔の絨毯)
大台ヶ原(日本百名山14座登頂) [日本百名山]
大台ヶ原に行く。前日は強風とともに雨が吹いていたのだが、朝になると雲一つない晴天となっていた。午前中は西大台を訪れ、そして午後に東大台に行く。東大台は、まず百名山である最高峰の日出カ岳を目指す。日出カ岳までは、舗装された非常に歩きやすい道が整備されている。さて、日出カ岳を上る前に、正木峠というところを通る。ここからは、太平洋が展望できるのだが、素場らしい絶景である。こんなに素場らしい山と海とから成る絶景は、ブラジルのパラナ州の大西洋海岸山脈ぐらいしか浮かばない。大分のワルサ山周辺からみる佐伯湾周辺も素場らしいが、高さという点でここが遙かに凌ぐと思われる。
正木峠の絶景に感動したが、標高1695メートルの日出カ岳からの360度の展望はさらに素場らしかった。ただ、残念ながら山頂には「百名山」の看板がない。これは、百名山ファンにとっては落胆させられる。「日出カ岳」の三角点を記念に撮影する。さて、日出カ岳だけ上って降りるのはもったいない、ということで大蛇嵓まで尾根道を辿っていく。この尾根道からは熊野灘の美しいリアス式海岸が展望でき、とても気持ちがよい。紀伊半島がこんなにも美しいランドスケープを有していたことは知らなかった。ただし、西大台と違い、東大台は台風と鹿によって生態系が乱れ、熊笹が地面を蔽っている。これは、苔の森を主体とする西大台とは大きな違いだが、50年ほど前までは東大台も西大台と同じような植生であったそうだと知って、大いに驚く。生態系の勉強をするにも、極めてうってつけの場所である。大蛇嵓は、噂に違わぬ断崖絶壁の絶景を楽しめる。特に右手側にみえる中の滝(落差245メートル)は迫力があって感動的である。大いに満足して帰路につく。帰路はシオカラ谷は、今はそれほど見所はない、とビジターセンターの人にアドバイスを受けたので、尾鷲辻を通る最短ルートで入り口にまで戻る。コース自体は難しくなく、また歩道もしっかりと整備されていたのと、一回りして3時間ちょっとと子供連れでも行けるコースだと思う。ただ、我々は幸い天気に恵まれたので、とても有意義な素場らしい体験ができたが、雨が多い地域なので、その素晴らしさはお天気具合で変わるかなとも思ったりもする。
(日出カ岳から紀伊山脈の方を展望する)
(大蛇嵓から中の滝を展望する)
(大蛇嵓の断崖絶壁)
(尾根道から熊野灘を展望する。写真ではその美しさを捉えられていないのが残念)
正木峠の絶景に感動したが、標高1695メートルの日出カ岳からの360度の展望はさらに素場らしかった。ただ、残念ながら山頂には「百名山」の看板がない。これは、百名山ファンにとっては落胆させられる。「日出カ岳」の三角点を記念に撮影する。さて、日出カ岳だけ上って降りるのはもったいない、ということで大蛇嵓まで尾根道を辿っていく。この尾根道からは熊野灘の美しいリアス式海岸が展望でき、とても気持ちがよい。紀伊半島がこんなにも美しいランドスケープを有していたことは知らなかった。ただし、西大台と違い、東大台は台風と鹿によって生態系が乱れ、熊笹が地面を蔽っている。これは、苔の森を主体とする西大台とは大きな違いだが、50年ほど前までは東大台も西大台と同じような植生であったそうだと知って、大いに驚く。生態系の勉強をするにも、極めてうってつけの場所である。大蛇嵓は、噂に違わぬ断崖絶壁の絶景を楽しめる。特に右手側にみえる中の滝(落差245メートル)は迫力があって感動的である。大いに満足して帰路につく。帰路はシオカラ谷は、今はそれほど見所はない、とビジターセンターの人にアドバイスを受けたので、尾鷲辻を通る最短ルートで入り口にまで戻る。コース自体は難しくなく、また歩道もしっかりと整備されていたのと、一回りして3時間ちょっとと子供連れでも行けるコースだと思う。ただ、我々は幸い天気に恵まれたので、とても有意義な素場らしい体験ができたが、雨が多い地域なので、その素晴らしさはお天気具合で変わるかなとも思ったりもする。
(日出カ岳から紀伊山脈の方を展望する)
(大蛇嵓から中の滝を展望する)
(大蛇嵓の断崖絶壁)
(尾根道から熊野灘を展望する。写真ではその美しさを捉えられていないのが残念)
韓国岳に登る(百名山13座登頂) [日本百名山]
韓国岳にチャレンジした。しかも一人である。これまで、一人登山をしたことはない。いや、高校生ぐらいの時やアメリカの山とかでたまにしたが、皆、簡単な登山というかハイキングである。百名山では一人登山は今回が初めてである。これは、人に付き合ってもらってスケジュールを調整して百名山を登っていると、とてもペース的に踏破できないことに気づいたからである。ということで、簡単な山は単独登山をしてしまおう、と決意したのである。
ちょうど用事で宮崎に来たので、思い切って韓国岳にまで足をのばしたのである。宿泊したのは、霧島観光ホテルという団体客用の温泉ホテルだ。朝食オンリーでなんと6000円ちょっとだった。ビジネスホテルよりも安いくらいだ。温泉は馬鹿広くて、ちょっと嬉しかった。朝、目覚めると、なんと雨の音。本当なら食事が6時50分からなので、その時間に食べようと思っていたのだが、ネットで天気予報をみると、遅いほど雨雲はいなくなるとのこと。ということで、チェックアウトの時間である10時のちょっと前までホテルにいて、そこから移動することにする。朝食はお決まりのバイキング。まあ、全然美味しくないし、しかも、食事を取るテーブルが散らかりまくっていて汚く、とても食欲をそそらないけど、カロリー消費が激しい登山前にはバイキングは有り難い。頑張って、いろいろと食べる。
チェックアウトすると雨は上がっていたが、霧が凄い。車で運転するのが恐いくらいの霧だ。登山口に着いたのは10時ちょうど。登山口の前に10台くらいが駐車できるスペースがあり、ここは早く来ないと駐まれないとガイドに書いてあったが、私以外だと一台しか駐まっていない。まあ、この濃霧だと、山頂からの展望が魅力の韓国岳に登る価値は激減するからな。とはいえ、雨が上がったこともあって、私はむしろチャレンジ精神がむくむくと首をもたげでした。ということで、濃霧の中を歩き始める。最初は道から続く、階段。これは硫黄山という霧島連山では最も新しい時期に爆発してできた火山だ。江戸時代に爆発した。とはいえ、霧で全体像は見えない。そこから、登山口を登っていく。瞬間、霧が晴れ、えびの高原が見えた。えびの高原は赤く染まったススキが、まるで鮮血がほとばしったかのような鮮烈な光景をつくりだしている。ちょっと感動的だ。さて、最初こそ緩やかな上り坂であったが、すぐに階段状の急坂が続くようになる。この急坂は結局、頂上まで続く。百名山に楽な山なし、とは私の格言だが、この韓国岳もこの言葉通りである。休みつつ、ゆっくりと登っていく。ゆっくりとしたペースで登れるのは一人登山のいいところかもしれない。途中、下山をしてくる中高年の女性2人組と行き交う。「1人で恐くないんですか?」と尋ねてくる。私は「恐いですよ」と答えたが、この程度の山を1人で登れなくては、とても百名山踏破などできる訳がない。ということで、ひたすらじわじわと高度を稼いでいく。
五合目までは森の中。五合目からは尾根を登っていくので、本来であれば絶景なのだろうが、霧の中なのでほとんど景色は見られず。霧島というのは、そもそも名前からして霧だらけのところなのか、ということを知る。しかし、気分は爽快である。ただ坂は相変わらずきつく、ガレ場を登っていくような感じ。とはいえ、階段がほぼ設置されているので、急坂ではあるが辛くはない。
1時間30分弱で、頂上に到着。ほとんど濃霧の中だったが、瞬間的に二回、霧が晴れた時があった。その瞬間、高千穂山を望むことができた。いやあ、なかなかの絶景だ。この二回の瞬間があったおかげで随分と報われた気分になる。2時間弱の登山であったが、ペットボトルは二本目に口をつけていた。やはり、上り坂は随分と水分を身体が欲する。
11:45に山頂を発つ。帰りは下りだから楽ではあるが、斜面が急であるので膝に気をつけなくてはと注意しつつ、降りる。私は膝が弱いのである。硫黄山についたのが12:35分。コースタイムよりも時間はかかったが、百名山の一人登山を無事、完遂できてよかった。
コースタイム:登山口(10:00)、一合目(10:14)、二合目(10:20)、三合目(10:29)、四合目(10:38)、五合目(10:48)、六合目(10:57)、七合目(11:03)、八合目(11:12)、九合目(11:19)、山頂(11:23) 下り 山頂(11:45) 登山口(12:35)
(登山口)
(エビのような色に染まったえびの高原)
(硫黄山)
(三合目付近の坂道。結構、きつい)
(五合目付近)
(瞬間的に霧が晴れ、高千穂岳が姿を現す)
(瞬間的に霧が晴れ、多少、遠くが開ける)
(山頂での記念撮影)
ちょうど用事で宮崎に来たので、思い切って韓国岳にまで足をのばしたのである。宿泊したのは、霧島観光ホテルという団体客用の温泉ホテルだ。朝食オンリーでなんと6000円ちょっとだった。ビジネスホテルよりも安いくらいだ。温泉は馬鹿広くて、ちょっと嬉しかった。朝、目覚めると、なんと雨の音。本当なら食事が6時50分からなので、その時間に食べようと思っていたのだが、ネットで天気予報をみると、遅いほど雨雲はいなくなるとのこと。ということで、チェックアウトの時間である10時のちょっと前までホテルにいて、そこから移動することにする。朝食はお決まりのバイキング。まあ、全然美味しくないし、しかも、食事を取るテーブルが散らかりまくっていて汚く、とても食欲をそそらないけど、カロリー消費が激しい登山前にはバイキングは有り難い。頑張って、いろいろと食べる。
