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「京都市営地下鉄」対「京阪電鉄」。どちらが正しい戦略をとっているか? [京都生活]

京都市の公共交通の採算性が悪化しているようだ。そこで、京都市営地下鉄は運賃の値上げをした。それに対して京阪電鉄は運行本数を減らした。京都市営地下鉄は5区間ある運賃の値上げ幅を過去最大の30円とするそうだ。一方の京阪電鉄は私が生活している京都市内だと、10分間隔が15分間隔へと減便されている。
京都市営地下鉄はまだ値上げをしておらず、これからだが、これはどちらの判断が正しいのだろうか。京都新聞などは、京都市営地下鉄は全国でも最も高い運賃となる、などと批判しているが、正しい判断をしたのは京都市営地下鉄であって京阪ではない。京阪の方がむしろ利用者に不利益をもたらしている。
 というのは、交通においては時間弾力性の方が価格弾力性に比べるとはるかに大きいからだ。すなわち、到達時間が短くなることによってその需要は増え、それが長くなると大幅に需要が減る。価格はある程度、高くなっても需要は減らないし、安くしても需要は増えない。これは交通のタイプによって異なり、一番、時間弾力性が大きいのは「通勤・通学」であり、「レジャー」は「通勤・通学」に比べると価格弾力性が大きい。
 この社会実験はなかなか大変なので事例がないが、ボストン大都市圏で実施されたものがあり、その結果、私が上述したような傾向が顕著に伺えた。そして、これは私の行動パターンを考えても同じことがみられる。私は待ち時間を除けば、京阪でも京都市営地下鉄でも、ほぼ同じ通勤時間である。ただ、京都市営地下鉄の駅からの通勤通路はもう工業地帯のような郊外的な景観を歩くのに比して、京阪の場合は京都市役所周辺の寺町通りというもう「ザ・キョウト」的な景観を歩くので精神衛生上は京阪で通いたい。しかし、この10分間隔から15分間隔へと運行ダイヤが変更したことで、ほとんど京都市営地下鉄を利用するようになっている。というのも、この5分間、運行間隔が延びたことで、私の駅での待ち時間が私の忍耐能力を超えてしまったからだ。というか、そもそも10分間隔でも相当、厳しかったが、その閾値を超えてしまったのだ。
これを少し、モデル的に考えてみたいので、苦痛期待値という指標を導入して、計算を試みたい。ここで苦痛期待値とは、1分間待つことで1(苦痛)を得ると考える。すなわち、10分待つと10苦痛である。すると、10分間隔だと、その苦痛期待値は(10×10)/2=50となる。15分間隔だと(15×15)/2=112.5となり、平均待ち時間は5分から7.5分に増えるだけだが、苦痛期待値はなんと2.25倍と2倍以上に増える。待ち時間は1.5倍に増えただけだが、苦痛は2倍以上も増えてしまうのだ。
また、コスト面からも比較したい。私の時間価値を1分=50円としてみたい。これだと時給3000円ぐらいの数字となる。ここで、平均待ち時間が2.5分増えることで125円の損失だ。これに比べれば30円の損失などまったく問題ない。というか、30円より待ち時間2.5分の方の損失が少ないのは、時給720円以下ということになる。時給720円というのは最低賃金以下だ。そんな人はいない。
もちろん、中学生や高校生にとっては大きなダメージがあるかもしれない。それであれば、通学定期を大幅に安くすればいいのである。そして、むしろ価格は30円以上に上げてもいいぐらいだ。自動車へのモーダルシフトが気になるのであれば、駐車場代に税金を課せばいい。場合によっては、ガソリン税を公共交通の赤字補填に使うべきである。アメリカ合衆国でもISTEA法、TEA21法でそのような対策を取っていた。
そもそも、公共交通において黒字を期待するというのが、全世界的に狂気の沙汰に近いことである。なぜ、このような理不尽な要求がされるかというと、日本は全世界的に奇跡的に公共交通で黒字を出しているからだ。まあ、これは非人間的な満員電車を人々が堪えてきたからであって、必ずしも喜ばしいことではない。
ということで、この場合、政策的にも経営的にも京都市営地下鉄の対応は、京阪電鉄のそれよりはるかに正しい。京都新聞とかももっと勉強しないと、間違った方向に世論を持って行ってしまう。私のブログは京都新聞の1万分の1も読まれないかと思うが、カウンターアーギュメントとして記させてもらう。

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