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松本人志事件についてちょっと考えてみる [その他]

日本の状況に疎いのだが、どうも松本人志が大変なことになっているようだ。私はネットでの情報をもとに考えているので、的外れなことも多く書いてしまいそうだが、要は、昨年12月に松本人志の昔の破廉恥な行動が週刊文春に書かれ、それを事実無根とする松本側が名誉毀損の裁判に注力するために、芸能活動を一時、中止するというような流れである、と理解している。その破廉恥行為とは、松本の後輩芸人達が、松本の機嫌を取るために、松本の性行為の対象となる女性を集めて「献上して」いた、という報道のようだ(いや、文春の記事もしっかりと読んでいないのに書いてしまい申し訳ない)。

私は最近、ジョージ・ハリソンの元妻であり、その後、エリック・クラプトンの妻になったパティ・ボイド(稀代の名曲「レイラ」のモデルですね)に興味を持ち、彼女の自伝も読み始めたりしているのだが(まだ、完読していない)、1960年代のロック・スターの女性遊びというか節操の無さはとんでもないものがある。ジョージの浮気に心痛んだパティがエリックに助けを求めたら、エリックの方が遥かに破廉恥というか無節操だった、という下りは読んでいて心が痛む。

日本のお笑い芸人も1960年代のロックスター的人気稼業だと思う。女性ファンの追っかけもいる。そのように考えれば、松本人志の行動は、社会的な常識からは逸脱しても、まあ、そういうことが趣味なんだろうな、ぐらいで片付けられる話かなとも思ったりする。趣味としては悪いけれど。

ただ、ここで問題となるのは、複数の女性が被害者意識を抱いていることだ。そして、それを週刊文春に告白するぐらい、松本人志を許せないと思っていることだ。このような被害者意識を複数の女性陣が有しているということは問題だ。もちろん、何人かの女性は松本人志とそういう関係になって喜んでいたものがいたであろう。しかし、何人かの女性は問題がなかったとしても、数名の女性は極めて不快な思いをし、傷ついているのである。ある告発女性は「これまでどれだけの女性が同じ思いをしてきたかを想像するだけで吐き気がします」と述べていたが、その芸能界での圧倒的な権力の威をもって、そして断りにくい環境づくりをして、本人の嫌がる行為を犯し、そして、そのことを訴えられたら、それを「事実無根」と居座るのは間違っている。そして、何より、居座る行動は松本人志らしくない。そもそも変態的な性癖で笑いを取っていたようなところもあるので、相手を不快にさせたことで、しっかりと事実確認をした後で謝罪をすればいいのだし、金銭での責任も取ればいいのである。それをすることで、告発者が多く出てきたりしても、それはそれで自業自得である。「素人女性にもてないんで、思わず芸能界の力を使ってしまうような卑劣なことをしてしまい、本当に申し訳ない。しっかりと謝罪したい。しかし、そんなに自分が気持ち悪いと思われていたとはショック」などとフォローをすればまだ、松本人志らしかった。自分以外が似たような状況になったら、松本人志は結構、秀逸なコメントをすると思うのである。もてないことのコンプレックスが今回の事件の背景にあったのではと私は考察するが、まあ、こういうことをしちゃうからもてないんだよね。それは、まるで「真面目で美しく、自分を相手にしなかった」女性への復讐行為のようにも私には映る。

少なくともホテルで飲み会をしたのは、ラインで「とうとう出たね」と得意に発言した時点で、自分でも認めてしまったのだし、そういうのが趣味であるというのは、私のようなお笑いファンでなくても分かっているような常識かと思う。したがって、そういう不愉快な思いをした女性達には、文春とかマスコミに告発しないで、別途、個人的に訴えるのであれば誠実に対応する、みたいなアナウンスをすればいいと思う。本来的にはプライベートな事項であるのに、ここまで公になってしまったのは可哀想ではあるが、まあ、そういう対応をせざるを得ない状況に持っていってしまったのは本人の責任であろう。身から出た錆、ということで白旗あげればいいのに、「事実無根」と主張すると、社会から抹殺されるような事態になる可能性が高い。それは、そのような破廉恥なことをしてしまった松本ではなく、嘘つきの松本になってしまうからだ。嘘つきの松本というイメージがつくられたら、そのダメージは拭いがたくなるであろう。松本人志には本当にその覚悟があるのか。

タグ:松本人志
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