チェックアウトすると雨は上がっていたが、霧が凄い。車で運転するのが恐いくらいの霧だ。登山口に着いたのは10時ちょうど。登山口の前に10台くらいが駐車できるスペースがあり、ここは早く来ないと駐まれないとガイドに書いてあったが、私以外だと一台しか駐まっていない。まあ、この濃霧だと、山頂からの展望が魅力の韓国岳に登る価値は激減するからな。とはいえ、雨が上がったこともあって、私はむしろチャレンジ精神がむくむくと首をもたげでした。ということで、濃霧の中を歩き始める。最初は道から続く、階段。これは硫黄山という霧島連山では最も新しい時期に爆発してできた火山だ。江戸時代に爆発した。とはいえ、霧で全体像は見えない。そこから、登山口を登っていく。瞬間、霧が晴れ、えびの高原が見えた。えびの高原は赤く染まったススキが、まるで鮮血がほとばしったかのような鮮烈な光景をつくりだしている。ちょっと感動的だ。さて、最初こそ緩やかな上り坂であったが、すぐに階段状の急坂が続くようになる。この急坂は結局、頂上まで続く。百名山に楽な山なし、とは私の格言だが、この韓国岳もこの言葉通りである。休みつつ、ゆっくりと登っていく。ゆっくりとしたペースで登れるのは一人登山のいいところかもしれない。途中、下山をしてくる中高年の女性2人組と行き交う。「1人で恐くないんですか?」と尋ねてくる。私は「恐いですよ」と答えたが、この程度の山を1人で登れなくては、とても百名山踏破などできる訳がない。ということで、ひたすらじわじわと高度を稼いでいく。
五合目までは森の中。五合目からは尾根を登っていくので、本来であれば絶景なのだろうが、霧の中なのでほとんど景色は見られず。霧島というのは、そもそも名前からして霧だらけのところなのか、ということを知る。しかし、気分は爽快である。ただ坂は相変わらずきつく、ガレ場を登っていくような感じ。とはいえ、階段がほぼ設置されているので、急坂ではあるが辛くはない。
1時間30分弱で、頂上に到着。ほとんど濃霧の中だったが、瞬間的に二回、霧が晴れた時があった。その瞬間、高千穂山を望むことができた。いやあ、なかなかの絶景だ。この二回の瞬間があったおかげで随分と報われた気分になる。2時間弱の登山であったが、ペットボトルは二本目に口をつけていた。やはり、上り坂は随分と水分を身体が欲する。
11:45に山頂を発つ。帰りは下りだから楽ではあるが、斜面が急であるので膝に気をつけなくてはと注意しつつ、降りる。私は膝が弱いのである。硫黄山についたのが12:35分。コースタイムよりも時間はかかったが、百名山の一人登山を無事、完遂できてよかった。
コースタイム:登山口(10:00)、一合目(10:14)、二合目(10:20)、三合目(10:29)、四合目(10:38)、五合目(10:48)、六合目(10:57)、七合目(11:03)、八合目(11:12)、九合目(11:19)、山頂(11:23) 下り 山頂(11:45) 登山口(12:35)
(登山口)
(エビのような色に染まったえびの高原)
(硫黄山)
(三合目付近の坂道。結構、きつい)
(五合目付近)
(瞬間的に霧が晴れ、高千穂岳が姿を現す)
(瞬間的に霧が晴れ、多少、遠くが開ける)
(山頂での記念撮影)
男体山に登る(百名山12座登頂) [日本百名山]
日光の男体山に登る。日光の中禅寺湖の背景に主人のように屹然と立つ山である。標高は2486メートル。なかなか高い。円錐形の山容は、どんとしていて貫禄がある。登る前日に東京を発ち、夜の9時過ぎに中禅寺湖畔の宿に泊まる。朝食がついて5500円はなかなかリーズナブルである。朝5時に起き、5時30分の朝食。朝食は塩鮭となかなか豪華。有り難い。今日はおそらく、相当のカロリーを消費すると思われるからだ。
登山口の二荒山神社までは宿から歩いても15分だったのだが、この往復15分を節約するためにも自動車で神社の駐車場まで行く。6時過ぎにはもう結構、駐車されていた。今日は秋の晴天の日曜日でもあり、また閉山の日とも重なったために通常よりも多くの登山客が来ているのかもしれない。さて、二荒山神社では、入山料を500円支払わなくてはならない。ということで、支払う。簡単な地図とお守りのようなものをいただく。さて、神社でお参りをしてからいざ出発。6時43分。
(二荒山神社で記念撮影)
いきなり、神社の階段。なかなかの長さだ。しかも、これを抜けても急坂。厳しい山だというのは知っていたが、最初からこれは相当きついのではないか、と前途が不安になる。ただ、紅葉は美しい。今がまさに見頃であろう。
(二荒山神社の鳥居をくぐる)
(いきなり階段から登山は始まる)
しばらく歩くと、車道に出る。これからは車道沿いに歩いて行くのが正規のルートであるようだが、前を歩いている人が車道ではなく笹藪の中を歩いて行く。どうも、踏みならされた道のようなものも出来ている。ということで、彼らに付いていったのだが、これは相当、近道であった。ただ、急坂であるので下りに使うのは難しいとは思う。
四合目に着いたのは7時43分。ちょうど1時間である。コースタイムよりはちょっと早い。というか、途中、ずるをしたので、その分を稼いだだけかもしれない。振り返れば中禅寺湖が広がる。これは素場らしい光景で、登山の疲れも飛ぶ。紅葉も素場らしい。
(四合目からの中禅寺湖の展望)
(素場らしい紅葉)
四合目からは険しい坂が始まる。カメラも鞄の中にしまい、ひたすら登山に専念する。
七合目は8時54分。ここからはガレ場。ストックをザックにしまい、軍手をして岩を登っていく。これは気分的にはもうロッククライミングである。
(ガレ場は凄まじい)
八合目は9時31分。中禅寺湖の展望は絶景の一言に尽きる。いや、この景色が見られただけでここまで登った苦労が報われるというものだ。相当、披露がたまっているようでやたらに水を飲む。
(中禅寺湖の展望が勇気を与えてくれる)
九合目は10時31分。ここらへんからは森林限界。まず階段で坂を登っていくが、それからは赤茶色の砂礫を登っていく。なかなか野趣溢れる景観だ。ここでもまだ急坂。というか、1200メートルぐらいの標高をこの急坂で登っていくので、ある意味、短時間で登れるということもいえるかもしれない。しかし、きつい山だ。ここらへんから木がないこともあって、突風に煽られる。なかなか寒い。私は安物の手袋と軍手を重ねていたのだが、寒さで手が悴む。10月なので別に普通の手袋で問題ないだろうと思っていたが大間違いだった。下山していた人は、頂上は氷点下6度だという。関東圏であっても山は厳しいということを改めて思い知らされる。
(階段を登れば頂上が近づいてくる)
さて、しかし頂上が近づくと元気も出てくる。頂上に着いたのは10時31分。3時間48分。ほとんど追い抜かされるばかりであったので、普通の健脚の人はこれより早く登れるのではないだろうか。風は強かったが、建物がちょうど強風から守ってくれる場所があるので、そこでカップヌードルを食べ、珈琲を飲む。到着した時間が遅かったこともあり、氷点下6度という寒さではなく、せいぜい氷点下ぐらいであった。とはいえ寒いことは寒い。素手で食事をするのは厳しいぐらいであった。食後は、秋の晴天日の360度の大絶景を存分に楽しんだ後、11時45分に下山開始。
(頂上の鳥居)
(頂上にて記念撮影)
(中禅寺湖をバックに)
(頂上から中禅寺湖の展望)
(関東平野の展望)
(奥白根山の雄姿もばっちり見えます)
急坂なので下山も決して楽ではない。私は膝が弱いため、むしろ下山で膝をやられる場合が多いので十分に注意をしながら降りていく。六合目ぐらいまでは、ストックは邪魔。手で岩を押さえながら、降りていく。
さて下山したのは14時15分。2時間30分である。往復時間は6時間ちょっと。今回は膝のサポーターをしていたこともあり、比較的膝の痛みは出てこなかったのだが一合目辺りの坂でちょっと右膝が痛くなってきた。まあ、どうにか下山できたが、神社の駐車場に停めずに、宿の駐車場に停めたら、この15分間でやられたかと思う。本当、念には念を入れて安全側で動かないと無理が効かない身体であることを改めて自覚する。
(無事、下山できました)
寒さにはやられたが、逆にこの空気の冷たさが光を凛としたものにし、紅葉の美しさは例えようのないものであった。また、素場らしい天気に恵まれ、秋登山の醍醐味を味わうことができた。
登山口の二荒山神社までは宿から歩いても15分だったのだが、この往復15分を節約するためにも自動車で神社の駐車場まで行く。6時過ぎにはもう結構、駐車されていた。今日は秋の晴天の日曜日でもあり、また閉山の日とも重なったために通常よりも多くの登山客が来ているのかもしれない。さて、二荒山神社では、入山料を500円支払わなくてはならない。ということで、支払う。簡単な地図とお守りのようなものをいただく。さて、神社でお参りをしてからいざ出発。6時43分。
(二荒山神社で記念撮影)
いきなり、神社の階段。なかなかの長さだ。しかも、これを抜けても急坂。厳しい山だというのは知っていたが、最初からこれは相当きついのではないか、と前途が不安になる。ただ、紅葉は美しい。今がまさに見頃であろう。
(二荒山神社の鳥居をくぐる)
(いきなり階段から登山は始まる)
しばらく歩くと、車道に出る。これからは車道沿いに歩いて行くのが正規のルートであるようだが、前を歩いている人が車道ではなく笹藪の中を歩いて行く。どうも、踏みならされた道のようなものも出来ている。ということで、彼らに付いていったのだが、これは相当、近道であった。ただ、急坂であるので下りに使うのは難しいとは思う。
四合目に着いたのは7時43分。ちょうど1時間である。コースタイムよりはちょっと早い。というか、途中、ずるをしたので、その分を稼いだだけかもしれない。振り返れば中禅寺湖が広がる。これは素場らしい光景で、登山の疲れも飛ぶ。紅葉も素場らしい。
