SSブログ

京都での一人暮らしは高くつく [京都生活]

京都と東京での二重生活をして二年半ぐらいが経つ。朝ご飯はなるべく、自炊するようにしているのだが、結構、これが高くつく。近くに阪急系のスーパー「いずみや」があるのだが、これは例えば東京の城南地区にある「おおぜき」、「サミット」、「いなげや」というローカルなスーパーマーケットはもちろん、「東急ストア」より品質が悪い生鮮品を提供し、なおかつ値段が高い。昨日などは、八分の一のサイズのスイカを498円で売っていた。しかも、元のサイズも小さいようなスイカである。東京の都立大学であれば900円で一玉買える。
 まだ、これらが美味しければ少しは納得できるのだが、美味しくないのだ。野菜、美味しくない・・・京都。いや、京野菜も売っていたりするのだが、それはそれで馬鹿高い。京野菜は美味しいと思うが、この値段だとちょっと一人暮らしだと手が出ない。というのは、新鮮なうちにそうそう食べきれないからだ。
 そもそも一人暮らしを気づいたのだが、タマネギを一玉買うと、そのタマネギを消費するために3日間ぐらいの献立が決まってしまう。先日はレタスを間違えて買ってしまったのだが、やはり、このレタスが献立を決める。そして、タマネギもレタスもそれほど高くないのだが、チキンサラダにしたりしようと考えると、ささみチキンを買ったり、キュウリを買ったりで結局、外食とほぼかわらないような値段になってしまったりするのだ。いや、三人前をつくるのであれば、一人当たりの額は自炊の方が安いだろうが、一人前だと本当、コスパが悪くなる。なぜなら、ささみチキン、レトルトなのになかなか高い値段だったりするからだ。まあ、この一人前は高いというのは、東京でも京都でも同じことなのだろうが、それにしても大学生が多い都市であるのに、なんか一人暮らしにそれほど親切ではないなあ、と思わせられたりする。
 そんなに「いずみや」に文句があればローカルのスーパーに行けばいいじゃないかと言われるかもしれない。京都にもフレスコというローカルのスーパーはあるのだ。しかも、これも家のすぐそばにある。ただ、このフレスコ、なんと「いずみや」よりさらに酷いのだ。
 京都に暮らしていて感じるのは、この消費生活が貧相なことである。これは、あまり指摘されていないことだが、東京のような生活をするうえでのコスパがいいのだ。スイカだけでなく、例えば焙煎珈琲豆なども、東京だと注文してから焙煎してくれるし、なおかつ値段も全然、京都より安い。以前、私が贔屓にしていた東京の焙煎珈琲豆屋に京都からわざわざ買いに来た人がいて、なんでわざわざここで買うのか、と訝しんでいたが、京都より安くて、新鮮(焙煎したものを新鮮というのも変だが)な豆が手に入るからだということを、こっちにきて知った。
 それでも、京都はまだ自立した生活はできるかと思う。私も仕事柄、家に帰るのが遅いので商店街とかをうまく活用できず、スーパー便りなので、豊かでない生活をしているというところはあると思う。東京にいると、肉屋は肉屋で、珈琲豆は焙煎珈琲豆屋で、野菜は八百屋で、パンやパン屋で、ケーキはケーキ屋で、としっかりと専門店で購入しているが、京都ではそこらへんがまだうまく回せてないからだ。とはいえ、この消費生活環境が、商品の供給力という点で劣っているだけでなく、コスパが悪い、ということが地方都市の東京に比しての大きな競争性の無さではないかと思われる。最近、本当、地方にいってお店に入って安いな、と感じることが少なくなっている。まあ、ちゃんとしたお店を見つけてられないといえばそれまでなのだが、非常に気になる東京と地方との違いである。というようなことを、まさか京都で書くとは思わなかった。京都はもっと豊かな消費生活環境を維持できていると思っていたからだ。

nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0