(四合目からの中禅寺湖の展望)
(素場らしい紅葉)
四合目からは険しい坂が始まる。カメラも鞄の中にしまい、ひたすら登山に専念する。
七合目は8時54分。ここからはガレ場。ストックをザックにしまい、軍手をして岩を登っていく。これは気分的にはもうロッククライミングである。
(ガレ場は凄まじい)
八合目は9時31分。中禅寺湖の展望は絶景の一言に尽きる。いや、この景色が見られただけでここまで登った苦労が報われるというものだ。相当、披露がたまっているようでやたらに水を飲む。
(中禅寺湖の展望が勇気を与えてくれる)
九合目は10時31分。ここらへんからは森林限界。まず階段で坂を登っていくが、それからは赤茶色の砂礫を登っていく。なかなか野趣溢れる景観だ。ここでもまだ急坂。というか、1200メートルぐらいの標高をこの急坂で登っていくので、ある意味、短時間で登れるということもいえるかもしれない。しかし、きつい山だ。ここらへんから木がないこともあって、突風に煽られる。なかなか寒い。私は安物の手袋と軍手を重ねていたのだが、寒さで手が悴む。10月なので別に普通の手袋で問題ないだろうと思っていたが大間違いだった。下山していた人は、頂上は氷点下6度だという。関東圏であっても山は厳しいということを改めて思い知らされる。
(階段を登れば頂上が近づいてくる)
さて、しかし頂上が近づくと元気も出てくる。頂上に着いたのは10時31分。3時間48分。ほとんど追い抜かされるばかりであったので、普通の健脚の人はこれより早く登れるのではないだろうか。風は強かったが、建物がちょうど強風から守ってくれる場所があるので、そこでカップヌードルを食べ、珈琲を飲む。到着した時間が遅かったこともあり、氷点下6度という寒さではなく、せいぜい氷点下ぐらいであった。とはいえ寒いことは寒い。素手で食事をするのは厳しいぐらいであった。食後は、秋の晴天日の360度の大絶景を存分に楽しんだ後、11時45分に下山開始。
(頂上の鳥居)
(頂上にて記念撮影)
(中禅寺湖をバックに)
(頂上から中禅寺湖の展望)
(関東平野の展望)
(奥白根山の雄姿もばっちり見えます)
急坂なので下山も決して楽ではない。私は膝が弱いため、むしろ下山で膝をやられる場合が多いので十分に注意をしながら降りていく。六合目ぐらいまでは、ストックは邪魔。手で岩を押さえながら、降りていく。
さて下山したのは14時15分。2時間30分である。往復時間は6時間ちょっと。今回は膝のサポーターをしていたこともあり、比較的膝の痛みは出てこなかったのだが一合目辺りの坂でちょっと右膝が痛くなってきた。まあ、どうにか下山できたが、神社の駐車場に停めずに、宿の駐車場に停めたら、この15分間でやられたかと思う。本当、念には念を入れて安全側で動かないと無理が効かない身体であることを改めて自覚する。
(無事、下山できました)
寒さにはやられたが、逆にこの空気の冷たさが光を凛としたものにし、紅葉の美しさは例えようのないものであった。また、素場らしい天気に恵まれ、秋登山の醍醐味を味わうことができた。
十勝岳 [日本百名山]
大雪山の旭岳に次いで、十勝岳にチャレンジする。麓の白金温泉に前泊する。白金温泉は最寄りのコンビニも20キロ以上離れていて、夕食がとれるところが、バブル時代につくられたと覚しきホテル内にある居酒屋のみという不便な場所だ。というか、食事込みにしなかった我々が悪いのだが。結局、朝食もしっかりしたものを調達できなかったこともあり、20キロ離れた上富良野にあるコンビニに朝、買い出しに行く。こんなことであれば、上富良野か美瑛に泊まってもよかった。まあ、そういうことで朝はバタバタしていたこともあり、望見台まで自動車で行き、そこから登り始めた時には既に8時45分頃であった。駐車場は結構、満車ぎりぎりであったが、どうにか駐車することができた。登山者以外も訪れる観光スポットとなので、満車でもちょっと待てば停まれるような印象を受ける。
望見台は標高930メートル。ここから登り始めれば、標高差は1000メートルちょっとで済む。このためにわざわざレンタカーをしたのだが、それだけの価値は膝が悪い私にはあるだろう。
(素場らしい晴天)
(望見台からの展望)
(さあ、登るぞ)
(徐々に高度があがり、展望も広くなっていく)
(ゆるやかな坂が徐々に斜度をあげていく)
(避難小屋を越えると、急坂)
(急坂が続く)
(十勝岳が見えた!)
朝6時30分頃には、本当に雲一つない晴天で十勝岳連峰がばっちりと見れた。望見台からの十勝岳はちょっと雲がかかりつつあった。とはいえ、まだ晴天である。ということで、頑張って歩き始める。十勝岳の避難小屋までの道は、多少のガレ石はあるが、比較的平坦で楽である。気持ちよく登っていく。さて、しかし避難小屋を越えると、急に坂がきつくなる。足下もガレ石なので歩きにくい。あまり周辺を見ないで、ひたすら足下をみて歩いて行く。ふと気づくと、晴天も曇り始めている。ただ、急坂で直射日光を浴びないのは楽だ。相当の距離を1時間以上歩くと、昭和火口に出る。ここは左手にすり鉢火口、右手にグランド火口が見えるはずだが、ガスであまり見られない。ただ、ガスの切れ目に見えるすり鉢火口は、あたかも巨大なあり地獄のようだ。ここからは平坦で、まるで火星のような植物のない岩の世界を歩いて行く。さて、しばらく歩いて行くと再び、巨大な坂が我々を待ち受けている。最後の難関だ。ゆっくりと一歩、一歩確かめるように登っていく。石が大きいので、落石に注意しなくてはならない。階段を登っていくような厳しい坂を上りきると、富良野の方はガスって何も見えないのに、士幌の方は素場らしく晴れていて、雄大なる展望が広がっていた。こういう景色をみると、本当に疲れが吹っ切れる。
(十勝岳から士幌方面を望む)
(頂上からの絶景)
(頂上)
(頂上での記念写真)
頂上ではお約束のカップヌードル。下山をし始めの時、迂闊にも上富良野岳のルートを下りてしまったが、周辺の景色が違うことに気づき、難を逃れる。とはいえ30分以上は損をしてしまった。帰りは、徐々にガスも晴れてきて、登る時には見れなかった広大な富良野盆地の展望を楽しみながら下りていく。途中、連れが小用を催したので、途中から駆け下りるようにして望見台まで行ってしまった。避難小屋にもトイレはなく、また周辺は木も生えておらず、禿げ山なので、小用を催した時に困る、というのがこの十勝岳の難しいところかもしれない。さて、しかし、非常に爽快な気分になれた登山だった。二日連続の百名山チャレンジであったが、膝もしっかりともったので嬉しい限りである。
(行きはガスで見えなかったが、帰りは視界が広がる。こんなところを歩いていたなんて)
(火口からは常に噴煙が出ています)
(これが地球の光景か?)
(すり鉢火口は蟻地獄のよう)
(下山します)
(無事、戻って来れました)
望見台は標高930メートル。ここから登り始めれば、標高差は1000メートルちょっとで済む。このためにわざわざレンタカーをしたのだが、それだけの価値は膝が悪い私にはあるだろう。
(素場らしい晴天)
(望見台からの展望)
(さあ、登るぞ)
(徐々に高度があがり、展望も広くなっていく)
(ゆるやかな坂が徐々に斜度をあげていく)
(避難小屋を越えると、急坂)
(急坂が続く)
(十勝岳が見えた!)
朝6時30分頃には、本当に雲一つない晴天で十勝岳連峰がばっちりと見れた。望見台からの十勝岳はちょっと雲がかかりつつあった。とはいえ、まだ晴天である。ということで、頑張って歩き始める。十勝岳の避難小屋までの道は、多少のガレ石はあるが、比較的平坦で楽である。気持ちよく登っていく。さて、しかし避難小屋を越えると、急に坂がきつくなる。足下もガレ石なので歩きにくい。あまり周辺を見ないで、ひたすら足下をみて歩いて行く。ふと気づくと、晴天も曇り始めている。ただ、急坂で直射日光を浴びないのは楽だ。相当の距離を1時間以上歩くと、昭和火口に出る。ここは左手にすり鉢火口、右手にグランド火口が見えるはずだが、ガスであまり見られない。ただ、ガスの切れ目に見えるすり鉢火口は、あたかも巨大なあり地獄のようだ。ここからは平坦で、まるで火星のような植物のない岩の世界を歩いて行く。さて、しばらく歩いて行くと再び、巨大な坂が我々を待ち受けている。最後の難関だ。ゆっくりと一歩、一歩確かめるように登っていく。石が大きいので、落石に注意しなくてはならない。階段を登っていくような厳しい坂を上りきると、富良野の方はガスって何も見えないのに、士幌の方は素場らしく晴れていて、雄大なる展望が広がっていた。こういう景色をみると、本当に疲れが吹っ切れる。
(十勝岳から士幌方面を望む)
(頂上からの絶景)
(頂上)
(頂上での記念写真)
頂上ではお約束のカップヌードル。下山をし始めの時、迂闊にも上富良野岳のルートを下りてしまったが、周辺の景色が違うことに気づき、難を逃れる。とはいえ30分以上は損をしてしまった。帰りは、徐々にガスも晴れてきて、登る時には見れなかった広大な富良野盆地の展望を楽しみながら下りていく。途中、連れが小用を催したので、途中から駆け下りるようにして望見台まで行ってしまった。避難小屋にもトイレはなく、また周辺は木も生えておらず、禿げ山なので、小用を催した時に困る、というのがこの十勝岳の難しいところかもしれない。さて、しかし、非常に爽快な気分になれた登山だった。二日連続の百名山チャレンジであったが、膝もしっかりともったので嬉しい限りである。
(行きはガスで見えなかったが、帰りは視界が広がる。こんなところを歩いていたなんて)
(火口からは常に噴煙が出ています)
(これが地球の光景か?)
(すり鉢火口は蟻地獄のよう)
(下山します)
(無事、戻って来れました)
大雪山の旭岳を登る [日本百名山]
層雲峡温泉に泊まり、朝一番のロープウェイに乗って、旭岳温泉まで縦走を考えていたのだが、朝、結構強い雨が降っている。どうしようか逡巡をしていたのだが、行くぞと5時30分ぐらいに決意をしてロープウェイの駅に向かった。途中、同宿の登山ツアーのガイドさんとすれ違う。この登山ツアーも我々と同じように縦走を計画していた。ガイドさんは縦走を諦め、旭岳温泉にバスで向かうという。ロープウェイ会社の社員も、今日は縦走をしない方がいいと言っていたと述べる。雨も嫌だが、何しろ怖いのは雷だ、と言う。雷雲が明け方、黒岳周辺を通り抜けたらしい。我々もロープウェイ会社の人が勧めないのであるなら、しょうがないから旭岳までタクシーでも行くか、と連れと相談する。
そうすると、ガイドさんがバスに一緒に乗ってもいいですよ、と言ってくれる。これは渡りに船、というか願ったりである。ということで図々しくも同乗させてもらい、旭岳温泉に向かう。バスが到着したのは8時30分くらい。御礼を言って、旭岳温泉のロープウェイにのって上に着くと8時45分。相変わらず、こちらでも雨は降っている。ただ、予報では12時頃には晴れると言う。ちょっと小雨になるまで待って、9時頃に出発。レインギアをかぶり、長ズボンで旭岳へ向かう。雨は降ってはいるが、それほど風は強くない。レインギアをしていることもあり、ほとんど雨は気にならないが、視界は不良である。周囲がどのようになっているかも分からず、ひたすらガレ場を登っていく。斜面は急ではあるが、膝が悲鳴を上げることはなかった。これは、膝用のサポーターをしっかりとしていることと、膝に負担をあまりかけないような歩き方をしていたからであろう。
(旭岳温泉のロープウェイはガスの中を登っていった)
(どうやら無事に頂上まで着くが、展望は得られない)
(ガスがたまに薄くなると、多少は周りの状況もみてとれる)
とはいえ、北海道で最も高い旭岳への道のりは長い。ほぼ急な上り坂を2時間ほど歩き、ようやく頂上につく。周囲は相変わらずガスっていたが、このまま来た道を戻ろうか、と考えていた頃にちょこっと晴れ間が見えた。このまま戻っても残念なので、まあ小雨の状態でもいいので、間宮岳、中岳温泉を回って有毒温泉をちらっとでも見てみようと考え、縦走コースを逆走する。しばらくすると、裏旭岳の麓あたりで雪渓に出くわす。これは、歩けないかと覚悟をしたら、上手い具合に雪渓を通らずに道は続いている。ということで、どんどんと北上していたら、徐々にガスが晴れ始め、大雪山の素場らしい展望が開けてくる。この景観の美しさは国内では私の狭い経験では、立山としか比較できない。しかし、立山に比べると遙かに太古の自然が残されており、その迫力は圧倒的である。海外での経験では、アメリカのモンタナ州のグレイシャー国立公園を彷彿さえさせる。日本にこんな素場らしい自然があることを、この年になってようやく知る。
(行く手に現れる雪渓)
(雪解け水を集める川の勢いが凄い)
(旭岳が容姿を現す)
(徐々に晴れてくる)
(高原植物が美しい)
(東大雪の山々を望む)
(登山の定番、カップヌードル)
(有毒温泉)
有毒温泉のお鉢も、とてもスケールが大きく圧倒される。イエローストーン国立公園やデスバレー国立公園といったアメリカの世界遺産の国立公園を彷彿させるような大自然である。大雪山を世界遺産に、という意見があるらしいが、その生態系をしっかりと保全し、自然保護の意志をうまくプレゼンできれば、全然いけるのではないか、と私に思わせるだけのポテンシャルを有している。
有毒温泉の中岳分岐から、中岳温泉の方に道を下りていく。この中岳温泉は、沢沿いにある子供が遊ぶような3坪ほどの木枠に囲われた砂場のスペースが温泉になっているだけのところだ。足を入れると源泉がいくつかあり、そこからは火傷するほど熱いお湯が出てくる。スコップが二つほど置いてあり、スコップで穴を掘って、そこに入れということかもしれないが、我々はそこまでせずに足湯で済ます。しかし、この足湯で長時間の歩きで疲れた足を大きく癒してくれた。日本の登山は温泉にすぐ入れて疲れが取れるのが嬉しい。
(中岳温泉)
(行く時にはまったく見えなかった旭岳の全容が姿を現した)
(上川盆地方面が展望できる)
(美しい大雪山の高原の中を歩いて行く)
その後、遠く旭川方面をみながら、高原植物に被われた美しい高原地帯を歩いて行く。途中、歩きにくいところもあるが、アップダウンが少ないので快適でペースも軽やかである。午前中は雨でその容姿がみえなかった旭岳もしっかりとその勇壮な姿を現す。ロープウェイの頂上駅には16時過ぎにつき、16時15分のロープウェイで下山。旭岳温泉のユースホステルの温泉に入って、旭川はバスで向かう。
そうすると、ガイドさんがバスに一緒に乗ってもいいですよ、と言ってくれる。これは渡りに船、というか願ったりである。ということで図々しくも同乗させてもらい、旭岳温泉に向かう。バスが到着したのは8時30分くらい。御礼を言って、旭岳温泉のロープウェイにのって上に着くと8時45分。相変わらず、こちらでも雨は降っている。ただ、予報では12時頃には晴れると言う。ちょっと小雨になるまで待って、9時頃に出発。レインギアをかぶり、長ズボンで旭岳へ向かう。雨は降ってはいるが、それほど風は強くない。レインギアをしていることもあり、ほとんど雨は気にならないが、視界は不良である。周囲がどのようになっているかも分からず、ひたすらガレ場を登っていく。斜面は急ではあるが、膝が悲鳴を上げることはなかった。これは、膝用のサポーターをしっかりとしていることと、膝に負担をあまりかけないような歩き方をしていたからであろう。
(旭岳温泉のロープウェイはガスの中を登っていった)
(どうやら無事に頂上まで着くが、展望は得られない)
(ガスがたまに薄くなると、多少は周りの状況もみてとれる)
とはいえ、北海道で最も高い旭岳への道のりは長い。ほぼ急な上り坂を2時間ほど歩き、ようやく頂上につく。周囲は相変わらずガスっていたが、このまま来た道を戻ろうか、と考えていた頃にちょこっと晴れ間が見えた。このまま戻っても残念なので、まあ小雨の状態でもいいので、間宮岳、中岳温泉を回って有毒温泉をちらっとでも見てみようと考え、縦走コースを逆走する。しばらくすると、裏旭岳の麓あたりで雪渓に出くわす。これは、歩けないかと覚悟をしたら、上手い具合に雪渓を通らずに道は続いている。ということで、どんどんと北上していたら、徐々にガスが晴れ始め、大雪山の素場らしい展望が開けてくる。この景観の美しさは国内では私の狭い経験では、立山としか比較できない。しかし、立山に比べると遙かに太古の自然が残されており、その迫力は圧倒的である。海外での経験では、アメリカのモンタナ州のグレイシャー国立公園を彷彿さえさせる。日本にこんな素場らしい自然があることを、この年になってようやく知る。
(行く手に現れる雪渓)
(雪解け水を集める川の勢いが凄い)
(旭岳が容姿を現す)
(徐々に晴れてくる)
(高原植物が美しい)
(東大雪の山々を望む)
(登山の定番、カップヌードル)
(有毒温泉)
有毒温泉のお鉢も、とてもスケールが大きく圧倒される。イエローストーン国立公園やデスバレー国立公園といったアメリカの世界遺産の国立公園を彷彿させるような大自然である。大雪山を世界遺産に、という意見があるらしいが、その生態系をしっかりと保全し、自然保護の意志をうまくプレゼンできれば、全然いけるのではないか、と私に思わせるだけのポテンシャルを有している。
有毒温泉の中岳分岐から、中岳温泉の方に道を下りていく。この中岳温泉は、沢沿いにある子供が遊ぶような3坪ほどの木枠に囲われた砂場のスペースが温泉になっているだけのところだ。足を入れると源泉がいくつかあり、そこからは火傷するほど熱いお湯が出てくる。スコップが二つほど置いてあり、スコップで穴を掘って、そこに入れということかもしれないが、我々はそこまでせずに足湯で済ます。しかし、この足湯で長時間の歩きで疲れた足を大きく癒してくれた。日本の登山は温泉にすぐ入れて疲れが取れるのが嬉しい。
(中岳温泉)
(行く時にはまったく見えなかった旭岳の全容が姿を現した)
(上川盆地方面が展望できる)
(美しい大雪山の高原の中を歩いて行く)
その後、遠く旭川方面をみながら、高原植物に被われた美しい高原地帯を歩いて行く。途中、歩きにくいところもあるが、アップダウンが少ないので快適でペースも軽やかである。午前中は雨でその容姿がみえなかった旭岳もしっかりとその勇壮な姿を現す。ロープウェイの頂上駅には16時過ぎにつき、16時15分のロープウェイで下山。旭岳温泉のユースホステルの温泉に入って、旭川はバスで向かう。
天城山縦走 [日本百名山]
ゴールデン・ウィーク、天城山に登ることにした。伊豆高原の大室山そばのペンションに前泊し、タクシーに朝の6時30分にペンションまで迎えにきてもらい、登山口の天城ゴルフ場に7時頃に着く。タクシーの料金は5220円。霧が随分と出ていて、視界は開けていないが、天気予報では朝は雨だったので、そういう意味ではついている。
さて、そこから、まずは万二郎岳を目指す。四辻という分岐点までは緩やかな上り坂だが、そこからは坂も急となる。しかし、階段状になっていたりして、それほど難しくはない。馬酔木やヒメシャラの樹林帯を通り抜け、万次郎岳に登頂する。標高は1320メートル。朝ご飯を食べていないので、ここで生ハム・チーズのホットサンドを調理する。なかなかの味だ。若干、霧は晴れてきて、遠くに海も見える。
(万三郎岳を展望)
さて、それから尾根伝いに万三郎岳を目指す。万三郎の標高は1406メートル。標高差は80メートルちょっとなので、大したことはないだろうと思ったがアップダウンは思ったより激しい。特に万次郎岳からのガレ場はなかなか急坂で降りるのに一苦労だ。ここらへんからは晴れていれば富士山が見える筈だが、ガスで見られなかった。これは残念。その後、馬の背というポイントを超えると、馬酔木のトンネルがあり、そこを抜けるとしばらく平坦な道が続く。ただし、万三郎岳の頂上に至るには、結構、厳しい上りがある。そこを越えると万三郎岳。展望はないという前情報があったが、それほど悪くはない。しかし、登頂したという達成感はあまりなかった。時間は10時30分。
(万三郎岳の標高は1406メートル)
ちょっと休んでから、天城峠へと進む。ここからはずっと下り坂なのだが、途中、小岳を登るところと向峠を越えるところは上り坂であり、これがなかなか急であった。とはいえ、全般的にはなだらかで美しいブナ林の中を、鳥のさえずりを聞きながら歩いて行くのは気持ちがよい。天気も晴れてきた。しかし、残念ながらシャクナゲはまだ季節が早く、つぼみ状態であった。13時頃には八丁池に到着。八丁池は池の周囲が八丁(約870メートル)あることからつけられた名前らしいが、実際は5.1丁しかないそうだ。なかなか静かで、いかにも平和な感じのする池である。八丁池は舗装道路でもアプローチできるらしく、自転車で来ている人達も結構いた。ここで、我々はカップヌードルを食べて、昼ご飯を済ます。この八丁池にはとても清潔で管理がされているトイレもあって大変、便利である。また、そのトイレのそばから200メートルほど行くと見晴台があり、そこからは360度の展望が得られる。天気は晴れていたが、霞で富士山は見られなかった。それでも大景観を望み、気持ちのよい気分になる。
(森林浴は十分、満喫できる)
(八丁池)
(八丁池を望みながら下山していく)
さて、そこから天城峠、そしてバス停である天城峠バス停までは楽勝だろうと思っていたら、全然、楽勝ではなかった。というのは、下り坂が相当、厳しいことが分かったからである。それまで15キロ以上は歩いていた私の膝は結構、疲れていたらしく、この最後の下り坂で結構、やられてしまい、バス停まではほとんどビッコを引いてどうやらたどり着くような状況になってしまった。
しかし、予定していた15時30分頃のバスにはどうにか間に合い、途中、天城湯ヶ島に降り、地元のおばさんが勧めてくれた世古温泉の共同浴場に入る。地元のおじさんに、観光客に使われると迷惑なんだよな、と嫌味を言われるのを聞き流しつつ、いや、しかし、ここはいい温泉だなとこちらは気分をよくして、また登山の疲れを流し落とす。その後、バスで修善寺駅に行き、修善寺から三島広小路駅まで伊豆箱根駿豆線で行き、せっかく三島に来たので、三島の鰻を食べようと桜家に行き、鰻を満喫した後、三島駅から新幹線で家に戻る。
(桜家の鰻重)
富士山とシャクナゲが見られなかったのは残念だったが、なかなかの登山であった。しかし、足が脆弱である。鍛えなくては。
さて、そこから、まずは万二郎岳を目指す。四辻という分岐点までは緩やかな上り坂だが、そこからは坂も急となる。しかし、階段状になっていたりして、それほど難しくはない。馬酔木やヒメシャラの樹林帯を通り抜け、万次郎岳に登頂する。標高は1320メートル。朝ご飯を食べていないので、ここで生ハム・チーズのホットサンドを調理する。なかなかの味だ。若干、霧は晴れてきて、遠くに海も見える。
(万三郎岳を展望)
さて、それから尾根伝いに万三郎岳を目指す。万三郎の標高は1406メートル。標高差は80メートルちょっとなので、大したことはないだろうと思ったがアップダウンは思ったより激しい。特に万次郎岳からのガレ場はなかなか急坂で降りるのに一苦労だ。ここらへんからは晴れていれば富士山が見える筈だが、ガスで見られなかった。これは残念。その後、馬の背というポイントを超えると、馬酔木のトンネルがあり、そこを抜けるとしばらく平坦な道が続く。ただし、万三郎岳の頂上に至るには、結構、厳しい上りがある。そこを越えると万三郎岳。展望はないという前情報があったが、それほど悪くはない。しかし、登頂したという達成感はあまりなかった。時間は10時30分。
(万三郎岳の標高は1406メートル)
ちょっと休んでから、天城峠へと進む。ここからはずっと下り坂なのだが、途中、小岳を登るところと向峠を越えるところは上り坂であり、これがなかなか急であった。とはいえ、全般的にはなだらかで美しいブナ林の中を、鳥のさえずりを聞きながら歩いて行くのは気持ちがよい。天気も晴れてきた。しかし、残念ながらシャクナゲはまだ季節が早く、つぼみ状態であった。13時頃には八丁池に到着。八丁池は池の周囲が八丁(約870メートル)あることからつけられた名前らしいが、実際は5.1丁しかないそうだ。なかなか静かで、いかにも平和な感じのする池である。八丁池は舗装道路でもアプローチできるらしく、自転車で来ている人達も結構いた。ここで、我々はカップヌードルを食べて、昼ご飯を済ます。この八丁池にはとても清潔で管理がされているトイレもあって大変、便利である。また、そのトイレのそばから200メートルほど行くと見晴台があり、そこからは360度の展望が得られる。天気は晴れていたが、霞で富士山は見られなかった。それでも大景観を望み、気持ちのよい気分になる。
(森林浴は十分、満喫できる)
(八丁池)
(八丁池を望みながら下山していく)
さて、そこから天城峠、そしてバス停である天城峠バス停までは楽勝だろうと思っていたら、全然、楽勝ではなかった。というのは、下り坂が相当、厳しいことが分かったからである。それまで15キロ以上は歩いていた私の膝は結構、疲れていたらしく、この最後の下り坂で結構、やられてしまい、バス停まではほとんどビッコを引いてどうやらたどり着くような状況になってしまった。
しかし、予定していた15時30分頃のバスにはどうにか間に合い、途中、天城湯ヶ島に降り、地元のおばさんが勧めてくれた世古温泉の共同浴場に入る。地元のおじさんに、観光客に使われると迷惑なんだよな、と嫌味を言われるのを聞き流しつつ、いや、しかし、ここはいい温泉だなとこちらは気分をよくして、また登山の疲れを流し落とす。その後、バスで修善寺駅に行き、修善寺から三島広小路駅まで伊豆箱根駿豆線で行き、せっかく三島に来たので、三島の鰻を食べようと桜家に行き、鰻を満喫した後、三島駅から新幹線で家に戻る。
(桜家の鰻重)
富士山とシャクナゲが見られなかったのは残念だったが、なかなかの登山であった。しかし、足が脆弱である。鍛えなくては。
秋晴れの日に武尊山に登る。 [日本百名山]
武尊山に登る。武尊山の登頂ルートは幾つかある。有名なのは裏見の滝コースと呼ばれる北側から責めるコースである。私のガイドブックもそれを勧めていた。他にも、南側からは、困難な朝日小屋コースや川場スキー場コース、川場野営場コース、武尊スキー場コース、武尊牧場コースなどがある。我々は、裏見の滝コースで行こうと、谷川温泉に前泊したのだが、私が登山日の二日前に足を痛めてしまった。裏見の滝コースは長い鎖場があって結構、アップダウンも激しい。これは、登頂できないと考え、武尊牧場コースで行くことにする。ここは、武尊牧場スキー場を起点とするコースで、10月6日までは週末はリフトで駐車場から武尊牧場スキー場のてっぺんまで行けたのだが、現在は代わりにシャトルバスでスキー場のてっぺんまで運んでくれる。前日に電話予約をして7時のシャトルバスに乗ることにする。
谷川温泉の宿を6時に出て、余裕で間に合うかと思ったら、武尊牧場スキー場の駐車場に到着したのはぎりぎりの7時。沼田インターチェンジから結構、時間がかかった。さて、このシャトルバスは往復で1000円はかかるが、標高で400メートル、時間でも1時間以上は稼ぐことができた。何より足を痛めている私にとっては、足への負担を軽減できるのが何よりも嬉しい。
武尊牧場スキー場のてっぺんは標高1480メートル。これは裏見の滝コースの1190メートル、武尊スキー場の1200メートル、川場スキー場の1130メートルよりもずっと高い。この差は大きいであろう。さて、武尊牧場スキー場コースは片品武尊牧場キャンプ場の隣にあるブナ林を歩いて行く。ブナの森と木漏れ日が目に優しい。天気は雲一つない晴天。すばらしい撮影日和でもあったのだが、私がどじにもコンパクト・フラッシュを入れ忘れ、私の一眼レフはただの重しにしかならなかった。何たるドジ。それはともかく、トレイルはしばらく平坦で楽な道が続く。出発してから1時間ほど経った8時30分頃、武尊避難小屋に着く。寂れた感じの小屋である。ここで一休憩入れてまた出発。それまでほとんど平坦に近かった道は徐々に坂道になっていく。しかし、大した難所もなく、尾根道であるために両側の山々が展望できて、非常に清々しい気分で歩いていく。左方向には皇海山、そして奥白根が、また右方向には至仏山、笠ヶ岳がみえる。とても雄大な光景が量が湾広がるのは、晴れた日の尾根歩きの素晴らしさだ。
さて、避難小屋から1時間ほど歩くと、展望がさらに広がるが、その目の前には絶壁ともいうべき急坂が行く手に現れる。ここで二回目の休憩を入れ、ストックをしまい、代わりに軍手をする。ここから鎖場が続くからだ。鎖場は、直角といいたいほどの絶壁で、足がなかなか引っかからないので苦労する。しかも、岩はもう氷が張っていたりする。そのような岩は、滑ってしまい、まったく足の踏み場としては使えない。鎖も足が入るような大きなものではなく、むしろ瘤が等間隔でつくられている紐の方が重宝する。何しろ、しっかりと三点確保を意識して登っていく。どうにか登り切ったあとは、背中にびっしりと汗をかいていた。随分と体力を使ったようだ。さて、この難所を越えると、あとは武尊山の頂上までは30分弱。この30分は結構、急坂であり、結構、疲れもしたが、何しろ素晴らしい天気と素晴らしい展望に疲れも吹き飛ぶ。10時30分には無事、登頂する。山頂からは東西南北、まさに360度の展望が得られる。登った苦労が報われる。
山頂では1時間ほど過ごす。カップヌードル、コンビニで朝、購入したおにぎり、バナナ、ソーセージを食べたらすっかり満腹になった。帰りはストックで快調に降りていく。例の鎖場は、意外と登りよりは難しくなく降りることができた。10月中旬だが、もう霜柱は立って、また氷が岩に張っているなど、そういう点では地面がぐしゃぐしゃとして歩きにくかった。靴が泥まみれになるのは避けがたい。しかし、コースは再三述べていたように尾根道が中心で大変、展望がよく、秋の素晴らしい登山を楽しむことができた。
武尊山は標高2,000m以上では唯一、国立、国定、県立のあらゆる自然公園に含まれていない山岳であるが、山自体が素晴らしいだけでなく、何よりそこからの展望は天下の絶景と言っても過言ではないものではないかと思われる。
(鎖場の手前から中之岳を望む)
(鎖場の手前から奥白根、皇海山を望む)
(尾瀬方面。素晴らしい紅葉)
(武尊山頂から西を望む)
(山頂まであと少し)
(鎖場は相当、急な岩肌を登って行かなくてはならない)
(素晴らしい紅葉)
谷川温泉の宿を6時に出て、余裕で間に合うかと思ったら、武尊牧場スキー場の駐車場に到着したのはぎりぎりの7時。沼田インターチェンジから結構、時間がかかった。さて、このシャトルバスは往復で1000円はかかるが、標高で400メートル、時間でも1時間以上は稼ぐことができた。何より足を痛めている私にとっては、足への負担を軽減できるのが何よりも嬉しい。
武尊牧場スキー場のてっぺんは標高1480メートル。これは裏見の滝コースの1190メートル、武尊スキー場の1200メートル、川場スキー場の1130メートルよりもずっと高い。この差は大きいであろう。さて、武尊牧場スキー場コースは片品武尊牧場キャンプ場の隣にあるブナ林を歩いて行く。ブナの森と木漏れ日が目に優しい。天気は雲一つない晴天。すばらしい撮影日和でもあったのだが、私がどじにもコンパクト・フラッシュを入れ忘れ、私の一眼レフはただの重しにしかならなかった。何たるドジ。それはともかく、トレイルはしばらく平坦で楽な道が続く。出発してから1時間ほど経った8時30分頃、武尊避難小屋に着く。寂れた感じの小屋である。ここで一休憩入れてまた出発。それまでほとんど平坦に近かった道は徐々に坂道になっていく。しかし、大した難所もなく、尾根道であるために両側の山々が展望できて、非常に清々しい気分で歩いていく。左方向には皇海山、そして奥白根が、また右方向には至仏山、笠ヶ岳がみえる。とても雄大な光景が量が湾広がるのは、晴れた日の尾根歩きの素晴らしさだ。
さて、避難小屋から1時間ほど歩くと、展望がさらに広がるが、その目の前には絶壁ともいうべき急坂が行く手に現れる。ここで二回目の休憩を入れ、ストックをしまい、代わりに軍手をする。ここから鎖場が続くからだ。鎖場は、直角といいたいほどの絶壁で、足がなかなか引っかからないので苦労する。しかも、岩はもう氷が張っていたりする。そのような岩は、滑ってしまい、まったく足の踏み場としては使えない。鎖も足が入るような大きなものではなく、むしろ瘤が等間隔でつくられている紐の方が重宝する。何しろ、しっかりと三点確保を意識して登っていく。どうにか登り切ったあとは、背中にびっしりと汗をかいていた。随分と体力を使ったようだ。さて、この難所を越えると、あとは武尊山の頂上までは30分弱。この30分は結構、急坂であり、結構、疲れもしたが、何しろ素晴らしい天気と素晴らしい展望に疲れも吹き飛ぶ。10時30分には無事、登頂する。山頂からは東西南北、まさに360度の展望が得られる。登った苦労が報われる。
山頂では1時間ほど過ごす。カップヌードル、コンビニで朝、購入したおにぎり、バナナ、ソーセージを食べたらすっかり満腹になった。帰りはストックで快調に降りていく。例の鎖場は、意外と登りよりは難しくなく降りることができた。10月中旬だが、もう霜柱は立って、また氷が岩に張っているなど、そういう点では地面がぐしゃぐしゃとして歩きにくかった。靴が泥まみれになるのは避けがたい。しかし、コースは再三述べていたように尾根道が中心で大変、展望がよく、秋の素晴らしい登山を楽しむことができた。
武尊山は標高2,000m以上では唯一、国立、国定、県立のあらゆる自然公園に含まれていない山岳であるが、山自体が素晴らしいだけでなく、何よりそこからの展望は天下の絶景と言っても過言ではないものではないかと思われる。
(鎖場の手前から中之岳を望む)
(鎖場の手前から奥白根、皇海山を望む)
(尾瀬方面。素晴らしい紅葉)
(武尊山頂から西を望む)
(山頂まであと少し)
(鎖場は相当、急な岩肌を登って行かなくてはならない)
(素晴らしい紅葉)
タグ:武尊山
剣山 [日本百名山]
徳島県にある百名山剣山に登る。標高1955メートル。西日本では石鎚山に次いで二番目に高い山である。
前泊地は美馬市の穴吹にある旅館。そこで7時に朝食と取り、7時30分頃出発。穴吹川に沿っていく492号ルートと、貞光川に沿っていく438ルートがある。どちらかで悩むが、492号ルートは土砂崩れで全面通行止めであることを出発してから知る。選択肢はない。ということで貞光川ルートで行くことにする。距離的には35キロぐらいと、そんなにない筈なのだが、何しろすごいくねくね道であるのと、道が狭いので時間はかかった。運転も辛い。しかし、このアクセスの悪さは魅力である。アクセスが悪ければ悪いほど、秘境に来ているという有り難みが増す。
さて、どうにか剣山のリフト乗り場に着いたのは9時30分頃であった。月曜日ということもあり、ほとんど登山客はいない。リフト乗り場から登ろうかと思ったが、家族と一緒なので大事を取って、上りはリフトに乗る。リフトは片道1030円となかなかの料金。ただし、これで標高330メートルが稼げる。時間的にも40分は節約できるであろう。
(リフト乗り場)
リフトはおよそ15分間で、西島駅という終点に着く。ここから、剣山ヒュッテまでは3つのルートがあるが、我々は尾根道コースというのを取る。これは階段上になっており、大変歩きやすい。ただ、きつい。日本の山は本当に急峻で登るのが大変だが、それは、この剣山という最も簡単に登れる100名山といわれる山でも例外ではないと思う。また、多くの花々が登山道を彩る。これは、なかなか素晴らしいと感心する。人気があるのも納得できる。
(リフトからの光景)
(多くの花が登山道を彩る)
とはいえ、40分程度でヒュッテに着く。ヒュッテは、もうほとんど山頂であり、クマザサに覆われた広大な平坦な草原である。これはちょっと面白い光景である。山頂からの眺めは素晴らしいということだったが、生憎、雲が西側を覆っていたために、それほど感動的な展望は得られなかった。とはいえ、雨が降るかもしれないと予報されていたので、とりあえず雨に降られずに登れたことだけで十分感謝しないと罰が当たる。
なぜ、頂上には木が生えていないのか。標高のせいか風のせいかは不明だが、この頂上が草原であるというのが、この山を優美でたおやかなものにしていると思われる。これが剣山の大きな魅力なのではないだろうか。
(頂上からの展望)
さて、雨雲が近づいているようにも思えたので、そそくさと下山する。下山は尾根ルートでない大剣神社コースを取ったが、これは尾根ルートほど展望も開けず、またワイルドフラワーもそれほど多くなく、さらには足下が尾根道コースほどしっかりとしていなかった。ただし、大剣神社からの展望はなかなかのものである。これを見るだけでも、行き帰りのどちらかで大剣神社コースを取るべきであろうと考える。また、このコースは、ワイルドフラワーは多くはないが、鳥のさえずりが多く聞こえる。これは、これで魅力的である。
(大剣神社からの展望)
帰りは、リフトに乗らず、一挙に見ノ越の駐車場まで降りる。途中、リフトと並走するようになるが、リフトの放送が耳に付く。これは興醒めだ。
駐車場に着いたのは12時。ほぼ2時間30分の行程である。途中、ヒュッテでコーヒーと草餅を食べたことなどを考えると、リフトに乗らなくても3時間もかからずに往復できるのではないだろうか。
さて、総じての感想であるが、難易度は高尾山にプラスアルファというぐらいのもので、子供でも頑張れば登れる百名山であるとは思う。今回、私は山頂からの素晴らしい展望というのを見ることはできなかったが、それでも十分、楽しめたし、何しろ空気が美味しいこともありリフレッシュできた。
アクセスが悪いのが課題だとされているようだが、私は、むしろこの程度、アクセスを悪くしておき、その原生的な魅力、秘境的な魅力を将来においても保持してもらいたいと思ったりもした。
(尾根ルートから北側、土砂崩れで道路が全面通行止めとなっているところを望む)
(山頂付近から北側を望む)
前泊地は美馬市の穴吹にある旅館。そこで7時に朝食と取り、7時30分頃出発。穴吹川に沿っていく492号ルートと、貞光川に沿っていく438ルートがある。どちらかで悩むが、492号ルートは土砂崩れで全面通行止めであることを出発してから知る。選択肢はない。ということで貞光川ルートで行くことにする。距離的には35キロぐらいと、そんなにない筈なのだが、何しろすごいくねくね道であるのと、道が狭いので時間はかかった。運転も辛い。しかし、このアクセスの悪さは魅力である。アクセスが悪ければ悪いほど、秘境に来ているという有り難みが増す。
さて、どうにか剣山のリフト乗り場に着いたのは9時30分頃であった。月曜日ということもあり、ほとんど登山客はいない。リフト乗り場から登ろうかと思ったが、家族と一緒なので大事を取って、上りはリフトに乗る。リフトは片道1030円となかなかの料金。ただし、これで標高330メートルが稼げる。時間的にも40分は節約できるであろう。
(リフト乗り場)
リフトはおよそ15分間で、西島駅という終点に着く。ここから、剣山ヒュッテまでは3つのルートがあるが、我々は尾根道コースというのを取る。これは階段上になっており、大変歩きやすい。ただ、きつい。日本の山は本当に急峻で登るのが大変だが、それは、この剣山という最も簡単に登れる100名山といわれる山でも例外ではないと思う。また、多くの花々が登山道を彩る。これは、なかなか素晴らしいと感心する。人気があるのも納得できる。
(リフトからの光景)
(多くの花が登山道を彩る)
とはいえ、40分程度でヒュッテに着く。ヒュッテは、もうほとんど山頂であり、クマザサに覆われた広大な平坦な草原である。これはちょっと面白い光景である。山頂からの眺めは素晴らしいということだったが、生憎、雲が西側を覆っていたために、それほど感動的な展望は得られなかった。とはいえ、雨が降るかもしれないと予報されていたので、とりあえず雨に降られずに登れたことだけで十分感謝しないと罰が当たる。
なぜ、頂上には木が生えていないのか。標高のせいか風のせいかは不明だが、この頂上が草原であるというのが、この山を優美でたおやかなものにしていると思われる。これが剣山の大きな魅力なのではないだろうか。
(頂上からの展望)
さて、雨雲が近づいているようにも思えたので、そそくさと下山する。下山は尾根ルートでない大剣神社コースを取ったが、これは尾根ルートほど展望も開けず、またワイルドフラワーもそれほど多くなく、さらには足下が尾根道コースほどしっかりとしていなかった。ただし、大剣神社からの展望はなかなかのものである。これを見るだけでも、行き帰りのどちらかで大剣神社コースを取るべきであろうと考える。また、このコースは、ワイルドフラワーは多くはないが、鳥のさえずりが多く聞こえる。これは、これで魅力的である。
(大剣神社からの展望)
帰りは、リフトに乗らず、一挙に見ノ越の駐車場まで降りる。途中、リフトと並走するようになるが、リフトの放送が耳に付く。これは興醒めだ。
駐車場に着いたのは12時。ほぼ2時間30分の行程である。途中、ヒュッテでコーヒーと草餅を食べたことなどを考えると、リフトに乗らなくても3時間もかからずに往復できるのではないだろうか。
さて、総じての感想であるが、難易度は高尾山にプラスアルファというぐらいのもので、子供でも頑張れば登れる百名山であるとは思う。今回、私は山頂からの素晴らしい展望というのを見ることはできなかったが、それでも十分、楽しめたし、何しろ空気が美味しいこともありリフレッシュできた。
アクセスが悪いのが課題だとされているようだが、私は、むしろこの程度、アクセスを悪くしておき、その原生的な魅力、秘境的な魅力を将来においても保持してもらいたいと思ったりもした。
(尾根ルートから北側、土砂崩れで道路が全面通行止めとなっているところを望む)
(山頂付近から北側を望む)
立山 [日本百名山]
百名山を踏破するという密かな目標を持っている私。今回は立山にチャレンジした。標高2400メートルあるバス・ターミナルの室堂周辺に本来であれば宿泊したかったのだが、満室でできず、仕方がないので富山側の拠点である立山駅周辺にある立山館というホテルに宿泊した。立山駅に東京から鉄道で行くなら、上越新幹線利用のルートがもっとも速いのであるが、高山病対策のために、敢えて初日も立山黒部アルペンルートで信濃大町から立山まで向かった。時間的にも料金的にも条件的には悪いのだが、昨年、チベットにいった時、高山病でひどい目にあったので、少しでも最悪の事態を回避するためにちょっとでも高さに身体を慣らしておきたいと考えたからである。
さて、立山を訪れるのは初めてである。立山黒部アルペンルートは、信濃大町駅からバスに乗り、扇沢まで行き、そこでトロリー・バスに乗り換え黒部ダムまで行き、そこからはケーブル・カー、ロープウェイ、またトロリー・バスに乗ることでようやく室堂にまで着く。この乗り換えはすこぶる面倒くさいが、子供とかは楽しいかもしれない。さて、室堂では晴天に恵まれたので、素晴らしく雄大な展望を鑑賞することができた。その雄大さは北海道でも体感できなかったものだ。一緒に行ったゼミの卒業生のお嫁さんが、「まるで日本じゃないみたい」と述べたが、私も同意である。これは、スイス・アルプスにも匹敵する美しさだ。高山病対策で来たが、美しい夕日が沈む光景も見ることができ、なかなかよい遠回りであった。
室堂での滞在時間はチェックインの時間もあり、15分もなかった。その後、バスで1時間弱揺られ、ケーブル・カーに再び乗って立山駅に着く。18時ちょっと過ぎだ。宿泊したホテルは立山館というところで、駅のすぐそば。そこで泊まり、朝5時30分にはチャックアウト。ウェブで予約をしていた6時の始発のケーブル・カーに乗って再び室堂に向かう。ケーブル・カーに10分弱乗って、バスに乗る。既に日は昇り、朝焼けの中、美しい森林の中をバスはゆっくりと登っていく。途中、落差が日本一という称名滝が展望できるところではバスは停車までしてくれた。さて、室堂の登山口に着いたのは7時ちょっと過ぎ。
(朝焼けの中、立山駅を発つ)
ロッカーに着替えなどの荷物を預け、玉殿の湧水にて飲料水を汲んで、登山開始である。立山は、雄山(標高3003m)、大汝山(標高3015m)、富士ノ折立(標高2999m)の3つの峰の総称である。立山登山というと、雄山に登ることを指すという指摘もあるので、とりあえず雄山を登る。雄山までは、一の越とよばれる中間点までは、歩道も広く、しっかりとした石畳のようになっており、ハイキング気分で登れて快適だ。右側に秀麗な浄土山を望みながら、雪渓を越えて、一ノ越に着く。ここには、山小屋までもある。この標高は2700メートル。さて、ここから雄山までは仰ぐような急坂である。ほとんど階段を上るようだ。標高差は300メートルではあるが、東京タワーを階段で上がるぐらいの負荷はかかる。また、連休の中日であったこともあり、まるでラッシュアワーのように人が登っていく。幸い、時間が早いこともあって、下りてくる人が少なかったのだが、下りてくる人が多かったら登る時間はずっとかかったであろう。一ノ越経由で室堂から雄山に着いたのはほぼ2時間30分後。9時頃であった。雄山には頂上に雄山神社が鎮座している。ここを参拝するのには500円必要だ。これはお祓い代が含まれているのだが、なんせ立山登山は狭義では雄山登山であり、登頂するにはてっぺんまで行かなくてはどうも据わりが悪いし、ということで雄山神社まで行く。ここからの展望は絶景だ。天気がよかったこともあり、薬師岳はもちろんのこと、槍ヶ岳、白山が綺麗にみえる。剣岳も目の前だ。富士山も見えるとのことだが、これは私はよく確認することはできなかった。
(玉殿の湧水にて飲料水を汲んで出発)
(室堂の高原景観)
(一ノ越に行く途中に出てくる雪渓。しかし、9月だとほとんど溶けているので歩行には問題なし)
(一ノ越からの展望。槍ヶ岳がばっちりと見える)
(雄山神社)
(雄山から室堂を望む)
さて、体力的にもまだまだ余裕なので、大汝山、そして富士ノ折立に向かう。この三山を結ぶルートはほぼ平らであり、難しくはない。30分もしないで大汝山に着く。大汝山には休憩所もあったりして、昼食をとるのには絶好の場所であったが、まだ10時ちょっと過ぎぐらい。したがって、富士ノ折立に進む。富士ノ折立も30分もしないで着く。富士ノ折立では、お湯を沸かしてカップ・ヌードルを食べる。同行した者が、携帯用トースターのようなものを持ってきたので、クロックムッシュも食べる。これは、なかなかグッドだ。そして、ドトールのドリップ式のコーヒーも飲む。いやあ、山の上で食べる食事は美味しい。特にドトールのドリップ式のコーヒーはよい。さて、満腹になったし、時間も12時になったので、下山を開始する。ここは、大走りコースを選ぶ。
(雄山から大汝山、そして剣岳を望む)
(大汝山から富士ノ折立、そして剣岳を望む)
(富士ノ折立)
大走りコースまでの分岐点。相当、急な岩坂を下りなくてはならない。岩はごろごろしていて、しかも大きい。また、結構の大きさでも浮き石であったりする場合もあるので油断は大敵である。右側には雪渓とカール地形が展開する。内蔵助カールである。カールとは氷河の浸食作用によってできた広い椀状の谷であるが、あたかもアイスクリームをスプーンで掬った後のような地形がなんとも柔らかく女性的である。モダニズムではなく、ガウディ的な艶やかさを覚える。
(富士ノ折立から急坂を下りる)
(東側には内蔵助カールが広がる)
(大走りコースの分岐点までは、なかなかの急坂)
さて、大走りコースは一気に雷鳥沢まで下るコースだ。砂利道の下りが結構、厳しい。私はストックを二本持っていたので、膝への負担もたいしたことがなかったが杖なしでは膝に相当くるであろう。斜度はたいしたことはないのだが、距離が長いということ、また岩は浮き石が多くて神経を尖らせなくてはならないからだ。しかし、この大走りコース。エスケープ・ルートとして紹介されたりしていて、あくまでもサブ的な位置づけをされているが、いやあ、立山の山々に囲まれて歩くこのコースは絶景の連続であり、サブ・コースとして位置づけるにはもったいないような素晴らしいルートであると思われる。
(大走りコースのごろ岩だらけの坂。浮き石に要注意だ)
この大走りコースでは、分岐点から2時間も経たずして雷鳥沢に着く。雷鳥沢はキャンプ場であり、ここにはトイレなども併設されている。このキャンプ場、立山の麓という絶好のロケーションにあり、私が日本でみたキャンプ場の中でももっとも魅力溢れるところであった。こんなところだったら、是非とも、キャンプをしてみたいものだ。さて、しかし、この雷鳥沢から室堂ターミナルは結構の距離がある。地獄谷の強烈なガス臭の中、雷鳥沢から室堂ターミナルへと向かう。最終一本前のバスには、ダッシュをすれば乗れたかもしれないが、みくりが池で記念写真を撮影する方が重要だろうと思い、みくりが池とそこから展望できる立山の山容を十分に堪能する。結局、雷鳥沢から室堂までは45分ほどかかった。
(雷鳥沢のそば)
(みくりが池から立山の峰々を望む)
室堂からは、とりあえず来たものを乗り継いで扇沢に向かった。しかし、扇沢と大町間は、臨時バスは運行されておらず、結局、最終バスに乗らなくてはならない状況になった。そこでタクシー乗車を検討する。バスの料金は1300円ちょっと。タクシーは6200円だ。4人で乗れば、それほどの金額差はないということで、タクシーに乗って信濃大町へと向かった。一人あたり250円余計に払うことで、列車は最終の一本前で新宿に帰ることができた。新宿駅に到着したのは10時ちょっと過ぎ。最終の特急で帰ると10時30分ぐらいだったのでタクシーで帰ったのは大正解であった。
ということで、1泊2日で非常にゴージャスな山登りができた。日本には、大雪山とか知床、利尻島、八甲田、大山、阿蘇山、屋久島など美しい場所が多いとは思うが、立山はこれまで訪れたどこにも勝るとも劣らない美しい土地であった。何で今までこなかったのか、と不思議に思わせるほど素晴らしい場所であり、感動した。百名山にトライしようというドン・キホーテ的な発想がなければ、もしかしたら一生、ここを訪れることがなかったかもしれない。そう思うと、百名山を踏破する目的というのは、意外といい人生の目的かもしれないと思ったりする。
備忘録的に、これまでの百名山の挑戦を記すことを許してください。
2013.09:立山
2013.06:赤城山
2012.10:雲鳥山
2012.05:石鎚山
2011.10:甲斐駒ヶ岳(未達)
2011.06:大菩薩峠
2011.06:金峰山(未達というか積雪のため断念)
2011.06:瑞牆山
これ以外にも蓼科山や妙高山などは勝手に登っていたりするのだが、基本的には、百名山に挑戦しようと決意した2011年3月を起点として踏破を目指したいと考えている。
さて、立山を訪れるのは初めてである。立山黒部アルペンルートは、信濃大町駅からバスに乗り、扇沢まで行き、そこでトロリー・バスに乗り換え黒部ダムまで行き、そこからはケーブル・カー、ロープウェイ、またトロリー・バスに乗ることでようやく室堂にまで着く。この乗り換えはすこぶる面倒くさいが、子供とかは楽しいかもしれない。さて、室堂では晴天に恵まれたので、素晴らしく雄大な展望を鑑賞することができた。その雄大さは北海道でも体感できなかったものだ。一緒に行ったゼミの卒業生のお嫁さんが、「まるで日本じゃないみたい」と述べたが、私も同意である。これは、スイス・アルプスにも匹敵する美しさだ。高山病対策で来たが、美しい夕日が沈む光景も見ることができ、なかなかよい遠回りであった。
室堂での滞在時間はチェックインの時間もあり、15分もなかった。その後、バスで1時間弱揺られ、ケーブル・カーに再び乗って立山駅に着く。18時ちょっと過ぎだ。宿泊したホテルは立山館というところで、駅のすぐそば。そこで泊まり、朝5時30分にはチャックアウト。ウェブで予約をしていた6時の始発のケーブル・カーに乗って再び室堂に向かう。ケーブル・カーに10分弱乗って、バスに乗る。既に日は昇り、朝焼けの中、美しい森林の中をバスはゆっくりと登っていく。途中、落差が日本一という称名滝が展望できるところではバスは停車までしてくれた。さて、室堂の登山口に着いたのは7時ちょっと過ぎ。
(朝焼けの中、立山駅を発つ)
ロッカーに着替えなどの荷物を預け、玉殿の湧水にて飲料水を汲んで、登山開始である。立山は、雄山(標高3003m)、大汝山(標高3015m)、富士ノ折立(標高2999m)の3つの峰の総称である。立山登山というと、雄山に登ることを指すという指摘もあるので、とりあえず雄山を登る。雄山までは、一の越とよばれる中間点までは、歩道も広く、しっかりとした石畳のようになっており、ハイキング気分で登れて快適だ。右側に秀麗な浄土山を望みながら、雪渓を越えて、一ノ越に着く。ここには、山小屋までもある。この標高は2700メートル。さて、ここから雄山までは仰ぐような急坂である。ほとんど階段を上るようだ。標高差は300メートルではあるが、東京タワーを階段で上がるぐらいの負荷はかかる。また、連休の中日であったこともあり、まるでラッシュアワーのように人が登っていく。幸い、時間が早いこともあって、下りてくる人が少なかったのだが、下りてくる人が多かったら登る時間はずっとかかったであろう。一ノ越経由で室堂から雄山に着いたのはほぼ2時間30分後。9時頃であった。雄山には頂上に雄山神社が鎮座している。ここを参拝するのには500円必要だ。これはお祓い代が含まれているのだが、なんせ立山登山は狭義では雄山登山であり、登頂するにはてっぺんまで行かなくてはどうも据わりが悪いし、ということで雄山神社まで行く。ここからの展望は絶景だ。天気がよかったこともあり、薬師岳はもちろんのこと、槍ヶ岳、白山が綺麗にみえる。剣岳も目の前だ。富士山も見えるとのことだが、これは私はよく確認することはできなかった。
(玉殿の湧水にて飲料水を汲んで出発)
(室堂の高原景観)
(一ノ越に行く途中に出てくる雪渓。しかし、9月だとほとんど溶けているので歩行には問題なし)
(一ノ越からの展望。槍ヶ岳がばっちりと見える)
(雄山神社)
(雄山から室堂を望む)
さて、体力的にもまだまだ余裕なので、大汝山、そして富士ノ折立に向かう。この三山を結ぶルートはほぼ平らであり、難しくはない。30分もしないで大汝山に着く。大汝山には休憩所もあったりして、昼食をとるのには絶好の場所であったが、まだ10時ちょっと過ぎぐらい。したがって、富士ノ折立に進む。富士ノ折立も30分もしないで着く。富士ノ折立では、お湯を沸かしてカップ・ヌードルを食べる。同行した者が、携帯用トースターのようなものを持ってきたので、クロックムッシュも食べる。これは、なかなかグッドだ。そして、ドトールのドリップ式のコーヒーも飲む。いやあ、山の上で食べる食事は美味しい。特にドトールのドリップ式のコーヒーはよい。さて、満腹になったし、時間も12時になったので、下山を開始する。ここは、大走りコースを選ぶ。
(雄山から大汝山、そして剣岳を望む)
(大汝山から富士ノ折立、そして剣岳を望む)
(富士ノ折立)
大走りコースまでの分岐点。相当、急な岩坂を下りなくてはならない。岩はごろごろしていて、しかも大きい。また、結構の大きさでも浮き石であったりする場合もあるので油断は大敵である。右側には雪渓とカール地形が展開する。内蔵助カールである。カールとは氷河の浸食作用によってできた広い椀状の谷であるが、あたかもアイスクリームをスプーンで掬った後のような地形がなんとも柔らかく女性的である。モダニズムではなく、ガウディ的な艶やかさを覚える。
(富士ノ折立から急坂を下りる)
(東側には内蔵助カールが広がる)
(大走りコースの分岐点までは、なかなかの急坂)
さて、大走りコースは一気に雷鳥沢まで下るコースだ。砂利道の下りが結構、厳しい。私はストックを二本持っていたので、膝への負担もたいしたことがなかったが杖なしでは膝に相当くるであろう。斜度はたいしたことはないのだが、距離が長いということ、また岩は浮き石が多くて神経を尖らせなくてはならないからだ。しかし、この大走りコース。エスケープ・ルートとして紹介されたりしていて、あくまでもサブ的な位置づけをされているが、いやあ、立山の山々に囲まれて歩くこのコースは絶景の連続であり、サブ・コースとして位置づけるにはもったいないような素晴らしいルートであると思われる。
(大走りコースのごろ岩だらけの坂。浮き石に要注意だ)
この大走りコースでは、分岐点から2時間も経たずして雷鳥沢に着く。雷鳥沢はキャンプ場であり、ここにはトイレなども併設されている。このキャンプ場、立山の麓という絶好のロケーションにあり、私が日本でみたキャンプ場の中でももっとも魅力溢れるところであった。こんなところだったら、是非とも、キャンプをしてみたいものだ。さて、しかし、この雷鳥沢から室堂ターミナルは結構の距離がある。地獄谷の強烈なガス臭の中、雷鳥沢から室堂ターミナルへと向かう。最終一本前のバスには、ダッシュをすれば乗れたかもしれないが、みくりが池で記念写真を撮影する方が重要だろうと思い、みくりが池とそこから展望できる立山の山容を十分に堪能する。結局、雷鳥沢から室堂までは45分ほどかかった。
(雷鳥沢のそば)
(みくりが池から立山の峰々を望む)
室堂からは、とりあえず来たものを乗り継いで扇沢に向かった。しかし、扇沢と大町間は、臨時バスは運行されておらず、結局、最終バスに乗らなくてはならない状況になった。そこでタクシー乗車を検討する。バスの料金は1300円ちょっと。タクシーは6200円だ。4人で乗れば、それほどの金額差はないということで、タクシーに乗って信濃大町へと向かった。一人あたり250円余計に払うことで、列車は最終の一本前で新宿に帰ることができた。新宿駅に到着したのは10時ちょっと過ぎ。最終の特急で帰ると10時30分ぐらいだったのでタクシーで帰ったのは大正解であった。
ということで、1泊2日で非常にゴージャスな山登りができた。日本には、大雪山とか知床、利尻島、八甲田、大山、阿蘇山、屋久島など美しい場所が多いとは思うが、立山はこれまで訪れたどこにも勝るとも劣らない美しい土地であった。何で今までこなかったのか、と不思議に思わせるほど素晴らしい場所であり、感動した。百名山にトライしようというドン・キホーテ的な発想がなければ、もしかしたら一生、ここを訪れることがなかったかもしれない。そう思うと、百名山を踏破する目的というのは、意外といい人生の目的かもしれないと思ったりする。
備忘録的に、これまでの百名山の挑戦を記すことを許してください。
2013.09:立山
2013.06:赤城山
2012.10:雲鳥山
2012.05:石鎚山
2011.10:甲斐駒ヶ岳(未達)
2011.06:大菩薩峠
2011.06:金峰山(未達というか積雪のため断念)
2011.06:瑞牆山
これ以外にも蓼科山や妙高山などは勝手に登っていたりするのだが、基本的には、百名山に挑戦しようと決意した2011年3月を起点として踏破を目指したいと考えている。
赤城山 [日本百名山]
赤城山に登る。東京を朝の7時前に出発。関越道を北上し、前橋インターで下り、ワインディング・ロードをがしがし上っていき、赤城山ビジターセンターに着いたのが11時ちょっと前。そこで駐車をして、登山マップの通り、登ろうと考えたのだが、それだと車道を20分くらい歩く。雲行きがあまりよくないので、早めに登った方が賢明かと思い、駒ヶ岳ルートを上ることとする。このルートは結構、急だが階段などがあったので、それほど苦ではなかった。急ではあるが、足下はしっかりしている。
(山ツツジ)
しばらく歩くと駒ヶ岳に着く。駒ヶ岳は標高1685メートル。頂上はガスがかかっており、展望はほとんど得られず。めげずに尾根伝いに黒檜山を目指す。山ツツジの花が美しい。黒檜山へのルートもそれほど大変ではなく、登り始めてから2時間ちょっとで登頂する。ここもガスがかかっており、展望は得られず。ちょっと残念ではあるが、初夏の山の緑の美しさを堪能する。
(黒檜山の頂上)
さて、そこから大沼湖畔にある黒檜山の登山口まで下山したのだが、これはほとんどずっと岩場であり、大変急であり、いい登山道であるとはまったく思えなかった。これであれば、下りも駒ヶ岳ルートで戻ればよかったぐらいである。下りであるが、岩場なので、ほとんど時間を稼ぐこともできず、行きと結局、同じぐらいの時間がかかってしまった。よほど岩好きでなければ、このルートを取る必要はないのではないかと思った。
その後、ビジターセンターのそばにある覚満淵を一周する。この覚満淵は、「小尾瀬」と呼ばれるような美しい湿原である。
(覚満淵)
帰りには富士見温泉に寄り、前橋の安い焼肉屋に入り、帰京する。
(山ツツジ)
しばらく歩くと駒ヶ岳に着く。駒ヶ岳は標高1685メートル。頂上はガスがかかっており、展望はほとんど得られず。めげずに尾根伝いに黒檜山を目指す。山ツツジの花が美しい。黒檜山へのルートもそれほど大変ではなく、登り始めてから2時間ちょっとで登頂する。ここもガスがかかっており、展望は得られず。ちょっと残念ではあるが、初夏の山の緑の美しさを堪能する。
(黒檜山の頂上)
さて、そこから大沼湖畔にある黒檜山の登山口まで下山したのだが、これはほとんどずっと岩場であり、大変急であり、いい登山道であるとはまったく思えなかった。これであれば、下りも駒ヶ岳ルートで戻ればよかったぐらいである。下りであるが、岩場なので、ほとんど時間を稼ぐこともできず、行きと結局、同じぐらいの時間がかかってしまった。よほど岩好きでなければ、このルートを取る必要はないのではないかと思った。
その後、ビジターセンターのそばにある覚満淵を一周する。この覚満淵は、「小尾瀬」と呼ばれるような美しい湿原である。
(覚満淵)
帰りには富士見温泉に寄り、前橋の安い焼肉屋に入り、帰京する。